2019年1月

1/31・木

 朝から曇天に小雨が混じる。久久の御湿りである。午前中は漫然とす。午後出社。夕方から久久の本降りとなる。中一数学は空間図形に突入。例によってホワイトボード上の二次元では巧く教えられず。ティッシュペーパーの箱の角や面を塗ったりして説明す。其れでも反応は薄いなあ。大手の塾などは最新のデジタル教材か何かを使うのだろうが、当方はアナログ方式である。まあさして重要な分野でもないのだけどね。其のままBへ。酔ったおじさん連中しかおらず。偶には脳みそ全開の切れ切れのトークもしてみたいもの。結局Iへ移動。此処も井満さんしかおらず。三杯飲んだところで雨が上がる。漸く帰れた。

 

1/30・水

 朝から通帳を大量コピーす。何でも臍繰りが亡父から贈与されたものでないこと証明するために必要な措置だそうで。ああ面倒臭い。直ちに税理士に送付す。続いて103号室の退去。丁度二年。此の部屋は回転ばかりがいい。御結婚するために一時実家に帰るそうだから寿退室だな。見たところの部屋は実に綺麗だが、エアコンと換気扇は交換が必要なよう。なお排水工事は漸く来週に決定す。以後引っ越しゴミの分別。粗大ゴミに近い大きいクッションは庭猫に供した。直ぐにミーちゃんが寝ていた。何だか少し前に流行った「ねこあつめ」みたいだな。

午後出社。チラシも配る。どんどん家が建っている。庭も無い三階建てばかりだが、タワーマンションよりいいだろう。お肉屋さんとも少し電話で話したが、まあまあ元気そう。ちなみに在庫は家主さんが処分したそう。鼻が曲がるほどの・・・。ご苦労様です。そういう時の為の家主ですけどね。退社後はBで歓談。

 

1/29・火

 此の所の週刊誌は「(親が)死んだら(手続きが)大変だ」「(事前に)此れだけはやっておけ」的な特集が目立つ。こういう記事を読んでもね、本当に親が死ぬとはなかなか考えないのが、子と言うものである。何となく此のままの状態が続くのではないか、何時か少しは良くなるのではないか、そういうバイアス(希望的観測)が掛かる。吾人ですら其の例外ではなかった。結局は行き当たりばったりの出たとこ勝負。其れでも何とかなるから大丈夫(金銭的損失は免れないけど)。なお亡くなってからの手続き等は、此の日記を参考にして貰えれば幸いです。あと、役所からの意味の分からない手紙は、大声で音読しながら解読することをお勧めします(現代文必勝法)。

 国会も始まったようだが、野党の支持率が上がらないのは、其の戦略が余りに稚拙であると言うこともあるのだろうが、最近の若い人には野党が色色と質問することで政府与党に迷惑を掛けているというように映るらしい。そりゃまあ、与党から見たら迷惑と言えば迷惑なのだろうが、野党が政権を責めるのは、犬が吠え、赤ん坊が泣き、子が親や教師に反発するのと同じ、当たり前のことなのだけどね。こういう当たり前が理解できないのはどういう訳なのだろう。どうにも迷惑を掛ける、あるいは掛けられることを極度に恐れる傾向があるように見える。予定調和の強制、同調圧力と言うか、一種のちぢみ志向、其れらをデフレマインドと言っても差し支えなかろう。となれば、インフレマインドよ来たれ。大きな心で夢や理想を語りたい。一方、野党第一党を崩壊へ導いた元環境大臣は与党に入るらしい。一党多弱を招いた論功行賞だな。こういう輩がいるからなぁ。ああ落選運動がしたい。

北風と冬型に戻り今日も晴れる。家人は今日も昼餐会。まあ少し遊んで貰わないとね。昼は冷凍うどん他。夜は弁当。

 

1/28・月

 朝方に税理士法人に書類を発送。概ね此れで十分な筈である。午前中は曇る。午後千寿に直行。途中散髪す。予定していた生徒は風邪でお休み。こうなると何もすることがない。他の生徒もいない。S子先生とは何の会話も成立しないから教室は静まり返る。此処に来て丁度五年か。つくづく生徒が減ったな(吾人のせいではないよ)。今後の運営をどうする積りなのだろう。

六時からは多少賑やかになった。本日の授業労働は一時間と少し。通勤時間の半分以下である。「お先に帰ります」と言うと、S子先生はにこにことして「お疲れさまでした」と宣う。あれだけの仏頂面が豹変す。つくづくよく分からない人である。さてさて偶には新店を開発しようと思い、徳俵を覗くも、やはり入れず。其れでは「大はし」はと言うと此方も満席。なれば東口の「かあちゃん」に参るも、此方はとっくに御臨終の模様。結局「福しん」の炒飯で腹を満たして帰った。本当はもう少し仕事がしたいんだけどね。施政方針演説内容薄し。既に惰性で漂流している。其れでも選挙に勝つのは、有権者の方も惰性で思考停止になっているからである。

 

1/27・日

 風邪も風も収まったので出鱈目散歩。成城行きのバスを仙川のところで下車し、以後多摩川方面へ。例によって二子は素通りし用賀へ。空腹に堪えかねて駅ビルのうどん屋へ入る。セルフ式の店など何処も同じようなものだが、此の店は違った。枡屋の新業態らしい。全ての注文を券売機で行う。すると食券データは其のまま厨房へ。後は番号による呼び出しを待つ。レジ係りを削減した積りなのだろうが、素気ないし、味気ない。うどん屋は湯気モウモウでああだこうだと注文したいよな。大体序で買いが出来ないだろう。ついつい手を伸ばしたおにぎりやお稲荷さんを売らないと儲からない筈である。其のまま電車に乗って帰った。約一万五千歩。夜は家人のお好み焼き。

 

1/26・土

 昨日来の中量飲酒と大量睡眠で何とか回復す。体の強張りのようなものが取れた。今日も強烈な冬型。一晩遅れてドラマ「日本ボロ宿紀行」。売れない歌手とマネージャーが安宿を泊まり歩くという物語。何もかもが新品になって行くから、最近はこういうものに関心が集まっている。いい傾向である。でも古い居酒屋や食堂は好きだけど、泊まるとなると数段ハードルが高いな。冬場は一発で風邪引きそう。吾人ですらピカピカのビジネスホテルに泊まりたいもの。

 大企業の給料が高く、中小零細がそうではないのは昔からだが、問題は大企業の範囲であると思った。試しに有名海運会社を例にとってみる。日本郵船百鬼園先生も嘱託を務めた由緒正しい大企業である。有価証券報告書等によると平均年収は1000を超えるらしい。でも同書に出ている社員は1700人ちょっと。可笑しいな、あれだけのお舟を動かしているのだから、船長さんだけでも1000人は必要である。凄い給料を貰っているのは軍令部付のエリート社員だけなのだろうか(グループの残り数万人はどうなっているの?)。結局こういう所をばかりを切り取って給料が上がった上がった、何とかミクスは大成功だと言われても、益益ピンとこない。統計のマジック(詐欺)だな。

 猛烈な寒気により午後は曇る。矢張り体調が今二つ。近間の買い物以外安静にす。吾人にも緑の不幸の封筒が送られて来る。今年は随分小型化されている。昨年からイータックスにしたから送付書類が少なくなったよう。晩食は須見伯母から貰った高級牛肉にスーパーの切り落とし肉を混ぜて久久の鋤焼きに。前者は柔らかすぎて味がせず、後者は何だか噛み切れず。つくづく中庸がいいと思った。

夜は公共放送の庭球中継を見る。例によって野球以外のスポーツのルールがよく分からない。実況も解説もテンション控え目だから有利なのか不利なのか今一つ掴めず。こういう場合は民放の絶叫中継の方がいいと思った。ちなみに見事優勝した選手は日本式の姓名だが生活は海外式で国籍は二つ。幼い内に海外に出て佳かった。日本に居ては才能があっても伸ばせなかっただろう。第一、日本の学校軟式テニス中心だもの。増してあのブカツでは伸びるものも伸びないな。

 

1/25・金

 朝から曇天。朝から税務署に参る。亡父の準確定申告である。また一月だというのに税務署は結構混んでいる(みんな何しに来ているんだ?)。多少待って提出。但し付表の控えを作り忘れたことに途中で気が付く。折角押した受領印には一旦消印を。下の図書館でコピーを取って再提出。此の間十五分程度。まあ多少のトラブルがないと色色と苦労して作った甲斐がないというものである。還付金は無し、納付金も無し。源泉徴収分(二万余り)でピッタリ。内容的にはシンプルな申告書である。無事終了す。

さてさて区役所下の硬券食券食堂でオムライス休憩(730円)。また自転車に乗って帰った。外は寒いが何だかあんまりスッキリしないな。何しろ此の後には相続税があるからね。吾人の申告もある。御昼過ぎに信用金庫の弔問。係長まで来る。夜はメガバンクから営業電話。みんなそんなに御金が欲しいのかね。大体集めたところで貸し出すところがないだろう。

 書いた傍から何だか具合が悪い。超人宣言返上である。午後は安静にす。「高額サービス費支給決定通知書」(10月分)と「後期高齢者医療制度の被保険者がお亡くなりになった場合の高額療養費の支給申請のお手続きについて(ご案内)」という書類が来たが、申告はもう既に終わりました。ということはこれらは相続資産になるのかなぁ。

 

1/24・木

 日ロ会談はゼロ回答の模様。当然だな。今後は「北方領土」という名称も使うなと釘を刺されたらしい。却って後退である。へいへい畏まりましたと教科書も早速書き直すのかな。統計資料を見直したら、昨年の賃金の伸びは幻であったという。態とやったのか、偶偶そうなったのか。詰まり故意なのか事故なのか。前者なら酷いが、後者でもやっぱり酷い。行政を担当する能力がないと言うことになるからね。公務員試験から受け直した方がいい。

 午前中は火災保険の更新契約。エライおばさんが杖を突きながらやって来る。御自分で持って来た書類も、「字が小さすぎて・・・」。吾人が代読す。実に五年ぶりだそうです。家人と暫し歓談して帰って行った。まあ何もかもネットで済ませてもねえ。生きがいなんだろうな。新棟四部屋五年分で8万7千円。五年後は・・・。

 午後出社。今日も寒い。立ち飲みBで軽く御仕舞。碑文谷のドライブという店でとんこつ醤油休憩。寒くて給料前だから何処の店も空いていた。帰宅後入浴。インフルエンザの話題多し。そう言えば今季はまだ風邪を引かない。二日に一度の割りできちんと風呂に入っているからかもしれない。例によって体は洗わず浸かるだけ。巷間ではタモリ式入浴法と言うらしい。それか永年にわたり各種ウイルスを取り込み、愈愈コンプリートしたのかもしれない。詰まり吾人も超人になったな。

 

1/23・水

 さてさて伯父さんの二度目の納骨式。平日の昼間は息子や孫は出られないというので吾人の出番となる。予備役の面目躍如である。大体拙宅が一番近い。其れでも家人とバスを二本乗り継いで参ったらすっかり遅くなった。エイサエイサと腰の悪い家人を坂の上の御寺に押し上げる。しかし此の御寺に来たのも久久だな(多分四半世紀ぶりくらい)。

参集者は伯母さん以下僅か。肝心の納骨も直ぐに終了。何でも石屋さんの御母堂が倒れられたとかでこういうになったとのこと。此れで伯父さんも漸く入れたな。でも基本的には入りたくないのかもしれない。伯父さんは婿で、実は伯母さん自体も養女である。本来は新兄ちゃんという方がおられたのだが、戦前に夭折(当然結核)。其れで伯母が戸籍を移した。養父母は大変な事業家で、息子が危篤と聞いた時は満洲から飛行機で帰って来たらしい。其れでも敗戦後の引き上げ其の他で、残ったのは鎌倉の家だけに。戦後は土地と骨董品の切り売り生活であったという(息子たちも普通の勤め人だから墓の維持が大変である)。吾人も僅かに覚えているが、養母様(平成元年没)は特に強烈なキャラクターで最晩年まで全力で君臨していた。伯父さんも伯母さんも相当苦労をしていたよう。彼岸でも喧嘩にならなければいいが・・・ね。また伯母さんも此れからは少し楽をして貰いたい。

近くの中華屋で軽く食べて御仕舞。まだ一時なので一旦帰宅。目黒までの地下鉄は矢鱈深いから家人も難渋していた(やっぱりバスがいい)。夕方出社。此方も作文練習。体験談を針小棒大に書くように指導す。金参万円受け取る。帰り掛け、都立高校(推薦入試)の応募倍率はどうすれば分かりますかと聞かれたので、つい反射的に新聞に出ますと応えて仕舞った。生徒はポカンとしていた。慌ててネットで検索して見なさいと言い直した。殆どの生徒は新聞など取ってもいない。いや、ひょっとしたら新聞にも出ないかもしれない。退社後はBで二杯だけ。

 

1/22・火

 今日も晴れ。関東はカラカラである。朝方税理士から電話あり。家人は今日も何とか兵衛で昼餐会。よく同じ所で何度も食べるね。吾人は三丁目の肉屋に弁当を買いに行くも、おばさん一人でてんてこ舞い中。おじさんはまた具合が悪いみたい。断念して近くのスーパーのとんかつ弁当。午前午後と税務関係の書類処理。夜はまたアスターの弁当。

 皇女の前婚約者が反論声明。400万円は贈与されたものだと。うーん、何処かの誰かが何とか費を使って処理しようとしない限り、此の問題はずっと平行線のままだな。こうして誰も何も仲介しようとしないのだから、詰まり破談に持ち込みたいのだな。大物フィクサーにとっては400など、ほんの昼食代だろうけど。早くケリをつけた方がお互いの為である。

 

1/21・月

 シロに続いてグレまで未明に入って来る。時期なのだろう。あるべきものは取ってはいるけど、何だか持て余すような気持ちになるのだな。二匹ごと抱いて下ろす。でも男の飼い主に愛情を求められてもねぇ。元元単独性のネコ科の生き物には集団という概念がなく、あるのは母子関係だけだと何かの本で読んだことがある。ということは、おっかさん・・といって懐いてくるのだな。胸でも差し出すか。

午前中は資料の収集。何でもかんでもあっという間に家人は捨てて仕舞うのであるべき紙も既に無い。どうして女というものはあんなに捨てて仕舞うのだろう。午後千寿に向かう。「東急東京メトロパス」で途中下車して宝町の税理士法人に。取り敢えず集めた書類を提出。予め訪問の意思を伝えてはいたが、税理士殿は会議中だとかで顔も出さず。五分でいいから出てきて欲しかった。色色と聞きたいこと(遺産分割協議前に空き家を壊せるかどうか)もあったのに。つくづく融通が利かないと思った。御役所と丸で同じだな。

小伝馬町に移動し日比谷線に乗る。併し此の辺もどんどんビルディングが建っている(こんなに沢山建てて大丈夫か)。以後千寿校入り。実に五週ぶりだがさして感動は無し。此方も既に死に体である。其れでも都立高校の推薦試験を受けるという女の子の作文を残業添削す。千代田線を町屋で下車。Bで二杯だけ。帰り掛けに中公新書の『承久の乱』。全く同名の新書が別の出版社から出ているが此方の方が中味が濃そう(こんなに沢山出して大丈夫か)。歴史の(未発の)可能性を巡るP108の記述が興味深い。

 

1/20・日

 概ね暖かい見込み。と言う訳で出鱈目散歩に出た。と言っても多少の算段はある。西部方面に比べ北部方面が手薄である。まず世田谷線で下高井戸。永福を通り、大宮八幡を軽くお参り。周囲は和田堀公園である。此処には武蔵野園という有名店がある。既に営業していたが、如何せん少し早いし、歩き足りない。今回は敬遠す。再び北上し青梅街道に出た。併し杉並辺りは全く縁がないな。新宿行きの都営バスを見かけたので、すかさず乗車。珍しく都心に向かう。

実に久久の新宿である。とは言うもの当てがあるのは思い出横丁の「岐阜屋」くらい。早速モーニング瓶ビール。店内は中高年男性がまばらにいる程度。酎ハイに紫煙に競馬中継。大人の世界だね。不惑を越えた吾人ですら、此の時間帯の此の店では最年少の部類に入る。何だか若返ったようで妙に落ち着いた。其のまま並びのBを覗く。なんとN君がいた。嘗て本店で勤務していた彼もいつの間にか新宿店の店長なのだという。暫し歓談す。でもそんなに沢山飲めない。地下街で購入したヒロタのシュークリームを差し入れて店を出た。昼も過ぎると一気に人が増えている。退散あるのみ。再び都営バスに乗り、終点は新代田。以後徒歩連絡。帰宅は三時前。こういう色色な気づきが得られる辺り、多摩川方面の郊外散歩では得られないな。今後は都心もコースに入れようと思う。夜は唐揚げと巻き寿司。ところで下高井戸辺りも高架線になるそうで、建設用地の確保が進んでいた。でもまだまだ掛かるな。駅前の市場は残して欲しいと思うけどね。

 

1/19・土

 家人は伯父さんの納骨式に。なお料理屋が定員に達したとかで吾人は留守番となる。夕方帰宅。家人によると創作フレンチは旨かったが、肝心の石屋さんが来ず、遺骨は御寺が預かることになったという。伯父さんも余程入りたくなかったんだね。一方吾人は昼の男ラーメン(780円)が胃に残り、夜は軽く済ませた。ほぼほぼ休肝。ところで拙宅の電気の契約が何時の間にかガス会社に変更となった。さようなら東電。フクイチの責任を取る意味でも料金を支払い続ける所存だったが、家人が勝手に変更したのだから仕方がない。まあ送電ではお世話になりますけど。暇なので映画「人間革命」。冒頭の戸田城聖丹波哲郎)の出所シーンだけでも現学会員は見るべきである。国家が過去にどういう誤りを犯したのか一目瞭然。シャベルや包丁や学習参考書がいかに大切な物であるかということも分かる。

 TBSラジオ「デイキャッチ」も三月終了とのこと。パーソナリティーの年齢を考えると「スタンバイ」も危ないな。また元会長の御蔭で拘置所の待遇は広く知られるようになったが、入管の収容所はもっと酷いらしい。此方も誰か有名人が入らないと注目されないな。なお長野県出身の関取も怪我で欠場。こうして吾人の人生から相撲が消えた。いやそもそも相撲に多少なりとて興味を持つあたり、吾人も歳を取った証拠である。

 

1/18・金

 一日晴れ。詳細な御見積もりが出来きましたというので出掛けてみる。行き先は駒沢の住宅展示場。先日其の近くの焼肉屋に行った時は、吾人には一生縁がない場所だと思っていただけに、人生とは分からないものである。腰が悪い家人も行くというので、のこのことバスに乗った。途中「一風堂」で昼食。家人にとってこういう専門店は初めてだろう。旨い旨いと言っていた。

さてさて見積もりは、地盤が弱いのと太陽光パネルを載せた関係で、当初プラス400万円。まあ許容範囲である。其れでも大体十年で償却できるというから、凄い物件ですなどと言われた(名目利回り10%)。松と楓と使っていない井戸も残る。其の分、駐車スペースが一台減る見込み。序でにモデルルームも見て回る。新しい物は良く出来ているな(見たのは最上位モデル)。此れに比べると築三十五年の拙宅など丸でボロ屋だと思った(まあピチピチのトップモデルとおばさんを比べてもね)。打ち合わせは二時間ほどで終了。もう歩けないと言うので帰りはタクシーを使った。家人も少し歩かせなくてはならないな。なお消費税が上がるので契約は早くした方がいいと言われた(三月末まで)。困ったな、こういう決断事は一番苦手である。第一に遺産分割協議が終わらない。マスタープランは早速遺影に供えた。

 

1/17・木

 それにしても人事院勧告や景気調査では賃金の高い大きい会社を、失業保険の給付にはそうでない会社の統計を使っているのだからますます呆れる。フランスの人も黄色いベストを着て怒っている。特にパリのビジネスエリートが富を独占していると。都市対其れ以外と言う構図があるな。やっぱりふるさと納税は必要かもしれないね。返礼品は少しでいい。

まあまあ晴れ。今頃になって取り過ぎた介護保険料を返すという書類が来る。凡そ二万円。もう申告書は作って仕舞ったよなぁ。午後出社。少し陽が長くなったのでチラシ入りクリアーファイルを入れて歩いた。退社後はBとI。家人の臍繰りにも相続税が掛かるケースがあるらしい。でも家計内は混然一体となっているから、何処から何処までが誰の収入で、此処から此れは私の支出などと分けられないよな。心配すれば切りがない。

 

1/16・水

 たかがレーダー照射程度の問題が解決できず。こんな問題は佐官クラスの協議でどうにかなる筈なのだが。三一が近いから益益炎上しているな。此の件は春が来るまで放っておいた方がいい。また金星配給人と化した横綱も引退。真面目で不器用だから人気はあった。なってくれただけで感謝すべきなのだろう。こうしてハラハラ劇場も閉幕。あの怪我さえなければね。大陸の谷間に咲いた悲劇の何とやらかな。後が居ないから相撲を見る人も少し減る見込み。

 次第に曇って結構寒い。午後出社。退社間際に進路相談。色色と聞かれたが吾人は大して応えられず。何しろ此の学年は真面に指導できなかったからね。色んな人が次次と来て立ち飲みBに閉店までいた。ちなみにお肉屋さんの携帯電話は繋がらない状態に。元気にしているだろうか。

 

1/15・火

 理事長が余りに理不尽だと教員が時限ストライキをした私立高校があった。何でも朝早く出勤させて下らない訓辞を垂れていたというから呆れる。其処で手持ちの『高校受験案内』を拡げて見る。歴史も古いし、場所もいいが、生徒は五百人余。募集人員から考えると定員充足率は恐らく六割そこそこ。こういう学校は早晩運営が成り立たなくなるし、こんな理事長の下では改革も進まないな。

ところで普通科高校に於ける普通教育が巧く機能していないと与党の議員は怒っていた。確かに、座学の一斉授業でサインコサインタンジェントを教えても、余り効果はないよな。そもそも半分くらいの高校生は中学校の内容が分かっていない。数学や英語の授業などは酷い目に遭ったという被害妄想くらいしか彼らの頭に残らないだろう。では普通教育に向かない子はどうすればいいのだろう。一応職業科の高校があるが、十五の冬で将来を選択させるというのも酷な話しである。せめて少人数で面白く教えられることが出来れば、生徒の評判も良くなる筈なのだが。そういうことは私立の方がやりやすい筈なのだけどね。

 早速朝のお勤め。今週は愈愈工事の筈だが、誰も来ないし何の連絡もない。元請け会社の若頭さんに電話をしたところ、設備屋さんが忙しくて工事の日程は白紙に返ったとのこと。吾人も軍手にスコップで穴掘りを手伝う覚悟で待ち構えていただけに、すっかり拍子抜け。糸の切れたアドバルーンのように先月入れなかったボロ市会場を散策。其のまま歩いて「陸」に参る。行って見ると開店前から既に大行列が出来ている。十分ほど並んだが寒さと空腹で敢え無く断念。向かいの要に避難。ラーメンはとんかつに緊急差し替えとなる。二郎系の店も増やして欲しいな。終戦前後やソ連の末期ではあるまいし、食べ物で行列などしたくない。

再び会場を歩き、千円の運動靴と白菜漬けと文庫本を二冊買って帰る。併し七百円のサービス定食では何だか食べ足りず。冷凍うどんと御菓子を追加投入。ああ本当はこってりラーメンが食べたかった。今年の店運悪し。ところで途中「オークラランド」にも避難した。何千回も前を通っているが、此処はボウリング場だったのだね。初めて入った。ゲームコーナーも覗いた。やれるゲームが一つもないことに気が付いた。パズルやクイズゲーム、みんな何処行ったんだ。電車で何とかも。学生の頃は結構やったんだけどね。

午後は一雨あった。以後少し晴れる。でも結局寒い。税理士法人と何回か遣り取りして準確定申告書を仕上げる。晩食は貰った鰻で何とかしようと思った。併し再加熱に失敗。レンジに軽く通しただけでは中まで熱が通っていない。熱熱の御飯を巻いて何とかしようと思ったが、巻いている傍から食べて仕舞ったので、結局冷たい。おまけに白菜漬けは本来不要な塩出しを家人が強行して味がスカスカに。万事休す。本日の食は総崩れとなる。こうなると沢山飲んで早く寝るしかない。

 

1/14・月 

 さてさて朝から快晴。何処かに出掛けようと思った。前回は山に行きかけたから、今回は海である。と言う訳で東横線京急線に乗って津久井浜で下車。何時もの廻る寿司屋へ。連休中で結構お客もいるのに、自動化コーナーしか開いておらず。味気ない上に、ネタも舎利も今二つ。改装して悪くなったな。

 気を取り直して海岸線を歩き、三浦海岸駅へ。適当なバスに乗って降りて西海岸へ。再びバスに乗って逗子に出た。本日は此処で終了。また京急線で帰る。横浜で崎陽軒の弁当。実は焼売は余り好きではない。何時もと同じ「季節の弁当」(730円)を二つ買って晩食とした。焼売は少なく(二個だけ)、其れ以外のおかずとのバランスが丁度いい。こういう弁当って世田谷の住宅地区では売ってないんだよね。

ところで成人式と見えて晴れ着姿の女性も多かった。二十歳の子と其の親御さん。二人で歩いていれば、年齢的には既に親世代に近い。何しろ結婚もしてないし、出世もしていないので、気分的には二十代後半か三十代前半の書生気質で停止している吾人なのである。

 

1/13・日

 大体晴れた。昼はオリジン弁当。取り立ててどうと言うことも無し。さてさて一夜明け、最近の芥田先生は『昭和維新私論』を読み直されているということを思い出す。特に渥美勝の心性が気になると。早速手元にあるので読んでみる。成程、なるほど。昭和維新とは今でいう一種のイスラム国かもしれないと思った。いや併し、(吾人も多少なりとて先生と呼ばれる身ですが)先生の先生は大変な先生であります。と言うことは、先生は先生の劣化コピーと言うことだな。夜は残った豚肉で肉豆腐。

 

1/12・土

 朝から曇天。時時小雪と小雨。さてさて芥田先生の千葉市の自宅に向かう。時間があったので、西船から京成線で参る。京成千葉線に乗るのなど数十年振り。いや併し、丸でローカル線の態である。標準軌で割と真っ直ぐな線路が勿体ないと思う次第。何も無い京成駅からJR駅に移動。元元は京成の方が古いんだけどね。駅前の王将で遅めの「五目あんかけラーメン」(630円)の昼食。

早速午後三時からミニ読書会。題材は月波君が提供した芹沢光治良の「幼い話」。恋愛小説と言うより農地改革への啓蒙小説といった体裁。農商官僚であった作者の経験が生かされていると言う結論(農地改革のアイデアは既に戦前からあった)。以後新年会に移る。参加者は、月波君、鷺乃間君、坪上君、藤松君と遅れて西嶋君。彼のカンボジアで車に撥ねられた話で盛り上がる。先生もお元気でネパールに行かれたそう。色色と示唆に富んだ話をされたのだが、生憎此方は数か月間思考停止状態。少しは読書も再開させなくてはならないと思った。十時過ぎまでいて、JRプラス東西線で帰宅。地元で富士そば

 

1/11・金

 朝一番で三名分の収支内訳書を優子さんに発送。どんどん作ってどんどん出さないとどんどん滞る。手元にあるとついつい考え直して仕舞って切りが無いからね。終日晴れてまあまあ暖かい。昼は自転車で外に出る。太い麺が食べたくなり隣町の付け麵屋に入る。茹で時間が長いから付け麵は儲からないだろうなどと考えながら暫し待つ(其の対極は博多ラーメン屋)。すると後から来たお客は食券を出すなり一分も待たずに供された。そんな筈はない。特急券でも出したのだろうか? 要は飛ばされたのである。また一から待つのかと軽く絶望すると、程なく吾人にも供された。但し先客はまだのよう。詰まり一番と三番を取り違えようで、二番の吾人の実害は無しか? 吾人が食べ終えても先客の着丼は確認できず。でも其の人はずっとスマホに興じていたから気が付かない模様。世の中知らない方が佳いこともある。

 買い物は二便。明日は芥田先生の書斎に伺うので桐の箱に入った高そうな焼酎も購入す(三千円)。夜は豚のしゃぶしゃぶ。韓国の大統領は、当該日本企業の資産差し押さえは司法が勝手に判断したので与り知らぬことであると宣う。またフランス当局は、オリンピック誘致を巡る贈収賄事件で、日本人の捜査を再開。一応三権分立と言うけど、国際問題化すると中中そうはいかない。例えば日本の裁判所がアメリカに賠償金を支払えなどという判決を出す筈も無いからね。ちなみに元会長は流感に罹り三十八度だという。体重が落ちれば免疫力もぐっと下がる。三権分立、殊に司法権独立の建前は、国の意向に逆らった時の抗弁として初めて生きる項目なのだろう。司法も立法も元元は国の権力の一つだもの。

 

1/10・木

 朝は一瞬晴れたが以後曇天。雪でも降ってきそうなほど寒い。午後出社。退社後はBで軽く御仕舞。

 

1/9・水

 終日晴れ。本日は休みにした。折角なので何処かに出掛けようと思った。取り敢えず世田谷線から京王線へ。終点の高尾山まで行く所存だったが、余りに寒くて府中で断念。天気はいいが風が本当に強い。駅前の神社にお参りし、仮設の茶店で燗酒休憩。併し年が明けて九日も経つと、多くの屋台も既に撤収作業中。活気が丸でないね。其のまま府中本町まで歩き、南武線溝の口に出た。「デリー」という古い店で遅めの昼カレー(600円)。ルーは辛口でシンプルな味。となるとカツとかコロッケなどの上物が欲しいと思った。

 そんなこんなで三時前には早くも帰宅す。以後ずっと税金の計算。「不動産所得の収入の内訳」を五名分作成したところで一日分の作業量を使い果たした。未だに残る数の子とかスモークサーモンとかソーセージとかで軽く飲んで御仕舞。なお亡父の準確定申告を真面に行おうとすると還付金が発生する模様。高が数千円。相続人が複雑だから却って迷惑である。医療費控除を少なく申告して何とか回避しようと思う。

 

1/8・火

 今度の改定で「あずさ」は停車駅を絞るそう。値上げして(回数券が廃止)、尚且つ停まらなくなるのでは堪らないと関連自治体は怒っている。在来線は小回りの良さが利点だからね。抗議が実るといいが。首長に加え市町村議員にも頑張って欲しい。一方あの元会長は裁判所に出て来て弁明したとのこと。何でも体重が十キロも落ちたという。小菅式ダイエットは、やはり人の道に反するな。またまた国際的非難が出る。

 さてさて講習も終わり通常体制に戻る。取り立ててすることも無い。午後重い足取りで眼科兼内科へ参る。愈愈視野検査である。検眼の後、手に汗を握り必死の形相で光芒を追う(正確に言うと視線は固定したままなので追ってはいけない)。直ちに結果が出る。盲点以外は見えているから問題はないとのこと。よって経過観察となる。内科の検診の結果も出ているので、隣の診察室に移動。LDLコレステロールと尿酸と血圧が高めだが、此れもまた取り立てて投薬治療する程でも無いとのこと。よって無罪放免となる(容疑は濃いが)。足取り軽く帰宅。但し眼科の検診に診療報酬約800点。眼科は高いね。尤も薬も飲まないから国民健康保険制度の維持には貢献出来そうである。兎に角、食べ物に気を付けて、運動しなくてはね。幸い小菅に入れられる用件もなさそうだし。草臥れたので九時就寝。

 

1/7・月

 携帯電話が生まれた後、元元ある電話は固定電話と呼ばれるようになった。とある大阪の学校が有名になって、元からある神奈川の其れは横浜何某と呼ばれるようになった。そもそも両者には何の関わりもない。ラグビーで対戦したらしいが、結果は良く知らない。別にそれほどの愛校精神がある訳ではないけどね。どちらもスポーツと学業の分業制のような学校である。

 引き続き朝のお勤め。住人も戻ったようで滞りも戻る。いよいよ来週の工事が決まったから、此のお勤めもあと僅か。御昼に出社。時間があったので隣町まで散策す。結局王将で炒飯。大して旨くない。さてさて講習も最終日。人繰りが付かず、最後の最後に中一の合同クラスである。夏の嫌な思い出が蘇る。全体で進めることは諦め、個別に課題を与えることとする。やることが違えばまあまあ大人しい。各個撃破戦術だな。退社後はBで中量飲酒。須々木さんと市ヶ谷さんが居て結構楽しかった。機嫌が良くなったので、Bの女子社員にはコンビニの御菓子を差し入れる(千円相当)。偶にはこういう喜捨をしないと福が寄ってこない。

 

1/6・日

 大体曇り。日曜だが本日も出社。冬の講習は一気にやるからね。授業の合間合間に『平成精神史』を拾い読む。何にも楽しいことのないまま直ぐに帰宅。留守中に塗装屋さんが来て早速屋根を直したそう。此れで一安心。夜は碑文谷で買った焼き鳥と唐揚げの鶏づくし。年末に買いためたワインも日本酒も概ね無くなる。飲み過ぎ防止の為に最近は在庫を減らしている。

 

1/5・土

 併し現金を持ち歩かない人と言うのは、古い中華屋やよさげな居酒屋を目にした時、どうするのだろう。一旦ATМに御金を下ろしに行くのかな。面倒な話しである。

 今日も晴れ。昼は結構暖かい。朝粥に色んなものを載せて食べたがまだまだ食べ切らない。当分買い物も停止。また隣の瓦がずれていることを発見す。スレート状のものなのでそんなに重くはないが、落ちたらかなり危ない。みたび応急処置を依頼す。年が明けてもこんなことばかりである。午後出社。退社後はBとIで中量飲酒。夜は北風。

 

1/4・金

 御昼に出社。例年の此の時期は年末年始の行動を報告させるのだが、先日の新幹線トラブルに巻き込まれて帰省を一日遅らせた生徒が居て少し可哀想であった。曰く、東京駅は人で溢れていたと。更に詳しく聞けば下車駅は佐久平だという。中央線プラス小海線なら帰れるけどね。単身なら兎も角、家族を連れては無理だよな。また無責任社長のところには何度もお肉屋さんから電話が掛かってきている。変な所に入れられたと悲憤慷慨しているらしい。地域社会から隔絶されると認知症も進むだろう。併し、残念ながら、此れ以外の道は、恐らくない。其のまま退社。正月料理の残りを残りのワインで流して御仕舞。

 

1/3・木

 恒例の駅伝見物。其の後川崎に移動。総勢十名で昨年と同じ中華屋に入る。出た後は、カラオケに行く行かないで意見が対立し、不愉快になった吾人は途中で帰ることに。新年早早碌なことがない。中でも激昂した吾人は小銭(二百円相当)を路上にぶちまける。川崎の人を驚かせたかもしれない。此の場を借りてお詫びしたい。

祐天寺の花月でラーメンを補給し、五時過ぎには家に着く。入浴後直ぐに就寝。午後六時過ぎに熊本で震度六弱。人的被害はないが結局夜中まで新幹線が止まり迷惑なことになる。東ならもう少し早く動かせたかな。

 

1/2・水

 家にしても仕様がないので、朝の内から散歩に出る。目黒川まで歩いて大鳥神社で初詣。屋台で御酒でも飲もうと思ったが何にも出ていない。此の神社も案外小さいね。バスで通るだけだから何も知らなかった。其のまま祐天寺に回航。併し牛丼屋ぐらいしか開いていない。止む無く一駅歩き碑文谷の日高屋に入る。こういう場合のチェーン店は有り難いと思った。働いている人は大半が外国人材だから日本の正月は関係ないのだろう。店内は忽ち中高年の一人客で埋まる。みんな孤独なのだな。メンマを当てに二級酒を二合。更に三十分歩いて帰宅。午後は漫然とす。何だか正月も何時もと違うからどうしていいのか分からない感じ。夜は千代田鮨。

 皇居広場には十五万人も押し寄せたという。再び「日本沈没」ネタで申し訳ないが、同映画には宮城に押し寄せた避難民を警察が武力制圧しそうになり、慌てて山本首相が止めさせるというシーンがある。まだまだ戦前戦中の記憶が生生しい頃の作品である。

 

1/1・火

 終日晴れ。分厚い朝刊が二紙、読むところまるで無し。朝は和食を中心に福島の「栄川」純米大吟醸で流し込む。例によってすることも無い。そこで年も改まったので、相続税の申告に必要だというゴミみたいな書類を集め始めようと思った。併しそういうゴミみたいな書類を集めてくれと言う税理士から貰ったゴミみたいなリストすら何処かに行って仕舞っている。一瞬で挫折。此れは前途は厳しいと思った。

 午後は地上波でやっていたテレビドラマの集中放送。「アンナチュラル」という作品だが展開が速く見ていて飽きない。外国ドラマのようでよく出来ている。職業上平日夜の番組と言うものは見られないので丁度良かった。夕方から飲み始めて、九時就寝。今日も寒かった。飲酒より入浴で体を温める。暖冬な筈なのだけどなあ。原宿の竹下通りで暴走事件。人の集まる所は常に危ない。