2019年3月

3/31・日

 一日遅れて「ヤマト2202」見了。高次元空間から二人が還って来て目出度し目出度しという設定。まあこんなもんだろうな。78年公開の「さらば」では特攻を美化しているとかで物言いがついたもの。此のまま「完結編」もリメイクするのだという。物語も戦争同様終わらせ方が実に難しい。

朝方から猫餌の買出し。続いて近所に出来た千円カット店で散髪。まず晴雷亭で昼食。ビール付き。続いてバーI主催の花見会へ。近所の公園へ移動す。参加者十人くらい。昨年とは随分入れ替わる。外国の方もいる。小さな子の面倒も見たぞ。大量飲酒の上、ふらふらになって帰宅。八時頃。以後胃痛。

 

3/30・土

 数日来の疲れが出たのか、日中漫然とす。夕方買い物。晩は豚のしゃぶしゃぶ。ノンアルコールビールを三缶。本日完全休肝。夜は冷たい雨。

まんぷく」終了。それにしても公共放送がインスタント食品を取り上げるというのも隔世の感がある。何しろ吾人が幼少の頃は、炭酸飲料禁止、ファストフード禁止、カップ麺など以ての外、テレビはNHKだけという級友が何人かいたものな。

 

3/29・金

 昼は家人のたけのこ御飯。本日も出社。途中「デイキャッチ」最終回を拝聴。都立大学の教授が吠えるようなことはなかったが、それにしても残念である。局の方針としてAMをFMのようにして仕舞いたいらしい。何かおかしいな。

退社後月波君が来たる。まず佐渡屋に行き、Bに行き、中華立ち飲みにも行った。行く先先でいろんな人と出合う(飲み仲間総出場と言った感じ)。吾人は最後にバーIに。妙齢女性が居た。割と大きな子どもいるらしい。其処で教育を巡って議論となる。結構な教育ママといった感じ。若いのに勿体ないな。大体なるようにしかならないのが子育てというものである(それに沈みゆく国で少少学歴を積んだところで大して役に立たないと思うのだけどね)。一時頃ふらふらになって帰宅。矢張り金曜の夜は人が出ている。

 

3/28・木

 午後早目の出社。授業しつつ、合間合間に時間割の検討と教材の発注。此の時期は意外と忙しい。夕方ラーメン休憩。花粉酷し。退社後はBで軽めの数杯。夜は寒の戻り。

 

3/27・水

 再び税理士から長電話。高額医療費と介護サービス費の還付について。これらも相続資産になる模様。銀行に記帳に参り、還付通知を調べ直す。全部で三十万円くらい。

昼過ぎから野球観戦。母校の橙隠学園が出ている。春夏通して実に久久の登場である。相手は福井の新設校。春の大会だとまだ体が解れていない感じ。それにしても此の学校の門をくぐったのは丁度三十年前の今時分である(但し校門らしいものはないけれど)。爾来信じられないくらい時が流れた。そういう感慨しか得られないな。序盤は荒れたが、試合は徐徐に落ち着き始める。結局三対五で力及ばず。夕方前に出社。退社後は焼き豚屋と立ち飲みBへ。久久におじさんたちと痛飲した。

 

3/26・火

 まずシロに予防注射(6480円)。火曜日であるが午後出社。今日から春の講習。新しい先生も来る。三年前から来ているS山先生の前の職場のお知り合いと言うことで、吾人より年上。何かしらの専門資格はあるようだが、最近は介護半分、塾や家庭教師半分と言う生活らしい。ベテランさんには何の研修の必要もないから頼もしいと言えば頼もしいが、最近はこういう人ばかりだね。

退社後はBで二杯だけ。体調優れず早目の帰宅。桜も咲いたが、花粉も酷い。二月からの間断のない攻撃により粘膜が損傷して益益過敏になっている模様。

 

3/25・月

 疲れが出たのか、午前午後と漫然とす。また日中何度も上厠す。大破した胃と腸と目と鼻の粘膜を休ませなくてはならない。晩も小食小飲に努める。昨日小淵沢駅で買った「極上生信玄餅」を食べてみた。信玄餅にも色色あるのだね。此方が元祖という説もあるそうです。

トラちゃんのロシア疑惑は、シロでもクロでもないという曖昧決着。まあね、自分の国の大統領が外国の陰謀で誕生したなどとは信じたくないよな。一種の統治行為論に特別検察官も逃げた模様。

 

3/24・日

 朝からすっきり晴れた。やや冬型に戻る。朝の内は畑に施肥。続いて落葉松の植え替え。気分は植樹祭である。伯母の運転で早目に降りる。駅伝大会実施の為、駅の手前で下車。本日は此処でお別れとなった。三日間ほど乗って見たところ、伯母の運転能力に大幅な乱れはないが、客の多い駐車場と細い道は避け、(バックミラーなど気にせずに)マイペースで運転するように忠言した。最新の安全装置の付いた新型車であるが、何しろ伯母も八十代なものでね、少し心配である。

 さてさて此処から一人で帰ることになる。御金が勿体ないので普通列車である。みどりの窓口で高尾までの乗車券を購入。運賃3350円。十一時過ぎの飯田線に。早速缶麦酒とワンカップワイン。上諏訪甲府行きに乗り換える。小淵沢で途中下車。駅前の蕎麦屋で日本酒休憩す。

狭い店内は既に満席。注文を受けてから茹でるので時間が掛かりますという但し書き。大抵普通の蕎麦屋というものはそりゃまあ、そりゃそうだが、まるで注文を受けてから打ち始めますというくらい、みんな首を長くして待っている。急ぐ旅ではないので此方は構わないが、例によって蕎麦屋の混雑も考え物である。漸く出てきた蕎麦はかなり幅広。田舎仕立てなので茹でるのに時間が掛かるらしい。快速御前細蕎麦亭なら三倍儲かるだろう。例によって立ち食い蕎麦屋と薬屋は儲かるというのは亡父の至言である。

さてさて今度は高尾行きに乗る。東海道線其の他で使われた中古の車両。115系の後継だが、最低限の改造しか施されていない。トイレも古いままで、和式の中を青い液体が渦を巻く方式(垂れ流しの次の世代。別名汚物循環式)。こういうトイレは列車が駅に着く寸前に入って、停車中に用を足すのが通というものである。いやしかし、何時まで使うのだろう(新潟方面には行き成り新車が入っている)。ほんの中継ぎの積りなのかな。ロングシート越しの山山を見ながら再び日本酒を。大月前後からどんどん混み始め、満員電車近くになって高尾到着。這う這うの体で改札から出て、「たまの里」で麦酒休憩。此の店も山の御客(主に中高年)で超満員。みんな花粉症じゃないんだね。以後京王線で340円。世田谷線を除くと帰りは3690円であった。

家に着いたら七時前。多少道酒したが、いやしかし随分掛かったな。低速アルコール列車である。本来ならば「御酒の所為で時間が後ろへのびている所を、汽車はしらふで構わずに走っていく」(百鬼園先生)のだけれど、今回は電車から降りて御酒を飲んでいたからね。目も鼻も辛い。入浴後、九時就寝。

 

3/23・土

 午前中はブルーベリー畑の剪定等等。伯母は御向かいに弔問。少し前に親しくしてくれた御婆さんが亡くなったそう(享年九十)。花粉に巻かれ、目も鼻も良くない。当然抗ヒスタミン。近所の食堂で軽い昼食。すると頭がぼんやりして昏昏と午睡す。

二人で鋤焼きをつついた後は、只管公共放送。前半は「今上天皇、象徴のお勤め」的な番組。後半は振り込め詐欺特集。「働いても碌に稼げないのなら、(金持ちの年寄りから)取って来いよ」と若者を焚き付ける詐欺集団は、国民分断の象徴でもあるなぁ。最近は強引に奪いにも来るらしい。夜は薪の番。何度も焼べ直す。噛んだ鼻紙も片端から叩き込んだ。

 

3/22・金

 朝になったので出掛けることにす。須見伯母の手伝いで再びの伊那行きである。新宿を十時発の「あずさ9号」に乗る。ホームで伯母と待ち合わせ。回数券がなくなったので、伊那まで運賃4000円、岡谷までの特急料金2500円と言う正規の券で乗ることになった(伯母は年寄り割引利用)。

ちなみに今回の改定で指定料金はやや下げたよう。ただ回数券プラス飯田線乗り越しだと凡そ4700円で行けたから、矢張り大幅な値上げである(逆に回数券の使えない一番の繁忙期は少し値下げ)。JRも日銀総裁とグルになっているな。例によって特急はのろのろと進む。全車指定となって座席の上にランプが付き、指定席の売れ具合が分かるようになっている。其れを見ながら右往左往しているお客が多数。見ると八王子から全席満席。席にあぶれた人が居る模様。値上げしたにもかかわらずよく乗っているな。座席未指定券と言う謎の特急券が登場している。

矢張り今回の改定から弁当、サンドイッチ、土産物、アイスクリームも止め、大して売るものが無くなった車販員からビールと酎ハイを購入。早速の朝酒となった。都内の混雑で数分遅れたまま岡谷着。直ぐに天竜峡行きに乗り換え。伊那も暖かい。伯母の自家用車で山荘に上る。まず水道の開栓をし、あちこちの清掃をしたら既に夕方。野菜中心の肴で白ワインを傾けた(五一ワインスーパーエコノミー)。

 

3/21・木

 春分の日。朝から南風が吹き荒れ異様な暖かさ。午前午後と漫然とす。ワイドショーなどでは桜が咲くか咲いたかと大騒ぎ。そりゃあね、毎日こんだけ暖かければ咲くべきものがあれば咲くだろう。そもそもどうしてこんなに暖かいのか、温暖化の影響があるのかないのか、そういう根本的なことを考えるべきである。テレビの放映時間も半分でいいな。夜は辞めるべき人が辞めるべくして辞めたと大騒ぎ。此れもまた分かり切ったことである(結局中日に来なかった)。頭の白さを思うと、いろいろ大変な努力の人だった。

 

3/20・水

 汲み取りで思い出したのだが、拙宅が建つ前は古い家作を自家使用していて、吾人も小学三年生までは汲み取り式のお世話になった(両親もよく生活していたな・・・既に現在の吾人より年上の状態)。そもそも世田谷の下水道は非常に遅れていて、漸く昭和五十年代になって整備が来たと記憶している。其れまでは浄化槽かバキュームカーに頼る日日。下水道の敷設と都市ガスのメタンへの切り替えは子ども心にも大事業であった。

 一転して朝から花粉症。昨日は武蔵野に行っても大丈夫だったのに不思議である。局所的な花粉だまりみたいなものがあるのだろう。花粉の量と当人の体調などを掛け算したものが其の日の症状となって現れてくる。だから一般的な花粉予報など大して意味がない。午後出社。珍しく八時ぐらいから無責任社長と飲み始める。話題は主に思い出話。営業がてらに近所の店を二軒回り、吾人はIに少し寄って帰宅。久久に飲んだな。あの人とは。

 

3/19・火

 まず銀行に行き、手付け金の振り込み。ネットでも振り込める金額だが、振込用紙を貰ったのでこういうことになっている。却って面倒臭い。捺印が電子化されていて少し驚いた。行内ではネット振り込みの方が便利ですとのキャンペーン中。銀行の窓口もみどりの窓口同様、何れ無くなるな。

 さてさて彼岸にも入ったので、小平霊園に参る。墓前に母屋取り壊しの報告をす。また松の木は残すので、帰宅の際は目印にするようお願いした。暖かくて風も無い。幸いにして花粉症も一段落。少し歩こうと思った。只管北上し、清瀬を目指す。途中滝山団地を通過。成程、此処が「滝山コミューン」の舞台ね。初めて通った。確かに巨大な団地である。コミューンと言うよりコロニーだな(今はひっそりしている)。続いて野火止用水を越える。同じ都下でありながら此の辺りのことは何も知らない。ファインドマイウエストトーキョーである。漸くごちゃごちゃした街並みが出て来たら、其処が清瀬の駅前商店街。早速「みゆき食堂」に入る。謂わずと知れた有名店である。店内は既に大量飲酒中。高齢者が多いが、妙齢女性やスーツ姿の会社員なども盃を傾けている。皆コミューンから逃げ出して来たのであろう。こういう店は貴重である。いや併しね、感心してばかりもいられないよ。余りの大混雑で、何も頼めないし、何も出て来そうにない。壁一面に張られたメニューも画餅である(みんな昼からそんなに沢山飲んで大丈夫か?)。

中瓶一本に厚揚げ焼きで早目の離脱。例によって観光地化した有名食堂も考え物である(スイマセン吾人も観光客です)。駅隣接の「ダウドン食堂」に緊急入港。山田うどんの新業態らしい。緑茶割りに肉汁饂飩。直ぐに注文出来る、直ぐに出て来る幸せを噛み締めた。可笑しいな、こんな筈ではなかった。結局「気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている」。いい店は少ないからね。草臥れたのでメトロ直通で帰宅。山の手線経由より少し高いが、地下鉄線内も急行運転だから結構速い。四時頃帰宅。丁度一時間で着いた。一万七千歩、歩行距離十二キロ。

夜は冷凍食品。隣家から出て来た昭和八年の家計簿を見直す。花王石鹸27、アルパカコート1000、痔薬40、白米15キロ260、便所汲み取り30・・・、単位は銭である。トイレが水洗になっていない以外まあまあの暮らしをしているな(戻りたいとは思えないけど)。昭和十年頃の生活水準は、三十年の其れと同程度だと何かの本で読んだ記憶がある。十年掛けて灰燼に帰し、十年掛けて復興したと言うことなのだろう。元祖失われた二十年である。

 

3/18・月

 本は数箱分は何とか収容す。残りは廃棄処分だな。戦前の参考書とか教科書とか。何せドロドロなので。午後一番で不動産屋に赴き、本契約に移る。建築士さんによる重要事項の説明の後、営業担当者による細細な説明。分厚い契約書はとても読み切れないので、かいつまんだ音読の後は只管署名、捺印、割り印である。解体と建築で総額数千万円。富士そば凡そ十万杯分。まあ御金を借りて来る訳ではないし、相手は大手住宅メーカーなので、手が震えるようなこともなかったが、感慨深いものがある。間違いなく自己最高契約額。今までは家作の外壁修繕等で其の十分一程度だから、吾人も成長したものである。解体は五月、本格着工八月、引き渡しは十二月だそう。インテリアなどの細部は追い追い詰めるとして本日は一時間と少しで無事終了す。

 一旦帰宅した後、急いで本務校に回航。新しい先生が来るというので此方は簡単な打ち合わせ。三十分程度。事務処理作業の後、踵を返して家に戻る。遺影に供えた契約書、とてもじゃないけど読めないよな。朝から饂飩しか食べていないので、焼き鳥と刺身と握りずしで明るい内から飲み始めた。

 

3/17・日

 朝から晴れた。早朝自転車散歩。珍しくパンが食べたくなり、街のパン屋を探すも見つからず。店主の高齢化に加え、コンビニが何でもかんでも売るから皆廃業して仕舞ったよう。するとどういう訳だか駒沢公園売店コッペパン屋になっていたので買って帰った。コロッケパン(260円)。具とパンのバランスが悪く、大して旨く感じない。パンをもう少し重くしなくちゃね。

 以後断続的に隣家の片づけ。愈愈最難関の本の分別に取り掛かる。戦前の岩波文庫とか児童文学書とか、どう仕様か。昼は外に出た。六本木ではなく五本木のラーメン店に。晴湯系のとりそば(900円)。上品にできている。旨いことは旨いが何だか食べた気がしなかった。作業の合間に食べるものではないな。夜はスーパーの惣菜に残り物。沢山埃を浴びたのでシャワー入浴。

 

3/16・土

 朝から曇り。午前中は一階の押入れの片づけ。不要な物を棄て、隣の空き家の古い物を収納する準備を進める。戦前の賞状やアルバム類など。衣装ケース二つに纏めたものを運び入れる。他は取り立てて無為。花粉が酷く外出も最小限。昨年は偕楽園に行き、酷い目に遭ったもの。晩は豚のしゃぶしゃぶ。大量の野菜も取れるので丁度いい。改定初日だというのに中央線は架線切断。夜のあずさやかいじも運休に。此れが東の実力である。

 

3/15・金

 EU離脱を巡ってイギリスはずっと漂流中。後先考えず国民投票を行った結果だな。また空き家の解体を巡っては第三の相続人の許可も得られたとのこと(税理士経由で手紙と現況写真を渡して貰った)。此方は着実に進行中。グレの足は治ったよう。一か月近く掛かった。

 ニュージーランドで乱射事件。銃規制と共にSNSの規制も必要だな。犯人は生中継していたというから。

 

3/14・木

 三年目の北海道新幹線は空気輸送だという。何しろ特急料金が高いからな。そうだぶらり函館に・・・と言う風に行かない。多少安い券は駅ネットで買えるらしいが、飛行機の事前購入割引と同じ様な事をやっていては駄目だぞ。安い回数券を沢山出し、チケット屋で売って貰うぐらいの鷹揚さを持って欲しい。鉄道の利点は駅に行ったらすぐ乗れるという自由さなのだから。動き始めた汽車にひとり飛び乗れるぐらいの価格にしないと。

午後出社。薬飲み飲み、花粉の中を少し歩いた。金十万円受け取る。まとまった額を貰うのは久久である。退社後はBとIで合計三千円。

 

3/13・水

 四月から東京新聞も値上げ。率にして一割以上。土曜の夕刊を廃止してでも価格を維持して欲しかった。此の所は春のようなお天気。芸能人が薬物使用で逮捕された件で街の話題は独占される。大物は狙われるな。売人にも当局にも。後者は一罰百戒効果を狙っているのだろうが、逆にあの人も使っているのだから、いざ私も・・・なんてことにならなければいいが。社会全体の幸福感は低下しているから、依存症が増える下地は十分にある。また取り立てて被害者がいる訳ではないので、撮りためた作品の公開を見合わせるのもどうかと思う。

 午後出社。講習の予定を詰める。新たな先生も来るらしいので、来年度も楽が出来そう。早目の退社後は立ちのみBに二時間も。吾人も何とか依存症である。いや、確かに中毒だけど依存はしていないな。今日は四杯で切り上げたもの(1600円)。夜から冬型に。

 

3/12・火

 ボーイングの新型機が相次いで墜落。プログラムエラーの模様。古い物は壊れるが、新しい物も恐ろしい。二月の携帯電話使用料は七千円に減少す。減少率三割。データプラン変更の成果が出た。何しろ500メガしか使っていないからね。此れで前の機種と同じ水準。最新型本体の分割購入費込みで七千円なら許せるかな。

 朝方は確定申告の見直し。租税公課のところに誤りがあった。万代伯母の個人事業税をずっと足し算していた。三分割してあるから一人二万円余り。来年からは引かなくてはならない。併し税金と言うものはやればやるほど分からなくなる。昨日の面談でも102と105の三洋エアコンを交換したのは資本的支出になりますので財産に計上しますとか言われたし(やればやるほど細かくなる。詰まり切り無し)。他は隣家の片づけ。花粉に巻かれ午後は抗ヒスタミン休憩。夜の買い物、鮪の切り落とし(500円)のみ。缶麦酒に白ワインを少少。ほぼほぼ休肝す。

 

3/11・月

 あの日から八年。山田線の海側区間第三セクターに移管の上、間もなく復旧する以外に、いい話題はなし。被災三県は三十万も人口が減ったという。

 朝方まで大荒れ。以後急速に晴れる。税理士さんが是非お会いしたいというので室町の事務所まで出掛ける。三時の予約だったので、其の辺をぶらぶらす。丁度二時四十六分を迎える。都心は何も無い。いや何もなかったかのような繁盛ぶりである。せめて一時間ぐらい黙祷すべきであると思った。

まずは細かい所の打ち合わせから。数百万円に上る出金の内、説明できないものは生前贈与、残りは手許現金で計上することとす。大きな所では、遺留分を全て現金で支払い、相続税と各種手数料を引き算すると、吾人や家人の取り分は激減。ただ多少上振れしたとしても(不動産価格を実勢価格に近付けて計算する場合)、持ち出しはない模様。元より当てにはしていないが、足りないとなると少少辛い。最悪の状況は回避できると知って少しほっとした。

一時間ほどで終了。何だかぐったりしながら帰路に就く。三越前とか日本橋とかを少し歩いて、神保町で途中下車。併し草臥れた頭では背表紙も活字も追う気がしない。以前入った「金星」という店でぼんやりす。すると白人男性が入って来て、ソーメンというものを食べたいと宣う。一応英語メニューはあるようだが、店員は説明に難渋している。吾人が、ジャパニーズサマーヌードとか、コールドヌードルとか、アイスドホームヌードルとか言って説明した。何処まで分かったかは分からないが、一応啜って食べていた。二日連続の英会話教室もそこそこにして離脱。大して飲んで無いのに三千円では足りず。矢張り都心は高いな。

 

3/10・日

 まあまあ曇り。月波君が御酒を飲みましょうと言うことで中目黒まで徒歩連絡。まず「おおたる」で一献。次に古そうな蕎麦屋に移る。何でもカレー南蛮発祥の店だそうだが、先客は無し。正直かなり寂れている。つまみも無しに日本酒を飲んでいると、若い女性二人組が入店。聞けばデンマークから来たのだという。注文に往生していたのでアドバイスす。上天丼の御飯抜きと天麩羅うどんヌードルが食べたかったよう。

併しこういう店によく来るね。学生時代キルケゴールは少し読んだと言いたかったのだが、まるで通じず。現地読みではキューケゴォールと発音するらしい。スマホで調べたら少し通じた。900円と600円を現金で支払い帰って行った。ジャパンは遅れているなあと思ったかな。何しろ此の店もただ古いだけでまるで活気も愛想もない。こういうのを墨守と言うのだな。英会話で疲れたので立ち飲みBで締めてバスで早目に帰った。大体五千円。夜は大雨。

 

3/9・土

 近所の遊歩道の改修工事も終わったよう。今まではカラー舗装だったが、今回は真っ黒アスファルト。おしゃれな土間コンクリートにしろとは言わないけど、何だか味気がない。以前直した上流部分はもっと凝った造りだった筈。区も御金がないんだな。何とか納税の影響かな。

南風強く一日晴れ。家人の腰の状態が悪く、買い物は三便。其の都度花粉に巻かれる。三丁目の肉屋の豚肉でしゃぶしゃぶをし、一丁目の和菓子屋の赤飯で締めて御仕舞。

 

3/8・金

 朝から晴れた。結構冬型。空き家の片付けの後、隣町の本屋に「JR時刻表三月号」を漸く買いに行く。あんまり興味がないな。何しろ改定すればするほど面白くなくなるからね。中を見ると不通区間の網掛けページばかりが多くなる。花粉を浴びて以後ズルズル。何しろ光が屈折する「花粉光環」も出たという。昼は弁当。トイレで力んだら急に片頭痛が。可笑しいな、頭など滅多に痛くならないのに。午後は安静にす。夕方に割と高い牛肉を買いに行き、晩に焼いて食べた。結局何時もの「新アルシン鼻炎カプセル」。矢張りよく効く。おまけに安い。

 JR東日本のサイトを見ると、二週間前までに座席指定すれば回数券同様の割引サービスが受けられるらしい(駅ネットお先に特ダネきっぷ)。二週間前か。海外旅行じゃあるまいし、そりゃあ無理だぁー。もう高速バスか月波君の借りて来たクルマか、京王線プラス各駅停車だな。大体、ぶらり気が向いたときに出掛けるのが旅と言うものである。さようなら、あずささん。庶民には手の届かない高嶺の花になりました。

 

3/7・木

 大手コンビニチェーンでは、オーナーさんたちが止めたいと言っているのに、本部は全国一律の二十四時間営業を止めさせない模様。そういう頑なな態度は宜しくないな。サービス業たるもの社会の変化に敏感に対応しなくてはならない。其れにそもそも、人手が不足しているのではない。根本的に客が不足している。だから大した給料が払えない。詰まり店が過剰なのである。

 午前午後と漫然とす。須見伯母以外の来客来電なし。結局今日もずっと雨。止み間も無いのでバス出社。乗ったバスは既に半満員。どんどん乗って来る。此のままでは超満員=団子運転の先頭になりそうなので、電車に緊急スイッチす。此方も下校の小中高生と登塾の小学生で満員状態。後者は自由が丘でごっそり降りて行った。此処には大手学習塾が集中している。しかし、こういう集団指導塾で色色と先生と遣り取りして、結構勉強したなあと思えるのは全体の二三割かな。残りの半分は可もなく不可もなく、更に半分は厭厭通った上に大枚を支払って御仕舞である。塾選びは慎重に。夜には漸く止んだ。退社後はBで二杯だけ。久久に11系統で帰った。

 

3/6・水

 早朝から102号室の人を叩き起こして、トイレの水をどんどん流して貰う。大山鳴動、数回目でごっそり流れて行った。詰まり解消だな。長い闘いであった。日中重い曇り。何だか天気同様気分が優れず。本日は吾人の誕生日なのだけどね。やっぱり何処かで何かがまだまだ詰まっている気がする。結局近近の高圧洗浄を依頼した。依然として排水ノイローゼでもある。

 午後不動産屋のS君が来て、解体と建築に向けての契約書を作るという契約書に署名。愈愈近づいてくる。続いてシロを獣医に搬送。昨日から後ろ足の爪が剥がれかかっていた。消毒と抗生剤の注射で4320円。古釘か何かに引っ掛けたな。まあね、猫に破傷風はないだろう(あれば「震える猫舌」という新作が書ける)。なお午後一番の診療で順番は三番目だったが、座敷犬に点滴を打ったり、老猫に流動食を食べさせたりしていたから四十分も待たされた。犬猫も歳を取ると医療費が掛かる。「もうおじさんなんだから、若い者と喧嘩したり危ない所に行っては駄目だぞ」とシロに言って聞かせた。外猫三匹も今年で九歳。後期高齢猫医療費を貯めていく時期である。

 漸く夕方前に出社。取り立てて授業はない。何だか草臥れて仕舞い漫然とす。片づけの意欲も湧かず。早目の退社後は、Bで二杯だけ。小雨に降られながら早目の帰宅。早目の入浴。早目の就寝。春の雨は花粉を洗ってくれるからよいが、最近は少少降り過ぎる。作業着姿に変装した元会長は軽自動車に乗って小菅を脱出。漸く保釈されたよう。もう此の人のことなど忘れ掛けていた。それにしても日産の経営をするようになって凡そ二十年。絶対的権限を与えるにしては長過ぎた。人を腐敗されるのには十分すぎる時間である。また此の件も本来は株主総会や取締役会や週刊誌への醜聞リークで片を付けるものなのだろうけど。

 

3/5・火

 都内は三日ぶりの晴れ。再び排水管を見たところ、また詰まり掛けている。一気に旅気分も吹き飛ぶ。当該箇所は過日直した共用部より上流の接続部分。バケツの水を掛けて流す。すると次次とにょろにょろと出て来る。どんどん棒で掻き出した。また汚物との闘いの日日である。誰かが悪いのだな。水が少ない人がいる。容疑者には再び手紙を入れることとした。猫餌以外の買い物は無し。午後も数次に分けて流した。

 古いアルバムが出て来たのでどう仕様かと思った。昭和13年に万代伯母が実践女子学園を卒業した時のもの。酔った勢いで、当学園にメールを出した。受け取ってくれるといいが。個人から色色な物を送り付けられても迷惑かな。ネット上の百科事典によると、空襲によりほとんどの校舎が消失とあるから、御入用かもしれない。

 

3/4・月

 さてさてもう帰ろうと思う。一日二本の松本電鉄バスに乗って松本へ向かう。凡そ十一時に迎えに来たバスは吾人一人を乗せ、どんどん山へ。上の方は雪化粧。峠をトンネルでアンダーパス。三才山トンネルと言う。未だに料金所があって、一回一回御金を取っている(しかも現金か紙の回数券)。以前通った和田峠トンネルもそうだったが、一方権兵衛峠トンネルは当初から無料通行。此の差は何処から来るのだろう。県内の主要都市は大体何処も盆地なのだから、往来には必ず峠を通る必要がある。早く無料通行にすべきである。

峠を降りるともう松本市内。幾らか集客して松本駅着。運賃1200円。駅前のチケット屋で新宿行きの回数券を購入(4900円)。雨も止まないし、することがない。駅前の「若大将」という古い中華屋で山賊焼き休憩。日本酒付き。13時47分発の「あずさ20号」に乗車。当然自由席。折角なのでモハに乗る。駅では繰り返し、間もなく回数券と自由席と弁当販売が無くなることをアナウンスしていた。併し吾人がよく利用するものから無くなるのは何故なのだろう。なお20号は257系での運転。別に廃車になる訳ではないが、あずさでの活躍はあと僅かとなっている(東海道線に転勤)。

 ガラガラのまま出発。此の列車は富士見や小淵沢や韮崎にも止まる。例によって甲府で大量乗車。半分ちょっとは埋まった。その都度車掌が行ったり来たりして車内改札。紙の座席表に特急券確認済みのチェックを入れて歩く。此の光景も見納めだな。でもハイシーズンは大量の不慣れな乗客が乗り込んで来る。全車指定となるとみどりの窓口は結局大混雑だろう。其れに座席自体が増える訳ではないから、席にあぶれたお客が大量発生することに変わりはない。雨の中、定刻に新宿着。車内販売員から間断なくアルコールを補充し続けた関係で既に胃がざらざら。其のまま帰って、晩は絶食とした。

 

3/3・日

 さてさて何処かに出掛けようと思った。行き先は信州の温泉にした。まず目黒までバスで出て、みどりの窓口へ。機械でも買えるが、有人窓口維持の為に、成るべく吾人も並ぶことにす。上田までの特急券と乗車券で6150円。専門家があっという間に発券してくれた。其のまま改札機に突っ込む。何時もの駅の何時もの改札機に大きな切符を入れる時のわくわく感、得難いものだけどね(電子チケットになったら詰まらない)。併しこうして何処かに行くのも久久である。何しろ去年は六月以降非常事態の連続だったからね。少し感慨深い。

 東京駅まで回航し、御昼の「あさま609号」の自由席に搭乗。車内は空気輸送に近い。北陸新幹線が長野から金沢に伸びて行き、今や長野止まりのあさまは各駅停車のこだまの扱い。其れでも12両もあるから、閑散期はこうなるな。大宮で少し集客。其れでもひと車両十人ちょっと。例によってあっという間に着く。新幹線の欠点は色色あるが、特急料金が高いこと、トンネルが多いこと、そして速過ぎることだな。駅前の蕎麦屋で暫し休憩。たぬき蕎麦が760円は少し高いが、地酒が一杯380円で飲めるのは安い。地方紙を隅から隅まで読んで、当ては馬の煮つけ(500円)。此処も空いている。他の客は親子丼とコーラを注文したおじさん一人。

 二時半過ぎの千曲バス鹿教湯温泉行きに乗る。乗客は数名。五十分乗って運賃は500円。安い分は、行政の補助金が入っている模様。もっとバスに乗って下さいと言うことなのだが、安くしても乗る人は少ないな。鹿教湯と書いて、かけゆと読む。鹿が教えてくれたからこう書くのだという。見て歩くと、少し寂れた感が。廃墟廃屋廃業多し。差し押さえ物件もあった。大手チェーン宿に看板を掛け替えたところは車が沢山停まっていたが、インバウンドの人もおらず。こうなったらもう一度鹿に助けて貰わなくてはならない。手慣れた鹿を露天風呂か何かに無理やり押し込んで何とかグラムにアップすれば良い宣伝なるだろう。四時前にはチェックインする。

 今回は珍しくフルサービス付きの旅館にした。食事は二階の個室で。当然ながらひとりぼっち。他客もいるのだが気配が漏れて来ない。突き出し、刺身、焼き物、酢の物、小鍋、等等。どちらにしても何を食べても一人だな。行きの新幹線もガラガラ、駅前食堂もガラガラ、バスもガラガラ、宿もガラガラ、少し人恋しくなる。もっと壁の薄いボロ宿にすればよかったかな。二食付きで一万二千円(税別)。温泉宿に一人で泊まるのは案外難しいし割高である。沢山食べて沢山飲んで三回入浴して沢山寝た。

 

3/2・土

 朝から晴れ。花粉酷し。やはりグレの前足が地に付かないので今度は主治医に搬送す。やはりどうにも治療法はないらしい。何しろ外猫に安静にしていろと言ってもねえ。鎮痛消炎剤を一本注射。飲み薬を数日分貰う。締めて三千円。他は取り立てて無為。昼はスーパーの激安弁当、夜は残り物。

 

3/1・金

 朝まで小雨が残る。グレの足はまだ痛むらしい。足首を曲げたら怒っていた。捻挫は長いな。何しろ外を動き回っているから。都立高校を受けた二人は無事合格したと報告が入る。最近の中学生は公立志向が強い。子どものくせに、親に迷惑を掛けたくないなどと宣う。いいんだよ、迷惑掛けても。老いた親は何れ子どもに面倒を見られるのだから。まさか今から介護と相続放棄を考えている訳ではあるまいし。

一夜明けてみると、どうもT氏が一身上の理由で火だるまになりつつあるのを誤魔化す為に、突然ハードルを引き上げ、北の提案を振って仕舞ったということらしい。委員長が癇癪を起さないといいが。北が折れた形で三度目の会談を持てば妥結出来るだろう。Tに貸しを作ることにもなる。兎に角、あと一回。穀物だけでも送らなくては。