2019年9月

9/30・月

 曇ってはいるが異様に蒸し暑い。九月も終わりだというのに。まず羽毛布団を洗濯屋に持って行く。三千円余。昼は和菓子屋のおにぎり。手にぎり一個130円は安いと思うが、御萩は185円に値上がりす。スーパーの特売では四個200円程度。ちょっと手が出ないな。引き続きカセットボンベと乾電池の買い増し。併しこんなことをしても百円程度しか違わない。万事馬鹿馬鹿しい。節約の第一は廃棄ロスを出さないこと。結局其の都度買いに行くのが一番いい。但し防災用品を除く。

 山梨の道志村で女の子が行方不明になって一週間余。御母堂が涙の訴えをしていた。所謂神隠しかな。見た感じ、あのキャンプ場も木が生え過ぎている。兎に角、もっともっと切らないといけない。中日は五位で終了。そんな馬鹿な、ではなくて、やっぱり其の通りになったな。こうして九月と消費税8%時代が終了す。

 

9/29・日

 結構蒸し暑い。咳は概ね止まったが午前中は呼吸の状態がやや悪い。少し精を付けようと、昼は駒沢の「おか本」。低速自転車で移動する。家系ラーメン650円だが、此処も来月から値上がりかな。但し嗅覚の方が十分復旧しておらず、味も今一つ薄く感じた。午後は猫餌の買い出し。飲食物は8%のままだが、外食やペットフードやアルコール類は10%になる。いやしかしね、吾人も社会保障制度維持=増税容認派であるが、国民にあまねく負担させる消費税というものは、大体10%辺りが限度だな。其処から先は所得税法人税相続税にして、持っている所から支払って頂くべきである。そもそも消費税が租税収入の第一だなんて、何かおかしいよな。

 ところで気管支が良くないと、遠くの路上喫煙まで気に掛かる。臭いは大して通じてないのに鼻腔や呼吸器がエヘンエヘンと反応するから不思議である。元元紫煙は大の苦手。よくあれだけのものが直接吸えると感心す。吾人なら三週間で肺気腫か肺癌になるな。尤も下戸から見ると芋焼酎のお湯割りやバーボンストレートとかも、同様な印象を持つのだという。まあね、蓼食う虫も好き好きですよ。あんまり気にし過ぎても宜しくない。人間は結構頑丈に出来ているから少少の事では大丈夫。但し大量○○や依存症には気を付けましょう。

 晩のニュースではオリンピックの暑さ対策についての会議が紹介されていた。日傘を配る、砕いた氷を降らせる。どうにも効果はないな。そういえば『日本沈没』には、東京湾で冷気を作って中央区を丸ごと冷やす超巨大地域冷房という装置が登場している。昭和四十年代にはこういうアイデアがあったのかな。所謂夢の新技術として。実際には莫大な電力が必要だし、稼働させたらさせたらであっという間に海が煮立って仕舞うだろう。なお作中でも塩水で故障して物の役には立っていなかった。結局何が言いたいかと言うと、そもそもあんな時期に(以下略)。「ポツンと一軒家」の後は、教育テレビで歌舞伎鑑賞。二時間がっつり見た。「め組の喧嘩」だから比較的分かりやすい。そろそろこういう古典芸能にも詳しく成りたいと思った。変な見栄かな。

 

9/28・土

 此の所ずっと晴れ。咳止めは半分にして服用す。終日漫然とす。昼はスーパーのチキン南蛮弁当。晩は同じところの焼きそば他で久久の中量飲酒。すると何だか咳も収まった。良薬は口に旨し。ラグビー日本代表は快進撃。まあ何しろラグビー属地主義だからね。此れを機に少し考えた方がいい。何しろ「日本人」は此の先急激に少なくなるのだから。十五人も揃えられない。

 

9/27・金

 先月の投資信託プラス三万余り。一体何処にどう投資しているのか皆目わからないが案外儲かった。素直に嬉しくなるから不思議である。金に金を稼がせる。近代以前なら背徳行為だな。本日は古屋のガス管の撤去工事。通行止めにして結構大かがり。資源回収車も入れないので纏めた瓶と缶を反対側の角に寄せておいた。併し此の辺に都市ガスが来たのって何年前だったのかな。下水道よりかは早い筈。工事は午後まで掛かった。

 気が付くと何だか昨日より調子が悪い。慌てて咳止めを服用したら頭がくらくらす。夕方前出社。念の為、気管支拡張剤も帯同させた。其のまま退社。さてさて碑文谷の「王将」を覗くと満席御礼。KFCは既にお看板。と言う訳で久久にマクドナルドに入った。最近は出来立て提供をしているらしく店内は列をなしている。偶に来ると注文の仕方が分からないから緊張す。遠くのボードを見てもよく分からない。気分は視力検査を待つ小学生である。結局ビックマックとフライドポテトのSを単品で所望した。前者は390円。ビックマックは物価の指標になることでも有名である。ずっとデフレーションだから世界標準より安いのだろう。持って帰って麦酒一缶と合わせた。いや併し、偶に食うと結構旨い。山岡士郎やグレタさん(最近デビューした環境活動家)には叱られるかもしれない

 関西電力幹部は何億もの御金を原発町の元助役から贈与されていたという。原子炉を作ってくれてありがとうと言うことらしい。而もごく最近まで。詰まりフクイチの後まで。そんな馬鹿な。ちなみに此の件は地元建設会社への税務調査から発覚したそう。詰まり皆様の電気料金⇒建設会社⇒有力者⇒関電本社と言う御金の道筋である。まあね幹部連中も私的に使い込んでいた訳ではないだろうが、原発マネーの出鱈目ぶりが税務ルートで明るみになった意義は結構大きい。いい仕事したね。税務署さんも。

 

9/26・木

 朝起きて見ると、家の前の道路に大穴が開き、マンホールが飛び出している。慌てて区に電話すると、担当者が二人で来て、道路を直すのは道路に面した人の責任になりますとのお応え。数回から数百回に分けて納入するプランがあり、標準的な額は月二万円だと。そんな馬鹿な、固定資産税と二重取りだと憤慨する所で目が覚めた。朝の四時であった。いや併し、此れでは区道ではなく私道だよな。私設料金所を作るしかない。こうして公共の概念が崩壊する。正しく悪夢である。さてさて酷い内容だったが呼吸器系統は概ね良好。なんとか治った。二度寝は十時まで。

 203号室退去。此の方は六年いらしたが、顔を合わせるのは今回が最初で最後。故郷に帰るとのこと。部屋は綺麗なので其のまま貸せそう。粗大ゴミ多数。掃除機と電子レンジと折り畳みベッドはまだ使えますと張って置いたら、あっという間に誰かが持って行ってくれた。先ずは再利用である。なお工事は三日連続で進んでいるが内装中心なのでよく分からず。二日続けてお茶を出す。午後出社。其のまま帰宅。「さぼてん」のとんかつ弁当(810円)に麦酒一缶。どちらも大して旨く無い。十二時就寝。角部屋の修繕費119万円を支払う。

 韓国の検察は大臣の息子の大学入試の面接票まで調べているらしい。大体ね、叩けば埃の出ない人などいないよね(吾人だって確定申告書をとことん精査すれば色色出て来る)。これじゃあ、エドガーフーバーと同じだね。恐ろしいよ。

 

9/25・水

 薬のせいかまあまあ安眠す。午前午後と漫然とす。というか一種の虚脱状態。朝の痰を午後まで掛けて出す。今回は悪寒や関節痛は無かったからインフルエンザではなさそう。そう言えば数日前から喉が変だったかな。暴飲暴食気味だったのかもしれない。風邪の規模としては中程度だったが打ち所が悪かった。気管支を中心に被害甚大である。

夕方前、マスク掛けの低速自転車で出社。試験前の繁忙期だが、痰は時折絡むが、息が切れることはなかった。ただ体感は変わっているようで、教室中のクーラーを切って回ったら、暑い暑いという苦情が出る。大して食べてないから体温が低いのだろう。其のまま退社。帰宅後巻き寿司と温かい蕎麦。麦酒一缶。十二時就寝。

 

9/24・火

 未明から例の過呼吸症状が出る。息が入らない感じ。朝になっても治らず。堪らず一丁目の内科に歩いて行く。咽頭炎だと。過呼吸に関しては診断付かず。ありきたりの咳止め、去痰薬、消炎剤、鼻水止め、抗生剤が処方される。心理的なものなのかなぁ。結局昔の気管支拡張剤を使用する。少し良くなったような気がする。

 午後になった。熱と咳と痰はまあまあ収まったが、呼吸が落ち着かない。それどころか肩で息をしても尚息苦しい。起きてられず、寝てられず。陸に上がった魚のよう。這う這うの体で本日二度目の受診。再び聴診器を当ててみたところ気管支が細くなっているとのこと。直ちに点滴と薬剤吸引となった。クリニックの片隅の安楽椅子で凡そ二十分。点滴など小学生以来だと思った。みたび聴診器。空気の流れが良くなったと。確かに治ったような気がする。でかいカタツムリのような気管支拡張剤を処方される。就寝前に此れで薬を吸うことになった。二度の受診と処方で合計五千円。どうも数年前の大風邪以来、気管支が弱くなっているなあ。となると時折訪れるあの不定愁訴も発作の一種と考えるべきかもしれない。今日も小食。二日続けての無酒。今回ばかりは市販薬と残薬ではどうにもならなかった。近代医療に感謝である。

 件の大臣は気候変動会議の出張先でステーキを食べたいと述べたそう。相次ぐポエム発言に続き此の発言。完全に顰蹙大臣である。ステーキや焼き肉や鋤焼きは晴れの日の食べ物で、普段は素食をしています、と言う訳ではないよな。

 

9/23・月

 秋分の日。日本海を台風崩れが進み、南風が吹き荒れる。引き続き風邪気味。安静にす。市販の抗ヒスタミンで鼻水を抑えつつ、夕方から、メジコン、カボシステイン、トラネキサム酸投入。例によって残薬総力戦である。昼は御飯一膳、夜はコンビニの冷やし中華。以後かなり発熱、発汗す。三十八度弱。

 

9/22・日

 まあまあの晴れ。さてさて折角の連休なので昼酒でもしましょうと言うことになり、駒沢の「焼肉キング」という所に集まる。野球観戦していた月波君、坪上君、藤松君と客乃間と合流。散散暴食する。大量のマッコリ。締めは辛ラーメン。なお佐倉に住んでいる藤松君は停電が三日に及び、ホテルに避難したそう。何しろ暑かったからね。

其の後駒沢公園で暫時休憩。バスで帰宅。六時半。雨が降って来たので早めのお開き。帰宅後家人の野菜ラーメン。喋り過ぎたのか喉を傷めた。小咳。

 

9/21・土

 今日から内部工事。配管とかかな。結構大勢来ていた。尚連休は雨模様だと。月波君と伊那に行く予定だったが、早早にキャンセルとした。また表の木戸は裏で再利用。何時もの大工さんに漸く取り付けて貰った。細細とした仕事があって大変多忙とのこと。結構なことである。何度も言うけど、人間の仕事がなくなることはありませんので安心して下さい。

 まあまあ曇る。朝は「かしわや」。夏前に配備してあった御茶など凡そ百本分が配布終了。其処で缶コーヒーを買い足しに行く。働くおじさんには矢張りコーヒーだよな。自販機で買えば130円。量販店で買って冷やせば一本60円くらい。家人は近くのフレンチで昼餐会。吾人の昼はオリジン弁当

 結局豚コレラにはワクチンを使用することになる。逐次投入逐次消耗は戦略ミスの典型。今回は大規模に打たなくてはならない。久留里線は一部復旧。停電世帯はあと一万弱。全国の電力会社から働くおじさんが集まっている。御苦労様です。問題は例によって大量の災害ゴミ。対岸の横須賀に運べばいいのにね。あの大臣に片づけて貰おう。

夜は軽く済ませた。東京の大男はリーグ優勝を決める。五年ぶり。但し地上波の中継は無し。お抱えの放送局はラクビーをやっていた。併し前任の慶喜監督は可哀想だったな。現役を続けたかったのに無理矢理引退させられ、やりたくもない監督をやらされ、三年で詰め腹を切らされたのだから。

 

9/20・金

 大安、晴天、微風。朝からクレーン車が来る。八時作業開始。つくばの工場から大型トラックがどんどん到着。次次に運び込まれた部材が一旦宙に舞い、下ろされ、直ちにボルトで締められる。鉄骨、壁面、床面。こうして何もなくなったところに、(世界中から)様様な物が集められ、再び結節させられていく。僅か二時間で一階が出来上がった。機械力の勝利だね。勿論人間も大勢来ている。特に若い人も。色色と飲み物も出した。「アーザス」なんて久久に言われたよ。午後は二階部分。寄棟造の屋根材、十数枚を組み合わせて本日終了。いや併し、正に一日城、あっという間だね。早速、窓の位置を確かめる。全体的に拙宅よりやや高い。漸くイメージが付いた。

 夕方前出社。退社後はまず立ち中華へ。丁度ラクビーの試合をやっていた。ルールも変わったらしく、見ていても何も分からない。何しろ「スクールウォーズ」の頃から頭は何も更新されていないからね。でももう新たなスポーツとか頭に入らないな。B、Iの順に回って帰った。

 

9/19・木

 まあまあ晴れて来る。湿度が低いから秋晴れだね。九州の観光地は韓国人観光客が来なくなって閑古鳥だという。何か極端だな。もう少し何とかならないものか。

 御昼前から足場の架設。たった二人でやって仕舞うのだね。パイプや金具をあうんの呼吸で投げ渡して行く。職人芸だね。僅か四時間で作業終了。愈愈明日は棟上げである。一方東電の経営陣には無罪判決。事故は予見できなかったと。2009年の会議で津波の危険性については指摘されていた筈なのだけどねえ。トップが駄目でも日本社会が崩壊しないのは現場の人が真面目で優秀だからなどとはよく言われていることである。午後出社。チラシを配る。何せ8%の物を早く処理しなくてはならない。退社後はBと中華。帰宅は十二時。

 

9/18・水

 五歳児を虐待死させた母親に実刑判決。本当に悪いのは男の方なんだけどね。夫の支配下にあったとはいえ虐待を黙認した責任を問われたよう。妊娠した人は育児や健康についてもう一度勉強した方がいいかもしれない(詰まり「保健」の再履修)。講習を受けない人には母子手帳を交付出来ません、なんてね。生涯学習、まずは大人も再教育である。では男はどうしましよう・・・。平安時代のように通い婚にすればいい。危険な上にそもそもが役立たずだから、基本的には近づけさせないことが肝心である。

 昼前から冷たい雨。止み間を縫って午後出社。オーバーブッキング状態だった中三数学は、水曜日に移して吾人が見ることになった。此れで週三便の運航。三日つとめて四日遊べる。芭蕉の理想に近づいたね。退社後はBとIで二杯ずつ。帰宅後冷凍チャーハン。いや併し、めっきり涼しくなった。九月も後半である。そういえば一年前の今頃は大変だった。日記を読み返すのも少し苦しい。なお職場の大家さんは脳出血を起こして重篤。最近はめっきり外歩きが少なくなっていたから心配していた。確か九十歳。大学病院に搬送されたという。なかなか楽にあちら側には往けないものだと思った。

 

9/17・火

 まあまあ晴れて最後の残暑と言ったところ。また災害が起きたら困るのでカセットボンベを買い足しに行く。すると売り切れ状態。やっぱりね。やはり隣りの新物件、蓄電池付きにすればよかったかな(プラス百万円)。続いて生協の宅配。千葉の八千代の牛乳は欠品。農産品の被害も相当なよう。倒木も酷いらしい。山も荒れているのだな。木というものは兎に角、切って切って切らなくてはならない。庭木も立ち木も全く同じ。

 サウジアラビアの石油施設が攻撃される。誰がやったのか、またまたやったやってないの大合唱。イランの革命防衛隊の仕業かなぁ。あそこも嘗ての関東軍みたいになっているからやりたい放題、軍閥というか国家の中の国家である。となるとイラン政府と革命軍を一旦分けて判断する必要がある。ただねどちらにしても早く化石燃料の要らない暮らしがしたいですよ。石油に価値がなくなれば、嘗ての砂漠の民に戻ることであろう。静かになるよ。月の砂漠を駱駝で行ってキャンプで一献なんて観光プランがあれば吾人も行くかもしれない。あ、酒は飲めないか。

 さてさてまあまあ暑い午後。日帰り温泉にでも行きたくなったが、生憎近所にはない。久久に風呂を沸かして明るい内から湯船に入った。肌の調子もいいので久久に石鹸付きタオルで擦った。肌がつるつるに。ということは今まで・・・。こうして四連休も無為に終了す。

 

9/16・月

 敬老の日。未明からまあまあの雨。房総地区は大変だな。停電だけでなく住宅そのものの損壊も多い。そして多くの家屋でブルーシート張りが間に合わなかった模様。近所で助け合うにしても高所作業は素人には出来ないものな。一方組閣でうつつを抜かしていた政府は、未だに対策本部を作らず。明らかに対応が遅いのだけど。何故か支持率は落ちず。まあね悪いことばかりじゃないですよ。此れを機に、スマホ中毒が治ったり、結ばれそうで結ばれなかった人人が結ばれたり、バラバラになりそうだった家族が絆を再確認したり、ひょっとしたら九か月後にベビーブームが到来するかも。其れも若い人が居ればの話しだけど(無礼な内容を予めお詫びしておきます)。

 大体降り止んだ。昼は池尻の「牧野」で中華そば(690円)。外食中食に頼ることにしたから、新店をどんどん開発しなくてはならない。ラーメン専門店より街中華が欲しいんだけどなあ。午後はずっと文化放送。時時読書。夜はスーパーの焼き秋刀魚他。昨日今日と二日掛かりで映画「太陽の塔」。一応記録映画と言う範疇だが、単なる思い出話や苦労話に留まらない内容。現代の問題に発展す。密度が濃いから鑑賞に時間が掛かる。こういうものを地上波でやらないから益益国民がアホになるのだと思った。併し一般の人のレビューを見てみると、フクイチを取り扱った政治映画に映るよう。そんな馬鹿な。ちゃんとしたものを見せても馬鹿な人には届かないのだな。

 

9/15・日

 外猫による断眠酷し。満月だったからかな。狼人間ではあるまいしネコ科の動物は影響があるのだろうか。久留里線以外は大体復旧す。昼は八雲の回転寿司。晩は家人に肉を焼いて貰おうと思ったが、暑い暑い(夕飯が)早い早いと文句たらたら。そんなに炊事が嫌ならもう頼まないと吾人も激昂す。毎回此のパターンである。家で何か調理をするのは諦めようと思った。

 

9/14・土

 概ね曇り。東風が入り格別涼しいので何度も寝直す。睡眠の自由も取り戻した。本日も基礎工事。再びミキサー車とスクアート車が来て混凝土打ち。今回は床下だね。朝昼晩と全て残り物。なおフェイスブックによると芥田先生も恢復する。

 豚コレラ秩父に侵入。元元中部地方で発生したものが確実に関東に近づいている。猪が走り回ってうつしているのだという。あの辺は困民党の道。長野も山梨も群馬も混然一体。防ぎようがない。困った困った。

 

9/13・金

 曇って更に涼しくなる。配管工事も再開。朝から営業担当者が来て打ち合わせ。どちらも直ぐに終了。なお太陽光で発電して使って余ったものは東電に売って吾人の収入となるよう。楽しみだね。そして愈愈銀行に赴く。古屋の解体費用と棟上げまでの建築費の支払いである。凡そ富士そば六万杯分。例によって銀行から銀行へ記号化された御金が動くだけだが、振込用紙に記入する時は少し緊張した(何桁あるの?)。窓口の人には見透かされたかもしれない。無事に送金完了。記号の御金は本当に存在していたみたい。手数料864円は先方負担。此方の方が吾人にはしっくりする。午後出社。退社後はおじさんたちとBと日高屋へ。何だか悪酔い気味なのでIで一杯だけ。夜は寒いくらい。

内房線外房線は漸く復旧。中の方(久留里線小湊鉄道いすみ鉄道)はまだまだだという。なお停電解消には最長二週間は掛かるとのこと。やっぱりな。こういう時に頼れるのは新聞とラジオだけど最近はどちらも無い人が多い。なお自衛隊も出ているが、最近は後方装備に御金が回ってこないという情報がある。何とかアショアや戦車や装甲車を買う金があったら、給水車や炊飯車や給湯車や電源車や工作車を整備すべきである。国民の生活が第一。大昔の天皇も歌にうたっただろう。国民の竈が第一だと。

 

9/12・木

 まあまあの晴れ。但し昨日の雷雨で空気が変わり漸く涼しくなる。此れで平年並みだとも。午後出社。何も無い木曜日の筈だったが、ベテラン先生が授業時刻になっても現れず。何かしらの連絡ミスがあったよう。あじゃぱあである。結局吾人が二クラス担当す。一次関数と二次関数を往ったり来たりしながら教えた。こういう場合は脳内指令員を増員して対応するが、いや併し疲れたね。Bで三杯飲んで帰宅す。夜も涼しい。何しろ店を出ても暑くない。漸く呼吸の自由と移動の自由と思考の自由を取り戻せた感じ。今年は結局暑かった。また家人によると昨日の女の子が御母堂と御菓子を伴って現れたという。つくづく礼には及びません(間違った通報をされないだけで十分である)。

今頃になって千葉の停電が酷い酷いと大騒ぎに。確かに初動が遅かった。千葉の南の方はなんか遠いからね。所謂半島問題と言うやつである。県庁も鴨川辺りに移動した方がいい。尤も都から船で行くと安房上総下総の順なんだけどね。西からの応援部隊は南側に上陸させるべきである。

 

9/11・水

 ネオコンのアホ補佐官は更迭される。此れで米朝交渉も進むかな。くれぐれもハルノートのようなものを突き付けてはいけない。現実的な落としどころと言うものを考えなくてはね。何度でも言います、頼みます大統領。

千葉南部の停電続く。電柱の破損多し。此れは時間が掛かる。電気がないと暑さには対処の仕様がないな。若い人は行水でもすればどうにかなるけど、高齢者は大変である。特に要介護の方(介助者も)。ああ断水の地域もあるのだそう。成田の残酷は一晩で終わったが、此方は丸三日である。さてさて誰も何の関心もないが内閣改造。怒りっぽい外務大臣防衛大臣に横滑り。そんな馬鹿な。いやいや、そもそもこんな内閣自体、そんな馬鹿なの連続である。オトモダチばかりだって。而もネトウヨ。其の隠れ蓑に件の貴族院議員。そんな馬鹿な、の三十乗ぐらい。来年の確定申告はいっそ止めようかな。

漸く普通の気温に戻る。本日は電線の養生工事。短目の三本に緩衝材を巻き付けて御仕舞。一時間ほど。来週は愈愈棟上げである。併し工期はだいぶゆったりだね。三日に一日ぐらいしか工事をやらないもの。続いてシルバーパスの更新。家人は暑くて痛くて歩いて行けないという。吾人が代理で出向く。会場には遥かな御婆さんも続続来ている。而も単独独力で。数百メートルくらい這ってでも行かないといけないな。老いは気からである。

午後は結構晴れて極めて蒸し暑い。やっぱり雷雨となる。而も結構突然の直上攻撃。大人でも少少怯むレベルである。外猫が心配なので外を見ていると、小さい女の子二人組が助けて下さいと宣う。雷鳴響く中、ひとりは家まで送り届ける。以後土砂降りに。泣きじゃくっているもう一人は拙宅で暫し雨宿りさせる。併し、拙いパターンだと思った。犯罪者と間違われたら大変である。幸い直ぐに降り止んだので直ぐに搬送す。一方角部屋の洗濯物はびしょびしょに。中に入って取り込む訳にもいかない。一人暮らしの洗礼と言うやつだね。こんな日に干してはいけない。そんなこんなで晩食は冷凍食。

 

9/10・火

 千葉方面の停電は大変なよう。朝のニッポン放送が突然聞こえなくなった。木更津送信所の非常用電源が果てたとのこと。AMは電気を沢山使うからね。また昨夜の内に京成プラススカイアクセス線が動き始めたが、少なくとも一万人が空港で夜明かししたらしい。夜中になってもいいから臨時列車を走らせて欲しかった。上野まで辿り着けばタクシー等で帰れた人も多かっただろう。球場輸送で鍛えている西武や阪神は出来るだろうが、京成じゃ無理かなあ。アクセス線も一部単線だしね。でももう少し頑張らないと。東日本にはそもそも期待していないので。

 未明に不定愁訴で目が覚める。例の空気が入らない感じ。睡眠のペースも乱れているからね。今日も猛烈な暑さ。買い物一便。他は無為。昼は家人の握り飯。夜は冷凍品。夜半前に一雨。角部屋も入居。挨拶は無し。

 

9/9・月

 15号は三浦半島をかすめ東京湾を北上。千葉市付近に上陸。以後茨城そして福島沖に抜ける。未明はかなりの風雨。最初北風、続いて西風の順。気圧は過去最低クラス。時折家も揺れた。やっぱり去年の24号より酷い。海面水温が高く日本近海でも勢力が落ちなかったのだという。結局不寝番。六時頃には何とか収まる。早速点検。取り立てて問題はなさそう。続いて枝葉の収集。外猫も元気そう。心配には及ばないな。

 八時過ぎから各社各線動き始めるが、復旧が遅れるところも。例によって入場規制多数。素直に半休にすればいいのにね。不要不急の出社は止めましょう。会社はあなたが思っているほどあなたを必要としていません。そもそも会社というものはみんなの力で何となく自転していくものです。一部線区は昼過ぎまで掛かった。詰まり会社に着いたら二時か三時。草臥れただろうから五時に退社。実働二時間。通勤七時間。そんな馬鹿な。田舎の人には東京の会社の人は大変だなぁと思われているかな。

矢張り進路右側の千葉方面の方が酷いよう。成田空港も孤立中。IOCは顔面蒼白だろう。トーキョーの交通インフラは脆弱過ぎると。そもそもジャパンは天災が多すぎるとも。併しこういう時にAもガースーも、ラーメン女史も一切出て来ないな。国民都民外国人が此れだけ困っているのに。前の晩に出て来て在宅勤務を推奨すれば支持率も上がるだろうに。そもそも満員電車ゼロとか言っていたのは誰だっけ。

 段段晴れて異様に暑い。三十五度。本当に迷惑な台風である。昼は御飯一膳。此方も二十時間ぶりに復旧す。午睡の後、晩食は「信濃屋」中心。外猫にも金目鯛の刺身を配給す。本日麦酒一缶のみ。

 

9/8・日

 台風15号が来るとかで異様に蒸し暑い。月波君がお会いしたいというので、今回は吾人が出向く。飯田橋下車。併し「えぞ松本店」は定休日。駅ビルの適当な蕎麦屋に入るも、大して旨くない。座り飲みが出来る立ち飲みBに寄って帰った。帰宅は四時前。以後台風対策。諸諸の物を片付け、側溝の蓋に溜まった泥を排除。午睡すると激しい胃痛に。久久に戻した。空っ腹に麦酒に冷酒に冷たい蕎麦ではね。其れに此の所は暴飲し過ぎていた。

 鉄道は東急を含めて早めの運休。コンパクトだが非常に強い台風だという。幸い古屋はなくなったが、外猫が心配。十時頃から本降りに。併し台風がたくさん来るなぁ。これも温暖化の影響かな。シロは暫らく中にいたが、結局出してくれと懇願す。御引き留めしたのですが嵐の中に出て行きました。つくづくイエネコには成れないね。

 

9/7・土

 まあまあ曇ったり晴れたりして相当暑い。今日は配管工事。配管屋さんが来て、塩ビ管を切っては繋いで埋めていく作業。相当太いから詰まることはないだろう。例によって午前午後と御茶等を差し入れす。何しろ今工事に備え、二百本は仕入れてあるのである。朝はすき家の牛丼。昼は「誠屋」で付け麵。実に数か月ぶりの訪問。漸くTシャツを受け取る。大変遅れて申し訳ないと店員さんには伝えた。何しろ暑かったからと言い訳した。何でも暑さのせいに出来るから、夏とは案外便利なものかもしれないと思った。

午後は漫然とす。晩は家人が買って来た牛肉を焼いて食べた。成るべく、買い物は任せることにしようと思う。其れが家人の為である。京急線は昼頃復旧。丸二日掛かった。トラックドライバーの方は亡くなり、金銭的損害は十億に及ぶだろう(鶴見に住んでいる鶴木さんも三回歩いた)。つくづく事故も戦争も未然に防ぐ不断の努力が必要だと思った。結局道路も悪いんだな。

 

9/6・金

 当該区間京急線は終日運休。トラックは道を間違え、細い道に迷い込み、踏切内で立ち往生していたという。非常信号も焚かれたようだけど、止まり切れない信号では意味がないな。矢張り電車が速すぎる。大体田園都市線などは踏切は一つもないが、精精100キロぐらいしか出さないもの(其れが東急クオリティー)。何事も安全第一。東京再開発会議に踏切の撤去も入れるべきである。

 さてさて再び夏空に戻る。運の無いことに本日植木デイ。御主人と奥さんが来る。吾人も朝の八時から出動する。まずは駐車場の草刈り。続いて北側から剪定。松と梅と楓を敬遠したので、拙宅南側の玄関付近までギリギリ到達す。併し暑いね。吾人も汗だくで切った枝葉を搬出す。なお基礎工事は型枠外しと埋め戻し作業。

行水と休憩の後、夕方出社。すると胴回りに汗疹が出来て、猛烈に痒くなる。試しに生徒に見せたら、腹の赤さより其の大きさに驚いていた(スイマセン)。取り敢えず抗ヒスタミンを呑む。其の後立ち飲みBで中から冷やしたら直ぐに治った(流石百薬の長)。更に中華立ち飲みに参る。折角なので香港問題について話したら、ママとパパで意見が真っ二つ。ママは中共には批判的でパパは経済重視の親中派といった感じ。成程なるほど。いや併し、疲れたね。ふらふらで帰宅。直ぐに就寝。今週は良く働いた。

 

9/5・木

 みんな黙ったら「サントリーウーロン茶」でどうだろう。斜め向かいのマンションの給水ポンプが四六時中異音を立てている。管理人や管理会社の人に指摘したが一向に直らず。壊れるまで使う積りなのだろう。

 まあまあ曇る。やや蒸し暑い。横浜市長は一転しカジノを誘致すると言明。其処の上がりで中学校用の給食センターを作り、あの酷い道路を直す積りなのかな。幾ら破産者が出ることやら。すると横浜市内の京急線が大型トラックと衝突。けが人多数。あの酷い線路をあの高速では無理だよな。地下か高架にしなくては。いっそカジノの御金で。どちらにしても、此れで京急韋駄天電車も終了だな。減速ダイヤに変更されなくてはならない。

 午後出社。どうと言うことのない一日だったが、元鰻屋さん(先月廃業)が風呂場で倒れたというのでやや緊迫す。此処も頼れる身内がおらず、無責任社長が緊急出動することに。救急搬送されたが幸い大事に至らず。興奮冷めやらぬ無責任社長のお相手を少ししてから帰った。

 

9/4・水

 涼しく曇る。大体、保険の見直しなどと言うものも形容矛盾だよな。安心を買った筈の保険商品で、実は損していますとか不十分かもしれませんなどと騒ぎ立てられてもね。そういうことで頭を悩ませたくないから態態保険に入っているのでしょう。保険の保険、詰まり再保険が必要だと思った。さてさて混凝土が張られた基礎を見ると案外でかい。杭と混凝土では随分印象が変わるものだね。

 時時草取り。家人は通院其の他のため長時間外出。朝は冷凍うどん。昼はイオン系の中華屋で炒飯セット。大して旨くない。「福しん」さん、城南地区に出て来ないのかな。テレビ大好きの家人が居ないのでラジオを点ける。テレビを消せば腹も立たない。電気代も安い。いいことづくめである。何度も言うけど、テレビ局もワイドショーを減らしてドラマの再放送を増やせばいいのです。下らないコメンテーターを呼び立てることもないし、第一経費も掛からない。

香港政府は件の逃亡犯条例を正式撤回。本土の政府も多少軟化した模様。一応国家理性と言うものが存在していたよう。此れで第二の店屋物事件も防げるのならば何よりである。

 

9/3・火

 朝から曇る。さてさて数日ぶりに作業再開。朝からスクアート車が来る。フクイチの時には此れで水を入れたよな。と言っても二階家なのでずっと小型。続いてミキサー車が来る。混凝土は二十世紀最大の発明の一つである。ミキサー車はどんどん交代す。混凝土の消費期限は僅か数十分。あっという間に固まり寿命は数十年以上。謂わば一瞬が(半)永遠を作る不思議な物体である。昼前には投入終了。以後の作業も三時前には終わった。

 午後臨時出社。夏の代講運転も本日までの予定。八時前には退社。大雨を縫いながら立ち飲みBへ。田岡さんが妹さんと現れたたりして火曜から盛り上がる。更に日高屋。雷雨の後、空気が変わり漸く涼しくなる。夏も終了だね。

 

9/2・月

 朝から晴れる。残暑が厳しい。三十二、三度もある。午前中は漫然とす。午後出社。「消費税率に引き上げに伴う授業料改定のお知らせ」を配布。増税までひと月だが、駆け込み需要などもなさそう。帰り掛けに件のK君と父親が現れる。全日制高校への進学を検討していると。ちょっと厳しいな。面接の試験があるし、仮に入れたとしても入学式後の自己紹介で一言も話せない状態ではね・・・。退社後はBで二、三杯。

 

9/1・日

 さてさてもう夏も御仕舞である。其処で何処かに出掛けようと思った。出来れば観光地然としたところがいい。と言う訳で朝の六時台から出発す。まず中央林間へ。其のまま小田急線に乗り換え、江の島へ。朝日が燦燦と降り注ぐ中、大橋を渡る。観光客が少ないのはいいが、どの店も開いておらず。再び橋を渡り、江ノ電で鎌倉へ。其れでも九時過ぎ。やはりファーストフード以外は何も開いてない。日本人は朝飯を外で食べる習慣がないからね。

 結局コンビニでモーニングビール。其のまま缶片手にバスに乗り込もうとしたら、運転手に止められる。飲み干してからにしてくれと。此の場で一気飲みするか、次のバスを待つか。そんな馬鹿な。次のバスは三十分後である。詰まり此れは空き缶なのですと言い張って載せて貰った。カラだと言った手前、車内で飲む訳にもいかず。十数分の乗車の後、どういう訳だかカラの筈の底から浸み出して来た残りを飲んだ。さてさて朝比奈峠下車。鎌倉霊園の上の方である。母方の墓所が此処にある。簡単に墓参を済ませ、素直に次のバスに乗った。

金沢八景下車。件の無人電車の駅がせり出してきた関係で駅前は様変わり。何の店もない。そんな馬鹿な。堪らずスマホで検索してみると、隣の駅に回転寿司がある。一駅移動。ショッピングビルの地下にあるという店を探す。行って見て驚いた。まるで三十年前の店である。而も三十歳の店。カウンターは擦り減って凸凹状態。寿司皿は剥げちょろけ。茶色くなった魚拓などが飾ってある。地魚なども何も無く、凹んだカップみそ汁が何時までも回っている。働いている人は数名のお婆さんと若い人が二人ばかり。大丈夫かいな。ちなみに先客は三人。何れもお年寄りで午前中から中量飲酒中。まあ吾人も同じ口であるけどね。早速冷酒を傾ける。出て来る寿司は可もなく不可もなく。すると昼時になり何と満席御礼に。そんな馬鹿な。ああいう店でも需要はあるのだね。普段使いというやつだね。

 各駅停車でうつらうつらしながら横浜駅に戻る。確か駅前の量販店では元生徒の江田島君が働いている筈である。御酒コーナーに居るそうなので激励がてら表敬訪問。幸い出勤中であった。黒糖焼酎一瓶を丁寧にプチプチで巻いてくれた。気を取り直したところでもう一軒、蕎麦屋のような所に寄って東横線で戻る。帰宅は三時過ぎ。でも何だかやっぱりバス運転手に怒られた件と凄い回転寿司の印象しか残らない一日であった。交通費概算2200円、飲食費は3000円。花代1500円。一万五千歩。夜は冷凍食品。