2023-2

2/28・火

 露軍の反撃でバフムートは包囲されたそう。トマホーク400発を含んだ予算案は衆議院をあっさり通過。そんな馬鹿な。また原発も六十年も使うのだそう。詰まりあと四十年以上も。其の頃には最も割高な発電方法になっているでしょう。多分あと十年もしない内に。ユアナンバーカードの特典付き交付は本日まで。役所は大混雑だったそう。何度も言いますけど、最後の一人になっても持ちませんので。なお磐越西線日南線は間もなく直る。併し根室線富良野新得間はバス転換だそう。あそこは一回だけ乗ったかなあ。

今日も晴れ。大変暖かい。体調は変わりないが、気分優れず。気分を変えようと山梨の温泉宿を予約する。人生(一人で)楽しまなくては。昼はカレーを作った。ジャガイモがないので里芋を入れた。風強く花粉多し。大体そもそもの数値に異状はないのだし、取り立てて病人ではないのだが、半病人のようにして過ごす。夕方前スーパーに買い物。春は揚げ物。ししゃものフライと串カツを購入。眼と鼻をやられる。中瓶一本と少し程度。剥がれかかった窓のプチプチも順次撤去。こうして二月が終わった。

 

 

今月の備忘録

一、通勤路には今時珍しい平屋があって、綺麗にリフォームした途端に取り壊しに。補強材にしたのかな、真新しい白木も次次と廃材トラックに載せられていた。此の一家に何があったのでしょう。二、リスキリングという新語。職業人の学び直しといったところかしらん。炭鉱夫さんが札幌ラーメン店に転業する訳ではあるまいし、何か技術を身に付けても其れを生かす組織がないとね。オフィス労働者が能力を発揮出来るかは職場環境に依存している面が多い。三、桜木町の「川村屋」も閉店すると。そんな馬鹿な。四、財務省の肩を持つ訳ではないけれど、消費税を下げれば景気がよくなるというのも可笑しな話。酒税を下げれば酒飲みが増えるという訳ではないですから。また逆に此れ以上の増税がきついのも確かなこと。概ね10パーセントが限界値です。五、風俗店及び性風俗店というのも変な言い方。風俗とは民間で広く流行っているものを指す。風俗営業法から来たのだろう。本来は性産業店とでも言うべきである。人の性とはいえ、褒められたものではありませんので。六、近所の国立学校は木をばっさりと切って仕舞った。小さな公園二つ分くらい。樹齢数十年の巨木も容赦なく。あれでは周囲の気候が変わるだろうな。夏は暑くなる。七、トイレットペーパー騒動始まりの店も閉店だそう。大丸ピーコック千里中央店。近所のピーコックもイオン傘下になって仕舞っています。品ぞろえは特徴なく・・・。八、某キリスト教系宗教団体はアクセントが難しい。証人だとしっくりこないので商人になって仕舞う。吾人も幼少期、何かを売っているのかと勘違いしていた。九、何時まで経っても出来ないもの。核融合発電、フリーゲージトレイン、空飛ぶクルマ。案外早く出来たもの。テレビ電話。予想以上に衰退したもの。新聞購読。ローカル線。居酒屋。みどりの窓口

 

 

2/27・月

 快晴。という訳で中央病院へ参る。採血採尿、腹部レントゲンを二枚。やや長い待ち合いを経て診察室へ。執刀医と会うのは五月以来。クレアチニンに変化なし。左腎機能に回復の兆しはないと。石も動いていないので、当院としては此れ以上治療することはありませんと。右の方を大事にして下さいと。(くれぐれも透析等にならないよう)肥満と糖尿と高血圧と高脂血症に気を付けてと。なお膀胱の違和感は石に細菌が付いているのでどうにもならないと言われた。結局、一年経って何も問題は解決しなかったということになりました。ああ。会計は3050円。次回予約も無し。左様なら、中央病院。とぼとぼと歩いて帰る。あと三十年くらい大丈夫かな。AIМとかいう猫の腎臓治療薬が成功すれば、人間にもいい薬が出来る筈。新薬待ちです。

 ぼんやりしながら昼の買い物。昼飯の後、がっかり午睡。がっくり出社。退社後はBで村田さんと佑子さん。久久に中華立ち飲みに転進。塩焼きそばを薄味で。二軒で2500円。帰宅は十二時。家人を待たせての遅い入浴。就寝は一時半。

 

 

2/26・日

 四月に補欠選挙があるのだが、例によって乱立野党では戦えないなあ。維新(の半分)は自民に入って消えて下さい。国民民主は立憲と結ばなくてはね。何度も言うけど、小選挙区制なのですよ。

朝は冷えた。快晴。引き続き北風。花粉には風が大きなファクターである。気温よりも大きいと思う。須美伯母がカニを持ってきたので軽い昼餐。スーパーの手毬寿司を追加。何だか食べ足りないので地元の博多ラーメン屋に。新しく出来た店。750円。「宣ノ土」というらしい。どういう意味なのでしょう。晩は自作の麻婆豆腐で少量飲酒。愈愈明日は中央病院。

 

 

2/25・土

 冬型に晴れる。風強し。まずは向かいのびっくり箱の片づけ。例によって溢れ返っている。此処は出した袋を置くスペースがないのだよね。容器入れを裏に移しスペースを作り、成るべく目立たないようにする。一人で何個も入れて行く人が居るからね。さて彼岸には早いが、墓参りに出掛ける。東急線から山手線に。渋谷駅は新ホームになっているけどまだまだ普請中。万事忙しない。高田馬場西武線へ。小平下車。花を買う。1900円に値上がりす。すると急に便意を催し、霊園正門脇の公衆便座に緊急着陸。ちょっと朝が足りなかった。(栓が抜けた様な状態で外出するのが一番良くないのです。)

気を取り直して墓所に参る。先ずは掃除。降り積もった落ち葉を片付ける。淳子叔母さんのことを報告す。さてさて心身ともにさっぱりした。駅南口へ足を延ばす。「来来亭」も捨てがたいが、向かいの「増田屋」に入った。ビールとから揚げ。追加は日本酒。とり南蛮蕎麦で締めた。2800円。知らない街の初めての店は店を出た瞬間がいいね。此処は何処だっけというしがらみのなさ。旅の感覚です。

午後は曇って寒い。適当な西武バスで武蔵小金井に出る。続いて吉祥寺へ。何か晩の総菜を買おうと思った。駅ビルには色色と入っているが、決められないね。こういう場合は結局の崎陽軒なのだが、見に行くと大半の弁当が入荷前。逡巡しながら別の店の中華総菜と「ふたご」の焼肉弁当を見繕う。他に「メルヘン」の小倉サンド。混んだ井の頭線で下北沢。最後は小田急バス。1.3万歩。それにしても何処の街の駅という駅、店という店が大混雑。個人消費は堅調だと思った。ひと休みの後、散髪へ。花粉に巻かれたので夕方前に入浴。其れでもくしゃみ止まらず。今季初のフィーバーとなった。今日の酒税220円(推定)。

 

 

2/24・金

 所得に占める税金と社会保険料を合わせたものを国民負担率というらしいが、此れが愈愈五割に迫る勢いなのだそう。吾人も確定申告書を手掛かりに試算してみる。各種社会保険料が28パーセント、所得税と住民税が合わせて一割ちょっと、此れに拙宅分の固定資産税と支払った消費税(推定)と酒税(推定)を加えると、確かに五割弱になりました。生命保険と火災保険、自転車保険等の民間保険料を加えると五割を突破。あらまあ。まあね、地方税と保険料は誰かの生活を支えている訳だし、一番勿体ないのは国税のなかでも防衛費ですなあ。一人当たり数万円。

 大体曇る。其れでも暖かい。床屋に参るも既に満席。八百屋に寄って帰る。午後出社。金伍万円受け取る。すると今度はコピー機が不具合。扉が閉まっていないとのサインが消えません。センサーの不具合かな。意識過剰である。他は取り立てて無意味な一日。退社後はBで三杯程度。一雨あったからかな、須々木さん以外いらっしゃらなかった。帰宅は十一時ちょっと過ぎ。1650円。以後一玉50円の生ラーメンを茹でる。ワインを二杯。

それにしても吾人は一体どれだけの酒税を納めているのだろうかと思った。ビールは毎日500ミリ。此れだけで100円×360日。3.6万円。他にワインを一合、日本酒を一合、焼酎は半合ぐらいだろうか。となると16円×360日、20×360、22×360。此れで2万円。合計で年間六万円くらいかしら。やっぱりビールの税金は高い。仮にアルコールを申告税にしたら誰も支払わないよね。間接税は偉大な発明品だと思った。

ちなみに現在の酒税収入は1.1兆円。此の三十年で半減したそうです。日露戦争の頃は国税収入第一だったのにね。随分と減りました。飲まなくなったのだね。下戸と超高齢者と子どもを除くと日常的な飲酒者は7000万人くらいでしょうか。となると平均納税額は1.5万円程度。吾人は四倍納税しています。酒造組合か税務署から毎晩ありがとうございますの葉書くらい頂きたいものある。

 

 

2/23・木

 昨日はつくばエクスプレスが長時間運休。レール破断だそう。此の会社は新しい割にトラブルが多い印象。労働組合がないのだそう。東海道新幹線の新CМは会いに行こう。でも出張がテーマだから、(上司に)会いに行かされるか、(取引先に)会いに来させられるが、正解ではないでしょうか。タモリ倶楽部も終了だそう。金曜夜にリアルタイムで視聴する場合、やれやれ一週間が終わったという安堵感と伴に、もう少し飲み歩かなくては出合えるものも出合えないという後悔が入り混じった感覚になる。どちらにしても残念です。それにしても今月以降コロナは急減。此れは新型ワクチンの成果なのかしらん。だとしたらワクチンが切れるとまた流行る。

 朝から曇る。数年前から旗日である。そう言えば昨日のママさん、今日が休みであると気が付いてなかった。だから仕込みが少なかったそう。昼前に池尻の「吉そば」で遅い朝食。ばら天そば490円。続いて「さぼてん」でヒレカツ弁当。670円を二つ。サービスとしてみそ汁が付いた。慎重に輸送する。結局直ぐに食べて仕舞った。午後は晴れた。暖かい。まあ何というか、冬に化石燃料を沢山使うのは致し方ないね。近代以前の社会であったとしても、春夏に育った木木を秋に切って揃えて薪にしたのだから。間もなく春。少し歩いただけで花粉を感じる。昼間の電気は全部太陽光発電で賄いたいです。昨年の日記を見直す。此の時期は結石手術プラスウクライナ侵攻プラスオミクロン株で息も詰まる日日であった。地震もあったのだね。晩は残り物プラス買い置き食品。冷凍魚を焼いた他、ベーコンチーズピーマン焼きを自作。ひと月前の長芋があったのでとろろ蕎麦にした。蕎麦は伊那市高遠「木曽屋」の乾麺。開けたてのにんべんの汁と合わせたら大変旨かった。

 

 

2/22・水

 ロシアのGDPは2パーセント減だそう。実際はもう少し落ち込んでいるかと。経済制裁も抜け道が多いのだそうです。マクドナルドなどの外国店は地元の資本が引き継いで何とかやっているらしい。残念です。なおプーはロシアは決して負けないと演説したとか。そりゃあそうでしょう。誰もモスコーまで攻めるとは一言も言っていないし。ウクライナ侵攻を止めて欲しいだけです。つくづく被害妄想に憑りつかれた国である。所得税をN分のN課税にする案が出ている。詳細は省くけどやっぱりちょっと無理だよね。子育て家庭支援のように見えるけど、実際は高額所得者の減税になりますので。

風は止んだが寒いまま。午後出社。高校入試も終わり漫然としていると、二次募集は如何ですかと私立高校の先生が現れる。御苦労なことをしていると思ったが、名刺を見たら広告会社の人であった。こういうものも外注しているのだね。序でに別の私立中学の宣伝もされた。それにしても私立の学校も過剰である。中学高校の内、恐らく三分の一は採算ラインを大きく下回っているかと。詰まり廃業ラインである。其の一方で特長的なカリキュラムの学校は足りないと思う。嘗てのトモエ学園のような。時間割=なし、ホームルーム=なし、担任=あなたが選んで、教科書=学びたい教科だけ持って来て・・・、なんて小中学校があれば受けると思うし、不登校も減る。天才のままに育つかもしれません。

八時前の退社。須々木さんを探して古い居酒屋に参る。ママさん一人の店。「とり丸丸」と名乗っているから昔は焼き鳥店だったのだろう。今は家庭料理の店。矢鱈お客が来たそうで何も残っていなかったが、芋きんとんが旨かった。続いてBに転進。久久にゆっくり飲めた。一軒目は須々木さんが出してくれましたので千円ちょっと。帰宅後「映像の世紀朝鮮戦争編(の再放送)。北の国もアメリカにとことん空襲された過去がある。此れがやっぱりトラウマになっているなあ。いいですか、アメリカもNATOも自発的に攻め込むことはありませんから。イラクアフガニスタンでの大失敗は繰り返しませんから。其処は安心して下さい。

 

 

2/21・火

 北の国は連日のミサイル祭り。またお得意の被害妄想=アメリカに攻められるかね。相手国はウクライナのことで頭がいっぱいな筈なのだけど。最近は四代目も披露されたとか。小さな女の子だった。ひょっとすると三代目は余命が長くないことを悟っているのかもしれない。かなり重度の糖質代謝異常症だそうですから。どちらにしてもこういう国家が何を考えているのか推測することは難しい。大日本帝国がそうであったように。一方の米国大統領はキーウを訪問。一応ロシアには事前通告したそう。其れでも空路は危ないのでポーランドから鉄路の旅だったそうです。やっぱり在来線は必要です。

 冬型の晴れ。床屋に行ったら三連休だった。気を取り直して、昼はスーパーの弁当。カクヤスで赤星の中瓶をオーダー。瓶を全て返すと一ケース20本6336円の計算。こういうものも値上がりしたのだろう。嘗ての大瓶の値段で中瓶までかと。北風強く、眼が痒い。晩は養殖ブリを焼いたもの。他にレトルトおでん。吾人は余り白菜とベーコンをコンソメで煮たものを作った。

 

 

2/20・月

 やや冬型に戻り、ぴりっとした晴れ。梅も満開。来週には通院予定がある。二度目の経過観察である。嫌な思い出が蘇るね。再び冷や汗。須美伯母が来る。二人には食堂の弁当。吾人は昨夜の残り物。それにしても伯母も少し顔が小さくなったような気がする。何しろ卒寿だからね。急激に年を取ります。すると零士さんもお亡くなりに。光の海へ。

 午後出社。パソコンは復旧していた。メーカーのサービス員が来て直したとのこと。作業報告書にはメインボードを交換したとあった。パソコンって、直るのだね。故障=寿命=買い替えの世界だと思っていた。早速引き落としデータの送信。どちらにしてもそろそろシステムを更新する必要があります。なお三台目のパソコンはワイハイ端子が破損。此れは吾人の中古品を差し込んで回復させた。確か先先代のデスクトップ型に合わせて2008年に買ったもの。まだ使えたね。他に漢検答案の発送、春期講習の検討。他学年は期末試験対策。例によって此の時期の中二の質問は理科の電気関係に集中。生憎電気は分かりませんです。モーターの仕組みすらも。電車って、走りたいから走るのでしょう。吾人が好きなフレーズ=信号が変わり次第発車します。退社後はBで少し。高瀬さんがいるので隅っこの方で飲んで御仕舞。1400円。帰宅後納豆ライス。北風強し。眼がやや痒い。

 

 

2/19・日

 曇っても暖かい。今朝の新聞には、そもそもKは宏池会の伝統もリベラル思想も引き継いでいなかったというコラム記事があった(「日曜に想う」)。五年前のインタビューで分かったそう。リベラルかと問われれば意固地になって否定していたらしい。今から思えばあれは先行自白であったと。聞く力も凡そ擬態なのだそうで、そんなKに「警鐘を鳴らし切れなかった不明を恥じる」と結ばれていた。A新聞の編集委員さんに見通せなかったことが、一般国民に分かる筈がないよね。吾人もすっかり騙されて仕舞いました。兎に角、一日も早く退陣させなくてはなりません。

 昼は久久に祐天寺に。「まくり家」でチャーハンセット。1100円。ちょっと値上がりしていた。家人には「笑口房」の塩焼きそば。此れは500円のまま。穴の開き始めたシーツを交換したいのだが、なかなか良いものが売ってなかった。みんな寝具の類は何処で買っているのでしょう。ノーマスクで出歩いていたら、鼻が少し変。花粉症だな。でももうマスクは着けたくないですよ。早めの湯船入浴。晩は昼に買った油淋鶏他。夜まで暖かい。昨日から猫カイロは無配。

 

 

2/18・土

 今日も晴れる。日差しも日に日に強い。東電管内の太陽光発電は1300万キロ台に到達。買取価格はどんどん下がっているのだから、電気代も下がる筈なのだが。朝は残りの蕎麦。

 昼は地元の回転寿司に行こうと思った。併し満員御礼の小行列。という訳で久久に大型店の「三崎港」に参る。白身魚をつまみながら、ビール一、日本酒二。此処も常時満席。陽光に誘われて大勢の人が出て来ていた。目の前にいる職人さんに対してタッチパネルは面倒なので口頭注文す。それにしても此の三年間は何だったのでしょうか。20年の三月には異例の休校要請。そして春先の緊急事態宣言。マスクとトイレットペーパーが無くなった。以後打撃を受けた法人と個人には給付金が支払われることになる。巷間は給付金祭りと化す。正直なところ、国がこんなにお金をばら撒くとは思わなかった。こういう発想は欧米から入ったのだろう。大貧学院も持続化給付金を貰いました。

危機は一年では終わらなかったが、ずっと危機的状況が続いていた訳でもない。幾つか戦間期とも言えるような緩和の時期を挟んだ。何とかトラベルなどをやっていたっけ。一般的な被害は二年目の春夏のアルファ株とデルタ株の方が酷かったように思える。此の時期は本物の緊急事態にも拘わらず、多くの医療機関は門を閉じたままだった。病院には多額の補助金を支払った筈なのだが。無策を批判され、二人目の首相も代わった。其れも秋にはワクチンで収まったかに見えた。三年目にはオミクロン株が現れる。七月には吾人もしっかりと罹りました。オミクロン株の毒性は低かったが多くの人人が罹患した分、お亡くなりになった人も遥かに多かった。恐らく淳子叔母さんも。

此の間、無観客の東京五輪は何の印象も記憶も齎さずに終了し、ロシアはウクライナに侵攻、米中対立は益益酷くなり、元首相が殺害された。旅客の急減に伴い、東西二社はローカル線の営業係数を公開するようになる。そして異様な防衛費の増額である。実に滅茶苦茶な三年間であった。そんなことを思い出しながら回転レーンを見ていると、頭がくらくらとして来た。急いで帰る。3500円。まさか四周目はないよね。以後午睡。晩は冷凍牛で準すき焼き。

 

 

2/17・金

 侵攻から間もなく一年。経済制裁も思ったような成果が上がっていないよう。何しろ資源国だからね。小麦と石油がなくなることはないからなあ。其れに元元が貧乏な国だから耐乏生活には慣れている筈。一方の日本など、あっという間に干上がった。そして逆切れを起こした。しばしばクリミア併合=満州事変、ウクライナ侵攻=日中戦争に喩えられるが、ここら辺が違う点である。なお此の所の露軍は攻勢強化で一日に千人の兵を失っているそう。例によって無茶苦茶な突撃作戦だと。畑から取れた兵隊=元農奴の死などお構いなしである。国民国家ですら無し。

大体晴れ。昼は暖かい。午後出社。退社後はBの奥で1500円。須々木さんと佑子さん。三人で割り算すると案外安い。なおお年玉のような食事券は従業員さんたちに進呈した。期限が迫っていた。其のまま帰宅。

 

 

2/16・木

 わざわざ戦闘機まで繰り出して撃ち落とした気球には特に怪しい所はなかったそう。幽霊の正体見たり枯れ尾花だな。少し冷静にならないと。本当に火が点くよ。米中は。国会では同性婚は勿論、選択的夫婦別姓すら進まず。一方防衛費の肥大化だけは超特急で進む。どうなっているのでしょう。

 風は止んだが、冬型の晴れ。隣りの自販機も撤去された。なんか張り合いがなくなるね。トラック一台分は袋に詰めました。朝はカレーうどん。早速世田谷税務署に向かう。初日申告。待ち時間なし。拍子抜けするほど空いていた。紙を持って来る人が少なくなったのだね。行列中、他人の申告書をチラ見するのも面白かったのだけど。なお吾人の申告書は二部構成でA4で10枚にも及ぶ。此れをペーパーレスにするにはあと十年掛かります。出た序に家人にはピーコックの中華弁当。此の店も魚を捌く場がなくなっていた(全てセンター納品化)。残念です。吾人の昼は蕎麦を茹でた。すると麺つゆからはへんな臭いが。古かったよう。何から何まで使い切れないです。午後は漫然とす。晩はスーパーの総菜プラス余り野菜と鶏の鍋。本当に鍋にも飽きた。

 

 

2/15・水

 都内の陽性者は二千人にまで減少。愈愈本当の御仕舞みたい。思えば長い三年間であった。お亡くなりになった人は公式には七万人。其の内の七割はオミクロン株である。それにしても三年か、人人の生活を其れ以前に戻すことは難しい(在宅勤務の普及等いい面もあったかと)。

 寒いまま。家人は大病院へ意味なし通院。昼はカレーを自作。和風だしを効かせ、昨日のしゃぶしゃぶ肉は最後に投入した。午後は晴れる。以後出社。何もない水曜日の筈だったが、真ん中のパソコンが動かなくなる。まだ五年物。あれには授業料関係のデータが入っている。クラウド化されていないので、直らないとエライことになります。中三の女の子は受験前最後の指導。社会の解き方(=二択にしぼった後は慎重にデータを検証せよ)を伝授した。今年の高校受験生は実質的には此の子一人だった。なお商店街にお店があったお肉屋さん(大和さんという)もお亡くなりになったそう。民生委員から連絡があった。親子絶縁状態となり、川崎の所謂低額福祉施設に入っていた。其処から割と最近埼玉の老人施設に移った筈。九十一。合掌。退社後はBで三杯。高瀬さんがいないのでみんな清清としていた。二千円。帰宅後、湯船入浴と残カレー。夜は冷えた。五時過ぎから急激に忙しくなった一日だった。

 

 

2/14・火

 世田谷区も給食費を無料にするとか。でも給食費と言われる部分は食材費ですからね(調理は税金)。完全無料にするとみんな大事にしなくなるような気がする。一食百円くらいは取るべきかと。あるいは貧困対策として簡単な朝食を出してもいいかもしれない。パンと牛乳とバナナとか。

 曇り勝ちで寒いまま。朝から梯子を掛けて縦樋の掃除。続いて区の小型電化製品回収箱に壊れた電卓や携帯ラジオ、電子辞書等を搬送。半分は職場から出たもの。家人には西友のあんかけ焼きそば。吾人の昼はレトルトカレー。十二月の電気使用量364キロ、前年比85パーセント。其れでも1.5万円。燃料調整費が4700円も付加されている。一月のガスは31立米で6350円。多少賃上げした所でみんな食われて仕舞います。午後は少し晴れたが北風強まる。すっかり冷えた。晩は三丁目の肉屋の薄切り肉で豚のしゃぶしゃぶ。水菜と葱添え。久久におじいさんの酒屋にも行った。

 

 

2/13・月

 トルコの地震では犠牲者は数万人に及ぶ見込み。割と大きな建物でもほぼ手抜き工事。ああいうところではプレハブ工法の二階家までしか建てられないと思った。一転して曇って寒い。午前から小雨。午後傘差し出社。ちなみに小学生の男の子は何度もトイレに入って出て来ない。お腹が悪いのか神経症か。まだ若いのになあ。退社後はBで二杯だけ。1200円。高瀬さんがいるので盛り上がらず。帰りは止んだ。なお元の店長さんは無事に出産したそうです。帰宅後入浴とエースコックのわかめラーメンのみ。ほぼほぼ休肝日。

 

 

2/12・日

 晴れて春の陽気。三日ぶりに外出す。電車に乗って溝の口へ。まずは文教堂書店を訪問。此処はまあまあ大きいけど、歴史や思想関連は手薄。よって該当品なし。もう少し頑張って下さい。続いてイトーヨーカ堂で乾そばを購入。其の後はやっぱり「元祖寿司」。ビール一、日本酒一。しつこく待っていたら白身魚叩き軍艦が回って来た。やっぱり旨い。待てば回路の日和あり。ちなみに此れはメニューには載っていないのです。2200円。続いて丸井で家人用の弁当を購入。仕出し屋麻布というところのステーキ弁当。1280円。年寄りには贅沢して貰います。しぶそばの「あんこう天そば」(600円)で締めて帰った。

暗くなった頃に、東急百周年記念東急バスコレクションセットが届く。模型を集める趣味はないけど、どういう訳だかついつい半年前に予約購入して仕舞ったもの。プラスチック製。思ったよりちゃちだった。全12種類。一台千円の見当。晩はドミノピザにした。Lサイズを配達して貰う。何故か五割引きになって二千円。利益が出るのかしらん。デマンドプルインフレには程遠いです。なお携帯電話使用代金は本体の償却が終了したので今月から二千円安くなった。実に四年も掛かった。それでも(一ギガで)六千円も取られています。なんだか損をしていると思う。

 

 

2/11・土

 次の日銀総裁も決まったそう。初の経済学者だって。従前日銀の人事が此れだけ話題になることもなかった。割と大穴だったみたい。金融緩和派だそうです。来月半ばからマスクをとってもいいと政府見解。個人の判断に委ねると。そもそもマスクをしろと言われたことはなかったのだけどね。ロシア国内で反戦の機運が高まらないのは、ソ連時代より格差が広がっているからだそう。戦争に行って死ぬのは地方に住んでいる下層民か犯罪者。モスクワ公国周辺の人人には関係ありませんとな。悪い見本のような国家になって仕舞いました。いっそ分離独立する動きが出て来るといいのだが。東の方はシベリア共和国になります。此れならば北方領土も還ってくるかもしれません。

土曜日だけど旗日。今年はこういうパターンが多い。数年に一度の残念な年である。朝から快晴。家人は鎌倉に行くと。荷物が多いのでバスまで見送りに。此のバス=06系統も今月から一段と減った。一時間に三四本。前は五本くらい走っていた筈なのだが。続いて隣りの自販機=びっくり箱の整理と、ポストから溢れたチラシ類の片付け。此の無人の物件、誰も管理に来ない。ほったらかしである。ポストには養生テープを張り付けた。数日来の残り物で昼飯。日中は暖かい。梅も開花。エアコンと序でに台所の掃除。夕方家人帰宅。何も買って来られなかったそうです。となると散歩がてらにスーパーで600円の刺身三点盛り。何も食べるものがないという家人には自作の炒飯を食べさせた。

 夜の九時から先生を交えてのオンラインゼミナール。今回は特にテーマを定めず、フリートークとなる。例によって吾人のワイハイ遅し。先生は未だに経過観察中だそう。おまけに腰痛症状が出て、思うように移動出来なくなったとも。あれだけ元気だったのになあ。御大ももう八十代。年を取るのは大変である。なお四十代から五十代に掛けては一番脂がのる時期だから、皆さん頑張って下さいとも言われた。皆は兎も角、吾人は既に半病人のような状態である。つくづく残念な教え子になって仕舞ったと思った。十一時半まで続いた。直ぐに就寝。

 

 

2/10・金

 トルコの地震マグニチュード7.8だった。内陸地震としては最大級。ひとたまりもないね。死者は二万人を突破したそう。シリア北部などそもそも内戦で破壊が進んでいた。一方北の国では軍事パレード。国軍創立七十五周年だそう。ずっとやっている感じ。四代目まで披露されたと。国民が飢え死にしているというのになあ。愚かな指導者は枚挙の暇もないほど。合掌。そう言えば、党首公選制を唱えた日本共産党の人が除名処分に。此れもちょっとねぇ。

朝から小雪が舞う。昼は食堂の弁当。一瞬積もった。なお東電の太陽光発電は正午に150万キロ。雪でも発電するのだね。やる気がなくなり、二週続けて金曜欠勤。午後は冷たい大雨。気温は低く、エアコンは度度停止。ガスファンヒーターを併用す。此のまま降ったらエライことになっていた。晩は豚を使った肉豆腐。併し牛ほど旨くない。群馬辺りでは豚ですき焼きをすると聞いたのだが。自室に上がると室温は一桁。本も読めず。行火を入れた布団に入るより手がない。九時就寝。自小屋を吐瀉物で汚したシロは清掃しても入らず。グレの小屋を横取り。あぶれたグレはミケと寝ていた。妙な所が細かいな。

 

 

2/9・木

 冬型の晴れ。風強し。材料が全て出尽くしたので確定申告書を作る。キャノンの新プリンターはいい調子。各種証明書の貼り付けは三枚に及んだ。なお殆ど予定納税した分で足りました。須美伯母が来たので昼はてんやの天丼。午後一番で運転免許証の更新へ参る。一ミリの運転もしていないけど、免許は免許。手数料三千円。両眼の視力検査が一瞬緊張した。三十分弱のビデオ講習の後、無事交付される。今回から西暦表示になっていた(元号は括弧内へ)。写真を見比べると確かに五年分は年を取っているなあ。行政手続きが二発で草臥れた。昏昏と午睡。晩は家人の煮ものと麻婆茄子他。

 乗り鉄三日間で飲んだお酒を集計する。一日目。行きの「あずさ」でビールロング缶一(新宿駅売店で購入)。ハイボール一、ビール一、奢られのビール一(以上車内販売を利用)。大糸線で日本酒一(「大雪渓」松本駅売店で購入)。直江津の一軒目の店で生ビール一、日本酒二。二軒目で二杯(失念しました)。ホテル内の自販機で何か飲んだ気がする。二日目。「海里」で缶ビール一、生ビール一(以上車内売店利用)。701系のロングシートでワンカップ(松本で買ったもの)。「食道楽」で日本酒二(「刈穂」「まんさくの花」)。宿でハイボールロング缶半分(コンビニ購入)。三日目。「急行食堂」で中瓶一(サッポロ赤星があった)、日本酒一。「つばさ」でペットボルトに移し替えたハイボールの残り。車販のビール一。うーん、一日目で飲み過ぎているな(はしゃぎ過ぎた)。でもね思い出すだけでも賑やか。飲み鉄も楽しいです。

 

 

2/8・水

 ウクライナ政府内でも腐敗が問題となっている。どんな組織でも腐敗はあるが、あの辺は元元多い地域だそう。政治文化を変えるのは容易なことではない。なおトルコの地震はシリアとの国境付近。シリア側にも相当な被害が。政治的には極めて微妙な地域だそうです。

 明け方にはグレまで上ってくる。久久であった。今日もまあまあ暖かい。先月の売電量221キロ、5304円。昼は家人の親子丼。午後出社。ずっと中三数学。初見の問題(私立高校の過去問)を解答書なしで説明せねばならず草臥れた。こういう場合は真剣勝負です。退社後はBと日高屋。二千円強。一雨あって再び冬型になる。

 

 

2/7・火

 トルコ南部で大地震。三菱の飛行機製造計画は正式に断念。損失は一兆円。ずっと前から止まっていたものだが、何故此の時期に表明したのだろう。防衛費の大幅増が決まっているから、取り返せる算段が付いたというのが真相らしい。民需の損は軍需でという訳。原資は国民が納めた税金である。

比較的暖かい曇りの日。終日日誌の整理。早速1995年の時刻表を見渡す。奥羽線の新庄大曲間は現在の方が本数が多い感じ。つばさへの連絡が強化されたよう。皆さん乗って下さいということなのだろう。特急・幹線とローカル輸送がトータルして収支が合えばねえ。吾人も特急料金を課金しましたよ。

 昨年掛かった医療費のお知らせが来る。十月までで総額57万円(二日の入院で30万円となっていた)。随分掛かったね。自己負担は三割で17万円。詰まり国民健康保険からは40万円の支出。ちなみに昨年支払った保険料は68万円だから、此れでも営業係数は60から70くらいかしらん(介護保険もあるので正確な数値は分かりません)。吾人の健康は依然誰かの不健康を支えている形になっています。なお十万円を超えた自己負担分は所得控除の対象となる。納税額は更に縮小する見込み。

続いて従妹の優子さんに御霊前を送る。金壱拾萬円。久久に現金書留を使った。送料709円。なお家人は一筆添えるのに四苦八苦していた。漢字をみんな忘れている。もう一度小学校へ入れたいです。あらゆる食品が枯渇しているのでスーパーへ買い出し。晩はまた鍋にした。なおよくよく調べて見ると、吾人の生命保険から支払われた金額があるので、医療費控除額はゼロ円ということに。残念。吾人の税知識も中学生レベルでした。旅の疲れが出て、九時就寝。夜も暖かい。

 

 

2/6・月

 気球一つで米中外相会談が流れたそう。ちょっと大げさだよね。まさか風船爆弾のトラウマがあるとか。差別発言でKの秘書官が更迭されたそう。でもK自身が同性婚等を認めると「社会が変わって仕舞う」とか述べていましたよ。

 六時までほぼぐっすり寝られた。朝から気分がいい。やっぱり乗り鉄は楽しい。早速冷たい部屋で旅費の精算。JRと三セク鉄道に支払ったお金が27380円。飲食費が1.5万円。二割引きされた宿泊費が二泊で一万円ちょっと。お土産電子クーポン三千円も使い切った。それにしても、ローカル線も残ってくれないと、旅にも出られなくなる。(吾人の旅寿命の)あと三十年はくらいは走って欲しい。支線がなくなれば本線にも乗らなくなります。それにしても今回も色色と心配(家人が噂の強盗団に襲われるとか、吾人がスリの銀次に遭うとか、列車が雪崩に巻き込まれるとか)したが、何一つ起こらなかった。列車も完璧にオンタイム。有り難いことです。

 関東は既に春のような様子。午後出社。無社長は膝が悪いよう。引きずって歩いている。原因は不明だそう。まあ色色と恨みを買っているだろうからね。それにしても此の人も66か7。大学教員でも退官の頃である。立ち仕事=塾の先生はそろそろ無理だよな。退社後はBで須々木さんと村田さん。早速いぶりがっこを手渡した。軽く飲んで1700円くらい。帰宅後お茶漬けなど。

注・・スリの銀次はゲーム「桃太郎電鉄」の有名なキャラクター。

 

 

2/5・日

 大体朝までぐっすり。それにしてもこういう建物は暖かいと思った。個別の空調は昨夜の内に切ったのだが、夏場のような格好で寝られた。吾人の部屋などは都内にありながら朝方は一桁まで下がることもある。まるで冷蔵庫の中に布団を敷いているようなものだと思った。さてさて秋田を出る前に電子クーポンを使わなくてはならない。下の売店いぶりがっこを買いたいのだが、やり方がよく分からず。新潟の物とは方式が違うね。フロントの人に聞いたところ、パスコードのハイフンは入力不要とのこと。余計な物を書かないで欲しいと思った。三個購入。1200円。200円は現金で払った。 

 出発の時。横手は今朝も雪が舞う。駅まで再びとぼとぼとと歩く。日曜の朝だが、既に町内会の人が大勢出ていて除雪作業。特に溜まった雪を融雪溝に放り込んでいた。排雪というのだそう。御苦労様です。ホテルの人によれば、此れでも平年並みなのだそう。直ぐにでもかまくらが作れます。

9時22分発の列車で新庄まで素直に戻る。幾らか集客しているようだが吾人の乗る二両目は三人ぽっきりのまま。無人駅では一両目の後ろの扉以外は開かないからね。此の乗客数ならば一両でもいいのだが、交流電車と言うものは最低二両は必要なのだそう。だから一部の第三セクター鉄道では電化設備を使わず、単行の気動車にしている。何だかなあという結論。小さく纏められないものなのかね。

さてさて再びの新庄駅である。「つばさ」は一本後にして、駅前の「急行食堂」へ。開店と同時に入店。何度か来ているけど、此処は酒はあるけどつまみ類が乏しい。かつ丼を御飯半分にして頭をつまんだ。ビール一、日本酒一で二千円。なお新庄発のつばさはニ時間おき。奥羽線のダイヤも其れに合わせているのでどうやっても一時間余った。周辺を一回りして、駅に戻る。此処にも鉄道ギャラリーのようなものがあった。暫し見学。特急こまくさ、陸羽東線経由のあけぼの号、急行津軽気動車急行、400系のつばさ。みんな過去帳入りである。それにしても可笑しいな、みんな鉄道が大好きな筈なのに、ローカル線の営業係数は鰻上り。陸羽東西線も危険水域らしいです。

 「つばさ144号」東京行きに搭乗。此れも全車指定である。色は変えたけどE3系の後期型。二代目の車両である。初めて乗るね。特急券は昨日の内に新庄の窓口で買っておいたのだが、15号車の2番D。進行方向右側を希望したのだがこんな車端部しかなかったみたい。となるとかなり混みそう。なお最近の新幹線は小窓の個窓なので柱は関係なし。13時18分定時出発。小駅でも結構な客を集め、山形と米沢では大量乗車。八割方席が埋まった。山形新幹線は良く乗っているという印象。ハイシーズンは自由席から人が溢れたそう。全車指定化は致し方がないかな。なお比較的若い人が多い。金曜まで仕事をして、土曜日に出て来たのだろう。日曜日の午後はお疲れモード。みなさんぐったりと睡眠へ。土日で山形往復はきついかもしれないね。となると売り上げも上がらないから車販員さんも可哀想。飲みたくないけど缶ビールを購入。300円。やっぱり休みも三日必要だと思った。それにしても東の車販で売っているものと言えば、飲み物と乾き物くらい。スナックだよね。歌の付かない。「峠の力餅」を売ってくれれば、二十個や三十個は直ぐに捌けるだろうに。商売は仕入れが肝心。売れる商品仕入れなくちゃ。週末パスも金曜か月曜のオプションを付けて欲しい。

 米沢を過ぎるとかっくりと速度が落ち、愈愈峠越えへ。雪も再び深くなる。人跡未踏の山山を縫って走る。ポイントにはスノーシェルター。それにしても大変な難所の板谷峠だが車窓に注視しているのは吾人だけ。皆さんは行きしなに見たのかしらん。福島駅に着くと雪もすっかり消えた。あれだけのものが僅かな距離で。雪の降り方というのもキロ単位で違うものだと思った。此処でやまびこ号と連結。嘗ては福島ダッシュが見られたそう。なお上りの列車だが下りホームに入る。現在新アプローチ線が建設中。平面交差は数年先には解消されるそう。此のミニ新幹線方式も成功したようだね。鰻を頼んだつもりが穴子が来たとか文句を言われたものだけど、建設費が安いし、在来線も残る。フリーゲージトレインが出来ればもっと便利になるのだが。

 太平洋側はすっかり晴れている。久久の太陽が眩しい。連結相手のやまびこに配慮して郡山にも停車。磐越東線水郡線は御乗換えですと。うーん、もう少し若ければ、いわきか水戸に出て「ひたち」で帰ったなあ。もうちょっと無理な身体になっています。特急料金が勿体ないので上野下車。16時42分。凡そ三時間半の乗車時間。前半二時間は在来線の旅だから楽しかった。

上野の新幹線駅、久久に来たね。それなりに人もいて賑やかだった。地上まで長いエスカレーターで上がる。改札の内外も人で溢れている。何処の居酒屋も大入り満員のお祭り状態。コロナは終わったのですなあ。そんな吾人は「福しん」でチャーハンのみの早夕飯。御徒町から山手線。此処から再びマスクオン。目黒からバスで帰った。帰宅は六時過ぎ。暫くするとシロが入ってくる。雨が降ってないから毛が汚いね。撫ぜると手がギシギシする。あんたも雪国なら真っ白なのになあ。九時就寝。

注・・席にあぶれたつばさの乗客がやまびこの自由席に走り移ること。

 

 

2/4・土

 さて此処から先は吾人も乗り放題系の乗車券を使うことになる。「週末パス」という。関東甲信越南東北JR東日本線と一部の私鉄三セク鉄道が乗り降り自由。土曜日曜の有効で8880円。但し特急券等は別購入。だからそんなに安いという訳でもない。再び窓口で新潟までの自由席特急券を購入。1860円。なんかちょっと高いね。A特急料金が適応されている。「しらゆき」と言えば東西に広い新潟の県内完結特急。もっと安くして欲しい。県民の足な筈。それにしても今となっては無駄に広い直江津駅。相当前に北越急行で来て、北陸線に乗り換えたっけな。駅の端から端まで走らされた思い出がある。

「しらゆき1号」は四両編成。北陸新幹線開業以降唯一の優等列車である。7時42分に定時出発したのはよいが、なんとタンクが壊れていてトイレの水が出ないそう。(大きい方は)汲み置きの水で流して下さいとのこと。そんな馬鹿な。先週の寒波で壊れたのでしょうか。大丈夫かいな、新潟管理局は。なお此の車両は元フレッシュひたち(の付属編成の方)。もう古いのだな。其れに太平洋側の車両だしね。

 柏崎までちょっと寂しい海沿いを走り、以後内陸へ。長岡付近は割と雪深い。色色と丁寧に止まって新潟定刻到着。9時28分。此の駅も新しくなっている。愈愈「海里」という観光列車に乗り換えである。海里と書いて、かいりと読ませる。「きらきらうえつ」に代わって新造されたハイブリッドディーゼル車。四両編成。クルージングトレインというコンセプトなのだろう。でも船ではないからね。訓読みの「うみさと」の方がいいような気がする。なお海と里の恵みが食べられる食堂車は旅行商品だそうで、みどりの窓口で売ってくれるのは座席車とコンパートメント車のみ。

昨夜の段階では後者に若干の残席ありとのこと。吾人もコンパートメントの1番C席に腰掛ける。当然知らない人と乗り合わせることを想定したが、発車間際になっても、発車してからもAさんもBさんも乗ってこない。何処へ行ったのかしらん。所在なさげに駅弁=鮭蟹の押し寿司を食べる。どうしたものかと通り掛かった車掌に聞いてみると、既に下車されていますとのお応え(村上と坂町で)。そんな馬鹿な。券を買ってはいるけど乗って来ないお客さんも多いとのこと。指定料は観光列車価格の840円。勿体ないな。其れにこんなことをされては本当に乗りたくても乗れない人が出て来る。マナー違反である。

 さてさて結果としてコンパートを独占した。当たりと言えば大当たりである。大手を振って飲みたいところだが、昨夜の酒が胃に残り、幾らも飲めず。また実在のお客もどんどんと下車。「いなほ」代わりに乗っているお客も多いと見えた。それでも笹川流れ辺りでは売店兼展望車で生ビールを立って飲みました。兎に角、少しはお金を落とさないといかんですから。なお冬ダイヤということで観光停車等は無し。あっという間の余目到着である。10時11分発で12時34分の到着だから特急並みの速さ。結局車内は早早とガラガラに。もう少し先まで乗って欲しい所です。先ほどの車掌さんとは手を振ってお別れした。

此処で陸羽西線に乗り換えなのだが、時間があるので駅前食堂でラーメン休憩。本来ならば燗酒を飲むところだが、胃がザラザラでもう飲めませんの。650円。なお陸羽西線は国道トンネル工事の影響で再来年までバス代行だそう。冗談みたいな理由である。国鉄時代には考えられないね。という訳で駅前からバスに乗車。至って普通の民営貸し切りバス。十数名のお客を乗せて出発す。列車代行だというのにJR職員の見送りも無し。なお此れは快速便ということで、途中二駅のみに停車。国道から割って入って駅前に乗り入れる感じ。途中駅でも若干の乗り降りがあった。新庄が近づくにつれ積雪は増加。民家でも小型の機械で除雪している。一方国道は時折交互通行にして積み上げられた雪を壊して運ぶ作業。雪国はつくづく大変だと思った。

一時間ほどで着いた新庄駅も雪の中。此れでも列車よりかは遅い筈。やっぱり鉄路だよね。暫時休憩す。新庄も交通の要衝である。古い車庫もある。ホームの端には雪の山。見たところ、オレンジ色の光に照らされたところだけ線路の雪が解けている。ATCの地上端子部分だね。遠赤外線か何かだろう。大変な電気代が掛かる。雪国は大変だね。

 15時39分発秋田行きの普通列車はもうもうと雪煙を巻き上げながら、ものすごい勢いで走り始めた。100キロ近くは出している。電車は速い。元元は奥羽本線である。嘗て特急や貨物も駆けた筈。立派な線路だが、今は701系二両編成が時折走るのみ。分け入っても分け入っても各駅停車。勿体ないね。及位、院内辺りは人家もまばらな豪雪地帯。一メートルは積もっていた。ついついワンカップを。湯沢前後からはそれなりに乗ってくる。なお此のきっぷの有効エリアは湯沢までなのだが、同市ではホテルが見つからなかった。よって横手まで乗車継続。駅に着くなり扉ががらがらと開く。溶けかかった雪が凍り付いている模様。701系の顔も真っ白白。御苦労さんです。眼が点のような大人しい顔をしているあんたももう三十歳か。デビューした時の評判は散散だったけど、なんだかんだ言って東北の顔である。

17時01分横手定刻到着。乗り越し運賃330円。窓口で現金で精算す。横手では他にも大量下車。途中から三三五五乗って来たおじさん小集団も降りたよう。土曜の夜である。飲みに行くのかな。終電は何時なのかしらん。暗くなった雪道をそろりそろりと予約した「セントラルホテル」に向けて移動する。何しろ靴が貧相だからね。底がペラペラの紙靴のようなもの。時折ずるっと来る。此処も旅行割が適応されて凡そ五千円。高校生が合宿しているらしく何だか賑やか。満室に近いのかな。横手は十数年前に来たことがある。あの時は真夏。カウンターだけの店で汗をふきふき焼きそばを食べたっけ。店の名前もホテルの名前も忘れました。

ひと休みの後、フロントの人に聞いた「食道楽」という居酒屋に参る。明るく感じのいい店。カウンターに陣取り、早速日本酒と焼き鳥。地酒も安い。するとどんどん混んで来て、店内は満卓状態に。注文は完全にオーバーロード。幸い吾人は先に頼んだ小きりたんぽ鍋が来ていたのでひもじい思いはしないで済んだ。其れにずっと雪見酒の飲み過ぎで調子が悪い。日本酒二で終了。三千円と少し。もう一軒行きたいところだが、本日は断念。宿まで戻る。例によって歩いている人など殆どいない。それなのに先の店だけは満員御礼。此れも地方都市にしばしば見られる現象だと思った。

注・・横手に泊まったのは2001年の夏だった。横手グランドホテル泊。焼きそば店は不明。此の旅では常磐線を北上して、吉野作造記念館を訪問。仙台に泊まっている。朝の「南三陸」に乗り、気仙沼へ。大船渡線北上線で横手に来ている。あとは奥羽線で帰った。青春18きっぷ利用。お盆頃ということで「南三陸」は五両もあったと書いてある。701系も満席だったとも。

 

 

2/3・金

 資源ゴミの整理の後、再び渋谷駅に参る。窓口に行き、糸魚川までの乗車券を購入。6050円。なお大糸線は運行状況を確認する必要があるという。手元の端末で見てくれたところ、特に問題はないと。こういうやりとりが楽しいね。新宿へ転進し、あずさ17号に乗車。窓側は全て埋まっている感じ。座席は5号車6番D。なお誠に残念なことに柱の位置が悪い。下りの場合は奇数席がいいよう。以後気を付けなくてはならないと思った。定時出発。早速駅弁屋で買った、チキン弁当のライス抜きと鰺の押し寿司三貫を開けて飲み始めた。関東を抜けるとやや薄晴れ。例によって甲府で大量降車。吾人も前の席に移ったり戻ったり。

長野県に入ると少し遅れる。何本か前の特急が人を撥ねたそう。すると通路の向かいのインド人紳士から話し掛けられる。聞けば松本で旅行会社をやっているそう。今日は東京での会議の帰り。要約すると(日本の方は)もっと人生を楽しんで下さいと。確かに最近の日本人はネガティブ過ぎるよね。暫し話が盛り上がる。車販員から缶ビールを買って貰った。乾杯。旅行プランもちゃっかり営業された。いや併し、外国の人は屈託ないね。此の場を借りてお礼申し上げます。そんな社長さんとは松本駅でお別れ。なお茅野の辺りから話し始めた関係で岡谷での飯田線へ乗りかえ状況や松本の車庫等が見られず。ちょっと残念でした。

一番線でそばを食べ、大糸線ホームに移動。あずさとしなのと地元のお客さんを集め、二両の列車は満員御礼。山手線より混んでいるね。信濃大町までに地元のお客さんは下車。以後は外国人観光客さんが目立つようになる。積雪が増えるにしたがって、皆さんのテンションも上がり始める。スノースノーと連呼。吾人もワンカップを開ける。白馬で大量下車。以後は空気輸送に近い感じ。南小谷定刻到着。16時10分。此処から管轄が変わり西日本のディーゼルカーとなる。直ぐの接続。例によってキハ120の単行。お客は三人。あらま。此の区間は取り分け少ないらしい。もっと旅行者に乗って貰わないとなあ。実を言うと、鉄道ファンの類はあんまり役に立たないのである。写真ばかり撮って迷惑を掛ける者は論外だが、乗っている人も貢献度は高くない。大体鉄道に詳しい人と言うものは、ダイヤに詳しい。ダイヤのような精緻なもの詳しいということは運賃制度にも詳しいから、ついつい安い切符で乗って仕舞う。乗り放題系の切符がどのようにカウントされているのかまでは知らないけど、大した金額にはならないであろう。ローカル線の営業係数が下がらない訳である。困りました。

一時間弱で糸魚川着。17時20分。すっかり日が暮れた。残りの二人は新幹線口に行ったみたい。糸魚川には割と最近来たばかり。其の時は気が付かなかったけど、ちょっとした鉄道パークのようなものがあり、キハ52などが展示されている。鉄道写真も。確か2000年頃までは京阪神地区からシュプール号とかが乗り入れていた筈なのだが。関西の人、もっと糸魚川から白馬や大町方面に入って下さい。

 切符を買い足し、此処からは旧北陸線第三セクターのえちご鉄道線である。一両のディーゼルカーへ。既に真っ暗。お客は大糸線の十倍くらいはいる。多少の増減はしたが、大半のお客が直江津まで乗り通す模様。皆さん結構遠距離の通勤通学ですな。当然筒石駅は昼でも夜でも真っ暗。トンネル内にホームがある日本有数の変な駅である。一回降りて見たいです。

 直江津到着。18時33分。新宿から最短の接続で七時間半掛かった。まず窓口で明日の観光列車と「週末パス」を手配。ちなみに此処は有人で引っ切り無しに人が並ぶ。やっぱり人が居なくてはね。なお管理はえちご鉄道に委託されているよう。発券手数料が入った筈。良かったです。続いて駅前のホテルに投宿。全国旅行割が適用されて二割引きだった。お土産クーポン二千円も貰う。今回からは電子式になったよう。スマホの登録でちょっと迷った。さてさて早速の居酒屋巡りだが、入った店は他客が皆無。頼みの綱のテレビではペット養老院のお話。ちょっと寂しいので刺身とあら汁で切り上げ、駅前の餃子酒場に入る。此処は大勢入っていた。焼き鳥他と酒二杯。

すると並びのお客は釣りが趣味のよう。何かの拍子に佐渡という単語が出て来たので急に思い出した。そう言えば、芥田先生とゼミ旅行に行き、佐渡から帰って来て此の直江津に立ち寄ったのである。そうだった、そうでした。港からタクシーを仕立て、確か親鸞ゆかりのお寺=国分寺を訪問。上野直通のあさまで帰りましたよ。長野新幹線が出来る前だから1997年の夏のこと。ゼミ長の福岡君が車から降りた際に、飲み残しの一升瓶を落した。割れた瓶は駅の横の自販機の脇に置いて行くより手がなかった。其の節は失礼しました。あの頃とは駅舎が違うね。まだ地上駅だった筈。みどりの窓口が混んでいて、やきもきしたっけな。当時先生は五十代。吾人も二十歳そこそこ。若かったな。そんなことを思い出しながら、十時には就寝した。二店で五千円。

 

 

2/2・木

 さてさて結局朝から渋谷駅に参り、明日のあずさの特急券を購入。そんなに朝早くは出られないということにして、11時新宿発の17号にした。松本まで2550円。現金を高性能な券売機に突っ込んだ。随分面倒なことをしていると思ったが、まあ例によって行っても行かなくでもどっちでもいいような一人旅である。当日購入だと、結局面倒臭くなって布団から出られないかもしれない。此れは行くぞという決意表明のようなものである。なお乗車券は未購入。大糸線の状況が良くないよう。本日は南小谷以北代行輸送になっていた。幸い此の寒気は今日中に抜けるという予報である。なお明日の目的地は直江津。場合によっては信越線経由になるかもしれない。続いて「博多天神」で朝からラーメン(600円)。「啓文堂」で新潮文庫を二冊(『テロルの原点』『左京・遼太郎・安二郎見果てぬ日本』)。「フードショー」で弁当を二個購入。帰りはバスにした。「作丸」という揚げ物の店だったが安くて旨かった。

 大して晴れず、寒いまま。午後は漫然とす。午睡付き。何しろシロに二時半(入室)、四時(退出)、六時(再入室)の順に起こされた。寝たり起こされたりでお腹の調子も良くない。こうした負のサイクルを精算する為にも何処か旅に出たいのである。早めの入浴。残り物で軽い晩酌。

 

 

2/1・水

 児童手当の所得制限も無くすのだそう。手当と言っても月一万円かそこら。当初予定された子ども手当の半分くらいだそう。給食費や制服代、修学旅行の積み立てで消えて仕舞う金額だよね。都立大の事件も容疑者死亡で書類送検。動機等が分かりません。

月が代わっても寒いまま。冬型の晴れ。また物価が上がるそう。何というか、今まではコロナ禍で使い残した余剰資金があったが、そろそろそれも無くなる感じ。また消費が落ちるな。昼前から南西の風が吹いて少し暖かい。午後出社。退社後はBで1800円程度。最近何処の店も空いている感じ。