2023-3

3/31・金

フクイチの破けた原子炉の下、溶けた燃料デブリの写真が公開される。漸く隙間から撮れたらしい。まだ一グラムも取り出せていない。フィンランドNATOに入る。プーの被害妄想が更なる暴走を招く結果にならないといいが。一方イギリスはTPPに加盟。脱欧入亜。イギリスはEUを出た頃から可笑しくなった。トラ氏は起訴される。女性に支払ったお金が不正支出に当たるそう。エドガー・フーバーも吃驚の醜聞だらけ。世界的にも年度末だと思った。

曇りのち薄い晴れ。講習出社の日だが、やる気がなくなり欠勤。そもそも吾人が教えるような生徒など殆どいない。時時剪定。夕方前、買い物へ。ミヨシの粉せっけんと一丁目の肉屋のとんかつ。早めの入浴後、瓶ビールを開ける。でもとんかつには御飯だよね。すると六時には食べ終わる。此れでは高齢者の生活である。

 

今月の備忘録

一、渋谷24系統は小田急が撤退し、東急に統一されるのだそう。七月から。大再編である。東急編入後、大幅に減便されるだろうというのが大方の見方。一方小田急の26系統はどうなるのでしょう。渋谷から調布までのロングラン。どんどん減らされて今では朝晩のみの運行となっている。それにしても、値上げか減便か。悩ましい所である。吾人が高校生の時分は確か170円だったかと。三十年余でプラス50円。其の内の十円以上は消費税分。シルバーパスの人も一回50円くらい支払って貰いたいところ。二、近所の国立学校。木を切ったところは民間に貸し出すのだそう。国も不動産賃貸業である。三、バンブー邸は見事にリノベーションした。四、銀座線のダイヤも少し戻す。最近は運び切れなくなっていたそう。四、来月から自転車のヘルメット着用が努力義務に。そりゃまあ、しないよりした方がいいとは思うけど。つい三十年前まではシートベルトもまだだったことを思えば、隔世の感。五、色色と考えて見ると、原子力発電は核融合発電へのつなぎ役と捉えられていた形跡がある。危険な上に核のゴミが出るのは良くないけれど、暫く此れで我慢しましょう的な。残念ながら、後ろは無理。其の分、自然エネルギーと蓄電技術が立ち上がってきた。やっぱり早く引退させた方がいい。

 

 

3/30・木

 中日の投手が亡命。来日出来ず。多分キューバからアメリカへ。うーん、そもそも日本に亡命してくれればいいけど、審査が通らないよなあ。落石により芸備線の先の区間は当分運休。残念です。営業カルテルを結んだとかで大手電力会社に課徴金。つい此の間までは越境営業していたよね。確か大貧学院も中部電力系です。最近は電気が足りなくなって元元の殿様商売に戻った。今から思えば全く不要な営業努力だった。電力自由化=不自由化。巨大な装置産業だもの。

 曇りのち晴れ。朝は残りのうどん。昼は富久美の弁当。時時剪定。漫然とす。引き続き気分優れず。家人より吾人の方が病人である。晩は残り物のあり合わせ。

 

 

3/29・水

 114兆円にもなる来年度予算が成立。何に使うのかね。何度も言うけど、コロナとウクライナ侵攻以来、ちょっと金銭感覚がおかしくなっている。新選組だけは牛歩したとか。

また曇っている。朝は巨大化したノゲシ?だけを集中的に取った。今季の草取りの開幕である。十二月まで続きます。家人は眼科へ。少し歩かさなくては。昼前には漸く晴れた。桜を見に、駒沢公園へ。花よりラーメン。「一風堂」で白丸元味と半炒飯。1140円。混んでいたけど直ぐに出て来る。博多ラーメンは回転がいい。環七のスーパーで買い物。調達が追いつかず、色色と足りないものがあった。味噌や猫餌など。2300円。なお特売は「雪印6Pチーズ」。裏を見ると主たる産地は外国とあった。そんな馬鹿な。日本で一番売れているチーズなのに。

午後はラジオを聞きながら、『台湾、ローカル線、そして荷風』。行った先、見聞きしたことが、吾人と被る。旅と酒と猫。今までの旅の答え合わせをしているかのよう。大変な先達がいらしたのである。夕方はやはり曇る。晩は鯛の塩焼き他。そして雨。夜桜組は全滅だろう。家人と口論。耳鳴り酷し。

 

 

3/28・火

 また冷たい雨。菜種梅雨。家人は掛かりつけ医へ。するとやっぱり病院へ行った方がいいということになったと。再紹介状を持って早速タクシーを探しに行くが、此の天候だと中中つかまらず。実車と迎車と回送ばかり。結局大通りまで家人と歩いて行った。幸い回送車が止まってくれた。此の辺には詳しくないので道案内をしてくれと。練馬の車らしい。成程、回送とは自分の縄張りに帰ることなのね。運賃500円。

幸い直ぐの診察となる。去年掛かった循環器専門医がいらした。現在の頻脈状態(=多くて100ちょっと)は命に関わるような水準ではない。カテーテル手術で神経を焼き切るという選択もあるが、リスクもあるし、態態入院するのも大ごととなる。「ワソラン」という薬は一日六錠まで飲めるので何かあったらどんどん飲んで下さいと。つまりは経過観察である。頻脈の原因は神経性かもしれないとも。家人はオーバーだからな。二か月後の精密検査を予約した。医療費140円。タクシーは来そうにないので小雨の中を歩いて帰宅。行って帰って一時間半。

今日も講習。遅れて出社。次第に晴れたが、態度の悪い小学生に激昂す。途中退場。最近感情の制御が出来ない。碑文谷の北浜と味の郷で刺身と総菜。五時くらいから飲み始めた。締めはうどんを茹でた。優子さんから電話連絡。秋子伯母さんも具合が悪いそう。意識混濁の寝た切り状態。九十四になったのだそう。

 

 

3/27・月

 バフムートは何とか持ちこたえたよう。ウ軍も被害甚大らしいけど。最近は報道も減ってきている。名古屋のマンションから双子の男の子が落ちて可哀そうなことに。大体高い所は人が住むところではない。吾人の生活は一階と二階。職場も中二階。偶に商業施設に行ったりホテルに泊まったりして高い所に行くが、恐ろしくて仕様がない。当然火事が起きたら地震が来たらと思うこともあるが、高い所には魔物が住んでいるから、時時手招きされて、大人でも窓の外に吸い出されて仕舞う。其れが一番恐ろしい。多少不便な所でも地べたに接した所に住んだ方がいい。増して子連れならば。

思ったより晴れず。お昼に出社。今日から春の講習。小学理科、小学国語、中学国語と完走した。すると家人からまた心臓がおかしいと連絡が。飲まず食わずで急いで帰宅。八時過ぎ。薬が効いて落ち着いたよう。家にある物を食べた。こうも度度だと困りました。十時就寝。203入居。ちなみに保証人は勤め先の社長さん。久久の満室御礼。

今日の夕刊には経費節減の為に、四国の駅がバス停みたいなものに建て替えられているという記事。眼を疑うね。幾らか自治体が出すべきであろう。街の玄関だもの。公民館とは言わないから、せめて集会所並みにして欲しい。人が集う所でしょう。800万で出来る筈。

 

 

3/26・日

 日曜朝は、日曜朝。どうという番組ではないけど、Aと其の周辺は此の番組を目の敵にしていたのだそう。うーん、可笑しいな。大体、正しいことをやっているという認識があれば、わざわざ攻撃しないよね。千万人と雖も我行かん的になる筈。詰まり彼らには何処かしら間違ったことを進めているという認識があったのだと思う。だから万事に対して自信がなく、何処か被害妄想的になり、僅かな批判にも過剰に反応するようになる。A政権というのは、戦後体制に対するアンチ、詰まりヤンキー政権だったからね。なお今回の事件、公開された総務省の文書によると、Aの補佐官がやや突出して動いていた模様。元官僚の当時参議院議員。遅れて政界入りしたから、早く出世しようと躍起になっていたみたい。権力はそう言う人を取り込んで行くからね。

 引き続き雨。乗り鉄を始めて凡そ三十年。調べたところ、横手に二回、宇和島に二回、三次と宮古に三回泊まっている。何れも交通の要衝。鉄道の結節点。鉄路がなければ、恐らく行かない街でもある。増毛や留萌、夕張、様似、江差陸別蛸島三段峡、高千穂、行きたかったな。大雨だけど、昼は表に出た。地元の回転寿司でビール一、酒二。三千円。以後大量午睡。夕方に漸く止んだ。早速ゴミ拾い。遅めの晩は昨日買ったスーパーの酢豚プラス買い置き食品。大量購入した(北海道産)カマンベールチーズなど。家人にも赤ワインを飲ませた。締めは蕎麦を茹でた。正月用に用意した一升瓶三本を漸く飲み切った。

 

 

3/25・土

 昨日からずっと冷たい雨。花見会は敢え無く中止に。天候×それぞれのスケジュール×花、全て合う日はなかなかないのです。朝はラーメンライス。という訳で再び日誌の整理。日帰りの遠足などもピックアップ。あの旅行とあの合宿、あの人とあそこに行っていたのだと様様な記憶が蘇って繋がる。暫しの時間旅行。すると優子さんから電話がある。相続手続きに入りたいので、固定資産税の明細書を送って欲しいと。2023年に引き戻された。直ちに作成。

昼はスーパーのカツサンド。とまあこうして数日来、やや膨大な記録と向き合った。2011年以前のものは紙のみ(大学ノートに手書き、一部は感熱紙)。以後はPC上。検索は後者の方が楽だけど、全体を俯瞰して探すのには紙面上の方が捗る。電子書籍が普及しない訳である。ざっと目を通すことが出来ないからね。夕前には漸く止んだ。本日はずっとオフィス労働者のよう。

雨天振り替え企画として蒲田で飲みましょうということになる。碑文谷まで歩いて東横線。依然として車掌さんは乗務しているようだけど、見ているだけで何もしていない感じ(ドア扱い無し)。なんだかちょっと可哀想。みなさんどうなるのでしょうか。多摩川駅で乗り換え、蒲田の東急口へ。六時着。参加者は須々木さんと佑子さん。奥野さんの案内で、まず「ジェントルマン」という立ち飲み屋へ参る。赤星大瓶430円の店。格安である。ニュー立ち飲み店と言ったところ。繁盛している。皆さんと隅っこの円卓で飲む。なお此処はキャッシュオンデリバリー。今時珍しい。幾ら飲んだか分からなくなるね(嘗てのBもそうだったけど、税務署から指導されて伝票方式になったと聞いた)。するとふいにあゆみさんの「ともだち」が流れた。有線経由。世間的にはマイナーヒット曲だけど、吾人は良く聴きました。忽ち1989年(=高校一年)に引き戻される。あの夏、あの学校(神奈川の橙隠学園)、あの日日・・・・、色色なものが急に思い出される。まだ酒も鉄も知らなかった・・・。こういう場合は不思議な感覚になる。集団の中でただ一人だけの時間旅行。而も前触れ無し。痺れたね。五分後、フルコーラス終了。再び2023年に戻された。

続いて二軒目探し。満員の「鳥万」には断られる。「豚番長」で再びの立ち飲み。続いて三軒目探し。並びの「横綱」は既に看板。近くの「金春」で締めた。全部で四千円。案外安い。ということで、幾らか先輩方が出してくれたようです。十時半解散。多摩川線から東横線に乗り換え。すると着信がある。またまた脈がおかしいと。そろそろ救急車を呼ぼうかと。そんな馬鹿な。急いで帰ったら、ケロリンと歯磨きしていた。無事なよう。シャワー入浴して就寝。なお多摩川の「梅もと」が閉店していた。残念です。

 

 

3/24・金

 Kはウクライナ大統領に「必勝しゃもじ」を手渡したそう。甲子園か何かと間違えているなあ。せめて平和と書くよな。本当に馬鹿だ。なお地上波はずっと野球をやっている。世界試合はとっくに終わっていますけど。何時まで騒ぐの。だからみんなテレビを見なくなる。

雨は止んだ。資源ゴミの整理と潰れた蛙の片づけ。うちの庭から這い出たものだろう。側溝に水葬。お亡くなりになったもの専用火ばさみで執り行う。引き続き、旅行記録の整理。途中シロの予防注射。なお先生の所には新たなワンちゃんが。悪質ブリーダーから引き取ったとのこと。ずっとゲージに閉じ込められていてトイレの仕方も分からなかったらしい。酷い話である。余生は快適にね。

昼は食堂の弁当。本日休講日で不出社。午後もラジオを聞きながら、日記巡りと明日の花見会の準備。併し数年来もやっていないとなると、何を持って行くべきか忘れているよね。寒気が入り夕前から雨。二晩続けてのあり合わせとなる。鮭の缶詰、冷凍餃子等。それにしても大学生の時分は遊んでいるね。大学二年の夏(=1993年)など、泊りの旅行だけで五回。実に十五泊もしている。車中一泊、船中一泊、野宿一泊を含む。二十代までは青春18きっぷ周遊券大垣夜行、「ムーンライトながら」もたびたび登場している。意味もなく、大垣まで行って帰ったり、新宮夜行に乗ったり、両夜行(ながら)で高野山に行ったりしている。元気だったな。

 

 

3/23・木

 朝は曇る。以後弱い雨。日記を漁り、吾人の旅行記録を作る。学生時分は、毎月のようにゼミかサークルの合宿。合間合間に乗り鉄の一人旅。よく出掛けているね。なお痛い記述が続続と。何しろ、サークル二つ、ゼミも二つ。色色とありましたよ。いいことも悪いことも。卒業以来一度も会っていない人も多数。みんな元気かな。なおワープロ時代に感熱紙を貼りつけた部分はかすれて読めず。やっぱり手書きかデジタル化しないとね。

また昼はレトルトカレー。午後も日誌の探索。すると家人が心臓の具合が悪いと宣う。また頻脈らしい。生憎掛かりつけ医は休診日。別の内科診療所を探して参るも、何だか混雑していてラチが明かない感じ(而も此方は消化器内科)。矢張り大病院の方がいいということになる。昨年掛かった病院に緊急電話。直ぐに来て下さいとのこと。タクシーを仕立てて、救急外来に転進。早速処置室に入る。其処は亡父が入った隣りの部屋であった。心電図等を付けて待つこと暫し。吾人は蚊帳の外。また此のやや暗い待ち合いである。嫌な思い出が蘇るね。すると特に異状はないとのこと。前回も処方された「ワソラン」という薬を持って帰る。薬代を含めて医療費は1380円(一割にしても安い)。タクシー代往復1200円。行って帰って丁度二時間。

いや併し、疲れたね。家人も齢だけど、入院訓練のようなことは止めて頂きたいです。そもそも花粉が嫌で閉じ籠っているから気が滞る。此処は東洋医学で。晩は冷凍食品など。暖気が入り、夜は南の雨。湯船入浴。家人は安心して長電話していた。傍受すると、どうにも何かの情報誌を目にしてより不安に感じていたらしい。急性心筋梗塞とか、滅多にならないよね。

 

 

3/22・水

 晴れ。引き続き世界野球決勝戦。日米戦。息詰まる投手戦になる。最後はオータニ君が投げて勝った。こういう展開があるのだね。野球というのは不思議なスポーツである。俗に野球の神様のなせる業かしらん。

午後出社。近所の桜も満開に。春の講習の準備など。生徒少なし。八時前の退社。Bに参る。地上波では午前の試合を再放送。皆さん三三五五に集まり、改めて観戦会。凡そ二千円。帰宅後お茶漬けなど。

 

 

3/21・火

 検察側は特別抗告を断念。袴田さん事件は再審開始。無罪へ。一日でも早くして欲しい。午前中は野球観戦。日墨戦。アットフロリダ。東京で(中国、チェコ、イタリーに)勝ったのは当たり前。此処からが本番である。激闘の末に見事な逆転サヨナラ勝ち。やっぱり野球は面白い。併しまた大騒ぎかと思うとうんざりするのだが、御蔭でKのウクライナ訪問がどうでもいいニュースに格下げされた点ではよかった。ところで何しに行ったのだ。今更行ったところでね。恐らく有名人のサインを集めているのでしょう。其れとも駅のスタンプかしら。一方、国家主席はモスコーを訪問。和平を促したとか。うーん、黒い国でも赤い国でも何とかして欲しい。

 概ね曇る。旗日である。昼はスーパーのとんかつ弁当。650円。胡瓜をプラス。庭の桃は満開。ソメイヨシノはまだのよう。他に不動産屋の大沢さんの訪問。205の人はまた滞納していると。困りました。午後は文化放送を掛けながら日記の整理。芥田先生と行った合宿旅行記録を纏める。1997年から2015年まで実に15回も出掛けていました。晩は残り物と鰤を焼いた。隣りの建物は外灯も消える。御蔭で暗いくらい。

 東京の朝刊には、アベノミクスの指南役=国際的な経済学者のインタビュー記事。曰く「賃金が上がらなかったのは予想外」だったそう。企業の収益は改善したが「ツケが川下(の中小企業や労働者)に回った」とも。「普通の経済学の教科書には、需要が高まっていけば実質賃金も上がっていくはずだと書いてある。ツケを川下の方に回すようなシステムで調整されるなんてことは書いていない」と。いや併し、資本主義というものはそういうものです。常に周辺を巻き込んで発展して行く。ずっと昔は新大陸、少し前までは途上国・・・。最近は収奪する外部世界が無くなったので、内的なものから搾取を強めることとなった。即ち、国内の労働者の非正規化であり、ギグワーカー化である。だから賃金は上がらず消費も増えず=戦前みたいな社会に逆戻り。簡単な理屈だけどね。いいですか、資本主義と言うものは怪物なのです。此れに対抗するには労働法制の強化しかありません。

 

 

3/20・月

 朝食時には大瓶を一本。続いてチェックアウト。非組合員は二食付きで9000円でした。天気も良い。さて大涌谷に向かう前に思い出の地を探す。此処仙石原には99年夏に芥田先生と訪れている。確か、夜中に花火をやって宿の人に怒られた思い出が。我我も結構悪いことをしているね。当時の宿(=芹沢荘)は探し当てたけど、現在休業中とのこと。あらまあ。早く復活して下さい。

谷間の平日だが箱根は大勢来ていた。大涌谷駐車場は二十分待ち。外国人観光客多し。黒たまごのオブジェには写真待ちの行列が出来ていた。それにしても関東人の旅行は箱根に始まり箱根に終わると言われているが、廃業休館多し。経費節減の為に保養所なんぞは真っ先に閉鎖されているよう。そもそも正規社員がいないよね。

 再び御殿場に降りる。まだお昼前なので暫し246を流す。松田の「ガキ大将」という店でラーメン休憩。昔流行ったチェーン店のよう。味噌ネギチャーシュー麺。1000円。まあまあ旨い。続いて近くの公園を散策。東名に少し乗り、港北インター下車。後部座席の吾人はうつらうつら。妻子さんが待っている鷺の間君とは此処でお別れ。吾人は中原街道を上って職場付近で降ろして貰う。其のまま出社。本日は穴の開いたジーパンである。目ざとい生徒からは何時もと違うと指摘される。ファッションショーに行って来たのだと言い返した。

 九時過ぎの定時退社。Bで三杯1560円。久久に11系統に乗る。環七からも09系統に乗り換えて急いで帰った。幸い家人はケロリンとしていた。朝の定時連絡では心の臓の調子が悪いとか言ってなかったっけ。蚊の鳴くような声で。仮病を使われた。一種の嫉妬心だね。なお今回の旅行は吾人が計画したものではありません。花粉は辛うじてセーフ。それにしてもゴルフでも出来ればもう一泊したのだろうけど。何しろ誰も出来ない。特に若い人は。今更練習とかしないよね。合宿ゴルフ訓練とかあれば何かの間違いで行くかもしれないと思った。未経験でも四泊五日でフェアーウェイに出られますとかやって欲しい。

注・・「あなたたちは大学生でしょう」と女将さんに怒られた。そんなに騒いだ積りはなかったのだけど。

 

 

3/19・日

 昼前に月波君が来て直ぐに出発。いざ箱根へ。まず鷺の間君を拾いに行くのだが、同一方向なので川崎の伯母叔父の所へ梅酒を序で搬送。二升半。続いて日吉郊外へ移動。時間調整がてら「おしどり寿司」で軽い昼食。鷺の間君と合流して東名高速へ乗る。日曜だが下りも混んでいて、海老名付近はかなりの渋滞。右ルートが使えないとかでもう一度渋滞。御殿場下車。駅前でお酒と御殿場ハムを購入。今回は鷺の間君の健康保険組合の施設を利用させて貰うことになった。山を登り仙石原到着。四時過ぎ。鷺の間君は公益財団法人勤務の筈だが、健保は出版系の組合になるのだそう。一応、勉強しましょうということで月波君が用意した資料を素にミニゼミナール。缶ビールを注ぎながら、丸山大先生の『政治の世界』を一小節。なお鷺の間君は社会人大学院の一過程を終了。月波君も放送大学を二度目の卒業だそう。勉強熱心だね。だから一種の卒業旅行ということになります。

 続いて夕飯となる。他客もまあまあ。出版関係の施設だから皆さんお行儀もよさそう。そもそも若い人もいない。出版社正社員=中高年ばかりだもの。なお此処は酒が安い。スーパードライ大瓶400円、日本酒小瓶450円。原価プラス手数料での提供。酒販組合の宿のよう。どんどんと追加注文す。其の後再入浴。広い湯船は循環方式だった。それにしても不思議だな、保養所とか研修所と言うものに久久に泊ったが、旅館やホテルとは何かが違う。部屋も眺めもいいし、布団も敷いてくれる。やっぱり何かが。フロントの位置かな。内装かな。何か勉強しなくてはならないような雰囲気がある。それにしても保険組合というのは日本に幾つあるのでしょう。吾人はずっと国保ですが、それぞれが保養所を持っていたとしたら膨大に数になるよね。月波君が持って来た特捜最前線のDVDを見ながら就寝。

 

 

3/18・土

 今日から東急線は大幅値上げ。なお東横線はワンマン=コンダクターレス運転だと。余った車掌さんはどうなるの。日韓首脳会談は終わったみたい。此れ自体はいいことなのだろうけど。日中まで行って貰わないとなあ。ロシア大統領に逮捕状。子ども連れ去りの件で。目の前にいたら、吾人も私人逮捕したいです。毎日新聞によるとコロナワクチンの廃棄は8000万回分で二千億余だそう。案外安かった。

 昨夜から冷たい雨。朝は中カレー。二度寝の後、止み間があったので「せい家」で付け麵(650円)。漸く食べ足りた感じ。家人にはてんやの上天丼弁当。500円にセール中。絶賛安い外食生活。夕方には本当に止んだ。月波君が乗用車を持って来たので、旅の打ち合わせ。「まり花」という大衆酒場へ。所謂ネオ系というやつかな。意外にも店内は若い女性でいっぱい。合コンらしきものも執り行われていた。続いて「華星」へ転進。八時には散会。

 

 

3/17・金

 愛知県は児童生徒に年に三日の公休日を設けると。学校も休んでいいんです。皆勤賞など異様なことです。キハ183、651系電車の最後の定期運転の日。後任は283系と257系。どちらも編成車両数は減少。大丈夫かしら。特に高崎線系統。混んだ特急より空いた普通列車というのが旅の鉄則。それにしても吾人最後の渡道は2010年。はやて⇒白鳥⇒北斗⇒おおぞら⇒根室往復⇒釧網線⇒オホーツク⇔小樽往復。あの頃は車内販売があり、カニ飯なんかを座席まで運んで来てくれました。帰りは北斗星。楽しかったなあ。

朝から曇天。ひんやりするも此れで平年並みだそう。カレーを自作。テレビは狂ったように野球ばかり。一切見ませんけど。午後出社。退社後はBへ。昼のカレーが足りなかった。家人が見張っていたので御飯少な目だった。鰺の刺身、鶏の唐揚げ、ポテトフライ。ビール、ホッピー、中も追加。二千円。傘差し帰宅。更にカレー小、菓子パンの残り、カップうどん、白ワイン。欠食おじさんの恨みは凄いのであった。

 

 

3/16・木

 春闘は満額回答だそう。どの会社も横並びなのが日本的かな。やれば出来た。もっと早くやって欲しかった。石垣島にはミサイル基地が作られる。当初は小さな監視所だった筈。あっという間に基地の島に。観光客も来なくなります。こうなることは目に見えていた。誘致した人は反省して欲しいです。

六時まで直通睡眠。今日も晴れ。昼は富久美のチキン南蛮弁当(650円)。一月の電気使用量432キロ、前年比八割。寒い割に頑張った。其れでも1.5万円余。二月のガスは24立米。此れも前年比八割。五千円。なお今月から政府補助が入っている。ガスは一立米30円、電気は一キロ7円だそう。となると3774円安くなっていることになります。長く空いた203も漸く決まる。外国の方。初めてだね。正社員だというから大丈夫だろう。サービス業は外国の方がなくては成り立たないしね。Bの新店長も確かバングラデシュの方。仕事も出来ますよ。午睡、シャワー入浴の後、近くのスーパーへ。天然の真鯛があったので塩焼きにした。旨かった。稀にこういう出物がある。他は貰い物の国産鰻丼。中瓶一、日本酒二。

 

 

3/15・水

 全く国会に出て来ない参議院議員がクビになる。除名処分は戦後三人目だそう。そもそも登院しないという人を当選させては拙かった。もう少し真面な人は幾らでも居るでしょう。ちゃんとした人を選ばないと。それにしてもね、不登院というひょっとしたら独裁とか全体政治に対する一つの抵抗手段になりえたかもしれない方法を、こういう極めて下らない案件で潰して仕舞ったことは、此の国の将来に禍根を残すかもしれません。とまあ、こんなことを言ったところで、本人には全く分からないだろうけど。残念です。シリコンバレー銀行が破綻。名前から言ってもちょっと危なそう。アメリカの景気が失速すれば再び円高に振れる。物価は下がる(というか元に戻る)。此れで給料が上がれば、待望の消費回復、景気上昇、デフレ脱却。

 朝から晴れ。昼前に久久に獣医の所へ。まずグレの予防注射から。6600円。ちゃんと来たのはシロの点滴以来。昨年の五月以来かしら。何時の間にか隣りはコーヒーショップになり、先生の所の白い大型犬は年末に亡くなったそう。そうでしたか。なおグレはちょっと痩せたそう。3.5キロ。気が付かなかった。元気だけどね。ちなみに(柴)犬の緑内障検診を勧めるポスターが張られていた。よくそんなことを考えついたね。仮にそうだと診断されても、目薬なんて差せないよね。

 午後出社。くしゃみ酷し。堪らず抗ヒスタミン。たちどころに収まった。よく効く。一日六錠の所を一錠だけだから腎臓も大丈夫だろう。八時前の退社。須々木さんが開発した新店へ。刺身三点盛り1200円。ビール一、日本酒二。続いてBへ。村田さんも加えて花見会の打ち合わせ。併し高瀬さんが来たので緊急解散。飲み足りない吾人はバーI。此処も久久に来た。先週は新婚旅行に行っていたのだそう。併し御客が少なくて大変だと。たこ焼きをつまみに、二杯ずつ飲んで飲ませた。全部で八千円。帰宅は十二時過ぎ。軽めのシャワー入浴。

 

 

3/14・火

 今度の改定から東日本は時差定期券を売り出す。平日朝の一時間半だけ使えないが、一割ほど値引くのだと。電車特定区間内限定。アイデアは結構昔からあったが、コロナ禍が其の実現を早めたという感じになる。私鉄各社も見習って欲しい。

朝はややひんやり。曇り。牛乳が余っているというのでなるべく飲もうとは思うのだが幾らも飲めず。精精一週間で一リットル。チーズもバターもヨーグルトも食べることは食べるけど高が知れている。そう言えば牛肉もあんまり食べない。ステーキ、焼き肉はそもそも縁遠い。牛丼(但し外国産牛)も前ほど食べなくなった。偶のすき焼きぐらい。とんかつや焼き鳥、から揚げはしばしば食べるけど。他肉に比べて消化に力がいるのだと思う。畜産も曲がり角だね。国内は年寄りばかりだもの。そもそも何で乳牛さんを増やしたのでしょう。数年前のバター不足が端緒だったそうですが。とんでもなく需要予測を間違えた。

 次第に晴れる。吾人の昼は自作のラーメンと小ライス(百円相当)。家人には食堂の弁当(700円)。なお最近トイレが詰まったという。前もあった。築三年なのに。新型=節水タイプのトイレは駄目である。もっと水を流して下さいと言うより他がなかった。続いて家人が下した現金をゆうちょ銀行へ搬送。銀行口座も処分する年齢である。下ろせる金額に限度があるから面倒臭いこと限りなし。機械から機械へ送金して貰えれば楽なのだが。家の中にいても目が痒い。晩は冷凍鶏肉を使い今季最後の鍋物。此の処は耳鳴りも酷い。

 

 

3/13・月

 取り立ててマスクをしろと言われたことはないのだが、マスクを取っても構わないと言われた日。併し花粉が酷いから当分取れません。そもそもマスクに法的根拠があるのでしょうか。

 連日の高温により桃も開花する。前線接近の為、次第に雨。花粉よ落ちよ。昼前後はかなりの雨。以後出社。新年度の教材の発注など。さてさて当学院もマスクをしましようという掲示物や入口のアルコールも撤去。手指の消毒など凡そ意味はなかった(コロナは呼吸器の疾病です)。九時過ぎの退社後はBで二杯のみ。1300円。北風強し。其のまま帰るも花粉に巻かれ目と鼻が中破。酷いね。洗眼後納豆ライス。併しやっぱり足りない。更に冷凍パスタとシャワー入浴と日本酒半合。それでもあちこち痒くて抗ヒスタミン。本日の酒税150円くらい。

 

 

3/12・日

 それにしても放送法をネタに色色と政権に食い込まれた案件であるが、テレビがもう少し元気な時ならば、民放各社一丸となって抵抗しただろうと思う。落ち目な時ほど、介入されるし、また過剰に忖度して仕舞うのである。いっそもっと落ち切って仕舞えば絡まれることもない。ラジオなんて、自由そのものである。一方何市大臣は摩訶不思議な理屈を言い立てて地位に留まるそう。見苦しいだけである。

 先週の飲み鉄の集計。行きの電車でビール一、大月の食堂で日本酒一、更にワンカップ一。甲府の立ち飲みでかち割りワイン。宿で大瓶一、日本酒二。二日目は熱海でビール一、日本酒二。ロマンスカーハイボールのロング缶一。酒税は450円くらい。

 未明の「深夜便」からは「卒業」が流れた。学校=支配からの卒業。今から思っても八十年代の学校教育は酷かった。いじめ、校内暴力、体罰も含めた超管理、何でもありだった。何しろ子どもの数が多かったからなあ。大人と子どもが必要以上に対立して仕舞ったという点では不幸な時代だったと思う。なお折角卒業しても大学前は大渋滞。大学はそもそもの定員が足りなかった。あれから四十年、児童生徒の数は半分になったけど、なかなか量から質への転換が図られたようにも思えず。何しろ予算が少ないからね。こういう所が日本の競争力を落としているように思える。困りました。それにしても此の人はA学院大学の付属高校を中途退学。大学まで上がればまた印象も違ったと思う(サザンの人など自由そのもの)。日本の学校は小中高(=管理)と大学(=自由)との差があり過ぎるから。尤も其れではあの鋭さは生まれなかっただろうが。

朝から薄曇り。既に五月の陽気だそう。少し出歩こうと思った。バスで自由が丘へ。併し此の渋谷11系統も一時間に四本になっている。エライ減便。高収益路線な筈なのだけど。ドライバーが足りないのかな。案の定、日曜の朝から満員に。実質的な値上げであると思った。さてさて駅前の本屋で『満蒙開拓団』。続いてやっぱり「元祖寿司」。ネタは何だか乏しいが、舎利と握りは熱海の店よりうまい。ビール一、日本酒一。鰯三皿、白身の叩き軍艦二皿他。2480円。帰りは歩いた。辛うじて花粉は許容範囲。帰宅後直ぐに眼を洗う。一万歩。夕方前湯船入浴。やっぱりくしゃみ止まらず。晩はドミノピザ。四割引きで2500円だった。中瓶一、ワイン一合。本日の酒税240円。

なお11系統は渋谷まで行かない便が現れる。特に平日昼前。四本のうち三本が三宿の交差点で折り返し。そんな馬鹿な。上越新幹線が高崎始発になるようなもの。12系統に続いて大鉈が振るわれたよう。乗り換えのなさがバスの利点だったのに。電車は値上げ、バスは減便。酷いね東急グループも。と言っても減るばかりでもない。品川方面は今月から新系統が就航。大井町に行ったりする。但し一日数本程度。凡そ使えるようには思えず。どういう方針なのでしょう。

 

 

3/11・土

 アメリカの国家予算は七兆ドルに迫るという。日本円で900兆以上。幾らGDPが四倍だとしても大した金額だと思った(一ドル100円でも700兆円)。それでも多くの国民は満足に医者にも掛かれないし大学にも入れない。国防費に120兆円も使っているからであろう。

穏やかに晴れて暖かい。東電管内の太陽光発電は昼前に1400万キロワット。賄い率は五割にも及んだ。朝はレトルトカレー。プラス胡瓜一本。昼は肉南蛮そばを自作。時折『ひとり居の記』。著者は吾人より三十歳上。吾人もあと三十年は旅したいなあ。晩はスーパーの総菜など。花粉が酷くて遠くへ行けない。

 

 

3/10・金

 朝方に一瞬降ったけど、予報された春雷は何も来ず。久留里線に乗ろうと思ってダイヤを検討する。一応八往復は走っているが昼の列車は一本しかない。詰まり終点に行っても直ぐ折り返すしかないよう。此れではねえ。非常に暖かく、花粉酷し。

 午後出社。九時過ぎの退社後はBに参る。皆さん、奥の方で野球観戦中。日韓のプロ試合。併し七時に始まった試合が十一時近くになっても終わらず。どうしてそんなに長いのよ。閉店にあわせて退散す。二千円。帰宅後シャワー入浴。今年初。其れでもくしゃみ止まらず。以後カップ麺。添付の汁はほんのひと回しのみ。減塩である。

 

 

3/9・木

 第四の携帯電話会社で巨大詐欺横領事件。幹部社員がごっそり中抜きしていた。基地局建設を急ぐあまり出鱈目な請求書が通っていたそう。電話は巨大な装置産業である。一から作ることにそもそもの無理があるよね。久留里線の末端区間に早くもバス転換計画が示される。盲腸線は厳しいなあ。国内線を6600円で売り出したところ、日航の予約サイトがダウン。大安売りするのはローカル線だけにしたらどうでしょう。

 今日も晴れ。但し霞が掛かる。花粉かしら。梅は散り、沈丁花は満開、枝垂れ桃が膨らんでいる。先月の売電量258キロ、6192円。朝は冷凍のきしめん。昼はパスタを茹でた。余りの暑さに全身が弛緩。昏昏と午睡、いや春眠。買い物はせず家にある物を食べた。サッカーが終わったと思ったら、今度は野球が喧しい。テレビを消してラジオを点けた。午前午後は民放だが大抵の夜は「深夜便」。久久に野良が来る。年末までに来ていた猫と似ているがちょっと違う。耳カットされていたから何処かで飼われているのかもしれない。

 

 

3/8・水

 まあまあ晴れる。気温も高く、春本番といったところ。午後出社。高校の卒業式を終えたエミリさんが現れる。志望大学に入れるかは微妙だそう。高校三年の頃の進路選択などどうだったのだろう。必死になって世の中が見えている積りでもあっても、まだまだ目隠しされて歩いていたようなものであるなあ。

九時の退社後はBでニ三杯。1600円。夜の街は依然として静かな感じ。バーIも閉まっていた。花粉かな、其れとも物価高か。みんな出歩かない。入浴後、お茶漬け。

 

 

3/7・火

 徴用工問題で韓国が解決案。日本政府と日本企業も幾らかは出資しなくてはならないだろう。総務省の文書が流出。放送法の解釈を巡って政治家の横車が判明する。怒った官僚さんが野党議員に持ち込んだみたい。Aの後継者気取りだった何某市という政治家も愈愈御仕舞いだな。文書が本物なら辞任するとか述べていたから。新型ロケットの打ち上げは失敗。新型衛星ごと爆破指示。先月の中止事案から言ってもちょっと無理そうだった。

 朝から晴れた。昼前に祐天寺へ。王様書房で『JR時刻表』の三月号。大きな改定はないが、臨時列車が戻って来ていて紙上も賑やか。良かったです。『戦後日記』(三島由紀夫)を序で買い。続いて富久美で昼の弁当。何故かくじ引きで目黒区商品券千円分が当たった。運がいい。ちなみに三島は亡父と同じ年の生まれ。年齢=昭和なので分かりやすいです。晩はスーパーの鯛の刺身と半額の牛肉、和菓子屋の赤飯を買って来て自分で自分を祝って御仕舞。

 

 

3/6・月

 朝までまあまあ降った。以後曇る。花粉が大丈夫そうということで家人は買い物へ。すると掛かりつけの調剤薬局が今月末で閉じるのだと。あらまあ。あんまり繁盛していなかった。午後は薄晴れ。以後出社。何だか早く終わって仕舞う。久久に幾寅に一人で参る。Y君が働いていた。戻って来たみたい。まだまだたどたどしい。職務に集中出来るよう、あんまり話しかけないようにす。職業訓練のお礼代わりに速いペースで胃に詰め込んだ。続いてBへ。須々木さん以下、三三五五勢揃い。吾人の誕生日を祝ってくれるかのようであった。こうして四十代最後の一年が始まりました。二店で四千円弱。帰宅は十一時。足に軽い筋肉痛。一昨日は13キロも歩いたから。丸一日経ってから来たね。

 

 

3/5・日

 八王子の精神科病院が摘発される。患者が暴行死。看護師は逮捕。院長は不正の常習犯だそう。中国が和平仲介に動く向きがあるという。白い国でも、黒い国でも、兎に角何とかして欲しいと思うところもある。なお今週末から格安の「東日本パスファイナル」が発売。秋ほどは売れてないみたい。

概ね晴れ。早速旅費の精算。交通費概算七千円余。其の内ロマンスカー特急料金は750円。何時の間にかちょっと値上がりしていた。飲食費六千円強。宿泊費九千円。全部で二万円と少し。税金による補助は凡そ四千円。それにしても最近は良く乗っている。ローカル線を正規の運賃で。此の一二年だけでも、飯田線高山線福塩線芸備線木次線飯山線大糸線、そして身延線富山地鉄しなの鉄道やえちご鉄道にも乗った。此れも一種の恩返しだね。(キセルこそしてないが)若い頃は安い切符の一辺倒だったので。続いて旅の反省。やはり昼食は沼津の方が良かったかと。熱海の混雑は尋常ではなかった。「桃中軒」の駅蕎麦もあるし。また入力する経由地にはもっとマイナーな駅を入れればいいのではないかと思った。今回では猿橋善光寺函南とか。どちらにしても意地になって速くて高いコースを薦めて来るのには参った。

次第に曇る。旅の疲れが出たのか昏昏と午睡。夕飯前に買い物。昼は貰い物の鰻丼。晩は家人のお好み焼き。夜はひんやりす。飲み過ぎが祟り、かなりの胃痛。雨。

 

 

3/4・土

 未明に再入浴。散歩と簡単な朝食の後、チェックアウト。昨夜のアルコール代はクーポンでちょうど足りました。土産のお菓子650円を現金購入。なお番頭さん(?)は吾人より若い感じ。一人で泊まれる宿は少ないので頑張って下さいと激励す。朝日を浴びながら再び駅まで歩く。南アルプスかな、高い山は雪化粧。いい感じ。駅横には「下部ホテル」。高級宿である。本当は此れくらいのところに泊まりたかった。8時43分発の富士行きに乗車。二両のワンマン運転富士川に沿ってゆっくり進む。交換待ち多し。車内は閑散。富士山がぱっと見えると富士宮が近い。山あいからループ線のように降りて行く。此の景色は篠ノ井線から見渡す善光寺平に似ているね。漸く西富士宮から中量乗車。富士宮からは複線となる。富士到着10時24分。詳述は避けるけど、学会と復縁してくれた方が鉄道ファンとしては面白いのだけどねえ。折角複線にしたのだから。出来れば身延山まで行って欲しい。

東海道線で一駅進み、吉原へ。折角なので岳南電車に乗ろうと思った。ホーム後ろの専用の跨線橋を一人で渡る。車両は元井の頭線の昭和47年製。吾人より年上の車両を見ることも実に少なくなりました。二両の列車には地元のお客さんと鉄道系の人が半半くらい。当初逆向きの名古屋方面に走り、吉原本町の先でぐるっと方向転換する。地元の人も乗ったり降りたり。終点岳南江尾下車。運賃370円。此の線も貨物輸送がなくなり、一時は大変だったと聞いている。最近は夜景電車なども走らせているそう。何ともあれ頑張って欲しい。ちなみにただの江尾は伯備線にあり、此方はえびと読む。間違えないよな。

来た道を戻るのも何なので、東海道線まで徒歩連絡。巨大な富士を背に、田んぼの中の一本道を進む。時折振り返る。逆コースの方が良かったね。漱石は富士山には否定的だったようだけど、やっぱり富士はいい。其れに富士しか自慢するものがない帝国日本を批判したのだしね。ニキロも歩くと松林が近づいてくる。其処が東田子の浦駅であった。併し東という割りには本田子の浦があるという訳ではない。駅も戦後直ぐの開業だそう。此の辺りで乗り降りするのは初めてだね。再び湘南電車に。三両の沼津行きは大混雑。大荷物の人人は青春18きっぷであろうか。みんな節約旅行していると思った。終点で熱海行きに連絡。全員で跨線橋を上って下りる。毎回思うことだが此のぶつ切り運転、何とか成らないものかしら。沼津発三島行きなんて列車もあった。全部繋げて熱海まで行って欲しいです。なお熱海行きには転換クロスシート車が入っていた。名古屋近郊のライナーで使われていた車両。ロングシートばかりの東海区間ではちょっとした当たり。下車時にはニ列ほどシートの向きを変えておいた。次に乗って来る関東の人には転換出来ないだろうから。一日一善である。

さてさて熱海の駅前は空前人の出。真っ直ぐ歩けないほど。どの店も大行列である。若い人のグループが多い。卒業旅行かも知れないな。コロナ禍の三年間、みんな大変だったね。一人の吾人は「磯丸」に何とか潜り込んで、ビールとにぎり鮨。日本酒二。混雑していたが割と何でも直ぐに出て来る。併し力が入っているのかな、握りが強過ぎる。3500円で退散。駅に戻り、一番線でそばを食べた。「爽亭」というらしい。麺は冷凍だったけど、出汁は旨い。まさかNRE系かしら。小田原まで進んで、此の切符は任務終了となる。苦労して買った乗車券なので無効印を押して貰おうと思ったが、有人改札は大混雑。するっと通り抜けて持ち帰りました。続いて小田急ロマンスカーで町田へ。横浜線長津田。東急で早めの帰宅。五時前。幸い花粉はマスクで何とかなった。両日とも風が弱かったからであろう。1.8万歩。早速湯船入浴。やっぱり家の風呂がいいと思う瞬間である。晩はオリジン弁当。早速シロが入って来る。あんたの下僕は下部に行ってました、なんてな。

注・・「三四郎」の冒頭部分。

 

 

3/3・金

 さてさて天気も良くて風もない。旅行日和である。早速出発す。まずは高尾まで世田谷線京王線で移動す。旅立ちはもっと楽しい筈なのだが、何だかあんまり気分が優れない。月曜のショックが続いているよう。此処から先はJRである。乗車券を買わなくてはならない。目的地は山梨だが一筆コースを取って、下車駅は小田原とす。経由は中央線、身延線東海道線。さして難しい訳ではない。併し高尾駅みどりの窓口はない。例によって高性能な機械(=「指定席券売機」)に挑むが、色色とやっても此れがかすりもしないのである。困りました。中の人に出て来て貰って教えを乞う。するとトップ画面の乗換案内から入るのだそう。成程なるほど。経由地を甲府、富士、熱海と入力。併しながら、三島から新幹線に乗れだとか、八王子に一旦戻ってあずさを御利用下さいだとか、幾らやってもとんでもない経路を案内されるばかり。此れではまるでトラベルミステリーだよね。人を殺しに行く訳ではないのです。中の人も呆れていた。経由地にあずさの止まらない大月を加え、出発時刻を夜遅くにすると何とか出て来た。運賃4510円。有人窓口ならば一発で出してくれるのだけどね。そんなこんなのやり取りで少しはテンションが上がって来た。缶ビールを買って列車を待つ。

 十一時の甲府行きに乗ろうと思ったが、折り返しの列車が急病人看護をした関係で少し遅れた。ボックスシートに腰掛け、早速開栓。もう桜も咲き始めている。春は早いね。此の区間はつい四週間前に通ったのだが、其の時はあずさで走り抜けて仕舞った。今回は各駅に止まりながら通る。大月で途中下車。駅前食堂でうどんと日本酒休憩。駅に戻り後の列車に乗ろうと思っていると、「かいじ」がやって来る。大量降車。半分近くが外国人観光客のよう。大勢富士急行線に乗り換えて行った。インバウンドは戻っているね。後続の甲府行きに乗車。ロングシートだが構わずワンカップを開ける。盆地に降りると結構集客して甲府到着。改札外を一回り。ワイン立ち飲みコーナーがあったので一服す。こういう店もホーム上に欲しいね。行き交う列車を見ながらのお酒は一段と旨いですから。

此処から先は身延線なのだが本数が少ないので、特急を使うことにした。「ふじかわ10号」静岡行きを下部温泉まで。料金660円。やっぱり特急は普通列車よりいいね。自由席は二両。案外乗っている。短距離の客に加え、出張客も多いよう。前のお客はスマホを手繰って新幹線の予約をしていた。早速車内改札。車掌は二人体制の模様。残念ながら切符は見るだけ。検札印を押して欲しかったです。地方線区なので線路状況は良くないが、出せるところは出すと言った感じで進んでいく。加速の度にインバーターが轟く。東海ワイドビューシリーズのなかでは此の373系が一番若いかな。其れでももう三十歳に近い。ベテラン選手である。嘗ては東京駅にも来ていたよね。15時18分、下部温泉到着。丁度上下ふじかわのすれ違い。まあまあの下車客が居たのだが、駅は無人化されていた。

実は下部温泉には98年にゼミの合宿で来ている。其れ以来の再訪。だからちょっとしたセンチメンタルジャーニーでもある。今回の旅程に合わせて過去の記録も見直したのだが、旅館の名前も参加者の名前も分からず。当時の日記は内容が杜撰であった。確か此の年からゼミの単位が八単位になり、凡そ歴史や思想に何の関心もない学生が大勢入って来て、芥田先生も呆れられていた。レジュメがB5一枚なんてことがあった年である。合宿では鎌倉仏教に関しての本を読んだっけ。泥酔した学生が女中さんの部屋で寝て仕舞ったとかでエラく注意されました。旅館街を見て歩くも、何処の宿だったか判然とせず。休館廃館多し。果たしてあの宿は生き残っているのでしょうか。あの学生さんたちも元気かな。

予約した宿に入る。此処も全国旅行割引が適応されて二割引きの九千円。お土産クーポンも館内で消費出来るそう。併し予約サイトに書いてもあったけど、建物が古いなあ(一人で泊まれるのは此処しかなかった)。床はミシミシ、壁はハゲちょろけ、電灯は薄暗く、コンセントはたこ足配線。大丈夫かいな。美人若女将も見当たらず。気を取り直して、早速入浴。なお下部温泉は元元冷泉である。夏はいいけど、此の時期はちょっと無理。加温した湯船にだけ入りました。すると風呂の形には見覚えがある。ひょっとしたら此処だったのかもしれません。当時の番頭さんが居れば謝りたいですねえ。

六時から夕飯。一応出来立ての提供となる。各種先付け、鮭のお造り、てんぷらに、椀物、ほうとう鍋。イワナの一夜干しは旨かった。ビール一、日本酒二。そう言えば、あの学生さんたちは、(旅館食よりも)ハンバーグが食いたいとか言っていた。つくづく思想とか酒とかに合わない人たちであった。其れでも三日目は身延山まで出掛けたっけ。全てが懐かしい。なお他客は高齢夫婦のみ。素泊まりの人もいたようだけど、此の巨大な旅館でお客が数名ではね。従業員さんの方が多いほど。吾人が支配人だったらどうするかなあ。大工さんに半年ほど弟子入りして技術を身に付け、あちこち直すな。壁紙とか床とか・・・。出来る範囲をこつこつと。そんなことを思い出したり、考えたりしている内に、夫婦組はさっと部屋に戻り、食堂は吾人ひとりに。衆人環視。俗に、「まだ食べてるんですか?」状態になる。急いで浚って、少し残した。

以後漫然と公共放送を見る。七時半からは山梨ローカル枠。甲府の老舗百貨店の縮小再オープンを伝えていた。それにしても山梨県の人口は世田谷区より少ない筈。どれだけ受信料が集まっているかは知らないけど、県内番組では多分赤字だろう。公共放送は其れでもいいけど、民間放送はどうなるのだろう。早晩百貨店と同じ運命に・・・。やっぱり考えが何処かネガティブになっていると思った。九時には就寝。

注・・「まだ食ってる途中でしょうが!」の従業員モードです。 

 

 

3/2・木

 ギリシャ鉄道事故。複線区間だが正面衝突して仕舞った。コオロギを食材に使う計画があるそう。何でも繁殖が容易で安価なタンパク源になり得ると。昆虫食というものもあるところにはあるけれど(=長野県とか)、一般化は難しいだろう。食は歴史と文化に結びついているから。慣習を変えるのは容易ではないし苦痛を伴う。肉類が絶滅したら吾人も大豆食品を食べます。

今日も晴れ。朝二番の血圧141の88。昼は残カレーを少し。少し痩せなくてはならないと思った。暖かいので換気扇の掃除など。家人には食堂の弁当。午後は曇って北の強風。三丁目の肉屋に牛肉を買いに行く。ちょっと出ただけで目と鼻が中破。晩は落とし肉で簡単すき焼き。

 

 

3/1・水

 福岡の老舗旅館でレジオネラ菌被害。源泉かけ流しと言いながら循環風呂だったそう。そんな馬鹿な。かけ流しって何なのでしょう。捨てるほど出て来るものが温泉のイメージだけど、実際はそうでもないらしい。一説には温泉宿が増えすぎて枯渇しているのだとも。卵は足りなくなるが、牛乳は余るという事態に。何とかならないものかね。牛乳オムレツ?

朝方は曇る。さてさて弥生三月、吾人の誕生月である。明るく生きましょう。隣りの物件には見学者。買い手が付くのだろうか。解体建て替えだけはやめて欲しい。昼は残りカレー。午後出社。オンマスクでも花粉酷し。今季初の抗ヒスタミン。都立高校の発表日。吾人が担当した子は合格しました。親子で挨拶される。真面目な子で熱心に勉強していたけど入塾が遅かったよね。半年程度では大して伸ばせない大して儲からないし。八時の退社。久久に本店へ。続いて駅前店へ。二店で2500円。前者では高瀬さん、後者では岡田さんと会った。帰宅は十一時。直ぐに入浴。夜も暖かい。夜に春一番だそう。