8/31・土
来年度の概算要求は117兆円にも及ぶと。防衛費は八兆超。そんなに出すなら、空襲被害者や原爆体験者、水俣病の未認定者に補償金を、徴用工と毒ガス被害者へは見舞金と色色と出せるよなあ。件の知事は百条委員会へ出席。パワハラは指導の一環だったとケロリンとしていた。寧ろ全国の注目を浴びて喜んでいるのかもしれない。凄い人です。
鈍足台風は四国を出た辺り。以後熱帯低気圧となる見込み。全ての鉄路が止まっているので伊豆や熱海は陸の孤島に。昨日なら船を出せたのに。昼過ぎに新幹線は三島まで動いた。併し三島以西は明日も運休だそう。本体の雨雲が近づき、中央西線も止まる。ああ貴重な迂回路が。木曽路は無理だよね。また小田急線も盛り土崩落。被害甚大である。なお高速バスと飛行機は動いている。
都内は概ね曇り、時時薄日。蒸して暑い。一日休んだので力が蘇る。まずゴミ拾いで汗ぐっしょり。続いて草蔦取り。何もしない隣家は給湯器まで埋もれている。大丈夫かいな。多少越境取りもした。大量です。とても袋には入らないので暫く放置。小一時間で汗どっちゃり。以後水シャワー。隣りの奥さんから帰省土産貰う。いわきの「長久保」の漬け物セット。昼前に「ベルクス」へ。此の店も出来てふた月くらい経ったかと。繁盛している。矢張り生鮮三品が良いとお客は来ます。昼の弁当と夜の牛肉を購入。吾人の昼は家人のおにぎり。二時間くらい陽に当てた蔦を一袋収容。曇って来たのでもう一袋。此れで全部で七袋。夜は一瞬雷雨。大して降らず。いい加減にもう水蒸気がなくなったのだと思う。明日は走るかな、新幹線。こうして八月が終了す。
今月の備忘録
一、地元のパチンコ店は解体ではなかった。大規模改築してアメリカの大学の支店になるそう。エライ向学心だと思った。二、そう言えば劇症型溶連菌はどうなったのでしょう。また病気クルクル詐欺にやられたか。三、そう言えば、中田はどうなったのでしょう。やっぱり体が持たなかったかと。四、選挙で惨敗したRH氏は、自分は人気者であると信じていた節がある。うーむ、吾人は決してアンチではないが、其れは大きな誤解ですと言いたいね。政治家と言うものが如何に頓珍漢な世界の住人であるかを示す一つの例と言えるだろう。同じことがエダノンや勇者ヨシヒコにも言えます。もっと我が身を振り返って欲しいです。何で政権が潰れたのか。何を間違えたのか。五、8/3、晴雷亭では、須々木さんと金子さんとで話が盛り上がった。両方の父君が満鉄に関係があったそう。抑留されたとかされなかったとか。こういう親世代の記憶を留めておく必要があると感じた。
8/30・金
鈍足台風は未だに九州付近に。中心気圧は990だと。東海道新幹線は今日から計画運休。其れを知って急いで出掛けた人が昨夜は缶詰めになった。多くのプロ野球選手も巻き込まれ、あちこちの試合が中止になる。今夏だけで三回目の大混乱。例によって迂回路が混雑。敦賀延伸があって助かったというべきか。また「しなの」は人で溢れたそう。塩尻行きの臨時快速も出たというから鉄心が動いて仕舞いました。
昨夕からずっと雨。暑くはないが、除湿の為に時時弱冷房。ほぼ梅雨である。しかも末期クラスの。東海から関東の雨雲も少しずつ東に動いているが、台風本体同様非常に遅い。午後は止み間も出来たが、箱根周辺はずっと大雨。運休は明日も続くと。試しに貨物のページを見ると96時間手配の文字。此れは四日も遅れるということになります。本日の代講は欠勤。夕方近所のスーパーへ。晩は鰤のタレ焼きと鰹の刺身他。
秘書に香典を配らせた代議士が辞任。直ぐに略式起訴される。此の人は「二頭流」を謳っていた。何のことかと思ったら、頭はつるつるなのだそう。裏金は高級かつらと有権者に消えたのだろう。
8/29・木
朝方に10号は九州南部に上陸。特別警報も出る。また鉄道がやられるなあ。列島のあちこちで大雨が降っている。愛知では土砂被害。民家が呑まれた。東海道線は昨日から止まったまま。ああ貨物輸送が。九州のコメが持って来られません。なお史上最大クラスなどと言われているが、2019年の19号ほどではないな。台風関係は言葉がインフレを起こしていると思った。ボジョレーヌーボー化していると言ってもいいです。
夕方から東海道新幹線も運休に。計画運休も間に合わなかった。多くの列車が駅間で立ち往生。ちょっと酷いね。雨量が規制値を超えたと言っても在来線として運転すればいいのに。60キロ程度なら出せるでしょう。「遅れ承知特急券」を出して。なお雨に強くするには築堤にビニールシートと吸水ポリマーを敷き詰めたらどうでしよう。
今日も曇る。朝はすき家で牛丼サラダセット。630円。続いて草取り。三袋半で断念。汗びっしょり。猫が泥にまみれずに移動出来るよう、西側の軒下にも防草シートを張った。午後は次第に雨降りとなる。此れも10号の影響。昼トビにして晩は自作の回鍋肉他。早速シロが寝ていた。先週からずっと降ったり止んだり。ちょっと参るよね。
8/28・水
大体曇る。久久にゴミ拾い。やっぱりゴミだらけ。此の地域で拾う人は吾人しかいないみたい。一昨日見たゴミが其のままあった。周囲には軽く数百人は住んでいるのに。マンション等の管理人も自分の物件前しか片づけない。ちょっとやってくれればいいのになあ。残念です。新しいクレジットカードが送られて来ていた。此れはタッチ決済可能だそう。スーパーで買い出し。早速使って見る。確かに速い。此れは交通系のライバルになるかもしれない。更にマルエツで猫餌の買い足し。昼は家人の親子丼。
午睡の後、出社。退社後はIの奥方の店に行って見る。拙宅とは反対方向になるも遠いという程でもない。体裁としてはカラオケスナックプラスダーツプラスフードバーと言ったところ。かなりの大箱だが他客は無し。一時間ほど喋って帰った。ビールと焼酎ボトルと割り材とつまみ二品(牛しぐれ煮とマカロニサラダ)で7300円。高くはないな。次回からは三千円で飲めるかと。それにしてもよく脱サラ=起業したと思った。無駄な報告書や下らない上司がなくなり、大変気が楽になったと述べられていた。でも個人事業主は確定申告しないとね。二月が忙しいです。十一時半帰宅。以後カップ麺と「ままどおる」。何はともあれ、一つ店が出来たのは有り難いです。
8/27・火
未明に雷雨。なお10号は当初予報より大きく西に逸れているが、やっぱり本土に来るのだそう。列島のあちこちで豪雨となり、東海道新幹線も一時止まる。都内も降ったり晴れたり滅茶苦茶な天気。
早速、飲んだお酒の集計から。品川駅でビールロング缶、車内販売でビール一、チューハイ一、丸森で中瓶、宿で中瓶と日本酒一合瓶と小瓶。二日目は飯坂温泉で生ビール一、日本酒一、福島駅でロング缶と日本酒半合、郡山で生ビール一、日本酒一。続いて旅費の精算。交通費概算1.8万円、宿泊費が1万円弱、飲食其の他が1.2万円くらい。なお東日本だけでなく、阿武隈急行と福島交通にもしっかりお支払いしました。
須美伯母が来たので、昼は天丼。夏旅は草臥れた。午後まで漫然とす。以後出社。退社後はBで1610円。秋刀魚があったけど身は小さく脂はなかった。焼いた内臓部分も裂けていて赤い物も視認。古いのだな。まあ別に秋になったからと言って食べなくてはならない訳ではなし。軽くつまんでお仕舞いにした。早めの帰宅後、冷凍の蕎麦。
公共放送の国際放送で外国人スタッフさんが変なことを言って仕舞ったとか。其れがセンシティブな内容だったのでちょっとした問題になった。まあ生放送ならばそういうこともあるよね。下半身露出とかも。ちなみに北朝鮮のニュースは全て録音と録画だそうです。其れにスタッフと言っても非正規職員、何処も正規の職員は少ないのだろう。公共放送も民放同様の二重三重の下請け構造となっています。それにしても今時短波放送を聞いている人がどれだけいるのだろうか。
8/26・月
朝風呂の後、七時に朝食。ミニおにぎり中心の簡素なもの。さてさて未明から何度も上厠した。出し切ったと思われるところで出立。誰も書かないから書くけど、旅と用足しは実は難問題ですよね。宿代とアルコール類の精算。二食付きで9350円、公共の宿は安いなあ。他館内着300円、中瓶770円、日本酒一合瓶710円と300ミリ小瓶1650円。アルコール類はちょっと高かった。温泉ではないので入湯税は無し。なお駐車場にはセダンが一台。確か素泊まり客として若い女性が一人いたが、バイクも自転車もない。バスに乗る様子もないから、あなたどうやって来たのですか。駅から歩くと二時間近く掛かるかと。まさかタクシー。
近くのお寺をお参りした後、平日は一日三本に減って仕舞うバスを待つ。丁字路の所に「不動尊入口」という停留所があるのだが、バスは思わぬ方向から現れた。昨日とは経路が違う。聞けば平日は住宅街を回るのでこういうことになっていると。危ない所であった。勝手な判断でひと停留所歩こうとしたら、えらいことになっていた筈である。南アルプスの惨劇を繰り返す可能性があった。此れだからコミュニティバス系は油断ならないのです。乗って見ると成程、結構新しい住宅も建っている。移住者も多いのだそう。何人か集客して駅に着いた。運賃も200円になっていた。
改めて丸森駅。槻木から伸びて来た旧丸森線の終点である。阿武隈急行の計画は古くて、誘致は戦前から。逼迫していた東北線の勾配緩和路線として建設がスタートするも、東北線の方が先に複線電化して仕舞ったので工事は遅くなる。何しろ貨物バイパス線として作られたものだから、駅と中心街が離れているところが残念である。仙台方面はまだ乗っているが、此処から福島方は格段にお客が少ない。8時58分発梁川行きに乗る。また新型の電車であった。乗客は数名のみ。此の辺は1988年の開業かと。阿武隈川沿いの絶景を走るが県境付近には民家もなく、駅も少ない。また秘境駅として知られるあぶくま駅周辺は2019年の台風19号で寸断。一年掛かりで復旧させたところでもある。本当に色色な経費が掛かるのです。
すると車内には阿武隈急行を考える集いのポスターが。路線の存廃も問題になっているとか。まさか、折角の電化路線なのになあ。特に宮城側が赤字補填に消極的だと伝えられている。困りました。何かもっと県境を越える需要策を作り出さねば。沿線の真ん中くらいにマンモス私大か名医が揃う大病院でもあれば乗客が押し寄せる筈である。それにしてもそんなに鉄道にカネを出したくないのかね。鉄路がなくなれば地域は確実に寂れます。まず吾人が行けなくなります。なお丸森から福島まで810円。37キロで此の運賃だから、三セク鉄道としては安い部類に入るかと。多少の値上げでどうにかなるといいけど。
梁川で福島行きに対面乗り換え。やっぱり新型車両だった。旧型=8100系には当たらなかった。涙です。以後細目に止まりお客も増える。立派な築堤の上に駅がある。階段がやや不便かと。何しろ高規格路線なので。福島駅のかなり手前で東北線に入り、到着直前に再び転線、駅は福島交通飯坂線と共用だった。こうして阿武隈急行の旅は終了しました。直ぐに飯坂線に乗りたい。一日券プラス共同浴場入浴券を購入。800円。往復運賃は740円だから、格安で温泉に入れる計算となる。但し乗った列車は桜水止まり。何もすることがないので、平野という駅までひと駅歩き。後続の列車に乗る。乗車率はまあまあ。ちなみに此れは元東急1000系。昼の池上線くらいには乗っていた。飯坂線は創業百年、車掌も乗務、現在も黒字だそうです。するとついさっきまで田園地帯だったのに終点の間際には山岳地帯に。駅の目の前はちょっとした渓谷になっている。市内電車が行き成り登山電車になり、あっという間に箱根に着いたようなもの。関東平野では味わえない感覚です。
簡単に入浴した後、「そばひろ」という旅館の一角を間借りしたような蕎麦屋でビール休憩。飯坂線で戻る。今日は帰宅するだけだから、新幹線は最後にしたい。郡山まで在来線移動。郡山大宮間の新幹線料金が安いというのもあるが、松川事件の現場を見ようと思った。生憎上り列車は出たばかり。一番線のベンチに腰掛け、缶ビールでうとうとと。時折通る貨物列車に目を凝らす。私鉄駅では味わえない重厚感。呑み鉄おじさんには至福の午後でもありました。
そうして701系の新白河行きに乗る。車窓に目を凝らすも、何処だか分からず。1949年八月、上りの夜行が脱線転覆。機関士ら三名が殉職した。所謂国鉄三大事件である。レールが一本丸ごと抜かれていた。確か慰霊碑が建っていると聞いていたが、此の普通電車も100キロは出しているからね。おまけに複線化した際に上りと下りが離れていて、猫なら兎も角、人間の動体視力では無理だと思った。なお当該事件は冤罪事件としても知られている。なんでもかんでも共産主義者のせいにされた時代でもあった。
郡山到着、此方はかんかん照り。急いで「三松会館」に向かい、ひと口かつと炒飯の休憩。一時間で駅に戻り、始発の「なすの278号」に乗る。当然自由席。引退間近なE2系である。窓が広いのがいいよね。大窓タイプは此れ以降の製造は無し。折角なので那須連山を見ようと思いE席にしたのだが、気が付いたら宇都宮だった。以後大量乗車、更に小山でも中量乗車。実にB席まで埋まったから、乗車率は八割以上。多くが日帰り出張客。こんなに沢山交通費が掛かると思った。西日が強いのでブラインドも下げざるを得ず。やっぱりA席にすればよかった。例によって大宮下車。16時50分。だいぶ空いたE2系を見送った。以後湘南新宿ラインに乗り換え、渋谷からは東急。夕ラッシュにぶつかり超満員。少し阿武急に分けて差し上げたいです。帰宅は18時前。やれやれ今回はよく乗った。最近は特急や新幹線を使っても疲労が激しい。昨年から続いた常磐線三部作=水郡線、磐越東線、岩沼経由も終了である。今度は西に行きたい。シャワー入浴後、直ぐに就寝。晩は絶食。
注・・一日考えて、キャンプ場から退避して来た人ではないかという結論に至る。(虫が嫌いで)こんなところに泊まれませんと。真相は分かりませんです。
注・・あぶくま荘も19号で一部損壊したとフロントの人はおっしゃっていた。町内ではお亡くなりになった人も出た。
8/25・日
目黒まで始発のバスで出て、品川駅で一旦出場。みどりの窓口で乗車券を買い直す。今回も発駅は都区内、着駅も都区内。岩沼で折り返し、行きは常磐線、帰りは東北線という設定。こういう券はネットでは作れないのです。幸い直ぐに発券してくれた。運賃10340円。続いて「ひたち3号」に乗車。一日三本しかない仙台ひたちである。特急券は予め作っておいた。2900円。チケットレスにすると千円くらい安いらしいのだが、今回も正規料金である。というのもこうした紙の券を取って置きたいというのもあるし、現在のスマホが今一つ古くて信頼性がないのが躊躇う理由である(そもそもスマホと言うものは信用出来ない)。なお前回湯本までが2550円だから、随分逓減率が効いているかと。仙台まで行っても同じ2900円。なお乗車券は三河島と逢隈経由になっていた。逢隈は岩沼の一つ手前の駅。常磐線は東北線に対して特殊経由になるのだそう。きっぷのルールは難しいです。今回は編成の後ろ寄り、2号車10番A席に着座。此処だと列車全体が見渡せる。あとから乗って来た女性に早速前のブラインドを下ろされたが、矢張り今回は海側を見たいのです。
上野でまあまあ集客して乗車率は六割くらいかな。此の列車は品川を7時43分発、上野は八時ちょうど発である。矢張り常磐特急は上野が基準。意地のようなものを感じるね。さて肝心の走りだが、平日ラッシュ時のダイヤなのか結構ノロノロ。柏にも止まり、牛久あたりから更に遅くなり、土浦の手前で完全停止。聞けば先行の普通列車に異状があり、車両点検中だと。土浦は二番線に着いた。此の段階で十数分遅れた。
水戸で中量下車。幸いブラインドも開けられた。其の後も回復運転しているようなしないような、磯原の手前でも安全確認の為に停車。最早グダグダである。いわきも慌ただしく出発した。車内販売は此処までの営業となる。列車は更に北上す。富岡から浪江までが一番復旧に時間が掛かったところ。除染作業から始め、駅舎の解体と建て直し等等・・・、全線復旧は実に2020年の三月であった。丁度コロナ禍だったので、漸く今回乗り入れることが出来た。車内販売のお酒も切れた頃なので、リクライニングも元に戻し、細大漏らさず見ようと思った。
フクイチの場所を確認しようとスマホを見たが、驚いたことにロールした程度では出なかった。既に発電所ではないからかしらん。福島第二の北、東電と書かれた用地が広がっている。此処が元福島第一原子力発電所である。最寄り駅は双葉になるのかと。件の看板があったところでもある。下車客は少ない。平日はもう少し多いのかな。出張客がいる筈。何しろ大勢働いているところでもあるので。周辺の上り線は撤去されていて、駅は棒線化されていた。いざとなった時の避難路にしているのだそうです。金網で封鎖された上りホームがちょっと痛痛しい。周囲には多少民家もあるが、まだまだ立ち入り制限地域が広がっている。駅は無人化され、乗降客も震災前の数分の一以下になっているそうです。
ひたちは岩沼には止まらないので相馬で下車。定刻だと11時48分。実際は二十分程度の遅れ。実に四時間以上掛かりました。本州の在来線特急では最長クラスである。当初予定では駅前蕎麦屋に駆け込むのだったが、列車が遅れた関係で割愛せざるを得ず。ああ、蕎麦が。後続の普通列車に乗り換え。此処から先は津波被害で線路が内陸に架け替えられた区間となる。ちょっと低めの高架を走る。建設費を抑えた為だそう。何処かに旧線との分岐点がある筈なのだが、発見出来なかった。どちらにしても大変なことが起きました。心の中で合掌す。其れでも四両の701系は仙台方面へ遊びに行くような人で結構な乗車率。もうあの日から13年も経っています。
阿武隈川を渡るところで列車は徐行。河川敷にはヒマワリが植えられていた。こうして岩沼に着く。白石行きに乗り換え、ひと駅進み、槻木下車。駅の券売機で丸森までの乗車券を買い直す。結果として東北線の槻木福島間は乗らないことになる。キセル=無賃乗車の反対、有賃不乗車ということになるが、別別に買うより通しで購入した方が少し安いのです。
二両の新型車両には僅かな乗客。角田、丸森までに三三五五降りて散って行く。吾人も丸森で下車。14時過ぎ。駅前には何もないです。ウィークエンドバス「るんるん号」というバスに乗る。赤い橋を渡って暫くすると中心街に至る。此処で下車。運賃100円。降り出した雨の中、漸くラーメン店を見つけて駆け込んだ。「まんま亭」。開いててよかった、助かった。黒醤油ラーメン、830円。何しろ朝から「大増」の小さな弁当しか食べていない。多分元から旨いのだが一層旨く感じた。続いて近くの豪商の蔵を見学。丸森は養蚕と舟運で栄えた街だそう。となるとピークは戦前になりますか。此の通りも商店でぎっしりだったと。なお阿武隈急行の前身、国鉄丸森線の開業は昭和43年。遅すぎたね。ちなみに此処の当主さんは戦後直ぐに仙台へ移住されたとか。農地改革でお金が無くなったのだろうなあ。
再びバスに乗る。キャンプ場行きということだが、乗客はやっぱり吾人のみ。何にもルンルンしていない。残念です。終点の手前で降り、「あぶくま荘」にチェックイン。15時半過ぎかと。此処は国民宿舎だったみたい。レストランと入浴棟は新しいが、宿泊は古い建物。和室にベッドとよくリニューアルされているが、トイレが外というのがどうにもならない点である。幸い近くの部屋を充ててくれました。入浴後、うたたねと夕飯。各種先付け、内陸鮭の刺身、鮎の塩焼き、豚の角煮、白身魚のパイ包み焼き、釜めし等等、豪華な内容だった。なお宿泊者は上品そうな老夫婦のみ、他に素泊まり客がいるようだが、日帰り入浴のお客が帰ると館内は静まり返る。再入浴後、九時就寝。何だか暑い。併し空調を使うとくしゃみ止まらず。
注・・出発駅と到着駅は別別にする必要があるので目黒と渋谷でずらしたりしたが、普通列車では一日では廻り切れないらしく、此の乗車券は作れませんという表示になった。何も各駅停車で当日中に行くとは一言も言っていないのに。相変わらず使えない「えきねっと」である。おまけに渋谷と目黒の窓口も遅起きなので、品川で一旦出場して買わざるを得なかった。目黒品川間、運賃167円を損した格好となる。
注・・仙台行きのひたちはまあまあ乗せて相馬駅を出て行った。てっきり空気輸送だと思っていた。まさか、運賃部分は、青・・・。以下省略。
8/24・土
朝から物凄い湿度。今度は台風10号だと。しかも本州に来ると。まだ二桁になったばかりだからそんなに大きくならないとは思うが、此の台風が抜けない限り蒸し暑さは取れそうにない。五時半に覚醒す。夏は寝ていられない。六時にゴミ拾い。朝の内に「ベルクス」へ。昼の弁当と晩の鰹の柵と牛肉。
午後は晴れて何も出来ず。二時間くらいの午睡。此れも寝たり起きたりだから質が非常に悪い。晩は家人が肉じゃがを作った。作ったことがないとか言っていたけど、何度も作ったよねえ。忘れたんだなあ。幸い味付けは良かった。夜になってゴロゴロと来た。大して降らず。北関東は大荒れだった。
8/23・金
フクイチ二号機、デブリ回収作業は中断。パイプの繋ぎ間違えだそうです。長大な釣り竿の先で引っ掻いて取り出すと言うもの。今回は単純ミスだそうだが、いや併し途方もない作業である。現在の遠隔操作技術では難しいかと。ロボットたって、おもちゃみたいなものだもの。どうすればいいのでしょう。
今日も蒸して曇る。草取り一袋。汗びっしょり。其れでも草はやればやるほど取れるから、ついついやり過ぎることもある。其れで熱中症で倒れて仕舞うのだと思う。更に半袋。昼はスーパーのとんかつ弁当。家人には天丼とうどんのセット。午睡の後、出社。漢検答案の発送など。今週は忙しかった。退社後も皆さん掴まらず。一人で中華立ち飲みへ。久久だけど他客は無し。ママさんが孫育てで帰国して以来、すいている印象。少しパパさんと話して帰った。2700円。
8/22・木
文科省は重い腰と予算を動かして教員の給料を引き上げるそう。でも月に二三万程度上乗せされてもねえ。残業代の前払いだそうです。其れよりももっと教科担当を増やすべきかと。担任の先生を楽にさせて欲しい。
其れでも直ぐにシロが入って来た。今度は二階から。あんたさっき撫ぜたよね。昨日来曇ったまま。今朝は四袋。やっぱり暑い。特に湿度。弱冷房す。まず猫餌の買い出し。国道の向こうの個人店は休みだった。結局西友へ。此処は自転車が止められないから不便なのです。色色と買い込んだ。四千円余。するとまた雷雨。本当に不順である。止んで来たので千代田寿司へ。須美伯母が来ている。
さてさて今度は乗り鉄の旅に出たい。三日後の宿を予約する。今回は阿武隈急行に乗る。初乗り区間である。取り立てて閑散区という訳ではないので旅程の編成も楽であった。続いて「ひたち」も指定。行きは常磐線経由にした。他は草取り少少。また遅刻ゴミの処理。朝は昨日のコロッケをトーストに挟んだ。するとやっぱり胸焼けが。昼は寿司の残りのみ。という訳で四時過ぎから飲み始めた。胡瓜を竹輪に入れたもの、なす味噌の残り、貰い物のミニドリアとオクラと干しエビ。締めは蕎麦を茹でた。酒はビールと日本酒と白ワイン。詰まり一人蕎麦屋です。他家製麺ですけど。夜の気温は低くなったが湿度が高い。もう我慢出来ません。引き続き弱冷房す。夏の終わりは我儘になります。
今朝の新聞に興味深い投稿が。地震注意報の御蔭で「くろしお」が走らなくなった紀勢線。都市とを結ぶ特急がなくなり、二両編成の普通電車のみが行き交う姿は過疎化しつつある当該地域の未来図のようだったと。地域の行く末を案ずる和歌山のお医者さんの文章だった。真っ当な意見です。いや併しね、鉄道は全国的には大きな黒字なのだけどなあ。ローカル線の五十本や百線を十分に賄えるほどに。特に新幹線。あのセントラルと名乗る独占会社が貴重な国民の利益を無謀な計画につぎ込んでいるだけなのです。
8/21・水
先月被災した奥羽本線、学校の再開に合わせてバスは走るようだが、復旧の見通し等は聞こえてこない。新庄から先は閑散区間だかなあ。昨年乗った所だけに気がかり。台風5号では三陸鉄道も被災していた。北リアス線のところ。川が線路路盤を洗い流したそうです。
寝た途端にシロに起こされる。以後寝たり起きたり。概ね曇る。買い物は二便。スーパーとドラッグストアー。併し猫餌は揃わず。近所の店はそもそも品数が少ない。多くの住人を抱える都営住宅はペット禁止だろうから、大して売れないのだと思う。猫ぐらいいいのになあ。昼はレトルトカレー、スーパーのコロッケ添え。家人には鮪丼。
午睡の後、出社。七時頃にまた雷雨。退社後は取り敢えずIへ。愈愈奥様の店も開店したそう。今度顔を出そうと思った。店主が一杯目を飲み干す前に退店。二杯目を奢る予定はありませんので。いや併し今夜はまだ何も食べていない(Iには乾き物しかない)。碑文谷まで戻り、「ちゅるる」に入る。二郎系のこってりラーメン、990円。うーむ、小加水のワシワシ麺までそっくり。夜は多加水のもっちりツルツル麺が食べたかった。550円の中瓶で流し込む。二店で五千円弱。帰宅は早かった。シロが入って来たので、シロ三昧。
8/20・火
件の参議院議員は辞職。一方兵庫県知事は居座っている。都合よく災害でも起きてリセットされるのを待っているのだろう。頭がどうかしていると思った。かくなる上はリコールしかありません。面倒臭いなあ。小物一人倒すのも。辺野古は本格着工だと。何兆円注ぎ込むことになるのだろう。此れも防衛費から出して欲しい。
未明まで雨が残った。久久の涼しい朝。大量のペットボトルを出す。三週前に間違って出されたもの。二週前は鬼怒川に行っていて出せなかった。ざっと二百本。此の中に拙宅のものは一本もありません。次第に晴れて元の暑さ。入れ替えマジックで二袋入手。早速一つを草木で満たした。昼は家人のなす味噌とハムエッグ。調理時間は10分程度。腰が曲がって直火が顔に当たるので、此れが限界だそうです。午後出社。退社後はBで1920円。皆さん勢ぞろいだけど横一列なのでお話しも効率が良くなかった。帰宅後緑のたぬき。
注・・当該知事はエレベーターを待たせておかないと職員に怒鳴り散らしたとか。カキやカニもおねだりしていたとか。不信任案を可決しても議会を解散する可能性があるとか。困りました。前の都知事もセコかったけど其れ以上だね。一度、お医者さんに見て貰った方がいいと思う。なお此の人は中央官庁出身。霞が関でも酷かったのだろうか。
注・・参議院議員はのちに在宅起訴でお仕舞い。
8/19・月
候補者の後出しに成功した民主党は割と好調だそう。まだ三か月あるけどね。自民党は総裁選へ。九月末までやるのだそう。イメージを良くしたいのだろうけど、どうでもいいことです。どちらも何の投票権もありません。お盆期間の輸送実績が出る。東海道新幹線は好調だったそう。十日分のお客を九日間で捌いたのだから却って儲かったのだろう。
エアコンは朝まで止められず。今朝も非常に蒸している。ゴミは三袋。結構頑張っています。朝のラジオでは恒例のモリタクさんの病状申告。一進一退だそうだが、急激に痩せられているそう。声も少し落ち込んでいるかと。コンビを組んでいる人もちょっと辛いだろうな。なお発言内容はますます振り切られています。続いて家作の前庭の草取りと低木刈り、一袋。汗びっしょり。熟慮の結果、昼は「ほっともっと」にした。
午後は暑くて漫然とす。夕方前駐車場から一袋。草農場です。晩は「ベルクス」に買いに行った。イナダの造り、430円。大量のつまが残った。水洗いしてみそ汁にしたけど、歯ごたえがなくて旨くない。何かいい活用方法ないかしらん。なおコメの棚は殆どカラだった。そんな馬鹿な。七時くらいから雷雨となる。一気に涼しい。此れは西を行く台風八号の影響で、大量の水蒸気が流れ込んだからだそう。不順な夏である。こうして吾人の盆休みも御仕舞となった。
8/18・日
お盆休みも終わりが近づく。何処かに出掛けたかったが、暑すぎて無理だった。朝の七時からゴミ拾いと再分別。石井さんの所に瓶缶ペットボトルが一緒くたの袋が出ていた。缶と瓶は向かいの自販機に纏め、可燃ゴミは別の物件の回収ボックスに押し込む。報酬は空いて出た大袋一枚。三十分掛かった。直ぐに水シャワー。曇っているので更に草取り、一袋。また水シャワー。
まだ雲があるので昼前に表に出た。目黒方面へ。ニトリで「すっぽりシーツ」を購入。周囲にゴムが入っていてベッドにピンと張れるもの。1790円。続いて中町の「大むら」に入る。繁盛している蕎麦屋さん。初入店。つまみ類はないみたい。昼酒の予定はありませんので大丈夫。満たすべきは肝臓より胃である。併しセット物もないみたい。盛り蕎麦とカレー丼を単品で。1430円。すると腹がパンパンに。こんなに沢山食べたくなかった。うーん、まちの蕎麦屋には少なくとも二つの問題がある。一つは蕎麦前が出来ない問題。二つ目はセットがない問題。更に三つ目としては閉店が早すぎる点。此れは全店共通問題。
其の後「サンワ」というスーパーで家人用のちらし寿司。此のチェーンは神奈川が地盤らしいけど、弁当類の品揃えは貧弱。寿司くらいしかなかった。もう少し色色と並べて欲しいです。帰宅後直ぐにベッドメイクに取り掛かる。実は吾人のベッドはセミダブルなのだが、買って来たのはシングル用。なにせダブル用は値段が倍近い(もっと割り引いて欲しかった)。パッツンパッツンだけど何とか入りました。まさか張り過ぎて、直ぐに破けないよね。
午後は晴れる。短時間の草取り二回で終了。晩は「信濃屋」に行った。刺身も弁当もエライ値上がり。お薦めだという鮪切り落とし(600円相当)ぐらいしか買えませんです。実は此れ、魚介加工品で植物油脂混入なのだよなあ。案の定、ミケ子も食べなかった。猫が食べないものを人が食う。キャットファースト=ヒューマンセカンドです。なお此のところ吾人の在宅率が高まったので、シロのルーティーン化が加速した。夕方に入って来て、まずひと撫ぜ。其の後、真夜中に二階から入って来て、もうふた撫ぜさせる。猫も規則正しいのです。またグレには色色と食べさせている。食べることは食べるが直ぐに飽きて仕舞う。乾き物はローテーションで。小食猫は大変です。
8/17・土
何事もなく朝になる。五時からゴミ拾いと草蔦取り、一袋。暖気が残っていて今日も猛暑だそうです。冷凍うどんの朝食。もう一袋、低木剪定。出来るところからコツコツと。一枚10円の袋に詰め込んだ。なお残っていた巣も崩落していた。所在なさげに一匹の働き蜂が飛び回っている。拙宅は台風で助かりました。ところで巣を失った蜂はどうなるのでしょう。
昼は地元の回転寿司。取り立てて問題はなかったが、後から若いカップルが入る。男の子が飲み干したプラコップの処理を頼んだら、即座に断られていた。事業系のゴミは有料だろうけど、もう少しサービスしたらいいと思った。売り上げが一皿は減ったと思う。家人には東急ストアーの焼きそば。
午後は猛烈な暑さ。映画「肉弾」。名作だけど実は初見。敗戦を前に人人がそれぞれの欲望を炸裂させる作品。其れは食欲であったり、肉欲であったり、排泄であったり、おしゃべりや勉学であったりする。そうしたものに制限を課した国家体制を問うというやや複雑な経路の反戦作品だと思った。晩は特売の牛ステーキ。グラム600円の交雑牛。一枚1079円だった。
8/16・金
遅い台風のようで、未明から降ったり止んだり。新幹線も止めることなかったよね。少なくとも午前中は走れた筈。皆さん、また北陸廻りで移動しているよう。面倒だから全部止めて仕舞えというのも可笑しな傾向である。なお東の新幹線は減便止まり。正しい判断です。
銀メダリストが知覧に行きたいと言ったとか。平和に感謝したいということなのだろうけど、どうにも誤解を生じさせかねないと思った。馬鹿=特攻讃美者が喜んで仕舞うので。吾人に私財があるのならば、戦争指導者博物館を作る。愚将を並べる。陸軍ならば牟田口や辻、ゴミ箱東條。海軍は評価が分かれるから、凄惨な艦内リンチの記録を掲げる。歴代艦長と伴に。世界で一番腹を立てて帰らせる博物館にしたいと思う。
宿酔が収まったので、九時半に素麺を茹でた。西側の葦簀を撤収。大して吹かないと思うけど。万事大袈裟である。昼前に雷雨。以後も断続的に降った。晩はある物でお仕舞い。一昨日のピザとか、家人のコンビニ弁当の残りなど。本日ほぼ休肝。日没後二時間くらいがピークとなる。シロも一時退避。縦樋の詰まりを緊急修繕。併し風は春一番にも及ばず。東海道線も止まらなかった。夜行のサンライズも平常運転。東海の新幹線は何をやっているのでしょう。房総の沖を行っただけですよね。家人など、何時になったら大風が吹くのかしらと心配していた。とっくに台風は過ぎています。一旦運休と決めたからもう動かさないのか。其れとも全車指定席にしたものだから今更自由席では走らせないのか。今年に入って二度目の全面運休となりました。
8/15・木
ウクライナ軍はロシア領に奇襲侵攻。前線とは相当離れたところ。所謂陽動攪乱かと。明日の東名間は終日計画運休に。またまた大混乱です。みどりの窓口がパンクする。のぞみ全車指定席期間だし。軍人恩給を受けている人は愈愈千人を割り込むのだとか。戦場体験を持っている人は間もなく居なくなります。何れは戦争体験者も。どう語り継ぐかが課題となります。なお戦争がますます身近なものに感じるという思いはますます強い。年齢的なものもある。此の件に関しては2016年5月22日の項参照。
朝の六時半からゴミ拾いと自販機片づけ二。バス停の所も溢れ返っていた。今朝は三袋。すると小さな蜂の巣を発見。アシナガバチ。拳大程度で既に落下していた。此処にあったのだ。明日の台風で自然消滅するといいが。箒で端に除けておく。昼はスーパーのかつ丼。暫くして見ると落ちた巣には誰も居なくなっていた。幾つかの卵が取り残されている。もう蟻が来ていた。
午後は凄い暑さ。新幹線は上り下りともに満席だと。東海の料金区分だと今日は通常期に当たる日だった。大損だね。漫然としていると区からカタログが送られてくる。防災ギフト6000円分が得られますと。うーん、どうにも地震クルクル詐欺にやられているなあ。元来天邪鬼精神の持ち主なので、地震地震と騒げば騒ぐほど、来なくなる気がするのである。
夕方外出。渋谷で暑気払い。折角なのでバスで行った。大通りの左側を電動ボードや自転車が我が物顔で走っている。もっと速く行くか、それとも脇で退避するかのどちらかにして欲しいと思った。見ているだけで危なくて仕様がない。大抵はイヤホン付き。ほぼ自殺行為です。さて早めに着いたので暫し散策。東口の歩道橋も架け替わった。昔は此処でよく西部警察のロケをやっていた。被疑者や重要参考人をボカボカ殴っていたっけ。四十年も前の話しです。最近建った桜丘のビルを見る。立ち飲み富士屋は新たな店が出来たみたい。巨大な跨線橋が出来ており、其のまま西口へ降りる。みどりの窓口は二十人くらい並んでいた。まあどうにかなるレベルかと。
さてさて本日は道玄坂の「日本酒原価酒蔵」。月波君と鷺の間君。日本酒は100ミリのミニボトルで提供される。300円くらいからだから、一合だと550円かと。確かに安いことは安い。仕入れ値プラス最低限の販売経費での提供。菊姫や獺祭といった有名どころから、鍋島や写楽とかなかなかのラインアップ。全国各地の銘酒が楽しめた。併し注文は手元のスマホから。老眼が進んだとかで月波君は四苦八苦していた。せめてタブレットが欲しいなあ。店員もお客も若い人が多い。ちなみに注文する度に、日本酒の説明が入る。顎にピアスをした女の子に色色と語られたが、此れは釈迦に説法であった。三人で1.4リットル。一升には届かなかった。まだまだだね。続いて回転寿司へ。「天下寿司」。此処は松竹梅豪快。更に「博多天神」のサッポロ黒ラベルで締めた。まだバスがあったので31系統で帰った。なお月波君は帰省を躊躇っていると。静岡なのに。帰る度に御母堂に色色と強請られるのだと。家具とか家電とか。そんな親子関係もあるのかしらんと思った。
8/14・水
取り立ててひずみ等は認められないので、注意報は明日で解除だと。だったら最初から出さないで欲しかった。すると入れ替わりで台風が来ると。また計画運休の可能性ありだとか。確か去年もこんな感じだったっけ。今年のお盆休みは長めの傾向。第11波とされたコロナも減って来たと。幸い身の回りでの罹患報告はなかった。
異様に蒸し暑い。雲間を選んで草取り十五分、一袋。確かに0.018ミリは安心して詰め込める。使い分けようと思った。須美伯母が来たので、祐天寺に買いに出た。まずは「王様書房」で『不参加ぐらし』『台所に敗戦はなかった』。此処も月末で店仕舞いすると。アジャパー。色色と買ったのだけど、社長さん?も結構なお歳かと。五十余年続けたそう。残念です。此れで本屋ナシ駅になります。並びの「花月」でラーメンと中瓶。色色と新商品をやっているけど、やっぱりげんこつラーメン、840円。麺が選べるようになったが、中太麺でもまだ細いかなあ。依然としてタレも少し甘い。更に「笑口房」で塩焼きそばを二つ。此れはお婆さん用。
帰宅するとKの不出馬会見。総裁選には出ないと。先週外交予定をキャンセルしたあたりに決めたのだろう。順当なことが起きただけで大して驚かず。其れにしてもお盆にすることではないよな。此の人は何時も唐突だった。政治記者や評論家さんたちが休めなくなります。そもそも防衛費倍増とか言い出さなければあと数パーセントは支持率が高かった筈。統一教会の件も裏金の件もKとは直接関係がない事柄だったし。最初はリベラルぽかったのになあ。騙された吾人も恥ずかしいです。なお最後には「一兵卒となって次の総裁を支える」とか言っていた。こういう軍事的な表現自体本来不適切と言うべきであろう。
暑い午後は漫然とす。晩はドミノピザにした。配達を頼むと高いので買いに行った。Lサイズで1500円。安いといえば安い。水シャワーの後、ビールと大量のレタスと伴に。
8/13・火
今日は旧盆の迎え火なのだそう。送り火は16日。東京が新盆なのは明治政府による新暦強要が原因だとか。漸くお盆にも詳しくなった。台風五号は去って行った。幸い鉄道被害は少ない模様。次は七号で、此れは関東に来ると。今年は暑い割に不順な天候。結局甲子園は一日四試合やっている。三試合制は僅かなテストだったそう。日韓連絡高速船、クイーンビートルが運休。船体の亀裂浸水を隠していたと。オーストラリア製の新造船。しかも大きい。此れも軍用船からの転用なのかしらん。対馬海流には勝てなかった模様。民間船は毎日動くからね。而も一隻しかないのだと。
朝起きて見ると、家人がパンの賞味期限が過ぎているとかいないとか言っている。ならば捨てて仕舞えと朝から激昂する。一日三食用意するのがどれだけ困難か。顔を合わせればこういうことになる。以後二階に蟄居。冷房代が掛かるが仕方がない。昼は外に出た。直ぐに殺人光線が襲ってくる。遠くまで行けない。「燕来香」であんかけ焼きそば、中瓶付き。1610円。午後も蟄居。晩はある物を食べて御仕舞い。
夕方の民放ニュースを見ていると、横浜の団地が市バスの減便で困っているという内容。一時間に一本になって仕舞ったと。困ることは困るが、バスどころではない、そもそも此の団地(笹山団地)にはエレベーターもエアコンもない。此の猛暑でお年寄りの生存が危うくなっている。エアコンくらい県か市の予算で付けられないのかしらん。それとも分譲方式もあるとか。
8/12・月
月曜だけど、山の日の振り替え休日。結果的に三連休。お盆は正式な休みではないからね。大病院や役所や金融機関の人は喜んでいるかと。休んで下さい。やっぱり皆さん帰省するようで、お隣りの電気も消えていた。確か茨城北部だったかと。「ひたち」の範囲です。此のお盆という習慣は何時まで続くのだろう。帰省は兎も角、行楽はもっと分散出来る筈。ところで中二の教科書には「盆土産」という作品が出ている。出稼ぎに行った父っちゃがエビフライを携えて帰って来るという内容。同じ作者では「鳥寄せ」もある。此方は悲惨で、仕事でへまをした父ちゃは暮れに帰って来なかったという話(のちに遺体で発見)。中学生には読ませられない。共通一次には出たそうです。後者を読んで仕舞うと、前者のほのぼのとした印象が掻き消される傾向にある。
二度寝、三度寝をしていると朝の八時。既に物凄い熱気と日差し。もうゴミ拾いも出来ず。朝は昨夜の蕎麦にカレーを入れた。残りのカレーは家人用の丼に。昼前に西友で必需品の買い足し。猫餌、小さな雪平鍋、風呂のブラシとゴミ袋。0.013ミリでは薄すぎて草があんまり入らない。特に干し草だと直ぐに破ける。かと言って0.030では厚くて勿体ない。0.018ミリというのがあった。45リットルだと一枚10円程度。三円高いか。
昼は学生食堂に。お盆も休まず営業している。併し店内閑散。ちょっと無理があるなあ。酒を出す訳にもいかないし。儲からないです。冷やし肉うどん800円。午後は漫然とす。時時風呂掃除。するとくしゃみ止まらず。黒カビの影響かと。晩はスーパーの鰤の鎌焼き他、残り物。家人にはやや豪華な弁当。なおスーパーではコメが品薄に。幸い九州の早場米がもう出ている。どうにかなるかな。
8/11・日
五輪も終了へ。大体此の時期は普段より仕事があり、しかも暑いので消耗する。見るより休むになります。スポーツは生中継が基本。残念ながら印象的なシーンには出会えなかった。なお選手への中傷投稿が目立ったそう。ツイッターも書き込む時に課金されるシステムにすればいいのになあ。炎上=広告閲覧数で稼ぐモデルは止めた方がいいです。そもそものビジネスモデルが失敗だった。そんなこんなで夏休みも後半に。給食が出ないから辛いという家庭もあると聞く。多くがひとり親。まずは元の配偶者から養育費を取り立てるべきであろう。弁護士さんに相談して欲しいです。
隣りの建物には太陽光パネルは付いていない模様。土地から買った筈なので実に数億もの投資なのだけど、パネル代200万円をケチっている。残念な物件である。屋根に付けてよ。今朝も三十度。九時に「ベルクス」に行き、昼の弁当と晩の食材。あっという間に三十六度。本当は奥多摩か高尾山かせめて深大寺で蕎麦でも食べたかった。漫然と「サンデージャポン」を点けていたら最初から最後までずうっと五輪。早く日常に戻って欲しいです。元元テレビやラジオには日常を求めるタイプですので。其れでも女子マラソンはちゃんと見た。解説者が喋り過ぎ。日本人選手は六位。アフリカ勢に続く活躍。なお沿道の警備は意外に薄めだった。
草取り三十本未満。晩は鰤の刺身。柵で270円だった。千葉産の天然もの、安い。此の時期は脂がないから、ニンニク醤油とラー油と生姜で味付け。結構食べられた。他は豚肉を焼く(少量)。締めは長芋を摺ってとろろそば。グレにはレンチンした鶏の胸肉を出した。
8/10・土
小田急線は未明まで止まったそう。今回は小田急直下だった。大変でした。一方海の上は台風5号が接近。東北直撃の見込みだと。稲とローカル線が心配である。
ゴミを拾って歩くだけでも暑い。さてさて今日からお盆休み。吾人は十連休となります。腹が減ったが牛丼と富士そばにも飽きた。葱と豚肉があるので冷凍物を買って来て、肉うどん。先月の売電量145キロ、3480円。過去最低レベル。クーラーで消費されたね。今夏は暑いことは熱いけど、雲も多く、思った程には直射日光が当たっていないのかもしれない。
草取りと低木切り二十分以外はほぼ漫然とす。時折五輪中継。公共放送では「南海トラフ巨大地震注意」が常時表示。ディストピアに居ます。それにしてもこんな注意報をよく出したと思った。専門家の独立性は保たれているということなのだろう。従来ならば、警告を出したい専門家と経済活動の停滞を懸念する政府の間で軋轢が起こり、前者は圧殺される。そして大災害が無警告の民を襲うという図式の作品が多かった。現代はほぼ逆になっているかと。此れ以上は何とも言えません。昼トビにしたけど、夕方は買い物に行けなかった。あるものを食べた。自作の麻婆豆腐と焼きそばなど。夜も暑い。
8/9・金
前例のない注意報を受け、東海道新幹線は減速運転。サンライズや南紀やくろしおは運休。何故か伊那路やふじかわまで止めると。どうなっているの。お盆輸送だというのに。また注意期間が一週間限定というのは、大地震が二度連続で来たことがあったからだそう。当てにならないな。長崎の式典に欧米主要国は大使級を送らず。招待されなかったイスラエルに連座してのこと。同じく不招待のロシアと同列の扱いなのが気に食わなかったと。やっていることはロシアと同等か其れ以上かもしれないのに。
朝から晴れて再び猛暑。昼はオリジン弁当。植木の消毒。ちなみに本日のシロは未明に吾人を起こし、散散と撫ぜさせた後、其のまま庭に滞在。目の届く範囲でずっとゴロ寝。昨日とは全く違う動きをしている。どうしてそうなるのか、一度猫に聞いてみたいです。大体漫然とす。何時ものラジオ生活に戻る。文化放送で連日リポートしているアナウンサーは何だかやつれた声を出していた。時間がなくてパンくらいしか食べられないと。五輪取材は二人のみの派遣なのだそう。ラジオ局も大変だなあ。
午後になって水を撒いた。陽が傾いた頃に臨時出社。佐藤先生の金曜代講。九月初旬まで。すると八時頃に緊急地震速報。けたたましく生徒のスマホが鳴った。丁度初顔合わせの女子中学生に近づいて説明していたところだったので、ついうっかり痴漢ブザーを動かしたのかと思った。地震速報だと聞いて二度目の吃驚。愈愈南海トラフかと。まさかの予想的中だと思った。結果は厚木の直下型地震。最大震度五弱。此の辺は殆ど揺れず。退社後は須々木さんと日高屋とBの本店。久久にミキさんと会う。ミキさんはB創業以来のメンバーで現在最高幹部の一人。色色とよもやま話。何だか体調が悪そう。Bの最初の頃は激務だったからね。疲れが出て来たな。養生した方がいいです。帰宅は十二時。グレには茹で豚を提供。贅沢かと思われるかもしれないが、大抵のペットフード(ウェットタイプ)より安い。手間暇掛けます。
8/8・木
都知事は始球式で骨折。壊される神宮球場も怒っているということでしょう。北の国は洪水だと。梅雨の末期の豪雨で。木も薪や炭になっているから保水力がないのだろう。また飢饉になる。夏の甲子園は第三試合に当たる時間帯をお休みに。熱波対策だそうです。今後七回制も検討すると。屋根が付けられればいいのになあ。西武ドームのように。もっと適当な屋根でいいです。
朝からスマホが動かず。すわ壊れたかと思ったら起動した。そろそろ更新時期かなあ。時時調子が悪い。大事なことはメモにした。さてまずは方方の片づけから。此処数日留守勝ちだったから掃除も行き届かず。冷蔵庫もカラに近い。曇っているので出来る限りの剪定と草取り。大袋に限界まで詰めて出した。八時には疲れたよ。続いて郵便局で個人事業税の支払い。留守中四番目の不幸の手紙が来ていた。此方は予想通りの金額。其の後スーパーで買い出し、猫餌を含めて三千円。何しろマヨネーズすら切らしていた。更に草取り一袋。昼は上馬の中華食堂へ。「オオゼキ」で肉と魚を中心にもう三千円。カップ麺、乾蕎麦、レタスとバナナと納豆、各種調味料、菓子パン他、此れで当面の食料不足は解消かと。朝の五時から昼の一時まで動き続けた。
午後は晴れて暑くなる。以後休憩に入る。するとシロを昨夜から見ていないと。そう言えば吾人も昨日の朝から見ていない。困りました。あんた、何処へ行ったの。其れにそもそも居ないと言われても探しようがないです。時折口笛を吹いて只管待機。待っていると四時半に日向灘で地震。被害は軽微だったが、なんと南海トラフ大地震の「判定会」の開催となる。其の結果、今後一週間は巨大地震に注意と言われてもねえ。海水浴場が困るだけかと。さてさてシロは七時過ぎに出て来た。気まぐれが過ぎるなあ。以後大量飲酒。そもそも地震が怖い人は、こんな国土には住めません。外国に行くか、敷地と建物をハンモックで吊るすしかありません。一方グレは夏痩せが酷い。鯛の刺身を沢山食べさせた。人には特売の牛ステーキ。グラム500円程度。
注・・正式には「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会及び地震防災対策強化地域判定会」が出した「南海トラフ地震臨時情報」。こんな制度があるとは知らなかった。所謂判定会は東海地震の訓練時によくやっていた。九月一日のやつ。地震の予知は無理だろうというのが吾人の見解。そもそも何時何処に来ても可笑しくはない。注意報なるものは全土全国民に常時出ていて当然のレベルです。
8/7・水
曇っても暑い。一日遅れたが朝方に水を撒いた。続いてゴミ拾い。ニ三日しないと既にゴミだらけ。なお草はもう取り留めもない。隣りも完成間近。足場も外れた。三階建てに四階分を詰め込んだ感じ。凝縮マンションです。また米国の株安に端を発し、東京市場も乱高下。貯蓄から投資へ、そんな馬鹿な。先ずは勤労と節約でしょう。高騰した箱根に代わってか、鬼怒川の旅館は国内客で賑わっていました。時と場所をずらせば安い。地方も喜ぶ。みんな嬉しい。また先月の東海道新幹線の事故、砕石運搬車がマルチプルタイタンパーに突っ込んだ原因は、前者のブレーキが摩耗していたそう。下り坂で止まれなかったよう。
須美伯母が来たので、昼は千代田寿司。お婆さん二人は此処の握り鮨しか食べない。吾人は助六で十分。コンビニの冷やし中華をプラス。考えて見れば、昨日はほぼ一日一食。何だか飢餓状態だった。段段晴れて午後出社。七時頃から雷雨となる。一時サイレンも鳴ったよう。目黒川かなあ。早めの退社後は碑文谷のココ一番のカレー。御飯少な目にしたら食べ足りず。丁度改札の所で広島焼きを売っていた。五百円に割引中。渡りに船である。夜半に掛けて漸く涼しくなった。今年は太平洋高気圧が今一つの模様。其れでも暑いけどね。本日缶ビール二のみ。
8/6・火
朝方に入浴。八時半に食事会場へ降りる。すると手に手を取った若いカップルが。あなたたち和合したね。いやあ大型旅館は色んな人が居て面白いです。何しろ普段泊るところは一人か多くても四五人だから。御粥から始まり、小鉢が沢山、鮭も大きな切り身、豪華な朝食だった。朝はみな平等だろう。お櫃の御飯は全て頂きました。さてそろそろ帰京しなければならない。昨夜のアルコール類の精算。中瓶830円、冷酒小瓶1400円、入湯税150円、現金で支払った。ちなみに此の宿の直ぐ隣りの建物も閉じている。地図ではホテルセゾンとなっていたけど、まだ新しいのになあ。つくづくモツタイナイです。なお本日は此のまま出勤する予定。取り立てて急ぐ訳でもないので来た電車に乗って帰ろうと思った。しかも普通列車で。所謂無ダイヤ運転である。最寄りの鬼怒川公園駅まで徒歩三分。此処は静かな佇まい。温泉街としては既に外れに当たるよう。簡易読み取り機にIC乗車券をかざして入った。
10時18分発の列車に乗る。行きと同様ガラガラの20000系が来る。四両編成のワンマン運転。此れは元日比谷線直通の車両。短編成化に伴い、運転台が増設された筈だが、新旧の区別は付かず。西日本には同様の措置をして、何とも言えない顔をした列車が沢山走っているが、東武鉄道はちゃんとしたのだと思った。すると次の駅で二十分以上も停車。自転車より遅いのが此の鬼怒川線である。漸く動いて下今市へ。此処から先は本線と成り、複線区間である。早く行けるだろうと思ったが、なんと上り列車は10分前に出たばかり。そして次の列車は一時間後だと。そんな馬鹿な。接続しないの。東武のローカルサービスも気が利かないなあ。丁度此処にはSL展示室などがある。郷に入っては郷に従ったが、15分も潰れません。おまけに此の先で人身事故があり、浅草行きの特急は急遽運転取り止めに。狭いホームは大荷物の人で溢れることになった。救済列車は出ないのかしらん。特に外国の方が困っていました。
途中再びSL列車を見送ったが、昨日とはまるで心境が違う。陸蒸気より普通列車を増やして欲しいです。電気の力の御蔭で運転士が一人居れば済む筈。一方のSLには機関士多数、車掌も複数、緩急車代わりの車掌車にも人が乗っていた。併し三両の客車に人影はまばら。ひょっとしたら従業員の方が多いかもしれないほど。ちょっと将来が心配である。なお特急客は後続列車に振り替え措置が取られた。リバティ三両分のお客を飲み込んで、新型スペーシアは定刻に走り去って行った。
さてさて漸くやって来た南栗橋行きに乗車。旅の再開である。此の辺は特急や快速で走ったことはあるが、各駅に挨拶するのは恐らく初めて。高校生と行楽客で大体満席。一時間振りの列車だもの。東武金崎とか、ただの藤岡とか、合戦場とか。楡木とか樅山とか板荷とか、雑木林みたいな駅もあるね。知らない駅が沢山あった。多くが小駅で簡易改札機のみの無人対応。「リリイ・シュシュのすべて」という陰鬱な映画があったけど、舞台は此の辺だったっけな。
何だか暇なので人間観察を。目の前には女子高生が座った。なかなかの風格。携帯扇風機でひとしきり冷やした後はスマホでユーチューブかと。暫くしたら英検二級の単語集を見始めた。勉学熱心だね。確か新鹿沼から乗って来たから、まあまあの進学校かな。地方に行くと高校名がバレバレなのが痛いところでもある。なお新栃木からは本数も増えた模様。新大平下で特急の通過待ち。此処は以前降りたことがある。十数年くらい前かな、太平山に登りました。確かホームの端に古いトイレがありました。恐らく修学旅行列車のトイレ休憩駅であったかと。小六の夏、此処で用を足した(ように思う)。1985年のことであります。非冷房の釣り掛けモーター車で行った。あれは何系だったのだろうか。四人席に五人座らされたっけ。三人目はきついからローテーションをしろと。子どもの数が多かったから義務教育も低レベルであった。とまあ各駅停車だと色色なことを思い出します。それにしても浅草にはどうやって行ったのだろう。世田谷からは結構遠い。此れは思い出せない。貸し切りバス?
そんなこんなで南栗橋までたっぷり一時間半。留置線には東急車もたむろしている。だいぶ帰って来た感じ。漸く急行に乗り換え。春日部で降車して野田線ホームで「東武ラーメン」。かなり遅い昼食である。600円。三分で食べ上げ、一本後の急行へ駆け込む。其のままメトロに乗り換え。職場の最寄り駅には16時に着いた。通算運賃1785円は安いけど、兎に角遅いよね。いや併し実に六時間近くも掛かった。ダイヤを精査すれば一時間半程度は短縮出来たかと。無ダイヤ乗車は厳しかった。こうして九時過ぎまで勤務。ちょっとだけ飲んで11系統に乗った。十時半過ぎに36時間ぶりの帰宅。鬼怒川温泉は絵描き旅行で亡父もよく行っていた筈。宿で買った饅頭を供えた。ゴロゴロと来たが此の辺は降らず。
注・・日光線は一時間に一本と二本のところがあり、丁度七十分来ないところに当たった模様。実に運が悪かった。なお映画の撮影地は伊勢崎線の方だった。県駅参照。また事故は高校生だったそうです。合掌。
注・・飲んだお酒は中瓶二、缶ビール一、サワー一。日本酒小瓶二。二日目はモーニングビールもなし。勤務前ですので。
8/5・月
さてさて出掛ける日である。家人用の弁当とサンドイッチを用意した後、取り敢えず浅草に向かう。本日は宿に着きさえすればいい。今回は静養が目的だから、観光も乗り鉄もバスの乗り遅れ等も無し。まず特急券を買おうと思った。鬼怒川行きの新型特急は満席の模様。一本後の日光行きにする。併し東武特急の窓割りなどは調べて来なかった。という訳で有人窓口に参る。陽の差さない方で、柱のない席を頼んだら、直ぐに発券してくれた。下今市までで1650円。矢張り窓口は便利である。列車までは時間があるので、蕎麦前ならぬ特急前をしたい。久久の浅草を一回り。行き交う人はほぼ外国人。併し地下の焼きそば屋や神谷バーも閉まっていた。あらまあ、プランAもBも崩壊しました。結局近くの元祖寿司に入った。店内は空気食堂。高額で珍妙なネタがガラガラと回るのみ。鰺と鯛、鉄火巻きと納豆巻きを注文。ビールと冷酒で締めて出た。
今回乗るのは13時発の「けごん25号」。古いスペーシアである。4号車8番D席。四割程度の客を乗せて出発。なお浅草駅改札内に売店はなかった。事情を話して一旦出場、缶ビールと電氣ブランサワーを調達。ひと心地ついた後、例によって車内検分。個室は一つのみ稼働。トイレは和式と洋式。前者は男性用朝顔の代わりだね。サービスコーナーは固くカーテンを閉ざしていた。嘗ての豪華特急も愈愈引退時期だなあ。すると此処でまた不思議なことが。春日部で乗車した乗客はお向かいの通路側に着席。知らないおじさん同士が隣り合わせに。窓側ですっかり寛いでいた人は此処に来るのかと驚いていた。沢山空いているというのに、どういう売り方と買い方をすればこういうことになるのでしょう。
列車自体は栃木県内を快適に走り、例によって下今市で乗り換え。待機していた新藤原行きに接続。単線なのかな、鬼怒川線は亀のように遅い。ひと雨あったようで涼しそう。鬼怒川温泉で下車。丁度新型特急の折り返し運転。一応見送った。続いて蒸気機関車の入れ替え作業。連結した後ろには14系客車とDE10型ディーゼル機関車。此方も既に十分な年代物。今や東武鉄道の方が国鉄らしくなっていると思った。C11は白い物を吐き、轟音を立てて出発して行った。偶偶だけどいいものが見られて良かった。
宿は此の先。少し歩こうと思った。線路沿いの道を行く。鬼怒川に泊まるのは1998年以来、実に四半世紀振りかと。以前泊った「福松」という旅館はまだあったが、予約サイト等によると素泊まりのみの模様。チェックイン時だがクルマも止まっておらず、口コミも散散な内容。確かあの時は仲居さんが居て、部屋まで食事を運んでくれたっけなあ。実に此の道沿い、半分以上が廃墟か閉鎖状態。歩道まで草が張り出し荒寥感が。一番目立つところなのに。
さてさて今夜は「まつや旅館」さん。二食付きの1.6万円余。直前割り引きということになっている。思っていたものより大型旅館だった。案内された部屋の眺望は抜群。得をしたね。早速入浴と休憩。晩食は19時から食事処にて。刺身、焼き物(茄子の田楽)、茶わん蒸し等は順次出来立て提供となる。但し揚げ物はなかった。鍋は豚のすき焼き。晩のコースにもランクがあるみたい。幸い周囲は同じものを食べていたから、内容別の会場割りなのだと解釈した。なお館内はかなりの人の出。家族連れ多し。賑やかだね。他にも若い人グループ、一人客、小家族、色色と。こうして生き残っているということ自体、エリート旅館ということになりますか。二度目の入浴の後、広い館内を探訪。スナックラウンジがあるということだけど此方は閉まっていた。22時には就寝。
注・・通路側のどこでもいい席を選んだとか。それにしても変だよなあ。
8/4・日
五時半にゴミ拾い。七時に富士そばで冷やしおろしそば。600円。具は大根おろしと鰹節とわかめのみ。蕎麦も少ない。富士そばの高騰ぶりは群を抜いていると思った。円高に戻れば、少し値下げして欲しいです。かんかん照りで猛暑が戻る。昼は日高屋へ。ビール二、中華丼他。家人にはかた焼きそばを持ち帰った。すると味が悪いと連呼。うまみ調味料を振り掛けていた。其れは正しい判断です。午後も漫然とす。買い物にも行けなかった。晩はある物を食べた。
ぼんやりテレビを見ていると、矢鱈М不動産のコマーシャルが目に付いた。スポーツを通じた街づくり・・・、なんてのを強調していた。だから外苑の木を切りますということなのだろう。まだまだ使える競技場も全てぶっ壊しますとも。甲子園はまだまだ使うというのになあ。スポーツというのは大資本と結びついているから嫌だねえ。東京五輪で幾ら使ったんだっけ。コロナのどさくさでみんな有耶無耶に。運動は散歩とゴミ拾いと草取りで十分。なお能登ではいまだに避難所に人がいるのだそう。此の暑いのに。本当に早く何とかして欲しいです。
8/3・土
気分を変えようと鬼怒川の旅館を予約する。人生(一人で)楽しまないと。月に一泊の割合で何処かに出掛けたいです。ちなみに今年は一月に新潟、二月に山梨、三月に軽井沢、六月に伊那に二泊、七月にいわきだから、一泊足りない計算になる。なお宿泊は明後日。例によって直前予約である。人生が拘束されるようであんまり予約や指定は好まないが、逆に確定した予定があることで人生が救われるという側面も否定しがたい。快適な温泉宿を想像することで堪え難きを堪えることが出来るのである。
家人にはコンビニ食を用意。段段晴れたお昼に出社。今日まで夏の講習。最後は中三理科。苦手な電気分野。内容はグダグダとなる。最終コマだからいいよな。退社後は無社長と酒席を伴にする。土曜日だけ手伝いに来ている岡本君も一緒。今春就職したのだが理系要員が足りないので教えに来て貰っている。併し彼は全く飲まない。其れでもこういう席は嫌いではないらしい。積極的に参加するようにと忠言した。大体、歴史は夜に、アルコールと伴に作られますので。続いて晴雷亭へ。須々木さんと佑子さん。昨夜の顛末の説明会。吾人としては内角低めのギリギリを狙ったのだが、球が逸れて乱闘になって仕舞いましたという喩えが適切かな。また此方では久久に金子さんと会った。昔はよく飲んだ人。定年退職後は学童クラブで働いているのだそう。鶴木さんとの思い出話を幾つかした。帰宅は十一時。本日はロハだった。
8/2・金
晴れてはいるものの異様な炎暑は収まった。昼に出社。中三理科はイオンまで。やれやれである。月波君が来たので、まず古い天ぷら屋へ。続いてBへ。ほぼ皆さん勢ぞろい。調子に乗っていると年増の従業員に怒られる。注文の仕方が悪いと。面白く言った積りなのだが、癇に障ったのだろう。此の人は怒りっぽい。飲食業は考え直した方がいい。口直しの為にIへ。最後は一人で「ラーメン亭」。帰宅は十二時。色色と書くべきことはあったのだが、其の一件以外には印象に残らない一日となって仕舞いました。
注・・元元海でただで泳いでいたお魚を下さいとか言っていたら急に怒り始めたのであった。冗談が通じない人は駄目です。だったら御自分で海に獲りに行って下さいとか、釣って冷やして運んで刺身にする経費を支払って下さいとか言って欲しかった。
8/1・木
久久に涼しい朝。久久に大小五袋の大量搬出。拾ったゴミも多数含まれる。さてさてまたまた昼食と晩食を考えなくてはならない。献立だけではない。家人の調理能力の低下に伴い、自前でやるべき部分が増えた。ますます複雑函数です。昼はサミットへ。天丼とうどんのセットととんかつ弁当。二つで1200円くらい。東北まで梅雨明け。午後は晴れてやっぱり暑い。何だか疲れが出て漫然とす。夕方前に草取りと弱剪定。小一時間。もの凄く古いてんぷら粉があったので、晩はお好み焼きを作った。実は初挑戦。ちょっと生地が固いなあ。長芋、青のり、紅生姜、揚げ玉が欠品。ある物焼きである。
時時映画「デモリションマン」。懐かしいです。公開直後に一度見ました。舞台は2032年の新エンゼル市。三十年前に予測した未来社会が面白い。クルマは自動運転。スマホやタブレットのようなものを多用。テクノロジーに監視され、乱暴な言葉遣いは罰金の対象に。副演のサンドラ・ブロックは20世紀マニア。荒荒しい昔の世界に憧れると。此の辺はあり得る話しだね。一方、飲食店はタコベルチェーンのみ。喫煙飲酒は勿論、肉食やチョコレート、バターや塩までもが規制されている。ある大災害を契機に一気に社会が変わったという設定。色色と示唆に富んだ内容となっています。最も外れているのは銃器のところかな。所持は禁止され、博物館のみの展示に。なお主演のスタローン様は監視カメラの映像を精査、早くも事件の全容を掴んでいた。出来る男は時代を超えても出来ますなあ。