2014年1月

1/31・金
 カラ咳が益益重くなって来たので、近所の医院に行き、掛かりつけの老師の診察を受ける。鼻に棒を入れて検査したところ、インフルエンザA型とのこと。イナビルという吸入型の抗ウイルス薬を処方される。小青竜湯などと合わせて、三割負担で1700円余りだから、相当高い薬なのだろう。呉呉も無駄にしないよう真剣に吸い込んだ。
ところで、老家人は常常「立ち食い蕎麦屋と薬屋は儲かる」を口癖としている。前者はお客の回転が良く、後者は品物の原価が安いということなのだろう。併しこの論法だと新薬の開発費というものが計算されていないのが難点である。どちらにしても人の口に入るものは、社会情勢に関係なく常常必要とされるものである。夕方には大部軽くなった気がした。此れも高価な薬を飲んだという、何とか効果かもしれない。


1/30・木
 一日安静にす。熱は三十八度五分程度。先月の市販薬の残りを飲んで対応す。それにしても佳く風邪を引く。色色な人から絶望を輸出されているせいだと思った。
朦朧としながら国会中継を聞く。頭がぼんやりしているので余り腹も立たない。つくづく政治家というものは風邪を引かないものだと感心す。矢張り真面な神経では務まらないのだろう。


1/29・水
 朝から妙なカラ咳が出る。体調も優れない。変だなと思いつつ午後出社。会社に着いた途端に益益具合が悪くなる。どうも風邪を引いたよう。今日担当する三クラス分の教材を作って直ぐに早退す。家に着くなり布団に潜ったが、悪寒と神経痛酷し。敢え無く今季二度目の発熱となった。


1/28・火
 一転して暖かい。夕方地元の人参塔の下に行き、都知事候補の陶芸家の演説を聞く。同志の元人気首相も来た。相変わらず演説は上手いと思った。現役時代はその出鱈目な政治方針に反対する立場だったが、原子力政策の誤りを素直に認め方向転換したというから、今回は支持しようと思う。それにしても数年かそこらで攻守が全く入れ替わるから政治というのは難しい。聴衆も複雑な思いを感じているらしく、拍手喝采の様なことはせず、割と冷静に聞き入っていた。


1/27・月 
 晴れても日中七度。午後出社。退社後は元店長の店に。他のお客もいないので随分話し込んだ。今月はお客の入りが悪く赤字になる見込みだと聞かされる。一時半ごろ帰宅す。


1/26・日
 少し変わったことをしなくてはならないと思い、朝から出鱈目散歩に出た。滅多に行かない二十三区の反対側に行く。北綾瀬でメトロを降り、偶偶来たバスに乗る。すると埼玉の八潮の手前まで連れて行ってくれた。此処は完全な郊外地である。空と空き地と点在する民家以外何も無い。やむなく今度はミニバスに乗り西新井に戻る。大師前で草餅を買い、再び適当に歩く。
併し尾久橋通りに出たら最後、辺りはロードサイドのチェーン店ばかりとなり、気の利いた飲食店が一つもない。漸く扇大橋で目についた中華料理屋に入る。割と立派な店で、店員はすべて中国人。担担麺に副菜食べ放題980円に、麦酒を二杯付けた。大抵の本格的な中華屋の麺類は、日本人がやっているラーメン専門店に比べ、具とスープは遜色ないのだが麺に腰がないのが残念である。而し此処のはしっかりとかん水が利いた中太縮れ麺で実に旨かった。併し昼時だというのに店内は閑古鳥が鳴いている。この辺りの景気はどうなのだろうかと思った。もう歩く気力が無くなったので、無人電車で西日暮里に出て、メトロで帰った。三時ごろ帰着。日中は暖かったが、夕方前から冬型に戻る。マ投手、法外な値段で刈り取られる。


1/25・土
 都知事選が始まる。福祉を充実させる。予算があれば防災対策をする。招致して仕舞った以上、五輪の準備はなるべくお金が掛からないよう粛粛と進める。こういったことに異論はないだろう。矢張り争点はあの古い発電方式の可否である。一日無為。
 家人が熱心に見ているので「足尾から来た女」という公共放送のドラマは最後だけ見た。すると女主人公が原敬に石をぶつけている。尤もテロルに奔ったというわけでは無く、文字を覚えて社会活動家を目指すという文脈の事らしいが、その後の普通選挙制と政党政治が辿った末路を思い出すと、何だか却って怖ろしく感じた。


1/24・金
 一日晴れ。退社後、轍田さんが来たる。どうも家庭内不和で不満が溜まっているよう。ところで轍田さんは速記の仕事をしている。此の仕事も自動化が進み、今は養成も採用もしていないという。バス車掌、タイピストキーパンチャー、電話交換手、エレベーターガールなどとともに、無くなってしまう職業の一つとなった。元店長の店に行き、最終電車に乗っけて帰らせた。店の奥に鎮座する大将や女下士官に掴まらないように忍び足で帰宅す。
その代わり警察官二人に追い掛けられた。毎晩こうも寒いと出歩く人も少ないので、暇を持て余していたのだろう。今夜は年増の巡査長だったので、割と物分かりが良かった。それにしても高齢化が進み日本中が年寄だらけになったら、事件も事故も少なくなるだろう。そうなったら夜回り警察官も不要である。一方高齢者を病院に搬送する救急隊は大忙しとなるに違いない。警視庁から消防庁に集団転職させねばならなくなるだろうと思った。一時半頃到着す。


1/23・木
 一日晴れ。午後出社。退社後月波君来たる。十二時帰宅す。


1/22・水
 吾人はベストセラーは読まないというのを基本としているが、今更ながら「デフレの正体」は読んだ。人口の高齢化がデフレーションを引き起こしているという四年前の本である。内容的には中中どうして、佳く書けている。大貧学院がどうして此れほどまでの苦境に陥ってしまったのか、この本で大方説明できると思った。只、生産年齢人口というと少しわかりにくい。生産力より消費力の方が問題なのだから、消費人口の老齢化というべきであると思った。
尤もデフレーションの原因には他の要素もある。海外から安くて良い品物が押し寄せるグローバル化と、あらゆる産業の自動化とマニュアル化、所謂マクドナルド化である。これらの要素をプラスすれば、近年のデフレーションは説明しつくせると思った。ところで、本の内容を知ってか知らずが、現政権も賃金上昇による内需拡大を唱えるようになってはいる。実現出来るかどうかは別にして、この点に関しては本の著者も賛成する所であろう。
 午後出社。少し内需を掘り起こそうと思い、春の宣伝活動を始めた。退社後は立ち飲み屋を連戦す。三時から十一時までほぼ立ちっぱなしで草臥れた。


1/21・火
 あちこちで集団食中毒が起こる。此処でノロウイルス流行酷しと書くと日本中の野呂さんが迷惑するから、正式名のノーウォークウイルスの流行酷しと書くべきであろう。ノーウォークはアメリカ北東部の小さな町の名前である。この田舎町の小学校の集団感染でウイルスが最初に発見されたからこの名が付けられたという。尚同名の町は幾つかあるらしいが、日本国内で使用する場合は迷惑にはならないであろう。このウイルス、元元は貝類が広く保有しているものだという。冷たい海の牡蠣か何かの中に居るより、人間の腹の中の方が余程居心地が良いらしく世界中で大増殖とのこと。一度酷い目に遭っても免疫はできず、何度でも罹るというから厄介である。吾人も恐らく何回かは厄介になったと思う。特に十年位前の年末は酷かった。無論当時はノロウイルスという名前もなく、「典型的な冬のお腹に来る風邪」であったが。余りに吐き気が止まらないので休日診療の医院に行き、吐き気止めの注射を尻に打って貰った。其れが昔の漫画に出てくるような矢鱈大きな注射器で吃驚した記憶がある。その正月は幾らも飲めなかった。今でも心残りである。
 少し向学しようと思い、センター試験の数学を解く。特に幾何が難しい。現役時代からそうだったから、この年齢ではもはや理解不能であると思った。


1/20・月
 名護の市長は基地反対派の現職が再選されたとのこと。矢張り他国の軍隊は他国に押し返すしかなさそうである。尤も其れを自国の政府に期待するのは無理だろうから、この際いっその事、亜米利加の財政が破綻してくれたらどんなに佳いことかと思う。そして海外に態態軍隊を置いて措くお金が無くなりましたと言って呉れば幸いである。その際、呉呉もお金を出して引き止めるようなことだけはしてはならない。
 午後出社。久久の月曜の平常授業であるが、自転車に乗りながら無責任社長の顔を思い浮かべただけで段段腹が立ってくる。真面に給料を払うよう、出勤一番怒鳴り散らしてやった。
退社後は元店長の店に行く。元店長の店には立派なテレビジョンがある。こんな時間にテレビ放送を見ることは滅多にないが、映っている内容が宜しくない。月曜九時は民間放送の花形ドラマの時間であるというが、あまりに下らない内容なので見ているだけで腹が立って来る。こんな番組ばかりやるから、益益国民の頭がすっからかんの頓珍漢になるのだと思った。何から何まで腹が立って腹が立って仕様がないので軽く飲んで直ぐ帰る。1680円。結局家で焼酎を飲み直した。


1/19・日
 午前中に家を出て小田原に向かう。橙蔭学園で同じクラスだった有動君がこのたび結婚式を挙げることになり、其の二次会に呼ばれたからである。有動君とは実に真面目な男で、生憎学生の時分から吾人とは余り話す機会がなかった。彼に関しては真面目ということ以外何も知らないが、其れでも行くことにしたのは、何だかんだと他の同級生も行くというので、吾人もお付き合いする運びになった。
折角だから早めに行き、小田原城などを皆で歩いた。そもそもなぜ小田原かというと、有動君は三田の大学を出た後、色色と職を変え、今は田んぼで働いている。だから湯河原に住んでいる。また仕事が暇になる農閑期の一月に挙式の運びとなったのだろう。会場には色色と地元の仲間も来ていて、しっかりと根を下ろしているといった感じであった。
 而し二次会は他の参加者そっちのけで、小同窓会のようになる。それにしても、皆の顔と体型は、多少経年劣化した感があるが、性格も考え方も高校時代と大して変わらない。それでいて成人式一回分の時が過ぎて仕舞った。四十というと人生も折り返し地点であり、職業人生は既に後半戦である。吾人の人生は未だに何か始まったという感じすらしないのに、実に時が過ぎるのは不思議である。
 二次会は八時半過ぎまで続き、その後中華そば屋に行き、最終の特急に飛び乗る。百貨店勤務の津和野君、行政書士事務所を開いた赤木君、相変わらずパート勤務の土偶君、化学メーカー勤務の成光君、厳しい受験勉強を乗り越えた末の職業人生が余りに詰まらないという点だけは概ね話しが一致した。新百合ヶ丘で亀のように遅い各駅停車に乗り換え。世田谷線で帰宅す。何だか楽しさというより切なさが募る感じの会であった。帰宅後は佳くシロを撫ぜておいた。


1/18・土
 遅ればせながら中公新書の「政友会と民政党」を読む。戦前は全て小選挙区だったので、二大政党制であった。二大政党制では「反対党の失策は敵失となって、自党が政権党になることを約束する」。いわば、中学入試の和差算若しくはやりとり算の論理である。結果、「民政党はパリ不戦条約に難癖をつけ」、「政友会はロンドン軍縮条約を統帥権干犯と非難する」ことになる。パラパラとページを捲るだけでうんざりするほどの足の引っ張り合いであった。尤も現実政治の方は一大政党制に戻って仕舞ったから、自民と民主の引っ張り合いも今となっては懐かしい思い出である。一日晴れ。特に無為。


1/17・金
最近どうも自転車の動きが宜しくない。襤褸靴の靴底が可笑しいのかと思ったら、実は自転車の右側のペダルがうまく回転しないことを発見す。もう車齢は三十年に近いから、そういうこともあるのだろうと思った。霧状の油を差して誤魔化した。
それにしてもペダルが動かない程度の不具合で、途端に自転車は巧く走れない。自転車という乗り物は二世紀近くの歴史を持つから、その間さまざまな改良が加えられてきた筈である。其の膨大な改良点の一つにペダルの回転という項目もあるのだろう。世の中の森羅万象は、実に繊細で様様な工夫に満ち溢れていると妙に感心した。と同時に自転車のペダル如きに感動すること自体、吾人の精神性が徐徐に後退し保守化しているのかとも思った。
一日晴れ。阪神大震災から十九年。退社後、今夜は轍田さんが来る。立って飲んでいる内に大将と女下士官にも掴まり帰宅は三時過ぎとなった。


1/16・木
 瀬戸内海で航空母艦のような輸送艦が、四人乗りの釣り船と衝突す。輸送艦は人と物資を運送することが主任務で、やっていることは民間の貨物船や旅客船と同じである。但し輸送艦の配達先は前線であるから、後方の近海を航海するときはどうしても気が抜けるのだろう。同じようなことをしていても、軍事というものは民間とは本質的に異なるものである。
 一日晴れ。先月大して回れなかった世田谷ボロ市に行く。平日ということもあり、前回の五分の一といった人の出であった。午後出社。退社後月波君来る。二軒ほど飲んで帰った。


1/15・水
 一日暗い曇り。日中でも冷蔵庫の中のような寒さ。どういう訳だか、此のところ夜な夜な猫が上がって来ては安眠を妨害す。今朝など三回も上ってきた。
午後出社。退社後は年明け後初めて中華立ち飲みに行き割と早目に帰る。帰宅後は猫を散散弄って、夜更けに上ってこないように草臥れさした。


1/14・火
 一日晴れ。併し非常に寒い。家の中に居てもくしゃみが出る。今日で四連休もおしまい。読書の手を休め、少し受験問題を研究す。
愈愈陶芸家が元人気首相と組んで都知事選挙に出てくるという。元人気首相は、原子力に騙されたといって怒っているらしい。郵便局や労働規制など、今まで散散見当違いなものに怒って来たが、最後くらいは正鵠を得たようである。


1/13・月
 一日晴れ。少し外を歩きたくて上野界隈に行く。と言っても当てもなく歩き、久久にガード下の王冠というカレー屋で五百円のカツカレーを食べるのみ。全国チェーンの一番屋よりよっぽど旨いことを確認す。


1/12・日
 久久に何もない日曜日。尤も金曜会の新年会が企画されていたのだが、今年はキャンセルさせて貰った。折角時間が取れたので「罪と罰」に再チャレンジす。年末に公共放送で解説番組をやってくれたので、今年は読破の好機である。世界の名著版では挫折必至なので、岩波文庫版を新造投入す。ラスコーリニコフが、金貸しの老婆と義妹を殺害するところまで読み進めた。それにしても抵抗のすべさえ知らずに惨殺されたリザヴェータは、聞きしに勝る可哀想な人物である。


1/11・土
 都知事選挙には熊本の陶芸家も出て来るという。轆轤を回しているうちに、段段腹が立って来たことは想像に難くない。問題は、その怒りが持続してくれるかどうかである。暫らくして段段腹が横になって来たので、また辞めることにしましたというのでは困る。一日晴れ。今日は久久に予定無し。日誌を整理し、方方を点検し片づけて回る。


1/10・金
 朝から晴れたが晴れても寒い。午後出社。授業の合間に「消費税率引き上げに伴う授業料改定のお知らせ」を作成す。現行授業料に百五分の百八を掛けて行く。「消費税の主旨から正確かつ公平に転嫁させていただきます」などと政府広報のような文言を盛り込む。吾人も立派な官僚であると思った。退社後は久久に元店長の店に行く。軽く飲んで帰った。


1/9・木
 併しこうも易易と戦後というものが無くなるにつけ、やはり戦後というものが如何に脆弱であったかということを思い知らされる。誰も戦後を教えていないし、誰も戦後を教わっていない。そして戦前の社会が如何なるものであったかということについても。何も入っていない空っぽの頭には、わかりやすいスローガンが染み入るのであろう。
午後から寒気が入り特に夕方以降格段に寒くなる。バスと徒歩で出社。パン屋や焼き鳥屋の売れ残りを集めながら直接帰った。今晩も本当に麦酒二缶のみ。先月の電気使用量前年比二割増しの485キロワットに達す。


1/8・水
 今日から直ぐに通常授業。雨が降り出す寸前に午後自転車出社。雨が酷いので目黒経由でバス帰宅。帰宅後も麦酒二缶のみの休肝生活。
素面なので年末年始に録り溜めたドキュメンタリー類を見た。ベトナム戦争水俣病、どれもこれも気が重くなる内容である。そして何よりも気が重いのは、それらを遂行し肯定した政府と政党と企業が、未だに存続し続けているという事実であり、更に新たな問題が再生産されているということである。


1/7・火
 講習最終日。御昼前出社。退社後も直ぐに帰る。マーケットで半額の鮨を買い、麦酒を二缶のみ。ほぼ休肝日。


1/6・月
 結果として年に一二度あるかないかという大変な宿酔となる。起床直後は良かったが、以後徐徐に体調は悪化す。こうなると百草丸も効かない。御昼前出社。ふらふらになって授業す。何でもない筈の一日が、大変な厄日になるのだからお酒の力は恐ろしい。日中絶食。暗くなる頃になって漸くかけ蕎麦を食す。九時前帰宅。本日完全休肝


1/5・日
 芥田先生を交えた新年会を行う。忘年会では先生にお会いできなかったので、十五歳は年上のゼミ生の会に交ぜて貰った。浅草に十二時に行く。久久の浅草だが、日曜日ということもあって、大変な人の出である。特に観光人力車が多くなった。これでは丸で明治時代である。
早く飲み始めたからといって、早く飲み終わるという訳でもない。混雑のため最初の食堂は二時間で出されたが、以後店を次次に移動し、結局十時間のフルマラソンとなる。先生を秋葉原総武線車内までお送りして、ふらふらになって帰宅す。此れで年末年始の酒飲みは終了す。


1/4・土
 今日から講習も再開。午後出社す。何だか頭も舌も巧く回らず。麦酒二杯で御仕舞。ほぼ休肝日とす。


1/3・金
 金曜会で毎年恒例の駅伝を見物す。其の後総持寺にお参り。さらに鶴見の駅ビルの居酒屋に行き、地元に戻って御寿司屋に行き、更に元店長の店にまで顔を出す。結局十一時間近くを飲み通した。往路復路を足した時間より長い。電車は無くなり、足はもつれ、胃もざらざらするのでタクシヰで帰宅。道路が空いていたので普段より九十円安かった。


1/2・木
 駅伝中継は少しだけ見た。基本的に運動に興味はないが、マラソンにしろ駅伝にしろ、余計なものが映り込むのが面白い。質の悪そうなオートバイがパトロールカーのさり気ない低速走行に阻まれたり、サンタクロース姿の男が背広姿の男に追い掛けられたりするのを見たりした。
晦日に配達されたおせち料理を、二日で食い尽くしてしまったので、仕方なくマーケットに行った。値引きされた牛肉を焼いて食べる。


1/1・水
 何事もなく新年に至たる。つい奮発して獺祭の三割九分磨きを飲む。小売価格で一合六百円だから、店で飲めば千円を軽く超えるだろう。外ではロクなものを飲んでいないから、正月に飲むお酒ぐらいは佳いものを飲みたい。一日晴れ。特に無為。
 昨年の人口減は二十四万人を数えたそう。その分の需要減を何とか外国人観光客に埋めて貰うしかなさそうである。一千万人が七泊すれば、数十万人分の定住人口に匹敵するだろう。