2014年2月

2/28・金
 今日で二月も御仕舞。そう近所でもないが、拙宅から二番目近い魚屋が閉店す。愈愈消費税率引き上げに伴う廃業ラッシュが始まった感じである。ところで、来月の十一日で此の日記も丸三年となる。こちらも、ここら辺で店じまいにしようかとも思ったが、被災地の復興はまだまだだし、消費増税が経済社会に与える影響というものも見極めねばならぬ。それに此の可笑しな政権の末路を書き残すというのも一興である。従って当分続行することにす。
一日晴れて暖かく、丸で四月の陽気。午後出社。給料の一部として伍萬円受け取る。退社後は久久の金曜会に。再び轍田さん現れる。今日は最終電車に乗せて返した。一時ごろ帰宅す。


2/27・木
 方方の図書館で、アンネフランクの日記が破られる。流石に怪しからんとするむきが多い。ならば、嘗ての日本人が朝鮮半島や中国大陸でやってきたことを丸で無かったことのようにしている人が大勢いることに対しては、もっと恥じ入るべきである。
小雨模様。午後出社。退社後、月波君と客間君が来る。受験生がいなくなったので、割と早目に飲み始めて早めに解散す。夜は本降りとなる。濡れて帰った。


2/26・水
 一日晴れ。花粉のせいか目がしょぼしょぼする。退社後は立ち飲み屋に行くも、お客として来ていた従業員にくどくど絡まれる。折を見て元店長の店に避難するも、別の常連客が屯していて会話に入れず仕舞い。社内でも社外でも居場所がなかった。こういう晩は家で断腸亭日誌を読むのが丁度よい。


2/25・火
 漸く暖かくなる。三寒四温の始まりであると思った。愈愈花粉症の幕開けである。一日無為。


2/24・月
 ある女性作家が、缶コーヒーのコマーシャルには男ばかり出て来て怪しからぬと、コラムの中で悲憤慷慨していた。生憎吾人は緑茶党にて、缶コーヒーというものには全く縁がないが、言われてみれば、確かに缶入りのコーヒーというものを飲んでいるのは大半が男である。何処の業界もこぞって女性受けを狙っているのに対して、此の世界だけは頑なにそれを拒んでいるかのようで、何だか不思議な感じがした。午後出社。再びの定期試験前。退社後は元店長の店に少しだけ寄って帰った。


2/23・日
 川崎で回送電車と作業車が衝突す。終電後の事故なのでお客は乗ってなかったが、北海道といい東横線といい、最近鉄道事故が多い。今日の朝刊に、群馬の冷凍食品工場の話しが出ていた。安い給料で自棄になった従業員が、農薬を入れた事件の事である。巨大なレーンで働く自体辛いことだが、その上給料も極限まで減らされて仕舞っては、こういうことも起こるだろうと思った。それにしても事件のあった工場は、色色な経緯があって、今は漁業水産会社の関連であるという。作っていたのは主にピザ類で蟹の缶詰ではないが、何だか示唆に富んだ話しである。
午後は少し晴れた。一日無為。今度は名古屋で乗用車がわざと歩道に突っ込む。幸い死者は出なかったが、刃物を振り回されたら尚危ない。最近この手の事件は枚挙に暇が無い。


2/22・土
 先週の土曜は雪掻き、先先週の土曜も雪掻き、更に其の前の土曜はインフルエンザだったから、実に四週ぶりに土曜日が平常化す。一日晴れ。月波君がレンタカーで現れ、隣の空き家の二層式洗濯機を持って行く。来たついでに近所の食堂に出かけ、吾人だけ一献傾けた。結局今日も大量飲酒である。


2/21・金
 御昼過ぎに、滅多に聞かないラジオ局の放送を偶然耳にすると、憲法学者が出て来て随分常識的な話しをしている。よくよく聞けば、出演者は三田の有名な改憲派の教授である。従来の改憲派護憲派に聞こえるぐらい、此の国は右に傾いているのだと思った。午後出社。退社後は轍田さんに掴まり帰宅は三時過ぎとなる。


2/20・木
 山梨県民が雪に押し潰されていた日曜の夕方に、某首相は高級天麩羅屋で旨い物を食べていたと文句を垂れられている。この手の議論は大部前からある、余り建設的なものではないが、こうやって少しは文句を言われなければ、世の中の釣り合いが取れないというものである。それにしても物を知らない首相は、解釈一つで集団的自衛権まで行使できると考えているようだから、王様の頭はからっぽだと、重ねて指摘しなければならない。午後出社。退社後は直ぐに帰った。


2/19・水
昨年後期の国内総生産は思ったほど伸びなかったそう。駆け込み需要が相当あっても、此の程度なのだから、消費税率引き上げ後が心配だというのが大方の見方であろう。ただ、吾人の見解は正反対である。あの首相の支持率を引き下げるには、もはや何とかミクスを御破算にして貰うしかない。一刻も早く、いっそ明日にでも消費税率を引き上げ、世の中を一気に不景気にして欲しいと願う。中央線は概ね復旧したとのこと。ただ特急は走らないそうである。
午後出社。連日気温が低く、道端の雪の小山は一向に解けない。その内にだんだんと埃を被って今や真っ黒山である。こんなに汚れて仕舞ったから早く壊して、水になって海や川に帰りたいとでも言っているようで、何だか哀れに感じた。退社後は元店長の店に二時間半いた。今晩は新規のお客と変わった話が出来て佳かった。三千六百円。


2/18・火
 中央線は未だ全通せず。昼からは高速バスが動き始めたそうだから、漸く乗客は救出された筈である。一方今更ながら政府は対策本部を拵えた。秩父や山梨の雪掻きには自衛隊も出ている。遠くない将来、手にするものが、スコップから自動小銃に代わらぬ事を切に願う。
一日晴れ。積み上げた雪の小山を小型の鍬で一つずつ壊し、折れた枝を細かく裁断して袋に詰めた。結局今日も雪の後始末である。

 

2/17・月
 金曜日の夕方には新宿を出た筈の「あずさ」や「かいじ」は、未だ甲府にすら着いていないという。何処かの駅でずっと留まっている。流石に乗客は旅館や民宿に案内されたというが、「あずさ」はよく乗る列車だけに、乗員乗客の苦行は他人事とは思えない。因みにJRのホームページを見ると、件の広告は取り下げたよう。
つくづく今回の大雪被害の報道は少ないと思う。山梨は東京のほんの隣だが、生憎関東地方ではない。ローカルニュースが入りにくい事情もあるだろうが、それにしても何だか軽視されたような感じがする。午後出社。退社後は、何時ものおっさん連中と、何時もと全く同じ話しをして帰った。


2/16・日
 朝には何とか回復したので漸く再出動す。日中は天気も良く、粗方片付いてよかった。一方、山梨は道路も鉄路も寸断し陸の孤島と化したという。動かない列車や車に何十時間も閉じ込められるというのは、想像しただけで恐ろしい。こうなると、冬季五輪の金銀も目前の白銀に翳んだようになる。それにしても、政府の対応が遅くて怪しからんという声は聞こえて来ない。此れが民主党政権だったら、非難轟轟だろうに。
 飲食も再開す。但し夕飯時は日本酒を半合のみ。入浴後は麦酒の代わりに、子どもの飲むような炭酸飲料を飲んだ。


2/15・土
 昨夜就寝直後から胃の不快を覚える。夜間何度も上厠す。どうも胃と腸をやられたよう。朝方には滔滔嘔吐す。一方雪は未明まで滔滔と降り続き、昨夜片づけた筈のところに、昨夜以上に降り積もる。陽が出てくると、尚のこと恐ろしい光景になった。30センチ以上は優に積もっていて、庭木の多くがぺしゃんこになっている。朝方から雨に変わり、元元水分を多く含んだ雪が更に重くなったからであろう。直ちにスコップを手に出動すべき状況だが、体調優れず、戦意喪失す。それでも這う這うの体で何とか最低限は片づけた。併し午後から本格的に具合が悪くなり、敢え無く今季三度目の発熱となった。日中絶食す。思えば昨年も雪掻き直後に発熱した。何か関係があるのかもしれない。
雪害は思った以上で、甲府などでは1メートルも降ったそう。東横線ではブレーキが利かずに追突事故も起きた。多くの人人が、駅や空港や路上に取り残される。先週の雪よりよっぽど酷い。此の大雪の犯人は南岸低気圧であるという。生まれ故郷は東シナ海ということらしいから、凶悪化しているとしたら、地球温暖化の影響もあるのかもしれない。こうなると、太平洋側であっても、防災の項目に雪の欄も書き加えねばならない。


2/14・金
気象台は大して降らない降らないと言いつつも、どういう訳だか再びの大雪となる。午後は本降り。仕事を休んで雪掻きにあたる。夜半まで繰り返し作業にあたる。


2/13・木
 一日曇りがち。午後出社。月波君来たる。立ち飲み屋から座り飲みに様式転換したイタリア食堂に行く。コンヒィだのパテだの横文字の料理が六百円からあって旨かった。矢張りお酒は座って飲む方が佳い。安ワインを一人一本飲んで帰る。


2/12・水
 午後出社。千円床屋で散髪。退社後は独りで少し飲んで帰った。


2/11・火
 先月の電気使用量418キロワット、前年比6パーセント増。一日曇り。小雪も舞った。無為。冬季五輪の中継を少し見る。手すりの上を滑って、後ろ前でジャンプするという難しい競技があって吃驚す。当然選手が転倒することもあって痛痛しい。人が転ぶと、吾人の内股までスッとする。くれぐれも怪我のないようにして欲しいと思う。身の回りにまだまだ雪があって、転倒の記憶が禍禍しいから猶更である。


2/10・月
 今朝も憂鬱な目覚め。知事選では頭の可笑しい元幕僚長が六十万票も取った。出口調査によると、若い世代ほど支持が多いという。経済的苦境が、感情の劣化を招き、より過激な主張に流れるなどと識者は指摘するが、それにしても、ネオ何とかも何とかスピーチも外国だけの話しと思っていたが、もはやこうして眼前にあるのである。日本も滔滔そんな三流国になって仕舞った。それが何だかとても悲しいと思った。
午後出社。月曜会というほどではないが、轍田さんも来た。元店長の店に長居して、帰宅は二時近くとなる。


2/9・日
 東京では四十五年ぶりの大雪となったそう。プラスチック製のスコップを手に取り、再び立ち上がる。以後ずっと雪掻き。御昼前に都知事選の投票に行く。少し道を行くと、態態雪掻きをしていながら、好き勝手に雪を道路に投げつけている人が大勢いる。雪掻きとは、道路の雪を道路の隅に寄せ、少しずつ雪の小山を作っていく行為の事を言う。其れは正しい雪掻きではありませんと怒鳴りたくなった。是非公共放送が、雪掻きのやり方を教えるべきであると思った。
 雪のせいか投票率も低く、国際政治学者が圧勝す。陶芸家と弁護士会長を足しても及ばなかったよう。今回は吾人も「飲み屋では政治の話はしない」という平素の原理原則を犯してまで方方に投票を呼びかけたが、残念な結果である。


2/8・土
 早朝から近所で火事。古い家が少し燃えたよう。余りに身を乗り出して見ていたら消防隊に怒られた。一方未明から雪が降り続く。軽く佳い雪である。午後には冬季五輪を開けるぐらいとなる。当然何度も雪掻きす。例によって電車は多く停止す。試しにJRのホームページを開くと「ぜんぶ雪のせい」と大書きしてあった。若いタレントを使ったスキー旅行のPRなのだが、開き直っているようで何だか可笑しかった。ただ笑ってばかりもいられない。積雪は所によっては三十センチに迫る勢いで、夕方は一瞬停電もした。


2/7・金
政府の後ろ盾があるせいか、労働組合などは賃金引き上げを漸く訴えるようになったが、そもそも勤労者の大半は、組合もないような中小零細企業で働いている。此れは何も今に始まったことではない。日本経済の二重構造などと言われている古くからある問題である。それでも何とかやって来られたのは、経済全体が成長していたからであろう。併し成長の停止とともに、今度は非正規雇用が一気に広まって仕舞った。見た目は立派な会社で働いていても、組合とは無縁な勤労者が大量に生み出されることとなる。謂わば三重構造ということなのだろうが、幾ら構造が積み重なっても、勤労者の賃金は底が割れたような惨状である。低い賃金は消費を減退させ、巡り巡って内需関連の企業収益を悪化させているのだろうが、このスパイラルを逆回転することなど、果たして出来るのだろうか。
午後出社。退社後、月波君と客間君が来る。三軒ほど飲んで帰った。割と早く帰ったので、ソチ冬季五輪の開会式は途中まで見た。ロシアといって思い浮かぶのは、何処が先頭だか分からないような大行列とゴ書記長のしかめっ面という世代だが、そういう悪いイメージを払拭したくて仕様がないような開会式であった。


2/6・木
 公共放送も気が触れたような人物を経営委員に送り込まれて気の毒である。それにしても、元元は商社員だったり、構成作家だったりと、肩書は実に立派な人たちが、此処まで頭の中身が可笑しいというのも驚きである。あれだけ頭が可笑しければ、日常の業務に支障を来たさないのだろうか。更に不思議なことは、これだけ日本人を第一に考えてくれる人が政権の取り巻きに多ければ、沖縄の基地問題などあっという間に片付きそうなものだが、決してそうならないことである。彼らの矛先は中韓に向けられるだけで、一向に太平洋の反対側の大国に向かわないから、此の国の民族主義など高が知れている。一日曇り。今日も大変寒い。午後出社。晴雷亭に寄って帰る。


2/5・水
 晴れたがそれでも日中五度程度。午後出社。方方の店に顔を出し、健在をPRして帰った。


2/4・火 
 株高と駆け込み需要の御蔭で、昨年は百貨店の売り上げが十数年ぶりに前年より伸びたというから、珍しいことも起こるものである。思えば、此の国では90年代後半に、個人消費と個人所得のピークがあった。以後、内需と給料は縮小を続け、所謂デフレスパイラルという惨事に陥る。果たして、何かの弾みで十五年前に舞い戻ったとして、この惨事を防ぐことが出来るであろうか。未来からの預言者は、賃金を減らすと将来大変なことになるぞと叫ぶだろうが、経営者からは不況になったら人件費を削るのは当たり前と怒られるに違いない。個個の企業判断としては妥当な選択も、社会全体としては全く間違って仕舞う。今日のデフレーション合成の誤謬に近いから、その脱却は尚のこと難しい。
 一転してどんどん寒くなる。夕方は雪まで降った。税務書類の作成と日誌の整理。新興国不安を受け、株価も大部下がった。もっともっと下がって、頓珍漢首相の支持率を引き摺り下ろしてしまえばよい。万が一にも巧く行く筈の無いデフレ脱却より、隣国親善の方が余程大事である。


2/3・月
 昨夜から温風が押し寄せ、朝は霧が出る。遠くのマンションが煙って見え、今度は白内障になったのかと思った。従って一日異様に暖かい。午後出社。体調は何とか戻った。併し退社後は其のまま帰った。駒沢通りでラーメンチェーンの花月苑に入る。御客は誰もいない。此処のラーメンも十年ぐらい前に初めて食べた頃はとても旨かったが、今ではすっかり追い付かれ、追い抜かれた感じ。飲食業もつくづく難しいと思った。


2/2・日
 漸く起き出して、方方の軽作業を行う。少し外も歩いた。五日ぶりの入浴、五日ぶりの飲酒。麦酒の味の戻りはまだまだであった。


2/1・土
 朝方にかけて何度も寝汗を掻く。何とか熱と咳は治まった。ウイルスとの戦いに勝利したのだが、戦勝記念日というわけにはいかない。戦場となった身体の消耗ぶりが酷い。最新薬学が拵えた新薬を使っても此の消耗ぶりなのだから、インフルエンザというものはつくづく恐ろしい。質の悪い新型が流行したら大変なことになると思う。1918年のスパニッシュインフルエンザを扱った本に「忘れられたパンデミック=史上最悪のインフルエンザ」がある。表紙には臨時病院となった体育館の写真が使われており、手に取るだけで恐ろしい本である。中はもっと恐ろしいことが書いてある。
 JR東日本は山田線の不通区間を自前で復旧させた上で、三陸鉄道に譲渡したいと提案してきたという。北リアス線南リアス線は間もなく完全復旧するというので、実現すれば、岩手県の沿岸路線は三陸鉄道が全て担当することになる。JRは鉄路の復旧に後ろ向きだっただけに、今回の提案は驚きだ。