2018年11月

11/30・金

 朝から穏やかに晴れた。ガレージセールも再開。拙宅の食器類も出品す。テレビの簡単リモコンを買いに数キロ先の家電量販店へ。ラーメンが食べたかったがどの店も開いていない。モーニングラーメンをやったら儲かるだろうと思った。簡易保険の手続きも無事完了。一方電話の会社からは書類が返って来る。今頃になって契約者名に不備があると。そう言えば加入権は変更していなかった。従って亡父の名前は当分不滅である。

 午後になると家人は香典返しの買い付けで渋谷の百貨店に赴く。ぼんやりしていると何時の間にか宅配便の不在票が入っている。夕方少しうつらうつらしていた。いや併し、此の不在にしていなかった時の不在票ほど嫌なものはない。ある種の敗北感が漂う。そして再配達依頼ほど面倒なものもない。夜は銀座アスタ―の弁当。

会長はずっと小菅暮らし。流石に可哀想と言う声が出ている。日本の司法も酷いからね。何しろ十九世紀の水準だから。こういう所で後進国丸出しである。吾人なら三日でありもしない供述を始めるな。

 

11/29・木

 朝方は小雨。以後晴れる。何だか何もする気が起きず漫然とす。午後出社。鰻犬先生が訪ねて来て大貧学院のホームページを手直しす。パソコンに詳しい人が近くにいて助かった。退社後はBで二杯だけ。まいばすけっとの焼きそばで締めた。

早目の帰宅の後は映画「日本沈没」を見直す。丁度東京が火の海になる所。丹波哲郎扮する山本首相は、戦闘機や偵察機は何の役にも立たないと憤慨していた。航空母艦を造るより国土強靭化の方が数段増しだな。一機百億のF35はものの二十年でスクラップになるが、道路や堤防は末代まで残る。そう言えば先日通った野方の辺りも酷い。古い街が無くなるのは辛いが、防災上に限って言えば西武新宿線も早く敷き直した方がいい。よって隣の家も作り替える。

 

11/28・水

 引き続き亡父と生計を同一にしていた家人の医療費の積算。十月までで約十一万円。随分使っているな。また口座振替手続きが間に合わなかった為、吾人の国民健康保険料を納めに行く。約二万円。何処も彼処も口座振替の開始が遅い。要はクレカにしろと言うことなのかなぁ。でもクレジットカードは手数料が高くて大抵のドライバーが嫌がると昨日往路の運転手氏は述べていた。結局キャッシュオンデリバリー、やっていることは江戸時代と同じである。

午後は簡易保険の請求に移る。また戸籍謄本が必要なよう。出張所に行って帰って四十分。勤勉さの在庫を使い果たして仕舞ったので本日欠勤。基本的には穏やかに晴れた。間違いなく暖冬である。

 

11/27・火

 まあまあの晴れ。早速車を仕立てて小平霊園に向かおうと思う。家人はどうせ同じ運賃なのだから背の高い車の方がいいと宣う。最近導入が進んでいる新型車の事だろう。近所の中通りまで拾いに行く。併し新車の空車などそう簡単に来るものではないと思った。難しい顔をして数台見送ると運よくやって来た。

初老の運転手と共に走り出す。環七や青梅街道も混んでいて一時間半近くも掛かる。運賃一万円弱。其のまま納骨及び四十九日法要の儀に。和尚さんも二年前と同じ人。参加者は優子さんのみ。例によって石材店から墓まで徒歩移動す。つい二年前、此の道を一緒に歩いた人があっという間に骨になって中に入る。

 天気もますます良く、順調に終了。其のまま「橙や」という和食屋に移動。日本酒を少し飲んで御開き。さてさて帰りもタクシーと行きたいところだが、一時間以上もじっと乗っているというのも案外草臥れる。其処で西武線で行ける所まで移動することにした。ノロノロの各駅停車に乗り、中野区の野方で下車。以後環七を南下する。若い運転手が旧型をぶっ飛ばして四千円。半額だな。四時過ぎに帰宅す。此れで納骨終了、つまりノー骨となった。家人も少し休めるだろう。本日の費用、石材店に十二万円、御布施が六万円、納骨係りの人にも五千円。大盤振る舞いである。どの道、一周忌も三回忌もやらないしね。

さてさて次のステップに進まなくてはならない。準確定申告に向けて医療費の積算。凡そ四十五万円。夜はラーメンとノンアルコールビールのみ。パソコンの光回線が遅くてどうしようもない。またスマホのパズルゲーム(ラインポコポコ)も動かない。此方は無料で遊んでいるから文句は言えまい。ただ他の操作も遅いし、電池の減りも速いから愈愈壊れるな。

 政財界は意地でも外国人を入れたいらしい。併しグローバル化も行きつくところまで行けば、いい人材が安安と入って来るとは限らない。精精あと数年だろう(最近はベトナムの方までいらっしゃっているのでアジアの残りはミャンマーラオスくらい)。物価と言う点では中国の沿海部の方が既に高い。詰まり日本に来たって稼げないよな。其れは日本人が一番分かっている筈である。

 

11/26・月

 朝は晴れたが概ね薄曇り。午後千寿に出校。途中散髪す。退社後は「かつや」でロースカツ定食と缶麦酒をかき込んで直ぐに帰った。明日は納骨である。

 

11/25・日

 大阪には万国博覧会が来るよう。「つくば博」で盛り上がった世代(当時小学高学年)としてはもう一度行って見たい気もするが、多分行かないな。そういう物に興味関心を失って久しい。子どもでもいれば幼少期の感動を追体験するという目論見も成り立つのだろうけど(多分「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ!モーレツ大人帝国の逆襲」みたいになる)。2025年には維新の連中も一掃されていることを願うけどね。客乃間君からラインがあり、天皇制反対のデモが結構盛り上がっていたと。吾人も十代の頃ならば参加したかもしれない。そう考えると吾人も随分保守化したと思った。古い物が復活するのは困るけど、古い物は作れないから成るべく取って置きたいというのは自然な発想である。まあ其の程度の消極的支持ですけどね。

 一日穏やかな晴れ。朝から若林の大型量販店に参る。イヤホン、高齢者用簡単テレビリモコン、デジタル式温度湿度計、延長コードが欲しかったが、其の内の半分しか調達できず。店内が雑然とし過ぎてさっぱりわからん。あれではホームセンターの代わりにはならない。そもそも必要があって買いに出掛けているのである。不要な物を娯楽として買いに行って訳ではない。つくづく使えない店である。昼にラーメン食べに池尻まで行ったら日曜が定休日になっていた。其のまま上馬の中華食堂まで転進。今日も区内を往ったり来たり。勉強用の座卓とちゃぶ台は引き取り手無し。

 

11/24・土

 朝のお勤めの後は、出鱈目散歩に出る。小田急バスの一日券でまず成城へ。続いて千歳烏山。引き続き吉祥寺行きのバスを適当なところで降り深大寺まで徒歩連絡。早速門前の蕎麦屋で熱燗と鴨せいろ。丁度紅葉シーズンで大勢の人が出ている。大晦日の次に混んでいるといったところだな。大行列が出来ている店もある。あれでは一時間は待つ。そもそも蕎麦と言うものは、以下略。

 再びバスで調布へ。南側に移動。当然食べ足りないので「銚子丸」に入る。廻る寿司チェーン店だが変わったネタもある。長崎産の赤鯖というのが旨かった(一皿250円)。聞いたことが無い魚である(そもそも名前から言って形容矛盾)。スマホで調べると関西ではハチビキと言って下手な鮪より旨いとのこと。確かに、たしかに(二皿食す)。再び狛江までバス移動。一時間に一本の渋谷行きを掴まえて四時過ぎに帰宅す。バスは六本、飲食費約四千円。一万五千歩。本日は調理関係の小物しか動かなかった。夜は家人のチンジャオロース。

 

11/23・金

 自宅に還った鎌倉の伯父さんも具合が悪いという。幸い軽症らしい。いくら息子や御嫁さんが沢山いたとしても在宅介護は大変だよな。朝からすっきりと晴れた。冬型である。須見伯母が来るというので昼の弁当を買いに行く。飲食店は沢山あるが、ちょっといい弁当って地元では売ってないんだよね。唐揚げ屋で七百円の折詰めを漸く見つけた。吾人はひとりで「とらや」のとんかつ。

 夜は豚バラ白菜鍋にしようと思った。台所で火を使っていると何だか赤い。すわ、不完全燃焼か。東京ガスに緊急電話しようかと思った。まずは検索してみる。原因は水道水のカルキ成分らしい。どういう化学式になるのかまでは分からないが、気化したアルカリ性物質と反応して赤くなるのだという。今日買った加湿器(超音波式)を今日から使い始めていた。食後にもう少し調べてみると炎色反応と言う。数年に一度の割りでセンター試験にも出るそうである。成程、なるほど。此のペースで学習して行けば、数十年後には満点が取れると思った。本日の売り上げ、籐製の引き出し棚とミッキーマウスの貯金箱(「三菱銀行」進呈の品)。

 

11/22・木

 大体曇り。今朝は四袋、劣化した古い段ボールも可燃ゴミとして出した。此れで一段落かな。後はどろどろの古本の山がある。此れが最難関だな。取り立てて無為。何もする気が起きず、寝たり起きたりを繰り返す。今日は納め過ぎた後期高齢者医療保険料の還付手続きと火災保険の名義変更。いやしかし、何十通出したかな。朱肉もカラカラである。

 夕方出社。テストの結果が厳しかったらしく中一女子は何時になく真面目に聞いていた。少しずつ勉強する姿勢が出来ればいいんだけどね。そろそろスマホ中毒からも卒業する頃である。退社後は月波君が来たる。久久にA壇という居酒屋に。バーIにも寄って帰った。

 

11/21・水

 朝は冷えた。以後晴れ。朝一番で課長代理から電話があり、昨日の開示の報告。比較的好印象だったとのこと。此れを機に会って見るかな。其の人と。続いてS君と住宅メーカーの営業員がやって来る。既に大まかな見積もりも出ている。まあまあの物件が出来上がるよう。それにしても不動産業界というものは、果断即決、対応が早いね。なお松の木を残すとして、其の根がどれだけ張っているかで外構工事の費用がかなり変わるとのこと。来月に詳細な測量を行うこととした。

 午睡の後、早目に出社して諸諸の事務作業。退社後はBで。ベトナム人従業員に同国製のインスタントラーメンを差し入れた。軽く飲んで御仕舞。すると通り雨。堪らず適当な公園に緊急避難。周囲の住宅には大勢住んでいるのだろうが不思議と誰とも出合わない。森閑とした公園で漫然としていると、忽然とレインコート姿のおばさんが現れる。忽ち数匹の猫が出迎える。深夜のまれびとは餌やりおばさんなのね。野良猫に餌をやるなとか看板には大きく書いてあるけど、まともな神経の持ち主なら餌をやるよな。惻隠の情、今風に言えば人道援助である。 

本日の売り上げ、花瓶二、大きな火鉢一、年代物の量り(忠太郎爺さんが焼き芋を売っていた頃のものかなぁ)。亡父の自転車も無くなった。五年前に買って幾らも乗らなかった小径車。自作の譲渡証明書を付けた。街で擦れ違ったら面白い。また区による粗大ゴミの回収も行う。ゴルフバッグ、万代伯母のガスストーブ、伊那のホカホカカーペット。三品で1200円。

 

11/20・火

 朝から晴れた。信託銀行の人がやって来て、遺言書の開示。まあ我我に開示する分には何の問題も無いのだけどね。本日午後、渋谷の支店で第三の人にも開示するとのこと。どうなるかな、どきどきものである。相続で揉めるなど正しく悪夢である。

 昼はイオン系の中華食堂で炒飯とラーメンのセット(720円)。割と大盛りだが少し油っぽい。矢張り「福しん」の炒飯の方が旨い。午後も引き続き隣家の整理。義雄伯父さんの日の丸も出て来た。当時の塾長(小泉信三)の激励署名入り。慶応大学に問い合わせたところ是非送って欲しいとのこと。軍服と共に箱入れする。

夕方になるとパソコンのメールが送受信できず。また何かが詰まったか故障したのだと思った。色色やって見たが復旧できず。聞けばサーバー自体が壊れたとのこと。其れは吾人の全く関知し得ないことである。此の所、どうも少し参っているな。本日の売り上げ、小型の炊飯器。最晩年の万代伯母が少し使った。

一晩明けてみると、ビジネスの神様は、集りの疫病神のような扱いになっている。周到に内部通報と解職準備が成されたよう。陶片追放だな。そもそも権限執行者には大変な苦労が伴う。何も目刺しを食べろとまでは言わないから、それなりの報酬は必要である。それにしても何十億である。もう少し自制心というものを持たなくてはね。ところで自動車業界には詳しくないが、こうなることを予想した専門家は居たのだろうか。鉄道にはあのKがいる。早く居なくなって欲しい。Aと釣るんでいるから難しいだろうな。

 

11/19・月

 割と重い曇り。本日の可燃ゴミ、45リットルで八台体制。全てが隣家から出た物ではないが、日日膨大な物品が砧(清掃工場)の煙と化している。午後千寿に出校。駅前の丸井を上がって行くと食堂街まで行って仕舞った。可笑しいな、何時の間にか紀伊国屋がなくなったよう。隣の駅ビルのブックファーストに上り直し、『堀田善衞を読む』。新書一冊買うのも面倒な世の中になった。退社後は町屋のBと並びの「檜家」を流して帰る。夕方から小雨。少し降られた。

 自動車会社の会長も逮捕される。報酬を誤魔化していたよう。報告書の二倍も貰っていたというから呆れる。大体役員報酬ほどお手盛りで法外なものはない。明日の今頃は千寿の先の小菅だな。畳の小部屋で猛省して貰いたい。そもそもの原資は従業員の働きであり、関連会社諸氏の協力である。

 

11/18・日

 概ね薄曇り。朝から自転車散歩。大橋の「吉そば」で蕎麦朝食。するとどんどんと現場仕事のおじさんが入って来る。出勤途中なのだろう。日曜だというのにご苦労様です。拙宅も近近巨額の発注をいたします。

引き続き隣家の整理。出て来た蚊帳は防草シートとして再利用。更に奥から出て来た長火鉢を展示する。すると夕方になり古い物を分けて欲しいというカップルが現れる。何でも開業したての事務所が殺風景なのでインテリアにしたいとのこと。長火鉢とアメリカ製の宝箱のようなトランクケースをレクサスのSUVに積んで行った。此れでだいぶ再就職できたな。昼はコンビニの肉まん。夜は大関の鯛の刺身他。

 

11/17・土

 隣の隣の町会で古着の回収。朝から自転車の前後に積んで三往復す。亡父のものに加え、隣家の押入れの奥の院から出てきたものも搬送。伊勢丹三越の紙に包まれていたから上等着なのだろう。此れで衣類は概ね終了。途中三宿松屋でミニ牛丼。

 試験前なので午後臨時出社。三時から七時まで諸諸の質問に答えた。晴雷亭に寄って帰る。本日の売り上げは、ガスファンヒーター、木製の踏み台、帯も粗方無くなる。

 

11/16・金

 ロ大統領の口ぶりだと、二島返還すら容易ではなさそう。そもそもロシアには領土問題は存在しないそうである。終日晴れ。取り立てて予定の無い日。引き続き片づけとガレージ無料セール。なお状態が良い比較的新しい本は図書館へ搬送し、大量に発見された古タオルは近所の施設に提供す。お年寄りのお尻拭きに使うそう。此方はデイサービスで亡父もお世話になったところである。彼方此方と走り回る内に昼は「ホーチャン」でカレーセット。夜はスーパーのフライドチキンに鯖の缶詰。

 本日の売り上げ、火鉢一(金魚を飼うそう)、七月に買った折り畳みテーブル、寅さんが使っていたような革製のトランク、極めて古い置時計(多分アメリカ製)、他小物多数。貯め込んだものも多いし、棄てざるえないものもまた多い。其れでもこうして文章化し、また電子データに残す分には容量は無限大である。

 

11/15・木

 介護保険の高額サービス費が返還される模様。八月と九月で凡そ九万円。早速書類を作成す。三割負担だったから還って来る金額も大きい。となると介護費用は八月は53万円、九月は50万円に下方修正されることとなる。続いて納めた介護保険料も還付されるらしい。相続人総代者選任届も出す。どんどん出さないとどんどん滞る。書類迅速、落書無用。大工さんが再びやって来て、南側の補強工事。卒塔婆のような材木を打ち付けた。一時間ほどで終了。ぐらぐらのサッシもがっしり固定。此れで一安心である。また家人は施設に挨拶に行く。

午睡の後、夕方出社。退社後は立ち飲みBで凡そ二千円。帰宅後確認すると、本日の売り上げは座布団二、コーヒーカップのセット他。どんどん商品を補充せねばならない。但し着物の帯と亡父の画材(カンバス)は動きが悪い。

 

11/14・水

 天候も安定したのでガレージセールも再開。古美術屋さんに来てもらって見て貰う。土埃にまみれて見回ること一時間。目ぼしいものは何も出ず。古本の類は状態が悪く、骨董品のようなものも無し。特に軍刀や浮世絵が欲しかったようである。義雄伯父さんは学徒出陣だし、古い家と言っても昭和の初めの頃からだから、江戸時代ものとかないよなあ。其れでも蓄音機、手回し式洗濯機、大皿一枚、大小の掛け軸多数、軍用の水筒等、締めて五千円で引き取って行った。ピン札一枚、早速亡父に前に供えた。大セールの後は廃棄するしかないか。

 午睡の後、夕方前に出社。退社後は立ち飲みBへ。帰宅後本日の売り上げを確認。座布団一枚、花瓶二、行李、衝立も無くなっていた。

 

11/13・火

 例によって大量の不燃ゴミの搬出と朝のお勤め。続いて出張所に参り、必要書類を調達。其の足で小平霊園へ向かう。早目に名義変更をすることとした。今日は素直に高田馬場西武線に乗り換える。途中原宿駅の神宮側のホームが無くなっていて吃驚す。結構いい造りだったのだけど。そう言えば山の手線に乗るのも久久である。

曇天の元、管理事務所へ。手続きは直ぐに終了。後後の世代まできちんと管理しますなどという誓約書まで書かされた(実印押し)。いやしかしね、そもそも荒れ墓地にしようと思ってそうしている人は稀であろう。みな意図せざる結果なのである(拙家も極めて危険)。再来週は納骨なので、墓参りは簡単に済ます。小平南の「山田うどん」で天ぷらうどん休憩。適当な西武バスで武蔵小金井に出た。一日に二度も山の手には乗りたくないので、中央線で吉祥寺、井の頭線で下北沢。以後徒歩で帰宅。一万歩以上。

続いて不動産屋のS君を呼び立て、隣の空き家の解体と其の後を考える。吾人なりの大まかな青写真を伝えた(ある程度の植栽を残した形で賃貸物件を建てようと思う)。肝心の御金の方に関しては万代伯母の遺したものと老父の死亡保険金が頼りである。吾人とて、金融と言う近世最大の発明品の効能を認めない訳ではないが、銀行からは借りたくない。此方も大まかな金額を伝え、予算内で諸諸の計画が成り立つかどうかの検討を依頼した。今日は良く動いた。九時就寝。

 

11/12・月

 昨日談合坂のサービスエリアで購入したまたたび原木(300円)、三匹全員が無反応。反応には「個体差があります」などと書いてあったが、もう八歳のおじさんおばさん猫は何事にも感動しないのである。

 朝方は小雨。以後曇る。中目黒まで歩いて千寿に出校。少し歩きたい。自動車旅行だと運動不足になるからね。途中『編集者冥利の生活』。厳しく叱責したとかで小学生二人組が辞めて仕舞い、S子先生は消沈気味。吾人としては担当の生徒が少なくなる分は楽でいいんだけど。退社後は久久に「宇名とと」に。安いビールと五百円の鰻丼は健在。併し後者は随分小型化した。其れでも鰻は鰻。少しでも十分旨い。絶滅する訳である。

 

11/11・日

 宿酔は無し。早速薪ストーブを焚き付ける。まだそんなに寒くないので、小枝を中心に放り込んだ。自動車旅行だと総量としてのアルコール量が少なくて済む。何しろ「あずさ」だと新宿を出た辺りから浴びるほど飲んで仕舞う。回数券の廃止で今後は乗車機会が激減するだろう。健康にはプラスである。さてさて軽い朝食の後、早目の出発。と言うのも月波君が仕事がらみの市会議員の報告会兼飲み会に出なければならないとのこと。あちこちの店やサービスエリアに寄り、ワインや野菜やまたたび原木を積みながら戻る。

終日晴れた。中央道も快調其の物。都下の石川パーキングで蕎麦休憩。当然冷凍物である。そう言えば今回は蕎麦を食べなかった。長野県で食べたものと言えば、ラーメンとカレーだけ。本当の長野通は蕎麦屋などには行かないものである。午後一時前には到着。実に四時間を切る水準。千葉方面に回航する月波君とは直ぐにさようなら。

 直ちに排水管の点検。此の所は排水ノイローゼである。矢張り滞っている。バケツ二杯目で漸く流れた。此の苦しみから早く解放されたい。続いて伊那ゴミの再分別。瓶缶段ボールは言うに及ばず、壊れた鍋や電池電球やゴム草履等等の諸諸まで。全て世田谷の基準に合わせて分別し直す。何しろ月波君が借りて来たマークXと言う高級セダン車のトランクに入り切らなかったくらいだから、リヤカー一台分はあった。それにしてもゴミもワインも持って帰れるから自動車と言うものは便利である。期間は短かったが、少し気分転換が出来た。月命日なので、諏訪の御酒と、伊那の干し芋を供える。

 

11/10・土

 朝から晴れた。先ず木曽の神社にお参り。木曽福島の道の駅の後は、「宮古」という小料理屋でラーメン休憩。昼は中華そば屋、夕方以降は居酒屋という設定らしい。老夫婦でやっている。夜も楽しいのだろう。伊那谷へ戻り、駒ヶ根の光前寺に。紅葉シーズンと言うことで大変な人の出。まあ偶にはこういう観光地然とした所も良いと思った。

ところで此の街には有名なカレー屋があるというので表敬訪問す。落ち着いた店で旨いことは旨い。併しライスに対してルーが少な過ぎる。結局カレーまぶし飯となる。ライスを半分にするか、ルーが二倍は欲しい(値上げしてでも)。従ってカレーを堪能するという水準まで至らず。本格的な海外式のカレーは何処もそうなのだろうか。日本式のカレー屋しか行かないし、而も御飯少な目で注文するからよく分からない。隣の家族連れは、ライスとナンをどんどんお替りしていたけれど。

 少少落胆して山荘に戻ることに。ところでハイセンスのリモコンは酷いセンス。国内型とは明らかに違って極めて使い辛い。量販店に寄って汎用型を追加購入した。こういうところで差が付くのだな。海外メーカーとは。以後方方の片づけ。今回は山荘に堆積している大量のゴミも持ち帰る予定である。

六時ぐらいから須見伯母の料理で飲み始めた。「五一ワイン・スーパーエコノミー白」という1.5リットルの大瓶を空けた所で御開きとなる。

 

11/9・金

 朝から小雨模様。ところで隣の自販機は釣り銭切れで一週間以上何も売って貰えず。丁度ならいいだろうと硬貨を入れても直ぐに戻って来る。全く出る当てのない飲み物を温め、また冷やし続けている(ドウシテ?)。

 午後は本降り。夕方月波君が自動車でやって来る。テレビその他を積み込み、伊那に向けて出発す。都内は大渋滞だったが、高速道路に乗るとスイスイ動く。但し雨は止んだが霧が酷く、時折制限速度以下で走る。其れでも拙宅から二百キロ少少。あちらこちらのサービスエリアを冷かしながらも凡そ四時間で着くのだから自動車と言うものは速い。

 須見伯母が待っていてくれて、早速飲み始める。途中テレビの設営。15型の日立は32型のハイセンスに置き換えとなる。また拙宅で不要になった大型ホカホカカーペットも伊那に転勤。堂堂と広げた。此方の台風被害は軽微。リンゴの収穫も大丈夫そう。

 

11/8・木

 概ね曇る。大量に発掘された古着の類を可燃ゴミに。概ね数十年以上も前のものだからリサイクルにも出せず。リヤカー一台分ある。ゴミが無料な二十三区でよかった。何でも取っておくと後世の人が苦労する。あちら側で万代伯母と亡父はくしゃみしているだろうな。

 続いて保険金の請求書の作成。増えた分は八年間で38万円。利率0.4パーセントくらい。銀行の定期預金よりかは幾らかいいか。また信託銀行の人に聞いたところ、遺産分割協議中でも家屋の解体は可能とのこと。ただ第三の人がどう出るか分からないので、遺言書の開示以降にした方がいいと言われる。どちらにしても解体は年明けだな。まずは応急措置を依頼することとする。

 夕方出社。走っている傍から暗くなる。夕暮れの住宅街は物憂い雰囲気。高緯度中緯度地域は季節の変化が大きい。放っておいても気分が明るくなる春とは違い、秋は精神的には危ない季節である(春はもっと危ない人がいるけど)。だからハロウィーンだのクリスマスなどと色色なお祭りをやるのだと思った。では此の時期の日本だと、酉の市? インパクトがないな。冬の節分をもっと盛り上げて貰いたい。退社後は立ち飲みBと中華を回航。天屋先生のパイチューを口に含む。強烈だね。現代人は毎夜毎夜こうして憂さを晴らして帰るのである。

 

11/7・水

 引き続き隣家の片づけ。ウタ婆さんの葬式(昭和六十二年)の香典袋などまで取ってあるから敵わない。全て捨て去るより他になし。婆さんは自宅で看取られ、葬儀も自宅だった。御近所さんからも色色と貰っている。立冬だけど穏やかに晴れた。暖冬だといいな。寒いと年寄りが大勢死ぬ。米中間選挙、下院は民主党が取った。少し大人しくなってくれるといいが。

 夕方までに出社。金二万円受け取る。退社後はBとI。後者では二杯しか飲まなかったので、おまけとして自主制作CDを購入す。合わせて三千円。残念ながら聞くことはないな。本日の売り上げ、花瓶一、お盆一、漆器三、招き猫一、画材一、半紙一束。

 

11/6・火

 朝のお勤め。今朝は少し引っ掛かっていた。数日に一度の割合だな。引き続き納骨の準備。なお都立霊園の名義変更には戸籍謄本から印鑑証明、返信用の切手まで必要だと言う。流石に御役所である。続いて民間生命保険の請求。コールセンターの女の人には謹んでお悔やみ申し上げますなどと丁寧に言われたが、いや併し一千万支払って、受け取るのが一千万円+利息分って、どういう契約なんだろう。詰まり定期預金? 相続税も掛からないから一種の節税策? こうして世の中を見回すと、分からないことが実に多い。他は電気炬燵の解体。此方を伊那に持って行こうかと思ったが状態が悪いので断念す。2004年製の割りにコントローラーも稚拙。とんだ安物を使わせて仕舞って、万代伯母も気の毒だった。今からでも謝りたい。

午後から大雨。ガレージセールも中断。役所にも郵便局にも行けないから昏昏と午睡す。夜は残り物か冷凍食品。併し隣家の片づけを進めていると、色色な物が出て来る。殊に何かの教本とか。万代伯母が勉強したのだろう。ずっと独り身で、また此れと言った外の仕事もしていなかったのだが、其れでも何かをしようとしていた痕跡のようなものがある。

 

11/5・月

 朝方に一雨。以後晴れたり曇ったり。早速花瓶の類から玄関付近に並べ、「さしあげます」と紙に大きく書いた。再就職出来ると良いが。本位牌も届く。三万数千円。

午後千寿。S子先生からも香典を貰う。退社後は「加賀屋」で三杯のみ。帰宅後確認すると売り上げ(といってもゼロ円だが)は花瓶一、行李一、置時計一。まだまだ続続と品出しする予定。ところで記帳に行った家人によると、みずほ銀行だけ西暦に移行しているという。役所と金融機関だけは頑固に和暦を貫いていたのだけど。愈愈一角が崩れたな。

 

11/4・日

 特異日が終わると曇り勝ち。再び祐天寺に参り「Sガスト」でカレーの朝食。鶏の竜田揚げを付ける(450円)。もう一度空き家を点検すると二階のサッシ部分も外れ掛かっている。道路側に落ちたら大変危険である。解体するしかないな。手っ取り早く駐車場にでもするか。併し古いものが沢山あって捨てられない。大昔の家作帳とか五十年前の雑誌とか戦前の教科書とか。歴史的価値と言うのはないけどね。兎に角片づけを加速させようと思う。午後から小雨。夜はチキンとサーモンのソテー。市販のホワイトシチューのルーを溶かして掛けたら、コテンコテンになって巧く行かなかった。

 

11/3・土

 朝のお勤めの後、空き家の上窓が外れているのに気が付いた。一部のガラスが割れ散っている。脚立を出して片づけた。愈愈崩壊し始めている。早く何とかしなくては。続いて西友に行きテレビを購入。「ハイセンス」製。勿論メードインチャイナ。所謂ジェネリック家電なので32型で二万数千円の品物である。此れを「あずさ」ではなく、月波君のクルマで伊那に搬送する予定。持ち帰った後は、引き続き空き家の修繕。他のガラスも落ちて割れて飛び散ると危ないので、ガムテープを張り付けた。まるで戦時中である。開いたところには取り敢えずビールの段ボールを宛てがう。すると肝心なところで布テープが無くなる。慌てて買いに行ったが、百円店のものは薄すぎて駄目なんだよな。

 さてさて土曜であるが文化の日である。晴れの特異日日本国憲法公布の日でもある。明治節に戻せなどと言う声も聞こえなく無くなったので良かった。午後鶴木さん主催の「川崎市民祭り」へ。方方の屋台村にて大量飲酒。例によって座って飲むところが少ないが、探し回って何とか得られた。鮎の塩焼きからワンカップまで一般小売価格に近い値段で売っているから酒飲み天国である。閉園時間になったので「天龍」に転進。ふらふらになって帰宅。途中多摩川駅構内の「梅もと」で蕎麦休憩。ひとりで食べる天麩羅そばには気楽と言う薬味がついているから頗る旨い。祐天寺の駅ビルが新しくなっていたが特筆すべきことは無し。コーヒーショップより駅蕎麦屋が欲しい(ずうっと前にはあった筈)。鯉は鷹に一つしか勝てずシリーズ終了(ドウシテ?)。

 

11/2・金

 今年のカレンダーもあと二枚である。欠礼葉書(約二十枚)も投函。家人は鎌倉へ。昼は地元の店でとんかつ。老夫婦プラス娘さん(?)でやられているらしい。ロースかつ定食が八百円。とんかつ屋と言うのも古い店が多い。御つまみ類もあるから昼より夜の利用の方が合うかもしれない。

午前午後と漫然と周囲の掃除と整理。亡父の手帳を広げていたら、裸体を写した一片が出て来る。相当古いものである。爺さん、後生大事に隠し持っていたな。家人には黙っていよう。心なしか振り返って見た遺影が一層笑っているように見えた。夜は崎陽軒の弁当。

 

11/1・木

 渋谷の騒乱も昨日で終わり。映像を見ると物凄い人の数であった。将棋倒しが起こらなくて佳かった。そもそも憂き世である。みんな集まって騒ぎたいよな。あんまり目くじらを立てるようなことでは無し。年に一度の事だから許してあげなよ。どうにも最近の日本社会では、「他人に迷惑を掛けること」を極度に嫌う傾向がある。雑踏警備は警察本来の仕事だし、ゴミ拾いや後の始末は渋谷で利益を得ている人や近隣の年寄りがやればいい。お互い様である。こういうことに矢鱈不寛容な人は恐らく自らの幸福感が足りていないのだろう。

 さてさて月も代わったが、やっていることはまるで同じ。まず朝のお勤めと称して排水管に水を流す。取り立てて異状は無し。続いて石材店に電話をして納骨と四十九日法要の手配。水道の明細書が来る。前年同月比25パーセント減。三分の二にはならないよな。

 御昼前に設備屋さんが来て配管の視察。見た所どうも中央部が何かしら欠損している模様。劣化だな。矢張りコンクリートの三和土を叩き壊して管を作り替えるよりなさそうである。全長数メートル。工期は二日程度、予算三十万だな。

終日冬型の晴れ。ゆうちょ銀行の人が来るというので早目の出社。またシステム変更だという。慣れた頃にはさようならである。以後暇なので半年ぶりのチラシ入れ。街並みも少しずつ変わっている。新築住宅を中心に投げ込んだ。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。復路久久の不審尋問に遭う。二度目の防犯登録も抹消されていたことも気に掛かったが、若い巡査に「おとうさん」と呼び止められた方の衝撃が大きかった。日韓関係は再び混迷の模様。まあ、消えた筈の請求権が復活すること自体は歓迎すべきことなのだけどね。

 

2018年10月

10/31・水

 午前中は土壁の修繕作業。何時もの大工さんが来る。ベニヤを切って塗って、梯子に乗って打ち付けるだけなので大して難しい仕事ではない。若い見習いさん(女性)も同行していたので研修がてらには丁度いいと思った。今度の人は続くかな。何でも親御さんは大工さんだそうだから有望新人である。一時間半ほどで終了。此れで月初の破損が月末に直ったことになる。後は排水管だな。

 午後出社。金参万円受け取る。退社後はBで二杯だけ。「あずさ回数券」も来春で廃止になるのだという。実質大幅値上げ。困ったな。世帯年収も減ることだし、今後は高尾まで京王で出て各駅停車で行くか、高速バスを使うしかない。金券屋さんや甲府や中信地域の人は反対するだろうが、此の所の中央線特急の混雑は目に余るものがあったから、多少の乗客減は織り込み済みなのだろう。またシロの瞼の傷は治ったよう。こうして何にもいいことのない十月が漸く終了した。

 

10/30・火

 年金博士でも修士でも学士でもないからよく分からないが、昨夜から何遍計算しても受け取る年金が少なすぎると思った。取り敢えずは正式な支払い決定通知書を待つしかないな。朝から良く晴れた。引き続いて出張所に参り、今度は葬祭費の申請と後期高齢者健康保険証の返却。七万円が受け取れる。事実上の火葬代だな。都内の火葬場はどういう訳だか大半が民営で少し高い。貴賤貧富に関わらず生まれて来た以上は必ず掛かる経費なんだけどね。

川崎の叔父さんがやって来て、従妹の健二君らの御霊前を供えた。家人と共に近くの和食屋で昼餐会。故人の供養という名目で昼酒も呑んだ。鰻丼を食べたので、夜は冷蔵庫の残り物で節約す。

 

10/29・月

 再び秋晴れ。準備万端整え、世田谷年金事務所に家人と向かう。遺族年金の請求である。以前上町にあったものが、今は二子玉川の新ビルディングにある。多摩川も一望。景色もいいと気持ちも和む。予約したこともあるが概して空いていた。スムースに相談ブースに移動。初老の女性職員が担当す。言葉は丁寧だが、端端に御役所の名残がする。まあ此の人が採用された頃は社会保険庁だったのだろうな。いや併し、超最新式のオフィスビルに年寄りがノコノコ入って行くとなると違和感満載である。

多少の記入漏れを埋めたら、すんなりと受理される。併し問題は金額である。試算によると基礎年金部分は敢え無く消滅。老齢厚生年金部分は四分の三された筈だが、其の分家人の厚生年金受給分が相殺されることに。寡婦加算などもあったが、総じて半額以下、いや三分の一強となる。驚くべき縮尺であると思った。こうなると一般家計も恒常的に赤字だな。家賃収入から補填するか、吾人の働き方を拡大するしかない。何だかぐったりしながら電車で戻る。家人とは駅で別れ、吾人は千寿に転進。上の空のままに授業す。

 帰りは町屋のBへ。D店長はいなかったが、少しいたアルバイトの人が辞める日なのだという。お別れの席に混ぜて貰う。同い年ぐらいの人だったが、聞けば本業は芸能プロデューサーであると。人は見掛けによらないと思った。もう少し飲みたかったが、連日連夜の暴飲で心臓がバクバクに(心拍異状は悪酔いのサイン)。三杯で止めにして、這う這うの体で帰宅す。

 それにしても、である。此れでも世間的にはまあまあの年金であろう。其れでもいざ年金収入だけとなると、実際生活が成り立たない。高齢化に伴い内需が落ち込む筈である(デフレの正体)。さて何から削ろう。まず新聞だな。其れとも立ち飲み屋で働くか。

 

10/28・日

 朝に見るともう紙が詰まり掛けている。慌ててバケツで流した。抜本的対策を急がなくては。日中曇り勝ち。昼は長駆して駒場の「千里眼」へ。「ラーメン」(750円)。謂わずと知れた二郎系である。併し此の手の店は何時も混んでいるし、独特の緊張感が漂う。呪文のようなトッピングの申告にも気を使う。もう少し落ち着いて食べたいものである。肝心の味はと言うと本家(といっても知らないのだが)に近いワシワシ麺。もう少し多加水の方がいいな。

夜は環七の鰹刺し他。此の古い魚屋も豊洲移転を乗り越えて営業中。一方松陰神社の「魚竹」は閉じて仕舞ったと東京新聞には書いてあった。家人は二日続けて千代田鮨。吾人は糖質を抜く。

 

10/27・土

 未明は大雨。以後急速に晴れる。朝から「富士そば」。昼は自転車で都立大の「ぎょしん」へ。此処は回るのだけど回さない寿司屋である。一応真ん中で人が握っている。途中から満員満卓となり取り付け騒ぎのように。米粒が弾け飛ぶ勢いで握っていたが追いつかなかった。人間観察には丁度良かったが、何だか食べ足りないので「ふくもり」で追加のラーメン。以後無為。

夕方近所の八木さんの弔問を受ける。思えば町内で付き合いがあると言うのも此の人以外殆ど居ない。亡父には絵のサークルや早起きラジオ体操仲間も居た筈なのだが、連絡が途絶えてだいぶ経っている。家人不定愁訴のため、夜は千代田鮨を購入。吾人は唐揚げのみ。

 

10/26・金

 昨日のラジオによると作られた服の実に半分近くは廃棄されているのだという。明らかな過剰生産。供給過剰。合理的に市場を調査し、生産性の向上に励んだ結果が此れではね。また神戸の新聞によると芦屋市のゴミパイプラインも廃止。収集車による輸送に戻るとのこと。子どもの頃の図鑑にはよく登場していたな。宇宙旅行無人運転車、リニアモーターカーなどと共に。未来は不定である。物を物理的に動かすのは想像以上に難しい。

 珍しく朝からパン。すると予想通りの胸焼け。堪らず昼に「ホーチャン」のカレーライスを掻き込んだ(600円)。二度目だけどやっぱり旨い。午後は漫然とす。晩は適当なおかずで中量飲酒。夜は映画「もののけ姫」。文明は野蛮で、野蛮は文明。詰まり啓蒙の弁証法だな。併し二十年前の映画である。最近の人間様はこんなことを考える余裕すらなくなった。

 

10/25・木

 朝起きて見ると再び下水が溢れている。而も今回は管の途中で詰まっている。もうどうにもならない。結局テレビコマーシャルでやっているところに緊急依頼す。一時間ほどで到着。早速高圧洗浄を行う。ものの十分で流れて行った。ベテランの人が周りの清掃までやってくれて48600円(!)。前回の業者より一万円高いけどやむを得ない。それにしても此の二年余で三回目である。おちおち外出も出来ず。節水タイプのトイレだと水が足りなくて流れないのかもしれない。此れを機にバイパス工事を検討しようと思う。

 嫌な記憶は上書きするのに限る。シャワー入浴で禊ぎを済ませ、区の出張所へ。遺族年金請求に必要な書類を揃えた。戸籍謄本、住民票二通(除票を含む)、家人の非課税証明書。遅い昼食と仮眠の後、本務校へ。立ち飲みBで少し飲む。それにしても今月はろくなことがない。

 

10/24・水

再び未明に目が冴え、また過呼吸になりそうだったので、起きて喪中挨拶を完成させる。「本年十月、父が九十三歳にて永眠いたしました。六月に体調を崩し、あっという間の出来事でした。私と父は年が離れていることもあり、親子の関係は比較的薄かったのですが、其の分、命を永らえることで、絆を深めることが出来ました。有り難いことであったと感謝する次第でございます。また、故人生前中にひとかたならぬご厚情を頂きましたこと厚く御礼申し上げます。平成三十年十一月」。吾人としては珍しく元号表記とした。

適当な葉書に印刷して宛名も書く。誰に知らしめるべきか。最晩年の亡父には手紙の類は殆ど来てなかった。それにしても大量御逝去時代だから年賀状など益益売れないだろう。欠礼葉書と言うのは大抵一方通行だから郵便事業会社としては売り上げが半減することになるな。朝刊を読み、再び就寝。

昨夜官房長官が突如会見して行方不明になっていたジャーナリストが保護されたと述べていた。まるで自らの手柄のような言い方だったが、官房機密費が使われたようには思えず。取り敢えずは佳かった。またサウジアラビアの筆頭皇太子には批難轟轟。何しろああいう国だからな。早く石油の要らない生活をしたいものである。

何だか結構暖かい一日。漫然とした後、夕方出社。コピー機が新型になっていた。リースの期限はまだ来ていない筈なのだが。早目の切り替えのおまけとしてパソコンを二台貰ったそう。併し中味がカラッポのデスクトップ型を貰ったところで大した使い道がないな。つくづく頓珍漢学院である。退社後は立ち飲みBを覗くも、皆さんお留守の模様。其れでは客のいないバーIでしんみりと行きたかったが、店主誕生日につき飲み放題サービスデーとのこと。三千円で三杯だけ飲んで帰った。例によって鎮具破具な一日。家人風邪を引く。

 

10/23・火

 一転して小雨模様。家人は遅れていた胃の検査。取り立てて問題はなさそう。午前午後と書類書きをしたり、税金の計算をしたり。いや併し、亡父の職歴(年金加入歴)まで書けと言われても分からないよな。何回か転職している筈である(恐らく昭和二十年代のこと)。

喪中葉書を買いに行くも無地のものは売っておらず。文面くらい自分で打ちたい。家人宛にも新しい保険証が届く。三割負担が一割になったと喜んでいたが、此の先どうなるのだろう。相続が終わればまた三割だな。出た序でに西友で刺身を買った。夕方になり好き勝手に飲み始めようとした時、小皿を三枚取り出したことに気が付いた。

 

10/22・月

 今朝は良く寝られた。晴れて暖かい。御昼過ぎまで漫然とす。午後千寿に出校。退社後は「福しん」で生姜焼きに炒飯。矢張り旨いな此処の炒飯は。日本年金機構から書類が来る。書くところも提出する証明書の類も桁違い。遺族年金の請求など容易な事ではないな。

 

10/21・日

 一時間ほどで目が覚め、以後過呼吸に似た症状に。体内の圧力が高まって空気が入って行かない感じ。夜明けまで七転八倒す。息を吸って止めてゆっくり吐くを繰り返したら何となく収まった。アルコールが足りなかった。

 朝から秋晴れ。隣の町会で古着回収をしているというので自転車で搬送。肌着の類だけで三往復。こうして何段階、いや何十段階という過程を経てお別れをするのだと思った。昼は祐天寺の「ホームベース」という店に。大瓶に焼き秋刀魚他。磯丸水産の新業態らしい。昭和の大衆酒場がまあまあ再現されている。但し従業員が若い。もっとおばさんとおばあさんを雇わなくてはね。でもまあ座れるのはいい。中年齢化に伴い、最近実は立ち飲みが辛い。午後は昏昏と睡眠。夜は残り物と白ワイン。

 

10/20・土

 まあまあの秋晴れ。偶には散歩をしようと思った。何しろ此の数か月は何処にも出掛けていない。いろいろ考えたが結局亡父が修行をしているという横浜の御寺を目指すこととす。仏教では四十九日までは精進の身なのだそうで、激励視察である。東横線の大倉山下車。初めて降りる駅である。新幹線が近い。

御寺は丘陵地の上の方にあった。ちょっとしたハイキングである。丁度法事の最中であった。しっかりやって貰っているのだろう。何しろ家人が間違えて御布施を一枚多く包んだのだ(81万円)。其の後臨港バス綱島へ。「キング」という店で餃子と麦酒の休憩。江田行きの東急バスを見つけたので乗って見る。ごちゃごちゃの綱島駅前を抜けると一気に田園地帯に。片田舎を走る感じ。旅気分も味わえた。終点まで乗り通し、田園都市線で戻る。何時の間にか秋も結構深い。此の数か月は一種の記憶喪失でもある。

 電話局から書類が来る。加入権は未だに財産の一つと考えられているらしく、戸籍謄本まで必要なよう。最難関だな。寒気が入り、夕方から大雨。

 

10/19・金

 概ね曇り。久久に取り立てた予定の無い一日。引き続き、水道、電話、公共放送に連絡。今のところ電話の変更が一番面倒臭そう。発信する以上、悪用される心配があるからかな。ちなみに対応が速いのはケーブルテレビ。早速送られて来た書類を返送した。矢張り純民間企業は早いと思った。

 夕方姫路の人身事故で新幹線は全線不通に。ニュースの映像を見ると何だか黒い。みんなスーツ姿の会社員だな。ならば危機回避の勉強をすればいいと思った。其れに特急料金の払い戻しで一杯やれる。

 

10/18・木

 続いてガスと国民健康保険料の口座変更手続き。電話のし過ぎでコードレスフォンの電池も摩耗す。急いでネットで注文した。午後渋谷の支店から銀行員がやって来て、早速相続協議の打ち合わせ。前回までは定年間近のおじさんだったが、今回の担当は若い分テキパキしている。而も既に課長代理というから、京王辺りを出ている感じだな。

遺言書では土地と家屋は家人と等分、預貯金その他は其の方も入れて三等分としてあるが、預貯金に比して土地の価格が高いので、先方が遺留分の侵害を訴えて来る可能性があると警告される。うーん、第三の相続人はどういう人だが全く分からないのでドキドキものである。「付くものが付く」と危ないと家人は頻りに心配していたが、何しろ何の情報も無いからどうにもならない。また例によって土地がどんどん分割されるのも良くないとも指摘されたが、此方も如何ともし難くてね・・・(スイマセン)。

其の後、別系列の銀行に葬儀費用(203万)を支払いに行く。故人の口座からは送金出来ませんと即座に断られた。憤慨したがどうにもならず。大体ひとが素直に払う(いつもニコニコ銀行振り込み)というものを払わせないのだから、こんなにおかしなことはない。ふざけてるな。いっそおもちゃの拳銃か何かで脅せばよかったと思った(逆銀行強盗)。以後吾人のネット口座から数度に分けて振り込むことになった。考えてみれば此方の方が手数料が安い。

夕方出社。先週とんだ中一の数学。冒頭、「ペンギンのお父さんが亡くなり、南極に里帰りしていました。皆さんから見たらお爺さんお婆さんに当たる人を大事にして上げて下さい」と挨拶す。何処まで分かったかは分からない。いや併し、幾つになったとしてもいざ親と別れることになると悲しいものである。まあこういうことは自立と反抗の途上にある十代の頃には分からないだろうな。退社後は立ち飲みBへ。鶴木さんを見つけて飲んで帰る。何だか実に草臥れた。

 

10/17・水

 ぼんやり見ていた宝くじのコマーシャルが少し面白かった。五億円当たれば、一年で一千万ずつ使って五十年、二千万なら二十五年・・・という台詞回し。昔なら金利で遊んで暮らせたのだけどね(5パーセントで2500万)。JR北海道が危なくなる訳である。もう元金を取り崩すしかないな。六千億で何年持つか。

 早速今日から手続き開始。まず「年金ダイヤル」。続いて信託銀行。相続の規模としては万代伯母の時ほどではないが、実を言うと亡父には先妻との間に一児ある。遺言書は作成してあるが、ひょっとしたら面倒なことになるかもしれない。また公共料金としては電気とケーブルテレビから。併しペーパーレス決済にしていると電話を掛ける相手から探さねばならない。

スーパーの弁当を食べた後は、出張所に出向き、世帯主の変更届け。吾人の健康保険証も切り替え。亡父の名前が消えた保険証が即時交付される。こういう手続きは結構早い。続いて銀行に行き、二号室リフォーム代の振り込み。通常は吾人の口座からクリック操作で振り込むが、今回はATMで手打ちする。亡父の口座から送金した(100万円)。成るべく手持ちの現金を減らさなくてはならないからね。

暗くなった頃出社。久久の中三国語。退社後は立ち飲みBに行く。須々木さんらには、実は暫らく献杯なのですと言って、少し労って貰った。更に碑文谷の「福徳」。一方、鎌倉の伯父さんは鼻からチューブなのだそう。家人らは憤慨していたが、例によってやるも後悔やらぬも後悔。

 

10/16・火

 此の所ずっと曇り。朝から牛丼が食べたかったが冷凍うどんで御仕舞にする。年金も減るし消費税も上がる。少し歳出削減しなくてはならない。相続等の手続きは明日から始めよう。再びあの役所通いかと思うと気が重い。また鎌倉の伯父さんも肺炎で入院したとのこと。昼はスーパーのとんかつ弁当(此れは軽減税率である)。

 午後バス+徒歩で本務校に。余った香典返しを持参す(モックヨック三千円相当)。一応無責任社長にも報告す。「花でも贈りたかった」と驚いていた。こういう手合いは花を送って逆に借金を申し込むから厳重に警戒しなくてはならない。其の後千寿に回航。昨日の振り替え授業。町屋に少し寄って帰る。

 

10/15・月

 起きて暫らくは宿酔気味。車を仕立てて八時過ぎに会館に入る。控室で少し寝ると何とか収まる。さてさて葬儀及び告別式+初七日法要。参加者は月波君以外は昨日と同じ。出棺時の花入れには涙ぐむ。愈愈お別れだな。例によって桐ヶ谷まで移動。駒沢通りから環七そして目黒通りへ。駒沢公園とかダイエー碑文谷店とか、よく行っていた。思い出の地である。遺影を立てて少し見せた。

三十分ほどで到着。友引明けの平日にしては結構空いていると思った。そして本当の最後のお別れである。火葬場職員の「お別れです」という無機的な挨拶と御辞儀と同時に炉の方に吸い込まれていった。本当にさようなら。

 休憩の後、収骨。まだ温かい骨壺を膝の上に置きタクシーで会館に戻る。すると休憩室で飲んだ麦酒があっという間に膀胱に落ちて来る。お腹が何となく温かくて助かった。父の最後の愛だな。這う這うの体でトイレに駆け込む。以後精進落とし。「亡父とは年が離れていたので父と子の関係は薄いのですが、其の分長命で色色と絆を深めることが出来ました」と挨拶する。三時頃までには終了。再びタクシーで戻る。父にとっては救急車で家を出て以来の帰宅である。当然無言。葬儀社の人に仮の祭壇を作って貰って本当に終了。丁度一週間である。

 

10/14・日

 概ね曇る。午後から納棺の儀。早速家人と参る。今日から二日間の担当者も万代伯母の時と同じ人にして貰った。宗教者も同じお寺の人。御布施も全く同じ80万円。万代伯母の死から僅か二年なのだからどちらの人も驚いていた。あちらの世界でも絵が楽しめるよう、水彩画の教本と愛用のゴルフキャップを入れて貰う。涙が止まらなくなりそうになった所で、川崎の叔父さんから今タクシーで迷っているという電話がある。有名な葬儀社だが多摩川の向こうからではまるで分からないらしい。

夕方から通夜開始。参加者は優子さん、須見伯母、川崎の叔父さんと叔母さん、そして月波君。どうしても出たいというので特別枠として出て貰った。一時間ほどで終了。以後通夜振る舞いに至る。亡父には生前に食べたいと言っていた天麩羅うどんを、現生の人には寿司を取ったのでどんどん御酒も出して貰う。ついつい暴飲す。

それにしてもつい六月の初めまでは箸を使って食べていた。医療と介護の世話になったのは丁度四か月。掛かった費用は推定三百万円なのだから、大往生の部類に入るのではないかと言う話しになった。少しは褒めてやらなくてはならないかな。褒めたならもう少し伸びて欲しかった。以後タクシーで帰宅。地元の若者向きのヘンテコな店で月波君と二杯飲んで終了。十時就寝。

 

10/13・土 

 朝方御寺からファクシミリが来て戒名も決まる。「福寿院彩月孝道居士」。退職後は水彩画に凝っていたことが反映された。いい名だな。

日中重い曇り。御昼になり家人と会館へ。線香をあげ、最終の打ち合わせ。往復12系統。帰りは機動隊のバスと擦れ違う。通夜が明日でよかった。読経の際に花火をどんどん打ち上げられては堪らない。まあ其れもいいか。何しろ長寿に分類されるのだから。其れでも遺族と言うのは面白い訳ではない。

夕方須見伯母が来る。家人がかた焼きそばが食べたいというので、「燕来香」に案内。街中華の少し上の店だが、(安くて)美味い旨いと言っていた。こうして間の二日は何となく過ぎて行った。

 

10/12・金

 未明にシロとグレが上がって来る。猫は猫なりに心配していたのだろう。何しろ丸二日殆ど留守だったから。朝から曇る。23系統に乗り込み、再び施設に参る。入居の際に提出した写真が一番遺影に向いていると家人が言うので、返して貰いに行った。半年前にデイサービスで撮ったもの。珍しく笑っている。序でに早目の部屋の片づけ。入居期間が短かったから私物も少ない。諸諸の物品を積んでタクシーで帰宅。亡くなった時のタオルケットなんかもあった。此れはミケの敷物にしよう。ミケは亡父を気に入っていたから形見分けである。途中「ひむか屋」でラーメン(650円)。大半の店がリピートすることなく千歳船橋グルメは此れで本当に終了。短すぎた。

間髪入れずに今度は12系統で葬儀会館に移動。写真提出と共に線香をあげる。帰りは用賀の駅まで歩いた。少し涙を乾かす時間が欲しい。年齢が離れていたから父と言うより御祖父さんと言った方が近い。従って父子の関係はそれほど深くはないが、いざ本当に居なくなると寂しいものである。

午睡の後、シロが上がって来る。吾人の股座に入って動かない。御前たちを見付けたお爺さんはとうとう居なくなったよと話し掛ける。何処まで分かったかは分からないが、実に神妙にしていた。其処で再び日記を読み返す。3.11以前は大学ノートの殴り書きで短い物ばかり。其れでも2010年5月31日に「駐車場の近くの子ネコにエサやり」との記載がある。記録にはないが見初めたのは間違いなく亡父である。

 

10/11・木

 すると一時間ほどで施設から電話があり、愈愈本当に危ないという。家人は寝たままにして、吾人だけ再びタクシーに乗る。運賃をパスモで決済して大急ぎで降りて行ったが、結局少し間に合わなかった。心停止から十分程度かな。既に赤みを失った老家人が居た。血の気と言うものは直ぐに失せるのだと思った。皺も少し深まった。少し苦しませて仕舞ったのかな。それにしても、あれだけ待っていたのにとうとうこういうことになるのだから、人の寿命と言うのは予測不能である。最期を見せたくなかったのかもしれないとも思った。

二三回大きく息を吸い、息を引き取ったと夜勤担当の看護職の報告を受ける。続いて死亡診断。施設医が来る。平成30年10月11日午前7時45分死亡確認、死因老衰。大正14年から平成まで来たが新元号までは到達できなかった。

 看護職員と介護職員による遺体の清浄。吾人も頭を撫ぜ拭きした。老衰死だと本当にガリガリである。其れでいて褥瘡あり。見ていても気の毒である。「よく頑張った」な。また大量の便が出ている。此のひと月は殆ど何も食べていないのにね。ずっと便秘症だったから、溜まっていたものをすっかり出して彼方へは身軽な形で行くのだと思った。続いて家人も到着。

綺麗にして貰ったところで職員その他によるお別れの挨拶。短い間だったが、老家人は人気があったそうである。まあ年の割りに話は面白い方だった。享年九十三歳と六か月弱。それにしても施設に移って三ヶ月足らずである。もう少し元気なるかとは思っていたが、何だか最期はラストスパートに似た観がある。何しろ御金を使いたくない性分だったからだろう。介護費用も想定より少し余る計算。

 職員一同の見送りを受け、予め連絡してあった葬儀社に搬送。以後葬儀の予定を詰める。二年前も利用したところである。万代伯母の前例を踏襲するので話は早い。友引で火葬場が動かないので、日曜通夜、月曜が告別式と言うこととなる。間に二日あるから少し休息時間を設けることが出来た。御昼には打ち合わせも終了。見積もり凡そ200万円。万代伯母の時より参列者が若干増える予定なので、棺桶は十万円安いものにした。此れも故人の為である。

バスで地元に戻り、少し贅沢しようと「銀座アスタ―」に家人と入る。吾人など丸一日何も食べていなかった。2500円のランチコースにしたが大して旨いものでは無し。概ね場所代とサービス料だな。少し高めの中華なら「燕来香」にすれば佳かった。まるで頭が働かず思い浮かばなかった。一時半頃帰宅。猫を撫ぜた後は、只管午睡。起きた後は遺影候補探し。序でに此の日記を見直す。確かに急激な老衰である。直前まで頑張ってくれたと言うことなのだろう。

 

10/10・水

 三時間くらいの睡眠の後、再びに参る。針が入らないので点滴も中止。姪の優子さんも来たる。色色な親戚の近況話を枕元で聞かせた。夫の清二さんに薬を飲ませなくてはならないというので御昼には退席。其の際、駅前の「一仁」という蕎麦店で休憩。千歳船橋及び農大前グルメも此れが最後だな。

家人も一旦帰宅したので午後は吾人一人で見守る。見ていると段段呼吸が弱くなっている。此れは危ないと思った。急いで家人を呼び寄せる。午後六時着。以後ああでもないこうでもないと枕元で呼び掛けた。家人共共涙声になる。併し再び小康状態に。九時頃にも弱くなったが、結局其のまま二晩目に突入。例によって医療機関ではないので心電図なども無い。体温と血圧と脈と酸素濃度を測る以外は全て目視と触診である。昭和前半の医療水準だな。「もう少し頑張って」が「よく頑張った」になっても、状況は変わらず。睡眠不足と体調不良で家人などふらふらである。何だかもう少し掛かるような気がした。万代伯母の時はこんな状態が数日続いたから。

ただおむつ交換多し。色色な物が出るのだろう。脈拍、体温も高い。他は乱高下していてよく分からないという。氷枕をし、吾人が団扇であおぐ。胴体は熱いが手足は異様に冷たい。ハアハアと概ね苦しそう。何かのテレビで見たが老衰死は苦しくないのだというけどね。頭の中までは分からない。再び翌五時まで待って家人と一旦帰宅。看取るというのも頗る難しい。

 

10/9・火

 まあまあ晴れ。ぼんやりしている。すると昼過ぎに様子を見に行った家人から、もう危ない感じだと電話がある。吾人も急いで施設に参る。行って見ると、呼吸が荒く、意識は全く無し。手足も浮腫んでいる。此れは愈愈だと思った。緊急に家人と泊り込んで不寝番をすることとす。以後呼吸はまあまあ安定。但し脈拍は100前後、発熱もある。施設医によると、全身を守ろうと心臓だけが果敢に動いている状態だという。そして心臓が疲れた時が最期になると。

家人には簡易ベッドを出して貰い、吾人は椅子でまんじりともせず。手足を摩り、ふくらはぎを揉み、唇を濡らしても反応は無し。痰の吸引にも無抵抗。目の周りも一段とこけた感じである。昨日の今日だけど全く違う状態である。こういうものなのだな。人の最期と言うものは。

併しこうして三人が一間で過ごすというのも絶えてなかったことである。銘銘別別に旅行に行くことはあっても、全員で纏まって行くことなど数十年来無かったから。そんな感傷にも浸る。特に明け方が危ないと思った。厳重に警戒す。翌朝の五時まで待って、吾人は一旦帰宅す。

 

10/8・月

セレベスと言うと里芋の一種を思い浮かべる人が多いかもしれないが、現在はスラウェシ島と言う。バリ島の上のバナナ型の島である。なかなか情報が入ってこないが相当な地震津波被害が出ているらしい。他島国家は統治が難しい。陸軍より海軍を強化しないと救援活動もままならない。

 日中曇り勝ちで二十五度程度。まず施設に参る。概ね昏睡状態に近く、此方の問い掛けにも無反応。何だか呼吸が苦しそうで大口を開けている。酸素濃度は二から三に容量アップ。唇をびしょびしょにしたら少し閉じた。手と足は動かしていたけどまた弱ったな。一時間ほどで退出。

浮かない顔で世田谷通りを戻る。「陸」は大行列。やむを得ず「ねこぜ」という店に入る。後にも先にも吾人一人。油そばが看板メニューらしい。初めて食べた。不味くはないが、汁がない分、全く腹が膨れない。其の上フーフーとやらない分、物凄く速く食べるから、満腹中枢も一杯にならない。麺は最低二倍は欲しいと思った。ほんの御口汚しで750円。此れでは陸に勝てる筈もない。そもそも農大生あっての飲食街だろう。ニーズを取り込めていない頓珍漢な店である。アルコールが絡む夜は兎も角、昼は腹いっぱい食べさせて上げなくちゃあ(みんな朝抜きだろうから)。結局牛丼を持ち帰って家人と食べた。

体育の日と言うこともあって往路復路とも駒留通りを全力運転す。運動はこうした日日の活動で十分である。植木屋さんに代金を支払う(7万円プラス消費税)。夜はスーパーの焼き秋刀魚。頗る小さいが一匹170円。今年は十匹は食べたな。阪神が勝手に落ちて来てくれて中日は最下位を脱出。併し今年も多くの選手が引退した。

 

10/7・日

 晴れて異様な暑さとなる。先ず施設に参る。概ね寝ている。一時間半滞在して発した言葉は「うるさい」の一言だけ。続いて小田急+メトロで神宮球場へ。大学野球の観戦。参加者は月波君と坪上君と鷺乃間君。例によって二階席で牛飲す。酎ハイ数缶、ワイン二本。相手投手のボークでサヨナラ勝ちと言う結果に。気分良く外に出て見ると人の海。今日はプロ併用日であった。阪神戦と言うことで消化試合ではあるが人が集まる。

 炎暑の中を店を探して延延と歩く。途中の国道ではスーパーカーが爆音を立てている。最近はああいう暴走行為が流行っているらしい。交通警察は何をやっているのだろう。這う這うの体で渋谷の外れの「澤乃井」と言ううどん店に入った。安くてつまみ類も豊富。奥多摩の酒造会社とは関係ないらしいが、表参道辺りにはない店である。苦労して歩いた甲斐があった。うどんは細目で大人しい感じ。藤松君も合流。吾人は適当に切り上げて帰る。店から出た途端大きな鼠と遭遇。あれはシロでも捕れないな。七時過ぎ着。

 

10/6・土

 25号は日本海を北上。暖気が入り夏のような気候。台風が来るぞ来るぞと大騒ぎしていたが、暑い以外の何の影響も無し。昼は池尻の「ホーチャン」でカレーセット(680円)。此処のカレーは千寿の「りんりん」を少し濃くしたよう。頗る旨い。今度は単品で頼もう。午後須見伯母から伊那の松茸を貰う。早速炊き込み御飯にして食べたが、急いで作ったので出汁が足りず、味は今一つ。まあ松茸は香りを楽しむ物だよな。

築地は本日限り。とうとう一度も行かなかった。遺棄された多数の鼠が心配なのだという。しかし魚食文化が衰退すれば、いちばも仲卸業者も要らなくなる。何しろ近所のスーパーには養殖魚と冷凍魚しか売っていない。

 

10/5・金

 京成線は塩害で全線運休。架線が次次ショートする。霧雨が降ったのが却って悪かったよう。今頃になって被害甚大である。京成は風には強かったのだけれど塩には勝てないな。見たところ、保線区員が竹梯子を掛け、一本一本碍子を拭いていた。御苦労な事である。夕方は総武快速(線路陥没)、更に東海道京浜東北も止まる(沿線火災)。関空に続いて成田空港は陸の孤島と化す。所謂厄日だね。

 午後はかなりの雨。バスで施設に参る。呼吸の状態も良くスヤスヤ寝ている。こうなると大してすることがない。持ち込んだラジオを聞きながら、時折唇を湿らしたり、眼を拭いたり、鼻のチューブを直したり。交代に来た夜勤専門の看護職にも挨拶して五時近くに退出。「帰っていいか」と聞いたら首を縦に振っていたから、一応此方の声は聞こえているのだろう。再びバスで戻る。平和賞も決まる。委員長と大統領だなどという馬鹿な予測が外れてよかった。

 

10/4・木

 消費増税まであと一年。食料品は8%のままとなるらしいが、振興を図るというのなら沖縄県も少し安くすべきであろう。日中やや重い曇り。午後通常出社。此の所週一勤務である。退社後は立ち飲みBとバーIで合計2500円。結構飲んで帰った。着いてからも風呂に入ったり、シロを弄ったりして三時頃就寝。

 

10/3・水

 最近はプラスチックのストローが目の敵にされている。まあ確かにこうしてゴミ拾いをしていて、結構落ちていることは落ちているが、此れが下水道から川へ出て、流れ流れて粉粉になって海を汚染しているとまでは考えられないな。要は形代にされたよう(ペットボトルやレジ袋の身代わりである)。其れより海辺の一斉清掃の方が遥かに効果的だと思う。運動と気分転換にもなるしね。

 概ね明るい曇り。今日は吾人が参る。途中公苑横の「くら」で寿司休憩。行って見ると九割方寝ていた。枕元に腰かけ、「寒い」と言われれば布団を掛け、「暑い」と言えば其の逆の事をする。また嚥下状態が悪いので食事提供は停止。時折味付き高カロリー輸液のようなものを飲ませることとなった。二時間弱滞在す。松陰神社横で焼き鳥を買って帰宅。水曜は当分の間不出社として貰った。

 仏頂面の巨人の監督も辞任。若いのだからもっと溌剌としていなくてはね。やりたくもない監督を押し付けられた感が溢れていた。此の人とは出身高校が同じなんだけどなぁー。一方中日の監督は誰がやるのだろう。兎に角、明るい人を頼みます。カラ元気でもないより増しなので。夜はアレルギー酷し。

 

10/2・火

 下らない組閣が、ノーベル賞受賞で霞んで良かった。抗生物質の発見が結核治療を根本的に変えたように、今後は癌治療も薬剤投与が基本となるのだろう。外科の仕事は少なくなるかもしれない(怪我と心臓疾患を除く)。後は早く認知症の薬が出来ますように。身近な範囲でも数名が罹患している。本人は兎も角、周りの人が大変である。

 日中秋晴れ。今日は家人が出動。映画「皇帝のいない八月」(1978年)。鉄道の日に合わせてケーブルテレビでやっていた。恐らく数十年振りに見た。今見るとあんまり質のいい作品とは思えないが、併し此処で出て来る政治家像は昭和の怪物其の物。若い人が見たら時代劇だろうな。戦後三十年と七十年の違いである。寝台特急も無くなったのだから、ああいう連中も少なくなる筈である。尤も改憲を唱えるネトウヨ首相がこんなに長く続くというのも想定外だが。静岡西部はまだ停電中。被害甚大である。

 

10/1・月

 未明も大変な風。此れでは計画運休もやむを得ないな。シロが怯えていたので一時収容す。四時頃には収まる。明るくなったので早速復旧作業。空き家の二階部分、外壁の一部が雨戸の戸袋ごと剥落し、使っていない電話線を切断。土壁が露出す。被害甚大である。

 朝から晴れたが、倒木等によりJRと京王はズタズタ。結局駅には人が溢れた。今朝も計画運休にすべきであった。人が多いこと自体が既に災害の一つである。家人体調不良の為、吾人が参る。例によって23系統なのだが、千歳通りが倒木の為、農大前から徒歩連絡。一キロ強は歩いた。今日は吾人で佳かった。

併し農大の木が続続倒れたよう。農業より林業をもっと勉強して欲しいと思った。また老家人は此方の問い掛けには応えるが、何だか声が弱弱しい。此の二日は絶食だという。痰吸引を見守り、一時間半ほどで退出。都民の日だが、小田急+千代田線で千寿校に回航。途中散髪す。退社後は町屋のBに行くもD店長は不在。軽く流して並びの「檜家」のラーメンで締める。断眠と不眠で何だか疲れた。十一時就寝。

大広孝日記 2018年9月

9/30・日

 富田林署からの逃亡者も山口で捕まる。盗んだ自転車で旅行中に万引きしたとのこと。脱走の手際は見事だったが、其処から先のことは考えていなかったのだろう。ちょっとした放浪である。色色と西日本を旅して、案外日本は広いと思ったかもしれない。野山や海や人の情けにも触れただろう。今後はやり直して欲しい。まだまだ若いのだから

 前線が遠くなり、まあまあの曇り。先ず施設に参る。持参していたワイヤレススピーカーで演歌を聞かせた。確か「奥飛騨慕情」が好きだった筈。他には「愛燦燦」「喝采」など。割と目を開けて聴いていた。熱はないが痰が出ているよう。朝昼は絶食。不思議ともう涙も出ない。覚悟が決まったのか、慣れたのか。

其の後、呼び出した月波君と「長寿庵」という蕎麦屋で飲む。麦酒、板わさから日本酒、盛り蕎麦で一旦締めて23系統のバスで地元に回航。併し「てけてけ」「ばん」「エビス参」も営業前。台風が来るならもっと早く開けるべきであろう。民間企業の割りに対応が遅いと思った。仕方なく「ジョリーパスタ」で二軒目。五時帰宅。

 寝て起きると九時近く。段段風が強まる。十一時から本降り。夜半過ぎに掛けて激しく降って吹く。24号は伊勢湾台風のルートだという。JRは八時から運転取りやめ。ニュース等では計画運休という新語が飛び交っていた。私鉄各線も其れに習う。一方の山陽線は復旧。山陰迂回貨物も運転終了。沖縄知事選では野党系が勝利。内外ともに災害続きの九月も終了す。

 

9/29・土

 前線が戻り再び小雨模様。明日は台風24号だという。取り立てて無為。

 

9/28・金

 朝から久久に晴れた。家人は洗濯と衣替えで多忙と言うことで、三日連続で施設に参る。今日は自転車。途中「要」でロースカツ定食(1000円)。昼時と言うこともあり全席満席。家族総出でカツを揚げ、飯を炊き、味噌汁を注いでいる。此の辺はチェーン店も無いものな。

老家人は寝ていたが、「苦しくない」「食べたくない」「もういい」と目を閉じながら反応す。点滴の針を抜いて仕舞ったらしく、左手に付け替え。「痛い」「痛い」「何するのだ」と怒っていた。昼はまあまあ食べたというので、三時前に退出。ホームセンターで金属製の熊手を買って戻った。植木屋さんが使っていたのと同じもの。800円。夜は軽く済ませる。

 

9/27・木

 午前中まで小雨が残る。施設医との面談があるというので、家人と車を仕立てて参る。老家人は矢張り寝ていた。一通りの回診の後、一階の会議室に呼ばれる。予てから取り決めていたことだが、現行以上の延命治療は行わないという旨の書類に署名す。万代伯母の時には口頭で済んだものが、此の二年で文書主義が徹底されたよう。それにしても愈愈此処まで来たか。事実上の降伏文書である。超重要署名だが、ボールペンを持参するのをついつい忘れた。借りたペンで書かざるを得ず。駄目な息子である。モンブランとは言わないが、ゼブラぐらい胸に差しておくべきであった。

併し半年前には全く想像もつかない事態だと思った。其れでも吾人が十代の時分には、老家人=父の九十代の姿を見ることになるとは矢張り想像出来なかったな。人間の想像力など高が知れていると思う瞬間である。部屋に戻るとおやつの時間。流体羊羹のようなものを完食す。すっかり甘党になった。介護士によると味覚の中で最後まで残るのは甘さだという。

三時を過ぎたので吾人はバスと電車で本務校に回航。環八線で田園調布に出る。渋滞がないと結構速い。例によって定期試験前。色色な科目の面倒を見る。中学地理の教科書が分厚くなっていて少し驚いた。あれでは教え切れないだろう。立ち飲みBに寄った後も11系統で帰宅。此の頃バスに乗っている。夜は晴れて月が良く見えた。

 

9/26・水

 午前中から施設に参る。一転して今日は低反応。昏昏と寝ている。時折驚声を発す。何か辛いのかな。痰が絡み苦しそうだが、取るのはもっと苦しい。「何か食べるか」という問い掛けには必死に首を振る。余程食べたくないらしい。点滴は足首から。鼻からは酸素。

中座して昼は祖師谷の「カレーの南海」でカツカレー(850円)。神保町の本店そっくりの黒いルー。此れを胃に転送出来たらと思わざるを得ない。でも消化できないな。三時近くまで見守った。バスで帰宅。夕方から本降り。最早出勤する体力はなし。本日休講。夜は大雨。また台風だという。寒い上にアルコールが入らないと巧く寝られない。

 件の月刊誌の実売数は一万五千ぐらいだったとのこと。日本には凡そ三千の公共図書館と千五百の大学短大図書館があるから、一般の購読者は一万人ぐらいしかいなかったことになる。十年前は五万弱は売れていたというから恐るべき減少率だなあ。こういう論壇誌はどうすればいいのかな。いっそ、半分くらい素人に書かせたらどうだろう。毎回テーマを決めて。面白いものが集まるかもしれない。逆原稿料を支払わせれば一挙両得である。大企業の悪口とか、何かしらの体験記とか、いっそ日記を載せてもいいだろう。吾人も一万円位になら支払う(百冊は買い取るぞ)。

 

9/25・火

 御昼前後から冷たい大雨。本日は家人が訪問。昼はまあまあ食べていたという。終日在宅す。と言う訳で日本映画二本立て。まず「海すずめ」。主演女優と宇和島の景色は美しいが、自転車で本を届けるというのも無理な話しだと思った。そもそも自転車とは平野部の乗り物である。宇和島では海岸線以外移動できない。続いて「ケンとカズ」。生生しい暴力が延延と続く。単なるヤクザ映画と違うのは、母親による虐待経験と当の母親の認知症発症だろうか。しかしあんなに年中殴る蹴るでは歯が持たないな。歯は口ほどに(其の人の階層の)ものを言う。途中退席。

新潮の件の月刊誌は事実上の廃刊へ。また大相撲のT親方も廃業す。いやしかし、両者とも一体何がしたかったのだろう。一種の殴り込みだな。

 

9/24・月

 朝の内から自転車を飛ばして施設に参る。手足をばたつかせ、痰吸引にも激しく抵抗す。案外元気そう。何しろ饒舌であった。「佐藤と津山どっちが優秀か知っているか」とか「イボコロリを飲まされた」とか「亡霊が来る」「誰の亡霊かは絶対に言えない」とか「ああいう連中に集られるから気を付けろ」とか「日本がこんな出鱈目で遅れた国とは思ってもみなかった」とか。断続的だが三時間近くああでもないこうでもないとやっていた。御蔭で吾人も沢山喋れた。午前中の方が覚醒状態がいいのかもしれない。呼吸も安定しているので鼻の酸素も取れる。但し経口摂取は無理そう。

 話し草臥れたようなので一時前に退出。世田谷通りを走る。連休中と言うこともあり、「百麺」も「陸」も行列中、「とんかつ要」は休みなので、「水仙園」という中華屋でラーメン炒飯(650円)と小缶の休憩。帰宅は二時過ぎ。午後は異様に蒸し暑い。椿とツツジの剪定。以後午睡。晩はスーパーの焼き秋刀魚。すると九時過ぎに施設から電話がある。結構ドキッとしたが、何でもベッドからずり落ちていたという。何だか元気らしい。暫時こういうことの繰り返しかな。

 総裁選でA陣営はカツカレーを食い逃げされたと怒っているよう。併し一人前3800円というのも驚きだが、300人前以上も提供されたというから尚驚く。幾らホテルの給仕が優秀だとしても、カツもカレーも熱熱食べなくてはね。

 

9/23・日

 概ね晴れ。様子を見に行った家人によると、若干の発熱あり、大体昏睡状態だという。愈愈近づいたと思った。夜は家人のゴーヤチャンプルー。玉子が入っていないことに暫らく気づかなかった。

 

9/22・土

 多少気温は高くなったが、重い曇り空は変わらず。時折さあっと降って来る。まずバスに乗って施設に参る。昼食時になったので大柄なサービスリーダーによって車椅子に移乗さす。併し痰が絡んで呼吸が苦しそう。早速看護職による痰吸引。其れでも酸素濃度が回復しないと言うので担当医の判断を仰ぎ、酸素吸入となった。直ちに鼻からチューブ。絶食状態なので腕には点滴。続いて臨時回診。酸素濃度は100近くに戻る。

ボンベの酸素が無くなる頃に酸素屋さんが機器を搬入。此れは電気さえあれば空気中の酸素を無限に取り込む機械だそう。こういう対応は早いな。併し愈愈弱って来たと思った。何だか少し悲しくてね。じっと部屋にいると目頭が熱くなる。以後酸素は順調に肺に入っているようで昏昏と寝ている。「けんちゃん」でのラーメン休憩を挟んで四時まで滞在した。

午後は晴れる。異様に混雑したバスで帰宅。降りて見ると23、24、22、21系統の順に列をなしている(所謂連結バス状態)。特に一番運転区間が短い21番が最後衛の空気輸送では何の役にも立っていないな。上町発着の21系統を減らして23や24系統を増やして欲しい。そもそも21系統は玉電廃止後の代替バスらしい(渋谷直通を保障)。そんな裏協定のようなものが出来たのはもう五十年も前の話である。晩食は東急ストアーの総菜。猫にはヒラマサの刺身。八時就寝。

 

9/21・金

 昨日からずっと雨。而も寒い。早速鼻水止まらず。直ちに抗ヒスタミン。昼は温かい饂飩。夜までずっと降る。ついつい午睡。雨中買い物に出、晩食は鍋にした。昨シーズンの余り味噌を使ったら味も色も何だか変だった。猫には鯵の叩き。

 新潮何とかと言う月刊誌があまりに酷い内容だったと社長が反省声明を出す。ネトウヨ連中に大売り出したかったのだろうが、丸で開き直るような企画は矢張り拙い。出版社のこういう傾向は90年代半ばから見られる。其れが一体どういう結果を招いて仕舞ったのか。少しでも考えて見たことがあるのだろうか。大体何処の業界も低賃金低待遇過重労働を我慢しているのである。本屋も例外ではない。誇りある出版人たる者は清貧を覚悟すべきである。

 

9/20・木

 南の大統領は北を訪問し熱烈な歓迎を受ける。チェンバレンになるぞと言う皮肉な見方が多いようだが、何とか巧く行って欲しい。同じ民族だからね。北が欲しがる朝鮮戦争終結宣言も早く出すべきである。

昨夏に訪問した飯田の「かぶちゃん村」も閉園。件の詐欺会社が運営していたとは知らなかった。思い起こせば何だか変な観光施設だったが、従業員さんたちはみな親切であった。資料館が勿体ないなぁ。誰か引き継がないものか。七月に閉めたというからもう園内は荒れ放題の伸び放題だろう。

植木屋さんが来る前に取った草木、70リットル一、45リットル三を搬出。此れで滞貨一掃。剪定も終了。さてさて秋を楽しむ段階に来たが、老家人の容態では大した所には出掛けられず。午後まで静養す。御昼から雨。時折激しく降る。バス出社。立ち飲みBで軽く御仕舞。秋刀魚刺身を食べた。

AとIの総裁選。Iは党員票で善戦す。支持者であってもいい加減に飽きるだろう、Aにはね。発電所が復旧して来たので北海道の節電要請は解除。でも節電は大事である。第一に御金が節約できる。大貧学院でも蛍光管はごっそり取ったまま。此の七年半で数十万円は得した筈である。

 

9/19・水

 怒ったT氏は対中関税を次次と引き上げる。今回は家具家電や衣料品など広く一般消費財にも拡大す。其れでも今更国産品には切り替え出来ない。何しろ工場自体が既にないからね。輸入業者さんは粛粛と納税し、其の分を価格転嫁せざるを得ない。となると此れは一種の増税策、事実上の消費増税である。成程、其の手があったかと財務官僚などは注目していることだろう。

 朝の八時に植木屋さんが参る。何でも今日一日しか予定が空かないという。但しやって来たのは御主人一人。明らかに人手不足である。早速吾人も取り掛かる。御昼前に奥さんも到着し、以後三人体制。只管刈った草を集め、機械が届かない所の草蔦を引っこ抜き、切り落とした枝葉を荷台に積み込む。併しこうして作業していると、人間の本質はつくづく労働であり、労働とはとどのつまりは自然と対峙し、結局汗だくになって草木を取り払うことであると観念す。働かなくても生活が保障されるというベーシックインカムと言う発想は其処が可笑しいな。動ける人は動かなくては。

 例によって北側の駐車場の草刈り、家作の前庭の桐や梅や雑木の剪定の順に執り行ったら、拙宅の玄関付近までは辿り着かず。続きは来季。ぼんやりしたのちに本務校に遅めの出勤。早目に退社したが、今日は実に十二時間は働いた。立ち飲みBで軽く御仕舞。汗疹が出来て早速痒い。就寝前に抗ヒスタミンステロイド系塗り薬。被害甚大である。

 

9/18・火 

 空港島への鉄道は復旧す。やるとなると案外早く出来るものである。本日は自転車を使って施設に参る。併し老家人は昏昏と寝ていた。起きろと言っても寝ているばかり。そろそろ昼食だと言っても、「眠い」「いらない」「うるさい」「もういい」と。だんだんと感情のコントロールが出来なくなっている。結局寝ながら十数口食べて御仕舞。食べ終えるや否や直ぐに寝て仕舞った。此の所、意味のある会話をしていない。≪魔阿陀だよ≫と言うより≪もういいよ≫なのかな・・・。

世田谷通りの「山之内」でロースカツ定食(1200円)。老夫婦が切り盛りしている店は誠の昭和の造り。多くの御客が「農大かつ丼」を食べていた。テレビに出たそうで、連休は酷い忙しさであったと店主がこぼしていた(というのを聞いた)。併し大学の門前には学生向けの店が多い。こういう雰囲気は都心の大学や、郊外の新設大学には見られない。世田谷辺りの特色である。少し遠回りしながら帰宅す。午睡から起きると施設から請求書が来ていた。八月分、58万円余り。想定より二割ほど多い。夕方から一雨。冷凍食品と盛り蕎麦で御仕舞。明日植木屋さんが来ると今日知らされる。何だか頑張って損したな。

 

9/17・月

 敬老の日。朝から暑く、草取りも大きな外出も出来ず。自転車で近間を回り、中目黒の「おにやんま」で冷やうどんを食う。何だか食べ足りないので和菓子屋でおにぎりを追加購入。

 午後もぼんやりしていたら、公共放送の「ワンダーウォール」という短編ドラマが目に入った。大学の自治寮を舞台にした作品。こういう場が次次と無くなるな。鳳生大学にも学生会館があったが、吾人が出入りをしなくなって僅か数年で無くなって仕舞った。自治の習慣を引き継いで行くことは難しい。頑張って留年しても大体数年で学生は入れ替わるからね。其れは社会に関しても同じこと。概ね四半世紀で中心層からは押し出され、後の世代に引き継がれないものは滅びて行く。夕方から大雨。夜は冷凍食品。大して旨くないから食べ過ぎなくて佳い。

 T氏も愈愈危ない感じ。次次と側近が愛想を尽かし始めている。あと少し米朝交渉を進めて欲しい。核の全面放棄までは行かなくとも、搭載兵器の廃棄位まで(それで核爆弾は無力化できる)。あと一年位は掛かるか。其れまでは何とか頑張ってくれ。あの人の唯一の成果だろうから。

 

9/16・日

 大停電を引き起こした北海道の石炭火力発電所は震度五程度の耐震性しかなかったとのこと。そんな馬鹿なことが・・・、あるのであるな。部活動の事故で十五年間寝た切りだった女の子が息を引き取ったと今朝の新聞が伝えている。こういう報道に接する度に、部活とは何の為にあるのだろうかと強く疑問に思う。いじめ、暴力、体罰パワハラセクハラ等等、過剰な運動が明らかに人人を不幸にしている。

体力をつけるには歩けばいい。学校を卒業した後、一日八時間程度立って仕事が出来る体があれば十分である。差し詰め吾人なら「帰宅部」を作る。活動は週一回。様様なルートを徒歩で帰宅しながらまずゴミを拾い、続いて安くて美味いラーメン屋と定食屋と居酒屋の発見に尽くす。学園祭ではグルメマップを作って全校生徒の役に立たせる。

午後は次第に晴れた。家人が施設に行っている間、結局草取りと低木刈り。四時間は動いたな。夜は鶏屋のもも焼き。昨日今日と地元のお祭り。ゴロゴロと引いて歩く子ども神輿しか通らなかった。而も付き添いの年寄り方が多い感じ。愈愈限界神輿だな。

 

9/15・土

 特急と貨物は石勝線まで全て復旧。漸く此れで秋刀魚を運んで来られる。日高線は駄目みたい。自衛隊に直して貰えないかな。今時鉄道連隊なんてないものな。ずっと秋雨。午後には漸く止んだ。買い物は二便。取り立てて無為。

 

9/14・金

 朝から秋雨。結構直ぐに止んだ。家人不定愁訴の為、吾人が施設に参る。老家人はまあまあ起きていた。早速昼食の介助。十口程度で終了す。お尻が痛い痛いと宣うので直ぐに寝かす。何処がどうして痛いのかまでは判然とせず。本人でも分からないのだろう。併し日に日にとまでは行かないが、少しずつ確実に弱っているな。こういう姿を見ると未だに何かの悪夢のような気がしてならない。どういう訳だか急激な眠気に襲われるのである。

 世田谷通りまで歩き「勢得」という付け麵屋に入る。此処は昼時のみの営業。今まで知らなかったが結構な有名店らしい。自家製麵の上、店主一人でやっているから大変そう。「つけめん」(850円)。味も量も若い人向け。がたいのよい学生さんに交じって吾人もずるずるとやった。バス帰宅の後、草刈りへ。摂った糖質を支出しなくてはね。

 午睡の後、西新橋のちゃんぽん屋に。例によって大将にお呼ばれす。渋谷からバスで参る。今回は06系統にしたが併し都営バスは混んでいる。外国人旅行者から出勤中のホステスさんまで乗ったり降りたりして絶えず満員に近い。郊外路線の東急などとは乗車効率が違うと思った。

他に鶴木さんと鰻犬先生。途中どういう訳だか憲法論争になる。法律に詳しい大将は自衛隊違憲だから改憲した方がいいと宣う。吾人は今の所は合憲状態だから態態改憲する必要はないと反論す。大体此の時期の改憲自衛隊をより一般的な軍隊に近づけるものだから危険極まりない。何事も法律を厳格に考えてはいけない。多少の曖昧さ、遊びのような部分を残しておくことは必要である。此れは政治的思惟だな。自衛隊諸君には申し訳ないが今まで通りの宙ぶらりん状態を許容して頂きたいと思う(此れは彼らをより危険な任務に就かせない為でもある)。そんなこんなで十時過ぎまで。帰りはメトロ直通。小雨に降られる。

 

9/13・木

 例によって可燃ゴミの日。ぎっしり詰めた70リットルを一つ、45リットルを四つ、例によって向かいのマンションの集積所に積み出す。大半が切った植物である。ちなみに此の単身者用の物件には数十人が住んでいる筈だが、出されていたものは拙宅と同程度でしかない。重量ベースでは数倍の一であろう。沢山出してスイマセン。ところで最近は『ゴミ収集という仕事』に続いて『このゴミは回収できません』が出版されるなど、ちょっとしたゴミ収集本ブームである(どちらも未読)。ゴミを出す側だが、時に分別をし直す立場なので収集側の苦労もよく分かっているつもりである。そして実に本当に極めて酷く残念な人が矢鱈多いとつくづく痛感す。

数日来の疲れが出たのか午前午後と漫然とす。ロ大統領は領土問題を棚上げした形での平和条約締結を提案。他の政権ならいざ知らず、Aには到底飲めない案だな。ウラジミールウラジミールとしつこく呼ぶから少し怒ったのであろう。夕方出社。立ち飲みBとバーIを軽く訪問して終了。

 

9/12・水

 昨日と同じようなお天気。午前中は結局草取り。午睡の後、本務校に出社。江田島君のお爺さんが亡くなったそう。確か老家人より少し上だと聞いていた。元気な頃はしばしば面談に来ていたのだが。合掌。中華立ち飲みで軽く御仕舞。帰宅後凡そ三か月ぶりに湯船につかる。自転車保険の更新(3990円)。

 

9/11・火

 大気が入れ替わり漸く秋の気配となる。連日の熱帯夜すれすれの状態も終わり、久久に良く寝られた。日中は重く曇る。結局草取りと低木刈り。結局汗びっしょり。気温低下に伴い実働時間は長くなる。リヤカー半分くらい取った。されど目に見えるような成果は出ず。

 関東の冷房は停止したが北海道では暖房が必要だそう。灯油ヒーターか薪ストーブだな。九州辺りでは太陽光パネルで作った電気が使い切れないほど取れるらしいが、気前よく送ろうにも送電線がない上に周波数が違う。一種のアンシャンレジーム、後進国丸出しである。

 

9/10・月

 今日まで蒸すのだという。呉線は呉以西が復旧。ところで、AとIの総裁選。どちらも危険人物だから何の興味も無い。兎に角危険とかなり危険の争いである。第一に投票権が無い(欲しくも無い)。今回の地震では地場のコンビニが気を吐いている。全道停電でもガスを使って煮炊きをし、おにぎりや弁当を供給し続けたという。チェーン店にも多様性が大事である。それにしても自店調理方式のコンビニと言うのは羨ましい。第一にセンター納品のおにぎりなど不味くて食べられない。大手三社は其の点をどう考えているのだろうか。出来ないのなら素直に廃業して欲しい。一つの工場で数十万食も何かを作ること自体が異常である。

午後千寿に出校。退社後は大橋の自動化寿司へ久久に参る。さてさて人間観察である。左の若い女性は甘いものを中心にコンパクトに纏めヨーグルトドリンクで締めて行ったとか、右のおばさんは入って来るなり麺類を頼み、以後スーパーのチラシを熱心に書き写していたとか(ドウシテ?)。よくよく見ると鮨を摘まんでいる人が少ない。確かに此処の鮨は他のチェーンに比べ格段に落ちる(何しろ薄いネタがシャリからずり落ちて回っている)。色色な物を出して生き残ろうという計画なのだろう。何だか食べ足りず「町屋商店」で更にラーメン。夜は大雨。

 

9/9・日

依然として蒸し暑いまま。秋雨前線の上は涼しいのだろうが、ひん曲がっていてなかなか関東には降りて来ず。丸丸三日止まったが、貨物も特急も動き始める。幸い線路の大きな損壊はなかったよう。併しスマホの充電の為に大行列を作るというのも無駄だよな。情報収集は電池で動くラジオがあれば十分である。併し最近の若い人は公衆電話もラジオの動かし方も知らないよう。序でにラジオに聞き方を伝授しよう。まず気に入った局を点けっぱなしにする。パソスマのようにアクティブに情報を取りに行くことは出来ないが、ずっとパッシブに傾聴している必要もない。聞き流しておきながらも自分にとって大事な情報には耳が勝手に反応するので心配いらない。以上。

 午前中から施設に参る。併し老家人は眠たいまま。昼食を呼びに来た介護士にも激しく抵抗す。あんな姿は初めて見たな。結局寝たまま数口食べて御仕舞。再び就寝。「二日も寝てない」と言っていたから余程眠たいのだろう。併し愈愈外面を気にする余裕も無くなって来たようで少し驚いた。

げんなりしたので世田谷通りまで歩き、「尾花」という蕎麦屋に入る。案外恭しい店内で、「山形のだし蕎麦」(950円)に中壜の休憩。蕎麦の上に色色と乗っていて丁度いい当てになった。公苑横の蔦屋で『今夜はひとりぼっちかい』を購入して小田急バスで帰る。晩食は数日来の残り物。

京葉線はケーブル火災の為、夕方以降ずっと運休。御伽の国の外は(バス待ちの)大行列という悪夢である(中もだっけ?)。まあ、浦安まで歩けばいいか。関東の人はしばしば電車が止まるから、結構防災訓練をやっている。

 

9/8・土

 南風が吹き荒れ異様に蒸し暑い。未明までに停電はほぼ解消。但し供給はギリギリだという。あの日と同じだな。多くの観光客も路頭に迷った。快適なホテルから雑魚寝の避難所へ。相当な悪夢である。

早朝に起きた、というより目が冴えて寝られないので近くの御寺の朝市へ。物が無い訳ではないのに長蛇の列で、大抵の品物があっという間に売り切れる。みんなこういうのが好きなんだろうな。毎日毎日スーパーにコンビニでは詰まらないから。吾人も列に並んで長葱と茄子とオクラを購入。以後数度に渡り剪定作業。夜は其の葱で厚揚げ麻婆豆腐。

 

9/7・金

 関空は官邸のゴリ押しで無理矢理再開させられる。併し電車も通わないのにどうする積りなのだろう。其れに多くの乗客が格安券を買っているだろうから、変更やキャンセルが出来ない。這ってでも空港に行かなくてはならない。悪夢である。移動先にも因るが、新幹線自由席の当日購入に勝る自由は無し。北海道の停電の解消は半分程度。あとは節電次第である。函館新幹線と新千歳空港は昼頃に運用再開。それにしても駅も空港もスーパーも大行列。正しく悪夢である。

 曇り勝ちだが何だか蒸し暑い。午前中からスーパーに行き加工食品の積み増し。いざとなったらこれらの食品で二週間ぐらいは食いつながなくてはならない。胃腸の調子が悪く、夏バテ気味。作業は最小限にして静養す。昼はチェーン店で掛けうどん。夜は買って来た惣菜。

 

9/6・木

 宿酔から起きて見ると北海道で大地震。全道で停電。此れでJR北海道は愈愈経営危機だな。再度の国有化が必要である。それにしても次から次へと災害が起こるのは国の政治が悪いからである。

震源地近くでは山が崩落。札幌市内では液状化。夜になっても大半の地域、特に地震とは関係ない道東も道北も函館も停電。リアル「サバイバルファミリー」である。夕方出社。立ち飲みBで軽く御仕舞。

 

9/5・水

 21号はあっという間に北海道沖へ。関西は被害甚大。特に高潮と強風。海上空港は冠水の上、船が衝突して橋が損傷。数千人が孤立す。コースと被害を鑑みると、第三室戸台風だな。

 未明は雷雨。以後晴れる。早速自転車屋へ。スタンドの他にも色色と整備して貰って2500円。矢張り古い自転車屋の方がいい。午後になっても空港島からの移動は終わらず。片側交互通行のリムジンバスと小型連絡船だけではね。凡そ三千人。田園都市線なら二本で運べる人数である。

 さてさて神宮球場の麦酒半額ナイターと言うことなので一年振りにプロ野球観戦。丁度中日戦である。月波君と客乃間君、少し遅れて坪上君が参集。試合の方はと言うと、一旦逆転しておきながら再度逆転負け。投手の起用法が極めて悪い。昨日は六点差をひっくり返された。暴動が起きないのが不思議である。温厚な吾人ですら野次を飛ばす(結構受けてた)。五対六で九時には終了。其の後青山の「直久」に移動。麦酒は飽きるほど飲んだので冷酒にラーメンその他で締めて帰る。

新聞によると空港に取り残された人は八千人もいたのだという。人数の把握も出来ないということは何の危機管理も取れていなかったと言うことである。危機管理学部で勉強し直した方がいい。

 

9/4・火

 朝方は大雨。例によって家作の横樋からはだだ漏れる。でも案外直ぐに止んだ。午後は降ったり止んだりしながら次第に風が強まる。21号は徳島から近畿を直撃す。またまた外国人観光客には災難だな。殊に欧州には台風は来ないのだという。和辻が牧場型と名付けただけの事はある。日本に来れば台風も地震も体験できる。

 夕方出社。強風と車両故障(スタンド破損)により自転車急行は運休。バス利用となる。風だけはどんどん強まる。職場のパソコンで台風情報を見ようとする。併しポータルサイトのニュース欄に出ている所を幾らクリックしても全体像は掴めない。こういう場合はテレビのニュースに限ると思った。確か公共放送は動画も無料で公開している筈である。早速クリックして見るも要望殺到で一向に見られず。やっぱり非常時にはラジオだな(当然「ラジコ」ではない)。結局雨は降らず。帰りも目黒からバス。鯖味噌の缶詰に白ワインで御仕舞。ずっと大風。遠く離れた関東で此れなのだから相当な被害が出ているな。二階の二号室も決まる。

 

9/3・月

 柿の木のオーナーになれば、其れを干し柿にして売り出すので、年利10%以上を出すと言う会社が破綻する。被害額は一千億円以上。明らかな詐欺会社。どうしてこんなあり得ない話しに騙されるのだろう。男(女も)は黙ってゼロ金利(に耐えよ)。其れが資本主義の最晩期の姿と言うものである。

午前中は雨中心。御昼には止んだ。二号室のガス栓の位置が変なので修正工事を依頼す。家人体調不良の為、吾人が施設に参る。まあまあ血色も良いが、神経痛が痛い痛いと宣う。こういう場合は直ちにロキソニンなのだが、生憎手持ちがない。看護師に相談し、主治医の指示を仰ぎ、其の結果「カロナール」が投与される。三十分ほどで退出したので効能までは確かめられず。経験上、カ・・は効いた覚えがないなぁー。ちなみに午前中は便が出なくて座薬を投与したという。

 続いて小田急線の準急我孫子行きに乗り、千寿に向かう。準急は緩行線を走る。幾つかの駅を景気よく跳ばしたが、代々木上原では五分前の各駅停車には追い付かず、後から来た急行の接続待ち。速いんだか遅いんだかよく分からない列車である。退社後は町屋のBで二杯だけ。帰りの半蔵門線では初老男性が隣の席に着くなり「正論」を熱心に読んでいた。結構インテリそうなんだけどね。人は見掛けでは判断できないな。ただページを捲るスピードは極めて遅かった。

 

9/2・日

 早朝から低木切りと自転車散歩。併し此の「ねずみもち」と言う木は良く栄える。バッサリ切っても一年半で概ね元の通りになる。以後結構な降雨。兎に角涼しいのが有り難い。また台風が来るという。21号だそうで、L特急並みの頻発ぶりだと思った。また何処かのローカル線が切れるのではないかと気が気でない。雨が止んだので午後も剪定と散歩。大橋の大学病院も建て替わる。老家人が泌尿器科脳神経外科、眼科とお世話になったところである。でももう行くことはないな。昼はオリジン弁当。夜は環七の魚屋の鰹刺しと明太パスタ。一通り酔った後もエアコンや扇風機や風呂場の掃除。

 

9/1・土

 来年度の概算要求には小中学校のエアコン設置費用も盛り込まれた。こう言うことだけは早いな。いやしかし、国家の面子に掛けて子どもを学校に囲い込む意志のようなものを感じる。器より中身の方が大事なんだけどね。暑い日は自由登校か音楽室で自習。其れでいいんじゃない。子どもの自殺が増える時季でもある。

 高枝切りの後、西友に参り、ガスコンロを購入。リニューアルの度に買って来たからもう何個目かな。汗びしょびしょになりながらバスで搬送。何度も言うがアンチネット通販派は辛い。併し外資が撤退したら此の店はどうなるのだろう。「緑屋」以来の歴史ある店舗である(吾人の記憶にあるのは「アムス西武」から)。昼は新しく出来た店でさっぱり煮干しラーメン(750円)。偶にはこういう薄い味のものも食べなくては。周囲はこってり派が多数。最近は煮干しがブームらしいが、全部磨り込んだ濃厚味だとプリン体が心配。午後も低木の剪定。多少の雷雨あり。漸く本当に涼しくなる。一雨ごとに秋が来る感じ。

夕方に映画「愚行録」。かなりの悪意と格差社会における怨詛が交錯すると殺人事件が起こるという設定。後半三十分の結構早い展開に少少驚いた。結論から言うと、どうにも主人公の妹は文応大学(多分京王)に入ったことが間違いの発端のよう。折角苦労して入っても目指す方向性を間違えていてはね・・・。いっそ鳳生大学くらいにしとけば佳かった。其れか国公立。そして真面目に勉強して公務員にでも成ればいいのである。

 

大広孝日誌 2018年8月

8/31・金

 宿題の解答をネットに出品するなと役所が指導したとのこと。まあ宿題と言うものはそういうものだな。親や友達や塾の先生、詰まり色色な人の手を借りてやるものである。吾人も容赦なく手伝う。読書感想文、自由研究、これからの時期はAO入試の志望書等等。インタビューしながら、本人の水準に合ったものを仕上げる。まあそうやってああだこうだと助けてくれたという経験も人生には必要である。何時かは自分も助ける側に回るのだから。但しネットで注文して解決するというのは些か宜しくない。そういう経験が得られないもの。

 八月も今日で御仕舞と言うことで高枝切りに着手。但し猛暑に阻まれ捗らず。昼は「せい家」の付け麵(650円)。午後になりシロが漸く出て来る。どうも未明に喧嘩をしたよう。幸い怪我は無さそう。抱き上げて見たものの雷鳴に怯えて逃げて行って仕舞った。少しナーバスになっている。都内南部は一滴も降らなかったが、徐徐に涼風が入る。こうして長い夏も終わってくれそう。併し酷い夏であった。今度は体操協会が炎上す。選手と強化本部長が言った言わないの泥仕合に。暑苦しいこと限り無し。それにしても御爺さん=老父が家から居なくなって二か月半。御婆さん=老母との二人暮らしは結構辛い。

 

8/30・木

 携帯電話の料金は高い高いと文句を言われている。確か官房長官も文句を垂れていた。其れでも格安スマホに顧客が流れないのは不思議である。身の回りでは鶴木さんしかいない。高い高いと文句を言いつつも、結局は納得しているのだな。まあ此の二十年で、携帯電話ほど進化したものはない。公衆電話と伝言板、精精ポケットベルの時代を思えば、月数千円は許容範囲と言うことか。今更あの時代には戻れないもの。例えば新幹線特急料金は高い高いと常常思うが、其れでは座席の夜行急行に再び乗りたいか問われれば、躊躇って仕舞うのと同じである(一度は乗るが)。まあ結局高い料金の一部は技術革新と設備投資に回っていると言えよう。其れに比して一向に変わらないものも多い。コンビニのおにぎりの不味さとか、通勤電車の混雑とか、大病院の待ち時間とか・・・。此方は二十年前と価格が変わらないからな。

 再びの猛暑となる。午前午後と漫然とす。須見伯母が来た以外は無為。「はてなダイアリー」が終わって仕舞うというので対応を考える。思えばブログを書き始めたのはリーマンショックが契機だったから、丁度十年になる。3.11以降は毎日書き、此の所は月一回纏めてアップすることを習慣としていた。色色と調べると過去の記事も移行出来るみたい。少し安心した。

 午後遅めの出社。夏の間に澱のように溜まった書類やプリントの整理と廃棄。中一の女の子たちは、あれが来たのとか実はまだ来たことがないのとかワアワア言っている。そう言うことは女の先生の前で話しなさいと忠言す。何しろ幾ら博学な吾人であっても男である以上、実に全く分からない世界であるから(スイマセン)。また本日から新人講師が登板す。無責任社長の知り合いの御令嬢らしい。獣医学部の一回生と言うから最大で五年半はやれるかな。まあ其の頃までには色色な意味で「持たない」とは思うけど。退社後は中華立ち飲みに。久久に天屋先生が居たので話しして帰った。

 

8/29・水

 蒸してはいるが陽が出ない分、多少は涼しい。梅雨の末期のよう。まず低木刈り。続いて施設に参り、老家人の昼食を介助。梅干しが食べたいと言っていたので、チューブ入りの梅肉を持参。大して食べず。其の後トイレの介助。此方は専門職にやって貰う。もう三日も出ていないそうである。お湯を掛けたり、脱脂綿で刺激したりしたが、反応は無し。其のまま就寝。食事の手伝いぐらいなら誰にでも出来るだろうが、排泄の方はなかなか出来ない。

 さてさて千歳船橋ランチだが、何だか食欲が出ないので高架下を経堂まで歩く。「一番館」という中華チェーンがあったので入って見た。「コクだし中華そば」に半炒飯(670円)。日高屋に似た店だが、炒飯を前面に押し出しているのが珍しい。そもそも炒飯を作るには職人の腕が要るし、鍋を振り過ぎると腕を痛めて仕舞う。量を売る飲食店には不向きである。但し厨房は二階にあるので中は覗けず。此の炒飯、どうやって作っているのだろう(自動化炒飯?)。其のまま宮の坂まで歩いて世田谷線で帰宅。区から知らせが来て、老家人は要介護五に昇進したとのこと(五階級特進)。夕方に草取り。夜はスーパーの秋刀魚の塩焼き(230円)。焼かれたアニーの他は完食す。今年は豊漁だそう。

 岐阜の老人病院で大量死。一週前からエアコンが故障していたらしい。幾ら安いとはいえ酷い病院もあったものとだと思う。暑さでぼんやりしていたが、米中貿易交渉も、米朝非核化交渉も暗礁に乗り上げたらしい。T氏も少し秋休みを取った方がいい。出来れば二年位。

 

8/28・火

 午前午後と漫然とす。猛暑の為か疲労が著しい。夕方出社。金五万円受け取る。随分前の卒業生に頼まれて、名代としてウェブテストを受ける。一般常識系だが問題数が多くて閉口す。後半はかなり適当になった。昇任試験だそうで、早く正社員に成れるといいが。他は取り立ててどうと言うことの無い一日。立ち飲みBに寄って御仕舞。少し新店を開拓しなくてはならないと強く思った。

 

8/27・月

 まず施設に参り、老家人の昼食を介助。まあまあ食べた。多少元気が戻ったようで、持って行った古新聞も捏ね繰り回していた。何処まで内容が入って行ったかは分からない。そう言えば子ども新聞と言うものはあるが、高齢者向けの新聞ってないよな。文字を矢鱈大きくして、最新のニュースは最小限、大昔の出来事をふんだんに取り上げれば結構受けると思うのだけど。兎に角もう少し真面になって貰わないと、ゆったりと外出も出来ない。

続いて駅前の「アンローザ」という定食屋に入る。日替わり定食750円。場所柄か農大生が多い。おかずの割りに御飯が多く、最後は沢庵ライスとなる。メニューも多いし面白い店だと思ったが、学生がプカプカやっているのは宜しくない。食味の為にも健康の為にもランチタイムは禁煙にすべきである。

小田急経由で千寿に移動。此方の講習も最終日。七時に終了。都心でぼんやりしている月波君を呼び出す。但し雷雨が来るというので、飯田橋ではなく彼の地元の江戸川橋まで移動。着いた瞬間、有楽町線は運転不能に。落雷故障とのこと。なかなかに運がいいと思った。大雨の中、行きつけの「善しの家」という中華屋に移動。典型的な町中華の店である。餃子、炒め物、炒飯、ラーメンに加え、常連の魚屋さんに刺身を差し入れて頂く。豪華な晩餐となった。併し彼も色色と年増の知り合いはいるようだが、孫や娘や姪くらい紹介して貰わないとね。二時間くらいで雨は止む。異様な暑さも終了。半蔵門線も空いていた。

 

8/26・日

 昨日以上の異様な暑さとなる。猛残暑なる新語も登場す。老家人は家人に任せ自宅待機。草取り等も不能。夕方買い物に出る。地元の商店街が縁日を開いていた。併し魚屋は勿論、豆腐屋も八百屋も全て既にない。大半が飲食店になっている。そんな中、猫餌と御酒を買う店が即席で鳥を焼いていたので少し寄ってみた。身の回りで馴染みの店と言うのも此の店ぐらいだな。

 Aは鹿児島で総裁選に出馬表明。今更分かり切ったことを態態桜島をバックに執り行う必要などそもそもない。公共放送のドラマに乗っかっているな。今年は明治150年と言うことらしいが、再び薩摩と長州で国を滅ぼそうとしている。

 

8/25・土

 20号では川湯温泉に浸水被害。以前泊まった旅館もやられた模様(確か「大村屋」)。つくづく今年の気象は荒い。暖気が残っている上にかんかん照り。再びの猛暑日に。

朝から十五分の草取りと二時間半の休憩を繰り返したまま夕方近くになる。此のまま一日が終了かと思い掛けた頃に施設の看護職から電話がある。老家人が発熱し具合が悪いという。そう言えば昨日も喉が変だった。何だか心配なので車を仕立てて家人と参る。行って見ると血色も良く、まあまあ元気そうであった(医師の指示に因りナトリウムとブドウ糖の点滴中)。行った序でに夕飯を食べさせる。高カロリーのドロドロ食を中心に多少は食べた。軽い風邪なのだろう。「もういいよ」と言うので寝かし付けて帰ることとす。其のままバス帰宅。交通費概算2500円。帰り掛けに千代田鮨と唐揚げを買い晩食とした。以後御酒を飲んでいると何だか少し悲しくてね。夜更けにシロを呼び付け、御前たちを最初に見付けた御爺さんは愈愈もうこんな状態なのだよと云って聞かせた。

 

8/24・金

 20号は近畿地方を通り抜け日本海へ。関東も強風と時折ざっと降った。朝から家人と施設に乗り込む。入居してひと月経ったので担当者との面談。運動機能の回復は望むべくもないが、せめて食事を楽しめるようにして欲しいとの要望を出す。誤嚥が心配だがミキサー食の一段階上の刻み食に変更出来るよう検討しますとの回答を得た。其の後昼食介助。吾人と家人のダブル介助だったから少し食べた。またアイスクリームが欲しいというので駅前スーパーで買って来る。兎に角、本人が食べたいというものを成るべく食べさせたい。例によって寝かし付けて退出。確か今日は「袋田の滝に行って草臥れた」と言っていたな。十年以上前の絵描き旅行の事だろう。楽しい思い出があれば、寝台の上でも楽しい夢を見られる。

さてさて老家人とは違って大変空腹である。家人とバス停横の「キュア」というカフェのようなレストランのような所に入る。超粗挽き和牛ハンバーグ何とかソース和え。肉は挽いたのではなく叩いたのであろう。肉肉しさが残っていて結構旨かった。御飯とサラダとドリンクバーがついて1200円。こういうものが食べられるのも歯と胃腸は勿論、体と頭の隅隅が概ね健康であればこそである。其のままバス帰宅。此れで今週の予定は全て終了。良く動いた。雨は止んだが午後は大変蒸し暑い。エアコンを点けて大量に午睡す。夜は鯖味噌の缶詰に家人の盛り蕎麦。

首都大学何とかも元の都立大学に戻るという。I時代の暗愚を修正するのならば、大江戸線も12号線かゆめもぐらに戻して欲しい。有名な大家さんも死去。今夏は暑かったからな。もう少し続いて欲しかった。JR貨物は山陰線での迂回輸送を開始へ。但し一日一便。

映画「メイズ・ランナー」見了。巨大な迷路に閉じ込められた若者たちの物語。迷路と言って中心部には村も森もあるから、進撃の巨人+キューブだな。話は分かりやすいしそれなりに面白い。併し二時間見続けても謎は解けず。聞けば三部作だという。行けども行けども終わらないバイオ何とかのような展開である。映画の一本道に直ちに挫折する。

 

8/23・木

 今日も強い南風でサウナ状態。午後千寿に。退社後は千寿駅のホーム上で盛り蕎麦と酎ハイの休憩。本日は半蔵門プラス南北線で回航す。やっぱり後者の混雑の方が酷い。而もちっとも電車が来ない。昼間より(一時間当たり)二本多いだけ。酷いダイヤだと思った。上尾事件が起こるな。

本務校で中一数学。何だか草臥れて仕舞い、立ち飲みBで二杯だけ。11系統プラス徒歩で帰宅した。暑さと混雑ほど人からやる気と体力を奪うものはない(増して慣れない路線だとね)。つくづく通勤時間より無駄な物はないとも。其れでも暴動が起きないのはスマートフォンの御蔭だな。みな自分の世界に没頭できる。ところで車内では最近すっかり影が薄い横浜の方の橙隠学園の広告を見た。一日十四時間いられる学校とあった。塾の代わりもしますということなのだろうが、幾ら何でも長過ぎると思った。もしも吾人が理事長なら四時間で終わる学校を建てる。学校から生徒を解放しますと宣言す。

 

8/22・水

 台風20号が接近。南風吹き付け三十三度程度。午前午後と何も出来ず。夕方出社。ぼんやりしていると漢字検定の答案を出し忘れていたことに気が付いた。本日中に発送しないと行けない決まりになっている。急いで本局に向かう。行って見ると長蛇の列。夜間窓口は一つだけで、定年間近のおじさんが一人で対応していた。丸で昭和の窓口だと思った。併しこういう時に使用する「昭和」という比喩は何を意味するのだろうと暫し考えた。売り場の混雑=売り手優位と解釈すべきかな。では平成は・・・。バブル期は売り手も買い手もいい思いをした(多分)。でも其れ以後の平成の大部分はずっと買い手優位だな。

退社後は立ち飲みBへ。併し三日連続で行っても、出て来るおつまみも出合うおじさんたちもまるで同じ。会ってくれる人が居ないよりかはいいが、もう少し何とかしなければならないと思った。新店の開発を。

 

8/21・火

 夏が戻り日中三十度以上。冷房も再稼働。高校野球は決勝戦。秋田代表と全日本代表がぶつかる。一人で投げて来た前者のエースは既に力尽きていた。夕方出社。漢字検定。中学生は宿題で頭が一杯の模様。大体自習となる。吾人も上級学校訪問リポート成る宿題を手伝う。こういうやっつけ仕事ならお手の物である。退社後は立ち飲みBへ。更にバーIに寄って帰った。

 

8/20・月

 また台風が来るそうで昨日よりかは蒸し暑い。それでも曇っているから涼しいというべきだろう。午後千寿に出校。中三国語に加え中三理科も同時併行せねばならぬ閉口す。掃けた後は国道沿いの「大勝軒」で、もりそば(750円)。少し麺が柔らかいな。付け汁はまあまあ。熱熱なのがいい。大勝軒と言うと兎角期待のハードルが上がり、ネット上では好悪交交に荒れるものである。併し何しろ本家の味を知らないから吾人としては判断の仕様がない。

 続いて日比谷線プラス三田線で目黒に。其のまま本務校に回航。中三の数学。都営に乗ってもやっぱり混んでいる。田園都市線より酷い感じ。メトロ経由より百円ぐらい高いが、結局百円損したと思った。退社後は立ち飲みBへ。最終バスで帰宅。11系統を降りたら丁度32系統がやって来たので合わせ技で帰宅。ちなみに11系統には数キロ乗るが、32系統は二停留所しか乗らない。都営はバス同士の乗り継ぎ割引をやってくれるが東急はやらない。ICカード時代なのだから是非やって欲しいと思った。一日券を使うほどでも無い時が結構あるのですよ。一階の二号室の方が先に決まる。まだ工事中だが入居は来月。

 

8/19・日

 ネットで軽く読んだだけだが、「日経ビジネス・8/20号」の「国鉄は二度死ぬ」という記事はリニア計画の危うさを正確に捉えていると感じた。海外の投資家は少しずつ手を引いているのだという。然もありなんである。KとAを早く何とかしないと取り返しのつかない事態になるな。

 午前中は施設に行く。23系統には乗らずに自前のクルマを用意す。何しろ晴れてはいるが涼しいからね。およそ三十分で到着。徒歩+バス最速乗り換えパターンより早いことは早い。例によって叩き起こして施設内を巡回。昼食介助。老家人は「七時には東京に着く筈がよもやこんなことになるとは」と申していた。どうも何処かで行き倒れた感覚なのだろう。人生を旅に準えるのならば、大半の人人は行旅死亡するものだがね。

続いて「蔵吉」という蕎麦屋に入る。鮪丼と盛り蕎麦のセット(1000円)。バス代が節約できた分、中壜を付けた。ゴマダレのづけ鮪が結構旨かった。隣のおじさんの親子丼も旨そう。蕎麦屋よりどんぶり屋にした方がいいかもしれない。往路復路ともベテランタクシードライバーが通るような小径を通って、世田谷通りをエスケープ。此処も数年ぶりに通るな。環七の大型量販店で猫餌を大量購入して帰る。矢張り区内の移動は自転車が便利である。晩食はスーパーの総菜を並べた。夜は「ポツンと一軒家」。こうして十連休も終了す。

 

8/18・土

 晴れてはいるが爽快な気分。炒飯を作るという家人の提案を拒否して表に出た。二ヶ月ぶりくらいに自転車で出歩く。一日二回本格的な食事をするとして年間700回。其の内半分は外食するとして350。馴染みの店やチェーン店を別にすると新店に入れるのは100回ぐらいだな。そういう機会を無駄にしたくない。併し駒沢方面まで行くも、よさげな所は見つからず。するとあちこちのかき氷屋に行列が出来ていて驚く。水みたいなものにあれだけの時間と御金を割けるものだね。結局地元でちゃんぽんを食べた。十年振りくらいに入った店だが、旨味も塩気も薄め。紅生姜とウスターソースで補正する。すっかり濃い味に慣れたのかなあ。他は草取り。夜は家人の冷やし中華

 甲子園では秋田の農業高校が大健闘。併しみんなどうやって応援に来ているのだろう。「日本海」は既に無いし、団体専用列車と言うのも最近は見られない。結局「こまち」+「のぞみ」かな。それかずっとバス・・・。かくいう吾人も甲子園には参ったことがある。高三の時に通っていた学校が出場した。狭い車内に閉じ込められるのが嫌で、青春18きっぷ大垣夜行に乗って行ったものである。確か横浜から名古屋の手前の始発列車に乗り換えるまで立ちっぱなし。今なら小田原で断念するな。

連投連投だとピッチャーの肘が心配だが、高校野球は結局此れでいいのだろう。何しろ大半の球児たちは大学や社会人、増してプロでプレーする訳ではない。正正堂堂闘って野球は卒業。其の為の一種の儀式である。爽やかな夏の思い出の一片でもあれば、其の後の(多分に苦しい)人生を歩いて行けるというもの。尤も指導者や部の体質が健全であればの話だけどね(嘗ての超強豪校は度重なる暴力事件を受け無くなって仕舞った)。

 

8/17・金

 空気が入れ替わり、晴れてはいるが秋の晴れといった感じ。早速低木刈りを朝の五時から行う。以後数度にわたり出動す。日中もクーラー不要。こういう気候ならば欧州からの旅行者も喜ぶだろう。但しくしゃみ止まらず。抗ヒスタミン。ガスの使用明細書が来たが僅か8立米。住人が三分の二になったとしても大変な減少率である。何しろ此の猛暑で殆どの煮炊きは停止。シャワーも32度の設定だったから。ガス会社は泣いているな。

昼は昨夜の残り物。夕方池尻の新スーパーに行くも惣菜類は悉く売り切れ。昼の弁当は作っても夜のおかずは作らないらしい。こういう考え方の店もあるのだね。今まで午前中にしか行かなかったから分からなかった。結局三宿で海鮮丼を買って帰った。家人の要望があり『くすりの事典2019』(成美堂)を購入。此れは詳しい。対象は処方箋薬だが、薬の成分からも引けるので市販薬の内容も大体推測できる。市販薬評論家としては座右の書とせねばならない。

 

8/16・木

 東の会社は自動運転を検討中とのこと。将来の人手不足に対応するというのが御題目らしいが、矢張り如何わしい。そもそも電車の運転士になりたい人など沢山いるだろう(子どもの夢の上位を占める)。其の上御客が減ったなら運転間隔を詰める必要もない。あれだけ儲かっていてあれだけ社員を減らしても、要はまだまだ給料を払いたくないのだな。東海とは違った意味で酷い。

例によって可燃ゴミの日。毟り取った草をパンパンに詰めた45リットルの袋を二つ出す。尤も出荷先は世田谷区清掃事業だから何かを生産した訳ではない。もし此処に草食動物を介在させれば無価値な草が肉や乳や毛になるのだから、牧畜とは一種の錬金術であると思った。併し夏はいいだろうけど冬場が餌の確保が大変だな。牛は無理だとして山羊一匹にどれくらいの面積が必要なのだろう。土地が狭い日本では無理なシステムであるとも思った。

夏は今日で御仕舞らしいので少し出掛けようと決意す。溝の口まで電車で行き、市バスに乗り換え。生田緑地入り口で下車するも、飲食店は全く見つからず。結局ズカズカと歩き、登戸の駅前の「更科」という店に入る。盛りとミニ天丼のセット(1100円)。ミニの割りに海老天はフル規格で得をしたと思った。併し最早後退などあり得ない。其のまま多摩川を渡る。ちょうど日も陰っているので何処までも歩く所存だったが、早速の和泉多摩川で断念。小田急線に乗って素直に帰った。生田緑地でグダグダする予定だったものが、家に着いたらまだ一時過ぎ。どうにも段取りが悪い。

午睡の後、買い物に出掛ける。偶には天祐寺に。駅ビルが完成間近になっていて驚く。「稲毛屋」で焼き鳥を買う。中里の「信濃屋」が鳥を焼かなくなって以来、家で食べる焼き鳥がなくなって困っている。肉質は一般的でタレの味はまあまあ(やや甘い)。併し信濃屋の固めの胸肉と皮のサンド焼きと言うのはもう出合えないだろうな。あの昔の焼き鳥をもう一度食べたい。他は家人のゴーヤチャンプルー

 

8/15・水

 家人は鎌倉の伯母さんの所へ。ところで鎌倉の伯父さんも認知症が進んで在宅介護は限界に近づきつつあるという。何でも入れる施設が見つからないとのこと(現行お泊りサービス止まり)。一説には伯母さんが伯父さんを実は手放したくないから、本気で探していないのだとも。夫婦仲が良すぎるのも考え物である。此の点に関して、家人(母)にとって老家人(父)を施設に入れることは既定の方針であり、其処に些かの迷いもなかったと言えよう。元元の仲が大して良くないからな。

 日中南風が吹き荒れ、三十四度。外出外食は避け自前で飯を炊く。納豆ライスの副菜はハムエッグ。吾人はターンオーバー派なのだが、残念ながらひっくり返すだけの技術がない。サニーサイドアップのまま蒸し焼きにして全熟に追い込んだ。少しは料理もしないとね。他は草取り。対外的には一円も使わず。

 公共放送は連日の戦争特集。百歳とかで証言できる人が出て来て驚く。九十三の老家人も勤労動員中、確か日立市で米艦による艦砲射撃に遭った筈である。併し此の所のあっという間のロレロレ状態で最早証言不能。もう少し頑張らなくては・・・。

 

8/14・火

 さてさて本日は万代伯母の命日、殊に三周忌と言うことである。但し此れといった法要も無し(第一に其れどころではない)。其処で吾人が全親類縁者を代表して墓参りに行く。行き先は例によって都営小平霊園。少しは旅気分を味わおうと都心を通らずに小平を目指すことにした。先ず世田谷線に乗り、京王伝いに吉祥寺に。中央線で少し移動して国分寺から西武線で参る。大気の状態が予報より良く、南関東はピリカン状態。直射日光が殺人光線のように迫って来る。午前中から這う這うの体である。花を買った石材屋さんで自転車を貸して貰う。以後高速で掃除をし、手短に近況報告と最低限のお願いをした。

 駅に戻るも「丸徳」も「清川」もお休み。饂飩と蕎麦は諦め、「一品菜」という中華屋で野菜ラーメン+半炒飯+中壜休憩。帰りも旅を継続す。まず「ぎんてつバス」に乗る。正式名称を銀河鉄道株式会社と言う。独立系のバス会社である。パスモやシルバーパスは使えず現金払いのみ。従って年寄りはおらず、何人かの学生さんを乗せて走り出した。幾つかの学校を経由して国分寺まで20分、170円。少し安い。併し西武バスの島を荒らして大丈夫なのかなあ。路線バスが増えることは望ましいことだが、岡山市辺りでは大騒動になっていると聞いている。少し心配した。

続いて京王バスで府中へ。流石に此処から先のバスはなく、素直に調布まで電車移動。再開発された買い物ビルを冷かす。食品以外に興味はないが、折角見ても此の暑さでは持って帰れない。と言う訳で直ちに離脱。併し渋谷行きの小田急バスは二時間先までないので成城を経由して帰ることとす。調布周辺には梨園が点在。即売所もある。一日券ならば降りて買うんだけれどね。サワーピアーである。小平から凡そ二時間半。夏のバス旅を満喫した。一休みの後は草取り。夜は家人の明太パスタ。

 

8/13・月

 午前中から施設に参る。例によって老家人を叩き起こし、昼食介助。其の後トイレに行きたいというので男性介護士二人掛かりで三メートル離れた便座に着席させる。結局小水しか出なかった。御爺さんの介護は大変である。寝かし付けた後、吾人は商店街を物色。「寿司清」という店に入る。ランチ握り(凡そ八貫)に中壜を付けた。寿司はまあまあ、何しろ千円だから。でももう少し繁盛して欲しいな。御客は吾人一人のぼっち飯である。

其のままバスで渋谷に直通。百貨店の古本市へ。『荷風随筆』全五巻を二千円で購入。そうこうしている内に雷雨に巻き込まれる。バスを二本使って帰宅。そんなに降って来た訳ではないが、こういう場合一日券は有り難い。夜は堅い牛肉を焼いて食べた。

富田林の警察署から逃げ出した容疑者はどうにも故超有名俳優に似ていると思った。試しに検索をしてみると、同様の意見が既に多数SNS上に見い出された。こういうどうでもいい発見を披歴することは、嘗ては家庭や部室や居酒屋でごく近親者のみに対して行われていたのだろうが、最近はネット上でおおっぴらにやるのだと思った。

 

8/12・日

 結局かなりの宿酔に。昼頃には漸く収まる。続いてコンビニの冷やし中華。概ね曇る。少しの草取りの他は無為。夜は残り物にカップ焼きそば。

 

8/11・土

 陸羽西線は今日からバス代行。流石にお盆期間だからやらざるを得ないのだろう。群馬の防災ヘリが墜落。どうも防災ヘリの事故が続いている。何か理由がある筈である。

 異様に蒸し暑い。朝から量販スーパーに行き、二号室に取り付けるLED電灯を購入。アイリス何とかの方が三千円安いけど、やっぱりナショナルにした。明るいナショナル、みんなのナショナル。一応国産品。ところで此のスーパーも出資していた外資の方は撤退を決めたという。資本提携以降、店内は倉庫のようになり、店員も少なくなっていた。安いことは安いのだろうけど、元元満足な駐輪場も無いから、滅多に買いに行けないし、沢山買って来られない。アメリカ式は日本、特に都心部の古い店舗では通用しないな。暑くて暑くてびしょびしょになって持ち帰る。アンチネット通販派は辛い。色色不満はあるが此の店には生き残って貰わなくてはね。

 午後は軽い降雨。夕方外出す。素直にメトロに乗り市ヶ谷へ。やって来た有楽町線は7001というトップナンバー。プレートを見ると吾人と同い年であった。今や国鉄より営団の方が古い。兎に角頑張って欲しいと思った。本日は大学飲み。珍しく轍田さんが参加す。色色と子育てで悩んでいるよう。成るようにしか成らないと忠言す。まあ他人の子だから好き勝手なことが言えるというのもあるな。他は月波君と藤松君。3800円で食べ飲み放題の「京華茶楼」という中華屋に入る。都心はガラガラ。どういう訳だか入った瞬間からずっと蛍の光が流れていた。肝心の料理の方はと言うとオーダー式の提供で結構旨かった。余りそうなものは藤松君がみんな浚ってくれたので食べ残しはゼロ。やはり中華は頭数を揃えて行かなくてはね。もう一軒寄って帰る。

 

8/10・金

 日大の別の部活でも問題が発覚。監督やコーチによる行き過ぎた指導は枚挙の暇がない。アメフトもチアリーディングも元元は舶来品だが、教えているのは当の昭和生まれだからな。そもそも先生と言うものは生徒の成れの果てだから、一番変わりにくいし、また変われないのだろう。こういう場合、手っ取り早く御雇外国人を入れるしかないか。

 さてさて本日から十連休。特に予定もない。涼しい内から低木刈り。無人銀行に参り、施設に敷金分を振り込む(75万円)。続いて経師屋さんにお茶を出す。以後漫然とす。また先日優子さんと話したところ、夏子叔母さんもどんどん認知症が進んでいるとのこと。なお取り立てて御金の心配はないが、確定申告した際の所得が多いと税金や社会保険料が上がるので、不動産収入をもっと少なくして欲しいと言われた。持ち分割合は変えられないから、修繕費や雑費を少し付け替える必要があるな。来年の二月も大変そう。

 夕方になり外出す。久久に仲田大将にお呼ばれして西新橋のちゃんぽん屋に。例によって渋谷からバスに乗ったのだが都内は大渋滞。何ラッシュになるのだろう。少し遅れた。参加者は鰻犬先生に須々木さんと月波君。大将と会うのは四月以来。三時間ほど痛飲し解散。月波君ともう一杯。「博多風龍」へ。月波君が愈愈しつこくなってきたので早目に退散。帰りはメトロに。銀座線は混んでいたが半蔵門線は空いていた。みんな何処かに行って仕舞ったのだろう。帰宅は十時半。

 

8/9・木

 13号は房総沖を北上。結局都内は何の影響も無し。朝方は低木刈り。段段晴れて暑くなる。午後千寿に行く。途中散髪。退社後は「天七」で軽く引っ掛けて本務校へ回航。中一に一次方程式を教え、此れで前期日程は全て終了。立ち飲みBで軽く飲む。11系統に行かれたので目黒経由で帰宅す。

 先日の山形豪雨で陸羽西線は長期運休とのこと。ホームページには代行輸送は行いませんと堂堂と書いてある。お盆を前に職務放棄だな。併し本当にやっていないのかな。バス代行を。知らないで行った人はどうするのだろう。

五輪のドサクサに紛れてサマータイムを導入するような話が出てきている。吾人としてはまんざらでもないと思うが、併しあくまでも此れは東京中心の話だな。もっと西、九州や沖縄、例えば与那国島など朝の七時でも真っ暗になる。東西に長い国だとちょっと難しいと思う。要はマラソンだけでも朝の五時に始めればよいだけである。国中の時計を動かすほどの事ではなし。

 

8/8・水

 13号が接近。風の台風らしく、未明から風が吹く。朝には降り出す。関東は冷え冷えだが、静岡以西は猛暑のまま。冷風は箱根の山を越えられない模様。気象に於いても東西の差は大きい。それにそもそも東海地方は西日本である。詰まりJR東海など要らなかったな。シリアで行方不明になっているジャーナリストの奥さんが会見し救出を訴えた。拉致されてもう三年である。先月新たな動画が出た際、官房長官は全力を尽くしていると表明していたが、全力で傍観しているの間違いであろう。オトモダチ以外の国民は守らない恥ずかしい国である。木次線は運転再開。信号ケーブルが切れただけだったらしい。バイパス措置で直ったとのこと。また備後落合に行って見たい。出来れば正規の乗車券で。夜になりO知事の訃報が。Aを道連れにして欲しかった。

 水曜不出社。屋外作業は出来ず自宅待機。「アンドロメダ」後半。一応見せ場はあったが幕切れは中途半端。こういうのをカルト作と言うのであろう。医学や生物学の知識があればもっと楽しめる筈。昼はオリジン弁当。夜は冷凍食品その他。

 

8/7・火

 都内も未明に大量降雨。暑さから解放される。移動の自由と呼吸の自由を取り戻した感じ。医大裏口入学の問題は、入試の公平性の問題に発展。女子受験者を減点していたり、浪人男子を敬遠していたことが発覚す。まあそういう篩の掛け方をするとしたら二次試験からだな。面接や小論文を通して職業適性を見極めたと言えば大した問題にはならないだろう。マークシート方式の一次試験でやって仕舞うのは少し理不尽と言うものである。

 電気カミソリが欲しいというので朝から量販店に参る。併し吾人には丸で縁のない道具類である。そもそも吾人には髭が殆ど生えない。週に一度軽く剃るか毎日十本ずつ引っこ抜く程度でどうにかなって仕舞う。見てみるとカミソリにもピンからキリまである。何がどう違うのか分からないが3500円程度の物を購入。其の足で施設にバス移動。朦朧としている老家人を叩き起こしまず書類に署名させる。満期返戻金受け取りの為。続いて車椅子に搭乗させ館内を循環。例によってどろどろの昼食も口に放り込んだ。一時間半引き連り回した。寝かし付けて退出。

さてさて吾人も昼食の時間である。余り食欲がないので高架下の「八兆」に。個人経営の立ち蕎麦屋かき揚げ蕎麦におにぎり一つ(530円)。天麩羅は焦げ気味だが生蕎麦から茹でているから味はまあまあ。おにぎりが旨い。千歳船橋にはまだまだ入って見たい飲食店が沢山ある。但し小雨が止んだので蕎麦屋に傘を忘れた。午睡の後、代講出社。例によって武藤女史が海外滞在中の為。夏だというのに戦力低下が著しい。立ち飲みBで結構飲んだ。帰宅後映画「アンドロメダ」。宇宙から入った謎の病原体と闘うという設定らしいが、謎の研究施設でずっと検査と実験ばかりやっている不思議な映画である。真面目に作っているのだろうが退屈過ぎて途中就寝。

 

8/6・月

 朝から異様な温度と湿度。午後早目に千寿に出校。今日から此方の講習である。相変わらず効かない冷房に、持ち帰っても持ち帰っても全く減らないゴミの山、S子先生の怒号に辟易とす。但し生徒が少ないので五時半には退社。以後本務校に回航である。丁度二時間あるので一杯引っ掛けて行きたかったが、お腹の調子が悪いので本日は断念。其のまま夜の南北線に乗り移る。

例によって途中駅で都営の列車に吸収合併される。ラッシュ時の二本が一本に纏まる筈もなく、吾人の他不慣れな乗客は取り残される。酷いダイヤだと思った。三田線は漸く八両にするらしいがメトロの方はどうするのだろう。今時六両編成など考えられないな。明日からでも12両にして欲しいと思った。本務校に着いてもぐったりす。移動疲れである。中三数学を教え、立ち飲みBに寄り、バスを二本乗って帰った。神奈川方面は大雨。夜は久久に涼しい。

 

8/5・日

 朝からコンビニのおにぎり。塩気は薄くコメはぼそぼそで食えた物では無し。併し不思議だな。世の中どんどん変わっているのにコンビニのおにぎりの不味さだけは変わらない。人類が火星に立つ頃も恐らく不味いままであろう。そもそもが安すぎるのかな。一個200円出すから真面な物を作って欲しいと思った。万が一にも吾人が国会議員になったら「おにぎり適正化法」を作る。細かな基準を設けおにぎりの食味向上と国産奨励に政治家生命を使う。元始、おにぎりは太陽であったと、法律の前文に書く。

日中三十五度。西日本はもっと高温。最早言葉も無い。安白チリワインと猫餌を買いに出た序でに「さとう」でラーメン。午後も取り立てて引き篭もるのみ。夜は家人が買って来た牛肉と舌平目。大して旨くも無し。北から寒気が南から台風が接近し明日の夜から崩れるという。それはそれで待ち遠しい。

 

8/4・土

 朝から近所のスーパーに。すると冷蔵ケースが故障しており半分以上の商品が販売不能。豆腐も納豆も買えなかった。暑さのせいだな。大手家具販売会社も愈愈大変なことに。かの店には家人の付き添いで一度だけ行ったことがある。品の良さそうな店員に案内されながら高そうな家具の間を半日歩いた。最後には御茶まで出して貰い、今時こんな売り方があるものかと感心した覚えがある(確か居間のテーブルを買った。凡そ15万円)。娘さんは流行りの量販店のようにしたかったらしい。お父さんを追い出してまで経営権を奪った。併し昔の売り方でまあまあ巧く行っていたのだからわざわざ変える必要などなかったのである。遅い反抗期で会社を潰して仕舞ったことになるなぁ。何でも変えれば佳いというものではない、絶好の教材が生まれた。

日中三十五度。御昼に出社。丁度商店街の縁日の日である。当該地区でも出店を出していた。出動していたのはお爺さんばかり。併も半分以上は既に廃業した元店主さんたちである。矢張り商売が忘れられないらしい。一同に会していたから一種の同窓会だな。講習最終日。さてさて件の中一に当たる。ペンギンに育てられた先生は連日の暑さでついうっかり激昂した。あの後は冷凍庫に頭を突っ込んで冷やしたと挨拶す。そして再び怒り出さないよう、慎重に穏やかにそして適当に指導す。退社後は偶偶歩いていた鰻犬先生を誘って立ち飲みBへ。父上の納骨を済ませたばかりとのこと。また愈愈売却→引っ越しの目途も立ったとも。テーマがテーマだけに湿っぽくなりがちだが丁度須々木さんもいて、平日並みに何とかなった。更にバーIに寄って帰宅。家人が読みたいというので『九十歳何がめでたい』と『大家さんと僕』を新造購入。年寄り文学だな。出版界も高齢者シフトを敷かなくてはね。また西のホームページに因ると芸備線木次線福塩線姫新線も直す意思はあるよう。やれやれである。特に福塩線は未乗だから大変心配していた。

 

8/3・金

 日中三十六度。暑中介護施設に。点滴中だがまあまあ元気そう。持って行った古新聞や絵の本を頻りに眺めていたから。併し十分後にはうとうとと居眠り。軽い昼食の後もごおごおと鼾をかいている。疲れが溜まっているのだな。凡そ九十年分の疲れが。また看護師の薦めで高性能な車椅子をレンタルすることに。実にひと月九千円。

 結局ずっと寝ているので早早に退出。駅近くの「とんとん亭」と言う店で上ロースB定食(1400円)。少しとんかつを食べ歩いてみようと思っている。従来かつは家で食べることにしていたが、既に家人の製造リストからは削除されたようなので。これぞいう店に出合いたいものである。高架下の本屋で「JR時刻表」。お盆は十連休。何処かに行きたいが何処かに行けるかな。其のままバスで帰宅。夕方外交員がやって来て火災保険の見直し。障害特約とか満期払い戻し金等のオプション契約を外し、シンプルな掛け捨てにする。此れで年数万円が浮く計算である。夜に掛けて一雨あったが直撃と言う程では無し。其れでも少し冷ました。そもそも今夏は夕立すらない。晩食は鯖の缶詰に御茶漬け程度。

夜は地上波でやっていた映画「オデッセイ」。典型的な明るいアメリカ映画。クルーの音楽の趣味までは分からないが、ここぞという時は米中協力して難局を乗り越えて欲しいと思った。併し火星は遠い。位置にも寄るが、ひかりの速さでも十数分。ではのぞみでは?

 

8/2・木

 昨日以上の猛暑となる。まだ暗い早朝でも舗道から熱を感じた。二十九度はあるな。何かしたいが屋外作業はほぼ不可能。其処で隣家を片付けることにした。万代伯母の靴や古い確定申告書などを捨て去る。老家人の趣味の本も図書館に供出。可哀想なので二冊は取っておいた。序でに近所の集積所を見回ると弁当が捨ててある。参ったな、次の回収は月曜である。見たところ結構高そうな折詰めが四人前(手付かず)。こういう勿体ないことを誰がするのだろう。中のバランごとコンポストに放り込んだ。

昼は冷凍うどん。夜はスーパーの惣菜。ちなみに昨日が東急で今日は西友。惣菜評論家には直ぐにでも成れそう。吾人の買い物は猫餌と軍手のみ。こうも暑いと何処にも行けず。エアコンからカビが出て来るのかくしゃみが止まらない。夜も暑く周囲には異様な臭いが立ち込める。あちこちで下水が滞っている。なお簡易保険は直ぐに下りた。医療費分は賄える金額。郵便局も最近は仕事が早い。芸備線福塩線も止まっているから三次には一本の列車も来ない。せめて三江線があれば日に数度はディーゼルの音がするのだがね。

 

8/1・水

 今月から東急バスは東京都シルバーパスでは差額を支払っても深夜バスには乗れなくなる。地味な負担増である。まあ深夜徘徊老人も居ないだろうが。再びの三十五度。不要不急の出社は避け自宅待機。昼は冷凍牛丼。夜は家人が買って来たスーパーの総菜を並べただけ。それにしても月曜の出来事は我が事ながら少しショックだし結構反省している。伯備線は復旧。

2018年7月

7/31・火
 終日晴れ。まず介護施設に参り、老家人の昼食の介助。続いて介護保険の再改定となる。今回は区役所本体から御足労願った。吾人より年上の穏やそうな男性職員がやって来る。運動能力の方は施設職員へ聞き取りし、認知能力に関しては老家人に直接問い掛けることとなった。質問調のものはなく、十五分ほど言葉の遣り取りをして無事終了す。
ちなみに吾人が事前レクチャーした際、老家人は「呆けた振りをした方がよいのか」などと聞いて来た。認定が上がると費用が掛かるから「成るべく呆けない方がいい」と仕込んでおいた。併し生年月日は答えられても住所までは言えなかった。此れが実力である。先月要支援二になったばかりだが、此のまま三階級特進かな。結果はひと月後。しかし施設に入って丁度二週間。体力低下が著しいと言うことでリハビリもされず。ケアプランの第一目標が「心安らかに過ごすこと」であったからな。本人が嫌がることはもうやらないのだろう。
 続いて小田急線と千代田線で千寿に移動。道中、「給料も払わないし貸したお金を返そうともしないから益益怒りの沸点が下がるのです」と無責任社長に送信す。すると一時間後に長長と謝罪文が送られて来た。こういう所だけは巧みだと思った。何しろ舌先三寸の人である。併しこうして空手形ばかり掴まされてもね・・・。万事下らない事夥しい。退社後は飯田橋に回航。都心をふらふらしている月波君を呼び出して、蝦夷松と立ち飲みBで軽く飲んで帰った。其の際『思想五月号』を分けて貰う。小熊氏の論考が興味深い。「1968以後」も日本では好景気が続いたので「社会運動も低調だった」。此れが日本と欧米諸国との最大の差で、経済が何となく成長して行ったものだから、1968の経験が広く引き継がれる必要がそもそもなかったと。日本でも四半世紀遅れる形で90年代以降は大変な時代となるが、其の頃までには社会運動の方法も考え方もみな綺麗さっぱり忘却されて仕舞ったということになるなあ。一度途絶えた物を呼び起こすのはつくづく難しい。そして忘れ去られた社会においては、デモは五月蝿くて迷惑だという市民の声を受け、デモ隊の出発地を限定しようなどという条例が制定されるのである。
日銀は利上げを容認。事実上の白旗宣言である。今度はアマチュアボクシングの会長が狼藉を働いているとのこと。此の所、次から次へと告発状がスポーツ庁に寄せられているが、肝心の主務官庁の方から次から次へと逮捕者を出している。こういう風潮の下ならば、蝿も虎もモリもカケも現総裁も叩き潰すなどと宣言した総裁候補が出て来たら結構な支持を集めるかもしれない。こうして何も楽しいことのない七月が終了す。


7/30・月
 今日も蒸し暑い。午後出社。中三と中一。後者はほぼ全員出席。するとワアワアガアガアと授業にならず。一時間半我慢したが、とうとう激昂して授業は強制終了。大人気ないから怒りたくはなかったが、ついにこうなって仕舞った。大体中一で合クなど無理だよな。吾人も其のまま退出。後がどうなったのかもう何の興味関心もない。只管早く辞めたいと思った。職場の近所で飲む気もしないので其のまま帰宅。缶麦酒を飲んだら胃がむかむかす。腹の虫も収まらなかった。


7/29・日
 12号は列島を逆向きに縦断。関東は依然すっきりせず蒸し暑い。そんな中、朝から牛丼Sへ。午後はかんかん照りとなり暑さがぶり返す。此れと言って成すこともなく終日漫然とす。シロは何度も甘えてくる。どうにも昨夜は落ち着かなかったのだろう。最近は呼べば返事をして尻尾を振る。シロの犬化が進んでいると言える。
イージス何とかには五千億も掛かるという。例によって当初の見積もりよりどんどん拡大す。所謂何とかバーと同じだな。其れだけあれば、JR北海道と西と東と四国と九州と第三セクターの被災路線が直ぐに再建出来る。被災者やボランティア、当の自衛隊員にも何万食も豪華幕の内弁当を配れるな。壊れた民家も直し、余ったならば北朝鮮に上げてもいい。


7/28・土
 未明は中雨。一旦止む。北風吹き付け窓を閉め切っても寒いくらい。御昼前に南風に代わり、以後蒸し暑くなる。取り敢えずバス出社。そう言えば今年は土曜出勤が増えた。平政君が居なくなったからな。彼に此処数年は頼みっぱなしであった。
本日の担当は中三と中一の数学。夕方は雨が強まり後者は半分ほどが欠席。御蔭で割と細かく指導が出来て良かった。というのも教える人が不足していて、中一と中二はクラス分けが出来なかった。所謂合クである。退社後は其のままバーIへ。酔うほど飲めないまま一時間ほどで最終バス帰宅。店主に千円分も強制納品させられたら3100円も掛かった。そもそも夜には概ね止んでいた。よくよく考えてみれば自転車でも来られたな。


7/27・金
 日中二十七度程度。取れたてて予定もないとなると草取りである。割と進んだ。昨日今日で猫車一台半くらい。北上して来た12号は関東の手前で左に急カーブするらしい。西に向かう台風も珍しい。まだまだ土砂が掻き出せていない。つくづく運がない。為政者があれだからな。


7/26・木
 昨日以上に涼しい。まず粗大ゴミの搬出(ガスコンロとキャリーバッグ)。漸く此れで二号室のゴミは一掃される。ひと部屋の片づけに二週間も掛かった。被災地が思いやられる。どんどん東風が入るので一時間ほどの草取り。続いて施設に参り、委任状の作成。へなへなな字しか書けず老家人は頻りに残念がっていた。書けた後は、昼食の介助。どろどろの糊のようなものでは食欲も湧かないな。吾人用の麦茶を飲ませたら結構飲んだ。食後は車椅子で館内を巡回する。三階にも行き、伯母の面倒を見ていた介護士にも引き合わせた。一時頃には退出。数年振りの「ひむかや」でラーメン休憩(650円)。此のあっさり豚骨+中細麺+微かな酸味が疲れた胃には丁度いい。直ぐにバスで帰宅。出来立ての委任状を手に郵便局へ。何回かの修正訂正の後、無事受理された。拙宅の食料庫が空っぽなのでスーパーで買い出し。以後午睡す。
残りの実行犯も全て執行される。ヨーロッパ辺りは吃驚しているだろう。国際世論ぐらいしか、もう遮るものはなし。併しあの法務大臣は軽い。多摩市の建築中のビルが炎上。週末には台風も接近するという。政治が悪いから色色と心配である。


7/25・水
 未明に一雨あって以後曇り。まあまあ普通の夏となる。早速草取りだが十五分やったら胸苦しくなる。以後長期休憩。日中何度も上厠す。二号室は電気関係の工事。旧三洋機も引退。残りは一台。夕方出社。退社後は立ち飲みBへ。あんまり飲めず十時半退出。夜も比較的涼しい。久久にエアコンなしで就寝。
 一方施設からは次次と書類が送られて来る。今度は提携薬局への署名捺印。また簡易保険に入院費を請求したいが老家人の委任状が必要とのこと。字が書けるかな。手続きも簡易にして欲しいものである。


7/24・火
未明に分別し尽くした不燃ゴミを出す(主として二号室から出た物)。すると電化ゴミは一瞬で、瀬戸物の類も何時の間にか持ち去られていた。前者は兎も角、後者に価値があるとも思えず。まあ何かの役に立つのなら誰が持って行っても構わない。苦労して仕分けた甲斐があるというものである。詰まり捨てる神と拾う神を媒介するのが此の分別する神である。また東電管内では600万キロワットを太陽光発電が叩き出しているという。猛暑でも需給は安定とのことである。それらに加えエアコンの買い替え効果も相当あるのだろう。併し地震に水害に此の猛暑、外国人観光客も吃驚。
二号室には大工さんが入る。幸いエアコンを掛けながらの作業なので熱中症の心配はなし。二度ほど御茶出し。家でぽかんとしていると施設から電話がある。すわ大ごとかと思ったが、栄養補助食品を取り寄せたいので、保証人による許可、就中署名が欲しいとの事。そう言うことは事後承諾でいいから、どんどん進めてくれと語気を強めた。大体一つ何万円もする訳では無し。百個買っても二万か其処らである。どうにも大手介護所は融通が利かない。今時御役所でももう少し機敏に動く筈である。結局責任回避のアリバイ用の書類作りだな。そもそも順法闘争をしているのではないのである。
例によって今日も三十五度もある。火曜であるが午後千寿に出校。授業よりも通勤の方が辛い。地下鉄でも冷房の効きが今一つ。早目に退社したので町屋のBに。久久にD店長も居たけど三杯で納盃。其のまま大人しく帰った。余りに暑いとアルコールも喉を通らない。


7/23・月
 今朝の「冷笑主義 社会覆う?」という記事は面白かった。最近の学生の間では藤田省三も人気がないそうで(随分前からなかったな。月曜二限の「政治文化論」はガラガラだったもの。古い話し=1992年でスイマセン。)・・・。全般的に日本人は妙に自信がなくなり大勢に順応し過ぎる。何が何でも「いやだからいやだ」と言うような天邪鬼的な人が少なくなり過ぎた。困った事態である。それにしても多くの人人がゼロ成長に足元を掬われている状況にあると、「高度成長反対」を唱えた藤田さんが色褪せて仕舞うのも致し方ない。かと言って「安楽への全体主義」へ陥る危険は些かも減ってはいない。むしろ、と言うか既に全体主義社会にあると言えよう。
 本日は家人が施設に参る。気温が三十八度もあるので往復タクシーを利用したとのこと。併し偶の贅沢がタクシーではね。バスで行けばそもそもゼロ円(シルバーパス利用)である。五千円もあれば色色出来るのに。吾人は午後ふらふら自転車で本務校に。途中富士そばで「冷やしゆず鳥とほうれん草そば」(430円)。結構旨い。今日から夏の講習である。退社後は立ち飲みBへ。おじさん勢揃いで結構痛飲して帰った(其れでも1500円)。併し夜でも三十度はある。異常な天候である。此の所は夜間でも設定温度は二十八。クーラー完備、此れだけは高度成長の恩恵だな。


7/22・日
 名古屋場所では木曽出身の力士が優勝。郷土のヒーローらしく、伊那に行く度に県内ニュースでは取り組みを詳しく伝えていた。だから吾人でも知っている力士である。併し四股名が「御嶽海」で呼び名が「みたけうみ」は少少紛らわしい。でも「おんたけうみ」ではしっくりこないな。奥多摩にあるのは御岳山(みたけさん)で、池上線の駅は御嶽山(おんたけさん)。脳内変換が間に合うかどうかぎりぎりの線である。何時の間にか中日はやっぱり最下位に。政変もなさそう。少なくとも今世紀中は。吾人も愈愈諦めた。
 異様に蒸し暑く、全ての作業は困難となる。漫然とした後、午後遅めに施設に向かう。まず老家人の部屋を訪問。あっちが痛いこっちが痛いと不満たらたら。何しろずっと寝ているからな。痛い痛いと体を捩っていたからシーツにシミが。下腹部から漏れ出して来たよう。ズボンも含めての交換作業となる。「あんまりいい人生で無かった」と宣うが、寝台の上での人生はまだ続く。もう少し動こうという意欲を持って欲しい。せめて車椅子に乗れば、視界は動くし、世界は変わる。
続いて施設との正式契約に移る。営業担当者による各種説明ののち只管署名捺印。大半は御金の説明である。基本的な入居費が月38万。此れに介護保険利用料金、医療費、諸雑費を足せば大凡47、8万だな。一杯410円の天麩羅そば(富士そば基準)から見れば、実に恐ろしい天文学金額である。其れに来月から介護保険も三割に値上げだそうで・・・。
部屋に戻ると丁度夕食時。食べろ食べろと吾人が言うと、「食べたくても食べられないのだ」と反論す。そう言えば今朝の新聞に高齢者は水を飲むことも容易ではないと書いてあった。要介護五のコラムニストの指摘である。再び23系統で帰宅。バスも世田谷通りも予想外に空いていた。こうも暑いと外出もしないよな。猛暑で消費が伸びるなどとは何処の阿保が言っていることなのだろう。夜は唐揚げをドカ食い。一種の自棄である。麦酒も案外進まない。白ワインの氷割りを飲む。ちなみに朝は豆腐、昼はスーパーの焼きそば(300円)であった。タクシーぐらいだな明らかに儲かるのは。


7/21・土
 朝からゴミを拾って歩いていると、レオ君が交通事故で亡くなったとの張り紙が。レオは(多分)シロの弟で、近所の御家で外猫として飼われていた。眼の色と尻尾の太さがほんの少し違うだけ。若い頃はしばしばシロと喧嘩をしていたけれど、大抵の人にはどっちがどっちか分からないくらいそっくりな猫だった。人懐っこかったから色色な人に愛されていた。シロより少し若いから享年七ぐらいかな。合掌。続けて合掌。早速シロを掴まえて来て、自動車に気を付けて弟の分まで長生きするのだと諭す。シロは実に神妙に聞き入っていた。猫は人語の個別具体的な内容までは解せぬが、文脈として褒められているのかそれとも怒られているのかあるいは語られているのかは分かる生き物である。
 今日も三十五度。家人が出動したので取り立てての予定はなし。上段の三番駐車場が久久に埋まるというので早速草取り。十分やって一時間半の休憩を何ターンがこなした。幸い雨が少ないから草の伸びは押さえられている。でも喜んではいられない。此のまま行くと来月は水飢饉であろう。朝は冷凍うどん、昼はカップ麺、夜は家人が買って来た崎陽軒
カジノ法も成立。まあ富裕層から巻き上げた御金を貧困層にばら撒くというのならば、其れもあり得る話しだと思うが、実際にはそうならないな。其れはパチンコを見れば明らかである。また山陽線の不通区間は新幹線振り替え対象となっているが、其れも災害発生前までに発券された定期券や乗車券に限るという。そもそも列車が運行できないのだから当日乗車券でも「こだま」に乗せてやるべきであろう。其れに学生は此れから夏休み。定期を切らしたらどうなるのだろう。東なら(多分)開放するだろうけど、西はどケチだからな。何しろ復旧は11月の予定である。それにそもそもはこういうことを国会で討議すべきであるが、生憎閉会したそうで・・・。


7/20・金
 午前中から23系統に乗り、施設に乗り込む。まあまあ元気そう。なお老家人には入院や退院や入居の期日が分からないとのこと。此の所の顛末と掛かった経費を紙に書き出して見せたら結構驚いていた。途中昼食休憩。少しスタミナを付けようと「はま」と言うとんかつ屋に。何しろ豚が絶滅する恐れはないからね。ロースカツ定食1180円。店は誠の昭和造り。環七の外にはまだまだ古い店が残っているな。味は至って普通。色色とメニューが多いから夜はとんかつ酒場になるのかもしれない。併し千歳船橋で飲むことはないなあ。
続いて家具屋で折り畳みテーブルを購入。2580円。考えてみれば此の店には2010年にも来ている。伯母に必要な備品を買い揃えた。でもあの家具たちは伯母の死亡退去の際に悉く遺棄して仕舞った。こうなることが分かっていれば、施設の納戸か何かに保管して貰えれば良かったな。買って戻ると老家人は既にうとうとと。薄布団を適当に掛けて退出す。
再び23系統に乗る。世田谷通りに出ると運悪く数珠の先頭に。各駅停車で乗客を拾うと車内はぎっしり満員。併し全てのバスが渋谷行きなのにどうして皆がみな一号車に乗りたがるのだろう。二号車三号車は例によって空気輸送である。毎度毎度不思議で仕様がない。這う這うの体で帰宅すると丁度信用金庫の職員が来ていた。老家人名義の定期預金は少しずつ解約するようにと依頼した。何しろ死んでからでは税務署の好餌であるからね。


7/19・木
 賭博の解禁に、定数増、何をやっても内閣支持率が落ちないのは、日本の有権者は二大政党制は勿論、最早複数政党制をも諦めた証左であるな。目指すべきはロシアや中華帝国である。
 午前中に内装屋さんが二号室の見積り書を持参。色色と直すとあっという間に大台を超えている。諸物価高騰+夏季作業手当だな。此方は建設的な支出であると言えよう。続いて介護ベッドの撤収。実に僅かな期間しか利用しなかった。何だか申し訳ない。レンタル代金は月千円なのだから、もう少し置いておきたかった。併し家人があっという間に解約の連絡をしていた。ベッドも無くなるとなると、老家人の一時帰宅の可能性も潰えたと言えよう。幾らなんでももう少し間を持たせるべきである。女と言うものは実に容赦がない。
続いて介護費用を考えることに。取り敢えず、比較的出入りの少ない銀行口座を宛がうことにした。試算によると凡そ二年は持つ。一種の特定財源である。併し二年を超えるとなると、愈愈一般財源が侵食され始めることとなる。一般会計支出は大変なダメージを受けることとなるだろう。新聞もケーブルテレビもレンタルモップも止めなくてはならないし、おちおち天麩羅そばも食べられなくなるかもしれない。猫の餌も安いものに切り替えである。
夕方出社。退社後は中華立ち飲み、立ち飲みB、バーIと三連戦。其れでも3500円。病院の差額ベッドの凡そ三時間分である。腹に水分を貯めると夜はまあまあ涼しい。併し此の所は朝の七時には三十度越えに。少し太陽にお休みを願いたいと思った。其の日は朝から夜だった、いいねえ。


7/18・水
 午前中から施設に乗り込む。折り畳みの椅子とテーブルその他を持ち込むからタクシーを仕立てて向かった。途中工事渋滞多し。2490円。工事も夜間やった方がいいな。第一に捗るだろう。本日は三十六度もある。
行って見ると、老家人は足をバタバタさせて、「そろそろ帰るか」などと宣う。大分元気になったのかな。朝方はベッドからずり落ちていたそうである。なお、尿の量を計測したいので秤が大至急必要とのこと。例によって暑中買いに出掛けた。小田急の高架下を延延歩いて無事購入。帰途付け麵休憩。「せい家」があったところが「はる」と言う店になっていた。二年も経つと店も代わる。付け麵中盛780円。併し味はせい家と変わらず。ならば少し高いな。飲食店と言うものも、そもそもが旨いか、そうでなくても多少安いか、あるいはその他のサービス及び雰囲気がかなり良いかしなくてはね。家人には巻き寿司を買って行く。
併しこういう施設も若い職員が多くなった。而も男性。大概が学校出立てと言った感じである。体位交換等で腰を痛めるから、お婆さん相手でも男の方がいいのかもしれない。塩分点滴は三時間くらいで終了。其れに合わせてバス帰宅す。二時間ほど休憩して本務校に自転車出社。結構消耗したので其のまま帰宅。残り物で麦酒その他。
山陽線の復旧は11月になるのだという。また芸備線の広島寄りは直すとしても、備後落合から先の区間木次線はどうなるのだろう。廃線候補だな、此のままでは。


7/17・火
 明け方は宿酔気味。何とか収めて登院す。老家人退院の日である。まず最後のおむつ交換、続いて担当医の挨拶、薬剤師から当面の薬を受け取り、会計に向かう。総額77万円。内医療費は8万円。持参した大枚を機械に吸い取らせた。大半が差額ベッド代である。事実上病院への寄付だな此れは。
六月分と合わせると凡そ一月の入院で135万円。併し掛かったな。老人医療も此処まで来ると一種の蕩尽である。看護師さんその他に見送られて介護タクシーに。千歳船橋の有料老人ホームに向かう。老家人にとっては最後の旅行かな。よくよく窓外を見るように忠言した。三十分ちょっとで七千円弱。伯母の死亡退所から僅か二年。再び此処の門をくぐることになるとはね。顔なじみの職員も少し残っていた。
 二階の18号室に入居。直ぐに横たわる。其の後介護プランの説明と承認。なお最初の一週間は体験入所扱いなのでおむつは持参して欲しいとのこと。昼食がてら家人と買いに出掛けた。凡そ三千円。金額以上にずしりと重かった。続いて施設医の訪問。万代伯母を看取った先生でもある。またまた宜しくお願いしますと挨拶す。ナトリウム濃度維持のために二日に一度は点滴が必要とのこと。昼食は塩分濃い目で半分程度食べさせた。本人も「とうとうこうなりました」などと冗談めいたことを言っていた。一応外面を気にする余裕は残存しているよう。寝落ちしたところで取り敢えず本日の任務は終了。ちなみに今日も三十五度。普通タクシーで家人と帰宅した。2250円。だいたい三時半。
 また栄養補助食も持参して欲しいとのことで近所のドラッグストアーで購入す。明治「メイバランス」ゼリー版。四個しか売ってなかった。丁度二日分だな。夜はスーパーの天麩羅に蕎麦を合わせた。老家人もよく食べた更科の乾麺である。蔭膳には少し早いが、兎に角今日から本格的な二人暮らしである。ちなみに施設には月に40万円程度の支払いを想定す。此方も大変な金額である。
 いやしかし、低ナトリウム症状にもう少し早く対応していれば別の結果になったのだろうか。何でも安直に年のせいだとせずに、もう少し真剣に考えていたら・・・。今回受けたダメージは最早回復不能の水準である。そう思うと寝付きはますますよくなかった。高齢者と言うものは常に崖のような所を歩いていて、ちょっとしたバランスを崩しただけで直ぐに転落して仕舞うのである。


7/16・月
 二号室の大量の引っ越しゴミに、拙宅その他の生活ゴミを若干加えたものを斜め向かいの集積所に出す。実に十数個も積み上げた。分別し直した袋が収集車に次次と放り込まれていく様を見ると実に清清しい。一方被災地ではゴミが野積み状態。分別名人と収集車を千ずつ派遣したいものである。勿論吾人も出動したい。
 夕方前に月波君がやって来る。久久の暑気払い。新しく出来た「もつ焼きばん」の支店に。税込みで一本120円と言うのは安くて旨い。但し店内は大混雑。空いたチェーン酒場に移動。更にパスタ屋にも行った。八時半頃ふらふらの状態でバス帰宅。酔うと駅からの僅か十分が歩けない。


7/15・日
 本日も登院。矢張り尻が痛い痛いと宣う。段段と意思の疎通が困難になりつつあるが、色色と意訳すると、どうも便がとば口で滞留しているよう。固くて痛いのらしい。柔らかい物しか食べていないのにどうして石のようになるのかね(もともと便秘症だったからな)。掻き出すと痛いのでいっそ浣腸をして欲しいと本人は言っていますと看護師さんには伝えた。ただ直ぐに帰って仕舞ったので、其の後がどうなったのかは分からない(酷い息子である)。
池尻の「天下一品」で遅い昼食。久久に食べたが矢張り少少濃すぎるな。こってりとあっさりの中間を作って欲しいと思った(名称はこってりあっさり)。大体日本国民全体が高齢化しているのだから、こってりした物もあっさりとさせなくてはね。終日異様な暑さ。夜は冷凍の穴子の蒲焼など。鰻はほぼほぼ絶滅したというから此れからは穴子の時代だな。


7/14・土
 異様な暑さ。全身を纏わりつく。都心も猛暑日。早速内装屋さんが来て二号室の改め。何処も古いから結構掛かるな。続いて御昼前に登院す。老家人はお尻が痛い痛いと宣う。どうも朝方に便を掻き出されたらしい。併し痛いよ痛いよと九十三歳に泣きつかれたとしても如何ともし難い。其のまま堪えよと怒鳴りつけた。
昼は病院近くの「更科」で。天丼と盛り蕎麦のセット(1260円)を食べたが大して腹が膨れない。スーパーで130円のカレーパンを買って補填す。併し安いカレーパンというものは図体の割りに中味が少ない。結局物足りず。夜は牛肉を焼いて食べた。その他は引き続き二号室のゴミの再分別。45リットルで20袋近い。いやしかし、よくもこんなに溜め込んだね。先日の愛媛の視察で足の付け根を痛めたAは明日の広島の視察を中止。何でこんな人の支持率が地に落ちないのだろう。


7/13・金
 上の二号室はルームクリーニング。修繕はドアクローザーのみ。続いて下の二号室の退去。十年も住んでいた人だからゴミも凄い量。百円ショップで売っているようなものばかりリヤカー一台分ある。異様に暑い中、朝からどんどんと分別し直す。夕方一旦出社。というのも本日は美亜さんのコンサートの日である。此処で美亜さんの紹介を少し。元生徒で元講師。大学卒業後色色とあったようだが何時の間にか歌手になっていた。語学堪能、容姿も(多分)端麗。和洋折衷、歌う親善公使ということで国内より海外で人気ある。世界を股に掛けるビッグアーティストである。
そんな彼女は海外生活が長いのだが、本日は芸能生活十周年と言う事で地元に回航、一種の凱旋コンサートが催された。いやしかし、人生には色色な歩き方があると感心する人物である。ホールは六分程度の入り。無責任社長と元立ち飲みTのママと鑑賞す。ママさんなどは途中寝ていたが、なかなか堂堂としたものであった。屈託がなくて語学が出来る人は早い内から海外に出た方がいいな。終了後は晴雷亭で鶴木さんらと会食。久久に佐渡屋にも回った。バーIにも行きたかったが体力が切れたので帰宅す。


7/12・木
 明け方に大雨。以後少しは涼しくなる。横浜の療養型病院での大量遭難事件も容疑者が挙がる。実に立件には二年も掛かった。警察発表によると動機は滅茶苦茶。つくづく職業適性が無い人と思った。看護師と言うのも今も昔も一定の人気がある職業だが、比較的高収入+資格の力で将来安定と言う動機だけでは務まらない仕事である。午後出社。退社後は中華立ち飲みとBを連戦。久久に少し飲んだ。


7/11・水
 今日も異様な蒸し暑さ。御昼に登院。すると呼吸器専門医による説明有。間質性肺炎は原因不明が多く、原因が不明な以上は大した治療法がない。退院した後に急性増悪した場合はステロイド療法が有効ですなどと言われた。ということで来週の火曜日の退院が正式に決まる。帰宅後素麺休憩。拙宅の台所も多少は生産するようになった。午後本務校に。金参万円受け取る。何時の間にか講習が近い。色色と決めごとをする。碑文谷のドライブと言う新店でとんこつ醤油ラーメン。味覚も戻っていないな。麦酒もラーメンも味が今二つ。
 予讃線山陽線も再開には一ヶ月以上掛かるという。こりゃあ西や四国や貨物の経営問題にも発展するな。また中国道は動いているが山陽道はずたずたに。下道も各地で寸断。激しい渋滞で物も運べないという。呉など陸の孤島になって仕舞った。現地では高校生まで泥を掻いているというのに、今頃Aが避難所を視察。同じころ東京ではお手盛り参議院議員を増やすことが決まる。吾人なら泥団子をぶつけるな。


7/10・火
 朝から晴天。一週間ぶりに吾人が登院。すると老家人は文句たらたら。まあ、ああでもないし、こうでもないと言えるぐらい元気になった証拠だな。今日は点滴も外れている。昼はどろどろの御飯に、どろどろの味噌汁に、どろどろの掻き玉子豆腐のような定食が出て来る。嫌だ嫌だと言いながらも結構食べさせた。六月の入院費の請求書が来る。総額58万余。其の内45万円は差額ベッド代であった。個室に入るのは致し方ないとしても、つくづく二万円安い部屋にすべきであった。いやしかし、何でこんな立派な部屋(と言っても病院自体が古いから場末のビジネスホテルのような部屋)にして仕舞ったのだろう。痛恨の判断ミスである(個室代は医療費控除の対象にもならない)。兎に角、入院手続きの時は興奮するものな・・・。
例によってキャッシュカードで払おうとしたが例によって使用不能。結局現金を引き出して支払った。デビッドシステムというものが役に立ったことが一度もない。支払い機に大枚を吸い取られせたら、領収書に続いて診療明細書が凄い勢いで噴き出して来て辺りに散乱す。慌てて拾い集めた。見ると点滴の一本一本まで丁寧に書いてある。文書作成も御苦労なことである。
お尻が痛い痛いと宣う老家人を寝かし付けて退出。少し精を付けようと最近出来たステーキハウスに寄る。180グラムの赤身肉に御飯とサラダとミニビールが付いて1200円。当然米国牛である。案外旨かった。米国産と言うと草鞋のような肉だった頃とは随分違うと思った。日本人が沢山肉を食えばT氏も喜ぶ。此れも世界貿易体制維持の為である。夜は家人が茹でたパスタを中心に久久にチリワインを一本開けた。平成三十年七月豪雨に際し五千円振り込む。


7/9・月
 異様に蒸し暑い。やっぱり広島の方が大変な被害が出ている。山際わまで建てた家はつくづく危ない。広島と岡山と言うと関東から見たら大して違わないが、地形は相当違うのだと思った。午後千寿に出校。途中散髪す。町屋のBで二杯だけ(1250円)。


7/8・日
 まあまあ回復す。朝からシャワー入浴。詰まり風邪というのも一旦悪くならないと回復もしない。不死鳥が生焼けでは再生しないのと同様である。さてさて不死鳥の如くとはいかないが業務も再開。ゴミの分別に続いて、二階の二号室の退去の立ち合い。真面目そうな女性社員だったから台所も綺麗。五年前に直した部屋なので其のまま貸せるな。買い物にも出掛けた。但し草取りは不能。此方は一週間は遅れる。飲酒も再開。スーパーのとんかつで一献。嗅覚喪失の為、大して旨くない。
 倉敷の北、真備と言う街が水没。鉄道では呉線芸備線予讃線高山線が長期運休の模様。被害は拡大中である。山陽線も高速道路も動かないから東西物流も滞る。九州の野菜や焼酎も持って来られない。フェリーでどれだけ運べるのだろうか。それにしても凄まじい破壊である。ゴミ収集車も派遣しなくてはならない。破壊の後は建設だが、また義捐金だな。家具家電、軽自動車の購入費の足しにして貰わなくては。


7/7・土
 西日本は広範囲に渡って大雨。被害甚大。また廃線が出るな。咳は収まったが、喉が痛み、鼻も出る。昨日より却って具合が悪い。プレコール、小青竜湯、トランサミン、抗ヒスタミン、気管支拡張剤、点鼻薬等等、持てる薬剤を集中投入す。夕方三十七度五分。タオルケットに包まって発汗さす。昼は冷凍パスタ、夜はコンビニの冷やし中華


7/6・金
 関東も大雨。咳は残ったが体調はまあまあ回復。今日も自宅待機。午後は小雨。結構涼しい。夕方以降は喉が痛む。夜は発熱した感じ。例によって市販薬と残薬を組み合わせて対応す。昼はスーパーのかつ丼。夜は冷凍食品。家人はどうして食事を作らないのだろう。ああそうか、冷蔵庫に何も入ってないものな。
 文部官僚が、自らの権限を使い息子を医学部に入学させる。併し御金を積んで裏から入学させることは昔からよくある話である。特に医学を学ぶのには物凄く沢山御金が掛かるから、大学側が受け取った御金の一部を教育に還元すれば、他の学生の役にも立つという屁理屈も成り立つ。でも今回の件は異状だな。使われたのは税金だもの。頭の可笑しい教祖は、頭の壊れた状態のまま小菅に消える。他の幹部も同様に。何故此の時期に。色色な解釈があるだろうが、恐らく支持率アップを狙っての事だろう。つくづく権力は怖ろしい。


7/5・木
 幾ら寝ても治らない。色付きの痰が出て来る。三十七度前後の発熱あり。気管支の不調が常態化している。本日は病院で介護施設との重要な面談があるのだが、家人に代行して貰う。午後まで只管静養。家人によると、施設長までやって来たそうだが受け入れ日時は未定とのこと。準備などいい加減で構わないから、兎にも角にも早くやって貰いたい。
 夕方ふらふらで出社。其のまま退社。ベーコンレタスバーガーで麦酒を一缶。朝はコンビニのおにぎり一つ、昼はカップ麺だから治るものも治らないな。


7/4・水
昨夜から小咳。次第に酷くなる。家人が登院し吾人は静養す。此の所ずっと何も面白いことがないから免疫力も下がっているよう。夕方軽く発熱。最早出勤するだけの気力なし。再びの水曜欠勤である。
南風吹き荒れ曇り勝ち。朝は冷凍うどん、昼はコンビニのパスタ、夜はオリジン弁当。「プレコール咳止めカプセル」を缶麦酒で流し込む。


7/3・火
 早朝サッカー。但し後半だけ。ベルギー相手に二対三。結構劇的な逆転負け。リードしてからの展開が良くなかった。先制点が二つもあると却って指揮が混乱するのかもしれない。
 朝から暑くて眠いが、本日も登院す。腹が痛い痛いと宣う老家人にホカロンを張り付ける。すると直ぐに収まったよう。少し中座して祐天寺の花月でラーメン休憩。好きな時に好きな物が食えるというのも考えてみれば体が動けばの話である。無論予算には限度があるし栄養の偏りを避けるためには、完全に好き勝手放題と言う訳には行かないがね。感謝すべきかな。我が食欲に。
病室に戻り昼食の介助。と言ってもほぼ自力で食べていた。続いて担当医の回診。ホルモン剤が効いてナトリウム濃度も回復。また経口摂取も徐徐にできているので今後は点滴も減らすという。来週には退院し介護施設に移送となりそう。
 帰宅後午睡。日が傾いて来た頃に草取り。また介護施設に入るといっても衣類の類は色色と持ち込みが必要である。各種タオルを買いに行く。他の入居者と混同しないようになるべく特徴的な柄の物を複数枚購入した。晩食は全て西友製。「いさきの刺身」なんてのもあり案外旨かった。夜はまあまあ涼しい。猛暑も今日で一段落するらしい。


7/2・月
 雨戸を閉め冷房を掛け、飼い猫の理不尽な攻撃から耐え忍ぶ。朝から炎天。咳と痰が止まらない家人は老家人が入院している病院の外来へ行く。各種検査の結果、気管支炎とのこと。ありきたりの薬が処方される。特別初診料は二千円。御飯と名の付くものが何もないので、昼に炊飯器を稼働させた。コメなど実に十数年振りぐらいに研いだよ。副菜はレトルトカレー
 診察後老家人に付き添っていた家人と交換するようにして千寿に出校。此れと言って何もない一日。町屋に行くもDオーナーは不在。此の所、医師、看護師、理学療法士ソーシャルワーカー以外と口を利いていない。今日も異様に暑い。有名噺家も亡くなる。老家人も此の夏は厳しいな。どういう事態になるのか。


7/1・日
 月が代わってもやっていることはまるで同じ。暑さに加えグレが何度も起こしに来るので断眠酷し。ぼんやりした後、御昼に登院。老家人は車椅子に載せられていた。早速昼食の介添え。ひと眠りの後はリハビリへ。どうにも機嫌が悪く少し歩いて断念す。今日も異様に暑い。昼はオリジン弁当。晩はスーパーの惣菜類。
此の所、洗濯以外の家事全般が停滞。炊飯器など冷温停止して三週間にもなるかな。炊飯器に限らず、まな板も包丁も鍋もフライ返しもガスコンロ等等も何らの価値を生み出していない。今風に言うと生産性ゼロである。尤も外食中食、持ち帰り弁当や総菜購入費は激増しているから、外食産業もスーパーもコンビニも喜んでいる。局所的な生産性を多少向上させたところで経済全体のパイが増える訳ではないことの証左である。そもそも生産性などと言う尺度が可笑しい。生産性逆革命が必要である。帰宅後は介護施設の申込書を書く。

2018年6月

6/30・土
 今日もかんかん照り。家人の症状はまあまあ落ち着く。昨日は入院するぐらいの勢いであった。一種のノイローゼだな。午後登院。すると土曜の今日もリハビリへ。一応三メートルは歩けた。何とか回復基調にはある。以後はプロ野球などを見ながら老家人を見守る。こういう場合の個室はいいな。病室は涼しいし。ただバスとトイレは全くの不使用。勿体ないこと夥しい。バストイレ無しの二万円安い部屋があったのに。四時半頃退出。近くの鶏屋でローストチキンを購入。家人にはコンビニの素麺。五時過ぎから好き勝手に飲み始めた。こうして六月も終了す。


6/29・金
 家人の咳は続き、今日も吾人が登院す。丁度入浴中であった。既にあばらも出、随分と細くなった肢体ではもう二足歩行は不可能だな。見ているだけで何だか悲しいね。昼はスイートポテト味のゼリーと魚のすり身。前者は150キロカロリーに容量アップ。一応完食す。また食べたくなさそうな後者も看護師さんによって口に放り込まれていた(三分の一程度)。併し老家人は何もしてない筈なのに草臥れて草臥れて眠たくて眠たくて仕様がない様。永続的な睡眠が近づいている。此の間、吾人は怒鳴り続けて覚醒させていたが、昼過ぎには寝かし付けて退出す。
 異様に暑く、夏空が広がる。どういう訳だか関東だけが梅雨明け。午後はエアコンを点ける。電力節約の為、下らないテレビは消灯しラジオに交代。家人は夕方発熱。風邪がぶり返した模様。但しあの内科医には掛かりたくないよう。吾人が前前から指摘した通り、当該医師は文字通りの藪であるな。ところで藪医者の語源には諸説あるようだが、吾人としては先を見通す能力のない医者と言う定義を採用している。藪に目を奪われ、年寄りの数日先の姿も予想できないのでは家庭医というものは務まらない。今回の件で家人も漸く分かったよう(ナトリウムの低下傾向などは実は随分前から出ていた)。吾人ももう行かない(三月の風邪の処方箋も酷かった)。事実上の解任である。夕飯はコンビニの焼き鳥その他。タレは甘すぎ肉はブヨブヨで食えた物では無し。家人には千代田鮨。


6/28・木
 三日ぶりに家人が登院。代わりに吾人が休息。午前午後と朦朧とす。ちなみに昼は二つ食べたそうである。何とかなるかな。一進一退、一喜一憂。今日も異様に暑い。午後出社。鰻犬先生の御父上=元書籍販売店店主も亡くなったそう。だいぶ前から介護施設に入っていた。併し廃業して何年も経つというのに、今更商店街葬というのもないな。色色と無責任社長に相談しているようだが、完全な家族葬にするか葬儀屋さんに丸投げすべきである。何しろ廃業率七割以上、既に御爺さんと御婆さんしかいないのに、お手伝いとか出来る訳がない。どうも此の辺りの段取りが鰻犬氏は適当でないと思った。
 本日はサッカーの日だが、聞いて歩いたところ小中学生の関心は概して低い。そもそもサッカーって、見ても分からないものな。ちなみに舞台はボルゴグラード、嘗てのスターリングラードである。画面を見ると何だか暑そう。同名の悲惨な映画のイメージとは偉い違いだと思った。広島と姉妹都市らしいが、独ソ戦でロシアの街街が被った惨禍について詳しい日本人などは殆どいないな。
立ち飲みBで少し飲んで帰宅。すると居間のエアコンが点けっぱなし。二十七度の設定のまま窓が全開に。まるで気が付かない。どうも家人は耳が遠くなったよう。肝心の試合はと言うと、リーグ戦の規定によりポーランドに負けてはいるが、兎に角其のまま負けなくてはならないという不思議な展開に。只管パスを回しているという間延びした終わり方であった。牛歩サッカーだな。負け取った決勝トーナメント進出である。


6/27・水
 家人は今日も不定愁訴。吾人が登院す。担当医及びソーシャルワーカーと相次いで面談。万代伯母も入った有料介護施設に移す方向で話を纏める。先方の準備が整い次第、早ければ来週にも移送できそう。肝心の老家人はと言うと、運動訓練でも反応薄く、寝てばかり。頭も動かない感じ。昼はカレーの煮凝りを一つ。80キロカロリー。愈愈寝た切りだな。食欲、体力が落ち切れば、行く着く先は小平(霊園)ターミナルである。西武線で言うともう田無辺りに来ているのかもしれない。
延命治療? やるも後悔、やらぬも後悔。介護費用の手当て、隣の空き家の処遇、そして再びの相続。年金収入も減る。ひとりで担うには少し荷が重いな。万代伯母の死から二年しか経っていない。御昼過ぎに帰宅。スーパーの弁当を食べる。南風吹き荒れ、今日も真夏日。既に勤労意欲を喪失。臨時休講とさせて頂いた。九時就寝。


6/26・火
 朝から換気扇の掃除。取り外した上で一度噛んだ鼻紙を総動員して汚れをこそぎ取る。まあまあ綺麗になった。続いて登院す。行って見ると老家人は朦朧としていた。どうもうつらうつらしていたよう。併し運悪く理学療法士が来て運動訓練に。吾人も付き添ったが、意識も意欲もレベルが低く、数回立っただけで終了となる。昼食はヨーグルト一つ。
それにしても此の間、様様な看護師さんや訓練士さんに、好きな食べものなどはないのですかなどと繰り返し尋ねられた。併しそもそも老家人はあれが食べたいとか此れがしたいとかいう、此れと言った欲望の少ない低欲望人間であったと言えよう。浪費をしない分、家計的には助かったが、欲望には人を動かす力がある。九十三にもなれば其れがなくなるのは有り得る話だが、やはり少しは何かなくてはね。だから老家人にはもうひと伸びする力が足りないのだろう。取り敢えず一時過ぎまで頑張らせた。「まことや」に回航してラーメン大盛り(680円)の遅めの昼食。午後は休息。今日も真夏日
引き続いてロシアでのサッカー大会。煌びやかなスタジアムには様様な広告が舞う。生憎日本企業の其れは少ないようだが、三十年前のパンを買う為だけの大行列、理不尽な官憲の規制、仏頂面のサービス業を考えてみれば大変な変化だな。ピー氏に支持が集まる訳でもある。こんなロシアを見れば隣の金氏の三代目も流石に拙いと思う筈だろう。翻って我が国は? うーん、三十年前の方が勢いがあったな。


6/25・月
 家人に代わり吾人が午前中から病院に乗り込む。老家人は入浴中であった。凡そひと月ぶり。以後嚥下の訓練。水は飲めたよう。続いて担当医による説明を受ける。炎症は概ね収まったが、間質の方の其れは慢性化しているとのこと。ただ特に悪化もしてないようなので現在は塩分バランスを取る治療を続けており、それらに目途が付けば急性期の病院としては任務終了になりますと。以後介護施設に移るとして、先方でどれだけの医療的ケアができるのか、ソーシャルワーカーとの交渉が必要であるとも。
こうして退院の目筈は少し立って来た。ただ例によって口から食べ物が摂取できなければ、首のところにカテーテルを差すか、口から管を入れて栄養を注ぎ込む必要が出て来るので、介護施設では少少難しいかもしれないとの指摘も受ける。そうなると療養型の病院行きかな。どちらにしても自宅には帰って来られない。老家人にとっても予想外だろう。何はともあれ早く口から食べて貰わなくてはね・・・。御昼になったので早速実食。どうにかこうにかゼリーは口から入って行った。凡そ80キロカロリー。一日に十個は食べなくてはね。眠り始めた老家人を見届けて退出。病院近くの蕎麦屋で遅い昼食。割子蕎麦。具沢山なので四皿で1560円。少し高かった。併し此の店にも幼少の頃にはよく来たな。何しろよく風邪を引くから小児科にも何度も掛かった。其の度に饂飩か何かを啜ったものである。自宅休憩を挟んで千寿に出校。今日は異様に暑い。
中学国語は「高瀬舟」に到達。併し喜助と言う人物は偉大だな、三度三度の牢屋飯に手を合わせ、下賜されたたった二百文に感動しているのだから。足るを知った人物。今風に言うと低欲望人間である。ところで最近の子は奉行も分からない。時代劇もやってないものな。低常識社会である。
退社後はスタミナをつけようと「かつや」でロースカツ定食。缶ビールを付けて1058円。例によってサクッとはしているが肉に何の味も無い。オンリーソース味である。せめて「和幸」ぐらいには行くべきであった。其れでも喜助なら旨い旨いと食べたのだろう。足るを知れ? でもね、皆がみな「かつや」で満腹になったら現代経済と言うものが回らなくなる。「和幸」も「まい泉」も「目黒とんき」も閉店ガラガラである。今風に言うと経済がシュリンクする。其れは新たな喜助を生み出すことに他ならず。帰宅後はチリの安ワインで飲み直し。此のところよく動いている。


6/24・日
 今日まで梅雨寒む。午前中まで雨が残った。昼過ぎに例によってふらふらの家人をタクシーに押し込み、病院に向かわせる。本日は吾人が留守の番。午後は晴れたので草取りと剪定など。家人は夕方帰宅。炊事は一切不能。此の所ずっと買い食いか冷凍食品である。併しナトリウムが不足すると全身が脱力に至るというから、老家人も実は相当前から間質を病んでいたのかもしれない。やれ意欲が足りないだとか、もっと運動しろなどと始終怒っていたが、実はとんだ見当違いだったのかなあ。そう考えると少し頂けない。
二号室の件で不動産屋のSさんが来る。つい隣の空き家を壊してテラスハウスのようなものを建てたらどうかと話しは広がる。マンションよりかなり安く建つらしい。設計次第で結構な植栽も残せるというから、猫も植木屋さんも喜ぶ。中中に良いアイデアだと思った。まあどちらにしても老家人の命運次第だな。十時就寝。サッカーは一分も見られず。


6/23・土
 午前中は草取り。家人が眩暈で動けないというので吾人が昼前に病院へ。昨日の今日なので然したる変化はなし。続いて職場へ回航。二週続けての土曜出社である。途中晴雷亭で炒飯と小瓶の休憩。昼酒中の須々木さんと会ったので少少毒を吐かせて貰った。以後数時間指導す。遅れて来た無責任社長と交代して夕飯前には帰宅。碑文谷の東急おかず横丁で色色と買って帰った。
 今日は沖縄の日。自作の詩を朗読した中三の女の子には胸を打つものがあった。公共放送の七時のニュースでちらっと見てもそう思ったのだから、中継ではもっと凄かったのだろう。放って置いたらあと何十年も、まるで好き勝手にとは行かないまでも、色色と悲喜交交に続いたであろう何百万人何千万人もの普通の人生を誠に無残な形で強制終了させるのが戦争と言うものである。其処に些かも肯定される要素はない。また知事は随分具合が悪そう。此のまま勇退だろうな。


6/22・金
 家人が疲労困憊しているというので吾人が朝の八時半から病院に乗り込む。途中担当医の説明。呼吸、炎症の状態はまあまあなので、そろそろ食べる訓練を始めるという。但し此れに失敗するとより濃厚な栄養剤を点滴せねばならず、鎖骨辺りの静脈に大穴を開ける必要が生じるとのこと。まさかとは思うが、もしもそんなことになったら愈愈到頭ターミナルは近いと思った。
昼、早速の実食。祈るような気持ちで見ていたが、ゼリー一口で激しく咳込み、直ちに中止。みな吸引器で吸い出されて行った。結局禁食。週明けにやり直すということだが、其れまでに痰が切れているといいが。併し此の風邪はしつこい。何しろ吾人ですらまだまだ咳痰が出る。それにしても事態は想像より相当悪い。と言う訳で少少絶望して二時頃帰宅。「さとう」で遅い付け麵。小ビール付き。併しラーメン屋が適当に作った付け麵は量が足りない。本気になれば四回の箸さばきで浚えて仕舞う。最低でもラーメンの五割増しの麺を出して欲しいと思った。


6/21・木
 一日曇り。寝ても覚めても不安感と言うか緊張感のようなものが晴れることはない。老家人未だ絶食。早く口から食べさせて欲しい。退社後は焼き豚屋におじさんたちを訪ね、更にバーIに少し寄って帰った。


6/20・水
 朝から大雨。午前中から家人は病院へ。午後は止み間も出た。午後出社。吾人も行きしなに訪問す。鼻の酸素は外れたが点滴は続く。夜間は軽い拘束も受けた模様。早く口から食べ物を入れなくては。しかしながら縦しんば全快したとしても元元が一日二十時間も寝て仕舞うほぼほぼ寝た切り爺さんである。介護の問題は避けて通れないな。前途多難に変わりなし。夜は再び雨。金参万円受け取る。其のまま帰宅。ほぼ休肝


6/19・火
 朝から老家人の様子を見に行く。血色は良さそうだが、寝た切り老人に違いはない。早く動けるようにならなくては。続いて銀行へ。固定資産税、都市計画税、住民税の支払い(二人分)。総額221万円余。昨日の今日だから腹も立たず。納税は都民及び区民の義務である。ちなみに吾人の住民税は丁度六万円であった。梅雨の晴れ間。吾人も依然咳が残る。老家人の回復にも時間が掛かるな。午後は漫然とす。嗅覚も戻らず食欲も不振。二日続けて冷凍食品。少し落ち着いたので夜はサッカー観戦。日本対コロンビア。舞台はロシアだが、明らかに後者の応援者の方が多い。ヨーロッパ辺りで働いている人たちが馳せ参じたのだろうか。下馬評に反して日本勝利。初戦と言うこともあり相手側も緊張していて退場者を出したからな。予想外の勝利に国民も戸惑っている感じ。期待度が低いと喜びも少ない。
 昨日の地震でも電車が一日近く止まり関西方面は大混乱。迅速な点検方法はない物か。此れと言って損壊した所は無し。まさか順法闘争している訳ではないよな。地震とサッカーの間に加計の理事長が会見。一年以上逃げ回って僅か二十分。
 二号室が退去するという。家賃を散散支払わず法手続き寸前までいった人である。まだ一年分溜まっているが多少減額して放免することにしようと思う。老家人の快癒を願っての一種の恩赦だな(出て行ってくれた方が有り難い)。


6/18・月
 朝方大阪北部で震度六弱。老家人依然として動けず。結局万代伯母の入っていた有料高級老人ホームに連絡を取る。勝手知ったる所だから下見の必要も無い。直ぐに入れてくれるだろう。但し月額四十万円。伯母の死去から僅か二年。まさかこういうことになるとはね。
 午後になっても起き上がれず。何だか具合が昨日よりも悪そう。発熱、ぜろぜろとした咳もある。様子を見に来ていた須見伯母との協議の結果、先ずきちんとした医者に見せた方がいいとの結論に至る。併し最早半身を起こすことも困難である。結局ダイヤル1と1と9の出番となった。関西では大変な所だが東京消防庁の救急隊は直ぐに来てくれた。予め話を付けておいた近所の大病院に緊急搬送。ピーポーピーポーと走り出して五分で無事到着。
各種検査の結果、肺に炎症が起きているとのこと。併し其れが持病の間質性肺炎が急速悪化したものなのか我我のウイルスが移ったものなのかは判別付かず。もしも前者なら大ごとだと担当の女医さんはおっしゃったが、恐らく後者であろう。蓋し血中のナトリウム濃度が低下しているから前者の可能性も捨て切れないらしい。其のまま入院。例によって山ほど同意書と申込書を書き、一日三万数千円の個室に入る。腕に点滴、鼻から酸素、下腹部にはおむつを当てる。晩は絶食の模様。
各種手続きを終え、吾人は五時頃には帰宅。留守番役の須見伯母に状況を伝えた。遅れて戻った家人によると何だかもう元気になっていたという。風邪は万病の元。今回は介護より医療の出番であった。須見伯母の強い進言の御蔭で入院に至ったことを鑑みると、吾人の判断はかなり悪かったと言える。トイレの番がなくなっても寝つきはよくならなさそう。十時就寝。


6/17・日
 未明に呼ぶ声がする。降りて見ると老家人が居間で動けなくなっていた。困ったな、手など幾ら引っ張っても駄目である。併しヒトという生き物はどうやって立ち上がるのだろう。まず我が身で実践して確かめた。其れを参考にして、うつ伏せ状態を仰向けにし、続いて上半身を起こし、腰を持って一気に立たせた。考えて見ると二足歩行と言うのは大変だな。重力に物凄く逆らわなくてはならないから。月面に老人施設を作ったら丁度いいだろうとも思った。同様の事態が更に一度。
 断眠で朝からふらふらす。此の所、安い外食かコンビニ食ばかり。風邪も治らず。湿った咳が出続ける。「プレコール」も効能無しと判定するに至る。其処で思い切って二錠飲んだら何となく収まった。市販薬も用法と容量を守っていては治るものも治らない。また昼夜となく老家人をトイレに搬送。此の生活が長くなると続かないな。今日も涼しい。昼はスーパーのとんかつ弁当。夜は千代田鮨。涼しいので久久に湯船浸かる。東北新幹線は五時間半の不通。原因は「はやぶさ」に別の鳥が衝突したらしい。速く地上を走るにも限度があるな。


6/16・土
 朝から小雨。異様に涼しい。寒いくらいである。比較的よく寝たものの咳鼻止まらず。風邪治らず。市販薬と先日の処方薬の残りを合わせて服用す。咳止めと痰きりと喉の痛みを取るものだから重複はない筈である。此れで一家全員が謎のウイルスに感染。幸い老家人が一番軽い。
 運の悪いことに土曜出社。無責任社長は新潟帰省中につき今日は吾人一人である。行かない訳には行かない。休めない日に限ってこうなるな。一時半から九時半まで勤務。土曜なので取り立てて沢山生徒が来る訳ではない。風邪を移すと悪いのでマスクを掛け教室の隅でじっとしている。咳を堪え堪えは本当に辛い。其のまま帰宅。残っていたメジコンを服用。


6/15・金
 夜中ポータルブルトイレには一人で行けたよう。実は吾人が気配を消して張り付いていた。と言う訳で猫が起こしに来なくなったと思ったら、老家人の番をしなくてはならない。断眠は続く。
 午前中には雨が降りだす。梅雨寒む。止み間を狙って何時もの内科に搬送。風邪は軽いが老衰傾向は医療の範疇ではないから打つ手はないらしい。更に車椅子の納品。内用と外用の二台を配備す。栄養食品と尿漏れパットも購入。此方としては機動的に対応している積りだが、常に後手後手だな。そもそも介護に先手と言うものはないよな。午後になり漸く落ち着く。吾人も夕方少し発熱。風邪を移された。前回からまだ三ヶ月である。


6/14・木
 朝から老家人が起き上がれないというので跳ね起きる。すわ寝た切りかと思ったが、暫らくすると起きて来た。どうも体力低下が著しい。其れとも家人の風邪が移ったかな。発熱等はないが何だか具合も機嫌も悪そう。起きた序でにドラッグストアーに参り、少し飲んだらおにぎり一個分と言う栄養食品を購入。補助的に飲ませようと思う。
併し昼前とうとう排泄に失敗。もう一メートルも自力では移動できず。万代伯母が使ったポータブルトイレの緊急登板となる。振り返ってみれば今日という一日は、重大な転機となった日として記憶されるな。六月十四は介護記念日、詰まり始まりの日である。午後出社。急いで退社。ハンバーガーと麦酒を半缶のみ。芥田先生との伊那旅行も中止。此方側からお誘いしたのに申し訳ない限りである。吾人も小咳。「プレコール」を服用。それにしても外を歩けなくなって僅か数週間、最早立つことすら満足にできず。加齢と言うのは残酷である。
午後山陽新幹線が人を撥ねる。先頭車両の露と消えた人物を探して広島以西が終日運休。鉄道ダイヤに対する自爆テロである。小倉広島を在来線では無理だよな。


6/13・水
 家人はまあまあ回復したが、急激に食欲が落ちた老家人はほぼ寝た切りとなる。何時の間にか本格的な介護生活である。甘いものなら食べられるというのでプリンやヨーグルトやメロンやケーキ類を集中投与。此のまま流動食だな。具合の悪い年寄りばかりを見ていると此方も気分が滅入って来る。一般的には要介護三程度までは自宅で見るようにと言う御触れが出ているようだが、正直想像を絶する。午後出社。立ち飲みBで小怪気炎。確かに吾人も咳っぽい。
何にも使っていないのにスマートフォンの電池が急に減って昼に100近くあったものが、夜には10パ―セントとなる。システムの不具合だな(過去にも一度あった)。どう仕様もない。こういう下らない製品を作って売ってメーカーは平気なのだろうか。


6/12・火
 薄曇り。家人の風邪未だ治らず。特に咳が止まらない模様。となると昼は件の激安スーパーの300円弁当。結構旨いから、みんな群がって買っている。デフレは続くな。何時までも。午前午後と草取り。一日休むと二日伸びている。
 米朝会談は早目の終了。合意内容までは与り知らぬが、開かれたこと自体が既に優である。今後も巧く事を運べば、大統領の支持率も上がるし、半島の非核化も進むだろう。何よりも戦争が回避されたのだから喜ぶべきである。あの問題で「成果」が出ないとしてもね。
夕方大統領が会見す。欧米系の記者からは人権問題に関しての質問が相次いだ。あんな体制を保証して大丈夫なのかと。まあ二千万の民から飢え死に出さないことが人権の一つだろうし、まして戦争による人死にを避けることが最最優先である。それにしても大統領としてもいい勉強になったのではなかろうか。売るの売らないのという土地取り引きとは違うのだから、何事も一気には進まないものである(我我も含めてどうも拙速に結果を求め過ぎている。デジタル時代の悪弊である)。此れでイランとの核合意の見直しの見直しにも着手して欲しいものである。前任者の苦労等も漸く分かって来たのならばね・・・。無理かぁー。


6/11・月
 新潟知事選では与党系が勝利。うーん、稲作単作地帯は野党が強い筈なんだけどね。そう言えば内閣支持率に東西の差はあるのだろうか。明日の会談前に両首脳ともシンガポールに前乗り。北の人も中国の民間機を借りて来たよう。此方もアメリカ製だけどね。
 昨日からずっと雨。デイサービスも欠席。となるとすることがない。午後まで漫然とす。雨中千寿に出校。此方の中学生を見ていて気が付いたのだが、「コロンブス」という見たことも無い教科書を使っている。版元は光村図書。国語の教科書で有名な会社だが英語も作っていたのだね。余り売れてないらしいが(23区では2つだけ)、併し微妙なネーミングだな。同業他社も「王冠」とか「水平線」とか「光輝」などという愚にもつかない名前が付いているが、今時「コロンブス」はないよな。「ポスコロ」とかに改称した方がいいと思った。漸く雨も止んだので退社後は町屋のBへ。Dオーナは不在。二杯だけ飲んで帰った(1050円)。帰宅後カップ焼きそば。ほぼ休肝


6/10・日
 昨夜新大阪行き最終新幹線でテロ事件。庇った男性が死亡。乗客が亡くなったのは二例目だな。そう言えばあの放火事件も此の時期だった。六月は悲惨な事件が多い。
朝から小雨。一転して涼しい。まずはゴミ拾い。途端に飲料系が増えている。最近は海に流入するプラスチック類が問題となっているが、もしも吾人が海辺に住んでいたら膨大な廃棄物を日日回収している筈である。水を得た何とやらのように張り切るな。其処に支障があるとしたら当該自治体のゴミの区分であろう。折角集めても有料な上に「砂や塩分が付着したプラスチックゴミは回収できません」とかシールを貼られたら途端にやる気をなくすかもしれない。他は低木刈りを少し。
昼は上馬の中華食堂でミニ回鍋肉丼とラーメン(700円)。午後は次第に本降りとなる。晩は老家人を給仕す。冷奴、大根おろし、塩鮭一かけらと濁り酒を少少。併し御飯は小さな茶碗に半分も食べない。何時の間にか老家人はこんなに食欲が落ちていた。正月頃はもう少し食べていた筈なのだが。何時からこうなって仕舞ったのだろう。吾人の日誌を読み返しても明確な記述は無し。真に重大な変化と言うものは当事者すら気づかない内に進行し、やがて誰かが気が付いた時にはもう取り戻せないほどの懸隔が生まれているものだと思った。其れは何も老化や病気に限ったものではなく、社会や政治の変化と言うものも同じだろう。台風接近のため夜には大雨となる。風はなし。泥だらけのシロが何度も上がって来る。雨で臭いが流されるのが不安らしくあちこち掘り返しているよう。困った習性である。


6/9・土
 朝から異様に暑い。家人の風邪が悪化。咳、鼻、熱の所謂フルコース。稼動人口はとうとう一人となる。家事支援をしながら午後は映画「イミテーション・ゲーム」。エニグマ解読器のことなど何も知らなかったが、色色と考えさせる内容で面白かった。特に解読内容をどこまで詳らかにするかは極めて高度な政治的判断を要したという点に。此れは究極の選択だな。まあそんな立場には一生関わらないけどね。
昼は柏屋のコロッケカレー(520円)。夕方近所のスーパーに参る。勝浦の鰹があって案外旨かった(ミケも喜んだ)。何時も解凍魚と養殖魚しかない店だが偶にはこういう品物を売らなくてはね。老家人には握り寿司を出す。少しは食べたよう。夜更けになり落とし物があったことを思い出した。小袋を開けて見てみるとデジタルカメラ。早速交番まで持って行く。生憎建て替え工事中で更地のまま。電話ボックスのような詰所は置いてあるが、中には電話も無ければ紙もペンも無い。結局其のまま置いて帰った。交番の割りに不案内だと思った。


6/8・金
 老家人通院の日。玄関先まで歩くことすら困難に。うーうーと思うように歩けないことに癇癪を起こしていたが致し方なし。老化の速度が加速している。本人も周りも付いて行けない程である。こりゃああと数か月だな。早く施設を見付けなくては。
大体晴れて昼は暑い。取り立てて無為。家人は咳風邪。夜に一雨。先日何処かの学会が南海トラフが動いたら大変なことになるという報告を出していた。直接的な被害も凄まじいが、生産手段の損壊より日本経済は長期にわたって停滞を余儀なくされると。其れは正しく国難だと。其処で映画「日本沈没」を少し見直しした。併し丹波哲郎扮する山本総理は立派だな。政治家としての凄みがある。対処法?日本海側への移住しかあるまい。少なくとも数百万人。そういえば国難突破などと馬鹿な事を言っていた首相も居たな。


6/7・木
 人手が足りないということで外国からの人材を新たに五十万人も受け入れる計画があるそうである。ある程度の日本語が出来て、而も五年勤めたら都合佳く本国に帰ってくれるような人がそんなに沢山集まるとも思えず。机上の求人広告だな。併しそもそもそんなに人が足りてないのだろうか。そりゃあ、若くて元気で安い給料で働いてくれるような人は不足するに決まっている。もっと給料を上げれば、みんな家の中から労働市場に出て来る筈である。おじさん、おばさん、おばあさんかもしれないが、巧くおだてれば十分な能力を発揮する筈である。
 駿河の銀行に新たな不正融資が発覚。中古物件一棟買いの際、入室率や家賃を改竄していたそう。空き部屋に偽のカーテンまで取り付けていたというから酷い話しである。未来の事は分からないから将来の予測を多少甘くするのは佳くある話だが、嘘の現状報告をするというのはもう一段悪質だな。併し家主になりたい人が大勢いるようだが、楽して儲かる仕事などない。毎日毎日草取りとゴミの分別が必要である。更に滞納者との交渉、設備故障への対応、修繕、雪掻き、雨垂れ、騒音トラブル・・・、そして税金。
 昼前には晴れた。早速二日分の草取り。来世は苗字も変わるような気がする。差し詰め、草刈か草取だな。続いて近所に介護施設が出来たので家人と内覧に行く。地域密着型特別養護老人ホームグループホーム+小規模多機能介護所が一つになっている。介護施設も区分が細かい。色色制度的な違いがあるのだろう。現在のところ一番可能性が高いのは三番目のところかな。併し居室にトイレは無し。新築の割りに設備不良である。入る頃には必要ないという事なのかなあ。どちらにしても老家人にはもう少し頑張って貰わなくては・・・。あと一年、いや二年。万代伯母のような高級施設(有料老人ホーム)に入るとなると吾人に御金が残らなくなるので。それにしても極めて多くの人が自宅で介護しているのである。御苦労な話しである。
 午睡の後、出社。取り立てて言うことも無い一日だが、中華立ち飲みに行くと女占い師が大変な怪気炎。此処まで絡むのは凡そ二年振りかな。元気なことは結構だが辟易とす。バーIに寄って耳直しして帰った。帰宅後録画してあったニュース番組を見る。二月に取材された晴雷亭が漸く出ていた。旦那を叱咤激励する毒舌妻の居るお店という設定。なかなか言い得て妙である。テレビ局と言うのは佳く纏めるものだと思った。


6/6・水
 朝から雨。関東も入梅。昼過ぎまで漫然とす。午後バス出社。すると向かいのお肉屋さんも愈愈廃業することに。此の所は認知症が出ていて満足に稼働できない状態が続いていた。本来ならそうなる前に辞めるべきだが、御子息等とは絶縁状態と言うことで辞め時を失っていたのである。結局民生委員の出番となっている。我我の前では円満な商売人だったが家庭では大変な暴君だったそうで、其れを聞いて少し驚いた。今では帰る家も無いというから気の毒極まりない。早く施設に入れて差し上げないと。退社後は立ち飲みBに軽く寄り11系統で帰宅。夜には大体止んでいた。
 日大の問題にそろそろ飽きる頃に、和歌山の資産家が変死するという事件が起こる。こうして何から何まで心太式に忘れて仕舞うのだろう。しかし78歳と結婚した22歳の若妻とはどういう人物なのだろう。両者ともに底知れぬ虚無を感じるのであるが。


6/5・火 
 文書改竄廃棄の全ての責任はふさふさの前国税庁長官、当時の理財局長にあると言うことになる。適当な内部処分で御仕舞。こんな決着、ふざけているよな。
 朝は冷凍のパスタ。昼は「さとう」でとんこつ醤油ラーメン(700円)。頼みもしないのに御飯が出て来たが大きな海苔で巻いて食べると案外旨かった。気分は学生さんである。他は断続的に草取り。午後固定資産税等の納付用紙が送られて来る。どういう訳だか昨年より少し安い。何故だろう。何しろ何枚もあるから、どの振り込み用紙がどの土地と建物なのか皆目わからないままである。そういえば昨年は幾らか還付されたような気がする。となると矢張り少し上がっているな。率にして2%半。生まれ変わったら税理士になりたいと思った。来世は色色と目標がある。まずは江戸時代からあるような公立高校に進み、体育会に入り、山に登り、大学では税務と医学を勉強して、風邪の研究者になるんだったっけ。今から勉強しないと間に合わないな。


6/4・月
 六・四でむし、蒸し麺を使うから本日は伊那ローメンの日と言うことだが、基本的にはあの日であろう。武力弾圧はやり過ぎだが、自由や権利よりも十億の民を飢えさせぬ方が先決と言うことで一党独裁を是認するような意見も当時あったように記憶している。あれから三十年近く。十分食べられるようになっても政治的には不自由なままである。此の先どういう落とし前が付くのだろう。日大問題は泥沼化の様相。教職員がもっと声を上げるべきだろうが、そう言えばタレント性のある教授って居ないよな。日大には。
 今日もかんかん照り。例によって老家人の送迎。デイサービスの四階まで直行させる。改めて見てみると確かに御婆さんばかり。こういうところに御爺さんが一人で行くのも消耗すると思った。行きたがらない訳である。つくづく長生きするのも楽ではない。特に男はね。
 午後出校。暑中千寿の街を少し歩く。相変わらず徳俵という店は行列中。凄い料理を立ち飲み価格で出してくれるらしいが、入れない店は既に店ではない。ところで近所に「掃部寮」というのがあった。文字通り何処かの寮なのだが、かもんと読む。宿場町の古い地名で元は律令時代の役職名。文字通りに宮中の清掃係だった。思わず古いものと出会って吃驚した。退社後は久久に「福しん」へ。久久の炒飯はやっぱりしっとりと旨かった。麦酒と白ワインを一杯ずつのほぼほぼ休肝。胃腸と肝臓を休める。


6/3・日
 町内会の古着回収の日。七号室から出ていた大量のファストファッションも供出す。東南アジアの人が一生懸命作った服である。茫茫燃やして仕舞うには忍びない。ところで今朝の朝日の俳壇歌壇欄は面白かった。ドクダミは十薬と書き六月の季語とのこと。日陰者のイメージだが、「この植物のたくましさや凛とした風情をよく描いている」句も多いと識者(角谷昌子)は語る。いやいや、拙宅を見てください。臭いもさることながら余りに生え過ぎて、清楚で凛とした十字の白花がうじゃうじゃ状態。此れだけ沢山あると何だか集団で見つめられているようで実に気持ちが悪い。其れでも確かに除草剤を使ってトータルに駆逐しようと思わないな(第一猫に悪い)。「痛みを引き受けることも選択の一つ」ということで、腰を屈めながら一本一本引き抜いている。
朝から電車を乗り継いで世田谷文学館へ。林芙美子展。此の人のことなど何も知らない。『放浪記』も読んでみようと思った。日記形式だから読みやすいだろう。併し館内はガラガラ。つい「ムットーニのからくり劇場」なんてのも見さされた。其の後は祖師谷の駅まで日陰を選んで歩く。緑も多く閑静な感じだが、毛細血管のような小径しかないから中中辿り着かない。行き止まりや巻き道が多くて閉口す。
昼になったので駅近くの「香氣」と言う店で麦酒休憩。坦坦付け麵。840円もする割りに量が少ない。概ね胡麻と山椒代だな。腹が一杯にならないのでついつい「箱根そば」にも寄る。此処は「もり」がなくて、「ざる」が390円。矢張りつゆが砂糖甘い。「小諸」のあっさり味の方が舌に合うと思った。
高架下の小田急の本屋で『介護民俗学という希望』。其のまま23系統の東急バスに乗る。日曜だというのに大混雑。前後の運転間隔、遊弋する自転車、乗り降りや信号とのテンポも全て悪く、バスはあっという間に数珠繋ぎののろのろ状態(特に東急の運転は丁寧過ぎて駄目である)。区内の移動はやはり自転車に限ると思った。でももう暑いな。二時前には帰着。一万三千歩。以後午睡。ドクダミ類とは一日の停戦。夜は唐揚げを買って来て、家人の冷やし中華(明星中華三昧使用)と合わせた。例によって食い過ぎた。そう言えば、本日の「貧乏コンチクショウ」展では食い物への記述が目立った。あれから百年近く。食べ物だけはあるよな。有り難いことではあるがね。


6/2・土
 米朝会談はやるみたい。水面下ではジャブの報酬が続いているようだが北側の機嫌を損ねない程度にして貰いたいものである。何しろ無条件降伏ではないので。また日本大学の理事長は相撲部出身とのこと。此の人も雲隠れ中。日大で体育会があれだけ優遇されるのは学生闘争を抑え込んだ功績からだそうである。あれから五十年、今度は体育会が元で第二の闘争が湧き起ころうとしている。
 朝から草取り、買い物、不動産屋。続いて老家人を床屋に搬送。前回から凡そ三ヶ月。一段と衰微した姿を見て、理容師のおばさんも心配していた。何しろ老化は日進月歩、先月まで出来たことが今月には出来なくなる。謂わば逆赤ちゃんだな。昼は上馬の蕎麦屋へ。初めての店である。セット物はなさそう。猛烈に腹が減っていたので、盛り蕎麦にフル規格の親子丼を付けたら1230円もした。少し高いし(昨日のスーパーのかつ丼など300円である)、付いてきた味噌汁が過剰。そもそも幾らなんでも食べ過ぎである。夕方も草取り。腰に悪いので鉄器を使う。
 夜は公共放送で「ミッシングワーカー」。初めて聞く用語だが、要は求職自体を諦めた無業者の事。親の介護をきっかけに無職になった中高年独身男性が多いよう。其れに元元引き籠もりの人、病気で動けなくなった人などを入れたら実に膨大な数に及ぶ(正直吾人もかなり危ない)。失業率などあっという間に二倍になるだろうな。働く意欲をなくした人が多いという扱いだが、仮に働いても精精最低賃金程度だから、みんな働きたがらないというのもあるだろう。何しろずっとデフレーションだからね(若くて元気な人が安く雇える)。しかし番組に出て来る人はみな冴えない表情。仮に賃金が少しでも社会と繋がる上では働かなくてはね。もう少し待遇を改善すれば、みんな家から這い出して来ると思うのだが・・・。


6/1・金
 朝からかんかん照り。但し湿度は低い。腰の痛みは半減す。昨日出来なかったことを今日やらなくてはならない。まず鎌倉への送金。月初めと言うことでATMは長蛇の列。御金を出したり入れたり振り込んだり通帳に記帳したり。先進国でこんなことをやっているのは日本くらいだと聞いている。大体パソコンから振り込んでも手数料が同じと言うのが解せないよな。
続いて新しいスーパーへ。併し過日食べて旨いと思った「酢豚弁当」も「若鶏竜田揚げ弁当(和風ソース)」も出来ていない。11時半まで三十分待ってもとうとう来なかった。イカリングのフライとか鯖の塩焼きとか枝豆のちぎり揚げなどは疾っくのとうに上がっているのに。大体朝から酒を飲む奴が居るだろうか(依存症である)。まずは昼の弁当を作るべきである。つくづく気が利かない店だと思った。
夕方ぼんやりしていると駐車場に自転車を止める人が居る。そう言えば訪問介護の事業所が借りたいという話があった。すっかり立ち消えたと思っていた。契約書は全く来てないが、いざ停めるとあらばまずは草を刈らねばならぬ。緊急出動。何をするにしても腰が丈夫でないといけない。夜は肉まんと牛焼肉。
 ところで芥田先生との旅行だが来月の第一週と決まる。早速全員に声を掛けたが、即座に全員に断られた。結局月波君との三人旅である。上意下達、有無も言わせない某アメフト部が羨ましくなるな。来世は体育会に入りたい。こうして六月はやや憂鬱な形で始まった。

2018年5月

5/31・木
 本日のノルマを果たそうと四十本まで引き抜いたところで腰を痛めた。大した草ではなかったが矢張り片手でやっては駄目である。ぎっくり何とかかな。魔女の一撃と言うほどではないが、小悪魔の一蹴と言った感じ。ドクダミの総反撃である。以後区間運休。
夕方這う這うの体で出社。腰に変なベクトルが掛かると痛いので上半身を一枚岩のように動かす。すると自転車も時速六キロしか出ない。御婆さんの電動車にも抜かれる。情けなや。張り薬に続いて飲み薬(ロキソニン)を呑んだから夜には多少改善す。いやしかし、腰が痛くなるというのも歳を取った証拠である。精神的な打撃も大きい。なお中学一年生は学校の課題で頭が一杯の模様。授業時間を削って完成させる。此れでは自習教室だと思った。まあ御役所(公立中学校)への提出物の処理に翻弄されるのは此の国の市民社会と同じであるがね。謂わば毎日確定申告をやっているようなものかな。併し久久の中学一年の担当である(而も女の子が多い)。まず大量に甘やかすことから始めようと思っている。何しろ某監督のように怒ってさえいればいいという立場にはない者なので。
退社後は碑文谷の王将へ。此処は炒飯が旨い。前回と同じ人が作った筈だが、併し微妙にパラッとし過ぎている。僅かな水分量の違いで印象が随分違う。最近はしっとり炒飯が人気である。何の関心も無いがワールドカップのメンバーも決まる。若手が居ないらしい。定年延長ジャパンだな。何しろあらゆる分野で上がつっかえているからね。こうして長い五月も終了す。


5/30・水
 朝からシロが見当たらず。何時も其の辺りで寝ているのだが。幾ら呼んでも出て来ない。草を取りゴミを拾いながら探すこと二時間。漸く何処からか這い出て来た。怪我等はないが少し様子が変。夜の内に何かあったのだろう。いやしかしあと一時間出て来なかったら非常災害対策本部を立ち上げる所であった。
 午睡の後、出社。入れ替わるように無責任社長が早退す。緊急の家族会議だそう。何でも娘さんが離縁するそうで・・・。従ってやや落ち着きのない子と取り残される。こういう場合は出鱈目な御話をするに限る。実は先生は南極に捨てられていて三才までペンギンに育てられたのだと。偶偶見つけた盥を舟にしてペンギンさんたちに引いて貰って極地を脱出、以後世界中を転転として漸く日本に辿り着いたのだと。何しろ鳥類には大変感謝しているので焼き豚は食べるが焼き鳥は絶対に食べないし、JRの駅でスイカのペンギンを見ると思わず「お母さん!」と言って仕舞う習性が抜けない。何時の日か魚肉ソーセージを山ほど担いで里帰りしたいと・・・。以下多数。案外素直に聞くから子どもと言うのは面白い。一方高学年帯は移動教室や修学旅行等で出席生徒少なし。立ち飲みBに寄って直ぐに帰った。夕方から小雨。復路は傘を差した。


5/29・火
 五月は長い。まだ平日が三日もある。昨日と同じような薄曇り。梅雨間近かと言った感じの温度と湿度。午前午後と断続的に草取り。結局人間の腕に軍手をはめたもの以上の道具は無し。只管引っこ抜く。石器時代並みの肉弾戦である。昼は環七で博多ラーメン。替え玉付けて800円。領収書も貰うべきだな。
 残った選手たちも声明文を出す。此れは第二の日大闘争となりそう。しっかし、監督がコーチをいびり、コーチは選手を殴る蹴る。(そして恐らく上級生が下級生を・・・。)もう言葉も無いね。茅ケ崎の交差点で九十歳の運転者が死亡事故を起こす。神奈川の県央部には神奈川中央交通という立派なバス会社があるから、何も無理して運転することはない筈である。ところで須見伯母も自動車を買い替えるそう。新車には新型の安全装置を付いている。伊那には伊那バスがあるが、何しろ一日一ケタである。


5/28・月
 まず老家人を車椅子搬送。歩いて行くと一日分のエネルギーを行きしなに使い果たし、デイサービスに耐えられなくなるということで、とうとうこういう事になった。最早其の程度の体力しか残っていないらしい。一日薄い晴れ。午後千寿。途中散髪し、駅ビルで『ラディカル・オーラル・ヒストリ―』を購入。退社後は久久の「大江戸」で六皿と二杯だけ。帰り掛け同書に目を通す。紙に書かれたものを元に立証していく歴史学とも、地元の古老の証言を書き留める人類学とも違う。敢えて言えば思想史に近い手法かもしれないと思った。
国会は一日中モリカケ問題。多くの識者が言っているように、行政官や政治家の中には正直なことを言う人が居ないものである。誤りを犯したことは取り返しがつかないとしても、せめて誠実に謝る人が居ればね。詰まり先述のアメフトの選手のような存在が居ないのである。加計学園はAとはそもそも会っていない、会っていたと嘘をついていたとの声明を出す。もう言葉も無い。


5/27・日
 誰も何の注目もしていないから書くけど日露会談終わる。秋田犬を上納しイチゴとウニを北方領土で育てることに合意したという。此の程度の事は役所の課長クラスが決めるようなことである。
何処かに行こうと思ったけど下腹部が不調。自宅に駐留し、草を抜き、梅を拾う。他は取り立てて無為。夜は昨日残りの鰆の蒲焼と碑文谷の焼き鳥。太子堂の巻き寿司付きで。御酒も控え目にした。


5/26・土
 昼は「青葉」で付け麵(780円)。カウンターの隣には極めて小さい女の子が。而も親はスマホに夢中でほったらかし。小鉢をべとべとにしながら一本一本食べている。吾人が給仕してやろうかと思った(但しやり方が分からない)。結局子の方は大半を遺棄して出て行った。此れだから男親は駄目である。終日まあまあの晴れ。草を数百本引っこ抜くも大して変わったようには見えず。今年の蚊は早くも凄い。
 夜になると二度目の南北会談の情報が。まあ韓国の大統領が何とかしてくれるだろう。そしたら間違いなくノーベル賞である。森の夫妻も保釈される。早速相変わらずの怪気炎。役所にしつこく絡みつき、補助金を散散騙し取り、Aの存在をちらつかせながら国有地の異様な値引きをさせ、結果として自殺者まで出したというのに好い気なものである。


5/25・金
 相変わらず日本のメディアは運動部騒動に掛かりっきり。まあ確かにあの大学の理事会というのはどう仕様もないね。あれではヤクザがつくったキャンパスでインテリに教えさせているようなものである。鳳生大学でも何回か古い理事や校友たちが問題を起こし、其の度に大学運営の近代化が進められてきた経緯があるが、此の大学はそういう機会がなかったのだろう。此の際、理事を全部入れ替えるぐらいの荒療治が出来るかどうか。何しろ日本で一番大きな大学なのだからしっかりして貰わないとね。また一夜明けた北の反応を見聞きするとまあまあ落ち着いている。何とかなるだろう。少し冷却期間を置くこと自体は悪くはない。
 さてさて本日は内政一本である。買い物は三便。一日にドクダミ等を最低五十本引き抜くという数値目標を立て直ちに実行す。三週間後には壊滅させることができる筈である。他は梅仕事。今年は裏年らしく収穫は少ない。庭猫の毛も梳く。また大病院での診察の結果、家人は花粉症の後遺症で目の周りがアトピー性皮膚炎のようなものを起こしているとのこと。態態偉い先生の診察を受けなくとも一目瞭然、当たり前だの何とやらであるが、吾人が幾ら言っても納得して貰えなかった。ステロイド軟膏を塗り込む以外に方法は無し。なお特別初診料は5000円!


5/24・木
 森を巡っては大量の文書が出て来る。結局嘘を取り繕う為に次から次へと新たな嘘が必要となり、それらの嘘と辻褄を合わせるために文書を改竄したり捨て去るという理屈である。そして最初の嘘こそ、Aの国会答弁である。当のAはロシアを訪問。またファーストネームを連呼してヘラヘラするのだろうが生憎相手にもされず。
 かんかん照りで蒸し暑い。朝は大根おろしライス。昼はレトルトカレー。午後出社。金参万円受け取る。退社後は中華とバーIへ。帰宅後暫らくすると、米朝会談は米側から中止を通告。所謂北朝鮮文学に苛立って仕舞ったよう。参ったな。まだチャンスはあるが此れで北が態度を硬化して核開発を再開するとなるとまた戦争騒ぎに逆戻りである。併し一番喜んでいるのはAと日本の外務省だろう。破談となれば今まで通り何にもしなくて済む訳だから。


5/23・水
 道路で炬燵をした京都の学生が逮捕される。警察が暇すぎても宜しくないな。そもそも嘘ばかりついているAを掴まえるべきである。午前中は薄曇り。今度は世田谷の草取り。御昼頃から弱い雨。久久のバス出社。目黒駅の定期券売り場でパンも売るようになっていて吃驚す。併し此のルートでの出社って、何時以来だろう。立ち飲みBに軽く寄り、11系統で帰宅。
夜、監督とコーチが会見。そんなことは言った言わないとの応酬となる。監督は其のまま入院したという。どちらにしてもこんなチームは解体した方がいい。怪我人と病人しか生まないのだから。帰宅後映画「イリジウム」。典型的なディストピア映画だがテンポが悪い。途中で離脱就寝。


5/22・火
 朝から税務署に電話を掛け事情を話す。何回かの遣り取りののち、追加の納付書は破棄し、修正申告書の送付のみ行うことで一件は落着す。いやいやしかし、そもそもどうして予定納税の所に変な数字を打ち込んだのだろう(分納の希望とでも勘違いしたのだろう)。下らない手間を増やして仕舞った。張り切ってやがて悲しき確定申告。
 試合中に狼藉を働いた運動部員が謝罪会見。まだ二十歳である。芸能人でもプロ選手でもない人の会見は異例。一方指示をしたとされる監督やコーチは雲隠れ。大人がどう仕様もないから若い人が苦労する。それにしても日本で一番大きな大学も丸で統治出来ていない。大き過ぎるのかな。
なお芥田先生が伊那に行ったら中沢臨川について見てみたいとおっしゃるので、現地の資料館に連絡を取る。収蔵品を見せることは出来るというが、事前に見学申請をして欲しいとのこと。先生をお連れしての大旅行である。早速日程の調整を始めることとす。暗くなり家でぼんやり飲んでいたら巡査がやって来て、近所の車が隣の空き家の塀を傷つけたという。見たところ全く分からない。大体バンパーがブロックを擦ったくらいで110番をされてもね。其れでも事故証明を出すには事故其の物の記録が必要なのだという。警察や自衛隊が暇なのは佳いことだろうが、何だか面倒臭い世の中になったものである。今日は公務員とよく話しをした日であった。中日は四十歳の投手が出て来て完封勝利。案外今年は行くかもしれない。士気が揚がっている。元大リーガーの効能である。中日が強いと政変が起きるなどとよく言われたものだからAも愈愈だな。


5/21・月
 朝から御粥を焚いて食べた。矢張り流動食に限る。早起きした序でに少しゴミを拾って歩く。近所の個別指導塾が閉店していた。フランチャイズ方式なのだろう。十年位続いたかな。何時見ても生徒がいなかった。併し五月に閉めるというのも無責任な話しだと思った。よろよろの老家人を送迎し、昼はオリジン弁当。午後千寿に出校。晩食は構内の「小諸そば」。信州とは何の関係も無い蕎麦屋だが、こういう機械打ちで蕎麦粉?割(多分逆二八蕎麦)の方が馴染めるな。
 どうやらAの虚偽答弁は確定しそう。愛媛県から新たな資料が出る。それにしても支持率が下げ止まるから不思議である。家に着くと税務署から手紙が来ていて修正申告を求められる。文書の解読に数時間も要したが、どうも意味も分からず予定納税していたことにしていたらしい。併し其の分の減額はせずに所得税は計算通りに支払っていたから追加納税の必要はなし。うーん、どう説明しようかな。確かに吾人の(初歩的な)間違いである。本日無酒。


5/20・日
 辛うじて宿酔は無し。パン食の後、ブルーベリー畑で作業していると猛烈に胃が痛くなる。今回の宿酔は時間差をつけてやって来た模様。以後悉く運休す。漸く午後遅くになり復旧す。農機具センターのような所で高枝切り鋏を購入して作業を再開。三メートルまで伸ばせるがメードインリパブリックオブチャイナの安物だから切れ味は鈍い。先っぽをのこ切りに換装して数本切ったところで時間切れとなった。伊那市駅近くのラーメン屋に少し寄り飯田線に。
 岡谷で18時51分発の「あずさ32号」に搭乗する。塩尻でお客様の荷物が挟まったとかで五分遅れてやって来た。そう言えば行きの13号も遅れていた。最早中央線がダイヤ通りに走ることが珍しい。32号は件の新型車両であるがぎっしり満席。座席指定も離れ離れとなる。殊に自由席は甲府で溢れ返った模様。車掌が後続の「かいじ」に乗ってくれと案内していたくらいだから。いやしかし、何時乗ってもよく混んでいる。増発するか二階建てにするかして欲しいものである。何だか少し消耗した。其のまま帰宅。
 暇なので暫し時間旅行を。本日の旅程は17時43分に伊那市を出て、新宿到着は21時06分(実際は数分遅れ)。此れを1976年の時刻表で行うと、伊那市を18時40分の「急行こまがね3号」で出発、辰野で「急行アルプス」に連結し、新宿には22時34分着。凡そ四十年で三十分の時間短縮である。但し当時とは運転本数が違う。「こまがね」は一日三本しかない。ちなみに「アルプス」にはビュフェがついている。


5/19・土
 未明にかなりの豪雨。以後空気が入れ替わりすっきりと晴れた。朝御飯の後、月波君と木曽の方に出る。御嶽山もくっきり見える。国道361号を行き、開田高原の先の「県宝山下家住宅」を表敬訪問。本当に立派な建物である。江戸期以来の名家だったらしいが家業と家運が没落、最後は御婆さん一人になったところで県に寄贈されたとのこと。元元木曽馬を育て獣医のようなこともやっていたのだが、時代の変化に飲み込まれたらしい。惜しいことである。うーん、中古車販売業かガソリンスタンドにでも転向すればよかったのかな。其れか犬猫専門病院、いや建物を生かすなら古民家蕎麦店だな。商売をするにしても子孫が続かなくてはね。
其の後近くの「たけみ」という店で蕎麦休憩。ちょっと先の長峰峠まで行って見たが、峠のお茶屋さんも廃業した模様。其のまま折り返して帰る。伊那に戻り再び低木刈り。夕飯前に温泉施設に。初めて行く隣の村の施設である。山登りのイベントがあったそうで結構混んでいる。中央アルプス経ヶ岳。当然登ったことは無し。何時か生まれ変わったら・・・。
夜は馬刺しと山菜の天麩羅。併し山荘の冷蔵庫は無責任の体系だから極めて良くない状態である。特に調味料の類が年単位で期限を過ぎている。買って来るのは容易だが問題は廃棄方法。チューブ入りの生姜や大蒜や山葵や塩麹などはどう捨てたらいいのか分からない(中身をコンポストに出して、容器を洗い、資源ごみ?――水資源の無駄だと思うけど)。結局スーパーのゴミ入れに放り込んだ(スイマセン)。此の件に関しては23区の方がいい。何しろ捨て放題、焼き放題だから。捨てないことには買って来られない。一方泥酔した月波君は芥田先生に電話を掛け、伊那にお見えになるように説得していた。困ったな、先生をお招きするならば細かな計画を立てなくてはならない。十時就寝。


5/18・金
 さてさて本日から伊那に行くことになっている。何だか蒸し暑い新宿駅で須見伯母と待ち合わせる。実に半年ぶりの旅行らしい旅行である。何だか切符の買い方も電車の乗り方も忘れて仕舞った感じ。色色と思い出しながら準備した。
11時発の「あずさ13号」に乗車。伊那には二時半ごろ到着。乗用車を受け取り山荘へ。早速の掃除と低木刈り。張った枝をつぎつぎと切り落とす。何しろ雑木はどんどん生えて来る。藪が向こうから攻めてくる感じである。見通しが悪いと獣と遭遇する危険が高まる。猪にでも襲われたら大変である。管理の悪い上下の別荘地の枝も払う。奮闘二時間。前線を多少押し戻した。夜遅くになって月波君もやって来る。今回は高速バスとタクシーを乗り継いで来た。もう二三杯飲んで納盃。ちなみに甲府辺りから鼻水と止まらず。季節は逆流す。抗ヒスタミンで抑えた。


5/17・木
 昨夜は飲んでも食べてはいなかった。当然腹が空く。朝からシュークリームと饂飩を連続させたら、すっかり胃の調子が悪くなる。午後まで運休。夕方前出社。今週の質問は六月の休日の無さ。確かに七月の海の日までは遠いよな。矢張り山の日は六月にすべきであった。国会の怠慢であると指摘した上で、カレンダーは遠くまで見ず、一週間単位で生活するようにと指導す。退社後は立ち飲みBで少し飲んで帰った。夜まで暑い。


5/16・水
 昨日以上に暑くなる。三宿の先の電鉄系高級スーパーが撤退した跡に新たなスーパーが出店したというので行って見る。環七の内側には珍しいストアチェーンである。平日の午前中だというのに大変な人の出。広い店内の割りには鮮魚コーナーは控え目。他店より一円でも高い場合は通報して下さいと言うことだが、其れは他店と同じものを売っていることの証左でもある。もっと生鮮品に力を入れて欲しいと思った。大体鯵や鯖には二つとして同じものはないのだから。混んだ店内を一回りして酢豚弁当を二つ買って帰った。そうそう惣菜類にも同じものはない。ちなみに此の店のレジ袋で御金を取るというのはいいが、現金払いを歓迎するというのは時代に逆行している。何だかマッチポンプな店であると思った。
 午後出社。中学生の一部にはもう定期試験がある。しかも国語では文法が40点も出るという。困ったことになった。大体吾人の国文法の知識など十代前半で停止している(従って古典は全く出来ません)。色色な教本や辞典やネットで調べる。補助動詞とは何かとか、「ない」の識別とか。二百字程度の課題文の解析に二時間も掛かった。いやしかしね、文法が分かったからと云って文章の理解が進むとは思えない。担当の先生の得意分野なのだろうがこういう下らない出題はつくづくやめて欲しいと思った。
 退社後は立ち飲みBへ。久久に鶴木さんと会う。御母堂が亡くなり北九州市に帰省していたとのこと。鶴木さんは既に六十過ぎだから、御母堂も九十過ぎである。翻って見れば吾人の家人は既に九十三と、八十二。此の先に猫も死に絶えて仕舞ったら、吾人は早晩一人ぼっちである。何だかつくづく悲しくなった。
こういう晩こそはとバーIに寄る。天屋先生と井満さんに紛れて若い女性が居た。少し格好を付けて其の子の為にと千円札を置いて帰った。帰宅後はシロを呼び付け散散捏ね繰り回す。長生きするのだぞと言い聞かせながら。


5/15・火
 今日も真夏のようなお天気。まず居間のエアコンの清掃。フィルター掃除機能があっても埃がべっとりである。何しろ稼働時間が長いからな。続いてスーパーの裏に出来たと言う中華食堂へ参る。駐車場の地下にあった。此処は気付かない。隠れ家というより防空壕である。日替わりランチ500円。中から火事が起きたら助からない感じだが幸い消防署が近いから直ぐに助けてくれるだろう。今後行くことが増えるかもしれない。ただ舌の根に口内炎が出来て何だか咀嚼困難。家人は大洗濯。吾人も買い物と雑用。老家人と猫だけは昏昏と寝ている。猫はまだ若いんだけどね。ガザ地区は血で染まる。ノーベル賞?ちゃんちゃら可笑しいな。


5/14・月
 朝から晴れた。詰まった樋の掃除から。脚立を伸ばし梯子化して上がると松の葉がぎっしりと。続いて歩行時速一キロ以下の老家人をデイサービスに送り届ける。御昼過ぎに迎えに行く。復路は車椅子搬送である。シエスタの後に千寿に出校。退社後は町屋のBに回航。月波君と軽く会う。軽い打ち合わせ。D店長がどんどん御つまみを出すからあっという間にお腹が一杯となり大して飲めなかった。並びのラーメン屋で締めて御仕舞。帰宅は十一時過ぎ。
米朝会談はシンガポールに決まる。其の帰りの足でT氏は日本に寄るらしい。恐らく残念なお知らせをするのだろう。新潟市で小学生が遭難した事件も犯人が見つかる。小学生低学年を送り迎え無しで学校に遣るのは日本ぐらいだと聞いたことがある。併し夫婦共稼ぎの核家族では無理だよなぁ。今回の事件は近所の若い男らしい。以前は見守り当番みたいな人が事件を起こしたことも。仮に送迎をしたとしても事件を防ぐことはつくづく難しい。世の中とんでもない人が多いから。


5/13・日
 雨が降るというので午前中から買い物と刈った草木の袋詰め。午後は確かに大雨となる。元大リーガーは敵地東京に乗り込むも滅多打ちに。足の調子も悪そう。六時開始の試合で七時には組織的な抵抗が終了す。富山の鰆を蒲焼風にして勃牙利の白ワイン(一本千円)を呑みながら見ていたから直ぐに切り上げたけど、態態お金を払って見に行った人は気の毒だと思った。夜半までには止む。
 英吉利に白熊の原発を、土耳古に海狸の原発を売り込む計画があるそうだが、同業他社殿は大清快の失敗を見ていないのかね。政府保証を付ける付けないで揉めているらしいが東芝もそうした政商になったが故に損切りが出来ずとうとうああいうことになったのである。


5/12・土
 結局宿酔。収まった後は断続的に草取り。今年は既に壊滅的な伸び具合である。他はゴミ拾いとゴミの分別。殊に二階の七号室からは大量の食品廃棄物が。野菜類はコンポストに入れた。都会の年寄りもやることはあるのだけどね。結局意欲の問題だな。昼は高遠の絵島蕎麦。夜は環七の鰹と鯵と唐揚げ。御酒も控え目にす。取り立てて無為。


5/11・金
 四日ぶりに朝からきちんと晴れた。老家人は通院に続いてケアマネージャーの訪問を受ける。介護保険の改定評定である。何だか少し張り切っていたようだけど二階級特進して要介護入りだな。結果はひと月後。それにしても台風シーズン等になると田んぼの様子を見に行ったお爺さんが帰ってこないなどという事態がしばしば発生するが、最後の最期まで立派な物だと思う。警察と消防には迷惑を掛けて仕舞うことにはなるが介護職員の世話にはならなかった。やることが沢山ある年寄りは幸福である。


5/10・木
 記憶が戻った元首相秘書官が国会に呼ばれる。其れ以上は何も無し。見る気もしないから何も知らない。こんなことをやる為に国会が二週間も空転していたのである。
 朝から曇り。北側の側溝の掃除。何時の間にか砂と泥が溜まり草まで生えているから不思議である。お昼頃に寒気が入り発雷。少し降った。以後急速に晴れる。午後出社。何だか中学一年生は質問攻めにしてくる。而も余り関係のないことを。反抗期の一種だな。給食の味の薄さから宇宙と生命の始まりまでクイズ王になった積りで一つ一つ答えて行く。こういう場合は器の違いを見せなくてはならないが、何しろ吾人の頭も劣化してきているから大変である。
退社後は中華立ち飲みで延延と。此の店も料理人が変わり最近は中華色が濃い。厚揚げ焼きなどの一般的なメニューがなくなって仕舞った。実を言うと八角コリアンダーも苦手である。結局腹が減ったので碑文谷の「福徳」で「マー油とんこつ」(730円)。凝った作りのスープだがプリプリの中太麺と合っていない気がした。


5/9・水
 午前中まで大雨。而も寒い。家人の花粉症未だ治らず。眼の周りをパンパンに腫らしている。何か別の要因を探るべきだな。Tさんはイランとの核合意は破棄するという。ユーラシア大陸の東と西で正反対の方向に。尤もあちら側には西欧諸国がいる。英仏独で何とかして欲しいものである。特にドイツのおばさんに。
 午後出社。気候のせいか何時まで経っても眠気が取れず。チラシ入りクリアーファイルを配って歩いてもまだ眠い。退社後は一人で立ち飲みBへ。途中から市ヶ谷さんが現れ何とかなった。


5/8・火
 本日も梅雨のような感じ。但し気温は低いから、梅雨寒むである。昼は環七「福森」で中華そば(720円)。昨日の今日なだけに普段以上に旨く感じ、ついつい汁まで浚った。旨い物の有り難みが分かるのも不味い物の御蔭かもしれない。それにしてもラーメンには700円ぐらいは出さなくてはね。全国民が旨いラーメンを食べられるよう国民経済を成長させなくてはならないとも思った。
少し前に五輪開催期間中は大変な混雑になると何処かの大学の先生が予測していた。五十年前とは都市への集中度と大会の規模自体が違う。大きな競技と通勤ラッシュが重なると電車は各所で動けなくなるとのこと。平時ですら押し寄せる乗客を満足に捌けない脆弱な交通インフラである。不慣れな観客が殺到したらどれ程の混乱が起こるのだろう。会社も役所も全部休みにして仕舞う訳にはいかないだろうか。期間中は世田谷から一歩も出ない所存だから吾人の人生には何も関わらないだろうけど。夜は大雨。
北の指導者は大連を訪問したらしい。其の際は航空機を利用したとのこと。映像を見ると博物館にあるような飛行機であった。ソ連の飛行機には詳しくないが、ディーゼルカーならキハ58、電車なら東急7000系アッカンベーの同期だな。幾ら頑丈に造ってあるとは言っても古いものは危ない。心配で心配でそんなに遠くの空まで行けないのだと思った。


5/7・月
 連休終了に合わせたかのように雨模様。午後出社。相変わらず此方の生徒は反応が薄い。一年中五月病らしく元気がないな。丸で口を開いたら損をするという感じ。退社後は町屋のBを覗くもDオーナーは不在。そんなに飲む気がある訳でもないので近くの穂高屋に入る。店内は満席ではないが、酔っ払いと腹を空かせた人とそれらの人人が吐き出した紫煙が充填中。相変わらず殺伐としている。給仕係りも息つく間もない。牛丼屋よりオペレーションが複雑だからね。併しこういう所で働く人も大変だな。日本の印象が悪くならないといいが。麦酒と日本酒を飲み、パラッとはしているが何だか味の無い炒飯を食べて帰る(1390円)。此のチェーンはもっと値上げをして味とサービスを上げた方がいい。デフレ経済からの脱却に貢献してくれたと日銀総裁にも褒められる筈だし。


5/6・日
いやしかし、例え国が滅んだとしても、お百姓さんが作物を育て、流通業者が其れらを運び、交通警察官が違反車を取り締まれば、世の中の相当な部分は回っていく筈である。何も困ることはない。徴税や徴兵が弱まるのだから却って暮らしやすくなるという側面もあるだろう。「国家(機構)の没落が不思議にも明るさを含んでいる」(藤田省三)のである。ただロシアという所には国家はあっても社会がなかった。だからソ連という国家機構が崩壊した時、未曾有の混乱状態に陥って仕舞ったのである。そして其のトラウマがあのような指導者を生むに至る。反政権デモでは千人からが拘束されたという。愈愈四期目だそうである。
連休最終日。晴れ続けて午後は強風。買い物以外の外出は無し。苦手な理科の予習をユーチューブで。便利な世の中には成ったが、こういう映像で勝手に勉強されると学習塾も飯の食い上げである。ただ画面の中の先生は無駄な話しをしてくれない。知識は増えるのだろうが知性というか教養というものに触れるのには矢張り生の講義が必要であると思った。
夜はゴーヤチャンプルー。ゴーヤは何処でも手に入るようになったが問題は豆腐だな。島豆腐が売っていない。其処でまあまあの木綿豆腐を数時間掛けて脱水したがまだまだ密度が足りなかった。薄い豆腐が多すぎる。豆腐業界も大豆の含有量を示すように基準を改めると聞いたけど、早くそうして貰いたい。日本酒は其れで良くなったのだし。


5/5・土
 終日晴れ。連休もあと僅か。偶には土偶君を尋ねようと思った。彼は町田に住んでいる高校の同窓である。となると少し時間旅行をしたい。橙隠学園に行って見よう。十時過ぎの田園都市線に乗り、市が尾で下車。思い出の駅前だが、高校生当時は寄り道も買い食いも居酒屋巡りもしていないから見るべき店も無く。先ず「魁力屋」で麦酒休憩。最近勢いがある京都ラーメンチェーンである。色色と御つまみ類があるのは有り難いが、肝心のラーメンはたれが甘めで味も足りない。背脂系としては「花月」の方が舌に合っていると思った。
 さてさて給油も済んだので此処から橙隠学園まで歩こうと思う。横浜上麻生道路をてくてくと参る。しばしば渋滞した此の道路も今は立派な新道が出来ている。勿論吾人は旧道を行く。此のくねくね道を超満員のバスで毎日毎日往来したものである(今では信じられない)。駅から少し離れると畑と本家と家作が点在。昔のままとは言わないが大した開発がされていない。何しろ最近は都心回帰だからね。三十分ほどで到着す。
 此の学園は所謂オープンキャンパス方式なので塀や仕切りがない(従って良く抜け出したものである)。校舎間近かまでズカズカ行って観察す。バスロータリー横の旧第六食堂は健在だったが、建物は解体と増築を繰り返しているからもう何処が何処だかよくわからず。三年次に通った「進学棟」という凡庸な名前の校舎はある筈なのだが。色色な思いもあるが現実の風景と重ならないから感動も少なめ。卒業からもう四半世紀である。其れにそもそも高等学校としては大き過ぎたし、先生の入れ替えも激しかった。どうしても人間関係が希薄になるから元元の思い出も少ないのかもしれない。それにしても橙隠学園グループは大学から博物館まで次次と建て増ししている。こんなに建てて経営は大丈夫なのだろうか。人口ボーナスで儲けた学校法人は軒並み苦しくなっていると聞いたことがある。
 さてさてとりつく島も建物も無かった時間旅行はここら辺で終了。がらがらの小田急バスで柿生へ。相変わらず駅前はぐちゃぐちゃ。此れは鉄道会社の違いというより横浜市川崎市の整理能力の違いだな。続いて町田に移動。土偶君と会う。実に二年ぶりだが概して元気そう。暢気に生活している人は老化しないな。まず立ち飲みBへ。立ち草臥れたので「キリンシティー」へ避難。色色と思い出話をす。彼はあんまり酒が強くない。都合三時間ほど過ごしてお開きとなった。
復路は新装相成った小田急線で。快速急行で一気に下北沢を目指す。川崎側は相変わらずの地上線で少しもぱっとしない。都内の複複線区間も何だかもたもたす。此れでも改正前より少しは速いのかな。乗ったのがサハだったからか実感は乏しい。地下駅からのろのろと這い出してバスに乗り換え。太子堂で下車。「魚孝」で刺身、「西友」で五目あんかけ焼きそばを買い、両家人と猫に供す。一万七千歩。


5/4・金
 辛うじて宿酔は無し。朝から富士蕎麦でラーメン。終日かんかん照り。但し空気も乾いて結構爽やか。買い物は二便。昼はオリジン弁当。夜は東急ストアー。
イチローさんは事実上の引退。而も不可思議な役職を与えられて大リーグに残ることに。中日に来ないのかな。名古屋に来ればあと五年はグラウンドに立てるのに。割と頑固なタイプだから、人間万事塞翁が馬という感じにはならないのだろう。


5/3・木
 朝方は本当の嵐。以後回復す。何だか夏の陽気。午後外出す。日比谷で御酒を飲むことになっている。まず目黒通りまでたっぷり歩く。郵便局前から98系統に乗車。此のバスは世田谷の等々力から東京駅まで行く。以前は都営と交互運転だったが何時の間にか東急の単独運行となっている。目黒駅を越え、堂堂と山手線の中まで入って行く不思議な路線。戦後復興期の通勤急行バスの名残りだと何かの本で読んだ記憶がある。東急としても手放したくないのだろう。何しろ社名が東京急行だからね。
日比谷の公園も大変な人の出。予約してあった「サロー」というビアレストランに入る。参加者は鷺乃間君、坪上君、そして月波君。本来ならば社崎君も誘う筈だが、何しろ彼は固定電話しか持ってない。葉書を書くか、直撃電話を掛けよう掛けようと思っている内にとうとう当日になって仕舞った。今時メールもラインも出来ないというのは周りに迷惑を掛けて仕舞うし、本人の世間も狭くすると思った。
店はビアガーデン風の造り。風が少し強かったが、外で飲むと気持ちがいい季節である。音楽堂ではロックコンサート。詰まりBGMも生演奏。飲み放題にしたから元を取ろうと散散の大量飲酒。続いて新橋に移動。何だか意識混濁、言語不明。人事不省になる前に吾人は自動帰巣装置が働いて途中退席。銀座線が工事で運休しているので都バスで渋谷に出て帰った。


5/2・水
 朝から蒸し暑い。此れから五月の嵐だという。後先考えずに午後自転車出社。行って見ると教室が絨毯敷きになっていた。休み中、知り合いの内装屋さんに頼んでいたらしい(多分相当安く)。早速小さな子らが寝っ転がっていた。となると掃除が問題である。箒と塵取りでは仕事にならない。直ちに掃除機を買いに行く。店頭処分品を購入し以後轟轟と掛けた。いやしかし、やっていることは家でも職場でもまるっきり同じである。退社後は佐渡屋に。おじさんたちのボトルを飲んだ御蔭で千円で済んだ。多少降られて帰る。
 帰宅後「銀英伝」。主人公一行が国家主義者らに襲撃される回である。まあまあ再現されていて良かった。というのも此の三十年で世の中がすっかり右に折れて仕舞ったから、此の下りがカットされるのではなかろうかと密かに少少心配していた。また某一流芸能人はアルコール依存症らしい。併しアルコールと強制猥褻行為は一旦別に考える必要がある。酔ったからと云って女学生を押し倒すとは限らないからね。


5/1・火
 谷間の平日。元元火曜不出社。来年は三日あるが全部休みにして仕舞うそう。でも法案が成立していない。国会が空転しているからかな。また新元号は直前に発表されるのだという。カレンダー屋さんと手帳屋さんは気が気でないな。あと一年である。異様に暑く七月の陽気だという。取り立てて無為。昼はうどん、夜は冷凍の餃子。