大広孝日誌 2018年8月

8/31・金

 宿題の解答をネットに出品するなと役所が指導したとのこと。まあ宿題と言うものはそういうものだな。親や友達や塾の先生、詰まり色色な人の手を借りてやるものである。吾人も容赦なく手伝う。読書感想文、自由研究、これからの時期はAO入試の志望書等等。インタビューしながら、本人の水準に合ったものを仕上げる。まあそうやってああだこうだと助けてくれたという経験も人生には必要である。何時かは自分も助ける側に回るのだから。但しネットで注文して解決するというのは些か宜しくない。そういう経験が得られないもの。

 八月も今日で御仕舞と言うことで高枝切りに着手。但し猛暑に阻まれ捗らず。昼は「せい家」の付け麵(650円)。午後になりシロが漸く出て来る。どうも未明に喧嘩をしたよう。幸い怪我は無さそう。抱き上げて見たものの雷鳴に怯えて逃げて行って仕舞った。少しナーバスになっている。都内南部は一滴も降らなかったが、徐徐に涼風が入る。こうして長い夏も終わってくれそう。併し酷い夏であった。今度は体操協会が炎上す。選手と強化本部長が言った言わないの泥仕合に。暑苦しいこと限り無し。それにしても御爺さん=老父が家から居なくなって二か月半。御婆さん=老母との二人暮らしは結構辛い。

 

8/30・木

 携帯電話の料金は高い高いと文句を言われている。確か官房長官も文句を垂れていた。其れでも格安スマホに顧客が流れないのは不思議である。身の回りでは鶴木さんしかいない。高い高いと文句を言いつつも、結局は納得しているのだな。まあ此の二十年で、携帯電話ほど進化したものはない。公衆電話と伝言板、精精ポケットベルの時代を思えば、月数千円は許容範囲と言うことか。今更あの時代には戻れないもの。例えば新幹線特急料金は高い高いと常常思うが、其れでは座席の夜行急行に再び乗りたいか問われれば、躊躇って仕舞うのと同じである(一度は乗るが)。まあ結局高い料金の一部は技術革新と設備投資に回っていると言えよう。其れに比して一向に変わらないものも多い。コンビニのおにぎりの不味さとか、通勤電車の混雑とか、大病院の待ち時間とか・・・。此方は二十年前と価格が変わらないからな。

 再びの猛暑となる。午前午後と漫然とす。須見伯母が来た以外は無為。「はてなダイアリー」が終わって仕舞うというので対応を考える。思えばブログを書き始めたのはリーマンショックが契機だったから、丁度十年になる。3.11以降は毎日書き、此の所は月一回纏めてアップすることを習慣としていた。色色と調べると過去の記事も移行出来るみたい。少し安心した。

 午後遅めの出社。夏の間に澱のように溜まった書類やプリントの整理と廃棄。中一の女の子たちは、あれが来たのとか実はまだ来たことがないのとかワアワア言っている。そう言うことは女の先生の前で話しなさいと忠言す。何しろ幾ら博学な吾人であっても男である以上、実に全く分からない世界であるから(スイマセン)。また本日から新人講師が登板す。無責任社長の知り合いの御令嬢らしい。獣医学部の一回生と言うから最大で五年半はやれるかな。まあ其の頃までには色色な意味で「持たない」とは思うけど。退社後は中華立ち飲みに。久久に天屋先生が居たので話しして帰った。

 

8/29・水

 蒸してはいるが陽が出ない分、多少は涼しい。梅雨の末期のよう。まず低木刈り。続いて施設に参り、老家人の昼食を介助。梅干しが食べたいと言っていたので、チューブ入りの梅肉を持参。大して食べず。其の後トイレの介助。此方は専門職にやって貰う。もう三日も出ていないそうである。お湯を掛けたり、脱脂綿で刺激したりしたが、反応は無し。其のまま就寝。食事の手伝いぐらいなら誰にでも出来るだろうが、排泄の方はなかなか出来ない。

 さてさて千歳船橋ランチだが、何だか食欲が出ないので高架下を経堂まで歩く。「一番館」という中華チェーンがあったので入って見た。「コクだし中華そば」に半炒飯(670円)。日高屋に似た店だが、炒飯を前面に押し出しているのが珍しい。そもそも炒飯を作るには職人の腕が要るし、鍋を振り過ぎると腕を痛めて仕舞う。量を売る飲食店には不向きである。但し厨房は二階にあるので中は覗けず。此の炒飯、どうやって作っているのだろう(自動化炒飯?)。其のまま宮の坂まで歩いて世田谷線で帰宅。区から知らせが来て、老家人は要介護五に昇進したとのこと(五階級特進)。夕方に草取り。夜はスーパーの秋刀魚の塩焼き(230円)。焼かれたアニーの他は完食す。今年は豊漁だそう。

 岐阜の老人病院で大量死。一週前からエアコンが故障していたらしい。幾ら安いとはいえ酷い病院もあったものとだと思う。暑さでぼんやりしていたが、米中貿易交渉も、米朝非核化交渉も暗礁に乗り上げたらしい。T氏も少し秋休みを取った方がいい。出来れば二年位。

 

8/28・火

 午前午後と漫然とす。猛暑の為か疲労が著しい。夕方出社。金五万円受け取る。随分前の卒業生に頼まれて、名代としてウェブテストを受ける。一般常識系だが問題数が多くて閉口す。後半はかなり適当になった。昇任試験だそうで、早く正社員に成れるといいが。他は取り立ててどうと言うことの無い一日。立ち飲みBに寄って御仕舞。少し新店を開拓しなくてはならないと強く思った。

 

8/27・月

 まず施設に参り、老家人の昼食を介助。まあまあ食べた。多少元気が戻ったようで、持って行った古新聞も捏ね繰り回していた。何処まで内容が入って行ったかは分からない。そう言えば子ども新聞と言うものはあるが、高齢者向けの新聞ってないよな。文字を矢鱈大きくして、最新のニュースは最小限、大昔の出来事をふんだんに取り上げれば結構受けると思うのだけど。兎に角もう少し真面になって貰わないと、ゆったりと外出も出来ない。

続いて駅前の「アンローザ」という定食屋に入る。日替わり定食750円。場所柄か農大生が多い。おかずの割りに御飯が多く、最後は沢庵ライスとなる。メニューも多いし面白い店だと思ったが、学生がプカプカやっているのは宜しくない。食味の為にも健康の為にもランチタイムは禁煙にすべきである。

小田急経由で千寿に移動。此方の講習も最終日。七時に終了。都心でぼんやりしている月波君を呼び出す。但し雷雨が来るというので、飯田橋ではなく彼の地元の江戸川橋まで移動。着いた瞬間、有楽町線は運転不能に。落雷故障とのこと。なかなかに運がいいと思った。大雨の中、行きつけの「善しの家」という中華屋に移動。典型的な町中華の店である。餃子、炒め物、炒飯、ラーメンに加え、常連の魚屋さんに刺身を差し入れて頂く。豪華な晩餐となった。併し彼も色色と年増の知り合いはいるようだが、孫や娘や姪くらい紹介して貰わないとね。二時間くらいで雨は止む。異様な暑さも終了。半蔵門線も空いていた。

 

8/26・日

 昨日以上の異様な暑さとなる。猛残暑なる新語も登場す。老家人は家人に任せ自宅待機。草取り等も不能。夕方買い物に出る。地元の商店街が縁日を開いていた。併し魚屋は勿論、豆腐屋も八百屋も全て既にない。大半が飲食店になっている。そんな中、猫餌と御酒を買う店が即席で鳥を焼いていたので少し寄ってみた。身の回りで馴染みの店と言うのも此の店ぐらいだな。

 Aは鹿児島で総裁選に出馬表明。今更分かり切ったことを態態桜島をバックに執り行う必要などそもそもない。公共放送のドラマに乗っかっているな。今年は明治150年と言うことらしいが、再び薩摩と長州で国を滅ぼそうとしている。

 

8/25・土

 20号では川湯温泉に浸水被害。以前泊まった旅館もやられた模様(確か「大村屋」)。つくづく今年の気象は荒い。暖気が残っている上にかんかん照り。再びの猛暑日に。

朝から十五分の草取りと二時間半の休憩を繰り返したまま夕方近くになる。此のまま一日が終了かと思い掛けた頃に施設の看護職から電話がある。老家人が発熱し具合が悪いという。そう言えば昨日も喉が変だった。何だか心配なので車を仕立てて家人と参る。行って見ると血色も良く、まあまあ元気そうであった(医師の指示に因りナトリウムとブドウ糖の点滴中)。行った序でに夕飯を食べさせる。高カロリーのドロドロ食を中心に多少は食べた。軽い風邪なのだろう。「もういいよ」と言うので寝かし付けて帰ることとす。其のままバス帰宅。交通費概算2500円。帰り掛けに千代田鮨と唐揚げを買い晩食とした。以後御酒を飲んでいると何だか少し悲しくてね。夜更けにシロを呼び付け、御前たちを最初に見付けた御爺さんは愈愈もうこんな状態なのだよと云って聞かせた。

 

8/24・金

 20号は近畿地方を通り抜け日本海へ。関東も強風と時折ざっと降った。朝から家人と施設に乗り込む。入居してひと月経ったので担当者との面談。運動機能の回復は望むべくもないが、せめて食事を楽しめるようにして欲しいとの要望を出す。誤嚥が心配だがミキサー食の一段階上の刻み食に変更出来るよう検討しますとの回答を得た。其の後昼食介助。吾人と家人のダブル介助だったから少し食べた。またアイスクリームが欲しいというので駅前スーパーで買って来る。兎に角、本人が食べたいというものを成るべく食べさせたい。例によって寝かし付けて退出。確か今日は「袋田の滝に行って草臥れた」と言っていたな。十年以上前の絵描き旅行の事だろう。楽しい思い出があれば、寝台の上でも楽しい夢を見られる。

さてさて老家人とは違って大変空腹である。家人とバス停横の「キュア」というカフェのようなレストランのような所に入る。超粗挽き和牛ハンバーグ何とかソース和え。肉は挽いたのではなく叩いたのであろう。肉肉しさが残っていて結構旨かった。御飯とサラダとドリンクバーがついて1200円。こういうものが食べられるのも歯と胃腸は勿論、体と頭の隅隅が概ね健康であればこそである。其のままバス帰宅。此れで今週の予定は全て終了。良く動いた。雨は止んだが午後は大変蒸し暑い。エアコンを点けて大量に午睡す。夜は鯖味噌の缶詰に家人の盛り蕎麦。

首都大学何とかも元の都立大学に戻るという。I時代の暗愚を修正するのならば、大江戸線も12号線かゆめもぐらに戻して欲しい。有名な大家さんも死去。今夏は暑かったからな。もう少し続いて欲しかった。JR貨物は山陰線での迂回輸送を開始へ。但し一日一便。

映画「メイズ・ランナー」見了。巨大な迷路に閉じ込められた若者たちの物語。迷路と言って中心部には村も森もあるから、進撃の巨人+キューブだな。話は分かりやすいしそれなりに面白い。併し二時間見続けても謎は解けず。聞けば三部作だという。行けども行けども終わらないバイオ何とかのような展開である。映画の一本道に直ちに挫折する。

 

8/23・木

 今日も強い南風でサウナ状態。午後千寿に。退社後は千寿駅のホーム上で盛り蕎麦と酎ハイの休憩。本日は半蔵門プラス南北線で回航す。やっぱり後者の混雑の方が酷い。而もちっとも電車が来ない。昼間より(一時間当たり)二本多いだけ。酷いダイヤだと思った。上尾事件が起こるな。

本務校で中一数学。何だか草臥れて仕舞い、立ち飲みBで二杯だけ。11系統プラス徒歩で帰宅した。暑さと混雑ほど人からやる気と体力を奪うものはない(増して慣れない路線だとね)。つくづく通勤時間より無駄な物はないとも。其れでも暴動が起きないのはスマートフォンの御蔭だな。みな自分の世界に没頭できる。ところで車内では最近すっかり影が薄い横浜の方の橙隠学園の広告を見た。一日十四時間いられる学校とあった。塾の代わりもしますということなのだろうが、幾ら何でも長過ぎると思った。もしも吾人が理事長なら四時間で終わる学校を建てる。学校から生徒を解放しますと宣言す。

 

8/22・水

 台風20号が接近。南風吹き付け三十三度程度。午前午後と何も出来ず。夕方出社。ぼんやりしていると漢字検定の答案を出し忘れていたことに気が付いた。本日中に発送しないと行けない決まりになっている。急いで本局に向かう。行って見ると長蛇の列。夜間窓口は一つだけで、定年間近のおじさんが一人で対応していた。丸で昭和の窓口だと思った。併しこういう時に使用する「昭和」という比喩は何を意味するのだろうと暫し考えた。売り場の混雑=売り手優位と解釈すべきかな。では平成は・・・。バブル期は売り手も買い手もいい思いをした(多分)。でも其れ以後の平成の大部分はずっと買い手優位だな。

退社後は立ち飲みBへ。併し三日連続で行っても、出て来るおつまみも出合うおじさんたちもまるで同じ。会ってくれる人が居ないよりかはいいが、もう少し何とかしなければならないと思った。新店の開発を。

 

8/21・火

 夏が戻り日中三十度以上。冷房も再稼働。高校野球は決勝戦。秋田代表と全日本代表がぶつかる。一人で投げて来た前者のエースは既に力尽きていた。夕方出社。漢字検定。中学生は宿題で頭が一杯の模様。大体自習となる。吾人も上級学校訪問リポート成る宿題を手伝う。こういうやっつけ仕事ならお手の物である。退社後は立ち飲みBへ。更にバーIに寄って帰った。

 

8/20・月

 また台風が来るそうで昨日よりかは蒸し暑い。それでも曇っているから涼しいというべきだろう。午後千寿に出校。中三国語に加え中三理科も同時併行せねばならぬ閉口す。掃けた後は国道沿いの「大勝軒」で、もりそば(750円)。少し麺が柔らかいな。付け汁はまあまあ。熱熱なのがいい。大勝軒と言うと兎角期待のハードルが上がり、ネット上では好悪交交に荒れるものである。併し何しろ本家の味を知らないから吾人としては判断の仕様がない。

 続いて日比谷線プラス三田線で目黒に。其のまま本務校に回航。中三の数学。都営に乗ってもやっぱり混んでいる。田園都市線より酷い感じ。メトロ経由より百円ぐらい高いが、結局百円損したと思った。退社後は立ち飲みBへ。最終バスで帰宅。11系統を降りたら丁度32系統がやって来たので合わせ技で帰宅。ちなみに11系統には数キロ乗るが、32系統は二停留所しか乗らない。都営はバス同士の乗り継ぎ割引をやってくれるが東急はやらない。ICカード時代なのだから是非やって欲しいと思った。一日券を使うほどでも無い時が結構あるのですよ。一階の二号室の方が先に決まる。まだ工事中だが入居は来月。

 

8/19・日

 ネットで軽く読んだだけだが、「日経ビジネス・8/20号」の「国鉄は二度死ぬ」という記事はリニア計画の危うさを正確に捉えていると感じた。海外の投資家は少しずつ手を引いているのだという。然もありなんである。KとAを早く何とかしないと取り返しのつかない事態になるな。

 午前中は施設に行く。23系統には乗らずに自前のクルマを用意す。何しろ晴れてはいるが涼しいからね。およそ三十分で到着。徒歩+バス最速乗り換えパターンより早いことは早い。例によって叩き起こして施設内を巡回。昼食介助。老家人は「七時には東京に着く筈がよもやこんなことになるとは」と申していた。どうも何処かで行き倒れた感覚なのだろう。人生を旅に準えるのならば、大半の人人は行旅死亡するものだがね。

続いて「蔵吉」という蕎麦屋に入る。鮪丼と盛り蕎麦のセット(1000円)。バス代が節約できた分、中壜を付けた。ゴマダレのづけ鮪が結構旨かった。隣のおじさんの親子丼も旨そう。蕎麦屋よりどんぶり屋にした方がいいかもしれない。往路復路ともベテランタクシードライバーが通るような小径を通って、世田谷通りをエスケープ。此処も数年ぶりに通るな。環七の大型量販店で猫餌を大量購入して帰る。矢張り区内の移動は自転車が便利である。晩食はスーパーの総菜を並べた。夜は「ポツンと一軒家」。こうして十連休も終了す。

 

8/18・土

 晴れてはいるが爽快な気分。炒飯を作るという家人の提案を拒否して表に出た。二ヶ月ぶりくらいに自転車で出歩く。一日二回本格的な食事をするとして年間700回。其の内半分は外食するとして350。馴染みの店やチェーン店を別にすると新店に入れるのは100回ぐらいだな。そういう機会を無駄にしたくない。併し駒沢方面まで行くも、よさげな所は見つからず。するとあちこちのかき氷屋に行列が出来ていて驚く。水みたいなものにあれだけの時間と御金を割けるものだね。結局地元でちゃんぽんを食べた。十年振りくらいに入った店だが、旨味も塩気も薄め。紅生姜とウスターソースで補正する。すっかり濃い味に慣れたのかなあ。他は草取り。夜は家人の冷やし中華

 甲子園では秋田の農業高校が大健闘。併しみんなどうやって応援に来ているのだろう。「日本海」は既に無いし、団体専用列車と言うのも最近は見られない。結局「こまち」+「のぞみ」かな。それかずっとバス・・・。かくいう吾人も甲子園には参ったことがある。高三の時に通っていた学校が出場した。狭い車内に閉じ込められるのが嫌で、青春18きっぷ大垣夜行に乗って行ったものである。確か横浜から名古屋の手前の始発列車に乗り換えるまで立ちっぱなし。今なら小田原で断念するな。

連投連投だとピッチャーの肘が心配だが、高校野球は結局此れでいいのだろう。何しろ大半の球児たちは大学や社会人、増してプロでプレーする訳ではない。正正堂堂闘って野球は卒業。其の為の一種の儀式である。爽やかな夏の思い出の一片でもあれば、其の後の(多分に苦しい)人生を歩いて行けるというもの。尤も指導者や部の体質が健全であればの話だけどね(嘗ての超強豪校は度重なる暴力事件を受け無くなって仕舞った)。

 

8/17・金

 空気が入れ替わり、晴れてはいるが秋の晴れといった感じ。早速低木刈りを朝の五時から行う。以後数度にわたり出動す。日中もクーラー不要。こういう気候ならば欧州からの旅行者も喜ぶだろう。但しくしゃみ止まらず。抗ヒスタミン。ガスの使用明細書が来たが僅か8立米。住人が三分の二になったとしても大変な減少率である。何しろ此の猛暑で殆どの煮炊きは停止。シャワーも32度の設定だったから。ガス会社は泣いているな。

昼は昨夜の残り物。夕方池尻の新スーパーに行くも惣菜類は悉く売り切れ。昼の弁当は作っても夜のおかずは作らないらしい。こういう考え方の店もあるのだね。今まで午前中にしか行かなかったから分からなかった。結局三宿で海鮮丼を買って帰った。家人の要望があり『くすりの事典2019』(成美堂)を購入。此れは詳しい。対象は処方箋薬だが、薬の成分からも引けるので市販薬の内容も大体推測できる。市販薬評論家としては座右の書とせねばならない。

 

8/16・木

 東の会社は自動運転を検討中とのこと。将来の人手不足に対応するというのが御題目らしいが、矢張り如何わしい。そもそも電車の運転士になりたい人など沢山いるだろう(子どもの夢の上位を占める)。其の上御客が減ったなら運転間隔を詰める必要もない。あれだけ儲かっていてあれだけ社員を減らしても、要はまだまだ給料を払いたくないのだな。東海とは違った意味で酷い。

例によって可燃ゴミの日。毟り取った草をパンパンに詰めた45リットルの袋を二つ出す。尤も出荷先は世田谷区清掃事業だから何かを生産した訳ではない。もし此処に草食動物を介在させれば無価値な草が肉や乳や毛になるのだから、牧畜とは一種の錬金術であると思った。併し夏はいいだろうけど冬場が餌の確保が大変だな。牛は無理だとして山羊一匹にどれくらいの面積が必要なのだろう。土地が狭い日本では無理なシステムであるとも思った。

夏は今日で御仕舞らしいので少し出掛けようと決意す。溝の口まで電車で行き、市バスに乗り換え。生田緑地入り口で下車するも、飲食店は全く見つからず。結局ズカズカと歩き、登戸の駅前の「更科」という店に入る。盛りとミニ天丼のセット(1100円)。ミニの割りに海老天はフル規格で得をしたと思った。併し最早後退などあり得ない。其のまま多摩川を渡る。ちょうど日も陰っているので何処までも歩く所存だったが、早速の和泉多摩川で断念。小田急線に乗って素直に帰った。生田緑地でグダグダする予定だったものが、家に着いたらまだ一時過ぎ。どうにも段取りが悪い。

午睡の後、買い物に出掛ける。偶には天祐寺に。駅ビルが完成間近になっていて驚く。「稲毛屋」で焼き鳥を買う。中里の「信濃屋」が鳥を焼かなくなって以来、家で食べる焼き鳥がなくなって困っている。肉質は一般的でタレの味はまあまあ(やや甘い)。併し信濃屋の固めの胸肉と皮のサンド焼きと言うのはもう出合えないだろうな。あの昔の焼き鳥をもう一度食べたい。他は家人のゴーヤチャンプルー

 

8/15・水

 家人は鎌倉の伯母さんの所へ。ところで鎌倉の伯父さんも認知症が進んで在宅介護は限界に近づきつつあるという。何でも入れる施設が見つからないとのこと(現行お泊りサービス止まり)。一説には伯母さんが伯父さんを実は手放したくないから、本気で探していないのだとも。夫婦仲が良すぎるのも考え物である。此の点に関して、家人(母)にとって老家人(父)を施設に入れることは既定の方針であり、其処に些かの迷いもなかったと言えよう。元元の仲が大して良くないからな。

 日中南風が吹き荒れ、三十四度。外出外食は避け自前で飯を炊く。納豆ライスの副菜はハムエッグ。吾人はターンオーバー派なのだが、残念ながらひっくり返すだけの技術がない。サニーサイドアップのまま蒸し焼きにして全熟に追い込んだ。少しは料理もしないとね。他は草取り。対外的には一円も使わず。

 公共放送は連日の戦争特集。百歳とかで証言できる人が出て来て驚く。九十三の老家人も勤労動員中、確か日立市で米艦による艦砲射撃に遭った筈である。併し此の所のあっという間のロレロレ状態で最早証言不能。もう少し頑張らなくては・・・。

 

8/14・火

 さてさて本日は万代伯母の命日、殊に三周忌と言うことである。但し此れといった法要も無し(第一に其れどころではない)。其処で吾人が全親類縁者を代表して墓参りに行く。行き先は例によって都営小平霊園。少しは旅気分を味わおうと都心を通らずに小平を目指すことにした。先ず世田谷線に乗り、京王伝いに吉祥寺に。中央線で少し移動して国分寺から西武線で参る。大気の状態が予報より良く、南関東はピリカン状態。直射日光が殺人光線のように迫って来る。午前中から這う這うの体である。花を買った石材屋さんで自転車を貸して貰う。以後高速で掃除をし、手短に近況報告と最低限のお願いをした。

 駅に戻るも「丸徳」も「清川」もお休み。饂飩と蕎麦は諦め、「一品菜」という中華屋で野菜ラーメン+半炒飯+中壜休憩。帰りも旅を継続す。まず「ぎんてつバス」に乗る。正式名称を銀河鉄道株式会社と言う。独立系のバス会社である。パスモやシルバーパスは使えず現金払いのみ。従って年寄りはおらず、何人かの学生さんを乗せて走り出した。幾つかの学校を経由して国分寺まで20分、170円。少し安い。併し西武バスの島を荒らして大丈夫なのかなあ。路線バスが増えることは望ましいことだが、岡山市辺りでは大騒動になっていると聞いている。少し心配した。

続いて京王バスで府中へ。流石に此処から先のバスはなく、素直に調布まで電車移動。再開発された買い物ビルを冷かす。食品以外に興味はないが、折角見ても此の暑さでは持って帰れない。と言う訳で直ちに離脱。併し渋谷行きの小田急バスは二時間先までないので成城を経由して帰ることとす。調布周辺には梨園が点在。即売所もある。一日券ならば降りて買うんだけれどね。サワーピアーである。小平から凡そ二時間半。夏のバス旅を満喫した。一休みの後は草取り。夜は家人の明太パスタ。

 

8/13・月

 午前中から施設に参る。例によって老家人を叩き起こし、昼食介助。其の後トイレに行きたいというので男性介護士二人掛かりで三メートル離れた便座に着席させる。結局小水しか出なかった。御爺さんの介護は大変である。寝かし付けた後、吾人は商店街を物色。「寿司清」という店に入る。ランチ握り(凡そ八貫)に中壜を付けた。寿司はまあまあ、何しろ千円だから。でももう少し繁盛して欲しいな。御客は吾人一人のぼっち飯である。

其のままバスで渋谷に直通。百貨店の古本市へ。『荷風随筆』全五巻を二千円で購入。そうこうしている内に雷雨に巻き込まれる。バスを二本使って帰宅。そんなに降って来た訳ではないが、こういう場合一日券は有り難い。夜は堅い牛肉を焼いて食べた。

富田林の警察署から逃げ出した容疑者はどうにも故超有名俳優に似ていると思った。試しに検索をしてみると、同様の意見が既に多数SNS上に見い出された。こういうどうでもいい発見を披歴することは、嘗ては家庭や部室や居酒屋でごく近親者のみに対して行われていたのだろうが、最近はネット上でおおっぴらにやるのだと思った。

 

8/12・日

 結局かなりの宿酔に。昼頃には漸く収まる。続いてコンビニの冷やし中華。概ね曇る。少しの草取りの他は無為。夜は残り物にカップ焼きそば。

 

8/11・土

 陸羽西線は今日からバス代行。流石にお盆期間だからやらざるを得ないのだろう。群馬の防災ヘリが墜落。どうも防災ヘリの事故が続いている。何か理由がある筈である。

 異様に蒸し暑い。朝から量販スーパーに行き、二号室に取り付けるLED電灯を購入。アイリス何とかの方が三千円安いけど、やっぱりナショナルにした。明るいナショナル、みんなのナショナル。一応国産品。ところで此のスーパーも出資していた外資の方は撤退を決めたという。資本提携以降、店内は倉庫のようになり、店員も少なくなっていた。安いことは安いのだろうけど、元元満足な駐輪場も無いから、滅多に買いに行けないし、沢山買って来られない。アメリカ式は日本、特に都心部の古い店舗では通用しないな。暑くて暑くてびしょびしょになって持ち帰る。アンチネット通販派は辛い。色色不満はあるが此の店には生き残って貰わなくてはね。

 午後は軽い降雨。夕方外出す。素直にメトロに乗り市ヶ谷へ。やって来た有楽町線は7001というトップナンバー。プレートを見ると吾人と同い年であった。今や国鉄より営団の方が古い。兎に角頑張って欲しいと思った。本日は大学飲み。珍しく轍田さんが参加す。色色と子育てで悩んでいるよう。成るようにしか成らないと忠言す。まあ他人の子だから好き勝手なことが言えるというのもあるな。他は月波君と藤松君。3800円で食べ飲み放題の「京華茶楼」という中華屋に入る。都心はガラガラ。どういう訳だか入った瞬間からずっと蛍の光が流れていた。肝心の料理の方はと言うとオーダー式の提供で結構旨かった。余りそうなものは藤松君がみんな浚ってくれたので食べ残しはゼロ。やはり中華は頭数を揃えて行かなくてはね。もう一軒寄って帰る。

 

8/10・金

 日大の別の部活でも問題が発覚。監督やコーチによる行き過ぎた指導は枚挙の暇がない。アメフトもチアリーディングも元元は舶来品だが、教えているのは当の昭和生まれだからな。そもそも先生と言うものは生徒の成れの果てだから、一番変わりにくいし、また変われないのだろう。こういう場合、手っ取り早く御雇外国人を入れるしかないか。

 さてさて本日から十連休。特に予定もない。涼しい内から低木刈り。無人銀行に参り、施設に敷金分を振り込む(75万円)。続いて経師屋さんにお茶を出す。以後漫然とす。また先日優子さんと話したところ、夏子叔母さんもどんどん認知症が進んでいるとのこと。なお取り立てて御金の心配はないが、確定申告した際の所得が多いと税金や社会保険料が上がるので、不動産収入をもっと少なくして欲しいと言われた。持ち分割合は変えられないから、修繕費や雑費を少し付け替える必要があるな。来年の二月も大変そう。

 夕方になり外出す。久久に仲田大将にお呼ばれして西新橋のちゃんぽん屋に。例によって渋谷からバスに乗ったのだが都内は大渋滞。何ラッシュになるのだろう。少し遅れた。参加者は鰻犬先生に須々木さんと月波君。大将と会うのは四月以来。三時間ほど痛飲し解散。月波君ともう一杯。「博多風龍」へ。月波君が愈愈しつこくなってきたので早目に退散。帰りはメトロに。銀座線は混んでいたが半蔵門線は空いていた。みんな何処かに行って仕舞ったのだろう。帰宅は十時半。

 

8/9・木

 13号は房総沖を北上。結局都内は何の影響も無し。朝方は低木刈り。段段晴れて暑くなる。午後千寿に行く。途中散髪。退社後は「天七」で軽く引っ掛けて本務校へ回航。中一に一次方程式を教え、此れで前期日程は全て終了。立ち飲みBで軽く飲む。11系統に行かれたので目黒経由で帰宅す。

 先日の山形豪雨で陸羽西線は長期運休とのこと。ホームページには代行輸送は行いませんと堂堂と書いてある。お盆を前に職務放棄だな。併し本当にやっていないのかな。バス代行を。知らないで行った人はどうするのだろう。

五輪のドサクサに紛れてサマータイムを導入するような話が出てきている。吾人としてはまんざらでもないと思うが、併しあくまでも此れは東京中心の話だな。もっと西、九州や沖縄、例えば与那国島など朝の七時でも真っ暗になる。東西に長い国だとちょっと難しいと思う。要はマラソンだけでも朝の五時に始めればよいだけである。国中の時計を動かすほどの事ではなし。

 

8/8・水

 13号が接近。風の台風らしく、未明から風が吹く。朝には降り出す。関東は冷え冷えだが、静岡以西は猛暑のまま。冷風は箱根の山を越えられない模様。気象に於いても東西の差は大きい。それにそもそも東海地方は西日本である。詰まりJR東海など要らなかったな。シリアで行方不明になっているジャーナリストの奥さんが会見し救出を訴えた。拉致されてもう三年である。先月新たな動画が出た際、官房長官は全力を尽くしていると表明していたが、全力で傍観しているの間違いであろう。オトモダチ以外の国民は守らない恥ずかしい国である。木次線は運転再開。信号ケーブルが切れただけだったらしい。バイパス措置で直ったとのこと。また備後落合に行って見たい。出来れば正規の乗車券で。夜になりO知事の訃報が。Aを道連れにして欲しかった。

 水曜不出社。屋外作業は出来ず自宅待機。「アンドロメダ」後半。一応見せ場はあったが幕切れは中途半端。こういうのをカルト作と言うのであろう。医学や生物学の知識があればもっと楽しめる筈。昼はオリジン弁当。夜は冷凍食品その他。

 

8/7・火

 都内も未明に大量降雨。暑さから解放される。移動の自由と呼吸の自由を取り戻した感じ。医大裏口入学の問題は、入試の公平性の問題に発展。女子受験者を減点していたり、浪人男子を敬遠していたことが発覚す。まあそういう篩の掛け方をするとしたら二次試験からだな。面接や小論文を通して職業適性を見極めたと言えば大した問題にはならないだろう。マークシート方式の一次試験でやって仕舞うのは少し理不尽と言うものである。

 電気カミソリが欲しいというので朝から量販店に参る。併し吾人には丸で縁のない道具類である。そもそも吾人には髭が殆ど生えない。週に一度軽く剃るか毎日十本ずつ引っこ抜く程度でどうにかなって仕舞う。見てみるとカミソリにもピンからキリまである。何がどう違うのか分からないが3500円程度の物を購入。其の足で施設にバス移動。朦朧としている老家人を叩き起こしまず書類に署名させる。満期返戻金受け取りの為。続いて車椅子に搭乗させ館内を循環。例によってどろどろの昼食も口に放り込んだ。一時間半引き連り回した。寝かし付けて退出。

さてさて吾人も昼食の時間である。余り食欲がないので高架下の「八兆」に。個人経営の立ち蕎麦屋かき揚げ蕎麦におにぎり一つ(530円)。天麩羅は焦げ気味だが生蕎麦から茹でているから味はまあまあ。おにぎりが旨い。千歳船橋にはまだまだ入って見たい飲食店が沢山ある。但し小雨が止んだので蕎麦屋に傘を忘れた。午睡の後、代講出社。例によって武藤女史が海外滞在中の為。夏だというのに戦力低下が著しい。立ち飲みBで結構飲んだ。帰宅後映画「アンドロメダ」。宇宙から入った謎の病原体と闘うという設定らしいが、謎の研究施設でずっと検査と実験ばかりやっている不思議な映画である。真面目に作っているのだろうが退屈過ぎて途中就寝。

 

8/6・月

 朝から異様な温度と湿度。午後早目に千寿に出校。今日から此方の講習である。相変わらず効かない冷房に、持ち帰っても持ち帰っても全く減らないゴミの山、S子先生の怒号に辟易とす。但し生徒が少ないので五時半には退社。以後本務校に回航である。丁度二時間あるので一杯引っ掛けて行きたかったが、お腹の調子が悪いので本日は断念。其のまま夜の南北線に乗り移る。

例によって途中駅で都営の列車に吸収合併される。ラッシュ時の二本が一本に纏まる筈もなく、吾人の他不慣れな乗客は取り残される。酷いダイヤだと思った。三田線は漸く八両にするらしいがメトロの方はどうするのだろう。今時六両編成など考えられないな。明日からでも12両にして欲しいと思った。本務校に着いてもぐったりす。移動疲れである。中三数学を教え、立ち飲みBに寄り、バスを二本乗って帰った。神奈川方面は大雨。夜は久久に涼しい。

 

8/5・日

 朝からコンビニのおにぎり。塩気は薄くコメはぼそぼそで食えた物では無し。併し不思議だな。世の中どんどん変わっているのにコンビニのおにぎりの不味さだけは変わらない。人類が火星に立つ頃も恐らく不味いままであろう。そもそもが安すぎるのかな。一個200円出すから真面な物を作って欲しいと思った。万が一にも吾人が国会議員になったら「おにぎり適正化法」を作る。細かな基準を設けおにぎりの食味向上と国産奨励に政治家生命を使う。元始、おにぎりは太陽であったと、法律の前文に書く。

日中三十五度。西日本はもっと高温。最早言葉も無い。安白チリワインと猫餌を買いに出た序でに「さとう」でラーメン。午後も取り立てて引き篭もるのみ。夜は家人が買って来た牛肉と舌平目。大して旨くも無し。北から寒気が南から台風が接近し明日の夜から崩れるという。それはそれで待ち遠しい。

 

8/4・土

 朝から近所のスーパーに。すると冷蔵ケースが故障しており半分以上の商品が販売不能。豆腐も納豆も買えなかった。暑さのせいだな。大手家具販売会社も愈愈大変なことに。かの店には家人の付き添いで一度だけ行ったことがある。品の良さそうな店員に案内されながら高そうな家具の間を半日歩いた。最後には御茶まで出して貰い、今時こんな売り方があるものかと感心した覚えがある(確か居間のテーブルを買った。凡そ15万円)。娘さんは流行りの量販店のようにしたかったらしい。お父さんを追い出してまで経営権を奪った。併し昔の売り方でまあまあ巧く行っていたのだからわざわざ変える必要などなかったのである。遅い反抗期で会社を潰して仕舞ったことになるなぁ。何でも変えれば佳いというものではない、絶好の教材が生まれた。

日中三十五度。御昼に出社。丁度商店街の縁日の日である。当該地区でも出店を出していた。出動していたのはお爺さんばかり。併も半分以上は既に廃業した元店主さんたちである。矢張り商売が忘れられないらしい。一同に会していたから一種の同窓会だな。講習最終日。さてさて件の中一に当たる。ペンギンに育てられた先生は連日の暑さでついうっかり激昂した。あの後は冷凍庫に頭を突っ込んで冷やしたと挨拶す。そして再び怒り出さないよう、慎重に穏やかにそして適当に指導す。退社後は偶偶歩いていた鰻犬先生を誘って立ち飲みBへ。父上の納骨を済ませたばかりとのこと。また愈愈売却→引っ越しの目途も立ったとも。テーマがテーマだけに湿っぽくなりがちだが丁度須々木さんもいて、平日並みに何とかなった。更にバーIに寄って帰宅。家人が読みたいというので『九十歳何がめでたい』と『大家さんと僕』を新造購入。年寄り文学だな。出版界も高齢者シフトを敷かなくてはね。また西のホームページに因ると芸備線木次線福塩線姫新線も直す意思はあるよう。やれやれである。特に福塩線は未乗だから大変心配していた。

 

8/3・金

 日中三十六度。暑中介護施設に。点滴中だがまあまあ元気そう。持って行った古新聞や絵の本を頻りに眺めていたから。併し十分後にはうとうとと居眠り。軽い昼食の後もごおごおと鼾をかいている。疲れが溜まっているのだな。凡そ九十年分の疲れが。また看護師の薦めで高性能な車椅子をレンタルすることに。実にひと月九千円。

 結局ずっと寝ているので早早に退出。駅近くの「とんとん亭」と言う店で上ロースB定食(1400円)。少しとんかつを食べ歩いてみようと思っている。従来かつは家で食べることにしていたが、既に家人の製造リストからは削除されたようなので。これぞいう店に出合いたいものである。高架下の本屋で「JR時刻表」。お盆は十連休。何処かに行きたいが何処かに行けるかな。其のままバスで帰宅。夕方外交員がやって来て火災保険の見直し。障害特約とか満期払い戻し金等のオプション契約を外し、シンプルな掛け捨てにする。此れで年数万円が浮く計算である。夜に掛けて一雨あったが直撃と言う程では無し。其れでも少し冷ました。そもそも今夏は夕立すらない。晩食は鯖の缶詰に御茶漬け程度。

夜は地上波でやっていた映画「オデッセイ」。典型的な明るいアメリカ映画。クルーの音楽の趣味までは分からないが、ここぞという時は米中協力して難局を乗り越えて欲しいと思った。併し火星は遠い。位置にも寄るが、ひかりの速さでも十数分。ではのぞみでは?

 

8/2・木

 昨日以上の猛暑となる。まだ暗い早朝でも舗道から熱を感じた。二十九度はあるな。何かしたいが屋外作業はほぼ不可能。其処で隣家を片付けることにした。万代伯母の靴や古い確定申告書などを捨て去る。老家人の趣味の本も図書館に供出。可哀想なので二冊は取っておいた。序でに近所の集積所を見回ると弁当が捨ててある。参ったな、次の回収は月曜である。見たところ結構高そうな折詰めが四人前(手付かず)。こういう勿体ないことを誰がするのだろう。中のバランごとコンポストに放り込んだ。

昼は冷凍うどん。夜はスーパーの惣菜。ちなみに昨日が東急で今日は西友。惣菜評論家には直ぐにでも成れそう。吾人の買い物は猫餌と軍手のみ。こうも暑いと何処にも行けず。エアコンからカビが出て来るのかくしゃみが止まらない。夜も暑く周囲には異様な臭いが立ち込める。あちこちで下水が滞っている。なお簡易保険は直ぐに下りた。医療費分は賄える金額。郵便局も最近は仕事が早い。芸備線福塩線も止まっているから三次には一本の列車も来ない。せめて三江線があれば日に数度はディーゼルの音がするのだがね。

 

8/1・水

 今月から東急バスは東京都シルバーパスでは差額を支払っても深夜バスには乗れなくなる。地味な負担増である。まあ深夜徘徊老人も居ないだろうが。再びの三十五度。不要不急の出社は避け自宅待機。昼は冷凍牛丼。夜は家人が買って来たスーパーの総菜を並べただけ。それにしても月曜の出来事は我が事ながら少しショックだし結構反省している。伯備線は復旧。