2017年8月

8/31・木
 空気が入れ替わり一気に涼しくなる。おまけに雨模様。家作の前庭の草を刈ろうとしたが、平日でも在宅率が高くて断念。みなサービス業勤務なんだろう。ゆっくり休ませなくてはならないと思った。代わりに空き家の周辺を刈ることにした。
なお家人は鎌倉の伯母の所へ。老家人にコンビニ弁当を食べさせ、吾人は食べに出る。客の居ないカレー屋に入店。折角なので「とり天カレー」を注文す。すると油を加熱する所から始めるらしく、最大火力で鍋が灯る。暫らくすると煙まで出始めて、いよいよ発火するのではないかと冷や冷やした。併し客は益益居ない模様。厨房は乱雑そのもので、何だか荒れた感じ。カレー自体は悪くないだけに、勿体ない店だと思った。
 野党議員の質問によると、首相Aなどの政権幹部は、ミサイル発射を事前に知っていたとのこと。何でも発射の前の晩に限り、滅多に泊まらない公邸にわざわざ泊まり込んでいた事実が、其れを物語っているのだという。ならばあのヘンテコなサイレンに、頑張っていますという姿勢丸出しの首相会見など、まるで茶番も茶番。茶番の極み。下らない騒ぎを起こされて貴重な睡眠時間を削られたと、国民は怒るべきである。夜はサッカー観戦。苦手な豪州に何とか勝利す。併しこういう時にミサイルは飛んで来ないものだな。こうして八月も終了す。


8/30・水
 朝から異様に蒸し暑い。午後出社。本務校の授業も久久である。夕方降雨あり。ただ中央線より下は大して降らず。中途半端に下水が流れたらしく、何だか町全体が生臭い。
退社後は祐天寺の立ち飲みBへ。久久にマネージャーのМさんと会う。上の子は結婚し、下の子も就職したので、此れで子育ても終了したと報告される。いやいや、油断大敵。若年層の離婚率の高さを考えると、第二第三の子育てがあるかもしれない。猫しか育てたことが無い吾人が心配するようなことでもないけど。それにМさんは早く孫を育てたいなどと以前、言っていたような気がする。願いは早晩叶うかもしれないな。
ところで民進党を出て行った元の環境大臣は、いよいよ新党を結成すると言い張っていた。ラーメンの人と連携したいとも。併し保守的な政党をもう一つ作ってもね。どうにも此の人は走り出した方向がまるで頓珍漢だと云う事に気が付いていない御様子。多分方向音痴なのだろうな。其れは、つまり政治音痴ということである。


8/29・火
 すっかり寝ていたので何も知らなかったが、朝方何かが遥か上空を通って行った模様。変なサイレン等を色色と鳴らして警戒したらしいが、大体が宇宙である。そういうことしても仕様がない。ただ飛行機は怖いだろうな。其れは先方も同じで、矢鱈と深夜早朝に打ち上げるのは、ひょっとして国内線の運航時間外になるように配慮しているのかもしれない。併し破片が旅客機の横を掠めて行くのは、どれくらいの確率になるのだろう。こういうことを頻りに心配するのは、やはり吾人が飛行機恐怖症だからかな。
従って朝から晩まで半島問題特集。専門家も大量登場。所謂朝鮮特需である。前にも書いたが、此の件に関して日本が出来ることは何もない。出来ないことを議論するのは時間の無駄である。
 午前中に振り込みに行く。というのも鎌倉の伯母さんの家が色色と大変なので家人が少額援助することになっている。ATMで三万円振り込んだら手数料が432円も取られた。確か先月までは無料だった筈なのに、勝手に値上げをしている。銀行というものが信用されないのはこういう所だな。箪笥銀行が繁盛する訳である。遠くの台風が南風を吹き入れ、異様に蒸し暑い。昼はカレーうどん。午後は稼働不能。夜は冷やし中華


8/28・月
 家人も納戸を占領する不要物を捨てて仕舞いたいと宣う。所謂、断捨離である。此の三文字熟語、元元はヨガか何かの言葉を並べたとのことである。平時では二度と使わないようなものだが、何かが起きたらね。やはりなかなか捨てられない。例えば大昔の大型ジャンパーでも真冬の避難着になる、とかね。フローが途絶えたら、ストック中心の生活になるから、不要物もきっと何かの役に立つ筈である。こういう発想は災害が多い国だからかな。まあそれも家が残ればの話しである。万が一に備えて、体の脂肪も少しは残しておかないとね。ヨガの体操などもっての外である。
 朝方は結構冷えた。段段晴れて結局暑い。午後千寿に出校。此方も通常授業に戻る。途中駅前の大型書店に参るも、狙いの本は置いておらず。早終了したので、大橋の自動化寿司へ。併し大半のネタが既に食い尽くされており、麦酒一本で終了。何だか食べ足りないので町屋でラーメン屋を物色。駅直結の店に初入店。旭川ラーメン醤油味、但し酸味の利いた奇天烈な味。店はラーメン居酒屋と言った体裁だが、他客は皆無。ある意味、納得できる味であった。今日はどうにも店運がない。こういう晩は傷口を広げずに素直に撤収すべきであったと後悔す。いやいや、忍耐力と味覚はこうして鍛えられるのである。


8/27・日
 昨日と同じような曇りだが、空気が代わり結構涼しい。午後は晴れたが、日中も久久に冷房無し。昼は鶏付け麵。買い物は一便。取った草を袋に入れる以外は概ね無為。昨日の草は一晩でもうバリバリ。乾燥し切ると却って嵩張る。外は涼しいが、家の中は暑い。幾ら窓を開けても大して涼まず。中華料理屋で使うような強力な換気扇が欲しいと思った。また老家人、益益弱り、入浴にも介助が必要となる。
 海の事故、陸の事故、部活の事故、自衛隊の事故多し。夏の終わりで疲れが出るのだろう。もう直ぐ二学期。そして子どもの自殺も増えるな。


8/26・土
 朝からF蕎麦に。まあまあ曇っているが、中中暑い。若干の草取りのみ。夜は焼いてある秋刀魚を買って来て、本年の初物とした。二百円余と安いが異様に小さい。数口で食べ終える。今年も不漁らしい。他は羊肉を焼いて食べた。ニュージーランド産だが豚より安い。羊の自給率は1%だと聞いたことがある。日本では羊が人を食う心配はないな。
 夜はテレビでやっていた「時代をつくった男・阿久悠物語」を見る。同氏がウォークマンを音の点滴と評していたのが面白かった。銘銘各各が好きな音楽を耳に直接注ぎ込むから点滴という訳である。ならば、シャワーのように音楽を流したら面白いだろうと思った。暇そうにしている地下鉄がいい。レコード会社が何編成の何両かを借り切ってヒット曲を流す。皆で同じ音楽を聴くというのも、今となっては貴重な体験である。嫌ならば別の車両に行くか、ヘッドフォンで耳を塞げばいいし。でももう確かに歌謡曲の時代じゃないな。第一に流すような曲がない。支持率が八割くらいあるような国民的スターとか、もう出て来ないだろうし。


8/25・金
 八月も終わりに近づき、各メディアであった戦争特集も終了の模様。併し日中戦争を取り上げたものは少ないな。正直な話し、日米戦争まで進んで仕舞ったら、戦争など止めようがない。となると満州事変からの十年間の何処かにチャンスがあった筈なのだが。併しそうなると必然的に大陸での残虐行為に話が及ぶ。みんな及び腰になるのだろう。
 猛暑の中、御向かいは外装工事。片づけた筈の石灯篭も復活している。何処かに保管しておいたのだろう。坪庭などもあり、なかなか贅沢な造りである。賃貸併用だからかな。やはり本気で造った感がある。隣の賃貸専用物件の凡庸な造りとは大分違う。
 午後久久に本務校に。只管事務作業と雑用。業者テストの答案を集めたり、ごみを分別したりして過ごす。早目の退社の後は、月波君を新しい佐渡屋に案内す。序に鶴木さん、須々木さんも同席。更に中華立ち飲みに。日本語がよくわかる人が辞めてしまったので、何だか注文と微妙に違うものが出て来て困惑した(五目そばと五目焼きそばが混同す)。ところで久久の自転車通勤である。四国に行ったならば2000系特急気動車、東北に行ったならば701系軽快電車のような走りをしたくなるのだが、夜まで暑くて真面に走れず。小田急の各駅停車のようにだらだらと走る。いやしかし、音鉄というのも気持ちは分かるな。ついつい口で真似をしたくなるもの。


8/24・木
 家人宛に詐欺電話が掛かってくる。何でも「一番上の甥」と名乗ったそうである。併し地球の事を太陽系三番目の惑星とか、岩手県の事を日本で二番目に面積の広い県とは、通常は言わないだろう。家人は騙されたふりをしてどうなるのか見てみたいと言っていたが、面倒なことは止めなさいと注意した。生半可な気持ちで犯罪者と対峙してはいけない。
 市民グループが公開した資料によると、加計学園の校舎等は相当な安普請にもかかわらず、建設費がかなり上積みされているのだという。結局は補助金目当てなのではないかと言う指摘が相次いだ。大学建てて、御金が儲かる。余りに時代が違うので、私財で以て学校を造った福沢や大隈や新島襄の例を出す積りもないが、何とも酷い学校法人であると思った。
 昨日以上の完璧な晴れ。三十五度近く。朝方は宿酔気味。コンビニの冷やし中華と胃薬。すっかり回復して、昼にはとんかつ弁当が食べられた。コンビニと弁当チェーン以外の外出は無し。


8/23・水
 実に久久に朝からかんかん照り。午後千寿校に。途中散髪す。例によっての数学だが、本日は本務校の平政君に作らせた模範解答と解説を元に楽楽講義す。いや実に答弁書は大事である。やはり質問は二日前までにして欲しいものである。
 退社後は月波君を上野のBに呼び出し、嫌なことは全て忘れて帰った。千寿からは再び常磐線を使ったのだが、上野には古い立ち食い蕎麦屋があり感心す。「爽亭」と言うらしい。つくづく上野は時代を感じさせると思った。また帰りの半蔵門線は東急8500系に当たる。プレートによると車齢四十年と言う大ベテラン。こういう所だけ見ると昭和後期と大差ない。上野発の夜行列車は何も無くなって仕舞ったけど。
 ところで銀座線にもホームドアが付き始めている。ただ不思議なことにホームドアが出来ることで却って危険が増す。つまりドアの無い駅をより危ないと感じるようになるからである。ドアなどが全くない時代に比して明らかに安全性は増しているにも拘わらず。安全というもののパラドクスである。つくづく安全と安心は別物であると感じた。


8/22・火
 件のレーニン主義者も解任されたらしい。彼は国家の解体だとか、文明の存亡を掛けた大戦争だとか、物騒な事ばかり言っていたらしいから、当然と言えば当然である。映画の見過ぎみたいな人が、政府にいては困るよな。そう言えばグレートリセットとか叫んでいた人も、最近は結構大人しくなった。市長として現実的な困難さを経験したのだろう。経験は人を成熟させる。
ところで保守と言うと、コンサバティブの他に、メインテナンスという単語もある。語源は違うのだろうが、従来の社会制度を維持管理するという点では、コンサバティブはメインテナンスでもある。そういう点では、吾人も保守主義者かもしれない。いや併し保守と言うのも、実に大変である。何しろ不断の努力を必要とする(白鳥だって足はバタ足だ)。大体、国を一気に建て替えるなんて出来ないだろうし。
また昨日の水漏れは給水管の劣化とのこと。壁を開けて修繕したと電話報告があった。何しろ古いからな。まあまあ晴れて、そこそこ暑い。家人は胃の定期検査。此れといって無為。


8/21・月
 結構長かった盆休みも終了。早速五号室から水漏れの通報。直ちに内装屋さんに電話して修理依頼す。古い物件は手が掛かる。併し此の手間を惜しんでは、建物はあっという間に廃墟廃屋となる。
徐徐に夏空に戻る。二週間ぶりにワイシャツに袖を通し千寿校に。此方の講習である。最後は再びの過去問演習。ホームページから出してきたものを持参されたのだが、何と答えは公開されておらず。こういうことはつくづく止めて欲しいと思った。質問は事前に出して欲しいなどと宣う駄目な大臣のようになって仕舞うから。
すっかり疲れた。嫌な数学は早く忘れたいので上野の座り飲みBへ。折角なので常磐線で行く。北関東の雰囲気を少しだけ連れて行きたかったが、乗ったのは取手発の快速電車。今一つだな。U店長は得意の三点盛りを作って歓迎してくれた。


8/20・日
 概ね曇り。今日は低木刈り。どんどん切って風通しと日差しを良くする。何しろもう夏も終了である。昼は隣町でとんこつ醤油ラーメン。あっさりしていて好かったが、店は居ぬきしたような変な造りであった。こういう所もチェーン店なんだろうな。激戦区とあって家系ラーメンだけで三店もある。学生が多いからどの店もライス無料を謳っている。併し今更、御飯要りますか?とか言われてもね。
作業を再開しよう思ったら、物置きで鳴き声がする。どうにもシロを閉じ込めていた。刃物は危ないから、その都度仕舞い込むことにしている。僅かな開け閉めの間に入り込んでいた模様。二時間程で出られて佳かった。併しシロという猫は、何しろちょろちょろしていて、長男だというのに始終落ち着きがない。でも此の猫が、こういうそそっかしい性格だからこそ、直ぐに懐き、弟妹揃って拙宅の外猫になったのだと思う。グレやミケはシロに感謝しなくてはならない。勿論我我人間もね。結構暑くて、三時過ぎには本日の業務は終了。夜は肉を焼いて食べた。


8/19・土
 段段と猛暑に戻る。草取りと日誌書きの繰り返し。蚊と暑さに阻まれて前者は捗らず。旅は四日、旅日誌も四日掛けて概ね纏め終える。すると漸く旅も終わった感じがした。夕方前から激しい雷雨となる。コンコンと音がするから、誰かが訪ねて来たのかと思ったら、雹まで降っている。当然家作の樋からは雨水がだだ漏れ。激しい雷雨は一時間ほどで止む。
多摩川の花火大会は中止。落雷被害もあった。凡そ数万人がびしょびしょになったよう。それに屋台業者も可哀想だな。家でゴロゴロしていた人が得をするという形では内需拡大にならない。夜まで鳴ったり降ったりを繰り返す。


8/18・金
 バルセロナでテロ。ヨーロッパの観光都市はつくづく狙われる。となると観光客は益益日本やって来るな。ミサイル騒動の方もそろそろ落ち着くだろうし。一方、新しい外務大臣防衛大臣アメリカ詣で。色色と武器を買わされている。貴重な税金を惜しげもなく使う積りのよう。何しろちょっとしたものでも数百億円である。それだけあれば、北海道や四国のバスや鉄道を二度ぐらい立て直せる計算である。住民は安心して生活を送れるし、定住の促進は山河の保全に役立つ。正しく国土防衛である。其れに比して、つくづく軍備と言うのは無駄である。張り子の虎でいいから、ずらっと並べて置けば抑止力と言うやつになるだろうに。
大体北の国のあの御方は、日本のことなど全く考えていない。一顧だにしていないし、昔の表現を使えばアウトオブ眼中と言うやつである。日本に出来ること? 米国に電話して大統領の正気を小まめに確かめることくらいかな。平壌の方は番号すら知らないだろうし。そう言えば、あの料理人はどうしているのだろう。
 再び蒸し暑くなる。乗り鉄と草取りの疲れが出て、日中漫然とす。夕方になり品川に出掛ける。というのも月波君が静岡に帰省するというので、件の東日本パスを譲渡しようする。此れがあれば熱海以西の運賃だけで辿り着くことが出来る。まず港南口のもつ焼き屋に。併し月波君は下車後、自動車を運転するというので、本日はノンアルコール。となると解散も早い。19時59分発の通勤快速小田原行きのグリーンに乗せて見送った。小田原と熱海で乗り換えて凡そ二時間半の旅程である。


8/17・木
 旅費の精算をする。三泊して総額六万円余り。内訳は交通費が二万強(大半がJR)、宿泊費も二万円強(此れも半分はJR)、後は飲食費等(三割程度が車内販売及び駅構内での消費)。何しろ駅から離れない旅だったから。まあ家で飲んで食べても一万円は掛かるだろうから、五万円分の内需拡大である。一極集中が進んでも休みが沢山あれば、みんなが続続と出掛けて、地方に御金が回るのだろうけどね。
 雨は止んだ。今日も比較的涼しい。何でも先週の台風五号が、夏の気圧配置を壊して回ったらしい。元に戻るのは来週以降とのこと。まあ七月は十分暑かったから、平均すれば普通の夏になるのだろう。草取りと休憩、日誌書きを繰り返す。


8/16・水
 朝から晩まで一日雨。異様に涼しい。終日在宅し日誌を纏める。他は掃除等。新聞も纏めて読むが、此の時期は中身が薄くて助かる。


8/15・火
 下越地方から帰京するルートは三つある。一つは素直に上越線上越新幹線で帰る方法、二つ目は磐越西線、三つめは米坂線で一旦山形県に出る方法である。此の中で一番乗っていないのは三番目である。というので米沢経由で帰ることとす。
昨日の内に大分進んだから、ゆっくり起きる。乗る距離も時間も総量としては同じだから、昨日苦労した分、今日が楽になるというものである。折角なので宿の朝食を食べる。朝から盛り盛りと食べているのは工事屋さん。お盆でもやるのだね。おかずは大したものがなかったが、御飯だけは流石に旨い。おかわりしたいところだが、食べ過ぎると昼飯が入らなくなる。
駅に参り列車を待つ。米坂線直通の快速「べにばな」は二両編成で、先頭がキハ110で後ろが120と言う新型のコンビ。こういう編成があるのだね。列車組成も複雑である。ちなみに此の二両、車番でいうと10しか違わないが、齢で言うと十五は違う。歳の離れた兄弟と言ったところであろう。坂町から米沢までは大分登るから、弟がお兄さんを押し上げていくような格好となる。そう言えば弟の方が大分肉付きがいい。
車内は既に満席に近い。吾人は弟の方に腰かける。御向かいの若い男は郡山までの切符を持っていた。土産の菓子のような物をぶら下げているから帰省するのであろう。なかなかのものである。坂町から米坂線に入る。米坂線は山深い所を走るから、土石流や雪崩が頻発している。小国の手前、荒川のほとりには殉難碑が立っていた。戦前に汽車が転落したそうである。綺麗な花が手向けてあった。相当な歳月が経っているが丁寧な対応であると思った。乗車思源。井戸で水を飲むときは掘った人を思い、汽車に乗るときは建設や保守管理に当たる人を思わなければね。煙管乗車などもっての外である。
 小国駅でも中量乗車。他の小駅でもどんどん乗ってくる。大半が帰京客であろう。流石に此の時期は御客がいると感心して安心す。一年中、盆と正月とゴールデンウイークならば、地方線区の収支も相当改善するだろうと思った。併しさっきの若者、よくよく考えると、新潟から郡山に行くのは磐越西線である。態態遠回りをするような、所謂其の筋の人には見えなかった。ならば、経路検索サイトに騙されているのだと思った。大体、新潟から郡山に行くには大宮まで上越新幹線で行き、更に東北新幹線に乗り継げなどと計算してくるのが機械の世界である。時間だけを計算するから、とんでもないルートを平気で教えて来る。正しくコンピューターのくせに頭が可笑しいと思う次第である。
試しに時刻表を開くと、新潟を8時43分に出た、現「べにばな」+「つばさ」で、郡山到着は12時29分。一方、磐越西線の快速「あがの」+名無しの快速を使うと、新潟を8時25分に出て郡山到着は12時12分。うーん、時間的には甲乙つけ難いが、そもそもの運賃と料金が違うだろう。
いや、ひょっとすると吾人が切符を見間違えたのかもしれない。もう一度切符が見たい。車掌が検札に来て欲しい所だが、ワンマンカーなので其れも無し。謎が謎を呼ぶ、正しくトラベルミステリーである。色色と考えている内に米沢に到着。件の彼は新幹線に乗ろうとしていたから、やはり郡山に行くのだろう。敢えて「つばさ」に乗ってみたかったのだろうとの結論に至る。
 米沢の駅前食堂で牛丼とビールの休憩。福島行きの普通に乗車。此の区間の昼の列車は此れ一本だから、格安切符の難所中の難所である。峠駅では立ち売りの力餅を入手。家人への土産も出来、此れで旅も終了といったところ。
さて福島から黒磯までは延延と701系。四両だが都会並みの混雑となる。何となく席には有り付けたが、足も延ばせないし、立ったり座ったりしながら速度計を見に行くことも出来ない。忍の一字である。そもそも吾人はじっとしていられない質なのである。年寄りでも乗って来ないかと思ったが、生憎乗客はみな若目の人である。99%の人が終点まで行くから車内は丸で動きがない。ちょっとした軟禁状態である。堪らず、目の前の女性に座って下さいと譲ったが、即座に固辞される。其れでも吾人は立ち上がった。暫らくして近所の中年女性が座ったようだが、なかなかこういう車中で会話というものも生まれないな。
 黒磯で上野行きに乗り換え。グリーンも付いているが多分混んでいるだろう。混んだグリーン車は空いた普通車に及ばない。十両編成なので密度は薄まった。栃木県内を淡淡と走ると、また直ぐに混雑する。温泉や山帰りの御客である。よく此れだけの人が首都圏には居ると毎度のことながら感嘆す。
赤羽駅途中下車。今回は夜の支出が少なかったから、案外とお金が残った。改札外の「とんかつの和幸」に寄り、埼京線で帰った。併し関東も涼しい。家人によるとずっと梅雨のような天気だという。世が世なら冷害だな。併し数日も管理しないと、更に草が伸びた感じ。陽はなくとも水があれば草木は育つ。明日からも休みは続くが、兎に角ずっと草刈りの予定である。駐車思源。いえいえ、其れには及びません。


8/14・月
 朝から「リゾートしらかみ2号」に乗車。東日本自慢の観光列車である。乗るなり、目の前で津軽三味線の演奏会。併し猫を飼うようになって以来、どうにも三味線は気に掛かり演奏には集中できず。終了後車内検分に出る。2号はキハ48という古い気動車を改造したもの。何だかのっぺりした顔をしていて、頭にちょんまげのような物を乗っけている。さながら商家の若旦那のような感じ。中にはコンパートメント席などもある。併し多くの乗客が退屈した表情で乗っているのが宜しくない。海が見えるまでは前奏の積りなのであろうが、何も本を読んだりゲームをすることはないだろう。大体そういうことは、いつでも出来る。旦那も警笛を鳴らして少し怒った方がいい。
 車内販売も来たので、早速「故郷巡り・あおもり弁当」(1050円)を購入す。県内各地の惣菜が一口ずつ纏めてあり、つまみに最適である。途中の千畳敷で観光停車。多くの乗客が這い出すと、海岸は人でいっぱいとなる。四両の輸送力というものも侮れないと思った。観光名所なだけに、民宿が屋台を出して焼き烏賊などを売っている。一瞬で売り切れた模様。青森の人は商売っ気がない。
 まあこういう観光列車による列車観光も悪くないと思った。車内販売もあるしね。奇岩名勝を潜り抜け、十二湖までには車内は閑散とす。吾人もあっちの席、こっちの席と移動しながら車窓を愉しんだ。東能代で進行方向が変わる。ガチャンガチャンとシートも回転。昔の急行はボックスシートだったから、こういう面倒は無かった。何しろ当時は多層建てという列車が沢山走っていたから、方向転換も多かったことだろう。能代辺りから普通の御客も乗って来て、観光列車と言う感じでなくなる。何しろ奥羽線は本数が少ないから。となると、どの御座席も二回転はした計算である。指定料金は一席520円だから、結構稼いだな。
秋田定刻到着。五所川原から四時間近くかかったが、普段以上に少しも退屈しなかった。やはり車両がいいと、気分がいい。併し特急を含めて羽越線に接続列車は無し。実に一時間半も待つことになる。という訳で、駅前地下街で稲庭饂飩休憩。併し何しろ朝から飲んでいたから、酒類の注文は出来ず。呑み鉄と言うのも楽ではない。
 そしてやはり酒田や鶴岡にホテルは無し。併し鶴岡を過ぎると大きな街は暫らくない。民宿や温泉宿などはあるのだろうが、何しろ一人だからね。となると次は村上か新発田である。秋田から延延五時間。海を見ながら行くこととす。という訳で漸くスマートフォンで宿に予約を入れた。便利と言えば便利である。
日本海側は晴れていて気持ちがいい。幸い、701も空いている。大きな山は鳥海山。島は飛島かな。其の内に佐渡も見えてくる。此の区間は本当に絶景続きである。秋田からは家族連れとずっと一緒。旦那さんも頻りに喜んでいる。
酒田でキハに乗り換え。庄内平野を過ぎると西日は夕日となる。鼠ヶ関駅辺りで本日の太陽も勤務終了。海辺ではキャンプなどもやっている。海水浴同様、吾人には縁がないイベントだが、焚火をしているのは好いことである。是非吾人も揺れる炎を見ながらウイスキーを飲みたい。尤も此の時期は麦酒だな。
辛うじて笹川流れまでは残照があったが、桑川で「いなほ14号」に抜かれていると真っ暗となる。こうなると車窓からは何も見えず。あと一時間。乗り鉄も楽ではない。当初は元気だった家族連れも流石に静かになる。旦那さんは安い発泡酒を飲んで気を紛らわせている。其れに何だか目が落ち窪んだように見えた。元元外国の人だから、そんな感じだったのかもしれない。
 新発田到着。20時24分。吾人の旅程は此処で終了。朝の9時半に五所川原を出たから、十一時間はレールの上か、駅ビルかホームに居たことになる。いやあ良く乗った。一方の四人組は大急ぎで新潟行きに乗り換えて行った。御苦労な旅である。
駅近くの安ホテルに投宿。部屋は無駄に広いが、設備は古い。壁紙は張り替え、ベッドは新品を入れるとして、ユニットバスの取り換えなど出来るのかね。西洋式の鉄筋コンクリートだと改修も容易ではないだろう。結局ホテルというものは最新型が一番良くて、以後急速に価値が下がることになる。どんどん建て増ししている新興のビジネスホテルチェーンなどは、其の辺の事をどう考えているのだろう。同時期に建てたものが一気に古くなる筈である。
駅前はチェーン酒場以外は開いていない。少し覗いて見たところ、矢張り同窓会客で超満員。みんな里帰りして飲むのだね。従って、ひとり酒の雰囲気ではない。胃の調子も良くないので、コンビニの冷やし中華に缶ビールを一つ飲んで御仕舞。詰まらない晩である。


8/13・日
 早速駅に参る。と言っても駅の真上に泊まっていたのだから、其のまま階下に行くようなものである。昨日購入した「北海道・東日本パス」は、青春18きっぷの東日本版のような物で、JRの他は一部の第三セクター線にも乗れる。東北本線の経営分離に伴う救済策のような切符でもある。連続七日間有効で10850円だから、東北を巡るには都合がいい。
 9時35分発の花輪線直通大館行きに乗車。好摩までは旧東北線、現岩手鉄道線を走る。花輪線は、中中縁遠くて、今回初乗である。一度五能線を秋田側から乗り進め、深浦の寒い旅館に泊まり、弘前から大館まで「かもしか」という特急を仕立てて乗ろうとしたことがあった。併し肝心の特急が雪で遅れて寸でのところで乗り継げず。鹿ならば雪の中でもぴょんぴょんと走って行って欲しいと大いに落胆したものである。そんな「かもしか」であったが、後後にヘッドマークに描かれた鹿の絵が、かもしかではなく蝦夷鹿ではないかという重大な嫌疑が掛けられたことがあった。何でも角の形が違うそうである。鉄道と動物の両方に詳しい人というのも稀に存在していて、間違いを見つけたのだろう。正しく看板に偽りあり。
 そもそも「かもしか」は羽越、奥羽線の特急再編によって生まれた列車で、今は新型の「つがる」となっている。当初から短命を予定しており、だからヘッドマークも適当なやっつけ仕事だったのかもしれない。まあ、絵付きのマークと言うものも今はないから懐かしい思い出である。其の晩は宮古に予約を入れていたので、延延と次の列車を待つ訳にもいかず。盛岡までは高速バスで移動した記憶がある。
あれから実に十余年、漸く乗る機会を得た。二両のキハは席が概ね埋まる程度。帰省客等を小駅に配りつつ進む。八幡平までは高い山がなく、開けた感じ。何となく本州離れした感じの景色が続く。途中から山が迫って来て、普通の風景となる。
 兎角、御荷物扱いされているローカル線であるが、放っておいたら家で脱線転覆しているような吾人をレールの上に戻し、態態新幹線にも乗らせ、直営のホテルにも泊まらせている。使用しているのは格安の乗車券だが、全体としては元が取れていると解釈すべきである。採算性を精査するなら、そういう所まで計算して欲しい。
十和田南で方向転換。併し十和田湖に向かうバスは既に廃止。売店も駅蕎麦屋もなくなったそう。構内も無駄に広く感じた。ラストレールには当面ならないだろうが、ラストキオスク、ラストバスルートは既に多数存在している。益益将来が不安である。観光列車でも走らせるしかないな。盛岡管理局、現盛岡支社はどう考えているのだろう。
 大館定刻到着。此処で一時間待ち。駅前の有名駅弁食堂は長蛇の列。バスターミナルに食堂が併設されていたのを思い出したので行って見る。店は健在。而もバス会社直営のよう。白い割烹着を着た御婦人方がきびきびと動いている。丸で昭和の学生食堂だと思った。朝昼営業なので御酒類はなし。健全食堂である。御客はひっきりなし。ひょっとしたら路線バスの売り上げより多いかもしれない。田舎のバス屋さんは色色副業をやらないとね。
 さてさて駅に戻る。二両が来るか、四両で来るか。運命はダイヤ管理者に委ねられている。愈愈やって来た。列車は正面から近づいて来たのでよくわからない。あー、二両である。と言っても奥羽線では乗客も高が知れているようで、楽楽乗車す。
クモハに乗ったのでモーター音が凄い。ヒューヒューと言いながら加速した後は、キーンという音をずっと立てている。常時百キロ近くは出しているな。田園都市線小田急線の急行よりよっぽど速い(何しろ駅が少ない)。山と田んぼと、所によっては海。大きな窓と開けっ広げな車内と轟音(ガタンゴトンと言うジョイント音を含む)。701系も登場から二十年以上は経ったか。東北地方を代表する車両である。オールロングシートという割り切った構造の為か、当初から評判は芳しくないが、景色が良く見えるから、吾人の評価はそれほど低くない。まあそれも空いていればの話しである。
 弘前で少しだけお城を見て、五能線に。まだ一時間近く待つが、ホームのベンチで缶麦酒休憩。適度に列車の出入りがあり、全く退屈しない。入れ替え信号に従って、行ったり来たりしながら三両編成のディーゼルカーが入場。17時06分発の深浦行きである。漸く此処で古いキハと出会えた。三両編成は真ん中だけ例のたらこ色。エンジンの上に腰かける。すると何だかアイドル音が変だ。ゴロゴロガタンと変調する。何処か具合が悪いらしい。何しろ古いからな。此の車両もいよいよ引退が決まったという。ただ力行すると変な音は収まった。林檎畑の中を一時間弱進み、五所川原到着。本日は此処で終了。
 今日の宿はサンルートチェーン。昨日より三千円は安い計算である。盛岡と五所川原では地代が違うだろうから、部屋は此方の方が広い。そもそもビジネスホテルとシティーホテルは何が違うのだろう。一説には収入における割合の違いだと聞いたことがある。詰まり前者はほぼ寝るだけ、後者はレストランや宴会などの宿泊以外の収入が一定以上あるのだと。当然宿泊自体費も後者の方が高いのだが、何よりもの違いを見付けた。其れはサニタリー関係である。前者は大人用の御丸サイズなのに対して、後者は一般家庭並みの大きさであった。ベッド回りなどは大差がないが、此れだけは歴然としていた。
 お盆なので大半の店が開いていない。フロントの人に聞いて、営業中の居酒屋を紹介して貰う。さて青森まで来たら行き成り日本酒である。「田酒」と書いて「でんしゅ」と読ませる銘酒がある。早速注文しようと思った。併しどうにも吾人には訓読みを重ねる習慣がある。一度徳島に行った際、眉山を「まゆやま」と言って仕舞い、呆れられた覚えがある(此の時は本当に知らなかった)。日本酒はよく飲むから、田酒の読みは十分知っていた筈なのに、ついうっかり口から出たのは「たざけ」という音、いや訓である。途端に店の人に聞き直された。
 店内は同窓会等等で大混雑。元元胃もざらざらなので、放っておかれるのは却って都合がいい。其処でカウンターにあった『太宰治と旅する津軽』と言う本を読む。此の辺りは太宰ファンには聖地に準じる扱いなのだろう。百閒と太宰。丁度対極だな。太宰は作為として破滅型小説家を目指したのに対し、百閒先生は官僚的、教員的、鉄道的正確さを以て、捧腹絶倒、唯一無二な人生を歩まれた。中中お亡くなりにならなかった点も。


8/12・土
 未明に何やら騒がしい。どうも駐車場にあるオートバイを出そうとしているらしい。夜中に動かすのだけはやめて欲しいと思っていたところ、暫らくして見ると巡査が来ている。誰かが通報したのだろう。何も110番までしなくてもと思う次第だが、こうなると家主としては出て行かざるを得ない。巡査と一緒になって、夜は御酒をよく飲んで寝るようにと指導す。併し酒が切れた吾人はもう眠れない。
 起きたままで駅へと向かう。まず始発の東急線に乗る。途中で丸ノ内線に乗り換え。車内は大荷物を抱えた人でいっぱいとなる。物凄い数の人が東京駅を目指していることが分かる。そもそも此の時間に東京駅に来られる人と言うのは相当限られる。にも拘わらず此の大人数である。ニュースによると下りの指定席は軒並み連日売り切れだという。扉が開くなり血相を変えて走り出す人人は自由席なのだろう。
 旅人の心理には被害妄想的なことがあるのは重重承知している。詰まりみんながみんな同じところを目指しており、激的な混雑になるのではと考えたがる。併し今回ばかりは杞憂とは言えまい。吾人も何だか段段急ぎ足で新幹線ホームに向かう。丁度一本前の盛岡行きが出る所だった。ほれ見たことかと、デッキはおろか通路まで人でいっぱいである。今年の帰省ラッシュはやはり凄い。
尤も吾人が乗る予定の「やまびこ201号」仙台行きは全駅停車の「こだま」、詰まり昔の「あおば」タイプ。各戸口には二十人は並んでいたが全員着席して、6時20分に無事出発す。当然立ち客も無し。やはり杞憂であった。併し東北新幹線も本線は十両が基本。こういう時は二階建てか十六両フル編成の輸送力列車がないと捌けないな。一等車なども不要である。
 関東も東北もお天気は宜しくない。乗っているのは、昔の「はやて」型の車両である。此の車両は窓が大きくて助かるが、景色は霧が掛かる。どうにも太平洋岸は天候不順である。小山から小学生くらいの男の子が乗り込んで来て吾人の隣席も埋まった。併し此の子、席に着くなり背もたれを倒し、スマホのゲームに熱中している。乗り慣れた感じである。子どもの割りにどうにも感動が足りないと思った。大体吾人など、新幹線に乗ると言うだけで、前の晩から寝付けないのである。
 福島を過ぎた辺りで、漸く車販員がやって来る。「大変遅くなりました」と恐縮していたが、一体何処から現れたのだろう。見たところ仙台の人らしいから、まず上りの列車に乗り、途中で下りの列車に乗り換えて来たのだろうと思った。という訳で漸く此処で缶麦酒を一つ。
 二時間余りを掛けて仙台に到着。此方も小雨。杜の都と言うより霧の都といった感じ。駅蕎麦を食べた後は、仙台石巻ラインの特別快速石巻行きに乗り換える。此の列車は行けるところまで東北本線を走り、途中で仙石線に渡って行く。なお電化方式が違うからディーゼル運転である。而もハイブリッド方式と言う最新型なので、停車中はエンジンが止まっている。見たところ電車と大差がない。ただ床下に吊るしきれない蓄電池が客室に飛び出ており、数席分の座席が無くなっている。丁度それくらいの人が座れない。御客は立たせても、電池を下ろす訳にはいかないから仕方がない。
 それにあれだけ大きな電池を抱えても、走り出すと直ぐに電気が足りなくなるらしい。軽油を燃やして電気を熾こすべくエンジンが灯る。但し発電の為の一定のリズムだから、力行と惰行の区別がない。何となく調子が出ない。盛り上がらない映画か詰まらない先生の講義のような走りである。
 石巻石巻線に乗り換え。終点女川下車。吾人としては二度目の被災地訪問である。併し女川という街は原形を留めないほど破壊され、全く新しい街に作り替えられている。駅前には殷賑な商店街があるが、郊外のサービスエリアやショッピングモールと言った感じ。詰まり何が言いたいかというと、古い食堂の類はみんな無くなって仕舞ったということ。個人店では再建も容易ではないのだろう。つくづく津波というものが恨めしい。
観光食堂のような所で海鮮丼を食べたが、時間を無駄にするような所が何もない。併し次の列車まで一時間半もある。御酒でも飲めばあっという間だが、何しろ店が無い。そして何より雨が酷いので何処にも行けない。丁度石巻までバスが行くというので、少し戻ることにした。石巻も浸水被害はあったが、街並みは大抵残っている。駅近くの中華食堂で一服。もやしそばを肴に日本酒を飲む。先客の海鮮丼と混ざり合い、胃がパンパンである。後からやって来た石巻線で小牛田に移動。此処からは東北本線の旅である。やはり本線とはいえ、ぶつ切り状態は各社共通。一ノ関で強制下車。其の度に大荷物の乗客は右往左往す。気仙沼方面も乗り換え。見た感じでは大船渡線も結構乗っている。併し今となっては、気仙沼線気仙沼には行かず、大船渡線は大船渡までは行かない。JRも地元も鉄路の復活は諦めたらしいから、名が体を成すよう改称しなくてはならないかな。転換バスというものは本数は多いが、道路を走るから結構遅い。
 此処から先は二両編成となる。今まで四両で来たものが急に半分になるのだから、混雑は当然二倍となる。本当にぎゅうぎゅう詰め。困ったことになったと思った。時刻表を捲り、善後策を緊急協議す。すると北上始発の盛岡行きというのがある。盛岡に着くのは二十分遅いが、例によってどうということはない。這う這うの体で下車する。このように後続列車に乗り換えることを「段落とし」と言うらしい。こういう技は紙の時刻表でなければ生み出せないだろうな。何しろ全路線の全列車が手を取るように分かる。北上始発の列車も結構集客して、盛岡の少し手前で満席以上となる。既に超満員の先行列車はどうなっただろう。盛岡到着17時40分。
 今夜は「メトロポリタン」というホテルを奮発す。JR直営だから、謂わばステーションホテルである。高いホテルで元を取るには、部屋の滞在時間と睡眠時間を長くする以外に方法はない。晩は絶食。部屋に閉じこもり、昏昏と二夜分寝て過ごした。


8/11・金
 二年目の山の日である。一年目は丁度下水が溢れた日でもある。早速バケツで二杯ほど流した。低圧洗浄である。今日も異様に涼しい。一昨日は三十七度で、今日は二十五度。東北も寒そうだね。鶴岡だけホテルがない。調べてみると夏祭りか何かがあるよう。困ったな、では酒田にするか。其れに応じてダイヤも立て直し。泊まる街が少し変わるだけで、何通りも選択肢が出て来る。時刻表を捲り直す。何度も言うが、時刻表は紙に限る。


8/10・木
 続いて盛岡のホテルも予約す。朝から曇る。漸く体調も天気も平常に戻った。其処で墓参りに行くこととする。例によって一族を代表して吾人一人で参る。お盆にはまだ早いが、そもそも今日は義雄伯父さんの命日であり、また万代伯母の一周忌も近い。
 西武線に乗り、小平霊園に。何しろ昨年の納骨以来、ほったらかしである。草や葉っぱと格闘すること三十分。汗びっしょりとなる。線香を焚き、其方側に行った万代伯母の様子はどうかと尋ね、また衰え著しい老家人をもう少し頑張らせて欲しいとお願いした。しかし大きい都営墓地も人影はまばら。概ね墓の十軒に一軒は放置状態である。物故者は増える一方、墓守要員が明らかに足らないな。 
駅南口の中華屋で焼きそばビール休憩。其の後本務校に回航し、昨日行えなかった事務仕事等を行う。五時には退社。さてさて此れと言って行くところも無いし、会ってくれるような人もいない。自転車がないので、祐天寺の立ち飲みBまで徒歩連絡。何だか気の毒なほどに空いていたので、若い従業員と話す。何でもお腹の具合が悪いのだという。飲食業でそういうことを言われても少し困ったが、無下に退ける訳にも行かない。ヨーロッパの安い白ワインを大量に飲むと便が固くなるようだと吾人の経験に照らしたアドバイスをした。駅からはバスに乗って帰宅。八時過ぎ。東風が入り、夜は朝より涼しい。
併し電車に乗って気が付いたのだが、もう大きな荷物を持った人が右往左往している。山の日が三連休に当たる為であろう。案外此の祝日も役に立っていると思った。兎に角、一日でも一時間でも休みを多くする。其れが働き方改革である。


8/9・水 
 台風が残していった熱気と風で朝から大変な暑さに。八時の段階で三十度、昼には三十七度にもなる。昼前に西向かって水を撒く。
 昨夜は麦酒しか飲んでいないから、宿酔はないと安心していた。併し起きて数時間経つと、徐徐に具合が悪くなる。時差を付けてやって来たのである。午後は相当悪い。堪らず、本日欠勤す。まあ千寿で普段の倍は働いているから、正当な権利の行使である。以後蟄居謹慎。ラジオを聞いていると故障車渋滞多し。人も車も壊れる暑さである。夕方に一雨あった。夜はコンビニの冷やし中華に麦酒を一缶。
 ちなみに本日のヤクルト戦の観衆は二万二千。昨日は二万五千だったから、麦酒目当ては三千人といったところ。案外少ないな。半額でも持ち込みの缶麦酒よりかは高いからね。


8/8・火
 のろのろ台風は北陸へ。関東は幾らも降らず。次第に晴れて、例によって蒸し暑い。五所川原のホテルは確保。後はどうにかなるだろう。本数の少ない列車、人口の少ない街のホテルから確保していくのが、旅の基本である。
 雨後の筍がもう出て来た。選りに選って日本ファーストなのだという。国粋団体だよ。こりゃあ。また聞いた話によると、都民何とかの代表もとんでもない人らしい。萎むな、急速に。都議さんたちのボロはまだ出て来ないけど。
 今日も神宮球場麦酒半額デーである。先月は未遂に終わったが、本日は決行に至る。但しヤクルト対横浜と言う、吾人にとってはあまり関係のないカード。其の分、集中して飲酒が出来るというものである。参加者は月波君、客間君、かなり遅れて坪上君。チームオレンジ大学である。金曜会のおじさんたちには声を掛けなかった。五時半到着。屋台で買ったつまみ類以外の持ち込みは無し。後ろめたくないから堂堂と入場す。
客間君がヤクルトファンなので一塁側の外野席に陣取る。考えて見れば神宮には三十年以上は通っているが、此方側のスタンドには初めて来た。西を向いており、雲の間の夕焼けが綺麗。三塁側では見られないから得をしたと思った。其の内に、其の雲がもくもくと広がって小雨が降ったが、まあ大したことはなかった。
一杯350円の麦酒をどんどん注文す。周りも麦酒目当ての会社員多数。ボールパークと言うよりビアガーデンだな。野球の内容は何も覚えていないが、㈠国歌が流れた時はきちんと座って気持ちが良かったこと、㈡花火のあと煙と燃えかすが広がって来て、一種硝煙ショーのようになったこと、㈢グランドに落ちた燃えかすを拾い集める球場スタッフにヤクルトの外野手がそっと帽子を取って敬意を払った(ように見えた)こと、㈣大半の人が酔って騒いでいるだけなのだが、後ろの若いカップルが案外野球に精通していて、解説代わりになったこと等等、まあこういうことは実際に球場に行かなくては分からないことである。
 それにしても神宮球場と言うのは気持ちがいい。夕日も雨も虹も夜景も花火も楽しめた。持ち込み規制が緩いというのもいい。此れで普段の麦酒がもう少し安いといいのだが。大体500円ぐらいが適正価格というものである。ところで此処も建て替えるんだっけ。試合は九時きっかりに終了。その後坪上君お勧めの薩摩居酒屋へ。帰宅は十二時近くだったらしい。


8/7・月
 昨日以上に暑くなる。遅い台風は南紀に上陸。其れに向かって南風が吹き付け、異様に蒸す。今月の電気使用量258キロワット、前年比13パーセント増。七月が暑い割りに少なかったのは省エネ効果が出ているのだろう。
御昼過ぎに千寿に向かう。そろそろ何処かに出掛けようと思った。其処でみどりの窓口に参る。千寿のような大駅でも有人口は二つしかない。例によって長蛇の列。そんな行列を他所に、件の賢い機械で座席指定券を探す。「リゾートしらかみ2号」の四号車十番Dという最後の最後の席が残っていた。以後、此れに合わせるように、ホテルとダイヤを探していくこととなる。ただ何しろ最近は地方もホテルがないからな。過日の松江のようなことにならないといいが。
 煙草屋を改造した変な蕎麦屋で遅い昼食。九時前まで授業。高校数学も得意の関数に引き込んだので楽楽指導す。退社後は大橋のラーメン二郎へ急いだ。最後の最後に滑り込む。初入店である。併し麺揚げも最後になり、何だか茹で過ぎの模様。おまけにニンニクと野菜の申告のタイミングが合わず、店主に嫌味を言われる始末。まあ二郎も半年に一度程度だね。


8/6・日
 朝から異様に暑い。一切の外の仕事は不能。五号は九州南部に接近す。本日は土用の二の丑だそうだが、そもそも八月六日に鰻を食う気もしないな。夕方西の方に向かって水を撒いた。


8/5・土
 朝からF蕎麦に参る。夏の主食は麺類である。今朝はミニかつ丼も付けた。但しF蕎麦は御飯が極端に不味い。例によってパラパラのぼそぼそである。
取った蔦の片付けの他はゴミ拾い。最近激増しているのがプラカップゴミである。コーヒーか何かが入っていたのだろう。大抵中身が残ったまま置いてある。此れをトングで横にして、慎重に踏んづけ、中身を出してから回収す。つくづく面倒臭い。大体片づける人のことの少しでも思えば、きちんと飲み切ってから放置する筈である。公共心がない人が余りに沢山いて本当に困る。またあの手の飲物の氷がそもそも多すぎるのも原因の一つである。溶けた氷がどろどろ水となって見た目も極めて宜しくない。
 愈愈蒸し暑い。台風五号は奄美を直撃。併し関東は一切無風である。何だか呼吸困難になりそうなほど。二十九度の設定にし自室に引き篭もる。昏昏と午睡す。夜はちらし寿司を解凍して御仕舞。


8/4・金
 朝方は空き家の絡まった蔦を払う。ついうっかり電線を切ろうとして仕舞い、ひやりとす。関係各位は御注意あれ。午後千寿校に出校。今日からこっちの講習である。例によって複数の学年と科目が交差していて、時間割もモザイク画のように複雑である。三時から九時までずっと授業。特に最後は高校数学。というのもSさんが戻って来た。Sさんは中三の時に少し教えただけだが、高校に上がった直後に病気になったと聞いていた。漸く回復し、再び習いに来たのである。
 此処で思い出すのは、本務校にいた春菜のことである。粗暴な子で、よく悪さをして怒られていた。体格も立派だったので、将来はプロレスラーにでもしようと思っていたところ、中三の夏に難しい病気に罹り、丁度其の一年後に亡くなった。見舞いに行く度に、元元は大きな体が小さくなって行く様は、如何にも可哀想であった。暑い中、葬式にも行った。こうなることが予め分かっていたのなら、嫌な勉強などさせずに、美味しい物でも食べさせてやればよかったと後悔したものである。
彼女は、其の春菜に生き写しまでとは言わないが、結構似ているので(頭と性格は全く違うが)、尚更心配していたのである。入院生活は一年に及んだそうだが、まあこうして元気になったのだから万事佳かった。
併しいざ教えるとなると話は別である。行き成り大学の過去問を持って来られて閉口す。数学の奇襲攻撃だけはやめて欲しいのである。平政君に丸投げしようかな。まあ勉強が出来るのも命があればこその話しである。げんなりして退社。月波君と客間君が飯田橋で待っているというので回航す。二人で「おけ以」に行ったとのこと。立ち飲みBで軽く飲み、小諸蕎麦で締めて帰った。ちなみに今晩話題になったのは歌手上がりの女性参議院議員グリーン車での密会が週刊誌に出た人物である。100系新幹線があれば、グリーン個室があるので、何をやってもばれなかっただろうということに。それこそ車中で一線を超えることさえね。でも東海は意地でも作らないだろうな。


8/3・木
 今日も曇って涼しい。所謂やませである。朝方草取り。昼は家人が拵えた冷やし中華。以後昏昏と午睡。例によって内閣改造。バランス重視の地味な変更である。そもそも組閣に驚きを求めること自体、何時から始まったのか定かではないが、変な話しである。其れに何しろ大臣を代えても、内閣総理大臣が代わらないからね。よって取り立てて言うことも無し。ただAも愈愈顔色が優れないように見えた。此れは希望的観測と言うやつかなあ。
夕方築地で火災。所謂、場外の古い住宅兼店舗が燃えたよう。密集している上に看板が邪魔で放水できず。毎回毎回、古い街はこうなるから再開発が必要なのだということになる。併し築地と言うのは一度も行ったことが無い。吾人としても意外に思う。何しろ朝の街だからかな。其れに銀座で朝まで飲み、築地で朝飯だなんて一生縁がなさそうだし。戸越銀座があるのだから、○○築地と言うのも作って欲しい。


8/2・水
 未明と早朝に地震。関東もかたかたと横に揺れた。空気が入れ替わり、割とさわやか。外に出て見ると、もう秋の雰囲気である。つくづく今年は天候不順である。
 御昼に出社。中学三年生には、スマホばかりやっていないで、(スマホアプリのラジコで)ラジオを聴きながら勉強しろと説教す。其の際、件のラジオCMも聞かせてやった。大体音の世界から想像力が高まるのである。吾人が幼少の頃など、ポルノビデオなどはなく、ポルノカセットテープで想像力を養ったものだとは言わなかったが。音声だけのそういうものが存在していたと記憶している。金参万円受け取る。
佐渡屋が移転オープンしたというので、鶴木さんらと出掛けて見る。前店より巨大化して、収容人数も大幅増。よく二ヶ月で再開できたと感心す。以前はカウンターしかなくて、中中入れないことも多かった。今後は常連の座を回復するかもしれない。ただ店が出来たのは住宅街との境目。大人しく寝ている近隣住民からの苦情が来なければよいが。繁華街にあった個人店が四散して行くのは再開発の宿命である。尤も其れは、地権者や行政による暴挙の結果であり、店主らの責任ではない。
 帰宅後ぼんやりテレビを見ていると、次次とニュース速報が流れる。またテロか地震かと思ったが、組閣の顔ぶれが分かったとのこと。どうでもいいことで、態態人人の耳目を集めないで欲しいと憤慨す。夜は寒いほど。もう蟋蟀が鳴いている。窓を閉め切り、薄い布団も出す。


8/1・火
 森の夫妻は逮捕される。愈愈かつ丼の出番である。ただ本丸の国有財産大幅値引きまで捜査が及ぶかは不明。
朝から曇る。陽は出ないのだが、遠くの台風が水蒸気を吹き寄せ、異様に蒸し暑い。午前中は草との相互交渉。昼はスーパーの天麩羅と絵島蕎麦。午後から雨。室内で漫然とす。神奈川は大雨だったらしいが、都区内は大して降らず。それでも随分涼しくなる。晩食後は換気扇の掃除。