2019年5月

5/31・金

 まあまあの曇り。早起きして下りの電車に乗る。市が尾という駅でバスに乗り換え。というのも此の先のとある私立学校の入試説明会に出る為である。大貧学院から十数年振りに当該校への志願者が出たので吾人が様子を見に行くこととなった。いやしかし、遠いね。よくこんなところに三年間も、而も週六回も通えたねぇ。其れもなんとまあ午前八時半にまでには。何を隠そう吾人の出身校でもあるのである。

 バスを降り、校舎内へ。偶に散歩で立ち寄ることはあったが、正当な理由で中に入るのは二十数年振り。例によって矢鱈と建て増ししてあるから何処が何処だかよく分からない。渡り廊下を延延歩いて説明会は十時開始。参加者は学習塾関係者を中心に百名くらい。まあまあ来ているね。割と気さくな校長が出て来て説明す。何時の間にか男女共学となり、何時の間にか中高一貫中等教育学校と高等学校の二層建てとなっていた(中学部を廃止)。以後、アクティブ何とかだとか、グローバルサイエンス何とかだとか、キャリア何とか教育だとかに力を入れていますというピーアール。校長先生は誕生日を迎えた生徒たちとライスカレーを食べるのだとも。あの学園も変わったね。時代の流れだな。勉強監獄のようなところでは生徒は集まらないもの。こうしたカリキュラム改革と共学化と入試方式の変更で受験生は増加傾向とのことである。説明会は一時間ほどで終了。以後来た道を元に戻る。もう少し思い出を探したかったけど、何しろ丁度一年前に来ているから。第一に、見つからない(2018年五月参照)。

駅前の「たかせ」で手打ちラーメン休憩。往路復路とも鷺沼で緩急接続。少し残念だったことはどちらも8500系に当たらなかったこと。高校時代はあの車両しかなかったよな(偶に営団8000系が来たか)。色色と感慨にふけりながら一旦帰宅。午睡の後、本務校に出校。本日の最終コマは中学二年生の数学。久久にやる気もこん気も無い生徒が入って来る。いやしかしね、激昂する訳にもいかないから何とか指導す。進学校の説明会に行った晩には一段と疲れたよ。「クルや、お前は利口だね。猫と雖も利口な方がいいよ。人間には利口でないのがいるんだよ」(百鬼園先生)と嘆くのは簡単だが、何かしら彼らに届く言葉を模索する日日である。今度牛丼でも喰わせるか。と言う訳で吾人も職務に精励いたしております。私学も塾も客商売だからね。退社後は中華とBで中量飲酒。こうして五月も終了す。

 

5/30・木

 すっきりとした晴れ。更に梅仕事。物干し竿で叩くと大量に落下。家人はうんざりしていたが、今年は大豊作である。午後出社。Bで二三杯。

百鬼園先生の日記が届く。戦時下でのタクシー出社の多さに驚く。概ね18年の秋頃まで。あと血圧が高い。BD170、N1注射とか。後者は降圧剤のことかな(百鬼園血圧手帳!)。いやしかし、本物の空襲警報が鳴る(19年11月1日)より前の記述は実に簡素である。空襲開始以後、日記の量が激増することとなる(此れらを纏めたものが『東京焼盡』)。其処に異常が日常化して行く過程を書き取ろうという覚悟のようなものを感じるね。百鬼園先生は立派な記録文学者である。

 

5/29・水

 未明は時折大雨。以後まあまあ曇る。引き続き梅仕事。防草シートを置き、揺すって落とす。大量である。また拙宅から数番目のスーパーがリニューアルされたというので見に行く。大して変わったよう見えず。例によってセンター納品ばかりがある。折角なので鰆の切り身を買って帰った。寒気が入り夜は一雨。

 

5/28・火

 まあまあ雲が出て来る。異様な炎暑は終了の模様。登戸で通り魔事件。百鬼園先生の戦前戦中日記が出版されるというので早速注文す。『東京焼盡』の前の部分。今まで出ていなかったのが不思議である。午後は小雨。草取り少少。梅仕事は二瓶目。夜は涼しい。漸く人心も落ち着くだろう。

 

5/27・月

 さてさて本日は池袋の眼科に参ることに。祐天寺までバスで出て、メトロ直通の東横線に。此の駅から上りの列車に乗るのも久しくないことだと思った(うっかり下りのホームに行こうとした)。以後エレベーターを探して右往左往。ベビーカーの女性陣と同室しながら進む。池袋のような大きい駅でも長いホームに一つしかない。階段の時代に比べれば格段に便利にはなっているのだろうけど、やっぱり不便だなぁ(今まで気が付かなかった)。目標のかなり手前で地上に出る。すると家人はもう道が分からないという。吾人の記憶を頼りに進んだ。よろよろと歩いて漸く到着す。

此の眼科は家人の数十年来の掛かりつけで、吾人も小学生の時分は近眼治療とかでしばしば来たものである。確かこめかみに電気を当てていた(今から思うとあの治療に何の効果があったのだろう)。ちなみに先月から新建物になった。お祝いに家人は幾らか包んだよう。診察はまあまあ直ぐに終了。緑内障の検診だけだから。

来た道を早速戻る。メトロは往路復路とも空いていた。国電より30円高いからかな。元元渋谷と池袋を結ぶものは山の手線しかなかった。其の後貨物線に乗り入れる形で埼京線湘南新宿ラインが走り出し、そして13号=副都心線が新造される。輸送力は実に三倍に伸びた筈だが、山の手は結局何時も混んでいる。つくづく何処からこんなに沢山の人が湧いて出てくるのだろう。

祐天寺の「来々軒」で遅めの昼食。行って帰っただけで三時間半。遠回りの上、よたよた歩きだから通常の倍は掛かった。次回以降は家人一人で行けるよう、エレベーターの経路を叩き込ませる。帰宅後家人はぐったりと。随分と体力が落ちている。年末以降あんまり動いていないから。吾人も午睡す。何しろ今日は三十三度もあった。夜はスーパーの惣菜。ぼんやりしていると大量の消防車と救急車が。御向かいのマンションで何かあったよう。警察も来ていた。単なる救助要請ではないかもしれない。夜半前の事である。

 

5/26・日

 昨日同様の晴れ。異様に暑い。行き成り真夏と言ったところ。千葉方面に雷雲無し。神の不在証明。終日出たり入ったり。途中散髪す。昼はてんやの天丼。夜は家人の冷やし中華。中日は神宮で三連勝。怒鳴りに行く必要はなかった。でも相手チームが弱いだけだな。ヤクルトは十一連敗だって。

 

5/25・土

 異様に晴れて異様に暑い。朝から富士そば。今日はラーメンではなく天ぷらそばの気分。一方家人は熱心に体操している。若い先生に叱られて、少しはやる気になった模様。こういう効果はあったな。昼はスーパーの弁当。当然使い捨てのトレーに入っている。色とりどりで見た目はいいがまた大量にプラスチックを費消す。ちなみに世田谷区は砧か千歳船橋でみんな燃やして仕舞う。まあ元元プラスチックの原料は石油精製時の副産物だからね。でもまあ使わないことに越したことはないか。

少しずつ梅仕事。今年は豊作の見込み。まず一瓶漬けた。晩は別のスーパーの牛肉を焼いて食べる。北海道の交雑牛と岩手の黒毛牛。どちらもまあまあ及第点。大相撲は千秋楽を待たずして優勝が決まる。地上波では「インディペンデンスデイ」をやっていた。一応何処かの国の大統領は世界の為に尽力していた。全ては懐かしい。

 

5/24・金

 目より腰を早く何とかしたい。近所のクリニックは何もしてくれない。ならばと、結局近くの大病院に参る。亡父もお世話になったところだが、当然今回は救急車ではなく、紹介状すらも無い。朝からバスを二区間乗り、以後整形外科の前で只管待つ。凡そ一時間で漸く診察。吾人より年下の医師は、歳なんだから仕方がないと取り付く島もない感じ。其れでも一応レントゲンを撮る。更に待つこと一時間弱。見たところ脊椎は経年劣化で処置が無い。周りの筋肉を鍛える以外に治療法はありませんとのお応え(同じ診断結果)。なお当院ではリハビリ指導は致しませんとのこと(紹介もしてくれず)。色色と体操のやり方を教えてはくれたが、本日の此の診察に何の意味があったのだろう。いや、そもそもこうなることは分かり切っていた。大体、腰痛が整形外科で治ったという人を知らない。

加算初診料を入れて2600円程度。会計を済ませたら十二時半。而もかんかん照りの三十度越え。院前の蕎麦屋に寄り、堪らずタクシーで帰宅。すると宅配便の不在票。一段と徒労感が増したよね。併し、病院で待つというのは動かない列車にずっと乗っている感じ。概ね二週間分の忍耐力を使い切った。

短い午睡と休憩の後、自転車出社。自由はいいが、何だかふらふらしながら辿り着く。折角行ったけど、先週の子は再び家から出られない状態とのこと。一週間で挫折したか。自宅警備生活は一年半。社会復帰はつくづく難しい。こうなると文部省より厚生省の管轄かもしれない。引き篭もり外来ってあるのかね。退社後は中華とBとIへ。帰宅は十二時半。ちなみにIは開店から六年経ったという。経営は低調だけどね。店主は冷たい物の飲み過ぎで医者に掛かったという。職業病である。常温のウーロン杯を献納した。帰宅は十二時半。猫を追いかけ回したが一匹も寄って来ず。

 

5/23・木

 日本人も巻き込まれたダッカのテロ事件を引き起こしたとされる人物がイラクで拘束。日本の私大でも教えていた人である。同時に出国していた日本人の妻と子どもはシリアで死亡していたという。一体此の家族に何があったのだろう。

 当分晴れ。今度は池袋の掛かりつけの眼科に行きたいと宣う。混雑が激しい山の手線に乗るのは厳しいな。となると副都心線だが家人は知らないという。何しろ家人の路線図は昭和五十年代で停止している。副都心線は勿論、埼京線湘南新宿ラインとかはない。地下鉄は半蔵門線丸ノ内線と銀座線だけ。目黒線目蒲線のままだし、東海道線横須賀線が分離されたことすら知らなかった。未だに頭の中には「あさかぜ」や「はつかり」が駆け巡っているのだろう(若い頃にはよく乗ったらしい)。

 税理士法人から書類が送付される。相続税の申告書と遺産分割協議書等等。以後膨大な書面に只管署名捺印す。家人の分と二人分。混同しないよう付箋は色分けされているが、結構緊張す。押して押して書いて書かせて一時間掛かった。ちなみに納税額580万、税理士報酬130万。万代伯母の時より全然少ない。「やすらぎの刻」で涙腺を緩ませた後は、オリジン弁当。朝から何も食べてなかった。午後出社。金参万円受け取る。退社後はBと中華。途中彩さんと擦れ違う。少し立ち話した。

 

5/22・水

 公共放送も朝ドラの土曜日放送は止めるのだという。漸く完全週休二日制だな。此れを機に土曜日の夕刊も止めよう。土曜日は赤くして、金曜日を半ドンにして青くしよう。何とか改革で支持率アップ間違いなし。何なら解散して信を問うても良い。

 朝から晴れた。さてさて家人は小杉の大病院へ行くという。超軽量シルバーカーのデビュー戦である。吾人も途中まで随伴す。バスの入り口は持ち上げてクリアー。但し料金箱の横はすり抜けられず。06系統は中尺車だからね。抱えて降りて東横線の改札まで見送った。此れで混雑時と雨天時を除いて外出可能かな。問題は大病院である。何しろ天気までは予約出来ないからね。徒歩で帰宅。それにしても必要な物はベビーカーよりシルバーカー、出すと言えば(結婚式では無くて)葬式ばかり。こんな筈ではなかった・・・。ちなみに改札脇にあったレストランは既に閉店していた。僅か半年程度。市場調査が甘いな。駅にはイタリアンより立ち蕎麦屋が必要である。夜は立ち飲み併用にすれば二倍儲かる。

昼は外に出た。偶にはラーメン新店に。目の前で炙ったチャーシューを切り出してくれるラーメン(800円)。但し麺が小加水。なかなか三拍子そろったものには出合えない。奇をてらわずに何時もの「せい家」にすればよかった。帰宅後「やすらぎの刻」。今週は現代に戻っている。入居者の一人、大納言さんは愈愈危篤状態に。こういうシーンは辛くてまだ見られない。堪らず他局にエスケープ。

午後は映画「リベリオン」。感情を持つことが禁止された未来社会。反逆を誓った主人公は独裁者=ファーザーに闘いを挑む。典型的なディストピア映画だけど、実態は低予算のガンアクション+チャンバラ映画。こんな作品を見る筈ではなかった。ケーブルテレビも碌な物をやらないな。前にも書いたけど、現代版の管理社会に中心というものはないんだよね。

なお家人は四時前に帰宅。まあまあ歩けたが大病院は予約をしていても二時間待ちだったそう。待つのが一番草臥れたと。以後昏昏としていた。夕方吾人が買い物には行ったが大したものが売っておらず。結局保存食頼み。鮭の缶詰の他には、不味い冷凍餃子を残った塩ラーメンのスープで茹でて食べた。万事に精彩さを欠いた一日。一方、中日は最下位まであと僅か。此れでは中日新聞ではなく中日銀行である。こうなることは分かり切っていた。返す返すも何の補強もしなかった首脳陣は何を考えているのだろう。近近に神宮球場に怒鳴りに行くかな。

 

5/21・火

 屋久島を水浸しにした低気圧が関東にも来て、朝から大雨。風も吹く。所謂メイストームだな。夕方には漸く止んだ。早速遺棄された傘の回収と空き家の点検。新型シルバーカーも届く。二万円弱。当然メードインチャイナ。まずは習熟運転である。

 JR九州の大株主はアメリカの投資会社だという。沿線自治体からは不安の声が挙がっている。何しろ西武鉄道の件があるからね。東海はどうなんだろう。何処かが買い占めてリニアを止めさせて欲しいものだが。此れは健全経営と株価の維持のために必要な措置である。何しろ新幹線でも建設費が異様に増加していて、単線での建設も検討されている始末だからね。

 昼はレトルトカレー。方方の残り物を集めてゼロ円晩食。映画「続深夜食堂」を見た後は、プロ野球中継。此の時期は地方球場開催が多い。本日のドラゴンズは三次である。見たところ青い人はレフト側に僅かばかり。超圧倒的少数派。一度こういう立場になって見たいね。いやしかし、昨年の豪雨で橋桁を流された芸備線は復旧していない筈。其れでも観客席は満席状態。みんなマツダのクルマに乗って来たのだな。

 

5/20・月

 朝から出張所に参り、印鑑登録証明書の交付。直ぐに税理士法人に発送。愈愈相続の最終段階だそう。システム更新のため午後臨時出社。三時きっかりに担当者が来る。本店のサービス部から御足労願った。大貧学院を相手にしても大した手数料収入にならないから大変恐縮する。変更は一時間ほどで終了。冷静な頭とよいマニュアルがあって、もっとゆっくりやれば吾人にも出来たかな(負け惜しみです)。ちなみに何とかテンの新型パソコンにシステムを丸ごと移行しようと思ったけど、此方は専門家でも出来なかった。当分はセブンを使い続ける事になりそうである。

 さてさて明るい内に本日退社。久久に碑文谷を巡る。立ち飲みBの支店は閉店していた(繁盛してたのにね)。其の隣の古本屋は収穫無し。高架下の魚屋で鰹刺し、少し離れた鳥屋で唐揚げと焼き鳥を購入。ところで閉店したレンタルビデオ屋は学習塾になっていた。遥か以前、吾人も少し勤めたことがあるチェーン塾である。此処だけの話、営業が主体の酷い所で、詐欺同然とは言わないが、半分くらい詐欺みたいな個別指導塾である(半額程度ならいいけど)。悪徳塾は栄えるなぁ(此れで上場会社だそう)。立ち飲み屋や魚屋や焼き鳥屋のように色色巡って確かめる訳にも行かないからね。ついつい広告と営業に乗せられて仕舞うのだな(塾選びは慎重に)。

 録ってあった「呑み鉄本線日本旅=九頭竜線長良川鉄道編」を見ながら飲み始める。元元は国鉄越美北線と南線。どちらも未乗である。此処を繋いでいたバスは結構前に廃止された。出演の個性派俳優はさらっとタクシーで移動。幾らだろう。皆さまの受信料で行ける人はいいね。夜から段段雨。

更に民間放送で、マレーシア航空機失踪事件特集。元日航機機長の航空評論家による推測を元に構成された内容。マ機長による集団自決説(現在のところのまあまあの定説)を採りつつも、途中で政府と交渉していたという新説を披歴。マ政府は何かを隠していると。うーんどうなんだろう。ヒラ文で通信していたら誰か聴いているよね。一種の陰謀論だなぁ。どちらにしても何を以てしても、飛行機は危ないと言うことである(クルマもね)。

 

5/19・日

 駒沢公園で麺類が食べられるというので出掛ける。「乾麺グランプリ」というイベント。乾麺とは何だか派手さの無い大会だね。具沢山なものは500円、そうでないものは300円。まあまあ御客は来ていたけど、どのブースも待ち時間はゼロ。調子に乗って、うどん、そば、中華、素麺と食べ進めたら胃がパンパンに。合計1600円。乾麺は安いね。直ぐに帰宅。今度は自転車の後輪カバーが破損。金属疲労で折れたみたい。愈愈あと二三年かな。

 

5/18・土

 三日目のワイシャツに袖を通し、朝から住宅メーカーの本部に赴く。新宿の高層ビルに参る。例によって昴ビルが無くなっていて吃驚す。さてさて本日は建築士さんを交えての打ち合わせ。微細な設計変更の報告と承認の後、まずは周りから決めましょうと言うことになる。外壁や屋根の色を検討す。樋は此の色、バルコニーはあの色と決め進めて行く。いやしかしね、こうして色色と討議をしていても、今一つ現実感がないな。あの空き家を叩き壊し、整地して、本当に半年後にはこんな立派な建物が建つのだろうか。いや、そもそも本当に実父は死んだのだろうか。其れに拙宅に本当にそんな大金があるのだろうか(通帳と言う紙切れに打ち出された記号でしか見たことがない)。未だに半信半疑と言うか、一種の夢心地である。続いて膨大な委任状と確認書類への署名と捺印。建築家の仕事の半分は許認可絡みだね。打ち合わせはたっぷり二時間弱掛かった。次回は三週間後。今度は中を決める予定となる。

 少し現実を取り戻そうと「岐阜屋」へ。一皿400円の蒸し鶏を当てに、一本630円の大瓶を飲み、650円の炒飯で締めた。表に出るともうくらくらと暑い。大量の外国人観光客(此処は外国か?)。其の中をパンツ一丁の男性が段ボールを抱えて歩いている。駅前では「社会の不条理を糾す会」と言う右翼団体が割と地味めなアジ演説。其れをじっと見つめるスーツ姿の男性は公安警察だな。いやしかし、色色な現実が交錯するね。流石大都会である。早く世田谷に帰りたいと思った。相変わらず混んでいる国電で其のまま帰宅。以後ぼんやりしていると、須見伯母が来る。早速低木の剪定。

 

5/17・金

 例によってゴミの分別と草取りと排水管の点検。こういうものは永久に機械化出来ないな。エーアイ?  シンギュラリティー? ベーシックインカム? 大丈夫、人間の仕事が無くなる筈がないよ。問題は需給のバランス。詰まり賃金である。

午後出社。例によって、引き落としのデータを送信しようと思ったら、何度やってもエラーが出る。困ったな、こういう作業はほとほと苦手である。汗びっしょりになって解明す。あちこちに電話して聞いて回ったところ、新システムに移行したので旧来のものでは送信出来ないらしい。確かにそんな契約をしたよね。実に忘れてた。いや忘れたかった。大量の新マニュアルが送り付けられてきたけど漫然と放置していたよ。詰まり此方の不作為と言うことなのだが、そもそもこんな不要な契約をした無責任社長が頗る悪いと思った。修正は来週へ持ち越しとなる。

げんなりしたところで中学三年生の個別授業。一年半前に辞めた生徒が戻って来た。此の間学校にも通っていなかったらしい。此処の子の場合は親(特に父親)が過剰な期待と干渉した為に潰れて仕舞った模様(教育虐待)。少し見たけど、学力の再建は容易な事ではないと思った。勉強が出来ないとなると上級学校で再デビューすることがかなり難しくなる。中学校などに無理して通う必要はないとは思うけれど、其の分何か別の事をしていなくてはね。此処だけの話、大抵の不登校者はゲームかネット依存になり、寝た切り少年少女になるのですよ。学校が抜けた穴を埋めるのは頗る難しい。週休四日位の通信制中学校かトモエ学園中学部が欲しいところである。

 退社後は、おじさんたちを掻き集めて、久久に「安安」に参集。月波君も来る。持参してくれたカタログには多種多様なシルバーカーが色色と。専門家が使うカタログはやっぱり違うね。早速家人に見せた。

 

5/16・木

 朝から晴れ。早速新型シルバーカーの検討に入る。併し手元のカタログは介護用のもので、比較的重装備のものしかない。謂わば高級車である。介護保険適用外でもっと軽くて簡易なものが欲しい(軽自動車のような)。一応ネット上にはあるようだが、紙のカタログ、出来れば現物が見たいと家人は宣う。いやしかし、リアルシルバーカーショップってあるのかね。あったとしても行くこと自体が困難か。

午後出社。少し生徒が入って来て、まあまあ忙しかった。来月からは増便が必要かな。退社後はBと中華へ。どちらも店も新人さんが入る。みんな学生さんかな。

 

5/15・水

 未明にナニコレナニコレと叫んでいる人が居たので、どうにも断眠気味。ああいう人は通報されたのかな。最近は酔って騒ぐ人が少なくなる一方、頭により深刻なダメージを受けている人が増えているのかもしれない。正直吾人も怖くて見に行けなかった。

朝からまあまあのお天気。引き続き「私の東京物語」。其の六によると、小林何某の何とか宣言の影響は絶大で、Aさんが所属していた右翼団体にも入会希望者が殺到したと。国後島を戦争で取り返したいと言った議員も此の世代に属するのだろう。困った、困った、困ったよ。

 腰の悪い家人が、首下がり症候群で入院している鎌倉の伯母さんの見舞いに行くという。目的地は三田の大病院。此処へタクシーと地下鉄を使わずに行くとなるとルートは限られる。何度も図上演習した上で吾人も付いて出た。06系統を元競馬場の停留所で乗り捨て、98系統に乗り換え(此れだと僅かな平面移動で済む)。以後赤羽橋下車。あとは病院までは300メートルといった所なのだが、やはり家人は満足に歩けない。吾人のベルトに掴まらせてムカデのように歩いた。車載可能なシルバーカーを調達せねばならないと思った。

よろよろと九階の病室に行って見ると、丁度伯母の女学校時代のお友達が面会中。四者会談になる訳にもいかず、早目の帰宅となった。元来た道を元のようにして戻る。すると下校ラッシュに巻き込まれ、あらゆるバスは超満員に。乗れず座れず進まず降りられずの四重苦である。這う這うの体で帰ったら四時半。大したことをしていないのに三時間半も掛かった。いやね、此のルートは二度と使えないね。伯母にも早く良くなって貰わないと。代わりに家人を入院させるかぁ。帰宅後、低木刈り。吾人は平気だが、家人はぐったりと夕睡へ。晩はスーパーの惣菜を勢揃いさせた。

 

5/14・火

 Aは愈愈北と向き合うらしい。セーサイキョーカの一点張りだったものが華麗なる転進だな。それにしても自らが煽り立てて消し飛んだ対北交渉を、まさか自らの手で再開することになるとは思っても無かったことだろう。そして其の時、あの不都合な真実に再び向き合うことが出来るかどうか。とはいうものの、下交渉する人なんているのかいな。あの料理人さんは?

なお中国経済の減速で日本の景気も悪化の模様。愈愈増税が怪しくなる。しかしね、間接税と言うものは知らぬ間に取られているから、増税したからと言って消費が減るものでも、また減税したから増えるような類のものでも無し。一番恐ろしいのは、みんなが節約して経済が縮小して仕舞うことだけど、2パーセント程度では大して変わらないと思うけどね。

ところで事の発端の米中貿易戦争は益益激化の様相。此れがトゥキディデスの何とかと言うやつかな。併し全品25パーセントの関税とは恐れ入る(大増税だよね)。となると行き場をなくしたメードインチャイナが日本に押し寄せて来るな。物価も下がるぞ。時に日本と中国で世界貿易を支えるという妙な展開になるかもしれない。拙宅も何か買い替えようかな。自由貿易体制維持の為に。案外日本の立場は気楽だね(ビルの谷間のラーメン屋の心境)。それにしてもロシア疑惑も収束したから、トラちゃんは絶好調だね。

朝から雨模様。こうなると何もすることがない。二日つとめて二日遊び、三日つとめて三日あそぶというのが理想なのだけど、今年度は休みが多すぎる。午後は止んだので駅前に出た。パチンコ屋だったところが巨大なビルに建て替え完了。例によって一階はコンビニ(S)。隣もコンビニ(F)なのにね。あとは調剤薬局が入る模様。すると上はクリニックだな。併しよく家賃が払えるね。保険内治療だよねぇ。買い物は二便。

 

5/13・月

 東京新聞の「私の東京物語」には95年を過ぎた頃の思想風景が描かれている。作家のA女史はまず今で言うネトウヨ的な世界に惹かれていく。確かにあの頃だよな、歴史修正主義ヘイト本のようなものが本屋に溢れ始めたのは。A女史とは概ね同世代だが、吾人には既に戦後民主主義的な教養が入っていたから、ああいう本に感化されることはなかった。当時の吾人は、本屋に出掛けて行っては、表と裏をひっくり返したり、比較的真面な本を上に被せたりして、せめて目立たないように工作していたものである。ただ人生とは分からないものだから、何かの都合で時期やきっかけが少し違っていれば、吾人とて今とは違った思想遍歴を重ねたかもしれない。それにしても、左から右に行った例は多多あれど、右から左に還って来た人ってあんまりいないよな。そういう点でAさんは稀有な存在だと思った。いや併しね、今になって思うと、どうして左派はこんなにあっさり退潮して仕舞ったのだろう。老若男女、実にとんでもない人ばかりである。何しろ本の次にはネットが押し寄せてくる。其れにそもそも戦後は実に遠くなったからかな。

 午前中は集中してどくだみを引っこ抜く。此れは山羊でも食べないだろう。夕方は空き家の庭木をばっさりと。最後ぐらい伸び放題にさせてやろうと思ったが、解体が遅れて既にぼうぼうである。昼はオリジン弁当。夜はスーパーの鰹刺しと鯵の塩焼き。

 

5/12・日

 朝は富士そばのラーメン。昼はスーパーのかつ丼。何だか食べ過ぎたらしく午後は何度も上厠す。晩は家人のオムライス(中)と白ワイン二杯のみ。昨日よりかはすっきりとした晴れ。取り立てて無為。

 

5/11・土

 多賀工業会というところから会報が来る。亡父の出身校である。元元は工業専門学校だったものが戦後新制大学となった。入学したときは工専、出た時は大学。学歴的には結構得をした世代であろう。其れにそもそも技術系と言うことで亡父は徴兵を免れることとなる。こっちの功績の方が大きいな。早速葉書を書いて死亡を報告した。また京王大学からも広報誌が送られて来る。態態付箋が張ってあり、戦没学生の遺品を寄贈したと吾人の名前があった。亡父の兄、詰まり義雄伯父さんは文科系だったので召集され、陸軍船舶工兵となる。本土決戦に備えている内に敗戦の僅か数日前に亡き人となった。片や九十過ぎ、一方の伯父さんは二十二か三。ちょっとした偶然で人生は全く変わるものだな。

 昨日以上の熱波。朝から古着の供出。日向灘で連続地震気象庁南海トラフの方は大丈夫だなどと言っているが信用すべきかな。大地震などをわざわざ心配してもね。そもそも「心配事の9割は起こらない」。心配し過ぎても仕様がないと言うこと。更に言えば、人の知というものにはもともと限りがあるから、恐らく次も誰も予想もし得ない所で、予想もしない大災害が起きるのであろう(此れが残りの一割の正体)。夕方になった頃に須見伯母が来る。伊那の反省会がてら食卓を囲む。拙宅に三人集まったのも久久であると思った。

 

5/10・金

 朝から暑い。まず古い自転車屋に行き修理を依頼。序でに防犯登録もやり直す。新しい登録証は三次元バーコード付き。有効期限は十年だと言うが、幾ら何でも持たないな。合計1700円。北は飛翔体を次次に発射。もう駄目かもしれない。其の上イランとの折角の縁談は破談させ、中国に喧嘩を吹っ掛けている。もう無理だぁ。

 午後出社。目の前で消しゴム野球を繰り返す小学生にとうとう激昂す。まあ吾人の怒りとて大声を出してゴミ箱を蹴る程度なのだが、激昂中は一瞬我を忘れる。世間的には感情失禁などと言うらしいが、此の表現は的確ではない。感情とはそもそも湧き上がるものであり噴き出すものなのだから。何はともあれ少し疲れた。退社後は立ち中華を経由して立ち飲みBへ。色色と従業員に差し入れす(千円相当のコンビニ御菓子類)。こういう晩は何かを振る舞うことにしている。喜捨カタルシスである。

 帰宅後は鼠のおもちゃでシロをからかう。九歳のおっさん猫だが割と本気になって追いかけ回していた。いやしかし此れが鼠の立場だったら恐ろしいだろうな。恐るべき巨体が恐ろしい運動能力で迫って来るのだから。ところでそんな猫にも弱点がある。腹巻である。試しに手拭いを巻くとぐにゃぐにゃとなって歩くことすら出来ず。而も嫌がってるようなそぶりはない。益益不思議な存在である。

 

5/9・木

 まあまあの晴れ。午後出社。すると途中前輪ブレーキが破損。ワイヤーが千切れた模様。おかしいな、前回の修理から一年しか経っていない。久久の授業。久久の立ち飲みB。復路も速度を落として帰宅す。ところで、風がないと此の時期は街路樹や庭木まで匂い立っている。何の木だが分からないけど、あれはあの臭いだよね。よくみんな平気でいられると思う。鼻が悪いんだな(植物で動物が欲情はしないか)。

 東は新幹線の試験車両を公開。最高速度は360キロになるらしい。但し先頭車両は22メートルも鼻があるという。つまり一両丸ごと鼻である。仮に10両編成として先頭と最後尾が鼻専用ならば実質8両である。詰まり10分の2が無駄に走っていることになる。結局鼻になった分は御客の運賃に上乗せすることになる。色色と開発するなとは言わないが、開発の方向性が間違っていると思う次第である。400キロ近くですっ飛んでいくことがいいのか、それとも一万円と少しぐらいで相当遠くまで行けるようになることがいいのか。答えは一目瞭然だと思うがね。兎に角、いい加減に速度競争を止めなければ、列車の殆どが鼻になって仕舞うかもしれない。

 

5/8・水

 終日安定した晴れ。多少の草取りと猫用の300円の鮪を買いに行ったくらい。当面緊縮財政である。そもそも此の時期のスーパーは粗末な物しか売っていなかった。園児の列に乗用車が突っ込む。散歩途中の惨事だが、琵琶湖辺りの保育園にも園庭はないらしい。つくづく危ない。大体小中高校生ですら登校後は校外に出さないのが原理原則である。

 こうして十二連休は終了す。ところで四月はまあまあだった中日は、あっという間に定位置に移動中。監督を代えただけではねぇ。今年も野球無しの生活になる見込み。

 

5/7・火

 連休は終わったが吾人の休みは続く。午前中は日誌の整理。数日来の疲れが出て日中昏昏とす。矢張り最終日は人が出ない訳である。家人は整形外科へ。二時間も待ったらしいが、体操以外に治療方法はないらしい。ゼロ円支出の日。

 

5/6・月

 振替休日の日。午前中は竹の切り出しと買い物。以後伯母とは別れ、市内に降りる。此の旧型カローラも処分するとのこと。さよなら運転であるなぁ。其の車を返し、伊那北駅近くの「角八」で蕎麦と日本酒休憩。行きはノンアルコールバスだったので、帰りは電車にした。当然各駅停車である。十三時過ぎの飯田線に乗る。若い車掌さんから切符を現金で購入。ぺらぺらのレシートのような車内券で6700円。二人分の正規運賃である。ボックス席に腰を下ろす。直ぐに向かい合わせになるのは列車の特長であるね。クルーではないので、早速ワンカップ白ワインを傾ける。車窓のどっち側もアルプス山脈。矢張り景色もバスよりいい。

岡谷で五十分待ち。此の間に売店でアルコールを補充。満席予定の特急を何本か見送った後、塩山行きに乗車。此方は六両のクロスシート車が来た。矢張りロングとは気分が違う。混んだ特急より空いた各駅停車の方が頗る快適。高尾まで行ってくれるものなら乗っていたかったが、泣く泣く小淵沢で乗り捨て、当駅始発のホリデー快速に再びの乗り換え。再びのアルコール補充。隣の小海線のホームにまで買いに行った月波君が、ワンカップが何個必要かと大声で尋ねて来る。当然十個である。男子たるもの一日一升飲まなくてはならぬ。併し四個しか在庫がなかった。小淵沢駅の中心で酒が足りないと叫ぶ。

少し待っていると件の十両編成の二階建てが入線。平屋の部分に陣取った。まあまあ集客して進むが、満席と言うほどでもなし。もうみんな帰ったのかな。特に甲府以東のハイキング客がいなかった。其れに此の巨体列車には千人分の座席がある。特急列車二本分、バスならば二十五台分。実に圧倒的な輸送力である。併し215系も此の先どうなるのだろう。元元の東海道線では大した仕事がないらしい。そろそろ車齢三十年か。男性用の朝顔もあるので酒飲みには最適なのだけどね。

うとうとしていると高尾到着。六時過ぎ。ちなみに中央線はちゃんと走っていた。全車指定の効果が出たのかな。しばしば自由席に乗り切れなくて遅延していたので。さてさて蕎麦は食べたので、ラーメンの番である。ダイエーの二階の「天狗飯店」へ。何しろ昼から飲み続けているので流石にアルコールは打ち止めにした。推定七合程度、例によって胃がざらざらである。代わりに排骨麺を平らげる。揚げてないタイプだったが旨いことは旨い。以後京王線で延延と帰る。月波君とは調布でお別れ。着いたら八時であった。伊那から実に七時間以上。御酒と景色で時間が蕩けて行くから、そんなに長くは感じない。普通列車の大量飲酒旅を満喫す。

早速諸諸の点検と確認。猫用の水が何もなかった。猫の面倒一つ見られない。家人ももう駄目だな。入浴後、直ぐに就寝。こうして十連休も終了す。

 

5/5・日

 子どもの日。午前中は薪の移動と畑に防草シートを張る作業。いや併しね、日本だと日曜農業ですら草との闘いである。続いて伯母と一緒に諸諸の買い出し。一日数本の路線バスとタクシーだけでは、別荘とはいえなかなか生活が維持出来ないからね。序でに伯母のお友達の家も訪問。此方も空き家になって仕舞ったそう。高齢者の一人暮らしは次第に困難となり、施設に入ったり、都会に住む息子や娘のところに呼ばれて行く。残されたブルーベリーの木を見て回った。

 午後は木曽に出た。国道19号を少し下り、贄川の「食事のデパート・食堂SS」という店に入る。典型的な昔のドライブイン。メニューは町の食堂そのもの。ラーメンから定食、アルコール類まで何もかもある。最近テレビで取り上げられた。色色と危ない時期もあったそうだが、よく残ったね。奇跡のような店である。名物の鯖の味噌煮で昼酒し、御飯少な目の牛丼で締める。すっかり長居した後、木曽福島の神社に御参り。再び伊那に戻る。夕方まで木木の枝取り。管理の悪い上下の隣地も手入れする。ちなみに道の駅では燕が乱舞していた。どうやら本年中の日本沈没はなさそうである。

六時頃から大量飲酒。伊那の山際は4G回線は入ったり入らなかったり。デジタル断ちには丁度いい。月波君が持参した特捜最前線のDVDを鑑賞す。夜は一雨あった。

 

5/4・土

 みどりの日。宿酔を何とか抑えて新宿へ。今日から伊那である。同行者は月波君。新宿バスタを十一時半過ぎに出る高速バス駒ヶ根行に乗車。此のバスは京王の運行。新造車らしくシートベルトが三点式になっていた。チケットレスのクレカ決済で運賃3500円。今年の四月に開業以来の本格的な値上げしたらしいが、其れでもあずさの半額強。相変わらず安いね。バスも道路も空いている。丁度一列目だったので、おしゃべりも控えめにして前面眺望を堪能す。列車とは違う一体感がバスにはあるな。何故バスの座席が全て前を向いているのか? 其れは全員が一種のクルーであるからである。

定刻の三時きっかりに伊那バスターミナルに到着。お世話になりましたと年長の車長に挨拶して降車。其処から車を受け取りに徒歩連絡。須見伯母は既に伊那に居るのだが、実は自動車の運転をきっぱり止めたとのこと。先月の池袋の事故がショックだったよう。まあまあ潮時かな。ずるずるべったりと延長しない辺りは伯母らしいと思った。従って月波君の運転で山荘に上る。まず日帰り温泉に。続いて伯母の野草の天麩羅から飲み始めた。点鼻薬を忘れ、鼻はフガフガに。例によって花粉症である。飲み薬を多用する。

一般参賀には十数万人も集まったという。本来は十月だったのらしいが、政権の強い意向により此の時期になったそう。そういうことを何も考えない人が大勢いる。集団発狂は近いな。そうしたら皇居は宮城となり、遥拝させられるな。

 

5/3・金

 憲法記念日。明け方のラジオから「15の夜」が流れていた。そう言えばあの方が亡くなったのも此の時期だった。確か二十七年前。それにしても子どもの数が少ないからこういう反抗期ソングも需要がないな。最近の親子関係も緩いしね。そもそも人の親になっている大人も多くない。家出をした寒い晩に百円の熱いコーヒーに出合う。三十年経っても缶コーヒーは二十円しか値上がりしていない。ずっとデフレーションなんだよねぇ。ゼロ成長は此の国の大人から自信というものも奪い去った感がある。全世代的に低成長、大人になれないままずっと彷徨中である。まあ威張り散らかして分からない大人になるよりかは幾分増しかな。

 終日晴れ。結局草取り。此の十日で相当取った。二階から見ても成果が分かる。五月攻勢である。『雑草と楽しむ庭づくり』と言う本によると、根の栄養を使って出て来た芽が光合成して、さあ伸びるぞという此の時期に刈るのが一番効果的なのだと。出鼻を挫けたのならば幸いである。夕方になり、祐天寺に徒歩連絡。月波君、坪上君、鷺乃間君と会う。まずカレーハウス「ナイアガラ」へ。続いて座り飲みBへ。酎ハイの残りにワンカップを入れてがぶ飲みす。下手な甲類より安くて悪酔いしない。酒飲みの知恵である。更に「庄屋」と「かぶらや」と寄ってタクシーで帰った。

 

5/2・木

 再び国民の休日の日。未明に雨は止んだが結局不安定。何度も通り雨。午後は漸く晴れた。少し草取り。昼は中華食堂。夜は残り物とカップ麺。

 

5/1・水

 即位の日。朝には上がる。さてさて何処かに出掛けなくてはならない。残念ながら何処にも行くところがない。其れでも出掛けなくてはならない。と言う訳で目の前の電車に飛び乗り、終点の中央林間へ。出鱈目に歩き出す。ゴルフ場の脇を抜け、倉庫及び工場街へ。住宅も沢山あるがバス網は薄いね。ひばりが丘一丁目という所で一時間二本の相鉄バスを掴まえてさがみ野へ。其のまま電車に乗り移る。

併し相鉄線に乗るのも久久である。折角なので西谷というマイナーな駅で下車。此処から短絡線を造って、今年の秋にはJRの線路に繋げる予定である。暫し見聞す。分岐は既に出来ている。此の先に横浜羽沢という新駅も出来るらしい。相鉄としては都内直結と言う悲願が叶うのだが、接続先の横須賀線埼京線は既にいっぱい一杯。だから折角繋がっても一時間に二三本の運転だそうである(乗り遅れたらどうなるの?)。本命は東急との接続だろうな(此方は数年後)。併し東急沿線から見れば、羽沢や西谷や三ツ境と言われても丸でピンと来ない。うざわ、にしたに、みつざかいと誤読しそう(スイマセン)。

 再び適当に歩くも、バスも店もない。其れでも押し寄せて来る車と細い歩道の太い電柱の陰ですれすれに擦れ違い、野を越え、坂を上り下りし、畑の中を歩く。ゴミも散乱。此の辺の道路も本当に酷いね。横浜市も予算がないんだな。東泉寺というところで市営バスの新横浜行きにありつく。少し手前の小机下車。寂れた商店街を歩き、「櫻家」と言う店を見付けた。具合の悪そうなおばさんが一人でやっている定食屋といったところ。早速麦酒休憩。丁度御昼のニュースをやっていた。

何処か知らない町の古い店で酒を飲みながら改元騒ぎを観察す。距離は近いが当初の目的が叶ったよ。満願成就。開いててよかった古食堂(ここら辺は孤独の何とか風に)。茄子の炒め物と串カツを平らげ、横浜線で東神奈川へ。ホーム上の「日栄軒」で立ち蕎麦を啜り、大森経由でバス帰宅。大体三時頃。いや併し歩いたね。一万八千歩、十数キロ。交通費概算1600円。帰宅するとあっという間に再びの雨。疲れたので延延と夕寝。胃の調子が悪く、晩はサラダのみ。夜は大雨。

テレビは消してずっとラジオ。「ジャム座ワールド」から「セッション22」。ところで此のひと月ぼんやりと聞いていたのだが、文化放送の「サキドリ」は「デイキャッチ」と構成が頗る似ている。少しコメンテーターを入れ替えてくれれば、此れからの午後は全て文化放送で決まりだな。ちなみに新元号の英訳はビューティフルハーモニーだとさ。オーダードハーモニーの誤りだと思った。ディスオーダーハーモニー=美は乱調にあり。