大広孝日記 2018年9月

9/30・日

 富田林署からの逃亡者も山口で捕まる。盗んだ自転車で旅行中に万引きしたとのこと。脱走の手際は見事だったが、其処から先のことは考えていなかったのだろう。ちょっとした放浪である。色色と西日本を旅して、案外日本は広いと思ったかもしれない。野山や海や人の情けにも触れただろう。今後はやり直して欲しい。まだまだ若いのだから

 前線が遠くなり、まあまあの曇り。先ず施設に参る。持参していたワイヤレススピーカーで演歌を聞かせた。確か「奥飛騨慕情」が好きだった筈。他には「愛燦燦」「喝采」など。割と目を開けて聴いていた。熱はないが痰が出ているよう。朝昼は絶食。不思議ともう涙も出ない。覚悟が決まったのか、慣れたのか。

其の後、呼び出した月波君と「長寿庵」という蕎麦屋で飲む。麦酒、板わさから日本酒、盛り蕎麦で一旦締めて23系統のバスで地元に回航。併し「てけてけ」「ばん」「エビス参」も営業前。台風が来るならもっと早く開けるべきであろう。民間企業の割りに対応が遅いと思った。仕方なく「ジョリーパスタ」で二軒目。五時帰宅。

 寝て起きると九時近く。段段風が強まる。十一時から本降り。夜半過ぎに掛けて激しく降って吹く。24号は伊勢湾台風のルートだという。JRは八時から運転取りやめ。ニュース等では計画運休という新語が飛び交っていた。私鉄各線も其れに習う。一方の山陽線は復旧。山陰迂回貨物も運転終了。沖縄知事選では野党系が勝利。内外ともに災害続きの九月も終了す。

 

9/29・土

 前線が戻り再び小雨模様。明日は台風24号だという。取り立てて無為。

 

9/28・金

 朝から久久に晴れた。家人は洗濯と衣替えで多忙と言うことで、三日連続で施設に参る。今日は自転車。途中「要」でロースカツ定食(1000円)。昼時と言うこともあり全席満席。家族総出でカツを揚げ、飯を炊き、味噌汁を注いでいる。此の辺はチェーン店も無いものな。

老家人は寝ていたが、「苦しくない」「食べたくない」「もういい」と目を閉じながら反応す。点滴の針を抜いて仕舞ったらしく、左手に付け替え。「痛い」「痛い」「何するのだ」と怒っていた。昼はまあまあ食べたというので、三時前に退出。ホームセンターで金属製の熊手を買って戻った。植木屋さんが使っていたのと同じもの。800円。夜は軽く済ませる。

 

9/27・木

 午前中まで小雨が残る。施設医との面談があるというので、家人と車を仕立てて参る。老家人は矢張り寝ていた。一通りの回診の後、一階の会議室に呼ばれる。予てから取り決めていたことだが、現行以上の延命治療は行わないという旨の書類に署名す。万代伯母の時には口頭で済んだものが、此の二年で文書主義が徹底されたよう。それにしても愈愈此処まで来たか。事実上の降伏文書である。超重要署名だが、ボールペンを持参するのをついつい忘れた。借りたペンで書かざるを得ず。駄目な息子である。モンブランとは言わないが、ゼブラぐらい胸に差しておくべきであった。

併し半年前には全く想像もつかない事態だと思った。其れでも吾人が十代の時分には、老家人=父の九十代の姿を見ることになるとは矢張り想像出来なかったな。人間の想像力など高が知れていると思う瞬間である。部屋に戻るとおやつの時間。流体羊羹のようなものを完食す。すっかり甘党になった。介護士によると味覚の中で最後まで残るのは甘さだという。

三時を過ぎたので吾人はバスと電車で本務校に回航。環八線で田園調布に出る。渋滞がないと結構速い。例によって定期試験前。色色な科目の面倒を見る。中学地理の教科書が分厚くなっていて少し驚いた。あれでは教え切れないだろう。立ち飲みBに寄った後も11系統で帰宅。此の頃バスに乗っている。夜は晴れて月が良く見えた。

 

9/26・水

 午前中から施設に参る。一転して今日は低反応。昏昏と寝ている。時折驚声を発す。何か辛いのかな。痰が絡み苦しそうだが、取るのはもっと苦しい。「何か食べるか」という問い掛けには必死に首を振る。余程食べたくないらしい。点滴は足首から。鼻からは酸素。

中座して昼は祖師谷の「カレーの南海」でカツカレー(850円)。神保町の本店そっくりの黒いルー。此れを胃に転送出来たらと思わざるを得ない。でも消化できないな。三時近くまで見守った。バスで帰宅。夕方から本降り。最早出勤する体力はなし。本日休講。夜は大雨。また台風だという。寒い上にアルコールが入らないと巧く寝られない。

 件の月刊誌の実売数は一万五千ぐらいだったとのこと。日本には凡そ三千の公共図書館と千五百の大学短大図書館があるから、一般の購読者は一万人ぐらいしかいなかったことになる。十年前は五万弱は売れていたというから恐るべき減少率だなあ。こういう論壇誌はどうすればいいのかな。いっそ、半分くらい素人に書かせたらどうだろう。毎回テーマを決めて。面白いものが集まるかもしれない。逆原稿料を支払わせれば一挙両得である。大企業の悪口とか、何かしらの体験記とか、いっそ日記を載せてもいいだろう。吾人も一万円位になら支払う(百冊は買い取るぞ)。

 

9/25・火

 御昼前後から冷たい大雨。本日は家人が訪問。昼はまあまあ食べていたという。終日在宅す。と言う訳で日本映画二本立て。まず「海すずめ」。主演女優と宇和島の景色は美しいが、自転車で本を届けるというのも無理な話しだと思った。そもそも自転車とは平野部の乗り物である。宇和島では海岸線以外移動できない。続いて「ケンとカズ」。生生しい暴力が延延と続く。単なるヤクザ映画と違うのは、母親による虐待経験と当の母親の認知症発症だろうか。しかしあんなに年中殴る蹴るでは歯が持たないな。歯は口ほどに(其の人の階層の)ものを言う。途中退席。

新潮の件の月刊誌は事実上の廃刊へ。また大相撲のT親方も廃業す。いやしかし、両者とも一体何がしたかったのだろう。一種の殴り込みだな。

 

9/24・月

 朝の内から自転車を飛ばして施設に参る。手足をばたつかせ、痰吸引にも激しく抵抗す。案外元気そう。何しろ饒舌であった。「佐藤と津山どっちが優秀か知っているか」とか「イボコロリを飲まされた」とか「亡霊が来る」「誰の亡霊かは絶対に言えない」とか「ああいう連中に集られるから気を付けろ」とか「日本がこんな出鱈目で遅れた国とは思ってもみなかった」とか。断続的だが三時間近くああでもないこうでもないとやっていた。御蔭で吾人も沢山喋れた。午前中の方が覚醒状態がいいのかもしれない。呼吸も安定しているので鼻の酸素も取れる。但し経口摂取は無理そう。

 話し草臥れたようなので一時前に退出。世田谷通りを走る。連休中と言うこともあり、「百麺」も「陸」も行列中、「とんかつ要」は休みなので、「水仙園」という中華屋でラーメン炒飯(650円)と小缶の休憩。帰宅は二時過ぎ。午後は異様に蒸し暑い。椿とツツジの剪定。以後午睡。晩はスーパーの焼き秋刀魚。すると九時過ぎに施設から電話がある。結構ドキッとしたが、何でもベッドからずり落ちていたという。何だか元気らしい。暫時こういうことの繰り返しかな。

 総裁選でA陣営はカツカレーを食い逃げされたと怒っているよう。併し一人前3800円というのも驚きだが、300人前以上も提供されたというから尚驚く。幾らホテルの給仕が優秀だとしても、カツもカレーも熱熱食べなくてはね。

 

9/23・日

 概ね晴れ。様子を見に行った家人によると、若干の発熱あり、大体昏睡状態だという。愈愈近づいたと思った。夜は家人のゴーヤチャンプルー。玉子が入っていないことに暫らく気づかなかった。

 

9/22・土

 多少気温は高くなったが、重い曇り空は変わらず。時折さあっと降って来る。まずバスに乗って施設に参る。昼食時になったので大柄なサービスリーダーによって車椅子に移乗さす。併し痰が絡んで呼吸が苦しそう。早速看護職による痰吸引。其れでも酸素濃度が回復しないと言うので担当医の判断を仰ぎ、酸素吸入となった。直ちに鼻からチューブ。絶食状態なので腕には点滴。続いて臨時回診。酸素濃度は100近くに戻る。

ボンベの酸素が無くなる頃に酸素屋さんが機器を搬入。此れは電気さえあれば空気中の酸素を無限に取り込む機械だそう。こういう対応は早いな。併し愈愈弱って来たと思った。何だか少し悲しくてね。じっと部屋にいると目頭が熱くなる。以後酸素は順調に肺に入っているようで昏昏と寝ている。「けんちゃん」でのラーメン休憩を挟んで四時まで滞在した。

午後は晴れる。異様に混雑したバスで帰宅。降りて見ると23、24、22、21系統の順に列をなしている(所謂連結バス状態)。特に一番運転区間が短い21番が最後衛の空気輸送では何の役にも立っていないな。上町発着の21系統を減らして23や24系統を増やして欲しい。そもそも21系統は玉電廃止後の代替バスらしい(渋谷直通を保障)。そんな裏協定のようなものが出来たのはもう五十年も前の話である。晩食は東急ストアーの総菜。猫にはヒラマサの刺身。八時就寝。

 

9/21・金

 昨日からずっと雨。而も寒い。早速鼻水止まらず。直ちに抗ヒスタミン。昼は温かい饂飩。夜までずっと降る。ついつい午睡。雨中買い物に出、晩食は鍋にした。昨シーズンの余り味噌を使ったら味も色も何だか変だった。猫には鯵の叩き。

 新潮何とかと言う月刊誌があまりに酷い内容だったと社長が反省声明を出す。ネトウヨ連中に大売り出したかったのだろうが、丸で開き直るような企画は矢張り拙い。出版社のこういう傾向は90年代半ばから見られる。其れが一体どういう結果を招いて仕舞ったのか。少しでも考えて見たことがあるのだろうか。大体何処の業界も低賃金低待遇過重労働を我慢しているのである。本屋も例外ではない。誇りある出版人たる者は清貧を覚悟すべきである。

 

9/20・木

 南の大統領は北を訪問し熱烈な歓迎を受ける。チェンバレンになるぞと言う皮肉な見方が多いようだが、何とか巧く行って欲しい。同じ民族だからね。北が欲しがる朝鮮戦争終結宣言も早く出すべきである。

昨夏に訪問した飯田の「かぶちゃん村」も閉園。件の詐欺会社が運営していたとは知らなかった。思い起こせば何だか変な観光施設だったが、従業員さんたちはみな親切であった。資料館が勿体ないなぁ。誰か引き継がないものか。七月に閉めたというからもう園内は荒れ放題の伸び放題だろう。

植木屋さんが来る前に取った草木、70リットル一、45リットル三を搬出。此れで滞貨一掃。剪定も終了。さてさて秋を楽しむ段階に来たが、老家人の容態では大した所には出掛けられず。午後まで静養す。御昼から雨。時折激しく降る。バス出社。立ち飲みBで軽く御仕舞。秋刀魚刺身を食べた。

AとIの総裁選。Iは党員票で善戦す。支持者であってもいい加減に飽きるだろう、Aにはね。発電所が復旧して来たので北海道の節電要請は解除。でも節電は大事である。第一に御金が節約できる。大貧学院でも蛍光管はごっそり取ったまま。此の七年半で数十万円は得した筈である。

 

9/19・水

 怒ったT氏は対中関税を次次と引き上げる。今回は家具家電や衣料品など広く一般消費財にも拡大す。其れでも今更国産品には切り替え出来ない。何しろ工場自体が既にないからね。輸入業者さんは粛粛と納税し、其の分を価格転嫁せざるを得ない。となると此れは一種の増税策、事実上の消費増税である。成程、其の手があったかと財務官僚などは注目していることだろう。

 朝の八時に植木屋さんが参る。何でも今日一日しか予定が空かないという。但しやって来たのは御主人一人。明らかに人手不足である。早速吾人も取り掛かる。御昼前に奥さんも到着し、以後三人体制。只管刈った草を集め、機械が届かない所の草蔦を引っこ抜き、切り落とした枝葉を荷台に積み込む。併しこうして作業していると、人間の本質はつくづく労働であり、労働とはとどのつまりは自然と対峙し、結局汗だくになって草木を取り払うことであると観念す。働かなくても生活が保障されるというベーシックインカムと言う発想は其処が可笑しいな。動ける人は動かなくては。

 例によって北側の駐車場の草刈り、家作の前庭の桐や梅や雑木の剪定の順に執り行ったら、拙宅の玄関付近までは辿り着かず。続きは来季。ぼんやりしたのちに本務校に遅めの出勤。早目に退社したが、今日は実に十二時間は働いた。立ち飲みBで軽く御仕舞。汗疹が出来て早速痒い。就寝前に抗ヒスタミンステロイド系塗り薬。被害甚大である。

 

9/18・火 

 空港島への鉄道は復旧す。やるとなると案外早く出来るものである。本日は自転車を使って施設に参る。併し老家人は昏昏と寝ていた。起きろと言っても寝ているばかり。そろそろ昼食だと言っても、「眠い」「いらない」「うるさい」「もういい」と。だんだんと感情のコントロールが出来なくなっている。結局寝ながら十数口食べて御仕舞。食べ終えるや否や直ぐに寝て仕舞った。此の所、意味のある会話をしていない。≪魔阿陀だよ≫と言うより≪もういいよ≫なのかな・・・。

世田谷通りの「山之内」でロースカツ定食(1200円)。老夫婦が切り盛りしている店は誠の昭和の造り。多くの御客が「農大かつ丼」を食べていた。テレビに出たそうで、連休は酷い忙しさであったと店主がこぼしていた(というのを聞いた)。併し大学の門前には学生向けの店が多い。こういう雰囲気は都心の大学や、郊外の新設大学には見られない。世田谷辺りの特色である。少し遠回りしながら帰宅す。午睡から起きると施設から請求書が来ていた。八月分、58万円余り。想定より二割ほど多い。夕方から一雨。冷凍食品と盛り蕎麦で御仕舞。明日植木屋さんが来ると今日知らされる。何だか頑張って損したな。

 

9/17・月

 敬老の日。朝から暑く、草取りも大きな外出も出来ず。自転車で近間を回り、中目黒の「おにやんま」で冷やうどんを食う。何だか食べ足りないので和菓子屋でおにぎりを追加購入。

 午後もぼんやりしていたら、公共放送の「ワンダーウォール」という短編ドラマが目に入った。大学の自治寮を舞台にした作品。こういう場が次次と無くなるな。鳳生大学にも学生会館があったが、吾人が出入りをしなくなって僅か数年で無くなって仕舞った。自治の習慣を引き継いで行くことは難しい。頑張って留年しても大体数年で学生は入れ替わるからね。其れは社会に関しても同じこと。概ね四半世紀で中心層からは押し出され、後の世代に引き継がれないものは滅びて行く。夕方から大雨。夜は冷凍食品。大して旨くないから食べ過ぎなくて佳い。

 T氏も愈愈危ない感じ。次次と側近が愛想を尽かし始めている。あと少し米朝交渉を進めて欲しい。核の全面放棄までは行かなくとも、搭載兵器の廃棄位まで(それで核爆弾は無力化できる)。あと一年位は掛かるか。其れまでは何とか頑張ってくれ。あの人の唯一の成果だろうから。

 

9/16・日

 大停電を引き起こした北海道の石炭火力発電所は震度五程度の耐震性しかなかったとのこと。そんな馬鹿なことが・・・、あるのであるな。部活動の事故で十五年間寝た切りだった女の子が息を引き取ったと今朝の新聞が伝えている。こういう報道に接する度に、部活とは何の為にあるのだろうかと強く疑問に思う。いじめ、暴力、体罰パワハラセクハラ等等、過剰な運動が明らかに人人を不幸にしている。

体力をつけるには歩けばいい。学校を卒業した後、一日八時間程度立って仕事が出来る体があれば十分である。差し詰め吾人なら「帰宅部」を作る。活動は週一回。様様なルートを徒歩で帰宅しながらまずゴミを拾い、続いて安くて美味いラーメン屋と定食屋と居酒屋の発見に尽くす。学園祭ではグルメマップを作って全校生徒の役に立たせる。

午後は次第に晴れた。家人が施設に行っている間、結局草取りと低木刈り。四時間は動いたな。夜は鶏屋のもも焼き。昨日今日と地元のお祭り。ゴロゴロと引いて歩く子ども神輿しか通らなかった。而も付き添いの年寄り方が多い感じ。愈愈限界神輿だな。

 

9/15・土

 特急と貨物は石勝線まで全て復旧。漸く此れで秋刀魚を運んで来られる。日高線は駄目みたい。自衛隊に直して貰えないかな。今時鉄道連隊なんてないものな。ずっと秋雨。午後には漸く止んだ。買い物は二便。取り立てて無為。

 

9/14・金

 朝から秋雨。結構直ぐに止んだ。家人不定愁訴の為、吾人が施設に参る。老家人はまあまあ起きていた。早速昼食の介助。十口程度で終了す。お尻が痛い痛いと宣うので直ぐに寝かす。何処がどうして痛いのかまでは判然とせず。本人でも分からないのだろう。併し日に日にとまでは行かないが、少しずつ確実に弱っているな。こういう姿を見ると未だに何かの悪夢のような気がしてならない。どういう訳だか急激な眠気に襲われるのである。

 世田谷通りまで歩き「勢得」という付け麵屋に入る。此処は昼時のみの営業。今まで知らなかったが結構な有名店らしい。自家製麵の上、店主一人でやっているから大変そう。「つけめん」(850円)。味も量も若い人向け。がたいのよい学生さんに交じって吾人もずるずるとやった。バス帰宅の後、草刈りへ。摂った糖質を支出しなくてはね。

 午睡の後、西新橋のちゃんぽん屋に。例によって大将にお呼ばれす。渋谷からバスで参る。今回は06系統にしたが併し都営バスは混んでいる。外国人旅行者から出勤中のホステスさんまで乗ったり降りたりして絶えず満員に近い。郊外路線の東急などとは乗車効率が違うと思った。

他に鶴木さんと鰻犬先生。途中どういう訳だか憲法論争になる。法律に詳しい大将は自衛隊違憲だから改憲した方がいいと宣う。吾人は今の所は合憲状態だから態態改憲する必要はないと反論す。大体此の時期の改憲自衛隊をより一般的な軍隊に近づけるものだから危険極まりない。何事も法律を厳格に考えてはいけない。多少の曖昧さ、遊びのような部分を残しておくことは必要である。此れは政治的思惟だな。自衛隊諸君には申し訳ないが今まで通りの宙ぶらりん状態を許容して頂きたいと思う(此れは彼らをより危険な任務に就かせない為でもある)。そんなこんなで十時過ぎまで。帰りはメトロ直通。小雨に降られる。

 

9/13・木

 例によって可燃ゴミの日。ぎっしり詰めた70リットルを一つ、45リットルを四つ、例によって向かいのマンションの集積所に積み出す。大半が切った植物である。ちなみに此の単身者用の物件には数十人が住んでいる筈だが、出されていたものは拙宅と同程度でしかない。重量ベースでは数倍の一であろう。沢山出してスイマセン。ところで最近は『ゴミ収集という仕事』に続いて『このゴミは回収できません』が出版されるなど、ちょっとしたゴミ収集本ブームである(どちらも未読)。ゴミを出す側だが、時に分別をし直す立場なので収集側の苦労もよく分かっているつもりである。そして実に本当に極めて酷く残念な人が矢鱈多いとつくづく痛感す。

数日来の疲れが出たのか午前午後と漫然とす。ロ大統領は領土問題を棚上げした形での平和条約締結を提案。他の政権ならいざ知らず、Aには到底飲めない案だな。ウラジミールウラジミールとしつこく呼ぶから少し怒ったのであろう。夕方出社。立ち飲みBとバーIを軽く訪問して終了。

 

9/12・水

 昨日と同じようなお天気。午前中は結局草取り。午睡の後、本務校に出社。江田島君のお爺さんが亡くなったそう。確か老家人より少し上だと聞いていた。元気な頃はしばしば面談に来ていたのだが。合掌。中華立ち飲みで軽く御仕舞。帰宅後凡そ三か月ぶりに湯船につかる。自転車保険の更新(3990円)。

 

9/11・火

 大気が入れ替わり漸く秋の気配となる。連日の熱帯夜すれすれの状態も終わり、久久に良く寝られた。日中は重く曇る。結局草取りと低木刈り。結局汗びっしょり。気温低下に伴い実働時間は長くなる。リヤカー半分くらい取った。されど目に見えるような成果は出ず。

 関東の冷房は停止したが北海道では暖房が必要だそう。灯油ヒーターか薪ストーブだな。九州辺りでは太陽光パネルで作った電気が使い切れないほど取れるらしいが、気前よく送ろうにも送電線がない上に周波数が違う。一種のアンシャンレジーム、後進国丸出しである。

 

9/10・月

 今日まで蒸すのだという。呉線は呉以西が復旧。ところで、AとIの総裁選。どちらも危険人物だから何の興味も無い。兎に角危険とかなり危険の争いである。第一に投票権が無い(欲しくも無い)。今回の地震では地場のコンビニが気を吐いている。全道停電でもガスを使って煮炊きをし、おにぎりや弁当を供給し続けたという。チェーン店にも多様性が大事である。それにしても自店調理方式のコンビニと言うのは羨ましい。第一にセンター納品のおにぎりなど不味くて食べられない。大手三社は其の点をどう考えているのだろうか。出来ないのなら素直に廃業して欲しい。一つの工場で数十万食も何かを作ること自体が異常である。

午後千寿に出校。退社後は大橋の自動化寿司へ久久に参る。さてさて人間観察である。左の若い女性は甘いものを中心にコンパクトに纏めヨーグルトドリンクで締めて行ったとか、右のおばさんは入って来るなり麺類を頼み、以後スーパーのチラシを熱心に書き写していたとか(ドウシテ?)。よくよく見ると鮨を摘まんでいる人が少ない。確かに此処の鮨は他のチェーンに比べ格段に落ちる(何しろ薄いネタがシャリからずり落ちて回っている)。色色な物を出して生き残ろうという計画なのだろう。何だか食べ足りず「町屋商店」で更にラーメン。夜は大雨。

 

9/9・日

依然として蒸し暑いまま。秋雨前線の上は涼しいのだろうが、ひん曲がっていてなかなか関東には降りて来ず。丸丸三日止まったが、貨物も特急も動き始める。幸い線路の大きな損壊はなかったよう。併しスマホの充電の為に大行列を作るというのも無駄だよな。情報収集は電池で動くラジオがあれば十分である。併し最近の若い人は公衆電話もラジオの動かし方も知らないよう。序でにラジオに聞き方を伝授しよう。まず気に入った局を点けっぱなしにする。パソスマのようにアクティブに情報を取りに行くことは出来ないが、ずっとパッシブに傾聴している必要もない。聞き流しておきながらも自分にとって大事な情報には耳が勝手に反応するので心配いらない。以上。

 午前中から施設に参る。併し老家人は眠たいまま。昼食を呼びに来た介護士にも激しく抵抗す。あんな姿は初めて見たな。結局寝たまま数口食べて御仕舞。再び就寝。「二日も寝てない」と言っていたから余程眠たいのだろう。併し愈愈外面を気にする余裕も無くなって来たようで少し驚いた。

げんなりしたので世田谷通りまで歩き、「尾花」という蕎麦屋に入る。案外恭しい店内で、「山形のだし蕎麦」(950円)に中壜の休憩。蕎麦の上に色色と乗っていて丁度いい当てになった。公苑横の蔦屋で『今夜はひとりぼっちかい』を購入して小田急バスで帰る。晩食は数日来の残り物。

京葉線はケーブル火災の為、夕方以降ずっと運休。御伽の国の外は(バス待ちの)大行列という悪夢である(中もだっけ?)。まあ、浦安まで歩けばいいか。関東の人はしばしば電車が止まるから、結構防災訓練をやっている。

 

9/8・土

 南風が吹き荒れ異様に蒸し暑い。未明までに停電はほぼ解消。但し供給はギリギリだという。あの日と同じだな。多くの観光客も路頭に迷った。快適なホテルから雑魚寝の避難所へ。相当な悪夢である。

早朝に起きた、というより目が冴えて寝られないので近くの御寺の朝市へ。物が無い訳ではないのに長蛇の列で、大抵の品物があっという間に売り切れる。みんなこういうのが好きなんだろうな。毎日毎日スーパーにコンビニでは詰まらないから。吾人も列に並んで長葱と茄子とオクラを購入。以後数度に渡り剪定作業。夜は其の葱で厚揚げ麻婆豆腐。

 

9/7・金

 関空は官邸のゴリ押しで無理矢理再開させられる。併し電車も通わないのにどうする積りなのだろう。其れに多くの乗客が格安券を買っているだろうから、変更やキャンセルが出来ない。這ってでも空港に行かなくてはならない。悪夢である。移動先にも因るが、新幹線自由席の当日購入に勝る自由は無し。北海道の停電の解消は半分程度。あとは節電次第である。函館新幹線と新千歳空港は昼頃に運用再開。それにしても駅も空港もスーパーも大行列。正しく悪夢である。

 曇り勝ちだが何だか蒸し暑い。午前中からスーパーに行き加工食品の積み増し。いざとなったらこれらの食品で二週間ぐらいは食いつながなくてはならない。胃腸の調子が悪く、夏バテ気味。作業は最小限にして静養す。昼はチェーン店で掛けうどん。夜は買って来た惣菜。

 

9/6・木

 宿酔から起きて見ると北海道で大地震。全道で停電。此れでJR北海道は愈愈経営危機だな。再度の国有化が必要である。それにしても次から次へと災害が起こるのは国の政治が悪いからである。

震源地近くでは山が崩落。札幌市内では液状化。夜になっても大半の地域、特に地震とは関係ない道東も道北も函館も停電。リアル「サバイバルファミリー」である。夕方出社。立ち飲みBで軽く御仕舞。

 

9/5・水

 21号はあっという間に北海道沖へ。関西は被害甚大。特に高潮と強風。海上空港は冠水の上、船が衝突して橋が損傷。数千人が孤立す。コースと被害を鑑みると、第三室戸台風だな。

 未明は雷雨。以後晴れる。早速自転車屋へ。スタンドの他にも色色と整備して貰って2500円。矢張り古い自転車屋の方がいい。午後になっても空港島からの移動は終わらず。片側交互通行のリムジンバスと小型連絡船だけではね。凡そ三千人。田園都市線なら二本で運べる人数である。

 さてさて神宮球場の麦酒半額ナイターと言うことなので一年振りにプロ野球観戦。丁度中日戦である。月波君と客乃間君、少し遅れて坪上君が参集。試合の方はと言うと、一旦逆転しておきながら再度逆転負け。投手の起用法が極めて悪い。昨日は六点差をひっくり返された。暴動が起きないのが不思議である。温厚な吾人ですら野次を飛ばす(結構受けてた)。五対六で九時には終了。其の後青山の「直久」に移動。麦酒は飽きるほど飲んだので冷酒にラーメンその他で締めて帰る。

新聞によると空港に取り残された人は八千人もいたのだという。人数の把握も出来ないということは何の危機管理も取れていなかったと言うことである。危機管理学部で勉強し直した方がいい。

 

9/4・火

 朝方は大雨。例によって家作の横樋からはだだ漏れる。でも案外直ぐに止んだ。午後は降ったり止んだりしながら次第に風が強まる。21号は徳島から近畿を直撃す。またまた外国人観光客には災難だな。殊に欧州には台風は来ないのだという。和辻が牧場型と名付けただけの事はある。日本に来れば台風も地震も体験できる。

 夕方出社。強風と車両故障(スタンド破損)により自転車急行は運休。バス利用となる。風だけはどんどん強まる。職場のパソコンで台風情報を見ようとする。併しポータルサイトのニュース欄に出ている所を幾らクリックしても全体像は掴めない。こういう場合はテレビのニュースに限ると思った。確か公共放送は動画も無料で公開している筈である。早速クリックして見るも要望殺到で一向に見られず。やっぱり非常時にはラジオだな(当然「ラジコ」ではない)。結局雨は降らず。帰りも目黒からバス。鯖味噌の缶詰に白ワインで御仕舞。ずっと大風。遠く離れた関東で此れなのだから相当な被害が出ているな。二階の二号室も決まる。

 

9/3・月

 柿の木のオーナーになれば、其れを干し柿にして売り出すので、年利10%以上を出すと言う会社が破綻する。被害額は一千億円以上。明らかな詐欺会社。どうしてこんなあり得ない話しに騙されるのだろう。男(女も)は黙ってゼロ金利(に耐えよ)。其れが資本主義の最晩期の姿と言うものである。

午前中は雨中心。御昼には止んだ。二号室のガス栓の位置が変なので修正工事を依頼す。家人体調不良の為、吾人が施設に参る。まあまあ血色も良いが、神経痛が痛い痛いと宣う。こういう場合は直ちにロキソニンなのだが、生憎手持ちがない。看護師に相談し、主治医の指示を仰ぎ、其の結果「カロナール」が投与される。三十分ほどで退出したので効能までは確かめられず。経験上、カ・・は効いた覚えがないなぁー。ちなみに午前中は便が出なくて座薬を投与したという。

 続いて小田急線の準急我孫子行きに乗り、千寿に向かう。準急は緩行線を走る。幾つかの駅を景気よく跳ばしたが、代々木上原では五分前の各駅停車には追い付かず、後から来た急行の接続待ち。速いんだか遅いんだかよく分からない列車である。退社後は町屋のBで二杯だけ。帰りの半蔵門線では初老男性が隣の席に着くなり「正論」を熱心に読んでいた。結構インテリそうなんだけどね。人は見掛けでは判断できないな。ただページを捲るスピードは極めて遅かった。

 

9/2・日

 早朝から低木切りと自転車散歩。併し此の「ねずみもち」と言う木は良く栄える。バッサリ切っても一年半で概ね元の通りになる。以後結構な降雨。兎に角涼しいのが有り難い。また台風が来るという。21号だそうで、L特急並みの頻発ぶりだと思った。また何処かのローカル線が切れるのではないかと気が気でない。雨が止んだので午後も剪定と散歩。大橋の大学病院も建て替わる。老家人が泌尿器科脳神経外科、眼科とお世話になったところである。でももう行くことはないな。昼はオリジン弁当。夜は環七の魚屋の鰹刺しと明太パスタ。一通り酔った後もエアコンや扇風機や風呂場の掃除。

 

9/1・土

 来年度の概算要求には小中学校のエアコン設置費用も盛り込まれた。こう言うことだけは早いな。いやしかし、国家の面子に掛けて子どもを学校に囲い込む意志のようなものを感じる。器より中身の方が大事なんだけどね。暑い日は自由登校か音楽室で自習。其れでいいんじゃない。子どもの自殺が増える時季でもある。

 高枝切りの後、西友に参り、ガスコンロを購入。リニューアルの度に買って来たからもう何個目かな。汗びしょびしょになりながらバスで搬送。何度も言うがアンチネット通販派は辛い。併し外資が撤退したら此の店はどうなるのだろう。「緑屋」以来の歴史ある店舗である(吾人の記憶にあるのは「アムス西武」から)。昼は新しく出来た店でさっぱり煮干しラーメン(750円)。偶にはこういう薄い味のものも食べなくては。周囲はこってり派が多数。最近は煮干しがブームらしいが、全部磨り込んだ濃厚味だとプリン体が心配。午後も低木の剪定。多少の雷雨あり。漸く本当に涼しくなる。一雨ごとに秋が来る感じ。

夕方に映画「愚行録」。かなりの悪意と格差社会における怨詛が交錯すると殺人事件が起こるという設定。後半三十分の結構早い展開に少少驚いた。結論から言うと、どうにも主人公の妹は文応大学(多分京王)に入ったことが間違いの発端のよう。折角苦労して入っても目指す方向性を間違えていてはね・・・。いっそ鳳生大学くらいにしとけば佳かった。其れか国公立。そして真面目に勉強して公務員にでも成ればいいのである。