3月中旬以降

3/31・土
 一日大風が吹く。お午前から雨。夜には止む。北風に代わり結構寒くなる。土曜は休業なので出社もなし。職業野球始まる。思えば去年はそれどころではなかった。野球にしろ花見にしろ、去年の今頃の記憶がすっかりない。何だか二年ぶりの感覚である。


3/30・金
 一日曇り。南風が吹き荒れる。昼食を買いに行かせた家人が中中帰って来ず、やきもきした。夕飯が遅くなる分はお酒を飲むから一向に構わないが、昼食が遅くなるのは五分と耐えられない。昼食後は少し横になることにしているが、昼食が遅くなった分、直ぐに出社す。何だか普段と違ったせいか、何時も以上に授業に身が入らなかった。金曜会出席。肉を焼いてお酒を飲んだ後、喉を動かしに行った。丁度新店が出来ていたので入ったところ、精算も給仕も悉く自動化されていて万事お客が動かねばならない。此れは新方式だと驚く。
 消費税増税閣議決定される。其れに反対して連立与党の小さい方が分裂す。それにしても一千兆円の借金とは良くもそんなに沢山使った物だと思う。贅沢した訳ではなし、矢鱈と大きな軍艦を造った訳ではなし。みな平時の借金であるから猶驚く。こうなってしまった以上早く終戦の詔を出して返済を始めるべきである。


3/29・木
 日中ぼんやりと晴れる。此の処流石に暖かい。外套の内側を外し大部身軽になる。午後出社。小学生のきゃあきゃあという黄色い声が鼓膜に残る。可笑しくなった耳を洗濯しようと退社後は馴染みの晴雷亭に寄った。この店は廉価な中華蕎麦屋だが、どういう訳だが新潟の銘酒が一銘柄だけあり、奮発して二杯飲んで帰る。又店主は四半世紀ぶりに出汁の取り方を変えたと言い張るが、生憎当方には其れを見極める程の俊敏な味覚を持ち合わせていない。自らの舌の不明を恥じて早目に帰宅。矢鱈と猫を撫ぜたくなり、夜更けに外猫を呼び寄せたが、只管逃げ回るばかりで誰一人として掴まらず。人語を解せぬ処は人間の子と同然である。数日来花粉格別酷し。


3/28・水
 午前は晴れ。夕方に一雨あったが予報された程荒れなかった。午後出社。漸く給料支払われる。今年に入って二回目である。雀が泣くのが三分の二になっては干上がるのも当然である。以後二時間半ほど立って飲んで帰宅す。


3/27・火
 日中概ね晴れ。13、4程度。午後出社。退社後は何時もの中華蕎麦屋に行き、一杯300円の中華蕎麦と一杯250円のコップ酒を沢山腹に仕舞い込んで帰った。午後8時頃に地震警報あり。東北はかなり揺れたそうだが、関東の私は何も気づかなかった。二号機の損傷甚だしく人間の手には負えず。機械すら強い放射線で故障すると云う。これから専用の機械を工作して片付けさせるのだという。


3/26・月
一日薄雲り。今日から春の講習だが午前授業の受け持ちは一切しない事にした。午後出社。未だ給料払われず。万事不愉快なり。8時過ぎに退社。良く行く立ち飲み屋が本店より大きな支店を出したので隣町まで出掛ける。二年半前に二人で始めた店が、開店するなり忽ち客が押し寄せ直ぐに本店を増設した。其れでもお客が減らないので、此の度支店を出す事になった。この間延べ床面積では当初の凡そ10倍に拡大した。当然従業員も次から次へと増え、後から入った店員が既に店長になり、当初は店童の様だった若者も今では立派に板場を任されている。経済が拡大するとは誠に胸のすくほど気持ちが良いものであると思った。ただ当方には御祝儀を出すほどのお金の余裕は無いので、云われた通りの勘定をして自転車で暗い道を一人で帰った。


3/25・日
 晴れ時時曇り。陽が差すと暖かいがそうでないと寒い。一日無為。


3/24・土
 晴れると云われたが予報は全く外れ、冷たい霧雨が頻りに降る。夕方には漸く少し晴れた。大きなマーケットに行き岩手の牛肉を買う。半額の大安売りだったが、検査済みというシールも張り付けられていた。結局の所お客の購買意欲は普段と変わりないらしく余り売れている気配は無かった。個体番号を調べたら命日は先月の28日であった。折角の命の値段が半分では牛も可哀そうである。


3/23・金
一日寒い。体が重く喉がおかしい。何だか風邪を引いた様な気がする。丁度読んでいた大正八九年頃の日記に西班牙風邪の記述が多数あり、その余りに見事な流行ぶりに、読んでいる此方まで具合が悪くなったのかもしれない。字面から染み出してくるとは大した感染力である。
お午から冷たい雨。家人を耳鼻科医に診せた所、喉の痛みは乾燥に因る粘膜の損傷だと云い以後快方に向かう。注文しておいた復興地酒の詰め合わせが届く。四合瓶8本で壱萬円也。ただし被災地と認定された自治体は230にも及ぶので、何故か新潟の酒まで入っている。明らかに復興支援と云えるのは、気仙沼、大槌、会津若松の三本のみと云った所。一応全てを東北急行に認定し勘定した所、漸く78本に達す。
午後出社。給料未だ支払われず。無責任社長の能天気を見ていたら胃がむかむかして来て以後何度も上厠す。退社後は大事を取って金曜会を欠席し、家で少しだけお酒を飲んだ。往復とも自転車急行強行運転。


3/22・木
 数日来家人の片方が風邪を曳き、特に今朝から唸っている。何分高齢なので心配したが体温は36度と少少だと云う。苦しみと云う物は個人差があるが、余りに敏感過ぎても困りものである。昨日の自転車急行が復路運休した為、一時間掛けて徒歩出社。但し給料は未だ支払われず。その為か職務中も頭がぼんやりす。退社後は馴染みの店で昨日とほぼ同じ物を食べた。順序と会話があった分、旨かったし又胃に残る様な事も無かった。欧州の債務危機も何とか収束しそうで此の処円安に振れる。其れでも1弗83円程度也。


3/21・水
 一日曇り多少暖かい。午後出社。早退して渋谷に演奏会を聞きに行く。高校生の教え子が吹奏楽部に所属していて、毎年この時期はそういう事になっている。併し昨年は震災の影響で中止になったから、二年ぶりの演奏会である。音楽の事など丸で分からないが、色色な楽器が見られて色色な音色が聞けて良かった。今日は久久に都心の電車に乗ったが、歓送迎会の時期だというのに依然として電燈も雰囲気も暗くて吃驚した。帰りがけに知らない中華料理屋に寄る。麦酒と餃子と焼飯を面倒なので一遍に注文したら、一遍に出て来た。一遍に食べると云う御行儀の悪い事をしたら、夜半かけて胃がかんかんになって気持ちが悪かった。食事にも指揮者が必要である。職場の電気使用量三割減。以後節電も二巡目に入る。


3/20・火
 春分の日。割と暖かい。昼食はサンドウィッチを食べたくなり自転車を走らせる。国道脇を幾らも走らない内に忽ち巡査と巡査部長に二度も追い駆けられる。意識するから追い駆けられるのか、追い駆けられるからつい意識するのかは知らないが、日常の茶飯の事とは云え面白い事は何も無い。巡査部長など態態パトカーから降りて駆け付けて来たものだから、私も大物手配者の様相である。不毛な遣り取りの連続で、パンを食べる気がすっかり失せたので弁当を買って食べた。全く与り知らぬ所で来る筈のお客を取られたパン屋は警察を訴えるべきである。
 午後臨時出社。今日の授業は一切無いので、誰もいない教室で今後の時間割を検討す。検討後は只管書類を廃棄する。年度末の棚ざらえである。昔の生徒の記録だとかもう辞めてしまった講師の履歴書などを千切っては投げ千切っては投げ古紙回収に回す。今の職場に居て10年にもなるが、随分と色色な人と合って、そして送り出した物だと暫し感傷的になる。中には若くしてもう彼岸まで行って仕舞った者もいる。誰もいない分、作業は捗ったが、面白いという事もない。7時には退社した。才媛の一人の乾田さんが就職に伴い引っ越す事になった。小さな送別会を行う。又一人飲み仲間がいなくなって仕舞った。一層寂しくなると思った。


3/19・月
 午前中は北風が吹き荒れたが、午後には大人しくなった。その分日は陰り結局寒い。午後出社。明日は休日なので何処の飲み屋も混んでいた。瓦礫の受け入れは多少は進みそうな感じである。


3/18・日
 一日曇り時時霧雨。気温は10度を少し上回った程度。昼は新しく出来た店で中華蕎麦を食べた。味は良かったが店内は白熱電灯が煌煌と照っている。60ワットが少なくとも15個以上。本当に何とかならぬ物かと思った。次回は代金を蛍光灯で支払おうと思う。


3/17・土
 八戸線が復旧す。一方気仙沼線や山田線は復旧工事の見込みすら立たない。このままバス転換されるとのこと。一日冷たい雨。増税を巡り再び与党は分裂の様相。増税と歳出の見直しと新産業の育成、全部を同時にやって、辛うじて沈没を防げるかどうかの瀬戸際なのに甚だ悠長である。


3/16・金
 昼は比較的暖かかった。午後出社。学年切り替えによる事務仕事多し。高校生の追試験対策で図形を教える。三角形の外心やら重心やら傍心やら、よくも幾つも考えた物だと感心す。すっかり頭が三角に成って仕舞ったので、お酒で丸くするより他が無かった。金曜会出席。


3/15・木
 てっきり南風が吹き荒れているものと思ったら実態は北風であった。今年は春一番も無い。今日も寒い。退社後ラーメン屋から始めて安めの店を三軒梯子す。帰宅は1時を過ぎる。


3/14・水
 お天気だが今日も寒い。午後出社。地震多し。特に午後9時過ぎのものは都内も結構揺れた。


3/13・火
 火曜不出社。拙宅の電気使用量前年比三割減。又瓦斯代は二割増しに留まった。溜まった日誌を書く。


2012年・3/12・月
 久久に出社。職場を一週間も留守にしたが、此の間の新たな生徒の問い合わせは無し。少し立って飲んで帰った。梅が漸く満開となる。