2012年4月

4/30・月
一日曇り、ただ気温は高め。大型のテレビジョンで職業野球を見る。その合間合間に昼猫を捕まえて来て、表を撫ぜては引っ繰り返し、裏を撫ぜては引っ繰り返して、また表を撫ぜたりしている内に夕方になった。それ以外は無為。


4/29・日
 一日晴れ。気温高め。一日寝たり起きたりした。お酒を控え目にして、家人とぼそぼそと晩食していると地震警報と地震が同時にやって来た。千葉東岸で震度5弱。都内は2程度。群馬で酷いバス事故あり。人と荷物が動けば何れ必ず事故は起こるから、人と物は無闇に動かさないことが肝心である。従って矢鱈滅多ら交通機関を発達させるべきでない。そして平素は何処にも行かず節約に努め、旅行は此処ぞと云う時に大枚を気前よく払って行くべきであると思った。


4/28・土
 漸く朝から晴れた。宿酔のまま横浜の百貨店の屋上に行く。今日から大型連休で、其れに合わせてビヤガーデンが臨時で営業すると云うので、月波君と鷺乃間君と昼から飲む。風も見晴らしいも良い上に、時間制限が無いと云うのが良かった。
大抵のビヤガーデンは飲み食い無制限だと時間に限りを設けてあり、酒飲みはそもそもが賤しいから、支払った代金を早く償却しようと餓鬼道の様に血相を変えて殺到するのが見苦しくて嫌である。我先と飲み場まで走って行ったりして、仕舞には勢い余って人とぶつかって折角の料理や麦酒を引っくり返す者まで見たことがある。狂ったように暴飲するのは呉呉も頂けない。
だが当該ガーデンは時間制限が無いので、万事ゆったりと過ごせた。夕方の閉店時間まで居たが、普段の二時間分を四時間掛けて飲んだので、午前中より却って調子が良くなった。大体時間が長くなったからと言って沢山飲める訳でもないから、他のビヤガーデンも是非見習って欲しい物である。その後大井町の馴染みの店に行き、常連風を吹かせ、店主相手に勝手に激励して帰った。


4/27・金
 昨夜から夕方までずっと雨。よく降ると思った。午後出社。負の数同士の積が何故正の数になるのかの説明で難渋す。掛け算は、実在の合算である足し算とは違い、違う概念の物を掛け合わせるから一瞬の勝負である。只でさえ論理の飛躍がある上に、更に負の数が絡むと猶難しいらしい。そんな理屈は抜きにして結果を覚えて仕舞えば良いのだろうが、何遍説明しても納得出来なかった様。しつこく質問して来るので、中学に上がった以上、例え理不尽な事であっても進んで受け入れなければならないと、怒鳴り散らすより手が無かった。数学とは一種の通過儀礼で、計算法則如きに拘泥すると却って往けないと思った。退社後は金曜会。理不尽な数学を早く忘れようと亦白酒を飲む。帰宅は深夜となる。


4/26・木
 朝からやけに騒騒しいと思ったら、与党元代表に無罪判決が出たようである。それにしても特捜検察が調書を粗製乱造して裁判官に叱られる一方、お金に好かれた古い政治家が国難時の救い主の様に扱われるとは、余りの時代状況の変貌ぶりに一身にして二生を経る思いである。このままの調子なら何生を経る事になるのか見当もつかない。愈愈下駄を冠に頂く様な事も起こるやもしれないと思った。亦これで与党内は再三再四の内輪揉めが始まるのかと思うと気が重い。
 曇り時時小雨。南風やや強し。今週はずっと雨が降っている。午後出社。傘がひん曲がるかと心配す。退社後晴雷亭寄る。その後は何時ものように転進す。而し立ち飲み屋は繁盛し過ぎた上に人手も足らず、轟轟怒鳴る様に注文しても、三つに一つも聞き入れられず。支店に持って行かれた店員の後釜は未だ見付からず、休みなく働く店員殿は頗る不機嫌である。新人は募集しているとの事だが、市場経済の調整力なぞ所詮此の程度のもので、店員もお客も居る所には余るほど居て、居ない所にはとことん居ないのである。巨人になり其の巨手を以て過剰なお客の何割かを摘まみ出し、足りない店員を招き入れたいと思った。


4/25・水
 早朝に千葉北部で震度4。都内も矢鱈長く揺れた。一日薄雲り。気温は高かった。午後出社。夕方から小雨。退社後直帰。舌の根っこに口内炎が出来て相当痛む。


4/24・火
 家人の強い指導により拙宅の全トイレの換装に着手す。殊に二階のトイレなど随分前に適度に壊れて仕舞い、バケツで水を運んで態態流していただけに有り難い。ただ水道屋さんが寸法を間違え、二階の便器を先に一階に取り付ける事になり、壊れかけのトイレとはもう少し付き合わなければならなくなった。最新型は随分と節水になるそうである。
家電にしろトイレにしろ、増税前に出来るだけ沢山取り換えろとの家人の指示で、拙宅では駆け込み需要が既に開始されている。ならば、もうすぐ大増税か大インフレにするぞと政府が国民をもっとしっかり強迫すれば、国民は慌てて物を買い始め、デフレーションも解消するかもしれないと思った。一日晴れ。溜まっていた一週間分の熱量が降り注ぐ。すると暖まり過ぎたのか、夕方から小雷あり。火曜不出社。


4/23・月
 午前は曇り時々雨。午後はずっと濡れる冷たい雨。雨を衝いて自転車急行運転。相変わらず鼻が悪い為、喉も連鎖的に悪くなる。先ず鼻を治そうと市販の鼻炎薬を内服す。すると猛烈な眠気に襲われ、ぼんやりと授業す。退社の頃になって頭が少しはっきりしてきたので少し飲んで帰ることにした。お天気のせいか立ち飲み屋は珍しく空いていた。
電気が足りる足りないの神学論争続く。電気もお金と同じで、足りないと云えば足りなくなるのだし、足りると云えば足りるのであろう。料理屋に宴会を頼むとの同じ要領で、今年の夏はこれこれキロワットで遣り繰り下さいと云えば、其れで如何にかするのであって、結果として如何にか成るのである。予算が少なければ、鯛の御造りが冷凍物の鯣烏賊になり、生麦酒が節税麦酒に取り換えられるような事はあるだろうが、宴会が開けないほど、発電量が少ない訳ではあるまい。


4/22・日
 今日も曇り。大きな外出なし。福島からお酒を二升取り寄せた。此れで東北急行は四合瓶換算で83本に達した。山口の化学工場が爆発炎上す。其れでも住めなくなると云う訳ではなし。


4/21・土
 一日曇り。肌寒い。此処の所殆ど太陽を見ていない。其れでも草木はどんどん生える。今年も草刈りが開幕である。大型連休近し。今年は相当の人の出になると云う。前年と比べても仕方が無いから、前前年比という表現が見られる。二年前と比べても相当増えるとのことであるから、人の足に踏み潰されないように精精家でじっとして居ようと思う。


4/20・金
 一日曇り。午後出社。少し宣伝して歩く。今日の中1の授業は適度な質問も出、上手く進んで良かった。偶にこういう日があると酒量が適切になって良い。金曜会出席。


4/19・木
 一日曇り。薄着になった分、矢張り寒い。午後出社。退社後は立ち飲み屋に行った。相変わらずの大混雑で、取りつく島を見つけて漸く入った。するとその島は外国島だったらしく、新西蘭からのお客に色色と話し掛けられて難渋した。大体、仕事の後に態態お酒を飲むのは、色色な案件でごちゃごちゃになった頭をさっぱりさせる為であるから、飲酒時にはなるべく頭を動かしたくない。お酒の力を借りて来て少少馬鹿になるぐらいが丁度良い。下手に動かして英単語が錯綜して仕舞った頭を洗濯する為には、家で飲み直すしかなかった。


4/18・水
 ここ二箇月ばかり職場に山ほど積んであった教材の見本などを、自転車急行に乗っけて少しずつ持ち帰って来た。職場で処分するとお金が掛かるうえに、本好きの本読みにて、例え問題集の類とは云え無闇に捨てるには抵抗があるので毎年そういう事をしている。大部溜まった教材を図書館の交換本の棚に入れに行った。何処かの真面目な学生に拾われて勉強して貰えると有り難い。一日薄雲。ただ気温は低め。午後出社。鼻風邪酷し。久久にマスク掛けとす。体調優れず退社後直帰。家のお酒も旨くなかった。
二閣僚の問責決議案出る。国会は辞めろ辞めるなの再三再四の泥仕合となる。第一原発からの15キロほどの無人の街の桜が綺麗に咲いたそうである。住民の意向を汲んで特別に撮影されたとのことである。


4/17・火
 午前中は暑いくらいだったが午後から寒気が入り雷雨あり。火曜不出社。炬燵の撤去など一日雑用に追われる。政府は原子力発電の再稼働で忙しい様。それより公共施設の屋上に太陽光発電の板を敷き詰める方が先であろう。原子力規制庁の発足もまだである。


4/16・月
 一日ほぼ曇り。午後出社。少しだけ無責任社長と飲んで帰る。


4/15・日
 伯母の舞踊の発表会に動員される。古典芸能など全く与り知らぬところだから、見聞を広げる機会があってよかった。それにしても八十近い伯母が、禿の役をやれるとは、古典芸能とは実に大らかな世界であると思ったが、案の定、立ち上がりの場面でもたつき、一同はらはらす。その後川崎へ回航し金曜会の別会参加。花は既に無いので、店屋での款語となる。又井満氏を見舞った諸氏の報告によると経過は順調の様。更に大井町に寄港し帰宅は深夜となる。


4/14・土
 昨夜の酒の破壊力は凄まじく寝て起きたら正午であった。ただ宿酔は無し。一日雨。突然一日が半分になってしまったので、残った半日で家内の雑用を果たす。


4/13・金
 北の衛星は逸れたよう。大体弾を弾で撃ち落とすことは困難であるから、大騒ぎした所で如何にもならない。如何にもならない事を心配するのは心配の浪費である。午後出社。少し宣伝の為に歩く。夕方から雨。退社後は金曜会。中華立ち飲み屋に行く。56度の白酒を面白半分に飲んで傘を差して自転車で帰る。何とか無事故で帰宅す。


4/12・木
 スマトラ島沖で再び大地震があった。被害は少なかったらしいが、此処も数年来余震というか連鎖地震の類が頻発している。当然日本海溝の辺りが心配になるにはなる。其れを受けてか連日連夜、専門家も山ほど登場し、あそこは危ない此処も危ない、起きるの起きないのと予想屋の様に宣うが、例によって予想の正誤が判明するのは数年や数十年という単位の事とて当方としてはどう仕様もない。
朝から晴れる。桜は辛うじて持ちこたえたよう。精精生きている内にもう一回花見をしたいと思う。午後出社。京都で酷い自動車事故あり。北の迷惑衛星よりその辺の自動車の方がよっぽど恐ろしい。退社後は節約して其のまま帰る。


4/11・水
 朝から小雨。お午から風吹く。午睡ののち午後出社。再び降雨。辛うじて濡れずに着いた。近所の婆さん怒って現る。無責任社長がお金を借りて返していないらしい。早く返すようにと伝言を頼まれたが、此方の給料が返済に回されて仕舞ったら堪らないので黙っておいた。此処は現役世代を優先して貰おうと思う。途中散髪す。通常授業で一週回った。一言の質問も無いクラスがある一方、決壊したように騒ぐクラスもある。双方とも正常に人語を解しているとは言えまい。退社後は立って飲んで、止むのを待って帰った。


4/10.・火
 一日晴れ。火曜不出社。一日無為。家人日帰りで腸の検査。麻酔の為、千鳥足で帰宅。此れは危ないと思った。


4/9・月
 一日晴れ。気温も23、4度まで上がり初夏の様な気候となる。午後出社。外套なしで自転車急行運転。愈愈新学期だがこうして桜も満開となり、更にこうも暖かいと却って勉強する気も、教える気もしない。春に新学期を迎えると云うのは、南半球と日本ぐらいなものであると云う。世界標準は9月始業で、昨今は日本の大学も其れに合わせるべしとの意見があるそうである。となると学習面では、秋始業が人間の生理には合っている様な気もしないではない。現に日本も明治期までは高等学校以上は、秋始業であったという。だが南の国も赤道直下の国国もこうして授業をやっているのだから、気候の影響と云うのも限定的なものかもしれないとも思う。大体春が面倒臭いと思うのは、花を見ながら毎日でもお酒を飲みたいと思う教える方の都合であって、教わる子どもの方は季節の違いなど大して感じていないに違いない。そんなことを考えながら、退社後は直ぐに帰った。


4/8・日
 午前中は朦朧とす。午後は溜まった日誌を書く。以後無為。晩食は少なめにし、夜食に中華蕎麦を食べに行く。節制の為に味を薄くしたら、味がぼやけて何を食べたか分からない体であった。大変損をしたと思った。


4/7・土
 金曜会の花見会で早朝から出動す。調理器具と簡易焜炉を満載した紙袋を両手に抱え、多摩川縁の公園に出掛ける。併し敷物担当係が大遅刻す。仕方なく持参の紙袋二つを枯山水の岩の様にさり気無い間隔で配置し、何とも自信のない場所取りとなる。花見はお午に開始し、乾き物だけでは貧相なので、早速瓦斯を燃やし温かい物を供食す。
一方広場はあれよあれよという間に混雑し地面の隙間と言う隙間が敷物と人と飲食物で覆い尽くされることとなる。当然厠も大混雑の大行列で行って帰ってくるだけで、二十分はかかった。それにしても壮観な光景で、皆が寄って集ってお酒を飲み、体内で少しの間保管した後、片端から下水に流しているのが良く分かる。
私を含め金曜会の面面は普段から沢山お酒を飲んでいるから、飲んでいる場所が普段と多少違うだけで需要其の物が拡大することは無いが、平素余り飲まない人がこれだけ派手に飲食すれば、飲食産業の景気も回復し、酒税と消費税がたんまり集まり徴税担当は大喜びであろう。ならば春の梅や桜に限らず、日本の方方に雑多な花の木を沢山植え一年中花見を推奨すべきである。
金曜会の花見は夕方に終了。以後目黒に転進し、更に夜遅くまで飲んで帰る。誠に草臥れた一日であった。


4/6・金
 一日晴れ。午後3時まで何度も寝直して3時半に出社す。退社後は明日の花見の算段をして帰る。今月から食品の基準が厳しくなったので、千葉の筍や茨城の平目の出荷自粛が発生す。どちらも好物にて残念である。拙宅の電気使用量は前年と同じ。


4/5・木
 一日晴れ。10時まで寝ていてもまだ眠い。季節の代わり際は特に眠い。又寝をし昼食を食べ2時まで更に午睡し、午後出社。今日から通常授業。夜晴雷亭寄る。


4/4・水
 一日晴れ。朝の内に大型テレビジョン届く。ただ只管大きくなった以外に然したる取り柄なし。而も此の会社の製品は超有名女優が宣伝しているので、国内生産品とばかり思っていたら、実際は隣国製であった。異様に安かった以上、文句も言えない。国内組み立て品を買い、国内の雇用維持に多少は貢献したのだと胸を張っていたが、其れも僅か三日の勘違いであった。画面が大きい分、見たくもない政治家の顔が大写しになって却って迷惑である。本来はテレビジョンも政治家もいやだからどちらも目立たぬ方が良い。
午後出社。今日で春の講習お仕舞い。少し晴雷亭で飲んで帰る。庭の枝垂れ桃咲き始める。今年は一週間は遅い。其れに枝の半分が夏の内に枯れてしまったから花も半分である。


4/3・火
 増税法案を巡って与党は再びの御家騒動に。首相は野党に助け船を求める事態になる。当然船賃は相手の言い値になるのでおいそれとは飛び乗れない。いい加減に見飽きた光景なので、国民の関心薄し。増税までの二年間でもっと歳出を削ると云う選択肢もあるだろうに。日本海を大型の低気圧が移動中で朝から風強し。大風恐怖症の家人はあれを片付けろ、これを端に寄せろと朝から煩し。荒天の前に出社し、荒天の後に退社す。往路復路とも自転車急行には何の影響も無かった。


4/2・月
 一日晴れ。午後早くに出社。昼の天丼を大急ぎで食べたせいか、夕方から胃がおかしくなり飲まずに帰宅。家で麦酒一缶のみ。直接的には今日は一円も使わなかった。



4/1・日
 一日晴れ。用があっても滅多に行かない家電量販店に行き、居間のテレビジョンの置き替えに着手する。大体家電を取り替えると、細細と説明書を読んだりせねばならず、一時的であれ使い勝手が悪くなるのが、腹が立つほど面倒である。従って家電製品は最小限にして、叩き壊れるまで使用すると云うのが拙宅の本筋であるが、今回は家人の強い要望を受けて、テレビを新型にすることにした。行って見ると何時の間にテレビはみな鯛の御造りのように薄っぺらになっている。而も国内生産品でも40型で五万円を切っている。32型は三万もしない。十年前の九割引きの値段で売り場に山積みされているから驚く。鯛がバナナの値段になって仕舞っては家電の会社も大変であろう。
お酒を飲んで寝ていると地震警報あり。浜通り震度5弱。都内は2程度。新年度も早速此の有り様である。