2013年5月

5/31・金 
 一日晴れ。午後出社。退社後、月波君来たる。あちこち飲み歩いて過日の非礼を補填す。


5/30・木
 日中曇り。夜は雨。午後出社。春に高校に入れてやった生徒が、もう学校を止めると云い出す。全く堪え性がない。別に高校を出なくても立派な大人にはなれるとは思うが、高校を途中で止めると、何とは無しに自信を失くして一種の止め癖の様な物が附いて仕舞う。其れに高校生活が務まらないのなら、勤め人の生活なぞ益益難しいから、其のまま社会との接点を失う事例も多い。乾坤一擲何とかしろと云いたかったが、御医者さんから診断書まで貰って来たから、どう仕様も無いようである。この場合診断書は退校届と同じ効力を持つ。
本来は親や教師と本人でもう少し何とかすべき所に、最近は御医者さんが直ぐに介入して来る。所謂心療内科帝国主義化である。こうして病人と薬と診療報酬明細書が大量生産されるのだと思った。退社後は元店長の店に行き雨を見ながら独りで飲んで帰った。


5/29・水
 南風吹き付け時時雨。関東も早い入梅。西の青年将校は、自らの本音とやらを折角伝えてやった新聞を今度は誤報を流したと怒り始めた。何でも記者の国語力が足りないのだと説教まで垂れていると云う。その昔、ああ言えば何とかと詭弁を弄す者がいたが、そいつと全くいい勝負だと思った。今度高田馬場辺りで罵り合いをさせて見たら面白いと思った。
午後出社。退社後も一時間ほどで帰った。家人再びの腸の検査を受ける。麻酔の切れが今一つで、夜になっても呂律が回っていない。取り立てて癌の家系ではない筈だが、心配し始めると切りがない性分だから仕方がない。その内に毎日あちこち検査したいから、病院の隣に住み込むとでも言いかねない勢いである。


5/28・火
 一日曇り勝ち。日中は草と低木を刈る。両家人の作業能力が低下するに従って吾人の負担が増し、つくづく庭の手入れに翻弄される。刈っても刈っても次から次へと生えて来るから、この仕事は春に始まった切り、冬の落ち葉掃きまで終わりは無い。更に自動化も機械化も出来ない。全部引っこ抜いて混凝土で固めて仕舞うか、集合住宅に引っ越せば楽であろうと思った。然し皆が皆そういう所に移り住んで仕舞えば、植木屋も庭師も集団廃業である。こういう手間暇の掛かる産業を残しておかなければ、国内の雇用が益益無くなると思った。
投機資金が流出し株価乱高下する。平均株価が凡そ二倍になるのに僅か半年。膨張も速いなら収束も速い。愈愈何とかミクスも終末期に入ったのだろう。早く人人が正気に還って欲しいと願うところもあるが、再び人人が無意味に財布の紐を引き締めて貰っても困ると思った。


5/27・月
 後輩を粗末にした祟りからか、相当な宿酔となる。七転八倒ほどでは無いが、二転三倒にはなって仕舞った。午後出社。退社後も直ぐに帰った。家で昨夜の飲み残した缶麦酒を口にしたのみ。


5/26・日
 金曜会の遠足企画と云う事で、横浜の外れにある貨物駅を見に行く。鶴木さん、柳夫妻同行す。貨物鉄道の一般公開とのこと。例によって動かない汽車を見ても大して面白くないから、少しは動かして呉れた。其れにどういう訳だが蒸気機関車が一両だけあり、其れも後ろにディーゼル車を附けて押したり曳いたりした。ご丁寧にも臭い付けの石炭まで焚いていたから、割とサアビスして呉たのだろう。
見学は一時間程で済ませ、その後は只管飲むことになる。本牧の廻る御寿司屋で三合、バス移動を挟み、煉瓦倉庫を見ながら麦酒を二缶。夕方に仲田大将合流し、野毛の焼き豚屋、更に餃子と駄洒落が上手い中華屋にも行った。
その内に何時も来る筈の月波君はどうしたのかと云う話になる。電話を掛けると丁度大阪出張から帰京中とのこと。哀れにも月波君は新幹線の中から態態呼び出されることになった。併し合流する頃には全員泥酔中となり、直ぐにお開きになる。新横浜で途中下車させてすまなかったと思った。此れは先輩権力の濫用だと思った。途中まで京浜線で二人で帰った。


5/25・土
 遠くのマーケットに片木蕎麦を買いに行く。買い求めたのは乾麺だが、歯切れが良くて腰も強く十分旨い。家人共共気に入っている。そう云えば同じ新潟の矢鱈大きい油揚げも旨い。日本にはまだまだ旨い物が眠っていると思う。安い物ばかり売らないで、こういう物を探し歩いて売り出すのも小売業の使命だと思った。其れ以外は無為。


5/24・金
 湿度は低いが一日侃侃照り。午後出社。今日も退社後が来た。金曜会と合流し、立ち飲み屋を先月辞めた店長が新しい店を始めたと云うので行って見た。何の事は無い、新店は線路を跨いだ直ぐ近くに出来ていた。それにしても、餞別こそ渡さなかったが色紙に寄せ書きまでして態態見送った筈の店長が、ひと月後にはこうしてけろりんと目の前に居る。何だか不思議な感じであった。何でも旧店の商売敵に思われたくなかったから、内緒にして措いたとのこと。蚊帳の外に置かれた感じがして少し面白く無かった。


5/23・木
昨日の運動量と昨夜の酒量が足りなかったせいか、4時に覚醒す。併しすることもなく、朝から木を切った。午後出社。


5/22・水
 午前中はふらふらす。ぼんやりしていると、最寄りの警察署からチラシが来る。偽の電話が掛かって来て、管内では今年に入って十軒以上、合計で二千万も取られたと云う。下は三十万から上は七百万も取られている。気を附けろと幾ら年寄りを注意しても、取られる時は結局取られて仕舞う。其れだけ遣り口が巧妙化しているとのことである。この手の詐欺ほど、進化を遂げた物も無い。
併も詐欺団は、年寄りが貯め込んだ御金を世の中に還流させて、一種の義賊の積りになっていると云うから困ったものである。幾等年寄りは御金が有ると云っても、全ての年寄りがそうではない。一億貯めた年寄りが三百万を取られても、ああ酷い目に遭ったで済むだろうが、漸く百万円貯めた人が五十万も取られたら、危急存亡に関わる一大事である。人を集合体で判断して仕舞うのは、テロルも戦争も犯罪も同じであり、呉呉も宜しくない点である。
それにしても、詐欺犯も其れだけの交渉力と演技力があれば、営業員として十分通用するだろうと思った。若者を正業に就かせるのは大人の使命であるから、是非大貧学院で雇い入れたいと思った。御孫さんの御勉強が只今大変な事になっています。今すぐ佳い学習塾を紹介しますとやって頂ければ、子どもの頭も良くなるし、親にとっても学習塾にとっても大変結構である。午後出社。


5/21・火
 一応晴れたがすっかり蒸してくる。火曜不出社。再び茶毒蛾の退治。月波君が御酒を飲みたいと云うので地元に呼び寄せた。枕草子に準えると、初夏は明るい内から飲み始め、中中沈まない陽が少しずつ暮れて行くのを観ながら飲むのが佳い。月波君には呉呉も早く来るように念を押したが、千葉の舟橋から馳せ参じたのは6時半過ぎとなった。早速目星を附けて措いた伊太利亜食堂のテラス席に陣取る。暮れる街並みを眺め、佳い風に当たりながら発泡葡萄酒を傾けた。雰囲気は申し分なかったが、あっという間に暗くなって仕舞い、幾らも楽しめなかった。更に鷺乃間君も合流す。更に二軒ほど飲んで帰らせた。11時頃帰宅す。


5/20・月
 気象庁のレーダーには映らぬ様な、霧のような小糠のような雨が結局一日降り続き、地を這う庶民を苦しめた。傘をきちんと差しても行きも帰りも前面だけしとどに濡れた。退社後は独り立って雨を観ながら飲んだ。何となく物憂い一日であった。


5/19・日
 大部前に近所の三階建ての集合住宅が解体された。まだ築二十年そこそこと云った建物だったから、随分勿体無いことをするものだと思っていたら、あっという間に五階建てに建て替わった。三階から五階へ、詰まり二階分を建て増ししたことになる。その分の家賃が多く入るから、まだ使える建物を叩き壊しても採算が取れるのだろう。建物の高層化は建築技術を使った錬金術であると思った。都心の方はもっと過激で、三十階でも四十階でも平気な顔をして建てている。かくして塔の様な集合住宅がそそり立つことになる。塔の様な建物が立ち並ぶ当たりは、地理の教科書で観たソビエト工業都市の様である。
併し日本の人口は減る一方だから、建て増した所に住人が引っ越して来た分、何処かの人口が確実に減っている。こうして便利な都心だけが繁盛し、田舎も郊外も人が吸い取られることになる。こうなると空いた土地にダーチャでも建てるしかなさそうである。傍らで野菜と馬鈴薯を作れば、経済危機が来ても何とか食い繋ぐことが出来るだろう。朝から段段曇って行き夜には降雨。家内の雑用をこなしたのみ。


5/18・土
 日中晴れ。茶毒蛾の退治。一日無為。


5/17・金
 日中晴れ、午後出社。此処の所漸く生徒が入り始める。併し昔居た生徒が出戻って来たり、今居る生徒が同級生を連れて来たりと、純然たる新規の顧客獲得は無し。つまり散散足を棒にして配った広告ちらしの成果は今の所皆無である。尤も広告は散歩がてらに配り歩いた所もあるので、大して期待はしていなかったから、そうがっかりすることでもない。
そもそも広告ほど怪しい物は無い。画期的な新商品や新サアビスの案内なら宣伝のし甲斐もあると云う物だが、飽和した市場に幾ら広告を打っても宣伝効果など在って無きが如きものであろう。それに広告の効果について誰もまともに研究しない。きちんとした文章を読んだこともない。それでも効果不明瞭な広告業がこれだけ繁盛しているのは不思議な話しである。広告と云う物にはタレントから印刷業者まで大勢ぶら下がっている訳だから、広告効果について真剣に議論すること自体が一種の禁忌なのだろうと思った。
退社後は先週の酒場に独りで行く。見知らぬ先客三人が社宅に入れる入れないと大声で何時までも同じ議論をしている。仕舞には喧嘩腰になっている。酔漢の問答など何処も似たり縁ったりだろうが、御題が社宅の入居条件では格別下らないと思った。今晩の複雑函数は落第点であった。


5/16・木
 日中晴れ。夕方から寒気が入り一雨あった。午後出社。退社後は短時間で帰る。というのも、最近実に十年振りに音楽のレコードを買った。吾人一人で聞くのは勿体無いので、複製して友人に送りつけてやろうと思ったからである。
併しどうやるのか丸で分からない。コンパクトディスクをテープにダビングしていたのが凡そ二十年前。それが十年程前にミニディスクという矢鱈小さい円盤変わったことは覚えている。以来全くの隔世の感であるが、理論的には全て手持ちのコンピューターで出来ると云う。色色調べて、先ず遠くの便利ストアに円盤を買いに行く。コンパクトディスクにも二種類あり、全く同じ形のディーヴイディーもブルーレイもある。同じ顔の物ばかり発達して貰っても困る。信号灯の様に赤青黄に別けてくれると有り難い。
 二時間掛けて何とか複製に成功す。これをいざ郵便で送ろうと思ったが、今度は大きな封筒がない。又大きな封筒にか細いボオルペンでは釣り合いが取れないから、太い文字で書きつけようと思っても、太いペンがない。おまけに相手の住所が分からないから、年賀状を引っ繰り返す。あちこち引っ張り出しは探し出して、更に半時間も掛かる。実際に物をやり取りするのは実に面倒である。併し面倒であると思うあたり、吾人もデジタル社会に馴らされたのだと思った。一大事業を全て完成させた頃には二時を回っていた。


5/15・水
 一日晴れ。気温高し。午後出社。暑い苦しい上に業務多忙で草臥れた。混んだ立ち飲み屋でげんなりしながら飲んで帰る。


5/14・火
 円安が急速に進む。概ね世界の投機資金が流入しているのだろう。世界の余剰資金は一京円を軽く上回っていると云うから、少し動くだけで相場は風前の塵の如く乱高下す。それにしても其れだけ沢山の御金があれば、印度や阿弗利加にきちんとした道路と水路と電路を造り、家と学校と病院を建て直し、砂漠を農地か太陽光発電所に変えることだって出来るだろう。最初の十年間は一切無料にして、地場の経済が上手く廻る頃になって、通行料や家賃や授業料や受診料や小作料を支払って貰えれば佳い。数十兆円程気前良く出資する実業家は居ないものだろうか。投資リスクは低くは無いが、右手人差し指一本で儲けた御金ならば、仮に全部失っても惜しくはなかろう。
 一日晴れ。気温は三十度近くまで上昇す。近所の倉庫のようなビルディングの一階が食堂になった。行って見ると、蕎麦饂飩、丼物から各種定食まで何でも出して来る。夜は御酒も出すようだが、今時分の大衆食堂の開店は珍しい。旦那らしき小太りの男が汗を拭き拭き中華鍋を振り、女房らしき矢張り小太りの女が飯を盛っている。チェーンストアだらけの街に、こういう起業は有り難いと思った。
家も人間もまだ暑さに慣れていない。空気清浄機と電熱絨毯を仕舞い込み、扇風機を出場させた。


5/13・月
 今日も夏日。午後出社。退社間際に生徒の親が来て、あれやこれやと話すうちに退社は十時半となる。飲む時間が半分になったので、少しだけ飲んで帰った。
西の青年将校が又何かとんでもない事を言ったらしいが、態態話しを聴きに行くからそういうことになるのであって、記者諸君が無視して仕舞えば良い。狂人が居るのは仕方がないが、その狂人にマイクを向けて調子良く喋らす者が居たら、むしろそっちの方が宜しくないのである。


5/12・日
 朝から良く晴れた。夏日となる。一日無為。


5/11・土
 御昼前から雨。夜半まで降る。溜まった日誌を整理す。晩食の肴は、家人が近所のチェーンストアで買って来た鯛と間八と厚揚げにしたが、どれも不味くて食べられず。鯛はぶよぶよ、養殖の間八は脂塗れ、厚揚げは半片の様にぷりんぷりんしている。常軌を逸した厚揚げである。世の中がこれだけ可笑しくなっているから、厚揚げも何かのきっかけで滔滔気が触れたのだと思った。刺身の方は少し食べて後は外猫に供し、厚揚げは全量廃棄となる。
外で飲食する場合、その楽しさは酒肴に加え店員や他の御客との会話内容等の複雑函数になるが、家で飲む限りのそれは、酒と肴との単純函数になる。その分、御酒も肴も良い物を用意しなければならないが、その為には佳い魚屋とまともな豆腐屋を誘致しなければならないと思った。


5/10・金
 気温が急上昇し朝も昼からだるい。出社後さっぱりしようと散髪屋に行く。何時もの千円均一の店だが、今回は襟足をばっさり切るよう明確に指示す。此処の処、遠慮勝ちに指示していたものだから、襟足がどんどん溜まって暑苦しかった。負債を一気に清算した感じになって清清す。
退社後は偏屈そうな主人が独りでやっている古い店で独りで飲む。その内に金曜会の面面が合流し一気に騒がしくなった。主人が怒り出さないか冷や冷やしたが、幸いそういうことにはならなかった。一時頃帰宅。意識混濁し居間で三時まで寝っ転がる。


5/9・木
 午後出社。退社後は二軒ほど何時もの所を回って帰った。


5/8・水
 日中ふらふらす。午後久久に出社。退社後は少しだけ飲んで帰った。


5/7・火
 北の弾道弾も撤収され始めたと云うから、皇帝の癇癪も収まったよう。北もそろそろ春である。春になれば気も弛む。
北の皇帝も元気だが此方の首相も元気である。連休中は外遊し、職業野球の天皇と始球式をし、山梨の別荘では孔球もして、もうけろりと国会で答弁している。相変わらず頭の中味の方もどう仕様もないが、少なくても政権運営に関しては裏方から、みしみしぎしぎしと不協和音が出て来ない分、随分増しになったものだと思う。前回の失敗から学ぶ所があったのだろう。
不協和音と内輪揉めと云う点では、民主党政権の方も一層酷かったから、現政権の支持率の高さはそういう所にうんざりした有権者の反発分もあるに違いない。民主党も首相に習い再度挑戦したら、もう少し旨くやって呉れると思う処だが、いざ其の時が来るまで、かの政党が残っているかどうかかも疑わしい。もうあと二カ月で参議院の選挙である。
冬型になり一日中北の強風。夕方に月波君来たる。地元の世田谷で飲む。新潟の御酒が一合600円の店に入る。新潟の酒は淡いから一向に口が疲れない。じゃぶじゃぶ飲める。所謂上膳水の如しである。折角御金を出して御酒を飲んでも水の様な味なら、水を飲めばいいじゃないかと下戸は思うだろうが、矢張りそういうことにはならない。二人で一升飲んだら、御財布も体もくたくたになる。


5/6・月
 日中二十五度程度まで上がる。早速冷たい蕎麦が食べたくなって近所の店に入ったが、曝し水が温く蕎麦が全く冷えていない。冷えてない盛り蕎麦など、辛くない漬け物よりだらしがない。盛り蕎麦の堕落である。おまけに蕎麦汁が甘くて甘くて、丸で味醂其の物のようで、舌を洗いたくなった。老夫婦でやっている昔からの店だが、此れでは駄目だと思った。夕方から北風に変わり一瞬雨が降った。夜から北の風が強まる。
 今日で大型連休も御仕舞。連休とは謂っても、土曜日曜を除けば月曜日が二回と金曜が一回赤くなっただけで、何とも短いものである。金曜日に方方に出掛けた人人人が、もう血相を変えて都会に戻って来る。大きな鋏で以て鉄路も道路も空路もちょん切って、もう帰って来るなと云いたかった。其のまま地方に定住して呉れば、均衡ある国土の発展になるだろう。


5/5・日
 一日晴れ。夕方になって重い腰を動かす。春日君に誘われて立川の町山さんの飲食堂に出掛ける。途中、下北沢の駅が廃業していて吃驚す。小田急線は地下に潜り、地上線と地上駅は廃止とのこと。周辺一帯は再開発されるらしいが、また塔のような建物が建つようだと困る。古くて危険な物は立て替えるべきだと思うが、せめて下から上まで人の声が届く程度の建物に替えるべきである。
 立川の駅で春日君と待ち合わせた。春日君は鳳生大学以来の付き合いだが、彼はやることなす事、守備が良くなくて有名である。例えば電話を掛けて来ても偶偶留守だったり、予定を立てても相手の都合が丁度悪かったりと、大抵運が悪い。矢張り悪い予感は的中して、町山飲食堂は九時過ぎまで予約でいっぱいだと云う。而も昨日は閑古鳥の里だったと云うから、今回も悪運が的中した感じである。別の店で麦酒を飲みながら空くのを待った。結局最初の御客が帰ったのは十時半であった。最終電車近くまで頑張ったが、町山さんの店では薄荷の入った洋酒を一つしか飲めなかった。最終電車の二本前を渡り乗りして、下北沢駅から歩いて帰った。


5/4・土
 民間放送などを見ると、景気が回復して来たなどと盛んに宣っているが、どう考えても増えた消費分の何割かは消費増税前の駆け込み需要である。嘗て電機業界などは補助金制度とテレビジョンの買い替えで活況を呈したことがあった。併しそれらは需要の先食いだったから、結局大変な苦境に陥って仕舞った。来年の四月以降、全ての産業がそうならない事を祈るのみである。概ね晴れ。気温は低め。吾人の風邪が家人に移る。家内の産業は全て停止す。昼食晩食共に調達に追われる。


5/3・金
 憲法改正私案。すべて国民は、健康で文化的な最低限度の酒生活を営む権利を有する。一日晴れ。気温低し。一日無為。


5/2・木
 世の中にはきちんと勉強した人とそうでない人がいる。此れは至極当然なことで、何も可笑しな点はない。勿論、勉強量に因って人を差別する様な事は出来ないから、両者を同格同列にして不都合な点は何も無い。
立派に知識と教養を身に付けた人がいる一方、御月様はロックフォールチーズで出来ているとか、地球は既に宇宙人に征服されている等と主張する頭の可笑しい人も居る。尤も頭の可笑しい人は、いつの時代にも、どんな社会にも存在したから、取り立てて目くじらを立てる程の事でもない。しかし、もしも彼らが大挙し表だってとんでもない事を言い出したり、デモンストレーションを始めたらどうすべきか。
インターネットと云うものは、頭の可笑しい人の主張も、頭が正常に動いている天文学者の学識も同列に扱って仕舞う。機会の平等と云う点では意味があるし、吾人もこうして文明批評家気取りで文章を載せている。併し、はなっから出鱈目な事を云い張る人とはそもそも真っ当な議論は出来ない。コンピューター社会とは狂人に拡声器を持たせた様な物である。願わくは、拡声器が刃物にならない事を。
一日概ね晴れ。併し気温低し。午後出社。高校生の保護者に奨学金について質問される。大学に進学した際、奨学金の支給が始まるのが4月。併し大半の学費を納めるのは3月。その時間差をどうやって埋めればよいのかと。授業料後払い大学か、月極め大学を造れば、学生が頗る集まるだろうと思った。明日から連休なので、退社後は木曜会。


5/1・水
 寒気が入り天気は優れず。体調も優れず。夕方に一雨あった。午後出社。退社後は晴雷亭に行ったが、麦酒を飲んでも少しも旨くない。百薬の何とかも、こうなって仕舞っては宜しくない。味が丸で薬の様である。良薬は口に何とかともいうが、今日は一本だけにして帰った。