2013年6月

6/30・日
 昨夜の帰り掛けについうっかり食べた中華炒めは、胃と相性が悪かったらしく、滔滔未明には口から出て行くこととなった。其の前後数時間は悶絶の苦しみとなる。明け方には収まる。学生時代から馴染みの回鍋肉丼だったが、もう食べ切れない年齢まで来て仕舞った事が判明す。日中概ね明るい感じの曇り。湿度は低め、以後無為。


6/29・土
 夕方久久にメトロで外出す。といっても前前から社崎君に呼ばれていただけで、鳳生大学近くの焼鳥屋で飲んだ。月波君、客間君同席す。飯田橋駅の近くの店だったが、かつて飲食ビルが雑居していた辺りは、すっかり塔の様な集合住宅に建て替わり、景気のいいことに更に数棟が建設中である。街区の様相がすっかり変わり、丸で外国に来た感じである。何回か行ったことのある店の幾つかが、また無くなっていた。
只此れだけ店が沢山無くなっても、まだまだ店は過剰なようで、坂の飲食街では客引きを大勢出している。つい此の間まで、客引きが御客を曳いていくのは女性付きの如何わしい店と相場が決まっていたが、最近は至極健全な居酒屋でもそういう事をやるようになった。如何に御客が少ないのかが窺われる。五時から飲み始め、三軒行った所で、割と早目のお開きとなる。


6/28・金
 真心を言い出して止まない居酒屋社長が選挙に出るという。其れだけなら大した問題にはならないが、飲食業の中でも此の会社の待遇は格段に悪いというから、流石に人人の怒りを駆っているようである。選挙より先ずは残業代を支払えと云うのは、至極尤もな話しである。サアビス業の待遇など何処も似たり寄ったりだろうが、労使という根本的には対立する問題を、真心などという正体不明の文言で解決しようとしているから、余計に腹立たしいのだろう。その点能力のない社員は年収百万円になっても仕方がないと云い放った服の会社の社長の方が、悪さ加減を隠蔽しない分、いっそ清清しいのだろうと思った。日中薄い晴れ。徐徐に湿度が上がって来た。退社後は、元店長の店に夜中の一時まで居てから帰った。


6/27・木
 朝には概ね晴れる。そう云えばこの所、地震が全くと言っていいほどない。余震活動が終息したのならば良いが、何だか却って心配になって来る。湿度低く秋のような気候となる。こういう晩は割と早く帰り本を読んだ。


6/26・水
 朝方から雨。御午過ぎは本降りとなる。但し気温は低い。午後バス出社。退社後は最終バスまで少し飲んだ。鰹と鰯の刺身、鰹と納豆の叩き、揚げ春巻きに御酒を四杯で都合二千円ほど。三十分に一本のバスを環状道路で降りたら、丁度渋谷行きのバスが来たので、贅沢して乗り継いで帰った。四百二十円。大事な事を何も決めぬまま国会が閉幕す。また選挙である。


6/25・火
 送りつけられた高校の入学案内書を眺めていたら、高校生の分際から世界的人材に育てます等と書いて有ったから少し驚いた。正直な所、其の学校の成績水準から考えると、有名大学にざくざく入って、将来の商社員や海外駐在員を其れほど多く輩出できるような学校ではない。精精中堅の私立高校である。最近の大学では、英語をやらせろ、問題解決能力と意思伝達能力を高めろと喧しいから、滔滔高校辺りでもそんな事を言い始めたらしい。
多くの日本企業にとって、結局英語が其れほど必要でないのと云うのは今後も変わらないだろう。其れに誰もが家や家族を放り出して海外赴任出来るという訳でもない。灼熱の海外で苦労するぐらいなら、多少収入を失っても、実家の草取りでもしながら日本で気楽に働きたいと考えるのが、大方の日本人の感覚であろう。
むしろ英語が必要なのは、本家本邦に縋り付くだけでは現状維持が出来ない中間層以下の階層かもしれないと思う。何かの新聞で読んだが、都内にある鮨学校の卒業生の半分は海外に職を求めるという。謂わば、手に職を、口には英語をと云うわけである。鮨屋もラーメン屋も旅館も、内需に見切りを附け海外に活路を見出す時代となった。外国語が切実に必要なのは、こういうサアビス業の従事者であると思った。ならば件のクラアク博士の銅像も、原宿や代々木あたりに引っ越して来て、ふらふらしている若者こそ鼓舞すべきであろう。
御午過ぎに雷雨あり。夕方には晴れたが概ね涼しくて助かった。愈愈中国の金融が危ないという。ここ数年危ない危ないとずっと謂われていたが、来るべきものが来たのかもしれない。どういう事態になるか予想は付かないが、日本も無傷では済まされまい。


6/24・月
 日中徐徐に晴れ夕方には侃侃照りになる。午後出社。退社後も早く帰り少し本を読んだ。


6/23・日
 地方議会の選挙に然したる争点などないが、都議会の選挙に一応は出掛けた。投票は義務だと考えているので、毎回毎回死票を投じることに然したる苦痛は無い。ただ残念なのは、投票所が中学校であることである。小選挙区制になった時に区割りが変更され、投票所が小学校から中学校に変更になった。どちらの学校も吾人の出身した地元の学校と云う事になるが、正直な話し中学校の方には懐かしいという感じはない。今の中学校は一学年三クラスもあれば十分だが、当時は八クラスもあり、三学年だと千人近くも生徒がいたことになる。
齢を取った親に育てられ、其の上一人っ子だったから、小さい頃から我儘一杯に育った。拙宅では個室に冷房完備、専用のテレビジョンに新聞や科学雑誌は読み放題、食事は好きな物を好きなだけ上げ膳据え膳という丸で二等車のような生活を送って来たから、此の中学校での生活は草臥れた。何しろ生徒が余りに沢山さんいるものだから、教室は後ろまで満員、休み時間になればトイレも廊下も満員、朝会や集会になれば校庭も体育館も、登下校時になれば校門も通学路もどこもかしこも満員御礼のぎゅうぎゅうの三等車である。満員の学校で一日の三分の一も過ごすというのは如何にも辛かった。其の上人数が多ければ、問題も指数函数的に多く発生し、又中学生ともなると悪さ加減も段段悪くなって来るから、毎日どこかの誰かの物が亡くなったとか壊されたとかの騒動の連続である。
ああいう喧噪の中の生活と云うのは、人間を鍛えるか、弱くするかのどちらかであろう。吾人は後者の部類で、以来すっかり群集と云うか、より大まかにいえば大衆と云うものが、丸で苦手になって仕舞った。よく社会運動家や知識人が、大衆の中へ中へなどと宣うのを聞くと、大変な篤志家だと恐れ入る一方、どうも大衆の恐ろしさというか、其の御行儀の宜しくない点を御存じないのではないのかと少少心配になって仕舞う。
大衆論はさておき、吾人としてはあの中学校に近付くだけで、あの苦しい混雑生活が蘇って来て余り気分の良い物ではない。だから議員殿や首長殿は、解散や解職辞職のないように成るべく任期一杯まで務めて頂き、中学校に行く用件を少しでも少なくして頂きたいと思う。そして出来ることなら今一度中選挙区制にして、投票所を元の小学校に戻して貰いたい。日本の政治を考える上でも此れは重要である。
日中は概ね晴れた。前線が南にあるので比較的涼しい。夕方に一雨あり。更に涼しくなる。


6/22・土
 概ね晴れる。草を刈り御酒を飲む以外は無為。


6/21・金
 一日雨。午後出社。同じ店を往ったり来たりしている内にあらゆる公共交通機関が無くなる。夜半には雨も止んだので、一時間掛けて歩いて帰った。


6/20・木
 前線が南に通過し一転して涼しくなった。午後出社。夕方から本降りとなったが、飲んで帰る頃にはきれいに止んでいた。
支持率低下を巡って西の青年将校と東の退役軍人が言い争いをしていた。日本を一新する筈の団体は実はとんでもない頭の持ち主であると、漸く世人の方も分かって来たのだろうと思った。そもそも本家一新の評価は分かれる所であるし、昭和の初めの方は一層目茶苦茶だったから、一新と名乗る団体は信用しない方が賢明であるのは歴史上の道理である。見たところ、当の青年将校も酷いことは酷いが、性質としては退役軍人の方が更に数段悪い。年寄りだから大目に見られているようだとしたら、其れは全く間違った敬老精神である。


6/19・水
 前線に向って南風が吹き荒れ、気温湿度共に高い。午後出社。退社後は立ち飲み屋から元店長の店を歴訪す。井満さん咲子さんらと出合う。調子に乗って飲んでいる内に雨に降られた。


6/18・火
 晴れ又は曇りだが湿度が極めて高い。漸く東北まで梅雨に入った。関東は日中三十度を超える。少し草を刈ったが、作業は二十分が限界であった。猫など何もしていなくてもぐったりしている。暑さに慣れる為に冷房は不使用。半袖に半ずぼんで凌ぐ。併し今からその様相だと、真夏には真っ裸にならなければならないだろう。
首相の発言など、自分からは知りたくもないので、報道機関に出た物以外は知らないが、インタアネット上の顔の本とやらでは、もう無茶苦茶に放言しているという。矢張り頭の中味は、悪態をつく中学生と同程度なのであろう。同じ様な発言は、復興庁の高級官僚もしていたというから、困ったものであるという領域を越えて、この国の機構そのものが幼稚化しているようで、もう夏だというのに薄ら寒くなってくる。


6/17・月
 日中割と晴れ三十度程度となる。退社後は何時もの立ち飲み屋に行く。月曜なので知人は居なかった。独りで御酒を飲んでいると、頭の巡りと御酒の巡りも早い。店は結局良く混んでいる。皆んな週の初めからよく飲んでいると染み染み思った。おうちで飲めば大体二百五十円見当の麦酒が、此処では入れ物に入って三百九十円である。他の種類の御酒も概ね酒屋の二倍の値段を払って飲んでいる。増えた分は飲食店に廻る訳で、酒飲みは内需拡大に随分貢献していると思った。更に良く観ると大半の御客が煙草も吸っている。吾人は煙草は吸わないが、煙草の税金が高い事は良く知っている。
消費増税が愈愈近い訳だが、序でに御酒や煙草を増税するという話は無いようである。米や大根まで増税されるのだから、酒飲みや煙草飲みを益益狙い撃ちにしても良さそうなものである。併し元元から御酒や煙草は大変に課税されているから、今の所そういう話は無い。幸運な話しである。
御酒や煙草の税金が高いのは、それが一般的には有害品で嗜好品であると同時に、それがある特定の人たちにとっては生活必需品であるという事にも起因している。増税されても今更下戸には戻れないから、増えたら増えた分だけ素直に納税することになる。手っ取り早い増税策である。
そうなると贅沢品や嗜好品より、先ず生活必需品を増税する方が徴税能率は高いのだろうと思う。放って措いても毎日売れる麺麭や米や安弁当を増税し、庶民の財布から惜しみなく納税して貰う方が確実である。その一方、滅多に売れない贅沢品はそのままにして経済活動を拡大させた方が良いという論理もあり得る。その内ヨットや別荘や自家用機は5%のままにして、お金持ちにお金を使わせて経済を活性化させよなどという暴論も出て来るかもしれない。
併し何が生活必需品かは人に因って全く違う。御金持ちにとっては、高級乗用車や高級レストランや高級腕時計こそが必需品である。すると矢張りそっちの課税を強化せよということにもなる。結局のところ堂堂巡りの話しをぼんやり考え込んでいる内に、何時の間に立ち飲み屋を出、自家用自転車に乗り、何時の間に家に着いて仕舞っていた。


6/16・日
 首相は景気回復の為に民間活力を爆発させよなどと述べたらしいが、それはそれで結構なことであると思った。民需の反対は軍需と云う事になるから、軍需では無く民需が強調されるのは、首相の本心には反するだろうが、一応は平和な社会であるということである。
戦争は恐ろしいと、前前から思ってはいた。ただ最近、その恐ろしさが少少代わって来た。吾人ももう三十代の終わりである。だから、兵隊に取られるようなことはもう無いだろう。酷い連隊に入れられ、酷い輸送船で遠くの島や密林に運ばれ、酷い古参兵に殴られ、酷い行軍をさせられる心配は遠のいた。だから、恐ろしさは違った所にある。
 もう耄碌して仕舞った万代伯母さんが良く謂っていた話がある。小学生の時分、同級生と麺麭屋に行った。すると、陸軍将校の娘である同級生には麺麭を売ってくれたが、伯母には売ってくれなかったと。伯母は八十代になるまで度度憤慨していたものである。
麺麭一個を売り買いするにも、軍人の顔色を窺わねばならない社会とは恐ろしい社会である。麺麭屋に限らず飲食店もそうであった。例えば、久留米の料亭翠香園は進出した師団司令部を追い掛けて、ビルマのタウンジーにまで店を開いて酒食を提供したという。
あの時代、板切れ一枚、釘一本動かすのにも軍の関与が必要であり、麺麭屋から板前、女中まで誰もが軍の出入り業者であった。軍の動員命令がなくとも、軍と共に動かなければ、あっという間に飯の食い上げである。増して塾や予備校などは不要不急の道楽産業とみなされて強制廃業となるであろう。別に今の仕事にさして未練は無いが、国に命令されて転職するのは厭である。併し戦争国家では反対することは許されない。それを思うと、何だか益益恐ろしくなって来たのである。
午前中には雨は止む。夕方には結構晴れた。午後は職業野球を見ながら、その合間合間に草を刈り、肉や魚を買いに行く。近所で唯一の残った和菓子屋の御強と御赤飯は旨かった。餅米は和菓子屋に限る。


6/15・土
そういえば吾人が幼少の頃は、公認体罰塾と云うのがあった。そういう学習塾は、宿題や教科書を忘れたら容赦なく引っ叩くという前提で生徒を募集していて、親も其れを承知して子どもを入れた。クラスの中に一人か二人はそういう塾に通っていて、世の中には随分と理不尽な塾がある物だと子どもながらに思ったりもしたが、今から思えば佳く生徒が集まっていた物だと改めて感心する。現代では御客に手を上げることなど以ての外で、成績が上がらないと言っては、先生の方が親や生徒にあべこべに引っ叩かれるようになった。無論サアビス業がこれだけ無闇に発達したのは、少ない御客を奪い合った結果である。
併し此れだけ子どもも生徒も少なくなっているのに、未だに部活動では暴力や体罰が蔓延しているという。常常不思議だと思っていたが、すると彼らの多くは運動部への加入を前提とした運動推薦で入学した事を思い出した。入学試験が免除になる代わり、彼らには退部の自由がない。退部するには退学せねばならないからである。
離婚の自由を内臓したときのみ結婚における結合の積極性は存在すると何処かの革命家は述べたが、それに準えると退部の可能性を考慮しない入部は既に一種の暴力であろう。片務的な社会契約は是正されるべきだと思うが、実際社会にもこの種の契約が溢れている。雇用契約などはその最たるものである。
 朝起きて見るとコンピューターが起動しない。故障である。止むなく月波君に電話して、対処方法を指示して貰った。すると中の記憶媒体接触不良とのこと。汗びっしょりになりながら螺子回しで蓋をこぢ開け、薄くて堅い物を入れ直す。何だか良く分からないが、云われた通りにやったら無事復旧す。昨日から急に暑くなったせいだと思った。
 午後は職業野球。乱打戦となり延長12回、昼間の試合が夜になっても終わらない。中座して肉屋で豚肉を揚げて貰った。


6/14・金
 朝方まで雨。午後から陽が差し無性に暑くなる。退社後月波君来たる。金曜会には出ないで元店長の店で飲んだが、最後は結局強制合流となった。


6/13・木
 午前中にテレビジョンが配達される。今回も早川電機にしたが、今度の物は中国では無くマレーシア製であった。海外生産品の場合、現地工場への支払いは米ドル経由で行われるから、円安になると価格は値上がりするという。円安で多少潤ったのは、結局自動車産業ぐらいである。詰まり輸送機械以外、もう国内に製造業は無いという事である。
 一日雨。出社してもすることがないから二度寝をし午後遅くバスで出社。退社後も直ぐに帰った。


6/12・水
 職業野球の団体は、球を変更したことを漸く認めた。数年来飛ばない球になっていたのを、今年から内緒で元に戻したという。飛ばない球の野球は、1―0や2―1など蹴球の様な試合ばかり本当に面白くなかった。其れでも、テレビ桟敷で観ている分は投手戦もいいが、実際に野球場に行って観ると、安い外野席なぞは文字通り蚊帳の外で、酷い場合一時間観ても飛球一本やって来ない。飛ぶ球に戻したのは結構な事だが、こんな時期に渋渋発表するあたり、一体何を何に対して秘密にしていたのか理解に苦しむ。やっていることは電力会社と同じだと思った。
 一日降ったりやんだり。気温が低くて助かる。午後出社。御酒が不味くなるから間食はしないようにしているが、夕方空腹に耐えかねてついうっかり掛け蕎麦を食った。早速罰が当たったのか、何時もの立ち飲み屋は混雑して入れず。仕方なく中華立ち飲みに行き、元店長の店に寄り、割と遅くまで静かに飲んでから帰った。


6/11・火
 再び量販店に赴き、ブラウン管式テレビジョンの交換を手配する。家人の部屋にある2002年に確か四万円で買った21型は、まだ映ることには映る。併し無二の心を以て捨て払う事にした。新型は32型のLED液晶型。大きくなっても電気使用量は半分だと言う。
新型テレビ購入は利己心に非ず。世の中に御金を回して、序でに節電を図ろうという一種の義侠心の現われである。大体、家電は壊れるまで使うだとか、最近の家電は壊れやすいなどと宣うのは、電気洗濯機やテレビジョンが月給の何倍もした頃の、ある種の家電保守主義の名残である。圧倒的に安価になり、遥かに高性能にもなったのだから、どんどん買い換えて行かなければ、家電の会社も販売店も引っ繰り返って仕舞うと割と最近になって思い直した。此れで拙宅のブラウン管方式は形式消滅となる。独逸のブラウン博士が発明したからブラウン管と言うらしいから、近近にブラウン氏を偲ぶ会でもやらねばならない。
御午過ぎから断続的な雨。台風接近で漸く梅雨前線が動き始めた。福島第一では愈愈溜まった水の持って行き場がなくなったという。濾過に濾過を重ね、海と漁民と御魚に謝った上で、流して仕舞うしか手は無い。古い発電装置は一刻も早く廃棄して欲しいと思う。
家電専業の電機メーカーは何処も彼処も青色吐息であるのに対して、こういう物を作って来た会社は、未だに黒字だというから可笑しな話である。其れだけ市井の競争とは無縁だったのだろうとも思った。


6/10・月
 幾ら寝ても醒めても朦朧とす。午後出社。退社後は直ぐに帰えろうとしたが、その途中鶴木さんから御誘いの電話が入る。鶴木さんは五十代後半で、朝と昼は真面目な電気技師である。昨日あれだけ飲んだ筈なのに、こうして吾人を誘って来るのだから、元気な事此の上ない。大半の勤め人は仕事の後に飲むのではなく、飲む前に仕事をしていると謂って佳かろう。鶴木さんなど、朝の八時半から仕事をしている訳だから、夜には飲みたくなって仕方がないのだろうと思った。而し御誘いは丁重に御断りして其のまま帰った。便利ストアの冷やし中華を肴に麦酒を少少飲んだのみ。


6/9・日
 金曜会の釣り企画と云う事で、柳さんの自家用車で川崎の扇島公園へ行く。大将、鶴木さん、井満さんら同行す。
扇と聞くと何だか頭の中味を調査されそうだが、公園自体は工場街の一角のよく整備された所であった。併し水は汚く、大の大人が数人がかりで釣果は数匹のみ。尤も吾人は早早に試合を放棄し御酒を飲んだ。海風も涼しく案外日差しも強くなく丁度良かった。
目の前は製鉄所らしく、運搬船から盛んに鉱石を引っ張り上げている。世田谷に居ると製造業など無きに等しいが、湾岸部ではまだまだ大勢働いている。吾人にはその経験は無いが、併し大きな会社で働くというのも色色と苦労が多いだろうと思った。其れにしても、会社で働くという事は、規模の大小を問わず苦行難行になって仕舞った。その苦行度は、経済縮小が続く以上益益上がる一方で、最早世界の隅隅まで闇黒企業だらけであると思った。釣りの方は夕方までには撤収し、自家用車を車庫に戻した後は何時もの品川で飲む。9時過ぎには意識混濁し早退す。流石に八時間は飲み過ぎである。


6/8・土
 日中概ね薄雲り。今年は空梅雨だという。一日無為。夜は天丼に麦酒で御仕舞。


6/7・金
 概ね曇り。気温低め。午前中に送金す。出資したと云えば聞こえは良いが、実質的には御金を巻き上げられたに等しい。大貧学院も其の版図を拡大し愈愈世田谷に迫って来た気がした。其の喪失感、敗北感は、出社後も消えることは無かった。金曜会に出て帰る。


6/6・木
 昨日首相が出した三本目の矢、詰まり成長戦略であるが、目玉が市販医薬品の通信販売の解禁程度だから、大方の反応はがっかりであろう。矢が見窄らしいのは、別に首相の頭が悪いせいではない。大体、此れだけ発展し尽くした国で今更何を成長させるのか。成長するということにそもそもの無理がある。
只、凍りついた経済を動かす必要はあるにはある。デフレーションも悪くは無いという考えもあるが、其れは経済が均等に縮小した場合の話しである。いざ経済が縮小するとなると、御金持よりも零細な俸給生活者や此れから社会に出ようという若者をより過酷な状況に陥れて仕舞う。だから成長は無理だとしても御金の廻りを良くする事は大いに必要である。
首相は取り戻すことが御好きだから、其れに準えて云えば、吾人の経済戦略の標語は取り換えるである。古い家電、古い住宅、古い生産設備を取り換える。古い橋を取り換える。古い発電方式も取り換える。更に平日は休日に、米国式ファストフード店はきちんとした定食屋に取り換える。序でに男は女に、年寄りは若者に取り換える。其れだけで御金の廻りは十分良くなるし雇用も増える。快適で環境にも佳い国になるであろう。
日中曇り勝ち。先月の電気使用量168キロワット。前年比1割減。午後出社。本業は停止させて、無心の条件について折衝が続いた。退社後は晴雷亭の鶴木さんを探し出し、飲んで帰った。


6/5・水
 午前中に洗濯機を据え付けた。午後出社。再び無責任社長に金を無心される。曰く家賃が払えないと。確かにあと数歩と云った所であろうか。元店長の店に寄って帰る。偶然咲子さんと出会う。下らぬ一日の最後に少しは華が咲いたようになった。


6/4・火
 日中三十度近く。御午過ぎに珍しく都心に向かう。と云っても家人の付き添いの病院詣でである。尤も家人は家人の長姉の南鎌倉の伯母さんの付き添いだから、正確には付き添いの付き添いである。南鎌倉の伯母さんは随分前に難しい病気をし、以後経過観察の為に月一回通院している。さらに正確に言うと、南鎌倉の伯母さんの連れ合いの南鎌倉の伯父さんは、足腰は丈夫だが頭が弱って仕舞い、外出中は家に置いて居られなくなった。なので一緒に連れ出す訳だが、伯母の診察中は伯父さんにも付き添いが必要で、其の役を家人が担っていた。併し家人が眩暈を頻発し都心歩きに自信がないという事なので、吾人の出動と相成った。
伯母さんは元気だったが、伯父さんの頭の方は随分弱って仕舞って、丸で子どもの様に歩き廻る。吾人も御付き合いして一緒に歩き廻った。流石に御茶の水の大学病院は見たこともない診療科が沢山ある。表札を見て廻るだけで随分病気の勉強になった気がした。
其れにしても、皆んな歳を取れば病院通いである。其処に付添い人がいれば幸運な方であろう。果たして吾人がその歳になったら、誰が付き添ってくれるのか。少し考えるだけで厭になって来た。幸い診察は短時間で終わり、伯父さん伯母さんを横須賀線に乗せ換えて、家人と帰宅す。
渋谷で下車し食品街に寄る。蹴球の大会があるせいか普段以上の大変な人の出である。東横食品街が最早東横とは云えない所に移転していて吃驚す。東急沿線の世田谷暮らしだから、何処へ行くにも何をするにも先ず渋谷である。だから渋谷には詳しい積りだったが、プラネタリウムがあって、傷痍軍人ハモニカを吹いて居た頃とは丸で変わって仕舞った。何が何処にあるのか、もうすっかり分からない。貧相な顔をして弁当を買い、人を掻き分けて小田急のバスに乗って帰った。色色と草臥れて仕舞い、九時就寝。蹴球の結果は翌朝まで知らなかった。


6/3・月
 亜米利加保守層の深層心理には、いつか日本がもう一度清水の舞台から飛び降りて来るのではないかと云う怖れのような物があるようで、最近は日本が右に傾く心配をしてくれているから、何とはなしに皮肉な感じがする。併し日本の右は亜米利加なしには成り立たないから、右の勢力が九条を代えてでも亜米利加に尽くしますとラブコールを送れば送る程、亜米利加は却って冷たくあしらうことになる。丸で鮑の片思いであると思った。
 日中概ね晴れ。早起きして家電量販店に出向く。家作の中に半壊れした洗濯機があり、夜な夜な轟音を発している。見れば三十年もので、近隣迷惑だからそろそろ交換するよう入居者に催促したら、生憎御金と時間に余裕がないとのこと。止むなく吾人が買い替えに出掛けた。ナショナル製の汎用品、旧型の処分費込みで三万円弱。何分優良入居者だから、無償貸与若しくは贈与と云う事にした。午後出社。少し飲んで帰った。


6/2・日
最寄りの役場から手紙が来る。健康推進課とあるから、すっかり御酒の飲み過ぎはいけませんと怒られるのかと思ったら、二百円で歯科検診が受けられますとの知らせであった。歯だけは気を附けている。世の中に歯医者の治療台ほど恐ろしい物は無いから、その治療台に乗りたくない一心で歯と歯茎は、どんなに酔ったときでも必らず磨いている。暫く忘れていたあの恐怖を思い出させてくれたから、区も随分迷惑な事をすると思った。歯医者も増え過ぎて困っているというから、一種の雇用対策なのだろうと思った。
東風が入って気温は高いが湿度は低く日中さっぱりす。とても日本の梅雨とは思われず。何処かに出掛けようと思ったが、出掛ける先を考えている内にもう御午となる。以後無為。


6/1・土
 いよいよ消費増税まで残す所十か月となった。皆狂ったように物を買い始めた様な気がしないでもない。然し8%になったら、一年半後には直ぐ10%になる。するとまたまた駆け込み需要が出るだろう。すると10%になったら、直ぐに今度は15%にすると云えば、またまた駆け込み需要が出て来る。と云う訳でどんどん消費増税をしていけば、消費も増えるし税金も集まるから両得である。無論走り過ぎてその内倒れて仕舞うのは明白だが、概ね20%ぐらいまでなら行けるような気がする。
 朝から木を切り梅の実をもぐ。草臥れたので麦酒を飲んでぼんやりしていると、今度は吾人が呼び出される。鶴木さん、井満さんらと目黒品川と廻り軽く飲む。最後は歩いて帰った。