3/31・日
午前中まで雨。午後は止む。月波君が今週中に海外出張する。万が一にも航空機事故に遭ったら今生の御別れになるから、呉呉も見送り会を開いて欲しいと云う。仕方なく職場の近くまで出掛けた。先日行ったばかりのよれよれの天麩羅屋に連れて行き、更に御蕎麦屋に行き、何時もの立ち飲み屋に行って漸く見送った。自転車のハンドルをぐらぐらさせながら帰宅す。此方の方が事故に遭う確率は高いと思った。
3/30・土
一日曇りで寒い。土曜日と日曜日は休講日とした。一日溜まった日誌を書く。
3/29・金
早朝出社。午前中は朦朧とす。矢張り寝ても寝ても寝足りない。御昼前に漸く頭がはっきりして来る。雇用を創出しようと、御昼御飯は誰もいない古い天麩羅屋で天丼を食す。
午後授業の後はちらしを入れて歩いた。構造が異様に複雑な郵便受けに閉口するものの、其れほどでは無し。最も始末に負えないのは、ちらしを入れないでくださいなどと宣う郵便受けである。先ず郵便受けの分際で人に指図しようと云う魂胆が怪しからぬ。
尤も物にあれやこれやと指図されるのは信号機や標識も同じことだが、それらは人に指図をするのが本分だから其れほど腹は立たない。併し郵便受けたるものが事物の受け取り拒否を宣言するとあらば、其れは職務怠慢どころか職場放棄である。増してちらし不要などと偉そうな口を叩く物には、くしゃくしゃにした鼻紙でも突っ込んでやろうかと思った。
併し郵便受けに腹を立てても仕方が無い。無礼で強情な郵便受けは、不寛容な家主の犠牲者であるから、責められるべきは家主の根性である。別に赤紙が来る訳ではなし、紙切れの一枚や二枚を入れ差さないというのは、全く料簡の狭い話である。こういう小人物ばかりが増えたから、人物の嵩に反比例して、世間は益益狭く息苦しい物になったのだと思った。拙宅の郵便受けには、ちらしでも握りでもどんどん入れるようにと書き附けて措こうと思う。
六時に退社し蕎麦屋で一献傾けてから金曜会。折角だから花を見ようと、近くの桜の名所まで歩いて隣の街で散散飲んで帰った。最後に入った店では飛び魚の御造りが出て来た。皿に飾ってあった飛び魚の羽が余りに立派で感心したので、早速皆様の御髪を撫でては迷惑がられた。持参の御札は一枚残らず雲散霧消す。
3/28・木
早朝出社。眠むたくて眠むたくて仕様が無い。昨夜は一時に就寝したから、睡眠時間が正味五時間半では全く寝足りない。そもそも吾人は季節曜日を問わず一日十時間近く寝る。尤も十時間と云うのは横になっている時間を全て足し算した結果なので、本当に寝ている時間はその内八割程度である。
人間はもっと寝なくてはならないと常常思う。そもそも生き物として人の睡眠時間の少なさは異常である。異常な点は他にもある。大体二つ足で歩行している生き物など鳥類の他には殆ど見ない。而も此の二足歩行と云うのが極めて宜しく無いと思う。無理をして二本で立って居るものだから只でさえ不安定な上に、大して使いもしないのに分不相応な程大きな頭と脳味噌を頂戴している。此れでは骨や筋肉や神経に大変な負担が掛かっている筈である。
その証拠に体が育たない赤ん坊は四六時中寝ているし、長年の歩行に疲労困憊した年寄りは寝た切りになる。四足の猫など、働きもしないのにああ疲れた疲れたと始終欠伸をして結局寝ている。
詰まり生き物としては寝ている状態が普通であり、無理をして起きているのは異常である。異常な時間を成るべく少なくするのが養生の基本であるから、睡眠時間の短さを競う様な風習は改め、万民が春夏秋冬毎日最低十時間は寝るようにしなくてはならないと思った。四時に退社し真っ直ぐ帰る。六時から飲み始め十時には就寝す。
3/27・水
今日も早朝出社。午前中は冷たい雨。今日は八時まで勤務す。退社後は飲まずに帰れない。立ち飲み屋を連戦して帰る。
3/26・火
早朝出社。本日から恐怖の春の講習である。気候的には最善の時期だが、そもそも朝起きるのが極めて厳しい。どうにかこうにか大貧学院まで辿り着く。併し着いて仕舞えば後はどうにかなる物で以後適当に授業す。4時頃退社。広告ちらしを撒き散らしながら、尚桜を見ながら帰宅す。春将軍の杉や檜による攻撃も一段落す。明るい内から御酒を飲み始めると好い気分になった。
3/25・月
昨日買った麺麭には餡麺麭もあった。早速食べて見ると餡が大きすぎる。餡麺麭とは餡と麺麭を食べるのであって、餡を食べる訳ではない。サアビスを良くしようと思って餡を大きくしたのだろうが、元元甘い物に弱いので餡が多い餡麺麭には毎回閉口す。大体麺麭屋が売り出した物なのだから、麺麭をあんなに薄くしては麺麭屋の自己否定である。今一度適切な割合を検討すべきである。
日中寒く小雨模様。昨夜の御酒が残りふらふらす。今日は休講日なので出社もなし。一票の格差を連綿と放置したので、怒った裁判所が違憲と無効判決を出す。
3/24・日
御午過ぎに外出。大田区の外れに吹奏楽部の演奏を聴きに行く。先日漸く入る大学が決まった江田島君の最後の舞台である。此の子など小学校の頃は勉強が嫌だ嫌だと床を転げ廻って吾人も良く癇癪を起したものだが、何だかんだ謂っている内に、立派かどうかは別としてもこうして若者になった。思えば此の子も父親を事故で亡くしている。親や教師が無くとも子は育つが、何とは無しに感慨深い物があった。一緒に飲み歩く訳にはまだ行かないが、いつかそうして見たいものである。
出した足が勿体無いから其のまま都心に赴き、桜見物中の柳夫妻や仲田大将らと合流す。安国神社の境内は高いから、少し歩いて御堀端の店に長居す。更に大将と飲み直して地下に潜って帰ろうとすると、地下駅で女店員が余った麺麭を袋に詰めて大声で売り出しをしている。売り捌かなくては帰れないだろうから、人助けの積りでつい買い過ぎて帰る。
3/23・土
気仙沼から御酒が届く。御酒だけだと酒飲みに思われるのが厭なので、鱶鰭スープの素も取り寄せた。飲んで食べて復興支援などと云うと、人間の根本的な欲求と利他の精神を結び付けて、何だかさもしい感じがするが、そうしないよりかは増しである。四合瓶六本とスープで九千円余。信用貸しのカードで支払う。
3/22・金
大部円安になった筈だが、月別の貿易収支はずっと赤字とのこと。大体原材料価格が高騰し製品価格が低迷しているのだから、こういうことにもなる。日本が輸出立国であるとか加工貿易の国であるなどとは、もう数十年も前の話しである。貿易をやればやる程損をする国になって仕舞った。其の上関税自主権を返納などしたら、益益大変な事になると思った。一日晴れ。薬を飲まずに耐え忍ぶ。退社後も割と早く帰宅。御酒も控え目にした。
3/21・木
薬のせいか陽気のせいか十二時間も寝床に居てもまだ眠い。午後出社。更に花粉に当たる。眠くならない方の薬はちっとも効かないので、結局眠くなる方の薬を服用す。以後益益眠くなる。退社後、鶴木さんと井満さんに合ったが、御二人の余りに詰まらない御話しに気が遠くなりかけたので直ぐに帰った。自転車も危うく居眠り運転になる所であった。
3/20・水
都内の桜はもう満開だと云う。併し花粉前線が大量に花粉を落としている所に、桜前線が追い付いて仕舞ったので、うかうかと外へ行けない。こうなったら桜前線が花粉前線を追い越し行かない事を祈るのみである。日中薄雲り。午後から強風。春分の日に付き不出社。
3/19・火
もうすぐ大増税だから、何処の家でも考えることは同じらしく、あちこち修理だの建て替えだので忙しい。三軒隣りはとんとんかちかちと普請中だし、斜め向いの集合住宅も随分前に方方直した。今朝は向いの車庫を直すと云うので、きんきんがたがたと三和土を引っ剥がして八釜しい。風は無いが一日異様に暑苦しい。体が暑さに慣れていないので大釜で茹でられた菜のようにだるくなった。
3/18・月
胃は何ともないが昨夜の御酒が全身に滞留した感じがして、日中悉く朦朧とす。一日中南の大風。一体春が何番まで吹いたか知らないが、連日のように温風が吹き付けた結果桜も枝垂れ桃も異例の速さで咲き始めた。此れでは花見の準備は間に合うまい。午後出社。夜は前線通過の為降雨あり。飲まずに帰宅。
3/17・日
午後外出。久久に鳳生大学に向かう。本日は芥田先生が最終講義を行う日である。鳳生大学法学部の芥田先生は、定年を待たずに山陰の大学に移られたので、滔滔最終講義をしなかった。併し此のたび古希を迎えられるのを記念して、改めて行う事になった。
最終講義は御自身の来し方と出会いを振り返るもので、幼稚園や小中学校時代に多くの時間を割かれた結果、鳳生大学に辿りついた所で時間切れとなる。中でも面白かったのは、今では大酒飲みで知られる芥田先生も、三十代までは大学と自宅を往復する生活だったとのこと。四十前後に考え方を交代させ、御酒と偶然の出会いを大事にするようになり、飲み歩きするようになったのだという。人は酒飲みになるのであって、生まれたままの酒飲みなどは存在しないのだと妙に納得す。
その後、懇親会を古い校舎の食堂で行う。大部上の大学院生だった寺谷さんとも数年振りに会った。関西の大学に職を見付けたと云う。出来の悪い学生の扱いには苦労しているとのことだが、何分にも正規雇用なのだから生活の心配は少ない。その分しっかり教えなければならないと思った。一方出席者が余りに沢山御酒を飲むので直ぐに麦酒も葡萄酒も足りなくなる。焦った食堂の人が奥から麦酒を引っ張り出して来たが、流石は芥田先生とその門下生だと思った。
而も日曜日は五時に退校しなくてはならないと云う規則が出来たというので、大急ぎで記念撮影をして解散となった。時間も御酒も御つまみも何もかも足りなかった。鳳生大学も幾つかの校舎を建て替え又建て増したが、懐かしい学生会館は既に無く、警備員の姿だけが矢鱈に目立って無用に物物しい。嘗て二十四時間出入り自由だった構内が、丸で小学校の様になって仕舞った。卒業後僅か十数年で鳳生大学も随分と変わり果てた。此れでは鳳生大学の疎外態である。芥田先生はこういう所に愛想を尽かしたのだと思った。又それは日本社会の一つの姿であるとも思った。
其の後は近しい諸氏と改めて御酒を飲んだ。月波君、坪上君、鷺乃間君ら同席。狭い店の小さなおでん鍋を蝗のように食い荒して迷惑がられた。更に転進し十一時頃今度は喋喋のようにふらふらになって帰宅す。
3/16・土
寝て起きたら、例の関税をゼロにすると云う貿易協定を締結する運びになっていて吃驚した。幾ら何でも一切合切がゼロになると云う事も無いだろうが、一口に関税と云っても其の掛け率は、工業品と農産品では少なくとも一桁、場合によっては二桁も違う。その倍率は彼我の農地の規模をそのまま表わした感がある。二桁も違う物を全く同じに扱おうと云う発想がそもそもの間違いであると思った。
一日晴れ。朝から両家人揃って伯母の福祉施設に行って帰った。帰り掛けに食事をすると云うので街まで呼び出された。然し老家人突如として前言を翻し、鮨は腹が冷える、天麩羅と中華は胸が痞っかえる、西洋料理は口が諄どくなる、蕎麦や饂飩は家でも食べられると宣い、敢え無く外食は中止となる。年寄りは思い付くままに我儘な事を言い出して困ると思った。あらゆる料理が悪口の被害に遭ったので、何だかこっちまで何も食べる気がしなくなった。此の二日で塗装工事の方は漸く捗った。
3/15・金
一日晴れ。昨夜の轍を踏むまいとマスクを厳重にし眼薬に加え眠くなる方の薬も服用して出社す。昨日と同じような天候だったが、本日は何ともないのが花粉症の不思議である。
新入生勧誘の為に葉書を出す。ボオルペンで色んな名前と住所を一心不乱に書いていると、色んな漢字が異化されて目と頭が可笑しくなった。退社後二時間ほど立って飲んで帰った。
3/14・木
五時過ぎに地震で叩き起される。朝まで断続的に雨。今度は北風が吹く。大風と雨で折角養生した所が相当剥がれて仕舞った。此れでまた工期が伸びるだろう。工事人泣かせの大風である。吾人も税務書類を作成す。昨年の収入が余りに少ない割に納めた社会保険料が大きすぎる。其のまま申告すると所得が無くなって仕舞うので収入を二カ月分程水増しした。飲み屋などで自分の収入を大袈裟に云う人は多いが、税務申告の際にそうする人は稀であろう。大変名誉な事をしたと胸を張った。
午後出社。どうやら花粉の直撃を受けたらしく目と鼻が炎上す。目玉を取って氷水で洗いたいなどという即物的な表現が相応しい事態となる。早目に退社して麦酒で冷やしたが治まらず。立ち飲み屋も涙ながらに早退す。入浴し眠くなる方の薬を服用す。十時半就寝。
3/13・水
朝から南の大風が吹く。天屋先生に聞いたところ花粉症には旧処方箋薬がいいと云うので今日から薬を代えた。医療費削減の為に、処方箋薬でも続続と一般薬局で大売り出しされている。十割負担で一日約130円程度。眠くならないので調子はいい。其れに税金も社会保険料も使わず消費税も支払っているから、飲んでいても清清しい。
宿酔を治めて午後出社。最後に残った男の子も坂東学院大学に進学が決まった。此の子とは小学生の頃からの長い付き合いであった。どうにかこうにか育て上げた感がある。此れで今年の入学試験は全て御仕舞。昨夜飲み過ぎたので急いで帰宅す。夜半にかけて大雨あり。
3/12・火
「浪費する亜米利加人」という本を少し読んだ。貯蓄好きの日本人と消費好きの亜米利加人を何百万人か交換移住させれば、両国の経済が丁度良くなると思った。
ミケに予防注射を受けさせる。夕方から外出し都心で御酒を飲む。仲田大将の昔の仕事仲間も同席す。月波君も来たる。夜の仲田大将は御酒の専門家だが、昼の大将は編集の専門家であり実に立派な御本を造っている。飲んだ時間が昼から夜へ移り変わる時だったから、最初は専門的な御話をし途中からいつも通りの款語となる。其れでも品川に居る時よりかは多少真面目な部分が多かった。
3/11・月
あの日と同じような一日冬型の晴れ。午後追悼式。テレビジョンで観る。黙祷前に大王を称える歌が流れる。大波にさらわれた人人を悼む式典には相応しくないと思った。その後出社。
3/10・日
午前中は南風が吹き荒れ異様に暖かくなる。砂塵が舞う。花粉甚だしい。市販薬に加え、酸っぱい八朔を食べて目と鼻をさっぱりさせる。
テレビ欄を見ると今日と明日は追悼番組が目白押しである。現場に乗り込んだ司会者らは復興が遅いと異口同音に憤慨していた。ならばいっそ、通信販売の名司会者を送り込んで、色色な品物を現地から大売り出しすればもっと良い結果になると思った。夕方から風向きが代わり今度は北風となる。夜は一気に冷えた。
3/9・土
大手既成服製造小売会社の待遇が悪すぎると話題になった。流通や小売業は競争が激しいから何処も似たりよったりだとは思う。だが特に此の会社の経営者は経済立志伝に出て来るような所謂叩き上げの人物であるから、尚更労働条件が悪いのだと思った。こういう人にとってはビジネスで成功することが人生の唯一の価値であり目的である。併し大半の社員にとって仕事とは生活の糧を得る手段である。目的と手段が御互いにひっくり返っているから、労使の目線が釣り合う筈も無い。法的にも理路整然な文句を附けても、ならばビジネスで成功して出直して来いなぞと云われるのが関の山である。然し実業界で成功する確率など孵化した海亀の子が返ってくる確率より低い。こうした会社と経営者が幅を利かす社会と云うのは、価値観の幅の狭い住み辛い社会であると思った。
一日異様に暑い。半袖で十分となる。当然花粉も多く飛び、家の中に居てもくしゃみ鼻水が止まらず。鼻炎薬を服用すると今度は眠気が止まらなくなった。
3/8・金
一日風と花粉酷し。すっかり五月の陽気となる。午後出社。公立大学の合格発表あり。真面目な女の子は看護大学に受かったそう。幼い頃に父親を亡くした子だから学費の安い所に入れて良かった。就職難を反映してか、最近は看護や薬学に人気があると云う。国民の健康に奉仕すると云えば聞こえはいいが、結局の所の御目当ては皆んなが納めた税金と社会保険料である。金融工学などと云う錬金術が流行するのも困るが、皆が皆公費と他人の弱り目を当てにする世の中も困った物である。
3/7・木
前夜の御酒が残り日中ふらふらす。午後出社。特に無し。早目に退社し二軒ほど立って飲んで帰った。崎河さんが何処かの酒場で知り合ったばかりの女性陣を連れて来たが、事前計画が不案内で終始盛り上がりに欠いた。こういう物事は手慣れた仲田大将にやらせた方が良いと思った。税務申告ようやく終わる。日中二十度近く。急に春になった。
3/6・水
今日は吾人の誕生日である。例年この時期は旅行に出掛け、旅先で独りで御酒を飲むことにしているが、今年は修繕工事の為に取りやめにした。併し会社に行く気も無いので休みにした。かといって家に居る気もしないので、立川の知人の店に行き、自分の御金で盛大に御酒を飲んで御仕舞とした。以後大急ぎで南武線と東急線の最終電車を乗り継いで帰る。
3/5・火
首相の訴えに呼応して給料を上げると云う企業が出始めた。無論宣伝目的と云う面もあるだろうが、給料は上げないより上げた方が結構には違いない。然しそもそもデフレーションは供給過剰で起こるから、給料を上げて需要を拡大すると同時に、供給力も絞らなくてはならない。詰まり休日をもっと増やす事である。手っ取り早く土曜日を真っ赤にして、金曜日を青くしてみたらどうであろう。カレンダーのインクの色を代えるだけなので、極めて安価なデフレーション対策と成り得るだろう。
御午前にメトロに乗って神田の古本屋に行く。端から端まで数年振りにきちんと歩いた。幾つかの店がすっかり代替わりしていて吃驚した。色色巡って三冊購入す。積んでおく前に読んで仕舞おうと帰りの車中から読み始める。時間が足りないので下り列車の終点まで行き、其のまま折り返して帰った。一日晴れ。少し春らしくなってきた。啓蟄。
3/4・月
一日曇り。午後出社。大貧学院のちらしを持って有効需要を探して歩いた。退社後少し立って飲む。夜半にかけて一雨あり。
3/3・日
大盤振る舞いの結果、国の借金は多く見積もると間も無く1100兆円にも上るそうである。ついこの間まで1000兆だった筈だから、あっという間に100兆円も増えたことになる。尤も国民の方も、借金が積み重なって大変だ大変だと此処数十年ずっと聞かされてきた感があるから、今更切迫感も無いかも知れない。
吾人が財政学の講義を聴いて居た頃などは、借金は国家予算の何年分と云う数え方をしていたが、最近は国内総生産の云年分という数え方をしている。最早勘定の仕方まで違って仕舞った。正直な所、愈愈かとも思う。それ、が来た時、どれ程の衝撃になるのか。乗客の立ち位置によっても違うだろうが、少しだけ身を縮めて備えておこうかとも思った。
一日曇り。何処か遠くへ行きたかったが、明るい内から月波君と世田谷で飲んで御仕舞とした。
3/2・土
現政権は経済政策で国民の目を眩ませている間に、武器輸出原則の骨抜きに余念がない。更に国の最高法規を弄繰り回わす事を企んでいる。詰まり、本物の狙いは改憲でその為に経済を良くしていると云う考え方も出来るかもしれない。だとすれば一刻も早く経済が萎んで、国民が正気に戻るのを期待するより手が無い感じである。
一日大風。而も北風である。外猫に予防注射を受けさす。但しミケは風邪を引いたようなので翌週に延期となる。一年振りに時刻表を買う。被災路線の状況は相変わらずだが、代行バスの時刻が載るようになっており、空白が少しは埋まった感じがした。
3/1・金
朝から大風が吹く。花粉甚だしい。夜は通り雨有り。午後出社。大貧学院に求職者来たる。吾人より十歳は年下で、何でもあちこちの高校で教えていると云う人である。模擬授業もして貰ったが内容は悪くない。只高校の契約は一年単位で、例年この時期は求職の為に駆けずり回っているとのこと。毎年毎年就職活動をするのも大変だと思った。若い人にもっと腰を据えた仕事を与えるべきである。大貧学院は有期雇用では無いが、毎日教えても御小遣の足しにもならぬ。其れに大貧学院が沈没したら、吾人も求職者側に並ぶことになる。今更面接等考えたくもない。
基礎の微分を教えた後、金曜会に遅れて行った。何処の店も泥酔者で溢れ返っている。わあわあ怒鳴るように叫んでも丸で御話にならず。此の世の中に酔っ払った知人ほど鬱陶しい物は無い。見ているだけで腹が立って来たのでほったかして早めに帰った。飲み屋の従業員諸氏もつくづく苦労が多いと思った。尻に根っ子が生えて何時までも帰らない御客には鎌か包丁をちらつかせて早く出て行って頂くべきである。
行きも帰りも交通事故現場に遭遇す。殊に後者は死亡事故とのこと。気候が急に春めいたのと、二月が二十八日しかなかったから、暖かさと忙しさで運転者の頭が可笑しくなっているのだと思った。