2013年2月

2/28・木
 一日晴れて大部暖かい。午後出社。今日もチラシを手に練り歩いた。退社後は少し飲んで帰った。調子に乗った首相は衆議院で演説し世界一を連呼す。景気は気からというから分からなくもないが、ならばもっと御金を使ってくださいと率直に言うべきである。成長には投資が必要だから、御金を自然力の普及に使えば尚結構なことになると思った。


2/27・水
 御午過ぎまで小雨が残る。午後出社。気分はすっかり三月なので真面目に授業なぞする気が起こらない。教える代わりに、未だ希望の大学に入れない生徒連には中華蕎麦を食べさせた。中学三年生の授業も今日で御仕舞。此の学年も苦労が多かったし、而も其の苦労は尽く実らなかった。何故かと云うと、中心となる様な子が育たなかったのが良くなかった。従って懐いて来るような子もいなかった。生徒の出入りも激しく、途中から入って来た子も、ああでもなくこうでもなくと親子共共授業を引っ掻き回した。腹が立つばかりで、教えていて面白いと云う事は一遍も無かった。
この仕事を長くやっていると、どういう訳か何をやっても全く旨く往かない学年と云う物が時折発生する。貰い事故の様な物で大概は確率の問題なのだろうと思う。旨く往った学年などは、三月に卒業式がてらの食事会をしてやったりもするが、此の学年には缶珈琲一本出してやる気が興らなかった。熟熟事故と云う物は御互いを不幸にすると思った。退社後月波君来たる。御酒を飲みながら、嫌な学年の事は一切合切忘れて帰えるようにした。


2/26・火
 欧州債務危機はすっかり峠を越したと思っていたが、伊太利亜の総選挙で反緊縮政策政党が台頭す。独立心を叫んで再建策を反故にすれば、債務危機が再燃するとのこと。出鱈目な政治家は何処にでも多いと思った。
 久久に散髪に行った。実を云うと幼少のころから散髪は苦手である。歯医者の治療台に似た椅子に拘束されるのかと思うだけで気が重くなる。歯医者に行くことは日日の努力で防げるが、散髪は髪が生える以上避けられない。だから髪切り専門店が出て来た時は、御金の面以上に拘束時間削減の点からいって大いに喜んだものであった。
今日も散髪屋の椅子に腰掛けた。すると運悪く古藤さんのことを思い出した。古藤さんは吾人が学生だった頃のある研究会の先輩で、何かの拍子で何処かの床屋で不幸に遭い、どちらかの眉毛を失った。生えて来るまでの間眉墨を附けて登校して居てが、眉墨と云うより靴墨と云った方が良い様な雑な塗り方で、見れば見る程可笑しかった。其の古藤さんが久し振りに出て来て吾人を散散笑わそうとして来る。生憎散髪屋の椅子だから逃げようがない。笑いはどうにかこうにか噛み殺したが、美容師には頭の中がしっちゃかめっちゃかな人だと思われたらしく、大して髪の毛は切って貰えなかった。


2/25・月
 復興住宅の建設が依然進まず、仮設住宅の入居期限が四年に延長されたとのこと。断熱の悪い狭い所に四年も借り住まいでは余りに可哀そうである。
 晴れていても日中七度程度。本当に寒い。午後出社。余りに寒いので真っ直ぐ帰った。



2/24・日
 冬型強まり北風寒し。日中何事も無く過ごす。こういう日は、晩の御酒の段取りを昼から始める。ああいう御魚を食べながら、こういう御酒を飲みたいとあれこれ想像す。しかし近所には佳い魚屋も酒屋もすっかり無くなってしまったから、幾ら思案しても具体案は浮かばず。
生鮮食品を扱う店は綺麗さっぱり無くなり、飲食店と不動産屋と薬屋と保険屋と買い取り屋ばかりが軒を連ねている。全く不思議な光景である。此の辺りの住人は、何を肴に御酒を飲んでいるのか調べて見たくなった。概ね碌な物を食べて居ないのだろうと思った。


2/23・土
 老家人曰く、足がふらふらして最早自転車に乗れないと。大径車が無理ならば小径車に乗り換えるべしと二人で自転車屋に出掛けた。丁度二十吋のものがあり、乗り心地がいいと云うので購入す。老家人にとっては恐らく人生最後の自転車購入になるであろう。家人は新車に乗り、試運転だよとよろよろと先行す。吾人は速足で追い掛ける。遅いからそんなに離されることは無い。恐らく数十年前にもあった光景であろう。其の時は吾人が先行し、家人が追い掛けて行った筈である。時が経って、物の順序がすっかり入れ代わって仕舞ったと思った。自転車屋で花粉にやられ、以後鼻と涙が止まらなくなった。今年の花粉はひときわ酷そうである。


2/22・金
 亜米利加で新種の瓦斯が噴き出して、亜米利加が瓦斯の輸出国になると、東の大国は御得意さんを失う危険が出て来た。其処で頼みもしないのに島を二つばかり返してくれると云う。今更返されても予定外の御金が掛かって困るが、折角返すと云うものを断る道理も無いだろう。国際政治とは云っても、お目当ては懐の大枚であり、やっていることは飲み屋の女将が御客を獲得するのと大して変わらないと思った。だから御金はあるならあるに越したことは無い。
 錆を落として見ると錆しか無い所があり、溶接隊を出して鉄材で補強する必要があるとのこと。修繕作業も愈愈本番である。午後出社。大貧学院を少し宣伝しようとチラシを入れて歩いた。今日で都立高校の入試対策も御仕舞。次次と面倒な事が御仕舞になるので一年で一番楽しい時期である。何時もの洋食屋で豚肉に横文字のソースを掛けた物を食べて帰る。


2/21・木
 午前中は老家人と銀行に出向き定期預金を解約す。大金と云うほどでは無いが、解約には本人の出頭が必要だそうで、面倒な事此の上なし。
午後出社。女の子は希望の大学に入れて良かった。合格するとは思っていたが入学試験というものは昔から何があるか分からない。然し受かる筈の子が落ちる事はあっても、受からない筈の子が受かると云う事は無い。従って英語のできない男子連中に春は来ず。此のまま氷河期かもしれない。漸く給料支払われる。こういう晩は特例として無責任社長の御付き合いをした。
午前の内に残虐な刑罰が執行されたとのこと。こういう物に反対する国民もすっかり少なくなって仕舞った。この件に関しては平安時代の方がずっと先進的である。午後から寒気が入り特に冷えた。ズボン下を履いたまま就寝す。


2/20・水
 一日概ね晴れ。退社後は立って飲んで帰った。北風寒し。今年は寒くて困る。老家人の妹である華子叔母さんも愈愈耄碌し税務申告が出来なくなったそう。老家人が出向き指南するも、丸で要領を得なかったようで不機嫌になって帰宅す。何処も彼処も老年の世話で忙殺される。


2/19・火
 小雪舞う中、近所の警察署に運転免許証の更新に出向いた。此の五年間で走行距離は精精数粁だから、再び安全運転の金賞が貰えた。事故防止の最善策は自動車に乗らない事である。一方自転車には年間二千粁は乗っている。猫でも缶麦酒の束でも皆自転車に載っけて運ぶ。尤も自転車では余り遠くへは行けない。何処か遠くに行きたくなったら列車に乗る。元来列車に乗ることは好きである。成年後は其れに御酒が加わった。詰まり列車に乗って御酒を飲むのがあらゆる時間の中で一番楽しいと云う事になる。御酒を飲んで仕舞えば大抵何処にも行きたくなくなるから、目的地に着いたら余り動き回らずに宿で寝て仕舞う。結局何処へ出掛けても、乗り物に乗って御酒を飲んだぐらいの思い出しか作れない。而も断片的である。
自動車を仕立てれば、バス便の悪い様な所にも行けるだろう。もっと珍しい景色を見られると思う。だけど自動車旅行は縁遠い。自動車か御酒かと云えば、迷わず御酒を選んでしまう。運転好きの下戸と知り合えば、また違った旅が楽しめる筈だが、今の所そんな便利な人とは出合えていない。
最近は車離れが著しいと云う。自動車の会社も経営が苦しいから、最新の宣伝文句は、楽しいからもう一度乗ってくれである。とは云うものの往来には自動車が溢れ返っているから、余程今までが多過ぎたのだと思う。公害防止の為にも安全の為にも自動車に乗らない事は結構なことである。だが此の国の戦後は、自動車とテレビジョンを山ほど輸出して豊かになったのだから、当の国民が我先にと運転台から降りて仕舞うのも如何なものかとも思う。ならば自動車を買うだけ買って庭先に飾っておくのが、事故も渋滞も起こさないし自動車会社も潤うから、一番結構だと思った。
免許証の作成中は例によって安全講習である。作り置きの映像教材を見る。若者の無謀運転を諫める内容は無く、運転能力の低下した高齢者と粗暴自転車に注意すべしとの内容が最初に来ていた。交通事故は全体としては減っているものの、自転車と高齢者絡みは増加か横ばいだそうである。
吾人が学生だった時分は一年で壱萬人も横死していた筈である。今はその半分以下である。医療や安全技術の進歩発展と云う事もあるだろうが、若い人が少なくなったことが一番大きい。悲惨な事故が少なくなることは大いに結構だが、この先の社会から益益活気が無くなるのも少し寂しい事になると思った。結局雪は夕方まで舞った。修繕工事は全く進まなかった。


2/18・月
 午前中は国会中継を見る。参議院予算委員会だけに、野党を経験した与党と与党を経験した野党とが割と真面目に結構まともな討論をしていた。此れも政権交代の成果であると思った。何回か政権交代を繰り返せば、より良い政権が何時の日にか出来るだろうという知見もあるにはある。河清を何年も待つような猶予が此の国にあれば、国会中継も多少余裕を持って見て居られると思った。
御午前から小雨。作業は今日も捗らなかったよう。午後出社。入学試験も粗方終わったので、大貧学院に大量に送りつけられた学校案内の処分に取り掛かる。私立の学校は生徒が来ないと商売にならないから、頼みもしないのに実に立派な案内書を送って来る。最近は税金を使った学校も、負けじとばかり其れなりの物を拵えて来る。見もしない学校案内に一体どれだけの授業料と税金を費やしていることか、本当に勿体無い話である。
案内書の表紙はどの学校も判で押したように、先生と女学生があらぬ方を眺め薄笑いをしている。学校生活の何がそんなに可笑しいのか、見ているだけで腹が立って来たので目茶苦茶にひっちゃぶいて古紙回収に出してやった。退社後は少しだけ立って飲んで帰った。


2/17・日
 新首相が言い始めたデフレーション脱却の為の三本矢の作戦であるが、矢の一二本目は財政出動に金融緩和、そして三本目は経済成長であるという。今更経済成長が必要かどうかは議論が分かれることがあるだろうが、少なくても古い物は取り替えるべきであると思った。
景気が異常に良かった頃などは、人がまだ住んでいる家でも半ば強引に建て替えられたものだが、あれから二十年が経ち、東京の世田谷ですら空き家に空き地に空き店舗だらけである。路地を少し入ると時が止まったかのような古い家も多い。時代屋の女房も外から眺める限り悪くは無いが、毎日暮らすにはもう少し新しくて性能のいい住宅が良い。別に全部取り壊して高層住宅にする必要はないが、ある程度の建て替えや改築は必要であろう。ただ其れを経済成長と云うかまでは分からない。少なくても古い家をほったらかしにしているより、世の中の御金の廻りが良くなることは確かである。民間に建て替えの御金が無いと云うならば、税金を少し使ってもいいと思った。
日中曇り勝ち。旨い焼飯が食いたくなったが、旨い焼飯を出す店が見つからなかったから、家で冷凍物を食べた。


2/16・土
 冬型強まり日中大風が吹く。一日予定無し。風の為、作業は捗らなかったよう。余りに寒いので珈琲をうんと甘くして供食した。


2/15・金
 私立大学入試の結果が出始める。男子連中の結果は芳しくない。小中高と安楽椅子に座ったまま碌に勉強しなかった子にとって、大学一般入試は人生初めての挫折であろう。浪人するも佳し、取り敢えず大学と名のつく所に入るも佳し。人生は長い、諸君の自由である。各入試も少しずつ終わり、時間割にも大部隙間が出て来た。毎日寒いが、春は必ず来る。望まれた春であるかは別として。だが9月入学制になって仕舞えば、入学試験は6月にやることになるだろうから、こういう風情は味わえないであろう。残念なことになると思った。
御午から雨。作業は早めに終了す。午後出社。退社後月波君来たる。洋食屋で白葡萄酒を二本空けて帰る。月波君に飲みかけの焼酎を貰う。封の開いた瓶なぞ貰っても、何だかちっとも有り難くないと思った。


2/14・木
 吾人が行く立ち飲み屋には女性客も来る。中年男性の相手ばかりをしていても詰まらないので、出来ればこういう御客と親しくなりたい。行き成り親しくはならないから、先ずはきっかけが必要である。その為には少しでも店に多く顔を出す事である。その内、何かのきっかけで話しをする機会を得る。きっかけは実に些細である。店が混んでいたり、あるいは空いていたり、変な客がいたり、店員の気まぐれだったりする。要は偶発事故である。今、南の無人島に両国の艦船や航空機が群がっている。恋仲になるならいいが、何かの偶然でとんでもない事にならないとも限らない。向こう側のやる気に巻き込まれないためには、成るべく近寄らない事が肝心である。増して大海原で軍艦同士が3キロも接近していたと云うから、事態は結構深刻である。
 一日曇り勝ち。修繕工事始まる。午後出社。退社後は二週間ぶりに立ち飲み屋に巡回部隊を派遣す。然し何事も無く帰還す。


2/13・水
 午後久久に出社。かといって何もなし。其のまま帰宅。注文して措いた新らしい空気清浄機が届いていた。今年は酷いと云う杉花粉対策の為の出費だが、十年ぶりに購入した新型機は他の新型家電同様良く出来ていると思った。弐万円程度の普及品なので製造地は隣国だが、先代と比べて丸っこく成った機体は素人目にも洗練されていて、丸で清浄機に未来が来たかのようである。
空気清浄機と云う物が家庭に入り込むようになったのは比較的最近のことで、戦後に植え過ぎた杉の木が猛烈に花粉を飛ばし始めてからのことである。尤も清浄機と謂っても、吸い込んだ空気を濾過して吐くだけの割と単純な装置で、併し本当に空気が綺麗になっているのかまでは、正直な処良く分からない。点いているだけで花粉や塵が除去された様な気になっているだけなのかもしれない。其れに花粉を吸い込み過ぎても、目と鼻が痒くなるだけで命に係わる様な事は少ないだろう。水や空気に態態御金を払うようになったのは、世の中が贅沢になった証である。
大気汚染がもっと切実だった時代には、こういう装置は発明されていなかった筈である。肝心な時に発明されず後になって過剰に供給されるというのは、世の中の常である。当の製造国の大気の汚染は益益酷いと云う。本国でもっと活躍すべき物を何だか横取りして仕舞ったようで、少し申し訳ない気がした。


2/12・火
 概ね曇り。日中7度程度。本当に今年は寒い。首相は経済団体首脳を集め、内部留保を使って給料上げろと要請す。夏の賞与を上げさせて選挙を有利にさせようと云う魂胆だろうが、何も日本国民は大会社の正社員だけではない。内部留保など一銭も無い自営業者や零細企業や非正規労働者や福祉生活者も、首相に御目通りしたいものである。


2/11・月
 癇癪を起こす先生の件が方方で問題となっている。吾人も出来の悪い生徒には腹を立てるが、癇癪だけは起こさないようにしている。大体生徒と云う物は、先生より出来悪いのが通例だから、先生が腹を立てるのは、鶏が鳴き、犬が吠え、猫が寝るのと同じで至極当たり前の行為である。其れに最近の子どもは小さい頃から贅沢に慣れているから、先生が生徒だったころに比べて隔世の感がある。腹立たしさは倍増するであろう。しかし先生たるものが癇癪を起しては何の手本にもならないので、通例は癇癪を我慢する。癇癪持ちは先生には向かない。時には生徒の質が余りに悪くて、癇癪を起さなければ指導が出来ないということもあるだろう。先生の手に負えないのなら、落第なり放校させれば良い。其れも出来ないと云うのであれば、先生では無く巡査の出動を願うべきである。日中概ね晴れ。一日無為。体力回復に努める。


2/10・日
 朝方は酷い寝汗を掻いた。起きて見ると漸く治った感じがする。病魔との長い闘いであった。頭の中味も大部しっかりして来て、普段通り色色な事に気を配れるようになった。夜更けに外に出て、かまくらで独りで寝ているシロに手折るを掛けてやった。ここ数日冬型強まり本当に寒い。


2/9・土
 数日来地震多し。御酒一合のみ飲む。但し夕方から寒気がして来て、みたび発熱す。38度。本当にしつこい風邪だ。


2/8・金
 熱は概ね収まったが胸の奥から質の悪そうな咳が続続出て来たので、再び通院し抗生剤を処方される。再び欠勤す。午後は少し落ち着いた。二号室の家賃、二箇月連続で振り込まれる。裁判を起しても面倒なだけなので、きちんと支払うのなら此のまま住まわせてやろうかと思った。マスク姿のまま昼寝中のミケを抱き起そうとすると、何を勘違いしたのか大暴れし垂直に跳んで逃げて行った。概ね暴漢に見えたのだろう。


2/7・木
 昏昏と寝込む。良く寝られるものだと自分でも感心す。其れにしても良く風邪を引く。何か大きな病気の前触れかもしれない。午後遅く出社。此の出社が良くなかった。ズボン下を履き、マスクを二重にし、成るべく無言で、成るべく生徒に近寄らないようにして指導す。其れでも寒気がして来て、外套を着ても丸で氷上に居る感じである。足元からしんしんと冷気が揚がって来る。普段は気付かなかったが、階下がずっと空き家の為だと思った。最終授業を多少端折って帰宅。帰宅後39度近く発熱す。

 
2/6・水
 午後になっても熱は下がらず、敢え無く今季三度目の欠勤となる。流感を心配した家人の達ての願いで近所の医院に行く。検査の結果、無実が判明。八角から出来た新薬では無く、入浴剤の様な葛根湯が処方される。何となく効いたよう。只夜半から咳が出始める。
 大雪が降るぞ降るぞと強迫されたが、結局降らず。大方そんな事だろうと思っていたが、国電だけが予報を真に受け、電車を間引き運転す。結果、乗れない御客が国電駅に溢れたそう。苦情を云うなら気象庁では無く、霙を吹く様な鉄道会社に云うべきだろう。


2/5・火
 減価償却の計算に成功す。何とか自力で申告書を書けそうだとほっとしたところ、急に寒気がして来て午後から寝込む。要は今季四度目の風邪である。税務申告に各種滞納問題で草臥れたのだと思う。夜は38度台を記録。


2/4・月
 午後出社。大貧学院には商業科の生徒も偶に来ていて、生徒が捨てて行った簿記の参考書を試しに開いて見る。丁度其処が減価償却の欄で、良く読むと何となく分かった気がして来て助かった。飲まずに退社。急いで税務計算に取り掛かる。


2/3・日
 家に居ても草臥れるだけなので、何処かへ列車に乗りに行こうと思った。手っ取り早く房総に行くことにした。用も無いのに態態列車に乗るからには、三等の通勤列車なぞ乗っていられない。新宿を9時過ぎに出る特急に乗った。5両の編成でもきちんと車内販売員も乗り込んでいて御酒を飲むには助かった。此の処地方線区では車内販売が続続と無くなっており、どんどん注文しなくては先行きは益益危ない。吾人も小遣いを擲って貢献す。
特急列車は新宿を出て暫く中央線をのらりと走り、御茶の水で大きく腰をくねらし総武緩行線に転線す。滅多に特急の走らない区間であるだけに、プラットフォーム上の乗客が見慣れない列車が入って来たと目をぱちくりさせるのが見ていて面白い。何処かの駅で総武快速線に入り、漸く特急らしく涼しい顔をして走る。只其れもつかの間で、千葉から先は単線区間で線路もひん曲がっているから、やっぱりのらりくらりと走る。結局の所、特急と名乗る程の物でも無い走り方をする。
落第特急でも需要はあるようで適度に集客し自由席は半分以上の入りとなった。尤も、車内でゆっくり御酒を飲む身としては、列車が遅い分は一向に構わない。車窓を介してぼんやりと外を見る。内房の保田まで二時間も掛かったが、其れでも普通列車に比べると随分速いと思った。
然し保田の有名食堂は取り付け騒ぎの様な混雑で入れず、仕方なく近くの蕎麦屋で御酒を飲んだ。浜金谷に一駅だけ移動して今度は御舟に乗る。関東平野に居ると船に乗る機会が少ないから困る。偶には広広とした所に出て見るべきである。大海原と云う程では無いが、海は陸より広い。
丁度船尾には鷗が餌を強請りに来ていて賑やかだった。鷗は白いから丁度シロの様な顔をした鷗が翼を振って群がって来る。御菓子を投げると上手い奴は空中で捕まえる。不器用な奴でも海面で拾って、大急ぎで追い掛けて来る。容易に追いつくから、余程船が遅いのかとも思った。結局船にくっ付いて多くの鷗が久里浜側に移動す。お鳥さんにとっては東京湾横断など造作も無い。翼を時折動かすだけで飛んで行けるのだから、揚力と云う物は便利だと思った。しかし当方は鳥に感心する余りすっかり飲み疲れて仕舞った。赤い顔をさせて、京急線に乗って其のまま家に帰った。


2/2・土
 終日家人総動員で税務書類を作成す。作業に掛かりっきりの為、昼も夜も出前を取る。其の上、ああしろこうしろ、此処は違うあれも違うと家人間で諍いが絶えなくなる。このような不幸を招かない為に専門家がいる筈である。税理士の出前を頼みたかった。其れにしても、税金とは考えれば考えるほど分からなくなる。一方弁護士からは大量の書類が送られて来る。明け渡しの裁判を起こすだけで又更に多くの書類が必要なよう。書類一覧を見ただけで目が回る。此方は専門家が不幸を量産していると思った。数日来地震多し。夜も気味悪く揺れた。北海道の地震だと云う。


2/1・金
 午後出社。退社後は例の如く飲んで帰った。夜半から却って暖かくなる。