2012年12月

12/31・月
 朝起きるとグレが耳から血を流している。処置をしようと思っていると、何処かに行って仕舞った。漸く午後に捕まえ、消毒し抗生剤を塗り込んだ。どうやら喧嘩で敗退したよう。何しろ雄としての持つべき物を取って仕舞ってあるので当方に勝ち目は無い。庇の上で随分しょんぼりしていたが、以後は落ち着いたよう。
御酒と御茶の葉を買いに行く以外の外出は無し。溜まった日誌を書く。家人と晩食す。配達された御節料理を早速広げる。テレビジョンは騒騒しいのが嫌だから点けたくない。でも家人が少ないから侘しいのも詰まらない。丁度衛星放送で方方の店で飲み歩くと云う番組をやっていて、丸で何処かの店で一緒に飲んでいる感じがして良かった。
此処のところ財政規律が非常に緩み、大量の御札を御酒にして結局トイレに流して仕舞った。年明けの緊縮生活を誓って本年は御仕舞となった。


12/30・日
 一日雨。午後少し出社す。授業は既に無く、片付けと簡単な掃除を麦酒を飲みながら行う。大部暗くなってから柳夫妻と、夫妻の家業を手伝いに来た仲田大将らと合流し今年最後の酒席を持った。夫妻帰宅後、大将とあちこちの立ち飲み屋に挨拶して回る。夜になって漸く雨は止み、昨日置いて帰った自転車に乗って無事帰宅す。


12/29・土
 午前出社。仕事を五時で切り上げて都心に向かう。今晩は毎年恒例の芥田先生を囲む会である。芥田先生は長年勤めた鳳生大学に愛想を尽かし数年前山陰の大学に移られた。この度定年延長し、あと二年は山陰との往復生活を続けられると云う事なので、来年中の山陰訪問を御約束申し上げた。
芥田先生は所謂すごい思想史の講義をする教授の晩年の弟子で、矢張り先生の講義も凄かった。何しろ古事記日本書紀から始めたとすると、思想史の方法論と古代に一年、中世近世でもう一年、近代の講義に更に二年も掛かる。結局大学生活を全て投入しなければ一通りの講義を聴いた事にはならない。壊れたテープレコーダーの様な繰り返しの内容の多い大学の授業の中で、壮大な思想絵巻を見る様な感じであった。
昼の講義も凄いが、夜の講義も大変なもので、飲めば飲むほど古今東西の知識人と書物の名が口から飛び出して来る。先生に堅苦しい所は一つもないが、きちんとした受け答えが出来るまでには、更に一二年の修行が必要であった。学生時代に戻った様に、今晩も良く飲み良く食べそして良くおしゃべりす。馴染みの老夫婦の店に五時間も居たが、まだまだ話し足りなかった。
十一時半に店を出た筈だが国電ダイヤグラムが滅茶苦茶に壊れていて、家に着いたら一時少し前であった。メトロに乗っかれば良かったと思った。


12/28・金
 早朝出社。今年最後の金曜会。良く飲んで帰る。


12/27・木
 午前出社。職場の年賀状を作り忘れていた。今更コンピュータでは作れないので、授業の合間合間に市販の物を買って来て、図柄だけ複写して御仕舞とした。今日も鶴木さんと飲んで帰った。


12/26・水
 講習初日。早朝出社。朝は起きられないから頗る困る。起きられないと云っても、寝坊する訳ではない。早起きしなければならないといなると、予定時刻の随分前に目が覚めて以後寝られなくなる。謂わば寝坊の対義語の状態である。今朝は4時である。結局睡眠が不足して日中ふらふらとなる。
七時に退社す。鶴木さんを探し出し、立ち飲み中華屋で飲んで居ると、別の立ち飲み屋の年増の女店員も浮かない顔をして飲んでいる。どうしたのかと問うと、本日突然職場を解雇になったとのこと。そんな理不尽な事は無いと、吾人突如酔的義侠心を催し、店長の所に問い質しに行く。すると勤務成績が劣悪なので仕方が無いと、斯く斯く然然と理由を説明され、吾人一一納得す。ついさっき迄の義侠心は吹き飛び、労使交渉は互いの言い分を聞かねばならぬなどと思案顔で店に戻る。すると女店員は既に退散したとのこと。どのように本人に伝えるべきかまだ考えていなかったので、丁度良かったと思った。
北風寒し。シロが又掠り傷を沢山拵えてして帰る。新政権発足す。併し家に居る時間が希少なので、不愉快な会見などは見ずに済んだ。


12/25・火
 川崎の親戚に家に河を越えて自転車で行く。雑多な品物を受け取って帰る。


12/24・月
 晴れたが矢張り寒い。日中も一桁となった。月波君を呼び出し、明るい内から飲み出した。中華料理屋で紹興酒を飲み過ぎる。三軒目は喫茶店にした。


12/23・日
 政権に返り咲いた総裁は選挙期間中、附けは中央銀行に回して、兎に角輪転機をぐるぐる動かして御札を刷って刷ってデフレーションから脱出すべしと述べて、方方の顰蹙を買っていた。ぱんぱんに膨れた国債の信用が落ち、ほんの少しでも金利が上がれば日本の財政は御仕舞になるから、世間の心配は尤もであろう。ならばいっそのこと内緒で御札を刷り増せば良い。謂わば真券を使った偽札をばら撒くのである。公務員の給料や道路や橋を直した代金を其の贋金で払う。贋金と言っても、そもそもは本物の御札だから、一旦出回って仕舞えば誰にも分からない。五兆や十兆ならば露見しないと思う。
 一日曇り。今日も寒い。午後から自転車で古本屋を回り年末年始に読む本を買う。どの道積んで置くだけだろうが、積まない事には読まないから、こういうことになる。夜は貰い物の切蒲英を鍋にした。生まれて以来此の方、切蒲英と云う物を初めて食べた。尤も炭水化物を鍋に入れても、周りの味を吸い込むだけだから、鍋の出来は他の入居者に因る。鶏が少なかったらしく味は少しも良くなかった。本来は鶏の水炊き切蒲英入りと云うべきものを、主客転倒させ切蒲英鍋としたところに、そもそもの間違いがあるように思った。と云う事は、うどんすきも同様の間違いを犯していることになるだろう。


12/22・土
 結局雨の中、老家人をタクシヰに乗せ診察に行かせた。予想通り帯状疱疹かどうかの判断は付かず。取り敢えず消炎剤を処方される。午後は晴れたが気温は上がらない。夜は韓国鍋にした。


12/21・金
 御午過ぎには曇り尚更寒くなる。老家人、神経痛が治らないと訴える。何分にも大袈裟な性分にて今度は帯状疱疹を疑い始める。而し発疹が出なければ沙汰の下しよう無し。
 午後出社。古代墨西哥の暦だと本日で世界が御仕舞になるとのことで、世間も生徒も騒騒しい。ある種の終末思想はどの文化にもあるし、そもそも此の現代文明の有り様そのものが、既に世界の終わりの一形態であるとの認識を持たねばならないと思った。
歳末の折にて何処の店も繁盛す。立って飲む内に店内は満員電車の様になり、麦酒樽とおでん鍋はすっからかんになる。老夫婦の店に暫し避難す。


12/20・木
 概ね晴れたが、強い寒気の影響で夕方に一雨あった。先日来、老家人風邪を引き、唸って寝込む。但し熱は36度台だから大したことはなさそう。近所の医院で鎮静剤と漢方薬を処方され、以後快方に向かう。
午後出社。何処の飲食店も煙草の煙が酷いので早めに帰った。酒席は好きだが紫煙は苦手である。煙に触れただけで鼻はやられ、喉は荒れる。特に寒い時期は店の扉を閉め切るので換気が悪く閉口す。


12/19・水
 日中晴れ。一日寒く特に夜半から冷える。度度風邪を引くのは職場の待遇が悪いせいだと思い、自費で加湿機を備え付けた。口の悪い生徒は、良くそんな御金があったと輕口を叩いて来たが、御地蔵様が置いて行ってくれたと抗弁す。笠地蔵は恵まれない大人が救われる貴重な御話しである。
音で水を振動させ霧を作る安い装置だが、案外良く出来ている。噴き出される霧が時時面白い動きをして見て居て飽きない。酷い生徒と無責任社長に腹を立てた時は、此れからは霧を見て心を鎮めようと思った。退社後少し飲んだが、寒さの折何処の店も空いていた。寒いと知らず内に外で飲む量を減らし、家計の均衡を保っているのだと思った。


12/18・火
 偏西風が蛇行し寒波が無駄に列島を直撃した結果、拙宅の瓦斯代は一萬参千円となる。前年同月より弐千五百円、前前年より七千円も上昇す。何とか電気使用量は前年並みに抑えてたから、暖房の大半を瓦斯にやらせた結果であろう。夏場の瓦斯代は参千円程度だから、随分余計に家計所得を流出させたことになる。
冬の寒さも辛いが、夏の暑さも辛い。夏は電気冷房代に加え麦酒代が掛かる。其れに短距離でもバスやタクシヰを使うから、交通費も余分に掛かる。
暑さ寒さは人の命を奪う。去年今年は特に暑かったから、暑くて死んだ人の名が、連日読み上げられた程である。其の一方何処何処の何某が凍死しましたと云う話は聞かない。熱波と寒波、どちらがより多くの命を奪うのか、興味はある。
でも御金は総じて冬の方が掛かる。光熱費に加え色色と着膨れをするから衣装代も高い。北国では暖房代や灯油代と云う名の越冬賞与を出す所もあると云うが、最近はどうなのだろうか。非正規雇用が増えたから、此れも死語の世界入りかもしれないと思った。


12/17・月
五十年も住んだ家があって、いい加減に古くなった。彼方此方とがたがたになった上に、方方の配管が詰まって臭くて仕様がない。愈愈住みづらくなったので三年前の夏に思い切って引っ越しをした。併し引っ越し先の家は丸で未完成であった。其れでもあの古い家に戻るのは嫌だから、少し我慢して住み心地が良くなるのを待った。処が家主と家造り名人の大工の棟梁は喧嘩ばかりしていて工事は丸で捗らない。下らぬ喧嘩に明け暮れた結果、家主は次次と引きづり降ろされ、滔滔棟梁は家から出て行って仕舞った。
其の上三人目の家主は家賃を上げると云い出し始めた。値上げは致し方無いにしても、家の方方の造作も直さないのは怪しからぬと、住人は再びの引っ越しを考えるようになった。併し引っ越し先の候補は何処も小さな急拵えの家ばかりで、結局元の古い家に戻ることにした様である。
あの家を出て三年経ったが、その間何処か直した所があるようには一向に見えない。悪い所は悪いままで、それどころか少し見ない内に建物全体が益益右に傾いでいる。こんな酷い家に戻るのは嫌だけど、国民がそう決めたのだから従わざるを得ない。せめて吾人は右側に転がらないように、左足を突っ張って、次の引っ越しを待つことにしたい。
冷たい雨が時時降る。午後出社。元元御勉強には全く向かない小皇帝小皇后に届く言葉などなく、愚にもつかない事を指図して帰る。此方の正気を取り戻す為には飲んで帰らざるを得なかった。


12/16・日
 一日晴れ。大変暖かい。午前中に投票所に向いその後世田谷ボロ市に行く。大して買う物などないが、年に一回は端からは端まで練り歩いて、結局毎回同じ白菜漬けを買うのみだが、そうしない事には兎に角気が治まらない。
不愉快な開票速報は見たくないので、夜は古い方の立ち飲み屋の忘年会に出掛けた。無責任社長以下、中高年男性の溜まり場の方である。年寄りの面倒など家人で十分だが、適当に相槌を打ち、溢した麦酒を拭いたり、割れた杯を片付けたりと、不幸な選挙の日に相応しい惨めな内容の会合であった。
帰宅後選挙報道に接する。小党乱立し票が分散した結果、現政権党壊滅し、前政権党が下馬評通りに大勝す。そして御腹と御頭の良くない総裁が再登板することになった。結局外を一回りして元の政権に戻って仕舞った。政治の世界は十年一日、丸で時間観念の無い神話の世界と同じであると思った。尚衆議院議員小選挙区比例代表東京都知事選挙、東京都議会補欠選挙と吾人も四票も投票したが、数字宜しく枕を並べて全て死票になったとのことである。


12/15・土
 一日冷たい雨。外出せず。一日無為。


12/14・金
 曇り時時晴れ。午後出社。大部調子が良くなったので、退社後は仲田大将と共に何軒も転戦し、帰宅は夜明け前となった。


12/13・木
 一日晴れ。午後出社。高校三年生の男子は漸く今頃になって勉強し始める。取り掛かりが一年遅いと思った。尤も最近の子どもは、精神の発展が大部遅れていると思うところがあるから、別に可笑しなことは無いとも思った。本来ならば浪人するぐらいの覚悟が必要だろうが、大学と名のつく所に結局入って仕舞う。斯うして未熟な大学生が大量に生まれることになる。退社後は鶴木さんを探し出し一週間振りに飲んで帰った。漸く麦酒が旨いと感じたから、体調も戻ったのだろう。


12/12・水
 一日晴れ。午後久久に出社す。退社後も直ぐに帰った。


12/11・火
 喉は針が刺さった程度の痛みになり漸く治って来た感じがする。軽作業のみ行い一日安静にす。頼んでおいた御酒が気仙沼から届く。快気した折に検めることにした。
 福井の原子力発電所は、学部学生でも分かるような活断層の上に立っていたと云う。廃止は当然だろうが、此の発電所原子力発電専業の会社の物だから、従業員の再就職先も斡旋してやらねばならない。石炭から石油へ。そして原子力から自然力へ。産業の暦を断じて捲らなければならぬ。一日冬晴れ。非常に寒い。


12/10・月
 依然として喉は槍が刺さったように痛い。此の二日、市販薬と処方薬の残りを出鱈目に飲んだが如何にもならなくなったので、近所の医院で診て貰う。抗生物質を飲んで再び寝る。具合が悪いと妙な物が食べたくなるもので、医院の帰り掛けに、アーモンドを一粒一粒チョコレートと銀紙で包んだ御菓子を探したが、何処にも売っていなかった。実に暫く振りに食べようと思ったが、何時の間にか無くなったらしい。本日欠勤。夜半にかけて37度5分。以後は下がった。


12/9・日
 体調益益悪化し一日寝込む。咽頭炎が治るからイントウェルなどという阿呆な名前の市販薬を飲むも、丸で効いた気がせず。夜から痰が絡んだ咳も出る。


12/8・土
 三号室完成す。丸で新築そっくりである。早速入居申し込みがあり、努力のし甲斐があった。家作とは良く云ったもので、まさしく家主と工事屋との一衣帯水での家作りであると思った。一日晴れ。滔滔麦酒の味が戻らぬまま別の風邪をひく。今度は喉風邪である。市販薬を飲み、首に手折るを巻き午後から寝込む。37度程度は出た模様。大貧学院での絶望的職業生活のせいだと思った。


12/7・金
 一日晴れ。午後出社。夕方に大きな地震あり。都内でも震度四。退社後金曜会。御酒を飲んでも旨くない。大して飲まないで帰宅す。


12/6・木
 幼少の頃は、公務員の給料は別にそれほど高くないとは思っていたが、此の二十年で民間給料がずるずると下がったから、最近は高い高いと文句を垂れられているようである。昔から銀行員の給料が高いのは、皆さまの御金に手を付けない為などという冗談めいた説明があるが、中中本質を衝いていると思う。公務員の給料を下げ過ぎると、堂堂と賂を要求する者が現われそうで、むしろそっちの方が国民生活を不便にしそうで心配である。それに既に多くの非正規職員が働いていると云うから、御苦労さまでしたと御小遣の一つでも支払わなければならないのかもしれない。
 午後出社。退社後月波君来る。久久に飲んで帰った。日中晴れ。夜から冷える。思えば今年は9月まで異様に暑く、漸く涼しくなったと思ったら既に真冬である。天気も人心宜しく極端から極端に動いて、迷惑なこと此の上無し。


12/5・水
 電器屋さんを呼んで家作のエヤコンを引退さす。まだ十年物だが、何分にも安物だったから電気を使うこと夥しい。節電の為、交換を数年前倒しすることにした。午後出社。今日も飲まずに帰宅。別に飲まなくともどうということもなし。


12/4・火
 日中曇り。夕方少し晴れる。御酒を止めてがっかりしたのか、風邪がぶり返したよう。一日無為。衆議院選が公示。万事騒騒しくてうんざりす。


12/3・月
 一日真冬の様になる。而も日本海側の様に雪でも降ってきそうな天気である。午後出社。相変わらず出来の悪い中学生に愚にもつかないことを教えて回るが、こうして教えていて、何だかとても悲しくなった。無論悲しさの原因は今年に入って六回しか給料が支払われない事にあるが、こうも給料を払えない大貧学院もつくづく御仕舞であると思う。此のまま生徒が減れば、愈愈来年は家賃も払えまい。
大貧学院の御仕舞は、学習塾と云う一つの仕事の御仕舞でもある。株式欄に載っているような御立派な塾や予備校は残るだろうが、近所の子どもを集め、勉強を教えたり、躾をし直したりするような小さな学習塾は、早晩悉く立ち往かなくなるであろう。日本中のあらゆる街角から豆腐屋や荒物屋が無くなって仕舞ったように。そして愈愈教えることが出来なくなると云う事が、何だかとても悲しいと思った。悲しい酒は飲みたくないので真っ直ぐ家に帰り、三日連続で御酒無しとした。


12/2・日
 一日暗く寒い。回復し立ての胃腸を検査する為に、昼は天麩羅蕎麦を食べに行く。贅沢しようと近所の腰かけ付きの店に入った。立ち食い店だと、天麩羅蕎麦の上わ物は、野菜の掻き揚げだが、座り食いだと大きな海老の天麩羅が二本も乗っている。贅沢過ぎて海老を食いに来たのか、蕎麦を食いに来たのか分からない。海老を一本にするか、基礎の部分を多くすべきだと思った。昨夜に引き続いて夜も御酒は飲まなかった。
 高速道路の隧道の天井が崩落。高い通行料金を取り、一体毎年毎年何処を検査していたのか、全く可哀そうな話である。古い物は危ないから片端から作り直すか、一つ一つ直さなくてはならない。給湯機もエヤコンも便器も片端から代えて仕舞って良かったと思った。


12/1・土
 未明から胃痛がし何回か嘔吐す。以後軽く発熱。一日絶食す。曇った上に寒気が入り異様に寒かった。節電の為オイルヒーターを冬眠させたので、新型エヤコンを暖房にして今季初稼働さす。バランス釜の撤去交換終わる。どれも8年から15年物で、最低一度は代えてあったよう。家人の記憶など呉呉も当てにならないと思った。