2012年11月

11/30・金
 一日曇り。昼間から党首討論等をやっていたが、乱立新党は国会議員でない人もざくざく出て来て丸で収拾付かず。其の中、前政権党の総裁と東の退役軍人だけが目立っていた。胸糞が悪いので直ぐに観るのを止めた。午後出社。退社後も胸が痞えた感じがして、早めに帰った。昼の不愉快な討論のせいだと思った。


11/29・木
一日曇り。夜少し雨。午後出社。中学校の定期試験も終わり既に生徒の頭の中は冬休みである。あと一ヶ月近くもこんな状態が続くと思うとうんざりす。そもそも定期試験がどんどん早まっているのが宜しくない。昔の試験は12月に入ってからやった物だが、最近は11月半ばからやって仕舞う。年末商戦も学校の試験も何でも早くやれば良いと云う物ではない。成績処理の為の書類を山ほど作らなければならず、こういう事になっているのだろうが、こうなると学校の先生も教えに行っているのか、書き物をしに行っているのか分からない。下らぬ書類が益益増える社会と云うのは、良くない社会である。退社後月波君と鷺乃間君が来る。老夫婦の店で飲んで帰った。


11/28・水
 西の青年将校は東の退役軍人と一緒になった際、すっかり原子力の事は忘れて仕舞ったらしい。此の変わり身の早さ、恐るべき才能の持ち主に違いない。
 午後出社。漸く今年六度目の給料支払われる。年金より酷い支給状況で、矢張り腹が立って仕様が無い。一日不機嫌に授業す。授業の合間合間に、職場の不要物を片端から処分して気を少し晴らした。


11/27・火
 一日秋晴れ。工事屋さんが入り内装を直す。もう古い吊り戸も押入れも換気扇も皆作り替えることにした。結局全面改装となった。


11/26・月
 御午前から雨。時折激しく降る。瓦斯屋さんと電器屋さんが同時に入り、方方を直しに掛かる。而し全く不思議なもので、直せば直すほど次から次へと問題点が見つかり、直しても直しても切りが無くなる。工事は益益長引き暗くなっても終わらない。結局遅れて出社。適当に授業して帰る。雨は夜にはすっかり上がる。


11/25・日
 朝の内に公共放送で政治家の討論を聞く。小党乱立で党首だけでわんさかおり、一つの論点を一通り聞き終わるまで15分も掛かっていた。これでは討論にならないと思った。
一日曇り勝ち。一日無為。


11/24・土
 午前は曇り。漸く午後は少し晴れた。紅葉でも見ようと思い午後から家を出た。今更遠くへは行けないから、日野の百草園に行って見た。その後、立川の知人の店に寄り御酒と西洋料理を詰め込んで帰る。序でに月波君とも会った。電車が混んでいるのが嫌なので、都心には戻らず下北沢から延延と歩いて帰った。


11/23・金
 本日は元新嘗祭、現在は勤労感謝の日となったが、どちらも収穫や労働へ感謝する日である。米国でも此の頃感謝祭を行う。短髪の棟梁が、胃袋に収まる筈の七面鳥に恩赦を与える光景が、日本のテレビジョンニュースでも紹介されていた。こういう素朴な米国は嫌いではないと思った。その途端、独逸の六ずかしい顔をした哲学者が、パン工場の存在を考慮に入れるなら、日日のパンを乞い求める主禱文の祈りは全く下らない事になると云った事を思い出した。数十年前でもそう思ったのだから、今日のオートメーション化された七面鳥工場を覗いてみれば、益益卒倒する様な事態に陥っていることであろう。
自由貿易協定の相手は、生き物でも何でも大量に作ることに長けているから、関税を失くした途端に、小国の胃袋はあっという間に悪い食べ物で一杯にされて仕舞うことになる。其処を翼翼考えなくてはならないと思った。午前は雨。午後も降ったりやんだりの繰り返し。


11/22・木
 日中曇り勝ち。午後出社。給料払わない無責任社長、躾の悪い生徒、理不尽な親、愈愈大貧学院も御仕舞である。つい癇癪を起して無駄話をする生徒を怒鳴り付けた。今日は木曜会。何もかも忘れる為に色色巡って帰った。


11/21・水
 一日晴れ。朝の内に内装屋さんが来て色色と見積もりを取る。以前は和室を洋間に代えただけで人が入ったものだが、内装の変更が中途半端で、縁や鴨居の色合いが床材と不調和で万事可笑しいと云う。一一納得す。午後出社。中学の定期試験も半分程度終了で生徒は益益だらけていた。
 事実上の選挙戦に突入だが、野党第一党の元首相は、次次と愚にもつかない勇ましい事を公約に掲げていた。辞任してから五年経ったが、浪人中に悪い御腹の方は治したが、頭の中までは手が回らなかったと見える。幾らなんでも支持を受けるとは考えたくないが、この国の大衆は時折いい加減なことをするから、呉呉も安心はできない。


11/20・火
一日秋晴れ。三号室未だ決まらず。仕方なく瓦斯焜炉を買って来て備え付ける。量販店の安い物だが、焜炉もすっかり安全設計になっていて感心す。何でも鍋底に温度計を当て、熱くなると瓦斯が独りでに止まると云うから大したものだと思った。家庭焜炉が斯くも安全進歩しているのだから、停電程度で爆発した原子炉の安全対策が如何に酷かったものかと憤慨す。
結局三号室は内装屋さんを呼んで再び直す事にした。財力の逐次投入、逐次消耗である。こういう事になると分かっていたのなら、春の内にもっとしっかり直すべきだったと反省す。家作も増え過ぎて家主がホテル並みにサアビスする時代になったと思った。
 増え過ぎたと云えば、少し前に大きな口をした文部大臣が、大学を造り過ぎたと嘆いていた事を思い出した。その主張は一一尤もだと思った。沢山拵えた大学を切磋琢磨させればいいと云う考えもあるだろうが、大学同士を矢鱈に競わせても、学習塾の様になるだけである。最近の学習塾の広告などは、必ずやる気にさせるだとか、気に入らない先生を何時でも辞めさせるだとか、成績の進歩発展を保証するだとか姦しいこと限りなし。仕舞には勉強しなくても成績が上がりますとでも言いかねない勢いである。学校が学生にサアビスするということは、結局先生を幇間やホステスにして、学生を甘やかすと云うことである。サアビスされるのが当たり前だと思っているような子は、翼翼碌な大人にならない。


11/19・月
 一日曇りで寒い。午後出社。少し飲むと胃が冷えて痛いので割と早めに帰る。


11/18・日
 朝から快晴。昨夜は御酒を飲まなかったので朝から調子が良い。自転車で方方を遊覧す。帰り掛けに伯母の施設に寄る。丁度秋の音楽界と称して童謡等を唄っていた。年を取り過ぎると童に返るから、やっていることは幼稚園と同じである。ただ子どもと違う点は、皆足腰が悪いので集合と解散にそれぞれ三十分は掛かることと、歌の中には昔の歌謡曲も交じっていることくらいである。尤も伯母は耳が遠く、折角の蘇州夜曲も何をやっているのか分からないと述べていた。


11/17・土
 午過ぎから雨、時折激しく降る。昨夜の大酒が祟り日中ふらふらす。


11/16・金
 午前中に渋滞していた幾つかの法案が可決される。公債特例法を通し、定数是正を形ばかり行う。こういう物はもう少し早く如何にかならない物か。そして午後衆議院解散される。総員退艦とばかりに与党から逃げ出す議員多く見苦し。小党乱立す。
 一日晴れ。午後出社。金曜会で御金を使い過ぎて帰る。帰宅後よろめいて庭の躑躅に突っ込む。


11/15・木
 晴れ時時曇り。午後出社。特に出来事も無く過ごす。退社後も何時もの通りに酔って帰った。


11/14・水
 日中晴れ。夜から寒気が入り寒くなる。午後出社。何かしらの仕事をしている内に、衆議院の解散が決まったよう。増税を成し遂げた首相だけは満足しての解散だろうが、政治は益益混乱す。退社後は何時もの様に御酒を飲むも、蹴球の国際試合もあったようでどの店も人がいなかった。


11/13・火
 一日曇り勝ち。瓦斯屋さんを呼んでバランス釜三基の交換を注文す。東の退役軍人が新党を旗揚げし、西の青年将校と共に第三極を結集すると宣った。政権党でも旧政権党でもないから三番目の勢力と云う事なのだろう。仏蘭西革命の原動力になったのは第三身分だったが、此方の第三は戦後の日本を御破算にする積りの破壊勢力であると思った。
欧州債務危機に続いて中国の景気が減速し日本経済はお先真っ暗である。増税前の駆け込み内需も無い。おまけに退役軍人が起こした騒動で日本の自動車も売れない。この責任を一体誰が取るのか。


11/12・月
 予算委員会始まる。首相の強い意向により、滔滔年末に選挙することになりそう。与党幹部は今選挙をされると皆討ち死にすると、殿に翻意を求めている格好である。支持率が好転する見込みも無く与党の大敗は既定路線である。午後出社。


11/11・日
 日中曇り。夕方から雨。一日無為。被災から一年と八ヶ月たった。現地では、被災建物を残すか残さないかで意見が分かれていると云う。


11/10・土
 そう云えばもう一年も墓参りをしていないので、家人と出掛けることにした。蓋し老家人、足元が益益ふら付き、都心のタアミナル駅での上へ下への乗り換え移動が不安で仕方が無いと云う。吾人、地図を凝視して一計を案ず。都心の環状鉄道を使わず、環状道路を車を仕立てて移動する奇策を思いつく。以後、七号線をタクシヰに三千円も支払って只管北上し、中野区の小駅から西武線に乗り込む。良く空いた各駅停車に在り付き、奇策は大成功したと安堵す。併し少しも乗らない内に電車が急に動かなくなる。聞けば、数本前の列車が田無で人を轢いたとのこと。年寄りを抱えて練馬の駅に置き去られても、何の打開路も思いつかず。運転再開を車内でじっと待つことになった。結局普段より大部余計に掛かって霊園に着く。
快晴につき墓参には良かったが、帰る頃になってもダイアグラムは復旧せず、出鱈目な間隔でやって来た電車が目茶苦茶に混んでいて閉口した。再び中野の小駅で下車し、這う這うの態で車を拾って帰った。


11/9・金
 朝から工事屋さんが入って3号室を改造す。序でに屋根から雨水が垂れて来ることを相談すると、樋の合流部分が詰まっているに違いないとのこと。此処を切るべしと、配管を叩き割ると、落ち葉と泥がぎっしり詰まっていた。屋根屋に幾ら相談しても分からなかったことが漸く分かって良かった。矢張り物事は見立てが肝心である。配管を造り変えて午後出社。退社後金曜会。どこの店も繁盛していて困った。立ち飲み屋など満員電車の様になっていた。
与党の一部は、貿易協定の是非を問う名目で衆議院を解散し、来月中に総選挙すべしと云い始める。坐して落選を待つより増しだと、滔滔自ら解散風を吹かせ始めた恰好だが、そんな用件で師走に大選挙されても騒騒しくて一層困る。


11/8・木
 シロは何時の間にか戻っていた。猫は夜行性だから不良猫になった訳ではない。一一心配して損をした。一日晴れ。前年比電気使用量15%減。一昨年比4割減。午後出社。退社後は鶴木さんを探して立ち飲んでから帰った。


11/7・水
 太平洋の右側の大国の棟梁決まる。短髪の苦労人が再選されたのは常識的な結果であろう。何しろ一期目は戦争と不況の後始末に追われたのだから、あと四年はやってもらわないと困る。それにしても大きな政府小さな政府、伝統的価値観か平等な価値観かは色色と意見が分かれることもあるだろう。だが、企業家が拵えた巨大な企業になんやかんや指図される社会と云う物を問題にしないのは、同国国民の全く可笑しな点である。
一日晴れ。午後出社。シロが家出をしたと云うので、御酒は三杯で止めて早めに帰った。


11/6・火
 中学高校生の自尽多し。そういう人は放って措いても死んだかもしれないが、元元生死の当落線上に居た者が、何かの事件が元でわあわあ騒ぐものだから、自棄になって彼岸へ落っこちて仕舞ったのかもしれない。となると、最初に死んだ者は大部大勢を巻き添えにした事になり、矢張り一番宜しくないと云う事になる。一息で死んで仕舞うのは楽には違いないが、死ぬと色色な所に迷惑を掛けるから、翼翼考え直さなくてはならないと思った。
 午前は大雨。午過ぎにやむ。夕方は霧が凄かった。一日外出せず、溜まった日誌を書き、積んである本を少し崩して読んだ。


11/5・月
 一日曇り。午後出社。既に世の中から見捨てられたかのような大貧学院であるが、複写機の営業員や電話帳の勧誘電話なぞが来て賑やかだった。併し御金が無いからどちらも断るより他になし。再び定期試験が近い。折角の英単語に態態片仮名のルビを振る等、愚にもつかない事を教えて帰る。立って飲んでいる内に、雨が降り出す。結構降られて帰った。


11/4・日
 朝早く起きて少し自転車を運転した。再び販売店に行き今度は電熱絨毯を買う。夕刻家人に晩食の買い物を頼まれる。スーパーマーケットは嫌だから、専門店を訪ね歩いた。魚屋も豆腐屋惣菜屋も近所には皆無くなってしまったから、方方を走り回らなければならなかった。
どうやら年内解散は無理になったよう。総選挙は解散から四十日以内だから、明日解散しても年末に架かる。師走に選挙と組閣をされても、道路が益益混雑して国民生活が滞る。


11/3・土
 文化の日だが生憎の土曜となった。早く金曜を振替日にする制度を作るべきである。休みを沢山作って生産を削減しなければデフレーションは止まらない。否もはや其の程度では間に合わぬかもしれぬ。事態は無駄遣いの日を作らなければならない所まで切迫している。月に一遍、蕩尽の日を設け、御金のある人は尚更、御金の無い人もささやかながら贅沢をすべきである。特に御金持ちには、無宿人に大量の御酒や御鮨を振る舞ったり、用が無くても流しの自動車を捕まえて無闇矢鱈に走り廻らせたりする等の義務を課せば、世の中の御金の廻りが良くなり、万人の暮らしが少しは楽になるに違いない。
朝は日差しが無くて寒かったが、午後には晴れた。拙宅の炊飯器は概ね三日に一度しか働かないから、十年経っても現役である。併しそろそろ引退させようと買いに出掛けた。家電の会社も販売の会社も大変だから、多少交換の前倒しをしようと家人と考えたからである。安く買う積りは無かったが、店員自ら千円ほど負けてくれた。それ以外は無為。


11/2・金
 一日晴れ。午後出社。ぼんやりしていると無責任社長あてに特別郵便が配達される。簡易裁判所からだから、何かの支払いが滞っているのだと思う。貧乏学院も益益貧乏が拡大して、もはや大貧学院である。金曜会に出て厭な事は全て忘れて帰る。


11/1・木
 世の中に数多ある仕事のなかで、学習塾の離職率が一番高いと新聞に書いてあった。新卒で入社して三年で半分が辞めるから大したものだと云う。次いで飲食、宿泊、小売りと云ったサアビス業が高い。どれも萎む内需を追いかけ回して、激しい競争をしている業種である。そもそもが、この国にはもうサアビス業ぐらいしか残っていないし、少なくなる一方の御客を奪い合っているから、そういう事になる。売り手の立場が弱いと、御客は益益付け上がる。御金が無いから気前良くと云う訳にはいかないから、せめて吾人は店に出掛けても、御行儀よくしなければならないと思った。
一日晴れ。午後出社。今日も頭の中味と躾の足りない子の面倒を見た。退社後月波君現る。老夫婦の店でよく飲んで帰った。