2012年10月

10/31・水
 国会の代表質問始まる。旧政権党は現政権党に、閣僚が交替し過ぎるとか、いい加減に解散を早くしろ等と悪口を浴びせていた。其れにしても、丸で四年前の政権党の言い回しと同じである。昔やられたことを只管やり返しているだけで、やっていることは此処数年丸で同じだと思った。
一日曇りで寒い。午後出社。授業料を散散値切って措きながら文句を言って来る親が居て、随分理不尽な事をして来ると思った。クラス授業で個人授業並みに良く教えろと云うのでは、立ち食い蕎麦屋に椅子が無いと云って怒っているのと同じである。適切なサアビスを受けるには適切な御金が必要である。此れからは地獄の沙汰も金次第という標語を入口に掲げようと思う。そもそもが、少ない御客を数多のサアビス業で奪い合っているから、物の道理を弁えない御客が増えて困る。退社後も酒量が減る理由が見つからなかった。


10/30・火
 両家人は縁者と共に熱海へ一泊旅行。日中軽作業す。空いている3号室に洗濯機置き場を作ろうと思い、水道屋さんを呼んで見積もりを取る。洗濯機は室内に置かないと最近は借り手が付かないと云う。部屋貸しも不易流行である。一日曇り。


10/29・月
 臨時国会始まる。怒った参議院は首相の所信方針演説を拒否す。憲政史上初の事態だと云うが、与党も野党も無節操な事をしていると思った。午後出社。


10/28・日
 火力発電に使う瓦斯代が年間三兆円も余計に掛かったと伝えられる。国富の流出だと原子力推進派は大声で言うが、流出と云えば確かに流出には違いない。瓦斯は燃やしたら燃した分だけ無くなってしまうから、三兆円分の炭化水素二酸化炭素になって大気中にふはふはと流れ出したと考えられる。だからいっそ同じぐらいの金額を自然エネルギーに投資すれば、それらの装置は以後黙黙と電気を作るだろうから、将来的に御得である。瓦斯も御金も使えば無くなるから、使い方を翼翼考えなくてはならない。一日降ったりやんだり。すっかり寒くなった。


10/27・土
 朝から瓦斯屋さんが入り給湯機を五台交換す。二十年超えの物は全て引退させ、概ね十年以内の物となる。すると今度は四角い金属の御尻を丸出しにした瓦斯釜が見っとも無く映る。聞けばバランス釜と言うらしい。何がどう均衡を保っているのか知らないが、最近の若い人は使い方が分からず、丸で貧乏の象徴のように映ると云う。バランス釜が付いているのは、新棟の方で給湯に関しては新旧があべこべになって仕舞った。建ててから一度も代えてないからもう三十年物である。此方も片端から引退させようと思い、再び見積もりを取らせることにした。古い家作など直しても直しても切りが無いが、サアビスを向上させないと家賃が下がる一方だから仕様が無い。


10/26・金
 日中晴れ。授業に関しての苦情相次ぐ。学習障害すれすれの子だから、中学生だと云うのに、まともな字も書けないし、人の話しも上手く聞けない。そういう子をせめて人並みにしようと思って、尻を叩いてもどうにも処置なし。親の見立てが悪いと、子も学習塾も迷惑す。退社後金曜会。立ち飲み屋の店童と話す。聞けば大学に上がりたかったが家が貧乏で叶わなかったとのこと。勉強する意欲も能力も無いのに大学に行く子は多いが、その逆の様式には初めて合った。世の中理不尽な事が多過ぎると思った。沢山飲んで厭な事はすっかり忘れて帰る。


10/25・木
 一日曇り。肌寒くなる。東の退役軍人は最後の奉公とばかりに国政に復帰するそうである。齢八十にしてまだまだ壊し足りないらしい。西の青年将校とくっ付いて、幕府でも作りたいのだろう。愈愈国を滅ぼす積りである。尤も都民としては、誰が後任になろうとも多少はまともな頭の持ち主になるであろうから、少しは喜ぶべきことであると思った。午後出社。少しチラシを配って歩いた。別の商店街で、学習塾の隣に態態新しい学習塾が出来ていて吃驚した。


10/24・水
 空気が入れ替わり、すっかり気温が低くなる。一日晴れ。午後出社。出社後も時間割通りに無為に過ごす。退社後は少し立って飲んだ。
家人は原子力発電をいち早く止めたいらしいが、その分の御金は出さないらしい。自然の力で発電するにしても、最新の装置に代えるにしても、瓦斯火力発電で代替させるにしても御金が掛かる。(但し瓦斯代は大部高めに請求されているようだが) 御金を出したくない人は節電すればいいのだろうが、御金は出さないし、節電もしないで、原子力発電を早く止めろと云う無責任な人が世の中に多くて困る。


10/23・火
 法務大臣が辞任。態態改造して辞める大臣を作ったのだから、此の政権も何をしたいのかさっぱり分からなくなった。増税以外に特に取り組みたい課題もないらしい。選挙をすれば必ず負けるから解散を先延ばしにするだけで、動力源も行き先も失い漂流中である。前線通過の為、一日荒れ模様。屋外作業なし。溜まった日誌を書く。


10/22・月
 日中晴れ。内容証明郵便を出すのには伯母の委任状が必要なので、老人施設に乗り込む。年寄りの食欲も改善し伯母は元気そうであったが、三枚の委任状を書くのは大儀であった。食べろ食べろの後は書け書けでは伯母も可哀そうである。其のまま別経路で出社。
 中新聞は大新聞に三連勝したあと態態三連敗し今シーズン終了す。残念な事には違いないが、職業野球に振り回されない生活が来るのは良い事である。漸く静かな秋になった。夜半から南風が吹き天気は荒れて来る。バスで帰宅。


10/21・日
 一日晴れ。晴れると25度近くになる。一日寝たり起きたり軽作業したりで終わる。


10/20・土
 一日晴れ。柳夫妻と仲田大将に誘われて都内の雨天野球場で野球観戦。在京の大新聞対東海地方の中新聞の闘いであるが、吾人以外は皆大新聞の熱烈支持者ゆえ、当然四面楚歌状態での観戦となる。
好機は窮地で、打てと云う時は打つな、よくやったの時は何をやっていると、全ての単語を頭の中で対義語に変換せねばならず頭の体操と忍耐力の養成には役立った。左翼席からの遠き声に勇気づけられながら、喝采には冷笑を、躍進には停滞で、栄光には汚辱で臨む辺り全体主義下の生活とはこういうものかと序でに合点が往った。試合は3―1で大新聞の勝ち。数千円も支払って一等席で観たが、大喜びの三人に比して一人だけ顔を引き攣らせて帰った。


10/19・金
 朝早く起きて出掛ける用があった。背広を着て満員電車に颯爽と乗り込もうとプラットホオムで勢い込んで待つ。すると駅員がすっ飛んで来て、そこは女性専用車だと窘められた。なぜ早朝からこんな惨めな思いをするのかと云うと、家作の中に家賃を一年払わない者が居て、滔滔弁護士事務所に行く羽目になった。
吾人は法学部を劣悪な成績で卒業したが、在学中に学んだことと云えば、法や法律家には成るべく近づかないということである。民事であれ刑事であれ行政訴訟であれ、法と云う物に一生何の係わりも無いのが最善の人生と社会状態である。其れを信条としていただけに今回は誠に残念な事になった。何故一年も払わないのか、きっと何処かの貧乏会社で酷い目にでも遭っているのだろう。全く大変な世の中になった物である。柔和な弁護士殿に対応を一任し一旦帰宅。慣れない事だけにぐったりす。午睡の後、夕方大部歩いて出社。
退社後大急ぎで昨日と同じ店に行く。麦酒と生姜焼定食を頼んだが、ついうっかり野球中継に集中し過ぎて生姜焼を皆食べて仕舞い、御飯と味噌汁と御新香だけが残り閉口した。その後金曜会に合流。さらに御酒を詰め込んで帰る。


10/18・木
 一日雨。どちらかと云うと近代を擁護する立場の新聞社の週刊誌が、前近代的な事を相当書いて仕舞い、どちらかと云うと近代の御破算を目指す西の青年将校が、近代を持ち出して其の記事を批判していた。どちらにしても節操のない事をしていると思った。
 止み間を狙って午後出社。退社後は滅多に行かない中華料理屋で衛星放送の職業野球中継を見てバスで帰った。つい自転車で行って仕舞ったので、自転車が二台も職場に留置されている。滔滔明日は機材のやり繰りが付かない。


10/17・水
 午後3時ごろから雨。夜半にかけて時折激しく降る。軽作業の後、午後出社。入試室による大学入試近し。面接やら作文やらの指導に追われた。退社後鶴木さんと少し飲んでバスに乗って帰った。


10/16・火
 柵工事は御午に終了。午後再び植木屋さんが入り、伸び過ぎた檜を二本剪定す。吾人も切っても切っても一向に減らない低木を刈り込む。9月に切った所がもう生えて来ている。今年は暑かったから植物が良く伸びたと専門家も云っていた。火曜不出社。シロは一晩寝たら平気に戻っていた。胃の具合が悪いので麦酒だけ飲んで早く寝た。


10/15・月
 夏の頃に植木屋さんに頼んで措いた金網柵の建て替え工事が漸く始まる。午後出社。シロが他猫と大喧嘩をして以来元気が無いと云うので、御酒も飲まずに帰宅。猫撫で声で呼んでも天の岩戸宜しく、縁の下から出て来なかった。


10/14・日
 一日曇り時時冷たい霧雨。給湯機の事が気になって気になって仕方が無いので、方方を歩き回って色んな給湯機を見た。


10/13・土
 一日曇り。家作の旧式給湯機を一掃しようと思い、瓦斯屋さんを呼んで見積もりを取った。そもそも家主をやっていて、水が止まらないとか御湯が出ないなどと云われること程、厭な事は無い。其れだけで一日が台無しになる感じである。二十年を越えた湯沸かし機なぞ、見て居る傍から瓦斯が吹き出て轟轟炎上して仕舞いそうで、ハラハラして仕様が無い。家人がケチなので今まで交換しなかったが、この際壊れる前に皆代えて仕舞おうと思う。
ノーベル賞受賞の学者よりも、偽研究者の方が耳目を集める。大新聞も間違ったことを載っけて仕舞ったようである。大体実験室水準の物を行き成り人間に使い、既に難しい病気を治して患者に感謝されたと云うのだから、少し考えれば可笑しいと気付くであろう。自分が受賞した訳ではないのに、すっかり浮かれているから、そういう偽情報に騙されるのである。しかしながら、人生としては細身の立派な博士より小太りの贋研究員の方が面白そうであるし、若干の親近感はある。


10/12・金
 午前中は軽作業す。午後出社。退社後は、店を幾つか転戦して帰る。復興予算が丸で関係のない所に使われているとの指摘が出る。その指摘は一一尤もだと思った。併し与党が駄駄を捏ねて国会が動かないので何も審査されず仕舞いである。


10/11・木
 晴れ時時曇り。日中二十五度は超えた。午後出社。二桁一桁の乗法が出来ない中学生や、分数の処理が出来ない高校生に腹を立てる。掛け算が出来なければ連立方程式の加減法は出来ないし、逆数が分からなければグラフの直交など分からない。どちらも数学以前の問題であり、病に例えるなら既に手遅れである。退社後月波君来る。少し飲んだが、余りに鋭く立った腹を横にするには時間が短すぎた。


10/10・水
 曇り時時晴れ。午前中少し作業し昼食後午睡す。すると上の方が騒がしい。割と近くで何某かの事件が起きたらしいが、事件本体より取材の航空機の方が迷惑である。而もこういう場合、文句の付けようが無いのが悔しい。五月蠅いぞと紙に書いて、凧に括り付けて飛ばそうかとも思った。起こされた序でに出社。すっかり仕事が溜まっていて草臥れた。もう少し早く出社すればよかった。退社後、150円の焼き秋刀魚で3合程立って飲んで帰る。


10/9・火
 晴れ時時曇り。火曜不出社。草木を袋に詰めた以外は無為。溜まっていた日誌を書く。


10/8・月
 折角の四日結構である。腹を立てることと御酒を飲むこと以外の事をしなければならないと思い、群馬の富岡に行って見た。高崎から支線に乗り換え、古い食堂で一服してから製糸場を回る。休日とあって大変な人の出であった。最近は古い建物は何処でも人気だが、養蚕業も製糸業も日本からすっかり無くなってしまったから猶更珍しいのだと思う。
昭和末期まで操業していた工場には嘗て高等学校まで併設されていたと云う。女工さん達がガヤガヤ歩いた筈の廊下を、一人でゆっくりと歩き直した。製糸場を最後に払い下げられた旧財閥系の会社も、繊維業から殆ど撤退し、今は方方の跡地を使った不動産業と医薬品の製造をしていると聞く。だから周辺には何の会社も工場も残っていない。
産業が益益世界化すれば、家電も自動車もみな産業遺産送りになりそうで何だか恐ろしくなった。だが物は考え様で、いっそ益益世界が平準化されて仕舞えば、都市と農村の経済格差が無くなったように、先進国と途上国の差もずっと小さくなるだろう。そうなったら、もう一回国内で物を作り出すようなこともあるかもしれないと思った。だから昔の大陸ブームの様な事も、此処ら辺で一段落させたらどうだろうかと思った。
一回りして工場を出た。富岡は古い街だが、製糸場の他に観るべき所が丸で無い。行く所が無くて困った。おまけに田舎の花粉に当たったのか鼻の具合が良くない。更に昼酒が祟り胃がざらざらす。今日は早く帰ろうと思った。
滅多に列車には乗らないので、贅沢しようと高崎へは行きも帰りも二等に乗った。帰りは夕方なので混雑した。駅に停まる度に次次とお客が乗り込んで来る。座る為に態態乗った二等車で座れないと大損だから、皆んな獲物を探す飢えた猛獣の様な眼をして上へ下へ前へ後ろへと歩き廻っている。駅に着く度にそうなるから何時まで経っても落ち着かず、何だか損した気になった。渋谷で降りて食品街で弁当を買い、大きなくしゃみをしながら帰った。



10/7・日
 涼しくなったからかどうかまでは知らないが、首相が福島に入った。防護服を着て作業員を激励す。除染作業を捗らすべしと言っていたが、肝心の担当大臣と副大臣を先日態態交代させて仕舞ったので、何とも出鱈目な事をしていると思った。御午まで小雨。午後は晴れた。一日無為。


10/6・土
 金曜会の遠足企画で、鶴木会長号令のもと、川崎のみなと祭りに出動す。1時に集合の予定だったが、みんな遅刻す。仕方が無いので駅前で偶偶開いていた店で麦酒を飲む内に、御尻に根っ子が生えて仕舞い益益移動するのが面倒になる。大体祭りと言っても屋台で飲むだけで、やっていることは普段と何ら代わりがない。一応腰を上げて屋台に挨拶して回った後、大井町で飲み直して解散となる。井満さんも元気になった。月波君ともう一回飲み直して帰る。夜半から雨。


10/5・金
 午後出社。通信制高校の課題を一心不乱に解いていると急に気分が悪くなる。何だか対数関数の数式に酔った様になった。三日結構の前の金曜会だったが、胸が痞えて御酒を飲んでも少しも旨くなかった。拙宅の電気使用量202キロワット。昨年比14%減。暑い割によく減ったと思う。


10/4・木
 一転して晴れて暑くなる。午後出社。而し午後9時ごろから急な大雨となる。止むのを待って帰路に就く。実を云うと昨日の自転車急行は降雨の為復路運休で、而も今日は二号車を運転して行ったから、職場には二台の自転車が滞留している。仕方なく二台引きをして帰った。
本務機予備機ともしっかり電燈を点け呉呉も気を付けた運転をした。運転しながら此れで巡査が出て来たら、どう言い包めてやろうかなどと考える。大体二台引きがどういう違反になるか知らない。片手で荷物を運搬していると云えば、蕎麦屋の出前持ちと同じであろう。今回の荷物は重ねた蒸籠では無く、偶偶車輪が二つも付いた大荷物であるという抗弁も成り立つ。
楽しみにしていると駒沢通りの所で本当に巡査が待ち構えていた。当然呼び止められたが、巡査の方としても二台引きがどういう違反になるのかは良く分からなかったらしく、変な警告紙が一枚下賜されただけで済んだ。其れには1から17までのありとあらゆる違反行為が並記されていたが、何も該当する物は無かった。18番目のその他の欄にも何も書き入れられていなかった。


10/3・水
 一日曇り時時冷たい雨。昨日の疲れが出たのか午前中は昏昏とす。更に午睡の後出社。受け持ちのクラスは中学三年生だというのに現在完了形はおろか、BE動詞と一般動詞の区別すら何遍教えても身に付かない。教えている内に段段腹が立って来る。そもそも幾らしつこく教えても中学校の英語も数学も、概ね半分の子に分からせるのが精精である。その割合から考えると、高校進学率なぞは六―七割が本来の適正限界なのであろう。
最近は何も勉強しない子でも、高校は勿論大学まで上がる。こんなに進学率が上がったのは、輸出で儲けたお金を使って滅多矢鱈に学校を建て増した結果であり、戦後の経済成長のお蔭である。決して日本人の頭が良くなった訳ではないと思った。
立った腹を横にしようと立ち飲み屋に寄る。すると満員電車のように混雑している上に、食べたい物が悉く品切れていて困った。こういう晩は此れ以上腹を立てぬよう早めに帰った。


10/2・火
 一日草を刈り、雑木を剪定す。日中25度程度。曇り時時晴れ。小地震多し。何回か揺れた。


10/1・月
 本日から今年度も後半だが特に大きな変更は無し。所謂台風一過の為、朝からかんかんに晴れて日中は30度を超えた。午後出社。退社後千円ほど立って飲んで帰った。
 頼みもしないのに内閣改造あり。併し誰も何も期待していないので全く注目されず。また頼みもしない不格好な輸送機が琉球に配備される。こういう物に反対するまともな国民が少なくて困る。