2013年4月

4/30・火
 東北の次は沖縄も支援しなくてはならぬと、沖縄の御酒を取り寄せようと思った。併し世の中に多多ある御酒のなかで、唯一苦手なのが泡盛であるから、止むなく麦酒にした。謂わずと知れたオリオンビールであるが、購入したのは提携先の国内大手の麦酒会社が販売した物なので、本当に沖縄の水と空気で作ったのかまでは分からない。守谷か足柄あたりで拵えた物ならがっかりである。風強し。前線通過の為一雨あった。体調優れず。日中から寝たり起きたりを繰り返す。


4/29・月
 夜は職業野球を観たかったが、有線放送でも中継していなかった。ラジオの中継もなし。名古屋辺りのラジオ中継はあるようだが、インターネット経由でもどうにもならず。放送とは案外不便な物であるとがっかりす。痛めた喉は治らず。一日概ね晴れ。


4/28・日
 朝のうちに出掛ける。11時前に高尾駅に集まり中央線の普通列車に乗り込む。月波君主催の山梨の葡萄酒を飲む会である。鷺乃君に客間君も帯同す。六両編成の普通列車は都心から乗って来た御客を待ち構え、大体席が埋まった所で出発した。中央線は直ぐに山の中に入るから景色がいい。早速買って来た麦酒を飲む。途中で特急に抜かれるのは面白くないが、普通列車国鉄時代からの古い車なので、ごおごおとモーターを唸らせて走るのが良い。皆さんの為に、私は懸命に走っておりますとでも言いたげで、勤勉実直な昔の鉄道員の化身の様な感じがして来る。一時間ほどで勝沼に着き、屋外焼き肉場まで歩いて行き、肉をぼおぼお焼きながら葡萄酒を飲む。
葡萄酒の味など少しも分からないから只管飲むだけである。結局赤も白も右も左も分からなくなるまで鯨飲す。意識混濁し公園のベンチで暫く横になる。その内、風が吹いて来て起こされたが、盆地の気候は熱しやすく冷めやすい為、口を開けて寝ている内に喉を痛める。痛めた所で再び列車に乗って戻ったが、帰りの車中は只管昏睡す。更に高尾の駅でも今度は清酒を頬張る。這う這うの体で帰宅す。
 何処の誰だか知らないが、本日を主権回復の日と定めたらしい。出鱈目な戦争をして結局占領された訳だからそもそも何を祝うのか分からない。ずっと外出していたので下らぬ行事の詳細は知らなかった。


4/27・土
 一日晴れ。宿酔の為御午過ぎまでふらふらす。一日無為。


4/26・金
 午後出社。明日から大型連休が始まる。今年は円安の上、休みが前後に分断されているので海外旅行は不人気で、近場の商業施設に人が集まりやすいと云う。何はともあれ国内に御金が回るのは佳い事だろうが、良く飽きもせず次から次へと塔の様な買い物ビルディングを建てているものだと感心す。吾人はずっと都内に暮らしているが、六本木何とかも、東京空の塔も、浦安の御伽の国も、一切知らない。決して行ってやる物かと思っている。職場の近くで飲み過ぎて帰る。


4/25・木
 一日概ね晴れ。午後予備車で出社。退社後も御酒は控え目にして、前夜取り残された本務機と一緒に連れて帰った。


4/24・水
 昼から断続的に雨。夜は本降りとなる。午後出社。少し立って飲んで、帰りはバスに乗った。言葉も運転も丁寧な運転手だったが、偶偶ロータリーを塞いだタクシヰに、警笛は鳴らすは前照灯は点滅させるは、仕舞には向きになって文句を言いに行って、滔滔運転手同士掴みかからん程の大喧嘩になった。バスはタクシヰに余程の恨みがあると見えたが、地を這って御客を運ぶもの同士もう少し仲良くやって貰いたいと思った。案外近親憎悪の様な物があるのかも知れない。


4/23・火
 一日曇り勝ち。剪定作業をし午後は溜まった日誌を書く。国会議員団が大挙して安国神社を訪問す。日本と云う国の御蔭で散散な目に遭った近隣諸国の反発は尤もな話である。其れにしても安国神社と云う物は、赤い紙一枚で召集され、南方の密林や絶海の孤島で野垂れ死にさせられた兵隊たちと、陸士や海兵を出て、都心の大本営参謀本部や軍令部で出鱈目な作戦を拵えた参謀長や司令官を一緒に祀ってあるのだから実に気前が良い。死んで仕舞えば衆生一切が平等と云う考えもあるだろうが、吾人には一兵卒と高級将校があの世で酒を酌み交わしているとは到底思えぬ。


4/22・月
 亜米利加のボストンと云えば、茶会と鞄ぐらいしか有名な物はないと思っていたが、実はマラソンの大会でも有名であった。そのマラソン大会に、何処か若者が爆弾を投げ込んだそう。すは爆弾テロルと世界が注目したが、案外政治的な背景は希薄で、貧乏した兄弟が自棄になって癇癪を起したと云う事らしい。ならば包丁を使った同種の事件は日本でも多いし、彼の国でも銃を使った事件なら更に多発している。要は道具が少し違うだけで、やっていることは同じであると思った。矢張り何処も若者の絶望を回収する装置が必要だと思った。其れは即ちまともな雇用対策である。一日冬型の晴れ。午前送金。午後出社。その送金分から今年二度目の給料を貰う。やっていることは落語の花見酒と同じだと思った。尚老家人漸く回復す。


4/21・日
 昼過ぎまで氷雨のような雨が残った。午後は有線放送で職業野球を観る。今年から震災に伴う時間制限が撤廃されたので、二時開始の試合が延長十二回七時前まで延延と続いた。家の内外の雑用をしながら時折見るだけでも草臥れた。あんなに試合が長引けば観客も選手も係員も不憫である。
夜は夜で民間放送で、或る子沢山一家の生活模様を此れ亦延延と見た。再び北や南へ引っ越すそうである。此の一家はくっ付いたり離れたり、あっちに行ってはこっちに引っ越すと云う出た処勝負の楽天生活を民間放送で取り上げられ人気になった。全国から注目されている一家と云う点では、今や菊の御一家の次である。
いっそ菊の御一家も都心の一等地で鬱鬱とした生活をしていないで、地方に移り住んだら善いだろうと思った。子沢山一家は精精放送局員を連れ回すだけだが、若し菊の御一家が今年は東北、再来年は四国と移住すれば、侍従から侍医や皇宮警察に御用達の店店まで曳き連れて行くことになるだろうから、地方活性化には絶大な効果がある。其れに日本全国津津浦浦空き家だらけだから、移住先に困ることはない。


4/20・土
 午前は草刈りと修繕作業の後片付けをした。特にエヤコンの室外機が斜めになっているのが気になって仕様がない。併し幾ら調整しても平らにならず。足元に端材を噛ませて誤魔化した。午後から冷たい雨。以後無為。猫も退屈そうである。


4/19・金
 あちらこちらで小地震地震多し。北風に戻り一転寒くなる。老家人の風邪未だ治らず。米寿の誕生日を自室の布団の上で迎える。午後出社。何だか大貧学院の近くに居るだけで困窮して来るような気がして、退社後は一杯だけ飲んで帰った。
 将を射んと欲すならばまず馬からとばかりに、愈愈現政権は96条の改正に余念がない。おまけに色色と呼応する勢力も多いようである。押し付け憲法を自主憲法にせよと云うのが改憲勢力の主張であろう。占領下おいて占領軍の民政部主導でつくられた憲法と云えば、今の憲法はまさしく其の通りである。だが残念な事に当時の日本人には、現行憲法以上の憲法を拵える実質的な能力が無かった。無かった以上、押し付けられたなどと文句を言うのは筋違いで、精精御仕着せとでも言うべきものである。それに御仕着せの既製服であっても、案外よく合っていると思う。
増して与党などは、九条の撤去はもとより、改正された憲法で国民の権利を縛り附けようなどと企んでいるらしいが、国民の自由を制限する憲法と云うものは、憲法の名に恥じる自己矛盾体である。頭の足りない首相に、マグナカルタ以来の憲法の意義と歴史を、誰か講義しに行かなければならないだろう。


4/18・木
 新たな表札と面格子を取り付け修繕工事は全て終了す。旨く行けば今後二十年間は何もしなくても佳い筈である。日中25度近くとなる。
午後出社。無責任社長曰く、給料を支払うからもっと御金を融通して欲しいと。従業員から巻き上げた御金で従業員の給料を支払うとしたら、此れはどういう経済活動になるのかしらんと、再び狐に摘ままれた様な感じとなった。愈愈滔滔御金を借りる当ても無くなったのだろうと思った。今日も其のまま帰った。


4/17・水
 午前中から民間放送をぼんやりと観ていると余りに保険の広告が多くて驚いた。大半が生命保険の物で、貴方は将来癌になるか、頭の血管がどうにかなるか、心臓が詰まるか破裂するかのどちらかですと大騒ぎである。そして御仕舞いには、将来の新薬や現在開発中の新らしい治療法にも気前よく保険金を出しますよとご丁寧なサアビスを謳う。
何だかこんな広告を毎日毎日見させられると、まだ三十代の吾人ですら、本の明日にでも思ってもない重い病気に罹って、明後日か明明後日にあっという間に死んで仕舞う様な気がして来る。つくづく保険業は、将来の不安を捏ね繰り回す産業だなと思う。
 人の将来を捏ね繰りまわすという点では学校も学習塾も同じである。学習塾の広告も、貴方がしっかり勉強しないと、貴方の将来は脱線転覆、谷底に転落して大変な貧乏に陥りますよとでもすれば説得力があると思ったが、人や職業を差別するような広告というものは認められないだろう。
だから何処の学習塾でも合格実績を競うことになる。詰まり、こういう学校に入学すれば良い人生が待っていますよという期待を抱かせる。併し、難しい学校を出ても中中人生は旨く往かないと云う事が、既に皆に知れ渡って仕舞ったものだから、明るい将来の広告も効果は今一つと云ったところだろうか。増して日本の社会と経済は天地がひっくり返ったような有り様だから、正直なところ若い人たちの御先は真っ暗である。学習塾に通った費用や大学の授業料を、職業生活で償却するのは容易な事ではないだろう。
其れでも勉強はしないよりした方が良い。余り無理をし過ぎて家計と性格がどうにかなって仕舞うのも可哀想だが、学校は成るべく難しい所を出た方が宜しい。無論、沢山勉強して難しい学校を出たけれど、結局こんな人生だよと云いたい人も多いだろうが、そういう科白も又、沢山勉強して難しい学校を出た身にしか言えない事も事実である。
だからこんな広告はどうだろうか。焼鳥屋か何処かで親戚の子か何かに向って、よれよれの中年男性が甲高い声で叫ぶ。おじさんは沢山勉強して難しい学校を出たけれど、おじさんは結局毎日こんなんだよと。此処で字幕を入れて、こういう事は沢山勉強して、難しい学校を出た人にしか言えませんと。
一日概ね晴れ。午前中は南風強し。三宅島と東北で震度五あり。午後出社。英語の授業中余りに煩い中学生を適当な英語で説教す。案外効果があった。余勢を駆って本格的に英会話を勉強しようかとも思った。退社後は、立って飲んで帰る御金も無いので其のまま帰る。家で缶に詰めてある御魚を食べた。


4/16・火
 午前中は朦朧とす。数日来シロが庭のあちこちで頻繁に排尿している。何かの病気の前触れだと思った。猫は元元砂漠の生き物にて、水分を取るのが不得手だと云う。そのため、尿路結石などの排尿障害を起こしやすいとのこと。物の本によると特に長毛の西洋猫が掛かりやすいと云うが、シロについては三年前に近所の草叢に降臨したより以前のことは全く分からない。シロについて分かっていることは、全身が真っ白な毛をしている事と、尻尾が長い事、左右の眼の色が違う事、そして此の三年間の勝手気ままな生活ということぐらいである。
取り敢えず乾燥餌をマグネシウムが少ない物に変えてみる。又生肉が良いとも聞いたので鶏肉を買いに行ったり、水分を取らせるためにシロの毛を霧吹きでびしょびしょにしたりした。シロは迷惑そうな顔をしながら懸命に舐め取っていた。


4/15・月
 概ね晴れ。老家人風邪を引く。修繕工事の仕上げとして砂利屋さんが来て、土の通路に砂利を入れた。三人来て二時間半で終了。此の時活躍するのが猫車という手押しの一輪車である。猫と名のつくもので働きものは、此の車ぐらいなものだろうと思った。猫を連れて来て少し見習わせようと思った。
午後出社。退社後立ち飲み屋に行くと、此れから店長退任の会をすると云う。飲食店なので当然閉店後の開催となる。12時開始3時終了。店長と店員と常連客と常連客が連れて来た見知らぬ人が入り交っての不思議な会合だった。未明に帰宅。


4/14・日
 一日大風が吹く。一日無為。


4/13・土
 一日晴れ。気温低め。一日無為。昼前に起床したので何も知らなかったが、早朝淡路島で直下型地震震度6強を観測。幸い死者は出なかったよう。
南海シラスだかトラフだかの大地震の前触れだと云う学者も居て少し緊張す。日本の南にはどうにも白子では無く大鯰が住んでいるとのこと。日本に住む限り何処に居ても地震や災害は避けられない。この際、国土強靭化などと吝嗇くさい事は云わずに、御金をもっともっと唸るほど刷って、日本列島の隣に断層も火山もない新らしい日本列島を拵えたらどうだろうかとも思った。


4/12・金
 一日晴れ。工程表より三週間遅れて足場が外れる。足場外し式と云うのは無いが、修繕工事もほぼ御仕舞となる。其れを記念して麦酒を少し配った。午後出社。退社後、月波君生きて現わる。老夫婦の店が休みなので、新店を開発して相当飲んで帰った。月曜と木曜の節約分を全て消尽す。


4/11・木
 御午頃に前線が通過。一雨あった。以後寒気が入る。午後は比較的晴れた。午後出社。御金が勿体無いので直ぐに帰った。見切り品の半額辨当を肴に紙容器に入った御酒を飲んだ。


4/10・水
 晴れ時時曇り。寒気が入り割と寒い。家人の為に高齢者向けラジオを取り寄せる。東京通信工業の高級品だが勿論中国製。八千円弱。釦一つで選局が可能。確かに良く出来ていると思った。本来なら米寿の贈答品にしたかったが、しっかり代金を取り立てた。午後出社。退社後は一時間ほど飲んで帰った。


4/9・火
 一日晴れ。五月の様な陽気となる。平素はチラシを投げ込んでいる身だから、偶には投げ込まれたチラシも見なければ世の中の釣り合いが取れない。郵便受けには丁度斎場の案内があった。チラシ持参で米寿以上の方は棺桶を無料にすると云う。随分仰天なサアビスであると思った。
足場があると楽だからとの理由で、修繕工事の序でに最後の最後の旧式エヤコンを交換す。ナショナル製だが勿論メイドインチャイナ。こういう場合国内の雇用維持に貢献しているのかしらんと不思議になる。ただ他の家電とエヤコンが異なる点は、工事費が掛かること。本体価格は四万円だが同程度の取り付け費用が掛かった。此方は国内に回るだろう。
更に飛び散ったスパゲッティの様な配管配線も化粧板のなかに格納す。見違える程すっきりす。工事終了まであと僅か。ただ若い職人さんは此の処欠勤が相次ぎ人手が足らぬ。七時過ぎまで家主代行も少し手伝った。三月の電気使用量前年の二割減。329キロワット。御丁寧にも今月の明細書から一日当たりの減少量で計算するようになった。


4/8・月
 一日晴れ。午後出社。折角出社しても教える生徒が居ないので宣伝して歩く。併し複写機で拵えた一枚二円の白黒チラシを幾ら入れて回っても、新たな生徒は一向に集まらず。げんなりしたので退社後は其のまま帰った。今度は檜の花粉にやられて帰る。


4/7・日
 学習塾で教えていて一番腹が立つ質問は、そんなことを勉強して何の役に立つのですかという質問である。大体子どもの分際で、そういう事を疑問に思う事自体が腹立たしい。生徒たる者は黙って先生の謂う事を聞いて、一生懸命勉強してれば良いのである。
役に立つとか立たないとかは、散散勉強し学校を卒業して暫く経った時分で漸く考えれば佳い。同窓生らと酒を酌み交わし、習った教師の悪口でも言い合いながら述懐すべき事柄である。
子どもの内、増して本格的な勉強をする前にそういう下らない理屈覚えて仕舞うのが一番宜しくない。大体勉強であれ学問であれ其の大半は役に立たないのが通常であり、役に立つものは特殊例外である。もしも日常生活で希臘の哲学だの、対数関数が役に立ったなら、寧ろそっちの方が可笑しい。
こういう当たり前の事実を殊更荒立て、役に立つだの立たないだのと下らぬ質問して、教師を困らせようとする事自体、世の中に知性を馬鹿にする風潮が蔓延している証拠である。教師を困らせるのも大概にして欲しい物である。
それにしても、大学や大学院が山ほど建てられ、街中には博士や修士や学士が溢れ返っているのに、益益社会から知性や思慮や忍耐が消え失せ、堪え性の無い人人が増えたのはどうしてかと常常疑問に思う。恐らく知性とは遠くにあって憧れを抱くもの。近くになったと感じた途端に急に色褪せて仕舞うものかもしれない。もしそうだとすれば、知性とは少し悲しい物であるとも思った。
朝から良く晴れたが風強し。マスクも外し久久に自転車で出掛けたが、特に行く当てもないので伯母の施設に四カ月ぶりに立ち寄った。少し痩せたようだが基本的には元気であった。


4/6・土
 若い頃から無駄遣いし、年金も掛けず貯金もしなかったから、歳を取って貧乏して仕舞う人が多いようである。そんな人でも医療が進歩したから、簡単に早死にさせては貰えない。福祉国家とは有り難いものである。尤も無頼な人生も消費社会の為には成っているとは思う。無論政府から表彰されることは無いだろうが、少なくても三業組合辺りからは、長年の御愛顧有難うございましたと感謝状の一枚や二枚は頂ける筈である。
では反対に営営と貯蓄に励んだ年寄りなどは、何としたら良い物か。銀行員からは誉められるだろう。然し銀行にとって一番の御客は、御金を沢山借りてきちんと返す御客の方だから表彰とまではいかない。増して近所の御寿司屋や鰻屋からは、そんなに御金があるのなら出前の一つや二つ取ってくれても罰は当たらないと不満の一つも聞こえてきそうである。そう考えると貯蓄と云うのは、堅実なように見えて結局自分のことしか考えていない行為である。こういう公共の福祉に反した行動は、何かしらの法律を作って、少しは規制したらどうだろうかと思った。
朝から曇り勝ち。溜まった日誌を書く。夜は前線通過の為、大荒れになったようだが、九時に就寝したので何も気が付かなかった。


4/5・金
 日本銀行の新総裁はどんどん御金を出すと云っているらしいが、市井には既に一千兆円の預金がある。これが殆ど動かないから御金の廻りが悪いし、又御金を借りて実業を興す人も居ないからずっと低金利である。
株価だけは上がっているようだから、大儲けした人が今日はあっちの御寿司屋、明日はこっちの天麩羅屋と湯水の如く使って呉れば佳いと云う考えもある。然し平素からの貧乏人に大枚が入った時は折角だから贅沢しようということにもなるだろうが、元元の御金持が儲けた御金というものは大抵貯蓄か再びの投機に回されるから、そういう事にはならない。結局、世の中の御足というものは、折角重い腰を動かして動いたとしても、精精在るから在る所へしか回らない仕組みになっている。
中国で鳥の流感が人に移る。北の皇帝は愈愈亜米利加が攻めて来るという被害妄想から、怒りが心頭に達したよう。乾坤一擲とばかり、まさか新高山に上るようなことは無いとは思うが、此の処朝鮮半島は緊迫す。春だと云うのに東アジアは、何だかぱっとしない感じである。午後遅く出社。退社後は独りで飲んで帰る。シロ、左目の上に引っ掻き傷を貰って帰る。


4/4・木
 朝から気持ち良く晴れた。早朝自転車出社。但し意識は朦朧とす。午前中は生徒の名前も簡単な漢字も思い出せぬ。其処の君と、大学教員の様な口述授業で誤魔化した。午後は数学三昧。八時退社。今日で悪夢も御仕舞。少し立って飲む。草臥れたので家で飲み直した。幾ら飲んでも酔った感じにならなかったから、眠気の方が先にやって来た。


4/3・水
 起き上がって辺りを見回すと驚いた事に今朝も昨日の雨がずっと降っている。再びの早朝バス出社。あり得ない程の御客がバス停留所に押し掛け、普段は竹輪の様なバス車中にしっかりと人が詰まって来て面白かった。昼過ぎに掛けて更に大荒れとなる。
昼の辨当を食べ終え、うとうとしていると、何やら無責任社長と学生講師の中村君が密談している。概ね給料の催促だと思って放っておくと、無責任社長が折入って御話があると云う。聞けば中村君の学費が足りないので、御金を貸して呉れとのこと。而も今日の三時までに残りの学費を振り込み、その証紙を直ぐに学校に持って行かなければ除籍になるという。仕方なく吾人の御金を緊急融通す。
中村君は東北の出で、子だくさんの長兄で苦労しているという話は聞くことは聞いていた。其れに本人には謂ってはいないが吾人と同じ鳳生大学の学生である。だからこうして遠い後輩を助け、何だか足が少しは長くなったような気がした。
併し吾人の虎の子は無責任社長に一旦渡り、その後中村君に行ったようだから、本人は吾人の御金だとは分からない。そうなると給料も払わない会社に虎の子が吸い上げられた様な気もして来る。とどの詰まりは、ああだこうだ云われている内に、あっという間に吾人の御金が無くなって仕舞ったということである。最近話題の劇場型詐欺事件の被害に遭ったような気もして来た。
本日は四時に退社。雨も止んだし外はまだ明るいが、何だか狐に摘ままれた様な感じは何時までも無くならなかった。六時に飲み始め十時に就寝す。


4/2・火
 朝から雨。バス出社。職場の机を整理していると一昔前の写真が出て来た。いつかの忘年会の写真である。生徒も減ったから、先生も要らなくなった。そこに写っている人で残っているのは、吾人と無責任社長の二人だけである。無論学生講師さんが二三年で変わるのは仕方がないが、後から入った人も悉く居なくなった。何だか大貧学院と云う漂流船に無責任社長と閉じ込められた気がして来て滅入って仕舞った。
八時退社。湿気払いをしようと立ち飲み屋に行く。すると顔馴染みの店長にあと十日余りで店を辞めることになりましたと挨拶される。飲食業は人の出入りが激しい事は知ってはいるが、又知った顔が居なくなって仕舞うと思った。気付けの御酒を飲む積りだったが、却ってしんみり濡れて帰った。


4/1・月
 早朝出社。小学生が一円玉を百円玉に変える方法を真顔で質問して来た。そういう事は、沢山英語と数学を勉強して亜米利加の証券会社に就職して、怪しげな債券を大売り出しすれば出来るかも知れないと応えて措いた。併し小学校高学年にもなってそんな可笑しなことを訊いて来るから、望み薄しである。夕方退社。其のまま飲まずに帰宅。
 今日から新年度。変わった事と云えば、円安に因る輸入食品の値上がりと、六十五までの定年延長が定められたとのこと。年を取っても仕事が出来るのは有り難い話しではあるが、そもそも何処も彼処も仕事がなくて困っているのが御時世だから、何とも迷惑な延長である。