2016年10月

10/31・月
 一日曇り。午後出社。退社後は立ち飲みBへ。妙齢女性と話しが盛り上がり閉店までいた。2130円。食べ足りないので碑文谷で北海道ラーメン。花月苑の後に出来た店だが、相変わらず御客がいない。週替わりで味噌が変わるという800円のラーメンは赤味噌で、砂糖甘くなくて助かった。併し不味くはないが、取り立てて旨くも無し。中中に厳しそう。持てないラーメン店は、ラーメン居酒屋に、それでも駄目なら女給仕付きのパブ的ラーメン店にでも鞍替えしてはどうかと思うが、それでは町の風俗が悪くなるか。いや、そもそも住宅街の入り口で一杯800円と言うのは少し高いね。


10/30・日
ストーカーというものが居るというのも、親が子どもを虐待するというのも、二十年位前に初めて聞いた話である。昔から矢鱈しつこい人や、酷い親というものは居たのだろうが、取り立てて名称がなかった。「ストーカー」も「児童虐待」も、太平洋の向こう側の大国から輸入された概念であると記憶している。あれから二十年、残念なことだが、すっかり日本社会に定着した。
今、凄まじい中間層の崩壊が起きているという。此れも太平洋を飛び越えて、此の国でも起きつつあることである。するとトランプ現象というものも何れ起きる。ミニトランプのような人は、既に都知事や市長を務めているのだし。
そういえば、民主党の中の増税反対派が拵えた政党があったが、代表に合わせ党名は何時の間にか「自由党」に戻って仕舞った。併し明治時代からある党名である。今更夜警国家ではないだろう。(軍備増強や改憲よりも)「国民の生活が第一」という方が、却って戦後精神を表現していて佳かったと思うのだが。
 日中重い曇り。予約サイトで松江のホテルを探してみる。キャンセルが出たのであろう、時時安いホテルが出て来る。待ってましたとばかりに予約されるらしく、また直ぐに元の状態に戻る。元の状態とは例のシティーホテルと矢鱈高いビジネスホテルがある状態のことである。時折面白半分で眺めている。気分はデイトレーダーである。予約もキャンセルもクリック操作だけで出来るから、目まぐるしい。それに同じホテルでもプランが何十もあるからますます面倒臭い。紙と電話で予約していた頃は、こんな苦しみは無かった。昼は世田谷の縁日で焼きそばと餅。夜は大関の鯛刺しとサミットの道産牛肉。今日も買い物当番である。


10/29・土
 一晩中彷徨い走っていた軽トラックが事故を起こし、登校中の小学生が死亡。運転者は八十七歳だという。年寄りが若い人の命を奪う時代である。年を取って耄碌して仕舞うのは仕方がないので、手動運転車の方を早く何とかすべきである。
 大手広告代理店の新入社員が過労自殺した件だが、実は働き過ぎで死んで仕舞ったという感じではない。大体入社半年の新人である。そんなに大した仕事がある筈がない。問題はパワハラセクハラに満ちた新人しごきにあるらしい。日本で一番難しい大学を出、人も羨むような一流企業に入って、やっていることが余りに馬鹿馬鹿しいので、つい憤死して仕舞ったのだと思う。併し未だに陸軍みたいな会社があるのだね。こういう会社は潰れるべきだろうな。大きすぎて潰せないか。また核兵器禁止条約には当の日本が反対票を投ず。同じ大学を出ていても、憤死するような気骨ある外交官は、居なさそうである。
 朝からF蕎麦へ。日中薄晴れ。出たり入ったりと買い物を繰り返す。年寄り二人と猫三匹だが、購買力は甚大である。家人は元元炊事が苦手で、昼と夜と作らせると途端に機嫌が悪くなる。自転車を走り回せて、どちらかは調達することにしている。夜は少雨。


10/28・金
 朝から寒い。午後は更に雨。夕方バス出社。結構久久である。金参万円受け取る。冷雨のせいか退社後も誰も掴まらず。小咳が出るので目黒経由の帰路。帰宅後も冷凍食品。何も面白いことの無い一日。
また老師も長期休診に入るという。事実上の引退である。何しろ九十四だそうで、最近は歩くのも難しかったと聞いた。此れで両家人共共、掛かりつけ医が居なくなって仕舞った。
ところで来週の旅行であるが、津山と三次のビジネスホテルは押さえたが、予定が土曜に当たる為か松江が見つからない。一万五千円の高級シティーホテルはあるがどうにも高すぎる。それに需給が逼迫しているらしく、どう見てもビシネスホテル風情の宿が一万円近くもする。今回は伯母から生前贈与された御金を使うので、多少の贅沢は許されるのだろうが、そもそも一人で贅沢しても仕様がない。贅沢の無駄使いというものである。


10/27・木
 今日も秋晴れ。草取りと立ち飲みの疲れが出たのか、日中漫然とす。御向かいの一家も仮住まいに引っ越し。貸家だけでなく本屋も壊して仕舞うのだという。まだ築三十年である。つくづく勿体ない。隣の築九十年の家と取り換えて欲しいと思った。その場合、曳家の出動が必要だが。それにしても家電も家具も家屋すらも使い捨てである。そりゃあ新築物件は佳いだろうが、償却費がみな住居費として家計に跳ね返ってくるのだから本当に勿体ない。
 暗くなる頃、千寿に向けて出校。普段より少し遅く出たので電車が混んで来て閉口す。退社後はラーメンのみ食べて素面で帰宅。復路は案外空いていた。


10/26・水
 朝から晴れて大変暖かい。午後出社。立ち飲みBへ。若い御客や従業員らと話しが盛り上がり、久久に閉店近くまでいた。2130円。
体調も良くなり、また仕事は以前に増して絶望的なので、何処か旅に出ようと思う。山陰地方のローカル線に乗りたいと、帰宅後も時刻表を開いたり閉じたりして検討す。
 

10/25・火
 朝から草木取り。本日は家作の前庭。大体此れで一巡した。一時間半の作業で70リットルの袋一つ半。正確には此れも事業系の有料ゴミになるのだろうが、多額の固定資産税の中から支払って貰うことにしている。結局午後も草取り。更に一袋。家人は腸の定期検査。例によってふらふらで帰宅。買い物等を代行す。徐徐に曇って夜は小雨。結構寒い。


10/24・月
 朝から出張所に参り、住民票の発行。年金用とのことで只にしてくれたが、死んだ万代伯母は既に委任状が書けない。身元確認の為、戸籍まで随分と調べられた。こうして書類は万事万物悉く揃った。漸く未支給年金に関する書類を発送に成功す。実に二か月掛かった。一日晴れ。
 午後出社。するとある生徒に、ところで先生は専任なのですか?などと聞かれる。専任と言えば専任だが、主たる収入は今や別にある。そこで、第二種兼業塾の先生ですと応えておいた。但し今やそれすらでない。草刈り十字軍とでも言っておくべきであった(最近は士気の低下が著しい)。併し今日、此の仕事で、自らと家族等をきちんと養って行ける人など、どれだけいるのだろう。
 退社後はバーIへ。店主は、暴行いや膀胱の件で入院加療が必要とのことで、若いМ君が店番をすることになっている。従って店主自慢の叉焼も麻婆豆腐もない。麦酒二と味噌胡瓜で1650円。二千円置いて、残りは療養費に充てるように言っておいた。何も食べてないので碑文谷の柏屋でコロッケカレー(520円)。
するとまあまあ年増の会社員が、一生懸命メニュー表を見て、期間限定というさんま丼と小松菜天そば、どちらが売り出し期間が短いですかなどと店員に聞いている。短い方の後者を選んだようだが、身なりはきちんとしていたが、言っていることが随分可笑しいと思った。少し見たところ、大量の荷物を持っているなど何だか様子が違う。彼としては乾坤一擲、高級レストラン並みのメニュー選びなのだろう。やはり何だか益益社会が可笑しくなっていると感じて一日が終わった。


10/23・日
 一日大体晴れ。午前中は少しは運動しようと八雲まで行き、回転寿司屋に入る。何だか食欲に火が点いて、更にラーメン屋に。併し前者は舎利が柔らかく、後者はスープは旨いが麺が矢鱈貧相であった。つくづく飲食業というものは難しい。
 併し一昔前までは、何だか美味しくなかったという感じで軽く済まされたものが、最近は飲食店評価サイトのような物があるから、益益難しいということになる。何しろ食べることと飲むことぐらいしかみんなに楽しみがないものだから、少しでも気に食わない点があると罵詈雑言の嵐に陥りやすい。
 夜は再びの鍋料理に。先日のまつやの味噌は其のままに、肉と豆腐と野菜をうっかりケチったから、何だか旨くなかった。福岡と東京の衆議院の補選では与党系が圧勝。投票率は三、四割。既に言葉もない。


10/22・土
 朝から牛丼Sへ。午前中は年金機構への書類を作成す。戸籍謄本は先日取ったものの、新たに住民票を二通と、生計同一に関する申立書には第三者による署名が必要となる。誰にサインして貰おう。それにしても万代伯母は老齢基礎年金に加え、厚生年金も幾らか付いている。だから年金コードも二つある。二十代の頃はちゃんとした所で外働きもしていたのだろう。
 日本の年金制度は戦時体制下の船員保険が始まりだったと記憶しているが、あっという間に焼け跡闇市になり、其の後に国を再建し、国民皆年金になったのが六十年代の事である。コーヒー一杯40円の時代に、掛け金が月100円だったそうである。此の国の年金は継ぎ足し継ぎ足しに建て増しに建て増しの連続だったから、一体どうなっているかは、学士や修士程度では分からない。それこそ年金博士が必要であると思った。其れも何しろ食うや食わずの敗戦国だったから仕様がない。一日概ね曇り。午後は概ね無為。


10/21・金
 沖縄県に他都府県の機動隊員が応援派遣されていることは知っていたし、評判が宜しくないことも聞いていた。デモ隊相手に愈愈差別的暴言を吐いたらしい。大体、何か言われてかっとなるような人は警察官には相応しくない。職業適性がないのだろう。
かくいう善良な吾人でも色色と警察官は揉めたことがある。特に今よりかなり若い頃、酔った勢いで飯田橋の交番に「イラクの方で沢山の人がアメリカに殺されています」と通報しに行ったことは忘れられない。交番には警察官が一人と、落とし物か何かをした会社員が居て、後者の方は目を白黒させていたが、前者は吾人を一顧だにせず、調書か何かの作成をひと時も止めなかった。一切の受けがない以上、吾人も撤退せざるを得ず。中中に冷静な男だと思った。まあ初老の警察官であったから、酔っ払いの扱いには慣れていたのであろう。そんな巡査長か巡査部長も若い頃は色色とあったのかもしない。
そもそもフェンスの内外ともに同じ市民であり、ほんの何かの拍子で立場が入れ替わるということも、人生というものにはある。そういう想像力を働かせて欲しい所だが、そういう人はわざわざ警察官にはならないかな(まして警備課など)。双方ともに暴言を言い合っていたという見方もあるようだが、抗議する立場というものは多少なりとて優遇されるべきである。何しろそれでお金を稼いでいる訳ではないのだから。さて吾人としても沖縄には是非とも応援には行きたい。勿論フェンスの外で抗議する市民として。
今日もまあまあのお天気。昨日ほど暑くも無い。早目の退社後は焼き鳥Bへ。するとマネージャーの真紀さんが偶偶居て、ここであったが百年目、色色と飲まされて帰る。3020円も使う。午後鳥取で震度六弱。


10/20・木
 漸く区に書類を発送す。但しあれだけの手数を使っても、振り込まれるのは二、三万円程度との予測である。一方の年金機構からは、未払い年金に関する例の書類を早く書いてくれと言う通知が来る。どうしよう。更に介護保険の方からも高額サービス費給付の書類も来ているのだという。書類手続き地獄である。
 昨日以上の暑さとなる。午前も午後も漫然とす。夕方千寿に出校。途中散髪す。退社後は久久に「福しん」で回鍋肉定食。御供の小ラーメンも付けたが、何だか食べ足りず。数学脳が大量の糖質を消費したのかもしれない。
素面で帰ったので、久久に映画でも見て、鶴木さんに勧める作品を見付け出さなくてはならないと思った。適当に録り溜めた中から「世界侵略・ロサンゼルス決戦」を見る。選りに選って、酷い映画であった。第一、世界最高の装備を誇る米軍が更に進んだエイリアンの無人機で駆逐されるあたり、一種のディストピア映画である。ただ海兵隊員が中近東出身と思しき民間人父子を必死で守護しようとする場面では、最低限のPC(ポリティカルコレクトネス)も感じた。そう、あの大統領候補にはそれすらない。


10/19・水
 今日もまあまあのお天気。結構暑いが、此の時期の暑さというものは高が知れている。退社後は中華立ち飲みに鶴木さんを尋ねる。二杯ほど飲んでお開き。鶴木さんは映画を借りに行くのだという。何でも水曜は旧作映画が100円なのだそうで、吾人もレンタルビデオ店に帯同す。何かお勧めの映画はないのかと問われたが咄嗟には思いつかず。そういえば映画というものも最近は全く見ていない。其れでも背表紙を見ながら必死に思い出し、「英国王のスピーチ」と「実録連合赤軍あさま山荘への道程」の二作をリコメンドした。


10/18・火
朝にはすっかり晴れた。するとまるで夏のような御天気となる。マスク掛けも止め、気力体力ともに充実して来たので、午前中は草取り。其のまま自転車を駆って、区役所本庁舎に乗り込み、戸籍係に並ぶ。窓口氏との数度の遣り取りの末、万代伯母の「改製原戸籍」と、吾人の戸籍を取り寄せに成功す。前者は相当古い戸籍らしく、デジタルスキャナーで取り込んではあるようだが、全部手書きである。独特の書体を解読すると、万代伯母は北米合衆國紐育洲紐育市フルクリユネーアイラント西拾六街貳千八百貳拾九番に於いて出生、となっていた。また義雄伯父さんは、カリホルニヤ洲ロスアンゼルス市北ベントン街貳百拾九番生まれ、との記載もある。併し先先代は今でいうところのグローバル人材であったと感心す。息子、孫と代を経るにしたがって、益益ドメスティック人材となって仕舞ったが。
二通ずつ取り寄せて手数料が1650円。其の後、区役所の地下食堂でカツカレーを食べて帰る(780円)。古い庁舎の古い食堂だったから、食券も硬券であった。以後何だか草臥れて仕舞い、肝心の書類作成の方は明日以降となる。


10/17・月
 新潟の知事選挙では野党系が勝利。珍しいこともあるものである。最近は、田舎の人の方がしっかりしていると思った。参議院選挙の時もそうだったが、保革の支持状況が逆転している。
 処方された薬は全六日分、全てのみ切る。漸く咳が収まる。何だか時時異様に眠くなったが、どの薬の影響かは不明。午前中はかなりの雨。御昼には止む。午後出社。余り見たことはなかったが、中一の男の子が辞めることになった。理由は判で押したような成績不振だが、対処法が宜しくない。今後は父親が勉強を見るのだという。大体親が教えていい結果になったという例を知らない。増して中学生、其れに此処だけの話し、父親と云っても母親の再婚相手である。ニューファーザーとして佳い所を見せようと張り切っているのだろうが、よい動機が良い結果を招くとは限らない。割と線の細い一人息子さんだったから、潰れて仕舞わないか心配である。併し其処ら辺の事を親たちは認識できているのだろうか。もしセカンドオピニオンを求められれば、身命を賭してでも大反対するのだが、第一に学習塾というものは、そもそもが出入り業者並みに立ち場が弱いから、どうにも仕様がない。祈ろうではないか。彼らの幸運と家内安寧を。
退社後は久久に立ち飲みBへ。久久にお見えですねと、また生牡蠣などを食べさせられた。支店には色色と行ったが、そういえば本店は一か月ぶりであった。2350円。夜半から再び雨。


10/16・日
 全体的に晴れた。土曜と日曜が二日とも晴れたのは、二か月ぶり、つまり万代伯母が亡くなった週末以来とのことらしい。一日出たり入ったり。猫餌の買出しだけで二往復もす。
 夜は公共放送の「資本主義の未来・世界の成長は続くのか」を見る。資本主義が危機に陥っているという認識は公共放送とて同じらしい。長期停滞を突破する為にはイノベーションが必要であるというのも同意出来るが、其れがインターネット利用による民泊と白タク営業と言うのには、何だかがっかりす。古い物を廃棄するのがイノベーションだとしたら、差し詰め、原子力と手動運転車であろう。少なくとも自動ブレーキが搭載されていない自動車は、数年以内に公道を走れなくなりますとでもすれば、莫大な買い替え需要が生まれる。新車もどんどん売れて悲惨な事故も少なくなる。素晴らしい未来の到来である。


10/15・土
 午前は枝葉の片づけ。午後は買い物と雑用。夜は鍋料理にした。テレビコマーシャルでやっていた「まつや」の「とり野菜みそ」300円、鶏肉500円、豆腐200円、野菜200円、きのこが100円、うどん100円、締めて1400円で三人が十二分に食べられて仕舞う(アルコールは別)。自炊と言うのは極めて経済的だが、皆がやって仕舞えば、内需が崩壊すると思った。飲食業は既に国を支える基幹産業である。


10/14・金
 午前は草取り、午後は桐の枝払い。それぞれ三十分から一時間ほどの作業だったが、何だか一層草臥れて仕舞い、昏昏と午睡す。まだ体力は半分ぐらいの戻りである。痰は漸く無色に。夕方出社。早目の退社後は天祐寺の焼き鳥Bへ。更に最近出来たラーメン店に。とんこつ醤油系の横浜ラーメンの店だが、店内は洒落たレストランのような造作で驚く。
それに駅前ロータリーから出て来るバス通り沿いにも、続続と飲食店が出来ているから尚驚く。併し飲食業が繁盛するということには、(一)人人が増加する、(二)人人の所得が増加する、(三)人人が半ば自棄になってますます外食するようになる、(四)人人に飲食業の他に大した仕事がない、のどれかがなくてはならない。天祐寺などと言うと各駅停車しか止まらない元元地味な駅だから、(三)と(四)なのかなあ。内装費を掛け、多額の保証金と家賃を払い、原材料を仕入れ、それで社員の給料が出るのか心配である。


10/13・木
 一日曇り。結構寒い。咳と痰は更に減ったが、出るものはやはり出る。午後銀行の人が再び参り、相続会議。先月の優子さんの提案を社内で討議した結果、相続放棄を行うとなると、法定相続人による相続協議をせねばならず、既に超高齢化した親族間では、もはや現実的ではないとのこと。今回は遺言書の通りにして、以後気長に贈与する方法を推奨される。優子さんも納得す。
更に担当税理士が決まったとのことで、就任の挨拶かねがねの打ち合わせとなる。見ると吾人より若く、相続専門の税理士会から来たという。早速、段段になった駐車場の中段下段の資産価値を最大限低く見積もりますと言われる。上段以外は幾らも稼がない土地である。流石、少壮気鋭の専門家は眼の付け所が違うと思った。銀行が機械的に算定したものより幾らかでも税金が安くなると助かる。
序に万代伯母の準確定申告も依頼することにした。会談自体は一時間ほどで終了す。背負った荷物が一つ無くなり、少しは気が楽になった。矢張り依るべきは専門家である。御金は掛かるが、当方の其の能力がない以上、依頼するのが筋というものである。
以後一休みする。残念なことに今日はもう木曜である。夕方千寿に出校。生憎高校生がテスト前だとかで、学校も学年も違う数学をバラバラに指導す。代数や幾何は何とかなったが、数列だけはどうにもならず。何しろ現役時代から出来なかった分野だから、どうにも仕様がない。結局数学というものは、万事万民を不幸に陥れるものだと思った。敗北感に打ち拉がれながら、「小諸蕎麦」でかき揚げ蕎麦(360円)。
そういえば、今朝のラジオで森田真生という数学者が喋っていた。ラジコのタイムフリーと言う新サービスを使い、聞き直しながら帰宅す。併し数学ってものは、そんなに楽しくなるのかね。そりゃあ、分かれば楽しいだろうがね。咳と税金と数学で頭が痛い。帰宅後も缶麦酒を一つ。服薬して早目に就寝。


10/12・水
 漸く咳と痰は半減す。午後出社。金参万円受け取る。退社後もラーメン一杯のみ。併し味が濃いラーメンは受け入れるのが結構きつい。まだまだ回復していないと感ず。帰宅後も麦酒一缶のみ。


10/11・火
 朝になっても咳と痰が収まらないので、掛かりつけの老師の所へ参る。気管支までやられているとのこと。何時もと同じ抗生剤と鎮咳薬(今回はアスベリン)と去痰薬(カルボシステイン)。医薬合わせて1500円程度。併し半年ぶりに顔を合わせた老師も何だか痩せられていて、患者の方が却って心配となる。確か老家人より年上と聞いているから、もう九十五近い筈だが。
 三日間寝た切り状態だったので、午後は草取りを少し。すると急に眠気を催し、昏昏と午睡す。夜はワールドカップの予選、日本対豪州戦を見る。相手先での開催なので何というスタジアムかは知らないが、海に近いらしく、鷗が飛び交っている。中には悠然とピッチに留まるものも。ついつい、あの鷗は此の鷗を追い掛けているから恋仲なのかなどと考えて仕舞い、観戦には集中出来なかった。
併し白熱した試合に自在に水を差すあたり、鳥と言うのは自由でいいと思った。こういう外での中継には色色な事物が映る。写真延いては映像というものには、当事者の意図とは関係ない余計な事物が映り込むから面白いなどと言ったのは、確かベンヤミンだったかな。日本酒を一合弱、麦酒を一缶のみ。口が悪いのか後者は半分しか飲めず。もう酒も止めようと思う。
どうやら最低でも二島は還ってきそうと、政権側は年末の日露会談に期待を寄せているよう。余勢を駆って、年明けの解散まで目論んでいるとのこと(何度も言うが七条解散は宜しくない)。併し還すといっても、只では還して貰えないだろう。どれほどの経済援助を要求されることか。ロシア産の安い資源が入って来るから、ウインウインだなどと言う声も聞こえてきそうだが、極東でデタントが進む一方、欧州側ではまるで反対方向の事態が進行している。日本に天然ガスを売った御金で軍備を拡張しているなどと世界中から怒られないか、今から心配である。


10/10・月
 能登半島の先端の中学校で野球部のマイクロバスが事故に遭って、中学生が二人も亡くなった。運転していたのは保護者らしいが、此の種の事故は後を絶たない。公共交通機関を使えばいいが、能登の鉄道も大半が廃止されて仕舞っている。路線バスは走っているのだろうが、行き成り十数人で乗り込むのも気が引けたのだろう。空路が出来ても、鉄路が無くなる。本当に何とかならないものか。
 体育の日で晴れの特異日の筈だが、辛うじて雨が降らない程度。気温は一気に低くなる。咳はまだまだ出る。頭の振り過ぎで頭痛もする。咳の度に過呼吸になり立ち暗みもす。消耗著しい。心身ともに。数日ぶりの入浴。飲酒は麦酒一缶のみ。


10/9・日
 午前中は大雨。以後曇り。三連休も台無しである。相変わらず咳と痰は出続けるも、メジコンが効いたらしく、咳が連続して呼吸困難になるようなことは無い。而も此の薬には催眠作用があるらしく、昏昏と午睡す。
 「日曜討論」を聞いていると、政権側も同一労働同一賃金やら、過労死対策なども言い始めており、野党側のお株を奪う勢いである。まあ五十五年体制の頃から、自民党という政党は、革新陣営の主張を巧みにそして適度に取り込んできたから、此の点に関しては得意技を駆使して来ているという訳である。政策的に与党に抱き付かれると、リベラル陣営はどうにも闘い方がない。
やはりそうなると、「自由」を訴えるしかないと思う。つまり人人はもっと自由な存在になれると。社会保障制度を整備し直すことにより、住宅費や教育費や老いの不安から、もう少し自由でいられると。労働法制を変えれば、酷い勤務先からも自由になれると。あるいは性別や国籍や理不尽な家族、重武装からの自由を訴えてもいい。こうした自由だけは、当の「自由民主党」は決して言わないものだから。
 食事も含めて終日自室に引き篭もる。二階のテレビは地上波しか映らないから、「オール芸人謝肉祭」なんぞを見る。昔はこういう番組も沢山あったなどと思った。芸人さんたちも高齢化しているから、跳んだり撥ねたり、水を掛けられたりと、事故が起こらないかハラハラしながら見る。安全管理は大丈夫なのかと、つい画面の端のスタッフの方に目が行って仕舞う。ただ平野ノラという女芸人が、八十年代後半をネタにしているのは面白かった。併しあんな大きな携帯電話、実際には見た事がないな。バブル期の事も既に神話化していると思った。夜になると大量の咳。痰も薄い物が大量に出る。停酒二日目。


10/8・土
 比国国民も麻薬と汚職と交通渋滞に怒り狂っているよう。自棄になった新大統領の強権に期待しているらしい。併し家を一歩でも出ると、麻薬中毒者と売人が溢れていて、容易に近道もできないという社会は、なかなか日本人には想像出来ない。国民の期待感と言うのも少しは分かる。ただ権力というものは、暴走もするし、腐敗もする。ペルーの大統領のようにならなければ佳いが。
 朝から咳が止まらず。昨日より具合が悪い。次第に痰に色が付く。結局発熱。三十七度六分。詰まり、鼻、喉、熱のフルコースとなる。前の風邪から二週間も経っていない。例によって異常な罹患率である。夜になった頃に漸く家人から処方薬メジコンの提供を受ける。あるならもっと早く出して欲しいと思った。自己管理が悪いと家人は立腹しているようだが、例によって何も好き好んで風邪を引いている訳ではないのである。午前中を中心に雨模様。阿蘇が中噴火。完全無酒。


10/7・金
 昨夜は串揚げを六本しか食べなかったのだが、帰宅後に飲んだ冷たい赤ワインとの相性が非常に悪く、未明から酷い胃痛に。朝方結局戻すことに。悉く体調不良である。
また給料も悉く払えないというので、金曜欠勤す。万事馬鹿馬鹿しい。時間が出来たので、先日購入した「世界(十月号)」を拾い読みす。「時代とともに、場所とともに、不要なものとされる人の範囲が広がっていきつつある」(熊谷晋一郎)という指摘が目に止まった。吾人もまるで不要な人間である。
夜になり、月波君と地元で合う。明日からの三連休で伊那に行きたかったようだが、今回は予定は立てられず。御客の居ない蕎麦屋で一時間ほど飲食して帰した。夜半から本格的な咳と鼻水。結局、風邪を引いた。


10/6・木
 一日水っ洟が出る。抗ヒスタミンを服用すると一日眠い。夕方眠りながら千寿に出校。少し早めに退社出来たので、「天七」へ。此処は関西風の立ち飲みである。例によって串揚げしかないのだが、隣の隣の客の皿には何だか盛られている。新メニューでも出来たのかと思ったら、其れは剥がした衣の山であった。箸がない店なのにどうやって剥がすのかと見ていると、キャベツを使って慣れた手つきで捥いでいる。糖質を制限したいのは吾人も同じだが、衣が不要ならば、串焼き屋に行くべきであろう。マナー違反の客が多くて困る。


10/5・水
 参議院予算委員会。件の防衛大臣が槍玉に挙げられていた。政治信条は兎も角、まともに答弁出来ていない。ネトウヨ上がりの首相Aのお友達だそうだが、資質は無いなあ。併しこうなることは目に見えていただけに、防衛大臣も引き受け先がないのだろう。
 昼まで寝ててもまだ眠い。どうにも鬱状態である。退社後は、もたもたしている内に雨が降り始める。大急ぎで帰ったが、傘があっても相当濡れた。帰宅後は風が強まる。何れも二時間ほどで収まる。昼も夜も冷凍食品。


10/4・火
夜行バスや夜間運転のトラックが関係した重大事故多し。長距離ドライバーは、明らかに自衛官海上保安官や警察官より危険な仕事である。それでいて待遇は恐らく半分以下。激しい競争に曝されているからである。国民生活の安寧を願うのなら、こういう職種にこそ祈りを捧げるべきである。
それにしても、テレビなどを見ていると、何処かの偉い名医が凄い手術で何人かの命を救ったなどいう番組は多いが、適切な安全管理、労務管理によって事故を未然に防いだなどという番組は皆無である。救急隊や医療従事者が幾ら頑張っても、元元は事故を起こさないことが第一である。ただ実際には、居眠り運転防止装置などの技術の革新を待つより手が無いと思う。腕とハンドルで大金を稼ぎ出すようなトラック野郎の時代では、もはやない。それに何千何万とある運送業者を強制統合させ、価格交渉力を上げさせることなど、そもそも出来そうに無い。
郵便局の定額貯金が満期になったとかで、継続手続きに参る。十年前に0.3パーセントだった金利は、愈愈0.01パーセントに。併し此れだけ低いと単利も複利も同じである。今から十年預けても、何と0.1パーセント(税引き前)。御金が腐って減ることはないが、余りの低金利で申し訳ないと、窓口氏から食品用ラップと日本手拭いを貰う。六百円相当。十年分の利息の前渡しだと思った。
朝から異様に暑い。台風が南風を吹き寄せ日中三十度以上。午後は鼻水止まらず。堪らず抗ヒスタミン。すると昏昏と午睡す。寝ている間はくしゃみも出ないが、起きたら再び鼻水ラッシュ。


10/3・月
 土曜日に最終回を迎えた朝ドラは、中一日で、もう新しい物をやっている。此れだから見る気が起こらない。舌の根も乾かぬうちという表現に倣えば、涙のハンカチも乾かぬうちにというやつである。少なくとも一週間は休講期間を作って欲しいと思った。其の間は総集編でもやれば佳かろう。
 何時もの通り今朝の新聞を読んでいると、救済対象地域外でも相当数の水俣病患者が居るとのこと。但し区域を外れているから、不知火海の魚を食べたと自ら証明せねばならないのだという。詰まり、数十年も前に行商人から魚を買ったという領収書を持って来いという訳である。戸籍謄本ぐらいで、呆れてはならないのだと思った。 
秋雨が戻る。午後出社。退社後は、実に久久に中華立ち飲みに。常連のおじさんたちに健在ぶりをアピールして帰った。


10/2・日
 晴れたのは佳いが、何だか結構暑い。少しは出掛けようと、先日訪れた「とむちゃんラーメン」に参る。ラーメンに、ついうっかり半炒飯(220円)も注文す。何処がどういう風に旨いかと問われても巧く応えられないが、一旦持った箸と蓮華は置くことが出来ず。俗に言うところの、「普通に旨い」というやつである。其れは「町中華」に対する最高の称号と言ってもいいだろう。糖質を取り過ぎたので、駒沢公園を無駄に一周した後、労働す。苦手な梯子に攀じ上り、桐の太い枝を二本切った。


10/1・土
 今日から十月。併し雨模様。但し空気が入れ替わり大変涼しい。「とと姉ちゃん」終了。朝ドラの類は滅多に見ないのだが、焼け跡闇市に立ち、国民の暮らしを第一に考えた、人人の生活向上に少しでも資する雑誌を作ると主人公らが決意するあたりは鬼気迫るものがあり、以後すっかり見入って仕舞った。それは、「世界」や「思想」とは少し違うが、戦後精神の現われの一つであったと言えるだろう。それにしても、最近の公共放送としては、結構頑張った内容と言えるかな。報道がまるで駄目だから、いっそドラマで勝負しているのかもしれないとも思った。
 朝から牛丼Sへ。ところで、牛丼店では必ずサラダを頼み、調味料等は何もつけずに無言のまま半分ほど食べてから牛丼本体に着手するようにしている。何しろ、喰い改めよと言われても改めなかった二型飲水病患者の治療費は全額自己負担にせよなどと言う言説が流布する世の中である。吾人も精精気を付けなければならない。それにしても、である。風邪を引くのも自己責任、酔って転んで怪我をするのはもっと自己責任などと言って仕舞えば、社会というものが存在する立場がまるでない。マッチョなエリート以外は収容所に送りますと言わんばかりである。正しく、「獣の世」になったものである。時折の剪定以外は、概ね無為。家人は吾人の風邪がうつったよう。また台風が来るらしい。