1/31・水
朝から晴天。昨日からずっと寝ているが体調は今二つ。抗ヒスタミンで鼻水を抑える。咳は無し。体はだるいが、風邪によるものか過眠によるものかは判断付かず。昨年の六月以来、凡そ半年振りの具合の悪さである。今年は本当に寒い。身も心も冷え切った頃に風邪を引いたのだと思った。
午後出社。鼻水止まらず。何だかぼんやりする。風邪のせいか薬のせいか判別せず。過去問演習だが、マスクを掛け、成るべく遠目で小声で解説した。直ぐに帰宅し、レトルト親子丼。帰り掛けは夜空を見ている人が多かった。皆既月食らしいが、そんなことに構っていられない。吾人の人生自体が皆既蝕状態である。第一に月食など大して珍しくも無い。日食(NRE)も物凄い勢いで増殖しているし。こうして一月も終了す。
1/30・火
朝起きて見ると喉が痛い。風邪という程でもないが、やはり昨日の寒む気は少し異状だった。確定申告と雪掻きで少し疲れたな。ちなみに今朝の気温は零度程度だが、此れで少少暖かいと思ってしまう。冬が寒い年は、夏が暑くなるというから、今から心配である。
終日自室に籠り安静にする。暖房も点けた。曇り勝ちで日中でも五度程度。今年の寒さは少し堪えた。昼は冷凍食品、夜は弁当。夜は少し発熱(した感じ)。やっぱり風邪を引いたよ。満願成就。
1/29・月
朝から晴れた。漸く南の道路も全通す。従妹の優子さんに三人分の不動産所得収支内訳書を発送。此れで任務終了である。午睡の後、千寿に出校。ところで千寿校は二階にあるのだが、どうも一階の飲食店は長期休業の模様。因って冷気が上がってくる感じ。詰まり下から寒い。其れに此処のエアコンは新型の割りに利きが非常に悪い(そう言えば東芝だ)。鼻水も出て来る。また風邪を引いたのかと思った。退社後は町屋のBで中から温める。更に家系ラーメン。並びの「ジロリアン」は閉店していた。空いていてよかったのだけど、始終空いているようではラーメン店は続かないらしい。帰宅後に抗ヒスタミン。
1/28・日
朝は昨日の余り御飯を御粥にして食べた。日本人、中でも関東人は御粥を食べないな。病人食のイメージが強いよう。同じコメ文化圏でも中国や韓国ではもっと食べている。水分の多い御粥は、朝食には最適なんだけどね。牛丼チェーン辺りが売り出さないかな。朝粥、御代わり無料、しかも(安い)トッピング入れ放題とかやって欲しい。秋冬限定、売切れ御免でいいから。
元闘将の死去に、前GMが肝いりで取って来た選手が次次と契約解除になるなど、碌な話題がない中日ドラゴンズだが、元大リーガーの獲得には成功した。而も格安で。痛めた肩が元に戻るとも思えないが、話題作りにはなるな。尤も大本命は愛工大名電出身のあの選手なのだろう。スターはスターのままユニフォームを脱いで仕舞うかな。うーん、暗黒時代は続く。
冷え込みは漸く緩み、漸く普通の寒い朝となる。併しよくよく考えて見ると老家人は白色申告であった。最初から変な所をクリックしていたらしい。従って全部打ち直したが、内容は同じなので大した苦労は無し。マイナンバー通知カード等もコピーして貼り付け、確定申告書を全て完成させる。此れで吾人も確定申告の達人になったと思った(育成には数年掛かった)。
チェーン店でのうどん休憩を挟み、午後は吾人の申告書の作成に移る。此処で問題となるのは昨年の大貧学院の給与である。何遍数えても五十万円しかなかった。不動産所得を足しても課税所得はごく僅か。予定納税額は二万数千円となる。恐らく、いや確実に、酒造会社に預けた税金の方が多いと言えよう。
それにしても所得税を納めるのは何年振りだろうか。大貧学院以前の職場は幾らか源泉徴収されていた筈である。吾人がきちんとした所に奉職し、八面六臂の活躍をするなどして世界に雄飛していたら、もっと沢山納められただろう。国民経済が縮小することにより失われた税収は所得税だけで如何ほどになるのか。此の十年いや二十年で軽く30兆、ひょっとしたら100兆円にも及ぶだろう。結局消費税頼みとなる。色色と腹が立って来たので、再びゴルフクラブで叩く。曇ってはいるが五度程度の気温はあるので結構砕けた。夕方には少し晴れる。少し向学しようと『世界(二月号)』を買って来て眺めた。夜は鯛刺しにお好み焼き。チリ産の安白ワインを一本。ワインの酒税って安いんだよな。こう寒いとビールはね。
夜更けに家人がブレーカーを落とす。浴室暖房機に電気ポットの使用が止めを刺した格好。電熱系は電気を食う。エアコンに勝る電気暖房はない。オイルヒーターなども法律で禁止した方が良い。拙宅からは随分前に撤去させた。
1/27・土
依然として寒い。水曜日から殆ど解けず。例によって朝陽が当たる僅かな時間を見計らってゴルフクラブで叩く。例によって大して壊れず。鶴嘴が欲しいと思った。昼は「誠屋」でラーメン。買い物は計四便。
愈愈緑字の不幸の大型封筒が届いたので、合間合間に老家人の確定申告書の作成を開始。昨年は工事と引っ越しが多く、不動産所得は減少傾向。これら全てをホームページの案内に従って入力していくと、「青色申告特別控除」が記入されていませんなどと教えてくれる。そんな制度があるとはまるで知らなかった。何でも10万円の控除が受けられるらしい。自動で計算して貰い、あっという間に作成終了である(紙とトナー代は掛かるけど)。そんなこんなで所得税は結構減った(誤魔化した訳ではありません)。二月の十六日が待ち遠しい。此のままなら政府広報に出て来る芸能人のように初日に申告できる。世田谷税務署にマスコミ取材は来るのかな。「納税は国民の義務ですから」などと心にも無いことを一度言って見たい。
なおインフルエンザが蔓延しているようだが、今シーズンはまだ風邪を引かない。別に何をしているという訳でもない。毎年無防備人間である。だから却って不気味である。また仮想通貨の大手取引所の「コインチェック」から「NEM」のほぼ全てが流出したのだという。こうして書いていても何のことだが分からない。要は鍵の薄い倉庫から球根が盗まれたのだな。つくづく終わりの始まりだと思った。
1/26・金
続いての氷点下生活。日中晴れても五度程度。老家人は歯科医へ。往復歩いて貰った。のろのろと後ろから随行す。午後出社。小学六年生には過去問演習を、中学三年生には模擬面接を行う。明日は都立高校の推薦入試である。公立高校もこういう形式の入学試験をするようになって久しい。意欲のある子を取って学校生活をリードして貰おうなどという目論見があるのだろう。いやしかし、面接などというものも、対策をすればするほど、みんな同じようになって仕舞って詰まらなくなる。明るく元気に溌剌として頑張ります全体主義である。定員の幾らかは出鱈目な基準で入れた方が面白い。
退社後は中華立ち飲みで1600円ほど。今週は良く働いた。家人の話しによると指輪は見つかったとのこと。夕刻本人が申告して来たのだという。そもそも駐車場で失くしたのではなかったのだろう。落とし物や忘れ物の類が見つからないのは、大抵見当違いの所を探しているからである。
拙室はいよいよ七度程度まで下がっていた。こうなるとパソコンも動きが悪い。日記も書けず。暖房は点けずに直ぐに就寝。アルコール式内部暖房を効かせてね。
1/25・木
朝は結構冷えた。マイナス五度程度だという。まず道具屋へ行き、ポリスコップとアルミシャベルを購入。二つで3420円。前者は殉職した後任、後者は新任ということになる。今回の雪掻き作戦には間に合わないが、次回に備えなくてはならない。そう言えばハンマーも壊れている。仕方がないので、適当なゴルフクラブで叩く。されど打撃力が少なく効果は薄い。従って雪割り不能。駐車場の方は概ね終了したが、南側道路の困難は続くこととなる。今更ながら五号室の見積書が来る。95万円。予想より二十万は高かった。諸物価高騰中である。其の他の備品代を含めれば百を超える。家賃は五千円アップだから、償却には十年は掛かる計算。
総じていうと、午前は雪叩き、午後は税務書類の作成に当たる。今年から国税庁のホームページに入力してプリントアウトすることにした。モリカケのモリの方で国税庁の長官は色色と責められてはいるが、此のシステムは案外よく出来ていると思った。ぼんやりしていると駐車場に人影が。若い女性に問い正すと、雪の日に雪遊びをしていて指輪を落としたのだという。併し既に雪はみな寄せて仕舞った。雪解け以後、探すことにす。春を待つ楽しみが一つ増えたと思った。昼はとんかつ弁当。夜は鋤焼きにして体力を補充す。
1/24・水
晴れてはいるが異様に寒い。午前中から固まった雪を壊して歩く。鍬のようなもので叩き剥がす。特に南側道路が酷い。南、南と油断して対応が遅れて仕舞った。一旦固まったら数倍の労苦を要す。御向かいは業者さんに頼んだ模様。併し成年男子二人掛かりでも大して捗らず。玄関付近で作業終了となった。
そもそも南側と言っても、其れは拙宅からの方向であって、御向かいから見れば、即ち北側である。御向かいは四階建てに近い高さの三階建てになったから、建物の陰である北側区域が拡大して、道路全幅を覆い尽くし、愈愈全て北側道路となったと考えるべきであった。
午後出社。退社後は祐天寺のB。併し知った顔など誰も居らず。直ぐに帰る。夜道を走っていても、雪掻きもされていない所多数。アイスバーンになっていて危険極まりない。大抵は空き家か荒ら屋か駐車場か無責任集合住宅か、気の利かないチェーン店(恐らく雪掻き道具が何もない)である。そして誠に残念ながら、拙宅の前も相当残って仕舞った。つくづく初動対応のミスである。今日から大変な寒波が来ているそう。電気も足りないというので中から温めて就寝す。
1/23・火
朝から晴れた。早速雪掻きだが人力の範疇を超えている。斜面と北側歩道を優先し、残りは太陽に任せることとす。御昼になって気が付いたのだが、南側の道路も大して溶けていない。ああそうか、四年前は御向かいは二階家だったからな。今更やっても既に圧雪となって容易に動かせず。雪掻き対象が増えたことに少し愕然とした。
火曜だが千寿に出校。昨日の振り替え授業を行う。町屋のBに軽く寄って帰る。草津白根山が噴火。而も下の池の方からしたというから自然の事はつくづく分からないと思った。
1/22・月
最近ではラストベルトの人も裏切られたと怒っているらしいけど、いやしかしアメリカであれだけ福祉が行き届かないのも、そもそもの軍事予算が多すぎるからである。年間数十兆円。アメリカの人口とGDPが三倍とすると、日本で言えば二十兆も使っている計算となる。富裕層が税逃れをしているとか、建国の理念に社会保障という概念がないとか、地方交付税交付金に当たるものがないとか色色と言われるけど、あんなに軍事費に沢山使って仕舞ったら、一般財源など残りゃあしない。此の点では民主党だろうと共和党だろうと大して変わらない(こういうことを言うと軍産複合体に殺される?)。何しろ日本など戦争も戦争準備もしていないのに借金1000兆円である。併し今後は戦争協力はさせられるな。此の先、一体幾らぼられることか。
朝は曇天。小雪か小みぞれが降りしきる中、老家人を歯科に搬送。家人によると支払いは一回数百円足らずとのこと。×3.3をしても余りに安い。内科医など、お医者さんごっこのようなことをして毎回1450円である。歯科医が保険外治療に力を入れる訳である。
午後は大雪となる。千寿は休講とし警戒警固にあたる。予報より降り出しが早く、降り方も強い。四年前の大雪に近い感じ。帰宅を早めた御客の御蔭で各駅各線とも満員になる。こういう日に外に出てみたい気もするが、田園都市線は早い時間から殆ど動かなくなったというから出勤すら出来なかったな。併し雪が降るからといって大急ぎで退社して、其の結果、御客が殺到して電車が動かなくなるとは、一種の人災だと思った。雪で止まった訳ではないのである。今日から通常国会。雪の重みで施政方針演説も霞んだ。数次に分けて雪掻きす。四年ぶりにママさんダンプも出動さす。
猫さんの方も心配。使い捨てカイロを切り取った段ボールに貼り付けて猫小屋に放り込んだ。十時ぐらいには漸く弱まる。積雪は三十センチ近い。ポリスコップは、例によって首から上が取れて仕舞い役に立たず(一体何個目だろう)。となると鉄製の重いシャベルしかない。装備不十分である。
1/21・日
女性向けシェアハウスの運営会社が経営破綻。サブリース方式で急成長していた会社らしい。実は其の物件から越してくる人が過去に居て、吾人も内緒で見に行ったことがある。建物自体は新しいが、立地の悪さと専有面積の狭さに比して、家賃の余りの高さに驚いたものである。入居率が低迷し、所有者に代金を支払えなくなったとのこと。さもありなんである。となれば家主の直接管理にして家賃を安くすればどんな物件でも直ぐに埋まるだろうけど、建設費の償還計画が大きく狂うな。そしてひょっとしたら、此れは、あれの終わりの始まりということになるか・・・。
朝から胃も天気もすっきりしているので、出鱈目散歩に出た。小田急バスを成城の手前で下車。以後適当に多摩川を目指す。川べりを歩くと大量の書類が散乱している。解析すると中学三年の男の子の物らしい。むしゃくしゃして塾や学校のプリント類をほかしていったのだろう。見たところ、成績もまあまあである。こういうものはきちんと古紙回収に出すべきだと思った。其れに何しろネット時代だから、実名を晒される危険だってある。人より多少頭が良いなら分かるだろうに。此の場を借りて苦言を呈したい。
其のまま歩き通し、玉川高島屋脇の「いっせい」でラーメン休憩。鶏がらベースの落ち着いた味。大盛りサービス付きで七百円とは今時良心的だと思った。更に歩く所存だったが、何だか草臥れたので再びバスに乗って帰宅す。其の後夕飯の買い出し。全部で二万歩余り。折角二子まで行ったのだから、家人向けに瀟洒な店で体裁の良いお菓子でも買って帰るべきだったと思った。此の所は生活必需品の調達に追われ、嗜好品のことまで頭が回らなかった。
1/20・土
当然宿酔気味。朝はレトルト御粥。午後に煮麺。終日電気工事。どろどろになったエアコン(三洋機)も交換す。後継は吾人達ての希望で空調専門メーカー(ダイキン)にした。胃をさすりながら量販スーパーにLED照明を買いに行き、序に取り付けて貰う。ナショナルの国産品(二台で二万余り)。蛍光灯式のものは廃棄する。まだまだ使えるとは思うが、所謂創造的破壊だな。また別室の室外機がカタカタと五月蝿いので、此方も見て貰った。原因は掴めず。不整地に設置していたから、箱が傾いて捩れて仕舞ったのかもしれないとのこと。まだ五年物である。ちなみに此れは東芝機。原発メーカーが片手間に拵えたルームエアコンなどつくづく駄目だと思った。色色な物を噛ませて調整す。老家人は三度目の歯医者。何とか概ね治ったらしい。夜はベーコンエッグに納豆ライス。朝飯のようなものを食べて本日無酒とす。
1/19・金
佐藤優氏が「本音のコラム」で、短期間で猛勉強して難関私大に入っても、幅広い教養が頭に入っていないから大学の授業には付いて行けなくなると述べていた。其れは確かにそう思うけど、吾人の経験上、大学でまともに勉強しているのは概ね二割程度だな。スポーツやサークル活動など学業とは関係ない所でキャンパスライフを満喫している学生が多くて三割。全体の五割程度はただ授業料を支払うだけである(そもそも勉強などしたくも無い)。そして此の五割の学生が居ないと私大経営というものは成り立たない。詰まり向学心に燃えた学生が万が一にも大勢入って来ても、もともとの先生が足りないからきちんと教えられない。国公立の事は分からないが、都心の大規模私大などは今も昔もこんなものである。
大体曇り。大工工事が粗方終了したのでガス工事。案ずるよりするが易し。あっという間に終わる。引き続き、水道設備の改修(洗濯機置き場を中に入れる)。不動産賃貸業とは不動産改修業である。また何を隠そう此の五号室には極めて幼少期の吾人も入居していたらしい。二歳ぐらいまでであったので其の記憶はないが。其れに当時を知るような造作類は今回の工事までに全て無くなって仕舞ったけどね。
其の後老家人を歯科に搬送。可成り奥までやられているらしい。切開までしたそうである。ふらふらになって帰宅す。暗くなった頃に月波君が来たる。まずもつ焼き屋へ参る。続いて坪上君も来る。古くからある御寿司屋へ移動。店の前を一万回は通ったことがあるが、中に入るのは初めて。今は代替わりして兄弟でやっているらしい。後継者がいるとは頼もしい限り。色色とサービスして貰えた。出前があって、会合やちょっとした法事にも使える寿司屋や鰻屋は沢山あったんだけどね。拙宅が贔屓にしていたような所は全て廃業して仕舞ったのであった。最後は中華屋で紹興酒。同じ世田谷の坪上君はタクシーに、月波君は最終電車に載せて返す。ふらふらになって帰宅。わざわざ御足労願ったので、吾人が多く支払った。一万数千円喪失す。
1/18・木
再び晴れて来て暖かくなる。午後は曇る。老家人の歯痛益益酷くほぼ終日就寝す。市販の鎮痛剤も効かないらしい。いやしかし、折角ああして歯科に連れて行って、どうして前より酷くなるのだろう。世の中にはまだまだ不思議な事が沢山あると思った。
節約しようと晩食は粉ものにした。豚肉二百円、キャベツ百円分、長芋二百円、その他概算二百円。此れで家人と二人で十分食べられる。外で食べる其れはどうしてあんなに高いのだろう。
1/17・水
一転して曇天。老家人を歯科医院に搬送し、一時間後に迎えに行く。介添えした家人によると、担当医師は余りに突っ慳貪で、問診は刑事の取り調べのようであったという。年寄りの汚い歯など見たくもないのだろうな。一方の家人は保険内治療なので儲からないからだろうと推測す(初診料入れて二千円余り)。歯科というのも大変毀誉褒貶の激しい世界である。地元を対象とした匿名の掲示板でも歯科ネタは大抵荒れている。どちらにしてもあらゆる歯がグダグダで暫らく通院を要すとのこと。ある年齢まで行くと総入れ歯の方が楽だな。兎に角、また面倒なことが増えた。
小雨のなか出社。金参万円受け取る。此の時期は過去問対策をするのだが、推薦入試が迫り中学生は上の空。面接と自己PR書の作成で頭が一杯の模様。入試の多様化も考え物である。立ち飲みBでOさんと会い、其のまま中華立ち飲みに。雨がすっかり止んだ頃に帰る。十二時過ぎ。
1/16・火
昨日教えた中学生のテキストには「海と毒薬」が出ていた。学習塾向けの教材には色色なものがある。本務校とは違う教材会社だったので初読だった。幸い拙宅には「新潮日本文学」があるので(家人の嫁入り道具だったらしい)、早速読んでみる。中学一年用に引用されていたのは、研究生戸田の告白の所で、小学生の頃、転校生に酷薄な心の奥底を見透かされているようで恐ろしかったと振り返るシーンであった。其の後も彼は次から次へと問題を起こし、その都度何となく正当化に成功す(なまじ頭がいいからな)。段段と心が麻痺して仕舞い、ついに解剖実験に手を貸すことになる。いやしかし何処かで思い留まることは出来なかったのか。別に神様が居ないから罪の意識が育たないという訳でもない。要は心に常に「若林稔君」(転校生の名)を置いて措けば済むことである。神ではなく、彼が見ている。大抵の人は、其れで十分な筈なのだが・・・。何はともあれこういう作品を一個丸ごと読めば、相当な読解力が付くと思う(序に歴史の勉強にもなる)。短編やぶつ切りでは駄目だな。此の点は検定教科書も同じ。
一日晴れて暖かい。家人は鎌倉の伯母さんの付き添いで御茶の水の医科歯科大付属病院へ。すっかり弱って仕舞って見ていて辛かったと宣う。伯母さんは心臓も悪いが最近はどうにも首が悪いらしい。なお東京駅で伯母を見送った際、家人は「スイカ」を落としたという。記名式ではないからどうにもならないな(特別損失凡そ三千円)。老姉老妹介助である。
1/15・月
一日まあまあ晴れた。今後は冬型の気圧配置が崩れ、少しは暖かくなるとのこと。中目黒経由で千寿校に出社。途中『トラクターの世界史』。退社後は町屋の立ち飲みBへ。D常務と少し話しして帰る。千代田線に乗ったのだが、例によって尿意を催し大手町で降車す。併し相変わらず、地下駅は何処が何処だか分らない。地下迷宮である。最近のメトロはあらゆる駅で改修しているから尚更である。番号や色などで案内しているらしいが、そんなものは直ぐに忘れて仕舞う。目印になるものをもっと沢山置いて欲しいと思った。成るべく有機的なものがいい。例えば、別れの一本杉の模型とか、兄弟船のレリーフとか。そうすれば次のトイレは矢切の渡し舟のちょっと先だとか、目的の出口は暗い待合室の手前を左だとか。様様な記憶に焼き付けることができる。漂流者はそういうものを頼りにするから。
老家人は歯痛を起こす。併し馴染みの歯科は過日閉院に。別の歯医者は明後日にならないと空かないという。痛い痛いと大騒ぎでつくづく閉口す。
1/14・日
今日も関東は冬晴れ。T大統領の健康診断の結果は良好とのこと。頭もちゃんと調べたのかと言う声も大きかったそうだが。就任から丁度一年。もう此の人の事は無かったことにして、早く忘れたいという世論が大きい感じ。早く辞めさせた方が本人も喜ぶはずである。実を言うとT氏には感謝もしている。メークアメリカグレート(アゲイン)、第五文型の説明には最適だったしね。だから一刻も早く引導を渡して上げたいのである。昼は「誠屋」でラーメン。買い物便多数。夜は鶏つくね+豆腐+葱白菜他という出鱈目鍋にした。兎に角、鍋物にすればカセットガスの排熱も暖房として使える。
1/13・土
昨日と同じような寒い一日。こんな中、大学入試センター試験。日本海側いじめだな。目黒区の駒場東大前辺りにある大学入試センターも北陸方面に移転すべきである(そもそも東大の近くにあることからして宜しくない)。行って見たら、此れは酷い・・・、ならばもっと前にやりましょうという事にもなるだろう。でもセンター試験って、新しくなったらどうなるんだっけ。
いっそ大学入試そのものを六月くらいにしたらどうだろう。高校を卒業して三ヶ月みっちり勉強して、試験を受けて、九月に入学する。これぞ国際基準である。学習塾も少しは儲かる筈である。ただ此の方式だと高校の先生が困るな。卒業生の面倒を半年先まで見なくてはならないから。
七号室入居。若い会社員のようだから滞納の心配はないな。一応挨拶す。昼はスーパーの弁当。夜は肉屋の焼き鳥。何度も出たり入ったりしていると、矢張り鼻が可笑しい。一月から花粉症だとすると、此の春は大変なことになる。
1/12・金
日本海側は大雪。関東も結構冷えた。五号室は電気関係の集中工事。「家人の体調が悪い」ことにして本日欠勤す。勿論、嘘ではない。さてさて何処かに出掛けようと思った。丁度JRではスタンプラリーをやっている。対象は吾人も慣れ親しんだロボットアニメものである。一瞬食指が動いた。併し用があっても乗りたくない国電にわざわざ乗り、而も乗ったり降りたり走ったりするのは難儀である。其れに混んだ車内でインフルエンザでも移されたら両家人の命に係わる大問題である。
という訳で田園都市線で下ることにした。長津田行きの急行にぼんやりと乗った。古参の8500系である。此の車両は吾人が幼少の頃から走っている。田園都市線の顔と言えば顔である。プレートを見ると昭和五十一年製とあった。関東の大手私鉄で此れだけ古い車両が活躍するのも奇跡のような話だと思った。というのも後継の5000系になまじ六扉車を組み込んだのが悪かった。後にホームドアを付けることになり、作ったばかりの六扉車は減価償却もままならず全車廃棄に。此処で更新計画が大きく狂ったのである(と推測している)。それでも東急は漸く第二次更新計画を明らかにしたから、8500の活躍もあと数年だな。
冬晴れの中、淡淡と進む。前が詰まっているので自慢の爆発的モーター音が聞こえないのが残念。其のまま中央林間まで乗り通し、小田急に乗り換え。此方も江の島まで乗り通した。橋を渡り、適当な回転寿司屋で日本酒休憩。併し地酒の類は一合800円もす。そうなると450円の「松竹梅豪快」に逃げるしかない。二合飲み、神社まで登り、少しお祈りをした。さて此処から少し海岸を歩こうと思ったら、くしゃみが止まらなくなる。冷気に当たったのか、花粉症か、結局のインフルエンザか。其のまま帰ることす。併し江の島から帰るのは難しい。江ノ電、バス、モノレールと魅力的な交通機関が目白押しである(エスカーもある)。思案の末、一番乗っていないモノレールで帰ることとす。階段を延延と上り、湘南モノレール駅改札口に。経営は三菱系から事業再生などをやっている企業グループに移ったらしく、色色と改修工事中のよう。設備投資してくれるとは有り難い。ただカードの類は何も使えず、未だに現金で切符を買う仕組みとなっている。此の辺も早く改善して欲しい所である。
モノレールは日本に幾つも無い懸垂式とあり、其れ自体が遊園地のアトラクションのようなもの。江の島観光と組み合わせればもう少し御客も増えるだろう。乗って見ると、下に何もないからすっきりしている。坂を上ったり下りたり。民家の軒先や庭をかすめたり、マンションの部屋を覗けたり。いっそトロッコ車両のように窓を取り外したら面白いだろうと思った。「湘南(風が)ビューっとモノレール」とかね。而も揺れ方が違う。当然ながら上から篩に掛けられる感じ。此れも他に例がない。
大船駅で蕎麦休憩。ホーム上の店は昔ながらの総立ち蕎麦である。暖簾にはNRE大船軒とあった。地元の駅弁屋と日本食堂、どちらに強い経営権があるのだろう。蕎麦自体は至って普通だった(やはりNREか?)。中から温かくしても依然として鼻水止まらず。斯くなる上は逃げの一手である。横浜で東横線。東急ストアーで晩食の材料を買い込み、東急バスで戻る。三時半過ぎ。崎陽軒の弁当でなくて家人はがっかりしたようであった。弁当より温かい鍋物の方が良いと思ったのだけどね(炊事が兎にも角にも面倒とのこと)。直ぐに抗ヒスタミン。
信越線で普通列車が遭難。満員のまま一晩閉じ込められたという。動かない列車に立ちっぱなしなど、想像しただけでも恐ろしい。新潟の人は辛抱強いと思った。吾人なら非常コックを開けて勝手に降りるな。行き当たりばったりに歩いて、ラッセル車に撥ねられるか、氷雪に倒れた方が増しである。
1/11・木
近所のコンビニが新装開店す。経営統合された店なので、看板も架け替えられた。二ヶ月近くも休業して中味も作り替えた筈だが、何だか変わったようには思えず。大体誰が作っても同じようになるのがコンビニというものである。中小チェーンも淘汰が進み、此の業界も結局大手三社の寡占市場である。オーナー夫婦も交代した模様。夜勤担当の旦那さんの疲労蓄積状態が年年悪化していて、最後の方は見るに忍びない程であった。コンビニが儲かったとされているのって何年前までだっけな。其れでも本部だけは儲かる仕組みになっているそうである。
昨日の新聞によると、あれほどロシア寄りとされた米政権内部でも、プーチン氏=(冷戦後の国際秩序の改変を狙う)修正主義者とする見方が強くなっているとのこと。修正主義か膨張主義かで、色色と議論が分かれると聞いたことがあるが、要は大国主義が中中消えないという事である。つくづく住むならば、矢張り小国、而も寡民が一番であると思った。尤も東アジアの中くらいの国は、寡民化のペースがやや急激な点が気になることである。其れはロシアも同じだったけな。
昼は居酒屋チェーンで「鶏の唐揚げ定食」(750円)。注文してから出て来るまで二十分も掛かったが、出て来たものは結構旨かった。一応大庄グループは店内調理をしているというから、少しは待たなくてはね。午前午後と『ゴヤⅢ』。「戦争の惨禍」シリーズである。ナポレオン軍に蹂躙された国土では凄惨な殺戮戦が延延と続く。「憤怒を発した軍隊のやることはきまっている。またしても虐殺と掠奪である」。そして「人間はこのあとも戦争の惨禍をくりかえし、南京大虐殺からアウシュビッツ、原子爆弾までも投げつけるのである」。現代に於いても、イラクからシリア、南スーダン周辺そしてビルマの山岳地帯でも・・・。「歴史のかかる光景に接していると、私もがゴヤとともに人間に絶望しなければならなくなる」。「この絶望を越えて、なおも生きて行くことが出来るためには、人間がかかるものであることを身に徹して認識し、表現してかからねばならぬ」。そういう覚悟のようなものが最近の政治家からは感じられないな。戦後の一時期まではあったそうなのだが。国民にもね。
犬型のロボットがソニーから再発売される。最新技術で感情の機微が分かるようなるそうである。更に気まぐれな猫を作るにはもっと時間が掛かるだろうと思った。其れに身体能力も違う。
1/10・水
南北朝鮮は閣僚級会談実施で急転直下の雪解けムード。同じ民族だから対話もし易いだろう。過大な期待は禁物だが、取り敢えず核開発の凍結だけでもしてくれれば十分である。併し大慌てで対話を求めて来るあたり、セーサイキョーカもまあまあ効果が出ているらしい。其れに核実験場では山体崩壊に放射能漏れ、ミサイル実験の失敗でも相当な被害が出ているとの観測もある。小皇帝も流石に拙いと思ったのだろう。また韓国大統領は日韓合意を見直したいとの発言もしていた。PとAとが結んだものだから我慢ならないのだろうな。何しろAは歴史修正主義者だもの。
良く晴れて風強し。午後出社。本務校で三週ぶりの授業。退社後は立ち飲みBへ。日本酒を一気に入れて中から温めて帰った。
1/9・火
朝には止んだ。早速五号室の工事を開始す。まず古い造作の撤去。昼には終了す。すると午後はガス工事。併し既に大工さんは御帰りに。何も分からない家主を挟むと、意思の疎通は電話が頼りとなる。なかなか巧くいかず往生す。空いている七号室の流し台を見せて納得して頂いた。完成図があると分かりやすい。百聞は何とやらだな。南風が吹き荒れ、異様に暖かい。よくよく見るとナンバーサインがなくなっている部屋が多い。色の濃いボール紙に白い修正ペンで書き入れて貼り付け直す。他雑用多数。
昨日の成人式の直前に晴れ着レンタル業者が倒産。多くの新成人が路頭に迷ったそう。其れでも従業員(数か月前から無給らしい)の自主営業やボランティア等の活躍により、何とか仕立てて貰って式に出られた人が多かったという。持ち逃げした社長は逮捕されるとして、所謂美談にはなるだろう。併し成人式など考えた事もなかった。あの日の吾人は何をしていたのだろう。そう言えば浴衣以外の和服など着たこともない。女の人はまた違うのだろうけど、二十歳人口も急減するから此の産業ももう御仕舞だな(そもそも新規参入してくる方が可笑しい)。何もない夜は白ワインを呑みながら、東京FМからJウェーブへ。FM局もよく勉強している。
1/8・月
早目の成人の日。午前中久久に本務校に参る。本日は休講日だが、講習の後片付けや散乱したゴミの分別廃棄、事務仕事等等。一時間半ほどで終了す。直ぐに自転車でぶらぶらと帰る。途中、「六厘舎」がプロデュースしたとか云う店で、付け麵の並盛(630円)。安くて旨くて大変結構だが、みんなセントラルキッチン方式なんだろう。生産性を向上させると、結局こういう非の打ち所の無い店ばかりになる。いっそ生産性を低下させ、経済を非効率化させよ。面白いことが起こる筈である。午後から雨。夜は結構降る。
大阪大で出題ミスが発覚。三十人が追加合格されることに。併し一年も経った所で、実は合格していましたと言われてもね。幾ら人生は出鱈目と偶然の連続とは云え少少辛い(特に十八歳には)。また追加合格はあっても、追加不合格というものはないから、代わりの三十人は神様の気まぐれで入学しているという事になる。其処で藤田省三先生が、入試の際は一人だけクジ引きで合格させておけばよいとおっしゃっていたのを思い出した。勿論当人には内緒で。そうすれば合格者は、ひょっとしたら自分は運が良かっただけなのかもしれないと悟ることになり、受験エリートの類にも少しは謙虚な姿勢が身に付くだろうと。一般入試が今より遥かに過酷だった頃の話しである。
1/7・日
昨夜は色色と刺激された。少少向学しようと、朝から本を注文したり、読み返したり、また日誌の整理。数日来、買い物便が欠航して碌な物を食べていないというので、「オオゼキ」で牛肉を買って来て、焼いて食べた。
1/6・土
冬型の一日。芥田先生の書斎で新年会の日。千葉市に向かう。まず渋谷で途中下車。のれん街で「ウエスト」の御菓子を購入。其の後東西線に乗り換え。西船橋の「めとろ庵」で蕎麦休憩。一時過ぎに参る。参加者は月波君、客乃間君、鷺乃間君。夕方遅れて藤松君と西嶋君。近況報告の後、『近代日本哲学思想家辞典』の中江兆民の項を講読。以後、奥様のお料理と持参した刺身盛りに御酒を交える。以降話題は多方面に散らばる。記憶に残った点を以下列挙す。
未来は暗いという時代は今まで余りなかった。明らかに下り坂の時代だが、それでいて何となく危機感がない。何とか知恵のある者が出て来て、多少は盛り返して行くようにしたいもの。こういう考え方は愚管抄にもある。(以下引用す。「そこで、世を治める君はほんの少しでも正しい心を取り出して、無間地獄に落ちるような無道の有様を少し普通にし、何といっても世の中には末世の道理を弁えた人が、僧俗の中に二、三人か四、五人くらいはいるであろうから、そういう人を召し出して、天下のために仕えさせてほしいものである。」)
一つの中国という概念は「排満興漢」以来の物で、漢民族とててんでバラバラ。中国は進み方によっては中華連邦のような連合国家になる可能性もあった。また現代中国の経済格差と情報統制は想像を絶するもので、何かの拍子に再び革命が起こる可能性がある。正にマルクスの予言した通りである。其れを防ぐために、現国家主席はやっきとなって経済成長させている訳で、別に中華帝国を復活させようなどという深慮遠謀がある訳ではない。少子高齢化は日本を上回るペースで進んでいるから、何れ自転車操業が止まってしまう可能性がある。其の時は・・・。
他には、①川上徹の『査問』は読む価値がある。そしてそのような党がいまだに存在していることが奇跡のような話で、天皇制と共に「世界遺産」に登録すべきである。詰まり、早く無くなった方がいい。②六十年代の私大教員の給与水準は極めて低く、みな第二種兼業農家のような生活であった。改善するのは私学助成が入った七十年代以降であった。③最後に勤めた公立大学の学生の実に三分の一近くは住民税が非課税世帯で、多くの学生は県から出て遊びにいくことすらままない。特に地方では貧困化が著しい。④Aには大した思想信条がある訳でなく、ただお爺さんの真似をしているだけ。既に家業である。後任を狙う筈のK氏にも覇気がない。其れも家業だからである。⑤政治学というものは四十を過ぎたら自然と分かるようになる。実社会的経験論。⑥お爺さんは九十過ぎたら駄目。婆さんは元気だけどね。
実に十時近くまでお邪魔する。再び電車に乗り、九段下経由で帰宅。十二時過ぎ。此れで年末年始の行事は全て終了す。
1/5・金
未明に起き出し、五号室から出された大量の漫画雑誌と千寿から持ち帰ったテキスト類を表に出す。するとあっという間に白いワゴン車が来て持ち去って行った。あうんの呼吸で回収するあたりは沈黙交易のようだと思った。併し古紙の需要はまだまだあるのだね。出来れば千寿校まで取りに来て欲しい。ゴミの山、いや宝の山が其処にはあります。
朝から曇り。寒の入りらしい天気。五号室退去。不動産屋さんのSさんと立ち会う。元元がリニューアルもしていない古い部屋だったが、見たところ、凡そ表現も出来ないような壊滅的状態となる。数年来真面に掃除もしていなかったらしい。こりゃあ全面改装だな。シンクもエアコンも壁紙も床材も。ちなみに未納分は数十万円。今後少しずつでも支払うようにと念書を交わした。いやしかし、こんな書面にどれほどの効力があるのだろう。半分ぐらいは払ってもらえるかな。それでもまあ何とか生活を立て直してくれれば・・・と思う次第である。何かの都合で所謂「事故物件」になるよりかはね・・・。其れに帰るべきクニやイエがある人は、まだまだ良好な部類である。
午後千寿に出校。例によって理科と社会を中心に適当に教える。担当ではないが、どうにも物覚えが悪い生徒がいるらしく、教室全体にはS子先生の怒号が響く。集中攻撃に当たっているよう。他の部屋にも丸聞こえである。例によって辟易とす。例によってああいう子に激昂したところで、丸で仕方の無い話しである。平均すると吾人は週に一回の勤務だが、彼らは毎日のように言葉の暴力に晒されている。つくづくS子には教える能力がないと思った。こういう教室はもう滅んだ方がいい。そして廃業する前には、回収業者に入って頂いて、森林資源の回復に役立てていただければ、世の為や地球の為になると思う次第である。
七時過ぎに退社。町屋で途中出場。立ち飲みBの新店に入る。先月末にBチェーンはとうとう町屋にも進出した。運よくD常務も居た。D君は新規立ち上げ担当重役でもある。色色と言葉を尽くしながら新従業員に指導している。従業員といったところで大抵はずぶの素人であるし、そもそも言葉も違う。日中か日越連合チームである。S子にも見習わせたいと思った。少し話ししてから地下鉄で延延と帰った。
1/4・木
未明から可成りの胃痛。何度か洗面台に顔をうずめた。新年早早碌なことがない。毎年のように節酒の誓いをしているよう思う。来世は下戸になりたいと願った。昼前にはどうにか収まる。
今日から残りの講習。千寿に参る。途中「はなまるうどん」。何だか口も頭もよく回らない。休み過ぎたか(いや、飲み過ぎだな)。退社後は大橋の自動化寿司でノンアルコールビール。其のまま帰宅。地下鉄も結構空いていた。三が日も四が日にすべきである。本日完全休肝。
1/3・水
朝は御粥と御酒を一杯ずつのみ。正月だからといって二倍も三倍も飲んだり食べたりできない。もう鹿の食うようなもので十分である。あらゆるものが過剰だと思った。新聞を三紙も四紙も読めないのと同じである。詰まり情報も過剰である。鹿の耳と目がいいな。あと頭も。考えなくていいから万事楽である。
恒例の駅伝見物に参る。晴れてはいるが北風強く、観衆も少ない。例によってA学院が独走す。其れでもオレンジ大学は往路の五区に山の神が降臨し、六区でも健闘したので六位に入った。少子化の故、何処の大学も駅伝に力を入れているよう。何しろ十八年後の十八歳人口は94万人である。併しね、駅伝を見て感動して、○○大学に入りたいとか思う子がいるかね。タレント教授が沢山出てきた方がまだ宣伝効果があると思うが。
寒風の中を川崎まで歩き、去年も入った「香楽園」で大量飲酒。総勢九名で飲み放題を付けたから、給仕が間に合わないほど。やはり中華は此れぐらいの人数で食べないとね。三百円均一の小皿料理ばかりを頼んでは可哀想なので、少し高めの料理も注文す。脱デフレは身近な所からである。其れでも一人2500円。更にカラオケに行き、イタリアンにも入った。流石に吾人は此処で早退す。ふらふらになって帰宅。
1/2・火
再び冬型に。晴れてはいるが風強し。朝は和洋中の残り物で小量飲酒。昼は野菜たっぷりタンメン。夜は貰い物の蒲鉾とハム。四国の親戚から送って来たものだが、昨年来、幾らむしゃむしゃむしゃむしゃと食べても一向になくならず。あらゆるものがつくづく過剰であると思った。此の二日の消費支出は新聞代の330円のみ。そう言えば昨日の毎日新聞に、生産性を二倍にすればGDPが二倍になるとか言っている人がいて驚いた。ハムや蒲鉾が今の二倍も作られても一体誰が食べるのか。鹿の食うようなものを食べていた頃と勘違いしていると思った。ならばいっそ二倍高いハムや蒲鉾を作ればいいという算段にもなるだろうが、そもそもハムや蒲鉾には限度というものがあるし、そんなに高くなっては購入できない人もいるだろう。
北の皇帝は南の五輪を歓迎する旨の演説をしたらしい。一応交渉の余地ありという事なのだろう。ただ当のアメリカの方は最早空中分解である。
1/1・月
朝から良く晴れた。テレビの討論番組甚だ酷し。昨夜に引き続き、和の段を解凍。伊那の御酒と合わせる。例によって大して旨いものでは無し。でも贅沢を言ってはいけない。百鬼園先生の昭和二十年一月二日の日記には「朝も晩も動物園の鹿の食ふ様な物ばかり家内と二人で食べてゐる」とある。何しろ御雑煮はみそ汁が精精で、御酒も無く「こんなお正月は初めてであり今回限りに願ひたい」とも。「いやに空が静かだと思ったら、九十機位が編隊になりて名古屋を中心に浜松大阪等へ行きたる由也」(同一月三日)。増して現代にあっても餅も食えない人もいるというからね。
其れに味覚が変わって来たということもあるだろう。吾人とて、初めて伊達巻と栗きんとんを食べた時は、美味すぎて感動したものである。あれから云十年。何を食べても素直に旨いと思えなくなったのは、ひょっとしてあの漫画+アニメのせいかもしれないと訝った。第一に腹が減れば何でも旨い筈である。元旦到着の年賀状は十枚程度。鈴木君と佐藤君には第一子が誕生す。ともに同世代である。細君の年齢までは与り知らぬが、此れで第三次は終了だなとつくづく思った。
其の後老家人を散歩に連れ出す。数百メートル先の公園まで行って休憩して帰って一時間。往路時速一キロ半、復路は一キロといった感じ。介助というものは生産性とは対極に位置するものだと思った。午後になり社崎くんから電話があり、実に久久に話す。御母堂の具合が悪くなり在宅介護中とのこと。遠出は出来ないが、飲みに行くならば是非誘ってくれと言われた。元元元気な武闘派といった彼だが、最近は連絡がなく心配していたところであった。まあまあ元気そうでよかった。
夕方になると何だか寒気がする。すわインフルエンザかと思ったが、中華の段で麦酒を軽く飲むと直ぐに良くなった。買い物は無し。其れでも専売店とコンビニで日経と毎日を買い足した。元日の朝刊は何処も矢鱈と分厚いが大して読むところがない。ただ毎日の都内版には新橋のちゃんぽん店が紹介されていたので、早速大将にラインで知らせた。折角買った甲斐があったというものである。補足。中華は結構旨かった。家人にも好評。併し中華三段という訳にも行かないな。