反転する経済と社会

親が子を、塾に通わせ学力と学歴つけ、場合によっては奨学金を借りて大学に行き、会社に入って、(結婚して何年か後に)ローンを組んで家を買う。定年後は年金をあてにして…。一昔前なら、ひとつのハッピーな人生のコースであろう。
年金の掛け金が集まらない。若者が非正規雇用に追いやられているのだから仕方がない。
住宅ローンが払えない。賃金の上昇を前提としている以上、それが果たされないとなると、支払いは厳しくなる。
奨学金という名の教育ローンが払えない。学校を出ても就職先がこんなになくなってしまえば、返せないのも避けられない。
(したがって、子どもを塾に通わせ、多少学をつけてもしょうがない…。それにそもそも大多数の親にはもうお金がない。塾は困る…。本当に困る!!)
経済成長を前提とした社会のシステムが、あらゆるところで反転を始めている。会社に入って何年も働いても賃金は上昇せず、学校に通ってもいい就職はできず、年金や家賃も払えない。
子が親より貧しくなるのが、日本が直面する経済縮小というものだ。ならば、社会のシステムを変えていくしかない。
公営住宅の供給や、安価な中古住宅の流通を増やすとか、給料が上げられないのは仕方ないとしても、せめて安心して働けるよう非年功賃金型の正規雇用を増やすとか、高校・大学の学費を下げるとか、児童手当を引き上げるとか…。いろいろと手を考えなくてはならないだろう。それもできるだけ早くしないと、反転してきたローラーに押しつぶされてしまいます。

私が提唱する、非年功賃金型正規雇用については、昨秋OCNにのっけたブログに詳しいのですが、ハテナにも再度、掲載させていただきます。


「月収20万でも…」
 なぜ、非正社員化が、ここまで進んだのでしょうか。いろいろな説明はあると思いますが、要は、正社員にすると年功賃金制なので、給料を上げなくてはならない。競争と不況にあえぐ企業にとってその給料が払えなくなっていることが原因の一つに挙げられると思います。
では、そもそも、年功賃金とは何なのでしょうか。それは、仕事給に、生活給が上乗せされたものになっています。つまり年齢を重ねると家族を抱え生活が大変だからというわけで、実際の仕事以上に給料が加算されているのです。この部分が、企業にとって、重荷になっているのです。
 多くの会社員にとって、入社後10年ぐらいは、仕事を覚え、仕事の能力はどんどん上昇します。でも、その後だいたい頭打ちになり、35歳の社員と50歳の社員では、正直なところ働きぶりというものは、そうは違わないのです。年齢に応じて仕事能力がどんどん増すというのは幻想です。研究職であるとかベテラン職人であるとか、経営センスのすぐれた大幹部にでもならない限り、仕事とはこういうものなのです。
ということで、若者の賃金は比較的低くて、中年以降はもらいすぎになっているのが、日本の賃金体系といえます。リストラされた55歳の人が再就職するとなると、純粋な仕事給になってしまうので、給料が激減するのはそのためです。
 今後、「ワーキングナントカ」をなんとかしろという政府の掛け声に従って、非正規雇用を正社員化する動きがあると思います。しかしながら、給料がどんどん上がる正社員というのは、期待できないのかもしれません。となると、かつての女性の一般職のような待遇が考えられます。それでも、非有期雇用ですので、安心感が違うし、また社会保険などもきちんとつく分、はるかにマシですよね。ただし給料はあがりません。(名ばかり正社員か?)
 昇給なしと聞いても、絶望することはありません。ヨーロッパの会社員はだいたいこんなものだそうです。つまり、年収300万前後の人が相当いるそうです。では、生活が大変かといえば、そうでもない。その分公的助成が充実している。住宅は公営が多く、教育費も安い。児童手当も付く。家族を抱えても、そんなに負担が増加するというわけではないようです。日本の場合は、住宅費が高い、教育費が高い、将来が不安というわけで、月収20万では一人暮らしがやっとということになってしまっているのです。
 日本では、(大)企業が、社員に生活給を出すことで、不十分な福祉政策・住宅政策・教育政策の一翼を担っていたわけです(それ自体は結構なことでした)。それを放棄し始めたことが、非正規雇用の拡大となっているのです。したがって、企業の正社員枠から漏れた人は、公的なバックアップはもともと弱いわけで、多くの人が生活に困窮してしまっているのです。
かつてのような経済成長が期待できない以上、企業はもはや多くの(昇給する)正社員を抱えられません。ならば、公的助成を充実させるしか、道はないのだと思います。