国家固有の問題

 一隻の酔っ払い運転の漁船と無人島のせいでここまで日中関係がこじれてしまうとは、ちょっと常軌を逸していますね。どうも「領土」が絡むとこういう悪化を招いてしまうようです。その過程で応酬されるのが例の「○○は我が国固有の領土云々・・・」という論法です。
今回の尖閣諸島は何百年前からか人の出入りはあったようですが、彼らは大海原を駆け回っていた漁民や海民ですので、別に「日本」や「中国」を背負って活動していたわけではありません。
 近代国家というものは200年かそこらの歴史しかないのですから、国家や国民がずっと前から占有していた「固有の領土」などいう表現自体がおかしいわけです。北の方の領土も同様です。江戸時代には北海道という名称すらありませんでした。その先の島々のことなど、皆目見当もつかなかったことでしょう。「固有の領土」自体が「国家固有の言説」に過ぎないのです。
 ですがそのようなことを、国と国のぶつかり合いの中にいる双方の外務省に言ったところで、どうにもならないでしょうね。アベコベに日本の外務官僚に「私たちは日本の国益を考えて頑張っているのです!!」と怒られてしまうかもしれません。
 そうそう、この「国益」という言葉もある種の思考停止を招きます。経済のグローバル化が進んでいるのに、いまさら一国全体の利益が存在するというのもおかしな考えです。中国で営業する日本企業にとっては、日中両国民が顧客であり従業員でもありますし、両国を行き来する観光客にとっては、友好関係がなければ旅行どころではありません。
今回の騒動での最大の被害者は、そうした国境を越えて活動している企業や市民です。彼らはもはや特別な存在ではありません。ごくありふれた普通の会社であり個人であります。国境で厳重に守られた「国益」などという抽象的なものは実在しないのです。
 私はこの「領土」と「国益」の呪縛からなんとか自由でありたいと思います。「国家」単位で物事を考えると視野が狭くなってしまいますから。それに両国政府とも、弱腰外交と非難されないように国民の声を過剰に意識している節が見られます。ここは冷静な世論を作っていきましょう。そしてこの冷静さこそ、日本人が世界に誇るべきひとつの素養であると考えています。