3/31・火
昨夜は十時に就寝。今朝は九時まで寝床にいた。昨夜は御酒も飲まず、深夜間合い帯を増やして只管休養したが復旧せず。結局具合が悪い。更に悪いことに、講習中なので火曜だというのに授業がある。吾人の災難は続く。
御昼に出社。風邪薬の為か何だかふわふわしながら授業す。小咳はなお治まらず。天屋先生の薬局で咳止めの液体薬を貰う。二千円。八時に退社。あっさり味の付け麵を食べて直ぐに帰宅す。晴れて暖かいが桜見物どころでは無し。
3/30・月
十二時間寝床に居てもすっきりせず。小咳と鼻声。体も重い。間違いなく今季最悪の風邪である。横須賀の惨劇は吾人のみ続くこととなった。市販の風邪薬を飲んで御昼に出社。八時までぼんやりと授業す。其のまま帰宅。入浴して就寝したが、其の後かなり発熱した模様。
3/29・日
久久の金曜会の遠足企画ということで、十時に品川駅に集合す。時間前だったので蕎麦屋に入る。JR側には天麩羅蕎麦が500円もする店しかない。「吉利庵」と言い品川駅に昔からある常盤軒の店である。かき揚げは茶筒のような形をしていて実に立派だが、蕎麦は従来通りの立ち食いの茹で麺と言った感じのふにゃふにゃ具合である。此れでは富士蕎麦や小諸蕎麦より悪い。値段を高くした分、天麩羅を補強したのだろうが、蕎麦屋の本質は蕎麦である。
それにしても店を次から次へと入れ替えて、JRもテナント業に余念がない。而し行き着くところは下らぬインフレーションであると思った。不動産で収入を上げて、そのお金で東北地方のローカル線を維持しますというのなら、誰も文句は付けないが。
参加者は、主催者の鶴木さん、柳夫妻に、仲田大将と節子さんも来た。大将からは、開口一番、先日は済まなかったという謝罪の言葉を受け取る。曰く、無責任社長のことで何で俺らが喧嘩をしなくちゃならないのだと。そういう悟性を二日前に働かせて欲しかった。
一同揃ったところで、京急線に乗り込み、横須賀を目指す。今回の企画の詳細は知らなかったが、何でも米軍基地が年に一度の開放日なので、そこに参るのだという。吾人と基地とは余りに縁遠い所だが、まあこれも一種の敵情視察である。缶麦酒を飲みながら横須賀に着いた。
しかし入場の列は三笠公園から延延と伸びている。今更計画も変更できないので、只管待つことになる。六人分の世間話が尽きかけたころに、漸く入場を果たした。大体二時間も掛かった計算である。尤も肝心の基地見学と言っても、艦船の姿などは無く、屋台と飲食店があるだけである。それに基地の中と言っても、大体何処も彼処も洋風化されている現代にあたって、それほど珍しい建物も見つからず。
其の上、何より腹立たしいのは、何処も彼処も無意味に大行列していることである。人並みを掻き分け、漸く適当な飲食物に有り付けたところで、予報通り雨が降り出す。傘など何処ででも売っていると高をくくっていたが、基地内には当然売っていない。打つ手打つ手その何もかも裏目に出る。結局這う這うの体で基地外に撤退す。
横須賀中央駅近くまで戻るも、お目当ての店も大混雑である。更に不幸なことに、なまじ食事クーポン付きの、「よこすかグルメきっぷ」などという券を買って仕舞った。入れる店は指定されているから、今更他店にも行けず。滔滔一時間も待ってカレーライスなぞを食べた。結局一日の大半を行列と雨宿りに費やしたことになって仕舞った。つくづく基地と行列の無い国に引っ越したいと思った。
其の後、帰京途上で合流した月波君を加え目黒へ回航。目黒駅前の「蔵」という馴染みの居酒屋で飲んで帰った。雨に濡れて冷えたのか喉が痛い。小咳も出る。こういう日は、御開きが待ち遠しかった。九時帰宅。十時就寝。
3/28・土
取り敢えずの宿酔は無し。土曜は不出社。一日蟄居す。また睡眠不足の為か、昏昏と午睡す。昨夜の大事故について月波君に見解を求めた。すると中村君は四月から勤務に専念しなくてはならない。其の為には大貧学院の幻想を綺麗さっぱり打ち砕く必要があるから、却って佳いことをしたのだと宣う。なるほど、そういう考え方もあるのかしらんと思った。少しは気が楽になった。
此処数日暖かく、桜は咲くことは咲いた。またプロ野球が始まったらしいが、今年の中日も恐らく最下位争いであろう。御蔭で野球観戦に時間を取られなくて済むから丁度良いと思った。
一方、昨日の喧嘩の最中に、「報道ステーション」でも大喧嘩があったという。一日遅れてサイトに非公式でアップされたものを見た。余程腹に据えかねた何かがあったのだろう。元官僚の評論家が政権批判をしていた。『日本沈没』で日本の危機をいち早く発見した田所博士が、その危機を広く知らしめるために、生放送のワイドショーで御用学者を態態ぶん殴るというシーンを思い出した。それにしても、日本の沈没は自然災害だが、今日の政権の暴走は、無責任な国民が選んだ結果である。全く以て困った事態であると思った。
3/27・金
結局かなりの宿酔となる。悪いことに朝から授業。這う這うの体で参るも、段段体調は悪化して、滔滔授業中に口から液が噴き出す惨事となる。つくづくもう御酒は止めようと思った。何とか午後には治まる。以後八時までずっと授業。
更に悪いことに、今晩は滅多にない職場の飲み会であった。こういう会が持たれること自体、実に四年ぶりである。特に卒業と就職の決まった中村君の追い出し会でもある。一次会二次会と卒なく終わらせる。概ね帰った後で、中村君が色色と話したそうだったので、バーIに招待す。
すると泥酔した仲田大将がいて、どういう訳だか、あっという間に、大貧学院の運営方針、特に無責任社長を巡っての大口論大会となる。中村君はまだ若いし、大貧学院と無責任社長の本当の姿を知らない。だから無責任社長を可なり立派な人物と心得ていたようである。よって大将とは見解が悉く相違することとなる。吾人としては、もちろん大将の言い分に分があると思うことは思う。
しかし態態不愉快なことを教えて人を不幸に陥れる必要もないから、無責任社長の実の姿などは知らせずに、中村君を送り出すつもりだった。四年間、それとなく隠して来たことが、最後の最後という晩のあっという間に、誠に正反対の結果となる。
それにしても、酔った上で例によって激昂する大将も大人げないし、また年配者に堂堂と突っかかる中村君の方もどうしたものかと思った。ちなみに二人は初対面である。しかしそもそもこういう事態を招いてしまった責任は、全て此の吾人の不徳、無計画、思慮分別の無さにある。責任を取って、吾人は吾人を辞任しようかと思った。三時帰宅。金八千円失う。長い一日であった。
3/26・木
今日から春の講習となる。午後出社。退社後は、月波君と月波君が嘗て勤めていた会社の先輩の富田さんが現れる。取り敢えず、老夫婦の店に行き、調子に乗って中華立ち飲みに参る。ふらふらになって十二時過ぎに帰宅す。
欧州の飛行機事故は操縦士による集団巻き添え自殺であるという。あらゆる職業が脱魔術化され、職業倫理などいう言葉も死語に近いが、幾ら何でも、こういうことをされると適わない。確証はないが、類似の事件も過去に幾つかあるのだという。いっそ飛行機の運転も自動化すべきであると思った。
3/25・水
今度は欧州で飛行機事故。冬型に戻り朝から寒い。布団を被っても寒い。どうにも風邪を引いたよう。幸いなことに本日は休講日である。但し午後少しだけ出社。明日からの講習準備と方方の片づけを行う。体調が今一つなので直ぐに帰宅す。十時就寝。
3/24・火
辺野古の埋め立てを巡って県と国が愈愈全面的に対立す。早速、県に肩入れしたいところだが、どうにも手がない。麦酒とサーターアンダーギーを注文しようかと思った。
一日晴れ。但し冬晴れ。夕食は吾人が用意するも、肉屋のから揚げはべちゃべちゃ、行商人の刺身はカスカスで、どちらも及第せず。猫も跨いで行ったから、結局ほぼ全量廃棄となる。あっという間につまむ物が無くなったので、大部前に月波君から貰った牛肉の時雨煮を開けるも、此方は砂糖が甘すぎて食べられず。塩辛いものは大根下ろしなどで薄めて食べることも出来るが、甘すぎるものはどうにも仕様がない。そうならない為にも糖度を表示すべきであると思った。こんな日は万事不愉快である。
3/23・月
徐徐に寒気が南下し、此処数日の初夏のような天気は御仕舞。午後出社。退社後は中華立ち飲みへ。皆さん給料日目前ということで早目の御帰宅。店内の紫煙が酷いので吾人も一緒に退散した。
3/22・日
午前中は薪炭の移動と、伯母が借りているブルーベリー畑の整備。木と木の間に防草シートを敷き詰めた。但し花粉と宿酔で幾らも捗らず。持参した各種薬を多量服用す。此の処、外出や旅行の際には、大型時刻表の次に常備薬の持参が欠かせない。
ともあれ大体こんな感じで大方の作業は終了す。伯母の運転で下山す。丁度高校駅伝大会があったようで、駅前も人が大勢出ている。みんな腹が減っているようで、あちこちで弁当やら焼きそばなどをむしゃむしゃと食べている。普段から此れぐらいの人通りと食欲が欲しい所である。
13時過ぎの飯田線に乗車。岡谷に到着。普段ならそのまま「あずさ20号」だが、南紀に行った帰りの「青春18きっぷ」が残っているので、今回は普通列車の旅である。列車接続が頗る悪く、凡そ一時間待ちとなる。久久に岡谷で途中下車。駅前の大型商業施設の大変な寂れように吃驚す。漸く食欲が回復して来たので、ロータリーの外れの駅前食堂に入った。麦酒に肉丼をゆっくり食す。其の後、塩山行に乗車。残り少ない115系電車だったが、小淵沢で降りて、新宿行きの快速を待つ。
但しホーム上の駅弁屋も蕎麦屋も閉店した模様。御客は改札外の売店に殺到す。有名駅弁が食べたかったが、悉く売り切れである。結局小淵沢の「元気甲斐」という弁当には、未だに有り付けたためしがない。16時17分発の「ホリデー快速やまなし号」に乗車。例の二階建ての巨人車両である。といっても二階席はせせこましいので平屋の部分に陣取った。缶麦酒を飲みながらぼんやりとす。
併し甲府を過ぎるとどんどん混み始め、餓鬼のような眼をして空席を探し求める乗客が右往左往す。結局大月辺りで吾人のボックス席も埋まり、見知らぬ男女が膝と顔を突き合わせることとなった。其の内二人は国籍が違う。大方富士山観光の帰りのよう。観光はこれからの基幹産業である。ならば休日を増やすべきであると思った。尤も吾人にとって、今回のホリデーはワーキングホリデーだったのだが。いやワーキングプアーホリデーかもしれない。料金不要の快速列車だと乗客もそんな感じの人が多かった。
新宿定刻到着18時55分。あずさより二時間半は余計に掛かった計算である。巨人車両と言っても、元元通勤用の詰め込み設計だから、長時間の乗車には向かない。やはり列車というものも、矢鱈速いか、大変空いているか、そもそもの造りが贅沢であるか、少なくとも三つのうちどれか一つがある方が良いと思った。そうなると運賃だけという訳には中中往かないだろう。難しい顔をしながら帰宅した。
3/21・土
更に本格的に作業に入る。室内は羽虫の除去に加え、方方のすす払い。丸太と丸太、板と板の間に出来た蜘蛛の巣を掃除機に次次と吸い込ませた。屋外では風雪で折れた枝の撤去。此方は折り揃えて焚き付け材とした。前回行った中華屋で昼食を取った以外の外出は無し。晩食も冷蔵庫の棚ざらえである。
山荘には月波君から寄進されたブルーレイプレーヤーがある。食後は家から持って来たドラマ「北の国から」を延延と見た。薪の燃える傍で見る此のドラマの味はまた格別であった。一時就寝。
3/20・金
再び伊那に行くことになった。今回は伯母に帯同して色色と仕事をするためであるから、月波君も同行しない。滔滔二人旅である。11時の「あずさ13号」で出発。甲府を過ぎた頃に漸く胃がすっきりして来たので車販員を呼び止めた。
尤も下りのあずさだからロクな弁当を積んでない。結局NREが上野の隣の尾久辺りで拵えた「たけのこおこわ弁当」を購入して缶麦酒を飲んだ。NREとは、方方の食堂車を運営していた日本食堂の流れをくむ伝統ある会社である。決して不味くはないし値段も良心的であるが、折角の弁当を食べても、地域活性化に貢献したという高揚感が無いのが難点である。例によって岡谷で乗り換え。あっけなく伊那には14時半には着いた。此の処の暖気の影響で伊那も悉く暖かい。室内も13度もあった。以後室内に湧いて出た大量の羽虫を掃除機で吸い込むことから始めた。
3/19・木
小雨の中、自転車出社。帰りがけは立ち飲みBへ。今度はチュニジアで銃撃テロ。日本人観光客にも犠牲が出た。
3/18・水
今日も一日暖かい。午後出社。頭の状態が落ち着いたので、予定より大部遅れて散髪。退社後は中華立ち飲みと佐渡屋に行くも、主だった人とは会えず仕舞い。帰りがけに一人でラーメンを食べて帰った。夜半から雨。
3/17・火
昼は近所のうどんチェーン店に入る。小麦が国産に変わったとかで、何だか旨く感じた。其の後、暇に飽かせて『資本主義の克服』と『反知性主義』を新造投入。後者では、本来の「反知性主義」とは、知性の自己批判機能=知性の「ふりかえり」が欠如している際に、「知性」をチェックしようするむしろ健全な動きであり、「知性と権力の固定的な結びつきは、どんな社会にも閉塞感をもたらす」から、そうした「結びつきに楔を打ち込むには、まずは相手に負けないだけの優れた知性」に裏打ちされた、謂わばきちとんした「反知性主義の担い手が続々と現れて」欲しいと、筆者自らが願っている点が興味深かった
一気に四月、而も後半の気候となる。頭を動かしたら急に眠くなる。野党議員の質問を聴きながら寝て起きた。また夕方になっても、寒い夜が来るという雰囲気は無く、春らしい陽気が続いた。こうなると麦酒の出番である。幾つかの老朽原発の廃止が正式に決まる。北陸新幹線が福井に行く頃には、みんな無くなって欲しいと思った。
3/16・月
今日から参議院予算委員会。景気はよくなっているのか、賃金は伸びているのかを巡って、良い、良くない、上がった、上がってないと堂堂巡りの討論が続いた。何しろ、日銀による未曾有の国債引き受け、政府による株の異例の買い入れという劇薬中の劇薬を使っているのだから、少なくても悪化はしていないといった程度の合意は得られるだろう。問題は劇薬の副作用と、その使用をいつ止めるのかである。
午後出社。新入当時は誠に静かだった小学生であるが、このところ慣れて来たのか急にうるさくなる。こういう場合、彼若しくは彼女が、愈愈「本性を現した」と言う。まあ燥ぎ回るぐらいが子どもとしては適切なのだろうし、此処からが先生の腕の見せ所と言いたいところだが、此方はとっくに草臥れた。授業も生徒も楽な方が佳いに決まっている。夕方から雨。小雨になるまで中華立ち飲みで待機。帰宅は十二時前。
3/15・日
東北縦貫線に試乗しようと午前中から外出す。東海道線の熱海発宇都宮行きに品川から乗車。東京駅から先は新線区間だが新造区間は僅か。それでも随分高い所を通しているから、建設費は高かったと思う。尤もこの新線の御蔭で田町の車庫を売り払うことが出来るので、十分採算は取れるのだろう。JRのそろばん勘定は厳格である。その車両基地も大部撤去工事が進んでいた。かつてブルートレインが大勢昼寝をしていたのだが。
上野で直ぐに下車。早速「クラウンエース」で500円のカツカレーを食べる。前年から値上げをしていないから大したものだと感心す。其の後アメ横を散策。家人への土産に蟹でも買おうかと思った。併しこういう場所での買い物は正直苦手である。正価6800円というロシア産の鱈場ガニが3000円で売っている。黙って見つめていると二千円にしてくれた。帰りはメトロで帰宅。
それにしても上野界隈は繁盛している。ガード下では大勢昼間から御酒を飲んでいた。上野はターミナル駅の座から降りることになるが、その分、再開発を免れ、こうした雑居さを維持することになるのだろうと思った。ところで、肝心の鱈場の味の方は、まあまあといったところであった。
3/14・土
家人がどうにかミケを掴まえて、吾人が搬送して、予防注射を受けさす。北陸新幹線が金沢まで開業。また東北縦貫線も完成して東海道線と東北線が接続す。此の二日は鉄道ニュース一色となった。併しながら信越線と北陸線は数社の第三セクター会社に分断されることとなる。
3/13・金
日経平均株価が二万円に迫る。何でも国内の信託銀行が買い漁っているのだという。その原資は年金の積立金である。政府は国民の大事なお金を使ってでも株価維持に余念がない。こうなるとせめて大暴落しないことを祈るのみである。
明日のダイヤ改定でまた幾つかの夜汽車が無くなる。時代の流れとはいえ、線路の上も、時刻表の上も寂しくなると思った。それにしても、毎回毎回最後だというと、見たこともないぐらいの大勢の人が這い出して来て、切符が取れないだとか、写真を撮るぞなどと大騒ぎしている。そうならないように平素から不断の努力をすべきであると思った。また戦後民主主義もくれぐれもそうならないようにして頂きたいとも思った。
午後千寿に出校。中三の授業を粛粛と行った。来週は中学校の卒業式だから授業は無し。従って本日が最終日である。此の一年の辛苦は想像に余りあるが、感慨に浸る間もなく、バーIの店主から今夜花蓮さんが来店するかもしれないと連絡がある。急ぎ品川に転進す。一か月ぶりに再会す。機嫌よく長居したのでタクシーで帰宅。1720円。三時就寝。
3/12・木
今度は吾人の税務申告書類を作る。恐ろしいことに、大貧学院の給与収入から、納めた社会保険料を引くと、所得はほぼゼロである。余りに不自然なので収入を多少水増しした。国民総背番号制が導入されると、こういう出鱈目も通らなくなるかもしれないと思った。
午後出社。退社後は立ち飲みBで、牡蠣の天麩羅を散散食べさせられる。旨いことは旨いが、お腹が膨れて幾らも飲めず。早目の帰宅。
3/11・水
漸く提出書類が出来たと、老家人は家人を従え、タクシーまで仕立てて税務署に出掛けて行った。すると間もなく、税務署が跡形もなく無くなっていると電話がある。税務署が無くなれば、それは即ち無税国家だから、結構な事だろうと暫し思った。併し今更ティーパーティーではあるまい。福祉国家において、納税は国民の大切な義務である。どうにも庁舎の移転を知らなかったらしい。大きな封筒に大書きしてあったのだが、両家人とも気づかなかったようである。認知能力の低下したものを即ち認知症と呼ぶ。
そうこうしていると、頭の溜が突如と破けた。午後一番で皮膚科に向かう。綺麗に破けているから処置の必要なし、即ち処置なしである。抗生剤入りの軟膏が処方される。つまり当初の振り出しに戻った感がある。医薬合わせて千円弱。其の後遅れて出社。適当に授業して、少し飲んで帰った。一日晴れ。丸であの日を髣髴するような天気であった。
3/10・火
朝はよく晴れたが、晴れたのは一瞬で、以後寒気が入り何度も通り雨。花粉症の薬のせいか日中朦朧とす。出来た筈の税務書類がまだ出来ていないと言われ、家人総出で清書。どうにも段取りが悪い。またミケに予防接種を受けさせたかったが、半狂乱になって抵抗され、本日は断念。その際方方を引っかかれる。
午後は映画『グッバイ、レーニン!』を十年ぶりに見た。資本主義の競争と消費に草臥れた人人が東ドイツに逃げ出してくるというコメディであるが、久久に見直してみて、吾人もつくづく何処かに逃げ出したいと思った。大体資本主義の速度が、この間どれだけ加速したのか、想像に難くない。
夕餉の買い物から戻ると首相がテレビに出ている。てっきりまたお辞めになるのかと思ったが、震災から四年になるのに合わせて、復興は益益進んでいると自画自賛していた。此れでは共産圏の放送と変わりがないと思った。また抗生剤の効果で後頭部の出来物の腫れは引いたが、ふくらみ自体は変わらず。切開しなければならないのかと思うと、何だか憂鬱になる。
3/9・月
午後から小雨。自転車で出社。中華立ち飲みの後は、鶴木さんを掴まえて久久に佐渡屋に行く。とことん飲むつもりだったが、鶴木さんに先に帰られると、実は話し相手も無し。雨も案外大したことが無いので自転車で帰宅す。
ドイツの首相がやって来て、日本の首相に散散苦言を垂れていた。今となってはアメリカやドイツが最大野党がというのも情けない。
3/8・日
武蔵新城の鷺乃間君のところで読書会をしようというので出掛ける。参加者は他に月波君と坪上君。題材は丸山先生の「政治は何ぞや」。内容は多岐に渡るので討議は中中続いた。最初はうやうやしいお蕎麦屋から始め、ロードサイドのラーメン屋に移り、最終的には鷺乃間君のおうちに厄介となる。例によって向かいの蕎麦屋から出前を取った。散散飲み食いして九時ごろ帰宅す。
3/7・土
山田線の沿岸区間の復旧工事が漸く始まるとニュースにあった。実に四年も経ってである。一日曇り勝ち。時時冷たい雨。今日はグレの予防接種。家人の主催で吾人の誕生日会。吾人が買いに行った鯛と鮪の刺身を並べた。どちらも養殖魚だが後者は身の締りが丸で無い。大型の回遊魚を生簀で飼うことは難しいのだろうと思った。
3/6・金
先月の電気使用量501キロワット。前年並みだが料金は1万6千円余り。午前中は動物のお医者さんに行き、シロの予防注射。八千円足す消費税。薬剤は輸入品だから大部値上がりしたよう。
午後は人間のお医者さんに行き、吾人の頭の外側を見て貰った。すると逆面疔ではなく、脂肪が固まった粉瘤であるとのこと。外用薬ではなく内服の抗生剤が処方される。どうりで治らない訳である。医薬合わせて1850円。此方は三割負担。今季は滔滔風邪を引かなかったが、その分皮膚科に通う。
其のまま千寿に出校。高校数学は本務校から連れて行った学生講師の平政君に丸投げす。彼は数学科在籍だから正しく適所に適材である。重荷が無くなった吾人は高校進学が既に決まった中学三年生の数学を適当に見た。後は万事宜しく頼むと早早に退社す。
飯田橋に回航し、先日入れなかった蝦夷松に月波君と参る。餃子に麦酒に回鍋肉に味噌ラーメンまで食い尽くす。ところで、例によって月波君と詰まらない話しをしながら、ふと隣席に目を落とすと、中年男性が皿に残った炒め物の汁を猫のように舐めている。何だかついうっかり見てはいけないものを見て仕舞った様で気分が悪かった。割ときちんとした身なりだったのだが。
また勘定の方は、本日が吾人の四十一回目の誕生日ということを知ってか知らずか月波君が済ませてくれた。先日の熱海のお返しだと言っていたから、知らないのであろう。超満員の半蔵門線のドアにへばり付いて帰宅。金曜の夜はこうなるから嫌である。夜半から冷たい小雨。
3/5・木
川崎の方で凄惨な少年事件が起きたようだが、聞くところによると、被害者側も加害者側も、どちらの家庭も真面な状態ではない。幾ら人生は想定外の連続と言っても、子どもが子どもを育てているような出鱈目ぶりであると思った。親が無くてはやはり子は育たない。それにしても此れだけ資格好きの国民なのだから、親になる資格試験のようなものを作ってみたら面白いだろうと思った。概ね三分の一、特に男親の半分以上は落第するであろう。
午後出社。退社後は珍しく仲田大将から連絡があり、地元の世田谷に舞い戻る。大将の仕事仲間らと酒席を伴にした。大将はすっかり気を佳くして、電車で帰るのは面倒臭いと、まだ終電前だというのにタクシーで帰宅。内需拡大のお手本のような人である。
税務書類の作成は漸く終了す。また秋子叔母さんは何とか施設に入ったと優子さんから連絡があった。
3/4・水
未明は大雨。以後異様に暖かくなる。大部前から後頭部におできのようなものが出来ている。位置的には逆面疔である。寝る度に重い頭の下敷きになるので中中治らない。抗生物質入りの軟膏を塗る。此れで治らなければ皮膚科行きである。枕をドーナツ状の座布団に交換す。午後出社。今日も何だか慌ただしい。花粉が酷いので、退社後は少しだけ飲んで帰った。
3/3・火
火曜不出社。昨夜から、見るとぐらぐらする代替眼鏡を通して、日記を認ため、溜まった新聞を読み、聞き漏らしたラジオ番組をインターネット経由で聞き直す。併し万事捗らず。御昼に眼鏡が出来たというので早速受け取りに行く。混浴露天風呂転落事故の被害金額は四千円であった。
其の後、少し予算委員会を見た。何だか政治と金の問題一色の感あり。丁度学習塾を経営していたという文部科学大臣が出ていた。塾の先生の安い給料の中から会費を取って、其れを勝手に献金させるのは怪しからぬと怒られていた。今国会では補助金を貰った企業からの政治献金が問題となっている模様。世の中には補助金を貰った企業がそんなに沢山あるとは驚きである。
日が暮れたので、一昨日亀山の売店で買った赤福をつまみに芋焼酎の御湯割りを飲む。赤福に濃い目の蒸留酒。此の二つは非常に合う。旅費の精算をしたところ五万円を軽く越えている。当分緊縮財政である。
3/2・月
朝の十時に眼鏡屋に参る。実は昨日豊橋の手前辺りで眼鏡が壊れた。一昨昨日の転倒事故が原因で、ツルの根元の金具が破損した模様。事故から一日半は、眼鏡も何とか堪えてくれたのだと思う。此処は眼鏡に感謝である。部品取り寄せのため、眼鏡は「入院」することとなる。
代替眼鏡で午後早目に出社。金十二万円受け取る。月初めの上、年度の変わり目だから仕事が目白押しである。届いたテキスト類の整理に加え、講習案内の発送、授業見学もあり、夕方にはげんなりする。ただ件のМ君が都立高校に受かってくれてよかった。
また家人が親戚会で湯河原温泉に出掛けている。今回は体力不安を理由に老家人は不参加である。従って、猫と老人が心配なので、一滴も飲まずに急ぎ帰宅す。
3/1・日
春に三日の晴れ無しというが、朝から本当に雨。しかも一日中大雨になるという。こうなると最早することは無し。只管帰京しようと思った。時間はあるが、例によって御金が足りない。朝の七時過ぎから奈良駅に飛び込み、「青春18きっぷ」を購入す。
関西線の電車と気動車を乗り継ぎ、鈴鹿山脈を越える。木津川の辺りは中中の景勝地だとは思うが乗客は多くない。凡そ二時間かけて有名な工場のある亀山へ。ここからJRが変わる。それでも名古屋行きは一時間に一本しかない。其のうえ接続が宜しくない。三十分近く待つ。折り返しの名古屋行きに乗車。途中で二日前に乗った「南紀」とすれ違った。こうして名古屋駅の関西線ホームに二日掛かりで戻って来たことになった。かといって大した事でもなし。早速東海道線に乗り換え。豊橋の「壺屋」できしめんを立って食べる。ここのきしめんの出汁は関東風で相変わらず旨い。また相変わらず東海道線はぶつ切り状態で、更に浜松と静岡で乗り換えを要す。
ところで静岡に帰省中の月波君が丁度帰京するというので、富士駅で待ち合わせる。18きっぷの二回目を使用する。この切符が一枚券になって久しいが、団体行動せねばならないので不便此の上ない。格安の企画乗車券なのだから仕方がないが、こうなると切符が主人で、御客は従者のようである。
熱海で途中下車。大雨の中、駅近くの寿司屋に入り、金目のあら煮などを肴に適当に御酒を飲んだ。一時間半ほどで切り上げ、更にラーメン屋でも牛飲す。結局酔った勢いでグリーン車に乗る。料金780円。併し殆ど寝て仕舞ったから普通車でも同じである。勿体無いことをしたと思った。品川で下車。月波君とは目黒の駅で別れた。バスに乗り換え帰宅は九時頃。奈良から14時間も掛かった計算である。