15年4月

4/30・木
 大量の御土産の成果か無暗に歓迎されている某首相は、アメリカ大好き、何処にでも御供いたしますと連邦議会で演説す。ならばベトナムでもアフガニスタンでもイラクでシリアでも何処にでも出掛けて行って欲しいものである。そしてそんなにアメリカが好きならば、いっそ此のままアメリカに移住して、もう日本に帰って来ないで欲しいとも思った。
 午後本務校に一旦出社。給料参万円と千寿校の鍵を受け取る。というのも、先方の運営者の御家族が入院するとのことで、今日は吾人が鍵開けを担当することになった。以後急いで千寿に向かう。散散罵詈雑言を浴びせた人の手助けを、結局こうしてやっているのだから、吾人も立派な人格者である。
それにしても吾人共共そういうリスクのある年齢である。個人事業主で、他に頼る人もいないというのであれば、矢鱈と他人を罵るようなことを避け、精精善隣外交をして欲しいと思った。其れは御本人の利益にも合致するのだから。件の運営者は六時過ぎに来た。
退社後は久方ぶりに「宇奈とと」へ。半額の生麦酒は健在。二杯をさっと飲み、名刺大の蒲焼きが載った五百円の鰻丼を食べて帰る。但し東武線が不調で半蔵門線には直通せず。折角繋いだ区間なのだが、此の区間は本当に弱い。押上駅の設備不備によるところが大きいと聞くが、どうにかならないものか。結局千代田線に乗る。案外早く着いた。連休の谷間で、電車が空いていたからそう思ったのだろう。今日で四月も御仕舞。今月も下らぬことを実に沢山書いた。ざっと一万二千字であるとパソコンさんが教えてくれた。


4/29・水
 東北新幹線は架線が切れて運休すること数時間。矢張り東日本の保守管理はどうかしている。よく此れで衝突したりひっくり返ったりしないものである。ネパールの地震被害は深刻だが何分陸路が限られているから救援も進まず。空路も混雑して中中入れないという。
昨日ほどではないが今日も暑い。余りの暑さで昨秋痛めた肌が痒い。昭和の日で不出社。特に何もなし。此の二日は殆ど寝た切りである。


4/28・火
 首相は、右手にコメ市場、左手には海上自衛隊の掃海艇あたりを持ってアメリカ訪問。併し幾ら御土産をたくさん持って行っても、歴史認識を巡って相当怒られるであろう。つくづく、情けない国の情けない首相である。
 また昨年の今頃に酷い事故を起こした韓国船の船長には無期懲役の判決が出たそうである。乗客をほったらかしにし、制服を脱ぎ捨てて脱出したというから、つくづく酷い船長だとは思った。併し韓国社会は未だに読書人的な知識階級が優遇されているようで、現業従事者の地位は大変低いのだという。社会的地位が低いと、士気も給料も能力も上がらないから、結局居眠り運転や手抜き工事が続発する。同じ東アジアの文化圏でありながら、こういう点は日本とは随分違うと思った。其れに長年社会主義体制だった北朝鮮とも相当違うだろうとも思った。
 更に暑くなり日中三十度近く。人も猫もぐったり気味。世の中も既に大型連休である。居間のホットカーペットを片付けて部屋を夏仕様とした。


4/27・月
 配られた新聞を読むと、区は違うが、前回次点だった元塾生のN君は上位で初当選、元塾生の親御さんであるSさんも再選している。何十人もいる区議ともなると、何となく繋がりが出て来る。そうなると一番中途半端なのは都道府県議ということになるかもしれない。
それにしても、地方議員には二種類いるという。一つは地域の世話焼き人として色色な些末事への対応に喜びを見出すタイプ。もう一つは国会議員への一つのステップとして考えるタイプ。N君は後者だろうが、其の為にも前者で実績を積まなくてはならないだろう。
 御昼過ぎに不動産屋が来る。取り敢えず集金代行をお願いすることにした。滞納分はどうにも仕様がないが、せめて将来の滞納を減らせるとのことである。此れで家賃の5%が手数料として蒸発することとなる。まあ両家人の精神状態も多少落ち着くであろうから、必要経費というものか。序に吾人の給料の集金代行も頼もうかと思った。
 異様に暑い一日。午後出社。退社後は立ち飲みBに軽く寄り、其の後碑文谷島の虎左衛門というラーメン屋に入る。確か先月出来たばかりの店だが、あっという間に税込680円のラーメンが、税抜き680円に値上がりす。おまけに麺は歯にくっつくし、スープは矢鱈塩辛いし、博多ラーメンなのにちっとも早く出て来ないし、寄って集って改悪されている。ど素人のようなアルバイトの若者が拵えているからこういうことになるのだと思った。こうなると夜のお楽しみ=ラーメンも考え物である。


4/26・日
 地中海ではアフリカからの密航船難民船の事故が相次ぐ。何れも北アフリカ諸国の政情不安が原因だが、引っ越し先のヨーロッパの方でも移民排斥が続く。結局仕事を奪い合うからこうなる。日本もヨーロッパも有効実需が足りないからである。昨日ネパールで大地震。相当な被害の模様。
 統一地方選挙の後半戦。午前中から区長選と区議選に行く。夕方月波君来る。地元の世田谷で痛飲す。酔って直ぐに帰れるというのは実にいい。「一軒目」というチェーン酒場に、蕎麦屋コーヒー店と梯子し、数千円失う。保坂区長は大差で再選される。一期目は頗る安全運転だったから、二期目はもう少し社民党らしさを出せるといいと思った。


4/25・土
一日晴れ。漸く天気も安定す。ただ日日寒暖の差が大きいから猫も風邪を引いたよう。シロの声がガラガラである。自転車を使って古本屋、魚屋、鶏肉屋と回る。それぞれの商店の品物は中中良いが、既に街を成しているとは言えない。だからあちこちに点在している。方方走り回って全行程数キロの道のりとなる。佳い運動には違いないが、世田谷東部も商店が無くなり過ぎて、住むには不便である。
福知山線の事故から丁度十年。新幹線新幹線と浮かれているようだが、在来線の方の安全対策は大丈夫なのだろうか。御金が無い三島会社は勿論、散散儲かっている筈の東日本辺りでも怪しいものである。


4/24・金
 スマートフォン生活四日目。併しもうすることは無し。見るべき程のことは見つといった感じである。午後出社。退社後は急いでバーIへ。何かの撮影があるというのでサクラとして少し飲む。其の後一人で立ち飲みB。御客は増えたが給料が増えないと従業員氏がぼやく。ついうっかり「入り口が増えない以上、出口を絞るしかないね」などと言って仕舞った。
併し出口は何れ誰かの入り口になる筈だから、こういうことを繰り返しているとデフレーションに陥る。吾人もデフレマインドが抜けていないと反省す。この場合、入り口が増えるよう労使交渉してみたらというべきであった。また賃上げの原資を作るために、全品十円ずつ値上げするというのも面白い。一種のサーチャージ方式である。此れで時間給は100円ぐらい上がる筈である。早目に帰宅す。


4/23・木
 イスラム国による誘拐殺害事件の顛末が今朝の新聞に出ていた。予想通り、当初の交渉は全て家族任せで、政府は何もしなかったとのこと。勇ましいことばかり言っている割には、丸で政府の態をなしていないと思った。またそもそもの身代金は二十億円程度だったそうである。個人なら大富豪でもない限り用意できないが、日本政府なら予備費か官房機密費の類でどうにかなる金額である。
 初夏のような気候となる。午後千寿に向けて出向。スマートフォン生活三日目である。地下鉄に乗るや、早速「ラジコ」というアプリを使ってラジオを聴く。丁度「荒川強啓デイキャッチ」をやっていた。ラジオ放送というものも凋落著しいが、一応放送法の対象範囲である。併し翼翼聞いて見ると、一部コメンテーターが言いたい放題なことを言っていて、とてもじゃないが公平中立という感じではない。それでも大して問題にならないのは、ラジオが既に「公共」という概念から撤退して、一部の人が更に一部特定の主張を聴くだけの存在になって仕舞ったからであろう。
そんな中でもTBSラジオはまあまあバランスがいいから、民間放送の中では辛うじて公共性を保っていると言えよう。詰まりまだそれだけ多数の聴取者がいるということの裏返しである。公共とはある程度の参集人数がいてこそ発生する概念である。(だがラジオに引き続き、地上波テレビも視聴者が流出すること著しい。そうなるとまた一つ「公共」が無くなることになる。)
 五時から九時過ぎまで断続的に授業す。退社後は先週に引き続き「大江戸」に寄って帰る。吾人も愈愈スマートフォンになると、他人のそれが少し気に掛かる。大手町辺りで乗り込んで来た働き盛り風の中年男性は、座るや否や結局「ライン」とゲームの交互運転であった。夜の頭は草臥れているから真面な物を読む気にならないのだろうと思った。尤もその隣は岩波新書を読んでいた。


4/22・水
 スマートフォン生活二日目、老若男女が夢中になるという「ライン」という通信アプリに挑戦す。ソーシャルネットワークサービスというものは初体験である。すると「ともだち」の「ともだち」まで自動で紹介される。中にはもう何年も会ってない人も。成程、大人も子供も夢中になる訳である。特にメールと違い、相手が読んだかどうかが直ぐに分かるのが便利である。もちろん此の機能で色色と問題も発生しているようだが。
午後出社。色色と疑問に思う点は遠慮なく生徒を掴まえて質問す。普段とは丸で逆の設定である。概ね中学二年生以上だと割と真面な答えをして来る。先生の口頭試問に遭うというのも生徒にとっての立派な鍛錬である。
退社後月波君が来たる。大型連休の予定を詰める筈だったが、此処でも吾人が質問攻めにする。大分閉口していたようである。二月の原日記とTBSラジオの広報誌を貰う。後者をパラパラとめくると、野球解説者七人中の六人が中日ドラゴンズを最下位と予想している(残り一人は四位)。幾らなんでもそれは無いだろうと思った。今のところ二位である。


4/21・火
 午前中から家電量販店に乗り込み、愈愈携帯電話の交換に着手。一番安い機種とプランにした。シャープのアクオスフォンで、データ通信は最低水準の月二ギガ以内とす。随分と少ないらしいが、この二ギガバイトという数字は、先先代のパソコンの容量と同じである。それでも基本料金と合わせて月月七千円が蒸発することとなる。尤も本体代は名目上は無料だった。得したように見えるが、その内の何割かが充当されているのだろう。長く使えば使うほど損をするというのも日本独特の商習慣である。
以後、二つ折りで大体80度の角度にしないと画面が映らない携帯電話から、電話帳を一件一件、ブルートゥースという通信方法で移すこと凡そ二時間。旧携帯では一度も使わなかった機能だが、最期の最後に活躍することとなった。船でいえば救命ボートのようなものである。併し全員搬出という訳ではなく、何人かの「乗客」は取り残されることとなる。夕方にはまあ何とか成った。
試しに月波君に掛けてみたところ、音質が非常に悪い。何とかフォンというのも、電話の進化版と言うより、パソコンの小型化版のような感じで、どうも通話は苦手のようである。その分、作文機能などはそれなりに改善されていると見た。それにそもそもスマート=賢いのは機械の方であって、使っている人間ではない。世の中の大多数を占める頭の悪い人でも存分に使って貰えるようにしなければ、色色な会社が儲からない。だから操作性というものは概して良くなっていると感じた。ただ電池の減りの速さは如何ともしがたいようである。画面が大きいからであろう。結局そんなこんなで一日丸で潰した。


4/20・月
 日本海の前線に向かい次第に風と雨が強まる。午後不愉快な所に出社しようと思ったら、不動産屋が来る。どうにも家人が呼び立てたとのこと。以後滞納者を巡っての緊急協議となる。続出する滞納者も滞納金額も、もはや素人家主に負える規模ではない。そこで不動産屋に丸投げしようと家人が考えたらしい。併し丸投げするにしても、家主と家作人との間に、従来の不動産屋に加え、新たに信販会社と家賃取り立て会社を挟む必要があるとのこと。結局それらの経費は全て家主持ちである。
いい加減な人を適当に仲介しておいて、家主が根を上げた途端に畳みかけるように営業に参いる不動産屋というものは、全く以て酷い仕事をしていると思った。また面倒臭い人が増えれば増えるほど、世の中に元元無かった会社が増えるとも思った。併し本来ひと手間で終わることを、ふた手間も三手間も掛けたところで、結局面倒が増えるだけのことで、社会全体の生産性やサービスが向上する訳でも無し。
以後吾人の腹も何だか急に立って来る。むしゃくしゃしながら、雨の中を自転車強行出社。煩い生徒はどなり散らした。帰りも怒り狂ったような運転で、びしょびしょになって帰宅。強い西風の為、ビニール傘は大破す。


4/19・日
 昨日は一日見逃し三振状態だったので、今日は朝から活動す。まず草取り。其ののち家電量販店へ。併し目当ての和室用の照明器具は佳いのが無かった。愈愈八歳になろうという携帯電話が重症状態なので、序に色色と店員に話を聞いて見た。割と詳しい人で良かった。正直な話し、今まで携帯電話の係員で真面な人と出合った例しがない。併し滔滔吾人も何とかフォンにしなくてはならないのかと思うと気が晴れず。月月の支払いは、二千円から七千円に跳ね上がる模様。
また老家人が誕生日だというので、スーパーで小さな鯛を買ったり肉を買ったりす。明るい内から飲み始めると、塩焼きにした650円の鯛は小振りながら旨かった。やはり魚は天然物が良い。併し折角炊いた赤飯はもち米が古く、丸で非常食の味わいであった。慶事が少ない家だからこういうことにもなるのだと思った。


4/18・土
 一日晴れ。但し風強し。結局夕方まで宿酔。昼は盛り蕎麦を適当に食べたが、全身の倦怠感は治まらず。午後はずっと寝ていた。寝ていても風邪の時と同様、中中時間が経たない。眠りが浅いのであろう。このところ本当に宜しくない。晩は「ちよだ鮨」の握り寿司を軽く食べた。麦酒二缶のみ。


4/17・金
 午後出社。寒気が入り夕方に一雨。漸く金伍万円受け取る。斜陽産業の極小零細企業だと、賃上げどころの話では無し。賃払えの日日である。すると鉄道高校から鉄道会社に就職したТ君が訪ねてくる。まだ新入社員だが、今後は鉄道の色色な話しが聞けるから楽しみが増えた。退社後は目黒に一旦行き再び戻る。行ったり来たりして飲んでいる内に帰宅は三時。


4/16・木
 今日も大体晴れた。本当に行きたくないが、今年度は木曜日に千寿校に行くことになった。延延とメトロに乗って午後出校。今生のお別れをした筈の向こう側の運営者と一か月ぶりに再会す。併し何の感動も無し。以後成るべく感情を押し殺して淡淡と授業す。
退社後は、千寿便運航再開を記念して回転寿司「大江戸」に入る。相変わらず地魚系は安くて旨いが、例によって大半が売り切れ。ただ今晩は大将が世田谷に居るというので、急いで帰る。泥酔中の大将御一行と合流。色色とお話したいこともあったが、悟性が働いているようには見えず。適当に飲んでお別れした。


4/15・水
 朝からかんかんに晴れる。午後出社。昨夜広島空港で韓国機が着陸に失敗。幸い重傷者は出なかったが、原因は突然の荒天だという。その荒天をもたらした寒気が関東にも来るというが、結局都内は何とも無かった。退社後は少しだけ飲んで帰った。


4/14・火
 アメリカとキューバの国交回復交渉が進む。それにしてもあれだけの軍事大国が、カリブ海の小国を恐れること数十年。冷戦時代なら兎も角、もう少し早くても良かった。そう考えるとアメリカという国は本当に臆病である。
 今日も一日雨。大きな外出は無し。三恵新聞のソウル支局長は漸く禁足を解除される。権力に絡まれると誠に面倒臭い。また福井の高浜原発に稼動差し止めの仮処分命令が出る。立派な裁判官が出したらしいが、裁判官の個人的な資質に期待しなければならないというのも、司法全体としては情けないと思った。


4/13・月
 朝から雨。このところ本当に天気が良くない。午後バス出社。四時から九時過ぎまで授業に精励す。退社後は中華立ち飲みに。ぼんやりしているうちに、バスに乗り遅れる。タクシー利用1720円。月曜から予算超過である。


4/12・日
 架線柱が倒れ山手線が止まっているというので、延延とバスに乗って帰宅。一人になり、緊張が緩んだのか、以後宿酔に悩む。夜まで絶食す。
 統一地方選挙だが東京都の選挙は無し。全国的にも低投票率で関心は薄い。地方議会などのかなりが無投票であるという。こうなると地方自治制度も考え物である。裁判員制度に倣って、地方議員も半分ぐらいは抽選制にしてみたら面白いだろうと思った。


4/11・土
 朝から小雨だが、再び横須賀に参ることになった。というのも仲田大将が応募した新造艦の観覧券が当たったというのである。参加者は柳さんと鶴木さん。今度は自衛隊の方だから九時半に横浜に参り横須賀線に乗る。抽選制だけに流石に待たずに入場す。
新造艦はヘリコプター専門の船で「いずも」と言う。出雲なら寝台特急の方が有名である。船として余りぱっとしない名前にしたのは、旧海軍を意識させたくなかった為であろう。併し全長248メートル、排水量19500トン。勿論自衛隊最大の艦船である。戦前なら立派な航空母艦といったところであるが、此れも「護衛艦」の一種とのこと。こうなると何を何から護衛しているのか疑問を持たれても仕方がないが、一応建前は建前として残しておくことは大事であると思った。攻撃的兵器は持たないことになっているという点も。ならば、いずもも、ヘリコプター輸送艦とでもすれば佳ろしかろう。空母の英訳は、エアクラフトキャリアーである。
 昼過ぎには見学は終了す。雨も止んだ。早速京急横須賀の方の焼き鳥「信濃屋」に入る。昼酒で顔を赤くして、魚市場のような所に参る。方方を二匹買って、佐渡屋で捌いて貰うことにした。横浜から東急づたいに戻る。佐渡屋の二階に陣取り延延と大量飲酒。柳さんの奥さんと、月波君、花蓮さんも合流。十時まで飲み続け、若手グループは更にバーIに移動。月波君を電車で帰した後、吾人たちもどういう訳だが朝まで遭難す。


4/10・金
 「青春18きっぷ」が滔滔残って仕舞った。有効期間は本日までである。幸い仕事も暇そうなので休みを取った。何処か遠くに行きたいが、生憎行きたいところがない。通過していった桜前線を追いかけたいが、今日の午後は雨だという。結局一人で墓参りに行くことにした。
通常小平霊園へは高田馬場から西武新宿線だが、今回は国分寺まで中央線で行き、西武鉄道の支線を頼って北上す。以後枯葉に埋もれた墓石を清掃す。手ぶらという訳にも往かないから、一対1800円の花を四つに分けて墓参した。というのも吾人の墓所には、先祖代々という墓とは別に、船舶工兵として戦時殉職した義雄伯父さんの墓石がある。併し二対だと3600円。此処は現役世代の財布を優先して貰った。墓が二つあると墓守も大変である。
其の後、散り残った桜を見ながらぼんやり歩く。大したことをした訳ではないが、墓参りをすると気が晴れ晴れしてくるから不思議である。こうなると昼酒が飲みたい。駅前の「満北亭」で餃子に麦酒。其のまま帰るには時間があり余っている。結局新宿線を乗り通し、終点の川越に参る。川越は恐らく十年ぶりぐらいである。新学期早早なので学校遠足組はおらず。こうなると外国人観光客の方が多い感じである。芋のお菓子などを買い込んで埼京線に早目に乗り込む。四時過ぎには帰宅する。
JRには1500円ぐらいしか乗らなかったから、元を取ったとは言い難い。まあ全体では十分取っているだろう。それに今回の切符は奈良駅の発券である。青春18きっぷは、売り上げの配分方法は公開されていない。もしも所謂売った者勝ちで、実際の乗車距離が反映も配分もされないのならば、西日本の収入にはなっても、東海や東日本には一円も入らない計算である。他社で余り沢山使われると迷惑であると思った。だから有人改札も頭を下げて通った。なまじ事情を知っていると万事行動が抑制的になって仕舞う。吾人も歳を取った証拠である。


4/9・木
 日が差した分、少し暖かくなる。午後ぼんやりと出社。少しチラシを撒いてぼんやりとしていると、高校三年生の生徒から作文を書いて欲しいと頼まれる。テーマは、現代における高等教育の必要性。作文なら吾人の得意分野である。併し今回は此れを英文で書けと言う。例によって、読むことは出来ても、書くことが出来ない吾人である。苦し紛れに無料の翻訳サイトを利用す。すると平易な言葉で、SVO、SVC、SVOCをはっきりと打ち込むと、それなりの文章になって出て来るから吃驚す。自動翻訳など、数年前までは出鱈目作文の見本市のようなものだったが、何時の間にか立派な翻訳者に成長している。此のままでは、益益人間のする仕事がなくなると思った。
 天皇、皇后は、パラオから帰国。一泊二日の日程で、大型の巡視船に泊まり込んでまで、ペリリュー島を訪問されたという。それにしても地図を広げると、北はアリューシャンから、南はガタルカナルかニューギニア、西はインパールか少し上のフーコン辺りまで、丸で慰霊地だらけである。つくづくあの戦争は出鱈目であると思った。そして出鱈目国民の末裔としてせめて出来ることは、取り返しのつかない過去の歴史を学び、せいぜい次の戦争を防ぐことに尽きると思うのであるが、総理大臣を筆頭に、そう思わない国民の方が既に多数派である。
退社後は中華立ち飲みに。其の後、「今夜は独身OLが大挙して来るから」という情報を信じて、のこのことバーIに。結果としては可もなく不可もなく。早目に帰ってカップ麺を食べた。2015年度予算が成立す。総額96兆円余り。そうなると愈愈安全保障、いや安全毀損関係法案の審議である。


4/8・水
 相変わらず評判の悪い教科書検定制度である。特に中学校社会科の教科書は、時時の政府の見解を織り込むから、此の処、益益右寄りに閉じられている。ただ中学校の先生も、教科書だけで授業することもないだろうから、教科書一つで以て生徒の頭の中身まで右に寄らせるということもないだろう。問題は時代の雰囲気である。検定制度など止めて仕舞えという声も依然として大きい。しかし此の時代、教科書検定という縛りを外すと、もっととんでもない教科書や先生が出て来そうで、却ってそちらの方が心配である。時代は、もうそういうところまで来ていると感ずる。
それにしても、歴史を教え、孫子の代まで教訓を伝えて行くというのは、悉く難しいことであると思う。それだけ、人間の記憶寿命は短く、歴史的想像力の届く範囲は限られている。人間とはつくづく取扱注意の欠陥製品である。
 日中の大半は雨。而も強烈な寒気が入り、四月だというのに二月の気候。雪でも降りそうな感じである。午後出社。時間割もだいぶ落ち着いた。退社後は立ち飲みBへ行くのみ。此の処、飲み仲間が掴まらない。早目に帰宅す。


4/7・火
 本会議を欠席して遊んでいたという野党議員が厳しく追及されている。まあ衆議院だけで五百人近くも居れば、そういう資質に欠けた人物が出て来ることもあるだろう。追及しなければならない人物は他に沢山いる。例えば、自衛隊は長年「実力組織」といったが、此れを堂堂と「わが軍」と言い放った総理大臣の方は、どうするのだろう。事の軽重を取り違えるのは、マスコミの得意分野であると思った。
 一日冷たい霧雨が降ったり止んだり。通常授業に戻ったので火曜不出社。一日漫然とす。


4/6・月
 一部の男子生徒が夢中になっていたので、吾人も「艦隊これくしょん」というものを知ることになった。此れは昔からよくある戦場ゲームの一種である。ただ大きく異なるのは、日本海軍の様様な艦船が、戦艦から駆逐艦まで、悉く女の子に擬人化されており、従来の戦場シミュレーションものにないファン層を獲得した点にある。(なお闘っている相手は正体不明の妖怪のような艦隊で、またゲームの胴元は何せアダルトビデオの配信会社だから、味方艦が被弾すると服がびりびりと破れるのはご愛嬌である。)
吾人もゲームからスピンオフしたアニメーションの方は少し見た。なまじ戦史を少し知っている分、史実をところどころにちりばめてある其の内容に、思わず良く作ってあるなと感心した手合いである。軍艦や戦闘機というものは、昔も今も男の子の関心を良く引く分野であると思った。
ただ、海戦史や空戦史というものに多少親しんだ人は居ても、陸軍の戦史に詳しい人は余り居ないであろう。予算も人員も政治力も、海軍のそれを遥かに凌駕していたにもかかわらず、である。陸軍の戦史を紐解けば、必然的に大陸での数数の残虐行為や、太平洋の島島での悲惨な全滅戦に行き着く。時代遅れの大艦巨砲主義どころでない失敗と蛮行の数数を目の当たりにすることになる。だから「連隊や師団コレクション」というものを作っても、ヒットすることは無いだろう。いや、数数の師団連隊史の上に、南京やノモンハンシンガポール硫黄島や沖縄があるのだから、本当はもっと勉強せねばならないのだろうけど。
沖縄県知事官房長官が漸く会談。当然ことながら平行線。つい最近、辺野古移転を中止させようとした総理大臣がいたのだが、日本中から間抜け呼ばわりされて、あっという間に引きづり下ろされた。引きづり下ろしたのは、自民党であり、外務省であり、マスコミであり、殆どの日本国民である。
一日暖かい。午後早く出社。今日から新年度時間割のための混乱多し。学校ではクラス替えもあってか、生徒も興奮気味である。無責任社長は千寿に出校。吾人一人で対応す。退社後は立ち飲みBへ。少し話し足りなかったのでバーIへ。両方で四千円も掛った。


4/5・日
 結局一日雨模様。何もすることが無いので、伯母の介護施設に久久に参る。雨なので往復バス利用。95になった伯母であるが、最近は食が益益細くなって仕舞い、昼食には殆ど手を付けなかった。運動量の落ちた高齢者にとって、一日三食というのはそもそもが過剰かもしれない。ただ口から物が入らなくなったら、其れは生き物としては最終局面である。御粥を匙で伯母の口に運びながら、成るべく食べるよう、叱咤激励して帰った。
それにしても久久の千歳船橋である。街を色色と検分して、東京農大脇の桜の並木を見、何処かで何かを食べて帰りたかったが、生憎お腹の具合が悪いので大急ぎで帰宅す。バスから降りて這う這うの体で、拙宅の便座に緊急着陸す。暴飲暴食が元で、週に二回はお腹に自信がない。この件に関してだけは吾人も首相には同情的である。それも一期目のことである。
尤も一旦して仕舞えばどうということは無し。再び外出して「野郎ラーメン」という店でこってりラーメンを食う。730円。可成り値上がりしたと思った。午後は今年初めての草取りに取り掛かる。


4/4・土
 午前中は小雨。午後も曇り。今年は本当に花見のチャンスがなかった。大きな外出は無し。
昨日の夕方、青函トンネルを走行中の「特急スーパー白鳥」から煙が上がる。乗客は海底駅から地上に延延と避難したとのこと。幸い大事には至らなかったが、緊急避難路の使用は青函トンネル初の事態であろう。スーパー白鳥は車齢十年ちょっとだから、北海道の中ではまだ新鋭に属する部類である。古い車両も新しい車両も平等に火煙を出し、線路も方方傷だらけだというからJR北海道の整備が相当宜しくないのだと思った。
大貧学院に限らず、それにしても御金が無い会社というものはつくづく可哀想である。線路でいえば、山手線か京浜東北線総武緩行線、駅でいえば品川か渋谷か新宿のどれか一つぐらい、気前よく譲渡すべきであると思った。其れが難しいのなら、横浜線南武線武蔵野線あたりでもいい。そもそも、あんな分割の仕方自体、無理があるのだから。


4/3・金
 カリフォルニア辺りは例年以上に雪が少なく、春だというのに異例の水不足であるという。尤も此れで乾燥帯でコメを作るなどいう理不尽も収まるだろう。食べもしないコメを売り付けられることもなくなる。誠に結構なことである。地面にはつくづくその土地土地に合ったものを植えるべきであると思った。
今度はケニアの大学が襲われて死者百人以上だという。学校も病院も博物館も見境いが無い。恐ろしいことが起き続けているのだが、此方の感覚も麻痺して来ている。
 午後出社。今日で春の講習も御仕舞。併しもう桜も半分である。八時に退社して久久に金曜会に参加。鶴木さんに柳さん夫妻と居酒屋Aに行き、横須賀の反省会を行う。


4/2・木
 昨日から新年度だが、例によって、円安と世界的原材料価格の高騰に因り様様な品物の値段が上がる以外の変化は無し。そんな中でも、日銀の総裁は未だに2%の物価上昇を唱えているという。御客さんが増えて無理な値下げしなくて済んだとか、従業員にもう少し真面な給料を払いたいので値上げをしますというのなら、それは良い物価上昇である。そういう局面もないことは無いが、残念ながら多くは無いだろう。従って現時点で物価上昇を願うということは、明らかに国民生活が毀損するような悪い物価上昇を願うことである。総裁も総理同様、今一度頭の中身を調べて貰った方がいいと思った。
 午後出社。何というか、態度の悪い生徒を怒鳴り散らす程度には体力が回復して来る。幾ら言っても連立方程式をやらない女生徒を、我儘な生徒は授業料を三倍に増やすぞと叱り飛ばした。いや逆に、怒りが体力を回復させるという側面もあるかもしれない。
退社後は佐渡屋に参る。一流建築士の須々木さんに、このところの顛末を聞いて貰って帰った。


4/1・水
 天屋薬が効いたようで、咳はどうにか治まる。併し未明は度度目を覚まし、その都度まだ二時か、たったの三時かなどと思ったが、朝方からは目覚める間隔も伸びて来て、もう六時か、いよいよ九時かという感じとなる。結局昼前まで寝ていても寝足りない感じ。長時間寝られるということは、体も徐徐に回復してきたのだろう。何しろ、「なまけるには体力が必要である」というのは、吾人の尊敬する百鬼園先生の至言である。
 午後出社。寒気が入り夜から雨。もう雨はこりごりである。今晩も一滴も飲まずに帰宅す。拙宅目前のKというコンビニに寄る。弁当惣菜の類は悉く売り切れている。やむを得ず、芋焼酎の瓶と、揚げ立てだという春巻きを買って帰る。よくよく見るとそれを揚げたのは14時であると書いてあった。無論、旨い筈がないが、嗅覚が回復していないので、どのみち何を食べても同じ事だろうと思った。
ところで吾人はコンビニというものを成るべく使わないことにしているが、独走しているのはSであるという。他社も慌てて色色と真似をしているようだが、どうにも追い付かないようである。