5/31・水
朝から大変に蒸し暑い。午後出社。退社後はNさんとS君と新しく出来た居酒屋に入店。立ち退き地域から移転して来た店である。店主はいい人そうだが、少し紫煙が濃いな。何しろ店主もその娘さんも、娘さんの旦那さんもぷかぷかぷかぷかやっているから。更に佐渡屋に行くと、本日が最終日と云う事で、もの凄い人の出。振る舞いの麦酒を一杯だけ頂いて帰った。此方の店も移転の目途は何とか立ちそうとのこと。こうして長い五月も終了す。
5/30・火
昨日、此れまたAのオトモダチのYという人物に酷い目に遭わされたという女性が記者会見す。被害を訴え、捜査が進み、所轄警察署の捜査員が執行しようとした逮捕状が、警視庁幹部の指示で握り潰されたらしい。結局書類送検になったのだという(而も不起訴に)。いやしかし、こんな典型的なテレビドラマのような展開が今時あるのだね。ますます呆れる。それに何某スシローの他にも提灯持ちがこんなに沢山いるのだから、ますますますます呆れる。
終日暑い。概ね蟄居。夕方になり、家人が病を押して買い物に行くというので介添えす。併し平均分速五十メートル程度では、イオン系の駄目スーパー以上には辿り着けず。併し駄目な店の中を何遍回っても、養殖ぶりの切り身や一丁百円の機械化豆腐程度の物しか置いておらず。此の時間があるのなら、吾人は急行自転車に乗り、もう少し遠くの、もう少し真面なスーパーまで買いに行けるのにと憤懣たる思いで付き添った。つくづく老人介護に必要なのは忍耐である。あと鈍感な味覚も。
5/29・月
斜め向かいのマンションから住民が次次と引っ越している。何しろ借景としていた庭が無くなり、まるで巨大な鏡が置かれたかのように同じような建物が建つからね。あれじゃあ資産価値も下がるな。当然賃料も。またTVKのニュースによると、昨日の京急祭りの参加者は二万四千人で、過去最高だったそうである。どうりで混んでいる訳である。
午前中は漫然とす。胃の調子は良くなったが、今度は腹具合がよくない。昼間に伯母と叔父が来たが対応できず。今日も非常に暑い。部屋に閉じ籠り、扇風機を点けていると、空気が攪拌されて埃の束が降って来る。するとくしゃみ止まらず。抗ヒスタミンを飲み、掃除機を掛けた。
極めて残念なことに五月は月曜日が五回もある。夕方千寿に向かう。直ぐに帰る。朝は冷凍うどん。昼は大手弁当チェーンが適当に作った食堂で「タルタルさくさくチキン南蛮定食」(値段の割に量が少ない)。夕方に小諸蕎麦。帰宅後にコンビニのパスタ。ほぼ無酒。
5/28・日
久久に金曜会の鉄道企画と云う事で、京浜急行鉄道祭りに行くことになった。朝の九時に横浜駅に集合。参加者は鶴木さん、柳さん、須々木さん。まず久里浜に向かうのだが、一般の行楽客と鉄道客が合流し、二扉の快速特急は怖ろしいほどの混雑となる。子どもたちは座席で燥いでいる一方、法事か何かに向かう九十近い婆さんがずっと立ちんぼ状態だったのは如何にも気の毒であった。それにしても18メートル車が八両で一時間に六本が横浜以南の基本輸送力である(他にも各駅停車等があるが短編成の上、短距離しか行かない)。東武や小田急に比べると大分少ないな。快特は速いことは早いのだが、常時混んでいるという印象がある。久里浜に着くと此れまた凄い数の人が滞留している。無料の送迎バスに待って乗り、京急の整備工場に向かう。
朝は曇って涼しかったが、気温上昇と共に雲が消え、かんかん照りに。以後目も眩むほどの紫外線が降り注ぐ。一応会場を一回りしたが、こりゃあたまらんと再びバスに乗り、適当な寿司屋に暫し避難。気を取り直し、ペリー上陸公園なんかも見学したが、暑くて暑くてそれどころでは無し。
川崎まで戻り、焼き鳥チェーン店に入る。併し暑さと昼酒と人波に当たり、胃が停止状態。敢え無く途中退席となる。先週と同じパターンだが、違う点は今日は吾人が一番若いところ。併しおじさんたちは元気だな(その後、大井町の立ち飲みBにも行ったそうである)。両家人用に崎陽軒で弁当を購入。歩く元気がないので祐天寺まで回り、バスで運んで貰った。結局這う這うの体で帰宅。六時半。直ぐに水分と胃薬を集中投入。もう秋になるまで外出は控えようと思った。
5/27・土
朝から晴れた。腰痛についてネットで調べて欲しいと家人に懇願される。併し一一読み上げたり、プリントアウトしたりするのはつくづく面倒である。高齢者には本が一番である。併し地元の本屋は既に全滅。二キロほど離れた別の駅前商店街まで買いに出掛けた。二冊ほど買い与える。以後熱心に体操などをしていたが、概ね洗濯以外の家事は不能。結局稼働不能の高齢者が二名。買い物等の家事支援に回る。
5/26・金
昨夕、件の前次官が記者会見して、文書は全て本物だと述べていた。行政が歪められたとも。此の次官は天下り問題の責任を取る形で、辞めさせられた人である。確か今年の通常国会、当初は天下り問題で明け暮れていたと記憶している。官邸から槍玉に挙げられたことに対しても、相当怒っているのだろう。併し長年の慣行が突如問題になること自体、今から思うと少し不自然であった。実は文科省と官邸は相当対立していたのだろうと勘ぐる。そうなると、関連文書は綺麗さっぱり破棄しましたと宣い、官邸に唯唯諾諾になっている財務省の方が却って不思議に見える。増税計画を反故にされ、怒り心頭に発している筈と言うのが、大方の見方であるが。
朝から雨。一時は結構降った。御昼には止む。以後曇り。家に居るとくしゃみが止まらないので、午後早目に出社。少し違う空気に触れようと、チラシを配って歩いた。早目の退社後は、「安安」で鶴木さんらと会う。久久に柳さん夫妻も来た。
5/25・木
北千住の次の駅にある施設でD氏が死去。此の人の起こした事件を爆弾テロだと断じる人は正確性を欠いている。そういう間違った事を言う人は、まず松下竜一の『狼煙を見よ』を読むべきである。
前の事務次官がA新聞や週刊誌に出て来て、獣医学部新設に関する官邸のゴリ押しを証言。何せ大学だから、森より金額が一ケタ多い。Aも愈愈追い詰められるな。ところで此の次官さんは、新宿のへんな店に出入りしていたと、先日Y新聞に書かれたそうである。と言っても法に触れるようなことではなし。証言を無力化させようという、官邸からの差し金だな。つくづく酷い政権である。Aの広報紙と化したY新聞も。
朝方は小雨。以後は曇り。さてさて飲んでばかりではいけない。偶には文教費も増やさなくてはならないと思い、渋谷へ参る。もうなくなって仕舞った東急プラザの裏の「博多天神」でラーメンを食べた後に、東急本店の大型書店に。流石に渋谷最大級。芥田先生の新著も三冊並べてあった。
併し本と言うのは結局買って仕舞うな。吾人にとっての本とは、様様な事物を教えてくれる教科書であり、分からなくなった時に直ぐに調べる辞書でもあり、傍線を付けたならばノートにもなりうる。だからついつい手元に置いておきたくなる。『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』『大航海時代の日本人奴隷』『村に火をつけ、白痴になれ』『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』を購入。どれも二千円以下の本だが。まあそれ以上の金額の本は気長に古本屋で探すことにしている。もう少し色色と見たかったが、本屋に着いた頃から腹具合が悪くなる。結局急いで引き返し、拙宅の便座に緊急着陸。晩のおかずも買って帰れなかった。
5/24・水
例によって家人の腰痛は改善せず。痛みで死んだ人は居ないと吾人が言うと、もっと難しい病気を勝手に疑っているらしい。明言は避けるが、少なくとも漢字や横文字で十字程度のものである。併しよくもそんなことが心配できると呆れる。想像力の無駄いである。此れだから付き合い切れない。本当に神霊手術を受けさすか。
多少曇ったが、今日も暑い。具合が悪いのは概ね此の陽気のせいである。午後出社。今年大学に入ったK君が来ていて、もう大学を辞めたいと宣う。まあ入りたくて入った学校と言う訳ではないから、そもそもの動機が足りないな。ならばまず形から入れと激励す。退社後は中華立ち飲みに。すると先日会ったNさんから佐渡屋に居ると連絡がある。急遽転進す。何となくいい雰囲気。今年は何かあるかもしれない。
5/23・火
朝からずっと晴れ。家人は整形外科に行く。レントゲンを撮り、骨の曲がり方を解析し、対策としてストレッチ体操の方法を指南されたそうである。併し此の腰痛というものも近代医学では治らないものの代表選手である。
いっそ東南アジア辺りで神霊手術でも受けさすかと思った。超能力者の指先一つで、どす黒い患部を摘出。以後ピンピンとする筈である。併し此の超民間療法も、吾人が小学生の時分までは、盛んに取り上げられていたものだが、最近は全く聞かない。それにしても、あの頃のテレビは実に楽しかった。大きくなったら川口浩氏の探検隊に馳せ参じたいと本気で思ったものである。(いや、本当の話しである。)
北の皇帝はミサイル実験に成功し、破顔一笑、いやもっとだな、満面の笑みである。以後続続と実戦配備するのだという。いやしかし、あの顔は子どもの笑いである。真面な大人はどんなに酔っていてもあんなには笑えない。詰まり幼児性が抜けていないのだろう。世界中の困った顔と対比させたいと思った。困り顔のコンテストがあるのならば、吾人は直ちに立候補する積りである。朝夕の草取り以外無為。夕方は風が出て来て結構涼しい。今度はイギリスで爆弾テロ。
5/22・月
М日新聞が天皇の御意向をスクープしたそうだが、どうにも感心しない。何処から漏れたのかは分からないが、こういう形で報道合戦が進むと、結局何時の間にか天皇陛下の御威光に反した反しないという糾弾合戦に発展する。つまり戦前の二の舞である。せめて小さい囲み記事程度にしておくべきであると思った。併し今上天皇は、概ね右派とされる人人から見ると、必ずしも評判は芳しくないようである。謂わば支持層が逆転している格好である。其れ自体は結構なことではあるけれども、将来其の反対の事態が起こらないとも限らない。つくづく天皇制と言うものは取り扱い注意である。
引き続いて暑い。外猫もぐったり気味。裏の三和土で伸びていたので、少し毛を梳いてやる。一方の家人は眩暈と腰痛で稼働不能。結局今日も買い物当番である。夕方千寿に出校。途中散髪す。暑さのせいか生徒も大して来ないので少し早目に退社。「大江戸」で軽く摘まんで帰った。
5/21・日
朝から周辺のゴミ片づけ。コンビニで買ったような物がそのまま散乱している。酔っ払いが投げて行った模様。所謂サタデーナイトフィーバーである。おにぎりが三つと缶コーヒーとペットボトルの紅茶。脱いだと思われるシャツとスポーツクラブのスケジュール表。クリームサンドのような物だけは烏に荒らされていた。
さてさて偶には変わったことをしようと思い、神宮球場へ参る。学生野球を観戦することにした。併しこうして六大学野球を見るのも初めてである。十時半開始の第一試合だから、モーニングゲームという感じ。当然モーニングビールである。而も今日は陽がかんかん照り。屋根付きの二階席に入って良かった。謂わばグリーン席である。
月波君に加え、客野間君も遅れて参集。彼は現代政治に詳しいから、暫し政局談義となった。以下総括。民進党は誰が党首をやっても支持が集まらない。となると、自民党内の派閥の交代、詰まり疑似政権交代に期待するしかないが、余程の経済危機でも来ない限り、A政権の支持率は高いまま。おまけに小選挙区制だから、党内で楯突く者もおらず。結局Aの春はまだまだ続くという、身も蓋もない結論しか得られず。それにしても一度の本番で懲りて疑似すら出来なくなるとは、日本国民は本当に意気地がないという話しになった(以上は下ネタ風総括)。
ところで肝心の試合の方はと言うと、四対零でオレンジ大学の勝利。と言っても相手は日本で一番難しい大学だからね。其の後は、安い店を求めて彷徨す。名だたる大企業の本社ビル群を越え、青山の「直久」へ。炒飯をつまみに、麦酒と日本酒を牛飲。更に「ライオン」にも行ったが、流石に幾らも飲めず。暑さとアルコールにやられて意識混濁す。四時には退席す。
其のまま地下鉄に移るも、最早寝台車が必要な様相である。併し両家人用に晩のおかずを買わねばならないので、途中下車。相変わらず常に工事中の渋谷駅である。依然として何処か何処だか分からないまま、這う這うの体で弁当を二つ買って帰った。シャワー入浴後、六時から十時まで長大夕寝。やはり自室に勝るものは無し。此方は特等個室寝台である。
5/20・土
勤めている会社がブラック企業ならば、辞めればいいじゃないなどと身も蓋も無いことを述べる人が居るが、そういう人は物事の本質を捉えていない。生活だとか収入だとか、経済的な心配もあるだろうが、それよりも、自分の勤め先がブラック企業であること、そして何よりも自分は就職活動に失敗して、ブラック企業にしか勤められなかったことを認めるのは、相当勇気のあることなのだと思う。そして余りに過酷な勤務は、人人からそういう自信や踏ん切りのような物を余計に奪って仕舞う。だから辛くてもますます辞められないのである。
朝から牛丼Sへ。一日暑く、一日無為。夜になり、何となく『JR時刻表(三月号)』を捲っていたら、巻頭のさくいん地図から高速道路が消えていることに気が付く。張り巡らされた赤の二重線が無くなり、何だか随分とすっきりとしている。確か昨年まではあった筈だが。どんどんと延長されるので、書き足すのが面倒になったと見える。でも却って交通体系が分からなくなる。高速バスも貴重な足には違いない。それに今となってはバスでしか行けないような所もあるし。
5/19・金
併し此のまま次次に嫁がれて仕舞っては皇族の方方も足りなくなるな。将来的には人手不足となり、宮中祭祀と憲法に定められた国事行為を行うだけで手一杯となるかもしれない。まあ其れはそれで結構なことだろう。象徴としての務めと言うのは曖昧模糊としているから、やれなければやらないで済むことである。今上天皇は大変な人格者だが、将来右寄りな天皇が出て来られて、慰霊の旅と称して靖国神社や護国神社でも回られたら、始末に負えないという一部識者の危惧も杞憂となる。従って、女性宮家の設立など面倒なことも考えるべきではない。
一日晴れ。午後出社。金参万円受け取る。金曜は低学年の授業ばかりで閉口す。高学年の授業がないので早目の退社。月波君が来たる。佐渡屋、中華立ち飲み、立ち飲みBと連戦。鶴木さんや鰻犬先生などと合流するうち、結構な大所帯となる。Bでは新メニューだという鍋焼きうどんをついうっかり三つも頼んで辟易とす。併しもうじき夏だというので、なぜ熱い物が出て来るのだろう。
5/18・木
ト大統領には次次と問題が発覚して、最早機能停止状態。もう持たないかもしれない。早いところ、平壌に乗り込んで欲しいものである。でも北は意地でも核開発は止めないとの見方も多い。すると逆転ホームランも打てないか。となると、北朝鮮を世界に冠たる一等国と見なし、国際社会に強制参加させるくらいしか、もう方法は無いのかもしれない。
家人は痛みを堪えて鎌倉の伯母の家兼治療院へ。老家人に昼のうどんを食べさせた後、吾人は近所の店で麻婆飯。四川風とのことで想定以上に辛い。汗と涙が噴き出す。すると午後はかなりの雷雨となる。早速、樋の様子を見に行く。少少の大雨なら大丈夫だが、辺りが白く煙るほどの豪雨となると、やはり溢れて仕舞う。越水した時間は数分程度。一本の縦樋に集中するのであろう。また対策を考えなくては。
5/17・水
A新聞によると愈愈二穴目、いや二杯目か、つまり森に続いて加計の方が露わになって来た。首相Aの関与を示す文書が文部省から出て来たのだという。世の中は皇室報道で浮かれているようだけど。ひょっとしたら、前者を薄めるために、後者を出したのかもしれない。
ただ吾人としては、あんまりそういう陰謀めいた考え方は採用しないことにしている。なぜならどんな権力者であっても、世の中の細部まで把握することは困難であるからだ。予期せぬ事故や故障や自然災害や、思いもよらない誤解や勘違いに基づく意思の行き違い等等が発生して、当事者たちの意図せざる方向に事態が進むということは多多ある。陰謀も予定の一部だから、計画経済同様、大した成功を収めないものである。でも此の件に関しては、余りにタイミングが絶妙であると言わざるを得ない。退位の時もそうだったが、皇室報道に関してはNHKが独走している。此の辺も少少怪しいと思った。
一日晴れ。午後出社。昼は昨日魚屋で買った蒲焼で巨大うな丼を食べた。当然上物ではなく、下の御飯を大増量したので、夜半まで腹は減らず。退社後は中華立ち飲みへ。S君とも会い、情報交換と情報共有を図る。作戦遂行の上ではくれぐれも勘違いや齟齬の無いように努めねばならない。帰り掛けに立ち飲みBとF蕎麦。
5/16・火
昨夜の事故は痴漢と疑われた人が逃げて線路に入り、電車に撥ねられたのだという。何というか、どういうか、要するに電車が混み過ぎていることに問題があるのである。詰まり、東京に人が集まり過ぎているのである。それにしても千寿も遠いが、青葉台も遠い。青葉台から千寿に毎日通うとなると気が遠くなるな。つくづく通勤など無駄な時間である。其れにそもそも満員電車ほど此の世に不快なものがあるだろうか。
一日まあまあ晴れた。朝方は昨夜BSでやっていた映画『まあだだよ』を再見。初めて見たのは二十歳前後の頃だった筈である。あれから大変な歳月が過ぎ、また百輭先生の作品に触れることもあったから、随分と印象が違って見えるものである。例えば、学生諸君のやや大袈裟な演技。当時は何だかわざとらしいと思ったものだが、吾人も芥田先生の前に立つとあんな感じになるな。師弟との間には、どうしても社会的な儀礼が入り込むものである。そういうことが分かる年齢になった手前、決して退屈な映画ではないと思った。(なお芥田先生には「方法としての忘却」という珠玉の百輭論がある。『戦後精神の光芒』参照)
其の後は、信託銀行から還って来た相続関係書類を普通銀行の貸金庫に入れに行く。次に此の金庫を開けるのは何時だろう。それは、詰まり、・・・・ということである。クーポン券を使い五百円に割り引かれたラーメンを食べた後はずっと草木刈り。また家人の腰痛益益ひどく、買い物一切不能。冷蔵庫内はまるでソ連末期の食料品店のよう。弁当屋、スーパー、魚屋、唐揚げ屋を回り、中身をかき集めた。
5/15・月
概ね曇り。夕方千寿に出校。何もいいことの無い一日だが、二週連続でとんかつを食べる気もしない。久久に「福しん」へ参る。炒飯と麦酒。此処の炒飯は安定して旨い。併し最近の此の日記も食べ物の記述ばかりだと思った。
駅へ戻ると東急の青葉台駅で人身事故の模様。既に運転は再開されているというので半蔵門線直通に乗る。トンネルに入ると例によってグダグダ運転。一進一退、いや後退することは無いから、一進一停の繰り返しといったところ。結局三十分は余計に掛った。併し動きの良くない電車に乗っているというのも辛いものである。帰宅後は大至急風呂に入りたかったが、生憎家人が絶賛入浴中。而も今しがた入ったばかりだという。結局抑止三十分。風呂にも輸送指令が必要だと思った。吾人は大抵急行入浴、詰まり烏の行水である。
5/14・日
朝から曇天。区のフードドライブに米を搬送す。一月に家電量販店から貰ったものだが、貰った時点で既に古米であった。何とか無駄にならずに佳かった。更に猫餌と両家人の弁当購入と、午前中から走り回る。昼はうどんチェーン店に参る。掛けうどんに竹輪天を付けたが、稲荷ずし等のサイドメニューが一つもない。何だか食べ足りないので総菜パンを買う。午後はずっと草取り。するともう蚊がいる。増やさない為にも風通しを良くしなければならないとますます思った。
夕方になり月波君が来るというので、地元の駅で出迎える。以後適当な焼き鳥屋に入るも、月波君は何だか体調が不良そう。一時間半ほど飲んで敢え無くお開きとする。それにしてもまだ明るい時分である。すっかり上がる筈の梯子が無くなった。
そこで持ち帰りのK鮨を買って帰ったが、ネタも舎利も元元は悪くはないのだろうが、両者とも既にカチンコチンで満足に食べられず。C鮨に比べて冷蔵温度が低すぎるのであろう。結局何貫かはコンポスト行きとなった。外食も中食も頗る難しい。例によって頓珍漢な一日であった。
5/13・土
未明から雨降り。夕方まで降り続いた。雨樋は何とか良さそう。一切の外出は無し。冷凍食品と加工食品と買い置き食品で昼夕の二食。極めて無為。
5/12・金
今日も暑いが、少し草木刈り。今年は一回三十分、週四回はやらなくてはならないと目標を立てる。昼は初冷や素麺。午睡の後、出社。金曜はチラシ配りの日である。兎に角、体を使わなくてはね。少し早目の退社の後は、鶴木さんと佐渡屋へ。此処も立ち退き間近かだが、移転先は未定とのこと。再開発とは多くの人の生業を奪う事である。更に立ち中華へ。久久に天屋先生とも会う。暫し健康相談に乗って貰った。
5/11・木
朝からかんかん照り。М家で朝定食。朝から盛り盛りと食べたが、暑くて草取りは不能。また家人は眩暈に腰痛で苦しんでいたが、とうとう風邪を引く。従って吾人が買い物当番。隣町に出来た何とか石井と言う高級スーパーへ参る。確かに色色と美味そうなものが並んでいて、御金が足りなくなりそうであった。買いたいものが何もない近所のスーパーとは随分違うと思った。暗くなって、いざ食べてみると、旨いことは旨いが、二倍も旨いわけではない。何処かの餃子ではないが、精精三割程度。二倍の御金を出しても二倍も旨くならないのが、食べ物の世界である。
5/10・水
韓国の大統領選挙も終わる。前任者の罷免から選挙戦へ。よく盛り上がると感心するような、呆れるような。少しは見習いたいな。A首相のY新聞拡張発言にも反発少なし。韓国もフランスも民衆運動が政権を動かし、時に退陣に追い込んできたという歴史と伝統があるという。翻って・・・。
未明からの雨は昼までしつこく残る。午後久久に本務校に出社。此の処の過眠と過食で頭もぼんやりす。金弐万円受け取る。退社後は立ち飲みBと中華立ち飲みを連戦。同年輩の飲み仲間であるS君とも久久に会う。二人で話していると知り合いという女性もやって来る。やはり、人には添うて見なくてはね。十二時頃帰宅。
5/9・火
朝から診療所に。先月の血液検査の結果も何ら異常無し。益益頗る健康である。血圧の高さを重ねて指摘されるが、例によって逃げて帰る。
午後は発掘された防災食品の分別廃棄。昔ながらの乾パンや今時のアルファ化米など。少なくとも有効期限を数年は過ぎている。勿体ないけど仕方がない。渋渋口に運ぶような事態が来なかったことに取り敢えず感謝すべきである。それにしても家人は次から次へと買って来る。都市型社会は便利な反面、何かあったら始末に負えない。何しろ戦中派だから、そういう事態への恐れのような物があるのだろう。まあ、吾人とて同感であるがね。猫の毛が抜けるのか、雑草から花粉が出るのか、此の処アレルギー酷し。
5/8・月
昨日以上の晴れ。フランス大統領選挙決選投票。極右政治家対グローバルエリートの闘いとなり、後者の勝利。併し関心は薄そう。まあ、政治や政治家に過剰に期待してもね。フランス人も随分大人しくなったな。
何も面白いことの無いまま大型連休は終了す。午後中目黒経由で千寿に出校。何も面白いことにない日は「かつや」でロースカツ定食。前にも書いたが、揚げたてのとんかつというものは取り敢えずは旨い。自動で付いてくる豚汁も具沢山でよい。其の上安い。缶ビールを付けても千円と少し。そういえば、『気が付けばチェーン店でばかりでメシを食っている』なんて本もあったっけ。ところで店内には「恋するフォーチュンクッキー」のメロディーが流れる。併し仕事終わりの男の御客ばかりで恋占いも無いよな、などと思った。まあF蕎麦のように演歌を流されるよりいいか。
5/7・日
一日晴れ。草取り程度の用の他は大体無為。先月芥田先生に出した礼状は、「早早」で締めくくったのだが、早早は正しくは草々なのだと今頃になって気が付く。此れだから慣れないことをするものではない。てっきり早早に失礼しますと云う事だと思っていた。併し、草々ってどういう意味だ?
5/6・土
昨日は子どもの日と云う事もあり、子どもと教育を巡る記事が多かった。中でも気になったのは、「国際的に見て、日本の教育制度は優れている」と宣う人が居たこと。「公立校できちんと学習すれば学力はつきます」とも。そりゃあまあ学力は付くだろうが、満足度は低いだろうな(特に中学校)。其の証拠に、子どもの自己肯定感は先進国でも低い方である。国際テストではまあまあの成績が出ているらしいが(其れも何割かは学習塾の御蔭)、人格的には上手く育てられていない。そういう数値化されない部分こそ、教育に於いてはより重要なのである。まあ結局は先生が少ない、つまり予算の問題なのであろう。
朝から草取り。昼は「王将」で餃子と炒飯(無酒)。ピーク時の焼き餃子は見込み生産制らしく、直ぐに出て来て助かった。こういう色色頼める中華屋さんで最も恐れなければならないこと、其れは即ち、真っ先に食べたい餃子が一番最後に出て来ることである(デザート餃子状態)。過去には餃子の順番を巡って事件も起きたというから、此の問題は切実である(通称、明石ラーメン餃子前後事件)。
午後は初夏以上の気候となる。野球中継でも見ようと思ったが、中日は余りに不甲斐なく、とうとう六連敗。御蔭で午睡と草取りの時間が作れた。もう間もなく吾人の人生から野球というものが消えてなくなる予定である。家人の要請により、夜はスーパーの総菜を並べた。胃の調子が悪いせいか、何一つ及第せず。概ね三分の一が廃棄となる。そう言えば、昼の餃子も炒飯も今二つの味であった。
5/5・金
宿酔は無く、朝からS家で牛丼ミニと豚汁。結構飲んでも大丈夫なのは、アルコールが良かった為だろうと思った。昨夜は赤霧島の一升瓶を空けた。
終日晴れ。近所の店にお茶の葉を買いに行く。序に和菓子屋にも。柏餅一個200円。随分値上がりしたと思った。スーパーなどに並んだ自動化された商品ならば半額以下であろう。でもこういう季節物のお菓子はね・・・。商人道というものがあるなら、御客の道というものもある筈である。道を外れるのはくれぐれも宜しくない。夜はノンアルコールビール二缶。完全休肝。
5/4・木
昨日以上の晴れ。宿酔は無し。午前中は草取りを少し。F蕎麦で早昼。其の後、同じ世田谷の坪上君の家へ。妻子がいないというので所謂、宅飲み会。鷺乃間君と月波君も同席。三時ぐらいから延延と飲み始めた。件の『法学志林』も議論の対象となった。松圭先生は数百年あるいは千年と言う時間軸で都市型社会への移行を考えていた。其処に若干の退行や反動や行き違い等等があったとしても、此の流れは変えようがなく、だから少少細かいところを突っ込んでも、余り意味のある議論とは言えないとの結論に至る。
途中例によって「吉田屋」へ。おじいさんたちとも暫し語った。三兄弟でやられているとのだという。男三人、仲がいいとは褒められるが、何十年もやっていると、色色と大変なこともあるというお話になった。更にもう一軒、古いラーメン屋に入る。名を「どさんこ大将」。味噌ラーメン500円。昭和後期の札幌味噌ラーメンブームを思い出させる店内は、当時で時が止まったかのよう。熊の彫り物も油と埃まみれ。同じ世田谷でも吾人の方とは大分違う。一世代前の世田谷が残っていて感心した。十二時頃、ふらふらになって帰宅。
5/3・水
一日晴れ。折角なので何処かに出掛けなくてはならないと思った。最近行って無かった立川のストラスブールに行くことにした。大学が同窓の町山さんの店である。前回の訪問が2014年末だから、随分と不義理をして申し訳ない。
まだ早いので、あちこちの本屋に寄り、高幡不動尊にお参りもす。併し目測を誤り、開店時刻(19時半)の大分手前に着いて仕舞う。止むを得ず駅前の「玉河」でひとり酒。開いた頃を見計らって漸く入店。併し贔屓のサッカーチームが勝利したとかで、ファンが押し寄せ店内は直ぐに満杯に。二年半で積もった話もしたかったが、そういう状況にはならなかった。店が繁盛しているのは結構なことだが、どうにも間が悪い。まあ細君も看板犬も元気そうで何よりである。近くの再訪を約束して店を出た。
駅に戻ると特急が来るというので、贅沢して乗ることとす。「36号」と言うから、吾人も利用する最終あずさである。此れに乗るには伊那を19時に出て、岡谷に20時過ぎに居なくてはならないが、都心の繁華街だとまだまだ宵の口といった感じ。地方と東京では時間軸が違うからね。予め510円の特急券は買って入った。こういう時は検札が待ち遠しい。三鷹を過ぎた頃に漸くやって来たので、ほっとした。「安心して下さい。買ってますから」と言うと、若い車掌は少し笑ってくれた。
5/2・火
昨日の雷で猫も寝不足と見え、誰も起こしに来ず。御蔭様で朝まで直通睡眠。終日快晴。さてさて本日から六連休である。普段から大して予定もない生活だが、今年は伊那にも行かないので尚一層予定がない。
近所に本屋が無くなり悩んでいたところ、隣町には立派な大学があることを思い出した。大学ならば本屋があるだろう。究極の一手を思い付いたと我ながら感心しつつ自転車を走らせる。堂堂キャンパス内に入ると、案の定、絶賛休業中。奇策は実らず。
帰りは買い物序でにポテトチップスを探す。併しジャガイモ不足を受けてコンソメ味は売り切れ。K社もC社も傍流商品は後回しなのだろう。そんなに頻繁に食べるものではないが、ポテチを食うなら味はコンソメと決めている。実は売れ筋ではなかったのだと初めて知った。結局、本も食べ物も手に入らず。昨日からの悪い流れは変えられず。
5/1・月
今年は二日ある谷間の平日。朝方は草取りと下水溝の点検。何とかの蓋を開けて見たら、何だか滞っていてぞっとする。多少の滞留ならば何れ決壊して自然と流れていくのだろうが、何だか心配なのでバケツの水で流し出した。午後は雷雨。今度は雨樋の目視。大丈夫そうな印象だが、大して降らなかったから、太鼓判を押すには至らず。此の処、排水恐怖症である。
隣国では大統領選挙が近い。韓国社会も日本以上の格差に直面している。大企業と中小零細、正社員と非正規雇用と言うのは御馴染みだが、無年金の高齢者が大勢いるのが最近になって分かって来たのだという。年金制度の整備が遅く、成長期にもかかわらず大量の年金ロストジェネレーションが生まれたとのこと。結局、後発輸出国と言うのは安くするしかないから、何処かにしわ寄せが来る。謂わば内的植民地である。其処からの膨大な収奪が輸出産業を支えて来たのである。
雨は止んだが、パッとしないまま千寿に出校。退社後は新装相成った寿司の「大江戸」に入る。差額皿制度は廃止され、全品150円に統一された模様。併し既に大半のネタが売り切れ。僅か五皿で終了す。どうにも鎮具破具な一日である。まあ御金を使わずに済んだと思えばいいか。帰宅後冷凍食品のパスタ。