15年8月

8/31・月
 結局相当な宿酔となり、午前中から七転八倒。併し幾ら引っ繰り返っても、午後になっても治まらず、這う這うの体で出勤。昨夜は何処かのタイミングでノンアルコールビールに切り替えるべきだったが、そんなことは丸で思いつかなかった。後悔何とやらである。
 何とか四時頃には収束す。六時頃サンドイッチを食べ、退社後はラーメンだけ食べて急いで帰った。完全休肝猛省日。金伍萬円受け取る。
維新の党がいよいよ分裂。見たくもない市長Hがまたまた出て来て、散散文句を言っていた。政治家、就中首長や政府与党内にいるものは、怒鳴ったり、怒ったりしてはいけない。人人の数数の怒りに何とか折り合いをつけ、方方を宥めて回るのがその仕事であると思うからである。政治家の条件に、是非「滅多に怒らない」というのを付け加える必要がある。


8/30・日
 一日曇り時時小雨。午前中は切り枝を揃える。午後メトロに乗り永田町へ。今日は安保法制に反対する市民デモの日である。同じ思いの人も多く、永田町の構内は大変な人出となる。駅員によると、混雑の為、簡単には出場出来ないという。やむを得ず有楽町線桜田門に回る。此方はまだ空いていた。月波君と合流しデモに参加す。確かに数万人が国会を取り囲んでいる。此れだけ沢山の人が集まるのだから、ちょっとした感激ものであると思った。ただ老若男女のなかでも、やはり老が多い。吾人たちもまだ辛うじて若手の範疇に入りそう。
御焼香をあげただけで直ぐに帰る訳にも往かず、一時間ほど滞在し、色色な人の演説を聞いて回った。併し雨具しか持って来なかったので、何となく手持無沙汰。今度はプラカードでも拵えて来ようと思った。それにしても機動隊は大型車両を城壁のように並べて、国会に近づけないようにしている。動けるスペースは僅かで、議事堂に近づくほど満員電車のようになる。相変わらずの過剰警備であると思った。
 其の後はメトロを乗り継ぎ、職場のある品川方面へ。早速立ち飲みBの新店舗へ参る。店の規模の割に従業員が足りず、移転三日目だが大混乱の様相。一応常連風を吹かして、不慣れなお客を誘導し、従業員に甘い飲み物を差し入れた。更に晴雷亭や中華立ち飲みに回航。此処で坪上君も合流す。ついつい調子に乗って久久に佐渡屋も訪問して大量飲酒。十時半頃、同じ世田谷の坪上君とタクシーに乗って帰宅す。


8/29・土
 朝からずっと細かい霧雨。気温20度と少し。昼にうどんを食い過ぎたので、午後は結局剪定作業。取り過ぎた糖質は消費せねばならない。調子よく切って行ったが、処理の方が追いつかない。切ったものが山のように積み重なる。此れを袋に入れるのがまた面倒である。夜は鋤焼きにした。目の前でぼおぼおと火を焚いても少しも暑くならない。異様な天候である。結局食べ過ぎる。
 頻発したJRのケーブル火災は放火の疑いがあるという。ちょっとした電車テロである。また夏休みも愈愈終了と云う事で、中学生の自殺が相次ぐ。余程学校に行きたくないのだろう。吾人の経験上も中学校ほどよくない学校は他になかった。日本の学校制度の中で、抜本的な改革が必要な学校は恐らく他にない。現に人がごろごろ死んでいるのである。この点で大学改革どころの話しでは無し。誰も指摘しないから言うが、解体するぐらいに作り直す必要があると思う。


8/28・金
 金曜不出社にしたが、何処かに出掛けるほどの計画は急には立てられず。今日も昨日以上に涼しいので、結局午前も午後も草と蔦取り。こうなるとちょっとした土地呪縛である。それにしても八月とは思えない天候。猛暑の後はもう秋の長雨である。今晩から長袖長ズボンである。


8/27・木
 多少日が差したが矢張り涼しい。こうなると何だか終日眠い。午後遅く千寿に出校。退社後は閉店間近の「天七」に駆け込み、串揚げ六本、麦酒一本。其の後は駅構内の小諸蕎麦で240円の盛りを一枚。相変わらず此の値段で此の蕎麦は旨いと思った。
今夜もまた三センチほどの不用紙を持ち帰る。ただ千寿校には推定で400センチは堆積しているから、大した効果は無い。百年河清を俟つようなものであるが、こういう非効率で非能率的な作業が吾人は結構好きである。
 維新の党が東西というより左右に分裂。もっとも西が右で東が左だから、そもそもからねじれている迷惑な政党であった。まあもう此の政党がどうなろうが、丸で吾人の知ったことでは無し。


8/26・水
 朝方は大雨。以後曇り。午後出社。最近は区によって夏休みを短縮するところがあるから、夏休み組と二学期開始組が混在している。多少勉強したところで効果は高が知れている。お盆明けこそ何処の観光地の空いてくるのだから勿体ないと思う。夏休みの短縮には観光業界がもっと反対すべきである。
退社後は立ち飲みBと中華立ち飲みに。再開発に伴い両店とも今月末で閉店である。幸いどちらも移転先が決まっており、特に前者は100人は入る大箱への大栄転である。兎に角、この古い飲み屋街もあと僅かとなった。


8/25・火
 中国株の暴落が世界に拡散し、世界同時株安となる。ついに来るべきものが来たという感じである。首相Aの支持率が下がるのは大いに結構なことだが、また不景気かと思うと少しうんざりす。それに何度も言うが、景気が回復している実感など何もなかった。ただ円高と資源価格の下落で、悪い物価上昇は収まるだろう。
 昨日以上に異様に涼しい。本でも読みたかったが朝から草取り。刈った草を袋に詰め、また蔦を引き抜く。短時間で70リットル入りの四袋に達する。まだまだ詰め足りない。併しあっという間に草臥れて仕舞い、三時頃から昏昏と午睡。夜も何だか異様に静か。クーラーも扇風機も換気扇も停止した為であろう。


8/24・月
 政情不安な北アフリカ諸国から大量の脱出民が地中海を渡っている。昨日一日で数千人がイタリア当局に保護されたという。それにしても受け入れる側の欧州でも雇用は無し。何とか仕事を増やす方策は無いものかと暫し思案す。手っ取り早いのは飲食関連であろうか。いっそ欧州全体で自炊を禁止して、昼と夜は屋台で食べ歩くという方策が良いと思った。色色な料理が食べられて楽しかろう。現に東南アジア辺りでは元からそうなっている。
 今日も涼しい。午後出社。早速、「防げる病気、防げない事故、色色あるだろうけど、なるべく病気や怪我や犯罪被害に遭うことの無いように、概ね八十歳ぐらいまでは元気で納税するように」と全生徒に訓示す。但しどれだけ分かったかは分からない。退社後は、立ち飲みBと中華立ち飲みに行き中量飲酒。防げる事故は防がなくてはならないと思い慎重に帰った。


8/23・日
 朝方は暑かったが、午後から東風が入り、どんどん涼しくなる。小笠原沖の台風がやませを吹き寄せたのだろう。今年の夏ももう終わりである。結局、暑い暑いああ暑い本当に暑いとただ言っているだけで、夏らしい面白いことは何もなかった。夕方に風呂を沸かし久久に湯船に入った。小飲少食にして胃腸を休める。
 臨時化された最終の「北斗星」が上野に到着。多くの人が出迎えた。中には相当若い人も。それにしても日本から夜行列車というものが無くなるまであと僅かとなった。寝台料金が掛かる北斗星には二度しか乗ったことは無いが、吾人が若い頃は座席付きの夜行急行がまだまだ走っていて、周遊券等でよく利用したものである。幾ら新幹線や飛行機が普及しようとも、夜の移動需要が無いことは無いのだが、その大半は高速バスが担うことになる。しかし人生から、夜汽車というものが消えて仕舞うのも何だか残念である。


8/22・土 
再び暑さが戻るも、耐えられないほどでは無し。少し草取り。大阪で凄惨な事件が起きる。上手く事が運べば、家出した少年少女と冴えない中年男性のひと夏の成長物語と云った爽やかなロードムービーが作れそうだったが、結果は実に悲惨極まりない。殊に夏休みというものは、海や山や交通機関や時に繁華街で、多少酷い目に遭うのも人生修養という点では必要な過程なのだろうが、それで実際に身を持ち崩したり、あるいは命を失ったりしては、くれぐれも取り返しがつかない。そういう点で本当に残念な事件である。
それにしても、高槻も寝屋川も柏原も関東人には全く分からない。こういう事件で位置関係を学ぶというのも何だか悲しいと思った。昼は素麺、夜は海鮮丼をドカ食いすると、夜中にお腹がおかしくなった。


8/21・金
 ユニクロが転勤の無い地域社員に週休三日制を導入すると聞いて、以前と比べて随分良い会社になったものだと感心した。だが内容を聞いてがっかりした。要は八時間勤務を十時間にして、週に五回の勤務を四回にするのだという。一週あたりの労働時間は結局四十時間である。つまり朝三暮四である。
吾人の経験を少し話すと、会社に行くと思うだけでまず前の日から憂鬱になる。(移動時間を含めて)勤務が八時間になると、段段腹が立って来て、些細なことで生徒に激昂するようになる。そして十時間に至ると、意識が朦朧として言語不明瞭、意味不明になり、簡単な漢字や英単語も思い浮かばなくなる。そして退社後はお酒を飲む元気も、本を読む意欲も湧かず、家に帰って只管寝るだけである。長時間働いたところで、生徒も先生も何もいいことは無い。
となると大体勤務というのは、一日六時間というのが適切な範囲であろう。それにそもそも此の過剰生産の時代に、一日八時間、週四十時間も働く必要があるのだろうか。そろそろ三十時間、せめて三十五時間には短縮すべきである。
また件の七号室は、入居開始日から三週間経っても、全く越して来る気配がない。案の定というべきである。部屋が汚れないのは結構なことだが、大方「住民票ロンダリング」に使われたのだろう。色色と苦労して折角綺麗にしても、何だか損した感じである。
 左耳は何時の間にか改善す。御昼に千寿に出社。四時半授業終了。四週に渡った重労働から解放される。解放を記念して「大はし」に参る。併し既に満席。数分待って着席す。恐らく七八年ぶりの訪問である。御主人も相当高齢ながら矍鑠と動いていて安心す。此の店に初めて来たのは、十数年前であろうか。居酒屋探訪ブームなどと言うものが始まりかけていた頃である。大人の輪の中で、少し緊張しながら、牛すじ煮込みを当てに焼酎を飲んだ。甲類でも旨い物(「金宮焼酎」)があると知ったのも此の店である。色色な事を思い出しながら一時間ほど居て帰宅す。約2500円。


8/20・木
 国立競技場に加え、今度はトレードマークが何かの物真似だと、五輪にもケチが付き続けている。誰がどのデザインを流用したのか、ネット上の検索でわかって仕舞うのだという。例の論文と同じ構図である。みなボランティアで検索しているのだろう。集合知と言えなくもない。併し折角の知である。他人の成功を引きづり下ろす以外の方向でも使って貰いたいと思った。
 曇り時時小雨で涼しい一日。御昼に千寿に出校。以後ずっと授業。ところで件の経営者は従来通り、出来の悪い生徒を大声で罵っていたから、概ね調子を取り戻したのだろうと思った。しかし整理能力の無さは相変わらずで、教場のあちこちに使わなくなったテキストや古いプリントの類が堆く積まれている。見ているだけで鬱陶しいので、内緒で吾人の鞄に少しずつ入れて持ち帰り、世田谷の資源回収に出している。こう見えても吾人はゴミの分別、就中紙の再利用には相当うるさい。というのも、毎日毎日下らない用件で大量の紙を消費する立場だから、せめてもの罪滅ぼしである。紙の神様がいらっしゃるなら祝福してくれるであろうか。実は吾人の髪がふさふさなのは、その御利益ではないかと勝手に信じている次第である。
 九時五十分までずっと授業。九時五十二分退社。東口でぱっとしない排骨麺を食べて帰った。また家人によると、万代伯母はすっかり元気になって、大変上機嫌であったという。何とか今回の危機は回避された模様。人騒がせだと言いたいところだが、実際は「その日」に向けての予行演習であると思った。迷惑料として少し生前贈与して欲しいとも思った。


8/19・水
 御昼に千寿に出校。小諸蕎麦を経由して本務校に回航。以後九時過ぎまで授業。立ち飲みBに寄り、バスで帰宅。朝から左耳がおかしい。十数年前に突発性難聴もどきを患って以来、草臥れると耳鳴りがする。丁度左耳だけ飛行機の中に居るような感じである。今回もその類だろうと思った。取り敢えず血流改善効果があるビタミン剤を服用す。
 昨夜は立川駅で信号ケーブルが焼け、青梅線五日市線が終日運休す。バスやタクシーでは幾らも運べず。また代替路線も無いから、多くの乗客が帰宅出来なかったそうである。影響人数は都心部の事故に比べれば少ないだろうが、一人当たりの被害時間は相当な物だろうと思った。


8/18・火
 御巣鷹山の事故から今年で丁度三十年。吾人は当時小学生で、日航ジャンボ機が行方不明になったというNHKニュースの第一報からテレビに嚙り付いていた手合いである。悲惨な光景を目に焼き付けられ、以後どうにも吾人は飛行機が苦手である。
それにしてもあれから三十年。安全管理の技術は相当向上した筈だが、やはり飛行機は恐ろしいという印象は拭いきれない。恐らく個個の飛行の安全性は飛躍的に増大しているのだろうが、それを遥かに上回る規模で飛行機が飛び回っているせいであろう。偶に行く羽田の飛行場なぞ、一体何処から何処までが敷地だが分からないくらい広くなっている。併しどれだけ広くしても、結局滑走路の手前には大小数数の飛行機が大渋滞をしている。こんなに沢山の飛行機が飛んで行って、よく事故を起こさないと毎度不思議に思う次第である。
結局滅多矢鱈にお客がお空を飛びたがるものだから、操縦士も整備員も管制官も飛行機も航空路も、目が回るほど忙しくなっている。そして結局いつか眩暈を起こして仕舞うのだと思う。「交通機関の発達も結構だが、いい加減のところでやめないと、仕舞には人間が自分の場所にゐる時間がなくなって、いつも何処かに行く行きがけか、その帰りかと云う事にな」るとは、百鬼園先生の言い草である。「大阪まで急行列車で二時間、飛行機ならば三十分、倫敦、巴里は二三日の旅と云う事になったら、今よりも、もっと人間はいらいらし出すに違ひない」とも。交通機関の発達が、却って詰まらない用事と事故と心配を誘発し、結局生活を不便にしているという次第である。
御昼に千寿に出校。此の頃シロが特に増長し、夜中に何度も起こしに来るので、何だか眠い。喋っている内にだんだん覚めて来たが、冴えて来た頃には授業終了であった。そのまま帰宅。まだ明るいので少し草取りす。


8/17・月
 有効需要を創出しようとした「プレミアム付き商品券」であったが、使われた先を調べると大半がスーパーやドラッグストアーであったという。この商品券は一万円で一万二千円使えるというもので、その二千円分は税金である。発売時には大行列が出来たということだが、それにしても、人が食パンやコメを食べ、トイレットペーパーで尻を拭くのは至極当たり前のことであって、有効需要とは言えまい。全く出鱈目なバラマキに二千億円も使って仕舞ったのだという。相変わらず政府の考えることは滅茶苦茶である。それに生活必需品にも事欠く住民がそんなに沢山いるというのであれば、また別の手当てを考えるべきであろう。出鱈目が祟って4−6月期のGDPはマイナスに。
 未明から雨。止み間を狙って本務校に出校。併し平政君は実家に帰省中、武藤女史は長期休暇。結局吾人一人で勤務す。予め分かっていたことだが、どうにも対応出来ず。物分かりの良さそうなクラスの方は実質的に自習とした。みたび雨雲が近づいてきたので、中華立ち飲みに行き、早目に帰宅す。
 ところで拙宅の近所にはやや問題のある方が住んでいるということで、今朝も見たことの無いほどの大量のパトカーが集結す。吾人の見立てだと、それほどの危険人物ではなさそう。大きな公園とか大きな橋の下だとか、何処かの河川敷には、普通にいらっしゃる風体である。併しそういった人物に免疫の無い通行人が、思わず緊急通報して仕舞ったのだろう。どうにも過剰反応であると思った。行動観察のため、巡査部長と巡査長が覆面車で張り込むこととなる。交通警察や刑事警察の類は、どのような社会体制であろうとも必要不可欠であるから、吾人もまるで非協力という訳にも往くまい。それにしても地元警察署も泰平であると思った。


8/16・日
昨日の天皇の御言葉はまあ無難な内容。一部には首相Aを牽制して貰おうと、御言葉に期待する向きもあったが、それは象徴天皇制に悖る行為であり、お門違いと言うべきであろう。今上天皇は慎み深い人格者で、吾人も魅力を感じないこともないが、戦前多くの知識人や社会主義者たちが、突如「日本としたしくなつた」などといって、日本とか祖国とか皇室というものに帰依して言った事例を思い出さなくてはならない。
 御昼前に伯母のところに行き、昼食を食べさす。しかし機嫌が悪いのか認知能力が低下したのか、吾人の問いかけにも低反応である。食欲もある程度回復したので良しとする。
とうとうこのお盆休みには何処にも出掛けられなかった。観光地気分を少し味わいたくて、バスを乗り継いで深大寺に行く。暇そうな蕎麦屋に入ったところ、僅か三分ほどでとろろ蕎麦が到着。麦酒を飲む暇さえ無し。何だか早すぎるのも考え物であった。
 帰宅後、近所に住むお医者さんが訪ねて来る。何の用かと思ったが、都市計画に反対する署名が欲しいという。新計画では八階建てまで建てられるのだという。区の広報の類は目を通してきた筈だが気づかなかった。今更そんな大規模開発をしてもとても儲かるとも思わないが、建ってからでは遅いので早めに反対しようと思った。それにしても吾人には具体的に行政権力と争った経験はないが、想像を絶する面倒臭さであろう。
明日からまた本務校プラス千寿校である。夜は家人が拵えたちらし寿司を食べ、御酒を飲んで早く休む。夜半は遅い夕立。


8/15・土
 七十年前同様、暑い一日。適度に草取りして過ごす。夕方月波君来たる。地元の酒場を放浪す。そのうちに鰻が食べたくなったということで、男二人で古い鰻屋に入る。恐らく利用は二十年ぶりであるが、すっかり代替わりした感じ。一番小さい鰻重の「梅」を注文す。価格高騰の折り、それでも二千五百円もする。併し飯が柔らかいのとタレの味が辛すぎて、なかなか厳しいと思った。併し、寿司にしろ鰻にしろ、吾人もそろそろ馴染みの店を持ってもいい年齢である。ただ授業料が高いから、蕎麦屋やラーメン屋のように、試行錯誤して探す訳にも往かないと思った。今度は桜島に噴火警報が出る。


8/14・金
天津の港湾倉庫で大爆発事故。事故原因は不明だが、経済が減速して在庫が積みあがり、杜撰な管理の上、折からの暑さで爆発したという説は、何だか説得力があると思った。
御昼前に車を仕立てて伯母のところに参る。案外元気そうで安心す。何とか病人食のような物を口に放り込んだ。食欲も回復基調とのことである。火曜日は練り歯磨き粉のようなペースト食であっても頑として食べなかった。
どうにか此れで夏は越せそうである。家人共共すっかり気を良くして、適当なお寿司屋に入り、昼から麦酒を飲んだ。道路も空いているので復路はバス利用。するとお腹の調子が悪くなり這う這うの体で帰宅す。
 夜に例の首相談話が出る。矢鱈長い内容で、村山談話を厭厭渋渋引用した形跡がみられる。どちらにしても、早くお辞めになって貰いたいものである。其の後、NHKのニュースにも出て来たが、やる気の無さが態度に出てか声も小さい。体調が良くないのかもしれないと思った。


8/13・木
 留萌線の末端区間の廃止が打ち出された。経営再建を旗印に、分割民営化を何とか乗り越えたようなところも、最近は狙い撃ちされているようである。留萌線に乗ったことは無いが、終点は増毛である。鬘と植毛の会社が入場券を買い支えるという支援案はどうだろうかと暫し思い付いた。
朝方は時折の大雨。午前中は草を取ったが結局暑い。午後は渋谷の百貨店の古本市に出掛けた。開催初日のせいか会場は結構混んでいる。而も御客の大半は高齢男性だから、独特の整髪料の臭いが充満するほどで閉口す。『丸山眞男回顧談上・下』を買い求め、直ぐに退散した。ところで久久の渋谷なので、晩のお摘みを買おうと思った。併し「フードショー」は、余りの混雑プラスお得感無しである。そういう点で、今春に「東急プラザ」が無くなったのはつくづく残念である。地階の食品街は庶民的で丁度よかった。よく肉や魚を買ったものである。結局地元の東急ストアーで、ほうぼうとひらまさの刺身を買って帰った。何だかんだ言ってもみんな東急グループである。午後は晴れて相当に蒸し暑い。
沖縄で米軍ヘリコプターが墜落。幸い死者は出なかった。何でも特殊部隊が訓練をしていたらしい。空を飛ぶものは常に落ちる可能性があるものだか、問題はその中身で、何時の間にか陸上自衛隊員が乗り込んでいたこと。思わぬ事故で不倫がばれたようで、今後追及されるだろう。


8/12・水
 南九州の原発が再稼働す。此れで約二年続いた無原発も終了である。九州の南は火山地帯であるという。あと何年動かすのかは分からないが、稼動中に大噴火が起こらないことを祈るのみである。早く早く、減価償却が済んだものから、いや済まないものも特別損失を計上してでも、廃炉封印していくべきである。それにしても〈電力の安定供給〉や、〈積極的平和主義〉(本来の意味は違うらしいが)も、〈日米同盟は日本外交の基軸〉も、鶴見俊輔風に言えば、全て「言葉のお守り的使用法」である。
曇り勝ちだったが矢張り暑い。時時草取り。それ以外は無為。そういえば最近の週刊誌の見出しは安保法制に否定的なものも多くみられる。中国脅威論を煽り立てていた頃に比べ、少しは落ち着いてきたように思える。


8/11・火
 エアコンというよりクーラーが嫌いな人は大勢いて、特に高齢者はそうであろう。そういう人は、周りが何と言おうと、頑としてスイッチを入れない。その内に、家に居ながらにして熱中症で倒れて仕舞うのであるという。人は保守的にしか生きられないと誰かが言ったが、正しく自らの保守主義に殉じた格好である。ただ本人は如何に変わらなくとも、年年歳歳暑さは酷くなっている。せめて世の中の変化に渋渋従う程度の柔軟性を持って欲しいと思った。
 午前中から両家人を引き連れ万代伯母のところに参る。今日は姪の優子さんも呼び立てた。伯母は朦朧としていて、言葉もうまく発せない。眼も何だか落ち窪んでいる。それでも時折、顔をくしゃくしゃにして「いやになっちゃった」と宣う。九十五年も生きるとなると相当草臥れるだろう。正直愈愈かとも思う。
愈愈となると、秋子叔母さんも呼び立てなくてはならない。併し秋子叔母は九歳も年下の妹であるが、あっという間に認知症が進み、現在要介護三で施設に入居中である。中中外出は難しいという。それでも何とか今一度会えるよう、後見人である優子さんと算段を立てた。
其の後、適当な蕎麦屋で会食してタクシーを仕立てて帰った。今日も三十五度近くにはなった。それにしても老家人は久久の外出で、足元もふらふらで、タクシーに乗るのも大変である。九十前後ともなると健康管理云云と言うより、後は気力の問題である。もう少し元気を出して、万代伯母をきちんと見送って貰わなければならないと思った。夜は好物のピザを取った。


8/10・月 
 朝から雨が降ったり止んだり、時時晴れたりと不安定なお天気。今週は全ての勤務がお休みだが、禁足令が出ているため、何処にも往けず。朝は草取り。昼は地元の洋食屋で720円のカツカレー。いつも繁盛していて入れなかったが、今日は珍しく空いていて良かった。
午後は流しの廃品屋さんを掴まえて粗大ごみを処分。テレビ一、掃除機二、網棚二、壊れたLED電灯一、締めて五千円。全て家作から出たものだから領収書を切って貰う。其の後は参議院予算委員会を時時見た。首相Aは風邪を引いているようである。
 

8/9・日
 漸く電力需給に関しての新聞記事を目にする。それによると、太陽光発電は既に3000万キロワットが稼働しているとのこと。稼働率を七割としても大型原発二十基分である。此れが供給量を大きく押し上げているから、供給に問題なしとのこと。昼間の電気ぐらい、あとふた息ぐらいで全部作れそうな勢いで、頼もしい限りだと思った。
 ところで、今年の中日ドラゴンズは評論家が予想した通り、圧倒的最下位に低迷している。併し現役最高齢の投手が投げるというので、珍しく中継を見ようと思った。ナゴヤドームもいっぱいの模様。大した「客寄せおじさん」だと思った。併し二回途中、指に違和感を覚えてあっという間に降板。これでは投げる投げる詐欺である。
 暑いことは暑いが常識的な暑さに戻った。草取りまで行かないが、日用品の購入と、扇風機や電灯の傘のごみを取ったりと、日常生活の円滑化を果たす。寝ようと思ってラジオを点けたら、丁度原民喜の朗読をやっていて寝られなくなる。起きた序でにEテレでやっていた鶴見俊輔の追悼再放送を見て本当に寝た。


8/8・土
 件の談話に関して、有識者が拵えた草案が出来上がったそう。内容はまあまあ常識的な感じ。ただそもそも首相Aは、侵略や植民地の定義自体が引っ繰り返るような、あっと驚く超国家主義的な内容を期待していたから、どの程度採用するかは不明。つくづく誰か早く彼の頭の中身を矯正して欲しいと思った。
 東風が入り漸く涼しくなる。早速家人と車を仕立て、万代伯母の様子を見に行く。一応風呂に入れて貰ったらしく、伯母はうつらうつらとしていた。寝ていたからそう見えるのかはわからないが、一週間前と比べてまたやつれたと感ず。正直な話し、もう最終段階にまで来ているのかもしれないと思った。もしもの事態に備え、来週の伊那行はキャンセルする。
 面白くない顔をしながら、小田急線に乗る。途中巨大な防空壕のようになった下北沢で井の頭線に乗り換え、吉祥寺に向かう。月波君、鷺乃間君、坪上君と、暑気払いをすることになっている。序に轍田さんも来た。まず適当な居酒屋で一献傾ける。特に鷺乃間君には第一子が誕生したから、御祝いの言葉を掛けた。
しかし吉祥寺と言えば、何と言っても「伊勢屋」である。行列が途絶えたのを見計らって店に入る。公園店は建て替え後、初めてである。併し余りに店内が混み過ぎて、わあわあ怒鳴るのように会話をしなければならず閉口する。観光地化した有名居酒屋も考え物であると思った。
午後六時退店。今度は静かなウイスキーバーのような所に移動す。漸く落ち着いて飲めた。此の店に長居して、更にラーメンまで食べて、帰宅は十時過ぎ。良く飲んでよく食べた。涼しいと飲食も活発となる。
 

8/7・金
 とうとう37度に達したとのこと。どうりで丸で熱があるようだと思った。ふらふらしながら千寿に出校。四時半終了。一応これで三週間に渡った方方の講習は終了す。全く以て、記憶が喪失するぐらい暑くて忙しかった。日記を書いていてつくづくよかったと思う次第である。終了を記念して少し変わったことをして見ようと思った。
そこで東武線の堀切で途中下車す。車窓からよくみえる「みゆき食堂」に入る。堀切という駅は荒川の土手と高速道路に囲まれた不思議な所で、本線上にありながら、どこか田舎の駅のような佇まいである。その唯一の駅前商店にずっと前から入りたかった。入って見ると、人の良さそうな年配の店主が出迎えてくれた。麦酒、ハイボールを飲み進めたが、店内は冷房が利かず蒸しぶろ状態。ラーメンまで食べて、這う這うの体で退散す。恐らく良い店には違いないが、訪問するには気象条件が悪すぎた。
其の後メトロを乗り継ぎ本務校に回航。金参万円を受け取り、溜まった事務仕事を片付けた。九時すぎに退社。中華立ち飲みで鶴木さんを訪ねるも、此の店も冷房が利かない。直ぐにバーIへ転進。漸く涼しいが、泥酔した大将の刑事法的猥談に付き合いきれず、最終バスで急いで帰った。先月の電気使用量、287キロワット、7925円。前年比22%増。


8/6・木
 極めて暑い広島の日。朝方西に向かって水を撒いた。御昼千寿に出校。途中散髪す。今日は八時間耐久連続授業である。夕方中座して「りんりん」で330円のカレーを食う。此処は千寿で有名な格安の店である。ラーメン330円、餃子220円でありながら、店主も娘さん(?)も、おじいさんも極めて愛想が良い。こういう立派なお店があり続ける限り、(政治家も官僚も経済人も全くどうにも仕様がないが)まだ此の国は辛うじて大丈夫なのだと吾人は勝手に想定している。五分で食べて戻り、其の後もずっと授業。
特に最終時間帯は、態度の宜しくない生徒を糾合したらしく、茶髪にピアスの大行列である。まあこういう生徒たちは、何か言えばそれなりの反応をしてくれるから、全く無反応の清ました生徒より案外授業はやり易いものである。そして集中力を高めるには性的な話題に限る。「君らの猛き股間の一物も、(年を取れば)ついには亡びるのです」などと言っては、漢字の書き取りをやらせた。
八時半過ぎに退社。まだネタがありそうだったので「大江戸」に急ぎ寄る。色色と食べたが、それでも何だか食べ足りず。結局地元でラーメンを食べ直した。軽い地震の影響で東武線と半蔵門線はダイヤが乱れていた。


8/5・水
 昨日以上の晴天となり、這う這うの体で千寿に出社。しかし教場のある古いビルの一室は、天井も低く、蛍光灯を矢鱈増設したため冷房も効かず。四時半退社。本務校の授業は平政君に丸投げしたので本日はこれで御仕舞。
暑さを紛らわそうと古い蕎麦屋に避難す。しかし「暑い暑い」と言って入っても、女店員はどこ吹く風の冷たいあしらい。どうにも客商売に向いていないと思った。しかも麦酒と盛り蕎麦どちらも冷えが甘かった。それに麦酒一本分遅くなったので、夕方のラッシュに巻き込まれる。座れない地下鉄など苦痛極まりない。立って授業をしていた方がまだマシだと思った。
 昨夜の事故は、運転士が停止箇所を間違えたために架線が破断したとのこと。所謂エアセクションの単純事故である。運転士はいたたまれないだろう。


8/4・火
 益益暑く今日も35度。本来不出社の日だが、千寿校の人員が足りないので、午前中から渋渋出掛けた。地下鉄は涼しいが、降りた瞬間から頭がくらくらして、勤労意欲も吹き飛ぶ。四時間弱教えて直ぐに自宅に逃げ帰った。
 一方夕方のラッシュ時に、京浜東北線の架線が切れて横浜方面は大混乱。花火大会も重なり、混乱に拍車がかかったよう。連日の暑さで銅も解けたのであろう。
また今度は首相補佐官が、法律などは無視しても構わないなどと発言したとかで問題となった。元元日本で一番難しい大学を出た優秀な行政官僚だったはずだが、首相Aとつるむうちに、愈愈頭が可笑しくなってしまったよう。こちらはつい暑さのせいで、などと言い訳は出来まい。


8/3・月
 今日も35度。結局のところ、冷夏の予想は悉く裏切られた格好である。何でも七月中旬にやって来た台風が何もかも吹き飛ばして行って仕舞ったそうだが、そういうことも含めて色色と予想するのが、気象予報士や予報官の仕事あろうと憤慨す。
今日から通常授業に戻る。午後、傘を差しながらふらふらと出社。併し小学生は暑さとも関係ない散散な騒ぎようで丸で授業にならず。つくづく閉口す。子どもとは矢張り異質な存在である。内科に対して小児科がある訳だし、「左翼小児病」などのような悪い比喩もあるぐらいである。
 退社後は久久に立ち飲みBへ。若い従業員には「何年もお見えになりませんでした」などと言われる。「随分公転周期の短い星の話しだね」などと言って誤魔化した。それにしてもこう暑いと御酒も飲めない。早目に退散す。
 ところで新しい国立競技場の建設の可否に世間の耳目は奪われがちであるが、その他の諸諸の競技施設も見積もり金額が鰻登りだという。酷い場合、結局建設費は二倍にもなるという。つくづくこうなることが分かっていたなら、もっと真剣に五輪誘致に反対すべきであったと後悔す。正直な話し、まさか日本に二度目の五輪が来るとは思わなかった。それは、誘致活動をしていた当事者ですら、そう思っていたと、何かの報道で聞いた覚えがある。
 

8/2・日
 TPP交渉では医薬品の特許保護期間を巡って意見が激しく衝突しているという。アメリカの医薬業界に、薬の輸入国が抵抗しているという図式である。それにしても吾人が幼少の頃は、アメリカは軍事産業と政府が結びついた軍産複合体の国であると習ったが、そういう図式自体が既に古いのであろう。医薬複合体若しくは金融工学、あるいは遺伝子組み換え産業の国であると、政治の教科書も書き直す必要があると感じた。
 連日の猛暑で全国的に35度を超える。併し電力需給に関しては電力会社も報道各社も何も言ってこない。恐らく相当余っているのだろう。ましてそれが太陽光パネルによる発電の御蔭だとすれば、相当言いにくいのだろうと勘ぐった。
 朝の七時から草取り。雨が少ないから草も元気がないのは助かる。併し日中36度に達す。家から半径50メートル以上は離れられず。待望の雷雨も無かった。
午後は暇に飽かせて「テルマエロマエⅡ」を見た。万民受けするような分かりやすいコメディ映画は日本では貴重であると思った。色色と平和を訴えているらしいが、日本の風呂文化は素晴らしいという日本ナルシズムが目立ち過ぎ、半分ほどで止めにした。


8/1・土
 夏期講習は今日も明日もあるが時間割の操作に成功し両日とも不出社。午前中に宿酔を収め、午後は早速伯母の様子を見に行く。併し気温が36度もあり、バスを待っているだけで既に這う這うの体である。
 弱って仕舞ったのか、眠いのかはわからないが、伯母はうつらうつらとしていて、何だか言葉も出て来ない。それに何だか不機嫌そうである。一応車椅子に乗っけて貰ってはいるが、家人の言う通り大部痩せたと思った。介護職員は、「(まあまあ)お元気そうですよ」と言ってくれたが、何分付き合いの浅い職員がどの程度のことまで把握できているかは不明。何しろ顔を知っている職員はもう悉く辞めて仕舞った。それにそもそも人の生き死にだけは、どんな大ベテランでも予測不能の分野であろう。一時間ほど叱咤激励するも、眠たそうなので早めに退散す。伯母のことを色色と考えながら難しい顔をして帰る予定だったが、余りの暑さに思考力が全面低下す。世田谷通りの渋滞が酷いので電車を乗り継ぎ、結局くしゃくしゃな顔をして帰った。
 昨年の春に行方不明になったマ航空機の破片が漸くインド洋の小島に漂着したとのこと。また日本のカーフェリーが苫小牧沖で火災を起こす。つくづく物を物理的に移動させるということはリスクを伴うものである。また雪も降らないのに北京が冬季五輪の会場に選ばれる。暑さのせいか国際五輪委員会も愈愈出鱈目である。
 七号室入居。こんな時期に引っ越してくる人は大丈夫かなどと老家人は頻りに心配していたが、今回の入居者からは、間に信販会社も挟むことになった。当然家賃の蒸発分も多くなる訳である。