15年7月

7/31・金
 更に暑くなる。朝から万代伯母の様子を見に行った両家人が、伯母がすっかりやつれているとしょんぼりしながら帰って来た。僅か三日ですっかり頬がこけて仕舞ったという。伯母は次第に回復してくれるように勝手に思っていただけに少しショックである。
 御昼に出社。伯母のことが気になって普段以上にぼんやりと授業す。今日は予定が過密で八時半までずっと授業。すっかり草臥れる。退社後は月波君がやって来て伊那の反省会。久久に晴雷亭に行く。其の後大将らに掴まりバーIへ。それにしても暑くて暑くて、麦酒を幾ら飲んでも朦朧として来て会話も弾まず。十二時には帰宅。以後意識不明。
 今日で七月も御仕舞。安保法制に反対する学者として芥田先生もデモに参加された筈だが、吾人も月波君も参加出来ず。全く以て駄目な元学生であると自己批判す。


7/30・木
 朝から異様に蒸し暑い。御昼に本務校に一旦出社。一コマだけぼんやり教え、メトロで居眠りしながら千寿に回航す。小腹が減ったので珍しく駅前の超世界的ファーストフードチェーン店に入る。客室に入るのは恐らく数年ぶりのことだが、空調は効かず、窓ガラスや床はずず汚れ、ゴミは箱から溢れかえり、正体不明の御客が人事不省に陥っている。丸で嵐か何かで動かなくなった長距離列車のようだと思った。余りにみすぼらしいので直ぐに退散した。
 其の後千寿校に出社。件の経営者女性は普段と変わらないように勤務していたが、随分と痩せた様に思った。平素体型や髪型の変化に全く無頓着な吾人がそう思ったのだから、色色と大変だったのだろう。退社後は麦酒半額の店で五百円の鰻めしを食べて帰った。


7/29・水
 昨夜は十二時には就寝した筈だが、何だか起きた瞬間から草臥れている。昨日の夜より却って疲れている。疲れが翌日に出るようになっている。詰まり吾人も愈愈経年劣化が目立つようになって来たということである。
 御昼に出社。記憶喪失のまま授業す。六時には退社。其のまま帰宅す。参議院での審議も始まったようだが、まるで観察出来ず。政治に御金と時間が掛かるのは、ギリシャ以来のことである。


7/28・火
 無責任社長が葬儀に参列のため、代わりに朝から出社。以後吾人一人で対応す。当然時間割は穴だらけである。複数の教室を出たり入ったりして凌ぐ。つくづくこういうことがないよう計画や算段というものをするのだが、人の生き死にというものは取り分け予測が出来ないから、どうにも仕様がない。斎場からけろりと戻って来た無責任社長と交代して、午後六時頃退社。草臥れたので其のまま帰った。
 ただ吾人も迷惑顔ばかりはしていられない。何しろ、九十五の万代伯母も体調を崩し、数日前から点滴を受けているという。見舞いに行った家人によると、取り敢えずは元気そうだが、いつ何時、「もしものこと」があるかは分からないと宣う。これこそ、所謂、神のみぞ知るという修飾句が相応しい分野である。日中曇りがちで、昨日より多少暑さは緩和された。
 ところで昨年一億円以上の役員報酬を受け取った者が、正式に公開されただけで数百人も出たという。国家国民が粥を啜り、ゴミを漁っているというのに、随分なお手盛りの大盤振る舞いであると思った。それにしても、こういうことが続くと、左右を問わず反発が出るだろうし、殊に右側からは何か鋭いものが飛んできそうな勢いだが、実は本当に恐ろしいのは、国民が余りに馬鹿馬鹿しくなってついに勤労意欲を失うことである。


7/27・月
 昨日同様非常な暑さ。全国各地で熱中症による死者多数。吾人も汗疹多数。早速ステロイド剤を塗り込む。こうなると一種の気象災害であると思った。
御昼前、既にふらふらの状態で出社。以後、言語不明瞭、更に意味不明な授業を行う。特に最終コマは中学一年の英語である。丁度一般動詞の項目だったので、飛んだり(fly)跳ねたり(jump)して動詞を教えたが、やっている内に余りに馬鹿馬鹿しくなって、途中で止めにした。つくづく初歩的な語学の授業は面倒臭いと思った。
八時半過ぎ退社。急いで中華立ち飲みに駆け込む。久久に鶴木さんらと会った。仙台の義父が亡くなり大変だったという。色色とお話ししたかったが、店内は例によってサウナ状態である。麦酒を立て続けに四杯飲んでも涼しく成らず。一時間ほどで這う這うの体で帰宅した。


7/26・日
 今日は昨日以上の最大最悪の暑さになるという。暑くなる前に七号室に取り付けるガスコンロを買いに行った。ぼんやりしていると、調布を飛び立った小型飛行機が墜落。正しく飛ぶ飛行機も落とす暑さである。併し運悪く民家に突っ込み、巻き添え死も出たとのこと。家に居ながらにして交通事故に遭うというのも、不運中の不運であると思った。
愈愈日中三十六度に達す。午後は何もせず。併し何もしなくても腹は減る。漸く日が傾いた頃に一丁目のスーパーに参ると、皆同様に家から這い出してきたようで、今まで見たことの無いような混雑であった。
二度の買い物以外は電気の節約の為、終日家人らと一室に閉じ籠る。すると両家人は熱心に相撲中継を見ている。白鳳に鶴竜という、どちらも航空母艦のような四股名横綱が争っていた。ただ両人とも内陸部の出身である。


7/25・土
 南の台風が吸い集めた空気が高気圧を伝わって吹き降りて来たそうで、朝から異様な蒸し暑さである。御昼前に這う這うの体で出社。
家人は親戚会で鎌倉へ。老家人が取り残されたので、退社後は急いで弁当を買って帰った。手作り弁当一個七百円。諸物価高騰中である。序に水曜に買い損ねた焼き鳥にもありつく。余りの暑さで以後絶筆。


7/24・金
 朝から異様な蒸し暑さ。時間割の操作に成功したので金曜不出社。といっても特にすることも無し。数日前に購入したままになっていた『ポスト資本主義』という岩波新書を拾い読みす。同書によると定常状態という言葉を初めて肯定的に使ったのはJ・S・ミルとのことである。また本書後半には脱成長社会へ向けての処方箋も色色と提示してあったが、何とかミクスにオリンピックにと現を抜かしているようでは中中注目されないであろう。ところで久久の岩波新書である。しっかり字が詰まっていて、得をした感じ。最近の多くの新書は内容が無さ過ぎる。
 午後は雷雨。相当降ったが、其の後は凪のようになり結局暑い。七号室の工事も粗方終了す。仕上げの掃除屋さんが帰ったのを見届けて、麦酒からだらだらと飲み始めた。また千寿校の母君が亡くなったとの連絡が入った。


7/23・木
 朝方は雨。以後は曇りで少しは涼しい。御昼に出社。本務校の授業のお尻を端折って、急いで千寿に回航す。千寿校の運営者の御家族が愈愈大変ということで、吾人ただ一人の勤務となる。更に運悪く夏期集中授業期間とのことで、来る生徒の顔ぶれは同じだが授業時間が二倍となる。一方教える人は半分なので、仕事量は大凡四倍ということになろうか。大車輪の活躍と行きたいところだが、車輪のようにぐるぐる回って、基本的な問題の答え合わせをするのみ。九時半頃、開けた鍵を閉めて退社す。腹心で食べ、半蔵門線でぐったりす。会社員も夏休みなのか地下鉄は随分空いていた。


7/22・水
 朝から真昼のようなお天気。七号室で作業中の設備屋さんに御茶を出してから、御昼に出社。併し強い南風の為、傘も差せず。草臥れたので本日もノンアルコールで帰宅する。碑文谷のいつもの肉屋で唐揚げと焼き鳥を買って帰ろうと必死の思いで走って来たら、運悪く定休日である。口がすっかり鶏になっていただけに、やむを得ずKFCで買って帰った。
此の時期、無補給で帰宅すると、大汗と空腹の両方を同時に収めねばならず、帰宅直後は頗る忙しい。矢張り体の中から冷やして帰るべきだったと後悔した。ただ早く帰った分、日記を纏め上げることは出来た。


7/21・火
 日中三十五度に達す。傘を差して御昼前に出社。やりたくないが今日から夏の講習である。朦朧と二コマほど教え、事務仕事を片付けた。七時前には退社。ノンアルコールで急いで戻り、溜まったラジオ番組を聴き、日誌を書いた。今日は280円のカツサンドにしか御金を使わず。当面緊縮財政である。本日休肝
 東芝で巨額不正会計処理が発覚。利益の多くを水増してあったという。報道によると、歴代社長の激の飛ばし方など、新興ブラック企業と大して変わらないと思った。そして、上司上官の「不可能命令」に対して、現場は数だけを合わせた「員数報告」で対応するなどと言うのも、山本七平が『一下級将校の見た帝国陸軍』で指摘した通り、日本陸軍以来のお家芸である。
例によって、原発も手掛ける重電メーカーの品物は余り買わないようにしているが、東京芝浦電気は老家人の母、詰まり吾人の祖母が第一期の女性社員だったとかで、少しは縁がある会社である。だから僅かだが株券も持っていたし、母屋の家電は大半が東芝製であった(ちなみに母方はナショナル派)。ただ祖母の生年から推測すると、「東京電気」か「芝浦製作所」のどちらの社員であったかはよく分からない。


7/20・月
 宿酔を何とか収め、伊那の山際にある梅安という有名な蕎麦屋に行って見る。まだ御昼前だというのに、既に大混雑で駐車場にすら入れず。やむを得ず少し戻って、街道脇の「権兵衛村」という店に入った。「村長」が毎日打つという十割蕎麦が一枚千円。少し待ってさっと食べた。此の店も御客が次から次へと入り、あっという間に満卓満席となる。会計の序でに厨房をそっと覗くと、村長が大急ぎで蕎麦粉を捏ねていた。あれでは次の蕎麦を出すまで一時間は掛かるだろう。つくづく村長も村民も大変である。どうにも休日の行楽で滅多矢鱈と蕎麦を食べたくなるというのは、日本人の悪い習性であると思った。
 再び山荘に帰り、只管午睡す。月波君は吾人の睡眠時間に呆れていたようだが、百鬼園先生は「大概夏期は十時間、冬期は十二時間位」眠ったそうだから、まだまだ寝足りないと答えておいた。夕方、例によって自動車を返却し、伊那北駅近くの「角八」という店で一献傾ける。併しもう大して話すこともない。19時過ぎの飯田線に乗り、岡谷で最終の「スーパーあずさ36号」に乗り継いだ。三連休最終日である。初日が天候不順だったから帰宅も集中したようで、上りの特急は全便全席満席とのこと。自由席から人が溢れかえり、指定の7号車のデッキまで鈴なりとなった。
対向の貨物列車が遅れたとかで多少もたもたしたが、立川辺りから一気に挽回して新宿駅には定刻到着。梅雨も明けたらしく都内は大変な暑さである。貧相な顔をして月波君と別れに帰り、渋渋と冷房機をつけて直ぐに寝た。


7/19・日
 午前中は曇り時時小雨。何もすることが無いので、例によって木曽方面に行く。神社にお参りし、奈良井宿を探訪す。此処は十五年ほど前に訪れたことがある。マリア地蔵を拝んだ後、何だか急に腹が減って来たので食堂に入る。昨夜は大したものを食べなかったので、チキンカツ定食を注文す。
再び伊那に戻る。少し休んで、夕方前に近くのスーパーへ出向く。残念ながら男二人の晩酌である。適当な惣菜と御つまみを購入す。但しこういう山荘で一番困るのはゴミの処分方法である。分別区分が悉く違う上に、伯母も常駐している訳ではない。だから、容器包装プラスチック類のなるべく嵩張らないものを買って来て、簡単な料理を拵えて飲み始めた。それでも人が生活する上でゴミは出ることは避けられない。結局粉砕圧縮の上、買い掛けの駄賃としてスーパーやコンビニに持ち込むことした。
 それにしても男二人では会話も愈愈尽きた。丁度NHKでやっていた現代政治史の特集を見、其の後は持ち込んだブルーレイディスクの「西部警察」を見る。特に木暮課長と二宮係長が主役の回を選んだから、ドンドンパチパチの類は控えめで中中面白かった。


7/18・土
 三連休である。正直なところ、何処にも行きたくないが、伊那には行くことになった。併し轍田さんは急性腰痛のため不参加。伯母も不在とのことで、徹頭徹尾月波君との二人旅となって仕舞った。
またどうせ列車で行くなら面白い方が佳いということで、臨時の「あずさ79号」に乗車。国鉄時代の189系という車両で昭和五十年製。引退間近の珍しい車両と見えて、写真を撮っている人が多い。ああいう人の気持ちも分からぬこともないが、やはり列車というものは乗って楽しむ物であろう。
七分程度の御客を乗せ、12時02分、「汽笛一声新宿を」という鉄道唱歌のメロディーとともに、定期列車の「スーパーあずさ」を追いかけるようにして定刻出発。やはり行く先先で写真を撮っている。別に吾人を狙っているわけではないが、無視されるよりかは良いと思った。ちょっとした大名気分である。手でも振ってやろうかとも思った。
併し一旦乗って仕舞ったら特にすることも無し。それにそもそもが何の変哲も無い普通の特急車両である。幸いにして車販員も乗っていたが、座席の間隔は狭いし、当然トイレも古い。結局古いということ以外に大していいことが無い。ということは、矢張り外から見て楽しむというのが正解だということになろうか。
14時36分岡谷定刻着。二時間半で着くから臨時列車の割には中中の俊足ぶりである。待機していた飯田線に乗り換え、伊那北駅で下車。以後、自動車を受け取り、まだ時間が早いので、いったん山荘で休憩す。
 日が暮れて来たので、再び伊那市の中心街に戻り、恒例の飲食店巡りとなる。併しローメンは五月の連休に食べた。伊那が好きだから、ついでにローメンズ好きを公言してはみたものの、実を言うとそう年に何度も食えるものでもなし。それに月波君は運転しなければならないから、暴飲は出来ない。何だか食べたいものが何も無いので、適当な回転寿司屋に入った。山梨や長野は海なし県だから海へのあこがれもひときわ大きく、寿司屋の数も多いと聞いたことがある。
併し入って見ると、ネタはまあまあだが、舎利が旨くない。それに店内は雑然としていて何だか場末感が漂う。海の名が付くだけで、長野県人は満足するのかもしれないと思った。其の後、「クロネコ」という食堂に入る。此処は恐らく九十歳に近いという超高齢夫婦の店である。出て来る蕎麦は例によってぶつ切りで如何ともし難いが、御夫婦の健在ぶりを確認し、少なくとも安心してから帰った。
 ラクビー好きの元首相を何とか丸め込め、例の国立競技場は白紙撤回となる。もう少し早くそうして貰いたかった。それにしても此の元首相、辞めても止めても蜃気楼のようにしゃしゃり出て来るから不思議である。


7/17・金
 朝方は時時大雨。午後出社。全ての担当授業を演習とテストにして、時間割の編成を続ける。そもそも給料も支払えない大貧学院だから、暫らくすると大抵の先生は怒って辞めて仕舞う。だから常に教える人が足りない。そして言うまでも無く、此の時期は特に足りない。其の上、クラス授業なのに欠席振替をしろなどと言われても、どうにも仕様がない。消費者側が物の道理を弁えないのは最近の世の常である。そういう理不尽な要望は全て無責任社長に回す。成るべく吾人に授業が回って来ないようにと、九時近くまで微調整は続いた。
ぐったりしたまま、ついうっかり無責任社長と牛という居酒屋へ行く。ここのおつまみは、作り置きをレンジでチンするだけだが、案外旨い。バーIも見習って欲しいと思った。金曜だが誰にも会えず。牛を出たら、早目に帰宅す。明日から伊那、そして火曜から講習である。


7/16・木
 台風11号の外側の雲が掛かり、早朝は大雨。以後は少し落ち着いた。例の法案は衆議院を通過。牛歩戦術などを久久に見たかったが、野党は採決を欠席す。
 午後千寿に出発。途中渋谷で下車し、みどりの窓口の券売機で「あずさ」の座席指定を取った。週末からまた伊那に行くことに事になっている。
先週は休講したから二週ぶり千寿である。併し同じ中学三年生の数学でも、練度も進度も授業時間もバラバラで、丸で統制が取れない。こういうタイプの学習塾だと、基本説明は録り溜めた映像教材にやらせるというのも、一つの解決方法かもしれないと思った。謂わば塾の先生の自動化である。退社後は腹心に寄ってさっと帰った。
 それにしても今日は「永田町」を二度も通ったが、途中下車して「ばかやろうの」の一言でも発しようとは、恥ずかしながら全く思わなかった。「永田町」や「国会議事堂前」や「霞ヶ関」は、全く以て地下鉄上の乗り換え記号程度の意味しか持ち得ない。だから、その地上の光景まで想像が遠く及ばなかった。
只管地下鉄を建設し、国民の視線と動線を地下に隠してしまったのは、政治権力の不可視化という点では大いに成功したと言えよう。ひいては国民の脱政治化と言う点においても。もしも国会議事堂や自民党本部や首相官邸が山手線や中央線から見える位置にあったのならば、こういうことにはならなかっただろう。
 終日蒸し暑かったが、帰宅直後に風向きが変わる。再びの大雨とともに東風が入った。


7/15・水
 今日も三十五度近くとなる。与党は、安全毀損法案=アメリカ戦争協力法を衆議院の委員会で強行採決。それにしても首相Aは、此れで祖父を越えたとでも勘違いをしているのだろう。だから憲法学者から一介の市民まで全国津津浦浦の反対の声など、丸で意に介せずである。反対の声が大きければ大きいほど、却って勝手に奮い立っているとのことである。全く下らない上に個人的な動機で国を損なわせるのだから、総理大臣の権力というものは返す返すも恐ろしい。正しく、何とかに刃物である。
 午後出社。夏期講習の時間割を一気に決める。出でくれる学生講師が二人しかいないから、大貧学院も寂しくなったものである。明らかに人手が足りないから、幾つかのクラスを再編合体させるしかないと思った。暑さと事務仕事で草臥れたので、退社後も直ぐに帰る。本日の出費は博多ラーメン630円のみ。夜から台風がらみの雨となる。六日続いた炎天も、此れで少しは収まるだろう。


7/14・火
 どうにかこうにかドイツの首相を宥め賺して、ギリシャはユーロの離脱だけは回避された模様。支援策と緊縮策を盛り込んだ妥協案が合意される。怒りっぽいドイツ人もエーゲ海のホテルか貸別荘でひと夏を過ごせば、少しは機嫌も良くなるだろう。それに両替の面倒も無いから楽である。
 熱風が吹き荒れ日中三十五度。朝から暑くて寝ていられず。朝の六時から七号室の人が置いていった大量の不燃ごみを出す。すると出した途端、パッとトラックで乗り付け、鍋釜など金のつくものだけを持って行った人がいた。ゴミが減るのだから結構なことだが、家庭の金属回収などと言うと、何だか嫌な思い出がある。
久久に体調の良い予定無しの日だが、暑くて何も出来ず。夜になると月波君がやって来る。「とり貴族」という焼き鳥チェーン店で麦酒を飲む。しかし御客は下人のような人ばかりで余りに騒騒しい。直ぐに退散し、昔からある鮨居酒屋のようなところに避難す。安い日本酒を飲みながら、今後の予定について話した。


7/13・月
 連日の暑さが土壌に蓄積され、とうとう朝から三十度を超える。先週は涼しかったから、まるで国際線で移動したような真夏の暑さである。ちなみに外猫三匹は夕方まで何処へ避難しているらしく、大声で呼んではみても、微かな返事が聞こえるのみ。声はすれど姿は見えずである。そして日が傾いて来ると何処からか這い出して来て、偉そうに餌を強請る。こういう暑い日に働いているのはつくづく人間と虫ぐらいなものだけである。
午後、既に這う這うの体で出社。振り込まれた夏期講習代から金拾万円受け取る。退社後は中華立ち飲みに行くも、店内は冷房が効かないので早めに退散。バーIに寄り、昨日の顛末を報告す。十一時過ぎには帰宅。コンビニで買った冷やし中華を食べた。
 ところで、家庭内不和を軽減しようと、今週から高齢者向けの宅配弁当を取ってみたが、家人によると、まるで不味くて食べられないという。此れで少しは楽が出来ると勢い込んでいた家人は意気消沈す。介護も手掛ける大手企業の配食だが、栄養バランスと安全性を第一に考えると、大体機内食のような物が出来上がる。其の上、配達料も掛かるから、概ねそんなものだよと慰めておいた。それにそもそも体に良いというものは大抵旨くないものである。


7/12・日
 バーIで知り合った才媛のKさんが、どういう訳だが、女性を紹介してくれるというので、横浜中華街まで出かけて行く。最初はランチが良いというので、適当な店で三人で食事会となった。一種の見合いのようなものである。お相手はYさんと言い、吾人より十も若い。話しの盛り上がりはまあまあ。好印象といったところか。
 初回は取り敢えず食事だけにし、Yさんとは別れ、Kさんと地元に帰る。二人で立ち飲みBに少し寄って、本当のお開きとなった。日中三十度越え。また、色色と仲介してくれたから、バーIの店主にも結果を報告しなければならないと思った。夕方には帰宅す。何だか緊張して草臥れた。飲食経費は凡そ一万五千円に達した。


7/11・土
 結局かなりの宿酔となり、日中はほぼ運休状態。からっと晴れて三十度を超えるも、胃痛が酷くて余り感じず。夜はノンアルコールビール。それでも何だか酔っぱらったような気がしてくるから不思議である。脳が錯覚を起こすのだと何処かで聞いた覚えがある。


7/10・金
 十日ぶりに晴れた。吾人の体調も回復す。午後早目に出社。滞留した事務仕事を片付け、夏期講習の時間割を検討す。退社後は中華立ち飲みでミニ金曜会。其の後バーIへ。帰ろうと思ったところで大将が登場し、更に二時間近く引き止められる。帰宅は三時近く。


7/9・木
 自衛官が自宅に火をつけ、子どもが多数焼死するという痛ましい事件が起きた。報道によると、父親である海上自衛官は色色と悩んでいたとのこと。イラク帰りの自衛官が多数自殺していると国会で問題になったが、そもそも自衛官の自殺率や精神疾患率は一般労働者より相当高い筈である。閉鎖的な組織である上に、訓練とはいえ極めて危険な機械を扱うのだから、ストレスは少なくない。此れは幾ら民主的な国家であっても、暴力装置、実力組織である以上、避けて通れない宿痾のようなものである。こういう組織を少しでも小さくしていくよう、世界に呼び掛けていくことは出来ないだろうか。これこそが過去に最大級の過ちを犯した日本人の使命であると思うのだが。
 中国株は持ち直す。党指導の下、国の御金を相当注ぎ込んで買い支えているとの見方である。日本と同様の官製相場であると思った。尤も例えバブルが弾けても中国はまだまだ開発の余地があるから、日本のように行き成りゼロ成長になることは無いだろう。ただ幾ら経済官僚たちが画策しようが、爆発的な成長はそろそろ御仕舞である。
 千寿便は運休にして一日療養す。何とか熱は下がった感じ。雨は降ったり止んだり。涼しい。


7/8・水
 ギリシャの危機は中国の株式相場を大きく引き下げている。このまま中国のバブル経済が本当に弾ければ、その影響は計り知れないだろう。ギリシャ危機が中国を経由することで当初の数十倍の破壊力を伴って日本と世界に到達することになる。過日、アメリカの金融工学が破綻した際、怪しげな債券などを持っていなくても、結局日本経済は大打撃を受けた。その出来事を髣髴させる。
 二晩寝て過ごしても大して治らず。却って発熱が酷くなった感じ。例によって、蛍光灯の下でも何となく目の前が黄味がかって見えるから三十七度五分程度か。結局、咳・鼻・熱の三位一体の総攻撃である。ただ関節痛は無いからインフルエンザではなさそう。思い起こせば大部前から咳が出ていたから喉風邪の類か。水曜欠勤。一日寝た切り。


7/7・火
 国民投票の結果、ギリシャはお仕着せの緊縮策を拒絶。EU全部を敵に回しての徹底抗戦に至る。こうなると収拾の目途すら立たない。国民生活はさらに窮乏するだろう。可哀想だからギリシャの品物でも買って助けてやろうと思ったが、身の回りには大昔のギリシャ人が書いた難しい本はあるが、メードイングリースの物など一つも見掛けず。それに観光旅行に行くには遠すぎる。それでは飲食店でも探してみようかと思ったが、此方も皆目見当が付かなかった。
 電気屋さんに御茶を出した以外は、一日静養す。例によって夏風邪だと、部屋が暑いのか、体が熱いのかは判別付かず。ただ喉の痛みは続いた。夜から鼻水が止まらなくなる。


7/6・月
 体調は回復せず午前中は寝た切り状態。昨夜からずっと雨。午後恐る恐る傘自転車で出社。サーズやマーズやインフルエンザだと困るのでマスクを掛ける。例によって、風邪のせいか風邪薬のせいか、そもそも教える気が無いのかはわからないが、何だか朦朧とす。退社後は薄めのとんこつらーめんをさっと食べて帰った。雨は止んだが、咳は止まず。夜も涼しい。薄い布団を何枚も重ねて寝た。完全休肝
 件の世界遺産は、無事にみな承認されたとのこと。それにしても世界遺産も多すぎて、白神山地や知床や辺りまでは覚えていたが、もう不可能である。観光産業と地元自治体が熱心に進めているのだろうが、世界遺産のインフレーションも猛猛しい。また今回は近代化の文化遺産ということらしいが、ならば是非、ミナマタやフクイチを加えるべきであろう。負の遺産だからと言って相続放棄も出来まい。


7/5・日
 富岡製糸場で調子に乗ったのか知らないが、色色なところを明治期日本の産業革命遺産と称して、世界遺産に推しているようである。ところが韓国辺りから、後にそれらの施設に国民が強制連行されたから怪しからぬと物言いが付いた。羊が人を食ったように、大抵の近代化には痛みが伴うが、取り分け日本はその痛みが大きいと言えよう。
それにしても急速な近代化の背景には江戸時代の超長期的停滞がある訳で、葵の御紋など見たくもない、などという意見が出て来ても可笑しくは無いと思うが。それに未だに頭の中身が悪代官辺りで停止しているような人人も大勢いるから、道理を弁えない発言に閉口する日日である。此方の近代化もまだまだ途上と言えよう。
 昨日からずっと雨。止み間を狙い、こってりラーメンを食べ、量販スーパーで七号室に取り付けるLED電灯を買う。更に草取りも。午後から小咳。安静にしながら、夜は焼き鳥と芋焼酎をお湯割りにして早く寝た。


7/4・土
 一昨日の東京新聞に、「滅多に走らない」というエッセーが載っていて面白く読んだ。確かに吾人も走らなくなって久しい。「ダッシュで追い越」す小学生を見て、走りとは「子供や若者たちの世界」であり、最近「どんどん遠くなっている」と感じる。一方加齢により高齢の世界も着実に近づきつつある。「とは云っても、八十代以上とかになると、まだどんな世界なのか、想像がつかない」とある。筆者は穂村弘という歌人である。
来た道だから、若年の気持ちもまだ覚えている。それに、行く道だから、高齢者の考えそうなことも、ある程度は想像が出来る。老若双方がある程度見えるような気がしてくる。こういう点では、四十代とは人生で一番見通しが良い年代であると思った。
朝から牛丼を食べ、七号室に取り付ける換気扇を量販店に買いに行く。其の後、草取りを巡って家人と衝突す。家人はどうにもしつこい所がある。吾人も「家族という病」とは無縁ではいられない。以後何だか益益腹が立って来て、怒り狂ったように草を取る。刃物を持つと凶器になりそうだったから、素手で剥ぎ取った。草も生えすぎると家庭内不和の元である。夕方からまた雨。


7/3・金
 また別のディスカウント店が長時間労働書類送検されたとのこと。業績好調の靴の販売会社らしいが、実態は所謂ブラック企業である。それにしてもどうしてこう世の中はブラック企業だらけになってしまったのか、全国民が暫し考えてみるべきだと思った。
色色考えたが、結局賃金が上昇しないからである。嫌な会社なら辞めればいい。思うように辞められないのは、同業他社も同様に賃金水準が低いからである。ではなぜ上昇しないのかと言うと、有効需要が足りないからである。なぜ需要が足りないのかと言うと、結局のところ経済がゼロ成長の「定常状態」だからである。ところで、定常、定常というが、定常とは元元は化学の用語らしい。併しアダムスミスにもその記述かあるという。(『劣化国家』という最近の本から)
そこで手元にあった『諸国民の富(一)』を読み散らす。「たとえ一国の富がきわめて大であっても、もしその国がながく停滞的であれば、われわれはその国でひじょうにたかい労働賃銀を期待してはならない」。「そこでは人手が払底するなどということはめったにありえ」ず、「いつも仕事が払底するようになるであろうし、また労働者たちはそれを獲得するために否応なしにたがいにせりあうようになる」。「富の全量をあますところなく獲得した国、したがってまた、此れ以上前進も後退もできない国では、労働者の賃銀も資本の利潤もおそらくは極めて低」く、「いたるところで競争が激しくなるであろう」から、結局給料が上がらないのである。豊かな筈の此の国で、却って貧困が拡大する理由はここら辺にあると思った。
 ただ断っておくが、もちろん吾人は成長論者ではない。経済が無限に成長することなどありえないからである。そこで定常状態に合った新しい社会経済の仕組みを整えるより手は無いと考えた次第である。
 前線が活発になり未明から大雨。また連日の小量飲酒だから、朝から調子が良い。よって上記のようなことを朝から考えた。御昼過ぎには一旦止む。午後出社。退社後はバーIへ。夜は再びの大雨。止むのを待っていたら帰宅は一時過ぎとなる。


7/2・木
 午前中はにわか雨。午後千寿に出社。中華屋に寄ってすぐに帰った。このところ節酒傾向である。


7/1・水
 七号室退去す。色色と溜めた人だったが、最後は一気に清算して出て行った。何かいいことがあったのだろう。早速内装屋さんを呼んで見積もりを取った。
日中弱い雨。午後出社。途中散髪。金伍萬円受け取る。退社後はバーIに少し寄って帰った。