5/31・火
増税延期は正式決定される。散散逡巡したように装っているが、与党内では既定路線である。何しろ消費増税には自民党から共産党まで全員反対であるから争点にならず。当然のことだが解散も無い。
概ね曇り。早速朝から草取り。併し抜いても抜いても、刈っても刈っても、出しても出しても草だけは無くならず。此処の所、週に45リットルで数袋出している。家庭ごみが有料になったら大変な出費になると思った。長い五月も今日で御仕舞。と言っても次は六月だから何も面白い所は無し。
5/30・月
未明から雨。御昼前には一旦止むも小雨は残る。寒気が入り涼しい。顔を合わせるのも嫌だから、給料を早く払うように無責任社長にメールを出す。すると家賃を払ったら殆ど何も残らないと返信が来る。愈愈、大貧学院も沈没間近であると思った。未払い賃金と、実家から巻き上げられた御金、総額数百万円は、弁護士にでも頼むしかないか。漸く辞められることになるが、再び求職活動をするのも大儀である。
午後遅く出社。大貧学院もとうとう店仕舞いである。そう思うと、何だか脱力したようになり、適当に授業す。退社後は久久に中華立ち飲みに寄るも、おじさんたちと歓談する気にもなれず。早目に退散し、碑文谷でラーメンを食べて帰る。
なお鎌倉の伯母さんは心臓ステントの交換手術。家人が朝から付き添う。また伯父さんの頭も愈愈耄碌して仕舞ったという。週二三のデイサービスでは間に合わないとのこと。みんなつくづく歳を取って仕舞った。
5/29・日
昨日の新聞で一昨日の首相動静を眺めていたら、広島で乗った新幹線を途中で降り、名古屋の会社の会長Kの御出迎えを受けたと書いてあった。Kは歴史修正主義に頭の奥まで染まり切っており、Aの取り巻きとして有名である。昨日に引き続き、言いたいことは只其れだけである。
昼の買い物の帰りに、小学生低学年の自転車に突っ込まれる。先方はハンドルで顔を打ったらしく、びゃあびゃあと泣き始め、その後鼻血を出す。大惨事である。ふらふらと蛇行して来たので、直ちに非常制動を掛けたが、止まり掛けたところで却ってぶつかって仕舞った。相対速度五キロぐらいか。友達と追い駆けっこをしていたのだろう。一応血と涙が止まるまで現状を確認す。安全運航、安全管理にはひとの一倍は気を使って来たが、いやしかし、避けられない事故というものもあるものだね。巡査や自転車保険の出番とはならなかったが、此れで吾人の対人対物無事故記録は十七八年でストップ。つくづく残念である。
気を取り直し、午後は再び自転車で出掛けた。ラーメンを食べ、スーパー大関に参る。此処は生鮮品が佳い。何しろ店内で肉を切り、魚を捌いている。当たり前には違いないが、合理化ばかりのイオン系には見られない企業姿勢である。宮崎のどんぐり豚スライス、大分の天然鯛の刺身、秋田の鰆を入手。豚は不味かったが他は及第す。
5/28・土
昨日職場で腹を立てていた頃、米国大統領は広島を訪問したとのこと。直接的謝罪は無かったらしいが、少なくとも目を閉じられたことは評価すべきことと思う次第である。それに謝罪がないのは日本人とて同じである。其の上、半島や大陸で起こしたことを丸で無かったことのように扱う輩も居るのだから、一段と宜しくないと思った。
ところでオバマ氏は、歴代大統領の中でも最良の部類に入るだろう。吾人も米国国民なら支持をしていたことと思う。併し何しろ前任者が酷過ぎたから、やらされたことと言えば、藪の敗戦処理であるし、またやろうとしたことの大半は、国論が二分して仕舞って悉く巧く行かなかった。外交面でも肝心のロシアと中国があの強面おじさんだから、此方もつくづく立ち往生である。其の上、後任候補の一角は、あの知性もへったくれも無いおじいさんである。つくづく空前絶後、孤立無援、孤独で異彩な大統領であると思った。あと一言だけ言っておく。大統領の付き添いでAが出て来ることこそ全く可笑しい。広島の演説が前年のコピペだった事実を、みんな忘れている。「国民連合政府」が早く欲しい。
再び梅仕事。想定以上に大量に取れ、瓶も焼酎も氷砂糖も足りなくなる。追加購入に走り回った。ところで梅酒づくりと言っても、各社でレシピが微妙に異なる。色色と見比べたが、当然酒造会社は焼酎が多めとなり、砂糖の会社は氷砂糖が多めとなる。となると瓶の会社が一番公平で中立ということになると思った。以後出たり入ったり、叩き落としたり拾ったり、瓶を出したり仕舞ったりを繰り返す。梅重労働である。家人共共疲れて仕舞い、晩食はスーパーの総菜を並べただけ。十時就寝。
5/27・金
朝方まで大雨。御昼前には止む。当然草取り。イネ科の雑草を根っこから引き抜く。何だか多年草のようになり、一株が中型植木鉢一つ分ほどに巨大化している。抜けた穴も埋め戻しせねばならず二苦労である。
午後になると首相Aが出て来て、中国経済が減速しているので、此のままでは世界が大変な事になると言っていた。何でもリーマンショック並みの危機が来るとも言っている。財政出動を要請したらしいが、各国首脳には相手にされなかったよう。都合が悪いことは、大方中国か民主党のせいにする。Aお得意の責任転嫁論である。そもそもそんなに他人の国の心配をするより、まず自分の国の財政を手当てすべきである。落ちた落ちたとは言え世界第三位の経済国である日本が財政破綻したら、それこそニッポンショックが起こって、世界中に御迷惑を掛けて仕舞う。
午後遅く出社。相変わらず一円も支払われず。段段腹が立ってくる。煩い生徒は怒鳴り散らした。退社後も職場の近くで飲む気にもなれず。焼き鳥Bに行き、古参の従業員に相手をして貰ってから帰った。
5/26・木
午前中は草取り。御昼過ぎに眼鏡屋に行き、ツルを交換す。四千円。視覚から入る情報も正常化す。此のところ何もかも歪んでいたから、一種夢心地であった。醒めた処で悪夢のような現実なのだが。
午後千寿に出校。途中BQハウスで散髪。退社後は大橋の破魔寿司へ。安く揚げようとすると結局チェーン店の利用が増えて宜しくない。而し家族連れ等で後者は何時になく混んでいた。俸給日直後と云う事もあるのだろうと思った。家に着いてみると二階の電灯が切れ掛かっている。大体蛍光管がチカチカすることほど貧乏ったらしいことはない。家主の名折れである。直ちに脚立隊を出して交換す。
5/25・水
朝から曇り。まあまあ涼しい。午後出社。眼鏡修理費用捻出のため退社後は直ぐに帰る。帰り掛けはKFCに寄る。フライドチキンというものも年に一度程度食べたくなるが、食べてみたところで大して旨い物でもなし。大体部位が選べないということからして何だか変である。麦酒二缶で流し込んだ。
思い起こせば十年近く前までは、そんなに外飲みはしなかった。精精週に一二度立ち飲みSか其処らに寄る程度で、それ以外はスーパーで半額の惣菜を買い求めて、家に帰って飲んだものである。其の内に腹が立つことがどんどん増え、外で飲むことも飲酒量其の物も激増することとなる。
併し五月は長い。まだ一週間もある。大型連休以後は消化試合のようである。それに六月はカレンダーがちっとも赤くない。鉄道自殺が増える訳である。
5/24・火
再び眼鏡のツルが破損す。どうにも焦点が合わず。地震は無いが世の中がかなり傾いたように感ず。朝から眼鏡屋に参り、早速部品を発注す。午後はだらだらと梅を取る。所謂梅仕事である。今年は少し早い。そして今日は特に暑い。既に今夏は猛暑との予測が出ている。
また向かいの領事一家も本国に帰るとのこと。滞日三年半。外交関係を築くには少し短かったかな。そこで何か贈り物をしようと思った。大き過ぎず小さ過ぎず、それに何かしら和を感じさせる物をと云う事で、招き猫の置物を贈呈す。英語名はカムカムキャット。一応喜んでくれた。凡そ800円。併し物を贈るということは、実は吾人にも打算はある。地震と火山の活動で日本列島が本当に沈没して仕舞ったら、吾人は故国などという貧乏臭いものはきっぱりと捨て、すっぱりとアフリカに移り住む予定である。勿論領事を頼って。
5/23・月
日中三十度に達す。愈愈何も出来ず。午後出社。珍しく鶴木さんからお誘いを受け、退社後は佐渡屋へ。更に立ち飲みBに行って帰った。ところで鶴木さんは今年で還暦。あと五年は働くそうである。会社から御呼びが掛かるだけ立派であると思った。退職金も出るだろうし。下流化の心配はないな。
5/22・日
日中三十度近く。こうなると作業も出来ず。昼は「せい家」で付け麵。諸物価高騰中だというのに、此のチェーン店はいまだにラーメン一杯五百円である。八パーセントになった消費税も転嫁されていない。税務署に言われないのだろうか。安いから開店と同時に満席である。夜は天草の養殖鯛刺しに熊本の和牛。取り立てて無為。
原子爆弾もアウシュビッツも70年前の事である、と聞くと何だか遠い昔の事のように感じる。そして歳月が積み重なって往くと、70年が80年になり、其の内100年にもなるにもなるだろう。だが、吾人(現在四十歳)が生まれる30年前のことであると聞くとどうだろう。大部印象は変わる。そこで吾人流の戦争記憶術を戦後世代限定で記述したい。
年令算的に言うと、二つの出来事の間の年月は決して縮まらない。そして歳月を経れば経るほど、30年間の持つ割合は小さくなる。例えば、現在の吾人から見ると、原爆投下は70年分の30年ほど前に当たるが、2045年になれば、100年分の30年前である。(例をもう一つ、今10歳のお子さんから見れば、70年分の60年前だが、同じく2045年になれば、100分の60前となる。)
つまり年令が増すにしたがって生まれる前のことなど、つい此の間の話しとなり、ほんの僅かな世代の差と云う事になる。年を取れば取るほど過去の出来事は益益身近に感じるようになる訳である。過去というものが色褪せるということはない。だから益益恐ろしいと感じる。原爆もアウシュビッツもまるで同時代の過ちとして捉えることが出来る。
5/21・土
一日晴れ。三週ぶりに土曜日が正常化す。暑くも無く、寒くも無く。夕方からお酒を飲むには丁度いい気候であることに気が付いた。
5/20・金
何となく咳が残り重い感じ。都知事が会見場に出て来たが、何を訊かれても弁護士に調べさせるの一点張り。所謂壊れたテープレコーダーである。放漫で傲慢で不誠実。併し此れでまた選挙だな。直下型の地震でも来ない限り。
午後出社。入って来る筈の御金が入らないとのことで、僅か壱万円だけ支給される。まあここずっと節約生活だから御金も掛からない。退社後は中華立ち飲みに。詰まらない顔をして二杯だけ飲んで1200円。先週の月曜から実に7000円しか使わず。やれば出来る緊縮政策である。飲食店はがっかりしているだろうが。
映画『17歳(原題は若さと美)』見了。もうすっかり忘れて仕舞ったけど、高校二三年生の頃と言うのも色色と難しい年齢だった思う。女の子なら尚更難しい。あの時代のひりひりするような感覚、持て余すような衝動は、差し詰め日本の高校生ならば受験勉強か部活動に向けられているのだろう(どちらもさして意味のあることには見えないが)。結局のところ、「わたしが一番きれいだったとき」のことは、後のちにならなければ分からないものである。詰まり平時であっても心は一種の戦時である。併しフランスだと中産階級でも長期休暇が取れるよう。南に北へと別荘暮らしである。此ればかりは羨ましい。ただ映画としては、少し性描写が多すぎるかな。もう少し四季折折の景色と女優さんの表情を見たかった。
沖縄では元米兵が事件を起こす。海兵隊出身だというから実戦経験があるのかもしれない。そうなるとずっと、そのハードルは低くなる。
5/19・木
反原発派の元首相のKはアメリカを訪問し、トモダチ作戦に従事した米兵と面会す。元米兵はフクイチ事故による放射線被害を訴えているという。併し核戦争をも想定している原子力航空母艦が、のこのこと航海して行ってそんなに沢山被爆したのだろうか。詳しいことは分からないから何とも言えないが。また感極まってK元首相は涙したと伝えられた。併しKは本当にアメリカが好きなのだと思った。
昨日と同じくらいの晴れ。午前中は居間の模様替えと茶毒蛾の退治。ホットカーペットを片付け、毒虫に薬剤を掛ける。尤も殺虫剤がないので、呉556と言う機械油を掛けた。流石に火は点けなかったけど。ツバキ科の植物はつくづく面倒臭い。
午後千寿に向かう。今日の千寿散歩は安養院というお寺。一郎叔父さんの墓があるので十数年ぶりに墓参りをしようと思った。併し記憶を辿って何遍探し回っても墓石が見つからず。とうとう墓参は果たせず。午前中の殺生の祟りだな。其の後出校。結構苦労して高校数学を教えて帰る。町屋で途中下車。「じろりあん」という店で、こってりラーメンを食べる。例によって此の手のラーメンは、どうにかこうにか食べ終えたという満足感以外に得る所の少ない食べ物である。750円。京成線は京急線での人身事故、千代田線は常磐線でのそれで微妙にダイヤが乱れていた。五月というものも実にそれが多い。
5/18・水
朝のドラマなど見ないことにしているが、家人が毎作毎作熱心に見ているから、つい音楽だけは耳に残る。前作の楽曲は「365日の紙飛行機」。爽やかな前向きソングだが、ふと気になる一節があった。「ずっとみている夢は 私がもう一人いて やりたいこと好きなように 自由にできる夢」。
異様な内容である。夢を果たすのは夢の中のもう一人の自分であって、現実の自分ではない。夢や希望や新しい自分を歌う歌は多多あれど、全く別の自分にそれをさせるというのは、正直聞いたことが無かった。ひょっとしたら実際社会の私は、座敷牢か何処かに閉じ込められていて、せいぜい自由と言えるものは、日に一つずつ格子窓の隙間から紙飛行機を飛ばすことだけなのかと。一方、もう一人の私は自由に世界を駆け回る。多重人格、それとも幽体離脱。前を向いていそうでも、実は恐ろしい歌なのではなかろうかと、毎朝毎昼耳にするたびに思ったものである。
ある評論家によると此の歌は、「今の日本になんとなく漂っている諦念を」「子守歌として聴かせ」たものなのだという。成程、私たちは劣化する社会の中に居て、せいぜい風任せで運任せな紙飛行機か、夢の中のもう一人の自分(スマホの中の自分?)に願いを託す以外に希望というものを知らない。そんな私たちには耳障りの佳いBGMである。
それにしても、作詞家のAという人物は凄い。「サイレントマジョリティー」という歌で無難な若者を焚き付ける一方、「アインシュタインよりディア何とか」では、頭はなるべく空っぽの方が楽しくて良いと宣う。右でも左でも上でも下でもどんな階層の歌でも作れて仕舞う。而も大量に。節操が無いと言えば無いが、そもそもA氏は「自分の思想を作品で表現するタイプではなく、あくまで市場の要請を打ち返すタイプの作家」なのだそうである。
併し此の稀有でマルチなタレントの持ち主の中心は、恐らく空虚なのだろう。だから色色な物を同時並行的に吸収し、そして発信できるのである。とはいうものの、こんなにも空虚なA氏が作る曲が「広く支持を集める今の日本社会は、とてつもなく不幸なのだと思う」(宇野常寛)。今必要なのは、そんな社会に蔓延る格子窓を叩き壊すような強いメッセージを持った歌なのだが。
朝からかんかん照り。紫外線の合間を縫って軽作業す。午後出社。丁度国会で党首討論をやっていたので、スマートフォンで聞きながら行く。すると野党代表のO氏が、消費税の増税延期をAに逆提案している。結構吃驚して自転車急行も臨時停車した。聞き間違いではなかった。思い切って政権側に先手を打ったという形になるのだろうが、此れで来年の増税は確実に不可能となった。併し代わりの財源など何もない。また全額借金である。
それにしても、増税を決めた時の政権党ですら、結局はこうなるのだから、増税というのはつくづく難しい。来年の増税を延期して三年後には本当の本当に10パーセントにするというが、二度も延期したものが三度目にできるとは限らないし、そもそも此の間に景気が良くなっている保障も見込みも全くない。大体人口自体が減って、其の上高齢化して、更に貧困化しているのだから、GDPなど此の先もますます減る一方である。みな今が最悪だと勘違いしているようだが、来年は最悪の最悪、再来年は最悪の最悪の最悪になる可能性があるということをすっかり忘れている。
それに、もう一度、兎に角もう一度景気が良くなったら増税しようというのも、まるで大戦末期の一撃講和論である。成るべく早目に講和に持ち込んで欲しいと願うが、与野党揃ってこういう無責任の体系になって仕舞ったから、やはり行き着くところまで行くしかないか。玉音放送は何時になるか。そしてIMFか何処かの進駐軍に債務整理をやって貰うしか手が無い。となるとみんな公職追放だな。
いやしかし、本当に何か他に財源は無いのだろうか。行政改革をすると言っても何兆円も出て来そうにはない。年寄りに向かって、金輪際病院に行ってくれるなとも言えまい。ならば酒税もたばこ税も早く引き上げて欲しい。それにキャピタルゲインにももっともっと課税すべきである。三兆円ぐらいにはなるか。併しこうなることが分かっていたなら、一昨年一気に10パーセントにすべきであったとつくづく後悔す。
咳が残るので退社後も直ぐに帰る。帰途、イオン系の詰まらないスーパーで詰まらないものを買う。鮪の刺身と冷やし中華で500円。想定外の御夜食がやって来たとミケとシロは喜んでいたが。
5/17・火
嗅覚以外は概ね回復す。朝から雨。止んだ頃に草を取る。此処三日間ほぼ寝た切りだったから、直ぐに疲れる。併し雨上がりは、根も取りやすい上に、通行人が垂らしていったものも洗い流されているから、草取りには好機である。三日ぶりに飲酒も再開。数日ぶりに入浴。
参議院予算委員会では地震関連の補正予算の審議。地震から一か月も経つのに、自治体が罹災証明書一枚発行できないのは、公務員を減らしすぎたからではないかと、野党議員が追及していた。確かに此処十数年の公務員バッシングは行き過ぎた面もあったと思う。何しろ民間企業は人員削減に加え、給与もだだ下がりだから、ついつい公務員の足を引っ張りたくもなるのだろう。官民挙げて余裕がない組織にして仕舞ったから、こういう時はつくづく困ると思った。此れも「下方平準化」の悪い例である。
5/16・月
咳は収まったが、昨夜遅くから鼻をやられ、色のついた鼻水が大量に出る。結局、咳、喉、熱、鼻のフルコーラスとなる。微熱が続き、昨日より悪い感じ。それにしてもよく風邪を引く。何か大きな病気の前触れかもしれないと思った。尤も小さな地震が続いたから大きな地震が来る訳でもないし、沢山小銭があるから大金持ちという訳でもない。むしろ逆であろう。ひとまずは安心することとす。せめて鼻腔を通そうと何時もの抗ヒスタミンを服用。
ずっと寝ていて午後遅く厭厭出社。当然マスク掛けである。例によって漫然と授業す。帰り掛けにスマートフォンが鳴る。何かと思ったら、緊急地震速報であった。直ぐに揺れが来た。茨城で震度五弱、都内は三程度。地震より速報の方に吃驚す。其のまま帰宅。今日の昼は納豆ライス。夜はベーコンエッグライス。嗅覚をやられたから食欲喪失。麦酒一缶のみ。アルコールがないと寝付きも良くない。
5/15・日
朝になっても体調戻らず。「ポンタール」「小青竜湯」等等を逐次投入、逐次消耗す。大量の咳と痰。併し毎度毎度思うことだが、よく風邪を引く。今年に入って既に三回目である。
そもそも人はどうして風邪を引くのだろう。難しい感染症の専門家は多いだろうが、ありふれた風邪の研究など誰もしてくれない。金曜の午前中は妙な水っ洟が出た。その段階で罹患していたのだが、木曜、水曜は何も症状はなかった。火曜、月曜も品行方正に努めた筈である。身の回りに風邪の人は居なかった、恐らく。そういえば週の前半は少し体が硬く凝ったような感じがした。木曜は白い安ワインを一本近く飲んだが、何だか酔いの回りが遅かった。水曜は麦酒の味が少し変だった。その程度の事しか思いつかない。地震も風邪も予知することは困難だと思った。結局終日寝たり起きたり。咳と痰は夜には概ね収まる。昼はうどん。夜はメンチカツに解凍赤飯。無酒。
5/14・土
老家人が加入していた「日本工業炉厚生年金基金」が解散し、今年度から入って来る御金が数十万円は減って仕舞うそうである。老家人の年金収入は拙宅の屋台骨であるから、支出も少し緊縮させなくてはならないと思った。ところで老家人は今年九十一。敗戦時は二十歳だった。(「多賀工業専門学校」というところに進学したので、徴兵は逃れた。)其の後の人生は戦後日本の歩みと近しい。二十代の時分は日本経済も混乱していたので、勤務先は何度か倒産、転職したらしい。その頃の年金記録は不備が多く、幾らかは消えて仕舞ったそうである。(例の「消えた年金問題」による精査で、数か月分程度は出て来たとのこと。)最終的には工業用バーナーの専門会社に就職し定年まで勤め上げた。併しこうして年金が貰えるのも有難い話しである。掛け金の何倍ものリターンがあった世代であるし、そもそも戦争で死ななかった点で大いに感謝すべきである。
朝から小咳。喉を傷めた。刈った草を袋に詰める以外の作業は無し。午後は軽く発熱した感じ。過日の液体漢方薬と気管支拡張剤を使用す。やはり魔の一週間は乗り切れなかった。ほぼ無酒。朝はコンビニのおにぎり、昼は肉まん、夜は豚焼き肉ライス。食欲はある。
5/13・金
不祥事続きだった三菱自動車は日産の傘下に入ることに。そもそも日本には自動車メーカーが多すぎるらしい。沢山あるから何かと過当競争に陥る。手っ取り早く自動車を売ろうと、今回のような不正に手を出したとのことである。併し会社が多すぎるのは、別に自動車会社に限らない。あらゆる業界で会社が多すぎて競争が激し過ぎる。安くしろ、早くしろ、もっとサービスしろと言われるから、バスは引っ繰り返り、食品偽装が頻発し、過重労働で人が次次と死ぬ。
とはいうものの、給料も払えない零細企業に蒙塵する身としては、少少厳しい物言いであるかな。併し今更ながら選択と集中を進めて行くのもね。大体、大手の寡占状態になっている業界も酷いことは酷い。要は消費と生産、需要と供給、経営と労働のバランスが壊れ切っているのである。
午後出社。退社後は佐渡屋に参る。常連の座は既に滑り落ち今となっては外様扱いだが、吾人の左側には一見の二人組が居てくれた御蔭で、何とか浮いた存在に成らずに済んだ。御客もバランスが大事である。今日の外飲みは三千円。今週は五千円程度で済んだ。何とか連休明けの一週間も終了す。
5/12・木
パナマ文書が公開されたが、今のところ大騒ぎになるほどのネタは無し。とんだ肩透かしと言いたいところだが、何せ文書は膨大にて解析にはまだまだ時間が掛かるという。そこでインターネット上の素人探偵の手に委ねられたというところである。今後とも目が離せない。
他人の物なら容赦なく使うが、自分の物なら舌も出さないという人がいる。中学時代にB君という同級生がいた。彼は決して自分の鉛筆は使わず、どういう訳だか毎回毎回他人から借りていた。別に筆箱を忘れて来た訳ではない。頭も良いのに、随分料簡が狭いことをしていると呆れたものである。大方、都知事とはそういうタイプの人間であると思った。
朝から快晴。湿度も低い。午後千寿に向かう。もう鞄も捨て去ったから万時身軽で気持ちがいい。千寿駅から相当遠回りして、ぶらぶらと歩いて出校す。一駅手前からでも歩きたかったが、千寿は何せ島状なので経路が限られる。いっそ自転車で行って見るか。帰りは「福しん」に。回鍋肉定食630円。普段以上に旨く感じたのは、運動の御蔭であろう。それに外飲みも停止すると、御金がどんどん湧いてくる感じである。
5/11・水
熊本地震関連の補正予算は七千億程度とのこと。またまた借金が増えると思ったが、予定していた国債の利払い費が減ったので、何とかなるのだという。なるほど日銀のマイナス金利政策の真の目的は此れだったのかと訝る。
また短髪の苦労人の大統領はサミットの序に広島に来るらしい。其れ自体は歓迎すべきことだが、何しろホスト国の首相がAではね。Aの頭の中身などはあの共和党の大統領候補により近い。となると今回の訪問はトランプ派ヘの牽制とともに、歴史修正主義を標榜するAへの一種の釘打ち行動になるかもしれないと思った。
雨は止んだが、朝方から南の大風。疲れが出たのか午前中は漫然とす。午後出社。区内の中学校で最悪の事案が発生したので、何だか生徒も興奮気味である。それにしても中学二年生の女子二人組か。あの年代の女の子は、巫女にも悪魔にもなり得るから悉く難しい。特に中学校の途中に一人で入って来たような子は、何が気に入らないのか大抵全く喋らない。海の物とも山の物とも判別が付かないうちに、大方直ぐに辞めて仕舞うものである。
当該生徒が何に悩んでいたのかは分からないが、大人ならば大量飲酒で誤魔化す。子どもならば歌など聴いて耐え忍ぶものか。最近の子は何を聴くのだろう。ただ今回は複数人による集合死である。通常は、一方がもう一方の不幸に共鳴したなどと説明されることが多いが、両者の関係が対等であったとは限らない。其処には主従に似た関係があったかもしれない。一緒に便所やコンビニに行くのなら兎も角、冥途の御供にされた側はつくづく可哀想である。併し痛かっただろうな。最近は大井町線の急行もスピードを出すから。
退社後は立ち飲みBに入る。例によって従業員は足らず。一部入場を制限していたが、満足な注文は出来ず。麦酒を一杯だけ飲んで早早に帰宅。直接的には此の三日間で710円しか使わず。内需不拡大方針である。
5/10・火
溜まった新聞を広げて見ると、大森のダイシン百貨店も、碑文谷のダイエーも閉じて仕舞ったという。後者にはよく行った。食品類に加え、電子レンジや小型テレビや物入れなどなど色色と買ったものである。其の上で、確かにダイエーにはもう何年も何も買いに行っていないことに気付く。総合スーパーは危機的な状況だそうである。
北朝鮮で三十六年ぶりに開かれたという党大会が閉幕。件の第一書記は委員長に内部昇進す。結局祖父を越えたかったのだろう。アメリカによる脅威と言うやつも、其の為の出汁に使われたと見るべきである。満願成就ということで少しは落ち着いてくれるといいが。それにそろそろ農繁期であろう。祖父を越えたがっている困った人物は此の国にもいるけど。
日中曇り。夜から小雨。終日日記を纏める。その合間合間に草取り。陽が落ちると伊那から担いで来た野菜尽くしの晩酌となった。菜の花、行者にんにく、こしあぶら、何だか分からない草草等等、信州食はつくづく健康食である。夜半に掛けて大雨。
5/9・月
溜まった新聞を開いて見ても、何処も彼処も貧乏で貧乏で困っているという話しばかり。貧乏ならば働けばよいが、働いても働いても依然として貧乏のままというなら、人と言うものはとうとううんざりして仕舞い、以後働かなくなると思った。
ただ日本の都会は住居費が高いから、例え低収入であっても公営住宅にさえ入れれば、生活は幾らか楽になる筈である。併しながら、入れそうで入れない人が沢山いるというのが宜しくないと思った。此れは住宅問題に限らない。公立の保育園に入れる人、入れない人。国公立大学に受かった人、受からなかった人。国立病院に入院出来た人、出来なかった人。最後のセーフティーネットを受けられた人、受けられない人。特別養護老人ホームに入れた人、入れない人。喫緊では避難所に入れた人、外のテントで寝ている人。公的な助成は方方でそれなりになされていることはいるのだが、結局受けられる人とそうでない人が出て来るから、肝心の格差を縮小させる方向に行っていない。こうなると全国民に一律に御金を差し上げますという、ベーシックインカムなどという発想も強ち出鱈目ではないと思えて来る。
全て日常業務に復帰す。当分は何の予定も無い。従って朝から草刈り。午後出社。行きも帰りも雨である。例によって伊那木曽上田で御金が大量遭難した上に、九州の御金もまだ補填出来ていない。当面緊縮財政である。何処にも寄らずに帰宅す。冷凍食品等を食べて飲んだ。此れで二千円ぐらいは滲み出してきた筈である。
5/8・日
朝から脇道の轍を直したり、薪を拾ったり、蜘蛛の巣を払ったりと各種作業を執り行う。以後、近所の植物園に行って見たり、国道361号の旧道の方に入って見た。トンネルが開通して今年で十年。役目を終えた旧道の方は修繕もされないらしく傷みが激しい。而も土砂崩れの恐れありとのことで木曽方面には抜けられない。恐らく此のまま廃道となるだろう。道路の栄枯盛衰である。併し、廃道、廃線、廃屋、廃校、廃村・・・という言葉はあるが、廃国という言葉はあるのだろうか。亡国だの憂国だの、挙句の果てには売国などと他人を罵るのは勝手だが、放っておいても死んで仕舞いそうなのが此の国の姿である。
帰りはバスにした。伊那市ターミナル、四時二十五分発の富士急行バスに乗車。バスだから「あずさ」のように、つい調子に乗って車内販売員を何度も何度も呼び止めては、うっかりお酒を飲み過ぎる心配はない。それに正規の高速路線バスだから、道を外れて林に突っ込むような心配も要らない。唯一の心配は大渋滞だが、連休も本当の最終日と云う事もあり、全く無い模様。極めて快調にバスは走る。
ところで中央自動車道と言うのも、勾配が大変で、見ていると上り線は関東平野に向けて凄い角度で落ち込んでいる。丸で奈落の底にでも落ちる感じである。何だか明日からの悲惨な生活を暗示しているようで、上りのバスの筈だが随分と下っているように感じた。こういう感覚は列車では分からないと思った。
三鷹のバス停付近で事故渋滞に巻き込まれ二十分延着。まあ及第点であろう。新宿の高速バス駅は立て替わった筈だか、どういう訳だか今まで通り路上にて下車。詰まらない顔をして月波君とうどんを食べてから帰った。
5/7・土
朝から上田方面に向おうと、伯母と月波君の三人で自動車に乗る。早く行こうと贅沢して伊那インターから高速道路に入る。併しぼんやりしていた訳ではないが、あっという間に降りる筈の岡谷インターを通り過ぎる。結局、諏訪湖を半周ほど無駄回りして、次のインターで降りる。一般道を戻り戻り、漸く当初の国道142号に辿り着く。距離にして十数キロ、時間にして三十分を失う。それにしてもこうして無暗矢鱈と自動車は方方を走り回っているのだが、その内の何パーセントかは、遠回りや迷い道という無駄な走行であると思った。
ところで、諏訪周辺は大祭りの後と云う事で静かな佇まい。以後本道を進む。沿道には大きな廃棄物処理場があるらしく、何だかもくもくと燃やしている。横を見ると膨大な一般ごみが積まれていた。成程祭りの後始末であろう。祭りとは膨大な富の蕩尽である。何しろ、需要が全く足らない国だから、こうなったら数年に一度などとケチ臭いことは言わず、二三年おきぐらいに盛大にやって貰いたいものである。
其の内に和田峠をトンネルで潜る。此処のトンネルは依然として620円も支払う。而も全て現金払い。諏訪と佐久を結ぶ主要幹線道路の割には、御目溢し無しである。一方、伊那と木曽を結ぶ権兵衛トンネルは、当初から無料である。道路というものも管轄により随分価格に違いがあると思った。そんなこんなで二時間掛かりで別所温泉の近郊の「無言館」へ参る。併し長野県は広いと思った。
一応ナビゲートはスマートフォンにやらせて見たのだが、どう贔屓目に考えても、余りに信用できない道を度度案内されてはつくづく閉口す。此方の使い方が稚拙なのかは分からないが、とても満足できる水準ではなし。大体吾人の年齢ともなると地図も時刻表も断然紙派である。
其の後、上田に向かう。お城の駐車場に自動車を留め、目当ての酒屋と蕎麦屋行くも、例によって蕎麦屋は蕎麦が売り切れて閉店状態。かんかん照りの中を三人とも無言でお城の方に戻る。観光食堂のような所に辛うじて滑り込む。例によって下らない大河ドラマの影響で、何処も彼処も大混雑である。どうにかこうにか蕎麦は食べたが、もはや観光するどころの気分では無し。一回りして帰ることとす。
何だかだんだん色色な事で腹が立って来たので、帰りは上田から高速道路に入り、特急並みの速度で帰ることにした。途中姨捨のサービスエリアで休憩。此処の景色は素晴らしいから、名前は悪いが、伯母にも喜んで貰えた。伊那までの高速料金3240円。ETCが無いと1000円も高かった。併し高速道路を使っても、やっぱり二時間近くは掛かる。前にもまして長野県は広いと思った。
5/6・金
午前中は宿酔。漸く御昼前に回復す。月波君と二人で木曽方面に回る。「ラーメン大学」に入りたかったが、木曽キャンパスは工事中の模様。止むを得ず、街道筋の適当な中華屋に入る。宿酔明けは食欲全開。ラーメンと炒飯のセットを完食。
併し総じて天気は良くない。再び伊那に戻り買い物して帰る。ちなみにガソリンは1リットル126円。資源小国としては値下がりして有り難いと思った。夜は例によって野草の天麩羅。
5/5・木
何処にも行くところがないので、取り敢えず伊那に行くことにした。同行は例によって月波君であるが、仕事の関係で午後にならないと都内を出られないという。そこで早目に行って待ち構えることにした。
急ぐ旅ではない。それにそもそも御金が勿体ない。ということで高尾まで京王線で参り、中央線の普通列車を乗り継いで行くこととした。高尾駅で件の賢い券売機で伊那市まで3350円の乗車券を購入。早速甲府行きの普通に乗り込む。此の区間の列車は全て211系と言う車両に切り替わったよう。東海道線の御古と云う事らしいが、大抵ロングシートである。相変わらず評判の悪いロングシートであるが、低山ハイキングの御客がこぞって降りて仕舞えば、開けっ広げな感じがして来て案外佳い。足もどかっと伸ばせるし、向かい側の窓から外を見れば、実は眺めも悪くない。山が近くなったり遠くなったり、緑が濃くなったり薄くなったり、山の桜が咲いていたり散っていたりと、流れゆく景色を満喫した。まあ車内で飲食しようと思えば不便は不便だが、展望と言う点ではロングシートに軍配を上げてもいいと思った。
甲府で後から来た二階建ての快速に乗り換え。折角なので寄り道をして行こうと、小淵沢で小海線に乗る。一駅だけ進み甲斐小泉下車。「シルクロード美術館」に入る。絵のことなどは少しも分からないが、「祈りの行進」と言う絵は少し印象に残った。併しあの赤い服を着た小さな女の子だけは、どうして此方を見ているのだろうか。再び小海線に乗って小淵沢に戻る。中央線を六駅進み、上諏訪駅併設の足湯で休憩。連休後半ともあり、すれ違う上りの特急は超満員。指定席まで人が入り込んでいた。
岡谷で漸く月波君に追い付いて貰った。例によって下らない話しをしながら飯田線に乗り、何時もの通りの伊那市駅下車。早速飲食店を巡る。といっても「桜屋」という高級店に入ったので、敢え無く一軒で予算超過となった。以後タクシーを仕立てて山荘に上がり、伯母と合流。適当なワインを傾けながら談笑す。
昨秋以来、半年ぶりの伊那山荘だが、残念なことが一つ。向かいの家で飼っていた駒子と言う猫が死んで仕舞ったこと。人懐っこい猫で、行く度に、「にゃぎゃあ」「にゃぎゃあ」というざらざらした声で出迎えてくれたのだが。享年十数歳。寒冷地での外猫の割には長生きした方であろう。
5/4・水
明け方は南風と大雨という春の嵐。所謂メイストームである。其の後、あっという間にかんかん照りとなる。こうなると真夏のよう。昼は初冷や素麺。
改憲派は、被災地復旧に役立つという理由で、憲法に緊急事態条項を入れたいらしい。併し戦後最悪の自然災害と事故に遭っても、通常法規の枠内で何とか対応出来たという事実をすっかり忘れている。余りにも姑息そして稚拙な改憲論である。併しよく次から次へとネタを見つけて来るとつくづく呆れる。
5/3・火
起きて見ると、窓外で見慣れぬ御婦人が草取りをしている。聞けば、七号室の御母堂であった。何せ北から来られたから、温暖な関東の雑草の多さに吃驚されたのだろう。東京見物の序に、体を動かさずにはいられなかった模様。放っておく訳にもいかず、吾人も少し後から出て行き、伸び放題にして、あいすいませんと一緒に引っこ抜いた。それにしても今年は暖冬だったから一段と酷い。もはや山羊でも飼って、本職に食べさせるぐらいしか手が無いと思った。少し動いたら酔いが回って来て、改めて宿酔となる。二時間ほどで回復す。概ね晴れ。南風強し。
熊本ではボランティアが押し掛け、三時間待って漸く一時間の仕事を割り当てられるような事態に。つくづく計画と配分は難しい。こうなると普段は何かと嫌われ者の人材派遣業に、司令部業務を代わりにやらせたらどうかと思った。
5/2・月
大型連休期間中だが本務校に出校。谷間の平日で腹を立てると、連休後半が不愉快になる。なるべく腹を立てないように気を付けながら、詰まらないことを教えて回る。金曜日は休みを取ったので、個人的には明日から六連休。併しながら大した予定も無し。従って少しも楽しくない。
退社後は中華立ち飲みと立ち飲みBへ。案外勤め帰りのおじさんたちも多かった。食べ足りないので更に一番館で「フライドチキンカレー(二辛)」を食べる。つくづく孤独の何とやらである。一時頃帰宅。
5/1・日
大型連休三日目。朝から牛丼Sへ。食べた分は動かなくてはと思い、木を切る。午後滅多に乗らない下りの田園都市線に乗り町田へ。土偶君に会う。高校が同窓だった彼に会うのも実に二年ぶり。町田に来たのも数年ぶりである。早速、原日記にも出ていた古書店Tに行く。確かに一棟丸ごと古本屋である。ただ整理は永遠に付かない感じで、少少乱雑に本が積み上がっている。時節柄地震が来たらと少し心配になる。無給でいいから手伝ってやりたいとも少し思った。
そして立ち飲みBの新店を表敬訪問。此処はフランチャイズ方式の出店らしく店員も全く知らない。ところで土偶君は、介護の仕事をやろうと思ったが、何だか大変そうなので止めたという。相変わらずぐらぐらしている。吾人以上に、失われた二十年を生きていると思った。更に「一休」という激安居酒屋へ。締めは「行天」というラーメン屋。此の店も有名である。併し町田という街は若い。こうして飲み歩いていても、すれ違う人は吾人より大概年少である。通常おじさんばかりを相手にしているから新鮮に感じた。こうして町田訪問は終了。九時頃には帰宅。