11/30・木
五号室からは大量の一般ゴミが。通路に積み上がっていたので吾人も手分けして出した。以前部屋に入った工事屋さんによると、中は滅茶苦茶でゴミ屋敷のようだったと言うから、少しは整理したのかな。どんどん消費してばんばん廃棄しなくては経済も滞る。日本全国ゴミ出し無料の日を作れば、消費も盛り上がるな。買うためにはまず捨てなくてはならない。つまり金利をマイナスにして供給サイドにテコ入れし、生産性を革命的に向上させたとしても、凡そ無意味である。此の点は『消費低迷と日本経済』という新書にも詳しい。
一日曇り。夜は豚バラ白菜鍋。出掛けてばかりいた十一月も終了。見直してみると旅行関連の記述も多いが、ゴミに関しての記述も非常に多い。さながらゴミ日記である。
11/29・水
相撲部には危機管理委員会という部署があるそうである。最近は大忙しらしい。併し大相撲の危機を管理するとは何だろうな。まさか国技館が火事になったり、力士さんが交通事故に遭ったりすることに備えていますという訳ではあるまい。此の危機管理という取って付けたような名前そのものが、力士の暴力行為への想像力の無さを示している。(同協会には生活指導部というのもあるらしい。本来的には此方の管轄だと思う。)
改めて考えてみた、そもそも相撲の危機とは何だろうかと。恐らく其れは、相撲自体が国民から見放され、何だかまだやっているなぁーという感じになり、国技館が嘗ての川崎球場のようになり、例えば日本放送協会が、中継をそろそろ千秋楽だけにして貰えませんか、などと言って来ることだと思った。
事態は正反対である。相撲協会の皆様、今回の傷害事件は不幸でしたが、全く御安心くださいませ。マスコミその他の燥ぎようからして、本質的な危機は実は相当遠いものであります。みながみな、相撲が大好きなんですよ。―――― 結局当該横綱は引退へ。怒らせた方の力士も引退同様だな。こういうことが続くと、何時か本当の危機に陥るな。
朝から晴れて暖かい。午後出社。暇なので広告宣伝活動。あっという間に暗くなり、サスペンデットである。丁度宣伝促進用のマグネットとシャープペンシルも尽きた。そろそろ今季終了だな。併しこうやって、校区ならぬ学院区を歩いて見て、みなさんが実に恐るべきところに住んでいるということに気が付く。路地の奥の奥、狭い私道の奥の古い長屋の向こうに更に二軒といった感じ。恐らく一切陽が当たらないだろうし、消防車は勿論、救急隊や霊柩車のストレッチャーも入らない。所謂木造過密地帯である。住民の多くは高齢者だろうが、もう少し何とかならぬものか。全部潰して高層マンションに建て替えろとまでは言わないが。こういう住宅事情見ると、つくづく此の国は中進国止まりであると思った。
退社後は立ち飲みBへ。珍しくD君、いやもう一大立ち飲みBチェーングループのD大常務取締役がいた。昔のよしみということで、生牡蠣だの馬刺しだのと色色と勧められる。あっという間に2700円。食べ切れない鰯はミケに食べさせた。
11/28・火
北のボロ漁船の遭難が相次ぐ。日本海沿岸に次次に打ち上げられている。激しいノルマを掛けられているのだそうで、嵐でも引き返せないらしい。つくづく酷い国家である。仮に核放棄若しくは開発の凍結を条件に、本領安堵したとしても、こうした人人の苦しみは変わらない。かと言って北の人民を解放するために全面攻撃するという訳にも行かず。せめて筏か何かに食料を括り付け北朝鮮に流せないものか。構造的に東風は吹かないか。
バリ島のアグン山が噴火。バリ島は火山島だから実は山も魅力がある。何を隠そう吾人もバリには行ったことがある。十日ほど滞在し、インド洋で足を洗い、何とか高原で涼み、そしてアグン山の次に高いバトュール山に登ったものである。其の際、北欧のOLと一緒のグループになったので、拙い英語で話し掛けた。ハウロングイズユアバケーション? トュー・・・と応えて来たので、何だ案外短いなと思った途端、其の後の単位はウィークではなく、マンスであった。欧州と日本のある意味での格の違いを見せられた瞬間であった。あれから十数年。いまだに日本人は休みをデイで数えている。幸い噴火は軽微らしい。
今日は不燃ゴミの回収。二号室から出された網棚や物干し竿を解体して出す。逆DIYだな。作ることは出来なくとも、其の反対は何とか可能である。幸い金属類は回収屋さんが直ぐに持って行ってくれた。
先日の「終末日記」を手掛かりに『全体主義の起原』のⅡ巻目を読み直す。1940年生まれの著者には入党→査問→離脱という経験がある。90年頃から藤田省三氏主催の読書会に参加し、アレントに出合ったとのこと。「外され者」が共産党に入党するという過程は、「全体主義体験」に良く似ているところがあるそうである。そういった人生及び読書経験も同日記には詳述されている。
午後になると月波君から資料が送られてくる。伊那に行って欠席した行政法のリポートを書いてくれと。彼は未だに放送大学に通っている。土曜日はスクーリングだったそう。二十年ぶりに法学部に戻った感じで調べ始める。でも方角違いだから、あんまり書き進まず。
11/27・月
昨日の新聞を見ていると、丁度二十年前の今頃は恐慌寸前といった状況で、一部金融機関では取り付け騒ぎも起きていたのだという。ただマスコミ各社は報道を自粛。大混雑した銀行内部(引き出しに来たお客は意地でも外には並ばせないのだそうで)の写真はお蔵入りとなったそう。インターネット以前の事である。いささか牧歌的だと思った。
今日から衆議院は予算委員会。与野党の時間配分変更の為、何時まで経っても与党の質問が終わらない。其のまま千寿に出校。退社後は「福しん」で炒飯のみ。ほぼ休肝。
11/26・日
朝から活動す。まず粗大ゴミの搬出。地方紙に広告の出ていた民間施設に持って行く。掃除機一、ガスコンロ二。無料で引き取って貰えた。続いてブルーベリーの木の撤去。
昨日の鍋物にうどんを入れて軽い昼食とす。今回は伯母も含めて下山す。次に来るのは年末とのことであるから、冷蔵庫の残り物を片付け、水道管の凍結防止措置もせねばならない。今回は吾人が代行することになった。まず薪ストーブの鎮火を確認、元栓を締め、管に残った水を抜き、凍結防止ヒーターを点ける。高級官吏を務めている従妹の健二君が官僚的正確さを以て作ってくれた詳細な手引書を元に作業するも、何回確認しても安心できず。締めたところを何度も伯母に見直して貰った。やや強迫神経症的である。そもそも吾人には家を留守にするという習慣がないからな。結局余った茸や野菜や御菓子の類を、伯母や月波君、吾人の鞄に分散搭載。其れらに加えて吾人は大量の空いた酒瓶を持って帰ることとす。
伊那北駅前の古い中華屋で休憩し、乗用車を返却。二時過ぎの飯田線に。岡谷で「あずさ22号」に乗り換え。昨日の内に座席指定は取っておいたが、連番はなく、通路側に分かれての着席となる。本日も指定席は売り切れとのこと。甲府で大量乗車。例によって自由席車両は溢れ返り、隣席も埋まった。併し超満員の特急というのも感心しないな。シーズンオフと見えて臨時も出ない。来月からあずさには新車が入るらしいが、先ずは此の貧弱な輸送力を増強して欲しいものである。
ちなみに御隣の大荷物の御婦人は鳥取に行くらしい。御苦労な話しである。ハイボールを呑むふりをして行程表をちらっと見たところ、八王子で横浜線に、新横浜で新幹線、最後は「スーパーはくと」に乗り継ぐ模様。そんな大荷物で大乗り換えなどは大変であろう。吾人ならば身延線の「ふじかわ」で静岡に行き、其処から「ひかり」に乗る。またまた経路検索ソフトに騙されているのだと思ったが、生憎手元に時刻表がないので確かめられず。併しそもそも西に行くのに、一旦東に行くというルートは、あり得ないな。わざわざ都心に向かい混雑を増すことも無いだろうし。
新宿駅定刻到着。伯母とは此処でお別れ。月波君と適当な酒場で軽く飲み、空き瓶にカチャカチャと音を立てさせながら七時過ぎに帰宅す。
11/25・土
遅目の朝食。のちに木曽の方に出る。蕎麦を食べ、伊那に戻ると三時過ぎ。日帰り温泉施設に行く。人気の施設だが、来月は二週間休館するとのこと。ボイラーを木質ペレット式に換装するのだという。近所には間伐材や風倒木が有り余っているから、どんどん燃やすべきである。石油を燃やしてもアラブの王子様が喜ぶだけだからな。夜は鍋料理。月波君は疲労の為か早目の就寝。伯母も床に就き、泥酔した吾人だけが取り残される。不寝番をする覚悟で薪をくべ続けた。持参した『川上徹《終末》日記』は幾らも読み進まず。
11/24・金
連日マスコミ各社は横綱の暴行問題。どうでもいいようなことで、よくよく盛り上がると感心す。併し多くの視聴者は、身近な会社や組織でしばしばあることであると、ある種の納得を以て見ていることなのだろう。狼藉を働いたらしい若い平幕、激昂した横綱、あくまで法廷闘争に持ち込もうとする親方、まるで管理能力の無い相撲協会、其の何処かに何かしらの既視感や親近感や嫌悪感がある。詰まり一種のRPGだな。
退去した七号室の水が止まらない。洗濯機用の蛇口が劣化している模様。何しろ三十五年物だからな。不思議なことに元栓を閉じても止まらない。早速内装屋さんを呼び立てた。またプラスチック容器の解体を試みるが、案外丈夫で断念す。ハンマーで叩いても、ぐんにゃりとしか壊れない。腹立たしいこと限り無し。北欧のグローバル企業の製品だが、こういうものを頑丈にされては、世田谷の家主も、ゴミ収集車の人も困る。つくづく家具備品類の使い捨てはやめて欲しいと思った。
夕方になり新宿駅に参る。今日から再びの伊那である。同行は月波君。吾人は大貧学院を休講としたが、仕事が忙しい月波君は夕方にならないと行けないという。六時過ぎから新宿で待ち構えていたが、七時の列車には間に合わず、結局次のあずさとなる。七時の次は八時ちょうどの「あずさ33号」だが、此れだと岡谷で二分の接続で駒ヶ根行き最終列車に乗り移れる。
何だか時間にゆとりがないというのに、折り返しの28号は山梨県内沿線火災の影響で二十分も遅れて来た。車内清掃を大急ぎで行い、蜷局を巻いて待っていた満員に近いお客を一気に飲み込み、大慌てで出発す。遅れは十分程度。併し都内ののろのろ運転で遅れは却って拡大す。トーキョーのセントラルラインが此の程度の線路状況ではね。ちなみに通勤ライナーは軒並みの満席、混雑の為か当初から全列車に数分の遅延が発生していた。
漸く山間部に入る。幾ら車体を傾けて全力運転しても、現状維持が精精。少少遅れても支線系統は接続を取るのが習わしだが、何しろ東と東海は仲が悪いからな。もう待てませんと飯田線が仲たがいして行って仕舞わないか冷や冷やす。甲府を過ぎた辺りで、接続確認が取れましたと車内放送がある。一安心である。車販員から白ワインを購入。岡谷で飯田線に無事乗り換え。213系の二両編成。疎らであるが席も埋まっている。結構なことである。
伊那市到着11時半のちょっと手前。もう真夜中といった感じ。どういう訳か粉雪が舞う。遅れちまった悲しみに…、今日もなんとやら。ならば中央線は毎日大雪である。まあ、此処まで来ると遅れたところで困る人もいないけどね。
繁華街は森閑としているが、其れでも給料日の金曜日ということで、酔客もちらりほらり。飲酒は最大の娯楽であるな。駅前通りの深夜までやっている中華屋で一服し、タクシーで上がる。よく道を知ったベテランさんで2800円で行ってくれた。区間最安タイ記録である。宵っ張りの伯母も既に就寝中であった。
11/23・木
朝は大雨。其れでもシロが上って来た。午前中は漫然とす。昨日は一万三千も歩いたからかもしれない。疲れと酔いが取れない感じ。一階の七号室が退去。そうなると引っ越しゴミの分別である。何しろ途中から二人で住んでいたから大量である。粗大ゴミと家庭ゴミの境界で悩む物多数。プラチスック製のケースだが、ハンマーで叩き壊すか。そうこうしている内に、二階の六号室も入居。何だか引っ越しラッシュである。挨拶に行くも当人は不在。
御昼には降り止み、急速に晴れた。折角暖かいので、イヤダカライヤダという老家人を散歩に連れ出す。二百メートル先で折り返し。復路途中から車椅子搬送となる。何とかもう少し意欲を持って貰わねば。夜は宅配ピザ。
11/22・水
朝方は三度まで下がる。となると猫も起こしに来ない。いい傾向である。薄曇り。夜は雨になるというので徒歩出社。中華立ち飲み、佐渡屋と行くうちに、バスに乗り遅れる。かといってタクシーで帰るほど酔ってはいない。併し歩いて帰るには寒い。久久に東急経由で帰る。下り下り上りと乗り継ぐ。此のルートで帰るのも随分久久だと思った。十年振りぐらいかな。
11/21・火
綺麗に晴れた。晴れた分だけ、昼間は少し暖かい。昼は野郎ラーメン(780円)。隣家の片付けも再開。掛け布団は半分に切って家庭ゴミに。敷布団は・・・、無理だな此れは。
買い物は二便。近くの肉屋で切り落としを買い、晩は鋤焼きにした。併し例によって老家人は神経痛。痛くなったら直ぐに飲むようにと言って措いた市販の鎮痛薬(ロキソニン)の使用が遅れ、また八つ当たりみたいな状況に。風呂にも入らない。つくづく年寄りには付き合い切れない。
11/20・月
朝からずっと寒い。午前中は何だか漫然とす。午後千寿に出校。夏前後はサボっていたが、不要紙の持ち帰りも再開。一回数センチ。一月で二十センチ。順調に行っても撤去には数年掛かる計算である。まあ学習指導と違って、此方は確実な成果が上がるからね。
ホームでぼんやりとしていると、アジア系の男性に五反田は此の線かと尋ねられる。併し此処は千寿である。きっと五反野の間違いだろうと何度も問い正す。矢張りどうしても五反田に行きたいらしい。ならば此のまま乗って、アサクサターミナルで、トエーイサブウェイにトランジットするよう案内す。併し何処まで分かったかは分からない。三崎口とかに連れて行かれなければよいが。いやしかし異国からやって来て、此の超複雑な鉄道網に相互乗り入れと快速運転。悪夢のような大迷宮だろうな。乗り間違えれば即圏外(県外)である。いっそサボ(行先票)のようなものをぶら下げて歩けば、乗客がどんどんと教えてくれるだろうと思った。
晩食はコンビニ弁当に麦酒を一缶。ほぼ休肝。夜も寒い。しっとり冷たい帳が下りた感じ。夜中になって今更ながら映画「CUBE」。無数に近い立方体に閉じ込められた男女の脱出模様。巨大施設の目的も、放り込まれた理由も分からないから所謂不条理劇である。其れに立方体は移動するから、差し詰めルービックキューブである。併しあれは全く出来なかった・・・。だから列をなして移動する直方体の方に詳しくなったという訳でもないけど。
11/19・日
朝から外出す。目的地は秩父。三年前にも行った、新そば祭りである。池袋駅で月波君と客乃間君と合流。九時半の特急で参る。会場には十一時過ぎに着いた。例によって大行列。カップ酒を大量に買い込み、岩魚の押し寿司、焼き鳥、椎茸の天麩羅、芋揚げ等等を肴に飲み始める。晴れて寒いが人出も多く、一部の蕎麦は売れ切れて始める。慌てて動きの良い列に並び、鴨そばを食べた(700円)。其の後送迎バスで市内に戻り、神社等を見物。併し「パリー食堂」は休憩中の模様。秩父の名物なんだけどね。盆地では三時には陽が陰り始め、途端に寒くなる。酔いも回り、歩くのは草臥れる。
それでは帰りましょうということで駅に戻ると、上りの特急は満席。適当な列車に乗り込む。各駅停車飯能行き。4000系というクロスシート車に当たって良かった。飯能と小手指で乗り換え。何だかみんなで「福しん」に寄りたいということになり、練馬で途中下車。餃子、回鍋肉、炒飯等等。蕎麦の後は味の濃い物を所望す。吾人らは地下に潜って帰った。JR経由よりかなり高いが、休日の地下鉄は空いているから(山の手はラッシュ並みだろう)、不快指数は少ない。七時前と早目の帰宅。九時就寝。
それにしても、行きの特急も満席、西武秩父駅併設の観光施設も満員、秩父神社にも観光客の姿が目立った。西武鉄道の秩父観光地化計画も成果が出ている模様。養蚕で栄え、交通の要衝であった黄金時代(鉄道以前の頃)を取り戻せるかな。秩父というのは決して埼玉のどん詰まりではなく、山梨にも、群馬にも、ひいては信州にも抜けられる。しかし雁坂トンネルを除いては道が非常に悪い。道路行政が此れだけ進んでも、十石峠などは冬季閉鎖だし、オーバーな言い方をすれば、秩父困民党事件の頃と大差ない。それでも何とか回遊型の観光客を引き込めればいいのだけど。歴史マニアと、酷道マニアはやって来るかな。
11/18・土
ホテルにチェックインし、いざ大浴場に向かう。併しタオルを忘れたことに気が付く。取りに帰ろうとしたが、酔っているので自分の部屋が思い出せない。微かな記憶を頼りに、あっちのフロアかこっちのフロアかと、自室を探して館内を彷徨う。何時の間にか夜も明けた。空腹である。併し朝食券がないから食堂にも入れず。みんな旨そうに何か食べている。ホテルの中でホームレスである。酔いが醒めた頃になって、従業員に自室を尋ねればいいということに思いが至る。こんな簡単なことに気が付かないのだから、酔っ払いはつくづく駄目であると思った。併し余りに巨大な建物で走っても走ってもフロントに辿り着かない。何でホテルの中で走れメロスみたいになっているのかと自分で自分に突っ込みを入れたところで目が覚めた。
当然目覚めは最悪。朝から小雨と冷凍のホットケーキ。板門店で保護された北の兵士は栄養失調の上、回虫まみれだったという。日本で言うと敗戦直後のような生活状況らしい。Aは厳しい冬に向けてセーサイキョーカだと叫んでいるが、せめて期限の切れた非常食ぐらい配ってやるべきである。腹が減るのは辛いものな。取り立てて無為。
11/17・金
「区立図書館に関する調査」というアンケートが来る。でも図書館は余り使わないな。基本的に本は購入することにしている(特にネット古書店が出てからは)。どうしても買えないような本は閲覧に行くか、パッと諦める。特に借りて読もうとは思わない。そもそも二週間で読めるような本はない(どんな本であれ本当に読むとなれば何年も掛かる)。ところで公共図書館が本を貸し出しすぎるという苦情が出版業界から出ているようである。確かに身なりの良い紳士が数百円の文庫本を読んでいて、○○図書館というラベルが付いているのを見ると、文庫や新書ぐらい買いなさいよと言いたくなるけどね。でもどんどんと増えて溢れて返って来るからな。
朝から一段と冬型の晴れ。午後からAの所信表明演説。うとうとしている内に直ぐに終わる。其の間十五分。もはや何のやる気の欠片も感じられず。Aとしても、まさか自分がこんなに長期政権になるとは思わなかったのだろう。愈愈ネタ切れである。本当に早く居なくなって欲しい。また角界は、(瓶ビールで)殴った、いや殴っていない、重傷だ、いや実はかすり傷程度だのと場外乱闘に発展。何だかますます分からないまま、横綱は国技館で事情聴取。被害届を提出された山陰の警察もいい迷惑である。第一に出張経費が勿体ない。結局どうでもいいことばかり姦しい。
其の後に出社。祐天寺の立ち飲みBに寄り直ぐに帰った。なお九月から慌てて指導したG君はSK大学には不合格。やはり志望書を丸ごと代書すべきだったか。いやしかし、いつかばれるな。不真面目ではないんだけど、何しろ英語も漢字も中学レベルだから。
11/16・木
作文指導の真髄が針小棒大にあるとは昔からよくあるいい方である。例えば「運動会で頑張った」は、全身全霊で臨んだとか、「演奏会で優勝した」は、会場は割れんばかりの拍手に包まれたとか・・・。こういう風に書くのだと指導すると、大抵の生徒はそんなに書いて良いのですかと驚く。まあまあある程度の誇張や多少の大袈裟は、説得力を増すにはやむを得ない技法の一つである。その反対のケースもある。余りの事態に表現力が追いつかない例である。文字通り筆舌に尽くし難いということになる(いいことも悪いことも)。どちらのケースにも言えることは、起きた事と表現が一致しないということである。
表現をする以上、一定程度の齟齬が生じるのは避けられないこととは思う。どんなに表現者が誠実で客観的な記述を心掛けたとしても、文章力が足らなかったり、状況認識が甘かったり、其処に過不足が存在するのは当然である。其れでも私たちは、書かれて来たことは、そもそもは信じるに足ることであると信じて来たし、其れで相違なかった。しかし巷間にはマスコミ批判、ジャーナリズム不信、はたまた本音トークにフェイクニュースが溢れ返るようになった。
ネットやメールを通して誰もが表現する時代である。恐らく其の過程で多くの人人が、自分で書いた物と、実際に体験した事との間に、どうしても埋められない懸隔があることに気付いたのではなかろうか。其れは嘘を並べ立てる悪質な発信者に限らない。むしろ真面目な書き手であるからこそ、自分で書いた物には説得力が足りない、いや自分で書いた物だからこそ、それらはそもそも事実ではないと。事実と表現の不一致。其の苛立ちのようなものが愈愈拡大し、自分の書いた物が事実に遠いならば、全く同様に他人の書いた物も事実ではないのだろうと類推し始める。不信はアマチュアからプロの世界へ広がり、メディア不信、引いては自分に都合の好い事実のみを信じるポストトゥルースということにつながるのである。
此の相互不信の状況から、いかに事実であるということを再建すべきか。今風に言えば、メディアリテラシーと言うのだろう。だが其れは受信者としての能力を向上させることに偏って来た感がある。何しろ双方向時代なのだから、発信者としての其れも大切である。真贋を見極める目と耳を持つことと同様に、正しい口を持つこと。詰まり、新たな綴り方教室が必要なのだろうな。
終日晴れ。昼は先日の「希家」でとんこつ醤油ラーメン(680円)。横浜の総本山より旨いとは思うが、店内の張り紙の「リニューアル記念」の記の字が紀になっていた。漢字の本家ではそう書くのかな。どちらも創業の地を遠く離れているから仕方がない。序でなので紀伊国屋書店も覗いてみた。教科書シーズンも終わり店内は閑散。というかそもそも本棚が埋まっていない。最近の学生は本も読まないからな。併し棚ががらがらという本屋も何だか寂しいね。矢張り溢れるくらい積んでいないとね。
帰り掛けに大型スーパーに寄る。此処は少し前から精算が自動化された。商品スキャンは店員が行うが、支払いはATMのような機械で御客が行う。年寄りは右往左往していたが、概ね作業能率は1.5倍といったところ。此れで現金不可、クレカオンリーにすれば更に上がるだろう。でも雇用が無くなるなぁ。夜は豚バラ白菜鍋。三人分で千円も掛からず。
11/15・水
朝から新玉川線が不通。生憎家人は鎌倉に行く予定。利用するのは東横線だが、煽りを受けて目黒行きのバスも超超満員。何とか後ろ扉から乗車させて貰って見送った。最近駄目だな此の線も。送電設備の故障らしいが、老朽化に点検が追いつかないのだろう。ジュネーブでの軍縮会議で高校生が演説しようとしたが、何処かの国が圧力を掛けて来たと西日本新聞が伝えている。結果として日本政府が折れ、今年の演説は見送りに。こういうものはもっと報道されるべきである。
御昼にはまあまあ晴れた。午後出社。元生徒のK君が尋ねて来て、どのデザインがいいか見てくれという。彼はコミックマーケットに色色と出店して生活費の足しにしているのだという。まるで門外漢だが、兎に角、もっと水着の面積を少なくするように指示す。でもコミケはエロは駄目なんだっけ。退社後は中華立ち飲みに。主要メンバーとは行き合えず。留守部隊の中で市ヶ谷さんが応対してくれた。市ヶ谷さんは都内あちこちを飲み歩いているというから、お互いの居酒屋情報を交換す。
11/14・火
朝から重い曇り。午前中は漫然とす。午後は大貧学院の住所録の更新。来る人去る人、夏前から数えると結構な入れ替わりがある。併し変な名前が多くて閉口す。綺羅綺羅何とかというやつだな。『新字源』を引き引き、一字を呼び出すのに何分も掛かった。オペレーター泣かせである。夕方に掛けて結構降る。終日在宅。朝は不味いうどん。昼は絶食。夜も小食小飲に努めた。
横綱が平幕力士を瓶ビールで暴行したと報じられる。今日から休場。即引退だな。酒乱なんだろうな。つくづく酒とは狂い水である。缶ビールにしておけば防げたのかなぁ。またホープ亭の代表も身を引くとのこと。知事業務に専念するというが、政治家としても近近終了であろう。序にホープ亭も早く閉店した方がいいだろうが、比例で受かった議員は店を移ることも出来ず。加計学園も正式認可。何から何までAの思うままである。望月のかけたることもなし。
11/13・月
概ね晴れ。今日もゴミ出し。家作人の方からは靴だの服だのと色色と出されていた。衣替えか部屋の整理でもしたのだろう。此の時期の月曜日の可燃ゴミは特に多い。集積所には小山が出来ていた。幸い収集車がみんな持って行ってくれた。勿体ないことだが、有難いことでもある。ちなみに吾人の第二の故郷、伊那市などは幾つにも分別したうえに、一枚何十円もするゴミ袋を買い、わざわざ名前まで書かないと持って行って貰えない。其れに習い、いっそ東京二十三区の家庭ゴミも有料にしたらどうだろうかと思った。でも不法投棄が増えて世の中が滅茶苦茶になるな。其の上、ゴミ処理の事を考えて、物品の購入量が減るかもしれない。万が一にも東京の消費が僅かでも減れば、東京に大量の物資を出荷している全国津津浦浦の生産者様、世界各国の輸出業者様が困るだろう。二十三区ゴミ有料化不況なんてのもあるかもしれない。結局、税金を使って茫茫と燃やすしかないな。此れは世界経済の為である。
気が付くと月曜である。まず徒歩で本務校に出社。先日実施した漢字検定の答案発送や、資源ゴミの搬出等。其の後千寿に回航。退社後は大橋の自動化寿司。帰宅後は昨日やっていた映画「シン・ゴジラ」。いやしかし情報量の多いドラマだと思った。ずうっと誰かが高速で喋っているか膨大な字幕が出ている。デジタル映画である。会議マニア、行政マニア、自衛隊マニアには堪らないだろう。矢鱈ディテールが細かい分、ストーリーの建設は中中難しい。へんな特使にへいこらする辺りの対米追従ぶりもやや紋切型。其れでもラストシーンは少少気になった。ゴジラの尻尾って、リバイアサンだよね。フクイチもゴジラも結局は人災という事である。
11/12・日
冬型の晴れとなる。朝から外出す。月波君は東京メトロのモニターをやっているとかで車両基地公開の招待券があるとのこと。其処で千代田線の北綾瀬まで出掛けた。一枚で四人までは入れるというので、鶴木さんを誘ったが直前に不参加。仲田大将も低反応。
月波君と合流し、まずは会場近くの蕎麦屋で来るか来ないか分からない人を待つこととす。いい感じで酔って来たところに大将からラインがあり、会場近くまで来て待っていたが誰も来ないので今から帰るという。此れは困った。あんまりしつこく誘うのも無粋だろうと思っていたことが裏目に出て仕舞った感じ。出て来た盛り蕎麦を一分で平らげ、直ちに大将を追跡捜索す。何とか支線の電車内で身柄を確保。宥めて賺して上野に向かう。
取り合えず座り飲みのBへ。どんどんと飲ます内に、機嫌も直った。大人の男性もこじらせるとつくづく面倒臭い。丸で駄駄っ子、子どもおじさんだな。もっと素直な心で行くとか行かないとか予め言って欲しいものである。以後は何時もの大量飲酒コース。二軒目は肉の大山。八時前に御開きとす。結局車両基地には一センチも入れず。色色と反省しきりの一日であった。十時就寝。
11/11・土
一日晴れ。朝六時に起きて仕舞う。ゴミ拾いの後、先日の量販店に参る。チーンと鳴らす受付ベルを購入(1100円)。というのも、家人と老家人は既に何十年も別の部屋で寝ている。特に老家人は下の階で一人寝である。何かあったときの為の非常ベルにしようと思った。夜は鍋物にした。
11/10・金
概ね晴れ。午後出社。九時まで授業。退社後は佐渡屋へ。取り立ててどうということも無い一日。夜は風強し。而も南風。
帰宅後に映画「起終点駅・ターミナル」。佐藤浩市扮する元裁判官で弁護士が、元被告人である本田翼と触れ合う内に生きる力を取り戻すという話。冴えない中年男とピチピチギャルという組み合わせはある意味定番だな。其れに弁護士さんは完全無気力人間になっていた訳ではなさそう。何しろよく料理をして食べていたから(ザンギが旨そう)。食とは生である(但し性はなかった)。それにしても釧路も暗い(「そこのみにて光り輝く」の函館も暗かった)。大丈夫か北海道。JR北海道も既に十分危ないし(主人公は「スーパーおおぞら」に乗って再出発するけど)。其れは此の国の地方の姿だな。早く何とかしなくては・・・。吾人は乗り鉄だから、手っ取り早く乗って助けないといけないと思った。渋谷のみどりの窓口で釧路まで頂戴!!って怒鳴ったら、結構気持ちいいだろうと想像した。
11/9・木
再び晴れた。買い物は二便。昼は上馬の中華食堂。ラーメンに小型の回鍋肉丼が付いて700円。一気に掻き込む。矢張り昼飯は物量重視である。その他の時間は税金の計算を進める。昨年を御手本にすれば案外簡単である。日暮らしエクセルに向かひて、心に移り行くよしなし領収書などを、そこはかとなく計上しつれば、怪しうこそ物狂おしけれ。早く来い来い確定申告である。
また一階は三時には陽が沈むようになる。御向かいの影である。猫も寒そう。冬至にはまだ大分ある。夜は大関のイトヨリを焼き、牛も焼いて食べた。
11/8・水
昨日のラジオ放送で加齢に伴って散歩が好きになるのは何故だろうと討論していた。吾人も散歩は好きな質であるが、其れも大人になってからの事だな。別に何を見るという訳でもない。季節の変化より、街の変化とか、植木とか、他人の家とか、猫とか、些細なものに関心が持てるというのは大人の特権であろう。詰まり其れはストーリーよりディテールを愉しむ姿勢であると言える。大人生活に大きなストーリーってあんまりないしね(今更、出世も成長もしないし)。何か出来事があるとしても慶事より凶事であることが多いし。情報筋によると、元元アジアが何処にあるのかも知らなかったT大統領に、セーサイキョーカを吹き込んだのはAらしい。つくづく先月の選挙が悔やまれる。
日中曇り。何時もの診療所で処方箋。隣りのマンションはリフォーム工事に入る。買い取った会社の社長が住むようなことを言っていたが、どうも工事が大規模過ぎる(見たところ全ての造作を撤去してスケルトンにしている)。まさか民泊部屋とかにしないとも限らないな。
午後出社。此方も何時の間にか試験前である。此の所は週に一二度しか出社しないから少し戸惑った。今まであまり喋らなかったような女生徒からの質問多し。矢張り少し張り切るな。すいません。退社後は中華立ち飲みへ。鶴木さん以外はフルキャストで出揃った。偶にはこういう晩も無いとね。今更ながら背中が痛い。のこぎりの筋肉痛が今頃来たよう。
11/7・火
留守中の備忘録。破茶滅茶大統領が来日して離日す。異例の厚遇ぶりは恥ずかしくなるほど。米国大統領と名の付く者ならば誰でもいいらしい。マスコミの過熱報道も少し可笑しかった。またAの応援団が復活しているのかもしれない。併しそもそも何をしに来たのだろう。武器のセールスをしたらしいが、対日貿易赤字だって、ひと昔の水準ではない。牛肉だって沢山食べてやっているだろうに。
座間の事件は犯罪史上最悪の規模となる。確定的な死への願望があったとは云えないまでも、死に急ぐような若い人が多くて驚く。そういう人たちはまず酒場に行くべきあろう。女性ならば一層歓迎される筈である。店主や常連客と恋仲になるかもしれない。いっそ焼け糞で籍を入れてもいい。結婚生活を監獄に例える人も多いが、二十四時間入っているという訳でもない。夫がいなければ毎日仮釈放されるし、本当に嫌ならば脱獄すればいい。だから何も死ぬことはないのである。それにしても不愉快な事件だ。何処かの映画監督が、下らない選挙も終わり台風も去り、漸く秋を楽しもうと思っていたところを台無しにされたと怒っていた。吾人も全く同感である。
三位の横浜は一位の福岡に二つ勝って日本シリーズは御仕舞。二矢報いたというやつだな。其れでも若い選手が溌剌とするあたり、今の中日には全く見られない要素である。山田線の山側は運転再開。土砂崩れから二年掛かった。流石に東日本は修繕したようである。線路が流されたら兎に角直す。こういう当たり前がもう出来なくなっている。
今日までずっと晴れ。午前中は住宅メーカー営業員の表敬訪問を受ける。隣りも建て替えたいのはやまやまだがね。また六号室の浴室ドアも交換す。古いサッシドアからブルートレインのような折戸にした。結構高かった(約六万円)。内装屋さんの親方さんも今年で引退するという。後任は吾人より若い人だった。また辞めないといいけど。
其の後、少し先に出来た量販店に参る。巨大な店である。元元雑貨に強かったディスカウントストアだったが、最近は肉に野菜に惣菜の類まで手を広げている。売っていないのは魚ぐらいだな。併しこんな大きな店を拵えても御客がいるのだろうか。店内は高齢者ばかりであった。相変わらずの供給過多である。トマトとレトルトカレーと猫餌を購入して帰える。以後何だか疲れて仕舞い朦朧と午睡す。旅費の精算をする。約四万円。一万円の掃除機を伯母のあずさ回数券(4370円相当)と相殺交換したから、少し高くなった。
11/6・月
気が付くと月曜日である。午後千寿に出校。退社後は「福しん」へ一直線。中華丼のみ。630円。当然暫らくは緊縮政策である。「東京人」12月号の永井荷風特集を読みながら帰宅。
11/5・日
午前中は薪の移動、次に茣蓙を仕舞い電熱絨毯を出すなどの冬支度。伯母はジャムづくりで忙しいというので、昼のバスで降りた(運賃480円)。一時過ぎの飯田線に乗り岡谷へ。あずさ20号を見送り、続行運転の52号に着席す。二時台は更に76号も出るが、何れも満席とのことである。三本合わせて約三十両。ざっと高速バス四十五台分である。甲府からはかいじも加わる。今時特急が此れだけ走る路線も珍しい。
新宿定刻到着。16時47分。両家人向けに駅弁を買って帰ると言って仕舞ったが、新宿駅には碌なものが売っていない。散散迷って二つ購入す。新潟鮭弁当と彩り野菜弁当。NRE製だという事は秘密にしておいた。山の手線も東急線も大変な混雑でつくづく閉口す。九時就寝。
11/4・土
朝から作業す。まず枝切り。其の後は少し降りて中華屋で昼御飯。午後は掃除の予定。此の時期は虫の死骸が多い。取りたいのはやまやまだが、まともな掃除機がない。という訳で伯母の運転で数キロ先の家電量販店に参る。売り場にはサイクロン式などの最新型が溢れているが、守旧派の紙パック式の物はなんと三種しかない。真ん中の製品を購入す。約一万円。ちなみに東芝製。此のブランドはまだあったんだ。という訳で90年製の日立機は引退させることにした。廃棄物(いや掃除機には車輪がついているから廃車両だな)も持って帰りたかったが流石に無理である。
午後も掃除と枝切りと風倒木の解体等。先日の台風では管理の悪い土地の杉が倒れ、道路を塞いだ上に、停電まで引き起こしたらしい。緊急撤去は行ったものの、何せ私有地だから行政は指導等もできないとのこと。所有権の絶対化はナポレオン民法典以来だが、もう少し何とかしなくてはならないな。となると、三世一身法くらいが丁度いい。勿論拙宅地は吾人が毎日耕しているから自動延長である。
寒気が入り一雨あった。以後基本的には冬晴れとなる。山は燃え、白い雲が時折架かる。夜は伯母の手料理。牡蠣フライと鶏の唐揚げであった。適度に酔ったところで、此の山荘の維持費は年三十万円程度(固定資産税と各種公共料金)だとしげしげと話しをされた。何でそんなことを言うのかというと、伯母の頭には既に相続というものがあるのだろう。最近紅葉を見てもあんまり心が浮き立たないのは、身の回りに冬を控えた人たちが大勢いるからだろうと思った。
11/3・金
宿酔は無し。昨夜はいい日本酒を沢山飲んだからかもしれない。泊まったホテルはサンルートチェーンだったが、部屋はリニューアルしたらしく、頗る快適。例によって用事を言いつけに来る家人も、用もないのに矢鱈起こしに来る猫も、出さなくてはならないゴミも無い。結局だらだらだらだらと過ごし、八時半のバスになる。行って見ると既に長蛇の列。バスの会社も心得たもので直ぐに続行便の手配をす。戸隠キャンプ場行き、二台目に乗車。丁度全員着席。併し予備車と見えて相当古い。窓にはうろこ状の物質がこびりつき、何だか曇りガラスのよう(あれは落ちないんだよな)。
バスは市内をうろうろした後、山岳道路に入る。すると二号車はあっという間に引き離されて仕舞った。何しろギアの調子が悪いらしく、変速の度に数秒間は無動力となりぐっと失速する。其れにエンジンも悪い。喘ぎ喘ぎ、大分遅れて戸隠に着いた。道路混雑でも運賃収受でもなく、出力不足で遅れるというのも珍しい。
さてさてまず奥社を目指す。其の後は少し山道を歩こうと散策路に入る。此れが良くなかった。水たまりに足を取られる。而も地面には落ち葉が広がり、何処から水面なのか見当がつかない。差し詰め落とし穴である。理論的には右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を差し出す。其れを高速で繰り返せば抜け出せる筈だが、そうは問屋が卸してはくれなかった。結局両足とも踝まで全没す。まるで風雲たけし城の竜神池であると思った。ずぶずぶのまま、秋中行軍。アスファルトが見えた時は正直ほっとした。
早速蕎麦を食べたかったが、もたもたしていた内に、もう御昼である。何処の蕎麦屋も見たことがないような大行列となっている。どうにもこうにも、どうして観光地に来ると蕎麦ばかり食べたくなるのだろうと文句も言いたくなるが、何しろ戸隠は蕎麦の里だからな。靴下を乾かしつつ一時間も待つと、盛り蕎麦と野菜天麩羅セットにありつけた。当然蕎麦焼酎の蕎麦湯割り付き。再びバスで戻る。帰りは県道経由長野駅行き。此の系統は里山や集落を一つずつ降りて行く。どちらのルートも捨てがたい。
16時過ぎの甲府行きに乗車。善光寺平を一望しながら松本方面へ。岡谷で飯田線に乗り換え。伊那市到着18時38分。運賃1940円。県内の移動に二時間半は掛かった。長野県はでかいな。伯母が晩食を用意しているという。バスがないのでタクシーで移動。2500円。
11/2・木
それでは出掛けようと渋谷駅に参る。まず何処へ行くのかというと、今回も相変わらずの長野県である。吾人は長野を第二の故郷のように勝手に考えてはいるが、行くのは伊那か木曽ばかりである。偶には北信地域に行って見たいと思った。軽井沢から入信するので、まず高崎を目指すことにす。併し湘南新宿ラインは車両点検の影響とかで電車は全く来ない。結局数十分は待ちぼうけである。二十分は遅れてやって来た高崎行きに乗車。月波君から貰ったグリーン券を利用する。
高崎到着、数分遅れ。回復運転もしたのだろうが、籠原で編成をぶった切る時間を節約した為である。早速立ち蕎麦休憩。其の後、信越線の横川行きに乗車。併し信州にも越後にも行かなくなって二十年経つが、未だに信越線を名乗っているのが不思議である。実質的には横川線だがね。新幹線を作ったら並行在来線の面倒はJRは見ないということになって、初めてのケースが長野新幹線だったと記憶している。横川軽井沢間は峠越えの高コスト路線だから、誰も引き継がなかった。以後日本全国の鉄路はますます分断されることとなる。おまけに途中に安中榛名などという余計な駅を作ったものだから、高崎軽井沢間の新幹線料金も跳ね上がった。つくづく、つくづくな新幹線である。
碓氷峠鉄道文化村を一回りして、適当な食堂に入る。入って見ると、店内は案外狭く、テレビ等は無し。まるで民家のよう。こういう食堂のメニューは概ね把握している積りである。麺類があり、丼ものがある。まず前者はさっき食べたばかりなので除外。炒飯はリスクが高く、揚げ物は店の人が面倒そうなので自粛す。カレーは既製品の確率が高い。という訳で一番無難な親子丼を注文す。大体誰が作っても同じようなものになるのが、此の定番料理である。しかし出て来て驚いた。まず全般的に白い。醤油類を使っていないらしい。鶏肉はうすしお味で、玉子は寿司のように甘い。あらゆる予想を裏切り、こういう親子丼があるものかと吾人の寡聞を恥じた。
代替バスに乗車。一応JRバスということになっている。軽井沢まで510円。乗客は十数人。旧道は走らず、18号バイパス経由でどんどん登るとどんどん山が色づいていく。群馬のどん詰まりだったものが、一気に開けて、空気も変わる。別天地といったところである。こういうものをアウフベーヘンというのだろうな。
駅に参り、しなの鉄道に乗車。日本全国ローカル線の光景は同じようなものだが、身なりのいい御婦人方が多いという点が少し違う。新幹線から乗り換えて、どこぞの別荘に向かうのだろう。併し止揚されたような方方はあっという間に下車されて、車内は何時ものように、女子供に年寄りと若干の旅行者となる。浅間山を後景に列車は進む。
快速列車だが案外速い。少しは新幹線に対抗しようという計画なのかな。115系の三両編成。新幹線車両は既に二代目だが、長野側の信越線はずっと此の車両。フンガァガァーというモーター音が轟く。国鉄、JR、第三セクターと持ち主は三つ代わった車両はすっかり古いが、まだまだ走れると思った。篠ノ井で大量乗車。長野到着16時25分。直ぐに駅前ホテルに入り、先日寄った「千石屋」へ。更に日本酒バーのような所にも入った。
11/1・水
まあまあ晴れた。午後出社。金参万円受け取る。退社後は祐天寺の立ち飲みBで軽く飲んで御仕舞。月波君によると、飯田橋のまつやの御主人も亡くなったとのこと。享年九十。芥田ゼミ有志で御線香を送るよう指示す。