2016年12月

12/31・土
 今日も片づけと掃除と買い物の繰り返し。昼はSで牛丼並とサラダセット。合間合間に先日やっていた映画「ビリギャル」を見る。今も昔も一般入試と言うのは大変である。あのヒリヒリとした日日が蘇るね。それにしてもあれだけ苦労して難関とされる大学に入っても、半分以上の学生が殆ど何の勉強もしないのは何故なのだろう。恐らく入試制度が良くないのだと改めて思った。併し論文などで精査するには受験生が多すぎる。かといって大学の定員を減らせば、大学経営が立ち行かなくなる上に、未来ある受験生に門戸を閉ざすことにもなりかねない。大学の目的は勉強することだけではないしね。かくいう吾人も最初の二年間はサークル活動しかしていなかった。其の後E先生の憲法のゼミに入り、芥田先生と出合うのは五年目か六年目の事である。議論は結局堂堂巡りになって仕舞った。
 併しあの学習塾の先生も熱心なのは分かるが、授業料も高そうだね。最近の親はますます貧乏になっているから、あんなにお金を出せないだろうというのが今日的感想である。最近は低学力層がすっかり入ってこないもの。
 そんなこんなで今年も終了。夕方から飲み始める。公共放送の歌合戦も割と最後の方まで見た。毎年毎年、詰まらない、下らない、知らない歌唄いばかり出ると罵られている年末番組だが、他局も含めて大体こんなものだろう。文句が多いのは年を取った証拠である。年を取れば歳末だ正月だと言われても、やっていることは毎年大体同じだから感動がなくなる。詰まり高齢化社会とは低感動社会である。そもそもは家が潰れたり、流されたり、焼かれたり、爆撃されなかっただけでもまず有り難く思うべきだろうが、そういう当たりの前のことに感謝感激する人は稀である。


12/30・金
 そういえば民進党のRH氏もまるで存在感がない。左にも(右にも)振れず、野党共闘も曖昧で、民進党も漂流状態である。もう御仕舞だな。野党が丸でだらしがないと初めて思った。いやいや、吾人のような都市中間層までが民進党を見放したら、いよいよ日本はファシズムに陥りますよとは、先日会った坪上君に指摘されたことであったが。
 朝からF蕎麦へ。其の後は、買い物や掃除や片づけ等等。午後四国の親戚から蜜柑が送られてきたが、此れを小分けにして鎌倉の伯母さんの所へ転送したいと家人が言い出す。年末で輸送事情が悪いのに、態態荷物を増やすことも無いだろうと言っても納得しない。第一に運賃が勿体ない。箱の中身と同等である。こういうことを色色言っても、頑として聞き入れず。大体道端の店でも売っているような有り触れた品物を態態各戸別に送り出しているから、宅配便もパンク状態だという。現に千寿校で注文した講習用テキストも一日延着して、授業も格好が付かなかった。


12/29・木
 今日も晴れ。渋谷を過ぎるとあっという間にガラガラの地下鉄で千寿に向かう。「りんりん」でカレーとラーメンを食べて出校。本日で年内の講習も終了。足取り軽く飯田橋の立ち飲みBへ。会社員が居ないのでよく空いている。D君は今度は暇疲れといったところで浮かない表情。千寿の和菓子屋で買った海苔巻と稲荷寿司を差し入れ、年末の御挨拶とした。示し合わせた様に月波君も登場す。どうも此方の行動計画が漏れているかのよう。併し二日連続で会ったから、此れと言って話すことも無い。丁度チュニジア人従業員が客として来ていたので片言の英語で会話す。「日本は人口が膨大だから、そもそも海外に出る必要がない。だから英会話は全く巧くならない」と言うべきところを、populationをpollutionと間違えていたため、幾ら話して書いても通じず。
 併しこうやって外国人と話をしていても、何せ語学力がないから、相手がどういう人なのか、そもそもの頭がいいのか悪いのかつくづく判別できず。日本人(特に女学生)が海外留学等で事件に巻き込まれる訳である。言葉が通じただけでつい嬉しくなって、ついつい油断して仕舞うのだろう。更にガード下のラーメン屋台で飲み直し。英単語をさっぱりと忘れ去ってから帰宅す。こうして年内の外飲みも全て御仕舞となった。
 また防衛大臣真珠湾から帰った其の足で靖国神社に参拝。アメリカから早速苦言が来たが、どうせ来月には大統領も代わるのだからとやりたい放題である。


12/28・水
 点けっぱなしにしておいたラジオから変な音がすると思って目が覚めると、それは首相Aの声であった。真珠湾で何事か喋っていたらしい。大統領の広島訪問のお返しと云う事なのだろう。それにしても軍事目標への精密攻撃と、都市丸ごとの無差別破壊を同列には扱えないな。尤もその非対称性そのものが、一旦起こした戦争は止めようがないという恐ろしい事実を示していると言えるが。また肝心のAであるが、例によって日米同盟の深化しか言わなかった。何か他に言う事は無いのかと、毎度のことながら呆れる。大体和解を訴えるなら日米より日中だろう。尚、現大統領とは此れでお別れ。Aにとっては気難しいオバマ氏より、能天気な後任者の方が気が合うだろうというのは、大方の見方である。
 起きた序でに健康診断の結果を聞きに行く。予想に反し、中性脂肪コレステロール値等等、概ね各数値も改善す。下の血圧と眼圧の高さを重ねて指摘されるも、高脂血症薬の量は半分となる。医療費削減に貢献できて佳かった。
 御昼に出社。退社後は大橋の七ちゃんで立って飲む。帰宅途上の月波君を呼び出す。更に飯田橋に転進。立ち飲みBに入るも超満員で給仕も大渋滞。D君も顔が土気色をしていて気の毒になる。暫し隣の隣の客のいない付け麵屋に避難。併し此れが酷い店で、麺も汁も満足に食べられず。よくよく見れば大手牛丼チェーンの運営であった。従業員は「一杯入魂」などと書かれたシャツを着せられているが、一杯入滅の間違いだと思った。空いた頃を見計らってBに再入店。今日で御仕事も御仕舞と言う人が多いようだが、其れでこんなに立ち飲み屋が混むようでは、勤め人の財布が如何に空っぽなのか、推して知るべしであると思った。十時半ごろ帰宅。


12/27・火
 朝から南風が吹き付ける。御昼に掛けて通り雨。そんな中、御向かいでは地鎮祭。いや確か無宗派だったから、起工式かな。再び千寿に参る。昼食はホーム上のK諸蕎麦で310円のたぬき蕎麦。蕎麦に天かすにつゆ、今更言うのも何だか、何れもF蕎麦より確かに旨い。難点は繁盛し過ぎていること。店内は何時も満員電車のようで、満足に味わうどころでは無し。増結か増発を願いたいところである。またF蕎麦も頑張らなくては。
 五時過ぎ退社。併し此れと云って行くところも無し。結局「大江戸」へ。早い時間なのでネタも豊富にある。ついつい暴食す。二日続けて三千円越えとなって仕舞った。適度な量の酒を飲み、混んだ地下鉄で軽く茹でられた筈なのだが、降りた途端に尿意を催す。所謂途端の苦しみと言うやつである。こういうことの無いように麦酒は飲まなかったのだが、燗酒であっても一時間弱で分解されたのであろう。酒飲みの宿痾のようなものである。僅か十分の道のりであっても、這う這ういや、脱兎の体で帰宅。併し尿意や便意というものは急げば急ぐほど高まるから、やっていることは自己矛盾、自己恫喝、自己破壊的である。


12/26・月
 今日から講習。御昼に千寿に出校。一時過ぎから五時過ぎまで教える。此方も生徒が少ないので、此れで御仕舞。さてどうするか、普通の勤め人のような上がり時間である。講習中は色色な所に行って見ようと思った。まず日比谷線を乗り通し中目黒の立ち飲みBに参る。併し知った顔はおらず。結局天祐寺の焼き鳥Bへ徒歩連絡。何だか普段と代わり映えしないと思っていたら、以前勤めていたH君が御客としてやって来る。色色と話しして帰った。十時帰宅。


12/25・日
 朝から自転車で出掛け、馬事公苑手前のこってりラーメン屋に並ぶ。所謂二郎インスパイヤー系である。健康には明らかに悪そうだが、大量の野菜を掻き分けてから糖や脂質に着手するから、栄養学的には案外正しいのかもしれないと思った。
 其の後環八を東進し、今月出来た家具量販店を訪問。確かにもの凄い規模の店である。郊外にはよくあるようだが、都心(と云っても環八だが)進出の旗艦店という位置づけなのだろう。早速店内を見聞す。室内用の照明器具は光源と傘を別別に売ることで色色な組み合わせが可能。従来の家電の会社にはない新しい売り方だと感心す。是非とも家人を連れて行きたいが、駅からもバス路線からも遠いから一生縁がなさそうである。夜は先日成功した豆乳鍋


12/24・土
 冬型の晴れ。昼は410円のうどん。夜は一本350円の肉屋のローストチキンと冷凍のグラタンなど。取り立てて無為。
 何時の間にか新年度の予算案も出ていた。依然として十兆円程度は税収が不足し、新たな借金に頼っている。そんな中でも防衛費だけは増えているようだが(社会保障費の伸びは止めようがない)、此れとて日中の平和外交がもう少し進めば、其の内の何千億円かは使わずに済んだことだろう。もう中国と話を付けられる人が政官には居なくなって仕舞ったなどと、何処かで聞いたことがある。優秀な外交官を育てるのには、給料とは別に一人一億円ぐらいの国費は掛かるだろうが、艦隊や戦闘機を揃えるのに比べれば遥かに安い。極めて投資効率のよい案件な筈なのだが。併し今から育てるとしても、育ち上がるまで最低十年は掛かるかな。其れまでは民間外交で繋ぐしかないか。また中華立ち飲みにも行かなくてはならない。


12/23・金
 雨風は未明には収まる。午前は穏やかな晴れ。午後は寒気が入り徐徐に曇る。昨日は暴食したので日中はカップ麺一つ。すると何だか体が冷たくなり、六時前から飲み始めた。
 天皇誕生日。皇居には大勢押し掛けたとのこと。併しこうして再び天皇というものが人口に膾炙されるのを見ると、天皇制と云うものは、今上天皇の象徴行為を経て、何だか段段復活してきたのではないかと言う危惧を覚えた。其れは、すなわち、明治憲法下で暴走した天皇制というものを辛うじて抑え込んできた現行憲法を、最終的には破壊して仕舞うのではないかという危惧である。


12/22・木
 福島事故の処理費はもろもろで二十兆円に達し、大半を電気料金に上乗せして賄うことに決まったよう。原発を容認したのは全国民の責任と云う事なのだろう。謂わば一億総懺悔だと思った。併し推進派の博士や大臣はどうしているのだろう。せめて公職追放程度にはすべきであると改めて強く思った。
 貸金庫の御用意が出来ましたというので、朝から銀行に参る。少し小さいサイズにしたので、年間数千円は安くなった。其れでも三万弱。まあコインロッカーでも一日五百円は取るから、安い方なのだろう。此れも顧客サービスの一環である。併し金利が益益下がり、銀行屋さんも利ざやで儲からなくなると、近近に値上げされるかもしれないと思った。結局大半がゴミみたいな書類を入れて直ぐに帰る。それにしても吾人も家に居れば都市中間層(どちらかと言えば旧中間層)、出社すれば貧困層。此の自己分裂状況に悩むこととなる。
 千寿校も休みにしたので今日から四連休である。少し都心に出ようと思った。まず上野の「クラウン」でカレー昼食。其の後秋葉原へ参り、家の奥から出て来たファミコンソフトを再び売却。二十数本で四千円弱の値が付いた。更に神保町へ回航。併し地下鉄を上ったり下りたりしている内に何だか草臥れて仕舞い、本を探すどころでは無し。「嵯峨谷」で暫し蕎麦休憩。
 一応東京メトロ一日券を購入し、お得に移動している筈なのだが、地下通路を行ったり来たり、ホームを端から端まで歩いたりとうんざりしてくる。バスと違いお得感ゼロである。短距離移動に地下鉄はつくづく不向きである。結局一冊も探し出せず、飯田橋へ。時間があるので、ギンレイホールで偶偶やっていた「やつが帰って来た」という映画を鑑賞。ドイツ式のブラックユーモア映画なのだが、登場人物が登場人物だけに余り笑えず。どう落とし前を付けるのかと見ていると、ユダヤ系の御婆さんが認知症も吹き飛ぶほど激昂するあたりから物語が変調し、色色と考えさせる内容で御仕舞となった。とは言うものの、やはり余り造りのいい映画とも思えず。
 漸く夜になったので、立ち飲みBへ向かう。前回居なかった幹部社員のD君とも久久に会えた。月波君と待ち合わせ、二時間ほど飲む。するとどうしても回鍋肉定食が食べたくなり、吾人だけ蝦夷松の外堀通り店へ参る。分厚い豚バラ肉に大盛りの御飯。何とか完食す。ここら辺の感覚はラーメン二郎だな。外で待たせた月波君と合流し、もう一軒軽く飲んで御開きとした。年末ということもありどの飲食店も地下鉄も満員であった。
 日中、春のような暖かさ。石勝線が復旧。夕方から南風強し。夜は雨も加わり嵐のようになる。異様な天候のせいで各地で火災多発。糸魚川では大火となる。木造住宅が次次と燃えて仕舞ったよう。半分は空き家と空き店舗だろうな。何時の日か首都圏直下型地震が起こるのは致し方ないとして、せめて梅雨時辺りに来て欲しいと思った。


12/21・水
 もうコレステロールの薬がないらしい。主治医は他界されたから、先日行った新しいクリニックへ参る。なお区の特定健康診断を利用すれば、色色な検査が500円で受けられる。例年三月の検査を前倒すことにした。採血、検尿、胸部レントゲン、心電図等等、幸い宿酔気味ではないが、食事制限など何もしていない。殆ど抜き打ちの検査である。どういう数字が出るか楽しみである。
序に目の検診も受けられるという。500円の内で済むのならと、気軽な気持ちで近所の眼科に転進す。併し此れが悪かった。眼圧が高く(左右とも23ぐらい)、其のまま追加検査となる。例によってあの視野検査である。例によって吾人の大苦手な眼科である。コンタクトレンズを嵌められ、大きな鍋の底のような所に頭を入れ、光芒を追ってボタンを押す。より正確に言うと、追ってはいけない。視線が少しでも揺らぐと、「しっかり前を見てください」などと人生訓のような文句が自動で流れて怒られる。数年間忘れていたあの恐怖が一瞬で蘇る。冬だというのに脂汗が出そうなほど緊張す。
大体眼科というものは歯科より恐ろしい。まず基礎的な眼圧の検査から言って考えられない。行き成り瞳に空気砲のようなものを当てるのだから。人間に限らずそもそも生き物というものには反射神経がある。熱さを感じたなら即座に手足を引っ込めるし、目前に人が飛び出して来たら非常ブレーキを掛ける。もしも目が何か危険を感じたならば、真っ先に目を閉じるだろう。併し眼科では何をされても目を強く開けて続けなくてはならない。而も手や足と云った、言い方は悪いが人体の下部機構ならともかく、目という何しろ中枢に近い直轄直営器官である。反射行動を止めるのは、非常な意志の強さ、尋常ならざる克己心を要求される。従ってこんなに恐ろしい医科は無いと考える。増して万が一にも目の手術に至ったことなど、今から少し考えただけで卒倒する(実際は白目をむいて昏睡することすら出来ないのである)。
数次に及ぶ困難を乗り越え、医師の最終診断を受ける。幸いにして今のところ問題は無いとのこと。併し途中から有料検査と云う事になり、三割負担で2860円も取られた。其の上、数か月以内の再診を勧められる。眼圧が下がるような佳い食べ物は無いのだろうか。通して内科十五分、眼科四十分。特に後半の損耗が著しい。少し血を採る筈の検診だったが、丸で魂を抜かれたようにしてぐったりとして帰宅。
 昼食と午睡の後、出社。金参万円受け取る。年末年始は例によって千寿校に行くので、本務校の勤務は暫らく無い。身辺を色色と片づける。中華立ち飲みとBに寄り、色色と挨拶して帰宅した。
 中日のマネージャーO氏も退任が決まる。監督が辞めさせられたのだから、当然といえば当然である。併し自らの退任や最下位という成績に関して一切の説明は無し。自由党の代表じゃあるまいし、少しは喋るべきである。所謂、オレ流と云う事なのだろう。それにしても、オレ流か。選手ならそれもいいだろう。併し指揮官としてはどうなのだろう。監督としての一度目は予想に反し大成功したが、二度目はやはり滅茶苦茶になったとは、中日ファンの共通見解である。


12/20・火
 朝から牛丼Sへ。やはりМより旨い。年賀状を数枚書いて出した以外は無為。新大統領の組閣人事を見ていると、大金持ちと軍人上がりばかり。こういう事ではないんだがと、ラストベルトの嘆息が早くも聞こえてきそうである。恐らく最後の白人専用政権と云う事になるのだろう。精精激しく燃え上がるといいと思った。
また他国の軍隊が此れだけ駐留している国と平和条約など結べないし、領土の一部も返せないというロシアの主張も、残念ながら正鵠を得ている。今のところ、永久に返って来ないだろうな。一島たりとて。併しAは対米追従と対ロ協調が両立しないと云う事に気が付いているのだろうか。付かないだろうな。あの頭じゃあ。


12/19・月
 万代伯母の貸金庫を解約しなくてはならないというので、朝のうちから信託銀行の人と地元の普通銀行に参る。開けて見ると、中には雑多な書類が束になっている。大昔の分割協議書とか測量図面とか、もう潰して仕舞った貸家の消滅届などなど。其の中から今回の登記に必要な書類を幾つか持って帰って貰う。
また不動産の登録免許税なるものの概算も出る。免許の税と言うらしいが、今更頼朝公から本領安堵される訳ではあるまい。一体誰からの何の免許だか知らないが、其れだけで三部屋分の大型リフォーム代に匹敵す。相続税の他に一体どれだけの税金を納めることとなるのか。こんなに沢山納税するのだから、いっそ公務員として雇って貰いたいものである。
なお貸金庫を継続使用するには、当該支店に吾人名義の口座が必要とかで、再び口座を作ることになる。作って上で、改めて貸金庫の申し込みと相成った。何枚も何枚も、件のこってりとしたボールペンで帳面を書き綴る。審査の上、年明けには作れるだろうとのこと。かれこれ二時間半も掛かった。残りの書類の束を持ってげんなりして帰宅。間違いなく銀行滞在最長時間記録である。
 近所の食堂で五百円の遅い昼食。一休みした後、出社。退社後は立ち飲みBへ。ベトナム人店員のDさんが本国に帰省するという。職場で持て余していた煎餅の御歳暮を、御両親への土産にと手渡した。日越友好の草の根煎餅外交である。


12/18・日
 朝からF蕎麦へ。結構暖かい。取り立てて無為。


12/17・土
 かなり遅くなって仕舞ったが、漸く一号室の工事。朝方から何時もの親方と大工さんと設備屋さんの三人で乗り込む。シンクの交換は直ぐに終わった。一方シャワーボックスは水漏れが酷いという。板と板のつなぎ目のパッキングが劣化している。もう三十年近い物である(他部屋では既に交換済み)。コーキング剤で応急修理をす。愈愈浴槽付きのユニットバスに作り替えようと思い、大まかな見積もりも取って貰った。大体数十万だな。果たして家賃に上乗せ出来るのだろうか。
 取り敢えず落着してぼんやりしていると、坪上君からメールが来る。丁度妻子がいないから飲みに来ないとか誘われる。夕方自転車で出発。世田谷の中の方に向かう。月波君も同行。彼はマンションを購入したから、新居のお披露目会でもある。古い物件のようだが、中は綺麗にリフォームされており新築同様。而も独特のメゾネット構造をしていて、戸建てのような感覚。成程こういう建物もあるものかと感嘆しながら見聞す。
五時過ぎから飲み始め、途中「吉田家」に参る。お爺さん三人でやっている食堂だか、三人とも壮健で安心す。飲み物を頼むと色色とサービスされるシステムも健在。五目焼きそばには、冷やし中華と見紛うほど具が大勢乗っていた。何はともあれ楽しく飲食す。十時半にはお開きにして、ゆっくり帰った。


12/16・金
 北方領土の問題も、四島一括返還から、何時の間にか二島だけでも兎に角返してという方針に転換したよう。そもそも四島一括即時返還論には無理があったようで、最近は日ソ共同宣言に立ち返り、二島返還交渉がなされているとのことである。小学生の頃は、国後択捉歯舞色丹と一括で担任教師に暗唱させられた口としては、何だか腑に落ちないな。最近はどう教えているのだろう。
 また相変わらず此の問題では、元島民の声というものが尊重されている。併し故郷喪失やディアスポラは、全人類的な普遍経験である。ダム湖の底に沈んだ家家も、軍靴に蹂躙された集落も、放射能に汚染された村町も、みな同じ故郷である。そして今こうしている間にも、世界は膨大な数の難民を生み出している。
 朝から晴れたが大変寒い。一応ボロ市には参る。併し家人には冷蔵庫が臭くなるから、白菜漬けはくれぐれも買って来るなと念押しされる。となるともう何も買うものも無し。端からは端まで見て、手ぶらで帰宅。
午後出社。早目に帰ろうと思ったが、自転車の鍵を失くした。予備は無いから、結局工具で壊す以外に手が無かった。親切にも無責任社長が手伝ってくれた。ずぼらな小学生のように鍵を失くした自分自身と、無責任社長に下らぬ貸しを作って仕舞ったこと、二重に腹立たしかった。立ち飲みBで少し飲み、碑文谷で更にラーメン食。
 首相Aが乾坤一擲の思いで実現した日ロ首脳会談であったが、領土問題に関してはゼロ回答の模様。幾つかの経済協定の締結で話しは終わる。此れとて大した内容ではなし。此の程度の物は冷戦終結後、直ぐにでも結ばれて可笑しくは無かった。
ところでAは落胆しているのだろうか。そもそも二島くらいは返還してくれそうなどとは、一体何処の誰が考えたのだろう。とんだ見込み違いというものである。大体ロシアである。やって来たのは、クリミア半島を併合し、ウクライナの東半分とシリアのアレッポを滅茶苦茶にした当の大統領である。昔の書記長より更に悪い。全く以て、勘違いも甚だしいと言わざるを得ず。


12/15・木
 向かいの解体工事も大体終了す。建物三棟の解体に一月半掛かった。庭は残っていたが、最後の工程で壊された。庭木も一列を残してみな伐採される。藤棚や石灯篭もあり、年に二回は庭師が入る立派な庭だった。びっしりと建物が建つのだろう。立派な環境破壊である。植木屋さんも得意先を失うこととなる。
 カジノ法も成立す。政権側が大阪の連中に相当サービスしたことになるのだろう。あんなものを作られては、旦那が駄目人間になって働かなくなると、大阪のおばさんたちは怒り出さないのだろうか。つくづくあの大阪の会はどう仕様もない。其の点は、あの元市長も心得ているようで、最近はタレント活動に熱心である。
 一日晴れ。数日来の疲れが出たのか、午前午後と漫然とす。夕方近くになり中目黒まで歩いて千寿に出校。退社後は「福しん」で回鍋肉定食。甘辛な味噌が効いて旨いことは旨い。其れに野菜高騰の折り、キャベツが多いのは大いに喜ぶべきだが、矢張り回鍋肉は蝦夷松に限ると思った。第一に肉の厚みが違う。


12/14・水
 朝方まで大雨。天候の回復が遅れ、午後も寒いまま。名護沖で米軍機オスプレイが不時着、大破。別の一機も胴体着陸で壊れたという。沖縄への配備は二十四機だというから、其の十二分の一が破損したことになる。輸送機としては欠陥である。強襲揚陸機的な位置づけなのだろう。併し図体が矢鱈でかいから、あれでは奇襲も出来ないと思うが。
 熱海から帰って来た家人と交代し、午後出社。漸く金参万円受け取る。ところで中二の数学であるが、一次関数の後はずっと図形の証明である。三角形の合同から始まり、直角三角形、平行四辺形と延延と二月くらいまで続く。また此れで数学嫌いが増えるな。証明が好きという中学生は十人に一人ぐらいである。
そもそも右と左の三角形の合同を証明せよなどという問題から言って気に食わない。合同と分かっているものを態態証明させることも無いだろう。大体証明されなければ事実がないと考えることから言って可笑しい。例えば、身分証明書も戸籍も無い人が居たからと云って、其の人の存在を何ら否定することにはならない。存在は証明に先立つのである。矢鱈証明したがって頭が佳いふりをするというのは、希臘数学以来の悪い伝統であると思った。
退社後は立ち飲みBへ。久久にメンバーが揃った感じで割と楽しかった。但し夜は一段と冷えた。万代伯母の月命日。四か月が経った。高額医療費の払い戻しは受けたが、そう言えば日本年金機構からは何とも云ってこない。書類発送から二か月近くも経つが。


12/13・火
再来月からの最終金曜日は官民挙げて消費を促すのだという。名前もプレミアムフライデーとし、三時退社を目標とするとのこと。つまり金曜日の土曜日化である。吾人が随分前から提唱しているアイデアである。もう間に合わないが、再来年からのカレンダーは、一部金曜日を青く、土曜日は全面的に赤くすべきである。
成光君から欠礼葉書が来る。「親族等が亡くなったわけではありませんが」「敬愛する元上司が永眠され」「気持ちの整理がつかない」とのこと。彼は大手化学メーカーに勤務している筈だが、そんなに佳い上司がいたとは羨ましい。無責任社長と取り換えて欲しいと思った。
家人は自分の親戚と熱海へ一泊旅行。吾人が老家人の支援当番である。昼は弁当、夜は豆乳鍋などを拵えて食べさせた。吾人の料理経験は限りなくゼロだが、結構旨く作れた。立ち飲み屋なら十分な味である。午前中は薄日が当たったが、夕方から小雨。


12/12・月
 家人の話しに因ると掛かりつけの老師は先月半ばに亡くなったとのこと。何せ完全な密葬だったというから、情報が伝わるのに時間が掛かった。と云う事は、吾人の診察は、其の一か月前くらいだったことになる。凡そ三十年前にウタ婆さんを看取ったのも老師であった。最後の最期まで診察に立たれていたことになる。合掌。
日中は冬晴れ。午後出社。残りの百枚を書き上げる。退社後は立ち飲みBに軽く寄る。副店長格(といってもバイト長らしい)のN君と話が合う。吾人と同じ歳くらいの彼も近近独立するそうである。まあ確かにBのシステムを真似れば、確実に商売は成功するだろう。此処だけの話し、吾人も少し考えたことがある。


12/11・日
 都知事は政治塾を作り、授業には数千人も集まったという。来年の都議選を睨んで、地域政党を立ち上げる予定なのだという。確かにあの都議連中の野次等等は酷いことは酷い。出来れば全員落選させるべきだとは思う。併し所謂大阪系の手法を再現されても何だか鼻白む。つくづく都民こそ、今まで碌な議員と知事を選んで来なかったという現実に改めて慄然すべきである。
 月波君が飯田橋で飲みましょうと言うので、午後出掛ける。まず中目黒まで徒歩連絡。併し日比谷線では相当遠回りで閉口す。日本全国の大抵のローカル線を乗ってきた筈だが、地下鉄だけは何年乗っても未だによくわからない。
まず立ち飲みBの支店を表敬訪問。Bはついに飯田橋にも出来たのである。併し知った店員はおらず。日曜と云う事もあり店内は閑散。都心店は少し形態を変えた方がいいと店長に進言す。更に蝦夷松で回鍋肉と味噌ラーメン。ところで月波君は母方の伯父が亡くなり帰省していた。而も親族間で遺産相続を巡って争いが起きていて、葬儀会場でも顔すら合わせなかったのだという。相続するだけでもこれだけ大変なのに、つくづく不幸なことであると思った。
二軒回ってもまだ七時なので、神楽坂の「ブロンクス」に入る。カウンターに陣取り、若いバーテンダー相手に、ああでもないこうでもない、スコッチだアイリッシュバーボンだと矢鱈目ったら飲み進めていく。丸い氷が二つくらいなくなる頃には、かなり酔いが回って来る。となると月波君もしつこくなってきたので、いい加減に帰ることにした。すると二人で一万三千円にもなる。随分と散財したと思った。何時もの地下鉄で戻り、更に地元のラーメン屋に入る。満卓満席。日曜ともなると、都心より世田谷の方が人がいる感じである。
 また飯田橋駅の西口も駅舎ごと無くなって仕舞っていて、例によって吃驚す。西日が良く当たる、三角屋根が特徴的のいい建物だったが。駅舎の位置をずらし、ひん曲がったホームを作り換える予定なのだという。また学生時代が一段と遠ざかったと思った。


12/10・土
今日も朝から晴れたが、昨日とは一転して冬型の気候になる。日が陰ると何だか相当寒い。都市の活動が弱まる週末は、特に寒くなるなどと何処かの気象予報士が言っていた。更にエアコンの普及が拍車を掛けているかもしれない。つまり室外機が轟轟と動くことで、外の熱を吸い取って仕舞うのではないかと吾人は密かに疑っている。となると都市の夏は益益暑くなり、冬は逆に益益寒くなるだろう。つまり夏はヒート何とか、冬はコールド何とかである。まさかとは思うが、こういうことは何処かの賢い人が計算すれば分かるのだろう。
夜はピザでも取ろうかと思ったが、こうも寒いと南欧的な物を食べる気にもなれず。第一、配達員も可哀想である。結局カセット式の瓦斯を茫茫と燃やし、適当な鍋料理にした。


12/9・金
 朝から晴れて、結構暖かい。午後遅目の出社。今年も宣伝用の年賀状を出すことになったので、宛名を書かなくてはならない。而も名簿屋さんから貰ったエクセルのデータが何処かに行って仕舞い、ラベル用紙に転写出来ず。何と全て手書きである。覚悟を決め、無の境地で取り組む。此の場合活躍するのが、愛用の「ゼブラ・サラサクリップ」である。一本百円。併し大変優れた書き心地である。
此のジェル(メーカーによってはゲル)インクボールペンと言うものは、吾人が学生の時分に現れたと記憶している。油性ボールペンのこってりとした書き味とは打って変わって滑らかな書き心地。インクの色も鮮やかで、玉にならない。同じ悪筆でも見た目が丸で違う。其の上、きちんとキャップさえ閉めれば、大半のペンが天寿を全うすることが出来る。多少乾きが遅い点と水に弱い点を差し引いても、ジェルインクの登場はボールペン界の一大イノベーションであった。以来吾人は一切のシャープペンシルを捨て去り、ボールペン一筋である。
 一方、銀行などに行くと、供え付きのペンは未だにあの油性である。書く度に、ああ此れは昭和の書き味だなどと感じて仕舞う(多分保存の観点で油性を使っているのだろう)。さて肝心の宛名書きであるが、幾らインクがさらさらと出ても、流石に四百枚ほど書いたところで時間的にも身体的にも限界となる。油性なら此の半分も書けなかったことであろう。インクの技術革新に感謝である。
 久久に大仕事をした気になったので退社後は立ち飲みBへ。更に碑文谷で「すする」という付け麵屋に入る。旨いことは旨いが、最も基本的な付け麺が870円もする。また日銀総裁に教えてやろうかと思った。


12/8・木
 隣家の片付けも再開したのだが、続続と食器の類が出て来て閉口す。皿のセットだとか、コーヒーカップだとか、みな贈答された未使用品である。併しこんなものはガレージセールでも引き取り手が無いだろうな。そう言えば瀬戸物屋の店先に「勝手に品物を置いていかないで下さい」という張り紙がしてあるのを見たことがある。捨てるのに忍びなく、ただでもいいから売って下さいとばかりに置いて行ったのだろうが、置かれた方は堪らない。いわば逆万引き事件である。みな余った食器の取り扱いに困り果てていることが分かる。他人に皿やカップの類を送り付けることは、法律で一切に禁止した方がいい。
 昼食後ぼんやりとしていると、担当税理士さんから連絡がある。準確定申告書が大体完成したので、見て欲しいと言われる。態態お越し願うのも面倒なので、事務所に立ち寄ることにした。三越前下車。少し歩いて日本橋の立派なビルに入る。相続専門の税理士事務所と云う事だが、当然確定申告もやっている。まあ確定申告などというものは、税務の基本中の基本、中華料理屋で言えば炒飯みたいなものだろう。
経費等の計算も一円単位でしてあり、それが何枚もびっしり埋まっている。小さい数字が匂い立つような感じ。よくやってくれていると思った。また伯母の収入も八月までなので、経費や控除の類も多く、前払いした額で足りて仕舞うとのこと(草刈りの領収書も要らなかった)。此れ以上御金が亡くならなくて良かったと思った。申告書は幾つかの修正を経て来週には仕上がる予定である。
それにしても年が明ければ、次は老家人と、暫定相続人として吾人も確定申告せねばならない。そして遺産分割協議が終われば、土地と建物は更に細分化される。元元一部の賃貸料は父のきょうだいで分け合っており、数分の一ずつしていたのだが、此れが更に数分の一と云う事になり、分母には愈愈12が登場する予定である。となると、もう素人には出来ない。専門家に丸投げするより手が無いと思った。素人が作る炒飯は、大抵べちゃべちゃである。
 説明は三十分と少しで終了。ぶらぶらと神田まで歩き、途中散髪す。JRを乗り継いで千寿に出校。高校の定期試験も終わり生徒も居ないので、割と早目に退社。寿司の大江戸とK諸蕎麦に寄って帰った。


12/7・水
 朝から寒い。先月の電気使用量が激増す。一部エアコンが終夜運転を始めたからであろう。クーラーの設定温度は二十八度で十分だが、暖房の其れは二十五度でも寒いという。流石に夜間は二十度に落とすが、つくづく年寄りには御金が掛かる。まあこれでも施設に入られるより遥かに安いのだろうけど。
午後出社。Bの本店にも少少飽きた。其れに中華立ち飲みは未だに自己規制中である。ということで他に行くところも無い。退社後は少し困った。散散考えて結局天祐寺の焼き鳥Bへ。U店長が歓迎してくれた。併し入社二年目の彼など、吾人より大部年上な筈で、大きな体を揺すっての延延の立ち仕事である。板長という程、複雑な料理工程を管理する必要はない(Bも店舗拡大に伴い合理化が進んできており、下ごしらえ等等は概ねセントラルキッチンがやっている)が、あの年齢での現場仕事は、相当草臥れるだろうな。二杯ほど飲んで早目の帰宅となる。
 夜は映画「ラーメンガール」を見ようと思った。恋に破れたアメリカ人ヒロインが東京のラーメン屋に弟子入りするという、ありきたりな内容だというから、疲れた頭には丁度いいと思った。併し先生役の日本人俳優の罵詈雑言が酷過ぎて途中退席。成程、此の映画はハリウッドの制作だから、当のアメリカ人は字幕スーパーで見ていたのだろう。併しネイティブには聞くに堪えないほどの罵声であった。それにヒロイン役の女優さんも若くして亡くなって仕舞ったそうである。別に怒られ過ぎて死んだ訳ではないが、何だか余計に見る気がしなくなった。


12/6・火
 昼は二キロほど歩いて先日のラーメン屋に。旨いことは旨いのだが、いざ腹を空かしていくと何だかもの足りない(前回はカレーを食べた後だった)。同じラーメンでも其の日の気分によって印象は随分違うと思った。ついついラーメンには、しつこさと言うか、脂と言うか、つまりこってりを求めて仕舞う。あっさりとした中華そばもいいが、そういう時は大抵蕎麦屋に行く。
 向かいの解体工事も概ね終了。足場と幕も外れる。すると数十メートル先まで見渡せるようになる。見慣れない景色が現れて、何だか居ながらにして引っ越しした気分である。


12/5・月
 今日も割と暖かい。午後出社。三日も休んだので勤労意欲も多少回復す。退社後は立ち飲みBで軽く御仕舞。
 昼間に須見伯母が来たる。序に英会話のCDを置いて行ったので、早速見聞す。最近流行りの、所謂スピード何とかである。取り敢えず五巻分をパソコンに取り込んで聞いて見る。併し今更「伊藤さん、此方の宿泊カードにご記入いただけますか」とか言われてもね。初巻辺りの会話の内容は実に余りに馬鹿馬鹿しい。こんな馬鹿みたいな内容から勉強しなくてはならない自分に、何だか無性に腹が立って腹が立って仕方がなかった。


12/4・日
 一日暖かい。取り立てて無為。午後は公園通りの古い本屋で「古池に蛙は飛び込んだか」入手。芭蕉は中三の教科書に必出だから、早速参考書とする。
 留萌線の先の方が本日最終日。連日大量の御客が押し寄せていたという。ニュースを見ると、三両編成のディーゼルカーが満員電車のようになっていた。こうなる前に少しは乗るべきだったな。大阪の方には「もうあかん、やめます」といいながら、何年も閉店セールをし続けた靴屋があったと聞くが、その故事に倣い、廃線するするといって、御客を集め続けたらどうだろうかと思った。かくいう吾人も三江線には重い腰を上げて乗りに行ったことだから。
 夜は公共放送で「戦艦武蔵の最期」。何処かで沈没画像を入手したらしいが、吉村明の作品を越えるものは無いね。大体冒頭エピソードから言って圧倒される。長崎での建艦を極秘にするため、造船台を巨大な棕櫚の簾で隠した。それだけで西日本から棕櫚製品がなくなったのである。


12/3・土
 担当の税理士さんから詳細な質問状が来る。問いの一から二十まであり、やれ賃貸契約の更新書がない(実際かなりの人が更新書を交わしていない)とか、日割り賃貸料の計算書(精精数千円なので亡くして仕舞った)を出せとか、社会保険料の還付金(取り過ぎた二十円を還すと言ってきたが放置したまま)は無いか等等、読むだけで大変である。万事いい塩梅でやってくれと言う訳にも行かず、出来る範囲で応えて急いで返送した。結局午前中は全部潰れた。こういう手続きが細かくなっても、例によって社会全体のサービスが良くなる訳でも、税金が多く集まる訳でもなし。ただただ面倒を増やすだけである。
 午後は外に出た。世田谷通りのバスを環八の外側で降り、以後二子玉川まで出鱈目散歩に出る。二時間ほど歩いて到着。またバスに乗って帰りたかったが、見たところ駅周辺は大渋滞している。素直に電車で帰った。元元二子周辺は道路事情が良くなかった。其の上、此の高層開発である。建物を上に伸ばすことは出来ても、道路は容易に横には広がらないから、こういうことになる。


12/2・金
 朝から晴れた。冬型である。件のカジノ法案も何時の間にか衆議院の委員会を通過。また一段と依存症が増えるな。ひと相手の賭け事は、馬や機械相手のそれより、興奮度が一ケタ違うと何処かで聞いたことがある。
 給料の不払いが酷いので金曜欠勤。事実上のストライキである。風も無く暖かいので、午後は散歩に出た。高そうな魚屋で鮍と鮪の刺身を買って来たが、どちらも及第せず。前者は肝は旨いのだが、肝心の身に味がない。期待が高い分、落胆も大きかった。併し何分生き物が相手だからね。
 中量飲酒の後、ぼんやりとテレビを見ていると、「クレヨンしんちゃん」をやっていた。一話目は、〈新車を買う〉。成程、自家用車の買い替えは一家にとっての一大行事である。クルマ屋さんに行って、営業員とああだこうだと遣り取りし、新車購入を決断す。随分思い切りがいい。其の次の話しは、〈電気炬燵のコードがない〉であった。併しどちらもだいぶ昔の話しだと思った。概ね昭和後期から平成初期の雰囲気である。アニメシリーズというものは幾ら長く続いても、時代背景は登場時のままである。つまり、「サザエさん」は昭和四十年、「ちびまる子ちゃん」はその十年後、しんちゃんは更に十五年後くらいか。では平成十年ぐらいの作品は無いのだろうか。あの頃まではまだまだ社会に安定感があった。


12/1・木
 朝方まで大雨。昼前には良く晴れた。雨の御蔭で解体工事も中止。久久によく寝られた。すると七号室の人から連絡があり、上の七号室が五月蝿くて仕様がないという。どうも痴話喧嘩があったよう。そんな状況ならば直ぐに別れるだろうから、もう間もなく静かになると思った。併し何か手紙の類でも入れて措くべきか少し悩んだ。家守も楽ではない。
夕方近くなって日比谷線まで歩く。駅高架下に飲食街が出来ていて、例によって吃驚す。併し此処でそもそも昔の中目黒はね、と続けて仕舞っては年齢がばれるし、説教染みているから止めにした。其のまま千寿に出校。今日も数学の連続。試験範囲を一通り終わらすのに十時まで掛かった。げんなりして其のまま帰宅。夜はコンビニ食となった。
 一息ついて、録画してあった「呑み鉄本線日本旅・指宿枕崎線」を見る。案内役の俳優は朝から缶麦酒を飲み、酒蔵見学の度に大量試飲。あれでは夜には胃がざらざらになるな、吾人なら。案の定、翌朝は酒が抜けて無いらしく、通学の高校生に何だか絡んでいた。何はともあれ吾人の旅行に割と近いから楽しく見た。勿論手持ちの芋焼酎を飲みながら。