2017年1月

1/31・火
 ハマコウといってまず思い浮かぶのは千葉の暴れん坊だが、首相ブレーンの経済学者の方もいらっしゃる。流石に金融緩和一辺倒では駄目だと言い始めた模様。財政出動が必要ともおっしゃったらしい。最高軍師も事実上のシロハタである。併しまたまた無駄な物を拵えても借金が増えるだけだな。そうやって少なくとも数百兆は使って仕舞ったのだし。日本経済につくづく打つ手なしである。
 明日からは愈愈二月である。詰まり確定申告と花粉症の季節である。税理士さんに持って行く基礎的資料を収集す。併しやればやるほど分からなくなるし、第一に面倒臭い。一方的に課税される固定資産税の他は、全部間接税にして欲しいと思った。大体そんなに納税して欲しいならば、そもそもあちら側から請求書を送って来るべきである。昼は柏屋の立ち食いカレー。夜は吾人が買い物当番。適当な鍋料理にした。


1/30・月
 朝から晴れて暖かい。流路から考えて容疑者は四室だが、一応全戸に「トイレ紙は少量ずつ流すように」と文書を配布す。何卒、効果がありますように。此処は紙ならぬ、神頼みである。
 午後本務校に。行って見ると、レーザープリンターが黒い粉を噴出させている。どうもトナーが破損した模様。再充填されたリユース品だから、こういう事もあるだろう。それにしても、昨日は茶色で、今日は黒か。色占いが必要だと思った。金参万円受け取る。
退社後は中華立ち飲みへ。それなりに楽しかったが紫煙が濃くてBへ避難。狭い店内で喫煙率七割だと堪らない。夜は風向きが代わって寒くなる。まあ煙草風より北風の方が気持ちがいいが。


1/29・日
 偶には何処かに出掛けようと思い、朝から三浦半島方面に参る。例によって津久井浜駅で下車。少し歩いて海沿いの「魚敬」に入る。店も改装されたようで、タッチパネル式の無言席と板前さんに直接注文する有言席に分かれている。迷わず後者に陣取る。年配の男性と、「一滴も泳げないけど海を見るのは好きなんです」「京浜急行と御酒と御寿司があれば十分楽しいのです」などと会話しながら一献傾ける。店内はあっという間に満席に。板さんとも会話も終了させ、波打ち際を移動す。それにしても、鷗も御舟(巨大なLNG運搬船と自動車運送船)もウインドサーファーも、内陸住民から見れば何もかも珍しい。第一、見ていて飽きない。
 本来ならバスに乗り換えて西海岸方面に出るのだが、結構酔いが回って来たので、三浦海岸駅から素直に帰る。日ノ出町で途中下車。野毛界隈を冷かし、みなとみらいまで徒歩連絡。両家人用に崎陽軒の弁当を買い、早目の帰宅となった。旨い旨いと言って食べていたから、老家人の機嫌も治ったよう。
 夕飯後ぼんやりしていると、下水が詰まっているとの通報が。超緊急出動である。また同じところである。既に対処法は分かっている。下流の蓋を開け、ジャンクション入り口付近に詰まっているものを板切れで除去す。案外素直に流れて行った。発見が早かったから溢れた量は前回ほどではないが、またまた酷い物を見て仕舞った。入浴と飲酒もやり直し。それにしてももうないだろうと思ったことが、半年で二回目である。誰かがトイレ紙以外を流しているのだろう。夜は小雨。いい感じのカタルシスである。


1/28・土
 巨額の赤字で東芝の社長が辞任。米国での原子力事業が失敗し、更に数千億の損失が出たのだという。費用を捻出するにしても、家電部門は既になく、半導体部門を切り売りして凌ぐのだという。其れでも原子力からは撤退しないらしい。こうして民生部門が無くなるのだから、東芝は一種の国策会社になるのかもしれない。確か電気機関車なども作っていた筈だが、鉄道車両部門はどうなるのだろう。
 一日晴れ。昼は地元のさっぱりラーメン。午後になって早速買い取り屋がやって来たが、中年男性は見もしないで直ぐに帰って仕舞った。着物買い取りは一種の出汁で、本命は貴金属だったようである。家人が呼んだ適当な業者だったから仕方がない。直ちに別の専門業者をネットで探すことにす。若い人が数時間後に来る。一応上から下まで丁寧に見てくれたが、大半の物は引き取り不能とのこと。着物四、帯六の買い取りで、価格は百円であった。
 本日の問題はむしろ此処から。午睡から起きて来た老家人は、買い取り金額を知って驚愕し、のちに激昂す。母や姉が大事にしていた着物の価値が、僅かだと知って腹を立てている模様。売る前に何で一言知らせなかったのだと言われても、当方としては致し方なし。古着物がほぼほぼ無価値であること、形見級の品物は取り置きしてあることなどを言い聞かせても、老家人は納得せず。ならば買い取り金額は20100円で、出張経費20000円で相殺されたとでも言えばよかったかな。結局其のままフテ寝する事態と相成った。古い人も古い物も相対すると、つくづく面倒臭い。
 夕飯後は、過日の「読書日記」で面白いと書かれていた『近代日本の右翼思想』を取り寄せて読む。右寄りの思想は今まで手付かずだった。少しは読まなくてはならないと思った。併し右翼思想の移り変わりを、革命の企図および其の失敗⇒革命が駄目ならせめて人格を陶冶する⇒ついに変えることもあきらめる⇒結局体だけが残る、と解説するのは、相当アグレッシブである。


1/27・金
 高脂血症の薬が無くなったので、朝からわざわざ医院に参り、処方箋を出して貰う。老師の所は電話一本で出してくれたが、新しい主治医は診察を受けなくては出しませんと言う。血圧を測り、あまり意味があるとは思えない問診をして1450円。少し高いな。薬は28日分で900円。
御昼頃から南風が吹き付け、暖かくなる。午後は隣家の片づけ。箪笥二竿から古い着物を掻き出す。近近に買い取り屋が来るそうである。幾らにもならないだろうが、茫茫と燃やして仕舞うより何かの役に立つ方がいいか。なおインフルエンザに罹ったことにして金曜不出社。此のところ何だか鬱状態で、真面に勤務する気が益益しない。
 適当飲酒の後、テレビを見る。ドラマ化された「下剋上受験」と、映画「耳をすませば」を同じ時間帯にやっていた。片や難関私立中学に挑む親子の物語、もう一つは多摩地区の公立中学に通う女の子の物語(こっちの親は相当なインテリ、何しろ声が立花隆)。前者は中学受験云云かんぬん、後者は高校進学すべきかなどと言って悩んでいる。二つの話を因数分解すると、結局のところ、人生というものは常に分からないことに満ちていると云う事である。


1/26・木
 何だか疲労感が取れず、午前午後と国会中継を漫然と聴く。今国会では、高等教育の無償化なども議論になっているようである。大学の授業料はもう少し引き下げるべきだと常常思う吾人であるが、保育園から大学まで全部無償化というのは幾らなんでもハードルが高いな。質問者(民進党のМ原元代表)は北欧的な福祉国家をイメージしているのだろうが、其れを行うには時期が悪い、と言うか既に過ぎている。少少の増税では社会保障費の自然増にあっという間に食われて仕舞うし、大増税をするにしては国の経済状況がずっと悪い。
 つまり日本という国は、「大転換」を行うには、最早手遅れといった感じである。せめてあと二十年若ければ、と思う次第である(当時は未来が此処まで貧困化するとは誰も思わなかったけれど)。結局細かな手当てを五月雨式に行うというのが現実的な落としどころなのだろう。
 それにしても、である。学生生徒個人への給付ではなく、学校への補助金方式で無償化されて仕舞っては、そもそも私学というものが成立しなくなる。新手の国家管理だと少しは警戒すべきである。文部省に財布を握られては、オレンジ大学も反体制的な先生を匿えなくなるだろうし。
 午後千寿に出校。退社後は大橋の方に出て、「王将」に入る。食べたかった油淋鶏は売り切れ。止むを得ず、鶏のから揚げを注文したが、肉が余りにカスカスで一口で幻滅す。軽く飲んで御仕舞。帰り掛けは『欧州複合危機』を拾い読み。クリミアやウクライナを巡るロシアの立ち位置について考えたかったが、記述は僅かしかなかった。何でも「ウクライナ危機をどこから書きはじめるのかは、むずかしい問題」で、「端緒を特定した段階ですでに、その危機の説明をしているだけでなく、誰かを弁護・非難しているに等しい」のだそうである。本書では識者の議論を幾つか紹介するに留めている。
 それにしても、ウクライナの後にシリア危機が本格化し、大量の難民が欧州に押し寄せ、テロリズムと右派ポピュリズムの火床を作ることとなる。此の件に関しては中途半端な介入に終始したアメリカの責任も大きいと感じる。オバマ外交最大の失策と言えるだろう。生真面目な同氏のことだから、今頃は慙愧に堪えないとでも言っているだろうが。


1/25・水
 今日も晴れ。午後出社。立ち飲みBへ。寒いから空いていたが、N君によると早い時間帯は結構混んでいたという。特に団体客が多かったと。其れでも十人で一万五千円程度だったというから、折角の給料日でそれぢゃあねと、お互い顔を見合わせた。其の後F蕎麦へ。深夜だというのに、肉と温泉(風)卵入りの「肉富士そば」(470円)が良く出ていた。セット物を除くと、当該蕎麦店の最高金額メニューである。まさか、とは思うけどね。デフレはまだまだ続くな。というより、一億総貧困化なのだろう。立ち飲みに立ち食い(Fには椅子があるが)。何度も言うが、経済活動の下方平準化である。山陰は大雪で関東はカラカラ。吾人の踵も硬いフランスパンのようになって仕舞った。二日続けて入浴す。


1/24・火
 一日晴れ。偶には文庫と新書を読もうと思い地元の本屋へ。『下剋上受験』『文庫解説ワンダーランド』と『日本の路地を旅する』を新造投入。ちなみに此の本で路地と言うのは、被差別部落の事である(中上健次の表現を踏襲)。東日本、就中世田谷などという新開地に住んでいると、此の問題を意識することは少ないし、吾人も同和教育を受けたことは無い。併しこうやって細かく見ていくと、路地にも色色とあって、日本という国もつくづく広いと思った。但し此の日本という概念も最近は怪しいものである。沖縄の基地反対派への差別的言動を見ていると、日本という国も米国同様、既に四分五裂気味である。
 昼はこってりの男ラーメンだったので、晩食は冷凍食品をひと並べと缶麦酒二缶で終了す。そんなこんなの老家人であるが、今夜は頗る機嫌が悪い。老家人は週に一度の割りで介護施設に行き、要介護者にならないような講習を受けているのだが、どうも待遇に不満があるようである。何でも周りはみな認知症の人ばかりで、話が合わないことに立腹しているらしい。一種の不登校だな。頭も体もしっかりしたエリート爺さんばかりが集まるエリート介護予防施設に移るか、家庭教師でも雇うしかないか。また信託銀行から、万代伯母の財産目録が送られて来る。以後、漸く相続税の算定に入るとのこと。まだまだ時間が掛かる。


1/23・月
 晴れてはいるが、とても寒い。ところで最近老家人は色色と物を捨てている。老前、いや老後整理と云う事なのだろう。其れでもなかなか捨て切れないようで、色色と悩んでいるようである。老家人は定年退職後も働いていたので、完全にオフになったのは、七十の頃である。以後、絵画のサークルに入り、絵描きの旅行などにもしばしば行っていた。其れが八十代の後半まで、つまり十数年は、趣味で楽しめたのであるから、結構充実したリタイア人生であったというべきであろう。描いた大量の風景画とともに、サークルの会報や、旅のしおり、数数の写真等等、まあスパッとは捨てられないものである。其の時が来たら、全部廃棄するから、其の辺に置いて措いて下さいとでも言うべきかな。
強烈な寒気が入り、昼から曇る。午後出社。退社後は立ち飲みBへ。ラーメンは食べずに帰宅後、お茶漬け。


1/22・日
 風も収まり暖かい。買い物序に別の古本屋を覗きに行くと、何処も閉まっていた。夜は一枚700円のステーキ肉(北海道産)。こういう肉には塩コショウに加え、化学調味料をひと振りし、バター焼きにす。そして柚胡椒を適宜付けて食べるとまあまあ旨い。歯応えもあって肉を食ったと言う気になる。そういえば牛肉を食べるのも週一回程度である。


1/21・土
 朝から晴れたが、風が強い。陽の当たる屋内に居る人は暖かいと言い、外に出た人は寒いと思うだろう。家人の体調不良は続く。また引っ繰り返られても困るので、吾人が買い物当番。昼はスーパーの弁当。晩食は碑文谷の商店街で焼き鳥と刺身を買い出す。序に古本屋を覗き『学問の下流化』を購入。本編の合間合間にある「読書日記」が面白い。


1/20・金
 朝から曇る。雪でも降ってきそうな御天気。起きて見ると、家作の前に廃材のような物が捨てられている。食器の類と大量の箸袋から判断すると潰れた飲食店のよう。酷い業者もあったものである。早速処理隊と分別隊を出す。何とか家庭ゴミの一部として持って行って貰えるだろう。
 誰も何も期待していないが、今日から通常国会。一応、施政方針演説を聞く。相変わらず首相Aは、都合のいいことは全部自分の成果、よくないことは全て民主党政権のせいにしていた。例によって中身は何もないな。
 午後遅く出社。大学が決まった高校三年生にはもう課題が出ているよう。トランプについて本を読んで調べたいというので、近所の本屋に行き、三浦何とかとかいう人の新書を探してやった。
併し初めての読書だから、もう少しいい本を推奨すべきだったかと少し反省した。でも行き成り難しい本は読めないだろうな。新書で十分である。
早目の退社の後は、立ち飲みB、中華立ち飲みと行き、再びBに戻った。何だか結構酔って仕舞いふらふらで帰宅す。数時間も立っていたから、草臥れたのかもしれない。御蔭で下らない就任演説は見ずに済んだ。


1/19・木
 お向かいの基礎工事が本格化し、またまた揺れることに。つくづく建て替えなど止めて欲しいと思った。鎌倉の伯母さんは心臓ステント手術。末妹である家人も付き添いたかったようだが、自身の不定愁訴の為に出動できず。敢え無く自宅待機となる。家人や老家人の年齢ともなると、行事の大半が健康関係問題で占められていると思った。
 午後千寿に出校。相変わらず此処の生徒は何も喋らない。個別指導に近いスタイルで反応無しとなると授業も進め辛い。それにしても知識というものは、ある人からない人に水のようには流れて行かないものである。同じ水でも低所から高所へ押し上げる努力が必要である。まして其れが押しつけや詰め込みにならないように、意匠をこらさなくてはならない。つくづく知識人の役割も同じだろうと思った。間違った知識に基づき過激なことを口口にする人人に対して、粘り強い働きかけが必要なのだと思った。
 併しこういう言葉はしばしば非力でもある。中野孝次の『暗殺者』と言う作品に、多田さんと言うインテリ男性が出て来る。「わけへだてのない気楽な自由な雰囲気に」吉五(モデルは小沼正)は心惹かれる。だが吉五は、次第に多田に「もどかしさ」を感じ、「自分が求めていたのは、正義と力である。と同時に、これが正義だ、と明確に示し命じてくれる権威ある人格であった」と、より過激な思想を説く古我に心酔する。「ナンミョーホーレンゲキョー」と唱えながら。「いつのまにか右翼的論法を身につけてしまった」吉五を、多田は「行くか。引きとめても無駄だろうな。」と見送ることしかできなかった。そしてその先に件のテロ事件が起こる。
 世の中に反知性主義、延いては過激思想が蔓延する前に、何かしら打つ手を考えなくてはならない。文字通り、言葉を尽くしてね。何も面白いことの無い一日。こういうときは「かつや」でとんかつ定食を食べて帰る。


1/18・水
 一日晴れ。寒気も抜け、概ね平年並みとなる。午後出社。何も特筆すべきことの無い一日。立ち飲みBと碑文谷の柏屋に寄って帰宅。


1/17・火
 ロシア側から下半身の問題を漏洩された新大統領であったが、一顧だにしない姿勢を貫くとのこと。そもそも清廉さが売りではないから、此処は開き直るしかないだろう。それにしても就任式まであと僅かだが、米国社会も嘗てないような分裂ぶりを示している。二進も三進も行かなくなって、政治的には空白の四年間となるかもしれないと思った。
 APAホテルの経営者が歴史修正主義の本をばら撒いていると、海外で問題になっているようである。中国からの観光客が来なければ客室も埋まらない。経営的には失策であるな。吾人の2011年8月の日記に其れを予見させる記述がある。そういえば、あれ以来当該ホテルチェーンには泊まっていない。泊まらないのではない。予約が一杯で泊まれないのである。此れからは少し空くかな。ホテル自体は安くて佳かったのだけれど。併し今頃になって問題となるのも不思議である。外国人は大勢来ているが、あの種のトンデモ本も日本語の壁によって守られていたという訳であろうか。
 一日晴れ。積んで置いた本を崩して『重光葵外交回想録』『経済の時代の終焉』と『ブラッドランド・上』に目を通す。後者の陰惨な記述に気が滅入る。人人が余りに無力な場合、「饑餓は反乱につながらず、堕落、犯罪、無関心、混乱、麻痺へと向かい、ついに死に至った」。「ハンナ・アレントは、ウクライナ飢饉は、みんながみんなから遠ざけられるという、近代社会の「アトム化」過程で起きたきわめて重要なできごとであると分析した」そうである。


1/16・月
 三号室はもう決まったそうで、Sさんが契約書類を持ってくる。バストイレ別でこんなに安い物件は今や無いそうである。何だか褒められているような、そうでないような、複雑な感じがした。
 午後出社。中華立ち飲みと立ち飲みBを連戦。Dさんからは返礼としてベトナムの煎餅とお茶を受け取る。今夜も冷えた。


1/15・日
 今日は大体晴れた。其れでも非常に寒い。年末年始の行事は昨日を持って全て終了す。自分で自分を労おうと、バスに乗り、世田谷の中の方にある百円寿司で昼酒。其の後、超満員のボロ市を歩き、世田谷線で帰宅。夜は鋤焼きにした。


1/14・土
 朝から三号室は清掃作業。一号室にはユニットバスのメーカーさんが入り精密計測。晴れてはいるが強烈な寒気が入り、結局曇る。
 延び延びになっていた芥田先生との忘年会だったが、新年会に名前を換えて開催される。今回は先生の御宅にお邪魔させて頂くことになった。例によって東西線で延延と行く。途中西船橋でラーメン休憩。三時に駅で待ち合わせ。参加者は、月波君、客野間君、鷺乃間君、藤松君。先生も益益お元気で、今度博士論文を纏め直して刊行するそうである。
各人近況報告ののち書庫見学。先生の丸山講義ノートなども見せて頂く。まず鉛筆で速記し、其の後大事な所をボールペンで上書きしたのだという。びっしりと書かれてあった。次は二十年前に先生が出演された民放番組と、一昨年島根の大学を辞められた際の記念講演のDVDの鑑賞会。先生の奥様も料理などを振る舞われ、大変恐縮す。ついつい飲み過ぎて御土産として持参して四合瓶二本はあっという間に底をつく。
 場所を書斎から駅前に移動。併し「のん兵衛」は満員で入れず。近くの店に緊急入港す。面白かった点として、(一)堀田善衛の『ゴヤ』は読む価値がある。(二)教養なき専門の先生とは付き合いがなく、同じ法学部では「方角違い」の人としか話をしなかった。(三)小選挙区制は今の所は成果無しであるが、政権交代が起こるという将来の可能性まで否定してはいけない。(四)天皇制と日本共産党は同時に博物館に入れた方が佳い。(五)憲法改正はまず第一章から着手すべきで、その際は憲法制定権力を明記しなくてはならない。(六)大学の講義ではレジュメは作らないし、シラバスに書いた予定も意味がない。其の場其の場の思い付きと連想で次次と拡散していくのが面白い。だから同じ題材を扱っていても、同じ講義は二つと無い。(七)講義の内容などすっかり忘れて構わない。但し一つか二つかを覚えていて一生の糧になればよい。(八)松圭先生からは自分より頭が良くて、尚且つ少しおっちょこちょいな奴が居れば大学教員に推薦しても良いと言われたが、とうとう一人もそういう人は見つからなかった。(九)ひと世代後の研究者は小学校の頃から塾(四谷大塚)に通っているから、益益面白い人が育たない。学問の縮小再生産である、等等。
 他には、日本社会は歴史上初めて階級社会になりつつあるとか、ゼロ成長でも貧乏を出さない方法がある筈だとか、中央の政治が駄目なのだから、地域の問題を地域で解決しようとする地域主権的な動きが出て来ても可笑しくはないが、残念ながらその動きは大きくない等等、こうして箇条書きにすると何の脈絡も無いような御話になるが、此れは此れで活発で知的な雑談になっている筈である。
 奥様にはくれぐれも飲まさないでくださいと念を押されていたので、焼酎の割り具合に気を使いつつ、結局十一時近くまで飲み続けた。お別れの挨拶もそぞろにして総武線に乗り込む。東西線は既になく、錦糸町半蔵門線に乗り換え。すっかり最終電車であった。


1/13・金
 午前中にエアコン取り付け工事。一時間ほどで終了す。明日からの寒波到来に間に合って良かった。メードインチャイナとは書いてないから国内製作品らしい。早速動かしてみる。先代のエアコンにあった室内と戸外の気温を知らせる機能が無いのが残念。まあ機能が常に向上するとき限らないか(フィルター掃除機能は付いた)。
 ちなみに今回のエアコンは三代目に当たる。古い家から持って来た初代はざっと四半世紀は動いたから、其れに比べると二代目は、寿命半分、価格は三分一といったところだろう。また三代目にはメーカー保証とは別に、量販店が十年保証というものを付けてくれた。併し十年後まで量販店など残っているのだろうか。会社の寿命も半分以下である。何だか草臥れたので、金曜不出社。


1/12・木
 今日も冬晴れ。朝起きたものの何だか漫然とす。午後千寿に出校。中学三年生が受験間際と云う事で、新たに理科を担当させられる。其の後は高校数学。例によって吾人が良く分からない分野である。当然巧く教えられず。ならば先生も勉強すればいいではないかと言う声も聞こえてきそうだが、そもそもが分からないものは、此の年齢になっては、恐らく一生(と言っても後半生であるが)分からない。かくして、分からないものは教えられないし、分からないものは分からないという結論に至ることになる。
 知識や知性を軽視しているのではない。むしろ尊重しているのである。そもそも一人で何もかも教えられると思うこと自体、自分は全知全能だという思い込みがなければできないし、そういう態度は謙虚さを欠いているから、くれぐれも宜しくない。分からないものは、其の筋の能力者に委ねるべきである。問題は本務校にも千寿校にも、そういう専門家が居なくなって仕舞ったことにある。退社後は味が濃い目のラーメンで休憩。地下鉄で缶チューハイを飲みながら帰る。月がよく照っている。従って夜も冷える。ガスファンヒーターは全力運転だから、室内の空気が悪い。


1/11・水
 一日晴れ。御向かいの工事も再開す。見たところ道路際のぎりぎりまで杭を差しているから、日が当たるのも今年限りかな。また日本年金機構から通知が来る。八月分の年金を振り込むとのこと。漸く手続き完了である。併しあれだけの書類を提出して、支払い決定通知は圧着式葉書一枚の定型文のみ。何だか拍子抜けである。
 午後早く本務校に行く。実に三週間ぶりである。扉を開けてみると、方方がゴミで溢れ返っていた。一方の無責任社長は風邪を引いたらしく椅子で寝ている。どうにも統治能力を失ったかのようである。あちこちの片づけと事務処理に凡そ二時間。以後は通常授業す。
退社後は立ち飲みBへ。此方も久久だが、N君も風邪引きの模様。寒さのせいか御客も少ない。二三杯飲んで早目に帰宅す。鶴木さんとも会ったが、先日人身事故に巻き込まれて大変だったという話しをされた。吾人が欠席勝ちな例の新年会の帰り道のことである。其れは、ほんの目前で起きたのだという。ネットのニュースで見ると、二十代の男性であったという。


1/10・火
 新大統領は大統領に成る前からツイッターであちらこちらの企業を名指しで批判。特にメキシコに工場を移す企業は袋叩きといった様相である。併し経営者出身ならば、ラストベルトはもうあかん、何時までも古い産業にしがみ付かないで、さっさと西海岸へ移り住んで再チャレンジしろとでも本当は言いたいのだろうな。如何にも恰好付けだけであろう。
 一日晴れ。午前中に内装屋さんが見積もりを持ってくる。まあまあ想定通りの金額。早速交換工事を発注す。中に貯めていても税金が掛かるだけである。此処は設備投資に回すべきだな。序に三号室の清掃も手配。午後は普通銀行支店長の表敬訪問を受ける。何かあれば何なりとお申し付けくださいと言われたが、万代伯母の口座は高額納税し終えたら、ほぼほぼすっからかんの予定である。今度は借りに行くかもしれない。其の後は当該室外機の清掃。裏側に猫の毛がびっしりと張り付いていた。あれでは呼吸困難といったところである。何とか回復してくれるといいが。
 と、此処まで書いたところで、ブレーカーが落ちた。見ると、過電ではなく漏電の所が下がっている。つまりエアコンの御臨終である。此の処、負荷が掛かっていたからなぁ。物というものも、つくづく壊れるときに壊れるものである。
 其処から先の対応は早かった。自転車に跨り、数キロ先の家電量販店に馳せ参じる。予め目を付けておいた空調専門メーカーに絞り選定す。22万円の上位エアコンは別格らしいが、10万円の廉価エアコンと16万円の中流エアコン、見たところのカタログ性能に大きな差はない。では此の価格差は何処から来るのだろう。稼働時間の長さを考えて今回は16万円の方にした。よい部品を使っていて、長生きしてくれると有り難い。ちなみに工事は最短でも三日後とのこと。其れまではガスファンヒーター生活である。そんなこんなのドタバタで、本日も無酒に近かった。


1/9・月
 未明は大風。雨風更に風邪共共朝方には概ね回復す。昼はにゅうめん。熱は下がったが、全身のダメージ大きく、虚脱状態。終日漫然とす。夜は残り物を中心に御飯半膳。三日連続で無酒。
 居間のエアコンの調子が悪い。此処数日は室外機が変な音を立てている。勤続十三年で、昼夜問わずの激務は堪えるのだろう。そろそろ引退時かなあ。


1/8・日
 朝から異様に寒い。どうにも寒いので昼食の炒飯を食べて温かくなろうとした。其れでも寒む気が取れず、早速布団を被り寝込む。どうも風邪を引いたよう。夕方に掛けて発熱。病身では炒飯は消化できないらしく、激しく胃もたれす。胃の苦しみは夜半まで続いた。夜は絶食。
 午後から大雨。記念すべき今年最初の風邪である。併し若干の喉の痛み以外、何も前兆は無し。行き成り発熱したから、症状としてはインフルエンザに近いと思った。千寿のストレスで免疫力が落ちたか、地下鉄の悪い空気に当たったか。そういえば立ち飲み屋にマスク姿の具合の悪そうな男がいた。


1/7・土
 朝方は宿酔気味。午前中に三号室が退去。どうも此の部屋は回転ばかりがいい。不動産屋さんのSさんと立ち会う。最近のSさんは物件開発なども任されているとのこと。賃貸物件を右から左へ回すだけでは儲からないから、ディベロッパーのようなこともやり始めているのだろう。少し話ししたが、要は遠回しに建て替え等を勧められた。何でも二十年で回収できるそうである。
 併しどう考えてもバブルだな。何処も彼処も建て替え中である。大体此れだけ新築物件が増えて仕舞ったら、想定通りの賃料が入るとは限らない。まあ家賃が下がれば喜ぶ人も沢山いるだろが。どちらにしても無茶苦茶な金融緩和の影響である。其の後は遺棄された引っ越しゴミの整理と分別。正直吾人はこうした日銭稼業で十分である。昼は御粥にして節制す。夜は肉屋のとんかつと御飯。本日無酒。
 合間合間に「覆面リサーチ・ボス潜入」という番組を見る。大会社の社長が変装して自社の現場で働くという番組で、今回はコンビニチェーンを取り上げていた。本社の全面協力がなければ作れない番組と云う事なので、当然のことながら、過剰出店や超過勤務や食品廃棄等等の問題には触れる筈も無し。売り上げ向上に繋がるような点を幾つかカイゼンして番組は終了。こういう番組を公共放送がやる意味があるのだろうか。


1/6・金
 未明からシロが何度も上って来て安眠を妨害す。通常は一晩に一回限りだからちょっと可笑しいと思った。朝になって猫小屋を点検すると、案の定、吐瀉物で汚れていた。どうも此の猫は食べるだけ食べて戻して仕舞う傾向がある。まるでローマの宴会である。今は貴族のような生活だが、根っ子には野良時代の飢餓体験のようなものがあるのだろう。だから食べられるときに食べられるだけ食べて仕舞うのだと思う。
 千寿に出校。行きしなにK諸蕎麦。今日で講習も御仕舞。例によって理科の電気やイオンでは多少難渋したが、大過なく終了す。相変わらずS子先生は「できないできない」と激昂していたが、そもそもの生徒が少ないので、騒音も許容範囲である。確かビリギャルの先生は、何とか心理学に基づいて褒めて伸ばすのだという。まあ褒めたからと言ってすくすく伸びるとも思えないが、少なくとも怒っているよりいいだろう。怒るのは自然な感情の発露だが、褒めるのは精神の鍛錬を必要とするから。
 退社後は大将と飯田橋で待ち合わせ。立ち飲みBにて延延と飲む。途中鶴木さんや須須木さんも呼び出される。結局六時から四時間も居た。都心の店だから、中座してK諸蕎麦を食べるなんて芸当も出来た。十一時過ぎには帰宅す。


1/5・木
 昨夜から冬型に戻り、ピンと寒い。年末来のゴミを出す。拾って来た物も含めて四十五リットルの袋二つで済んだ。生ごみなどは庭先のコンポストを活用している。夏の間は物凄い勢いで分解されるが、虫も凄まじく発生するので、しばしば使用停止となる。一方冬場は虫は出ないがなかなか分解されない。其れでも幾ら放り込んでも一杯にはならない。そもそも今の場所で埋め込んで、もう三年にはなるだろうか。猫の糞から噛んだ鼻紙まで、あれだけの物体が一体何処に行って仕舞うのか本当に不思議である。分解者というものは偉大だな。
 朝方は銀行に参り貸金庫のカードキーを受け取る。御昼過ぎに千寿に出校。退社後は神保町で途中下車。三省堂に寄ったが目当ての本は何れも見つからず。併しこうして態態気負って書店に行っても大抵大半は空振りである。想定の本を想定の書店で買い求められた割合というものは、恐らく二割にも満たないだろう。其れに本というものはAと言う本が売っていなかったから、A’でいいという訳にも行かない。無ければ無いで益益渇望する。結局ネットで買うものに成りつつあると思った。まあ本屋で眺めている内に想定外の本に出合うということはありうるが。
 落胆したまま「キッチン南海」で缶ビールとカツカレー。更に飯田橋の立ち飲みBに寄り、年末に忘れて行った焼売(真空パック)を受け取って帰った。色色計画を立てて臨んだ一日だったが、どうにも巧く行かず。どうも「東急メトロパス」を買うと碌なことが無いと思った。


1/4・水
 今日から再び講習。再び千寿に出校。退社後も直ぐに帰ることにした。昨日は家人の誕生日だったので、駅構内で一個200円のタルトを購入。何だか何時も行列の店であったが、今日は珍しく空いていた。早速食べてみると確かに旨いことは旨いが、どう見ても店舗内ではオーブンで焼くという最終工程を仕上げているだけと云った感じ。こういう食べ物は定期的に流行すると思った。一昔前はシュークリーム(店内でパイ生地を焼き、其の中にクリームを手押しポンプのような物で押し込んでいた)が人気で、雨後の筍のようにあちこちに似たような店が出来たものであった。皮がパリッとしているから結構旨かったが、不思議なことに今は全く見なくなった。
 また帰りの地下鉄も酷い混雑で閉口す。四日から出勤とは可哀想な勤め人が沢山いると思った。三が日というものも、四が日でも、五か日にでもして、正月休みをもっと長く出来ないものか。其の為には、官公庁と金融機関が率先して休むべきであろう。


1/3・火
 三年ぶりに駅伝見物に出かける。鶴木さん、須須木さん、柳さん、大将と鶴見中継所付近へ参る。沿道は既に黒山の人だかり。やむを得ず反対車線に回ったから、今一つ盛り上がらなかった。其れに此のところA学院大学がぶっちぎりで、本年も二位を数分以上も引き離していた。そうなると、先頭とそれ以外と言った感じで、応援も何だか間延びする。我がオレンジ大学は何とかシード権は取れたよう。最近は少子化でいい選手を集めるのに、どの大学も四苦八苦だと聞いたことがある。それにしてもあの監督は優秀だな。体育会的な上意下達を嫌った辺りはオレ流の人と同じだが、何しろよく喋ってくれるもの。
 天気も頗るいいので、川崎までぶらぶらと歩き、開いている中華料理屋へ。月波君も合流。更に「川崎モア―ズ」上の焼き鳥屋へ。続いて暴食す。それにしても川崎という街も、人が大勢出ているし、特に若い人が多い。少し心配そうな中高生とか、赤ちゃん連れの若夫婦とか、普段は余り見ないような人人である。正直、丸で外国に来たような気分である。通常行き来している地域、ざっと言って環状七号線の内側は、実は相当高齢化しているのだろう。地価や家賃が高すぎて若い人が住めないというのもあると推測す。偶には外に出て行かないと日本社会の実情は掴めないと思った。
 鶴木さんらとは駅でお別れ。泥酔状態の大将と南武線に乗り、吾人と月波君は溝の口で乗り換えた(ちなみに大将は何処かの店で万引き犯との容疑を掛けられ、夕方から非常に不機嫌であった)。其の際に「東秀チェーン」に寄る。九時過ぎ帰宅。


1/2・月
 朝は小量飲酒。大晦日から食べているから、おせち料理も既に飽きた。其れに買い物も掃除も無いとなると、何だか持て余し気味。やはり人間動いてないとね。街に動きがないから、猫も一段と暇そうである。鼠の大群でも攻めて来ないかとでも思っているのだろう。散歩に連れて行きたくても、そもそもが猫じゃねえ。
 夜は「ローカル路線バスの旅」を見る。愈愈此の番組も最終回。最近はバス路線が繋がらず、殆ど徒歩連絡の旅となっていたから致し方なし。今回も自治体が運行するコミュニティバスでちょろちょろし、都市間連絡バスで距離を稼いだが、結局ゴールは出来ず。何はともあれ、出演者が頭か心臓の疾患でぶっ倒れるか、歩道に突っ込んできた車に撥ねられて大怪我をする前に御仕舞にして正解である。
 併しバスも鉄道もなくなるのは寂しい限りである。大体吾人がE先生のゼミで追究したのは、「交通権」(接見交通権ではない)であった。せめて朝朝昼昼晩の一日五本ぐらいバスを走らせるべきである。


1/1・日
 全国的に穏やかな晴天となった。何時もの通りデパートで取り寄せたおせち料理と伊那の御酒で朝から中量飲酒。もう二十年も同じ形式だから、然したる感動もない。本来は家人が減らないだけでも感謝すべきなのだろう。併し老家人も今年九十二。来年の事は正直分からないと思った。
 朝酒の後は、近所の小公園、中公園、大公園にゴミが散乱して余りに酷いので、拾いに出掛けた。半周ほどで四十五リットルの袋が大体満員に。可燃ゴミだけでこうなるのだから、瓶係り、缶係り、ペットボトル係りと、あと三人は必要であると思った。併しあんまりゴミだ分別だリサイクルだと騒ぎ立てると、ゴミ箱東条になるからなぁ。くれぐれも注意が必要である。
 午後は『アウシュビッツのコーヒー』という本を拾い読みす。ドイツにおけるコーヒー熱と国家総力戦を読み解いた本。「コーヒーさえあれば、人びとは落ちつく」が、「コーヒーを欠いたコーヒー党はコーヒー騒動を起こして当然」だそうで、嗜好品であっても一種の戦略物資と言う点では酒や煙草と同じであると思った。ただコーヒー豆は国内生産が出来ないから、植民地獲得競争に走ったり、化学産業に代用品を作らせたりと、何かと国家の大政策と結びつき易いとのことである。生憎吾人はコーヒーは全くと言っていいほど飲まない(月に一杯程度)が、こういう本ならばと、家にあったインスタントコーヒーを飲みながら読み進めた。するとすっかり胃の調子が悪くなり、胃薬の緊急登板となる。夜も洋風おせちをひと並べに常温のビールを一缶のみ。レトルト御粥で締めて御仕舞にした。
 
▶凡例 本年から書籍名は二重括弧に統一。また店名など正確な固有名詞には括弧を付けることとす。なお誰もが知っているような人物以外の人名、個人的な付き合いのある店名等は依然として全て仮名かイニシャル表記。