2016年8月

8/31・水
 台風一過のかんかん照り。逆コース迷惑台風は昨夕東北に上陸し日本海に抜ける。そんな元台風に向かって南風が吹き荒れ、日中三十三度。また岩手沿岸と道央は相当な洪水被害の模様。
 午後出社。金伍萬円受け取る。今年は月給五万ペースである。万事腹も立たず。いっそ早く潰れて欲しいと思った。退社後も誰にも顔を合わせず、其のまま帰宅。流石に夜は涼しい。既に秋である。こうして長い八月が終わった。


8/30・火
 迷惑台風の御蔭で、未明から本降りとなる。外猫が心配だが、家に入れと言っても入らないからどうにも仕様がない。シロだけはすんなりと入って来るが、五分もするとまた出たくなる。当初の予報よりかなり東に逸れ、大周りで接近したので、関東に風は吹かず。午前中には大体降り止んだ。
 新都知事は、築地市場豊洲移転を考え直すよう。併し此処まで工事が進んで仕舞ったものを今更見直すことなど容易な事ではない(群馬の何とかダムの例を見れば明らかである)。移転の経緯というものも、見聞きすればするほど出鱈目であると思うが、嘗ての出鱈目を止めるのに更なる出鱈目を持って来るというのも、何とも馬鹿馬鹿しい話しであると思った。併し都と言うのもなまじ予算が大きいから利権も特大級である。而も不透明なのは国以上である。結局此れは三代前のI知事が行政手続きの透明化に悉く後ろ向きだったことに起因するのだろう。他の自治体より十五年は遅れて仕舞っている。
夕方には風向きが代わり涼しくなる。湿度も下がり、床もつるつるす。草蔦刈り以外は無為。


8/29・月
 不定愁訴も収まり熟睡す。朝から出張所に参り、件の書類提出。三度目にして漸く受理された。随分と待っている内に、しかしこうして行政に何かを申請して御金を貰うことなど、定額給付金を除けば、恐らく生涯二度目であると思い起こした。一度目は、糸魚川の「フォッサマグナミュージアム」に行った時、駅からのタクシー代を片道分だけ支給しますと言われ、何某かの書類を書いた覚えがある。確か復路無料券を受け取った筈である。駅から遠く、路線バスもない博物館に幾らかの宣伝予算が付いていたのであろう。あの時も一人だったから、ガラガラのタクシーに乗って、何だか申し訳ないような気がした。
行政に何か働き掛けをして、何かを受け取るという気が起こらないのは、日本人が持つ一種の勤勉意識の現れであると言えよう。其れにそもそも週に四度のゴミの収集以外に行政サービスをひしひしと受けているという感覚がないから、税金は一方的に毟り取られるという被害妄想に陥り易いし、担税によって社会を支えているという意識に乏しい。従って公務員や福祉生活者ヘのバッシングと言うのも起こりやすいのだと思った。ではどうしてそうなるのかと言うと、税金の使われ方が、元来圧倒的にコンクリートが多く、人への給付が少なかったからであろう推測す。
 晴れたり曇ったり雨が降ったりと盛り沢山。結局蒸し暑い。午後厭厭出社。すると夏も終わりだというのに、今更宣伝用の「かもめーる」を出すという。授業の大半を自習にして、宛名書きに勤しんだ。正直言うと、こういうやっつけ仕事の類は好きである。久久に仕事をした気になった。退社後は立ち飲みBに。愈愈大雨が降って来たので早目に帰宅。其れでも太腿は相当に濡れて仕舞った。
 

8/28・日
 涼しくて寝やすい筈だか、却って胸苦しさを覚え、未明に起きる。脈に異状はない。自律神経が可笑しいよう。呼吸が自動運転ではなく、吸って吐いてと手動指令で行っているような感じ。年に一二度こういう晩がある。鼻も詰まっていたので、抗ヒスタミンを飲んで寝直す。どうもアルコールがないと寝られないような体になっている。
 朝起きて見ても、結滞感は取れず。月波君と会う予定があったが延期させて貰った。少し気を晴らそうと、午後は散歩に出た。近所の大公園には相変わらず凄い数の人が出ていた。半分ぐらいの人は例のゲームに熱中している。そんな中、地元の原水協が原爆展をやっていたが、足を止める人は疎ら。以前の吾人なら憤慨したかもしれない。でもポケモンなら自助努力で幾らでも掴まるが、核の廃絶となるとそうはいかない。スマホに興じる人の言い分も分かることは分かる。修身斉家治国平天下という訳には行かないのが現実政治の世界、就中に国と国との国際政治である。其れでもそうするより手が無いだろうな。せめて桜の木となって立っておけば佳かったと少し後悔した。
 また御向かいの貸家も取り壊しが決まる。三階建ての賃貸アパートに建て替えるそうである。税金対策だという。此の家など、拙宅より後に建って、先に壊されて仕舞う。全く勿体ない話しである。日本の建築物など、一昔前の家電程度の寿命である。建設会社は儲かるだろうが、其の内、建築家などいうのも馬鹿馬鹿しくてなって居なくなって仕舞うだろうと思った。


8/27・土
 東横線相鉄線の乗り入れ計画も工事が難航して、完成はかなり遅れるとの報道があった。費用も当初の見積もりを一千億以上も上回り、四千億に達するとのこと。既存線と既存線の間、精精十キロ程度を繋ぐだけでも、此れだけの御金と時間が掛かるのだから、あれが五兆円ちょっとで出来るなどとはどういう見積もりなのだろう。一旦着工して仕舞えば、名誉の撤退などあり得ないと高をくくっているのだろうが。
 寒気が入り涼しくはなったが、結局雨模様。家人が渋谷の百貨店で買って来た品物を携え、挨拶回りに出向く。まず六年半近くお世話になった施設に。続いて電車を一駅だけ乗って施設医の診療所に参る。前者にはゴォ何とかと言うチョコレート菓子を二十人前、後者には現金を幾らか包んだよう。やはり医師は特権階級である。まあ開業医というものは個人事業主だし、まして施設医などを受けると、旅行はおろか御酒も満足に飲めないだろう。伯母も大変気に入った御医者さんだったから、此れも供養の一つである。
 大役を果たし家人も満足そうであった。伯母、つまり義姉を看取ったという自負があるのだろう。其れに祖母、つまり義母の面倒を見たのは万代伯母だったし、我が強かった祖母との間に立つことで一種の緩衝帯になったのも伯母であったから、家人としては恩義のような物も感じていたようである。
さてさてすっかり蕩尽したので、偶偶見つけた一皿100円の自動化寿司で遅めの昼食。更に世田谷通りまで歩いてバスに乗って帰った。夜にかけて更に温度が下がる。久久の冷房無し日。


8/26・金
 二週前の惨劇を繰り返すまいと、朝から設備屋さんを呼び立て、排水管の洗浄を行う。今回はガソリンエンジンで動く高圧ポンプを使用す。洗浄の後、内視鏡のような物で中を覗く。取り立てて異状は無さそう。何らかの偶発的な要因が重なって詰まったとの見立てである。過去云十年も無かったことだから、次に起こるのは云十年後であろう。何とか此れで枕を高くして寝られそうである。請求書は16200円。
 日中三十五度近く。今年も結局暑い。疲労困憊したので、今日の出社はキャンセルした。昏昏と午睡す。また台風が接近しているという。而も関東近海で生まれたものが、あべこべ南方に行って、成長して帰って来るのだと言う。そんな出鱈目があるのだろうか。政治が滅茶苦茶だから、ロクな台風が育たないと思った。年金運用の損失は十兆に達す。通算でもマイナスとのこと。全く以て恐れていた通りの結果になっているから、何だか可笑しいと思った。


8/25・木
 「日本年金機構」から書類が送られてくる。伯母の未払い年金は、弟である老家人に受け取る権利があるのは間違いないらしい。ただ問題は伯母と老家人が別住所の別棟に暮らしていた点にある。その場合、住民票その他に始まり、殊に「生計同一関係に関する申立書」を提出せねばならないとのこと。大体、伯母と家計が同一であったかと言われれば、そうでないと答えるであろう。では、まるっきり別であったかと問われれば、そうでもないと答えるしかない。大体九十を過ぎたら自活は無理である。そんなグレーゾーンはどうにもならないのだろうな。眺めただけでくらくらするような書類である。
いやしかし、こんなに複雑な書類、とてもじゃないが書けそうにない。何処かの行政書士に頼むか。それとも権利を放棄すべきか。社会保障制度の維持のためにも。そうなると六七月の年金を返金せねばならなくなる。返金の方が記入書類は簡単だろう。
晴れ時時曇り。今日も非常に蒸し暑い。午前も午後も漫然とす。日が傾きかけた頃、千寿に向けて出立。道中「デイ・キャッチ」を聴く。丁度半年前の軽井沢バス事故を振り返っていた。外国人観光客の急増など需要は増大しているというのに、運転手の待遇改善には結びつかない現状に、出演者共共首を傾げていた。いやいや、此れが下方平準化の恐ろしさというものである。安いツアーから売れて行く、安いバスしか注文がない。大方安い物しか出ないから、万事こういうことになる。牛丼屋やハンバーガー店や立ち飲み屋が幾ら繁盛しても、賃金など幾らも上がらないのと同じである。消費に於ける中間層は、既にほぼほぼ消滅しているのだろう。
昼に大量摂取した蕎麦が胃にもたれる。退社後は寿司の大江戸に参り、軽く摘まんで帰った。数皿で810円。帰宅後、安白ワインを一口。ほぼ休肝。それにしても八月はまだ一週間もある。とっくに九月になっているような疲れ方である。其れだけ今月は密度が濃いと云う事か。


8/24・水
 朝から区の出張所に参り、「介護保険証」と「後期高齢者医療保険証」の返却。序に「後期高齢者医療葬祭費申請書」も提出す。死亡したら葬祭費として七万円が受け取れる仕組みである。有難い制度であると思った。そもそも社会保障制度は、飲み放題レストランではないので、元を取ろうなどとしてはいけない。其れに全員が元を取ろうとしたら、制度自体があっという間に崩壊して仕舞うだろう。それでもまあ、伯母は三割負担だったし、此れから多額納税する筈だから、少しは給付を願おうと思った次第である。
 申請書には葬祭費の領収書のコピーの添付が必要とのこと。銀行の振り替え証を張り付けて行ったが、此れでは効力不足であると言われ、書類は直ちに却下される。うーん、役所付き合いにも経験と忍耐が必要である。正式な領収書を今度は葬儀社に請求した。
 出張所に二往復もしたから、何だか疲れて仕舞い、昏昏と午睡す。今日も依然として蒸し暑い。午後は一雷あった。三時過ぎに出社。ぼんやりしていると、早速自由研究に関しての質問を受ける。何でもいいから数学的な課題を出してくれとの依頼に、世の中には、十日に一割と言う法外な利息を取る悪質金融業者があるというから、元本と利息の増え方をグラフに示して見なさいと教唆していた子である。描いてきたグラフを拝見すると、何だか寝ているようで、まるで勢いがない。どうも単利と複利を取り違えている。大体、複利のグラフは指数関数というものであるから、一次関数止まりの中学二年生には分からないのであろう。高校数学Ⅱの教科書を見せて、実に複利とはこんなに怖ろしいものであると講義した。
退社後は、久久にバーIに。店主の詰まらない話しに付き合う。麦酒二、チューハイ五(内二杯は店主Iへの納品)、自慢の麻婆豆腐に叉焼を付けて約五千円。まあ偶には大人と話さなくてはね。更に碑文谷でラーメン。久久に職場近くで飲んで帰ったと思った。


8/23・火
 朝方銀行に参り、葬祭費用を振り込む。其の後、葬儀屋さんから紹介された仏具屋さんが来たる。位牌を作る序に、仏壇も新造することになった。諸諸入れて八十万程度。古い家の方は何れ壊すことになるので、やむを得ない出費である。それに仏壇というものは概ね一生に一回以下、大体二生に一度の買い物であろう。目下最大の問題は、折角新造したとして、此れを吾人から引き継がせる者がいない点にある。
 参考のために、古い家の仏壇も見て貰った。すると浄土真宗の造りとのこと。併し戒名は曹洞宗式である。というのも、元元は前者だったのだが、祖父の忠太郎が渡米中、大森禅戒という高僧に厚意にして頂き、以後曹洞宗に改宗したということになっている。併し既に数十年以上も前のことで、禅戒和尚の御寺との付き合いもなくなっている。まあどんな家庭でも、遡ると色色な事があるものである。公共放送にそんな番組があったな。私が有名人になったら是非調べて貰いたいものである。
 御昼に一雨ある。変な台風だったから、過ぎ去った後も一向にすっきりとしない。それに大変に蒸し暑い。午後は草取りと側溝の掃除。直ぐに草臥れて昏昏と午睡す。夕飯時に、老家人に色色と尋ねてみたが、例によって要領を得ず。記憶も不確かだし、老家人は元元余り歴史というものに関心がなかった。「介護民俗学」による聞き取り調査は毎回成果なしである。


8/22・月
 台風九号接近の為、未明から大雨。特に午前中は激しく降る。台風は房総に上陸。御昼頃には雨は静かになったが、以後少し風も吹いた。夕方にはどちらも収まる。それにしても西日本は連日の猛暑に見舞われる一方、東日本や北海道は水浸し。今年は天候不順である。台風情報に見入っている内に、オリンピックも何時の間にか閉幕。漸く此れで静かになってくれると思った。信託銀行と何遍も電話して、遺言書の開示日を決定す。
 午後バス出社。生徒も大して来なくて助かった。何せ今日は一人勤務である。立ち飲みBに少しだけ寄り、環七から歩いて帰る。


8/21・日
 朝から晴れて相当暑い。午後一番で介護施設に参り、伯母の部屋を片付ける。また先日は非番だった職員にも、今までお世話になりましたと挨拶す。併し六年も居たから衣類だけでもかなりの量である。全部捨ててくれと言うのも無粋であろう。下着類は残して、大半をタクシーで持ち帰った。タオルケット等は猫小屋の敷物として再利用しようと思う。
 帰った足で自転車屋へ。前輪のパンク修理。ついつい序に、穴の開いた前籠、壊れかけのシフトレバー、擦り減ったブレーキパッドの交換修理を依頼す。すると何と七千円近くに。危うく有り金が足りなくなるところであった。古い車にはつくづく御金が掛かる。併し平素から御金を掛けておかなければ、いざ鎌倉という時に故障して、バスやタクシーにもっと御金が掛かることになる。何だか色色と草臥れた。夜は鳥と牛を重ねて焼いて食べた。十時就寝。


8/20・土
 葬儀屋さんから請求書が来る。例によって、何も考えないまま、至れり尽くせりのフルサービス契約をしたものだから物凄い金額である。一方の香典収入は二十数万円。大半は身内からの入金である。営業係数的に言うと、800ぐらいとなる(戒名代を除く)。
 年に百万人を軽く超える人人が亡くなる時代である。年寄りが貯め込んだ御金がこうして市中に供給されれば、少しはデフレ脱却に近づくだろうか。葬祭業というも、花屋さんから御寿司屋さん、ハイヤー会社まで裾野が広い産業である。いやしかしあんまり預金口座から流出すると、銀行が国債を買い続けるお金が無くなるかもしれない。
 朝から大雨。梅雨の末期のような感じ。何でも国産の小型台風が次から次へと来るそうである。午後も時折さあっと降った。合間に草蔦取り。植木屋さんが一掃してから、一か月半で概ね原状回復す。而も同時に生えて来るから丸で手の施しようがない。その他は漫然とす。多摩川花火も無事開催されたよう。


8/19・金
 何だか疲れが出て、午前中は漫然とす。其れでも信託銀行に敢然と電話を掛け、伯母の死亡と相続手続きの開始を高らかに宣言した。伯母の施設入居と同時に作られた遺言書に基づいて。
併し生憎、相続であるとか登記であると言った分野は丸で吾人の守備範囲外である。六年前に色色と文書を作成するにあたり、信託銀行というものは、(矢鱈複雑な金融商品を売り付けるだけでなく)そんな仕事も請け負うのかと驚いたほどであった。だから相続と言っても、言われた通りの書類に、言われるままに判子を突き続けることになるであろう。此れからどれだけの税金と手数料を支払うことになるのか、少し考えただけで頭がくらくらす。
 午後千寿に出校。八時退社。予てから気になっていた大橋駅近くの七ちゃんと言う立ち飲み屋に入場。予想通りと言うとか予想以上と言うか、所謂酒飲みパラダイスのような店であった。更に胃に詰め込もうと思ったが、隣のラーメン次郎は売れ切れていたので、町屋で同じようなラーメンを食べて帰える。其れでも丁度二千円くらい。


8/18・木
 朝方は大雨。まず「年金ダイヤル」に電話す。来月以降の年金はストップされたが、問題は既に振り込まれた六七月分の扱いである。今月15日の支給日には伯母は生存していなかったので、「未支給年金請求の届出」が無ければ、返還の必要が出て来るとのこと。成程、言われてみれば確かにそういうことになるのね。支給前の八月分は放棄しようと思ったが、あべこべ支給されたものを返せとなると、話は別である。こうして書類との格闘が始まったのである。
 更に不動産屋に参り、振込先の変更手続き。其の足で千寿に向かい、此方の夏期講習をこなした。巧い具合にお盆休みに収まってくれたので、休講や振り替え等も無しである。関東全域不安定な御天気。何度も雨雲が行き交った。吉野家で牛丼を軽く食べて御仕舞とした。


8/17・水
 朝からかんかんに晴れた。十一時に斎場に参る。本日の参列者は吾人と両家人の三名のみ。対して係員は倍は居た。読経の後、棺桶に花を入れる。何せ人手が足りないから、両手を何回も往復させた。その後、火葬場へ向かう。先導車に両家人が乗る。吾人は一人切りで後続のタクシーに。此れが立派な黒ワゴン車で、何だか勿体ない。こんなことなら月波君でも呼べばよかったと思った。五反田近くの桐谷まで向かう。お盆明けの友引明けと云う事で大混雑。入場まで暫らく待たされた。
 最後のお別れをして二階の控室に参る。物故者は圧倒的に高齢者が多いが、中には若い人も。母親を亡くしたのであろう、中学生くらいの女の子が泣き崩れていた。其の姿を見て、吾人と家人も思わず貰い泣きす。
肝心の伯母の方はと言うと、あっという間に焼き上がった。体重が三十キロも無かったからであろう。かといって安い訳でもない。高貴な方もそうでない人も、火葬料というものは平等である。骨壺を抱いて三時過ぎに拙宅に戻る。葬儀社の人が祭壇を作ってくれて万事終了。日曜の朝から、足掛け四日。概ね世田谷区内を往ったり来たりしただけだが、まるで大きな旅行に行って来たかのような草臥れ方である。金額的に言うと豪華な海外旅行といったところか。
 朝から絶食状態である。何だか味の濃い物が欲しくなり、急いでハンバーガーを買って来て、三人で食べた。こうやってしつこい物が口に入るのも、生きている間だけである。つくづく命のあることに感謝せねばならないのだろう。此れで非常対策本部は解散。明日からは相続対策本部である。此方は一日一仕事を目安に進めようと思う。


8/16・火
 再び銀行に参ると、見たことの無いような人人が溢れている。ついに取り付け騒ぎが起きたかと思ったが、其れはバス待ちの御客であった。どうも電車が止まっているよう。それにしても十両編成、二分間隔の列車でも乗り切れないぐらいの御客を、バスやタクシーで捌ける訳もない。私なら欠勤するな。どうしても出掛けるという場合には、自転車で行くか、思い切って反対方向のバスに乗る。そして何処かで他社線に乗り換える。
 午後は愈愈斎場に向かう。まず納棺の儀。足袋だの杖など、紙に書かれた六文銭などを棺桶の中に入れた。暫し休憩となり、親族控室に参る。何だか立派な部屋で恐縮す。というのも、家族葬用の小会場は既に予約済みと云う事で万事こういうことになっている。当然式場も広大な会場である。一応間仕切りをしてくれた筈なのだが、それでも広いと思った。それに何しろ親族側の参列者は、吾人と両家人、姪の優子さんの四人のみ。そして来客は施設長ただ一人である。
つまり会場係員の方が多い感じである。ということは、只管広い会食場もたった四人のみ。片隅に陣取った。寿司を六人前取ってあったが、それでも余った。どうにも静かすぎるので日本酒を大量摂取す。小型の台風接近のため、帰りは大雨。タクシーを呼んで貰い、優子さんを最寄り駅に送り届け、其のまま帰宅。九時就寝。


8/15・月
 谷間の一日。まず銀行に参り、お布施代を引き出す。ATMの限度枠があり当然一回では足らず。明日また一往復の予定。相続の手続きに移ると普通預金も封鎖となるらしい。下ろせるだけは下ろさなくては。それにしても此れから膨大な書類手続きが必要であると思うと気も滅入る。
 其の後は一階の和室を片付ける。万代伯母が帰って来た時、隣の空き家に置いて措く訳にも行かない。併し和室には老家人の我楽多が大量に堆積している。床の間を発掘するまで、大凡二時間掛かった。一応こうなることは十二分予想出来たのだが、結局何だか泥縄式の対応になる。凶事への対応はどうしても先延ばしの後手後手になるのは、そもそもの人情というものであるから、致し方なし。
 午後は家人と伯母のところへ参る。佳い処置をして貰ったそうなので、穏やかな佳い顔をして寝ていた。また戒名も決まったそうで、清寿院優穏英知大姉となる。英語好きだったことが反映されていた。
 そもそも伯母はアメリカ生まれであった。伯母の父、詰まり吾人の祖父忠太郎は貿易商のようなことをやっていたらしい。後から嫁に行った祖母のウタとアメリカに住み込んでいる内に生まれたのが、万代伯母と、義雄伯父さんである。確かロサンゼルス辺りの西海岸生まれだと聞いている。英文の出生届のような物を見せて貰ったことがある。そして伯母が五六歳の頃に、一家で帰国し、現在の地に居を構える。大体関東大震災後の事である。以来ずっと此の地に住み、最後の数年は施設で生活し、現在に至る。当然海外渡航経験も無いから、英会話の腕を試す事も無かっただろう。其れでも英語が好きだったのだから、幼少期の経験は良かったものなのだろう推測す。あちら側でも英語の勉強ができるようにと、参考書を二冊供えた。二時間ほど滞在して帰途に就く。寸前のところでバスに先立たれ、結局駅まで歩いた。日中ずっと曇りだったが少しでも動くと暑い。何だか寝つきは良いが、直ぐに目が覚めて仕舞う。抗ヒスタミンを睡眠導入薬代わりに使用す。


8/14・日
 朝方、午前六時半、施設から連絡がある。万代伯母がついに息を引き取ったという。大急ぎでタクシーを呼び立て、両家人と参る。早速、長い間本当にお疲れ様だったと、まだ温かい伯母のおでこを三人で代わる代わる撫でた。昨日は落ち着いた呼吸をしていたというから、安らかな最期であったのだろう。享年九十六歳と十か月弱。充実していた人生だったか、一度聞いて見たかったが、そんなことを問われても本人でも答えられないだろうな。死亡診断書も発行して貰う。脳梗塞と其れに付随した心不全と云う事になるらしい。
 しかし感傷に浸っている暇はない。施設には霊安設備がないので、直ちに葬儀社に連絡す。寝台車が到着するまで凡そ一時間半。其の後、職員総出で御見送りを頂いた。斎場到着後は、直ちに葬儀費用の見積もりを立てる。何の贅沢も知らない人生だったから、戒名だけは立派な物を付けると、予め家人らと決めていた。其の御布施代とは別に、まず手付けの基本葬儀料金百万円。此れは施設から紹介なので一割ほど引いて貰った。但し九十万円分は本当の本当に超基本的な祭祀料のみなので、次から次へと追加費用が必要となる。棺桶代に始まり、骨壺代、遺体の高度処理と化粧代、遺影作成費、種種の送迎費、花代等等、締めて二百万円でお釣りが来る程度の金額となる。併し葬儀というものも膨大な蕩尽であると思った。其の上、身内らしい身内も居ない。来客も無いから香典収入はほぼゼロである。また火葬場の都合で通夜は明後日と決まる。
 高齢の喪主に代わり、吾人が施主を拝命し、次から次へと書類にサインす。平素は五百円のラーメン屋に行くか、それとも二千円の立ち飲み屋にするかという金銭感覚だが、今日ばかりは其の百倍程度の大口契約をどんどんとこなしているような錯覚を覚えた。
 有難いことに本日の関東も大して暑くないが、早朝から出動の老家人なぞは既にふらふらである。一旦帰宅し、大急ぎで買って来たスーパーの弁当を食べさせる。家人と吾人は一休みしたのち、再び斎場に参る。伯母を一人にするのも可哀想なので、打ち合わせ兼兼、夕方近くまで滞在す。
 それにしても伯母も入院から二か月余り。最後は少し苦しい思いをさせたが、最後の最期は、割と楽であったと信じたいな。九十六年もの時の変化に抗い続けたのだから、立派な精神と身体である。だから供花にも明るい色を少し混ぜて貰った。其の後バスで帰宅。漸く長い一日が終わる所である。缶麦酒を二つ空け、十時就寝。


8/13・土
 早起きして朝市に行ったところ、既に野菜類は売り切れ。パンと浅利飯のみ購入す。随分繁盛していると思った。併しこういうところの売り上げや所得の把握などは困難であろう。消費税を上げ過ぎると、青空市や蚤の市あるいは個人間取引等等、つまり一種のブラックマーケットで買い物して仕舞うから、税務当局は困ると思った。晴れてはいるが、今日も過ごしやすい。夕方には東風も入り、冷房も切ることが出来た。取り立てて無為。


8/12・金
 悪夢のような出来事から一夜が明け、結局宿酔に。午前中は区間運休。午後気を取り直して伯母のところへ参る。無呼吸状態はどういう訳だか改善される。点滴も右腕に戻っていた。血圧、酸素濃度もまあまあとのこと。人の寿命は予測不能である。想像以上の長期戦になるかもしれない。また今上天皇もこういう事態に陥ることを、一番恐れられているのだと思った。
 日中は三十度そこそこ。往復バス利用。お盆期間の為か世田谷通りも空いていた。また伯母の口座から吾人の口座に幾らか送金す。形式的には生前贈与と云う事になるだろうが、実際は昨日の作業代及び交通通信費である。夕方に掛けて、再び蓋を開け、何回かバケツで水を流す。下流で見張っていた家人によると、まあまあ綺麗に流れて行ったとのこと。ストレステストも何とか合格。此れで漸く安心して寝られると思った。でも近近に本格的に洗浄する必要があるだろうな。夜は麦酒二缶のみ。


8/11・木
 再び中国船が南の無人島辺りをうろついているよう。映像を見ると、中国の公船もすっかり近代的になっていて、日本の巡視船と大した違いがない。こうした新造船を続続就役させられるのだから、大したものである。併し筆があれば書きたくなるし、剣があれば振りたくなる。妖刀村正のようにならないことを祈るのみである。
丁度其の時、貨物船と衝突して中国漁船が沈没す。併しあれだけ沢山いた中国公船には救助の能力がなく、日本の巡視船が掬い上げたとのこと。ハード面は兎も角、海難救助というソフトの面ではまだまだ日本の方が相当上であると頼もしく思った。ただ吾人は海には近寄らないことにしているから溺れる心配もないが。
 伯母の調子もまあまあだというので、少し暑いが、何もない一日の筈だった。併し夕刻になって、家作の排水が溢れているとの通報を受ける。見に行って驚いた。阿鼻叫喚、空前絶後、絶体絶命の一面の茶色の海である。直ちに詰まった所の排水枡を開け、板切れでかき混ぜたがどうにもならず。直ちに観念し、専門業者さんを呼び立てる。一時間ほどで来て頂いて、高圧洗浄を掛けた。放水の結果、何とか流れて行ってくれた。一時間ほどの作業で、三万五千円。いやいや此れは適正価格である。以後バケツの水に塩素を垂らして何遍も三和土に流した。
 併し、生活排水というものは、炊事や洗濯等等、色色な物が混じっている筈なのだが、結局茶色であることに尚一層驚く。此れを処理するのは大変な労力であると思う。大体、飲み水が、旨いだの、あるいはそうでないなどと文句を垂れる人は多いが、自分が流していった水を気に掛ける人は皆無である。矢張り、海の日、山の日に加え、水の日、中でも下水の日を作り、広く国民に感謝させるべきであると思った。尚、目に焼き付いた画像と、鼻についた臭いを記憶の彼方に洗い流すには、大量飲酒に頼る以外に手は無かった。


8/10・水
 中日ドラゴンズは最下位に転落。やはり専門家の言う事は傾聴すべきであると思った(くれぐれも反知性主義は宜しくない)。そんな結果を受けて、監督は休養という名の解任に。併し概ね事前の予測の通りになっているのだから、監督だけの責任を問うのは酷というものである。ところでマネージャーのO氏に関しては悪い噂しか聞こえてこない。やはり制服を着せないと駄目なのかなぁ。ひょっとしたら、わざわざ見殺しにして、自らの指揮官としての有能ぶりをアピールしているのだろうか。だとしたら性格が相当悪いな。まあもう何年も野球は見ていないから、其処ら辺の事情にすっかり疎くなって仕舞ったが。
 昨日ほどではないが、今日も暑い。午後出社。明日から七連休だが何も予定は無し。月波君が来たので、久久に晴雷亭に行き、更に紅屋の二階の白屋と言う店にも行った。時節柄、早目に帰宅。緊急事態に只管備えるのみである。


8/9・火
 昨日職場で呆れていた頃、今上天皇のビデオメッセージが公開される。其れによると、高齢に伴いお務めが果たせなくなることを相当心配されているよう。殊に万が一のことが起きたら、自粛自粛で内需が縮小することを強く懸念されていると思った。概して言えば、高齢者はなるべく迷惑を掛けないように、早目早目に準備をしろと云うことである。其れは高齢化が進む此の国にあって、正しく象徴的な問題である。また繰り返し「象徴」と述べられた辺りは、やはり改憲派への牽制のような物も見て取れた。
 朝から異様な暑さとなる。午後家人と伯母のところへ。顔色は良かったが、呼吸の乱れは続いている。時時無呼吸になる。例によって、とんとんと摩って見る。たんの吸引もしばしば行わているよう。其の後、施設医の回診。血管が細くなり、点滴の針がなかなか刺さらない。とうとう腕では見付からず、太腿に刺す事になった。見ていて痛痛しいが、射ち方やめと言う訳にも行かず。お盆には誰か御迎えに来るのかな。だとしたら、ゴールまであと少しである。
 二時間近く滞在して帰途に就く。帰りはバスにした。北西の風だがフェーン現象により強烈な熱風である。日中三十七度を超えた。僅かな待ち時間であっても、全身がくらくらす。暑さに溺れるよう。地元のスーパーで弁当を買って御仕舞。


8/8・月
 午前中は両家人が様子を見に行く。取り立てての変化はないとのこと。少し曇ってくれたが、今日も暑い。早目の午後、久久に本務校に出校。通常授業に先駆けて臨時の授業等等を行う。
合間合間は何だか暇である。片づけ序に、つい放置されていた書類に目を落とす。すると其れは税務署からの督促状であった。支払わなければ、今度という今度は差し押さえに行くとの脅し文句が踊る。大方、何時も事だろうと思ったが、額を見て流石の吾人も驚いた。滞納総額は三ケタでは収まらず。田舎の家が買えるぐらいの金額で、年間売り上げの二倍に迫る勢いである。
 内訳を見ると、二十年も前の源泉所得税に始まり、まだまだ儲かっていたとされる時代の法人税、最近では消費税等等、A4の再生紙に何枚も何枚もくどいほど連なっている。中には本税より滞納税の方が多い所も。例えば、本税一万円のものが二十年で滞納税が実に十五万円近くにもなっている。一体どういう利息になるのやら。生憎税制というものには丸で詳しくないが、此の歴史的超超低金利時代だというのに、国税当局のやっていることは、まるで高利貸しだと思った。払えない場合は税務署に相談に来るようにとも書いてあったが、税吏との交渉で少しは軽減できるものなのだろうか。数多の国債も日銀に引き取らせたのだから、少しは負けて欲しいものである。
 どちらにしても此れで大貧学院も愈愈沈没。そもそも最低限の納税すらできないような会社は、世の中から早く亡くなるべきである。閉店すれば強制退職。晴れて吾人も自由の身である。自由を憧れる身としては、来るべきものが来たな。いやしかし、此れだけの負債を無責任社長は一体どうするつもりなのだろう。確か細君の実家、つまり義母さんは太い方だと聞いたことがあるので、結局は遺産頼みだと思った。
 以後吾人もすっかり消沈し、授業はほぼほぼ自習とした。全く以て何も面白いことの無い一日。退社後は立ち飲みBへ。少しだけ中から冷やして帰った。


8/7・日
 午前中から伯母の様子を見に行く。愈愈弱って仕舞い、呼吸が苦しそう。目と口を開け、鼾のようにぜえぜえと言ったかと思えば、突然また静かになる。まるで息が止まって仕舞った様で、危なっかしくて見て居られない。慌ててとんとんと肩を揺する。概ね其の繰り返しである。合間合間に濡れた紙で顔を拭いた。それにしても、愈愈ターミナルだな。折り返し運転と言うのも無いだろう。見ていても辛いので、介護職に後を託して退出す。
 以後馬事公苑まで徒歩連絡。丁度区民祭りと言うのをやっていたので一通り見聞す。併し暑くて暑くて、もはや冷やかすどころでは無し。出店の地麦酒を一杯飲み、八丈島の焼酎と海苔を買い、バスに乗って逃げ帰った。日中三十五度は出た模様。午後はひたすら蟄居す。


8/6・土
 今日も暑そうである。朝方、西に向かって水を撒いた。伯母の様子を見に行きたかったが、暑さに加え、腹具合がよくなく断念。日中三十五度に達す。夕方二十分ほど草取りした以外は無為。
 リオ五輪が開幕。南米の人は明るいから開会式も楽しそう。併し前回からもう四年も経ってしまった。五輪と言っても、時の速さを感じるのだけなのだが。


8/5・金
 徐徐に暑くなり、愈愈猛暑日となる。様子を見に行った家人によると、万代伯母はまただいぶ弱って仕舞ったとのこと。午後千寿に出社。今日も理科である。丁度生物の分野だったので、様様な恐ろしい病気の話しを沢山して、若い人を散散怖がらせた。併し此方の学習塾も生徒は少ない。前年の半分以下である。
 退社後は大橋駅で月波君と待ち合わせ。予てから目を付けていた居酒屋「ときわや」に入る。併し冷房が故障中とのことで店内はサウナ状態。恐らく古くて佳い店なのだろうが、早早に再開発ビルの王将餃子に避難す。いやしかし、こうも暑いと飲酒も捗らず。割と早目に帰宅す。
 七月の電気使用料213キロワット。前年比二割減。涼しかったことに加え、拙宅も高齢化が進み、年年冷房の設定温度が高くなってきたからであろう。


8/4・木
 内閣改造があったらしいが、特に言うべきことも無し。ただ新しい防衛大臣は大人しそうな顔をしているが、頭の中身は凄まじいらしい。そもそも人は見掛けによらないし、大体女性が平和的と云う事も無い、か。いっそ女も兵隊に徴られた方がいいかもしれないと思った。
 御昼過ぎに千寿校に向かう。午後二時半から七十分授業を四コマ半。八時頃退社。大体此れが適正規模というものである。それに無責任社長とも顔を合わせ無いから機嫌良く授業す。
一日暑い。さっぱりしたものが食べたくなったので、駅構内の小諸蕎麦に参る。店内はおじさんたちで超満員。そんな中、幼い兄弟と若い父親が異彩を放つ。時節柄行楽帰りなのであろう。麦藁帽子が良く似合う。併し下の子は天丼のエビを落として仕舞った様で、しくしくと泣いている。何だか切ないな。そもそもカウンターに背が届かないから、上の子でも下の棚に置いてのろのろと食べている。そりゃあ、落とすこともあるだろう。此の狭い店内、無事故で食べ終えるなど、ベテラン男性でも結構気を使う。立ち蕎麦はもっと大人になってから入る店であると思った。
 夕飯代が浮いたので『BRUTUS』という雑誌を買って読んで帰った。副タイトルは「酒場のある商店街へ」。赤羽や立石や大井町が特集されている。吾人も暖簾をくぐったことのある店が幾つか紹介されていた。こういう企画は受けが良いのだろう。気楽に入れる大衆酒場での大量飲酒というものは楽しいものである。
 併し吾人もいい加減に四十である。年齢は上がっても、社会的地位も収入も一向に上昇しないから、未だに書生や学生のように、わあわあと立って飲んでいる。年齢的には馴染みの割烹や寿司屋や鰻屋や落ち着いたバーの一つや二つあっても良い筈なのだが。つまり吉田類さん(BS6の「酒場放浪記」)には成れても、太田和彦氏(BS11の「ふらり旅いい酒いい肴」)には全く上がれそうにない。大体日本全国そんな感じであるのかな。此れも「下方平準化」の一例なのであろう。そのまま無酒で帰宅。詰まらないので安い白ワインを牛飲す。


8/3・水
 未明は大雨。つくづく今年は天候不順である。実に朝から出社。無責任社長に代わって中三の個別授業を執り行う。此の子は確か小学五年くらいまでいたのだが、最近になって戻って来た。成績は可哀想な程の壊滅状態。三単現も分からない。其の上、聞きもしない事を一方的に喋り立てて来る。話しの内容も稚拙で繰り返しが多い。相手が退屈し切っているのに、滔滔と話し掛ける当たり、頭の構造が少しどうかしているのだろう。尤も当初から其の傾向はあった。少し見ない間に一段と加速した感じである。実にこういう類の子は一二年に一人ぐらいの割合で入って来るが、生憎吾人はそっち方面には明るくない。世の中には専門的に見る学習塾もあるようだが、吾人は只管笑って誤魔化した。
 無責任社長は午後二時頃になって来た。水曜日は何か副業をしているらしいが、吾人は詳しく知らないし、わざわざ知ろうとも思わない。其の後、八時半までずっと授業。実に久久の十二両編成であった。恐らく一年ぶりであろう。言語機能は勿論、身体的にも相当草臥れた。眠くて眠くて仕様がない。大体朝からずっと起きているし、暑さと雷、それに外猫の相次ぐ襲撃を受け、最近は睡眠障害気味である。其のまま帰路に就く。
 途中碑文谷の一番館でフライドチキンカレー。こういう時は物象化されたチェーン店の方が佳い。本務校の講習は此れで終了。明日からは千寿校である。何とか万代伯母も頑張ってくれているから助かる。日中、雨は降らなかったが、大変蒸し暑い一日。夜は結局雨。早目の帰宅で得をしたと思った。


8/2・火
 未明から朝方にかけて雷雨。大量に降った分、涼しくなった。大体朝方はTBSラジオを聴いているのだが、ヒロシ君もタケローさんも夏休み中。当然代打が出て来るのだが、前者の番組は担当が日替わりで、安定感がまるでない。時にラジオ慣れしていない喋れない人などが出て来ると、全く聞くに堪えないことも。専門の代打要員を育てて欲しいと思った。
 昼は徐徐に暑くなるも、耐えられないほどでは無し。関東各地で雷雨だが、世田谷は朝の一回しか降らなかった。


8/1・月
 蓋を開けてみると、K子氏の圧勝となる。参議院選挙の時とは打って変ってマスコミが煽り立てたので、投票率も比較的高い。併し増えた分の浮動票は皆行って仕舞ったよう。T氏は半分も取れず。何と三位。事実上の惨敗である。やや高齢な上に、御自身の極めて個人的な問題も出て来たのが痛かった。それにしても、つくづく護憲や原発は票にならず。
 さて、此のK氏、女性で勝負事に強いと言う点以外、さして特長のない人物である。まあ、世論の風を敏感に読み取るだろうから、前任者、前前任者、前前前任者のように大外しはしないかな。併し真面目に福祉政策に取り組むとも思えず。やはりU氏に出て貰うべきだったか。
 朝から曇り。午後は一雨あった。講習も後半だと生徒も先生もだれる。退社後は立ち飲みBへ。店内は空いていた。というのも、またまた新店がオープンしたので、従業員も御客も其方へ移動中とのこと。併し紫煙に当たり、くしゃみ止まらず。早早と帰宅した。