2016年6月

6/30・木
 昨夜のアルコールが残ったせいか午前中は漫然とす。ついゴミも出しそびれた。木曜は回収が異様に早い。午後はやや晴れて、その分暑くなる。まず伯母のところに向かう。一応起きていて、何やらうわごとのようなことを呟いていた。体を拭いて貰ったせいか、顔色は良かった。食事は概ね小さじ二杯程度。少し見てから、小田急線経由で千寿に参る。高架下の本屋に『権力論』が置いてあったので、道中拾い読みす。併し鳳生大学法学部も、北の方からJ先生、伊豆の付け根の辺りからМ先生も呼び立てたから、益益反権力、アンチAの一大拠点になったと思った。いっそ鳳生自由大学と改称して見るのも面白いとも思った。カルチャーセンターみたいかな。ヨーロッパ辺りには在りそうだけど。
 今日で六月も御仕舞。今年も半分が過ぎ去った。併し何も面白いことが無かったなと思い返す。「かつや」でとんかつ定食に缶ビールを一つ。1058円。「ポコポコ」の新ステージがオープンしたので、帰路はついつい夢中になる。帰宅後は第三のビールを結局三缶。此れでも、ほぼほぼ休肝日である。ところで、この「ほぼほぼ」という言葉も新しいらしい。何時の間にか吾人もよく使っている。確度を高める使い方もあるようだが、吾人は「ほぼ」は八掛け、「ほぼほぼ」は八掛けの二乗、つまり六割五分ぐらいの意味で使っている。
 イギリスの首脳は、一体何をやっているのかとヨーロッパ中から怒られている模様。それにしても、色色と怒ってくれる国国があるだけ羨ましいと思った。大体日本にとって同盟国と呼べるものは、太平洋の向こうの大国だけといったところである。而も余りに大き過ぎて、そもそも同盟と言えるかどうかも頗る怪しい。そう考えると、日本という国もつくづく寂しい国である。


6/29・水
 午前は小雨。以後曇り。午後出社。退社後は珍しく無責任社長と行動を伴にす。というのもかつての生徒K君が訪ねて来るというので一緒に饗応す。K君は小学六年まで在籍した秀才で、中学受験を境に千葉へと引っ越した。以後何回か電話で話したことはあるが、こうして数年ぶりに会うと、すっかり背が伸び、どういう訳か髪が赤銅色になっている。高が数年だが、正しく隔世の感があると思った。「先生方はお変わりないですね」などと言われたが、成長期の数年と大人の数年とではそもそも丸で重みが違う。ただ真面目な性質は不変なようで、大学の授業が一向に詰まらないのはどうしたらいいかと質問される。何か面白そうな先生の講義のみ受けて見なさいと助言す。霧雨に濡れたが、割と機嫌よく帰宅す。人も猫もやっぱり利口な方がいいとは、百鬼園先生の言い草だったかな。


6/28・火
 未明から冷たい雨。前線が南にあるから北風が入った模様。涼しいのは結構なことだが、此のままだと何時まで経ってもダムに水が入らない。止み間を狙って草取りと桐の枝払い。併し桐という木はよく伸びる。その分、枝や幹の密度は低いので、バシバシと楽に切れる。何だか草みたいな木だと思った。このような木質でよく高級箪笥などが作れると感心す。そういえば、桐を冠した私立学校も多い。教育内容は大丈夫なのだろうか。吾人の出身高校も桐何とか学園であったと記憶している。
午後は曇り。愈愈其の日が近いということで、不動産屋のSさんを呼び立て、地代等の振込先の変更を依頼す。こういうことは感情を抜きにして着実に進めなくてはならない。以後少し落ち着いたので、『泡沫日記』『昭和の戦争』を拾い読みす。何しろ五月後半は鬱状態、六月に入ってからは緊急事態の連続だったので、ページを捲ることまで手が回らなかった。


6/27・月
 朝からかんかん照り。午後出社。退社後は立ち飲みBへ。直ぐに帰るつもりだったが、Oさんや従業員のH君なども飲みに来ていて、随分と遅くなる。
 イギリス国民は今更ながら今回の選択を後悔しているという。こうなることは予め分かっていたのだから、何とかならなかったものかと嘆息す。「人々は自らの行為に恐怖した」という有名アニメの冒頭ナレーションを思い出した。
大体国民及び住民投票とは、多数派の押し付けに対して、少数派が異議申し立てをするときにのみ有効なのであって、意見を二分するような課題にはそもそも相応しくない。多数派の専制に此れ以上は従えませんという拒否の意思を表明する点で、民主主義と言うより、自由主義に近い。あくまでも少数派の武器である。少なくともヨーロッパの中心国の中心国民がすべきような投票ではなかった。


6/26・日 
朝から牛丼Sへ。其の後、両家人と伯母の施設に参る。施設担当医の往診と説明を受ける。麻痺や嚥下障害は無いので、食べようとすれば食べられる筈なのだが、其れでも食べようとしないのは伯母のある種の意思なのではないのかとのこと。生きることは概ね食べることである。元元、食が細かったから、生への執着のような物も薄いのだろう思った。例によって点滴が施されたが、腕の点滴では大した栄養にはならず。此のまま少しずつ・・・と、担当医は小声で吾人に話された。
再びタクシーに乗り家に帰る。近所のイタリアンレストランに入る。好物のピザでも食べさせて、老家人を元気づけるつもりだった。併し老家人は、何時もの宅配ピザの方が旨いと宣い、何だか不機嫌そう。心理状況がそうさせたのだろう。一日晴れ。日中三十度程度だが、朝晩はまだ涼しい。真夏にそれが来るとなると、嫌だなあと思った。


6/25・土
 大方の予想に反し、イギリス国民は欧州連合からの脱退を決議す。首相Cの党利党略でこういう国民投票に至ったとのことだが、まさかとうとうこういう結果になって仕舞うとはね。人、物、金が国境を乗り越えて来るというのは、別に今に始まったことではないが、問題はその速度である。離脱を煽り立てる政治家もどうかとは思うが、とてもじゃないがグローバル化に付いて行けない普通の人人が大勢出ているということなのだろう。何とかそのスピードをもう少し遅くして貰える方法は無いのだろうか。
 朝から家人と病院に参り、伯母の退院手続き。二週間の入院生活で、医療費は八万円余り。別途個室料金が三十二万円。而も後者には消費税が掛かった。何しろ年寄りだし、此の差額ベッド代が入らないと民営病院は赤字に転落するというから、止むを得ない出費である。一日二万円と少少で眺めも良かったから、病院としては良心的な部類に入るだろう。
 まあ、こうして医療や介護に贅沢に御金が使えるのも、伯母の父母、詰まり吾人の祖父母が遺してくれたストックとそれが生み出すフローの御蔭である。伯母や両家人の年金収入だけでは、週に数回のデイサービスか訪問介護の利用が精精である。そして特別養護老人ホームの入居を延延と待っている内に、一家全員が共倒れに至る筈だと思った。
そんな高額な請求書を手に自動支払機に並ぶも、キャッシュカードが容易にデビットカードに成らず。T銀行は改めて申し込みが必要なよう。またМ銀行は暗証番号を思い出せず。結局、同じような機械でわざわざ下ろした現金を鷲掴みにして、機械に吸い取らせた。実に無駄な行動である。其の後、施設の送迎車に車椅子のまま乗り込み、元居た施設に戻る。実に二週間ぶりに生還を果たした筈なのだが、伯母の認知能力は落ちるところまで落ちて仕舞っていて全く認識できず。昼食も一口しか食べられなかった。それでも病院に居るよりかは、幾らかは気分が良さそうである。家人共共草臥れたのでタクシーに乗って帰ろうとするも、運転手は道が分からず、右折に何度も失敗す。結局三百円近くも余計にかかった。例によって、何もいいことの無い一日である。


6/24・金
 参議院選挙の序盤の情勢分析が出る。各社揃って自民圧勝とのこと。最近の傾向としては大体序盤の調査の通りになるから、本選挙の結果も大差ないだろう。併し戦後日本も滔滔こうなって仕舞ったか。何しろ国民が馬鹿だからどうにも仕様がない。
 昨夜遅く適当に民間放送番組を見ていたら、元A新聞の有名なIという記者が出て来て、節約生活は楽しいですよと宣っていた。朝起きて見ると、当のA新聞にそのI氏の言葉が出ていて、「「ある」幸せがあるなら「ない」幸せがあってもいいじゃない。」とあった。併し、「ないという幸せ」は、そもそもが「ある」という前提があってこそ成り立つというものである。
多くの国民が、そもそもが「ない」生活に叩き込まれる中で、「ない」生活も却っていいものですよと言われても、大した説得力が無いなあと思った。余り言いたくはないが、Aの給料はもの凄いだろうから、預貯金も「ある」のだろう。何かで困ったら、いつでも元の「ある」生活に戻れるのだから、何もかも「ない」人とは安心感がまるで違う。それにしても、「ある」人から「ない」人に物金を流し込む方法はないものか。結局、国家による徴税に任せるしかないのかなあ。このままでは吾人も国家主義者になりそうである。
 ずっと曇り。午後出社。立ち飲みBで飲んで帰ろうと思っていると、久久に仲田大将が現れる。どうもX女史と行き合えなかったよう。二か月ぶりの登場を詫びるかのように、見知らぬ男女三人組まで誘って、二軒目に参る。終電前には返す。何だか不思議な晩であった。翌午前一時には帰宅。


6/23・木
 朝方は大雨。併し関東南部ばかり降られても仕様がない。御昼には止む。公示されたので新聞などを見ていると、「支持政党なし」などという政治団体も候補者を立てている。政策は一切ないという。政治に過剰な期待を抱くのも宜しくないが、こういう一種のシニシズムに陥るのもどうかと思う。併しこうして安くない供託金を出してわざわざ立候補してくるのだから、当人たちは何か訴えたいことがあるのだろう。ただ無責任な有権者たちはどう捉えるか。矢張り、間違ったメッセージとして伝わるだろうな。結果として政治不信を広めることが、立候補者の役割であるとはどうしても思えない。
 午後は両家人の名代として病院へ。家人より駅から病院へのタクシー代を預かったが、私的に流用するため、用賀駅から延延と歩いた。行って見ると、伯母は車椅子に乗せられてナースステーションに居た。併し覚醒状態が低いためか、そもそもの体力が低下した為か、首が頭を支えられない。だらんとしていて痛痛しい。丸で泥酔者である。其の後、看護師にベッドまで運んで貰う。
 個室に二人切りとなった。枕頭からラップの芯で話しかけても、「ああうう」と応える程度である。其れに何だか息苦しそうである。併しながらこうして伯母と向かい合っても、語るべき言葉も振り返るべき思い出も、実は大して無いことに気付く。伯母は大正八年生まれの九十六。年齢的には祖母の世代であるし、吾人が物心付いた頃から既に御婆さんであった。それでも伯母は伯母なのであるが、性格も大変な引っ込み思案だったから、余計年寄りに見えたのかもしれない。従って一緒に何処かに行ったであるとか、何かを食べたという記憶も無い。伯母は外で働いた期間も短く、結婚もしなかったから、社交的でもなく、かといって家庭的でも無かったのだろう。同じ敷地の隣の家に住んでいながら、何処か透明で存在感が薄かった。
そんな伯母の存在が増すのは、頭と体が弱くなって来た此の十年である。買い物や片づけなどの家事支援から始まり、病院送迎や施設入居等等と、徐徐に面倒を見る範囲は拡大す。施設に入った頃はまだ頭も良かったから、よく無駄話をしに行ったものである。そんな伯母の人生も愈愈最終章の最終節といったところだろうか。三十分ほど滞在して、頭や腕をさすってから退出した。
 二子まで再び歩いた。駅周辺は瀟洒な店が次次と開き、相変わらず賑わっている。天気も良くなって夏の陽が差したが、心は鬱状態のままである。大体、年寄りの様子を見に行って気が晴れるということは無いな。二子駅のホームを端の方まで歩き、多摩川を眺めてから電車に乗った。二十三区の左端から右上まで延延と移動し、千寿校に出校。かといって子どもの勉強を見ても、気分が良くなるということも無い。特に千寿の生徒は反応が薄いから。実に何にも楽しいことの無い一日であった。せめてお腹を膨らませて帰ろうと「福しん」へ。回鍋肉定食に御供のミニラーメンを付けた。丁度タクシーワンメーター分。


6/22・水
 参議院選挙が公示。三十二ある一人区では全て候補者調整に成功とのこと。何とか此れで大負けはしないかな。出来れば九年前の再来と行きたいところだが。午前中は小雨。午後出社。退社後は中華立ち飲みに寄って帰った。


6/21・火
 九州に豪雨をもたらした雨雲が関東にも接近。午前中は大雨。夕方には晴れる。昏昏と午睡をしている内に家人は病院へ。食用ラップの芯を伝声管代わりに話しかけたところ、何とか反応があったという。日によって時間帯によって症状は千差万別だと思った。今日は夏至。家人が買って来たスーパーの惣菜で夕方から延延と飲み続けた。
 今度はイギリスで国民投票。結果次第では大変な経済危機が来るという。つくづく国論を二分するような、大投票は止めてほしいと思った。そもそもそういうことの無いように、不断の修正を行うというのが穏当な保守の国というものである。


6/20・月
 午前中は曇り。午後は徐徐に晴れて蒸し暑くなる。家人と車を仕立てて病院詣で。今日は担当医の説明がある。行って見ると、万代伯母は相変わらず寝ている。異様な睡眠時間であると思った。
四時から面談。施設の担当者も同席して貰う。画像解析によると、梗塞した血管は開通したものの、左脳の大事なところが広範囲に損傷を受けているらしい。言語機能等も相当程度失われているとの見立てである。道理で寝てばかりいる訳だと思った。また覚醒水準が低いから、なかなか口から物をいれようとしても入らないのだという。愈愈進退窮まったと言うべきか。いっそ薄めたヒロポンでも呑ませてみたらどうだろうかと思った。シャキッとするのだろうか。
 併し口から物が入らないとなると、当然点滴、而も場合によっては鎖骨の静脈から入れることになるという。過剰な措置は御免被りたいな。此のまま病院にも置いてくれるようだが、矢張り住み慣れた施設に戻った方が佳いだろう。協議の結果、受け入れ態勢が整い次第、退院の方向となる。環境が元に戻れば、また口が動くかもしれない。そういう可能性に期待することとす。
例によって家人共共すっかり草臥れる。タクシーで二子駅まで戻る。吾人は電車を乗り継ぎ、大急ぎで本務校に出校。気温も湿度も絶望度も高く、何だか実にぼんやりす。退社後は中華立ち飲みに。麦酒を立て続けに四杯。最終バスを環七で降り、徒歩で帰宅。


6/19・日
 朝から曇りがち。中中飼い主が見つからないということで、Yさんと一緒に直接行動に出ることにする。地元の大型スーパーの前で、「黒猫を飼いませんか」とクロを展示する。早速、黒山の人だかりができる。かわいいかわいいと熱心に写真などは取って行く。併し大半の人がマンション住まいなので飼いたいけど飼えないと宣う。どうしたものかと思っていると、一時間ほどして飼いたいと言う人が現れる。若いOL風。クロは静かに抱かれていた。そんなに直ぐに決めて大丈夫かとは思ったが、此処は新しい飼い主を信頼すべきであるな。大体出合いというものは一瞬である。
Yさんの友人も駆けつけ、彼女の自宅までクロを引き渡しに行った。猫飼いには慣れているというので、何とかなるでしようとの見立てである。クロのトイレや当面の餌を持参金代わりに手渡す。さてさて、今生のお別れである。最後にひと撫です。達者で暮らせ、クロ助よ。此れで猫対策本部は解散。あとは九十六歳の婆さん猫の面倒が残っている。


6/18・土
 更なる猛暑となる。暑さと数日来の疲れで稼働不能に。一日無為。


6/17・金
 地震から二か月も経つのに、熊本の倒壊家屋は手付かずの状態だという。解体業者も重機も幾らでも待機しているのだろうが、例によって補助金支払い書類の発行が追い付かない。此の分だと撤去だけで二年も掛かるのだという。幾らなんでも時間が掛かり過ぎる。大体土地があるのだから、壊れた自宅を撤去したところに、少し立派な仮設住宅を建てて仕舞うのが一番良い。いっそ隣の大陸から応援の公務員を連れて来たらどうだろうかと思った。電光石火、有無も言わせぬ超高速でやってくれる筈である。
朝から猛暑となる。午後出社。退社後は久久に立ち飲みBと中華立ち飲みを連戦した。


6/16・木
 朝から曇り。午前中は呆然とす。老家人が面会に行きたいというので、午後一番で病院に参る。伯母は何だか朦朧としていて、よく分からないよう。「ひとつも良くなっていない」などと老家人は意気消沈している。まあ今日は特別眠かったのだろう。嚥下訓練なども進めてくれてはいるようである。小一時間ほど相手をして再びタクシーに乗って帰る。道が空いていたので往復四千円余り。
 一休みして千寿に出校。帰り掛けは駅前の穂高屋に。腹を空かせた会社員が殺到している。繁盛している大衆食堂には違いないが、こういう店には落ち着いた常連客も名物な女将さんも居ないから、野戦食堂のように騒然としていた。殺伐とし過ぎて、何だか閉口す。何事も余裕を持ちたいものだと思った。帰りは小雨少少。肝心の水源地には降らないので今年は早くも水不足だという。


6/15・水
 世の中には、日銀に引き取らせた国債300兆円は、同じだけの銀行券を刷らせて、一気に消滅させて仕舞えば佳いなどと言う暴論もあるようである。極論中の極論、禁じ手中の禁じ手だが、正直なところ、其れもあり得ることだと思う。今迄についうっかり使い込んで仕舞ったお金、凡そ1000兆円は、とてもじゃないが返せそうにない。一部を事実上の棒引き、残りは低利で借り換えが出来れば十分だと、吾人も考える。そして低利であり続けるためには、せめて此れ以上借金が増えないよう、単年度で赤字を出さない程度にまでは増税をせねばならないのだと益益思う。あと十兆円だけ増税させてくださいと、涙ながらに国民に訴える政治家はいないものか。都知事は涙を流して辞任要求を拒否しているらしいが。
 御昼になると件の知事も辞職を受け入れる。年齢的に見て、政治生命も此れで終了である。元元は国際政治学者だし、本当は外務大臣か何かにでもなりたかったのだろう。其れに似合う行政的能力はあったのかな。得意の都市外交で日韓関係を多少元に戻した点は、彼の数少ない成果である。
ただ金銭感覚が常人と違い過ぎた。そういう異常な点は何度か省みる機会はあっただろう。併し他人の意見を決して聞かないから、直しようがなかったのだと思う。自らの誤りを決して認めないというのは、性格上重大な欠陥であるし、権力者としては失格である。ちなみに此の点はAも同じである。ただそうなって仕舞う過程は少し異なる。Мは傲慢、Aは臆病と言ったところか。
午前中は霧雨。漫然とす。此の所、外猫三匹が代わる代わる起こしに来る上に、内猫の面倒も見なくてはならないので、ずっと睡眠障害気味である。午後出社。退社後は久久に立ち飲みBに寄る。Oさんという常識人がいたから、久久に政治の話しなどをして帰った。


6/14・火
朝から銀行に参り税金を支払う。此の時期は地方税である。大量の振込用紙の入った封筒には、公孫樹のマークが付いている。腹が立たないかと問われれば、矢張り立つなあ。庶民というものは、何億何兆と言う無駄使いには鈍感だが、何万何十万の私的流用には却ってヒステリックになると何処か元ジャーナリストが言っていたのを思い出した。金銭的に庶民の怒りの琴線に触れて仕舞ったのだろう。とは言うものの納税は国民の義務である。其れに東京消防庁にもごくごく最近お世話になったことだし。併し払った後になっても、老家人はぶつぶつと小言を言っている。「払った税金のことなど早く忘れなさい」と説教した。
 午後は伯母の病院へ参る。昼だというのに件のミニバスが余りに混んでいて閉口す。二十分間隔と本数が少ない上に、車両が小さいから結局混んでしまう。其の上、あの辺は道が悪いからまともに前に走らない。何一つ佳いことの無い輸送機関であると思った。一方肝心の伯母の方はと言えば、若い理学療法士に来て頂いて、ベッドから車椅子へ移る練習などをして貰う。意味のある会話は元元出来ないが、「ああこうこう」と一生懸命発言しているから、回復して来た方である。
もうバスには乗りたくないと思い、家人と別の駅まで歩く。同じ世田谷でも周辺には畑などもあり、ちょっとしたハイキング感覚である。併し環状八号線を越えて中に入ると途端に雰囲気が悪くなる。駅までは結構遠くて、結局這う這うの体である。矢張りバスに頼るしかないか。


6/13・月
 未明から大雨。御昼過ぎには漸く霧雨になる。宿酔を収めてから午後出社。溜まった事務仕事を片付けた。昨日は相当散財したので緊縮生活に戻す。ラーメンのみ食べて帰宅。ほぼ休肝
 アメリカで最悪な乱射事件。宗教的な動機は希薄な感じ。所謂自暴自棄的な個人的テロと言うやつである。併し強力な銃があるから死者も二桁台半ばである。せめて一人一殺にして欲しいと思った。


6/12・日
一日概ね晴れ。午前中は低木刈り。午後伯母の入院先に向かう。本日は老家人は留守番なので、公共交通機関を使って家人と参る。そもそもが結核療養所だったという病院は、風光明媚な所にある。従ってどの駅からも遠い。二子駅から見たことも無いような小型の路線バスに乗った。極めて狭隘路線である。
伯母は「ああだこうだ」と言いたいようだったが、言葉にはならず。点滴等プラスチックのチューブに繋がれ、何だか辛そうである。静かな平穏死というものを想定していた家人は何だかショックを受けているようである。「お義姉さんもこうなって仕舞った」と頻りに残念がっていた。つくづく楽にあちら側に行きたいものである。
其の後、少し歩いて行きとは別系統のバスに乗り地元に戻る。家人と別れ、月波君と会う。一か月ぶりの登場である。ところで月波君は介護施設で管理業務に当たっている。当然話題の中心は老人介護と云う事になる。
月波君によると、老衰死というものはそもそも困難であるという。つまり、心臓、脳味噌を始め、種種雑多な大小の臓器が極めて平等に老化し、大体同時に機能を停止するのが老衰死である。それは多多種種の部隊を同時に動かして同時に目的地に着くような、「分進合撃」のような困難さが伴う。医学が発達していなかった時代は、落伍、若しくは進発し過ぎた部隊の存在には気付かなかったが、やれ現代医学は、心臓がどうした、脳味噌がどうのこうの、肝臓が進んだ遅れた云云ということになり、それらの誤差は全て何かしらの病気に該当する。病気ならば治療しなくてはならない。今回伯母は心臓と頭が進み過ぎたので、入院加療の対象になったという訳である。そもそも老化は病ではないが、一歩でもそのペースが乱れると、やはり病院送りと云う事になる。医学の進展も善し悪しと言うことになるのだろう。
それにしても結局年寄りには膨大な御金が掛かる。増税延期容認派、つまり財政悪化否定派若しくは財務省陰謀説論者は、此の実態をどう見るのだろう。まさか御自分は、病院にも介護施設にも行かず、姨捨山に自らで進んで入ると決めている訳でも無かろうに。日本全国が年寄だらけになる時代は直ぐ其処まで来ている。それにしても久久の外飲みであった。先ず、安い焼き鳥屋に行き、寿司居酒屋に行き、パスタ屋と三連戦した。ふらふらになって帰宅す。


6/11・土
 朝方に病院から連絡があり、伯母は何とか回復傾向にあるとのこと。件の発症から四時間以内という薬が効いたのだろう。現代医学は大したものだと思った。国民皆保険制度も。尤も伯母は三割負担である。
 午後再びタクシーを仕立てて病院に参る。伯母は通常個室に移っていた。「ああうう」と何か言いたそうだった。右手右足の麻痺は無さそう。治療の甲斐もあり完治には近いのだろう。併し治して頂いたところで、既に老化に因って身体全体が満遍なく麻痺しているようなものである。兎に角、口から物が入るまでは病院に置いてくれるとのこと。退院は介護施設との連携次第である。
ところで、此の病院は多摩川の崖線に立地しており、特に伯母の病室は眺めがいい。神奈川方面まで一望できる。元元は自動車会社が建てた従業員向けの結核療養所だったとのこと。だから自然豊かでちょっとした別荘感覚であると思った。景色は佳いが、何だか家人共共疲れて仕舞い、其のままタクシーで戻る。区内を走り回った結果、此の二日でタクシー代は一万五千円である。年寄りと病人が増えるとタクシー会社が儲かる。晩食は冷凍食品等を寄せ集めて食べた。一日晴れ。


6/10・金
 朝から獣医のところに参り、クロの経過診断。傷は塞がり体重は750グラムに増大す。確かに此の一週間で目に見えて元気になった。第一に毛の色つやが違う。蚤取りシャンプーのみして1080円。
 御昼前になると老人施設から緊急連絡がある。万代伯母に脳卒中の疑いがあるので、今から救急搬送するとのこと。以後両家人とタクシーを仕立てて、大急ぎで救急病院に向かう。画像診断の結果、左脳の脳幹の少し先の血管が詰まっている。元元心臓が大部弱っていたから、心因性脳梗塞との見立てである。直ちに血栓を溶かす薬剤が投与される。併し伯母もいい加減九十六である。折角治して頂いたところで、もはや世の中に御奉仕できることも無い。其れでも、お医者さんも看護師さんも後期高齢者医療制度等等も、一生懸命処置して頂いている。戦争中ならこうは行かない。有難い話しであると思った。
 それになかなか楽には、あちら側へは往けないものだとも思った。山のような同意書と申込書を書いている内に緊急処置が終わる。早速面会す。左目は半開き。右足右手は何とか動いているようにも見えた。薬剤の効果はあるようだが、そもそも九十六歳を全快状態に戻して頂いても、とうに意味のある会話は出来ない。頭と腕を撫でてから病院を出た。此処は何とか頑張って頂いて、もう一度施設に還れれば佳いと思った。其方が終の棲家の予定である。併し暑くなり始めると色色なことが起こる。
家に着いたらもう夕方である。両家人ともども疲れ果ててしまい、夜はスーパーの総菜を並べただけ。吾人など一日一食である。本日欠勤。また先日のYさんに連絡を取ったところ、クロの引き取り手は決まりそうとのこと。別れが辛いけれど、基本的にはいい知らせである。但し小さい方のクロは死んで仕舞ったのだという。入る命があれば、出るものもある。生物学者の言うところの「動的平衡」というやつだな。尤も日本社会は縮小均衡だが。


6/9・木
 朝から小雨模様。一切の作業は無しにして静養す。今朝の東京新聞「本音のコラム」によると、ベーシックインカムという発想も、国がわざわざ御金を支給したのだから、医療も介護も全部民間サービスに委ねなさいと言うことになり、却って格差が広がる危険があるとのこと。つまりリバータリアンの思う壺という訳である。確かに有料老人ホームや民営保育園などで大儲かりしているのは名立たる大企業である。日本で実現する見込みは皆無と言っていいが、成程そういう危険もあるだろうと思った。午後は概ね曇り。千寿校に行き、「福しん」で炒飯を食べて帰る。


6/8・水
 夏の賞与は過去最高水準の支給になるという。例によって、大企業本体の正社員だけの話しだろうが。そもそもそういう恵まれた人は何万人いるのだろう。二十年前と比べて、どれだけ減ったのか。報道するのならば、こういう有意義な情報も出して欲しいと思った。それにしても、棒と茄子と聞いただけで憂鬱になる。大貧学院でのそれの最高金額は精精伍萬円程度だったと記憶している。現在の倍近く生徒がいたもう十年以上前のことである。
 概ね晴れ。何本かの雑木を切り倒し解体す。午後出社。退社後も直ぐに帰宅。例によってクロが暴れている。とうとう顔まで噛まれた。併し子猫というものは疲れを知らない。その点では人の子も同じである。つくづく小学校の先生や、保育の先生には全く成れそうにもない。
夜のニュースで都議会の様子を見ると、知事はもう駄目だな。それに大震災の翌日に上海空港の土産物店で中国服を買っていたのだという。「国難」などいう言葉は滅多に使いたくないが、日本中が大変な時に、そんな呑気な国会議員がいるのだろうか。ゆったりとした服なので書道で集中できるなどと抗弁していたが、反論すればするほど支持は無くなる。政治家の言葉は、ディベート大会で相手を打ち負かせばいいというものではない。
それに政治資金の問題以外に、知事としての資質に関わる問題も出て来ている。美術館には頻繁に行く一方、多摩地区や介護施設には就任以来、一度も行っていないそうである。となるとまた選挙である。H以外の候補者もそろそろ考えるべき時である。反原発の機運はすっかり無くなって仕舞ったようであるが、次は野党統一候補を立てて欲しい。前回も出て来たあの元弁護士会長U氏でいいか。真面目な人だろうが、併し都知事候補としては華がないな。サンダース爺さんのような人はいないかな。ブラック企業対策だとか、最低賃金アップだとか、国に先駆けてやれるようなことはまだまだある。嘗て革新自治体がそうであったように。


6/7・火
 昨日都知事が会見。自分の事を調べさせた自分の弁護士を同席させたらしい。法令違反は無いと断言す。ただ不適切に使い込んだ政治資金のうち幾らかは返金し、辞任はしないという。また選挙にでもなって、前市長のHなどが出て来るよりまだいいかなぁ。最低と最悪、どちらがいいかなぁ。誰か教えて欲しい。
 曇り勝ちで涼しい。午前は草取り。御昼は子猫のお相手。午後は低木刈り。八つ手も棕櫚も小さいものは取り除くことにした。風通しを良くしなければ、蚊の住みかとなる。其の内、何とか熱が流行り出したら大変である。


6/6・月
 午後出社。退社後は焼き鳥Bへ。古参と言ってもまだ若いH君と少し話す。一人暮らしの彼は立ち飲み屋だけでなく、パソコン教室でプログラミングなどを教える仕事を掛け持ちして生計を立てているとのこと。恐らく週休一日だろう。つくづく家賃に追いつく稼ぎ無しである。単身者向けの公営住宅を建てるべきであると思った。帰宅後は早速クロを遊ばせる。此の数日で遊び方も運動能力もより高度化している。猫の成長はつくづく早い。
 北海道で行方不明になった男児が見つかる。悪戯をして、怒った親に置き去りにされた僅かな間に、山に紛れ込んでいたのだという。一部には子どもの虐待だなどと非難する向きもあるが、いやいや、そう云う事もあるだろうなと思った。親も人の子である。激昂することもある。吾人など年中そう成りそうで、親になど全く成れそうにない。幸い猫には一度も怒ったことは無いが。


6/5・日
 朝方まで雨。寒気が入り涼しい。関東まで入梅。朝から草取り。此れ以上猫に降臨されたら此方の身が持たない。草取りのペースも加速させる。
相変わらずクロは「遊びをせんとや生まれけん」と跳んだり撥ねたりと燥ぎ回っている。拙宅の床は黒ずんでいるから、ついうっかり踏んづけて仕舞いそうである。つくづく小さいものはおそろしい。家人が熱心に面倒を見ているが、そんなに肩入れすると、子別れ時が辛いだろうな。結局炊事はほぼほぼ不可能となる。昼は天やの天丼、夜はスーパーのものを並べた。


6/4・土
 朝から獣医の所に参り、クロの健康診断。体重は500グラム。生後一か月との見立てである。また首のところに引っかき傷があり、一部化膿していた。化膿止めの注射に、飲み薬の抗生剤、目薬等等、締めて4520円。此れも固定資産税の一種である。尤も、捨て猫だから多少は割り引いてくれたのだろう。試しに兄弟子達とも対面させて見る。クロは一向に平気だが、却って年長者の方が驚いて逃げ出す始末である。此れだから単身者は駄目だと思った。
午後は子猫の相手をしたり、草木を刈って過ごす。昼食序に外に出たが、近所の中学校では運動会。例によって余りいい思い出の無い中学校である。最近は父母も見に来るということで、観客席も結構埋まっている。平和な時代になったものだと思った。四半世紀前など運動会は平日に催行されたと記憶している。他校の生徒から「襲撃」されるのを防ぐ為だったというのが、その理由である。


6/3・金
 朝から快晴。子猫を二匹も面倒はとても見られないということで、以前世話になった猫ボランティアのYさんに連絡す。小さい方の猫は引き取って貰うことにした。Yさんは猫の扱いには慣れている。ピィーピィーと元気に鳴いていたから、何とか助かりそうである。また大きな方は、新たな飼い主が見つかるまで拙宅で世話をすることとなった。最近は捨て猫も減少傾向だそうで、割と簡単に引き取り手が見つかるとのことである。此れで何とか猫騒動も解決の方向である。
 午後出社。金参万円受け取る。退社後も立ち飲みBに寄り、直ぐに帰宅。大きい方のクロはすっかり元気になり、家人に攀じ登ったり、ネズミのおもちゃで遊んだりしている。大した生命力だと思った。大体これほど幼少な猫と付き合ったことは無い。全てが新鮮である。併し小さい生き物は恐ろしい。此れだけ小さな体でよくよく動けると驚き半分、畏怖半分である。


6/2・木
 昨晩Aが出て来て、増税延期を正式に表明す。世界経済の新情勢を受けての新しい判断だという。出鱈目な理屈ではあるが、国民の総意が既にそうなっているから、大方歓迎ムードである。尤も総意が正しいとは限らないが。大体消費が低迷しているというが、御金持ちは今まで通りに支出しているし、そうでない人は元元入って来たお金の殆ど全てを消費に回している。消費税率が上がったから消費が減った減ったと馬鹿の一つ覚えのように言われているが、そもそもは正しくない。
 天気は良いが、心は鬱状態。寝たり起きたりを繰り返す。午後遅く千寿に出校。其のまま帰る。帰宅後は何時もの通り外猫の点呼を取りに出て見ると、聞き慣れぬ声がする。探してみると子猫が一匹。いや、子猫どころではない。生後間もない乳飲み子である。全身真っ黒だから、名前はクロに違いない。シロ、グレ、ミケに引き続き、とうとう四匹目が降臨したと家人と大騒ぎになる。
ふと冷静に考えてみると、そもそも一匹である筈がないということに気付く。周囲を検索すると、案の定、草叢に汚い段ボールの箱が一つ。中に更にもう一匹。ああ、つまり、捨てられたのだ。此方は体も小さく弱っている。既に近所の人がミルクなどを与えてくれてはいたのだが、捨てられていたのはぎりぎりの拙宅の敷地内である。今夜は冷える。場所柄二匹とも保護することになった。
併しあまりに子猫である。幾らなんでも、もう少し母猫に育てさせてから捨てて欲しいと思った。大体、猫に出来ることを人間に代替させることも無いだろうに。さてさて困ったことになった。独り身のミケに育てさせる訳にもいかず。取り敢えずは家人が面倒を見ると言っているが。


6/1・水
 地中海では難民船の遭難が相次ぐ。併しこういうことはきちんとサミットで話し合ったのだろうか。何しろ議長国の首相が増税延期の口実づくりに会議を私物化したと批判されているくらいだから、話し合ってないのだろうな。
 午後遅く出社。金弐万円受け取る。何も面白いことが無いので直ぐに帰宅した。家に着いてみると、家人が「世界で一番難しい恋」というドラマを熱心に見ている。我儘な社長と女子社員との下らないラブコメディーである。痴情が縺れて社長は女子社員をクビにする。明らかに解雇権の濫用である。内容は兎も角、法令順守という形式面だけでも何とかして欲しいと思った。衆人環視のゴールデンタイムである。夜に入ると結構涼しい。空気も乾いて秋のようである。すると何だか喉が変である。