2018年7月

7/31・火
 終日晴れ。まず介護施設に参り、老家人の昼食の介助。続いて介護保険の再改定となる。今回は区役所本体から御足労願った。吾人より年上の穏やそうな男性職員がやって来る。運動能力の方は施設職員へ聞き取りし、認知能力に関しては老家人に直接問い掛けることとなった。質問調のものはなく、十五分ほど言葉の遣り取りをして無事終了す。
ちなみに吾人が事前レクチャーした際、老家人は「呆けた振りをした方がよいのか」などと聞いて来た。認定が上がると費用が掛かるから「成るべく呆けない方がいい」と仕込んでおいた。併し生年月日は答えられても住所までは言えなかった。此れが実力である。先月要支援二になったばかりだが、此のまま三階級特進かな。結果はひと月後。しかし施設に入って丁度二週間。体力低下が著しいと言うことでリハビリもされず。ケアプランの第一目標が「心安らかに過ごすこと」であったからな。本人が嫌がることはもうやらないのだろう。
 続いて小田急線と千代田線で千寿に移動。道中、「給料も払わないし貸したお金を返そうともしないから益益怒りの沸点が下がるのです」と無責任社長に送信す。すると一時間後に長長と謝罪文が送られて来た。こういう所だけは巧みだと思った。何しろ舌先三寸の人である。併しこうして空手形ばかり掴まされてもね・・・。万事下らない事夥しい。退社後は飯田橋に回航。都心をふらふらしている月波君を呼び出して、蝦夷松と立ち飲みBで軽く飲んで帰った。其の際『思想五月号』を分けて貰う。小熊氏の論考が興味深い。「1968以後」も日本では好景気が続いたので「社会運動も低調だった」。此れが日本と欧米諸国との最大の差で、経済が何となく成長して行ったものだから、1968の経験が広く引き継がれる必要がそもそもなかったと。日本でも四半世紀遅れる形で90年代以降は大変な時代となるが、其の頃までには社会運動の方法も考え方もみな綺麗さっぱり忘却されて仕舞ったということになるなあ。一度途絶えた物を呼び起こすのはつくづく難しい。そして忘れ去られた社会においては、デモは五月蝿くて迷惑だという市民の声を受け、デモ隊の出発地を限定しようなどという条例が制定されるのである。
日銀は利上げを容認。事実上の白旗宣言である。今度はアマチュアボクシングの会長が狼藉を働いているとのこと。此の所、次から次へと告発状がスポーツ庁に寄せられているが、肝心の主務官庁の方から次から次へと逮捕者を出している。こういう風潮の下ならば、蝿も虎もモリもカケも現総裁も叩き潰すなどと宣言した総裁候補が出て来たら結構な支持を集めるかもしれない。こうして何も楽しいことのない七月が終了す。


7/30・月
 今日も蒸し暑い。午後出社。中三と中一。後者はほぼ全員出席。するとワアワアガアガアと授業にならず。一時間半我慢したが、とうとう激昂して授業は強制終了。大人気ないから怒りたくはなかったが、ついにこうなって仕舞った。大体中一で合クなど無理だよな。吾人も其のまま退出。後がどうなったのかもう何の興味関心もない。只管早く辞めたいと思った。職場の近所で飲む気もしないので其のまま帰宅。缶麦酒を飲んだら胃がむかむかす。腹の虫も収まらなかった。


7/29・日
 12号は列島を逆向きに縦断。関東は依然すっきりせず蒸し暑い。そんな中、朝から牛丼Sへ。午後はかんかん照りとなり暑さがぶり返す。此れと言って成すこともなく終日漫然とす。シロは何度も甘えてくる。どうにも昨夜は落ち着かなかったのだろう。最近は呼べば返事をして尻尾を振る。シロの犬化が進んでいると言える。
イージス何とかには五千億も掛かるという。例によって当初の見積もりよりどんどん拡大す。所謂何とかバーと同じだな。其れだけあれば、JR北海道と西と東と四国と九州と第三セクターの被災路線が直ぐに再建出来る。被災者やボランティア、当の自衛隊員にも何万食も豪華幕の内弁当を配れるな。壊れた民家も直し、余ったならば北朝鮮に上げてもいい。


7/28・土
 未明は中雨。一旦止む。北風吹き付け窓を閉め切っても寒いくらい。御昼前に南風に代わり、以後蒸し暑くなる。取り敢えずバス出社。そう言えば今年は土曜出勤が増えた。平政君が居なくなったからな。彼に此処数年は頼みっぱなしであった。
本日の担当は中三と中一の数学。夕方は雨が強まり後者は半分ほどが欠席。御蔭で割と細かく指導が出来て良かった。というのも教える人が不足していて、中一と中二はクラス分けが出来なかった。所謂合クである。退社後は其のままバーIへ。酔うほど飲めないまま一時間ほどで最終バス帰宅。店主に千円分も強制納品させられたら3100円も掛かった。そもそも夜には概ね止んでいた。よくよく考えてみれば自転車でも来られたな。


7/27・金
 日中二十七度程度。取れたてて予定もないとなると草取りである。割と進んだ。昨日今日で猫車一台半くらい。北上して来た12号は関東の手前で左に急カーブするらしい。西に向かう台風も珍しい。まだまだ土砂が掻き出せていない。つくづく運がない。為政者があれだからな。


7/26・木
 昨日以上に涼しい。まず粗大ゴミの搬出(ガスコンロとキャリーバッグ)。漸く此れで二号室のゴミは一掃される。ひと部屋の片づけに二週間も掛かった。被災地が思いやられる。どんどん東風が入るので一時間ほどの草取り。続いて施設に参り、委任状の作成。へなへなな字しか書けず老家人は頻りに残念がっていた。書けた後は、昼食の介助。どろどろの糊のようなものでは食欲も湧かないな。吾人用の麦茶を飲ませたら結構飲んだ。食後は車椅子で館内を巡回する。三階にも行き、伯母の面倒を見ていた介護士にも引き合わせた。一時頃には退出。数年振りの「ひむかや」でラーメン休憩(650円)。此のあっさり豚骨+中細麺+微かな酸味が疲れた胃には丁度いい。直ぐにバスで帰宅。出来立ての委任状を手に郵便局へ。何回かの修正訂正の後、無事受理された。拙宅の食料庫が空っぽなのでスーパーで買い出し。以後午睡す。
残りの実行犯も全て執行される。ヨーロッパ辺りは吃驚しているだろう。国際世論ぐらいしか、もう遮るものはなし。併しあの法務大臣は軽い。多摩市の建築中のビルが炎上。週末には台風も接近するという。政治が悪いから色色と心配である。


7/25・水
 未明に一雨あって以後曇り。まあまあ普通の夏となる。早速草取りだが十五分やったら胸苦しくなる。以後長期休憩。日中何度も上厠す。二号室は電気関係の工事。旧三洋機も引退。残りは一台。夕方出社。退社後は立ち飲みBへ。あんまり飲めず十時半退出。夜も比較的涼しい。久久にエアコンなしで就寝。
 一方施設からは次次と書類が送られて来る。今度は提携薬局への署名捺印。また簡易保険に入院費を請求したいが老家人の委任状が必要とのこと。字が書けるかな。手続きも簡易にして欲しいものである。


7/24・火
未明に分別し尽くした不燃ゴミを出す(主として二号室から出た物)。すると電化ゴミは一瞬で、瀬戸物の類も何時の間にか持ち去られていた。前者は兎も角、後者に価値があるとも思えず。まあ何かの役に立つのなら誰が持って行っても構わない。苦労して仕分けた甲斐があるというものである。詰まり捨てる神と拾う神を媒介するのが此の分別する神である。また東電管内では600万キロワットを太陽光発電が叩き出しているという。猛暑でも需給は安定とのことである。それらに加えエアコンの買い替え効果も相当あるのだろう。併し地震に水害に此の猛暑、外国人観光客も吃驚。
二号室には大工さんが入る。幸いエアコンを掛けながらの作業なので熱中症の心配はなし。二度ほど御茶出し。家でぽかんとしていると施設から電話がある。すわ大ごとかと思ったが、栄養補助食品を取り寄せたいので、保証人による許可、就中署名が欲しいとの事。そう言うことは事後承諾でいいから、どんどん進めてくれと語気を強めた。大体一つ何万円もする訳では無し。百個買っても二万か其処らである。どうにも大手介護所は融通が利かない。今時御役所でももう少し機敏に動く筈である。結局責任回避のアリバイ用の書類作りだな。そもそも順法闘争をしているのではないのである。
例によって今日も三十五度もある。火曜であるが午後千寿に出校。授業よりも通勤の方が辛い。地下鉄でも冷房の効きが今一つ。早目に退社したので町屋のBに。久久にD店長も居たけど三杯で納盃。其のまま大人しく帰った。余りに暑いとアルコールも喉を通らない。


7/23・月
 今朝の「冷笑主義 社会覆う?」という記事は面白かった。最近の学生の間では藤田省三も人気がないそうで(随分前からなかったな。月曜二限の「政治文化論」はガラガラだったもの。古い話し=1992年でスイマセン。)・・・。全般的に日本人は妙に自信がなくなり大勢に順応し過ぎる。何が何でも「いやだからいやだ」と言うような天邪鬼的な人が少なくなり過ぎた。困った事態である。それにしても多くの人人がゼロ成長に足元を掬われている状況にあると、「高度成長反対」を唱えた藤田さんが色褪せて仕舞うのも致し方ない。かと言って「安楽への全体主義」へ陥る危険は些かも減ってはいない。むしろ、と言うか既に全体主義社会にあると言えよう。
 本日は家人が施設に参る。気温が三十八度もあるので往復タクシーを利用したとのこと。併し偶の贅沢がタクシーではね。バスで行けばそもそもゼロ円(シルバーパス利用)である。五千円もあれば色色出来るのに。吾人は午後ふらふら自転車で本務校に。途中富士そばで「冷やしゆず鳥とほうれん草そば」(430円)。結構旨い。今日から夏の講習である。退社後は立ち飲みBへ。おじさん勢揃いで結構痛飲して帰った(其れでも1500円)。併し夜でも三十度はある。異常な天候である。此の所は夜間でも設定温度は二十八。クーラー完備、此れだけは高度成長の恩恵だな。


7/22・日
 名古屋場所では木曽出身の力士が優勝。郷土のヒーローらしく、伊那に行く度に県内ニュースでは取り組みを詳しく伝えていた。だから吾人でも知っている力士である。併し四股名が「御嶽海」で呼び名が「みたけうみ」は少少紛らわしい。でも「おんたけうみ」ではしっくりこないな。奥多摩にあるのは御岳山(みたけさん)で、池上線の駅は御嶽山(おんたけさん)。脳内変換が間に合うかどうかぎりぎりの線である。何時の間にか中日はやっぱり最下位に。政変もなさそう。少なくとも今世紀中は。吾人も愈愈諦めた。
 異様に蒸し暑く、全ての作業は困難となる。漫然とした後、午後遅めに施設に向かう。まず老家人の部屋を訪問。あっちが痛いこっちが痛いと不満たらたら。何しろずっと寝ているからな。痛い痛いと体を捩っていたからシーツにシミが。下腹部から漏れ出して来たよう。ズボンも含めての交換作業となる。「あんまりいい人生で無かった」と宣うが、寝台の上での人生はまだ続く。もう少し動こうという意欲を持って欲しい。せめて車椅子に乗れば、視界は動くし、世界は変わる。
続いて施設との正式契約に移る。営業担当者による各種説明ののち只管署名捺印。大半は御金の説明である。基本的な入居費が月38万。此れに介護保険利用料金、医療費、諸雑費を足せば大凡47、8万だな。一杯410円の天麩羅そば(富士そば基準)から見れば、実に恐ろしい天文学金額である。其れに来月から介護保険も三割に値上げだそうで・・・。
部屋に戻ると丁度夕食時。食べろ食べろと吾人が言うと、「食べたくても食べられないのだ」と反論す。そう言えば今朝の新聞に高齢者は水を飲むことも容易ではないと書いてあった。要介護五のコラムニストの指摘である。再び23系統で帰宅。バスも世田谷通りも予想外に空いていた。こうも暑いと外出もしないよな。猛暑で消費が伸びるなどとは何処の阿保が言っていることなのだろう。夜は唐揚げをドカ食い。一種の自棄である。麦酒も案外進まない。白ワインの氷割りを飲む。ちなみに朝は豆腐、昼はスーパーの焼きそば(300円)であった。タクシーぐらいだな明らかに儲かるのは。


7/21・土
 朝からゴミを拾って歩いていると、レオ君が交通事故で亡くなったとの張り紙が。レオは(多分)シロの弟で、近所の御家で外猫として飼われていた。眼の色と尻尾の太さがほんの少し違うだけ。若い頃はしばしばシロと喧嘩をしていたけれど、大抵の人にはどっちがどっちか分からないくらいそっくりな猫だった。人懐っこかったから色色な人に愛されていた。シロより少し若いから享年七ぐらいかな。合掌。続けて合掌。早速シロを掴まえて来て、自動車に気を付けて弟の分まで長生きするのだと諭す。シロは実に神妙に聞き入っていた。猫は人語の個別具体的な内容までは解せぬが、文脈として褒められているのかそれとも怒られているのかあるいは語られているのかは分かる生き物である。
 今日も三十五度。家人が出動したので取り立てての予定はなし。上段の三番駐車場が久久に埋まるというので早速草取り。十分やって一時間半の休憩を何ターンがこなした。幸い雨が少ないから草の伸びは押さえられている。でも喜んではいられない。此のまま行くと来月は水飢饉であろう。朝は冷凍うどん、昼はカップ麺、夜は家人が買って来た崎陽軒
カジノ法も成立。まあ富裕層から巻き上げた御金を貧困層にばら撒くというのならば、其れもあり得る話しだと思うが、実際にはそうならないな。其れはパチンコを見れば明らかである。また山陽線の不通区間は新幹線振り替え対象となっているが、其れも災害発生前までに発券された定期券や乗車券に限るという。そもそも列車が運行できないのだから当日乗車券でも「こだま」に乗せてやるべきであろう。其れに学生は此れから夏休み。定期を切らしたらどうなるのだろう。東なら(多分)開放するだろうけど、西はどケチだからな。何しろ復旧は11月の予定である。それにそもそもはこういうことを国会で討議すべきであるが、生憎閉会したそうで・・・。


7/20・金
 午前中から23系統に乗り、施設に乗り込む。まあまあ元気そう。なお老家人には入院や退院や入居の期日が分からないとのこと。此の所の顛末と掛かった経費を紙に書き出して見せたら結構驚いていた。途中昼食休憩。少しスタミナを付けようと「はま」と言うとんかつ屋に。何しろ豚が絶滅する恐れはないからね。ロースカツ定食1180円。店は誠の昭和造り。環七の外にはまだまだ古い店が残っているな。味は至って普通。色色とメニューが多いから夜はとんかつ酒場になるのかもしれない。併し千歳船橋で飲むことはないなあ。
続いて家具屋で折り畳みテーブルを購入。2580円。考えてみれば此の店には2010年にも来ている。伯母に必要な備品を買い揃えた。でもあの家具たちは伯母の死亡退去の際に悉く遺棄して仕舞った。こうなることが分かっていれば、施設の納戸か何かに保管して貰えれば良かったな。買って戻ると老家人は既にうとうとと。薄布団を適当に掛けて退出す。
再び23系統に乗る。世田谷通りに出ると運悪く数珠の先頭に。各駅停車で乗客を拾うと車内はぎっしり満員。併し全てのバスが渋谷行きなのにどうして皆がみな一号車に乗りたがるのだろう。二号車三号車は例によって空気輸送である。毎度毎度不思議で仕様がない。這う這うの体で帰宅すると丁度信用金庫の職員が来ていた。老家人名義の定期預金は少しずつ解約するようにと依頼した。何しろ死んでからでは税務署の好餌であるからね。


7/19・木
 賭博の解禁に、定数増、何をやっても内閣支持率が落ちないのは、日本の有権者は二大政党制は勿論、最早複数政党制をも諦めた証左であるな。目指すべきはロシアや中華帝国である。
 午前中に内装屋さんが二号室の見積り書を持参。色色と直すとあっという間に大台を超えている。諸物価高騰+夏季作業手当だな。此方は建設的な支出であると言えよう。続いて介護ベッドの撤収。実に僅かな期間しか利用しなかった。何だか申し訳ない。レンタル代金は月千円なのだから、もう少し置いておきたかった。併し家人があっという間に解約の連絡をしていた。ベッドも無くなるとなると、老家人の一時帰宅の可能性も潰えたと言えよう。幾らなんでももう少し間を持たせるべきである。女と言うものは実に容赦がない。
続いて介護費用を考えることに。取り敢えず、比較的出入りの少ない銀行口座を宛がうことにした。試算によると凡そ二年は持つ。一種の特定財源である。併し二年を超えるとなると、愈愈一般財源が侵食され始めることとなる。一般会計支出は大変なダメージを受けることとなるだろう。新聞もケーブルテレビもレンタルモップも止めなくてはならないし、おちおち天麩羅そばも食べられなくなるかもしれない。猫の餌も安いものに切り替えである。
夕方出社。退社後は中華立ち飲み、立ち飲みB、バーIと三連戦。其れでも3500円。病院の差額ベッドの凡そ三時間分である。腹に水分を貯めると夜はまあまあ涼しい。併し此の所は朝の七時には三十度越えに。少し太陽にお休みを願いたいと思った。其の日は朝から夜だった、いいねえ。


7/18・水
 午前中から施設に乗り込む。折り畳みの椅子とテーブルその他を持ち込むからタクシーを仕立てて向かった。途中工事渋滞多し。2490円。工事も夜間やった方がいいな。第一に捗るだろう。本日は三十六度もある。
行って見ると、老家人は足をバタバタさせて、「そろそろ帰るか」などと宣う。大分元気になったのかな。朝方はベッドからずり落ちていたそうである。なお、尿の量を計測したいので秤が大至急必要とのこと。例によって暑中買いに出掛けた。小田急の高架下を延延歩いて無事購入。帰途付け麵休憩。「せい家」があったところが「はる」と言う店になっていた。二年も経つと店も代わる。付け麵中盛780円。併し味はせい家と変わらず。ならば少し高いな。飲食店と言うものも、そもそもが旨いか、そうでなくても多少安いか、あるいはその他のサービス及び雰囲気がかなり良いかしなくてはね。家人には巻き寿司を買って行く。
併しこういう施設も若い職員が多くなった。而も男性。大概が学校出立てと言った感じである。体位交換等で腰を痛めるから、お婆さん相手でも男の方がいいのかもしれない。塩分点滴は三時間くらいで終了。其れに合わせてバス帰宅す。二時間ほど休憩して本務校に自転車出社。結構消耗したので其のまま帰宅。残り物で麦酒その他。
山陽線の復旧は11月になるのだという。また芸備線の広島寄りは直すとしても、備後落合から先の区間木次線はどうなるのだろう。廃線候補だな、此のままでは。


7/17・火
 明け方は宿酔気味。何とか収めて登院す。老家人退院の日である。まず最後のおむつ交換、続いて担当医の挨拶、薬剤師から当面の薬を受け取り、会計に向かう。総額77万円。内医療費は8万円。持参した大枚を機械に吸い取らせた。大半が差額ベッド代である。事実上病院への寄付だな此れは。
六月分と合わせると凡そ一月の入院で135万円。併し掛かったな。老人医療も此処まで来ると一種の蕩尽である。看護師さんその他に見送られて介護タクシーに。千歳船橋の有料老人ホームに向かう。老家人にとっては最後の旅行かな。よくよく窓外を見るように忠言した。三十分ちょっとで七千円弱。伯母の死亡退所から僅か二年。再び此処の門をくぐることになるとはね。顔なじみの職員も少し残っていた。
 二階の18号室に入居。直ぐに横たわる。其の後介護プランの説明と承認。なお最初の一週間は体験入所扱いなのでおむつは持参して欲しいとのこと。昼食がてら家人と買いに出掛けた。凡そ三千円。金額以上にずしりと重かった。続いて施設医の訪問。万代伯母を看取った先生でもある。またまた宜しくお願いしますと挨拶す。ナトリウム濃度維持のために二日に一度は点滴が必要とのこと。昼食は塩分濃い目で半分程度食べさせた。本人も「とうとうこうなりました」などと冗談めいたことを言っていた。一応外面を気にする余裕は残存しているよう。寝落ちしたところで取り敢えず本日の任務は終了。ちなみに今日も三十五度。普通タクシーで家人と帰宅した。2250円。だいたい三時半。
 また栄養補助食も持参して欲しいとのことで近所のドラッグストアーで購入す。明治「メイバランス」ゼリー版。四個しか売ってなかった。丁度二日分だな。夜はスーパーの天麩羅に蕎麦を合わせた。老家人もよく食べた更科の乾麺である。蔭膳には少し早いが、兎に角今日から本格的な二人暮らしである。ちなみに施設には月に40万円程度の支払いを想定す。此方も大変な金額である。
 いやしかし、低ナトリウム症状にもう少し早く対応していれば別の結果になったのだろうか。何でも安直に年のせいだとせずに、もう少し真剣に考えていたら・・・。今回受けたダメージは最早回復不能の水準である。そう思うと寝付きはますますよくなかった。高齢者と言うものは常に崖のような所を歩いていて、ちょっとしたバランスを崩しただけで直ぐに転落して仕舞うのである。


7/16・月
 二号室の大量の引っ越しゴミに、拙宅その他の生活ゴミを若干加えたものを斜め向かいの集積所に出す。実に十数個も積み上げた。分別し直した袋が収集車に次次と放り込まれていく様を見ると実に清清しい。一方被災地ではゴミが野積み状態。分別名人と収集車を千ずつ派遣したいものである。勿論吾人も出動したい。
 夕方前に月波君がやって来る。久久の暑気払い。新しく出来た「もつ焼きばん」の支店に。税込みで一本120円と言うのは安くて旨い。但し店内は大混雑。空いたチェーン酒場に移動。更にパスタ屋にも行った。八時半頃ふらふらの状態でバス帰宅。酔うと駅からの僅か十分が歩けない。


7/15・日
 本日も登院。矢張り尻が痛い痛いと宣う。段段と意思の疎通が困難になりつつあるが、色色と意訳すると、どうも便がとば口で滞留しているよう。固くて痛いのらしい。柔らかい物しか食べていないのにどうして石のようになるのかね(もともと便秘症だったからな)。掻き出すと痛いのでいっそ浣腸をして欲しいと本人は言っていますと看護師さんには伝えた。ただ直ぐに帰って仕舞ったので、其の後がどうなったのかは分からない(酷い息子である)。
池尻の「天下一品」で遅い昼食。久久に食べたが矢張り少少濃すぎるな。こってりとあっさりの中間を作って欲しいと思った(名称はこってりあっさり)。大体日本国民全体が高齢化しているのだから、こってりした物もあっさりとさせなくてはね。終日異様な暑さ。夜は冷凍の穴子の蒲焼など。鰻はほぼほぼ絶滅したというから此れからは穴子の時代だな。


7/14・土
 異様な暑さ。全身を纏わりつく。都心も猛暑日。早速内装屋さんが来て二号室の改め。何処も古いから結構掛かるな。続いて御昼前に登院す。老家人はお尻が痛い痛いと宣う。どうも朝方に便を掻き出されたらしい。併し痛いよ痛いよと九十三歳に泣きつかれたとしても如何ともし難い。其のまま堪えよと怒鳴りつけた。
昼は病院近くの「更科」で。天丼と盛り蕎麦のセット(1260円)を食べたが大して腹が膨れない。スーパーで130円のカレーパンを買って補填す。併し安いカレーパンというものは図体の割りに中味が少ない。結局物足りず。夜は牛肉を焼いて食べた。その他は引き続き二号室のゴミの再分別。45リットルで20袋近い。いやしかし、よくもこんなに溜め込んだね。先日の愛媛の視察で足の付け根を痛めたAは明日の広島の視察を中止。何でこんな人の支持率が地に落ちないのだろう。


7/13・金
 上の二号室はルームクリーニング。修繕はドアクローザーのみ。続いて下の二号室の退去。十年も住んでいた人だからゴミも凄い量。百円ショップで売っているようなものばかりリヤカー一台分ある。異様に暑い中、朝からどんどんと分別し直す。夕方一旦出社。というのも本日は美亜さんのコンサートの日である。此処で美亜さんの紹介を少し。元生徒で元講師。大学卒業後色色とあったようだが何時の間にか歌手になっていた。語学堪能、容姿も(多分)端麗。和洋折衷、歌う親善公使ということで国内より海外で人気ある。世界を股に掛けるビッグアーティストである。
そんな彼女は海外生活が長いのだが、本日は芸能生活十周年と言う事で地元に回航、一種の凱旋コンサートが催された。いやしかし、人生には色色な歩き方があると感心する人物である。ホールは六分程度の入り。無責任社長と元立ち飲みTのママと鑑賞す。ママさんなどは途中寝ていたが、なかなか堂堂としたものであった。屈託がなくて語学が出来る人は早い内から海外に出た方がいいな。終了後は晴雷亭で鶴木さんらと会食。久久に佐渡屋にも回った。バーIにも行きたかったが体力が切れたので帰宅す。


7/12・木
 明け方に大雨。以後少しは涼しくなる。横浜の療養型病院での大量遭難事件も容疑者が挙がる。実に立件には二年も掛かった。警察発表によると動機は滅茶苦茶。つくづく職業適性が無い人と思った。看護師と言うのも今も昔も一定の人気がある職業だが、比較的高収入+資格の力で将来安定と言う動機だけでは務まらない仕事である。午後出社。退社後は中華立ち飲みとBを連戦。久久に少し飲んだ。


7/11・水
 今日も異様な蒸し暑さ。御昼に登院。すると呼吸器専門医による説明有。間質性肺炎は原因不明が多く、原因が不明な以上は大した治療法がない。退院した後に急性増悪した場合はステロイド療法が有効ですなどと言われた。ということで来週の火曜日の退院が正式に決まる。帰宅後素麺休憩。拙宅の台所も多少は生産するようになった。午後本務校に。金参万円受け取る。何時の間にか講習が近い。色色と決めごとをする。碑文谷のドライブと言う新店でとんこつ醤油ラーメン。味覚も戻っていないな。麦酒もラーメンも味が今二つ。
 予讃線山陽線も再開には一ヶ月以上掛かるという。こりゃあ西や四国や貨物の経営問題にも発展するな。また中国道は動いているが山陽道はずたずたに。下道も各地で寸断。激しい渋滞で物も運べないという。呉など陸の孤島になって仕舞った。現地では高校生まで泥を掻いているというのに、今頃Aが避難所を視察。同じころ東京ではお手盛り参議院議員を増やすことが決まる。吾人なら泥団子をぶつけるな。


7/10・火
 朝から晴天。一週間ぶりに吾人が登院。すると老家人は文句たらたら。まあ、ああでもないし、こうでもないと言えるぐらい元気になった証拠だな。今日は点滴も外れている。昼はどろどろの御飯に、どろどろの味噌汁に、どろどろの掻き玉子豆腐のような定食が出て来る。嫌だ嫌だと言いながらも結構食べさせた。六月の入院費の請求書が来る。総額58万余。其の内45万円は差額ベッド代であった。個室に入るのは致し方ないとしても、つくづく二万円安い部屋にすべきであった。いやしかし、何でこんな立派な部屋(と言っても病院自体が古いから場末のビジネスホテルのような部屋)にして仕舞ったのだろう。痛恨の判断ミスである(個室代は医療費控除の対象にもならない)。兎に角、入院手続きの時は興奮するものな・・・。
例によってキャッシュカードで払おうとしたが例によって使用不能。結局現金を引き出して支払った。デビッドシステムというものが役に立ったことが一度もない。支払い機に大枚を吸い取られせたら、領収書に続いて診療明細書が凄い勢いで噴き出して来て辺りに散乱す。慌てて拾い集めた。見ると点滴の一本一本まで丁寧に書いてある。文書作成も御苦労なことである。
お尻が痛い痛いと宣う老家人を寝かし付けて退出。少し精を付けようと最近出来たステーキハウスに寄る。180グラムの赤身肉に御飯とサラダとミニビールが付いて1200円。当然米国牛である。案外旨かった。米国産と言うと草鞋のような肉だった頃とは随分違うと思った。日本人が沢山肉を食えばT氏も喜ぶ。此れも世界貿易体制維持の為である。夜は家人が茹でたパスタを中心に久久にチリワインを一本開けた。平成三十年七月豪雨に際し五千円振り込む。


7/9・月
 異様に蒸し暑い。やっぱり広島の方が大変な被害が出ている。山際わまで建てた家はつくづく危ない。広島と岡山と言うと関東から見たら大して違わないが、地形は相当違うのだと思った。午後千寿に出校。途中散髪す。町屋のBで二杯だけ(1250円)。


7/8・日
 まあまあ回復す。朝からシャワー入浴。詰まり風邪というのも一旦悪くならないと回復もしない。不死鳥が生焼けでは再生しないのと同様である。さてさて不死鳥の如くとはいかないが業務も再開。ゴミの分別に続いて、二階の二号室の退去の立ち合い。真面目そうな女性社員だったから台所も綺麗。五年前に直した部屋なので其のまま貸せるな。買い物にも出掛けた。但し草取りは不能。此方は一週間は遅れる。飲酒も再開。スーパーのとんかつで一献。嗅覚喪失の為、大して旨くない。
 倉敷の北、真備と言う街が水没。鉄道では呉線芸備線予讃線高山線が長期運休の模様。被害は拡大中である。山陽線も高速道路も動かないから東西物流も滞る。九州の野菜や焼酎も持って来られない。フェリーでどれだけ運べるのだろうか。それにしても凄まじい破壊である。ゴミ収集車も派遣しなくてはならない。破壊の後は建設だが、また義捐金だな。家具家電、軽自動車の購入費の足しにして貰わなくては。


7/7・土
 西日本は広範囲に渡って大雨。被害甚大。また廃線が出るな。咳は収まったが、喉が痛み、鼻も出る。昨日より却って具合が悪い。プレコール、小青竜湯、トランサミン、抗ヒスタミン、気管支拡張剤、点鼻薬等等、持てる薬剤を集中投入す。夕方三十七度五分。タオルケットに包まって発汗さす。昼は冷凍パスタ、夜はコンビニの冷やし中華


7/6・金
 関東も大雨。咳は残ったが体調はまあまあ回復。今日も自宅待機。午後は小雨。結構涼しい。夕方以降は喉が痛む。夜は発熱した感じ。例によって市販薬と残薬を組み合わせて対応す。昼はスーパーのかつ丼。夜は冷凍食品。家人はどうして食事を作らないのだろう。ああそうか、冷蔵庫に何も入ってないものな。
 文部官僚が、自らの権限を使い息子を医学部に入学させる。併し御金を積んで裏から入学させることは昔からよくある話である。特に医学を学ぶのには物凄く沢山御金が掛かるから、大学側が受け取った御金の一部を教育に還元すれば、他の学生の役にも立つという屁理屈も成り立つ。でも今回の件は異状だな。使われたのは税金だもの。頭の可笑しい教祖は、頭の壊れた状態のまま小菅に消える。他の幹部も同様に。何故此の時期に。色色な解釈があるだろうが、恐らく支持率アップを狙っての事だろう。つくづく権力は怖ろしい。


7/5・木
 幾ら寝ても治らない。色付きの痰が出て来る。三十七度前後の発熱あり。気管支の不調が常態化している。本日は病院で介護施設との重要な面談があるのだが、家人に代行して貰う。午後まで只管静養。家人によると、施設長までやって来たそうだが受け入れ日時は未定とのこと。準備などいい加減で構わないから、兎にも角にも早くやって貰いたい。
 夕方ふらふらで出社。其のまま退社。ベーコンレタスバーガーで麦酒を一缶。朝はコンビニのおにぎり一つ、昼はカップ麺だから治るものも治らないな。


7/4・水
昨夜から小咳。次第に酷くなる。家人が登院し吾人は静養す。此の所ずっと何も面白いことがないから免疫力も下がっているよう。夕方軽く発熱。最早出勤するだけの気力なし。再びの水曜欠勤である。
南風吹き荒れ曇り勝ち。朝は冷凍うどん、昼はコンビニのパスタ、夜はオリジン弁当。「プレコール咳止めカプセル」を缶麦酒で流し込む。


7/3・火
 早朝サッカー。但し後半だけ。ベルギー相手に二対三。結構劇的な逆転負け。リードしてからの展開が良くなかった。先制点が二つもあると却って指揮が混乱するのかもしれない。
 朝から暑くて眠いが、本日も登院す。腹が痛い痛いと宣う老家人にホカロンを張り付ける。すると直ぐに収まったよう。少し中座して祐天寺の花月でラーメン休憩。好きな時に好きな物が食えるというのも考えてみれば体が動けばの話である。無論予算には限度があるし栄養の偏りを避けるためには、完全に好き勝手放題と言う訳には行かないがね。感謝すべきかな。我が食欲に。
病室に戻り昼食の介助。と言ってもほぼ自力で食べていた。続いて担当医の回診。ホルモン剤が効いてナトリウム濃度も回復。また経口摂取も徐徐にできているので今後は点滴も減らすという。来週には退院し介護施設に移送となりそう。
 帰宅後午睡。日が傾いて来た頃に草取り。また介護施設に入るといっても衣類の類は色色と持ち込みが必要である。各種タオルを買いに行く。他の入居者と混同しないようになるべく特徴的な柄の物を複数枚購入した。晩食は全て西友製。「いさきの刺身」なんてのもあり案外旨かった。夜はまあまあ涼しい。猛暑も今日で一段落するらしい。


7/2・月
 雨戸を閉め冷房を掛け、飼い猫の理不尽な攻撃から耐え忍ぶ。朝から炎天。咳と痰が止まらない家人は老家人が入院している病院の外来へ行く。各種検査の結果、気管支炎とのこと。ありきたりの薬が処方される。特別初診料は二千円。御飯と名の付くものが何もないので、昼に炊飯器を稼働させた。コメなど実に十数年振りぐらいに研いだよ。副菜はレトルトカレー
 診察後老家人に付き添っていた家人と交換するようにして千寿に出校。此れと言って何もない一日。町屋に行くもDオーナーは不在。此の所、医師、看護師、理学療法士ソーシャルワーカー以外と口を利いていない。今日も異様に暑い。有名噺家も亡くなる。老家人も此の夏は厳しいな。どういう事態になるのか。


7/1・日
 月が代わってもやっていることはまるで同じ。暑さに加えグレが何度も起こしに来るので断眠酷し。ぼんやりした後、御昼に登院。老家人は車椅子に載せられていた。早速昼食の介添え。ひと眠りの後はリハビリへ。どうにも機嫌が悪く少し歩いて断念す。今日も異様に暑い。昼はオリジン弁当。晩はスーパーの惣菜類。
此の所、洗濯以外の家事全般が停滞。炊飯器など冷温停止して三週間にもなるかな。炊飯器に限らず、まな板も包丁も鍋もフライ返しもガスコンロ等等も何らの価値を生み出していない。今風に言うと生産性ゼロである。尤も外食中食、持ち帰り弁当や総菜購入費は激増しているから、外食産業もスーパーもコンビニも喜んでいる。局所的な生産性を多少向上させたところで経済全体のパイが増える訳ではないことの証左である。そもそも生産性などと言う尺度が可笑しい。生産性逆革命が必要である。帰宅後は介護施設の申込書を書く。

2018年6月

6/30・土
 今日もかんかん照り。家人の症状はまあまあ落ち着く。昨日は入院するぐらいの勢いであった。一種のノイローゼだな。午後登院。すると土曜の今日もリハビリへ。一応三メートルは歩けた。何とか回復基調にはある。以後はプロ野球などを見ながら老家人を見守る。こういう場合の個室はいいな。病室は涼しいし。ただバスとトイレは全くの不使用。勿体ないこと夥しい。バストイレ無しの二万円安い部屋があったのに。四時半頃退出。近くの鶏屋でローストチキンを購入。家人にはコンビニの素麺。五時過ぎから好き勝手に飲み始めた。こうして六月も終了す。


6/29・金
 家人の咳は続き、今日も吾人が登院す。丁度入浴中であった。既にあばらも出、随分と細くなった肢体ではもう二足歩行は不可能だな。見ているだけで何だか悲しいね。昼はスイートポテト味のゼリーと魚のすり身。前者は150キロカロリーに容量アップ。一応完食す。また食べたくなさそうな後者も看護師さんによって口に放り込まれていた(三分の一程度)。併し老家人は何もしてない筈なのに草臥れて草臥れて眠たくて眠たくて仕様がない様。永続的な睡眠が近づいている。此の間、吾人は怒鳴り続けて覚醒させていたが、昼過ぎには寝かし付けて退出す。
 異様に暑く、夏空が広がる。どういう訳だか関東だけが梅雨明け。午後はエアコンを点ける。電力節約の為、下らないテレビは消灯しラジオに交代。家人は夕方発熱。風邪がぶり返した模様。但しあの内科医には掛かりたくないよう。吾人が前前から指摘した通り、当該医師は文字通りの藪であるな。ところで藪医者の語源には諸説あるようだが、吾人としては先を見通す能力のない医者と言う定義を採用している。藪に目を奪われ、年寄りの数日先の姿も予想できないのでは家庭医というものは務まらない。今回の件で家人も漸く分かったよう(ナトリウムの低下傾向などは実は随分前から出ていた)。吾人ももう行かない(三月の風邪の処方箋も酷かった)。事実上の解任である。夕飯はコンビニの焼き鳥その他。タレは甘すぎ肉はブヨブヨで食えた物では無し。家人には千代田鮨。


6/28・木
 三日ぶりに家人が登院。代わりに吾人が休息。午前午後と朦朧とす。ちなみに昼は二つ食べたそうである。何とかなるかな。一進一退、一喜一憂。今日も異様に暑い。午後出社。鰻犬先生の御父上=元書籍販売店店主も亡くなったそう。だいぶ前から介護施設に入っていた。併し廃業して何年も経つというのに、今更商店街葬というのもないな。色色と無責任社長に相談しているようだが、完全な家族葬にするか葬儀屋さんに丸投げすべきである。何しろ廃業率七割以上、既に御爺さんと御婆さんしかいないのに、お手伝いとか出来る訳がない。どうも此の辺りの段取りが鰻犬氏は適当でないと思った。
 本日はサッカーの日だが、聞いて歩いたところ小中学生の関心は概して低い。そもそもサッカーって、見ても分からないものな。ちなみに舞台はボルゴグラード、嘗てのスターリングラードである。画面を見ると何だか暑そう。同名の悲惨な映画のイメージとは偉い違いだと思った。広島と姉妹都市らしいが、独ソ戦でロシアの街街が被った惨禍について詳しい日本人などは殆どいないな。
立ち飲みBで少し飲んで帰宅。すると居間のエアコンが点けっぱなし。二十七度の設定のまま窓が全開に。まるで気が付かない。どうも家人は耳が遠くなったよう。肝心の試合はと言うと、リーグ戦の規定によりポーランドに負けてはいるが、兎に角其のまま負けなくてはならないという不思議な展開に。只管パスを回しているという間延びした終わり方であった。牛歩サッカーだな。負け取った決勝トーナメント進出である。


6/27・水
 家人は今日も不定愁訴。吾人が登院す。担当医及びソーシャルワーカーと相次いで面談。万代伯母も入った有料介護施設に移す方向で話を纏める。先方の準備が整い次第、早ければ来週にも移送できそう。肝心の老家人はと言うと、運動訓練でも反応薄く、寝てばかり。頭も動かない感じ。昼はカレーの煮凝りを一つ。80キロカロリー。愈愈寝た切りだな。食欲、体力が落ち切れば、行く着く先は小平(霊園)ターミナルである。西武線で言うともう田無辺りに来ているのかもしれない。
延命治療? やるも後悔、やらぬも後悔。介護費用の手当て、隣の空き家の処遇、そして再びの相続。年金収入も減る。ひとりで担うには少し荷が重いな。万代伯母の死から二年しか経っていない。御昼過ぎに帰宅。スーパーの弁当を食べる。南風吹き荒れ、今日も真夏日。既に勤労意欲を喪失。臨時休講とさせて頂いた。九時就寝。


6/26・火
 朝から換気扇の掃除。取り外した上で一度噛んだ鼻紙を総動員して汚れをこそぎ取る。まあまあ綺麗になった。続いて登院す。行って見ると老家人は朦朧としていた。どうもうつらうつらしていたよう。併し運悪く理学療法士が来て運動訓練に。吾人も付き添ったが、意識も意欲もレベルが低く、数回立っただけで終了となる。昼食はヨーグルト一つ。
それにしても此の間、様様な看護師さんや訓練士さんに、好きな食べものなどはないのですかなどと繰り返し尋ねられた。併しそもそも老家人はあれが食べたいとか此れがしたいとかいう、此れと言った欲望の少ない低欲望人間であったと言えよう。浪費をしない分、家計的には助かったが、欲望には人を動かす力がある。九十三にもなれば其れがなくなるのは有り得る話だが、やはり少しは何かなくてはね。だから老家人にはもうひと伸びする力が足りないのだろう。取り敢えず一時過ぎまで頑張らせた。「まことや」に回航してラーメン大盛り(680円)の遅めの昼食。午後は休息。今日も真夏日
引き続いてロシアでのサッカー大会。煌びやかなスタジアムには様様な広告が舞う。生憎日本企業の其れは少ないようだが、三十年前のパンを買う為だけの大行列、理不尽な官憲の規制、仏頂面のサービス業を考えてみれば大変な変化だな。ピー氏に支持が集まる訳でもある。こんなロシアを見れば隣の金氏の三代目も流石に拙いと思う筈だろう。翻って我が国は? うーん、三十年前の方が勢いがあったな。


6/25・月
 家人に代わり吾人が午前中から病院に乗り込む。老家人は入浴中であった。凡そひと月ぶり。以後嚥下の訓練。水は飲めたよう。続いて担当医による説明を受ける。炎症は概ね収まったが、間質の方の其れは慢性化しているとのこと。ただ特に悪化もしてないようなので現在は塩分バランスを取る治療を続けており、それらに目途が付けば急性期の病院としては任務終了になりますと。以後介護施設に移るとして、先方でどれだけの医療的ケアができるのか、ソーシャルワーカーとの交渉が必要であるとも。
こうして退院の目筈は少し立って来た。ただ例によって口から食べ物が摂取できなければ、首のところにカテーテルを差すか、口から管を入れて栄養を注ぎ込む必要が出て来るので、介護施設では少少難しいかもしれないとの指摘も受ける。そうなると療養型の病院行きかな。どちらにしても自宅には帰って来られない。老家人にとっても予想外だろう。何はともあれ早く口から食べて貰わなくてはね・・・。御昼になったので早速実食。どうにかこうにかゼリーは口から入って行った。凡そ80キロカロリー。一日に十個は食べなくてはね。眠り始めた老家人を見届けて退出。病院近くの蕎麦屋で遅い昼食。割子蕎麦。具沢山なので四皿で1560円。少し高かった。併し此の店にも幼少の頃にはよく来たな。何しろよく風邪を引くから小児科にも何度も掛かった。其の度に饂飩か何かを啜ったものである。自宅休憩を挟んで千寿に出校。今日は異様に暑い。
中学国語は「高瀬舟」に到達。併し喜助と言う人物は偉大だな、三度三度の牢屋飯に手を合わせ、下賜されたたった二百文に感動しているのだから。足るを知った人物。今風に言うと低欲望人間である。ところで最近の子は奉行も分からない。時代劇もやってないものな。低常識社会である。
退社後はスタミナをつけようと「かつや」でロースカツ定食。缶ビールを付けて1058円。例によってサクッとはしているが肉に何の味も無い。オンリーソース味である。せめて「和幸」ぐらいには行くべきであった。其れでも喜助なら旨い旨いと食べたのだろう。足るを知れ? でもね、皆がみな「かつや」で満腹になったら現代経済と言うものが回らなくなる。「和幸」も「まい泉」も「目黒とんき」も閉店ガラガラである。今風に言うと経済がシュリンクする。其れは新たな喜助を生み出すことに他ならず。帰宅後はチリの安ワインで飲み直し。此のところよく動いている。


6/24・日
 今日まで梅雨寒む。午前中まで雨が残った。昼過ぎに例によってふらふらの家人をタクシーに押し込み、病院に向かわせる。本日は吾人が留守の番。午後は晴れたので草取りと剪定など。家人は夕方帰宅。炊事は一切不能。此の所ずっと買い食いか冷凍食品である。併しナトリウムが不足すると全身が脱力に至るというから、老家人も実は相当前から間質を病んでいたのかもしれない。やれ意欲が足りないだとか、もっと運動しろなどと始終怒っていたが、実はとんだ見当違いだったのかなあ。そう考えると少し頂けない。
二号室の件で不動産屋のSさんが来る。つい隣の空き家を壊してテラスハウスのようなものを建てたらどうかと話しは広がる。マンションよりかなり安く建つらしい。設計次第で結構な植栽も残せるというから、猫も植木屋さんも喜ぶ。中中に良いアイデアだと思った。まあどちらにしても老家人の命運次第だな。十時就寝。サッカーは一分も見られず。


6/23・土
 午前中は草取り。家人が眩暈で動けないというので吾人が昼前に病院へ。昨日の今日なので然したる変化はなし。続いて職場へ回航。二週続けての土曜出社である。途中晴雷亭で炒飯と小瓶の休憩。昼酒中の須々木さんと会ったので少少毒を吐かせて貰った。以後数時間指導す。遅れて来た無責任社長と交代して夕飯前には帰宅。碑文谷の東急おかず横丁で色色と買って帰った。
 今日は沖縄の日。自作の詩を朗読した中三の女の子には胸を打つものがあった。公共放送の七時のニュースでちらっと見てもそう思ったのだから、中継ではもっと凄かったのだろう。放って置いたらあと何十年も、まるで好き勝手にとは行かないまでも、色色と悲喜交交に続いたであろう何百万人何千万人もの普通の人生を誠に無残な形で強制終了させるのが戦争と言うものである。其処に些かも肯定される要素はない。また知事は随分具合が悪そう。此のまま勇退だろうな。


6/22・金
 家人が疲労困憊しているというので吾人が朝の八時半から病院に乗り込む。途中担当医の説明。呼吸、炎症の状態はまあまあなので、そろそろ食べる訓練を始めるという。但し此れに失敗するとより濃厚な栄養剤を点滴せねばならず、鎖骨辺りの静脈に大穴を開ける必要が生じるとのこと。まさかとは思うが、もしもそんなことになったら愈愈到頭ターミナルは近いと思った。
昼、早速の実食。祈るような気持ちで見ていたが、ゼリー一口で激しく咳込み、直ちに中止。みな吸引器で吸い出されて行った。結局禁食。週明けにやり直すということだが、其れまでに痰が切れているといいが。併し此の風邪はしつこい。何しろ吾人ですらまだまだ咳痰が出る。それにしても事態は想像より相当悪い。と言う訳で少少絶望して二時頃帰宅。「さとう」で遅い付け麵。小ビール付き。併しラーメン屋が適当に作った付け麵は量が足りない。本気になれば四回の箸さばきで浚えて仕舞う。最低でもラーメンの五割増しの麺を出して欲しいと思った。


6/21・木
 一日曇り。寝ても覚めても不安感と言うか緊張感のようなものが晴れることはない。老家人未だ絶食。早く口から食べさせて欲しい。退社後は焼き豚屋におじさんたちを訪ね、更にバーIに少し寄って帰った。


6/20・水
 朝から大雨。午前中から家人は病院へ。午後は止み間も出た。午後出社。吾人も行きしなに訪問す。鼻の酸素は外れたが点滴は続く。夜間は軽い拘束も受けた模様。早く口から食べ物を入れなくては。しかしながら縦しんば全快したとしても元元が一日二十時間も寝て仕舞うほぼほぼ寝た切り爺さんである。介護の問題は避けて通れないな。前途多難に変わりなし。夜は再び雨。金参万円受け取る。其のまま帰宅。ほぼ休肝


6/19・火
 朝から老家人の様子を見に行く。血色は良さそうだが、寝た切り老人に違いはない。早く動けるようにならなくては。続いて銀行へ。固定資産税、都市計画税、住民税の支払い(二人分)。総額221万円余。昨日の今日だから腹も立たず。納税は都民及び区民の義務である。ちなみに吾人の住民税は丁度六万円であった。梅雨の晴れ間。吾人も依然咳が残る。老家人の回復にも時間が掛かるな。午後は漫然とす。嗅覚も戻らず食欲も不振。二日続けて冷凍食品。少し落ち着いたので夜はサッカー観戦。日本対コロンビア。舞台はロシアだが、明らかに後者の応援者の方が多い。ヨーロッパ辺りで働いている人たちが馳せ参じたのだろうか。下馬評に反して日本勝利。初戦と言うこともあり相手側も緊張していて退場者を出したからな。予想外の勝利に国民も戸惑っている感じ。期待度が低いと喜びも少ない。
 昨日の地震でも電車が一日近く止まり関西方面は大混乱。迅速な点検方法はない物か。此れと言って損壊した所は無し。まさか順法闘争している訳ではないよな。地震とサッカーの間に加計の理事長が会見。一年以上逃げ回って僅か二十分。
 二号室が退去するという。家賃を散散支払わず法手続き寸前までいった人である。まだ一年分溜まっているが多少減額して放免することにしようと思う。老家人の快癒を願っての一種の恩赦だな(出て行ってくれた方が有り難い)。


6/18・月
 朝方大阪北部で震度六弱。老家人依然として動けず。結局万代伯母の入っていた有料高級老人ホームに連絡を取る。勝手知ったる所だから下見の必要も無い。直ぐに入れてくれるだろう。但し月額四十万円。伯母の死去から僅か二年。まさかこういうことになるとはね。
 午後になっても起き上がれず。何だか具合が昨日よりも悪そう。発熱、ぜろぜろとした咳もある。様子を見に来ていた須見伯母との協議の結果、先ずきちんとした医者に見せた方がいいとの結論に至る。併し最早半身を起こすことも困難である。結局ダイヤル1と1と9の出番となった。関西では大変な所だが東京消防庁の救急隊は直ぐに来てくれた。予め話を付けておいた近所の大病院に緊急搬送。ピーポーピーポーと走り出して五分で無事到着。
各種検査の結果、肺に炎症が起きているとのこと。併し其れが持病の間質性肺炎が急速悪化したものなのか我我のウイルスが移ったものなのかは判別付かず。もしも前者なら大ごとだと担当の女医さんはおっしゃったが、恐らく後者であろう。蓋し血中のナトリウム濃度が低下しているから前者の可能性も捨て切れないらしい。其のまま入院。例によって山ほど同意書と申込書を書き、一日三万数千円の個室に入る。腕に点滴、鼻から酸素、下腹部にはおむつを当てる。晩は絶食の模様。
各種手続きを終え、吾人は五時頃には帰宅。留守番役の須見伯母に状況を伝えた。遅れて戻った家人によると何だかもう元気になっていたという。風邪は万病の元。今回は介護より医療の出番であった。須見伯母の強い進言の御蔭で入院に至ったことを鑑みると、吾人の判断はかなり悪かったと言える。トイレの番がなくなっても寝つきはよくならなさそう。十時就寝。


6/17・日
 未明に呼ぶ声がする。降りて見ると老家人が居間で動けなくなっていた。困ったな、手など幾ら引っ張っても駄目である。併しヒトという生き物はどうやって立ち上がるのだろう。まず我が身で実践して確かめた。其れを参考にして、うつ伏せ状態を仰向けにし、続いて上半身を起こし、腰を持って一気に立たせた。考えて見ると二足歩行と言うのは大変だな。重力に物凄く逆らわなくてはならないから。月面に老人施設を作ったら丁度いいだろうとも思った。同様の事態が更に一度。
 断眠で朝からふらふらす。此の所、安い外食かコンビニ食ばかり。風邪も治らず。湿った咳が出続ける。「プレコール」も効能無しと判定するに至る。其処で思い切って二錠飲んだら何となく収まった。市販薬も用法と容量を守っていては治るものも治らない。また昼夜となく老家人をトイレに搬送。此の生活が長くなると続かないな。今日も涼しい。昼はスーパーのとんかつ弁当。夜は千代田鮨。涼しいので久久に湯船浸かる。東北新幹線は五時間半の不通。原因は「はやぶさ」に別の鳥が衝突したらしい。速く地上を走るにも限度があるな。


6/16・土
 朝から小雨。異様に涼しい。寒いくらいである。比較的よく寝たものの咳鼻止まらず。風邪治らず。市販薬と先日の処方薬の残りを合わせて服用す。咳止めと痰きりと喉の痛みを取るものだから重複はない筈である。此れで一家全員が謎のウイルスに感染。幸い老家人が一番軽い。
 運の悪いことに土曜出社。無責任社長は新潟帰省中につき今日は吾人一人である。行かない訳には行かない。休めない日に限ってこうなるな。一時半から九時半まで勤務。土曜なので取り立てて沢山生徒が来る訳ではない。風邪を移すと悪いのでマスクを掛け教室の隅でじっとしている。咳を堪え堪えは本当に辛い。其のまま帰宅。残っていたメジコンを服用。


6/15・金
 夜中ポータルブルトイレには一人で行けたよう。実は吾人が気配を消して張り付いていた。と言う訳で猫が起こしに来なくなったと思ったら、老家人の番をしなくてはならない。断眠は続く。
 午前中には雨が降りだす。梅雨寒む。止み間を狙って何時もの内科に搬送。風邪は軽いが老衰傾向は医療の範疇ではないから打つ手はないらしい。更に車椅子の納品。内用と外用の二台を配備す。栄養食品と尿漏れパットも購入。此方としては機動的に対応している積りだが、常に後手後手だな。そもそも介護に先手と言うものはないよな。午後になり漸く落ち着く。吾人も夕方少し発熱。風邪を移された。前回からまだ三ヶ月である。


6/14・木
 朝から老家人が起き上がれないというので跳ね起きる。すわ寝た切りかと思ったが、暫らくすると起きて来た。どうも体力低下が著しい。其れとも家人の風邪が移ったかな。発熱等はないが何だか具合も機嫌も悪そう。起きた序でにドラッグストアーに参り、少し飲んだらおにぎり一個分と言う栄養食品を購入。補助的に飲ませようと思う。
併し昼前とうとう排泄に失敗。もう一メートルも自力では移動できず。万代伯母が使ったポータブルトイレの緊急登板となる。振り返ってみれば今日という一日は、重大な転機となった日として記憶されるな。六月十四は介護記念日、詰まり始まりの日である。午後出社。急いで退社。ハンバーガーと麦酒を半缶のみ。芥田先生との伊那旅行も中止。此方側からお誘いしたのに申し訳ない限りである。吾人も小咳。「プレコール」を服用。それにしても外を歩けなくなって僅か数週間、最早立つことすら満足にできず。加齢と言うのは残酷である。
午後山陽新幹線が人を撥ねる。先頭車両の露と消えた人物を探して広島以西が終日運休。鉄道ダイヤに対する自爆テロである。小倉広島を在来線では無理だよな。


6/13・水
 家人はまあまあ回復したが、急激に食欲が落ちた老家人はほぼ寝た切りとなる。何時の間にか本格的な介護生活である。甘いものなら食べられるというのでプリンやヨーグルトやメロンやケーキ類を集中投与。此のまま流動食だな。具合の悪い年寄りばかりを見ていると此方も気分が滅入って来る。一般的には要介護三程度までは自宅で見るようにと言う御触れが出ているようだが、正直想像を絶する。午後出社。立ち飲みBで小怪気炎。確かに吾人も咳っぽい。
何にも使っていないのにスマートフォンの電池が急に減って昼に100近くあったものが、夜には10パ―セントとなる。システムの不具合だな(過去にも一度あった)。どう仕様もない。こういう下らない製品を作って売ってメーカーは平気なのだろうか。


6/12・火
 薄曇り。家人の風邪未だ治らず。特に咳が止まらない模様。となると昼は件の激安スーパーの300円弁当。結構旨いから、みんな群がって買っている。デフレは続くな。何時までも。午前午後と草取り。一日休むと二日伸びている。
 米朝会談は早目の終了。合意内容までは与り知らぬが、開かれたこと自体が既に優である。今後も巧く事を運べば、大統領の支持率も上がるし、半島の非核化も進むだろう。何よりも戦争が回避されたのだから喜ぶべきである。あの問題で「成果」が出ないとしてもね。
夕方大統領が会見す。欧米系の記者からは人権問題に関しての質問が相次いだ。あんな体制を保証して大丈夫なのかと。まあ二千万の民から飢え死に出さないことが人権の一つだろうし、まして戦争による人死にを避けることが最最優先である。それにしても大統領としてもいい勉強になったのではなかろうか。売るの売らないのという土地取り引きとは違うのだから、何事も一気には進まないものである(我我も含めてどうも拙速に結果を求め過ぎている。デジタル時代の悪弊である)。此れでイランとの核合意の見直しの見直しにも着手して欲しいものである。前任者の苦労等も漸く分かって来たのならばね・・・。無理かぁー。


6/11・月
 新潟知事選では与党系が勝利。うーん、稲作単作地帯は野党が強い筈なんだけどね。そう言えば内閣支持率に東西の差はあるのだろうか。明日の会談前に両首脳ともシンガポールに前乗り。北の人も中国の民間機を借りて来たよう。此方もアメリカ製だけどね。
 昨日からずっと雨。デイサービスも欠席。となるとすることがない。午後まで漫然とす。雨中千寿に出校。此方の中学生を見ていて気が付いたのだが、「コロンブス」という見たことも無い教科書を使っている。版元は光村図書。国語の教科書で有名な会社だが英語も作っていたのだね。余り売れてないらしいが(23区では2つだけ)、併し微妙なネーミングだな。同業他社も「王冠」とか「水平線」とか「光輝」などという愚にもつかない名前が付いているが、今時「コロンブス」はないよな。「ポスコロ」とかに改称した方がいいと思った。漸く雨も止んだので退社後は町屋のBへ。Dオーナは不在。二杯だけ飲んで帰った(1050円)。帰宅後カップ焼きそば。ほぼ休肝


6/10・日
 昨夜新大阪行き最終新幹線でテロ事件。庇った男性が死亡。乗客が亡くなったのは二例目だな。そう言えばあの放火事件も此の時期だった。六月は悲惨な事件が多い。
朝から小雨。一転して涼しい。まずはゴミ拾い。途端に飲料系が増えている。最近は海に流入するプラスチック類が問題となっているが、もしも吾人が海辺に住んでいたら膨大な廃棄物を日日回収している筈である。水を得た何とやらのように張り切るな。其処に支障があるとしたら当該自治体のゴミの区分であろう。折角集めても有料な上に「砂や塩分が付着したプラスチックゴミは回収できません」とかシールを貼られたら途端にやる気をなくすかもしれない。他は低木刈りを少し。
昼は上馬の中華食堂でミニ回鍋肉丼とラーメン(700円)。午後は次第に本降りとなる。晩は老家人を給仕す。冷奴、大根おろし、塩鮭一かけらと濁り酒を少少。併し御飯は小さな茶碗に半分も食べない。何時の間にか老家人はこんなに食欲が落ちていた。正月頃はもう少し食べていた筈なのだが。何時からこうなって仕舞ったのだろう。吾人の日誌を読み返しても明確な記述は無し。真に重大な変化と言うものは当事者すら気づかない内に進行し、やがて誰かが気が付いた時にはもう取り戻せないほどの懸隔が生まれているものだと思った。其れは何も老化や病気に限ったものではなく、社会や政治の変化と言うものも同じだろう。台風接近のため夜には大雨となる。風はなし。泥だらけのシロが何度も上がって来る。雨で臭いが流されるのが不安らしくあちこち掘り返しているよう。困った習性である。


6/9・土
 朝から異様に暑い。家人の風邪が悪化。咳、鼻、熱の所謂フルコース。稼動人口はとうとう一人となる。家事支援をしながら午後は映画「イミテーション・ゲーム」。エニグマ解読器のことなど何も知らなかったが、色色と考えさせる内容で面白かった。特に解読内容をどこまで詳らかにするかは極めて高度な政治的判断を要したという点に。此れは究極の選択だな。まあそんな立場には一生関わらないけどね。
昼は柏屋のコロッケカレー(520円)。夕方近所のスーパーに参る。勝浦の鰹があって案外旨かった(ミケも喜んだ)。何時も解凍魚と養殖魚しかない店だが偶にはこういう品物を売らなくてはね。老家人には握り寿司を出す。少しは食べたよう。夜更けになり落とし物があったことを思い出した。小袋を開けて見てみるとデジタルカメラ。早速交番まで持って行く。生憎建て替え工事中で更地のまま。電話ボックスのような詰所は置いてあるが、中には電話も無ければ紙もペンも無い。結局其のまま置いて帰った。交番の割りに不案内だと思った。


6/8・金
 老家人通院の日。玄関先まで歩くことすら困難に。うーうーと思うように歩けないことに癇癪を起こしていたが致し方なし。老化の速度が加速している。本人も周りも付いて行けない程である。こりゃああと数か月だな。早く施設を見付けなくては。
大体晴れて昼は暑い。取り立てて無為。家人は咳風邪。夜に一雨。先日何処かの学会が南海トラフが動いたら大変なことになるという報告を出していた。直接的な被害も凄まじいが、生産手段の損壊より日本経済は長期にわたって停滞を余儀なくされると。其れは正しく国難だと。其処で映画「日本沈没」を少し見直しした。併し丹波哲郎扮する山本総理は立派だな。政治家としての凄みがある。対処法?日本海側への移住しかあるまい。少なくとも数百万人。そういえば国難突破などと馬鹿な事を言っていた首相も居たな。


6/7・木
 人手が足りないということで外国からの人材を新たに五十万人も受け入れる計画があるそうである。ある程度の日本語が出来て、而も五年勤めたら都合佳く本国に帰ってくれるような人がそんなに沢山集まるとも思えず。机上の求人広告だな。併しそもそもそんなに人が足りてないのだろうか。そりゃあ、若くて元気で安い給料で働いてくれるような人は不足するに決まっている。もっと給料を上げれば、みんな家の中から労働市場に出て来る筈である。おじさん、おばさん、おばあさんかもしれないが、巧くおだてれば十分な能力を発揮する筈である。
 駿河の銀行に新たな不正融資が発覚。中古物件一棟買いの際、入室率や家賃を改竄していたそう。空き部屋に偽のカーテンまで取り付けていたというから酷い話しである。未来の事は分からないから将来の予測を多少甘くするのは佳くある話だが、嘘の現状報告をするというのはもう一段悪質だな。併し家主になりたい人が大勢いるようだが、楽して儲かる仕事などない。毎日毎日草取りとゴミの分別が必要である。更に滞納者との交渉、設備故障への対応、修繕、雪掻き、雨垂れ、騒音トラブル・・・、そして税金。
 昼前には晴れた。早速二日分の草取り。来世は苗字も変わるような気がする。差し詰め、草刈か草取だな。続いて近所に介護施設が出来たので家人と内覧に行く。地域密着型特別養護老人ホームグループホーム+小規模多機能介護所が一つになっている。介護施設も区分が細かい。色色制度的な違いがあるのだろう。現在のところ一番可能性が高いのは三番目のところかな。併し居室にトイレは無し。新築の割りに設備不良である。入る頃には必要ないという事なのかなあ。どちらにしても老家人にはもう少し頑張って貰わなくては・・・。あと一年、いや二年。万代伯母のような高級施設(有料老人ホーム)に入るとなると吾人に御金が残らなくなるので。それにしても極めて多くの人が自宅で介護しているのである。御苦労な話しである。
 午睡の後、出社。取り立てて言うことも無い一日だが、中華立ち飲みに行くと女占い師が大変な怪気炎。此処まで絡むのは凡そ二年振りかな。元気なことは結構だが辟易とす。バーIに寄って耳直しして帰った。帰宅後録画してあったニュース番組を見る。二月に取材された晴雷亭が漸く出ていた。旦那を叱咤激励する毒舌妻の居るお店という設定。なかなか言い得て妙である。テレビ局と言うのは佳く纏めるものだと思った。


6/6・水
 朝から雨。関東も入梅。昼過ぎまで漫然とす。午後バス出社。すると向かいのお肉屋さんも愈愈廃業することに。此の所は認知症が出ていて満足に稼働できない状態が続いていた。本来ならそうなる前に辞めるべきだが、御子息等とは絶縁状態と言うことで辞め時を失っていたのである。結局民生委員の出番となっている。我我の前では円満な商売人だったが家庭では大変な暴君だったそうで、其れを聞いて少し驚いた。今では帰る家も無いというから気の毒極まりない。早く施設に入れて差し上げないと。退社後は立ち飲みBに軽く寄り11系統で帰宅。夜には大体止んでいた。
 日大の問題にそろそろ飽きる頃に、和歌山の資産家が変死するという事件が起こる。こうして何から何まで心太式に忘れて仕舞うのだろう。しかし78歳と結婚した22歳の若妻とはどういう人物なのだろう。両者ともに底知れぬ虚無を感じるのであるが。


6/5・火 
 文書改竄廃棄の全ての責任はふさふさの前国税庁長官、当時の理財局長にあると言うことになる。適当な内部処分で御仕舞。こんな決着、ふざけているよな。
 朝は冷凍のパスタ。昼は「さとう」でとんこつ醤油ラーメン(700円)。頼みもしないのに御飯が出て来たが大きな海苔で巻いて食べると案外旨かった。気分は学生さんである。他は断続的に草取り。午後固定資産税等の納付用紙が送られて来る。どういう訳だか昨年より少し安い。何故だろう。何しろ何枚もあるから、どの振り込み用紙がどの土地と建物なのか皆目わからないままである。そういえば昨年は幾らか還付されたような気がする。となると矢張り少し上がっているな。率にして2%半。生まれ変わったら税理士になりたいと思った。来世は色色と目標がある。まずは江戸時代からあるような公立高校に進み、体育会に入り、山に登り、大学では税務と医学を勉強して、風邪の研究者になるんだったっけ。今から勉強しないと間に合わないな。


6/4・月
 六・四でむし、蒸し麺を使うから本日は伊那ローメンの日と言うことだが、基本的にはあの日であろう。武力弾圧はやり過ぎだが、自由や権利よりも十億の民を飢えさせぬ方が先決と言うことで一党独裁を是認するような意見も当時あったように記憶している。あれから三十年近く。十分食べられるようになっても政治的には不自由なままである。此の先どういう落とし前が付くのだろう。日大問題は泥沼化の様相。教職員がもっと声を上げるべきだろうが、そう言えばタレント性のある教授って居ないよな。日大には。
 今日もかんかん照り。例によって老家人の送迎。デイサービスの四階まで直行させる。改めて見てみると確かに御婆さんばかり。こういうところに御爺さんが一人で行くのも消耗すると思った。行きたがらない訳である。つくづく長生きするのも楽ではない。特に男はね。
 午後出校。暑中千寿の街を少し歩く。相変わらず徳俵という店は行列中。凄い料理を立ち飲み価格で出してくれるらしいが、入れない店は既に店ではない。ところで近所に「掃部寮」というのがあった。文字通り何処かの寮なのだが、かもんと読む。宿場町の古い地名で元は律令時代の役職名。文字通りに宮中の清掃係だった。思わず古いものと出会って吃驚した。退社後は久久に「福しん」へ。久久の炒飯はやっぱりしっとりと旨かった。麦酒と白ワインを一杯ずつのほぼほぼ休肝。胃腸と肝臓を休める。


6/3・日
 町内会の古着回収の日。七号室から出ていた大量のファストファッションも供出す。東南アジアの人が一生懸命作った服である。茫茫燃やして仕舞うには忍びない。ところで今朝の朝日の俳壇歌壇欄は面白かった。ドクダミは十薬と書き六月の季語とのこと。日陰者のイメージだが、「この植物のたくましさや凛とした風情をよく描いている」句も多いと識者(角谷昌子)は語る。いやいや、拙宅を見てください。臭いもさることながら余りに生え過ぎて、清楚で凛とした十字の白花がうじゃうじゃ状態。此れだけ沢山あると何だか集団で見つめられているようで実に気持ちが悪い。其れでも確かに除草剤を使ってトータルに駆逐しようと思わないな(第一猫に悪い)。「痛みを引き受けることも選択の一つ」ということで、腰を屈めながら一本一本引き抜いている。
朝から電車を乗り継いで世田谷文学館へ。林芙美子展。此の人のことなど何も知らない。『放浪記』も読んでみようと思った。日記形式だから読みやすいだろう。併し館内はガラガラ。つい「ムットーニのからくり劇場」なんてのも見さされた。其の後は祖師谷の駅まで日陰を選んで歩く。緑も多く閑静な感じだが、毛細血管のような小径しかないから中中辿り着かない。行き止まりや巻き道が多くて閉口す。
昼になったので駅近くの「香氣」と言う店で麦酒休憩。坦坦付け麵。840円もする割りに量が少ない。概ね胡麻と山椒代だな。腹が一杯にならないのでついつい「箱根そば」にも寄る。此処は「もり」がなくて、「ざる」が390円。矢張りつゆが砂糖甘い。「小諸」のあっさり味の方が舌に合うと思った。
高架下の小田急の本屋で『介護民俗学という希望』。其のまま23系統の東急バスに乗る。日曜だというのに大混雑。前後の運転間隔、遊弋する自転車、乗り降りや信号とのテンポも全て悪く、バスはあっという間に数珠繋ぎののろのろ状態(特に東急の運転は丁寧過ぎて駄目である)。区内の移動はやはり自転車に限ると思った。でももう暑いな。二時前には帰着。一万三千歩。以後午睡。ドクダミ類とは一日の停戦。夜は唐揚げを買って来て、家人の冷やし中華(明星中華三昧使用)と合わせた。例によって食い過ぎた。そう言えば、本日の「貧乏コンチクショウ」展では食い物への記述が目立った。あれから百年近く。食べ物だけはあるよな。有り難いことではあるがね。


6/2・土
 米朝会談はやるみたい。水面下ではジャブの報酬が続いているようだが北側の機嫌を損ねない程度にして貰いたいものである。何しろ無条件降伏ではないので。また日本大学の理事長は相撲部出身とのこと。此の人も雲隠れ中。日大で体育会があれだけ優遇されるのは学生闘争を抑え込んだ功績からだそうである。あれから五十年、今度は体育会が元で第二の闘争が湧き起ころうとしている。
 朝から草取り、買い物、不動産屋。続いて老家人を床屋に搬送。前回から凡そ三ヶ月。一段と衰微した姿を見て、理容師のおばさんも心配していた。何しろ老化は日進月歩、先月まで出来たことが今月には出来なくなる。謂わば逆赤ちゃんだな。昼は上馬の蕎麦屋へ。初めての店である。セット物はなさそう。猛烈に腹が減っていたので、盛り蕎麦にフル規格の親子丼を付けたら1230円もした。少し高いし(昨日のスーパーのかつ丼など300円である)、付いてきた味噌汁が過剰。そもそも幾らなんでも食べ過ぎである。夕方も草取り。腰に悪いので鉄器を使う。
 夜は公共放送で「ミッシングワーカー」。初めて聞く用語だが、要は求職自体を諦めた無業者の事。親の介護をきっかけに無職になった中高年独身男性が多いよう。其れに元元引き籠もりの人、病気で動けなくなった人などを入れたら実に膨大な数に及ぶ(正直吾人もかなり危ない)。失業率などあっという間に二倍になるだろうな。働く意欲をなくした人が多いという扱いだが、仮に働いても精精最低賃金程度だから、みんな働きたがらないというのもあるだろう。何しろずっとデフレーションだからね(若くて元気な人が安く雇える)。しかし番組に出て来る人はみな冴えない表情。仮に賃金が少しでも社会と繋がる上では働かなくてはね。もう少し待遇を改善すれば、みんな家から這い出して来ると思うのだが・・・。


6/1・金
 朝からかんかん照り。但し湿度は低い。腰の痛みは半減す。昨日出来なかったことを今日やらなくてはならない。まず鎌倉への送金。月初めと言うことでATMは長蛇の列。御金を出したり入れたり振り込んだり通帳に記帳したり。先進国でこんなことをやっているのは日本くらいだと聞いている。大体パソコンから振り込んでも手数料が同じと言うのが解せないよな。
続いて新しいスーパーへ。併し過日食べて旨いと思った「酢豚弁当」も「若鶏竜田揚げ弁当(和風ソース)」も出来ていない。11時半まで三十分待ってもとうとう来なかった。イカリングのフライとか鯖の塩焼きとか枝豆のちぎり揚げなどは疾っくのとうに上がっているのに。大体朝から酒を飲む奴が居るだろうか(依存症である)。まずは昼の弁当を作るべきである。つくづく気が利かない店だと思った。
夕方ぼんやりしていると駐車場に自転車を止める人が居る。そう言えば訪問介護の事業所が借りたいという話があった。すっかり立ち消えたと思っていた。契約書は全く来てないが、いざ停めるとあらばまずは草を刈らねばならぬ。緊急出動。何をするにしても腰が丈夫でないといけない。夜は肉まんと牛焼肉。
 ところで芥田先生との旅行だが来月の第一週と決まる。早速全員に声を掛けたが、即座に全員に断られた。結局月波君との三人旅である。上意下達、有無も言わせない某アメフト部が羨ましくなるな。来世は体育会に入りたい。こうして六月はやや憂鬱な形で始まった。

2018年5月

5/31・木
 本日のノルマを果たそうと四十本まで引き抜いたところで腰を痛めた。大した草ではなかったが矢張り片手でやっては駄目である。ぎっくり何とかかな。魔女の一撃と言うほどではないが、小悪魔の一蹴と言った感じ。ドクダミの総反撃である。以後区間運休。
夕方這う這うの体で出社。腰に変なベクトルが掛かると痛いので上半身を一枚岩のように動かす。すると自転車も時速六キロしか出ない。御婆さんの電動車にも抜かれる。情けなや。張り薬に続いて飲み薬(ロキソニン)を呑んだから夜には多少改善す。いやしかし、腰が痛くなるというのも歳を取った証拠である。精神的な打撃も大きい。なお中学一年生は学校の課題で頭が一杯の模様。授業時間を削って完成させる。此れでは自習教室だと思った。まあ御役所(公立中学校)への提出物の処理に翻弄されるのは此の国の市民社会と同じであるがね。謂わば毎日確定申告をやっているようなものかな。併し久久の中学一年の担当である(而も女の子が多い)。まず大量に甘やかすことから始めようと思っている。何しろ某監督のように怒ってさえいればいいという立場にはない者なので。
退社後は碑文谷の王将へ。此処は炒飯が旨い。前回と同じ人が作った筈だが、併し微妙にパラッとし過ぎている。僅かな水分量の違いで印象が随分違う。最近はしっとり炒飯が人気である。何の関心も無いがワールドカップのメンバーも決まる。若手が居ないらしい。定年延長ジャパンだな。何しろあらゆる分野で上がつっかえているからね。こうして長い五月も終了す。


5/30・水
 朝からシロが見当たらず。何時も其の辺りで寝ているのだが。幾ら呼んでも出て来ない。草を取りゴミを拾いながら探すこと二時間。漸く何処からか這い出て来た。怪我等はないが少し様子が変。夜の内に何かあったのだろう。いやしかしあと一時間出て来なかったら非常災害対策本部を立ち上げる所であった。
 午睡の後、出社。入れ替わるように無責任社長が早退す。緊急の家族会議だそう。何でも娘さんが離縁するそうで・・・。従ってやや落ち着きのない子と取り残される。こういう場合は出鱈目な御話をするに限る。実は先生は南極に捨てられていて三才までペンギンに育てられたのだと。偶偶見つけた盥を舟にしてペンギンさんたちに引いて貰って極地を脱出、以後世界中を転転として漸く日本に辿り着いたのだと。何しろ鳥類には大変感謝しているので焼き豚は食べるが焼き鳥は絶対に食べないし、JRの駅でスイカのペンギンを見ると思わず「お母さん!」と言って仕舞う習性が抜けない。何時の日か魚肉ソーセージを山ほど担いで里帰りしたいと・・・。以下多数。案外素直に聞くから子どもと言うのは面白い。一方高学年帯は移動教室や修学旅行等で出席生徒少なし。立ち飲みBに寄って直ぐに帰った。夕方から小雨。復路は傘を差した。


5/29・火
 五月は長い。まだ平日が三日もある。昨日と同じような薄曇り。梅雨間近かと言った感じの温度と湿度。午前午後と断続的に草取り。結局人間の腕に軍手をはめたもの以上の道具は無し。只管引っこ抜く。石器時代並みの肉弾戦である。昼は環七で博多ラーメン。替え玉付けて800円。領収書も貰うべきだな。
 残った選手たちも声明文を出す。此れは第二の日大闘争となりそう。しっかし、監督がコーチをいびり、コーチは選手を殴る蹴る。(そして恐らく上級生が下級生を・・・。)もう言葉も無いね。茅ケ崎の交差点で九十歳の運転者が死亡事故を起こす。神奈川の県央部には神奈川中央交通という立派なバス会社があるから、何も無理して運転することはない筈である。ところで須見伯母も自動車を買い替えるそう。新車には新型の安全装置を付いている。伊那には伊那バスがあるが、何しろ一日一ケタである。


5/28・月
 まず老家人を車椅子搬送。歩いて行くと一日分のエネルギーを行きしなに使い果たし、デイサービスに耐えられなくなるということで、とうとうこういう事になった。最早其の程度の体力しか残っていないらしい。一日薄い晴れ。午後千寿。途中散髪し、駅ビルで『ラディカル・オーラル・ヒストリ―』を購入。退社後は久久の「大江戸」で六皿と二杯だけ。帰り掛け同書に目を通す。紙に書かれたものを元に立証していく歴史学とも、地元の古老の証言を書き留める人類学とも違う。敢えて言えば思想史に近い手法かもしれないと思った。
国会は一日中モリカケ問題。多くの識者が言っているように、行政官や政治家の中には正直なことを言う人が居ないものである。誤りを犯したことは取り返しがつかないとしても、せめて誠実に謝る人が居ればね。詰まり先述のアメフトの選手のような存在が居ないのである。加計学園はAとはそもそも会っていない、会っていたと嘘をついていたとの声明を出す。もう言葉も無い。


5/27・日
 誰も何の注目もしていないから書くけど日露会談終わる。秋田犬を上納しイチゴとウニを北方領土で育てることに合意したという。此の程度の事は役所の課長クラスが決めるようなことである。
何処かに行こうと思ったけど下腹部が不調。自宅に駐留し、草を抜き、梅を拾う。他は取り立てて無為。夜は昨日残りの鰆の蒲焼と碑文谷の焼き鳥。太子堂の巻き寿司付きで。御酒も控え目にした。


5/26・土
 昼は「青葉」で付け麵(780円)。カウンターの隣には極めて小さい女の子が。而も親はスマホに夢中でほったらかし。小鉢をべとべとにしながら一本一本食べている。吾人が給仕してやろうかと思った(但しやり方が分からない)。結局子の方は大半を遺棄して出て行った。此れだから男親は駄目である。終日まあまあの晴れ。草を数百本引っこ抜くも大して変わったようには見えず。今年の蚊は早くも凄い。
 夜になると二度目の南北会談の情報が。まあ韓国の大統領が何とかしてくれるだろう。そしたら間違いなくノーベル賞である。森の夫妻も保釈される。早速相変わらずの怪気炎。役所にしつこく絡みつき、補助金を散散騙し取り、Aの存在をちらつかせながら国有地の異様な値引きをさせ、結果として自殺者まで出したというのに好い気なものである。


5/25・金
 相変わらず日本のメディアは運動部騒動に掛かりっきり。まあ確かにあの大学の理事会というのはどう仕様もないね。あれではヤクザがつくったキャンパスでインテリに教えさせているようなものである。鳳生大学でも何回か古い理事や校友たちが問題を起こし、其の度に大学運営の近代化が進められてきた経緯があるが、此の大学はそういう機会がなかったのだろう。此の際、理事を全部入れ替えるぐらいの荒療治が出来るかどうか。何しろ日本で一番大きな大学なのだからしっかりして貰わないとね。また一夜明けた北の反応を見聞きするとまあまあ落ち着いている。何とかなるだろう。少し冷却期間を置くこと自体は悪くはない。
 さてさて本日は内政一本である。買い物は三便。一日にドクダミ等を最低五十本引き抜くという数値目標を立て直ちに実行す。三週間後には壊滅させることができる筈である。他は梅仕事。今年は裏年らしく収穫は少ない。庭猫の毛も梳く。また大病院での診察の結果、家人は花粉症の後遺症で目の周りがアトピー性皮膚炎のようなものを起こしているとのこと。態態偉い先生の診察を受けなくとも一目瞭然、当たり前だの何とやらであるが、吾人が幾ら言っても納得して貰えなかった。ステロイド軟膏を塗り込む以外に方法は無し。なお特別初診料は5000円!


5/24・木
 森を巡っては大量の文書が出て来る。結局嘘を取り繕う為に次から次へと新たな嘘が必要となり、それらの嘘と辻褄を合わせるために文書を改竄したり捨て去るという理屈である。そして最初の嘘こそ、Aの国会答弁である。当のAはロシアを訪問。またファーストネームを連呼してヘラヘラするのだろうが生憎相手にもされず。
 かんかん照りで蒸し暑い。朝は大根おろしライス。昼はレトルトカレー。午後出社。金参万円受け取る。退社後は中華とバーIへ。帰宅後暫らくすると、米朝会談は米側から中止を通告。所謂北朝鮮文学に苛立って仕舞ったよう。参ったな。まだチャンスはあるが此れで北が態度を硬化して核開発を再開するとなるとまた戦争騒ぎに逆戻りである。併し一番喜んでいるのはAと日本の外務省だろう。破談となれば今まで通り何にもしなくて済む訳だから。


5/23・水
 道路で炬燵をした京都の学生が逮捕される。警察が暇すぎても宜しくないな。そもそも嘘ばかりついているAを掴まえるべきである。午前中は薄曇り。今度は世田谷の草取り。御昼頃から弱い雨。久久のバス出社。目黒駅の定期券売り場でパンも売るようになっていて吃驚す。併し此のルートでの出社って、何時以来だろう。立ち飲みBに軽く寄り、11系統で帰宅。
夜、監督とコーチが会見。そんなことは言った言わないとの応酬となる。監督は其のまま入院したという。どちらにしてもこんなチームは解体した方がいい。怪我人と病人しか生まないのだから。帰宅後映画「イリジウム」。典型的なディストピア映画だがテンポが悪い。途中で離脱就寝。


5/22・火
 朝から税務署に電話を掛け事情を話す。何回かの遣り取りののち、追加の納付書は破棄し、修正申告書の送付のみ行うことで一件は落着す。いやいやしかし、そもそもどうして予定納税の所に変な数字を打ち込んだのだろう(分納の希望とでも勘違いしたのだろう)。下らない手間を増やして仕舞った。張り切ってやがて悲しき確定申告。
 試合中に狼藉を働いた運動部員が謝罪会見。まだ二十歳である。芸能人でもプロ選手でもない人の会見は異例。一方指示をしたとされる監督やコーチは雲隠れ。大人がどう仕様もないから若い人が苦労する。それにしても日本で一番大きな大学も丸で統治出来ていない。大き過ぎるのかな。
なお芥田先生が伊那に行ったら中沢臨川について見てみたいとおっしゃるので、現地の資料館に連絡を取る。収蔵品を見せることは出来るというが、事前に見学申請をして欲しいとのこと。先生をお連れしての大旅行である。早速日程の調整を始めることとす。暗くなり家でぼんやり飲んでいたら巡査がやって来て、近所の車が隣の空き家の塀を傷つけたという。見たところ全く分からない。大体バンパーがブロックを擦ったくらいで110番をされてもね。其れでも事故証明を出すには事故其の物の記録が必要なのだという。警察や自衛隊が暇なのは佳いことだろうが、何だか面倒臭い世の中になったものである。今日は公務員とよく話しをした日であった。中日は四十歳の投手が出て来て完封勝利。案外今年は行くかもしれない。士気が揚がっている。元大リーガーの効能である。中日が強いと政変が起きるなどとよく言われたものだからAも愈愈だな。


5/21・月
 朝から御粥を焚いて食べた。矢張り流動食に限る。早起きした序でに少しゴミを拾って歩く。近所の個別指導塾が閉店していた。フランチャイズ方式なのだろう。十年位続いたかな。何時見ても生徒がいなかった。併し五月に閉めるというのも無責任な話しだと思った。よろよろの老家人を送迎し、昼はオリジン弁当。午後千寿に出校。晩食は構内の「小諸そば」。信州とは何の関係も無い蕎麦屋だが、こういう機械打ちで蕎麦粉?割(多分逆二八蕎麦)の方が馴染めるな。
 どうやらAの虚偽答弁は確定しそう。愛媛県から新たな資料が出る。それにしても支持率が下げ止まるから不思議である。家に着くと税務署から手紙が来ていて修正申告を求められる。文書の解読に数時間も要したが、どうも意味も分からず予定納税していたことにしていたらしい。併し其の分の減額はせずに所得税は計算通りに支払っていたから追加納税の必要はなし。うーん、どう説明しようかな。確かに吾人の(初歩的な)間違いである。本日無酒。


5/20・日
 辛うじて宿酔は無し。パン食の後、ブルーベリー畑で作業していると猛烈に胃が痛くなる。今回の宿酔は時間差をつけてやって来た模様。以後悉く運休す。漸く午後遅くになり復旧す。農機具センターのような所で高枝切り鋏を購入して作業を再開。三メートルまで伸ばせるがメードインリパブリックオブチャイナの安物だから切れ味は鈍い。先っぽをのこ切りに換装して数本切ったところで時間切れとなった。伊那市駅近くのラーメン屋に少し寄り飯田線に。
 岡谷で18時51分発の「あずさ32号」に搭乗する。塩尻でお客様の荷物が挟まったとかで五分遅れてやって来た。そう言えば行きの13号も遅れていた。最早中央線がダイヤ通りに走ることが珍しい。32号は件の新型車両であるがぎっしり満席。座席指定も離れ離れとなる。殊に自由席は甲府で溢れ返った模様。車掌が後続の「かいじ」に乗ってくれと案内していたくらいだから。いやしかし、何時乗ってもよく混んでいる。増発するか二階建てにするかして欲しいものである。何だか少し消耗した。其のまま帰宅。
 暇なので暫し時間旅行を。本日の旅程は17時43分に伊那市を出て、新宿到着は21時06分(実際は数分遅れ)。此れを1976年の時刻表で行うと、伊那市を18時40分の「急行こまがね3号」で出発、辰野で「急行アルプス」に連結し、新宿には22時34分着。凡そ四十年で三十分の時間短縮である。但し当時とは運転本数が違う。「こまがね」は一日三本しかない。ちなみに「アルプス」にはビュフェがついている。


5/19・土
 未明にかなりの豪雨。以後空気が入れ替わりすっきりと晴れた。朝御飯の後、月波君と木曽の方に出る。御嶽山もくっきり見える。国道361号を行き、開田高原の先の「県宝山下家住宅」を表敬訪問。本当に立派な建物である。江戸期以来の名家だったらしいが家業と家運が没落、最後は御婆さん一人になったところで県に寄贈されたとのこと。元元木曽馬を育て獣医のようなこともやっていたのだが、時代の変化に飲み込まれたらしい。惜しいことである。うーん、中古車販売業かガソリンスタンドにでも転向すればよかったのかな。其れか犬猫専門病院、いや建物を生かすなら古民家蕎麦店だな。商売をするにしても子孫が続かなくてはね。
其の後近くの「たけみ」という店で蕎麦休憩。ちょっと先の長峰峠まで行って見たが、峠のお茶屋さんも廃業した模様。其のまま折り返して帰る。伊那に戻り再び低木刈り。夕飯前に温泉施設に。初めて行く隣の村の施設である。山登りのイベントがあったそうで結構混んでいる。中央アルプス経ヶ岳。当然登ったことは無し。何時か生まれ変わったら・・・。
夜は馬刺しと山菜の天麩羅。併し山荘の冷蔵庫は無責任の体系だから極めて良くない状態である。特に調味料の類が年単位で期限を過ぎている。買って来るのは容易だが問題は廃棄方法。チューブ入りの生姜や大蒜や山葵や塩麹などはどう捨てたらいいのか分からない(中身をコンポストに出して、容器を洗い、資源ごみ?――水資源の無駄だと思うけど)。結局スーパーのゴミ入れに放り込んだ(スイマセン)。此の件に関しては23区の方がいい。何しろ捨て放題、焼き放題だから。捨てないことには買って来られない。一方泥酔した月波君は芥田先生に電話を掛け、伊那にお見えになるように説得していた。困ったな、先生をお招きするならば細かな計画を立てなくてはならない。十時就寝。


5/18・金
 さてさて本日から伊那に行くことになっている。何だか蒸し暑い新宿駅で須見伯母と待ち合わせる。実に半年ぶりの旅行らしい旅行である。何だか切符の買い方も電車の乗り方も忘れて仕舞った感じ。色色と思い出しながら準備した。
11時発の「あずさ13号」に乗車。伊那には二時半ごろ到着。乗用車を受け取り山荘へ。早速の掃除と低木刈り。張った枝をつぎつぎと切り落とす。何しろ雑木はどんどん生えて来る。藪が向こうから攻めてくる感じである。見通しが悪いと獣と遭遇する危険が高まる。猪にでも襲われたら大変である。管理の悪い上下の別荘地の枝も払う。奮闘二時間。前線を多少押し戻した。夜遅くになって月波君もやって来る。今回は高速バスとタクシーを乗り継いで来た。もう二三杯飲んで納盃。ちなみに甲府辺りから鼻水と止まらず。季節は逆流す。抗ヒスタミンで抑えた。


5/17・木
 昨夜は飲んでも食べてはいなかった。当然腹が空く。朝からシュークリームと饂飩を連続させたら、すっかり胃の調子が悪くなる。午後まで運休。夕方前出社。今週の質問は六月の休日の無さ。確かに七月の海の日までは遠いよな。矢張り山の日は六月にすべきであった。国会の怠慢であると指摘した上で、カレンダーは遠くまで見ず、一週間単位で生活するようにと指導す。退社後は立ち飲みBで少し飲んで帰った。夜まで暑い。


5/16・水
 昨日以上に暑くなる。三宿の先の電鉄系高級スーパーが撤退した跡に新たなスーパーが出店したというので行って見る。環七の内側には珍しいストアチェーンである。平日の午前中だというのに大変な人の出。広い店内の割りには鮮魚コーナーは控え目。他店より一円でも高い場合は通報して下さいと言うことだが、其れは他店と同じものを売っていることの証左でもある。もっと生鮮品に力を入れて欲しいと思った。大体鯵や鯖には二つとして同じものはないのだから。混んだ店内を一回りして酢豚弁当を二つ買って帰った。そうそう惣菜類にも同じものはない。ちなみに此の店のレジ袋で御金を取るというのはいいが、現金払いを歓迎するというのは時代に逆行している。何だかマッチポンプな店であると思った。
 午後出社。中学生の一部にはもう定期試験がある。しかも国語では文法が40点も出るという。困ったことになった。大体吾人の国文法の知識など十代前半で停止している(従って古典は全く出来ません)。色色な教本や辞典やネットで調べる。補助動詞とは何かとか、「ない」の識別とか。二百字程度の課題文の解析に二時間も掛かった。いやしかしね、文法が分かったからと云って文章の理解が進むとは思えない。担当の先生の得意分野なのだろうがこういう下らない出題はつくづくやめて欲しいと思った。
 退社後は立ち飲みBへ。久久に鶴木さんと会う。御母堂が亡くなり北九州市に帰省していたとのこと。鶴木さんは既に六十過ぎだから、御母堂も九十過ぎである。翻って見れば吾人の家人は既に九十三と、八十二。此の先に猫も死に絶えて仕舞ったら、吾人は早晩一人ぼっちである。何だかつくづく悲しくなった。
こういう晩こそはとバーIに寄る。天屋先生と井満さんに紛れて若い女性が居た。少し格好を付けて其の子の為にと千円札を置いて帰った。帰宅後はシロを呼び付け散散捏ね繰り回す。長生きするのだぞと言い聞かせながら。


5/15・火
 今日も真夏のようなお天気。まず居間のエアコンの清掃。フィルター掃除機能があっても埃がべっとりである。何しろ稼働時間が長いからな。続いてスーパーの裏に出来たと言う中華食堂へ参る。駐車場の地下にあった。此処は気付かない。隠れ家というより防空壕である。日替わりランチ500円。中から火事が起きたら助からない感じだが幸い消防署が近いから直ぐに助けてくれるだろう。今後行くことが増えるかもしれない。ただ舌の根に口内炎が出来て何だか咀嚼困難。家人は大洗濯。吾人も買い物と雑用。老家人と猫だけは昏昏と寝ている。猫はまだ若いんだけどね。ガザ地区は血で染まる。ノーベル賞?ちゃんちゃら可笑しいな。


5/14・月
 朝から晴れた。詰まった樋の掃除から。脚立を伸ばし梯子化して上がると松の葉がぎっしりと。続いて歩行時速一キロ以下の老家人をデイサービスに送り届ける。御昼過ぎに迎えに行く。復路は車椅子搬送である。シエスタの後に千寿に出校。退社後は町屋のBに回航。月波君と軽く会う。軽い打ち合わせ。D店長がどんどん御つまみを出すからあっという間にお腹が一杯となり大して飲めなかった。並びのラーメン屋で締めて御仕舞。帰宅は十一時過ぎ。
米朝会談はシンガポールに決まる。其の帰りの足でT氏は日本に寄るらしい。恐らく残念なお知らせをするのだろう。新潟市で小学生が遭難した事件も犯人が見つかる。小学生低学年を送り迎え無しで学校に遣るのは日本ぐらいだと聞いたことがある。併し夫婦共稼ぎの核家族では無理だよなぁ。今回の事件は近所の若い男らしい。以前は見守り当番みたいな人が事件を起こしたことも。仮に送迎をしたとしても事件を防ぐことはつくづく難しい。世の中とんでもない人が多いから。


5/13・日
 雨が降るというので午前中から買い物と刈った草木の袋詰め。午後は確かに大雨となる。元大リーガーは敵地東京に乗り込むも滅多打ちに。足の調子も悪そう。六時開始の試合で七時には組織的な抵抗が終了す。富山の鰆を蒲焼風にして勃牙利の白ワイン(一本千円)を呑みながら見ていたから直ぐに切り上げたけど、態態お金を払って見に行った人は気の毒だと思った。夜半までには止む。
 英吉利に白熊の原発を、土耳古に海狸の原発を売り込む計画があるそうだが、同業他社殿は大清快の失敗を見ていないのかね。政府保証を付ける付けないで揉めているらしいが東芝もそうした政商になったが故に損切りが出来ずとうとうああいうことになったのである。


5/12・土
 結局宿酔。収まった後は断続的に草取り。今年は既に壊滅的な伸び具合である。他はゴミ拾いとゴミの分別。殊に二階の七号室からは大量の食品廃棄物が。野菜類はコンポストに入れた。都会の年寄りもやることはあるのだけどね。結局意欲の問題だな。昼は高遠の絵島蕎麦。夜は環七の鰹と鯵と唐揚げ。御酒も控え目にす。取り立てて無為。


5/11・金
 四日ぶりに朝からきちんと晴れた。老家人は通院に続いてケアマネージャーの訪問を受ける。介護保険の改定評定である。何だか少し張り切っていたようだけど二階級特進して要介護入りだな。結果はひと月後。それにしても台風シーズン等になると田んぼの様子を見に行ったお爺さんが帰ってこないなどという事態がしばしば発生するが、最後の最期まで立派な物だと思う。警察と消防には迷惑を掛けて仕舞うことにはなるが介護職員の世話にはならなかった。やることが沢山ある年寄りは幸福である。


5/10・木
 記憶が戻った元首相秘書官が国会に呼ばれる。其れ以上は何も無し。見る気もしないから何も知らない。こんなことをやる為に国会が二週間も空転していたのである。
 朝から曇り。北側の側溝の掃除。何時の間にか砂と泥が溜まり草まで生えているから不思議である。お昼頃に寒気が入り発雷。少し降った。以後急速に晴れる。午後出社。何だか中学一年生は質問攻めにしてくる。而も余り関係のないことを。反抗期の一種だな。給食の味の薄さから宇宙と生命の始まりまでクイズ王になった積りで一つ一つ答えて行く。こういう場合は器の違いを見せなくてはならないが、何しろ吾人の頭も劣化してきているから大変である。
退社後は中華立ち飲みで延延と。此の店も料理人が変わり最近は中華色が濃い。厚揚げ焼きなどの一般的なメニューがなくなって仕舞った。実を言うと八角コリアンダーも苦手である。結局腹が減ったので碑文谷の「福徳」で「マー油とんこつ」(730円)。凝った作りのスープだがプリプリの中太麺と合っていない気がした。


5/9・水
 午前中まで大雨。而も寒い。家人の花粉症未だ治らず。眼の周りをパンパンに腫らしている。何か別の要因を探るべきだな。Tさんはイランとの核合意は破棄するという。ユーラシア大陸の東と西で正反対の方向に。尤もあちら側には西欧諸国がいる。英仏独で何とかして欲しいものである。特にドイツのおばさんに。
 午後出社。気候のせいか何時まで経っても眠気が取れず。チラシ入りクリアーファイルを配って歩いてもまだ眠い。退社後は一人で立ち飲みBへ。途中から市ヶ谷さんが現れ何とかなった。


5/8・火
 本日も梅雨のような感じ。但し気温は低いから、梅雨寒むである。昼は環七「福森」で中華そば(720円)。昨日の今日なだけに普段以上に旨く感じ、ついつい汁まで浚った。旨い物の有り難みが分かるのも不味い物の御蔭かもしれない。それにしてもラーメンには700円ぐらいは出さなくてはね。全国民が旨いラーメンを食べられるよう国民経済を成長させなくてはならないとも思った。
少し前に五輪開催期間中は大変な混雑になると何処かの大学の先生が予測していた。五十年前とは都市への集中度と大会の規模自体が違う。大きな競技と通勤ラッシュが重なると電車は各所で動けなくなるとのこと。平時ですら押し寄せる乗客を満足に捌けない脆弱な交通インフラである。不慣れな観客が殺到したらどれ程の混乱が起こるのだろう。会社も役所も全部休みにして仕舞う訳にはいかないだろうか。期間中は世田谷から一歩も出ない所存だから吾人の人生には何も関わらないだろうけど。夜は大雨。
北の指導者は大連を訪問したらしい。其の際は航空機を利用したとのこと。映像を見ると博物館にあるような飛行機であった。ソ連の飛行機には詳しくないが、ディーゼルカーならキハ58、電車なら東急7000系アッカンベーの同期だな。幾ら頑丈に造ってあるとは言っても古いものは危ない。心配で心配でそんなに遠くの空まで行けないのだと思った。


5/7・月
 連休終了に合わせたかのように雨模様。午後出社。相変わらず此方の生徒は反応が薄い。一年中五月病らしく元気がないな。丸で口を開いたら損をするという感じ。退社後は町屋のBを覗くもDオーナーは不在。そんなに飲む気がある訳でもないので近くの穂高屋に入る。店内は満席ではないが、酔っ払いと腹を空かせた人とそれらの人人が吐き出した紫煙が充填中。相変わらず殺伐としている。給仕係りも息つく間もない。牛丼屋よりオペレーションが複雑だからね。併しこういう所で働く人も大変だな。日本の印象が悪くならないといいが。麦酒と日本酒を飲み、パラッとはしているが何だか味の無い炒飯を食べて帰る(1390円)。此のチェーンはもっと値上げをして味とサービスを上げた方がいい。デフレ経済からの脱却に貢献してくれたと日銀総裁にも褒められる筈だし。


5/6・日
いやしかし、例え国が滅んだとしても、お百姓さんが作物を育て、流通業者が其れらを運び、交通警察官が違反車を取り締まれば、世の中の相当な部分は回っていく筈である。何も困ることはない。徴税や徴兵が弱まるのだから却って暮らしやすくなるという側面もあるだろう。「国家(機構)の没落が不思議にも明るさを含んでいる」(藤田省三)のである。ただロシアという所には国家はあっても社会がなかった。だからソ連という国家機構が崩壊した時、未曾有の混乱状態に陥って仕舞ったのである。そして其のトラウマがあのような指導者を生むに至る。反政権デモでは千人からが拘束されたという。愈愈四期目だそうである。
連休最終日。晴れ続けて午後は強風。買い物以外の外出は無し。苦手な理科の予習をユーチューブで。便利な世の中には成ったが、こういう映像で勝手に勉強されると学習塾も飯の食い上げである。ただ画面の中の先生は無駄な話しをしてくれない。知識は増えるのだろうが知性というか教養というものに触れるのには矢張り生の講義が必要であると思った。
夜はゴーヤチャンプルー。ゴーヤは何処でも手に入るようになったが問題は豆腐だな。島豆腐が売っていない。其処でまあまあの木綿豆腐を数時間掛けて脱水したがまだまだ密度が足りなかった。薄い豆腐が多すぎる。豆腐業界も大豆の含有量を示すように基準を改めると聞いたけど、早くそうして貰いたい。日本酒は其れで良くなったのだし。


5/5・土
 終日晴れ。連休もあと僅か。偶には土偶君を尋ねようと思った。彼は町田に住んでいる高校の同窓である。となると少し時間旅行をしたい。橙隠学園に行って見よう。十時過ぎの田園都市線に乗り、市が尾で下車。思い出の駅前だが、高校生当時は寄り道も買い食いも居酒屋巡りもしていないから見るべき店も無く。先ず「魁力屋」で麦酒休憩。最近勢いがある京都ラーメンチェーンである。色色と御つまみ類があるのは有り難いが、肝心のラーメンはたれが甘めで味も足りない。背脂系としては「花月」の方が舌に合っていると思った。
 さてさて給油も済んだので此処から橙隠学園まで歩こうと思う。横浜上麻生道路をてくてくと参る。しばしば渋滞した此の道路も今は立派な新道が出来ている。勿論吾人は旧道を行く。此のくねくね道を超満員のバスで毎日毎日往来したものである(今では信じられない)。駅から少し離れると畑と本家と家作が点在。昔のままとは言わないが大した開発がされていない。何しろ最近は都心回帰だからね。三十分ほどで到着す。
 此の学園は所謂オープンキャンパス方式なので塀や仕切りがない(従って良く抜け出したものである)。校舎間近かまでズカズカ行って観察す。バスロータリー横の旧第六食堂は健在だったが、建物は解体と増築を繰り返しているからもう何処が何処だかよくわからず。三年次に通った「進学棟」という凡庸な名前の校舎はある筈なのだが。色色な思いもあるが現実の風景と重ならないから感動も少なめ。卒業からもう四半世紀である。其れにそもそも高等学校としては大き過ぎたし、先生の入れ替えも激しかった。どうしても人間関係が希薄になるから元元の思い出も少ないのかもしれない。それにしても橙隠学園グループは大学から博物館まで次次と建て増ししている。こんなに建てて経営は大丈夫なのだろうか。人口ボーナスで儲けた学校法人は軒並み苦しくなっていると聞いたことがある。
 さてさてとりつく島も建物も無かった時間旅行はここら辺で終了。がらがらの小田急バスで柿生へ。相変わらず駅前はぐちゃぐちゃ。此れは鉄道会社の違いというより横浜市川崎市の整理能力の違いだな。続いて町田に移動。土偶君と会う。実に二年ぶりだが概して元気そう。暢気に生活している人は老化しないな。まず立ち飲みBへ。立ち草臥れたので「キリンシティー」へ避難。色色と思い出話をす。彼はあんまり酒が強くない。都合三時間ほど過ごしてお開きとなった。
復路は新装相成った小田急線で。快速急行で一気に下北沢を目指す。川崎側は相変わらずの地上線で少しもぱっとしない。都内の複複線区間も何だかもたもたす。此れでも改正前より少しは速いのかな。乗ったのがサハだったからか実感は乏しい。地下駅からのろのろと這い出してバスに乗り換え。太子堂で下車。「魚孝」で刺身、「西友」で五目あんかけ焼きそばを買い、両家人と猫に供す。一万七千歩。


5/4・金
 辛うじて宿酔は無し。朝から富士蕎麦でラーメン。終日かんかん照り。但し空気も乾いて結構爽やか。買い物は二便。昼はオリジン弁当。夜は東急ストアー。
イチローさんは事実上の引退。而も不可思議な役職を与えられて大リーグに残ることに。中日に来ないのかな。名古屋に来ればあと五年はグラウンドに立てるのに。割と頑固なタイプだから、人間万事塞翁が馬という感じにはならないのだろう。


5/3・木
 朝方は本当の嵐。以後回復す。何だか夏の陽気。午後外出す。日比谷で御酒を飲むことになっている。まず目黒通りまでたっぷり歩く。郵便局前から98系統に乗車。此のバスは世田谷の等々力から東京駅まで行く。以前は都営と交互運転だったが何時の間にか東急の単独運行となっている。目黒駅を越え、堂堂と山手線の中まで入って行く不思議な路線。戦後復興期の通勤急行バスの名残りだと何かの本で読んだ記憶がある。東急としても手放したくないのだろう。何しろ社名が東京急行だからね。
日比谷の公園も大変な人の出。予約してあった「サロー」というビアレストランに入る。参加者は鷺乃間君、坪上君、そして月波君。本来ならば社崎君も誘う筈だが、何しろ彼は固定電話しか持ってない。葉書を書くか、直撃電話を掛けよう掛けようと思っている内にとうとう当日になって仕舞った。今時メールもラインも出来ないというのは周りに迷惑を掛けて仕舞うし、本人の世間も狭くすると思った。
店はビアガーデン風の造り。風が少し強かったが、外で飲むと気持ちがいい季節である。音楽堂ではロックコンサート。詰まりBGMも生演奏。飲み放題にしたから元を取ろうと散散の大量飲酒。続いて新橋に移動。何だか意識混濁、言語不明。人事不省になる前に吾人は自動帰巣装置が働いて途中退席。銀座線が工事で運休しているので都バスで渋谷に出て帰った。


5/2・水
 朝から蒸し暑い。此れから五月の嵐だという。後先考えずに午後自転車出社。行って見ると教室が絨毯敷きになっていた。休み中、知り合いの内装屋さんに頼んでいたらしい(多分相当安く)。早速小さな子らが寝っ転がっていた。となると掃除が問題である。箒と塵取りでは仕事にならない。直ちに掃除機を買いに行く。店頭処分品を購入し以後轟轟と掛けた。いやしかし、やっていることは家でも職場でもまるっきり同じである。退社後は佐渡屋に。おじさんたちのボトルを飲んだ御蔭で千円で済んだ。多少降られて帰る。
 帰宅後「銀英伝」。主人公一行が国家主義者らに襲撃される回である。まあまあ再現されていて良かった。というのも此の三十年で世の中がすっかり右に折れて仕舞ったから、此の下りがカットされるのではなかろうかと密かに少少心配していた。また某一流芸能人はアルコール依存症らしい。併しアルコールと強制猥褻行為は一旦別に考える必要がある。酔ったからと云って女学生を押し倒すとは限らないからね。


5/1・火
 谷間の平日。元元火曜不出社。来年は三日あるが全部休みにして仕舞うそう。でも法案が成立していない。国会が空転しているからかな。また新元号は直前に発表されるのだという。カレンダー屋さんと手帳屋さんは気が気でないな。あと一年である。異様に暑く七月の陽気だという。取り立てて無為。昼はうどん、夜は冷凍の餃子。
 

2018年4月

4/30・月
 朝からインスタントラーメンを作って食べた。正にブレークファストといった感じ。凡そ18時間ぶりの固形物である。朝はパンを食べる人が多いのだろうが、パンを食うとどうにも胸焼けして仕舞う。時に牛丼も食べられるのに不便なものである。従ってパン食するなら午後以降と決めている。昼はココ一番のカレー。大抵フライドチキンカレーの二辛を頼む。此の可もなく不可もなくトッピングで食べさせる凡庸なカレーが偶に欲しくなる。
 連日晴れて暑い。振り替え休日の為、千寿も休校。須見伯母が来たので庭木の剪定。暑くて幾らも捗らず。真面な物を食べていないというので買い物は三便。併し材料はあっても家人の料理能力の低下に伴い大した物が作れない。在庫管理能力も低下し、馬鈴薯などは芽が出ている。全てコンポストに放り込んだ。夜になり風が止むと途端にドブ臭い。あちこちで滞留しているのだろう。
ところで三度目の買い物の帰りに追い掛けて来た巡査によると、吾人の自転車の後輪が揺れているとのこと。確かに特定の速度だと左右にぶれる感じがする。見た目でも分かるのだね。もう三十年も乗っている自転車だからな。大体自転車で三十歳となると鉄道車両だと五十歳くらいである。ネットで調べるとスポークの緩みらしい。こりゃあ、素人には直せん。何しろ吾人の工作能力など旧石器時代以前だから。元大リーガー=松坂投手の活躍で中日は五連敗を阻止。名古屋のドームは今季一番の入りだったらしい。こうして四月も終了す。


4/29・日
 やはりどうしても食べたくなり月波君を呼び出して地元の韓国料理屋に参る。一人前1500円のサムギョプサルは二人前からの注文。二人で二人前を頼んだら喰い切れないくらい出て来て困った。その他前菜類も合わせて少しずつ食べながら何とか冷麺まで辿り着く。二時間掛かり(7500円)。多少残ったが、中韓は完食文化ではないので此れぐらいは許して貰えるだろう。肝臓より先に胃が一杯になって仕舞い幾らも呑めず。少し散歩してコーヒー休憩の後に解散。本日は此の昼の一食のみ。両家人は今晩もコンビニ食。高齢化に伴いコンビニが繁盛する訳である。
 ちなみに店内は結構混んでいた。南北会談効果かもしれない。併し拉致問題が「進展」するとも思えず。其の時、日本国政府は不都合な事実を改めて受け入れ、世人を納得させることが出来るだろうか。何しろ煽り立てたのが当のAなのだから、御自分が炎上させた世論を御自身で鎮静化させて貰いたいものである。其の前に辞めちゃうかな。ちなみにまだ先方には「日本人妻」カードがあるがインパクトは小さいな。兎に角、行き来が出来なくなって困っている人を早く何とかすべきである。となるとTさんに国内の説得係りを頼むかもしれない。何時もと同じの外圧頼みである。


4/28・土
 昨日のどさくさに紛れる形で日銀は物価上昇目標を取り下げた。まあ、仕方がないな。総裁、ホテル代とラーメン代はどんどん上がっていますから気を落とさないようにして下さい。
 さてさて大型連休だが何の予定も約束もない。老家人の状態が悪化しているので伊那にも行けない。朝から家人が五月蝿いので強制外出。東急バス一日券で区の内外を巡る。まず自由が丘へ。古本屋が二軒とも面変わりしていて驚く。「結心」という店で付け麵(800円)。魚介と鶏の合わせ出汁を自前で取っている模様。人気店のようだが今となっては標準的な味。味の進化は怖ろしいほどである。付け麵は太麺だが割り箸が貧弱過ぎて上手く掴めず。隣の学生さんが啜っているラーメンの方が旨そうだった。此方は細麺。田園調布を経由して千歳船橋へ回航。チトフナは伯母の入居施設があったのでよく行った街。あれからもう二年。次は老家人の番である。もう少し回りたかったが暑さと紫外線で断念。午後には帰宅。
こうして外を歩いていて気付くのだが御酒の買い取り店が方方で増えている。いやしかし、下戸の人が何かの間違いで御酒を手に入れたとしても、態態に売りに行くというのが可笑しいと思った。通常は誰かに贈与するだろう。酒飲みの親類縁者、知人友人、はたまた出入りの職人さんとかに。そういう人が身の回りに一人も居ないのかね。其処まで人間関係が貧しくなっているのかな。最近の日本人は。今日の夜もコンビニ飯。吾人が積極的な買い物に行かない限り、真面な物が給仕されなくなって来ている。家人の能力低下も著しい。布団の外干しを強行したらくしゃみ止まらず。久久の抗ヒスタミン


4/27・金
 薄曇り。午前中から南北首脳会談。日本のテレビ局も生中継す。緑も映える時季だし、いい画である。素直にそう思った。こういう映像は御酒を飲みながら見たいとも思った。当然プルコギ、ビビンバ、冷麺付きで。あの豚バラの焼肉も旨よな。残念ながら構ってくれそうな行きつけの店がない。併し北の指導者は大きいな。態態大増量して恰幅を良くしていたのかもしれない。此の日の為に。それにしてもこういう雪解けは一年早くても良かった。昨年のミサイル騒動は何だったのか。何れ納得のいく説明者が現れることを願っている。
 川崎の叔父さんが来たので近所の洋食店で昼餐会。家の近くでは滅多に外食しないから初めての店である。家人持ちなので2500円のコースを注文す。空豆の冷製スープと鰈に掛かっていたバターソースは旨かったが他は居酒屋料理と大差なく。アルコールも高い。やっぱりコリアン料理屋に行きたかった。夜はコンビニの冷やし中華。本当は冷麺が食べたかった。


4/26・木
 残った野党が合同して国民民主党が出来るという。何処も彼処も民主党ばかりだから略称は国民党だな。序でに国共合作? 其れはないな。下らないこと夥しいが選挙戦略上は避けられない。いっそ困民党はどうだろう。すっきり晴れる。眩しいほど。午後出社。立ち飲みBとIに寄って帰る。


4/25・水
 午前中は大雨。昼からは徐徐に晴れた。午後出社。退社後は誰も掴まらず。バーIも閉じているので其のまま帰った。早く帰り着いたのでBSでやっていた「プーチンの復讐・前編」。アメリカ製の番組なので相当割り引く必要はあるだろうが、五割引きにしたとしても少少救いがない内容。尤もロシアがああいう国になったのはプーチン氏の人格にも問題があるのだろうが、民衆の要請があったという側面も否定しがたい。ソ連崩壊後のロシアが酷過ぎた。其のトラウマがあのような指導者を待望するようになったのである。一応選挙制度があった以上、独裁者は単独では成立しえないからね。何はともあれロシアはもう取り返しがつかない所まで行って(行って)仕舞った。こりゃあ第二の冷戦は不可避だな。ヘラヘラ近づいて行くAなども少しは見た方がいい。日本で恐露病が出ないのがつくづく不思議である。


4/24・火
 朝から曇り。今季初めての本格的な低木刈りと草取り。暖かいから伸びも速い。刈り込み鋏を久久に手にしたが少しの作業で手が震えて困った。随分体が鈍っていた。また草木との闘いの日日である。
午後介護ベッドが届く。介護保険対象外とのことでレンタル料月千円。電動式でよく出来ている。寝た切り防止の為に自動起床装置機能も付けて欲しいと思った。併し老家人にとっては少少ショックなのだろう。便利にはなるが、可成り不機嫌であった。夕方から小雨。


4/23・月
 空気が入れ替わり平年並みに戻る。此の気候が昨日欲しかった。デイサービスに行っている間に、老家人の部屋を片付ける。愈愈明日介護ベッドが入る。布団生活も今夜が最後の見込み。
 午後千寿に出校。途中神保町の三省堂で検定教科書と『現代文読解基礎ドリル』(駿台文庫)を購入。後者は中学生の授業で補助的に使おうと思う。大学入試用なのだが短文中心なので初学者にも使いやすい。というのも普段使っている『マイクリア』(教育開発出版)に出て来る文章が余りに詰まらないからである。読解力養成の鍵の半分は佳い問題文に出合うかに掛かっている。毒にも薬にもならないことを平気で書いてある文章には魅力がない。出版社の名誉の為に言うが此れは編集の問題ではないのだろう。同じ教育開発でも『新小学問題集・中学入試編』は結構面白い。恐らく『マイクリ』は公立高校の入試問題を採録し、『新小問』は私立中学の其れを載せているからであろう。評論ならば公平中立不偏不党無味無臭、小説ならば家庭円満進路明確順風満帆な問題文を採用せざる得ない都道府県立高校入試のものは総じて詰まらなくなるのである。退社後は町屋のBに回航。D店長指揮の下、二千円ほど使って帰る。


4/22・日
 昨日以上の暑さとなるも大学野球観戦の予定が入っているので九時過ぎのバスに乗り渋谷駅へ。此処から神宮球場まで軽く歩く。参加者は月波君と客乃間。十時半開始の立教戦。まだ四月だというのに異様なかんかん照りで風も無い。軽く三十度。遮光されている二階席でも十分暑い。試合は何となく決め手に欠き、五対五で漸く終了。早速アルコール昼食の番である。
表参道に古くて安くて年中無休の蕎麦屋があるというので行って見る。何時まで経っても見つからない。何と既に更地になっていた。見つからない訳である。情報が古い。併し休日の表参道など人人人で溢れ返っている。地元から僅か三駅離れただけだが、歩いている人も並んでいる店も丸で勝手が違うシャレオツタウン。従って入り込む余地も隙間も無し。困ったことになった。今更転進も撤退も出来ない。結局適当な中華屋に緊急避難す。其れ以上の死の行進は避けられたが、ランチはメニューも少なく、冷たい麺類も出来ないという。ビール+冷奴+板わさ+天麩羅盛り合わせ+冷酒+もり蕎麦+調子が良ければ親子丼かかつ丼の予定が、かた焼きそばとチンジャオロース飯に交代となっては飲酒も捗らず。半時間ほどで御開きとなる。いやしかし、商売を止める時は官報か何かできちんと告知をして欲しいものである。
メトロで一駅移動し吾人は晩食の買い出し。最早地下食品街などをうろつく元気もない。こういう時は一目散に崎陽軒である。三時過ぎに這う這うの体で帰着。丸で散散な内容であった。こんな日は家で猫でも弄りながら職業野球でも見ている方が佳かった(中日は三連勝)。もう半年先まで不要不急の外出は避けようと思う。夜は何度も上厠す。麦酒の飲み過ぎである。
公共放送は連日の北朝鮮特集。併し資金調達がどうしたこうしたとか、核開発はああしてこうしたとか、まだまだ不穏な動きがあるとか。企画立案は昨年だろうから内容は既に周回遅れ。何だか古新聞を読むかのよう。其れぐらいドラスティックな変化が今起きているのである。結局核ミサイル開発は国内の体制固めの為だったのだろう。余りに緊張が高まり過ぎて慌てて方針転換を図ったといった所か。アメリカとの関係改善はずっと前から考えていた既定路線でもあるから乗り換えも早いのである。そう考えると南のPさんが一年早く居なくなってくれて本当によかった。此れは世界にとっても僥倖である。序でにAも居なくなれば日朝交渉も少しは進むだろう。


4/21・土
 朝から夏のようなお天気。鶴木さんに川崎アジアンフェスタに行かないかと誘われていたが、両家人の体調不良を理由に不参加。尤も行かない理由の大部分は此の天候である。既に眼も眩むほどの紫外線。もう九月まで出歩けないと思った。
と言うことで近所を少しずつ回る。まずスーパーへ。続いて古本チェーンで『革新幻想の戦後史』。序でに唐揚げ屋の隣の隣の燕の帰巣を確認す。帰って来てくれて本当に良かった。此れで本年中の日本沈没はなさそうである。其の足で「誠屋」のラーメン。復路で家人向けに弁当を買いたかったが、「ほっともっと」という店は取り付け騒ぎのような長蛇の列。此のチェーンは作り置きをしないから昼時は何時もこうなる。超売れ筋商品だけでも昼前に作って並べておいて欲しいと思った。大体昼飯というのはみんな待てないだろう。結局コンビニ弁当。夕方環七の魚屋で鰹と鯛の刺身。
アメリカから戻ったAは桜を見る会。此方は帰って来なくていいのにね。膿を出し切るとか言っていたけど身から出た錆の間違いであろう。何度も言うが一刻も早く居なくなって欲しい。夜は映画「ミスト」。舞台は怪物に取り囲まれたスーパーマーケット。典型的なアメリカンパニックホラーである。終末論を唱える変なおばさんが出て来るところとか、「見るべき程の事をばみつ」といった悲観論が最後の最後で否定されているところとか。何だか妙に感心す。やはりボロボロなっていても浮いていることが大事である。勿論Aの事ではない。


4/20・金
 今日もかんかん照り。既に初夏以上のお天気。四月から此の陽気だから今年の夏が心配である。近所の惣菜ベーカリーも来月で閉店とのこと。フィッシュフライバーガーが旨かった。寄る年波には勝てないと張り紙がしてあった。困ったな、昼食の選択肢がまた減った。数軒先のアパートも建て替えが決まる。此方は拙宅より新しい物件。寄る住販会社の営業を断り切れなかったか。ところでインチキシェアハウスに大量に貸し込んでいたのは沼津の金融機関だという。つい先日まで融資が巧い早いと持て囃されていた地方銀行である。実態はこんなものであった。花粉症対策でずっと干してなかった羽毛布団をせめて室内で陽に当てる。此の所、濡れ煎餅のようになって仕舞って困っている。
金曜不出社。今年度は月水木の週三便体制と決まる。となると老人介護である。老家人の体重が半年で数キロも減少す。こうなったら意地でも食べさせるしかない。寝ているところを叩き起こしてスーパーのケーキを食べさせた。晩は一日遅れで赤飯を炊いたが茶碗半分も食べず。夜は映画「海と毒薬」。原作を照らしながら鑑賞す。いやしかし、結核を手術で治そうとした時代があったのだね。今から見ると丸で古代の医療施術だと思った。此の間、医学は超高速で進歩したが人間の方は・・・、という月並みな問いしか思いつかず。


4/19・木
 朝からかんかん照り。新潟の知事も女性問題で辞任。素晴らしい経歴の持ち主らしいが、自民と維新で国政に挑戦して落選し、原発慎重派の支持を受けて首長に当選していた。政治経歴から考えてみると、少し節操がない人かなあ。老家人は九十何回目かの誕生日。何にも目出度くない。愈愈布団からの寝起きが厳しくなってきたので、介護ベッドのレンタルをしようという段階である。
 連日のニュースの映像を見ていると何処かで見たことがある街並み。件の次官殿はどうにも拙宅の比較的近所に住まわれているらしい。出社の序でに見て行こうと思った。区境を越えて当りを付けて行くと報道関係者が立っていたから直ぐに分かった。併し若い男の記者が二人。前夜までの大騒ぎが嘘のよう。見たところ瀟洒ではあるが豪邸という程ではなし。高級官僚とは言っても公務員だからね。此の辺の人ではないらしいから土地を買って建物も建てたのだろう。今回の件で退職金が減らされたり天下りが出来なくなったりしたら返済計画も狂うと思った。それにしても長い長い官僚人生の最後の一週間は余りに劇的であった。其れを蝉の一生に譬うべきか。退社後は立ち飲みBへ。ほんの二三杯を飲んで帰った。


4/18・水
 誰も何の期待もしていないが日米首脳会談。こうして紙幅を割く価値も無し。昼過ぎまでたっぷり降った。午後出社。金弐万円受け取る。家人が風邪を引いたというので其のまま帰宅。朝は冷凍うどん、昼は納豆ライス、夜は持ち帰りの世界的ハンバーガー。麦酒と合わせると結構旨い。幸い家人は軽症の模様。
 早く帰ったので映画「アポロ18」。月の石にはエイリアンが潜んでいたというドキュメンタリー調のスペースホラー。低予算で雑な造りだが結構ヒットしたのかな。飛行士たちが「大統領だって嘘をつく」と発言した下りが気になった。ウォーターゲート事件のことを言っているのだろう。陰謀論の始まりである。逆に言えば、其の頃まで政治家連中が信用されていたのだから却って驚く。日本は? 軍部と政府にこっぴどく騙されたから、ずうっと前から元元信用されていない。件の次官は結局辞任。


4/17・火
 いやしかしね、次官の件は同性としてうかうかと馬鹿に出来ないと思い直した。上司、上官、上役と名の付く者は勿論、先生、先達、先輩、コーチ、監督・・・、人の上に立つ者、人より多くの権限を有する者は、下下の者に好かれていると何となく勘違いするものである。相手が異性の場合では其の割合は下がるとしても十人か二十人に一人ぐらいの割合でそういう感情を抱いても不思議ではない筈だと。極めて大いなる勘違いなのだろうが、そうしてセクハラ問題が起きるのだろう。でも態態破廉恥な事を言って好かれようとしていたあの次官、中学男子程度の口の利き方だなあ。所謂中二病なのだろう。重い曇り。結構寒い。取り立てて無為。夜から小雨。


4/16・月
 まあまあ晴れる。暑いような涼しいような。中目黒まで歩いて出社。途中「文藝春秋五月号」。こういう保守系論壇誌もAに引導を渡すかのような特集を組んでいる。愈愈放伐は近いな。Aが居なくなるのは結構として、問題はAノミクスである。ゼロに近い金利デフレーションは致し方ないとして、日銀に引き取らせた国債はどうするのだろう。日本国政府が日本国民の為についうっかり使い続けて拵えた借金であるから日本銀行日本銀行券を刷って消滅させることの何が悪いなどと抗弁することなく、何となく此のまま静かに凍らせて仕舞うことは出来ないだろうか。曖昧に穏便に。恰も元から無かったことのように。
借金が半分程度になるのだから財政再建も容易になるであろう。中くらいの増税で済めば何よりである。何事も厳格にやり過ぎては往けない。其れこそ希臘のようになって仕舞うからね。出鱈目な経済政策であったが結果として日本の財政と経済を救った宰相として、案外Aは歴史に名声が轟くかもしれない。勿論意図せざる結果だろうが。という訳で、吾人もAの事は多少は評価している積りである。何事も全肯定同様全否定も宜しくない。そんなことを考えながら五時から八時まで授業。何だか飲む気も興らないので其のまま帰宅。地下鉄では冷房が、拙宅では暖房が動いていた。冷凍食品と焼いた秋刀魚の缶詰で芋焼酎を飲んで御仕舞。耳鳴りは概ね治った。
 次官は突如として開き直る。万が一にもセクハラを受けた者は名乗り出て欲しいと。セクハラ録音、訴えなければ検断無し、ということにしたいのだろう。報じた週刊誌を訴えるとも。土日の間に考えた秘策なのだろうが、いやしかし、とんでもない論理だな。愈愈末期症状である。


4/15・日
 未明から早朝は春の嵐。九時前後には雨はすっかり止み、風も午後には収まる。取り立てて無為。昼はうどんチェーン。夜はスーパーの鯛を塩焼きで。という訳で食べた物ぐらいしか書くことがない。五号室の請求書が来る。見積もりプラス四万円。諸物価高騰中。


4/14・土
 今月から朝日の書評欄が土曜に移動。何か違和感があるな。大体同業他社は全て日曜だろう。こういう協定破りは宜しくない。シリアに再び巡航ミサイル。今回は英仏の参加を促した模様。併し効果は薄い。後ろに大国がいるからね。併しああいう国に肩入れし続けるロシアって、どうにかならないものか。アメリカという国もどう仕様もないが、ロシアには其の建前すらないもの。
晴れてはいるが、午後から強風。夕方に一雨。まず「サイクルスポット」でブレーキ修理。1400円。昼は「てんや」の天丼を持ち帰りで。丼物は其の場で食べるより、少し蓋で蒸らした方が旨い。暗くなった頃に老家人が寿司を食べたいと言うので「ちよだ鮨」に自転車を走らせる。此の所は食欲も落ち、老衰傾向が著しい。態態買って来たと言えば、少しは食べるだろう。あらら本日の消費支出は全て大手チェーン店であった(スイマセン)。


4/13・金
 今日も晴れて風が強い。花粉症と耳鳴りがぶり返す。漫画を勝手に載せていたサイトがブロックされた模様。先月吾人も使用したサイトである(スイマセン)。封鎖に当たり法的根拠が曖昧だと弁護士さんたちは批判声明を出す。隣の国を見ればわかるようにデジタル時代の方が検閲や統制が容易なのかもしれない。気に入った作品なら買うようにしなくてはね。
 夕方出社。行きしなに前輪ブレーキが破損。ワイヤーが切れたか外れたか。吾人は前輪しか使わないから消耗が激しい。何しろ古い車両だから。此の所、次から次へと卒業生が訪ねてくる。中高大学生、其れに社会人まで。こういう場合、勉めて適当な雑談をしてから返すようにしている。新生活に当たり少少不安なんだろうな。まあアフターサービスの一環である。という訳で今週は色色と良く働いた。退社後は中華立ち飲みとバーIへ。秋田出身の妙齢女性と出合う。ひょんなことから鉄道の話しになった。何時か五能線に乗りたいとおっしゃる。態態乗るより、新潟から「いなほ」に乗って帰れば景色は抜群に佳いと伝えると、帰省は飛行機と決めていると返された。一時頃帰宅。
 

4/12・木
 雨も降らないというのに大分の耶馬渓では山崩れ。彦根では十九歳の巡査が上役を銃撃して逃走。財務次官にはセクハラ発言報道が。国のトップが此れだからつくづくこういうことになるのである。禅譲では駄目だ。放伐しないと。併し日本には易姓革命の思想がないからな。
 四月からゴミ収集のダイヤが変わり、可燃ゴミは十時台と遅くなる。此れで斜め向かいのマンションに出せる。拙宅側は各戸別回収ということだが、成るべく纏めて出した方が回収効率がいい。通いの管理人が見張っている時間帯は其れが出来なかった。午後出社。久久の木曜日の本務校である。中学一年生は中学校に不満たらたら。彼らの言う通り、中学校とは理不尽で過酷な場所だろう。其の気持ちはよく分かる。(毎日仮釈放される拘留施設のようだとは言わなかったが)心を鈍感にして乗り越えるようにと忠告す。大抵の子は其の内に慣れるものである。いやしかし、結局能天気で体が丈夫な人が生き残るようになっている。そもそも中学校というものは、(以下略)。退社後の木曜日の歩き方が分からない。結局中華立ち飲みに寄る。二日連続で天屋先生と須々木さんと会う。昨日の今日だから何となくぎこちない。


4/11・水
 朝から南風強し。一雨あったが、午後は晴れた。衆議院予算委員会は怒号交じり。午後出社。金参万円受け取る。結局平政君の後釜には、嘗て勤めていた田川先生を頼むこととなった。実に六年ぶりの復帰となる。田川先生は大貧学院の卒業生であり、才媛であり、元講師であり、現在は高校の先生をしている。此の間に姓が変わるようなこともあったが、まあまあ元気そうで安心す。体があんまり丈夫でないからね。毎日行くような非常勤講師をずっとやっていて、途中所謂雇い止めのようなことにもあったらしい。任期制の雇用だと偶の手抜き授業も出来ないな(吾人の授業は毎日手抜きでスイマセン)。先生稼業に加えて通信添削の内職などもやっているというから、根を詰め過ぎないか依然として心配である。つくづく若い人にはもっといい仕事を提供すべきである。
 退社後は立ち飲みBへ。期せずして須々木さんや天屋先生を交えての時局談義となる。両人ともAへの不満はあるようだが、政権交代は勿論、自民党内の総裁交代すら望んでいない模様。丸山眞男大先生の「車中の時局談義」と全く同じ構図である。「これらの人々の政治的事実に対する直観的な把握がきわめて正しいものを含んでいるにも拘わらずそれから引き出された政治的判断は全く反動的な方向を取っている」。何が彼らをそうさせて仕舞うのだろう。恐らく幼少期から青年期に掛けての経験が物を言うのだろう。反抗心、いや批判精神というものが欠如している。四十を過ぎれば政治は自然と分かるようになるとは芥田先生の至言だが、分かった上での政治的判断はもう少し若い頃の思考様式に依存しているではなかろうか。野党指導者たちはこういう人たちにも届く声を考えていかなくてはならないが、其れは至難の業だな。何しろ吾人の声も届かないもの。花粉症は終了。


4/10・火
 北側の集積所には大量の可燃ゴミ不燃ゴミの日に出されていた。当方の家作の物ではないと思うが、半分ぐらい引き取って紙類を分別し直す。所謂引っ越しゴミだな。相変わらず東京ゴミ戦争である。終日晴れ。さてさて、まだまだ18きっぷがある。本日期間最終日。そうなると墓参りである。成るべくJR区間を長くすべく、武蔵野線の新小平から参る。田園都市線南武線に乗り、府中本町で乗り換え。折角なので205系を待つ。山手線に新車が入る関係で、此の度インドネシアに転出するとのこと。国鉄時代も全国区で転配をしていたが、今は転勤もグローバルである。乗った車両は昭和六十三年製。かの地であと二十年は働けるな。在来線車両は長命である。一方先月引退したスーパーあずさの車両は、もう壊されているという。同じ在来線でも非凡な車両は寿命が短い。尤もインドネシアで五十歳まで働けば、205系も傑出した車両と認められるであろう。長生きするのも芸の内である。
そんなことを考えながら適当に歩くと案外直ぐに霊園に着いた。墓参の後、駅前の「満北亭」で麦酒休憩。味噌ラーメンも食べたが、ふた味足らない。隣のおじさんは大量のニンニクを投入していた。成程、其の手があったか。でも其の手は使えず。歩き足りないので国分寺まで行軍す。少少草臥れた。此れ以上何処か遠くに行く気にもなれず、其のまま電気の力を利用して帰った。三時帰着。以後午睡。
 加計問題では新たな文書が発覚。今度は首相秘書官=通産官僚と愛媛県側との面会記録が出て来た。官邸の意向が強く働いていた形となる。愈愈御仕舞だな。本当に早く居なくなって欲しい。併し、此処まで官僚の皆さんが動揺したり、忖度したりするのはどういうものかと暫し考えた。恐らく、政治主導というものに慣れていなかったせいもあるのではないか。今まで我儘気儘に自転していた組織が、突如として人事に介入される。件の内閣人事局の御蔭である。三年に一度の割りに覚え目出度く出世転勤して往く官僚さんたちにとっては、自転的人事こそが全てである。(当然民間組織も自転はしているが好不況などの外的=公転的要素の方が大きいし、時として想定外の彗星や隕石が衝突することすらある。)其れこそ、晴天の何とやらだったのかもしれない。急に浮足立って仕舞ったのだと思う。今はある種の過渡期なのだろう。今後は異動に対するストレス耐性を備え、選良たちの理不尽な要求には是是非非で対応して欲しいものである。政治主導自体は悪くないアイデアなのであるから。
 夜は「銀河英雄伝説」の新作アニメを見る。旧作から三十年も経つとCG多用。登場人物もすっかり綺麗になり、軍艦の類も丸で新造の電子操縦といった感じ(205系と235系くらいの違い?)。やっていることは同じ宇宙戦争だけどね。此の物語も政治とか軍事とかに興味を持ち始めた中高生諸君にはいい教材かもしれない。千年先も戦争ばかりしているという結構救い難い内容でもあるがね。


4/9・月
 午前中は漫然とす。旅費の精算。グリーン代とバス運賃が1800円、見学料1000円、飲食費と御土産代数千円といった感じ。一枚2370円の18きっぷを使う為に、其の数倍の御金を使った計算である。家でぼんやりしながら飲んだり食べたりして使ったお金を差し引いても、数千円の内需拡大となるだろう。青春18も期間を拡大すれば、みんな家から這い出してきて全国の観光地が助かる。交通は国の産業の要石。鉄道開闢以来の使命である。
サッカーの監督も解任される。選手との不協和音が拡大していたらしい。言葉の問題? いや性格? むしろ年齢の方だろうな。老将の意向を忖度する程、選手が出来ていない。併しワールドカップまで二ヶ月。ちなみに今年の開催国はロシア。北の国のように態度を軟化してくれるといいが、ロシアに限って其れは無いなあ。
 今日も強風。何だか五月の陽気。今年は季節が早い。再び電車に乗って千寿に出校。途中散髪す。授業は五時から八時まで。千寿生活も五年目である。此方の監督とは意思疎通が出来ないままだがね。不要紙の持ち帰りも再開。町屋の立ち飲みBに軽く寄り、千代田線に乗る。改正後は伊勢原行きなんて言うのもあり、随分遠くまで行くと思った。こういう行き先を突然見ると旅情を掻き立てられる。例えば其れが伊勢原ならば、大山で豆腐でも食べたくなるように。大手町で半蔵門線に乗り換え。何だか途中で数分間動かなくなり超満員になって帰った。服薬から二週間。耳鳴りも七割方治まった。


4/8・日
 余った青春18きっぷを何とかすべく、始発のバスに乗り渋谷駅へ。7時16分発の宇都宮行きに乗る。例によって埼京線のホームは遠くて評判が悪い。此処も二年後には山手線に並べる計画だという。東横線がどいた後には、もう基礎部分が出来ていた。こういう工事物は日進月歩である。折角なのでグリーンにす(780円)。グリーン車があれば結局乗って仕舞う。ラーメン一杯分の贅沢。JRの増収策は的中しているな。
二時間走って到着。大谷石の博物館を見ようと思う。三十分バスに乗って参る。二時間半も北上すると山の桜がまだ咲いている。得をしたと思った。採掘場跡に其のまま入る。月並みな表現だが、地下神殿のよう。但し観光客も多く、場内は歓声がわんわんと木霊す。残念ながら荘厳とまではいかなかった。続いて大谷観音へ。御本尊を拝顔。平安初期の千手観音菩薩とのことだが、何となく天平シルクロードの香りがする。此方は霊験あらたかといった感じ。結構丁重に手を合わせた。
 バスで市内にもどり、「めんめん」という中華屋に入る。此処は餃子専門店という訳ではなく色色と頼める。併し何しろ一人ではね。羽根つき餃子一人前360円。麦酒にラーメンを付けた。例によって餃子というものは、(以下略)。しかし宇都宮には焼きそばの店も幾つかある。次回はそちらにも入りたい。
駅に戻り、13時33分発の逗子行きを待つ。ホーム上にはいい感じの立ち蕎麦屋がある。「野州そば」というらしい。併し胃にはもう入らないし、此処も(恐らく)NREだと思うと別腹を提供する訳にも行かず。其のまま乗車。此の列車は途中から快速運転す。モハに乗ったせいか、結構速く感じた。そもそも電車は速いのである。出し惜しみをしないで、こういうライナー性の列車をどんどん走らせれば、宇都宮や高崎までなら新幹線を使うまでも無い。其れでは儲からないというのなら、幾らか料金を請求すれば佳かろう。
 大宮で吾人のボックス席も埋まる。目の前には西洋のお人形さんのような恰好をしたおじさんが座った。都会には色色な人が居る。本当は女の子に生まれたかったのだろう。人生とは不如意の連続であると思った。大体みんなそういうものであるしね。大分経って仕舞ったが、自己実現出来て佳かったと思った。月波君が都内でお待ちしていますというので新宿で乗り換え。丁度二時間で市ヶ谷に着いた。都心なら新幹線が有利だろうが、東京西部や神奈川方面に帰るのなら在来線でも幾らも変わらない。一回りして、先日入れなかった「さくら水産」へ。猫も跨いで通った刺身を出した飯田橋店とは違い、市ヶ谷店の方は結構旨い。金目鯛、めごち、鰯、サヨリ等等。清酒「吉乃川」と金宮焼酎でどんどんと流す。二人で八千円近くも行って仕舞った。七時前解散。更に渋谷の「博多天神」でラーメン。八時前帰宅。十時就寝。花粉症は多少目が痒くなる程度で済んだ。此れは檜かな。


4/7・土
 朝から晴れた。朝から牛丼Sへ。映画「サバイバルファミリー」見了。何らかの原因で電気生活を失ったという設定。深刻になりがちなテーマをコミカルに描いている。悲惨なシーンは出て来ないから教育テレビでも流せる。ちょっと笑えて少し考える。こういうタッチの作品は余りない。アニメ化したら却って現実味が増して宜しくないし、万が一にもハリウッドがリメイクしたらパニックホラー大作にして仕舞うだろう。
 買い物は二便。夕方前、何時ものとり屋に焼き鳥を買いに行く。焼き鳥部門は来週で終了するとのこと。焼き担当のおじさんが引退するのだろう。考えて見れば吾人が幼少の頃から可成りのおじさんだったから、実は相当な高齢なのだろう。お疲れさまでした。ああこれで、また一つ、晩酌の当てがなくなったな。先月の電気使用料360キロワット。前年比二割減。
 

4/6・金
 評論家の入水を幇助したとしてテレビ関係者らが逮捕される。ロープを結ばせたらしい。師弟愛?年寄りの我儘に若い人を巻き込んではいけない。つくづく迷惑な話しである。
巡業先で倒れた人を救護しようとして土俵に上がった女性が注意された件も酷いが、其の後取り組みをしようとした際に大量の塩が撒かれた件も酷いと思った。最近は仏教界でも「清めの塩」を止めているという。穢れの概念が差別に繋がるという指摘を受けてのことである。となると、将来的には廃止されるかもしれない。併し何か撒かないと形が付かないということもある。ならば水でも撒くかな。水を打って取り組みに集中するとすれば批判も出ないだろう。併し相撲界の改革の速度を考えると相当先になると思うけど。
朝から南風が吹き荒れる。午後出社。吾人の授業はないが、テキストの配布と時間割の調整に当たる。平政君の穴は埋まらず。こういう場合、大抵の学習塾では嘗て勤めていた人に無理矢理頼むのだろうが、どうせ最後の方の給料を支払ってないから、其れも出来ず。全て無責任社長が悪い。吾人の知った事ではないので、八時に退社。五反田でやっている大将主催の金曜会に回航。参加者は、鶴木さん、須須木さん、鰻犬先生。以前よく行ったイタリアンレストランの移転オープンに合わせてのこと。併し一時間も遅れて行ったら、既に食べる物はなし。白ワインを只管がぶ飲みす。立ち飲みBの五反田店に回るも此方も満員。金曜の夜は凄いね。
驚いたことは、鰻犬先生も引っ越すのだという。此処で鰻犬先生の紹介を少し。住居が大貧学院の目と鼻の先にある関係で、授業を少し手伝ったことがある。ということで先生である。当然ウナギイヌとは当時の生徒が付けたニックネーム。吾人よりかなり年上だが、貸間と貸店舗を所有。此の度、全部売り払って田舎の方に行くとの事。建物自体は古いから其れもあるだろうが、土地を売った後は日銭が入らなくなる。鰻犬先生の老後は大丈夫だろうか。吾人と同じ独り身である。其のまま五反田で解散。本来ならラーメン屋でも物色しながら帰るのだが、大雨が降るというので鬼の形相をしながら帰った。


4/5・木
 未明に小咳。また風邪かと思い、直ちに「プレコール」。空気が代わり普通の四月に戻る。取り立てて無為。夜は中日巨人の三回戦。件の大リーガーも出た。五回三失点。可もなく不可もなく。月に二回ぐらいは投げられるかな。まだ三十代である。何しろ話題がない球団だから。


4/4・水
 一応散歩には連れ出した。僅かな段差も越えられず。其の度に「なんにも出来なくなった」と呟く。年を取るのも大変である。異様に暖かい。五月の陽気である。午後出社。立ち飲みBの後は、バーIに寄り、先日の花見会の顛末を聴いて帰った。


4/3・火
 遅起きなミケを掴まえて漸く予防注射に連れて行く。此れで三匹終了。今年は手間取った。さてさて今日も暖かい。青春18きっぷが二回分余っているので何処かに行くことは可能だが、すっかり気乗りがしない。花粉も酷いしね。
ところで、日日、老家人は其の為体ぶりを家人に批判されている。すると時折反撃して、此の所は家人と諍いが絶えない。併し老家人は今月で九十三である。流石にもう無理かな。吾人には少少諦めた観がある。其れとも家人のように心を鬼軍曹にして散歩に連れ出すべきなのかなぁ・・・。
使用期限を五年も過ぎた消火器を交換。家作の一階と二階の二本で一万四千円。つくづく無駄だと思うけど。最近の人は煙草も吸わないし、新型のガス台には停止装置も付いているし。それでもまあ本当に役に立つようなことが起こるよりかはね。晩食は残り物の総整理。締めは期限切れの防災御飯を同じく期限切れのお茶漬けの素で。此方は無駄にはならないな。イラクの日報も出て来る。詳しく検討すれば適当な答弁をしていたK元首相の評判も下がるだろう。


4/2・月
 朝から出社。時間割の都合上のことで別に今更転職活動をした訳ではない。併しこうして朝から行くのも春夏冬の講習期間中、其れも年に一二回の事である。そもそも混んだ電車に乗りたくないということで現在の職業を選択した割合も多い。
午前中は小さい子の面倒を見る。やや粗暴な子が一人、異様に落ち着きのない子が一人。うちの猫より年下なだけに、猫より聞き分けがないと思った。人を育てるのはつくづく大変である。とは言うものの幼児教育は吾人の範疇ではない。心のベクトルをゼロにして耐え忍ぶ。午後は高学年。少しは人語を解してくれて助かった。諸諸の雑用を済ませ三時半退社。此れでも七両編成である。碑文谷で鯛とトビウオの刺身を買って帰宅。暗くなる前から飲み始めた。服薬から一週間。耳鳴りは若干収まってきた。


4/1・日
 未明には逆流す。と言ってもポロロッカというほどでは無し。八時にはすっかり回復し、早速富士蕎麦でラーメン(420円)。軍縮、開国へと傾く北の皇帝に暗殺の危険があるという。詰まり失業を心配した軍人たちが、和平に反対するというシナリオである。そう言えば此の国でも玉音放送に抵抗した勢力が居たものな。何時の時代もどの国でも見当外れの強硬派ほど度し難いものはない。
 昼は録ってあったBSの「英雄たちの選択・崇徳上皇の涙」を見る。天皇家にはこういう放埓で魔術的な部分もある。21世紀になっても暴走しないとは限らない。だから現行憲法による縛りが必要なのだと思う。此れが、天皇は国事行為に専念して欲しいと願う吾人の理由である。
中日は開幕三連敗。今年も野球は見なくて済みそう。こんな状態がもう何年も続いているから、中継を見ても選手の半分ぐらいしか分からない。何度も言うが首脳陣はどうする積りなのだろう。何の戦略も無いらしい。何しろ格安で手に入れた元大リーガーでナゴヤドームを何回か満杯にする皮算用をしているくらいだから。
 夜はとんかつ。珍しく家人が揚げた。併し衣は剥がれ、油を節約した為か全般的に焦げた感じに。家人の技量も落ちたと思った。もう揚げたてのかつも外で食べるものとなった。地上波テレビ、頗る詰まらない。各局とも同じようなスポーツバラエティばかり。テレビは諦めてラジオを点けた。

2018年3月

3/31・土
 血液検査の結果はまあまあ良好とのこと。コレステロール、尿酸等も基準値×1.2程度。血糖値も低い。買い物に続いて、拾った携帯電話を交番に持って行く。午後はバーI主催の花見会。三時に店に集合して近所の公園に向かう。参加者は十名程度。吾人より年下が多い。みな常連なのだろうが、一堂に会したことがないから、誰が誰だか分からない。唯一分かるのは店主だけである。まあそれでもアルコール力を借りればどうにかなるから不思議である。暗くなった頃に店に引き上げ、二次会へ移行。酔いが回った吾人は、頃合いを見計らって離脱す。十時には就寝(多分)。差し入れ分を含め会費は五千円。こうして健弱な三月も終了す。
三月の備忘録。本務校の商店街ではクリーニング屋が閉店。此の所、自前で作業しているような所はどんどん閉じている。また豆腐屋さんも長期休業中。どちらも店主高齢の為。三江線も廃止。


3/30・金
夜半から未明にかけて大風。異様に暖かい空気は何処かに流される。其れでも平年並みの気温。沖縄の伝統食品を放射性廃棄物の味がすると表現した高校の英語の教科書が訂正される。既に刷ってあるから総回収だな。日本を食べ歩いた英国一家の文章をそのまま載せてしまったよう。英国流のブラックユーモアの部分は手直しすべきであった。其れとも、何処かで「放射能の」という形容詞と「廃棄物」という名詞を差し込みたかったのだろうか。大抵の英語の教科書は必要な単語と文法を無理矢理組み込んでいるから、何だか不自然な遣り取りになるものである。
月波君が都心の桜でも眺めましょうと言うので出掛けた。市ヶ谷から飯田橋まで歩く。まだ三時過ぎたが、会社員などもブルーシートを広げている。佳い会社だと思った。そういえば今日はプレミアム何とかであった。桜は既に半分程度。世田谷に比べ少し早い。今年は特に早いから新入生や新入社員は間に合わなかった。もし後者が駆り出されているとしたら、其れはブラック何とかである。一方鳳生大学もどんどん建て増ししている。京都の駅みたいになっていて驚いた。
刺身でも食べようとさくら水産を目指すも、何時の間にか「腹八分目」という安めの居酒屋になっていた。一応入って見る。インスタ映えを狙っているのだろう、矢鱈大きな唐揚げが名物のよう。今更唐揚げを大量に食べさせられてもね。客乃間も来るというので腹五分で「備前」というラーメン店に移動。併し既にスープも麺もないというので水餃子を食す。麺が食べたくなり、結局何時もの「えぞ松本店」に。数千円を費消して十時過ぎに帰宅。


3/29・木
 北の小皇帝は北京に参り、中華の新皇帝と会う。こう書くと身も蓋も無い感じだが、米朝会談の下準備の為である。開国の意思は変わらない模様。何となく冷戦が終わるときの感じに似ている。此処は敢えて楽観論で行きたいと思う。但し日本は自ら蚊帳の外である。せめてジンドーエンジョをちらつかせるべきである。期限切れの防災食を送ることに反対する人は少ないだろう。
 異様に暖かく、異様に花粉が飛んでいる感じ。ロラタジンという薬を飲み、マスク掛けで閉じ籠っていてもくしゃみ止まらず。取り立てて無為。録り貯めてあった「ポツンと一軒家」という番組を見る。此れは衛星写真で見た一軒家を実際に見に行くという企画。中には都会から移住したような威勢のいい人もいるのだが、今回の放送では行って見ると廃屋だったり、空き家だったり。一軒家ではないが、集落で人が住んでいるというのは一軒だけというものもあった。当然住んでいるのはお年寄りばかりである。此れが地方の現実、そして全日本の未来の姿である。まあみんな比較的楽しそうに住んではいたけれどね。


3/28・水
 朝から区の健康診断。と言っても何時もの内科である。可もなく優も無く。血液検査の結果は数日後。ちなみに選抜野球では彦根東慶應に勝利。名前から言って県立高校で、ルーツは彦根藩の藩校だという。ウィキペディアによると設立は1798年。詰まり寛政高校である。歴史的にも勝っているな。こういう地方の伝統校には少し憧れる。何しろ高校は横浜市北部の某私立高校だったから。
 午後出社。二時半から八時までずっと授業。口から沢山息を吐き出したら耳の方が治るかと思ったが、残念ながらそう言う事にはならなかった。服薬二日目、今のところ変化なし。退社後は晴雷亭に行くも誰にも行き会えず。こういう時にはバーIに回航す。すると近近に花見をするから是非来るようにと店主に言われた。今年はこういう企画にも出て見ようかと思った。誘われる内が華である。十時半ごろ帰宅。


3/27・火
 カキーンという左の耳鳴りが収まらないので、先日の耳鼻科に参る。今日は年増で小柄な女医の診察を受ける。割と気さくで丁寧な感じ。院長先生なのだろう。院内は大混雑であった。結局ビタミン剤や血流改善薬、むくみを取る漢方薬等が処方される。鼻が悪いと耳にも悪いから、抗アレルギー剤もきちんと飲むようにと言われた。診療報酬520円、薬代2020円。実際は此の3.3倍である。飲み代が減って、国民の医療費が増大している。良くない傾向である。早く治さなくては。
 午前午後と国会は証人喚問。件の局長、前国税庁長官の番である。余り詳しくは見なかったが、何故そのような改竄が行われたかについては、刑事訴追の恐れがあるので答えられないと繰り返した。そもそも喋る気がないから、喚問も時間の無駄といった感じ。併し此の人も高級官僚人生の最後の最後にこういうことになるとは予想し得なかっただろう。今まで以上に涙目で、ふさふさの髪にも白い物が増えたように見えた。何処で何をどう間違えたのか。何だか憐れだな。恐らく、忠勤過ぎたのだな。あれでは家産国家の家産官僚である。
 潮流に乗って東急も座席指定列車を走らせるという。但し大井町線の急行で夜間、編成に一両だけ組み込むことに。何とも中途半端である。併し通勤ラッシュ程無駄な物はない。本来なら、フレックス何とかと在宅勤務、地方分散でとっくの昔に緩和されている筈なのだが。デフレ時代の労働強化と東京集中で全く其の芽は摘み取られて仕舞ったのである。終日異様に暖かく、午後は昏昏とする。昼はスーパーの弁当。夜は冷蔵庫の残り物を片付ける。


3/26・月
 沢山寝ても、朝からぼんやりす。耳鳴り酷し。御昼前からテレビ桟敷で野球観戦。春の選抜高校野球、仲田大将の母校が出る試合である。二十一世紀枠という特別枠での出場だが、相手は生憎の超強豪校。軍事に準えるなら最早戦闘というものに成らず。幾ら予想されたこととは言え、見ていても気の毒である。まあアウトは死だが、戦争と違って本当に死ぬ訳ではないけど。
併し人口が減少している田舎の公立高校と強豪私立高校とでは、予算も人員も一ケタ違う。全国から選手を集めた後者は都道府県の代表ですらない。そんな高校野球というものがよく続いているな。日本の七不思議である。さて試合はと言うと、当初はどうなるかと思ったが、後半善戦し、見せ場も幾つか作れた。応援に行った大将も満足して帰京するであろう。午後出社。退社後は中華立ち飲みに鶴木さんを尋ねるも、井満さんの悪態が酷く、直ちに立ち飲みBに避難す。飲み屋の客にも明白な序列がある。様態、職業、話しの面白さ等等を掛け合わせて総合的に決まるのだが、此の所の井満さんは転落が著しい。何しろ髪はぼうぼう、話しは本当に完全に壊れたテープレコーダーだから。矢張り男は仕事をしていないと駄目だな。何はともあれBでは久久に閉店近くまで飲み通した。2300円。


3/25・日
 やめろ止めろというのに、西日本の原子炉が相次いで動き始める。大体此れからの季節は陽光煌めくのだから電気だって余るだろうに。一部には電気料金を引き下げて、顧客を囲い込もうという会社もあるよう。何度も言ったが原子力発電が安いというのは出鱈目である。動かして出て来たあがりは、莫大な廃炉費用と廃棄物の十万年分の保管料の積み立てに充てるべきである。
 昼は外に出た。新町のとむちゃんでトンコクラーメン(640円)。其の後は駒沢の公園に寄る。桜は満開。既に大変な人の出である。少しは見て歩きたかったが、あっという間に目も鼻も大破。急いで戻り、目を洗い、髪を掃除機に掛けた。今年の花見は無理だな。アルコールと抗ヒスタミンをほぼ同時に飲んだら、重力に逆らって立つことすらも出来ず。九時就寝。


3/24・土
 気が付けば右も左もメードインチャイナばかりだと怒り狂ったTさんは、鉄の関税を25パーセント引き上げるという。Tさんが怒る訳も分からないことはない。特に溶鉱炉は止められないから、鉄鋼は昔から問題になりやすい品目である。まあ何パーセントが適切かどうかは分からないけど。米中貿易戦争勃発? 其の内に怒りも収まるだろう。
 未明に激しい胃もたれ。旨いからといってもたれないとは限らない。こういう場合水分を多く取って、直ちに胃薬である。最近は「アコファイド」という処方薬を使う。そして胃の辺りに懐炉を張り付けた。一時間ほどで収まる。無事寝直した。
風邪はどうにか治った。実に二週間も掛かった。気が付いたら桃も桜も咲き出している。此の間は悉く記憶喪失、丸で空白の二週間である。ところで昨夜のテキストに志賀直哉の「焚火」が出て来たので早速読み直す。いやしかし、赤城山の方にも全く行ったことがないと思った。前橋からバスで一時間半だという。大正時代は足尾線の水沼から歩いて入ったらしい。吾人の体力なら夏場でもヘリコプター搬送だな。
午後は録ってあった映画「この世界の片隅に」。ディテールが細かい分、若い人は何回か見ないと理解できないだろう。スフとか、間諜とか、忠臣楠木公とか、敗戦の日に太極旗が挙がる意味とか。学校では習わないことが山ほど出てくる。一方、戦争が描かれていないとか、被爆の描写が簡素過ぎるだとか、加害責任がないとか、色色な批評も出来るだろうが、こういう余白を残した作りにしてあるというのが本作がヒットした一つの理由であろう。鑑賞者の想像や後後の学習に委ねる形となっている。精密だが敢えて主張を控える、詰まりすずさんの愛した水彩画のような作品であると思った。


3/23・金
 朝には喉の痛みは半減す。午後出社。行けば仕事が目白押し。来週からの講習の予定も詰める。夜は小雨。濡れて帰る。途中碑文谷の王将に寄る。餃子と炒飯。帰り掛けに今日の炒飯は旨かったと伝えると、妙に有り難られた。調子に乗って、「炒飯は中華の基本にして最高峰、火を恐れず、火を司る。謂わば火の王に認められた者だけが真に旨い炒飯を作る有資格者となる。君には其の資格が存分にある。」などとは言わなかったが、具と飯の混ざり具合、調味料と油の量等も確かに申し分なかった。一日一回は他人を褒めなくてはね。一日一誉である。喉の痛みは綺麗に取れた。流石に処方箋薬は効き目が素晴らしい。但し何だか眠くて仕様がない。一方耳鳴りは治らず。


3/22・木
 朝まで大雨。以後曇る。喉も耳も少しも治らないので耳鼻咽喉科に行く。耳鼻科は掛かりつけがないので、先日老家人を連れて行った新店舗に参る。吾人より年下の医官のような女医が突っ慳貪に診察す。鼻診て喉診て耳も診て二分で終了。喉の風邪が耳に移って中耳炎を起こしているとの見立てである。最後に三分ほど蒸気を吸引す。耳鼻科に来たのは十数年ぶりだが、治療手順は小学生の頃と大して変わらないと思った。初診料込みで1250円。耳鼻科も安いね。併し此の医院、働いている人も患者も女性ばかり。産科婦人科と見紛うくらいである。こうなると吾人の存在自体がまるで異物であると思った。
処方箋には抗生剤から漢方薬まで大量に出ていて1950円。トラネキサム酸もあったが市販品とは容量が違う。凡そ二倍の処方であった。貴重な国民の医療費である。早く治して、残った分は次回の風邪に使おうと思う。昼は「野郎ラーメン」。午後は少し晴れた。買い物は二便。薬のせいか昏昏と午睡す。夜はスーパーのピザとコンビニのパスタ。耳鳴り酷し。


3/21・水
 再び朝から冷たい雨。御昼前から雪になる。彼岸中日だがつくづく今年は寒い。終日引き篭もる。アメリカで実験中の自動運転車が死亡事故。夕暮れに霞んだ歩行者が見えなかったよう。自動運転など当分先だろうな。広く太い道ならともかく、拙宅の近所のように、人と自転車と看板を掻き分けてでものろのろと進めるようになるのは多分二十二世紀だな。まずは自動ブレーキと飲酒運転防止装置である。併し物を細かく動かすのは極めて難しい。此の分野は人間がやるしかなかろう。給仕や配送なんて仕事は最後まで残るに違いない。


3/20・火
 昨日の夜から冷たい雨。耳鳴りも治らず。午後は止んだが、外出も来客も無し。午睡の際、みたび喉を傷めた。併し抗生物質三日分、ロキソニン十錠以上、ペラック数十錠、プレコール、抗ヒスタミン点鼻薬浅田飴等等数千円分を投入しても少しも治らない。こんな風邪があるものかと落胆す。詰まり、吾人の生命力が落ちて来たのかもしれない。


3/19・月
 暫らく休みなのだが、とうとう何の計画も思い付かなかった。二三日出掛けることも検討したが、体調が佳くない上に、今週は菜種梅雨だという。という訳で只管自宅に駐屯す。老家人をデイサービスに送迎し、午後は植木屋さんが松を切りに来る。時節がら和菓子屋に御萩を買いに行って出した。先月移した桃は無事根付いたそう。夜はコンビニの冷やし中華。咳はどうにか収まりつつあるが、喉はまだ痛む。「プレコール」を買って備える。
 参議院は森友問題集中審議。とは言え真相は分からず。国会は取り調べ室ではないからね。其れに忖度を立証するのはそもそも難しい。与党は全部理財局の責任にしてしまいたいよう。それにしても一局の判断で公文書の改竄までするかね。結局、疑問と疑惑しか残らない。まあ支持率が下がるのは結構なことだけど。そもそも此処まで政権与党がやりたい放題になり、高級官吏の世界でも忖度が蔓延するのも、与党が大きすぎるからで、其れは即ち自民を勝たせ過ぎた国民の(無)責任である。


3/18・日
 朝から買い物。パン、野菜、猫餌の三便。朝だというのにぞろぞろと大学の方に人の列が伸びている。人相からして資格試験らしい。聞けば医療経営士だという。そんな資格があるとは知らなかった。世の中が高度化すればするほど様様な資格が必要なことは分かるが、こうも次から次へと資格を増やされてもね。其の内、道を歩くにも資格が必要になるかもしれない。試験は昼前には終わったよう。またぞろぞろと歩いていた。正味一時間半、マークシート方式だな。折角受けに来たのだから、もっと色色と受けさせてやればよいのと思った。そもそも日本の試験は時間も科目も少なすぎる。午後は肉を買いに行き、夜は鋤焼きにした。
 圧倒的多数でロシア大統領は再選される。いやしかしあと何年やるのだろう。ソ連崩壊後の混乱状態より独裁の方が増しという判断なのだろうが、未来永劫権力を握るという訳にも行かない。権力の継承ということを考えなくては。交代が巧く行かないと、また内戦からやり直しである。民主制は治世としては賢明な王政に劣るのだろうが、継承ということを考えるとやはり最善に近い政治制度である。


3/17・土
 朝から冬型の晴れ。シロとグレを獣医に搬送。恒例の予防注射。各6480円。何だか少し値下がりした。ジェネリック品なのかな。何だか草臥れて午後は昏昏とす。買い物にも行けず。昼夜ともに缶詰と冷凍食品。嗅覚も戻らないから食欲も不振の極み。


3/16・金
 朝方は大量の寝汗。すると今度は耳鳴り。何だか不定愁訴のオンパレードである。痰の絡んだ咳が多くなる。午前午後と漫然とす。夕方千寿に向かう。月曜の振り替えである。例によって地下鉄の長旅。マスク掛けだが、途中何回か咳込み他客の顰蹙を買った。苦行難行の上に辿り着いたが、肝心の授業は七時には終了。正味一時間である。そんなに生徒が居ないのならば適当な自習か演習にして欲しかった。何はともあれ今年度の千寿出校は本日で終了。清清す。町屋のBに寄るも、Dオーナーは相変わらずの不在。麦酒一杯で終了(940円)。此の一週間の外食費の少なさは記録に残るであろう。帰宅後は抗生剤にペラックを白ワインで。前線通過に伴い夜は冷えた。


3/15・木
 日中暖かく風強し。花粉も大量飛散なので外出は無し。先日のペンキの残りを使って、あちらこちらの汚い所を塗り直す。午後も体調優れず。何だか寒む気もする。喉も治らない。ぶり返した。抗生剤の残りも呑もうと思う。


3/14・水
 アメリカの外務大臣も解任されて仕舞った模様。政権内の数少ない常識人であるが、大統領とは元元不仲であった。此れが半年前なら少し心配した。併し現在では、御大自ら平壌でも板門店でも乗り込まれる勢いだから、大船に乗った積りで安心することにしている。何事も明るく考えなくては。兎に角、瓢箪から一度でも当たり駒を出してくれ。頼みます、大統領閣下。
 終日異様に暖かい。朝から小咳。喉を此れ以上痛めてはならない。「プレコール持続性せき止めカプセル」を呑む。何だか効いたよう。一方老家人は数日前から微熱傾向。一応何時もの内科へ搬送す。風邪等の取り立てての自覚症状はない。レントゲンまで撮ったらしいが原因は掴めず。要は老化により、全身のあちらこちらの細胞が痛んで、崩壊熱のようなものが出ているのだろう。長生きするのも大変である。
 午後出社。金七萬円受け取る。喉は益益痛む。ペラックを追加購入。其のまま帰宅。家に着いたらまずロキソニン。吾人も立派な薬物中毒である。痛みが取れ始めた頃に遅い夕飯。白ワインで流し込む。


3/13・火
 喉の腫れは半分程度。結局痛い。結局ロキソニン。抗生剤を止め、ペラックを併用す。そもそも風邪に抗生剤は効かない筈である。喉を治すには鼻通りも確保せねばならないので、点鼻薬と抗ヒスタミンも多用。市販薬の複合競技である。
三日間ほぼ寝た切りだったので、昼は外に出た。あちこちのドラッグストアーで品揃えと価格をチェックし、富士蕎麦に寄る。何だか異様に塩辛かった。味覚もリセットされた感じ。嗅覚もリセット。序に人生もリセットして欲しい所だが、其の為には途轍もない大病が必要であろう。それにしても今回の風邪もまあまあの規模であった。夕方久久の入浴。麦酒は刺激が強くて飲めず。赤ワインを少少。


3/12・月
 朝方はかなりの寝汗。喉の痛みは全く収まらず。水も涎も呑み込めず。続いて小咳。ペラック効果はゼロと判定。一日三回のところを四回服用したのだけど。まるでインチキ薬だと思った。第三類医薬品だからかな。毒にも薬にもならず。詰まり丸二日寝ていても殆ど良くならない。
 高脂血症の薬もない頃なので何時もの内科で診て貰った。インフルエンザは陰性。喉の炎症には抗生剤とありきたりの鎮痛剤(ロキソプロフェン)が処方された。ロキソニンなら家にもあった。診察料2300円。普段より850円プラス。早速服用す。一時間ほどで効き始め、あれほどの痛みは雲散霧消。しかし鎮痛剤というのは凄いね。痛みの原因は其のままにして痛みだけを取れるのだから。依存症が増える訳である。千寿校は欠勤。午後はずっと就寝。昼は御粥、夜はコンビニ食。白ワインをコップに一杯。ネットの情報によると、喉の痛みにはペラック+ロキソニンの組み合わせが市販薬では最高とのこと(現役薬剤師さんがそう言っている)。成程、なるほど。
 財務省は公文書の書き換えを正式に認める。政治家の関与を示した部分をごっそり削除したものを国会に出していたとのこと。次なる問題は誰がそういう指示したかということになる。高級官僚が官邸の意向を忖度して、ありのままの記述がしてあった地方部局が拵えた決裁文書を改竄したという事らしい。モリの問題は一年経って、振り出しに戻ったな。今更言うのも何だけど、財務大臣のぞんざいな態度には、呆れるのを通り越し、最早適切な表現が見当たらない。前局長を早速呼び捨てにしていた。


3/11・日
 熱は概ね下がるも、喉の痛みが酷い。併し拙宅には浅田飴しかない。家人にトラネキサム酸を買ってくるように指示する。「ペラックT錠」(第一三共)。早速服用す。本来なら昨日飲みたかった。具合が悪いとそういうことすら思い至らない。薬売りというのも必要だな。
 被災から今日で七年。当初震災日記ということで始めた此の日誌も、最近は関係の無いことばかり書いている。少し反省した。大地震も心配だが、南九州の火山も気になる。米朝会談の実施を受けてT氏も張り切っているよう。目立ちたがり屋にはこういう場が似合う。吾人とて期待を寄せております。大統領閣下、是非とも朝鮮半島に平和を。夜は再び発熱す。三十七度台前半。どうしてこんなに風邪ばかり引くのだろう。前回からほぼひと月である。朝は御粥、昼はコンビニ食、夜も御粥。二日続けて無酒。


3/10・土
 ひと眠りすると喉が痛む。詰まり喉風邪だな。今季二度目である。明け方に軽く発熱した感じ。漸く節節の痛みは取れた。午後は少し晴れた。ぼんやりしていると警察官がいる。愈愈無実の罪に問われる時が来たかと思った。隣のマンホールの蓋が壊れていたから器物損壊容疑で通報があったそう。蓋の素材は強化プラスチック。重い乗用車を停めていたから自然に割れたに決まっている。増して私有地である。警視庁は勿論東京都水道局の管轄ですらない。常識外れの通報をされて警察官も迷惑だと思った。写真を撮って直ぐに帰って行った。こういう頓珍漢な通報をするとなると、とどのつまり、隣の建物の新オーナーは非常識人ということになるだろう。会ったことはないが、気を付けなくてはならないと思った。特に外猫が心配だ。
終日安静にしていても少しも治らず。節節と喉は再び痛み、夜は三十八度台を記録。咳とくしゃみは一つも出ない。喉と熱のみ。またインフルエンザかもしれない(多分A型)。昼はうどん、夜は麻婆茄子。本日無酒。


3/9・金
 未明は大雨と大風。今年の春は狂暴である。暖気が入り窓ガラスは外から曇る。雨風が止んでも曇りのまま。北はどうも本気らしい。米朝会談すら実現の勢いで、核の凍結ではなく、放棄も言い出している。本気で脅した後は、本気で緊張緩和を求めて来るあたり、独裁者のやることはつくづくドラスティックだね。併しいい時期に五輪があったものだな。南の政権交代も(幾ら何でも其処まで見越していたとは思えない)。デタントを受けてイージス何とかもストップすべきである。早くしないとキャンセル料が掛かるぞ。
 何の予定も無いが午後出社。行っても行かなくてもいい日だが、月波君が飲みに来るというので片づけに出る。澱のように溜まっている古いテキストや書類を只管廃棄す。七時半退社。まず佐渡屋へ。鶴木さんと須々木さんも合流す。併し何だか調子が良くない。体の節節が痛む。また風邪を引いたと思った。中華立ち飲みに転進するも店は大混雑。紫煙も酷く窒息する感じ。月波君を遺棄して早早に退去した。夜は小雨。ぐっと冷えた。十一時半就寝。件の国税庁長官も辞任。何しろモリを巡っては死人も出たという。「点と線」と同じだな。何時の時代も課長補佐辺りが犠牲になる。鳳生大学出身かもね。


3/8・木
 朝からずっと冷たい雨。取り立てて予定も無い。こんな日は国会中継だが絶賛空転中。買い物序に昼を食べに出た。以前入ったアリパパという店がなくなっていたので、ワンツーシーというチェーン店で回鍋肉定食。一般的な味付けで可もなく不可もなく。御供の唐揚げが二個ついて950円(高い)。回鍋肉というと飯田橋のえぞ松だが、そもそもあの店の味が独特過ぎるのだと最近気づいた。何しろ和味噌ベースの味だからね。午後は久久に漫画を読む。最近は無料サイトがある。違法との声も大きいが、何しろ立ち読みしたくとも本屋自体がなくなっているからね。


3/7・水
 更に冬型に。而も曇っているので余計に寒い。午後出社。ところで就職先が決まらない平政君は、其のまま郷里に帰る予定だという。困ったな、彼に辞められると理系担当が居なくなる。今更数学を教える気力など吾人には残っていない。退社後は立ち飲みBとバーIへ。途中公共放送テキストの『100分で名著・松本清張』を買って読む(565円)。放送大学のテキストと違って安くていい。寝台特急と座席の夜行急行を巡る階級論が面白い。今はどちらもなくなって仕舞ったが、後者に当たるものは高速(ツアー)バスだろうな。辛い上に危ない。
 相撲に引き続きスポーツの騒動はレスリングに飛び火。教え子に巣立たれたコーチが怒って嫌がらせをしているらしい。素直を送り出せないのだろうな。あらゆる権力は腐敗する。そう言えば中国の国家主席は終生主席になるという。名誉主席とか適当な役職では満足できないらしい。本当は皇帝になりたいのだろう。恐ろしいこと限り無し。


3/6・火
 雨はすっかり上がる。再び冬型に戻る。朝からゴミの分別とゴミ拾い。蛙の横死多し。何匹も側溝に流した。今更どうでもいいことであるが、本日は吾人の四十云回目の誕生日でもある。昼は冷凍牛丼。夜はスーパーで一匹三百円の小鯛を買って焼いて食べた。
 南の訪問団を北の皇帝は歓迎したとのこと。どういう魂胆があるかまでかは思い至らないが、少なくとも国家理性というものを失ってはいないという印象を受けた。自棄になってニイタカヤマを登ってくる可能性は低くなった。取り敢えずは佳い方向である。


3/5・月
 今日も異様に暖かい。冬が寒かった分、何だか全身が弛緩した感じ。居眠り運転が増えそうである。昼頃から南風吹き付け、雨となる。止み間を狙って、千寿に出校。八時に退社。町屋の立ち飲みBを覗くも、Dオーナーは居ないらしい。余り飲む気も興らないので「町屋商店」という店で付け麵のみ。地名を冠していてもチェーン店なんだろうな。冷や盛にしたら麺が冷た過ぎた。あれでは冷や素麺である。粗熱を取るくらいが小麦の風味も感じられて丁度いい。帰路『戦争調査会』。帰宅後もう一雨。本日ほぼ休肝


3/4・日
 偶には出掛けませんかということで、梅でも見ようかと水戸に行くことにした。同行は月波君と客乃間君。まず朝早く上野に行き、青春18きっぷを買い、勝田行き普通列車に乗る。行きはグリーンにした(780円)。平屋建ての所を貸し切り状態にして麦酒を傾ける。「ゆうづる」も「はくつる」も何処かに飛び去って仕舞ったとか、「フレッシュひたち」は「いなほ」として頑張っているなどと話しをす。併し常磐線に乗るのも久久だが、ずっと関東平野なので面白みがない。海はないし、山も大して近づかない。詰まり人家が減り、蓮根畑が増えて行くことくらいしか変化がない。そんな中、梅山が見えて来たので偕楽園駅に臨時停車。結構な人の出である。梅の開花は半分くらいかな。桜と違って色色な種類があり、而も長く咲いているから観光には適している。平安時代までは花見といえば梅だったのだけどね。江戸末期にソメイヨシノが現れてからは、梅は完敗状態である。気温は異様に高く、風も強まり花粉が直撃。マスクをしていてもくしゃみ止まらず。
レストハウスに暫し避難。梅ワインで休憩す。店内は大混雑。高齢女性まで給仕に出ていた。早速注文を間違えていて気の毒そう。此れも一億総活躍だな。観梅の後、再び臨時駅から電車に乗る。偕楽園駅には上りのホームはないから、ひと駅下って、水戸駅下車。併し駅の南には何の店も無い。漸く「水戸駅南食堂」を探し出し入店す。所謂定食チェーンのようだが、最低限の御酒も出すようなので丁度良かった。店が少ないらしく、店内は二時だというのに混雑していた。
再び駅に戻る。観梅客で上りの特急も軒並み満席だという。三時半頃の普通列車普通席に乗車。まあまあ混んではいたが全員着席。ボックス席に陣取ったが、うとうとす。どうせ寝て仕舞うから普通もグリーンも同じである。五時半に上野駅着。早速座り飲みBに立ち寄る。U店長も居た。来月には退職するのだという。Bも人材流出だね。二時間ほど飲んで本日は解散。メトロに乗ってもくしゃみ止まらず。向かいに座っていた外国人親子は透かさず避難して行った。おいおい、インフルエンザではないんだけどね。海外に花粉症はないのかな。併し飲み疲れ、歩き疲れ、くしゃみ疲れた。持参したキッチンペーパーの束は全てなくなった。直ちにシャワー入浴と抗ヒスタミン。九時半就寝。一万八千歩。


3/3・土 
 モリカケのもりの方で、公文書改竄疑惑が浮上。朝日が報じている。早速国会で問題となっていたが、政権御自慢の朝日批判が封印されているから、疑惑は事実なのだろう。財務省の立場が弱くなるから、却っていいのかもしれない。此れで増税延期は確定だな。
小田急の複複線化工事が完了す。ダイヤ改正は二週先だが、利用者は待ち遠しいだろう。工事開始から三十年。計画段階を入れると更に長い。それにしても三十年か。若い社員でももう五十代である。早期退職に応じたり子会社に移籍したりする頃である。そう言えば、鳳生大学で習ったE先生は確か麻生区に住まわれていて、小田急線が混んで遅くて堪えられないとしばしば嘆かれていた(二限スタートでも)。そんなE先生も数年前に退官されて仕舞った。先生、お元気でしょうか。小田急線が速くなりますよ。朝粥の後は、中華食堂であんかけ焼きそば+炒飯のセット(800円)。大関で牛肉を買って帰った。イチボという部位だったので味は良いが、高齢者には少少噛み切れなかった。
 ところで轍田さんの息子さんも都立高校には合格したという。是非将来は鳳生大学に進ませたいと言っていた。何処かいい学習塾がないかとも尋ねられた。いやしかし、中学の成績がオール三程度では厳しいだろうと思った。そもそも勉強が嫌いな人が大学に行ってはいけないし、子どもに大学に行って欲しいからと高校生にもなる息子を強制的に塾に通わせるという選択も無い。何か別の所を伸ばすべきである。


3/2・金
 今日も春という感じ。花粉酷し。薄着でもマスクは厚着。午後徒歩出社。此の時期に大した生徒がいる訳ではないから雑用のオンパレードである。模試の会社に合否報告をし、エアコンのフィルターを掃除し、例によって一方的に送り付けられて来た学校パンフレット類の分別廃棄。どれも一ページも見ない。つくづく紙の資料は無駄である。
六時半に退社。滅多に乗らない都営地下鉄で内幸町へ。件のちゃんぽん屋さんで仲田大将主催の金曜会。他に鶴木さん、鰻犬先生と田岡さん。大将は母校が春の甲子園に行くというので終始上機嫌。何時もの「よかよか節」炸裂で、呉豆腐から始め佐賀牛のステーキ、連子鯛の南蛮漬け、鯨の刺身等等を高級日本酒で押し流す。会費は三千円で済んだ。酩酊状態の大将をJRに押し付け、吾人はメトロで帰宅。今日は万事首尾が良い。胃も肝臓も財布も時間もセーブしたから首尾というより守備だな。


3/1・木
 明け方は激しい雨。以後急速に回復。大風は吹かなかったが、暖気が入り春の陽気となる。こういう日は古い中華屋でラーメンと炒飯が食べたいと思った。併し拙宅周辺のそういう店は全てなくなって仕舞った(思いつくだけで、さつき亭、二宮、来々軒、中華一番・・・)。そういえば坪上君の家の近くには「どさんこ大将」があったことを思い出したので、のこのこと出掛けた。辿り着くには着いたが、昼の営業はやらないみたい。ならば下北沢に優れた古本屋があると聞いたので行って見た。此方も営業前。つくづく店運がない。其処で茶沢通りにある「丸長」という中華屋に入る。此れは当たりであった。街中華の要素が全てある。「散歩の達人」の取材も受けたよう。ラーメンと炒飯のセット840円。でも代沢か。少し遠いな。高齢な店主夫婦には頑張って欲しいと思うが。
帰り掛けに八百屋と巻き寿司屋に寄る。いい店はみんな国道の向こう側にあるから不便極まりない。夕方前に老家人を散歩に連れ出す。併し百メートル先で断念。吾人も花粉に巻かれ緊急入浴す。続いて老家人も強制入浴。凡そ二週間ぶり。

2018年2月

2/28・水
 朝から塗装工事。下塗り、本塗、二度塗りをする。大した壁面積ではないが、間に乾燥時間を設けなくてはならないので案外時間が掛かる。午後出社。本務校の中三の授業も本日で御仕舞。自習と質問タイムにしたが何の質問も出ず。何でもいいから発言するようにとしたのだが。此の学年も出入りが激しく、終始盛り上がりに欠けた印象。教科指導を除くとコミュニケーションが成立しない。退社後は立ち飲みB。春の嵐が近づいて来るというので早目の帰還。塗り直しの終了した玄関に入る。綺麗にはなったが、余り代わり映えがしない。いっそピンクとかにすればよかったな。こうして二月も過ぎ去る。
 裁量労働制の拡大は見送られたよう。専門職的な働き方を一般的な社員に広げようという事からして無理があった。派遣労働の全面的解禁の時と同様、どんどん拡大されてとんでもないことに成りかねない。今やるべきことは週休三日、若しくは週三十時間制の導入ぐらいだろう。生産高が同じで労働時間が減れば生産性は向上する訳だし。まあ労働法制が機能するのもある程度の規模以上の企業群だけどね。


2/27・火
 見て歩くと、五号室の給湯器から軽く水漏れしている。水抜き栓の辺りから。先月は余りに寒く、凍結防止措置をしたから、少し緩んでいたのだろう。適当に締め直したら収まった。よく分からないけど直って欲しい所である。買い物は二便。散歩も一便。日中暖かく、取り立てて無為。夜は玄関付近の品物の疎開留置。招き猫から観葉植物、自転車の空気入れ等等、ないようで実は物が溢れていると思った。無駄な物はない筈なんだけどね。
 女子カーリングチームはお国入り。夜のニュースで生中継されていた。現在の常呂北見市常呂町という区分らしい。サロマ湖の辺りである。鉄道は既にない。それどころか根元の石北線も危ない感じである。北見市にはふるさと納税が殺到しているらしいが、矢張りふるさと運賃制度が欲しいと思った。いやいや、そもそも東海道新幹線と山手線の阿保みたいな上がりのほんの一部でも三島会社に回すべきである。政治家は何をしているのだろう(特に自民党の旧来派)。もっと予算を取って来いよ。石北線がなくなったら玉葱も運べなくなるのだぞ。
 寝しなにBSドキュメント「麻薬中毒の街・ルイセローが見たアメリカ」。吾人も色色な物に依存しているのだろうが、薬物というものは桁が違うな。緑豊かな田舎町には深刻な依存患者が続続と。目の前でどんどん御注射を打たれていた。超強力な医療用鎮痛剤の濫用が招いた結果らしいが、つくづく社会が荒廃すると恐ろしいことになる。ウエスバージニア州は所謂ラストベルトになるのかな。アメリカという国も一度くらい亡びないのが不思議。アメリカは広いからな。でも半分ぐらいはもう沈んでいる計算である。


2/26・月
 寒い、遅い、風が強い、そもそも雪が降らない所だろうと散散な事を言われた平昌五輪も閉会。而も次は北京だというから驚く。パラリンピックも終わればまた政治の季節だな。
 午後千寿に出校。再び神保町で教材購入。序でに古書店も覗いたが何にもヒットしない。此の所余り頭が動かない。ならば積んである本を読めばいいという事にもなるだろうが、積んであるものを崩すにはもっと力がいる。退社後は町屋のBへ。併しD元常務は不在。早目の納杯となった。


2/25・日
 久久に出鱈目散歩に出る。出鱈目といっても一応目的地がある。相模原市に古い自動販売機を集めたところがあるというので行って見ようと思った。田園都市線を終点まで乗り、小田急線に乗り換え。相模大野下車。適当なバスに乗り、少し歩いたら着いた。そばうどん、ラーメン、ハンバーガー、トーストの定番自販機は皆揃っている。元元古い機械を集めていた人が、直して稼動させて売り出したら人気が出たとのこと。本業はタイヤ屋さんである。従って積年のオートレストランの雰囲気はないが、其の心意気に感謝したいと思った。早速天ぷらそば(300円)を食う。箱入りハンバーガー(280円)も頬張った。さてさて任務終了。以後出鱈目に歩く。
周辺は住宅開発もされているが、雑木林が残り、郊外型店舗の他には物流センターや自動車屋さんなどが点在。例によって歩いている人は稀である。吾人もこういうところに強制移住させられれば、軽自動車くらい運転しなくてはならないな。神奈川中央交通は頑張っているが、バスと自転車と時時タクシーでは生活が維持できない。特に両家人の通院が困る。
十六号を越え、横浜線を潜り抜け、都下に入った辺りでギブアップ。再び神奈中バスに乗り町田駅へ。町田と言えば、矢張り行天屋である。豚骨醤油ラーメン(700円)を脂少な目で。併し両隣りの学生さんはもやしと分厚い豚肉が沢山載った二郎のようなラーメンを食べている。「ぎ郎」というらしい。インスパイヤーばやりだな。糖質に加え塩分も取り過ぎた。駅周辺を暫し散策。「高原書店」にも寄ったが収穫は無し。横浜線で帰ることとす。長津田崎陽軒の弁当を三つ。此れで晩食の準備も終了。帰宅は三時前。交通費概算1400円。二万歩。


2/24・土
 朝から時刻表を買いに行く。例によって改定号だが何も面白い所は無し。改定されればされるほど詰まらなくなるのが此の世界である。次にイヤダカライヤダを繰り返す老家人を、一日歩かないと三日歩けなくなる(日が近づく)と諭して、散歩に連れ出す。併し150メートル先でギブアップ。復路は車椅子搬送となる。今年中には歩行困難、来年は寝た切りになるな。もう少し頑張って貰わなくては。本人にとっても周りの人にとって不幸である。
昼は環七の福森で付け麵(800円)。煮干しと豚骨の合わせ出汁。久久だけど矢張り旨い。小上りは小さな子連れで満員。世田谷の出生率はこんなにも高かったかと愕然とす。いやしかし翼翼考えて見ると、座敷のあるラーメン店は少ないからだな。本当に小さい子には畳の方が佳い。店のおばちゃんが手際よく捌いていた。つくづく給仕は年増の女性に限る。ファミレスや日高屋ではこうは行くまい。
近くの大関で晩食用の刺身盛りを買って帰る。夕方更に鳥屋の焼き鳥。午後からは暖かくなった。何度も出たり入ったり自転車で駆け回っているから鼻が可笑しい。愈愈来たようである。五号室入居。入居者とは先日顔を合わせたから、本日の挨拶は無しとした。
 ベネズエラ経済は大変なことになっていると今朝の新聞が伝えている。ハイパーインフレーションとなり、輸入に頼っていた店の棚は空っぽ。人人はみな痩せっぽっちになって仕舞ったとのこと。下らない品物で溢れ返っている日本の棚と取り換えたいと思った。いやしかし、まあまあの国でも僅か数年でこんなことになるのだね。此の国のスパイラルデフレーションも経済失政の一種だろうけど、今の所は飢えて死ぬことはない。其れでも将来のことは分からないと思った。
 女子カーリングはイギリスに競り勝ち銅メダル。カーリングが話題になったのは何回前の五輪からだろう(確か他の競技でメダルが余りに取れなさ過ぎて、結果としてカーリングが注目されたと記憶している)。立ち飲みSの小さいブラウン管テレビで遅くまでみんなで見た覚えがある。あれから苦節十云年の快挙であると思った。再開発でSはなくなり、「みんな」の中で残っているのは鶴木さんくらいである。


2/23・金
再三再四の銃撃事件を受けて学校の先生も拳銃くらい腰からぶら下げるべきだという議論が成されているとのこと。馬鹿馬鹿しいにも程があるが、併し学校というものは狙われやすい(恐らくショッピングセンターよりも)。矢張り学校で酷い目に遭って、先生や級友に恨みを持っている元生徒が多いという事なのだろう。アメリカのような所でもそうなのだから、日本など校舎ごと爆破されても可笑しくはない。爆薬が近くに在ればの話であるが。つくづく学校というものはもう少し何とかならないものだろうか。
 朝は小雨が残り結構寒い。本日は枝垂れ桃の植え替えだけやって終了。八時に来て九時に帰って行った。今年は寒くて雪が降って、植木屋さん泣かせだな。ぼんやりしていると今度は電気ポットが壊れたとのこと。まだ五年物である。汲み上げ機能は生きているが加熱が不能。電気魔法瓶式で結構高かったのだけれど。週に二度しか働かない炊飯器と違って二十四時間勤務だからかな。基盤が少し壊れただけだろうが、こういう品物は直せない。今更薬缶の生活には戻れないから、早速買いに出掛けた。早逝した象に代わり虎にしたかったが、省エネ式の物は象の物しか売っていなかった。約一万円。優湯生とかいう大そうな名前が付いているが、どの道数年の寿命だろう。同じ会社の物だから使い勝っても全く同じ。年寄りには丁度良かった。
ところで此の日記を始めて来月で七年。此の間殆ど全ての家電が入れ替わったと思った。洗濯機、冷蔵庫、エアコン二台、パソコン、吾人の携帯電話は故障により置き換え(結構な損耗率だ)。テレビは壊れていないけど強制買い替え。替わっていないのは、給湯器、ブルーレイレコーダー(ともに2010年製)と家人の携帯電話くらいだな。あと電子レンジと二台の掃除機は其のままだ。
ところで量販スーパーの向かいの牛丼屋には朝だというのに行列が出来ていた。携帯電話の会社が無料券を配っているらしい。どういうビジネスモデルだか知らないが、人をお貰いさんにするのは宜しくない傾向だと思った。大体只の物など此の世にはない筈である(太陽を除く)。
無責任社長が面談に間に合わないというので午後早目に出社。途中チラシ配り。八時前の退社後は晴雷亭、中華立ち飲みと連戦す。一方女子カーリングは韓国に必死に追いすがる。併し追い越せない。緊迫した場面で他の酔客に状況分析を求められた。延長十回ノーアウト満塁と応えた。野球の例えでは分からないというので、お腹を壊して乗った地下鉄が人身事故で動かなくなったようなものとした。矢張り最後の一投で決められた。事実上の完敗だな。帰宅は十二時頃。


2/22・木
 朝から小雨。非常に寒い。雪でも降ってきそう。植木屋さんは明日に順延となる。午後は国会中継を眺める。厚生労働省が提出した資料が出鱈目だったそうで、目下問題となっている。論文なら撤回、本なら絶版回収レベルの大間違いだという。日本で一番難しい大学を優秀な成績で出た人たちが作ったのだろうけどね。一体どうしたのだろう。ひょっとして学力低下
 夜は早速鯖の水煮の缶詰。其れにしても構成員の年齢がどんどん上がっているから、国民の関心事の上位は常に健康問題である。誠に情けない話であるが、四十過ぎの吾人ですら病気は怖い。ああなってこうなって結局死んで仕舞ったという話を聞くと実は震える。全ては運命だが、中には防げる病気もあるだろう。是非病気の体験館のような物があったら行って見たいと思った。こういうおしっこが出たら拙いとか、こういう見え方をしたらあの病気を疑うべきだとか、そういう病気の前触れのようなものを可視化し体験させて欲しい。入り口で血液検査をして、出る頃に検査結果を知らせてくれれば尚宜しい。当然併設の食堂は禁酒禁肉。健康長寿食を食べて貰う。施設は成るべく駅から遠い方がいいだろう。
 そう言えば昨日の社会科の問題で、地方自治体の業務にない物を選べと言うものがあって、正解は条約を結ぶというものがあった。いやしかし、自治体外交というものもあるだろう。例えば東京都が独自に条約を結んで、都下は絶対に狙いませんなどと署名させることは可能なのだろうか。幾らか対価を支払っても面白いと思った。現に山陰の方の県は余計な記念日を作って日韓関係を悪くしている。ならばその逆も可能という事である。


2/21・水
 午前中は塗装屋さんが下見に来る。カビだらけで余りにみすぼらしいので、玄関付近を塗り直すことにした。午後出社。金伍万円受け取る。年度末が迫り結構忙しい。退社後は立ち飲みBへ。更に天屋先生の姿が見えたので久久にバーI。三つ目の金メダルより有名俳優の急逝の方が話題となる。いい役者だった。心筋梗塞らしい。鯖を食べるとコレステロール値は急減すると先生に教えられた。最後に碑文谷で天麩羅蕎麦。一時頃帰宅す。久久に遅くまで飲んで回った。全部で三千円くらい。


2/20・火
 少し精をつけようと自転車で二十分走り、農大近くのラーメン「陸」へ。所謂二郎系(730円)。偶に食うと矢張り旨い。再び二十分走って帰宅。何だか草臥れて昏昏と午睡。夜は冷凍食。ぼんやりとテレビを見ているとメダルセレモニー。此処は君が代より「信濃の国」が相応しいと思った。練習の際にも国の世話にも余り成っていないようだし。


2/19・月
 概ね晴れ。午後千寿に向けて出校。神保町で途中下車(東急メトロパス利用)。三省堂で検定教科書を買う序でに「みすず」も入手。恒例の読書アンケート号である。雪掻き、インフルエンザ(多分)、確定申告に阻まれ最近本を読んでいない。何かしらのヒントを得ようとす。再び半蔵門線に。そう言えば電車にも乗っていない。時間があるので草加まで行って折り返した。東武の新特急と擦れ違う。併し会津には丁度去年の今頃行って仕舞った。出来れば電車特急よりディーゼル特急に乗りたいと思った。
此方の中三の授業は本日で終了。今後会うことは少ないだろうが、やる気と元気で高校生活を楽しんで欲しいと激励す。退社後は町屋のBへ。D常務は町屋店のオーナーとして独立したらしい。新たな従業員も雇い入れていた。少し独自メニューを開発してくれると有り難い。
帰宅後は時刻表を捲り返して検討す。併し何だか捗らず。「南紀」や「南風」や「宇和海」の文字を見ても心躍らず。鬱状態なのだと思った。そう言えば、一昨年の軽井沢の事故で低層大学の子がいなかったのは何故だろうと議論になった。金銭的な事情よりも、計画を立てて実行するだけの意志と能力がある学生が少ないからだろうという結論に達した。旅行計画を考えるというのは結構大変である。


2/18・日
 朝から晴れ。陽光煌めく。空気は冷たいがもう春は近い。家人は鎌倉で昼餐会。従妹の健二君の中国転勤の送別会でもある。本来なら吾人も出動する所だが、老家人一人を置いて措けないということで留守番す。北鎌倉の何だか高そうな洋食店を予約したそうだが、吾人は冷凍炒飯、老家人には冷凍饂飩。つくづく酷い人生である。
それにしても今月は警察署にも税務署にも赴いた。訴追と徴税は国家権力其の物である。鎌倉幕府の設立も最近は1185年と見る説が有力。其れは守護と地頭が設置された年である。出来れば官吏も税吏も居ない国に住みたいけどね。夜は女子スピードスケート。今大会二人目の金メダリストが誕生す。聞けば茅野の出身で松本の病院勤務。伊那の高校にも通っていたとのこと。飯田線にも乗ったのだろう。確かにあの辺は寒いことは寒いし、山もあるが、日本海からは離れているから雪は降らないな。


2/17・土
 午後には寒気が入り、再びの冬型に。偶には五輪中継を見る。男子フィギュアスケートでは金銀を独占す。大したものである。四年に一度の一瞬の大舞台に賭けるというのも、常人には推し量れないな。何しろ緊張感が違う。配られた夕刊には一時過ぎの出来事がもう出ていた。スポーツ中継もいいけど、此の後からの大騒ぎが厭なんだよな。
夜になって表彰式。君が代が流れていた。併しウインタースポーツというものもやれる所は限られる。まず第一に寒くなくてはならない。其の上にスキーやスノーボードをするなら雪が降らなくてはならない。山が必要である(寒くても土地が平たいオランダはスピードスケート一辺倒なのだという)。また逆にマリンスポーツは内陸県ではやりにくい。野球などの陸上球戯ですら未だに西日本が優勢である。結局日本という国も本来はバラバラなのである。明治政府に徳川家も参加させるアイデアもあったのだという。そうすれば廃藩置県は起こらず、日本は緩やかな分権型国家として近代をスタートさせた筈である。何れそうなったにしても海外侵略のスピードはもっとずっと遅かったに違いない。磯田という歴史学者が述べていた(2/10の東京新聞)。そっちの方が佳かったな。


2/16・金
 潮は満ち、大枚を上納する時が近づいた。愈愈税務署に進撃す。空いている窓口は三つだけなので、矢張り列が伸びている。二十分は待たされたが、まあまあの許容範囲。ちなみに初日からノコノコと申告に来るような人は御年寄りばかりである。eタックスなどは使わず、みな手書きの申告書の御様子(吾人も昨年まではそうだった)。医療費控除を受ける際、領収書の添付が不要になったことを知らない人多数。幾人も分厚い封筒を突き返されていた。また所得が少なくそもそもの申告が不要な人も多数来場す。区役所への住民税の申告だけで結構ですなどと言われている。とうとう税務署を間違えている人さえいた。相変わらずの珍プレー集である。併しこうして他人の間違いを見ていられるのも、余裕が出てきた証拠だと思った。老家人と吾人の二通出して三分で終了。現金で即時納付す。計測器にお札が吸い取られていく。丸でわが身が引き裂かれるかのよう。正しく血税。間接税や口座引き落としとは痛みが違うと思った。何はともあれ此れで全任務終了。
 早速、税務署の斜向かいの区役所の食堂に参る。麦酒でも飲みたい気分だったが、生憎まだ午前中なので麻婆飯のみ(830円)。両家人用に押し寿司を買って帰宅す。案の定、昼のニュースでは大物俳優が出て来て「納税は国民の義務」「早く申告するとすっきりします」などと言っていた。前者は大嘘だが、後者は本当である。漸く少し落ち着いた。
そう言えば、税務署付近にはインタビュアーもビラを配る人も居なかった。国税庁長官の罷免を求めて本日一斉デモンストレーションがあるそうである。何しろ大事な書類も綺麗さっぱり捨てましたと答弁した人だからね。領収書の束も山羊の大群が突如襲って来て一切合財食べられて仕舞いましたとでも言いたくなるよな。
 休憩の後、金曜日ではあるが、千寿に出校。途中散髪す。過去問演習等を執り行い早目の退社となる。町屋のBに行きたいところだが、何だか下腹部に自信がない。昼の麻婆豆腐が辛過ぎたか。(外の)トイレに行くべきか行かざるべきか、飲むべきか飲まざるべきか。一番無難な選択をして其のまま帰った。結局何ともなかったが、此れは結果論だな。兎に角、満員電車で脂汗、汚い便座に緊急着陸など、正しく悪夢である。


2/15・木
 久久に暖かい一日。まず老家人を床屋に搬送。帰りは頑張って歩いて貰った。昼は地元でとんこつ醤油ラーメン(700円)。最近碌な物を食べていないと家人が言うので、豚肉を買って帰った。塩麹を塗って焼いて食べる。


2/14・水
 午後出社。時節柄か小学生の女の子は色色な物を配っていた。最近は義理や友が主流とのこと。こうなると御中元や御歳暮や振る舞い酒と変わりがないと思った。経済というものの一定層が、贈与や喜捨で成り立っているというのも確かなことであるから、日頃の感謝の印しを配って歩くことは間違いでは無かろう。但し小学校の先生は公務員だから、社会的儀礼の範囲を越えたものを送ると贈賄に当たると指導した。そもそも贈り物に見返りを求めてはいけない。目指すべきは無償の愛と蕩尽、そして内需拡大である。
退社後は立ち飲みBへ。紫煙に巻かれ、くしゃみが止まらない。其れに何だかゾクゾクする。また風邪を引いたかもしれないと思った。早早に引き上げ(1200円)。帰り掛けにラーメンでも食べたかったが、最近はどの店も閉店が早い。空振りして帰る。
平昌五輪はメダルラッシュ。最近は少し強化予算が付いているのかな。能力があってもある程度の御金がないと伸ばせない。ちなみに国内のスキー人口は激減中である。交通宿泊費に加え、リフト代が掛かるからね。そもそもスキーというものは、発電所が拵えた力で位置エネルギーを貯め、運動エネルギーに変えている。詰まりモータースポーツの一種と考えるべきである(クロスカントリーを除く)。だから御金が掛かるのは仕方がない。JRなどは「(もう一度)私を(新幹線で)スキーに連れてって」なんてキャンペーンをやっている。残念なことに、寒い時期に寒い所に行く気力が沸かず、スキー場にはもう二十年も行っていない。併し此のまま太平洋側に人口が集中すれば、何れは五輪に出るような人が居なくなるかもしれない。雪も氷も出来れば無い方が有り難い。今年は特にそう思う。


2/13・火
 連日の大雪で北陸線の特急は運休続き。金沢から京阪神方面に行くのに、北陸新幹線プラス東海道新幹線を使うルートが推奨されている。此の場合、乗車券は其のまま使えるが、特急券は別途購入とのこと。北陸と東海道では乗り継ぎ割引も無いし、大変な出費になると思った。国鉄時代はもう少し頑張って走らせたのかな。詰まり早く新幹線を作って下さいと言うPRである。そう言えば長野五輪がなければ、あの新幹線はそもそも通っていたのだろうか。未だに軽井沢辺りまでの開業だったかもしれない。(189系のあさまリレー号とかが走っている?)
 寒気は関東まで入り込み、午後は何だか曇る。スマホの充電器を量販店に買いに行く。ラインアップを見ると案外高い。大体プラグと銅線で成り立つものであろう。そんなに高い訳がない。売り場の下の方にあったものを探し出して買い求めた。三百円。随分前の製品らしいが、機能に問題はなかった。
少し中味を整理しようと思い、スマホのデータをパソコン本体に移行す。すると4000件もの画像が勝手に転送される。三年近くでそんなにあったとは知らなかった(大半が勝手に保存されている)。中には伯母の最期に近い写真などもあるが、99%が全くの不要物である。98%を慎重に削除した。一時間以上も掛かった。何でも記録にとって措くということも考え物である。メモ魔という人に大抵碌な人はいない。


2/12・月
 再び冬型に。偶には変わったことをしようと思い、鶴木さんに昼食に誘われる。と言っても、行ったのは職場近くの晴雷亭。序でに一瞬だけ出社して資源ゴミを搬出。鶴木さんは早朝テニスの後に偶に寄っているのだという。他にも色色と御客が居て、昼から飲んだり食べたりしている。ところで晴雷亭のマスターはマスコミ取材を受けるかどうかで思案顔。夕方の民放ニュースの「人情商店」なんてタイトルで取材交渉をされたらしい。真面目なマスターは詐欺ではないかと心配している。見たところの企画書はA4一枚だが、幾ら何でも後から現金とかは請求されないだろう。長年の勤勉さが認められたのだから、是非受けるようにと常連客一同で説得した。
 昼飲みは麦酒一本で終了。帰り掛けに碑文谷の洋菓子店でショートケーキを購入。家人への土産とした。此の店は昔からあるので碑文谷の顔である。一個400円(税込み)。小学生の頃は一個300円位だったから良心的な価格設定だろう。どういう訳だか生菓子より焼き菓子の方に列が伸びていた。夜は五輪中継を垣間見る。強風で競技は大変そう。何しろシベリアから吹いてくるからな。日本海を隔てた側でも大荒れである。


2/11・日
 大体曇り勝ち。其れでも暖かい。スマホが充電出来ず。すわ故障かと思ったが、どうもケーブル側の破損のよう。通信兼用ケーブルでパソコンのUSBに繋いだところ通電できた。但し流れる電流が少ないらしく時間は倍掛かる。そう言えば本体の方も最近は調子が悪いし、こういうものは三年位で壊れるようになっているのだと思った。
 其の後日吉に向かう。鷺乃間君のおうちにお呼ばれす。坪上君同行。遅れて月波君。四時から八時までお部屋で飲酒。其の後、昨年も行った鯛めし屋に参る。閉店間際ということで一杯ずつ飲んで食べて御仕舞。鯛めしも上物は旨いが、御飯が悪いな。粒がバラバラでぼそぼそ。めし屋は飯が旨くないとね。連日の大量飲酒からか何だか調子も良くない。不完全気味に終了す。碑文谷駅から震えて歩いた。また冬になったみたい。


2/10・土
 朝はまあまあの晴れ。昼は「丸金」でラーメン(700円)。開店一番で入ったら豚骨の出汁が出てない感じ。あれでは丸大棒ラーメンの方が旨い。五号室落成す。他のどの部屋よりも完成度は高い。賃料ももっと高く出来たな。何しろ元が余りに汚かったから強気になれなかった。こうなったら早く入居して欲しい。空室を出さないことが賃貸住宅の基本。空き部屋は誰の利益にもならない。
 徐徐に曇って夜は小雨。比較的暖かい。南北首脳級会談。北の方から南北首脳会談の実施を持ち掛けて来たという。核開発の為の時間と資金稼ぎか、本気で方針転換を図って来るのかは全く不明。前者の割合の方が高いかな。実妹はニコニコとしていた。対立をエモーショナルに和らげようという積りなのだろう。表情から本心を読み取る機械とか、ないよなぁ。


2/9・金
 平昌五輪開幕に合わせて、北の高官も南入り。小皇帝の実妹もやって来る。妹なんていたんだね。常識人だといいけれど。融和モードは何時まで続くのだろう。閉会までかなぁ。
三恵新聞は米兵の美談を掲載し、掲載しない沖縄の新聞を好き勝手に非難していたらしい。美談はネット投稿の引用だそうで、そもそもそんな出来事は無かった。流石に訂正して謝罪したそうだが、酷い報道被害である。それにしても沖縄で三恵を取っている人なんているのだろうか。身の回りには偶にいる。床屋とか飲食店が多い気がする。安いからね。
午後出社。退社後は鶴木さんと須須木さんを佐渡屋に尋ねる。割と空いていた。御二人のお話しが余りに詰まらないので、テレビ画面に目を移す。丁度開幕式をやっていた。寒い時期に寒い夜中にやるとは、御苦労な話しである。Aも厭厭行ったらしい(但し誰にも構って貰えない)。パラリンピックの閉会式は何時だろう。出来れば無期限に延長して、通年開催として欲しいものである。


2/8・木
 寝て起きて見ると肩が軽い。確かに効果はあるのだけどね。度度鎌倉までは行けないな。かと言って、度度来て貰う訳にも。特に老家人は他者を家に上げるのを嫌がるから。殊に老境に達してからは益益。老いた姿を見せたくないのだろうけど。
 朝から晴れ。昼は「せい家」で付け麵。取り立てて無為。何時の間にか改憲は九条に絞られる形に。当初は九十六条だの、緊急事態条項だの、教育無償化などと言っていたのだが、何時の間にか外堀が埋められて、本丸を狙い始めている。愈愈行けないな。北陸の大雪は漸く止んだ。併し被害は相当なもの。数日分の食料は備蓄しておかなくてはね。元元は皆そういう生活をしていたのだけど。


2/7・水
 朝から晴れ。鎌倉で治療院をやっている年の離れた従兄のノリさんがやって来る。眩暈により遠出が出来ない家人の往診の為である。序でに吾人も治療して貰った。鎌倉から自家用車を運転して来て、大急ぎで施術して、疾風のように還って行った。どうもノリさんはせっかちでいけないと思った。
 其の後出社。立ち飲みBに寄って帰る。丁度マネージャーのМさんがいた。BチェーンもK社長の個人商店の段階から大手チェーンに経営転換を行っているとのこと。色色と不具合なところを直しているのだという。幸いにして従業員も休みが取れるようにはなったが、其の分メニューが画一的となり、昔からのお客様には御不便を掛けていると謝られた。休みが増えたのは佳いことであるし、メニューの画一化は時代の流れであるからな。つくづく店も大きくなると詰まらなくなる。


2/6・火
 朝から警察署に参る。別に何をした訳ではない。運転免許証の更新である。あれから五年も経って仕舞った。此の間、一ミリも運転しなくとも更新は更新である。三千円を支払い、視力検査を無事通過(少し危なかった)、写真撮影と進む。生憎次の講習まで三十分待ち。止むを得ず近所を散策す。隣には消防署がある。ぼんやりと眺めていると、丁度救急車が出場する所であった。指令によると腰痛により歩行困難とのこと。何だかのんびりと出て行った。そりゃまあ、女学生がマラソン直後に倒れ意識不明などとは気合が違うよな。
例によって講習後に新免許証が交付される。平成三十五年まで有効とある。併し平成は来年の四月で御仕舞である。三十五年は新元号の何年になるんだっけ。執拗に元号を使うのは御役所と金融機関だけだな。そろそろ止めにして欲しい。午後は日誌の整理。
日本海側は再三再四の大雪。特に福井が酷いらしい。アメリカの株安を請けて東京も全面安。それにしても、向こうの国の景気は順調なのだそうである。そうなると何れ金利が上がるから、取り合えず株を売って儲けて、其の結果として株価が暴落する・・・というのもね。相変わらずのマネーゲームであると思った。言うまでもなく、吾人の日記は月一回の更新である。ツイッターもやらない。株の取り引きも、其れぐらいの頻度に改めるべきであろう。
夜になり皇女の御成婚は事実上破談との報道がされる。此の所は男性側の家庭の問題が噴出していた。いやしかし、其処まで色色と粗を探されてもね。恋愛結婚などまず出来なくなる。異なる階級間での出合いの可能性がまだ其処にはあったのだけれど。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」す。とは言っても、日本国憲法天皇から始まるからな。


2/5・月
 朝から晴れた。通常勤務に戻る。まず老家人をデイサービスに連れて行き、其の足で量販スーパーへ。五号室に据え付けるガスコンロを購入。リニューアルの度に新造投入してきたが、もう何個目になるのだろう。何だか体力が落ちたようで這う這うの体で運び入れた。アンチネット通販派というのも結構辛い。
 午後千寿に出校。例によって半蔵門線に載っていると水天宮前で人身事故があり、神保町で動かなくなる。困ったものである。大手町まで行けば千代田線が待っている。僅か一駅。併しスイカで乗っているので振り替え乗車は出来ず。三田線に乗れば都営の運賃が余計に掛かる(更にメトロも)。困った困ったと考えている内に半蔵門が案外早く動くことに。無事千代田に乗り移れた。併しICカードで乗っていると、何でこういう扱いになるのかなあ。降りる駅を決めていないと輸送契約が完了していない計算になるからだそうだが、紙の切符で乗っている人など今時どれだけいるのだろう。(МXニュースによると歩きスマホの男性が線路に転落して無事に引き上げられたとのこと。迷惑な話しである。)
 退社後は町屋のBに。D常務はいなかったが、名代として宮川君がいた。色色と思い出話をし、今後のBの展望について語り合った。昔は常連客と店員さんでコミュニティーがあったのだけどね。こういう雰囲気も全ては懐かしい。大手飲食チェーンに買収されたBは愈愈酷いという事なのだろう。
 陸上自衛隊のヘリが佐賀で墜落。民家は全焼し、住民にも被害が出る。整備不良の模様。人数が足りてないのは米軍も自衛隊も同じらしい。


2/4・日
 早速朝からゴミ拾い。すると近所の社宅兼東京営業所も解体が決まったよう。ずっと前から空き物件であった。ネット検索によると持ち主は名古屋の食糧会社とのこと。売却してマンションにでもするのだろう。昔栄えた会社は色色と資産を持っているから、本業が傾いても何とかやっていける(黒字ならばスイマセン)。
 御昼になり成城にバスで出る。世田谷区選挙管理委員会主催の講演会を聞きに行く。帯同は月波君。例によって静岡に帰省していたそうなので小田原から小田急線でやって来た。講演者は生島ヒロシ殿。朝のラジオを聴いている人が多いと見え、参加者の大半が高齢者。御題は「明るい選挙」なのだが、大半は健康面のお話しとなる。まあこうして他人の話を生で聞くというのも最近は滅多にないことなので、結構楽しかった。三時半頃終了。
 其のまま下北沢に回航。立ち飲みBのステーキハウスに入店。新業態ということである。最近は肉ブームとのこと。USビーフ200グラムで1300円(税別)。さして旨いものでは無し。矢張り刺身に熱燗だな。まだ病み上がりの身なので、本日は此処で御開きとする(麦酒の味も戻らない)。バスに乗って帰宅。太子堂の魚屋で刺身盛り。まだ試運転状態なので結構草臥れた。そう言えば六十七歳のヒロシ氏は何十年も風邪を引いたことがないとおっしゃられていた。名護市長選挙では推進派の新人が当選。露骨な利益誘導にやられたか。其れに基地反対疲れというものもあるのだろうな。同じことを何十年も言い続けるのは大変である。それにしても基地について一言も発しない候補者というのも・・・。


2/3・土
 気が付いたらもう二月の土曜日である。今週は丸で記憶喪失である。まあまあ回復す。活力が染み出してくるという程ではないが、まず身の回りから片付け始める。日中曇り勝ち。とは言うものの此れと言って無為。
 例によって前任者を全否定するアメリカのTさんは、核戦力の強化を表明。まあ此の人もあと半年だな。其れにしても世界の半分以上が呆れ果てて居るというのに、「高く評価する」と真っ先に諸手を挙げて賛成する日本の外務大臣って、一体何なのだろう。Tと同じか、ひょっとしたら其れ以上に頭が可笑しいと思う次第である。


2/2・金
 昨夜からみぞれ交じりの降雪。最早雪掻きの気力体力なし。幸い熊手で掃く程度の積雪で済んだ。其れ以外は終日自室に籠る。私立中学を受けた女の子二人組は希望校に入ったよう。無給に近い状態で折角教えて、而も落っこちたのでは目も当てられない。幸いにして佳い方向に行ってくれた。大手の塾に行くよりかは佳かっただろう。また病人が心配なのか、時時シロが上がってくる。猫の御見舞い有り難う。御昼には止む。以後曇り。
 国会中継、与党系の質問、中味がないこと夥しい。解任されたT親方が、再び理事選挙に出て来て、落選す。此方も下らない事、甚だしい。不思議なもので何時まで経っても治った感じがしない。鼻水は収まったが、身体の強張りのようなものが取れない。発熱は少ないが、実はインフルエンザなのかもしれないと思った(多分B型)。昼は掛け蕎麦。夜は麻婆茄子。飲酒も一合程度。此の四日で使ったお金は1500円。一昨日購入した抗ヒスタミン代である。寒いのは辛い。


2/1・木
 強奪された仮想通貨の行方は、皆で監視しているらしく、容易に換金出来ないらしい。ネット上にはこういう「善意」も存在する。もう少しいい方向に生かせないものだろうか。
 朝起きて見ると、昨日よりかは具合がいい。けれど安静にす。買い物便は全て欠航。小雨の中、家人が買いに行くことになる。行って帰って来るまで小一時間。昼飯など腹が膨れれば何でもいいのだが、兎に角、早く戻って来て欲しいと思った。午後は微熱。鼻水止まらず。三日経っても少しも治らず。

2018年1月

1/31・水
 朝から晴天。昨日からずっと寝ているが体調は今二つ。抗ヒスタミンで鼻水を抑える。咳は無し。体はだるいが、風邪によるものか過眠によるものかは判断付かず。昨年の六月以来、凡そ半年振りの具合の悪さである。今年は本当に寒い。身も心も冷え切った頃に風邪を引いたのだと思った。
 午後出社。鼻水止まらず。何だかぼんやりする。風邪のせいか薬のせいか判別せず。過去問演習だが、マスクを掛け、成るべく遠目で小声で解説した。直ぐに帰宅し、レトルト親子丼。帰り掛けは夜空を見ている人が多かった。皆既月食らしいが、そんなことに構っていられない。吾人の人生自体が皆既蝕状態である。第一に月食など大して珍しくも無い。日食(NRE)も物凄い勢いで増殖しているし。こうして一月も終了す。


1/30・火
 朝起きて見ると喉が痛い。風邪という程でもないが、やはり昨日の寒む気は少し異状だった。確定申告と雪掻きで少し疲れたな。ちなみに今朝の気温は零度程度だが、此れで少少暖かいと思ってしまう。冬が寒い年は、夏が暑くなるというから、今から心配である。
終日自室に籠り安静にする。暖房も点けた。曇り勝ちで日中でも五度程度。今年の寒さは少し堪えた。昼は冷凍食品、夜は弁当。夜は少し発熱(した感じ)。やっぱり風邪を引いたよ。満願成就。


1/29・月
 朝から晴れた。漸く南の道路も全通す。従妹の優子さんに三人分の不動産所得収支内訳書を発送。此れで任務終了である。午睡の後、千寿に出校。ところで千寿校は二階にあるのだが、どうも一階の飲食店は長期休業の模様。因って冷気が上がってくる感じ。詰まり下から寒い。其れに此処のエアコンは新型の割りに利きが非常に悪い(そう言えば東芝だ)。鼻水も出て来る。また風邪を引いたのかと思った。退社後は町屋のBで中から温める。更に家系ラーメン。並びの「ジロリアン」は閉店していた。空いていてよかったのだけど、始終空いているようではラーメン店は続かないらしい。帰宅後に抗ヒスタミン


1/28・日
 朝は昨日の余り御飯を御粥にして食べた。日本人、中でも関東人は御粥を食べないな。病人食のイメージが強いよう。同じコメ文化圏でも中国や韓国ではもっと食べている。水分の多い御粥は、朝食には最適なんだけどね。牛丼チェーン辺りが売り出さないかな。朝粥、御代わり無料、しかも(安い)トッピング入れ放題とかやって欲しい。秋冬限定、売切れ御免でいいから。
 元闘将の死去に、前GMが肝いりで取って来た選手が次次と契約解除になるなど、碌な話題がない中日ドラゴンズだが、元大リーガーの獲得には成功した。而も格安で。痛めた肩が元に戻るとも思えないが、話題作りにはなるな。尤も大本命は愛工大名電出身のあの選手なのだろう。スターはスターのままユニフォームを脱いで仕舞うかな。うーん、暗黒時代は続く。
 冷え込みは漸く緩み、漸く普通の寒い朝となる。併しよくよく考えて見ると老家人は白色申告であった。最初から変な所をクリックしていたらしい。従って全部打ち直したが、内容は同じなので大した苦労は無し。マイナンバー通知カード等もコピーして貼り付け、確定申告書を全て完成させる。此れで吾人も確定申告の達人になったと思った(育成には数年掛かった)。
 チェーン店でのうどん休憩を挟み、午後は吾人の申告書の作成に移る。此処で問題となるのは昨年の大貧学院の給与である。何遍数えても五十万円しかなかった。不動産所得を足しても課税所得はごく僅か。予定納税額は二万数千円となる。恐らく、いや確実に、酒造会社に預けた税金の方が多いと言えよう。
それにしても所得税を納めるのは何年振りだろうか。大貧学院以前の職場は幾らか源泉徴収されていた筈である。吾人がきちんとした所に奉職し、八面六臂の活躍をするなどして世界に雄飛していたら、もっと沢山納められただろう。国民経済が縮小することにより失われた税収は所得税だけで如何ほどになるのか。此の十年いや二十年で軽く30兆、ひょっとしたら100兆円にも及ぶだろう。結局消費税頼みとなる。色色と腹が立って来たので、再びゴルフクラブで叩く。曇ってはいるが五度程度の気温はあるので結構砕けた。夕方には少し晴れる。少し向学しようと『世界(二月号)』を買って来て眺めた。夜は鯛刺しにお好み焼き。チリ産の安白ワインを一本。ワインの酒税って安いんだよな。こう寒いとビールはね。
夜更けに家人がブレーカーを落とす。浴室暖房機に電気ポットの使用が止めを刺した格好。電熱系は電気を食う。エアコンに勝る電気暖房はない。オイルヒーターなども法律で禁止した方が良い。拙宅からは随分前に撤去させた。


1/27・土
 依然として寒い。水曜日から殆ど解けず。例によって朝陽が当たる僅かな時間を見計らってゴルフクラブで叩く。例によって大して壊れず。鶴嘴が欲しいと思った。昼は「誠屋」でラーメン。買い物は計四便。
愈愈緑字の不幸の大型封筒が届いたので、合間合間に老家人の確定申告書の作成を開始。昨年は工事と引っ越しが多く、不動産所得は減少傾向。これら全てをホームページの案内に従って入力していくと、「青色申告特別控除」が記入されていませんなどと教えてくれる。そんな制度があるとはまるで知らなかった。何でも10万円の控除が受けられるらしい。自動で計算して貰い、あっという間に作成終了である(紙とトナー代は掛かるけど)。そんなこんなで所得税は結構減った(誤魔化した訳ではありません)。二月の十六日が待ち遠しい。此のままなら政府広報に出て来る芸能人のように初日に申告できる。世田谷税務署にマスコミ取材は来るのかな。「納税は国民の義務ですから」などと心にも無いことを一度言って見たい。
 なおインフルエンザが蔓延しているようだが、今シーズンはまだ風邪を引かない。別に何をしているという訳でもない。毎年無防備人間である。だから却って不気味である。また仮想通貨の大手取引所の「コインチェック」から「NEM」のほぼ全てが流出したのだという。こうして書いていても何のことだが分からない。要は鍵の薄い倉庫から球根が盗まれたのだな。つくづく終わりの始まりだと思った。


1/26・金
 続いての氷点下生活。日中晴れても五度程度。老家人は歯科医へ。往復歩いて貰った。のろのろと後ろから随行す。午後出社。小学六年生には過去問演習を、中学三年生には模擬面接を行う。明日は都立高校の推薦入試である。公立高校もこういう形式の入学試験をするようになって久しい。意欲のある子を取って学校生活をリードして貰おうなどという目論見があるのだろう。いやしかし、面接などというものも、対策をすればするほど、みんな同じようになって仕舞って詰まらなくなる。明るく元気に溌剌として頑張ります全体主義である。定員の幾らかは出鱈目な基準で入れた方が面白い。
 退社後は中華立ち飲みで1600円ほど。今週は良く働いた。家人の話しによると指輪は見つかったとのこと。夕刻本人が申告して来たのだという。そもそも駐車場で失くしたのではなかったのだろう。落とし物や忘れ物の類が見つからないのは、大抵見当違いの所を探しているからである。
拙室はいよいよ七度程度まで下がっていた。こうなるとパソコンも動きが悪い。日記も書けず。暖房は点けずに直ぐに就寝。アルコール式内部暖房を効かせてね。


1/25・木
 朝は結構冷えた。マイナス五度程度だという。まず道具屋へ行き、ポリスコップとアルミシャベルを購入。二つで3420円。前者は殉職した後任、後者は新任ということになる。今回の雪掻き作戦には間に合わないが、次回に備えなくてはならない。そう言えばハンマーも壊れている。仕方がないので、適当なゴルフクラブで叩く。されど打撃力が少なく効果は薄い。従って雪割り不能。駐車場の方は概ね終了したが、南側道路の困難は続くこととなる。今更ながら五号室の見積書が来る。95万円。予想より二十万は高かった。諸物価高騰中である。其の他の備品代を含めれば百を超える。家賃は五千円アップだから、償却には十年は掛かる計算。
 総じていうと、午前は雪叩き、午後は税務書類の作成に当たる。今年から国税庁のホームページに入力してプリントアウトすることにした。モリカケのモリの方で国税庁の長官は色色と責められてはいるが、此のシステムは案外よく出来ていると思った。ぼんやりしていると駐車場に人影が。若い女性に問い正すと、雪の日に雪遊びをしていて指輪を落としたのだという。併し既に雪はみな寄せて仕舞った。雪解け以後、探すことにす。春を待つ楽しみが一つ増えたと思った。昼はとんかつ弁当。夜は鋤焼きにして体力を補充す。


1/24・水
 晴れてはいるが異様に寒い。午前中から固まった雪を壊して歩く。鍬のようなもので叩き剥がす。特に南側道路が酷い。南、南と油断して対応が遅れて仕舞った。一旦固まったら数倍の労苦を要す。御向かいは業者さんに頼んだ模様。併し成年男子二人掛かりでも大して捗らず。玄関付近で作業終了となった。
そもそも南側と言っても、其れは拙宅からの方向であって、御向かいから見れば、即ち北側である。御向かいは四階建てに近い高さの三階建てになったから、建物の陰である北側区域が拡大して、道路全幅を覆い尽くし、愈愈全て北側道路となったと考えるべきであった。
 午後出社。退社後は祐天寺のB。併し知った顔など誰も居らず。直ぐに帰る。夜道を走っていても、雪掻きもされていない所多数。アイスバーンになっていて危険極まりない。大抵は空き家か荒ら屋か駐車場か無責任集合住宅か、気の利かないチェーン店(恐らく雪掻き道具が何もない)である。そして誠に残念ながら、拙宅の前も相当残って仕舞った。つくづく初動対応のミスである。今日から大変な寒波が来ているそう。電気も足りないというので中から温めて就寝す。


1/23・火 
 朝から晴れた。早速雪掻きだが人力の範疇を超えている。斜面と北側歩道を優先し、残りは太陽に任せることとす。御昼になって気が付いたのだが、南側の道路も大して溶けていない。ああそうか、四年前は御向かいは二階家だったからな。今更やっても既に圧雪となって容易に動かせず。雪掻き対象が増えたことに少し愕然とした。
 火曜だが千寿に出校。昨日の振り替え授業を行う。町屋のBに軽く寄って帰る。草津白根山が噴火。而も下の池の方からしたというから自然の事はつくづく分からないと思った。


1/22・月
 最近ではラストベルトの人も裏切られたと怒っているらしいけど、いやしかしアメリカであれだけ福祉が行き届かないのも、そもそもの軍事予算が多すぎるからである。年間数十兆円。アメリカの人口とGDPが三倍とすると、日本で言えば二十兆も使っている計算となる。富裕層が税逃れをしているとか、建国の理念に社会保障という概念がないとか、地方交付税交付金に当たるものがないとか色色と言われるけど、あんなに軍事費に沢山使って仕舞ったら、一般財源など残りゃあしない。此の点では民主党だろうと共和党だろうと大して変わらない(こういうことを言うと軍産複合体に殺される?)。何しろ日本など戦争も戦争準備もしていないのに借金1000兆円である。併し今後は戦争協力はさせられるな。此の先、一体幾らぼられることか。
 朝は曇天。小雪か小みぞれが降りしきる中、老家人を歯科に搬送。家人によると支払いは一回数百円足らずとのこと。×3.3をしても余りに安い。内科医など、お医者さんごっこのようなことをして毎回1450円である。歯科医が保険外治療に力を入れる訳である。
午後は大雪となる。千寿は休講とし警戒警固にあたる。予報より降り出しが早く、降り方も強い。四年前の大雪に近い感じ。帰宅を早めた御客の御蔭で各駅各線とも満員になる。こういう日に外に出てみたい気もするが、田園都市線は早い時間から殆ど動かなくなったというから出勤すら出来なかったな。併し雪が降るからといって大急ぎで退社して、其の結果、御客が殺到して電車が動かなくなるとは、一種の人災だと思った。雪で止まった訳ではないのである。今日から通常国会。雪の重みで施政方針演説も霞んだ。数次に分けて雪掻きす。四年ぶりにママさんダンプも出動さす。
猫さんの方も心配。使い捨てカイロを切り取った段ボールに貼り付けて猫小屋に放り込んだ。十時ぐらいには漸く弱まる。積雪は三十センチ近い。ポリスコップは、例によって首から上が取れて仕舞い役に立たず(一体何個目だろう)。となると鉄製の重いシャベルしかない。装備不十分である。


1/21・日
 女性向けシェアハウスの運営会社が経営破綻。サブリース方式で急成長していた会社らしい。実は其の物件から越してくる人が過去に居て、吾人も内緒で見に行ったことがある。建物自体は新しいが、立地の悪さと専有面積の狭さに比して、家賃の余りの高さに驚いたものである。入居率が低迷し、所有者に代金を支払えなくなったとのこと。さもありなんである。となれば家主の直接管理にして家賃を安くすればどんな物件でも直ぐに埋まるだろうけど、建設費の償還計画が大きく狂うな。そしてひょっとしたら、此れは、あれの終わりの始まりということになるか・・・。
 朝から胃も天気もすっきりしているので、出鱈目散歩に出た。小田急バスを成城の手前で下車。以後適当に多摩川を目指す。川べりを歩くと大量の書類が散乱している。解析すると中学三年の男の子の物らしい。むしゃくしゃして塾や学校のプリント類をほかしていったのだろう。見たところ、成績もまあまあである。こういうものはきちんと古紙回収に出すべきだと思った。其れに何しろネット時代だから、実名を晒される危険だってある。人より多少頭が良いなら分かるだろうに。此の場を借りて苦言を呈したい。
其のまま歩き通し、玉川高島屋脇の「いっせい」でラーメン休憩。鶏がらベースの落ち着いた味。大盛りサービス付きで七百円とは今時良心的だと思った。更に歩く所存だったが、何だか草臥れたので再びバスに乗って帰宅す。其の後夕飯の買い出し。全部で二万歩余り。折角二子まで行ったのだから、家人向けに瀟洒な店で体裁の良いお菓子でも買って帰るべきだったと思った。此の所は生活必需品の調達に追われ、嗜好品のことまで頭が回らなかった。


1/20・土 
 当然宿酔気味。朝はレトルト御粥。午後に煮麺。終日電気工事。どろどろになったエアコン(三洋機)も交換す。後継は吾人達ての希望で空調専門メーカー(ダイキン)にした。胃をさすりながら量販スーパーにLED照明を買いに行き、序に取り付けて貰う。ナショナルの国産品(二台で二万余り)。蛍光灯式のものは廃棄する。まだまだ使えるとは思うが、所謂創造的破壊だな。また別室の室外機がカタカタと五月蝿いので、此方も見て貰った。原因は掴めず。不整地に設置していたから、箱が傾いて捩れて仕舞ったのかもしれないとのこと。まだ五年物である。ちなみに此れは東芝機。原発メーカーが片手間に拵えたルームエアコンなどつくづく駄目だと思った。色色な物を噛ませて調整す。老家人は三度目の歯医者。何とか概ね治ったらしい。夜はベーコンエッグに納豆ライス。朝飯のようなものを食べて本日無酒とす。


1/19・金
 佐藤優氏が「本音のコラム」で、短期間で猛勉強して難関私大に入っても、幅広い教養が頭に入っていないから大学の授業には付いて行けなくなると述べていた。其れは確かにそう思うけど、吾人の経験上、大学でまともに勉強しているのは概ね二割程度だな。スポーツやサークル活動など学業とは関係ない所でキャンパスライフを満喫している学生が多くて三割。全体の五割程度はただ授業料を支払うだけである(そもそも勉強などしたくも無い)。そして此の五割の学生が居ないと私大経営というものは成り立たない。詰まり向学心に燃えた学生が万が一にも大勢入って来ても、もともとの先生が足りないからきちんと教えられない。国公立の事は分からないが、都心の大規模私大などは今も昔もこんなものである。
 大体曇り。大工工事が粗方終了したのでガス工事。案ずるよりするが易し。あっという間に終わる。引き続き、水道設備の改修(洗濯機置き場を中に入れる)。不動産賃貸業とは不動産改修業である。また何を隠そう此の五号室には極めて幼少期の吾人も入居していたらしい。二歳ぐらいまでであったので其の記憶はないが。其れに当時を知るような造作類は今回の工事までに全て無くなって仕舞ったけどね。
 其の後老家人を歯科に搬送。可成り奥までやられているらしい。切開までしたそうである。ふらふらになって帰宅す。暗くなった頃に月波君が来たる。まずもつ焼き屋へ参る。続いて坪上君も来る。古くからある御寿司屋へ移動。店の前を一万回は通ったことがあるが、中に入るのは初めて。今は代替わりして兄弟でやっているらしい。後継者がいるとは頼もしい限り。色色とサービスして貰えた。出前があって、会合やちょっとした法事にも使える寿司屋や鰻屋は沢山あったんだけどね。拙宅が贔屓にしていたような所は全て廃業して仕舞ったのであった。最後は中華屋で紹興酒。同じ世田谷の坪上君はタクシーに、月波君は最終電車に載せて返す。ふらふらになって帰宅。わざわざ御足労願ったので、吾人が多く支払った。一万数千円喪失す。


1/18・木
 再び晴れて来て暖かくなる。午後は曇る。老家人の歯痛益益酷くほぼ終日就寝す。市販の鎮痛剤も効かないらしい。いやしかし、折角ああして歯科に連れて行って、どうして前より酷くなるのだろう。世の中にはまだまだ不思議な事が沢山あると思った。
 節約しようと晩食は粉ものにした。豚肉二百円、キャベツ百円分、長芋二百円、その他概算二百円。此れで家人と二人で十分食べられる。外で食べる其れはどうしてあんなに高いのだろう。


1/17・水
 一転して曇天。老家人を歯科医院に搬送し、一時間後に迎えに行く。介添えした家人によると、担当医師は余りに突っ慳貪で、問診は刑事の取り調べのようであったという。年寄りの汚い歯など見たくもないのだろうな。一方の家人は保険内治療なので儲からないからだろうと推測す(初診料入れて二千円余り)。歯科というのも大変毀誉褒貶の激しい世界である。地元を対象とした匿名の掲示板でも歯科ネタは大抵荒れている。どちらにしてもあらゆる歯がグダグダで暫らく通院を要すとのこと。ある年齢まで行くと総入れ歯の方が楽だな。兎に角、また面倒なことが増えた。
 小雨のなか出社。金参万円受け取る。此の時期は過去問対策をするのだが、推薦入試が迫り中学生は上の空。面接と自己PR書の作成で頭が一杯の模様。入試の多様化も考え物である。立ち飲みBでOさんと会い、其のまま中華立ち飲みに。雨がすっかり止んだ頃に帰る。十二時過ぎ。


1/16・火
 昨日教えた中学生のテキストには「海と毒薬」が出ていた。学習塾向けの教材には色色なものがある。本務校とは違う教材会社だったので初読だった。幸い拙宅には「新潮日本文学」があるので(家人の嫁入り道具だったらしい)、早速読んでみる。中学一年用に引用されていたのは、研究生戸田の告白の所で、小学生の頃、転校生に酷薄な心の奥底を見透かされているようで恐ろしかったと振り返るシーンであった。其の後も彼は次から次へと問題を起こし、その都度何となく正当化に成功す(なまじ頭がいいからな)。段段と心が麻痺して仕舞い、ついに解剖実験に手を貸すことになる。いやしかし何処かで思い留まることは出来なかったのか。別に神様が居ないから罪の意識が育たないという訳でもない。要は心に常に「若林稔君」(転校生の名)を置いて措けば済むことである。神ではなく、彼が見ている。大抵の人は、其れで十分な筈なのだが・・・。何はともあれこういう作品を一個丸ごと読めば、相当な読解力が付くと思う(序に歴史の勉強にもなる)。短編やぶつ切りでは駄目だな。此の点は検定教科書も同じ。
 一日晴れて暖かい。家人は鎌倉の伯母さんの付き添いで御茶の水の医科歯科大付属病院へ。すっかり弱って仕舞って見ていて辛かったと宣う。伯母さんは心臓も悪いが最近はどうにも首が悪いらしい。なお東京駅で伯母を見送った際、家人は「スイカ」を落としたという。記名式ではないからどうにもならないな(特別損失凡そ三千円)。老姉老妹介助である。


1/15・月
 一日まあまあ晴れた。今後は冬型の気圧配置が崩れ、少しは暖かくなるとのこと。中目黒経由で千寿校に出社。途中『トラクターの世界史』。退社後は町屋の立ち飲みBへ。D常務と少し話しして帰る。千代田線に乗ったのだが、例によって尿意を催し大手町で降車す。併し相変わらず、地下駅は何処が何処だか分らない。地下迷宮である。最近のメトロはあらゆる駅で改修しているから尚更である。番号や色などで案内しているらしいが、そんなものは直ぐに忘れて仕舞う。目印になるものをもっと沢山置いて欲しいと思った。成るべく有機的なものがいい。例えば、別れの一本杉の模型とか、兄弟船のレリーフとか。そうすれば次のトイレは矢切の渡し舟のちょっと先だとか、目的の出口は暗い待合室の手前を左だとか。様様な記憶に焼き付けることができる。漂流者はそういうものを頼りにするから。
 老家人は歯痛を起こす。併し馴染みの歯科は過日閉院に。別の歯医者は明後日にならないと空かないという。痛い痛いと大騒ぎでつくづく閉口す。


1/14・日
 今日も関東は冬晴れ。T大統領の健康診断の結果は良好とのこと。頭もちゃんと調べたのかと言う声も大きかったそうだが。就任から丁度一年。もう此の人の事は無かったことにして、早く忘れたいという世論が大きい感じ。早く辞めさせた方が本人も喜ぶはずである。実を言うとT氏には感謝もしている。メークアメリカグレート(アゲイン)、第五文型の説明には最適だったしね。だから一刻も早く引導を渡して上げたいのである。昼は「誠屋」でラーメン。買い物便多数。夜は鶏つくね+豆腐+葱白菜他という出鱈目鍋にした。兎に角、鍋物にすればカセットガスの排熱も暖房として使える。


1/13・土
 昨日と同じような寒い一日。こんな中、大学入試センター試験日本海側いじめだな。目黒区の駒場東大前辺りにある大学入試センターも北陸方面に移転すべきである(そもそも東大の近くにあることからして宜しくない)。行って見たら、此れは酷い・・・、ならばもっと前にやりましょうという事にもなるだろう。でもセンター試験って、新しくなったらどうなるんだっけ。
いっそ大学入試そのものを六月くらいにしたらどうだろう。高校を卒業して三ヶ月みっちり勉強して、試験を受けて、九月に入学する。これぞ国際基準である。学習塾も少しは儲かる筈である。ただ此の方式だと高校の先生が困るな。卒業生の面倒を半年先まで見なくてはならないから。
 七号室入居。若い会社員のようだから滞納の心配はないな。一応挨拶す。昼はスーパーの弁当。夜は肉屋の焼き鳥。何度も出たり入ったりしていると、矢張り鼻が可笑しい。一月から花粉症だとすると、此の春は大変なことになる。


1/12・金
 日本海側は大雪。関東も結構冷えた。五号室は電気関係の集中工事。「家人の体調が悪い」ことにして本日欠勤す。勿論、嘘ではない。さてさて何処かに出掛けようと思った。丁度JRではスタンプラリーをやっている。対象は吾人も慣れ親しんだロボットアニメものである。一瞬食指が動いた。併し用があっても乗りたくない国電にわざわざ乗り、而も乗ったり降りたり走ったりするのは難儀である。其れに混んだ車内でインフルエンザでも移されたら両家人の命に係わる大問題である。
 という訳で田園都市線で下ることにした。長津田行きの急行にぼんやりと乗った。古参の8500系である。此の車両は吾人が幼少の頃から走っている。田園都市線の顔と言えば顔である。プレートを見ると昭和五十一年製とあった。関東の大手私鉄で此れだけ古い車両が活躍するのも奇跡のような話だと思った。というのも後継の5000系になまじ六扉車を組み込んだのが悪かった。後にホームドアを付けることになり、作ったばかりの六扉車は減価償却もままならず全車廃棄に。此処で更新計画が大きく狂ったのである(と推測している)。それでも東急は漸く第二次更新計画を明らかにしたから、8500の活躍もあと数年だな。
 冬晴れの中、淡淡と進む。前が詰まっているので自慢の爆発的モーター音が聞こえないのが残念。其のまま中央林間まで乗り通し、小田急に乗り換え。此方も江の島まで乗り通した。橋を渡り、適当な回転寿司屋で日本酒休憩。併し地酒の類は一合800円もす。そうなると450円の「松竹梅豪快」に逃げるしかない。二合飲み、神社まで登り、少しお祈りをした。さて此処から少し海岸を歩こうと思ったら、くしゃみが止まらなくなる。冷気に当たったのか、花粉症か、結局のインフルエンザか。其のまま帰ることす。併し江の島から帰るのは難しい。江ノ電、バス、モノレールと魅力的な交通機関が目白押しである(エスカーもある)。思案の末、一番乗っていないモノレールで帰ることとす。階段を延延と上り、湘南モノレール駅改札口に。経営は三菱系から事業再生などをやっている企業グループに移ったらしく、色色と改修工事中のよう。設備投資してくれるとは有り難い。ただカードの類は何も使えず、未だに現金で切符を買う仕組みとなっている。此の辺も早く改善して欲しい所である。
モノレールは日本に幾つも無い懸垂式とあり、其れ自体が遊園地のアトラクションのようなもの。江の島観光と組み合わせればもう少し御客も増えるだろう。乗って見ると、下に何もないからすっきりしている。坂を上ったり下りたり。民家の軒先や庭をかすめたり、マンションの部屋を覗けたり。いっそトロッコ車両のように窓を取り外したら面白いだろうと思った。「湘南(風が)ビューっとモノレール」とかね。而も揺れ方が違う。当然ながら上から篩に掛けられる感じ。此れも他に例がない。
 大船駅で蕎麦休憩。ホーム上の店は昔ながらの総立ち蕎麦である。暖簾にはNRE大船軒とあった。地元の駅弁屋と日本食堂、どちらに強い経営権があるのだろう。蕎麦自体は至って普通だった(やはりNREか?)。中から温かくしても依然として鼻水止まらず。斯くなる上は逃げの一手である。横浜で東横線。東急ストアーで晩食の材料を買い込み、東急バスで戻る。三時半過ぎ。崎陽軒の弁当でなくて家人はがっかりしたようであった。弁当より温かい鍋物の方が良いと思ったのだけどね(炊事が兎にも角にも面倒とのこと)。直ぐに抗ヒスタミン
 信越線で普通列車が遭難。満員のまま一晩閉じ込められたという。動かない列車に立ちっぱなしなど、想像しただけでも恐ろしい。新潟の人は辛抱強いと思った。吾人なら非常コックを開けて勝手に降りるな。行き当たりばったりに歩いて、ラッセル車に撥ねられるか、氷雪に倒れた方が増しである。


1/11・木
 近所のコンビニが新装開店す。経営統合された店なので、看板も架け替えられた。二ヶ月近くも休業して中味も作り替えた筈だが、何だか変わったようには思えず。大体誰が作っても同じようになるのがコンビニというものである。中小チェーンも淘汰が進み、此の業界も結局大手三社の寡占市場である。オーナー夫婦も交代した模様。夜勤担当の旦那さんの疲労蓄積状態が年年悪化していて、最後の方は見るに忍びない程であった。コンビニが儲かったとされているのって何年前までだっけな。其れでも本部だけは儲かる仕組みになっているそうである。
 昨日の新聞によると、あれほどロシア寄りとされた米政権内部でも、プーチン氏=(冷戦後の国際秩序の改変を狙う)修正主義者とする見方が強くなっているとのこと。修正主義か膨張主義かで、色色と議論が分かれると聞いたことがあるが、要は大国主義が中中消えないという事である。つくづく住むならば、矢張り小国、而も寡民が一番であると思った。尤も東アジアの中くらいの国は、寡民化のペースがやや急激な点が気になることである。其れはロシアも同じだったけな。
 昼は居酒屋チェーンで「鶏の唐揚げ定食」(750円)。注文してから出て来るまで二十分も掛かったが、出て来たものは結構旨かった。一応大庄グループは店内調理をしているというから、少しは待たなくてはね。午前午後と『ゴヤⅢ』。「戦争の惨禍」シリーズである。ナポレオン軍に蹂躙された国土では凄惨な殺戮戦が延延と続く。「憤怒を発した軍隊のやることはきまっている。またしても虐殺と掠奪である」。そして「人間はこのあとも戦争の惨禍をくりかえし、南京大虐殺からアウシュビッツ原子爆弾までも投げつけるのである」。現代に於いても、イラクからシリア、南スーダン周辺そしてビルマの山岳地帯でも・・・。「歴史のかかる光景に接していると、私もがゴヤとともに人間に絶望しなければならなくなる」。「この絶望を越えて、なおも生きて行くことが出来るためには、人間がかかるものであることを身に徹して認識し、表現してかからねばならぬ」。そういう覚悟のようなものが最近の政治家からは感じられないな。戦後の一時期まではあったそうなのだが。国民にもね。
犬型のロボットがソニーから再発売される。最新技術で感情の機微が分かるようなるそうである。更に気まぐれな猫を作るにはもっと時間が掛かるだろうと思った。其れに身体能力も違う。


1/10・水
 南北朝鮮は閣僚級会談実施で急転直下の雪解けムード。同じ民族だから対話もし易いだろう。過大な期待は禁物だが、取り敢えず核開発の凍結だけでもしてくれれば十分である。併し大慌てで対話を求めて来るあたり、セーサイキョーカもまあまあ効果が出ているらしい。其れに核実験場では山体崩壊に放射能漏れ、ミサイル実験の失敗でも相当な被害が出ているとの観測もある。小皇帝も流石に拙いと思ったのだろう。また韓国大統領は日韓合意を見直したいとの発言もしていた。PとAとが結んだものだから我慢ならないのだろうな。何しろAは歴史修正主義者だもの。
 良く晴れて風強し。午後出社。本務校で三週ぶりの授業。退社後は立ち飲みBへ。日本酒を一気に入れて中から温めて帰った。


1/9・火
 朝には止んだ。早速五号室の工事を開始す。まず古い造作の撤去。昼には終了す。すると午後はガス工事。併し既に大工さんは御帰りに。何も分からない家主を挟むと、意思の疎通は電話が頼りとなる。なかなか巧くいかず往生す。空いている七号室の流し台を見せて納得して頂いた。完成図があると分かりやすい。百聞は何とやらだな。南風が吹き荒れ、異様に暖かい。よくよく見るとナンバーサインがなくなっている部屋が多い。色の濃いボール紙に白い修正ペンで書き入れて貼り付け直す。他雑用多数。
 昨日の成人式の直前に晴れ着レンタル業者が倒産。多くの新成人が路頭に迷ったそう。其れでも従業員(数か月前から無給らしい)の自主営業やボランティア等の活躍により、何とか仕立てて貰って式に出られた人が多かったという。持ち逃げした社長は逮捕されるとして、所謂美談にはなるだろう。併し成人式など考えた事もなかった。あの日の吾人は何をしていたのだろう。そう言えば浴衣以外の和服など着たこともない。女の人はまた違うのだろうけど、二十歳人口も急減するから此の産業ももう御仕舞だな(そもそも新規参入してくる方が可笑しい)。何もない夜は白ワインを呑みながら、東京FМからJウェーブへ。FM局もよく勉強している。


1/8・月
 早目の成人の日。午前中久久に本務校に参る。本日は休講日だが、講習の後片付けや散乱したゴミの分別廃棄、事務仕事等等。一時間半ほどで終了す。直ぐに自転車でぶらぶらと帰る。途中、「六厘舎」がプロデュースしたとか云う店で、付け麵の並盛(630円)。安くて旨くて大変結構だが、みんなセントラルキッチン方式なんだろう。生産性を向上させると、結局こういう非の打ち所の無い店ばかりになる。いっそ生産性を低下させ、経済を非効率化させよ。面白いことが起こる筈である。午後から雨。夜は結構降る。
 大阪大で出題ミスが発覚。三十人が追加合格されることに。併し一年も経った所で、実は合格していましたと言われてもね。幾ら人生は出鱈目と偶然の連続とは云え少少辛い(特に十八歳には)。また追加合格はあっても、追加不合格というものはないから、代わりの三十人は神様の気まぐれで入学しているという事になる。其処で藤田省三先生が、入試の際は一人だけクジ引きで合格させておけばよいとおっしゃっていたのを思い出した。勿論当人には内緒で。そうすれば合格者は、ひょっとしたら自分は運が良かっただけなのかもしれないと悟ることになり、受験エリートの類にも少しは謙虚な姿勢が身に付くだろうと。一般入試が今より遥かに過酷だった頃の話しである。


1/7・日
 昨夜は色色と刺激された。少少向学しようと、朝から本を注文したり、読み返したり、また日誌の整理。数日来、買い物便が欠航して碌な物を食べていないというので、「オオゼキ」で牛肉を買って来て、焼いて食べた。


1/6・土
 冬型の一日。芥田先生の書斎で新年会の日。千葉市に向かう。まず渋谷で途中下車。のれん街で「ウエスト」の御菓子を購入。其の後東西線に乗り換え。西船橋の「めとろ庵」で蕎麦休憩。一時過ぎに参る。参加者は月波君、客乃間君、鷺乃間君。夕方遅れて藤松君と西嶋君。近況報告の後、『近代日本哲学思想家辞典』の中江兆民の項を講読。以後、奥様のお料理と持参した刺身盛りに御酒を交える。以降話題は多方面に散らばる。記憶に残った点を以下列挙す。
未来は暗いという時代は今まで余りなかった。明らかに下り坂の時代だが、それでいて何となく危機感がない。何とか知恵のある者が出て来て、多少は盛り返して行くようにしたいもの。こういう考え方は愚管抄にもある。(以下引用す。「そこで、世を治める君はほんの少しでも正しい心を取り出して、無間地獄に落ちるような無道の有様を少し普通にし、何といっても世の中には末世の道理を弁えた人が、僧俗の中に二、三人か四、五人くらいはいるであろうから、そういう人を召し出して、天下のために仕えさせてほしいものである。」)
一つの中国という概念は「排満興漢」以来の物で、漢民族とててんでバラバラ。中国は進み方によっては中華連邦のような連合国家になる可能性もあった。また現代中国の経済格差と情報統制は想像を絶するもので、何かの拍子に再び革命が起こる可能性がある。正にマルクスの予言した通りである。其れを防ぐために、現国家主席はやっきとなって経済成長させている訳で、別に中華帝国を復活させようなどという深慮遠謀がある訳ではない。少子高齢化は日本を上回るペースで進んでいるから、何れ自転車操業が止まってしまう可能性がある。其の時は・・・。
他には、①川上徹の『査問』は読む価値がある。そしてそのような党がいまだに存在していることが奇跡のような話で、天皇制と共に「世界遺産」に登録すべきである。詰まり、早く無くなった方がいい。②六十年代の私大教員の給与水準は極めて低く、みな第二種兼業農家のような生活であった。改善するのは私学助成が入った七十年代以降であった。③最後に勤めた公立大学の学生の実に三分の一近くは住民税が非課税世帯で、多くの学生は県から出て遊びにいくことすらままない。特に地方では貧困化が著しい。④Aには大した思想信条がある訳でなく、ただお爺さんの真似をしているだけ。既に家業である。後任を狙う筈のK氏にも覇気がない。其れも家業だからである。⑤政治学というものは四十を過ぎたら自然と分かるようになる。実社会的経験論。⑥お爺さんは九十過ぎたら駄目。婆さんは元気だけどね。
実に十時近くまでお邪魔する。再び電車に乗り、九段下経由で帰宅。十二時過ぎ。此れで年末年始の行事は全て終了す。


1/5・金
 未明に起き出し、五号室から出された大量の漫画雑誌と千寿から持ち帰ったテキスト類を表に出す。するとあっという間に白いワゴン車が来て持ち去って行った。あうんの呼吸で回収するあたりは沈黙交易のようだと思った。併し古紙の需要はまだまだあるのだね。出来れば千寿校まで取りに来て欲しい。ゴミの山、いや宝の山が其処にはあります。
 朝から曇り。寒の入りらしい天気。五号室退去。不動産屋さんのSさんと立ち会う。元元がリニューアルもしていない古い部屋だったが、見たところ、凡そ表現も出来ないような壊滅的状態となる。数年来真面に掃除もしていなかったらしい。こりゃあ全面改装だな。シンクもエアコンも壁紙も床材も。ちなみに未納分は数十万円。今後少しずつでも支払うようにと念書を交わした。いやしかし、こんな書面にどれほどの効力があるのだろう。半分ぐらいは払ってもらえるかな。それでもまあ何とか生活を立て直してくれれば・・・と思う次第である。何かの都合で所謂「事故物件」になるよりかはね・・・。其れに帰るべきクニやイエがある人は、まだまだ良好な部類である。
 午後千寿に出校。例によって理科と社会を中心に適当に教える。担当ではないが、どうにも物覚えが悪い生徒がいるらしく、教室全体にはS子先生の怒号が響く。集中攻撃に当たっているよう。他の部屋にも丸聞こえである。例によって辟易とす。例によってああいう子に激昂したところで、丸で仕方の無い話しである。平均すると吾人は週に一回の勤務だが、彼らは毎日のように言葉の暴力に晒されている。つくづくS子には教える能力がないと思った。こういう教室はもう滅んだ方がいい。そして廃業する前には、回収業者に入って頂いて、森林資源の回復に役立てていただければ、世の為や地球の為になると思う次第である。
七時過ぎに退社。町屋で途中出場。立ち飲みBの新店に入る。先月末にBチェーンはとうとう町屋にも進出した。運よくD常務も居た。D君は新規立ち上げ担当重役でもある。色色と言葉を尽くしながら新従業員に指導している。従業員といったところで大抵はずぶの素人であるし、そもそも言葉も違う。日中か日越連合チームである。S子にも見習わせたいと思った。少し話ししてから地下鉄で延延と帰った。


1/4・木
 未明から可成りの胃痛。何度か洗面台に顔をうずめた。新年早早碌なことがない。毎年のように節酒の誓いをしているよう思う。来世は下戸になりたいと願った。昼前にはどうにか収まる。
 今日から残りの講習。千寿に参る。途中「はなまるうどん」。何だか口も頭もよく回らない。休み過ぎたか(いや、飲み過ぎだな)。退社後は大橋の自動化寿司でノンアルコールビール。其のまま帰宅。地下鉄も結構空いていた。三が日も四が日にすべきである。本日完全休肝


1/3・水
 朝は御粥と御酒を一杯ずつのみ。正月だからといって二倍も三倍も飲んだり食べたりできない。もう鹿の食うようなもので十分である。あらゆるものが過剰だと思った。新聞を三紙も四紙も読めないのと同じである。詰まり情報も過剰である。鹿の耳と目がいいな。あと頭も。考えなくていいから万事楽である。
 恒例の駅伝見物に参る。晴れてはいるが北風強く、観衆も少ない。例によってA学院が独走す。其れでもオレンジ大学は往路の五区に山の神が降臨し、六区でも健闘したので六位に入った。少子化の故、何処の大学も駅伝に力を入れているよう。何しろ十八年後の十八歳人口は94万人である。併しね、駅伝を見て感動して、○○大学に入りたいとか思う子がいるかね。タレント教授が沢山出てきた方がまだ宣伝効果があると思うが。
寒風の中を川崎まで歩き、去年も入った「香楽園」で大量飲酒。総勢九名で飲み放題を付けたから、給仕が間に合わないほど。やはり中華は此れぐらいの人数で食べないとね。三百円均一の小皿料理ばかりを頼んでは可哀想なので、少し高めの料理も注文す。脱デフレは身近な所からである。其れでも一人2500円。更にカラオケに行き、イタリアンにも入った。流石に吾人は此処で早退す。ふらふらになって帰宅。


1/2・火
 再び冬型に。晴れてはいるが風強し。朝は和洋中の残り物で小量飲酒。昼は野菜たっぷりタンメン。夜は貰い物の蒲鉾とハム。四国の親戚から送って来たものだが、昨年来、幾らむしゃむしゃむしゃむしゃと食べても一向になくならず。あらゆるものがつくづく過剰であると思った。此の二日の消費支出は新聞代の330円のみ。そう言えば昨日の毎日新聞に、生産性を二倍にすればGDPが二倍になるとか言っている人がいて驚いた。ハムや蒲鉾が今の二倍も作られても一体誰が食べるのか。鹿の食うようなものを食べていた頃と勘違いしていると思った。ならばいっそ二倍高いハムや蒲鉾を作ればいいという算段にもなるだろうが、そもそもハムや蒲鉾には限度というものがあるし、そんなに高くなっては購入できない人もいるだろう。
 北の皇帝は南の五輪を歓迎する旨の演説をしたらしい。一応交渉の余地ありという事なのだろう。ただ当のアメリカの方は最早空中分解である。


1/1・月
朝から良く晴れた。テレビの討論番組甚だ酷し。昨夜に引き続き、和の段を解凍。伊那の御酒と合わせる。例によって大して旨いものでは無し。でも贅沢を言ってはいけない百鬼園先生の昭和二十年一月二日の日記には「朝も晩も動物園の鹿の食ふ様な物ばかり家内と二人で食べてゐる」とある。何しろ御雑煮はみそ汁が精精で、御酒も無く「こんなお正月は初めてであり今回限りに願ひたい」とも。「いやに空が静かだと思ったら、九十機位が編隊になりて名古屋を中心に浜松大阪等へ行きたる由也」(同一月三日)。増して現代にあっても餅も食えない人もいるというからね。
其れに味覚が変わって来たということもあるだろう。吾人とて、初めて伊達巻と栗きんとんを食べた時は、美味すぎて感動したものである。あれから云十年。何を食べても素直に旨いと思えなくなったのは、ひょっとしてあの漫画+アニメのせいかもしれないと訝った。第一に腹が減れば何でも旨い筈である。元旦到着の年賀状は十枚程度。鈴木君と佐藤君には第一子が誕生す。ともに同世代である。細君の年齢までは与り知らぬが、此れで第三次は終了だなとつくづく思った。
其の後老家人を散歩に連れ出す。数百メートル先の公園まで行って休憩して帰って一時間。往路時速一キロ半、復路は一キロといった感じ。介助というものは生産性とは対極に位置するものだと思った。午後になり社崎くんから電話があり、実に久久に話す。御母堂の具合が悪くなり在宅介護中とのこと。遠出は出来ないが、飲みに行くならば是非誘ってくれと言われた。元元元気な武闘派といった彼だが、最近は連絡がなく心配していたところであった。まあまあ元気そうでよかった。
夕方になると何だか寒気がする。すわインフルエンザかと思ったが、中華の段で麦酒を軽く飲むと直ぐに良くなった。買い物は無し。其れでも専売店とコンビニで日経と毎日を買い足した。元日の朝刊は何処も矢鱈と分厚いが大して読むところがない。ただ毎日の都内版には新橋のちゃんぽん店が紹介されていたので、早速大将にラインで知らせた。折角買った甲斐があったというものである。補足。中華は結構旨かった。家人にも好評。併し中華三段という訳にも行かないな。