2017年2月

2/28・火
 予算審議は今日から参議院に移る。当然予算規模も過去最高。まあ其の中でも社会保障費が増大するのは致し方なし(万代伯母も沢山使ったことだし)。尤もマイナス金利政策により国債の利息は嘗てないほど低い。利払いが減ってみんなすっかり安心しているようだから、財政規律はますます失われるな。誰も財政財政と言わないもの。まあ万が一にも景気が回復して金利が再上昇することなど、正直考えられないけどね。どちらしてもこういう幸運は長くは続かないだろう。
 件のウルトラ幼稚園に首相夫人が頻繁に出入りしていたことが追及される。A夫人というのも頼まれれば断れないタイプらしい。余程人がいいのだろう。併し居酒屋をやったり宿屋をやったり、エコロジストのような家庭内野党のようなと、丸で思い付きで動いている印象である。そう言えば、此の人のことを真面に考えることは今まで一度も無かった。何にでも共感しやすいタイプなのだと何処かの記事で読んだことがある。詰まりからっぽなんだろうな。晴れたが一日寒い。取り立てて無為。


2/27・月
 一日曇りで結構寒い。午後出社。明後日からは三月である。愈愈今年度も終了モード。今年は早かったな。大体どの学年も真面に指導した感じがしない。六月以来緊急事態の連続で、気が付いたら秋も終わりの頃であった。ひとを一人、あちらへ送り出すのも大変である。退社後はラーメン屋と立ち飲みBで一杯ずつ。段段花粉が飛んでいる。


2/26・日
 一日晴れ。漸く暖かい。日中は買い物と片づけ等等。時刻表を買い忘れていたので、昨日の本屋に再び参る。今回の改定は小幅なのでどうと云う事は無し。併し本屋が無くなると、こういう芸当も出来なくなる。街に彩りを与えるから、何処かの国では花屋の家賃は安くする慣習があると聞いたことがある。其れに準えると、本屋は街を知的にするから、やはり安く貸してやるべきであろう。夜は鍋もの。


2/25・土
 一昨日の事故は機関車の整備不良が原因らしい。北海道としては貰い事故であった模様。日中は宿酔気味。おまけに昨日の嫌な記憶もなかなか消えてくれない。こういう時は面白い本を読んで記憶を上書きするに限る。夕方近くに本屋に行き『サピエンス全史』を上下巻とも買い求めた。併し此の本屋も来月閉店だという。ビデオレンタル店を併設しても駄目だった。あんな本屋でもなくなると困るな。
 さて同書であるが、人類は農耕を始めたことで、却って馬鹿になったという記述が痛痛しい。狩猟採集民は生き延びるためにあらゆる部署を最大限使っていたのに対し、農耕民は作業が単純化された分、頭も体も一部分しか使わなくなったからである。勿論、現代人は更に・・・。夜は焼き鳥と冷凍の餃子。当然、鳥を掴まえる訳でも、皮で包むわけでもなし。全てアウトソーシングである。こういう文明は何時か滅びるかな。既に人間の方は滅んでいる感じだし。


2/24・金
 昨日未明に脱線した貨物列車の撤去が未だに出来ず、函館線の特急は運休。最早末期状態である。ふるさと運賃制度は無い物か。幾らか本当に寄付してもいいと思った。
 朝から結構寒い。老家人が病院に行きたいというのでタクシーを拾いに行く。家人と交代で数十分立っていても、一台も掴まらず。数十台、全て実車か迎車か回送であった。結局よろよろとバス停まで歩いて行くこととなった。丁度いい運動だな。最近のタクシーは初乗り運賃を下げたから、値下がりしたと勘違いしている人が多いのだろうか。
 其の後吾人も診療所へ。例によって1450円。年寄りのため渋滞していて三十分も掛かった。其の上、下の血圧が高いと散散怒られる。降圧剤まで処方されそうだったので、慌てて逃げ帰った。高い高いと言っても九十である。もうあんな迷惑な診療所は御免である。高脂血症薬は市販されていないんだっけ。
 午後早目の出社。都合により低学年の授業を担当す。幸い躾のいい子だったので、そんなに苦労はしなかった。それでも正直、小さい子の面倒などもう見られない。何しろポンコツ先生である。ところで保育士が直ぐに辞めて仕舞うとしばしば問題になっている。対策として待遇面を改善すべきだということになっているが、事の本質は、御金ではなく、草臥れて仕舞うことにあるのだと思う。何しろ自分がどんどん年を取って行くのに対して、子どもは子どものままだから、差は開く一方である。従って子ども相手の仕事というのも何年も出来るというものでもない。
 そういう点で考えると、幼保の先生は三十歳、小学校や塾の先生は四十歳、中学高校は五十歳ぐらいが、定年時である。勿論、適度にやる気と脂気の抜けたポンコツ先生がいいという分別ある児童生徒も居るだろうが、元元そういう通好みの生徒は多くない。其れに昨今の教育現場は苛烈を極めるから、ポンコツ先生ではなかなか務まらないだろうし、また先生のポンコツ化も早いのだと思う。また先生にそんなに早く辞められて仕舞っては、先生が足りなくなるという心配もあるだろう。ならば中途採用を増やせば済むことである。四十歳でリタイアする先生がいる一方、四十一歳でデビューする先生がいてもいい。いやむしろそっちの方が、上手く行くかもしれない。
 退社後は大将主催の金曜会。総勢七名が集まった。実に久久である。X女史のお子さんも高校受験の最中だから、大将と逢瀬を愉しむわけにも行かないのだろう。併し余りに久久すぎて、何だか会話はぎこちない。話題となるような情報が共有されてないからである。其の上、大将が全部支払うと言い始める。一次会からそういうことをされると拙い。払わせろ、いや要らないの押し問答となる。とうとう吾人が激昂して、そんなに御金が要らないのなら、トイレに流すか、厨房のコンロで焼いて仕舞えばいいと、声を荒げる事態となった。自分でも何でこんなに怒っているのかよくわからないが、兎に角そういうことになって仕舞った(数日来、何も面白いことが無かったからであろう)。反省しきりである。気を取り直して、其の後二軒ほど飲みには行ったが、心の固さのようなものは残った。一時半頃帰宅す。


2/23・木
 ふるさと納税制度というものは全く知らない。此の制度を初めて聞いた時、地方出身の人が自らの出自を思い、概ね十八まで自分を育ててくれた野や山や川や海や県立高校に感謝して、出身地(本籍地?)に幾らかの納税をする制度であると勝手に想像していた。実態は全く異なるとのこと。今や返礼品の通販市のようなものに成っているのだという。それで世田谷区などは十数億円も住民税が流出したらしい。まあ、みんなついうっかり選り取り見取りの商品に釣られたのであって、厭厭世田谷に住んでいる訳ではないと思うところであるが。都市から地方に御金が回ることは結構なことに違いないが、もう少しどうにかならないものかと思った。
 午前中は小雨。午後遅く千寿に。中学三年の授業は今日で御仕舞。其の後は高校の数学。積分など数年ぶりに教えるから、微分積分を何度も言い間違えた。微分は点に、積分は面になるんだったっけ。もはや万事思い出せず。吾人も愈愈焼きが回った感じである。阿川弘之の表現を借りれば、ポンコツ車ならぬポンコツ先生だな。そろそろ廃車手続きに入りたいと思った。
 退社後は寿司の「大江戸」へ。併し御客もネタも少なく既に閉店モード。少し飲んで退散す。活気がない回転寿司屋などでは人間観察も楽しめず。風が強く、花粉酷し。


2/22・水
 官有物払い下げ事件がまた起きた模様。格安で仕入れた国有地に小学校を作る予定なのだという。元元は「Aシンゾー記念小学校」にする予定だったから尚驚く。本当にA辺りが関わっているとしたら一発辞任ものであるな。併し付設の幼稚園では教育勅語を暗唱させられるというから、右翼学園もあったものである。
 また最近では幼保でも国旗国歌を押し付けているらしい。保育園入れてやったから日本に感謝しろと言う塩梅なのだろう。つくづく酷い国である。まあ愛国教育などいうものは、やればやるほど、却って反発するものであるがね。
 早速税理士事務所から回答が来る。包括遺贈なのか特定遺贈なのか微妙な所だが、前者の方が税金は安いらしい。今回は包括遺贈と云う事にして書類を出した方がいいと言われたので、その通りにした。日中曇り勝ち。御向かいの基礎が完成したらしく、混凝土の隙間に残土を猫車で埋め戻し。此れだけは手作業である。そういえば今日は猫の日であった。
 午後まで宿酔気味。昨日は白ワインを一本半近く飲んだから無理もない。飲み過ぎ、即ちアルコール依存症気味だな。退社後は飲まずに帰宅。外猫にスーパーの鮪刺しを食べさせ、自身は缶麦酒二本で御仕舞にした。夜半から三度目の南風。春三番である。


2/21・火
 以前、此れだけ給料が下がったら、みんな呆れて愈愈働かなくなるだろうなどと書いたことがあったが、どうも其れは間違いであった。何とかミクス以降、就業者は百万人も増加したのだという。尤も其の内訳は、圧倒的に高齢者や女性の非正規雇用者である。低年金無年金の高齢者、あるいは旦那の稼ぎが余りに悪いのでパートに出るお母さん等等、みんな大変な境遇の人たちが続続と働きに出て来ていることが分かる。福祉に頼らず、不平不満も言わず、只管黙黙と働くから、つくづく日本人はまだまだ真面目だと思った。そしてこういう人たちが最低賃金間近かで働いて仕舞うから、却って賃金が上がらないのだろうな。
 一日冬型の晴れ。ところで都税事務所から「不動産取得税のお尋ね」という書面が送られて来ていた。数日来の解読を試みたが、とうとう一行も分からず。堪らず税理士事務所にファクシミリで送信し、模範回答を作って貰うこととす。次次と意味不明な書類が来るあたり、相続とはまるで何とかの審判である。
 其の後ぼんやりと通販のカタログを眺めていると、先月購入したエアコンが出ていた。型番等等も全く同じ。誠に極めて痛切に残念なことに、少なくとも三万円は安く売られている。いっそ見なかったことにしたかった。何しろ壊れてからの緊急購入だったからな。それにしても佐世保の会社は安いと思った。計画的に使えば得をするだろう。併し家電製品の正確なぶっ壊れ予定表などと言うものもないしな。つくづく計画経済など巧く行く筈はない。まあ此の一か月で、電気代とガス代は既に四千円程度は安くなっているという試算をして、溜飲を下げた。
 何だか夜も非常に寒く感じる。此の処、段段暖かくなったりしているから、つい油断して仕舞うのだろうと思った。厳冬期に比べ、却って暖房も多用す。寒暖に弱くなるのは、加齢に因るものなのだろうか。


2/20・月
 埼玉にある大手オフィス用品通販会社の倉庫が炎上。極めて少額ながら大貧学院でも使っている会社である。倉庫には窓が殆どなく、真面に放水できないので、出火から四日経っても火が消せないという。併し航空母艦のような巨大な倉庫である。コンビニの商品もスーパーの食材も、最近はみんなこういうところから来ているのだろう。合理化の極致と言われるようなシステムでも、火事一つ消すに消せない。一種の非合理である。併しこういうシステムは一度壊れて仕舞った方が、街場の仕事は却って増えるな。例えばコンビニが無くなれば、定食屋や弁当屋やパン屋や御菓子屋や駄菓子屋や酒屋や文房具店や本屋や万事屋や行商人が悉く復活するだろうし。
 午前中から南風が吹き荒れる。先週に引き続き、春二番といったところ。楽しかった記憶は昨日までには消えてなくなる。何だか寒む気がするなど、再びの鬱状態。午後厭厭出社。今週からマスク着用。前線通過の為、夕方は大雨。帰る頃には止んだ。中華立ち飲みと立ち飲みBを連戦。北風強く、復路は大幅に遅延す。


2/19・日
 未明から起き出して、早速日誌を認ためる。北風強し。朝まで飲食停止。昼も軽いうどんのみ。再び冬型に戻り寒くなる。夜はスーパーの惣菜で小量飲酒。


2/18・土
 早く目が覚めたので、何時もの通りのラジオ放送を聞こうと思った。併し福島には民放AM局が一つしかなく、目当ての番組はやっておらず。「ラジコプレミアム」なら聞ける筈だが、御金が掛かるので加入していない。地方はラジオ放送がこんなに足りないとは思わなかった。何だか可哀想である。
朝食付きのプランだったので食堂に参る。会場は十階なので眺めはいい。御城も微かに見えた。其れに食事もまあまあである。「会津の馬肉じゃが」でモーニングビールと行きたいところだったが、アルコール類はなさそう。是が非でも持って来いとでも言えば出してくれるのだろうが、そもそも其処までして飲みたい訳ではない。
 さて二日目だが、早速帰ることにした。ところで会津若松には数年前にも来ている。其の時は新潟からSL列車で来て、電車に乗り換えて郡山に抜けた(そして在来線で帰った)。今回は只見線で来たから、会津鉄道野岩鉄道東武線というルートで帰ろうと思う。此れで四方向全て制覇である。様様なルートが取れるから会津は便利だと思った。小雪が舞う中、駅に向かい、「四社連絡片道乗車券」というものを発券して貰う。此れだと浅草まで一枚で帰れる。更に途中下車も出来るのだという。
 10時58分発会津線の一両のディーゼル車はほぼ満席。其の内三分の一は外国人観光客である。みな静かに雪景色を眺めている。台湾辺りの御客であろう。まあ雪を見て喜ぶのは、関東人も同じであるが。多くの御客が湯野上温泉で下車。身軽になった頃に会津田島に到着。吾人も途中下車す。駅前の店で蕎麦と日本酒の休憩。田島にも近近に東武の新型特急が乗り入れるそうである。今までなかったのが不思議である。会津に行くなら、せめて片道は東武特急でという案内をもっとすべきである。
 此処から電車に乗り換え。二両の列車は幾らかの乗客を集めながら谷間を進む。うとうとしている内に雪は消えていた。林に目をやると、杉の木には花粉がびっしりとついている。発艦間近といったところであろう。ドローンか何かで、接着剤か何かを吹き付けてやりたいと思った。
 新藤原で交換待ちの停車十数分。此れ幸いと、窓口で特急券を購入。東武の特急に乗るのも久久である。鬼怒川温泉で直ぐ向かいの「きぬ128号」に乗車。一応「スペーシア」と言う豪華車両である。個室やビュッフェのような施設もある。併し此のスペーシアという愛称も何だか古臭いと思った。尤も今春デビューの新型のそれは「リバティ」だというから、東武のネーミングセンスは昭和の遊園地といったところなのだろう。併しスペーシアと顔がそっくりだと言われた新幹線の方は既になく、登場から四半世紀も経つと何となくうらぶれた感じがする。
 一応ワゴンサービスもやって来たが、誰も止めようとしない。辺りを見回すと、座席は大体埋まっているし、アルコール類を飲んでいるお客も多い。併し右斜め前方はコンビニ食材のオンパレード、右隣は「キャベツ太郎」などという駄菓子をむしゃむしゃと食べている。東武の車内販売も其の内に亡くなるな。新型特急の方はどうするのだろう。
 かくいう吾人はビュッフェで一杯五百円の生ビールを立って飲んだのみ。連日の食べ疲れと飲み疲れで、もう何も喉を通らず。浅草到着16時45分。這う這うの体で、銀座線に乗る。八時就寝。晩は欠食す。
 

2/17・金
 何にも面白いことが無いので、何処かに出掛けようと思った。生憎吾人は列車に乗ってお酒を飲むだけで楽しくなるから、またそういうことをしよう思った。折角だから雪景色を見たい。
 混雑したバスで渋谷駅まで出る。みどりの窓口只見線経由の会津若松までの乗車券を購入。此れまた混雑した山手線に乗り、東京駅まで参る。10時16分発「とき315号」を待つ。マックスと言う愛称がついた巨人車両である。何とも言えない独特な顔をしている上に、二階の自由席は三列三列の詰め込み式。肘掛けも無いし、座席も倒れない。尤も乗車時間も長くはないから、腹も立たない。
 早速窓際に陣取り、缶ビールを傾ける。ひと頃流行った二階建て新幹線も今では上越方面に淡淡と走るのみである。就航から二十年近くは経ったかな。確か通勤客を捌くために開発されたと記憶している。当時は群馬や栃木に別荘のような家を建て、新幹線で通勤するというのが持て囃された。翻って最近は都心回帰である。会社が通勤費を出し渋ったのと、錬金術のように床面積を生み出す、塔のようなマンションを建て始めたからであろう。結局益益の一極集中である。
 関東は晴れ。上州の山山が美しい。さてさて案内によると車内販売はあるにはあるが、構造的にワゴンサービスは出来ないらしい。もしも買う気があるのなら売店までやって来いとのことである。階段を上ったり降りたりしながら、数両分を移動する。歩いて見て驚いた。一階も二階も指定も自由席も大方満席。オール二階建ての八両編成を二本繋いだ新幹線史上最大最高の輸送力列車であるが、つくづくよく乗っていると思った。
 高崎を過ぎるとトンネルだらけで何も見えず。谷あいの上毛高原駅停車。辺りは雪が積もり始める。途端に、日本人は雪だ雪だと、外国人はスノースノーと言い始めた。其の後、件の長いトンネルを抜ける。特急料金が勿体ないのと、雪景色が早く見たいとの理由で越後湯沢で下車。鰻をぎゅっと締めたような顔の新幹線とは此処でお別れ。在来線ホームに降りる。新幹線乗り換え客を乗せて四両編成の新型電車は雪の中を進む。
 新幹線駅の浦佐を越え、小出で只見線に。13時11分発只見行きに乗車。古いディーゼル車である。此の区間只見線は一日四本、昼の列車は此れ一本しかない。二両の列車は半ドンの高校生がまばらに乗る程度。一応車掌も乗っている。新卒者と見えてやる気もありそう。併し乗り換え線がある訳でも、切符の発券がある訳でもない。詰まり何もすることが無い。もっと乗客の多い路線に乗せてやるべきであると思った。こういう路線には定年間近の老鉄道員が似合う。併しそもそも国鉄末期に採用を極端に抑えていたから、五十代後半の人自体が少ないのだろう。
 只見は福島県になる。つまり新潟の高校生は雲の子を散らすように降りて行く。粗方降りたのを見計らって、湯沢駅で購入した「林道かまめし」というものを広げて見る。何で林道なのかは分からないが(多分峠に対抗したいのだろう)、紐を引っ張ると温かくなるのが良い。此の時期に温かいものを食べるというのは何よりも贅沢である。其れに此の釜飯、ボリュームもたっぷりであった。
列車では只見までしか進めない。此処からバス代行区間である。雨の中、マイクロバスに乗り換える。併し東京駅を出たころにはあれだけの乗客がいたのだが、今やたった六人。減少率99.5パーセントである。
 道路と鉄路は時折絡み合う。道路は除雪されているが、線路は雪で埋まり、数年前の豪雨災害で流された橋桁が痛痛しい。一応上下分離方式での復旧が纏まりそうだとは聞いてはいる。数十億円は地元負担になるとのこと。併し同線の中でも最も乗客が少ない区間である。観光列車を走らせる以外に活性化策は無いな。
 会津川口まで凡そ一時間。その間の乗り降りは無し。結構雨が酷く、雪解け水と相まって、時折バスは舟のようになって走る。何となく緊張するらしく、女の運転手も乗客もほぼ一言も発せず。無事に到着した後は、直ぐに列車に乗り換えとなった。会津盆地に入ると大量の中高生に御乗車頂くことに。車内は満席。此の区間は一日七本。会津の御金を使って只見線を直すのだから、少し増発してやるべきであろう。冬期減速ダイヤの為、17時38分会津若松到着。夏より二十分近く余計にかかった。
 例によって何だか飲み過ぎて具合が悪い。直ぐに駅前の藤田観光ホテルにチェックインする。胃薬を飲んで横になる。旅の楽しみの一つにローカルニュースを見るというものがある。民放の夕方のニュースは六時二十分頃から切り替わる。二号炉にサソリ型ロボットを投入したところ、直ぐに故障して何も分からなかったと伝えていた。こういうものは東京でもっと流すべきであると思った。大体東京の電力を作る東京電力の原子炉に穴が開いたのだから。併し今頃関東では何処かの何とかとかいう御店が安くて旨くてお得であるなどとやっているのだろうな。
 二時間ほど休憩す。胃が少し回復してきたので、何かを食べに出ようと思った。会津若松は、例によって駅と城下町が結構離れており、駅前にはホテルとチェーン居酒屋が数軒あるのみ。あっさりしたものを食べて御仕舞にしようと思ったが、大した店は見つからず(以前入った「マルモ食堂」は開いてなかった)。すると見たことのある黄色い看板が。其れは何と「ラーメン二郎」であった。少し逡巡したが、結局店内へ吸い込まれる。十数分後には大量の茹で野菜と麺と豚肉と格闘することになる。汗を吹き出しながら「小ラーメン」を何とかほぼ完食(肉は半切れだけ食べられず)。併し会津にまで来て二郎のラーメンを食べるとは思わなかった。日本全国、結局こういう食べ物に人気が集まるのである。ところで店内には東京のFMラジオが流れていた。都会の味なのかなあ。


2/16・木
 午前中は宿酔気味。体調優れず午後千寿に出校。二時間ほど喋っている内に漸く回復す。要はずっと宿酔だったのである。飲まずに帰宅。本日無酒。


2/15・水
 北の皇帝は異母兄を殺害。以前から暗殺の危険を訴えていたが、まさか本当に殺されるとは。裏切者は許さないのだろう。併しこういうことをしている国家はどういう末路を辿るのだろう。
 依然として中学生の自殺多し。前にも書いたが、中学校はもう止めた方がいい。大体中学校に通って、頭が良くなったという話しを聞かない。そもそも頭が良くなるような指導もしていない。其の上、性格も悪くなるのだから、中学校というものは、いっそ綺麗さっぱり無くなって仕舞った方が、世のため人のためになるのである。かといって全部止める訳には行かないから、クラスの授業は午前中で終了。給食の後は全部選択制にすればよい。嫌なことが沢山あっても、半ドンなら耐えられるだろう。一日晴れ。午後出社。退社後は立ち飲みBで遅くまでいた。


2/14・火
 再び税理士事務所から質問書が送られてくる。今度は相続税である。特に謎の出金記録を幾つか指摘される。税務署に先手を打って説明したいのだろう。伯母に必要な物を買い与えましたと言いたいところだが、併しそうすると其の領収書はあるのですか言われるからなあ。適当に贈与されたので、適当に蕩尽しましたとでも言えばいいのかな。贈与税の非課税枠って幾らだったっけ。一日晴れ。回答書を作った以外は、取り立てて無為。


2/13・月
 朝からずっと晴れ。従って結構寒い。午後出社。今年の受験も都立高校の一般入試を残すのみ。一方的に送り付けられて来た中学高校大学の大量のパンフレット類の処分に取り掛かる。但しビニール封筒と冊子類とチラシ類に分別せねばならず、非常な手間である。それにしても膨大な紙とエネルギーの無駄であるな。入学した学生生徒一人当たり、一体どれだけの広告宣伝営業費が掛かっているものだろうか。こういうことはトップシークレットだろうな(当然下に行くほど高くなると思われるが)。退社後は立ち飲みBで軽く御仕舞。


2/12・日
 辛うじて宿酔は無し。朝からF蕎麦へ。日米ゴルフ会談も終了。大統領も比較的大人しかったという。何しろ世界中から呆れられているから、此処は安全運転なのだろう。外交と言うのは未経験中の未経験だろうし。ところで首相Aと寿司ばかり食べているという官邸寄りの老ジャーナリストに、何某スシローと言うのが居る。例によって会談は大成功だったと盛んに触れ回っていた。まあ何というか、ある程度は彼の言うように、窮地に陥りつつある大統領をお助け申し上げた、何てこともあるのかもしれない。どちらにしても本当のところはまだ分からないと言ったところ。一日晴れ。山陰は再びの大雪。午後は節制して晩食は鋤焼きにした。
 夜は公共放送で「見えない貧困=未来を奪われる子どもたち」。子どもも親も世間体を気にしてどうにかこうにか表面を取り繕っているから、却って貧困が不可視化されているという内容。服やスマホに傾斜配分した結果、趣味とか旅行とか習い事とかに割くお金がなくなり、子どもが育つ機会を逸しているのだという。ちなみに貧困のかなりの原因は親の離婚。シングルマザーの非正規雇用ではねえ。成年男性の給料もだだ下がりだが、二人で稼げばまだ何とかなるのだろうが。それにしても、貧乏、貧困、御金がないの連続である。社会情勢はもはや昭和三十年代に戻った感じだな。あの頃は高校に行きたくても行けない人が大勢いた。


2/11・土 
 旧紀元節で休日。今年は土曜日に祝祭日が当たる割合が多い。日曜休みの現場仕事の人と個人商店は連休が出来て喜ぶだろうが、会社員は堪らない。早く振り替え休日の制度を作るべきである。また其の場合は金曜日を休みにして、月曜との分散化を図るべきである。
 午後外出す。鷺乃間君の新居にお呼ばれする。日吉で月波君と待ち合わせ。まず二人でゼロ次会。沖縄料理屋で生ビールを牛飲す。一時間ほどして鷺乃間君と合流。併し日吉と言うのも、まるで縁が無い街である。そこで駅から延びるキャンパス内を散策す。大体京王グループと言うのも、義雄伯父さんの遺品を奉納したことと、埼玉の付属高校を受けた以外、何の接点も無いな。ただ真冬のオリオンの破壊力は秀逸で、たまらず構内のトイレを使用させて貰う。所謂記念トイレである。
買い物の後、地下鉄で移動。新築のマンションを購入したとのこと。妻子が帰省中とのことで、御招待と相成った。みんな着実にステップアップしているね。其れに、鷺乃間君は所謂ブレインワークのようなことをやっているから、職業人生も充実していそうである。
 早速酒を飲みながら、推薦図書を紹介するという書評会。鷺乃間君は『八月の砲声』、月波君は芹沢光治良のエッセーと『夢遊病者たち』、吾人は『サンカの社會』。矢張り第一次大戦の事は気に掛かるようである。以後数時間に渡り歓談。ただ新しい物件は天井が高く、エアコンの利きが非常に良くない。飲んでいる内に寒くなって来て結構困った。
 帰り掛けに日本料理屋に寄る。鯛めし専門店と言うのも珍しい。其の上、刺身がのった生の鯛めしである。日吉の郊外で南予地方の味に出合えるとは思ってもいなかった。併し月波君は卵を食べられないというので、吾人が結局二人前を制覇。牛飲馬食でふらふらで帰宅。久久の長時間大量飲酒であった。


2/10・金
 朝からピンと晴れた。万代伯母及び相続人当てに「高額介護合算療養費等支給申請書」が送られてくる。年間で上限を超えた金額が払い戻される制度のよう。併し月月単位では既に幾らか払い戻されている筈だから、その辺は相殺されるのだろう。社会保険制度も学士や修士レベルではわからないねえ。それにしても御金を返してくれるのは有り難いが(しかも今回の書類は簡単)、こんなに気前よく返して、果たして制度が持つのかつくづく心配である。
 強烈な寒気が入り午後は曇る。時折小雪も舞う。夕方出社。特にすることも無く早目の退社。天祐寺の焼き鳥Bへ。といっても焼き鳥は機械が壊れたので終了したとのこと。半自動の立派な機械だったが、最近は焼き鳥を注文する人は殆どいなかった。空焚きのし過ぎで損傷したのだと思った。そんなBであったが、今晩は満員状態。最近の人は金曜日ぐらいしか飲まないらしい。三人しかいない従業員は疲労困憊。近くにある寿司チェーンTの見切り品(半額)を差し入れて帰った。何だか風邪っぽいので早目の就寝。


2/9・木
 首相Aは訪米へ。先方はゴルフコンペまで催してくれるそうである。歓待の一方、何を要求されるか、例によって戦戦恐恐である。あり得ない話ではあるが、オレ様の国は手一杯だから、お前の国で難民を五十万、移民を百万人は引き受けろ、どうせ人が減って困っているのだから丁度いいだろうなどと言われたらどうなるだろうか。無茶苦茶な要求だと突っぱねることが出来るであろうか。いやいや、移民はともかく、難民に関しては人道問題である。
 朝から雨。時時小雪が舞う。御昼過ぎまで漫然とす。何も面白いことの無い一日。途中散髪す。千寿駅構内の寿司屋へ。こういう晩はつい暴食す。日本酒三合に絵皿多数で三千円。更にK諸蕎麦。ところで帰りの車内には「全身脱毛」を勧める広告が張ってあった。併しそうしたら、つるっ禿になる筈である。髪は毛ではないらしい。つまり髪は貴重で毛は余計という定義なのだろう。では髪の毛という表現があるが、此れはどうなのだろうかなどと考えながら帰った(植毛や増毛という表現もある)。


2/8・水
 二型飲水病の患者はそもそも自分が悪いのだから、治療費は十割負担にして、払えなければさっさと死んで仕舞えばいいなどと書いたアナウンサーがいた。当然司会の仕事は失い、暇になったものだから、何と維新の会から次の選挙に出て来るのだという。ところで医療系の資格試験には禁忌問題と言うのがあって、其処を間違えると全体の点数が良くても不合格になる。要するに医療従事者として不適格と認定されるのである。此のアナウンサーも、明らかに不適格、一発退場レベルであると思うのだけれど。選挙に出るのに資格審査は無いものなあ。併し維新と言うのも本当に酷い政党である。
 先月の電気使用量626キロワット。昨年比7パーセント減。エアコンをあれだけ使って減っているのだから、新型機投入の効果であろう。家電だけは最新が最高である。午後出社。例によって喋らない女の子が退会すると言い始めたらしい。無責任社長がああでもないこうでもないと言って来たが、吾人は大抵無感動である。喜もないし怒もない。そもそも大貧学院での仕事に関しては、最近はあらゆる感動詞を失ったかのよう。概ね消化試合の様相である。退社後は立ち飲みBで軽く御仕舞。


2/7・火 
 二号炉にカメラを入れたところ、溶けた燃料が散らばり、手が付けられない状況とのこと。併し六年も経っても漸く此の程度の事しか分からないのだから、廃炉解体などあと何十年掛かることか全く想像もつかない。つくづく取り返しのつかない大事故である。
 一日晴れ。風強し。例によって家人は胃の定期検査。例によってふらふらなので、最寄り駅まで迎えに行く。今日の衆議院予算委員会は丸ごと天下り問題。事の発端は文部官僚が高田馬場の教授に就任した件である。長年に渡り、駄目だ駄目だと言われても、一向に天下りはなくならない。官と民がある限り、此の問題もどうにもならないな。こういう場合、全て民に任せよというリバータリアンならどう考えるのだろう。少しは参考になるかもしれない。併し突如として馬場の教授になった件の文部官僚は、どんな講義やゼミナールを受け持ったのだろう。ゼミ合宿などもしたのだろうか(新歓コンパとかも)。夜はスーパーの総菜を並べた。


2/6・月
 昨日の新聞によると、経営難に陥った地方私大を自治体が引き取り、公立化つまり事実上の第三セクターのような感じにする所があるという。学費も下がり、学生も増えたから、地元としては大歓迎なのだろう。成程、其の手があったかと正直感心した。一足先の高等教育の無償化(但し半額程度)である。併し少子化はこれから一段と進む。学費半分でも学生が集まらなくなったらどうしょう。ならば次はほんとに無償化する? まさかね。
 御向かいは基礎部分に混凝土の注入。どんどんとミキサー車が来る。そう言えば、先月会った藤松君は、昨年建設会社に就職して、行き成りミキサー車の運転を任されたそうである(余りに危ないので、直ぐに止められたとのこと)。大卒者は増えたけど、大卒の仕事は増えないな。更に今後のIT化が直撃するのはホワイトカラーの事務仕事だというから、御先は真っ暗である。となると、大学での勉強などどうせ何の役にも立たないのだから、折角だから歴史や文学や思想を思いっ切り勉強しようなどという発想が出て来るかもしれない。
 朝から暖かい。併し午後に前線が通過。以後冬型に戻る。午後出社。金参万円受け取る。すると近くの催し物会場でワイシャツが一枚千円で売っている。大手紳士服店の臨時アウトレットだという。色付き物を二枚購入す(吾人はワイシャツだけは比較的派手な物が好きである)。割引率は八割にもなるから結構得をしたと思った。退社後は立ち飲みBで鶴木さんらと歓談。


2/5・日
 北海道の特急も車内販売は大体なくなるとのこと。一番最近に渡道したのは2010年。「北斗」や「オホーツク」に乗ると、弁当注文サービスというのがあり、予め販売員に依頼しておけば、途中から出来たての駅弁を積んで、席まで持って来てくれた。「かにめし」などを食べた記憶がある。併し遠軽の駅弁屋は車内販売の廃止と共に廃業したらしいから、これももう思い出の中、つまり「思い出食堂」入りである(辛うじて「北斗」では車内販売は継続するらしい。積み込みサービスも)。三両、四両編成の特急で採算が合わないのなら、いっそ車掌が売って歩いたらどうだろうか。「銀河鉄道スリーナイン」では、車掌さんが食堂車で給仕もしていたのだし。いやいや、九州辺りでは、ついに特急のワンマン化も検討されているというから、其れも無理かあ。スーパーやデパートでは頻りに駅弁など売っているが、実際の駅弁は車内販売ともに既に絶滅コース入りである。大体曇り。午後は小雨。昼はカレーうどん。夜は厚揚げを使った麻婆豆腐。外猫の為に鮪ぶつ切り。


2/4・土
 米国の国防長官が来日。軍人上がりの強面おじさんなので、何を言われるか、此の処何だかみんな戦戦恐恐としていた。大統領とは違いまあまあの常識人らしいから、取り敢えずは穏当に終わった模様。併し駐留費をもっと支払えだとか、置いてある兵器の減価償却費も負担しろなどと言われたかどうか、本当のところは分からない。そもそも軍人と政治家の立ち位置は自ずと異なる。優秀な戦術家や戦略家が其のまま佳い政治家になるとは限らないものである。此の人はどういうタイプなのだろう。それにしてもAは来週早速訪米するのだという。参勤交代あるいは朝貢外交である。余りこういう言い方はしたくないが、こういうことを国恥というのだろう。
 大体東アジアの国際情勢が緊迫しているというが、万が一にも北朝鮮が暴発したとしても、精精最初の半撃で鎮圧されるだろうし、仮に中国が海洋進出して来たとしても、ほぼほぼ無価値の無人島が乗っ取られるぐらいである。モスコーのミサイルが東京をロックオンしていた頃とは、比べ物にならないほど低い危機のレベルだと思うのだが。
 一日晴れ。立春らしく暖かい。近所の古本屋で『サンカの社會』を手に取る。記録写真も散りばめてあり、凄い迫力の本である。つい衝動買いす。2500円。でも此の本、何処までが本当なんだったっけ?


2/3・金
 リベラリズムの本質は、反転可能性にあるという。つまり私はあなたで、あなたは私になる可能性があった。生まれた国や性別や親が選べないのと同様、受け継いだ財産もそもそもは偶然の産物であり、其の偶然を元手に稼いだ学歴や職歴や預貯金なのだから、何もかもが個人の努力の結果という訳ではない。ならばなるべく公平なルールを作り、偶然により格差が拡大しないような方策を取るべきだということになる。
 しかし、私があなたで、あなたが私になったかもしれないと言うのは、あくまでも想像の世界の話である。こういう想定を成立させるためには、相当な想像力が必要である。思い起こすのは、小学生の頃の出来事である。友達の友達ぐらいの御家に偶偶お邪魔したことはないだろうか。自家との生活水準の違いに驚くようなことはなかっただろうか。ああそうか、此の子の家は色色と大変なのだと思い至ることが一度や二度はあった筈である(当然その逆のケースも)。こういう経験が想像力を育むのだと思う。
 となると幼稚園の頃から高級私立校に通い、グリーン車以外は乗ったことが無く(そういえば普通車って何色をしているの?)、貧乏な人など会ったこともないし見たことも無いし、大体「あなた」って誰のこと、私の回りには「私たち」しかいませんよ、などと宣う人が増えて仕舞ったら、そもそもの想像力を作る「気づき」の機会も得られないから、やがてはリベラリズムというものも成立しなくなるだろう。かの国の分裂ぶりは、そういう人が一段と増えていることにあるのだと思う。「俺たち」以外は、みな「奴ら」と言う風に。目前のひとを三人称複数で語るとき、差別と暴力が生まれる。そしてそれは、此の国でも…。
 午後遅目の出社。久久にチラシを配って歩く。まあ宣伝と言うより自身の運動の為である。また続続と御家や集合住宅が建っている。例によって金利は嘗てないほど低いが、こんなに建てて大丈夫なのだろうか。退社後は立ち飲みBへ。退職間近のN君は他店に異動。独立すると知られて、K社長の怒りを買った模様。何しろK氏は料簡が狭いからなあ。


2/2・木
 高い高いと言われている大学の学費だが、地方から上京してくると、授業料の他に住居費も掛かる。元元日本の大学には学生寮が少ない。単身者用の公営住宅も無い。民営アパート頼みである。まあまあの部屋を借りれば、家賃の他に光熱費等等、年百万円は余計に必要である。此れが第二の授業料として重く圧し掛かる。確か同級生の中には、自治体が運営している県人寮から通ってきているのも居たが、最近はどうなのだろう。地方自治体もこういうものにもっと御金を使うべきである。
 一日冬型の晴れ。三号室入居。午後家を出る。まず税理士事務所に参る。老家人の確定申告を依頼す。併し申告書をフル規格で作るとなると、途端に有資格者の仕事となり、結構な費用が掛かるとのこと。何だか随分勿体ないと思った。但し不動産所得の収支内訳書ならば、万代伯母の準確定申告の時の物が使えるので、割安に発行出来ると言われる。成程、九月以降の四か月分だけ足し算すればいいのだから、そういうことになるだろう。早速二つ返事でお願いす。また元となるデータは同じなので、此れに不動産の持ち分の割合を掛けていけば、同様の物は何通でも作れるとのこと。三つ返事で、吾人の分、従妹の優子さんの分、秋子叔母さんの分も御願いす。あの恐ろしく細かい内訳書さえ出来て仕舞えば、後は適当に控除の計算さえすれば良く、もはや確定申告など終わったも同然である。早く来い来い二月の十六日、早く行きたい国税庁である。
 足取り軽く千寿校へ回航。ユークリッドの互除法などを教えて帰る。昼のたぬき蕎麦を食べ過ぎたので、今夜はコンビニ食で軽く済ませた。支出五百円。


2/1・水
 例によって、食品廃棄が問題となっている。日本でも年間数百万トンが捨てられているという。原材料ベースなのか調理済みベースなのかによって随分違うと思うが、勿体ないと言えば勿体ない。併しこれらの食品が全部消費者の口に届いて仕舞っては、結局同じ分量の食料が、何処かで余ることになる。物がない時代ではないので、ますます供給過剰、過剰在庫に陥ることは間違いない。どちらにしても困ったものである。
 余った物は、気前よく誰かに譲渡すればよいと常常思う。そもそも蕩尽とかポトラッチとかは、人類社会の普遍的な古層である。低生産力の時代でもそうだったのだから、現代はもっともっと消尽しなくてはならない。ぱあっと外国に上げて仕舞うか、いっそ難民でも受け入れて、みんな綺麗さっぱり奢って仕舞えば佳いと思った。午後出社。退社後は立ち飲みBで軽く御仕舞。結構寒いからどの店も空いていた。

2017年1月

1/31・火
 ハマコウといってまず思い浮かぶのは千葉の暴れん坊だが、首相ブレーンの経済学者の方もいらっしゃる。流石に金融緩和一辺倒では駄目だと言い始めた模様。財政出動が必要ともおっしゃったらしい。最高軍師も事実上のシロハタである。併しまたまた無駄な物を拵えても借金が増えるだけだな。そうやって少なくとも数百兆は使って仕舞ったのだし。日本経済につくづく打つ手なしである。
 明日からは愈愈二月である。詰まり確定申告と花粉症の季節である。税理士さんに持って行く基礎的資料を収集す。併しやればやるほど分からなくなるし、第一に面倒臭い。一方的に課税される固定資産税の他は、全部間接税にして欲しいと思った。大体そんなに納税して欲しいならば、そもそもあちら側から請求書を送って来るべきである。昼は柏屋の立ち食いカレー。夜は吾人が買い物当番。適当な鍋料理にした。


1/30・月
 朝から晴れて暖かい。流路から考えて容疑者は四室だが、一応全戸に「トイレ紙は少量ずつ流すように」と文書を配布す。何卒、効果がありますように。此処は紙ならぬ、神頼みである。
 午後本務校に。行って見ると、レーザープリンターが黒い粉を噴出させている。どうもトナーが破損した模様。再充填されたリユース品だから、こういう事もあるだろう。それにしても、昨日は茶色で、今日は黒か。色占いが必要だと思った。金参万円受け取る。
退社後は中華立ち飲みへ。それなりに楽しかったが紫煙が濃くてBへ避難。狭い店内で喫煙率七割だと堪らない。夜は風向きが代わって寒くなる。まあ煙草風より北風の方が気持ちがいいが。


1/29・日
 偶には何処かに出掛けようと思い、朝から三浦半島方面に参る。例によって津久井浜駅で下車。少し歩いて海沿いの「魚敬」に入る。店も改装されたようで、タッチパネル式の無言席と板前さんに直接注文する有言席に分かれている。迷わず後者に陣取る。年配の男性と、「一滴も泳げないけど海を見るのは好きなんです」「京浜急行と御酒と御寿司があれば十分楽しいのです」などと会話しながら一献傾ける。店内はあっという間に満席に。板さんとも会話も終了させ、波打ち際を移動す。それにしても、鷗も御舟(巨大なLNG運搬船と自動車運送船)もウインドサーファーも、内陸住民から見れば何もかも珍しい。第一、見ていて飽きない。
 本来ならバスに乗り換えて西海岸方面に出るのだが、結構酔いが回って来たので、三浦海岸駅から素直に帰る。日ノ出町で途中下車。野毛界隈を冷かし、みなとみらいまで徒歩連絡。両家人用に崎陽軒の弁当を買い、早目の帰宅となった。旨い旨いと言って食べていたから、老家人の機嫌も治ったよう。
 夕飯後ぼんやりしていると、下水が詰まっているとの通報が。超緊急出動である。また同じところである。既に対処法は分かっている。下流の蓋を開け、ジャンクション入り口付近に詰まっているものを板切れで除去す。案外素直に流れて行った。発見が早かったから溢れた量は前回ほどではないが、またまた酷い物を見て仕舞った。入浴と飲酒もやり直し。それにしてももうないだろうと思ったことが、半年で二回目である。誰かがトイレ紙以外を流しているのだろう。夜は小雨。いい感じのカタルシスである。


1/28・土
 巨額の赤字で東芝の社長が辞任。米国での原子力事業が失敗し、更に数千億の損失が出たのだという。費用を捻出するにしても、家電部門は既になく、半導体部門を切り売りして凌ぐのだという。其れでも原子力からは撤退しないらしい。こうして民生部門が無くなるのだから、東芝は一種の国策会社になるのかもしれない。確か電気機関車なども作っていた筈だが、鉄道車両部門はどうなるのだろう。
 一日晴れ。昼は地元のさっぱりラーメン。午後になって早速買い取り屋がやって来たが、中年男性は見もしないで直ぐに帰って仕舞った。着物買い取りは一種の出汁で、本命は貴金属だったようである。家人が呼んだ適当な業者だったから仕方がない。直ちに別の専門業者をネットで探すことにす。若い人が数時間後に来る。一応上から下まで丁寧に見てくれたが、大半の物は引き取り不能とのこと。着物四、帯六の買い取りで、価格は百円であった。
 本日の問題はむしろ此処から。午睡から起きて来た老家人は、買い取り金額を知って驚愕し、のちに激昂す。母や姉が大事にしていた着物の価値が、僅かだと知って腹を立てている模様。売る前に何で一言知らせなかったのだと言われても、当方としては致し方なし。古着物がほぼほぼ無価値であること、形見級の品物は取り置きしてあることなどを言い聞かせても、老家人は納得せず。ならば買い取り金額は20100円で、出張経費20000円で相殺されたとでも言えばよかったかな。結局其のままフテ寝する事態と相成った。古い人も古い物も相対すると、つくづく面倒臭い。
 夕飯後は、過日の「読書日記」で面白いと書かれていた『近代日本の右翼思想』を取り寄せて読む。右寄りの思想は今まで手付かずだった。少しは読まなくてはならないと思った。併し右翼思想の移り変わりを、革命の企図および其の失敗⇒革命が駄目ならせめて人格を陶冶する⇒ついに変えることもあきらめる⇒結局体だけが残る、と解説するのは、相当アグレッシブである。


1/27・金
 高脂血症の薬が無くなったので、朝からわざわざ医院に参り、処方箋を出して貰う。老師の所は電話一本で出してくれたが、新しい主治医は診察を受けなくては出しませんと言う。血圧を測り、あまり意味があるとは思えない問診をして1450円。少し高いな。薬は28日分で900円。
御昼頃から南風が吹き付け、暖かくなる。午後は隣家の片づけ。箪笥二竿から古い着物を掻き出す。近近に買い取り屋が来るそうである。幾らにもならないだろうが、茫茫と燃やして仕舞うより何かの役に立つ方がいいか。なおインフルエンザに罹ったことにして金曜不出社。此のところ何だか鬱状態で、真面に勤務する気が益益しない。
 適当飲酒の後、テレビを見る。ドラマ化された「下剋上受験」と、映画「耳をすませば」を同じ時間帯にやっていた。片や難関私立中学に挑む親子の物語、もう一つは多摩地区の公立中学に通う女の子の物語(こっちの親は相当なインテリ、何しろ声が立花隆)。前者は中学受験云云かんぬん、後者は高校進学すべきかなどと言って悩んでいる。二つの話を因数分解すると、結局のところ、人生というものは常に分からないことに満ちていると云う事である。


1/26・木
 何だか疲労感が取れず、午前午後と国会中継を漫然と聴く。今国会では、高等教育の無償化なども議論になっているようである。大学の授業料はもう少し引き下げるべきだと常常思う吾人であるが、保育園から大学まで全部無償化というのは幾らなんでもハードルが高いな。質問者(民進党のМ原元代表)は北欧的な福祉国家をイメージしているのだろうが、其れを行うには時期が悪い、と言うか既に過ぎている。少少の増税では社会保障費の自然増にあっという間に食われて仕舞うし、大増税をするにしては国の経済状況がずっと悪い。
 つまり日本という国は、「大転換」を行うには、最早手遅れといった感じである。せめてあと二十年若ければ、と思う次第である(当時は未来が此処まで貧困化するとは誰も思わなかったけれど)。結局細かな手当てを五月雨式に行うというのが現実的な落としどころなのだろう。
 それにしても、である。学生生徒個人への給付ではなく、学校への補助金方式で無償化されて仕舞っては、そもそも私学というものが成立しなくなる。新手の国家管理だと少しは警戒すべきである。文部省に財布を握られては、オレンジ大学も反体制的な先生を匿えなくなるだろうし。
 午後千寿に出校。退社後は大橋の方に出て、「王将」に入る。食べたかった油淋鶏は売り切れ。止むを得ず、鶏のから揚げを注文したが、肉が余りにカスカスで一口で幻滅す。軽く飲んで御仕舞。帰り掛けは『欧州複合危機』を拾い読み。クリミアやウクライナを巡るロシアの立ち位置について考えたかったが、記述は僅かしかなかった。何でも「ウクライナ危機をどこから書きはじめるのかは、むずかしい問題」で、「端緒を特定した段階ですでに、その危機の説明をしているだけでなく、誰かを弁護・非難しているに等しい」のだそうである。本書では識者の議論を幾つか紹介するに留めている。
 それにしても、ウクライナの後にシリア危機が本格化し、大量の難民が欧州に押し寄せ、テロリズムと右派ポピュリズムの火床を作ることとなる。此の件に関しては中途半端な介入に終始したアメリカの責任も大きいと感じる。オバマ外交最大の失策と言えるだろう。生真面目な同氏のことだから、今頃は慙愧に堪えないとでも言っているだろうが。


1/25・水
 今日も晴れ。午後出社。立ち飲みBへ。寒いから空いていたが、N君によると早い時間帯は結構混んでいたという。特に団体客が多かったと。其れでも十人で一万五千円程度だったというから、折角の給料日でそれぢゃあねと、お互い顔を見合わせた。其の後F蕎麦へ。深夜だというのに、肉と温泉(風)卵入りの「肉富士そば」(470円)が良く出ていた。セット物を除くと、当該蕎麦店の最高金額メニューである。まさか、とは思うけどね。デフレはまだまだ続くな。というより、一億総貧困化なのだろう。立ち飲みに立ち食い(Fには椅子があるが)。何度も言うが、経済活動の下方平準化である。山陰は大雪で関東はカラカラ。吾人の踵も硬いフランスパンのようになって仕舞った。二日続けて入浴す。


1/24・火
 一日晴れ。偶には文庫と新書を読もうと思い地元の本屋へ。『下剋上受験』『文庫解説ワンダーランド』と『日本の路地を旅する』を新造投入。ちなみに此の本で路地と言うのは、被差別部落の事である(中上健次の表現を踏襲)。東日本、就中世田谷などという新開地に住んでいると、此の問題を意識することは少ないし、吾人も同和教育を受けたことは無い。併しこうやって細かく見ていくと、路地にも色色とあって、日本という国もつくづく広いと思った。但し此の日本という概念も最近は怪しいものである。沖縄の基地反対派への差別的言動を見ていると、日本という国も米国同様、既に四分五裂気味である。
 昼はこってりの男ラーメンだったので、晩食は冷凍食品をひと並べと缶麦酒二缶で終了す。そんなこんなの老家人であるが、今夜は頗る機嫌が悪い。老家人は週に一度の割りで介護施設に行き、要介護者にならないような講習を受けているのだが、どうも待遇に不満があるようである。何でも周りはみな認知症の人ばかりで、話が合わないことに立腹しているらしい。一種の不登校だな。頭も体もしっかりしたエリート爺さんばかりが集まるエリート介護予防施設に移るか、家庭教師でも雇うしかないか。また信託銀行から、万代伯母の財産目録が送られて来る。以後、漸く相続税の算定に入るとのこと。まだまだ時間が掛かる。


1/23・月
 晴れてはいるが、とても寒い。ところで最近老家人は色色と物を捨てている。老前、いや老後整理と云う事なのだろう。其れでもなかなか捨て切れないようで、色色と悩んでいるようである。老家人は定年退職後も働いていたので、完全にオフになったのは、七十の頃である。以後、絵画のサークルに入り、絵描きの旅行などにもしばしば行っていた。其れが八十代の後半まで、つまり十数年は、趣味で楽しめたのであるから、結構充実したリタイア人生であったというべきであろう。描いた大量の風景画とともに、サークルの会報や、旅のしおり、数数の写真等等、まあスパッとは捨てられないものである。其の時が来たら、全部廃棄するから、其の辺に置いて措いて下さいとでも言うべきかな。
強烈な寒気が入り、昼から曇る。午後出社。退社後は立ち飲みBへ。ラーメンは食べずに帰宅後、お茶漬け。


1/22・日
 風も収まり暖かい。買い物序に別の古本屋を覗きに行くと、何処も閉まっていた。夜は一枚700円のステーキ肉(北海道産)。こういう肉には塩コショウに加え、化学調味料をひと振りし、バター焼きにす。そして柚胡椒を適宜付けて食べるとまあまあ旨い。歯応えもあって肉を食ったと言う気になる。そういえば牛肉を食べるのも週一回程度である。


1/21・土
 朝から晴れたが、風が強い。陽の当たる屋内に居る人は暖かいと言い、外に出た人は寒いと思うだろう。家人の体調不良は続く。また引っ繰り返られても困るので、吾人が買い物当番。昼はスーパーの弁当。晩食は碑文谷の商店街で焼き鳥と刺身を買い出す。序に古本屋を覗き『学問の下流化』を購入。本編の合間合間にある「読書日記」が面白い。


1/20・金
 朝から曇る。雪でも降ってきそうな御天気。起きて見ると、家作の前に廃材のような物が捨てられている。食器の類と大量の箸袋から判断すると潰れた飲食店のよう。酷い業者もあったものである。早速処理隊と分別隊を出す。何とか家庭ゴミの一部として持って行って貰えるだろう。
 誰も何も期待していないが、今日から通常国会。一応、施政方針演説を聞く。相変わらず首相Aは、都合のいいことは全部自分の成果、よくないことは全て民主党政権のせいにしていた。例によって中身は何もないな。
 午後遅く出社。大学が決まった高校三年生にはもう課題が出ているよう。トランプについて本を読んで調べたいというので、近所の本屋に行き、三浦何とかとかいう人の新書を探してやった。
併し初めての読書だから、もう少しいい本を推奨すべきだったかと少し反省した。でも行き成り難しい本は読めないだろうな。新書で十分である。
早目の退社の後は、立ち飲みB、中華立ち飲みと行き、再びBに戻った。何だか結構酔って仕舞いふらふらで帰宅す。数時間も立っていたから、草臥れたのかもしれない。御蔭で下らない就任演説は見ずに済んだ。


1/19・木
 お向かいの基礎工事が本格化し、またまた揺れることに。つくづく建て替えなど止めて欲しいと思った。鎌倉の伯母さんは心臓ステント手術。末妹である家人も付き添いたかったようだが、自身の不定愁訴の為に出動できず。敢え無く自宅待機となる。家人や老家人の年齢ともなると、行事の大半が健康関係問題で占められていると思った。
 午後千寿に出校。相変わらず此処の生徒は何も喋らない。個別指導に近いスタイルで反応無しとなると授業も進め辛い。それにしても知識というものは、ある人からない人に水のようには流れて行かないものである。同じ水でも低所から高所へ押し上げる努力が必要である。まして其れが押しつけや詰め込みにならないように、意匠をこらさなくてはならない。つくづく知識人の役割も同じだろうと思った。間違った知識に基づき過激なことを口口にする人人に対して、粘り強い働きかけが必要なのだと思った。
 併しこういう言葉はしばしば非力でもある。中野孝次の『暗殺者』と言う作品に、多田さんと言うインテリ男性が出て来る。「わけへだてのない気楽な自由な雰囲気に」吉五(モデルは小沼正)は心惹かれる。だが吉五は、次第に多田に「もどかしさ」を感じ、「自分が求めていたのは、正義と力である。と同時に、これが正義だ、と明確に示し命じてくれる権威ある人格であった」と、より過激な思想を説く古我に心酔する。「ナンミョーホーレンゲキョー」と唱えながら。「いつのまにか右翼的論法を身につけてしまった」吉五を、多田は「行くか。引きとめても無駄だろうな。」と見送ることしかできなかった。そしてその先に件のテロ事件が起こる。
 世の中に反知性主義、延いては過激思想が蔓延する前に、何かしら打つ手を考えなくてはならない。文字通り、言葉を尽くしてね。何も面白いことの無い一日。こういうときは「かつや」でとんかつ定食を食べて帰る。


1/18・水
 一日晴れ。寒気も抜け、概ね平年並みとなる。午後出社。何も特筆すべきことの無い一日。立ち飲みBと碑文谷の柏屋に寄って帰宅。


1/17・火
 ロシア側から下半身の問題を漏洩された新大統領であったが、一顧だにしない姿勢を貫くとのこと。そもそも清廉さが売りではないから、此処は開き直るしかないだろう。それにしても就任式まであと僅かだが、米国社会も嘗てないような分裂ぶりを示している。二進も三進も行かなくなって、政治的には空白の四年間となるかもしれないと思った。
 APAホテルの経営者が歴史修正主義の本をばら撒いていると、海外で問題になっているようである。中国からの観光客が来なければ客室も埋まらない。経営的には失策であるな。吾人の2011年8月の日記に其れを予見させる記述がある。そういえば、あれ以来当該ホテルチェーンには泊まっていない。泊まらないのではない。予約が一杯で泊まれないのである。此れからは少し空くかな。ホテル自体は安くて佳かったのだけれど。併し今頃になって問題となるのも不思議である。外国人は大勢来ているが、あの種のトンデモ本も日本語の壁によって守られていたという訳であろうか。
 一日晴れ。積んで置いた本を崩して『重光葵外交回想録』『経済の時代の終焉』と『ブラッドランド・上』に目を通す。後者の陰惨な記述に気が滅入る。人人が余りに無力な場合、「饑餓は反乱につながらず、堕落、犯罪、無関心、混乱、麻痺へと向かい、ついに死に至った」。「ハンナ・アレントは、ウクライナ飢饉は、みんながみんなから遠ざけられるという、近代社会の「アトム化」過程で起きたきわめて重要なできごとであると分析した」そうである。


1/16・月
 三号室はもう決まったそうで、Sさんが契約書類を持ってくる。バストイレ別でこんなに安い物件は今や無いそうである。何だか褒められているような、そうでないような、複雑な感じがした。
 午後出社。中華立ち飲みと立ち飲みBを連戦。Dさんからは返礼としてベトナムの煎餅とお茶を受け取る。今夜も冷えた。


1/15・日
 今日は大体晴れた。其れでも非常に寒い。年末年始の行事は昨日を持って全て終了す。自分で自分を労おうと、バスに乗り、世田谷の中の方にある百円寿司で昼酒。其の後、超満員のボロ市を歩き、世田谷線で帰宅。夜は鋤焼きにした。


1/14・土
 朝から三号室は清掃作業。一号室にはユニットバスのメーカーさんが入り精密計測。晴れてはいるが強烈な寒気が入り、結局曇る。
 延び延びになっていた芥田先生との忘年会だったが、新年会に名前を換えて開催される。今回は先生の御宅にお邪魔させて頂くことになった。例によって東西線で延延と行く。途中西船橋でラーメン休憩。三時に駅で待ち合わせ。参加者は、月波君、客野間君、鷺乃間君、藤松君。先生も益益お元気で、今度博士論文を纏め直して刊行するそうである。
各人近況報告ののち書庫見学。先生の丸山講義ノートなども見せて頂く。まず鉛筆で速記し、其の後大事な所をボールペンで上書きしたのだという。びっしりと書かれてあった。次は二十年前に先生が出演された民放番組と、一昨年島根の大学を辞められた際の記念講演のDVDの鑑賞会。先生の奥様も料理などを振る舞われ、大変恐縮す。ついつい飲み過ぎて御土産として持参して四合瓶二本はあっという間に底をつく。
 場所を書斎から駅前に移動。併し「のん兵衛」は満員で入れず。近くの店に緊急入港す。面白かった点として、(一)堀田善衛の『ゴヤ』は読む価値がある。(二)教養なき専門の先生とは付き合いがなく、同じ法学部では「方角違い」の人としか話をしなかった。(三)小選挙区制は今の所は成果無しであるが、政権交代が起こるという将来の可能性まで否定してはいけない。(四)天皇制と日本共産党は同時に博物館に入れた方が佳い。(五)憲法改正はまず第一章から着手すべきで、その際は憲法制定権力を明記しなくてはならない。(六)大学の講義ではレジュメは作らないし、シラバスに書いた予定も意味がない。其の場其の場の思い付きと連想で次次と拡散していくのが面白い。だから同じ題材を扱っていても、同じ講義は二つと無い。(七)講義の内容などすっかり忘れて構わない。但し一つか二つかを覚えていて一生の糧になればよい。(八)松圭先生からは自分より頭が良くて、尚且つ少しおっちょこちょいな奴が居れば大学教員に推薦しても良いと言われたが、とうとう一人もそういう人は見つからなかった。(九)ひと世代後の研究者は小学校の頃から塾(四谷大塚)に通っているから、益益面白い人が育たない。学問の縮小再生産である、等等。
 他には、日本社会は歴史上初めて階級社会になりつつあるとか、ゼロ成長でも貧乏を出さない方法がある筈だとか、中央の政治が駄目なのだから、地域の問題を地域で解決しようとする地域主権的な動きが出て来ても可笑しくはないが、残念ながらその動きは大きくない等等、こうして箇条書きにすると何の脈絡も無いような御話になるが、此れは此れで活発で知的な雑談になっている筈である。
 奥様にはくれぐれも飲まさないでくださいと念を押されていたので、焼酎の割り具合に気を使いつつ、結局十一時近くまで飲み続けた。お別れの挨拶もそぞろにして総武線に乗り込む。東西線は既になく、錦糸町半蔵門線に乗り換え。すっかり最終電車であった。


1/13・金
 午前中にエアコン取り付け工事。一時間ほどで終了す。明日からの寒波到来に間に合って良かった。メードインチャイナとは書いてないから国内製作品らしい。早速動かしてみる。先代のエアコンにあった室内と戸外の気温を知らせる機能が無いのが残念。まあ機能が常に向上するとき限らないか(フィルター掃除機能は付いた)。
 ちなみに今回のエアコンは三代目に当たる。古い家から持って来た初代はざっと四半世紀は動いたから、其れに比べると二代目は、寿命半分、価格は三分一といったところだろう。また三代目にはメーカー保証とは別に、量販店が十年保証というものを付けてくれた。併し十年後まで量販店など残っているのだろうか。会社の寿命も半分以下である。何だか草臥れたので、金曜不出社。


1/12・木
 今日も冬晴れ。朝起きたものの何だか漫然とす。午後千寿に出校。中学三年生が受験間際と云う事で、新たに理科を担当させられる。其の後は高校数学。例によって吾人が良く分からない分野である。当然巧く教えられず。ならば先生も勉強すればいいではないかと言う声も聞こえてきそうだが、そもそもが分からないものは、此の年齢になっては、恐らく一生(と言っても後半生であるが)分からない。かくして、分からないものは教えられないし、分からないものは分からないという結論に至ることになる。
 知識や知性を軽視しているのではない。むしろ尊重しているのである。そもそも一人で何もかも教えられると思うこと自体、自分は全知全能だという思い込みがなければできないし、そういう態度は謙虚さを欠いているから、くれぐれも宜しくない。分からないものは、其の筋の能力者に委ねるべきである。問題は本務校にも千寿校にも、そういう専門家が居なくなって仕舞ったことにある。退社後は味が濃い目のラーメンで休憩。地下鉄で缶チューハイを飲みながら帰る。月がよく照っている。従って夜も冷える。ガスファンヒーターは全力運転だから、室内の空気が悪い。


1/11・水
 一日晴れ。御向かいの工事も再開す。見たところ道路際のぎりぎりまで杭を差しているから、日が当たるのも今年限りかな。また日本年金機構から通知が来る。八月分の年金を振り込むとのこと。漸く手続き完了である。併しあれだけの書類を提出して、支払い決定通知は圧着式葉書一枚の定型文のみ。何だか拍子抜けである。
 午後早く本務校に行く。実に三週間ぶりである。扉を開けてみると、方方がゴミで溢れ返っていた。一方の無責任社長は風邪を引いたらしく椅子で寝ている。どうにも統治能力を失ったかのようである。あちこちの片づけと事務処理に凡そ二時間。以後は通常授業す。
退社後は立ち飲みBへ。此方も久久だが、N君も風邪引きの模様。寒さのせいか御客も少ない。二三杯飲んで早目に帰宅す。鶴木さんとも会ったが、先日人身事故に巻き込まれて大変だったという話しをされた。吾人が欠席勝ちな例の新年会の帰り道のことである。其れは、ほんの目前で起きたのだという。ネットのニュースで見ると、二十代の男性であったという。


1/10・火
 新大統領は大統領に成る前からツイッターであちらこちらの企業を名指しで批判。特にメキシコに工場を移す企業は袋叩きといった様相である。併し経営者出身ならば、ラストベルトはもうあかん、何時までも古い産業にしがみ付かないで、さっさと西海岸へ移り住んで再チャレンジしろとでも本当は言いたいのだろうな。如何にも恰好付けだけであろう。
 一日晴れ。午前中に内装屋さんが見積もりを持ってくる。まあまあ想定通りの金額。早速交換工事を発注す。中に貯めていても税金が掛かるだけである。此処は設備投資に回すべきだな。序に三号室の清掃も手配。午後は普通銀行支店長の表敬訪問を受ける。何かあれば何なりとお申し付けくださいと言われたが、万代伯母の口座は高額納税し終えたら、ほぼほぼすっからかんの予定である。今度は借りに行くかもしれない。其の後は当該室外機の清掃。裏側に猫の毛がびっしりと張り付いていた。あれでは呼吸困難といったところである。何とか回復してくれるといいが。
 と、此処まで書いたところで、ブレーカーが落ちた。見ると、過電ではなく漏電の所が下がっている。つまりエアコンの御臨終である。此の処、負荷が掛かっていたからなぁ。物というものも、つくづく壊れるときに壊れるものである。
 其処から先の対応は早かった。自転車に跨り、数キロ先の家電量販店に馳せ参じる。予め目を付けておいた空調専門メーカーに絞り選定す。22万円の上位エアコンは別格らしいが、10万円の廉価エアコンと16万円の中流エアコン、見たところのカタログ性能に大きな差はない。では此の価格差は何処から来るのだろう。稼働時間の長さを考えて今回は16万円の方にした。よい部品を使っていて、長生きしてくれると有り難い。ちなみに工事は最短でも三日後とのこと。其れまではガスファンヒーター生活である。そんなこんなのドタバタで、本日も無酒に近かった。


1/9・月
 未明は大風。雨風更に風邪共共朝方には概ね回復す。昼はにゅうめん。熱は下がったが、全身のダメージ大きく、虚脱状態。終日漫然とす。夜は残り物を中心に御飯半膳。三日連続で無酒。
 居間のエアコンの調子が悪い。此処数日は室外機が変な音を立てている。勤続十三年で、昼夜問わずの激務は堪えるのだろう。そろそろ引退時かなあ。


1/8・日
 朝から異様に寒い。どうにも寒いので昼食の炒飯を食べて温かくなろうとした。其れでも寒む気が取れず、早速布団を被り寝込む。どうも風邪を引いたよう。夕方に掛けて発熱。病身では炒飯は消化できないらしく、激しく胃もたれす。胃の苦しみは夜半まで続いた。夜は絶食。
 午後から大雨。記念すべき今年最初の風邪である。併し若干の喉の痛み以外、何も前兆は無し。行き成り発熱したから、症状としてはインフルエンザに近いと思った。千寿のストレスで免疫力が落ちたか、地下鉄の悪い空気に当たったか。そういえば立ち飲み屋にマスク姿の具合の悪そうな男がいた。


1/7・土
 朝方は宿酔気味。午前中に三号室が退去。どうも此の部屋は回転ばかりがいい。不動産屋さんのSさんと立ち会う。最近のSさんは物件開発なども任されているとのこと。賃貸物件を右から左へ回すだけでは儲からないから、ディベロッパーのようなこともやり始めているのだろう。少し話ししたが、要は遠回しに建て替え等を勧められた。何でも二十年で回収できるそうである。
 併しどう考えてもバブルだな。何処も彼処も建て替え中である。大体此れだけ新築物件が増えて仕舞ったら、想定通りの賃料が入るとは限らない。まあ家賃が下がれば喜ぶ人も沢山いるだろが。どちらにしても無茶苦茶な金融緩和の影響である。其の後は遺棄された引っ越しゴミの整理と分別。正直吾人はこうした日銭稼業で十分である。昼は御粥にして節制す。夜は肉屋のとんかつと御飯。本日無酒。
 合間合間に「覆面リサーチ・ボス潜入」という番組を見る。大会社の社長が変装して自社の現場で働くという番組で、今回はコンビニチェーンを取り上げていた。本社の全面協力がなければ作れない番組と云う事なので、当然のことながら、過剰出店や超過勤務や食品廃棄等等の問題には触れる筈も無し。売り上げ向上に繋がるような点を幾つかカイゼンして番組は終了。こういう番組を公共放送がやる意味があるのだろうか。


1/6・金
 未明からシロが何度も上って来て安眠を妨害す。通常は一晩に一回限りだからちょっと可笑しいと思った。朝になって猫小屋を点検すると、案の定、吐瀉物で汚れていた。どうも此の猫は食べるだけ食べて戻して仕舞う傾向がある。まるでローマの宴会である。今は貴族のような生活だが、根っ子には野良時代の飢餓体験のようなものがあるのだろう。だから食べられるときに食べられるだけ食べて仕舞うのだと思う。
 千寿に出校。行きしなにK諸蕎麦。今日で講習も御仕舞。例によって理科の電気やイオンでは多少難渋したが、大過なく終了す。相変わらずS子先生は「できないできない」と激昂していたが、そもそもの生徒が少ないので、騒音も許容範囲である。確かビリギャルの先生は、何とか心理学に基づいて褒めて伸ばすのだという。まあ褒めたからと言ってすくすく伸びるとも思えないが、少なくとも怒っているよりいいだろう。怒るのは自然な感情の発露だが、褒めるのは精神の鍛錬を必要とするから。
 退社後は大将と飯田橋で待ち合わせ。立ち飲みBにて延延と飲む。途中鶴木さんや須須木さんも呼び出される。結局六時から四時間も居た。都心の店だから、中座してK諸蕎麦を食べるなんて芸当も出来た。十一時過ぎには帰宅す。


1/5・木
 昨夜から冬型に戻り、ピンと寒い。年末来のゴミを出す。拾って来た物も含めて四十五リットルの袋二つで済んだ。生ごみなどは庭先のコンポストを活用している。夏の間は物凄い勢いで分解されるが、虫も凄まじく発生するので、しばしば使用停止となる。一方冬場は虫は出ないがなかなか分解されない。其れでも幾ら放り込んでも一杯にはならない。そもそも今の場所で埋め込んで、もう三年にはなるだろうか。猫の糞から噛んだ鼻紙まで、あれだけの物体が一体何処に行って仕舞うのか本当に不思議である。分解者というものは偉大だな。
 朝方は銀行に参り貸金庫のカードキーを受け取る。御昼過ぎに千寿に出校。退社後は神保町で途中下車。三省堂に寄ったが目当ての本は何れも見つからず。併しこうして態態気負って書店に行っても大抵大半は空振りである。想定の本を想定の書店で買い求められた割合というものは、恐らく二割にも満たないだろう。其れに本というものはAと言う本が売っていなかったから、A’でいいという訳にも行かない。無ければ無いで益益渇望する。結局ネットで買うものに成りつつあると思った。まあ本屋で眺めている内に想定外の本に出合うということはありうるが。
 落胆したまま「キッチン南海」で缶ビールとカツカレー。更に飯田橋の立ち飲みBに寄り、年末に忘れて行った焼売(真空パック)を受け取って帰った。色色計画を立てて臨んだ一日だったが、どうにも巧く行かず。どうも「東急メトロパス」を買うと碌なことが無いと思った。


1/4・水
 今日から再び講習。再び千寿に出校。退社後も直ぐに帰ることにした。昨日は家人の誕生日だったので、駅構内で一個200円のタルトを購入。何だか何時も行列の店であったが、今日は珍しく空いていた。早速食べてみると確かに旨いことは旨いが、どう見ても店舗内ではオーブンで焼くという最終工程を仕上げているだけと云った感じ。こういう食べ物は定期的に流行すると思った。一昔前はシュークリーム(店内でパイ生地を焼き、其の中にクリームを手押しポンプのような物で押し込んでいた)が人気で、雨後の筍のようにあちこちに似たような店が出来たものであった。皮がパリッとしているから結構旨かったが、不思議なことに今は全く見なくなった。
 また帰りの地下鉄も酷い混雑で閉口す。四日から出勤とは可哀想な勤め人が沢山いると思った。三が日というものも、四が日でも、五か日にでもして、正月休みをもっと長く出来ないものか。其の為には、官公庁と金融機関が率先して休むべきであろう。


1/3・火
 三年ぶりに駅伝見物に出かける。鶴木さん、須須木さん、柳さん、大将と鶴見中継所付近へ参る。沿道は既に黒山の人だかり。やむを得ず反対車線に回ったから、今一つ盛り上がらなかった。其れに此のところA学院大学がぶっちぎりで、本年も二位を数分以上も引き離していた。そうなると、先頭とそれ以外と言った感じで、応援も何だか間延びする。我がオレンジ大学は何とかシード権は取れたよう。最近は少子化でいい選手を集めるのに、どの大学も四苦八苦だと聞いたことがある。それにしてもあの監督は優秀だな。体育会的な上意下達を嫌った辺りはオレ流の人と同じだが、何しろよく喋ってくれるもの。
 天気も頗るいいので、川崎までぶらぶらと歩き、開いている中華料理屋へ。月波君も合流。更に「川崎モア―ズ」上の焼き鳥屋へ。続いて暴食す。それにしても川崎という街も、人が大勢出ているし、特に若い人が多い。少し心配そうな中高生とか、赤ちゃん連れの若夫婦とか、普段は余り見ないような人人である。正直、丸で外国に来たような気分である。通常行き来している地域、ざっと言って環状七号線の内側は、実は相当高齢化しているのだろう。地価や家賃が高すぎて若い人が住めないというのもあると推測す。偶には外に出て行かないと日本社会の実情は掴めないと思った。
 鶴木さんらとは駅でお別れ。泥酔状態の大将と南武線に乗り、吾人と月波君は溝の口で乗り換えた(ちなみに大将は何処かの店で万引き犯との容疑を掛けられ、夕方から非常に不機嫌であった)。其の際に「東秀チェーン」に寄る。九時過ぎ帰宅。


1/2・月
 朝は小量飲酒。大晦日から食べているから、おせち料理も既に飽きた。其れに買い物も掃除も無いとなると、何だか持て余し気味。やはり人間動いてないとね。街に動きがないから、猫も一段と暇そうである。鼠の大群でも攻めて来ないかとでも思っているのだろう。散歩に連れて行きたくても、そもそもが猫じゃねえ。
 夜は「ローカル路線バスの旅」を見る。愈愈此の番組も最終回。最近はバス路線が繋がらず、殆ど徒歩連絡の旅となっていたから致し方なし。今回も自治体が運行するコミュニティバスでちょろちょろし、都市間連絡バスで距離を稼いだが、結局ゴールは出来ず。何はともあれ、出演者が頭か心臓の疾患でぶっ倒れるか、歩道に突っ込んできた車に撥ねられて大怪我をする前に御仕舞にして正解である。
 併しバスも鉄道もなくなるのは寂しい限りである。大体吾人がE先生のゼミで追究したのは、「交通権」(接見交通権ではない)であった。せめて朝朝昼昼晩の一日五本ぐらいバスを走らせるべきである。


1/1・日
 全国的に穏やかな晴天となった。何時もの通りデパートで取り寄せたおせち料理と伊那の御酒で朝から中量飲酒。もう二十年も同じ形式だから、然したる感動もない。本来は家人が減らないだけでも感謝すべきなのだろう。併し老家人も今年九十二。来年の事は正直分からないと思った。
 朝酒の後は、近所の小公園、中公園、大公園にゴミが散乱して余りに酷いので、拾いに出掛けた。半周ほどで四十五リットルの袋が大体満員に。可燃ゴミだけでこうなるのだから、瓶係り、缶係り、ペットボトル係りと、あと三人は必要であると思った。併しあんまりゴミだ分別だリサイクルだと騒ぎ立てると、ゴミ箱東条になるからなぁ。くれぐれも注意が必要である。
 午後は『アウシュビッツのコーヒー』という本を拾い読みす。ドイツにおけるコーヒー熱と国家総力戦を読み解いた本。「コーヒーさえあれば、人びとは落ちつく」が、「コーヒーを欠いたコーヒー党はコーヒー騒動を起こして当然」だそうで、嗜好品であっても一種の戦略物資と言う点では酒や煙草と同じであると思った。ただコーヒー豆は国内生産が出来ないから、植民地獲得競争に走ったり、化学産業に代用品を作らせたりと、何かと国家の大政策と結びつき易いとのことである。生憎吾人はコーヒーは全くと言っていいほど飲まない(月に一杯程度)が、こういう本ならばと、家にあったインスタントコーヒーを飲みながら読み進めた。するとすっかり胃の調子が悪くなり、胃薬の緊急登板となる。夜も洋風おせちをひと並べに常温のビールを一缶のみ。レトルト御粥で締めて御仕舞にした。
 
▶凡例 本年から書籍名は二重括弧に統一。また店名など正確な固有名詞には括弧を付けることとす。なお誰もが知っているような人物以外の人名、個人的な付き合いのある店名等は依然として全て仮名かイニシャル表記。

2016年12月

12/31・土
 今日も片づけと掃除と買い物の繰り返し。昼はSで牛丼並とサラダセット。合間合間に先日やっていた映画「ビリギャル」を見る。今も昔も一般入試と言うのは大変である。あのヒリヒリとした日日が蘇るね。それにしてもあれだけ苦労して難関とされる大学に入っても、半分以上の学生が殆ど何の勉強もしないのは何故なのだろう。恐らく入試制度が良くないのだと改めて思った。併し論文などで精査するには受験生が多すぎる。かといって大学の定員を減らせば、大学経営が立ち行かなくなる上に、未来ある受験生に門戸を閉ざすことにもなりかねない。大学の目的は勉強することだけではないしね。かくいう吾人も最初の二年間はサークル活動しかしていなかった。其の後E先生の憲法のゼミに入り、芥田先生と出合うのは五年目か六年目の事である。議論は結局堂堂巡りになって仕舞った。
 併しあの学習塾の先生も熱心なのは分かるが、授業料も高そうだね。最近の親はますます貧乏になっているから、あんなにお金を出せないだろうというのが今日的感想である。最近は低学力層がすっかり入ってこないもの。
 そんなこんなで今年も終了。夕方から飲み始める。公共放送の歌合戦も割と最後の方まで見た。毎年毎年、詰まらない、下らない、知らない歌唄いばかり出ると罵られている年末番組だが、他局も含めて大体こんなものだろう。文句が多いのは年を取った証拠である。年を取れば歳末だ正月だと言われても、やっていることは毎年大体同じだから感動がなくなる。詰まり高齢化社会とは低感動社会である。そもそもは家が潰れたり、流されたり、焼かれたり、爆撃されなかっただけでもまず有り難く思うべきだろうが、そういう当たりの前のことに感謝感激する人は稀である。


12/30・金
 そういえば民進党のRH氏もまるで存在感がない。左にも(右にも)振れず、野党共闘も曖昧で、民進党も漂流状態である。もう御仕舞だな。野党が丸でだらしがないと初めて思った。いやいや、吾人のような都市中間層までが民進党を見放したら、いよいよ日本はファシズムに陥りますよとは、先日会った坪上君に指摘されたことであったが。
 朝からF蕎麦へ。其の後は、買い物や掃除や片づけ等等。午後四国の親戚から蜜柑が送られてきたが、此れを小分けにして鎌倉の伯母さんの所へ転送したいと家人が言い出す。年末で輸送事情が悪いのに、態態荷物を増やすことも無いだろうと言っても納得しない。第一に運賃が勿体ない。箱の中身と同等である。こういうことを色色言っても、頑として聞き入れず。大体道端の店でも売っているような有り触れた品物を態態各戸別に送り出しているから、宅配便もパンク状態だという。現に千寿校で注文した講習用テキストも一日延着して、授業も格好が付かなかった。


12/29・木
 今日も晴れ。渋谷を過ぎるとあっという間にガラガラの地下鉄で千寿に向かう。「りんりん」でカレーとラーメンを食べて出校。本日で年内の講習も終了。足取り軽く飯田橋の立ち飲みBへ。会社員が居ないのでよく空いている。D君は今度は暇疲れといったところで浮かない表情。千寿の和菓子屋で買った海苔巻と稲荷寿司を差し入れ、年末の御挨拶とした。示し合わせた様に月波君も登場す。どうも此方の行動計画が漏れているかのよう。併し二日連続で会ったから、此れと言って話すことも無い。丁度チュニジア人従業員が客として来ていたので片言の英語で会話す。「日本は人口が膨大だから、そもそも海外に出る必要がない。だから英会話は全く巧くならない」と言うべきところを、populationをpollutionと間違えていたため、幾ら話して書いても通じず。
 併しこうやって外国人と話をしていても、何せ語学力がないから、相手がどういう人なのか、そもそもの頭がいいのか悪いのかつくづく判別できず。日本人(特に女学生)が海外留学等で事件に巻き込まれる訳である。言葉が通じただけでつい嬉しくなって、ついつい油断して仕舞うのだろう。更にガード下のラーメン屋台で飲み直し。英単語をさっぱりと忘れ去ってから帰宅す。こうして年内の外飲みも全て御仕舞となった。
 また防衛大臣真珠湾から帰った其の足で靖国神社に参拝。アメリカから早速苦言が来たが、どうせ来月には大統領も代わるのだからとやりたい放題である。


12/28・水
 点けっぱなしにしておいたラジオから変な音がすると思って目が覚めると、それは首相Aの声であった。真珠湾で何事か喋っていたらしい。大統領の広島訪問のお返しと云う事なのだろう。それにしても軍事目標への精密攻撃と、都市丸ごとの無差別破壊を同列には扱えないな。尤もその非対称性そのものが、一旦起こした戦争は止めようがないという恐ろしい事実を示していると言えるが。また肝心のAであるが、例によって日米同盟の深化しか言わなかった。何か他に言う事は無いのかと、毎度のことながら呆れる。大体和解を訴えるなら日米より日中だろう。尚、現大統領とは此れでお別れ。Aにとっては気難しいオバマ氏より、能天気な後任者の方が気が合うだろうというのは、大方の見方である。
 起きた序でに健康診断の結果を聞きに行く。予想に反し、中性脂肪コレステロール値等等、概ね各数値も改善す。下の血圧と眼圧の高さを重ねて指摘されるも、高脂血症薬の量は半分となる。医療費削減に貢献できて佳かった。
 御昼に出社。退社後は大橋の七ちゃんで立って飲む。帰宅途上の月波君を呼び出す。更に飯田橋に転進。立ち飲みBに入るも超満員で給仕も大渋滞。D君も顔が土気色をしていて気の毒になる。暫し隣の隣の客のいない付け麵屋に避難。併し此れが酷い店で、麺も汁も満足に食べられず。よくよく見れば大手牛丼チェーンの運営であった。従業員は「一杯入魂」などと書かれたシャツを着せられているが、一杯入滅の間違いだと思った。空いた頃を見計らってBに再入店。今日で御仕事も御仕舞と言う人が多いようだが、其れでこんなに立ち飲み屋が混むようでは、勤め人の財布が如何に空っぽなのか、推して知るべしであると思った。十時半ごろ帰宅。


12/27・火
 朝から南風が吹き付ける。御昼に掛けて通り雨。そんな中、御向かいでは地鎮祭。いや確か無宗派だったから、起工式かな。再び千寿に参る。昼食はホーム上のK諸蕎麦で310円のたぬき蕎麦。蕎麦に天かすにつゆ、今更言うのも何だか、何れもF蕎麦より確かに旨い。難点は繁盛し過ぎていること。店内は何時も満員電車のようで、満足に味わうどころでは無し。増結か増発を願いたいところである。またF蕎麦も頑張らなくては。
 五時過ぎ退社。併し此れと云って行くところも無し。結局「大江戸」へ。早い時間なのでネタも豊富にある。ついつい暴食す。二日続けて三千円越えとなって仕舞った。適度な量の酒を飲み、混んだ地下鉄で軽く茹でられた筈なのだが、降りた途端に尿意を催す。所謂途端の苦しみと言うやつである。こういうことの無いように麦酒は飲まなかったのだが、燗酒であっても一時間弱で分解されたのであろう。酒飲みの宿痾のようなものである。僅か十分の道のりであっても、這う這ういや、脱兎の体で帰宅。併し尿意や便意というものは急げば急ぐほど高まるから、やっていることは自己矛盾、自己恫喝、自己破壊的である。


12/26・月
 今日から講習。御昼に千寿に出校。一時過ぎから五時過ぎまで教える。此方も生徒が少ないので、此れで御仕舞。さてどうするか、普通の勤め人のような上がり時間である。講習中は色色な所に行って見ようと思った。まず日比谷線を乗り通し中目黒の立ち飲みBに参る。併し知った顔はおらず。結局天祐寺の焼き鳥Bへ徒歩連絡。何だか普段と代わり映えしないと思っていたら、以前勤めていたH君が御客としてやって来る。色色と話しして帰った。十時帰宅。


12/25・日
 朝から自転車で出掛け、馬事公苑手前のこってりラーメン屋に並ぶ。所謂二郎インスパイヤー系である。健康には明らかに悪そうだが、大量の野菜を掻き分けてから糖や脂質に着手するから、栄養学的には案外正しいのかもしれないと思った。
 其の後環八を東進し、今月出来た家具量販店を訪問。確かにもの凄い規模の店である。郊外にはよくあるようだが、都心(と云っても環八だが)進出の旗艦店という位置づけなのだろう。早速店内を見聞す。室内用の照明器具は光源と傘を別別に売ることで色色な組み合わせが可能。従来の家電の会社にはない新しい売り方だと感心す。是非とも家人を連れて行きたいが、駅からもバス路線からも遠いから一生縁がなさそうである。夜は先日成功した豆乳鍋


12/24・土
 冬型の晴れ。昼は410円のうどん。夜は一本350円の肉屋のローストチキンと冷凍のグラタンなど。取り立てて無為。
 何時の間にか新年度の予算案も出ていた。依然として十兆円程度は税収が不足し、新たな借金に頼っている。そんな中でも防衛費だけは増えているようだが(社会保障費の伸びは止めようがない)、此れとて日中の平和外交がもう少し進めば、其の内の何千億円かは使わずに済んだことだろう。もう中国と話を付けられる人が政官には居なくなって仕舞ったなどと、何処かで聞いたことがある。優秀な外交官を育てるのには、給料とは別に一人一億円ぐらいの国費は掛かるだろうが、艦隊や戦闘機を揃えるのに比べれば遥かに安い。極めて投資効率のよい案件な筈なのだが。併し今から育てるとしても、育ち上がるまで最低十年は掛かるかな。其れまでは民間外交で繋ぐしかないか。また中華立ち飲みにも行かなくてはならない。


12/23・金
 雨風は未明には収まる。午前は穏やかな晴れ。午後は寒気が入り徐徐に曇る。昨日は暴食したので日中はカップ麺一つ。すると何だか体が冷たくなり、六時前から飲み始めた。
 天皇誕生日。皇居には大勢押し掛けたとのこと。併しこうして再び天皇というものが人口に膾炙されるのを見ると、天皇制と云うものは、今上天皇の象徴行為を経て、何だか段段復活してきたのではないかと言う危惧を覚えた。其れは、すなわち、明治憲法下で暴走した天皇制というものを辛うじて抑え込んできた現行憲法を、最終的には破壊して仕舞うのではないかという危惧である。


12/22・木
 福島事故の処理費はもろもろで二十兆円に達し、大半を電気料金に上乗せして賄うことに決まったよう。原発を容認したのは全国民の責任と云う事なのだろう。謂わば一億総懺悔だと思った。併し推進派の博士や大臣はどうしているのだろう。せめて公職追放程度にはすべきであると改めて強く思った。
 貸金庫の御用意が出来ましたというので、朝から銀行に参る。少し小さいサイズにしたので、年間数千円は安くなった。其れでも三万弱。まあコインロッカーでも一日五百円は取るから、安い方なのだろう。此れも顧客サービスの一環である。併し金利が益益下がり、銀行屋さんも利ざやで儲からなくなると、近近に値上げされるかもしれないと思った。結局大半がゴミみたいな書類を入れて直ぐに帰る。それにしても吾人も家に居れば都市中間層(どちらかと言えば旧中間層)、出社すれば貧困層。此の自己分裂状況に悩むこととなる。
 千寿校も休みにしたので今日から四連休である。少し都心に出ようと思った。まず上野の「クラウン」でカレー昼食。其の後秋葉原へ参り、家の奥から出て来たファミコンソフトを再び売却。二十数本で四千円弱の値が付いた。更に神保町へ回航。併し地下鉄を上ったり下りたりしている内に何だか草臥れて仕舞い、本を探すどころでは無し。「嵯峨谷」で暫し蕎麦休憩。
 一応東京メトロ一日券を購入し、お得に移動している筈なのだが、地下通路を行ったり来たり、ホームを端から端まで歩いたりとうんざりしてくる。バスと違いお得感ゼロである。短距離移動に地下鉄はつくづく不向きである。結局一冊も探し出せず、飯田橋へ。時間があるので、ギンレイホールで偶偶やっていた「やつが帰って来た」という映画を鑑賞。ドイツ式のブラックユーモア映画なのだが、登場人物が登場人物だけに余り笑えず。どう落とし前を付けるのかと見ていると、ユダヤ系の御婆さんが認知症も吹き飛ぶほど激昂するあたりから物語が変調し、色色と考えさせる内容で御仕舞となった。とは言うものの、やはり余り造りのいい映画とも思えず。
 漸く夜になったので、立ち飲みBへ向かう。前回居なかった幹部社員のD君とも久久に会えた。月波君と待ち合わせ、二時間ほど飲む。するとどうしても回鍋肉定食が食べたくなり、吾人だけ蝦夷松の外堀通り店へ参る。分厚い豚バラ肉に大盛りの御飯。何とか完食す。ここら辺の感覚はラーメン二郎だな。外で待たせた月波君と合流し、もう一軒軽く飲んで御開きとした。年末ということもありどの飲食店も地下鉄も満員であった。
 日中、春のような暖かさ。石勝線が復旧。夕方から南風強し。夜は雨も加わり嵐のようになる。異様な天候のせいで各地で火災多発。糸魚川では大火となる。木造住宅が次次と燃えて仕舞ったよう。半分は空き家と空き店舗だろうな。何時の日か首都圏直下型地震が起こるのは致し方ないとして、せめて梅雨時辺りに来て欲しいと思った。


12/21・水
 もうコレステロールの薬がないらしい。主治医は他界されたから、先日行った新しいクリニックへ参る。なお区の特定健康診断を利用すれば、色色な検査が500円で受けられる。例年三月の検査を前倒すことにした。採血、検尿、胸部レントゲン、心電図等等、幸い宿酔気味ではないが、食事制限など何もしていない。殆ど抜き打ちの検査である。どういう数字が出るか楽しみである。
序に目の検診も受けられるという。500円の内で済むのならと、気軽な気持ちで近所の眼科に転進す。併し此れが悪かった。眼圧が高く(左右とも23ぐらい)、其のまま追加検査となる。例によってあの視野検査である。例によって吾人の大苦手な眼科である。コンタクトレンズを嵌められ、大きな鍋の底のような所に頭を入れ、光芒を追ってボタンを押す。より正確に言うと、追ってはいけない。視線が少しでも揺らぐと、「しっかり前を見てください」などと人生訓のような文句が自動で流れて怒られる。数年間忘れていたあの恐怖が一瞬で蘇る。冬だというのに脂汗が出そうなほど緊張す。
大体眼科というものは歯科より恐ろしい。まず基礎的な眼圧の検査から言って考えられない。行き成り瞳に空気砲のようなものを当てるのだから。人間に限らずそもそも生き物というものには反射神経がある。熱さを感じたなら即座に手足を引っ込めるし、目前に人が飛び出して来たら非常ブレーキを掛ける。もしも目が何か危険を感じたならば、真っ先に目を閉じるだろう。併し眼科では何をされても目を強く開けて続けなくてはならない。而も手や足と云った、言い方は悪いが人体の下部機構ならともかく、目という何しろ中枢に近い直轄直営器官である。反射行動を止めるのは、非常な意志の強さ、尋常ならざる克己心を要求される。従ってこんなに恐ろしい医科は無いと考える。増して万が一にも目の手術に至ったことなど、今から少し考えただけで卒倒する(実際は白目をむいて昏睡することすら出来ないのである)。
数次に及ぶ困難を乗り越え、医師の最終診断を受ける。幸いにして今のところ問題は無いとのこと。併し途中から有料検査と云う事になり、三割負担で2860円も取られた。其の上、数か月以内の再診を勧められる。眼圧が下がるような佳い食べ物は無いのだろうか。通して内科十五分、眼科四十分。特に後半の損耗が著しい。少し血を採る筈の検診だったが、丸で魂を抜かれたようにしてぐったりとして帰宅。
 昼食と午睡の後、出社。金参万円受け取る。年末年始は例によって千寿校に行くので、本務校の勤務は暫らく無い。身辺を色色と片づける。中華立ち飲みとBに寄り、色色と挨拶して帰宅した。
 中日のマネージャーO氏も退任が決まる。監督が辞めさせられたのだから、当然といえば当然である。併し自らの退任や最下位という成績に関して一切の説明は無し。自由党の代表じゃあるまいし、少しは喋るべきである。所謂、オレ流と云う事なのだろう。それにしても、オレ流か。選手ならそれもいいだろう。併し指揮官としてはどうなのだろう。監督としての一度目は予想に反し大成功したが、二度目はやはり滅茶苦茶になったとは、中日ファンの共通見解である。


12/20・火
 朝から牛丼Sへ。やはりМより旨い。年賀状を数枚書いて出した以外は無為。新大統領の組閣人事を見ていると、大金持ちと軍人上がりばかり。こういう事ではないんだがと、ラストベルトの嘆息が早くも聞こえてきそうである。恐らく最後の白人専用政権と云う事になるのだろう。精精激しく燃え上がるといいと思った。
また他国の軍隊が此れだけ駐留している国と平和条約など結べないし、領土の一部も返せないというロシアの主張も、残念ながら正鵠を得ている。今のところ、永久に返って来ないだろうな。一島たりとて。併しAは対米追従と対ロ協調が両立しないと云う事に気が付いているのだろうか。付かないだろうな。あの頭じゃあ。


12/19・月
 万代伯母の貸金庫を解約しなくてはならないというので、朝のうちから信託銀行の人と地元の普通銀行に参る。開けて見ると、中には雑多な書類が束になっている。大昔の分割協議書とか測量図面とか、もう潰して仕舞った貸家の消滅届などなど。其の中から今回の登記に必要な書類を幾つか持って帰って貰う。
また不動産の登録免許税なるものの概算も出る。免許の税と言うらしいが、今更頼朝公から本領安堵される訳ではあるまい。一体誰からの何の免許だか知らないが、其れだけで三部屋分の大型リフォーム代に匹敵す。相続税の他に一体どれだけの税金を納めることとなるのか。こんなに沢山納税するのだから、いっそ公務員として雇って貰いたいものである。
なお貸金庫を継続使用するには、当該支店に吾人名義の口座が必要とかで、再び口座を作ることになる。作って上で、改めて貸金庫の申し込みと相成った。何枚も何枚も、件のこってりとしたボールペンで帳面を書き綴る。審査の上、年明けには作れるだろうとのこと。かれこれ二時間半も掛かった。残りの書類の束を持ってげんなりして帰宅。間違いなく銀行滞在最長時間記録である。
 近所の食堂で五百円の遅い昼食。一休みした後、出社。退社後は立ち飲みBへ。ベトナム人店員のDさんが本国に帰省するという。職場で持て余していた煎餅の御歳暮を、御両親への土産にと手渡した。日越友好の草の根煎餅外交である。


12/18・日
 朝からF蕎麦へ。結構暖かい。取り立てて無為。


12/17・土
 かなり遅くなって仕舞ったが、漸く一号室の工事。朝方から何時もの親方と大工さんと設備屋さんの三人で乗り込む。シンクの交換は直ぐに終わった。一方シャワーボックスは水漏れが酷いという。板と板のつなぎ目のパッキングが劣化している。もう三十年近い物である(他部屋では既に交換済み)。コーキング剤で応急修理をす。愈愈浴槽付きのユニットバスに作り替えようと思い、大まかな見積もりも取って貰った。大体数十万だな。果たして家賃に上乗せ出来るのだろうか。
 取り敢えず落着してぼんやりしていると、坪上君からメールが来る。丁度妻子がいないから飲みに来ないとか誘われる。夕方自転車で出発。世田谷の中の方に向かう。月波君も同行。彼はマンションを購入したから、新居のお披露目会でもある。古い物件のようだが、中は綺麗にリフォームされており新築同様。而も独特のメゾネット構造をしていて、戸建てのような感覚。成程こういう建物もあるものかと感嘆しながら見聞す。
五時過ぎから飲み始め、途中「吉田家」に参る。お爺さん三人でやっている食堂だか、三人とも壮健で安心す。飲み物を頼むと色色とサービスされるシステムも健在。五目焼きそばには、冷やし中華と見紛うほど具が大勢乗っていた。何はともあれ楽しく飲食す。十時半にはお開きにして、ゆっくり帰った。


12/16・金
 北方領土の問題も、四島一括返還から、何時の間にか二島だけでも兎に角返してという方針に転換したよう。そもそも四島一括即時返還論には無理があったようで、最近は日ソ共同宣言に立ち返り、二島返還交渉がなされているとのことである。小学生の頃は、国後択捉歯舞色丹と一括で担任教師に暗唱させられた口としては、何だか腑に落ちないな。最近はどう教えているのだろう。
 また相変わらず此の問題では、元島民の声というものが尊重されている。併し故郷喪失やディアスポラは、全人類的な普遍経験である。ダム湖の底に沈んだ家家も、軍靴に蹂躙された集落も、放射能に汚染された村町も、みな同じ故郷である。そして今こうしている間にも、世界は膨大な数の難民を生み出している。
 朝から晴れたが大変寒い。一応ボロ市には参る。併し家人には冷蔵庫が臭くなるから、白菜漬けはくれぐれも買って来るなと念押しされる。となるともう何も買うものも無し。端からは端まで見て、手ぶらで帰宅。
午後出社。早目に帰ろうと思ったが、自転車の鍵を失くした。予備は無いから、結局工具で壊す以外に手が無かった。親切にも無責任社長が手伝ってくれた。ずぼらな小学生のように鍵を失くした自分自身と、無責任社長に下らぬ貸しを作って仕舞ったこと、二重に腹立たしかった。立ち飲みBで少し飲み、碑文谷で更にラーメン食。
 首相Aが乾坤一擲の思いで実現した日ロ首脳会談であったが、領土問題に関してはゼロ回答の模様。幾つかの経済協定の締結で話しは終わる。此れとて大した内容ではなし。此の程度の物は冷戦終結後、直ぐにでも結ばれて可笑しくは無かった。
ところでAは落胆しているのだろうか。そもそも二島くらいは返還してくれそうなどとは、一体何処の誰が考えたのだろう。とんだ見込み違いというものである。大体ロシアである。やって来たのは、クリミア半島を併合し、ウクライナの東半分とシリアのアレッポを滅茶苦茶にした当の大統領である。昔の書記長より更に悪い。全く以て、勘違いも甚だしいと言わざるを得ず。


12/15・木
 向かいの解体工事も大体終了す。建物三棟の解体に一月半掛かった。庭は残っていたが、最後の工程で壊された。庭木も一列を残してみな伐採される。藤棚や石灯篭もあり、年に二回は庭師が入る立派な庭だった。びっしりと建物が建つのだろう。立派な環境破壊である。植木屋さんも得意先を失うこととなる。
 カジノ法も成立す。政権側が大阪の連中に相当サービスしたことになるのだろう。あんなものを作られては、旦那が駄目人間になって働かなくなると、大阪のおばさんたちは怒り出さないのだろうか。つくづくあの大阪の会はどう仕様もない。其の点は、あの元市長も心得ているようで、最近はタレント活動に熱心である。
 一日晴れ。数日来の疲れが出たのか、午前午後と漫然とす。夕方近くになり中目黒まで歩いて千寿に出校。退社後は「福しん」で回鍋肉定食。甘辛な味噌が効いて旨いことは旨い。其れに野菜高騰の折り、キャベツが多いのは大いに喜ぶべきだが、矢張り回鍋肉は蝦夷松に限ると思った。第一に肉の厚みが違う。


12/14・水
 朝方まで大雨。天候の回復が遅れ、午後も寒いまま。名護沖で米軍機オスプレイが不時着、大破。別の一機も胴体着陸で壊れたという。沖縄への配備は二十四機だというから、其の十二分の一が破損したことになる。輸送機としては欠陥である。強襲揚陸機的な位置づけなのだろう。併し図体が矢鱈でかいから、あれでは奇襲も出来ないと思うが。
 熱海から帰って来た家人と交代し、午後出社。漸く金参万円受け取る。ところで中二の数学であるが、一次関数の後はずっと図形の証明である。三角形の合同から始まり、直角三角形、平行四辺形と延延と二月くらいまで続く。また此れで数学嫌いが増えるな。証明が好きという中学生は十人に一人ぐらいである。
そもそも右と左の三角形の合同を証明せよなどという問題から言って気に食わない。合同と分かっているものを態態証明させることも無いだろう。大体証明されなければ事実がないと考えることから言って可笑しい。例えば、身分証明書も戸籍も無い人が居たからと云って、其の人の存在を何ら否定することにはならない。存在は証明に先立つのである。矢鱈証明したがって頭が佳いふりをするというのは、希臘数学以来の悪い伝統であると思った。
退社後は立ち飲みBへ。久久にメンバーが揃った感じで割と楽しかった。但し夜は一段と冷えた。万代伯母の月命日。四か月が経った。高額医療費の払い戻しは受けたが、そう言えば日本年金機構からは何とも云ってこない。書類発送から二か月近くも経つが。


12/13・火
再来月からの最終金曜日は官民挙げて消費を促すのだという。名前もプレミアムフライデーとし、三時退社を目標とするとのこと。つまり金曜日の土曜日化である。吾人が随分前から提唱しているアイデアである。もう間に合わないが、再来年からのカレンダーは、一部金曜日を青く、土曜日は全面的に赤くすべきである。
成光君から欠礼葉書が来る。「親族等が亡くなったわけではありませんが」「敬愛する元上司が永眠され」「気持ちの整理がつかない」とのこと。彼は大手化学メーカーに勤務している筈だが、そんなに佳い上司がいたとは羨ましい。無責任社長と取り換えて欲しいと思った。
家人は自分の親戚と熱海へ一泊旅行。吾人が老家人の支援当番である。昼は弁当、夜は豆乳鍋などを拵えて食べさせた。吾人の料理経験は限りなくゼロだが、結構旨く作れた。立ち飲み屋なら十分な味である。午前中は薄日が当たったが、夕方から小雨。


12/12・月
 家人の話しに因ると掛かりつけの老師は先月半ばに亡くなったとのこと。何せ完全な密葬だったというから、情報が伝わるのに時間が掛かった。と云う事は、吾人の診察は、其の一か月前くらいだったことになる。凡そ三十年前にウタ婆さんを看取ったのも老師であった。最後の最期まで診察に立たれていたことになる。合掌。
日中は冬晴れ。午後出社。残りの百枚を書き上げる。退社後は立ち飲みBに軽く寄る。副店長格(といってもバイト長らしい)のN君と話が合う。吾人と同じ歳くらいの彼も近近独立するそうである。まあ確かにBのシステムを真似れば、確実に商売は成功するだろう。此処だけの話し、吾人も少し考えたことがある。


12/11・日
 都知事は政治塾を作り、授業には数千人も集まったという。来年の都議選を睨んで、地域政党を立ち上げる予定なのだという。確かにあの都議連中の野次等等は酷いことは酷い。出来れば全員落選させるべきだとは思う。併し所謂大阪系の手法を再現されても何だか鼻白む。つくづく都民こそ、今まで碌な議員と知事を選んで来なかったという現実に改めて慄然すべきである。
 月波君が飯田橋で飲みましょうと言うので、午後出掛ける。まず中目黒まで徒歩連絡。併し日比谷線では相当遠回りで閉口す。日本全国の大抵のローカル線を乗ってきた筈だが、地下鉄だけは何年乗っても未だによくわからない。
まず立ち飲みBの支店を表敬訪問。Bはついに飯田橋にも出来たのである。併し知った店員はおらず。日曜と云う事もあり店内は閑散。都心店は少し形態を変えた方がいいと店長に進言す。更に蝦夷松で回鍋肉と味噌ラーメン。ところで月波君は母方の伯父が亡くなり帰省していた。而も親族間で遺産相続を巡って争いが起きていて、葬儀会場でも顔すら合わせなかったのだという。相続するだけでもこれだけ大変なのに、つくづく不幸なことであると思った。
二軒回ってもまだ七時なので、神楽坂の「ブロンクス」に入る。カウンターに陣取り、若いバーテンダー相手に、ああでもないこうでもない、スコッチだアイリッシュバーボンだと矢鱈目ったら飲み進めていく。丸い氷が二つくらいなくなる頃には、かなり酔いが回って来る。となると月波君もしつこくなってきたので、いい加減に帰ることにした。すると二人で一万三千円にもなる。随分と散財したと思った。何時もの地下鉄で戻り、更に地元のラーメン屋に入る。満卓満席。日曜ともなると、都心より世田谷の方が人がいる感じである。
 また飯田橋駅の西口も駅舎ごと無くなって仕舞っていて、例によって吃驚す。西日が良く当たる、三角屋根が特徴的のいい建物だったが。駅舎の位置をずらし、ひん曲がったホームを作り換える予定なのだという。また学生時代が一段と遠ざかったと思った。


12/10・土
今日も朝から晴れたが、昨日とは一転して冬型の気候になる。日が陰ると何だか相当寒い。都市の活動が弱まる週末は、特に寒くなるなどと何処かの気象予報士が言っていた。更にエアコンの普及が拍車を掛けているかもしれない。つまり室外機が轟轟と動くことで、外の熱を吸い取って仕舞うのではないかと吾人は密かに疑っている。となると都市の夏は益益暑くなり、冬は逆に益益寒くなるだろう。つまり夏はヒート何とか、冬はコールド何とかである。まさかとは思うが、こういうことは何処かの賢い人が計算すれば分かるのだろう。
夜はピザでも取ろうかと思ったが、こうも寒いと南欧的な物を食べる気にもなれず。第一、配達員も可哀想である。結局カセット式の瓦斯を茫茫と燃やし、適当な鍋料理にした。


12/9・金
 朝から晴れて、結構暖かい。午後遅目の出社。今年も宣伝用の年賀状を出すことになったので、宛名を書かなくてはならない。而も名簿屋さんから貰ったエクセルのデータが何処かに行って仕舞い、ラベル用紙に転写出来ず。何と全て手書きである。覚悟を決め、無の境地で取り組む。此の場合活躍するのが、愛用の「ゼブラ・サラサクリップ」である。一本百円。併し大変優れた書き心地である。
此のジェル(メーカーによってはゲル)インクボールペンと言うものは、吾人が学生の時分に現れたと記憶している。油性ボールペンのこってりとした書き味とは打って変わって滑らかな書き心地。インクの色も鮮やかで、玉にならない。同じ悪筆でも見た目が丸で違う。其の上、きちんとキャップさえ閉めれば、大半のペンが天寿を全うすることが出来る。多少乾きが遅い点と水に弱い点を差し引いても、ジェルインクの登場はボールペン界の一大イノベーションであった。以来吾人は一切のシャープペンシルを捨て去り、ボールペン一筋である。
 一方、銀行などに行くと、供え付きのペンは未だにあの油性である。書く度に、ああ此れは昭和の書き味だなどと感じて仕舞う(多分保存の観点で油性を使っているのだろう)。さて肝心の宛名書きであるが、幾らインクがさらさらと出ても、流石に四百枚ほど書いたところで時間的にも身体的にも限界となる。油性なら此の半分も書けなかったことであろう。インクの技術革新に感謝である。
 久久に大仕事をした気になったので退社後は立ち飲みBへ。更に碑文谷で「すする」という付け麵屋に入る。旨いことは旨いが、最も基本的な付け麺が870円もする。また日銀総裁に教えてやろうかと思った。


12/8・木
 隣家の片付けも再開したのだが、続続と食器の類が出て来て閉口す。皿のセットだとか、コーヒーカップだとか、みな贈答された未使用品である。併しこんなものはガレージセールでも引き取り手が無いだろうな。そう言えば瀬戸物屋の店先に「勝手に品物を置いていかないで下さい」という張り紙がしてあるのを見たことがある。捨てるのに忍びなく、ただでもいいから売って下さいとばかりに置いて行ったのだろうが、置かれた方は堪らない。いわば逆万引き事件である。みな余った食器の取り扱いに困り果てていることが分かる。他人に皿やカップの類を送り付けることは、法律で一切に禁止した方がいい。
 昼食後ぼんやりとしていると、担当税理士さんから連絡がある。準確定申告書が大体完成したので、見て欲しいと言われる。態態お越し願うのも面倒なので、事務所に立ち寄ることにした。三越前下車。少し歩いて日本橋の立派なビルに入る。相続専門の税理士事務所と云う事だが、当然確定申告もやっている。まあ確定申告などというものは、税務の基本中の基本、中華料理屋で言えば炒飯みたいなものだろう。
経費等の計算も一円単位でしてあり、それが何枚もびっしり埋まっている。小さい数字が匂い立つような感じ。よくやってくれていると思った。また伯母の収入も八月までなので、経費や控除の類も多く、前払いした額で足りて仕舞うとのこと(草刈りの領収書も要らなかった)。此れ以上御金が亡くならなくて良かったと思った。申告書は幾つかの修正を経て来週には仕上がる予定である。
それにしても年が明ければ、次は老家人と、暫定相続人として吾人も確定申告せねばならない。そして遺産分割協議が終われば、土地と建物は更に細分化される。元元一部の賃貸料は父のきょうだいで分け合っており、数分の一ずつしていたのだが、此れが更に数分の一と云う事になり、分母には愈愈12が登場する予定である。となると、もう素人には出来ない。専門家に丸投げするより手が無いと思った。素人が作る炒飯は、大抵べちゃべちゃである。
 説明は三十分と少しで終了。ぶらぶらと神田まで歩き、途中散髪す。JRを乗り継いで千寿に出校。高校の定期試験も終わり生徒も居ないので、割と早目に退社。寿司の大江戸とK諸蕎麦に寄って帰った。


12/7・水
 朝から寒い。先月の電気使用量が激増す。一部エアコンが終夜運転を始めたからであろう。クーラーの設定温度は二十八度で十分だが、暖房の其れは二十五度でも寒いという。流石に夜間は二十度に落とすが、つくづく年寄りには御金が掛かる。まあこれでも施設に入られるより遥かに安いのだろうけど。
午後出社。Bの本店にも少少飽きた。其れに中華立ち飲みは未だに自己規制中である。ということで他に行くところも無い。退社後は少し困った。散散考えて結局天祐寺の焼き鳥Bへ。U店長が歓迎してくれた。併し入社二年目の彼など、吾人より大部年上な筈で、大きな体を揺すっての延延の立ち仕事である。板長という程、複雑な料理工程を管理する必要はない(Bも店舗拡大に伴い合理化が進んできており、下ごしらえ等等は概ねセントラルキッチンがやっている)が、あの年齢での現場仕事は、相当草臥れるだろうな。二杯ほど飲んで早目の帰宅となる。
 夜は映画「ラーメンガール」を見ようと思った。恋に破れたアメリカ人ヒロインが東京のラーメン屋に弟子入りするという、ありきたりな内容だというから、疲れた頭には丁度いいと思った。併し先生役の日本人俳優の罵詈雑言が酷過ぎて途中退席。成程、此の映画はハリウッドの制作だから、当のアメリカ人は字幕スーパーで見ていたのだろう。併しネイティブには聞くに堪えないほどの罵声であった。それにヒロイン役の女優さんも若くして亡くなって仕舞ったそうである。別に怒られ過ぎて死んだ訳ではないが、何だか余計に見る気がしなくなった。


12/6・火
 昼は二キロほど歩いて先日のラーメン屋に。旨いことは旨いのだが、いざ腹を空かしていくと何だかもの足りない(前回はカレーを食べた後だった)。同じラーメンでも其の日の気分によって印象は随分違うと思った。ついついラーメンには、しつこさと言うか、脂と言うか、つまりこってりを求めて仕舞う。あっさりとした中華そばもいいが、そういう時は大抵蕎麦屋に行く。
 向かいの解体工事も概ね終了。足場と幕も外れる。すると数十メートル先まで見渡せるようになる。見慣れない景色が現れて、何だか居ながらにして引っ越しした気分である。


12/5・月
 今日も割と暖かい。午後出社。三日も休んだので勤労意欲も多少回復す。退社後は立ち飲みBで軽く御仕舞。
 昼間に須見伯母が来たる。序に英会話のCDを置いて行ったので、早速見聞す。最近流行りの、所謂スピード何とかである。取り敢えず五巻分をパソコンに取り込んで聞いて見る。併し今更「伊藤さん、此方の宿泊カードにご記入いただけますか」とか言われてもね。初巻辺りの会話の内容は実に余りに馬鹿馬鹿しい。こんな馬鹿みたいな内容から勉強しなくてはならない自分に、何だか無性に腹が立って腹が立って仕方がなかった。


12/4・日
 一日暖かい。取り立てて無為。午後は公園通りの古い本屋で「古池に蛙は飛び込んだか」入手。芭蕉は中三の教科書に必出だから、早速参考書とする。
 留萌線の先の方が本日最終日。連日大量の御客が押し寄せていたという。ニュースを見ると、三両編成のディーゼルカーが満員電車のようになっていた。こうなる前に少しは乗るべきだったな。大阪の方には「もうあかん、やめます」といいながら、何年も閉店セールをし続けた靴屋があったと聞くが、その故事に倣い、廃線するするといって、御客を集め続けたらどうだろうかと思った。かくいう吾人も三江線には重い腰を上げて乗りに行ったことだから。
 夜は公共放送で「戦艦武蔵の最期」。何処かで沈没画像を入手したらしいが、吉村明の作品を越えるものは無いね。大体冒頭エピソードから言って圧倒される。長崎での建艦を極秘にするため、造船台を巨大な棕櫚の簾で隠した。それだけで西日本から棕櫚製品がなくなったのである。


12/3・土
 担当の税理士さんから詳細な質問状が来る。問いの一から二十まであり、やれ賃貸契約の更新書がない(実際かなりの人が更新書を交わしていない)とか、日割り賃貸料の計算書(精精数千円なので亡くして仕舞った)を出せとか、社会保険料の還付金(取り過ぎた二十円を還すと言ってきたが放置したまま)は無いか等等、読むだけで大変である。万事いい塩梅でやってくれと言う訳にも行かず、出来る範囲で応えて急いで返送した。結局午前中は全部潰れた。こういう手続きが細かくなっても、例によって社会全体のサービスが良くなる訳でも、税金が多く集まる訳でもなし。ただただ面倒を増やすだけである。
 午後は外に出た。世田谷通りのバスを環八の外側で降り、以後二子玉川まで出鱈目散歩に出る。二時間ほど歩いて到着。またバスに乗って帰りたかったが、見たところ駅周辺は大渋滞している。素直に電車で帰った。元元二子周辺は道路事情が良くなかった。其の上、此の高層開発である。建物を上に伸ばすことは出来ても、道路は容易に横には広がらないから、こういうことになる。


12/2・金
 朝から晴れた。冬型である。件のカジノ法案も何時の間にか衆議院の委員会を通過。また一段と依存症が増えるな。ひと相手の賭け事は、馬や機械相手のそれより、興奮度が一ケタ違うと何処かで聞いたことがある。
 給料の不払いが酷いので金曜欠勤。事実上のストライキである。風も無く暖かいので、午後は散歩に出た。高そうな魚屋で鮍と鮪の刺身を買って来たが、どちらも及第せず。前者は肝は旨いのだが、肝心の身に味がない。期待が高い分、落胆も大きかった。併し何分生き物が相手だからね。
 中量飲酒の後、ぼんやりとテレビを見ていると、「クレヨンしんちゃん」をやっていた。一話目は、〈新車を買う〉。成程、自家用車の買い替えは一家にとっての一大行事である。クルマ屋さんに行って、営業員とああだこうだと遣り取りし、新車購入を決断す。随分思い切りがいい。其の次の話しは、〈電気炬燵のコードがない〉であった。併しどちらもだいぶ昔の話しだと思った。概ね昭和後期から平成初期の雰囲気である。アニメシリーズというものは幾ら長く続いても、時代背景は登場時のままである。つまり、「サザエさん」は昭和四十年、「ちびまる子ちゃん」はその十年後、しんちゃんは更に十五年後くらいか。では平成十年ぐらいの作品は無いのだろうか。あの頃まではまだまだ社会に安定感があった。


12/1・木
 朝方まで大雨。昼前には良く晴れた。雨の御蔭で解体工事も中止。久久によく寝られた。すると七号室の人から連絡があり、上の七号室が五月蝿くて仕様がないという。どうも痴話喧嘩があったよう。そんな状況ならば直ぐに別れるだろうから、もう間もなく静かになると思った。併し何か手紙の類でも入れて措くべきか少し悩んだ。家守も楽ではない。
夕方近くなって日比谷線まで歩く。駅高架下に飲食街が出来ていて、例によって吃驚す。併し此処でそもそも昔の中目黒はね、と続けて仕舞っては年齢がばれるし、説教染みているから止めにした。其のまま千寿に出校。今日も数学の連続。試験範囲を一通り終わらすのに十時まで掛かった。げんなりして其のまま帰宅。夜はコンビニ食となった。
 一息ついて、録画してあった「呑み鉄本線日本旅・指宿枕崎線」を見る。案内役の俳優は朝から缶麦酒を飲み、酒蔵見学の度に大量試飲。あれでは夜には胃がざらざらになるな、吾人なら。案の定、翌朝は酒が抜けて無いらしく、通学の高校生に何だか絡んでいた。何はともあれ吾人の旅行に割と近いから楽しく見た。勿論手持ちの芋焼酎を飲みながら。

2016年11月

11/30・水
 近所にある難関国立高校でもいじめ事件が発覚。生徒が書類送検されたという。学力が高いからと云って、いじめがないわけではないが、暴力沙汰にまで発展するような稚拙な行為は中中なかっただろう。まさかうちの学校で、偏差値が七十五もあるのに・・・と、先生方も吃驚しているに違いない。自由な校風だったらしいが、放ったらかして置くと碌なことをしないからと、管理強化の方向に行かざるを得ないな。こうして伝統も潰えることになる。併し日本人全体が幼児化していると感じる。何しろ学習院の初等科でも学級崩壊が起こるくらいだから油断はできない。
 向かいの解体工事も基礎部分に到達したらしく、終日振動が止まらず。つくづく迷惑である。何をやっているのかと思えば、パワーショベルの先端を揺すって、掻き出した混凝土から泥を落としている。あんなことをやられては堪らない。其の後で、四トン車で運び出すのだが、延べ百台は使った感じ。多少は再生されるのだろうが、基本的には全てゴミである。一方、フルリフォームならば精精一、二台で済むだろう。つくづく勿体ない。
 午後出社。立ち飲みBにいると、Iさんに声を掛けられる。Iさんは吾人より二十は年上だが、ポケモンのレベルも上で、何と三十五だという(吾人は漸く二十三)。何だか色色と講釈されて、帰るに帰れず。Iさんはポケモンを探し歩いて数キロも痩せたという。吾人も見習いたい年長者である。今やポケモン愛好者の大半が中高年だと聞いたことがある。確かに、正しく歩かなければ行けない人たちである。結局何だか腹が減って、碑文谷で牛めしМへ。牛丼屋にも色色とあるが、碑文谷には此のМしかない。SやYと違って丼に汁気がないので、つい喉に閊えそうになった。それに周りを見ると牛丼など幾らも食べていない。最近のМは事実上の定食屋である。


11/29・火
 朝から晴れた。何も予定の無い火曜だったが、一号室の人から連絡があり、シンクの下が濡れているとのこと。早速内装屋さんの親方を呼び立て、実地で見聞す。するとシンクと排水管の接続が不十分で、湿気が上がって来ているとのこと。床材等も含めてぼろぼろになっている。何しろ入居二十年の大ベテランである。色色と駄目になる所はなっている。シンクの交換と、床の補強工事を御願いすることにした。それにしても台所には物が分厚く堆積していて足の踏み場もない。二十年も住んでいると、片づけることも容易ではないと思った。
 取り敢えず今日出来ることは落着したので、「せい家」で遅い昼食。付け麵中盛(600円)。不在地主に代わり家作の管理をする人を、江戸期には家守と言ったそうである。勿論土地と建物も所有しているから地主兼家主兼家守なのであるが、立って教える仕事より此方の方が板に付いてきた感じである。それに家守という言葉には、地主や家主や大家にはない温かみがある。職業記入欄も此方に替えようと思った。
 夜は映画「ザ・ウォーカー」を見る。舞台は文明崩壊後の世界。例によって北斗の拳、いやマッドマックス風の乾いた世界である。画面は終始異様な緊張緩和を以て進む。例によって一杯の水が大変な価値を持つのだが、物語の鍵を握るのは一冊の本である。其れは言わずと知れたあの本なのだが、いやしかし、其の本の内容を巡って戦争が起こり、再び其の本を巡って争いが起こるなど、アメリカならではの発想なのだろう。そもそも宗教意識が極めて希薄で、水が元元豊富な国民にはなかなか実感できないと思った。物語は、知恵ある者が本を読め、そうでない者は読みたくても読めないという顛末で終わるのだが、ここら辺は日本昔話調である。
ところで無人島に本を一冊持って行くとしたら、何を持って行くかなどと言う質問をされるが、吾人が応えるとしたら、迷わず時刻表である。第一、鉄道は文明の象徴である。あと一言、節水を呼びかける水道局のポスターには、是非ケンシローを使うと佳い。


11/28・月
 最低でも二島と言っていた返還交渉ではあるが、首脳会談を前にして急に風向きが変わり、どうやら何も返って来ないとのこと。どの道そんなことだろうと思っていたから、別にどうということも無し。そもそも殆ど誰も何の期待もしていない北方領土返還問題であったが、夏頃に何処かの新聞が返って来るぞと書き立てて以来、世間は急期待するようになっていた。政権側から何かしらのリークがあったのだろうが、とんだ見込み違いというものである。
 午後出社。定期テストも終わり、生徒には一段と何のやる気も感じられず。吾人のやる気も一層無いので、座りながら適当に授業す。そういえば何日か前に読んだ「作家の口福」というコラム記事に、板前が座り始めたら御仕舞だというものがあった。要約すると、巣鴨に凄い魚料理を出す店があったが、何だか味が落ちた。ふと厨房を覗くと板前兼店主が腰を下ろしていた。何だか見てはいけないものを見て仕舞った様で、居心地が悪かった。じきに店は閉じたというものである。厳しい立ち仕事と言う点では、板前さんも塾や学校の先生も同じである(個人指導時を除く)。弟子を取るか管理職にでもならない限り、その立ち仕事が延延と続くという点でも。こういう現場仕事には、やはり適正年齢というものがあるのだろう。吾人ももう四十を越えた。そういう点で下らない事を教えて回るには、もう草臥れた年齢なのであると思った。退社後は立ち飲みBへ。延延とは往かず一時間弱で退散して帰る。それに此処の従業員はまだまだ若い。1600円。


11/27・日
 概ね回復す。朝方は小雨。昼は曇り。リハビリがてら何度も買い物に出る。昼は柏屋のカレー(420円)、但し御飯半分。食欲も何とか戻った。家人向けの食品類の他には「学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方」と、タイトルに誘われて「殺したい蕎麦屋」を購入。確かに異様に量の少ない蕎麦屋というものは困りものである。特に並んで並んで漸く入った暁が其れだとね。尤も此の時の場合、量より待ち時間の方が実に腹立たしい。大体天気予報とカレンダーを見れば観光客が押し寄せて来るのは明明白白なのだから、蕎麦というものは、朝から一家総動員で、捏ねて、丸めて、伸ばして、切っておいてくれと叫びたくなる。
 少し歩くようになって、実に多くの犬も歩いているということに改めて気が付いた。併し猫の自由さを知って仕舞ったら、首輪を付けられ、鎖か綱に繋がれた犬と言うのはつくづく不自由な存在であると思った。中でも飛び切りに憐れさを感じるのは、糞の始末を飼い主にさせている点である。其の間の犬というものは、前にも後ろにも進めず、所在なさげで実に痛痛しい(座敷犬は兎も角、特に大型犬は)。毎度毎度、御世話を掛けてどうにもすいませんとでも言いたげである。
一方の猫は誰に教えられることも無く、砂なり泥なりを掛けて自前で始末する。隠すと決めたならば、一心不乱、懇切丁寧。特に砂地の糞塚は、こてでも使ったかのような切れ味鋭い芸術作品を連想する仕上がりとなる。世人の世話には決してなりませんという堅い決意の現われなのであろう。いえいえ、此の首周りの無粋な物を外し、野に放って頂ければ、手前の物は手前どもで片づけますとでも、犬は言うだろうか。また夜から飲酒も再開す。


11/26・土
 昨夜の油が悪かったらしく未明から胃のむかつきを覚える。更に下からも排出。取り立てて痛みは無いが、数時間掛けて消化管はからっぽとなった。どうにも体が弱い。また昨夜はBで生牡蠣も食べたから容疑者は複数存在する。
昼は期限切れのレトルト御粥。夕方になっても体調優れず。どうもまたの風邪のよう。夜は肉じゃがに御飯半膳。当然無酒。夜半にかけて少し発熱す。もう引かないだろうと思っていたら、また引いた。そういえば木曜の夜は食欲が今一つだったし、金曜は右膝が痛かった。今から思えば前兆現象がない訳では無かった。


11/25・金
 そんなアメリカに倣って流通各社も感謝祭のセールを始めた模様。急に大売出しのチラシの量が増えた。併し需要の先食いだな。正月までまだ一月以上もある。
 朝から晴れたが寒気は入ったまま。午後出社。崎河さんが転出するというので中華立ち飲みの二階で送別会。八畳間に十三人も入ったから、狭くて狭くて仕様がない。月波君も来たので御開き後にもう一軒寄って帰る。


11/24・木
 朝から雪が舞う。流石に積もることは無かったが非常に寒い。何もすることが無いので、午後まで寝たり起きたり。夕方千寿に出校。七ちゃんに寄ったところ臨時休業。やはり寒いからであろう。久久に破魔寿司に行く。こうなると行き成り御酒である。注文も自動化されているので何も言わなかったが、人肌のぬる燗が出て来たので助かった。
 アメリカも感謝祭。つい先日まで分断と憎悪を煽っていた新大統領も一転して団結を訴えていた。最初からそう言ってくれれば、世界中が心配することも無かっただろうに。併し落ち着いたポピュリズムというものは、なかなか出て来ない。もっと実直に地域間格差や階級格差の是正を訴えることは出来ないものか。バラバラになった国を再建し、国民を再び統合したい。御金持ちにもう少し払って貰い、集めたお金で政府が仕事を作るから、そうでない人には少し頑張って働いて貰おうとでも言えば、反対する人は少ないだろう。何も態態敵を創り出さなくてもなくてもと思うのだが。


11/23・水
ところで先週、豊洲の開場にはあと一年も掛かると知事が表明。一年か。随分と経費が掛かるな。大したものが地下から湧き出て来た訳ではないから、博多の穴のように直ぐに埋めて仕舞えば佳かろうと思った。まあしかし此れで大騒ぎの何とか劇場も漸く静かになってくれると思うと助かる。朝は薄日も差したが、段段曇って寒くなる。四国の親戚から送られてきた肉で鋤焼き。やはり和牛は家で食うものである。


11/22・火
何時もの通りに四時にシロが起こしに来、六時に地震が起き、八時過ぎに向かいの解体工事が始まる。さっと晴れて来たが津波警報が出たようで朝から大騒ぎ。津波警報時は避難を強調するような言い方をするようになったので、アナウンサーはまるで此の世の終わりのような言いぶりである。一メートル程度は確かに来たそうである。其の後も余震あり。但し解体工事の振動と区別がつかず。
朝から自転車屋へ回送。今回は近所の大型店にした。前輪のタイヤとチューブ交換で4700円。チェーン店だからといって、取り立てて安い訳ではないと思った。確かに自転車にチェーンは不可欠だが、チェーン自転車店というものも昔は無かった。あらゆるものがマクドナルド化する感じである。それでも立ち飲みBのように若い人がてきぱきと働いているから、此れも雇用拡大であると思った。
新装相成った自転車で早速出掛ける。まず駒沢公園の「和牛ショー」へ。富良野の牛カレー(1300円)を食す。味はまあまあだが量が極端に少ない。其れに火曜と云う事で、気の毒なほど閑散としている。吾人は所謂アルコール中毒であるが、決してアルコールに依存している訳ではないから、流石に平日の昼酒は飲まない。それにもまして和牛は高いな。豪州肉うどん祭りでも開けば、もう少し客が来るだろうけど。
其のまま区役所に回航。「介護保険高額サービス費の払い戻し」で、再び戸籍謄本が必要なのである。すると何だか戸籍係が混んでいる。今日は語呂合わせで「いい夫婦の日」だそうで、どうりで男女二人組が多かった。結婚とは文字通りの入籍であり、戸籍の移動が必要である。
そうこうしている内に、あっという間に腹が減って来たので世田谷通りのラーメン屋に初入店。730円のラーメンは超あっさりの二郎系といったところ。店は「麺通」というらしく、自家製の多加水麺は吾人好みである。今後行くことが増えると思った。
先週に引き続き夜間道路工事。幸い年寄りと猫は音には鈍感だが、吾人には迷惑極まりない。そもそも舗装をし直すほど、壊れていないだろうに。そんな余分な御金があるのなら、田舎の鉄路の修繕費に回すべきである。


11/21・月
 遺言書の承認のためには印鑑証明書が必要とのことで、朝から出張所に参る。また駐車場の契約者からは、次次とマイナンバーの提出を求められる。税務書類に添付するのであろう。取り敢えず万代伯母の通知カードをコピーして送り返した。払った段階では生きていたと考えれば問題ないだろう。つい去年までは無かった書類である。ペーパーレス化と並行し、新たなペーパーが必要だから、やっていることは滅茶苦茶である。
 午後出社。退社後は立ち飲みBへ。須須木さんらと会う。自転車急行は前輪タイヤが再び破損。復路は時速八キロ程度で遅延運行。雨には何とか降られなかった。
 ところで吾人と同い年の母方の従妹の健二君は高級官吏をしている。今年度までは中学校の校長を務めていて、其の後は北京に赴任するのだという。前職は確か何処かの県庁に出向していた筈だから、本籍は霞ヶ関のままにして、まるで次から次へと転職しているような目まぐるしさであると思った。色色と経験を積ませることが目的のようだが、併しキャリア形成の役に立つのかね。あれだけ異動させて。其れに妻子は大変だな。日本全国引き回された上に、今度は海外である。


11/20・日
 朝から晴れた。何処か変わったところを歩こうと思い、二子新地へ。以後多摩川沿いに只管北上す。二時間半は歩いたところで稲田堤に到着。川べりにある「たぬきや」に。早速、麦酒と焼きそば。散歩と川と鉄道。御酒を飲む状況としては申し分がない。敢えて難を付けるとしたら、川には堰があって池のようになっていること、鉄橋は京王線だからありきたりの電車しか通らないことぐらいである。一方詰まらなくてすいませんとばかりに、時折飛行機が飛んで来る。調布飛行場の離島便であろう。併し今どき搭乗率は大丈夫なのだろうか。乗って見たいことはみたいが、例によって飛行機は苦手である。
 それにしても、川は勢いよく流れ、鉄橋には中長距離列車が行き交い(ブルートレインは無理だとしても、せめて伊豆の踊り子か長野のあずさかコンテナ貨物列車が欲しい)、空は真っ青か茜色で、双発のプロペラ機が飛来する。こりゃあ、実写世界では無理だな。アニメ映画がヒットする訳である。帰りは調布まで電車に乗り、バスに乗って帰った。


11/19・土
 午前中は大雨。御昼前には止む。近所のスーパーが改装されたというので行って見ようと思った。此の店は確か十年ほど前にも改装されている。ダイエー再生のモデル店にするとかで、かなり特徴的な造りをしていたのだが、見に行って驚いた。そういう尖った部分は一切合財なくなり、実に凡庸な店になっている。どこにでもある「まいばすけっと」のちょっと大きい版といったところである。流通最大手への完全併合を見据え、店舗も標準化されたのであろう。肉も魚も弁当も大半がセンター納品である。看板には一応ダイエーを付けてはいるが、よくよく見ると直ぐに外せるようになっている。いやしかし、改装して前より悪くなるということもあるのだね。全く以てがっかりである。それにしても日本全国トップバリューばかり増やしてどうするのだろう。買い物にも多様性が必要だから、吾人はなるべく非電解質を選ぶ所存である。
月波君から麦酒が送られて来る。少し早い歳暮と云う事なのだろうが、実質的には先日のお詫びの品であろう。余計な店で要らないものを頼んだから、とうとうああなったと抗議したから。


11/18・金
 今上天皇は、長野県の満蒙開拓記念館を御訪問したと短いニュースが伝えていた。象徴天皇として、戦後に即位した天皇として、最大限のお務めを果たされていると思った。併し今こうして再び天皇の御動向や御意向に世間の耳目が集まること、すなわち平成天皇制の確立とでも言える事態が、今後どういうことになるのか。何しろ世の中とんでもないことを言い出す人がますます増えているから、何とはなしに心配である。勿論其れは、国民と共にあろうとされる今上天皇としても、意図せざる結果と云う事になるのだろうが。歴史とはそういう皮肉に満ちている。
 朝から銀行の人と税理士さんが来たる。準確定申告の方はどうにかなりそう。以後本格的に相続税の算定に入るとのこと。確定申告とはケタが違うから、これまた大量の書類が必要である。何しろ万代伯母の老人ホームの入居契約書なども要るらしい。家人共共また書類探しである。専用の書庫が必要だと思った。
また吾人の草刈り作業等には領収書がないので、経費には一切入れられませんと釘を刺される。吾人の苦労が水泡に帰し、刈った筈の草が一瞬で再生する訳ではないが、あれだけ汗水垂らした労働がまるで無価値になったようでつくづく残念である。ただ吾人は文字通りの寄宿人なので、税の減免等もあるそうである(通称、人気子役による有名ドラマ特例と言うらしい)。此れは本日唯一の明るいニュースであった。
それにしても、大きな相続というものは一生に一度か二度あるかないかというものである。居酒屋や食堂選びのように成功や失敗を繰り返して経験を積むと云う事も出来ないし、相続の状況は個個人によって大きく異なるから、人人の経験を広く共有することもできない。それに身内の不幸はまだか今かと楽しみにして待つという類のものでもない。結局、出たところ勝負の行き当たりばったりになるのだと思った。
午睡の後、出社。退社後は立ち飲みBへ。二杯ほど飲んで直ぐに帰る。冷たい物しか胃にないので、碑文谷で更に北海道ラーメン。


11/17・木
 続続と欠礼葉書が届き始める。何しろ大量御逝去時代である。こうなると年賀はがきも益益売れないな。御長寿の方が亡くなられたら年賀状で御報告を、などと郵便事業会社は言い始めるかもしれない。ところで年賀状はどうしようかな。来た人にだけ返すか。
 秋晴れ。朝から書類作成、買い物、雑用等をこなす。隣家の片付けも再開。ただプリンターの調子が悪くて閉口す。四年前に買ってまだ数百枚も刷っていないモノクロレーザープリンターだが、とんだ不良品であった。やはりミシンの会社の物など信用できない。それとも拙宅の埃の多さにやられたか。いやいや、そういうことも含めての総合性能である。草臥れたので午睡をしたかったが、解体工事がうるさくて寝られず。
 今日も中目黒まで徒歩連絡。再び日比谷線に乗る。千寿生活も三年目だが、此のルートを使うことはなかった。三人掛けの所に座ってぼんやりとしていたら、大柄女性二人組が押し寄せて来て、肩身の狭い思いをす。千寿止まりなので全員降車。三階から二階の改札へ降りる。するとさっきの二人組が目の前にいる。何をするかと思ったら、二人羽織のようにして出て行った。当然改札機は閉まる。当人たちは先へ行き、直後の吾人が引っかかることに。見たところ堂堂としていたから常習犯なのだろう。キセル乗車ならば、もう少し倹しく乗るべきだと思った。
退社後はK諸蕎麦に寄り、直ぐに帰宅。計算と書類作成の続きを行う。御酒も飲みたくないから、本日も無酒。飲みたいものを我慢したわけではないから、取り立てて休肝日という訳ではない。それにまだまだ横隔膜辺りが痛い。バス通りの方で夜間道路工事。夜も寝られず。


11/16・水
 結局相当な宿酔となり、朝から七転八倒。やはり昨日の三軒目(個人的には四軒目)が、悪かった。月波君がしつこく誘うので、更に中華屋に行った。そこは町中華というより、チャイニーズレストランといったところで、食えもしないのに油ののった牛バラ肉あんかけ焼きそばや、飲めもしないのに紹興酒などを注文。大半は遺棄することになったのだが、大体あの時間の味の濃い御酒など、とどめに近いものとなった。
昼になっても引っ繰り返ったまま。こういうときに宗教者が現れて、手か何かを翳してあっという間に治してくれるのなら、一発で改宗するのだが。胃の周辺に使い捨て懐炉を張り付け、二時頃に漸く収まる。三時頃にみそ汁を軽く飲んで出社。併し行っては見たもののぼんやりとす。脳内オペレーターも半分は欠勤しているよう。退社後もF蕎麦によって直ぐに帰った。入浴後、昨日の夕刊から目を通す。日誌も二日分。本日無酒。


11/15・火
 当のアメリカ親分がもう止めるというのに、国会ではTPPの審議が続く。全く以て周回遅れの噴飯物である。勿論TPPで儲かる会社はアメリカにもある。巨大遺伝子組み換え作物及び種子供給会社、巨大保険会社、巨大製薬会社に巨大著作権管理会社である。そういう会社で大儲かりしている人はラストベルトには全く住んでいないから、全く関係がないのである。
 朝から曇り。午前中は準確定申告に向けての資料を作る。偶には月波君が都心で飲みましょうと言うので夕方前に出掛ける。まず中目黒まで徒歩連絡。日比谷線に乗る。すると乗った途端に咳が止まらなくなる。日比谷で下車。暫し公園で休憩。
まだ時間がある。そこで立ち飲みBが続続と支店を出しているので覗いて見ようと思った。銀座店と新橋店どちらかに宮川店長がいる筈である。後者に居るのを探し当て、カウンターを挟みながら暫し談笑す。六時半になったので、待ち合わせの新橋ビルの中へ。鷺乃間君と坪上君も来たる。特に二人とは久久である。まず信州村という立ち飲み屋へ。ここは長野県の御酒が安い。更に地階の古い中華食堂へ。途中、山陰にいらっしゃる芥田先生も電話で呼び出し、忘年会の日程も決めた。併し此のビルは、まるで昭和の商店街が丸ごと入居したようで、飲み歩きにはもってこいであった。更に一軒行って御開きとなる。ふらふらになって帰宅。


11/14・月
 更に大型の重機が入り、バリバリガラガラと朝から寝て居られない。何しろ壊さないことには建てられない。解体屋さんも儲かるな。併し熊本の方は片づけ終わったのだろうか。
韓国大統領は窮地に陥る。併し韓国という国も軍人支配が長かったし、今もって財閥が強い。非常に歪んだ形での競争社会となっているから、ああいう呪詛的なものに頼りたくもなるのだろう。併しよくあれだけの人がデモに集まるね。此れだけは感心す。また博多の道路も復旧す。下水池の中に特殊な土とセメントを流し込んだのだという。こういう建設術だけは大したものだと思った。
朝から曇天。何とか咳も収まり、日誌も纏め終える。気が付くと今月も二週が過ぎた。併し呼吸器系が弱くなったと感じる。夜は雨が降るというので、いっそ歩いて出社す。一時間近くももたもたと歩いている内に、雨雲が急接近し到着寸前で追い越された。
最近入った真面目そうな女の子が、幾ら教えても一次関数の式の出し方が安定しない。愈愈吾人の言葉も通じなくなったかと思った。試しに目の前で解かせてみたら、五マイナス二分の五が出来ない。通分が出来ないのは吾人のせいではないので少しは安心した。退社後は立ち飲みBへ。妙齢女性やベトナム出身のDさんらと話しが盛り上がり、最終バスを逃す。結局タクシーである。歩いて行った筈が、却って御金が無くなる晩であった。十二時帰宅。


11/13・日
 朝から近所のゴミを拾って歩く。何だか歩き足りないので、ぶらぶらと出掛けた。序にスマホ片手に何とかゴーもする。大体夏は暑い上にゲームどころではなかった。九月は雨ばかり、十月は風邪ばかりだったので、余りやる機会もなかった。そうこうしている間にブームも落ち着き、最近は利用者が減ったと見えて、少しはサービスを向上させているらしい。結構モンスター等が気前よく出現す。それにそもそもは歩く為のゲームである。バスや自転車の時より遥かによく捕まえられた
一方駒沢公園ではマラソン大会があったらしく、大勢の人が無暗矢鱈と走っている。併し過激な運動は却って体に悪いと聞いたことがある。そもそも人類の基本は歩くことで、走ることではない。まして長距離走など自傷行為であると思うが。其のまま「とむちゃんラーメン」まで徒歩連絡。つい餃子に麦酒、ラーメンまで食す。帰りは面倒臭くなりバスを頼った。其れでも二時間は歩いた。正しく狩猟民族である。


11/12・土
 朝からF蕎麦に。こういう宿酔気味の時の、味の濃い蕎麦は頗る旨いと思った。そういえばF蕎麦との付き合いも長い。中学か高校の時に、市ヶ谷の駿台予備校に模試か何かを受けに行った際に偶偶入ったのが、富士蕎麦である。予め茹でられた麺を店内で温める方式が多い立ち蕎麦屋の中で、態態店内で生蕎麦を茹で、而も座って食べられるという点で、二重に衝撃を受けた覚えがある。何しろ当時の立ち蕎麦屋は、かけはともかく、盛りや冷やしなどは食べられる水準になかった(時間の経った茹で麺は大変粉っぽかった)。そんな中、富士蕎麦では安心して盛りが食べられたから、正しく立ち蕎麦業界のイノベーションであった。ただ最近では城南地区にまで店舗を増やしているから、山手線の内側に入ったら富士蕎麦食べようという上京感覚が少なくなって仕舞ったのが残念であるが。
ところでスマートフォンにはパソコンに取り込んだ音楽を移せるというので、やってみようと思った。まず100円ショップで通信ケーブルを購入(中国製)。案外簡単に移せた。こうしてカセット式のプレーヤーから実に二十年以上が経ち、音楽を持ち運ぶという生活が復活す。折角だから千円と少しのイヤホンも購入した(ベトナム製)。
朝から晴れて小春日和。数度に渡る買い物等等、大半を歩いて運動す。晩食は鍋料理。具材は国産中心だが、御酒はチリとイタリアの安白ワイン。吾人も自由貿易の利益を広く享受する立場である。そう、保護貿易などには今更戻りようがない。ただ此れ以上海外生産品が多くなるという事に反対するだけである。つまりグローバル化に反対するのではない。世界は既に十分グローバル化したというのが、反グローバリズム派の主張である。


11/11・金
 大統領選の結果を見ると、ラストベルトは軒並みトランプ支持である。労働者層の支持を受け、多少の保護貿易には傾くだろうが、併し此れだけ経済の相互依存が進んでいる時代である。今更国産品などに切り替えようがない。また予告通りTPPは止めてくれるのだろう。これ以上不要な物を売り付けられずに済むから小国としては助かる。ただ東アジア地区の米軍撤退縮小などを仄めかしているから、小国首相は心配で仕方がないらしい。続続と新大統領詣でをする予定。独自の平和外交を進めるぐらいの構想力は、既に無いな。ずっーと、アメリカ一辺倒だったもの。
 午前中は大雨。午後も少雨が残る。例によって異様に寒い。夕方出社。月波君が来るというので早目に退社。まず晴雷亭に鶴木さんを尋ねる。次に実に久久の佐渡屋に。更に中華立ち飲みに。最後に、作戦本部という奇妙な名前のバーに潜伏している大将とX女史にも会った。併し紫煙を避けるように行動していても咳は止まらず。早目、と云っても十二時過ぎに帰宅す。職場近くで痛飲するのも久久であった。


11/10・木
 朝から曇天。非常に寒い。向かいの解体工事にも重機が入り、終日落ち着かない。何しろ、貸家と本屋と離れの計三棟が灰燼に帰すのである。返す返すも勿体ない。夕方千寿に出校。久久に七ちゃんに。おでんと焼き鳥を摘まみ、余り柄の良くない御客の与太話をBGMとす。更に町屋でこってりラーメン。糖質と脂質を此れだけ摂取すると流石に中から熱くなる。


11/9・水
 結局何だか咳が取れないので、医療機関に行こうと思った。併し老師は長期休診中。止むを得ず、行った事の無い診療所に向かう。人の良さそうな初老の医師が、案外親切に診てくれた。ありきたりの鎮咳薬と去痰薬が処方される。まあ心配なさそう。いつもガラガラの診療所だが、今後は少し混むかもしれない。医薬合わせて1500円。
 最低対最悪と言われてきた米国大統領選も終了。なんと次の大統領はあの不動産王である。まさかとは思ったが、色色な事で嫌気が差した有権者が、一回やらせて見たかったのであろう。夕方の勝利演説では割と真面なことを言っていたから、君子豹変し、現実路線に舵を切ってくれると有り難い。そうなると米朝交渉などは却って進むかもしれない。オバマ政権は三代目の若将軍などは対手とせずと無視し続けていたから。
体調優れず其のまま帰宅。異様に寒い。火にかけるだけの小鍋料理を買って帰る。結構旨かった。


11/8・火
 終日自室に籠り、日誌と新聞の整理。博多駅前で大規模陥没。大穴に下水が流れ込み、池のようになっている。まずは水抜きからだな。旅費の精算をしたところ、ざっと八万強との計算。半分は交通費である。今回は全て正規の乗車券や特急券であった。


11/7・月
 朝から晴れたが、昨日山陰で見たような寒気が入って来て、都内も寒い。さて四日の豪遊を終え、今日からサービス生産者である。するとO君が訪ねてくる。彼はなかなか頑固なところがあって、中三まで半袖短パンを貫き通し、高校二年になった今でもスマホはおろか携帯電話も持っていない。少し話しして、何か調べ物をして帰った。パソコンの履歴を見るとAKBグループの何かを検索していったよう。彼も少しは時流に追いついて来たようである。まあ時流というものには踊らされることもない。かといって逆らうことも難しいし、超然とすることもない。適度に乗りこなせれば佳いのだが。
当面は緊縮財政だが小咳が続くので、市販薬を購入。帰り掛けはラーメン一杯のみ。本日無酒。向かい家の解体工事が始まる。足場の鉄棒を刺され何だか痛痛しい。


11/6・日
 気圧配置は冬型と云う事で朝から曇天。正しく日本海側の気候である。一応朝食付きと云う事なので、六時半から食堂に降りる。部屋が部屋だけに、当然大したものが出て来るわけではないが、半ば自棄になったつもりでモーニングビール。一種の儀式である。併しツアーの御客や、工事屋さん、遠征の運動部員等等、実に雑多な人人が同じ朝飯を食べていると思うと、何だかほっとする。
そして駅に参る。今日はずっと山陰線を使って帰ることにした。8時01分発の特急「スーパーまつかぜ」に乗る。特急と云っても二両編成である。此の車両は切妻型でまるで食パンのような大人しそうな顔をしているが、走り出すと狂暴其の物。カーブ区間では車体をくねらせ、単線区間を物ともせず、ごおごぉと走って行く。常時100キロは出ている感じ。時折ギアーが変速するらしくエンジン音が変わる。ブ―、ナャー、ゴーと怒った猫のように鳴く当たり、猫バスならぬ、猫特急だと思った。憤慨した猫のように走り続け、本当にあっという間に鳥取に到着。また途中倉吉周辺は青い屋根が目立った。重い瓦は耐震性がない。
此処からは普通列車である。此の区間は特急も快速も無い。国鉄時代からある武骨な車両であるが御客は少ない。車両は多少は手直ししてあり、色は朱色に戻したよう。併し走りは昔のままで、のらりくらりと歩くように走る。日本海は曇天。家家も静かで、まるで動きがない。餘部の鉄橋も架け代わっていて驚く。二時間掛けて城崎温泉到着。依然として天気も悪いので、駅前食堂で昼食の後、帰ることにした。
特急「きのさき16号」京都行きに乗車。四両という短編成だが、新車になっている。中中良く走るが、単線区間が多く、交換待ちの停車多し。三江線で捨てて仕舞う鉄建公団の佳い線路を持って来て欲しかった。福知山と綾部で大量乗車。自由席はぎっしり満席に。併しここら辺から乗っても大して早く着く訳ではない。
試しに時刻表を見ると、十分後の普通列車に乗っても、特急の四十分後に京都に着くだけである。わざわざ特急料金を払って混んだ列車に乗ることもないだろうと思った。其れに関西の方は、普通列車であっても、関東の人が見たら特急かグリーン車かと見まごう実に立派な車両を使っているから、誠に快適である。再び時刻表を開けると京都福知山間は八十八キロ。東京小田原と同程度である。関東人ならみんな黙ってロングシートに揺られる距離である。曇天が晴れ間に変わった頃に京都盆地に入る。京都到着15時07分。
併し今回の旅行では全てダイヤ通りに列車が走っていて感心す。列車がダイヤ通りに走るのは当たり前なのだが、関東の鉄道はダイヤが乱れているのが当たり前で、最近は腹を立てている人もすっかり見なくなった。単線区間が多いにも拘わらず、定時運行が出来るというのは、あの優秀な機械の御蔭かとも思った。
 京都の駅も人で溢れ返っている。本来なら多少の京都見物でもするのだろうが、特急券を乗り継ぎ割引で買っているので途中出場は出来ない。此のまま早目の帰京をするので両家人用に弁当を二つと、前回買い損ねた伊勢の赤福を入手。急いで新幹線ホームに参る。次次と新幹線は来る。それ以上に次次と御客も来る。例によって自由席である。こうなると列車と御客の真剣勝負である。既に大半が座られている「のぞみ」を眼光鋭く見送り、新大阪始発の「ひかり526号」に乗る。難なく窓際に座れた。やはり「のぞみ」より「ひかり」である。
併し安心したのも束の間。次の米原で大量乗車。全席着席。其の次の岐阜羽島ですら結構乗って来る。こうなると停車駅の多い「ひかり」は却って不利である。名古屋で多少入れ替わったが、豊橋で長蛇の列をのみ込むと、デッキはおろか、通路の中ほどまでぎっしりと詰まることとなる。日曜夕方の上りはつくづく鬼門であると思った。
 而もホテルの悪い空気に当たってか、続続と咳が出て来る。併しうがいをしたくとも洗面所に行くことも出来ず。マスクを掛けて、次の新横浜までは忍の一字である。尤も、復路までもが余りに快適だと、家や日常に帰りたくなくなるから此れぐらいが丁度いいのかもしれない。
併し大勢の人が乗っていると思った。試しにスマホで検索してみると、前後の「ひかり」も「のぞみ」も指定席は悉く満席である。こういう人人から一回十円でも二十円でも取り立てて、ローカル線に回せないものだろうかと考えた。併しJRも今や民間業者であるし、特に名古屋の会社は下らないリニア計画に現を抜かしているから、其れも無理か。ならばサーチャージ方式はどうだろう。実際、電話はそういう制度になっている。幾らなんでも二十円程度を出し渋る御客はいないだろう。グリーン客からは最低五十円は出して貰うべきである。
 這う這うの体で品川定刻到着。18時02分。ところで弁当は二つしか買ってない。余りの混雑で車内販売員からつまみを買って、悠長にお酒を飲むどころではなかった。止むを得ず品川で何か買い足そうと思った。併し新幹線改札を一歩でも出ると、品川は東日本の駅である。NRE以外は米沢の牛飯しかなかった。西日本に行った筈なのに、何で東北の弁当を持って帰ることになったのか、色色と思い返しながらバスに乗って帰った。


11/5・土
 朝の五時に宿を出て、駅に向かう。まだ真っ暗の中、三江線に乗車。5時44分発、江津経由浜田行き。三江線は次の次の改定での廃止がとうとう決まって仕舞った。何しろ出来た当時から利用客は少なかったが、それでもJRには引き継がれた。併し此の三十年で御客が九割も減って仕舞ったのだという。高校生すら乗らなくなったのは、モータリゼーションと言うより過疎化の影響が大きいのだろう。車内には廃線を聞きつけてやって来た、所謂その筋の人が十人程度。みな三次に泊まっていたのだろう。地元の御客はほぼ皆無。
口羽と言う駅で三十分停車。漸く明るくなった。駅の先には、「三江線全通記念碑」が立っていた。三次と江津を結ぶから三江線なのだが、建設には長らく時間が掛かり、三江南線と北線が繋がったのが1975年。まさか四十年と少しで全線廃止になるとはね。
 ここから先は鉄道建設公団が昭和後期の建設術で作ったから、線路はピンと真っすぐとなり、トンネルが多くなる。実に立派な線路だが、此処も廃線江の川が終始美しいが、何だか物哀しい。それにしても人が居ない。いっそ過疎地に世界の難民に住んで貰おうなどと言う識者もいるようだが、空き家も耕作放棄地も幾らでもある感じである。綺麗な水も沢山出るから中近東の人から見れば天国のような場所かもしれない。でも無理だな。異文化異民族と、ああでもないこうでもないと云いながら何とかやって行くことより、阿吽の呼吸で話しの通じる人たち同士で小さく纏まる方が佳いというのが、大方の日本人の心情であるから。
終点が近づくと多少の地元の御客を集め、一両のディーゼルカーは座席がほぼ埋まる。こういう人たちは、廃線になったら本当に困るだろうと思った。代行バスというものも、一便減り二便減りと、何時の間にか無くなるというのが、廃線後の常道である。
 江津駅定刻到着。9時32分。海岸付近は相当温かいと思った。三次から実に四時間近くも掛かった。停車時間が長かった上に、ところどころで異様に安全運転をしたからであろう。西日本のローカル線は、線路に余程自信がないらしく、減速運転箇所が非常に多い。吾人も所謂、其の筋の人の一員であるが、流石に草臥れた。駅前喫茶で休憩す。後からやって来た上り「アクアライナー」という快速に乗車。三江線から見ると山陰線は大幹線といった感じで、快速と言えども頗る速いと思った。石見の赤い瓦屋根が、段段と黒くなった頃に出雲に入る。
 出雲市下車。三日掛かりで辿り着いたことになる。さて目的は達したのだから、いっそ帰ってやろうと思ったが、窓口で調べて貰ったところ、上りの寝台特急は全席満席だという。仕方がないので、件のホテルに予約を入れた。そう、件の明らか高いビジネスホテルである。
 一畑電車に乗り換え、出雲大社へ行く。確か大学三年の時も来ているから、凡そ二十年ぶりである。あの時は大阪から「だいせん」という夜行急行に乗って来たが、当然今はない。一方当時はがらんとしていた大社駅はカフェが併設されるなどして賑やかになっている。まず駅横の古そうな蕎麦屋に入る。併しあの頃はまだバブルの余韻があり、神社仏閣巡りなどは年寄りか変人の類が行う事であった。其れがこうして縁結びの神様だなどということになり、若い人まで押し寄せている。正しく隔世の感である。いやいや、本当に隔世して仕舞ったのかもしれない。出雲大社はともかく、伊勢神宮辺りに政治家が行くと危ない感じがする。南スーダン異国警固番役安全祈願などをし始めたら愈愈危ない。まるで戦前の二の舞である。
 そんなことを考えてお参りしたから、こりゃあ益益縁遠いな。再び腹が減って来たので、別の出雲そばの店へ。大体「割子そば」というが、一段当たりは「わんこそば」の二倍ぐらいしか入っていない。三段では到底足りない。男子たるもの、最低五段は食べなくてはならない。二軒で計六段。男子の本懐を遂げた。
 再び一畑電車で松江方面に向かう。宍道湖を北側から通る。電鉄の駅から橋を渡り、暫し散策がてらの徒歩移動。宍道湖に沈む夕日が見られて佳かった。そして駅近くのホテルにチェックイン。入って見て驚いた。建物は十五階建て。東西南北、見境なくびっしりと部屋があり、まるで蜂の巣である。大浴場があったのは佳かったが、部屋は狭く、窓も開かない。テレビは今どきブラウン管である。覚悟はしていたが、しかしどう見ても数年前までなら四、五千円のホテルである。此れが幾ら週末とはいえ8800円(税込み)である。日銀総裁に御報告したら、遂に宿願が達成したと泣いて喜ぶような物価上昇率であると思った。


11/4・金
 二日目も概ね晴れ。津山は鉄道の要衝である。最近博物館が出来たというので行って見る。昔の車庫に入れるようになり、古い気動車などが展示されている。ボランティアの解説員に案内して貰う。タブレット閉塞機なども使ってみたが、生憎機械の事はよく分からない。解説員は国鉄OBらしく、暫し鉄道談議に花を咲かせた。年末年始等の繁忙期の急行は九両もあり、出札口には札束が溢れたという。是非此の頃に旅行して見たかったが、生憎過去には戻れない。将来の事はもっと分からない。有名な予備校の先生の言い草ではないが、では何時乗るのと問われれば、今と言うしかないのである。早速扇状庫をどしどしと後にし、現役の駅舎に向かい、新見行き単行気動車に乗車す。乗客は頗る少ない。併しどの路線も益益本数が減り、益益心配である。
岡山方面の津山線は何とか乗っているようだが、姫新線因美線も影が薄い。此の先の芸備線も。出発前には97年の時刻表を見て来たのだが、此の二十年で列車数は概ね半減していて、急行の赤い文字も今は無い。それに寝台特急も夜行列車もみんな過去帳入りである。何だか寂しくて寂しくて長く見て居られなかった。ちなみにアメリカ大統領選挙では、ラストベルト(錆びついた地帯)という嘗ての工業洲の票の行方が注目されているが、此方もラストレールベルトにならないことを祈るのみである。レールと言うものは車輪が踏まなければ三日で錆びるそうである。
 それでも向かいには学生風の男が座った。鉄道好きと見えて発車前は熱心に写真を撮っていた。がしかし一旦列車が動くとスマートフォン操作に夢中となっている。車窓には一切興味がなさそう。写真撮りの事を「撮り鉄」というが、汽車旅行中心の「乗り鉄」とは、似て非なるものであると思った。年に何度も無い大先生の貴重な講義を態態サボっているようで、見ていると段段腹が立って来る。
併し吾人の方としては午前中だというのに、ウイスキーを飲んでいる。例によって小瓶のラッパ飲みである。飲みながらの鉄道旅を「呑み鉄」とも言うらしいが、アルコール中毒者だと吾人も呆れられているのかもしれない。成程、近親憎悪と言うやつである。社会主義社会民主主義が仲が悪いのも頷けると思った。
 さて津山から先の姫新線は時折高速道路と絡みながら走る。こういうものに中国地方の真ん中を走られるから、地方線区はひとたまりもない。高速バスに都市間輸送を奪われたという点で飯田線に似ていると思った。それでも見た感じにはそれなりに人家はあるから、人がいないこともない。併しローカルな移動需要も無いのだから、あれらは概ね空き家なのであろうか。山中をそろそろと走って新見に到着。駅前食堂で暫し休憩。具だくさんな備中蕎麦に日本酒を一合。
 此処で芸備線に乗り換え。東城を過ぎると一日三本しかない。超が付くほどの閑散区である。備後落合でもう一度乗り換え。三次からやって来た折り返し列車に乗り込む。丁度木次線も来る。此方も一日三本。山間の無人駅は一日に一二度だけ賑やかになるようである。各方面からの三車両は同型なれど色が違う。ちょっとした列車の会合、いや滅多にないから邂逅である。
 あと姫新線では気が付かなかったが、列車の前の方で前を見ていると、何やら運転台から声がする。カーナビのような機械が、ああしろこうしろと運転士に指示しているよう。幸い当該車両には旅行客が数名以上は乗り込んでいるが、普段は幾らも居ないだろう。山中で運転士が寂しくならないように、ああだこうだと話しかけているのだと思った。大体、一人勤務の無人乗客、而も夜間帯ならば、其れこそ天狗か何かに攫われかねない。多少の地元の人を集めて三次に到着。
 三次のA1ホテルに入る。此処は十二年前に泊まったことがある。あの時は広島から来て、木次線に乗った。当時から吾人は日記をつけていて、特に旅の収支には細かい記述がある。其の時は5700円とあったから、今回はそれより千円も安い。建物の減価償却が進んだためであろう。それにまだネット予約というものは一般的でなかった。
 まず駅前の大型酒場に。山陰が売りのチェーン店のようである。千円の刺し盛はすごい量だったが、冷凍物の鮭や鰹や鯖があって何だか興ざめ。ならばもう一軒と、御上さんが一人でやっているような店に入る。御客は吾人一人なので、色色と話し込んだ。併し朝からの大量飲酒で胃がざらざらである。幾らも飲食できず。儲からない御客で誠にすいませんと、三千円ほど置いて帰った。
 部屋に戻り、丁度地上波でやっていた「となりのトトロ」を見る。部屋のテレビにはビデオシアターも無料で付いて来たのだが、他人のえげつない行為を見るより、此処はセンスオブワンダーの物語である(女体探検も驚異の世界だよと、仲田大将などは言うだろうが)。映画の後半には、例によって猫バスが出て来る。確かに猫がバスになったら縦横無尽に駆け上り、確かに速いことは速いだろうが、併しあの勝手気ままな性格である。定時運行は出来ないな。ならば猫タクシーだと思った。つい最後まで見て就寝。


11/3・木
 早速起きる。まず渋谷駅に参り、切符を購入。乗車券は都内から出雲市まで。経由駅は姫路、新見、三次、江津。乗るのは新幹線、姫新線芸備線三江線、山陰線である。流石に自分で動かす機械では出せないから窓口に並ぶ。経路を書いた紙を渡すと、初老の窓口男性は、てきぱきとクリックを操作して発券してくれた(少し張り切っていたような気がする)。運賃13180円。姫路までの新幹線特急券が5290円。
姫路停車の「のぞみ」は一時間に一本。「のぞみ103号」広島行きに乗車。天気も良く、列車も良く空いていた。車販員もてきぱきと来る。すると早速左前の乗客がコーヒーをぶちまけたらししい。通り掛かった車掌は、さっと座席の座布団の部分を引っ剥がして持って行った。新幹線と言えども、上物は随分安っぽく出来ていると思った。
サンドイッチと缶麦酒を一つ。何だか急に飲み足りなくなり、車販員を追いかけて隣の三号車に行くと、ぎっしりと混んでいる。新幹線の自由席は偶数号車、つまり二号車に限るとは、常識問題である。姫路定刻到着。
 早速在来線のホームに移動し「駅そば」を食べる。此処の麺は中華麺で出来ていて昔から有名。実は初食である。確かに、蕎麦ともうどんともまたラーメンの麺とも違う。敢えて言えば冷や麦に近い感じ。茹で置きでも腰が残るのが佳いのだろう。暫し改札外に出る。 
 姫路は賑やかな街だったが、お城の方にどんどん歩いていくと、商店街が古くなり、最後は昭和五十年の頃といった感じになる。商店の後ろには長屋状の住宅が連なっている。物が干してあったりと、生活感が丸だしになっている。都内ではもう見ない光景である。地方都市巡りはちょっとした時間旅行である。古い街には古本屋が似合う。丁度大昔の鉄道ジャーナル誌「魅惑のブルートレイン特集」というのが店頭にあった。お城に行って帰って見ると、もうなかった。
 姫路には五年半前、ちょっと来ている。ちょうど震災の直前である。あの時は姫路港から小豆島に渡った。記憶を辿り、以前入った駅近くの古い食堂に行くも、どうにも無くなっているよう。其の後に出来たと思われる立ち飲み屋で暫時休憩。関西に来ると何処も彼処も安い飲食店が多くて助かる。
少しアルコールを補充したところで、旅程を再開。姫新線は色色と直したようで、気動車も新型が入っている。なかなか気鋭のいい車両である。二両編成に乗る。高性能を持て余すように適当に走る。途中の播磨新宮で一両に乗り換え。更に佐用で西日本に広く配備されている何時もの軽快型のディーゼルカーに移る。平地は減り、段段と中国山地に分け入るように走る。山際だから日暮れも早い。津山到着17時07分。駅前ターミナルは工事中。もう暗いので、気を付けて歩いた。
 橋を渡って、津山の中心街に宿泊した筈だが、歩いて見て、案外暗いことに気付く。街灯は立っている。家も店舗も建っている。少なくとも拙宅の近所並みには。其れでも暗いのは、窓から漏れてくる明かりの類が極端に少ないからである。詰まり半分くらいの住宅と店舗が、既に無人になっている。
八時にもなってないのにがらんとして、見様によっては怖ろしいアーケード街をとぼとぼと歩き、誰も居ないラーメン屋に入る。所謂ラーメン居酒屋であり、色色とおつまみの類もあって助かった。津山は牛の産地と云う事もあり、ホルモン焼きで有名である。牛の部位の名前にも地域差があるから、色色と質問してから食べた。牛の心動脈だという「ヨメナカセ」は食べず。てっきり強壮の効果があるのかと思ったら、下処理が面倒臭いので嫁を泣かせるという意味とのこと。併し元元内臓の類は不得手である。それにしても先客も後客も無し。幾ら祝日とはいえ少し寂しい。


11/2・水
 日中重い曇り。異様に寒い。また風邪を引いたのかと思った。午後出社。退社後は中華立ち飲みへ。おじさんたちが勢揃いだったが、早目に帰宅。夜は冷たい雨。まるで真冬のよう。


11/1・火 
 午前中は結構な雨。昼過ぎには急速に晴れる。若干の草取り以外は本当に無為。日銀総裁が出て来て、任期中の二パーセントの物価上昇達成は愈愈困難になったと正式に表明。デフレ脱却は吾人とて切に念願する事柄であるが、大体において、金融を緩和することで、物価が間もなく急に上がるから、上がる前に兎に角早めに買って置こうという心理が起き、物やサービスが飛ぶように売れるようになるというのは、素人から見ても出鱈目な理屈であった。間違えた入り口からは出るに越したことはないが、問題は出口に関しての戦略がないことである。併し総裁にしても何もふざけて居た訳ではなく、国民生活の向上を願い、それなりに真摯に取り組んで来たのだろうが、もう少し真面な軍師は居ないものか。

2016年10月

10/31・月
 一日曇り。午後出社。退社後は立ち飲みBへ。妙齢女性と話しが盛り上がり閉店までいた。2130円。食べ足りないので碑文谷で北海道ラーメン。花月苑の後に出来た店だが、相変わらず御客がいない。週替わりで味噌が変わるという800円のラーメンは赤味噌で、砂糖甘くなくて助かった。併し不味くはないが、取り立てて旨くも無し。中中に厳しそう。持てないラーメン店は、ラーメン居酒屋に、それでも駄目なら女給仕付きのパブ的ラーメン店にでも鞍替えしてはどうかと思うが、それでは町の風俗が悪くなるか。いや、そもそも住宅街の入り口で一杯800円と言うのは少し高いね。


10/30・日
ストーカーというものが居るというのも、親が子どもを虐待するというのも、二十年位前に初めて聞いた話である。昔から矢鱈しつこい人や、酷い親というものは居たのだろうが、取り立てて名称がなかった。「ストーカー」も「児童虐待」も、太平洋の向こう側の大国から輸入された概念であると記憶している。あれから二十年、残念なことだが、すっかり日本社会に定着した。
今、凄まじい中間層の崩壊が起きているという。此れも太平洋を飛び越えて、此の国でも起きつつあることである。するとトランプ現象というものも何れ起きる。ミニトランプのような人は、既に都知事や市長を務めているのだし。
そういえば、民主党の中の増税反対派が拵えた政党があったが、代表に合わせ党名は何時の間にか「自由党」に戻って仕舞った。併し明治時代からある党名である。今更夜警国家ではないだろう。(軍備増強や改憲よりも)「国民の生活が第一」という方が、却って戦後精神を表現していて佳かったと思うのだが。
 日中重い曇り。予約サイトで松江のホテルを探してみる。キャンセルが出たのであろう、時時安いホテルが出て来る。待ってましたとばかりに予約されるらしく、また直ぐに元の状態に戻る。元の状態とは例のシティーホテルと矢鱈高いビジネスホテルがある状態のことである。時折面白半分で眺めている。気分はデイトレーダーである。予約もキャンセルもクリック操作だけで出来るから、目まぐるしい。それに同じホテルでもプランが何十もあるからますます面倒臭い。紙と電話で予約していた頃は、こんな苦しみは無かった。昼は世田谷の縁日で焼きそばと餅。夜は大関の鯛刺しとサミットの道産牛肉。今日も買い物当番である。


10/29・土
 一晩中彷徨い走っていた軽トラックが事故を起こし、登校中の小学生が死亡。運転者は八十七歳だという。年寄りが若い人の命を奪う時代である。年を取って耄碌して仕舞うのは仕方がないので、手動運転車の方を早く何とかすべきである。
 大手広告代理店の新入社員が過労自殺した件だが、実は働き過ぎで死んで仕舞ったという感じではない。大体入社半年の新人である。そんなに大した仕事がある筈がない。問題はパワハラセクハラに満ちた新人しごきにあるらしい。日本で一番難しい大学を出、人も羨むような一流企業に入って、やっていることが余りに馬鹿馬鹿しいので、つい憤死して仕舞ったのだと思う。併し未だに陸軍みたいな会社があるのだね。こういう会社は潰れるべきだろうな。大きすぎて潰せないか。また核兵器禁止条約には当の日本が反対票を投ず。同じ大学を出ていても、憤死するような気骨ある外交官は、居なさそうである。
 朝からF蕎麦へ。日中薄晴れ。出たり入ったりと買い物を繰り返す。年寄り二人と猫三匹だが、購買力は甚大である。家人は元元炊事が苦手で、昼と夜と作らせると途端に機嫌が悪くなる。自転車を走り回せて、どちらかは調達することにしている。夜は少雨。


10/28・金
 朝から寒い。午後は更に雨。夕方バス出社。結構久久である。金参万円受け取る。冷雨のせいか退社後も誰も掴まらず。小咳が出るので目黒経由の帰路。帰宅後も冷凍食品。何も面白いことの無い一日。
また老師も長期休診に入るという。事実上の引退である。何しろ九十四だそうで、最近は歩くのも難しかったと聞いた。此れで両家人共共、掛かりつけ医が居なくなって仕舞った。
ところで来週の旅行であるが、津山と三次のビジネスホテルは押さえたが、予定が土曜に当たる為か松江が見つからない。一万五千円の高級シティーホテルはあるがどうにも高すぎる。それに需給が逼迫しているらしく、どう見てもビシネスホテル風情の宿が一万円近くもする。今回は伯母から生前贈与された御金を使うので、多少の贅沢は許されるのだろうが、そもそも一人で贅沢しても仕様がない。贅沢の無駄使いというものである。


10/27・木
 今日も秋晴れ。草取りと立ち飲みの疲れが出たのか、日中漫然とす。御向かいの一家も仮住まいに引っ越し。貸家だけでなく本屋も壊して仕舞うのだという。まだ築三十年である。つくづく勿体ない。隣の築九十年の家と取り換えて欲しいと思った。その場合、曳家の出動が必要だが。それにしても家電も家具も家屋すらも使い捨てである。そりゃあ新築物件は佳いだろうが、償却費がみな住居費として家計に跳ね返ってくるのだから本当に勿体ない。
 暗くなる頃、千寿に向けて出校。普段より少し遅く出たので電車が混んで来て閉口す。退社後はラーメンのみ食べて素面で帰宅。復路は案外空いていた。


10/26・水
 朝から晴れて大変暖かい。午後出社。立ち飲みBへ。若い御客や従業員らと話しが盛り上がり、久久に閉店近くまでいた。2130円。
体調も良くなり、また仕事は以前に増して絶望的なので、何処か旅に出ようと思う。山陰地方のローカル線に乗りたいと、帰宅後も時刻表を開いたり閉じたりして検討す。
 

10/25・火
 朝から草木取り。本日は家作の前庭。大体此れで一巡した。一時間半の作業で70リットルの袋一つ半。正確には此れも事業系の有料ゴミになるのだろうが、多額の固定資産税の中から支払って貰うことにしている。結局午後も草取り。更に一袋。家人は腸の定期検査。例によってふらふらで帰宅。買い物等を代行す。徐徐に曇って夜は小雨。結構寒い。


10/24・月
 朝から出張所に参り、住民票の発行。年金用とのことで只にしてくれたが、死んだ万代伯母は既に委任状が書けない。身元確認の為、戸籍まで随分と調べられた。こうして書類は万事万物悉く揃った。漸く未支給年金に関する書類を発送に成功す。実に二か月掛かった。一日晴れ。
 午後出社。するとある生徒に、ところで先生は専任なのですか?などと聞かれる。専任と言えば専任だが、主たる収入は今や別にある。そこで、第二種兼業塾の先生ですと応えておいた。但し今やそれすらでない。草刈り十字軍とでも言っておくべきであった(最近は士気の低下が著しい)。併し今日、此の仕事で、自らと家族等をきちんと養って行ける人など、どれだけいるのだろう。
 退社後はバーIへ。店主は、暴行いや膀胱の件で入院加療が必要とのことで、若いМ君が店番をすることになっている。従って店主自慢の叉焼も麻婆豆腐もない。麦酒二と味噌胡瓜で1650円。二千円置いて、残りは療養費に充てるように言っておいた。何も食べてないので碑文谷の柏屋でコロッケカレー(520円)。
するとまあまあ年増の会社員が、一生懸命メニュー表を見て、期間限定というさんま丼と小松菜天そば、どちらが売り出し期間が短いですかなどと店員に聞いている。短い方の後者を選んだようだが、身なりはきちんとしていたが、言っていることが随分可笑しいと思った。少し見たところ、大量の荷物を持っているなど何だか様子が違う。彼としては乾坤一擲、高級レストラン並みのメニュー選びなのだろう。やはり何だか益益社会が可笑しくなっていると感じて一日が終わった。


10/23・日
 一日大体晴れ。午前中は少しは運動しようと八雲まで行き、回転寿司屋に入る。何だか食欲に火が点いて、更にラーメン屋に。併し前者は舎利が柔らかく、後者はスープは旨いが麺が矢鱈貧相であった。つくづく飲食業というものは難しい。
 併し一昔前までは、何だか美味しくなかったという感じで軽く済まされたものが、最近は飲食店評価サイトのような物があるから、益益難しいということになる。何しろ食べることと飲むことぐらいしかみんなに楽しみがないものだから、少しでも気に食わない点があると罵詈雑言の嵐に陥りやすい。
 夜は再びの鍋料理に。先日のまつやの味噌は其のままに、肉と豆腐と野菜をうっかりケチったから、何だか旨くなかった。福岡と東京の衆議院の補選では与党系が圧勝。投票率は三、四割。既に言葉もない。


10/22・土
 朝から牛丼Sへ。午前中は年金機構への書類を作成す。戸籍謄本は先日取ったものの、新たに住民票を二通と、生計同一に関する申立書には第三者による署名が必要となる。誰にサインして貰おう。それにしても万代伯母は老齢基礎年金に加え、厚生年金も幾らか付いている。だから年金コードも二つある。二十代の頃はちゃんとした所で外働きもしていたのだろう。
 日本の年金制度は戦時体制下の船員保険が始まりだったと記憶しているが、あっという間に焼け跡闇市になり、其の後に国を再建し、国民皆年金になったのが六十年代の事である。コーヒー一杯40円の時代に、掛け金が月100円だったそうである。此の国の年金は継ぎ足し継ぎ足しに建て増しに建て増しの連続だったから、一体どうなっているかは、学士や修士程度では分からない。それこそ年金博士が必要であると思った。其れも何しろ食うや食わずの敗戦国だったから仕様がない。一日概ね曇り。午後は概ね無為。


10/21・金
 沖縄県に他都府県の機動隊員が応援派遣されていることは知っていたし、評判が宜しくないことも聞いていた。デモ隊相手に愈愈差別的暴言を吐いたらしい。大体、何か言われてかっとなるような人は警察官には相応しくない。職業適性がないのだろう。
かくいう善良な吾人でも色色と警察官は揉めたことがある。特に今よりかなり若い頃、酔った勢いで飯田橋の交番に「イラクの方で沢山の人がアメリカに殺されています」と通報しに行ったことは忘れられない。交番には警察官が一人と、落とし物か何かをした会社員が居て、後者の方は目を白黒させていたが、前者は吾人を一顧だにせず、調書か何かの作成をひと時も止めなかった。一切の受けがない以上、吾人も撤退せざるを得ず。中中に冷静な男だと思った。まあ初老の警察官であったから、酔っ払いの扱いには慣れていたのであろう。そんな巡査長か巡査部長も若い頃は色色とあったのかもしない。
そもそもフェンスの内外ともに同じ市民であり、ほんの何かの拍子で立場が入れ替わるということも、人生というものにはある。そういう想像力を働かせて欲しい所だが、そういう人はわざわざ警察官にはならないかな(まして警備課など)。双方ともに暴言を言い合っていたという見方もあるようだが、抗議する立場というものは多少なりとて優遇されるべきである。何しろそれでお金を稼いでいる訳ではないのだから。さて吾人としても沖縄には是非とも応援には行きたい。勿論フェンスの外で抗議する市民として。
今日もまあまあのお天気。昨日ほど暑くも無い。早目の退社後は焼き鳥Bへ。するとマネージャーの真紀さんが偶偶居て、ここであったが百年目、色色と飲まされて帰る。3020円も使う。午後鳥取で震度六弱。


10/20・木
 漸く区に書類を発送す。但しあれだけの手数を使っても、振り込まれるのは二、三万円程度との予測である。一方の年金機構からは、未払い年金に関する例の書類を早く書いてくれと言う通知が来る。どうしよう。更に介護保険の方からも高額サービス費給付の書類も来ているのだという。書類手続き地獄である。
 昨日以上の暑さとなる。午前も午後も漫然とす。夕方千寿に出校。途中散髪す。退社後は久久に「福しん」で回鍋肉定食。御供の小ラーメンも付けたが、何だか食べ足りず。数学脳が大量の糖質を消費したのかもしれない。
素面で帰ったので、久久に映画でも見て、鶴木さんに勧める作品を見付け出さなくてはならないと思った。適当に録り溜めた中から「世界侵略・ロサンゼルス決戦」を見る。選りに選って、酷い映画であった。第一、世界最高の装備を誇る米軍が更に進んだエイリアンの無人機で駆逐されるあたり、一種のディストピア映画である。ただ海兵隊員が中近東出身と思しき民間人父子を必死で守護しようとする場面では、最低限のPC(ポリティカルコレクトネス)も感じた。そう、あの大統領候補にはそれすらない。


10/19・水
 今日もまあまあのお天気。結構暑いが、此の時期の暑さというものは高が知れている。退社後は中華立ち飲みに鶴木さんを尋ねる。二杯ほど飲んでお開き。鶴木さんは映画を借りに行くのだという。何でも水曜は旧作映画が100円なのだそうで、吾人もレンタルビデオ店に帯同す。何かお勧めの映画はないのかと問われたが咄嗟には思いつかず。そういえば映画というものも最近は全く見ていない。其れでも背表紙を見ながら必死に思い出し、「英国王のスピーチ」と「実録連合赤軍あさま山荘への道程」の二作をリコメンドした。


10/18・火
朝にはすっかり晴れた。するとまるで夏のような御天気となる。マスク掛けも止め、気力体力ともに充実して来たので、午前中は草取り。其のまま自転車を駆って、区役所本庁舎に乗り込み、戸籍係に並ぶ。窓口氏との数度の遣り取りの末、万代伯母の「改製原戸籍」と、吾人の戸籍を取り寄せに成功す。前者は相当古い戸籍らしく、デジタルスキャナーで取り込んではあるようだが、全部手書きである。独特の書体を解読すると、万代伯母は北米合衆國紐育洲紐育市フルクリユネーアイラント西拾六街貳千八百貳拾九番に於いて出生、となっていた。また義雄伯父さんは、カリホルニヤ洲ロスアンゼルス市北ベントン街貳百拾九番生まれ、との記載もある。併し先先代は今でいうところのグローバル人材であったと感心す。息子、孫と代を経るにしたがって、益益ドメスティック人材となって仕舞ったが。
二通ずつ取り寄せて手数料が1650円。其の後、区役所の地下食堂でカツカレーを食べて帰る(780円)。古い庁舎の古い食堂だったから、食券も硬券であった。以後何だか草臥れて仕舞い、肝心の書類作成の方は明日以降となる。


10/17・月
 新潟の知事選挙では野党系が勝利。珍しいこともあるものである。最近は、田舎の人の方がしっかりしていると思った。参議院選挙の時もそうだったが、保革の支持状況が逆転している。
 処方された薬は全六日分、全てのみ切る。漸く咳が収まる。何だか時時異様に眠くなったが、どの薬の影響かは不明。午前中はかなりの雨。御昼には止む。午後出社。余り見たことはなかったが、中一の男の子が辞めることになった。理由は判で押したような成績不振だが、対処法が宜しくない。今後は父親が勉強を見るのだという。大体親が教えていい結果になったという例を知らない。増して中学生、其れに此処だけの話し、父親と云っても母親の再婚相手である。ニューファーザーとして佳い所を見せようと張り切っているのだろうが、よい動機が良い結果を招くとは限らない。割と線の細い一人息子さんだったから、潰れて仕舞わないか心配である。併し其処ら辺の事を親たちは認識できているのだろうか。もしセカンドオピニオンを求められれば、身命を賭してでも大反対するのだが、第一に学習塾というものは、そもそもが出入り業者並みに立ち場が弱いから、どうにも仕様がない。祈ろうではないか。彼らの幸運と家内安寧を。
退社後は久久に立ち飲みBへ。久久にお見えですねと、また生牡蠣などを食べさせられた。支店には色色と行ったが、そういえば本店は一か月ぶりであった。2350円。夜半から再び雨。


10/16・日
 全体的に晴れた。土曜と日曜が二日とも晴れたのは、二か月ぶり、つまり万代伯母が亡くなった週末以来とのことらしい。一日出たり入ったり。猫餌の買出しだけで二往復もす。
 夜は公共放送の「資本主義の未来・世界の成長は続くのか」を見る。資本主義が危機に陥っているという認識は公共放送とて同じらしい。長期停滞を突破する為にはイノベーションが必要であるというのも同意出来るが、其れがインターネット利用による民泊と白タク営業と言うのには、何だかがっかりす。古い物を廃棄するのがイノベーションだとしたら、差し詰め、原子力と手動運転車であろう。少なくとも自動ブレーキが搭載されていない自動車は、数年以内に公道を走れなくなりますとでもすれば、莫大な買い替え需要が生まれる。新車もどんどん売れて悲惨な事故も少なくなる。素晴らしい未来の到来である。


10/15・土
 午前は枝葉の片づけ。午後は買い物と雑用。夜は鍋料理にした。テレビコマーシャルでやっていた「まつや」の「とり野菜みそ」300円、鶏肉500円、豆腐200円、野菜200円、きのこが100円、うどん100円、締めて1400円で三人が十二分に食べられて仕舞う(アルコールは別)。自炊と言うのは極めて経済的だが、皆がやって仕舞えば、内需が崩壊すると思った。飲食業は既に国を支える基幹産業である。


10/14・金
 午前は草取り、午後は桐の枝払い。それぞれ三十分から一時間ほどの作業だったが、何だか一層草臥れて仕舞い、昏昏と午睡す。まだ体力は半分ぐらいの戻りである。痰は漸く無色に。夕方出社。早目の退社後は天祐寺の焼き鳥Bへ。更に最近出来たラーメン店に。とんこつ醤油系の横浜ラーメンの店だが、店内は洒落たレストランのような造作で驚く。
それに駅前ロータリーから出て来るバス通り沿いにも、続続と飲食店が出来ているから尚驚く。併し飲食業が繁盛するということには、(一)人人が増加する、(二)人人の所得が増加する、(三)人人が半ば自棄になってますます外食するようになる、(四)人人に飲食業の他に大した仕事がない、のどれかがなくてはならない。天祐寺などと言うと各駅停車しか止まらない元元地味な駅だから、(三)と(四)なのかなあ。内装費を掛け、多額の保証金と家賃を払い、原材料を仕入れ、それで社員の給料が出るのか心配である。


10/13・木
 一日曇り。結構寒い。咳と痰は更に減ったが、出るものはやはり出る。午後銀行の人が再び参り、相続会議。先月の優子さんの提案を社内で討議した結果、相続放棄を行うとなると、法定相続人による相続協議をせねばならず、既に超高齢化した親族間では、もはや現実的ではないとのこと。今回は遺言書の通りにして、以後気長に贈与する方法を推奨される。優子さんも納得す。
更に担当税理士が決まったとのことで、就任の挨拶かねがねの打ち合わせとなる。見ると吾人より若く、相続専門の税理士会から来たという。早速、段段になった駐車場の中段下段の資産価値を最大限低く見積もりますと言われる。上段以外は幾らも稼がない土地である。流石、少壮気鋭の専門家は眼の付け所が違うと思った。銀行が機械的に算定したものより幾らかでも税金が安くなると助かる。
序に万代伯母の準確定申告も依頼することにした。会談自体は一時間ほどで終了す。背負った荷物が一つ無くなり、少しは気が楽になった。矢張り依るべきは専門家である。御金は掛かるが、当方の其の能力がない以上、依頼するのが筋というものである。
以後一休みする。残念なことに今日はもう木曜である。夕方千寿に出校。生憎高校生がテスト前だとかで、学校も学年も違う数学をバラバラに指導す。代数や幾何は何とかなったが、数列だけはどうにもならず。何しろ現役時代から出来なかった分野だから、どうにも仕様がない。結局数学というものは、万事万民を不幸に陥れるものだと思った。敗北感に打ち拉がれながら、「小諸蕎麦」でかき揚げ蕎麦(360円)。
そういえば、今朝のラジオで森田真生という数学者が喋っていた。ラジコのタイムフリーと言う新サービスを使い、聞き直しながら帰宅す。併し数学ってものは、そんなに楽しくなるのかね。そりゃあ、分かれば楽しいだろうがね。咳と税金と数学で頭が痛い。帰宅後も缶麦酒を一つ。服薬して早目に就寝。


10/12・水
 漸く咳と痰は半減す。午後出社。金参万円受け取る。退社後もラーメン一杯のみ。併し味が濃いラーメンは受け入れるのが結構きつい。まだまだ回復していないと感ず。帰宅後も麦酒一缶のみ。


10/11・火
 朝になっても咳と痰が収まらないので、掛かりつけの老師の所へ参る。気管支までやられているとのこと。何時もと同じ抗生剤と鎮咳薬(今回はアスベリン)と去痰薬(カルボシステイン)。医薬合わせて1500円程度。併し半年ぶりに顔を合わせた老師も何だか痩せられていて、患者の方が却って心配となる。確か老家人より年上と聞いているから、もう九十五近い筈だが。
 三日間寝た切り状態だったので、午後は草取りを少し。すると急に眠気を催し、昏昏と午睡す。夜はワールドカップの予選、日本対豪州戦を見る。相手先での開催なので何というスタジアムかは知らないが、海に近いらしく、鷗が飛び交っている。中には悠然とピッチに留まるものも。ついつい、あの鷗は此の鷗を追い掛けているから恋仲なのかなどと考えて仕舞い、観戦には集中出来なかった。
併し白熱した試合に自在に水を差すあたり、鳥と言うのは自由でいいと思った。こういう外での中継には色色な事物が映る。写真延いては映像というものには、当事者の意図とは関係ない余計な事物が映り込むから面白いなどと言ったのは、確かベンヤミンだったかな。日本酒を一合弱、麦酒を一缶のみ。口が悪いのか後者は半分しか飲めず。もう酒も止めようと思う。
どうやら最低でも二島は還ってきそうと、政権側は年末の日露会談に期待を寄せているよう。余勢を駆って、年明けの解散まで目論んでいるとのこと(何度も言うが七条解散は宜しくない)。併し還すといっても、只では還して貰えないだろう。どれほどの経済援助を要求されることか。ロシア産の安い資源が入って来るから、ウインウインだなどと言う声も聞こえてきそうだが、極東でデタントが進む一方、欧州側ではまるで反対方向の事態が進行している。日本に天然ガスを売った御金で軍備を拡張しているなどと世界中から怒られないか、今から心配である。


10/10・月
 能登半島の先端の中学校で野球部のマイクロバスが事故に遭って、中学生が二人も亡くなった。運転していたのは保護者らしいが、此の種の事故は後を絶たない。公共交通機関を使えばいいが、能登の鉄道も大半が廃止されて仕舞っている。路線バスは走っているのだろうが、行き成り十数人で乗り込むのも気が引けたのだろう。空路が出来ても、鉄路が無くなる。本当に何とかならないものか。
 体育の日で晴れの特異日の筈だが、辛うじて雨が降らない程度。気温は一気に低くなる。咳はまだまだ出る。頭の振り過ぎで頭痛もする。咳の度に過呼吸になり立ち暗みもす。消耗著しい。心身ともに。数日ぶりの入浴。飲酒は麦酒一缶のみ。


10/9・日
 午前中は大雨。以後曇り。三連休も台無しである。相変わらず咳と痰は出続けるも、メジコンが効いたらしく、咳が連続して呼吸困難になるようなことは無い。而も此の薬には催眠作用があるらしく、昏昏と午睡す。
 「日曜討論」を聞いていると、政権側も同一労働同一賃金やら、過労死対策なども言い始めており、野党側のお株を奪う勢いである。まあ五十五年体制の頃から、自民党という政党は、革新陣営の主張を巧みにそして適度に取り込んできたから、此の点に関しては得意技を駆使して来ているという訳である。政策的に与党に抱き付かれると、リベラル陣営はどうにも闘い方がない。
やはりそうなると、「自由」を訴えるしかないと思う。つまり人人はもっと自由な存在になれると。社会保障制度を整備し直すことにより、住宅費や教育費や老いの不安から、もう少し自由でいられると。労働法制を変えれば、酷い勤務先からも自由になれると。あるいは性別や国籍や理不尽な家族、重武装からの自由を訴えてもいい。こうした自由だけは、当の「自由民主党」は決して言わないものだから。
 食事も含めて終日自室に引き篭もる。二階のテレビは地上波しか映らないから、「オール芸人謝肉祭」なんぞを見る。昔はこういう番組も沢山あったなどと思った。芸人さんたちも高齢化しているから、跳んだり撥ねたり、水を掛けられたりと、事故が起こらないかハラハラしながら見る。安全管理は大丈夫なのかと、つい画面の端のスタッフの方に目が行って仕舞う。ただ平野ノラという女芸人が、八十年代後半をネタにしているのは面白かった。併しあんな大きな携帯電話、実際には見た事がないな。バブル期の事も既に神話化していると思った。夜になると大量の咳。痰も薄い物が大量に出る。停酒二日目。


10/8・土
 比国国民も麻薬と汚職と交通渋滞に怒り狂っているよう。自棄になった新大統領の強権に期待しているらしい。併し家を一歩でも出ると、麻薬中毒者と売人が溢れていて、容易に近道もできないという社会は、なかなか日本人には想像出来ない。国民の期待感と言うのも少しは分かる。ただ権力というものは、暴走もするし、腐敗もする。ペルーの大統領のようにならなければ佳いが。
 朝から咳が止まらず。昨日より具合が悪い。次第に痰に色が付く。結局発熱。三十七度六分。詰まり、鼻、喉、熱のフルコースとなる。前の風邪から二週間も経っていない。例によって異常な罹患率である。夜になった頃に漸く家人から処方薬メジコンの提供を受ける。あるならもっと早く出して欲しいと思った。自己管理が悪いと家人は立腹しているようだが、例によって何も好き好んで風邪を引いている訳ではないのである。午前中を中心に雨模様。阿蘇が中噴火。完全無酒。


10/7・金
 昨夜は串揚げを六本しか食べなかったのだが、帰宅後に飲んだ冷たい赤ワインとの相性が非常に悪く、未明から酷い胃痛に。朝方結局戻すことに。悉く体調不良である。
また給料も悉く払えないというので、金曜欠勤す。万事馬鹿馬鹿しい。時間が出来たので、先日購入した「世界(十月号)」を拾い読みす。「時代とともに、場所とともに、不要なものとされる人の範囲が広がっていきつつある」(熊谷晋一郎)という指摘が目に止まった。吾人もまるで不要な人間である。
夜になり、月波君と地元で合う。明日からの三連休で伊那に行きたかったようだが、今回は予定は立てられず。御客の居ない蕎麦屋で一時間ほど飲食して帰した。夜半から本格的な咳と鼻水。結局、風邪を引いた。


10/6・木
 一日水っ洟が出る。抗ヒスタミンを服用すると一日眠い。夕方眠りながら千寿に出校。少し早めに退社出来たので、「天七」へ。此処は関西風の立ち飲みである。例によって串揚げしかないのだが、隣の隣の客の皿には何だか盛られている。新メニューでも出来たのかと思ったら、其れは剥がした衣の山であった。箸がない店なのにどうやって剥がすのかと見ていると、キャベツを使って慣れた手つきで捥いでいる。糖質を制限したいのは吾人も同じだが、衣が不要ならば、串焼き屋に行くべきであろう。マナー違反の客が多くて困る。


10/5・水
 参議院予算委員会。件の防衛大臣が槍玉に挙げられていた。政治信条は兎も角、まともに答弁出来ていない。ネトウヨ上がりの首相Aのお友達だそうだが、資質は無いなあ。併しこうなることは目に見えていただけに、防衛大臣も引き受け先がないのだろう。
 昼まで寝ててもまだ眠い。どうにも鬱状態である。退社後は、もたもたしている内に雨が降り始める。大急ぎで帰ったが、傘があっても相当濡れた。帰宅後は風が強まる。何れも二時間ほどで収まる。昼も夜も冷凍食品。


10/4・火
夜行バスや夜間運転のトラックが関係した重大事故多し。長距離ドライバーは、明らかに自衛官海上保安官や警察官より危険な仕事である。それでいて待遇は恐らく半分以下。激しい競争に曝されているからである。国民生活の安寧を願うのなら、こういう職種にこそ祈りを捧げるべきである。
それにしても、テレビなどを見ていると、何処かの偉い名医が凄い手術で何人かの命を救ったなどいう番組は多いが、適切な安全管理、労務管理によって事故を未然に防いだなどという番組は皆無である。救急隊や医療従事者が幾ら頑張っても、元元は事故を起こさないことが第一である。ただ実際には、居眠り運転防止装置などの技術の革新を待つより手が無いと思う。腕とハンドルで大金を稼ぎ出すようなトラック野郎の時代では、もはやない。それに何千何万とある運送業者を強制統合させ、価格交渉力を上げさせることなど、そもそも出来そうに無い。
郵便局の定額貯金が満期になったとかで、継続手続きに参る。十年前に0.3パーセントだった金利は、愈愈0.01パーセントに。併し此れだけ低いと単利も複利も同じである。今から十年預けても、何と0.1パーセント(税引き前)。御金が腐って減ることはないが、余りの低金利で申し訳ないと、窓口氏から食品用ラップと日本手拭いを貰う。六百円相当。十年分の利息の前渡しだと思った。
朝から異様に暑い。台風が南風を吹き寄せ日中三十度以上。午後は鼻水止まらず。堪らず抗ヒスタミン。すると昏昏と午睡す。寝ている間はくしゃみも出ないが、起きたら再び鼻水ラッシュ。


10/3・月
 土曜日に最終回を迎えた朝ドラは、中一日で、もう新しい物をやっている。此れだから見る気が起こらない。舌の根も乾かぬうちという表現に倣えば、涙のハンカチも乾かぬうちにというやつである。少なくとも一週間は休講期間を作って欲しいと思った。其の間は総集編でもやれば佳かろう。
 何時もの通り今朝の新聞を読んでいると、救済対象地域外でも相当数の水俣病患者が居るとのこと。但し区域を外れているから、不知火海の魚を食べたと自ら証明せねばならないのだという。詰まり、数十年も前に行商人から魚を買ったという領収書を持って来いという訳である。戸籍謄本ぐらいで、呆れてはならないのだと思った。 
秋雨が戻る。午後出社。退社後は、実に久久に中華立ち飲みに。常連のおじさんたちに健在ぶりをアピールして帰った。


10/2・日
 晴れたのは佳いが、何だか結構暑い。少しは出掛けようと、先日訪れた「とむちゃんラーメン」に参る。ラーメンに、ついうっかり半炒飯(220円)も注文す。何処がどういう風に旨いかと問われても巧く応えられないが、一旦持った箸と蓮華は置くことが出来ず。俗に言うところの、「普通に旨い」というやつである。其れは「町中華」に対する最高の称号と言ってもいいだろう。糖質を取り過ぎたので、駒沢公園を無駄に一周した後、労働す。苦手な梯子に攀じ上り、桐の太い枝を二本切った。


10/1・土
 今日から十月。併し雨模様。但し空気が入れ替わり大変涼しい。「とと姉ちゃん」終了。朝ドラの類は滅多に見ないのだが、焼け跡闇市に立ち、国民の暮らしを第一に考えた、人人の生活向上に少しでも資する雑誌を作ると主人公らが決意するあたりは鬼気迫るものがあり、以後すっかり見入って仕舞った。それは、「世界」や「思想」とは少し違うが、戦後精神の現われの一つであったと言えるだろう。それにしても、最近の公共放送としては、結構頑張った内容と言えるかな。報道がまるで駄目だから、いっそドラマで勝負しているのかもしれないとも思った。
 朝から牛丼Sへ。ところで、牛丼店では必ずサラダを頼み、調味料等は何もつけずに無言のまま半分ほど食べてから牛丼本体に着手するようにしている。何しろ、喰い改めよと言われても改めなかった二型飲水病患者の治療費は全額自己負担にせよなどと言う言説が流布する世の中である。吾人も精精気を付けなければならない。それにしても、である。風邪を引くのも自己責任、酔って転んで怪我をするのはもっと自己責任などと言って仕舞えば、社会というものが存在する立場がまるでない。マッチョなエリート以外は収容所に送りますと言わんばかりである。正しく、「獣の世」になったものである。時折の剪定以外は、概ね無為。家人は吾人の風邪がうつったよう。また台風が来るらしい。

2016年9月

9/30・金
 納骨の日。幸いまあまあのお天気。さてさて例によって小平霊園である。骨壺に位牌、高齢者のトイレ確認等等、準備万端整える。では参りましょうと、颯爽とアプリを使ってタクシーを呼び立てる。併し該当車がありませんとのお応え。文明の利器など、所詮はこんな程度のものである。其れならばと、近所の中通りまで行き、流しのタクシーを掴まえた。
 運転手は霊園の事は知らなかったが、カーナビを頼りに走り始める。ちなみに吾人のスマホなどは、高速三号線から都心環状線、四号線を使って行けと宣う。検索の設定が悪いようだが、全く以て、機械のくせに頭が可笑しくなっていると思った。現実の車は、高円寺辺りを経由して、一時間半近くかけて参る。途中環七の渋滞に巻き込まれて9570円。ご苦労様でしたと一万円を置いて返した。
 続いて霊園事務所に埋葬許可書を提出。初老の係長が古い帳面に、万代の名を書き込む。昭和の中頃から使っている都営の墓地なので、カード式台帳の知事名は美濃部さんであった。都知事も長い人が多かったから、最近のI瀬やМ添などは、かなりのレアカードと云う事になるだろう。そして優子さんも交えて、納骨の儀、四十九日法要、新旧位牌交代式、御本尊入魂式等等、一時間掛けて執り行う。
 それにしても老家人は、霊園前の石材屋さんから、数百メートル先の墓所に行くのも這う這うの体である。タクシーと車椅子の中間の乗り物が欲しいと思った。遊園地にあるようなゴーカート、東南アジア諸国でよく見る自転車タクシー、浅草にいるような人力車、どれか一つでもいいから、霊園に置くべきである。
 石材屋に戻り、暫時休憩。御坊さんとは此方でお別れ。ちなみに御布施は八万円。石材屋には墓誌刻み料など十一万円の支払い。以後適当な御寿司屋に入る。異様に混雑した店だったが、出て来たものは大したことが無かった。
此処から再びタクシーに乗ったのだが、帰りの運転手さんは、環七に出るのに青梅街道などを使うのはずぶの素人の所業ですなどと宣う。もっと近い道があると勢い込んで走って行ったが、結局吉祥寺駅周辺の渋滞に掴まる。多少は速かったが運賃は行きと大差無かった。此れで諸諸の行事は終了。こうして九月が終わった。
 豊洲問題では、土木部と建設部で責任のなすり合い。そもそも部局も隣り合うと、何の交流も無いというから驚く。併し新都知事は堂堂としている。こういうトラブル解決のために政治家がいるのですとでもいいたげである。今までの都知事が酷過ぎたから、まあ何とか劇場になるのも仕方がない面はある。だがそれにしても、幾らなんでも騒ぎ過ぎである。空洞があれば混凝土でも流し込めば佳かろう。全国区の話題になるような話しでもなし。地方自治の教材にはなるだろうが、そろそろ終わりにして欲しい。


9/29・木
 出張所に戸籍謄本を取りに行くも、吾人と万代伯母が同時に載っている戸籍は存在しないと言われる。老家人と万代伯母、吾人と老家人の二通の戸籍を合わせればよいが、前者は大変古い戸籍らしく、本庁舎でないと発券出来ないとのこと。敢え無く門前払いとなる。つくづく戸籍制度など面倒である。
大体戸籍があるのは東アジアだけであろう。グローバルスタンダードに合わせて廃止して欲しいと思った。尤も戸籍制度自体、古代世界のグローバル化、即ち中国化の遺産ではあるが。それにしても、何をするのも、腹が立つほど面倒臭い。平時ですら此の有様なのだから、災害でも起きて、罹災証明書一枚発行するのも大行列というのも何となく想像が出来る。本当に何とかならないものだろうか。
 午後千寿に。何だか再び咳が出るので博多ラーメンを急いで食べて帰宅。市販薬の残りを投入。今日も異様に蒸し暑かった。


9/28・水
 今日は参議院の代表質問。RH代表が壇上に立っていた。やや早口かな。速く読むから、読み飛ばしや読み間違いも多かった。もっとゆっくりと堂堂と演説すべきであると思った。大体国会中継など、高齢者以外聞いていないのだし。
 今日も異常な高温と多湿。草取りも出来ず。午後出社。退社後は碑文谷の立ち飲みBへ。超満員でまともな給仕を受けられず。直ぐに出る。家で冷凍うどん。


9/27・火
 銀行の人が相続人である秋子叔母さんの様子を確認したいというので、吾人も序に会いに行く。と言っても、叔母は狛江の家を既に引き払い、昨年から海老名近郊の施設に入っている。吾人も初訪問である。海老名の駅で優子さんの自家用車に乗り換え。入居当初は色色とあったようだが、叔母は概して元気そうである。但し頭の方は体より先に弱って仕舞い、万代伯母の事もよく分からないよう。一応亡くなったことを伝えると、悲しむことは悲しむが、またすぐに忘れて仕舞うようである。遺言書の読み上げ等は最低限にして、一時間ほどで終了す。
 其の後、清二さんを交えて会食。実に十数年ぶりに顔を合わせた。一種の弔問外交である。飲水病が悪化して具合が悪そう。また優子さんは次の相続税を相当気にしている様子。今回は何とか払えるが、その次となると、吾人としても自信がない。というかそもそもそんな先のことまで考えられず。相続放棄若しくは贈与により、土地を吾人に集約させた方が佳いと言う。併し今更遺言書の書き換えも出来ない。何だか逆相続争いの様相である。土地があったらあったで、つくづく面倒である。都市部の地価が異様に高いからである。
 昼酒の後、駅まで送って貰って帰った。六時帰宅。九時就寝。今日も異様に暑かった。併し海老名駅前も変貌著しい。もう少し時間があれば、色色と見聞してみたかった。


9/26・月
 二日連続で晴れるには晴れたが、今度は異様に蒸し暑い。誰も何の注目もしていないが、今日から臨時国会。馬鹿馬鹿しい所信表明演説でも聞いて腹でも立てようと思ったら、沖永良部島辺りで地震があり、国会中継は中断。其れっ切り、出社す。
 退社しようと思ったら、今度は通り雨。這う這うの体で、碑文谷の立ち飲みBに避難す。此の店は本日オープンとのことだが、フランチャイズ方式の出店の為、本店等との人事交流は無し。従って知った従業員も居らず。一人で飲む。其れだけでは足りないので、矢鱈麺が歯にくっ付く店で博多ラーメン。下らない一日の労苦を却って進行させてから帰る。


9/25・日
 朝から漸く晴れた。咳は概ね収まる。家人は鎌倉へ。昼は老家人とコンビニ食。遅蒔きながら、咳と痰に効くという市販薬を購入。二日分で千円弱。市販薬評論家には現世でも成れるかもしれないと思った。雨と風邪で何も出来なかったが、所謂シルバーウイークも終了。木も草も伸び放題である。


9/24・土
 ずっと秋雨。痰の絡んだ咳が多くなる。昨日より具合が悪い。痰は概ね無色。鼻水は一切出ないが、鼻の奥から喉へ滴り落ちているに違いない。今回はどういう風邪なのだろう。それにしてもよく風邪を引く。風邪の症状より、その異常な罹患率の方に落ち込む。来世は医学部を出て、風邪の研究者に成りたいと思った。御昼から大雨。今月は雨の降らない日は二日だけだという。


9/23・金
 朝方は大雨。発熱発汗を繰り返した結果、明け方には概ね改善す。確かに凝った感じも解消す。なるほど、「風邪の効用」というのもあるのかもしれないと思った。午後になると再び発熱。金曜欠勤。喉は少し痛い。残り物のポンタールを服用す。思い起こせば、連休の辺りから異様に眠たかった。此れも前兆現象と言えよう。家で寝ているとわかるが地震多し。多くが震度一程度。ネットで調べるも震源はまちまち。


9/22・木
 朝方は大雨。昼になっても大雨。秋分の日。仲田大将に野球観戦に誘われていたので東京ドームに向かう。招待券を貰ったという内野指定席は、なかなかの眺め。当然巨人側である。本妻さんである節子さん、月波君も同席。吾人が誘われたと云う事は、当然相手は中日である。併し実に久久の野球観戦だと思った。
 三対二でリードしていたところ、九回裏二死から逆転ツーランホームランを打たれ、あっけなくゲームセット。まあ大将が喜んでくれてよかった。何よりも淡白な消化試合だったから、試合時間が短くて本当に助かった。二時間十八分で終了。正直長い試合なぞは見て居られない。併し今年の中日は最下位確定だな。選手にまるで覇気がない。
 其の後、立ち飲みBの水道橋店を訪問。だんだん大将が泥酔して来たので神保町まで散策。蕎麦屋で休憩してから帰った。八時半ごろ帰宅。正直吾人も体調がよくない。直ちに就寝す。夜半に掛けて発熱す。なるほど、あの痛みは風邪の前兆であった。


9/21・水
 台風は去ったが、結局元の秋雨に。午後出社。昨年辞めた何も喋らない女の子が、同じ学校の新しい友達を連れて戻って来たが、矢張り此の子も何も喋らない。女は無口な方がいいとは演歌の世界の話であって、教える方としてはやりにくいこと此の上なし。意思疎通が苦手な子が、つとに増えたと感じる。お話しする力のことを、最近ではコミュニケーション能力とか対人スキルなどと言うらしいが、学業成績以上に、こういうものを向上させることは難しいだろう。何れ会話能力等等を数値化して序列づける時代が来るかもしれない。余りぞっとしない未来であるが。夜は再びの降雨。立ち飲みBで雨宿りの後、帰宅す。碑文谷で更にとんこつ醤油ラーメン。
 日銀はマイナス金利も含めて金融緩和を維持するとのこと。かの一般の理論でも、「スタンプ付き貨幣」(貯め込んだ紙幣を使うときは印紙を買って張り付けなければいけないというアイデア)というものは好意的に描かれているから、御金が腐って少しずつなくなるというマイナス金利政策も、ある意味では真っ当な政策なのであろう。ただマイナス幅を拡大するとなれば、不動産や株への投機的移動が始まり、再びのバブル経済に陥る。既に都心は過熱気味である。何はともあれ、デフレ脱却はどうにも出来そうにないことに変わりは無し。ただ二パーセントの物価上昇という看板は下ろすとのこと。遅きに失したが、総裁にも多少は現実が見えて来たのだろう。空気が変わったのか、何だか小咳が出る。右肩右腰、右膝も痛む。不定愁訴のオンパレードである。


9/20・火
 昨日からずっと雨。草取りも出来ず。台風は列島の南岸を接近。雨は次第に激しくなる。こうなると何もすることが無い。午睡とポコポコとケインズを繰り返す。中中難しい。吾人も経済学部でも入り直すかな。併し純粋な意味での金利生活者というものは、此の歴史的超超低金利で居なくなったが、日本は地価が高いから、地代生活者というものは結構多いだろう。但し莫大な相続税が掛かるが。
 風は吹かず。西から近づいた純正な台風だったから、関東に来る頃には漸減していた。気温は低いので、久久に湯船に入る。


9/19・月
 昨日までの収穫物を出す。70リットル入りの袋二つと、45リットル一つにぎゅうぎゅう詰め。拙宅近辺は各戸別回収になっているが、袋が重いと収集する人が気の毒なので、斜め向かいのマンションの集積場に纏めて出すことにしている。単身者を中心に三十世帯ほどは住んでいるようだが、拙宅の雑草だけで、全体の三分の一近く、重量ベースでは過半を占めるであろう。何度も言うが、ゴミの収集だけは誠に有り難い行政サービスである。
 安保法成立から丁度一年。自衛隊も海外出動に備え、具体的な訓練を始めるそうである。其れがどの程度であるかは知らないが、米軍などは、路上に仕掛けられた爆弾が車両の真下で炸裂し、運転者等が手足を吹き飛ばされた時の緊急止血法などという訓練もしているそうである。想像しただけでも、つくづく恐ろしい。
 敬老の日。自宅に籠って居てばかりではいけない。台風接近により天気は下り坂なので、東急バスの一日券(510円)で外出す。まず成城へ。更に二子へ。多摩川べりの中古チェーン書店に寄る。ケインズの一般理論の新訳の上下、加藤周一自選集の(四)を入手。1500円。結構お得だった。其の後、二子から丸子橋に移動しようと思ったら、バスは小杉まで延長運転するというので、其のまま乗り通す。
 併し二子も小杉も全く違う街になったものである。ただ東横線の北側はまだまだ古い。色色と散策するも、鳳生二高寄りの丸専というラーメン屋は、例によっての大行列で入れず。止むを得ず反対側のバスターミナルの古い中華料理店に入る。昼時だが御客は吾人只一人。肉野菜炒め(680円)に麦酒を一本。後後のラーメン(500円)で流し込んだ。併し三十年前の味であると思った。それでいて値段は現代風だから御客も来ないな。中華そばから生姜焼き定食まで色色出て来る街場の中華屋さんの事を、「町中華」というらしいが、王将や日高屋や東秀などという中華チェーンが続続出来たから、商売も立ち行かなくなると思った。新丸子まで歩き、大きな魚屋で貝を買う。小雨が酷くなってきたので電車を使って帰った。日没以降大雨。ホンビノズという外来種だったので、怪しんだ家人に滅多矢鱈と加熱される。酒蒸しにしたのだが、身がこちこちに固まり堅くて食べられず。大半は廃棄となる。どうにも食運がない日。


9/18・日
 秋雨に戻る。午後は止む。草取りと買い物、掃除と片づけ、休憩とラインポコポコを繰り返す。他は無為。夜から再びの雨。数日来の暴飲により、日中何度も上厠す。小食に努める。
 何度も言うが、草だけは無限に生えてくる。併も大半の植物というものは草食性の動物に食べさせ、其の肉や乳を利用する以外に、人間には何の役にも立たない。何とか新しい活用方法を、誰か発明してくれないだろうか。兎に角、物凄い資源量である。バイオエタノール? 作れるのかな。


9/17・土
 今日から四連休。併し何の予定も無い。再び区から書類が送られてくる。高額医療費を払い戻す用意があるが、本人は既に死亡しているから、相続人が書類を書いて送り返せと言う。しかも今度は、死亡者と相続人の関係が分かる戸籍謄本または抄本まで提出せよとのこと。もううんざりである。
 結構晴れて、結構暑い。多少の散歩と草刈りと低木刈り以外は無為。また台風が来るのだという。夜は王将の生餃子を買って来て、焼いて食べた。吾人には馴染みの味だが、家人には案外好評であった。皮がもちもちとして旨いという。


9/16・金
 今日も秋雨的曇り。午後出社。暇なので早目に退社したが、特に行くところも無い。大体立ち飲みBは満杯である。久久に中華立ち飲みを覗く。鶴木さんは居たようだが、見知らぬ大量のおじさんたちがいる。知らない人たちに合わせた下らない会話をする気にもなれず、愈愈行き場がないと思った。とうとう行き詰まったと思った。
 仕方がないので、天祐寺の焼き鳥Bに参る。以前、仕事場が嫌だ嫌だと言っていたH君も、はきはきと勤務していて安心す。機嫌よく帰ろうとすると、其のH君から、愈愈退職することにしましたと挨拶される。なるほど機嫌がいいのは、所謂有終の美と言う奴だったか。近くのコンビニで飲み物を買い、適当に差し入れしてから帰った。併し此れでまた知り合いが一人居なくなり、行くべき店も一つ減ると思った。


9/15・木
 兄弟、親子、祖父母と孫など、家族間の殺人多し。日本はアジアにありながら核家族化した珍しい社会であるから、止めに入ってくれる親戚縁者が不足しているのであろう。それでいて、家族など他人の一種と突き放すこともできないから、ついつい家人に余計な期待を抱き、その期待が果たされないと矢鱈と腹を立てているのだと思った。
 朝方は大雨。今日も曇り空。詐欺電話が掛かって来て、家人は割と途中まで聞いて仕舞ったそうである。大体、取り過ぎた介護保険料の二十円を還すと云って、封書に何枚も書類を送って来るのが行政の仕事である。電話一本で一万五千円ほど返しますなどと言う訳がない。申請だ、いや今度は支払いだなどと連日大騒ぎをしているから、ついうっかり信じ掛けたのであろう。それに最近の詐欺電話はフリーダイヤルで掛かって来るから、案外油断は出来ないと思った。
誰も何の期待もしていないが、民進党の代表にはRH氏が選ばれる。二重国籍などと言う下らない問題で色色と絡まれたが、まあこういう経験も政治家としての糧になれば、無駄ではないであろう。攻守ともに強くなければね。それにそもそも中華民国中華人民共和国と日本国の微妙な三角関係である。専門家でもよくわからないのが実際である。
 夕方千寿に出校。多少早目に終わったので、駅前の飲み屋街を探索す。客引きの魔の手を逃れつつ、「加賀屋」という焼き豚屋に。もつ焼き一本110円。キープボトルは一升瓶。店内は御客と豚の脂がびっしり。こういう感じの店は田園都市線沿線には一つも無いから不思議である。更に地元でラーメン。合わせて2500円余り。


9/14・水
 今日も秋雨模様。昨日の計算だと、数年にわたる介護生活と、微妙な地価の上昇により、思ったより御金が残らないらしい。両家人共共がっくり気味である。併し今更相続税対策など出来ないから、後の祭りと言うやつである。其れに更なる要介護者が出れば、一千万単位の御金が僅か数年で消滅して仕舞うだろう。拙宅の家計も思っているほど易しくはないという事実に思い至る。中間層から貧困層に転落というのも、あながち冗談ではないかもしれない。月命日と云う事で葬儀社から花が送られて来る。もう一か月、まだ一か月。死んだ人は税金を払わなくていいから、万事気が楽でいいと思った。
 午後大貧学院に出社。こんな馬鹿な会社で阿呆みたいなことをしているから、御金が足りなくなるのである。無責任社長の顔を見ているだけで腹が立ってくるから、一切顔を合わせ無いようにした。もう職場近くで飲む気もしない。イオン系のミニスーパーで御つまみ類を買い、其のまま帰った。


9/13・火
 豊洲新市場は必要な盛り土工事をしていなかったりと、最早底なしの状況。もう移転は無理だろう。あの建物はゴミのリサイクル工場にでもするしかなさそう。毟り取られた税金を返して欲しいと思った。
 午前中は大雨。午後は信託銀行の人が来る。優子さんも交え、伯母の遺言書の開示。まず、長長と遺言書を朗読す。特に異議も無い。試算によると、何とか諸諸の税金等も伯母の遺した預貯金で支払えそうとのこと。紙に印刷された御金は、文字通り紙切れになる心配があるが、土地と建物さえあれば、また稼ぎ出すことが出来る。一所懸命、気分は鎌倉武士である。ただ伯母の準確定申告は当方がやらなくてはならないとのこと。また恐怖の書類の作成であると思った。
開示作業等等は二時間ほどで終了す。吾人より年上の、そもそもの給料が高い銀行員が三人も来たから、此方の手数料も高い。概ね高級乗用車一台分になる。併し税金で取られることは分かっていたのだから、少しは隠し財産でも作っておくべきだったと後悔す。その場合は結局箪笥銀行かな。現金はやはり危ない。
 それにしても物凄い額の納税である。其の上、折角納めても、大方無駄なコンクリートに使われるだけである。日本社会でリバタリアニズムのような思想が流行しないのが不思議とも言える。まだまだ日本人は真面目に納税していると思った。草臥れたので、夜は冷凍食品。また漸くもんじゅ廃炉にしてくれるとのこと。此れで何百億円かは救われる。


9/12・月
 概ね曇り。昨夜も飲んだ抗ヒスタミンの副作用からか、終日ぼんやりとす。午後出社。退社後は久久に立ち飲みBに入る。併し御酒を飲んでいても、何だか少しも面白くない。鬱状態だと思った。自転車保険の更新。3990円。


9/11・日
 以前、金利ゼロの日本経済は資本主義ではなくなってきていると書いたが、既に市場経済でもないらしい。公的資金を使って株式を買い漁った結果、かなりの数の上場企業の筆頭株主が政府系機関なのだという。立派な統制経済である。而も買うだけ買って後先の事は何も考えていないというから、無計画経済である。
 秋雨前線が伸びて来て朝方は小雨。漸く涼しくなる。御昼は久久に自転車で出掛けた。三キロ先の幹線道路沿いの「とむちゃんラーメン」に入る。ずっと前からある店だが、バスやタクシーで区内を行ったり来たりしている内に、此の店が段段気になっていた。赤い看板にコの字の古いカウンター。まるで田舎道のラーメン屋である。名物だと言う、とんこつではなく、トンコクラーメンを味わう。640円。麺は細目ストレートだが、味は豚骨醤油に近い。家系ラーメン登場前の素朴なこってりラーメンといったところだろう。例えるなら八十年代の味である。色褪せた看板には未だに加盟チェーン店を募集していると出ていたが、本当だろうか。再び自転車で帰る。夜は秋刀魚を焼いて食べた。根室産とあったから、輸送が大変だったろう。根室線は復旧の目途すら立たないらしい。


9/10・土
 結局宿酔気味。午前中に仏壇の納入。家具調の落ち着いた感じ。御供えを乗せる板なども出たり入れたりと可変。最新のシステムキッチンに似て、よく出来ていると思った。但し国産材の国産品にしたから物凄い価格。此れも内需拡大である。
チェーン店で300円の「ざるうどん(小)」を食べ、午後は断続的に草取りに取り組む。日差しは何とか避けて作業したが、イネ科の雑草の花粉は避けられず。くしゃみ止まらず。結局抗ヒスタミン
 セントラルリーグでは広島が四半世紀ぶりに優勝す。中継を見ていたが、選手も観客も感極まった様子で、どう喜んでいいのか分からないといった雰囲気があった。併し本当のファンというものは何十年も待てるのだな。何時いつの日か、再び政権交代が起こるだろうか。


9/9・金
 北の方でまた何某かの実験が行われた模様。皇帝も旧式な通常兵器では敵わないと観念したのであろう。高性能なミサイル部隊と危ない弾頭さえあれば、撃ち滅ぼされないと考えているらしい。其れに多くの余剰軍人も農作業等に振り向けることも出来る。合理的と言えば合理的な判断である。
併し何だかもう手が付けられないな。幾ら経済制裁をしても、図面や部品の類は漏れ伝わって仕舞うあたり、此れもグローバル化の影響なのだろう。いっそ恐れ入りましたと平れ伏すことにして、北の軍人を駐屯させてみたらどうだろう。彼我の余りの生活水準の違いに激怒して、本国に戻ってクーデターでも起こしてくれるかもしれない。ミサイルも生活も五十年は遅れているのだから。
 今日も暑い。夕方本務校に出社。先週と先先週は事実上のサボタージュ。八月の二回は千寿校だったから、本当に久しぶりの金曜出社である。併し然したる感動も無い。早目に退社す。晴雷亭とバーIに行くも誰にも合えず。どちらの店も暇だったので、店主らとは結構話しした。前者の亭主は検査の結果が真っ黒であったと、Iの店主は膀胱に穴が開いて散散な目に遭ったと、どちらも病気の話しであった。十一時前には帰宅。


9/8・木
 降るぞ降るぞといった大雨は結局降らず。雨雲は全部北関東の方に行って仕舞ったよう。但し午後は一雷あった。
 小平霊園門前の石材屋さんに電話して、納骨と四十九日法要の段取りをつける。その際、墓誌に刻む戒名等等を至急知らせてくれと言うことになり、ワードで作った文書をファクシミリで送信す。併し拙宅の電話機兼ファクシミリ機を使用するのは、開闢以来初めてのことである。まず分厚い取り扱い説明本を探し出すことから始めねばならなかった。ピーヒャラヒャラピーと懸命に送信したが、いやしかしファクシミリというものは、メールより全く信頼感がない。直後に先方から無事届きましたという電話があって一安心す。
 午後遅く千寿に出校。本日は『人口と日本経済』という新書を拾い読みす。人口減少は必ずしも日本経済には打撃ではなく、高付加価値の物やサービスを売り出すことが出来れば、まあまあの経済成長が期待出来るというのが著者の立場である。其れもそうだと思った。牛丼やハンバーガーばかり食べてないで、偶にはきちんとした料理屋に行き、美味しい物を食べられれば、今夜は贅沢をしたという佳い気分にもなるし、第一にGDPも増えるであろう。併し既に多くの中間層が零落し、更に多くの国民が一円でも安い生活必需品を買い求めるために右往左往しているような現状である。其れもまた難しいことであると感じた。要は給料、即ち労働分配率が低すぎるのである。
 退社後は先日の七ちゃんに参る。一本100円の焼き鳥と、一杯250円のクエン酸サワー等を複数消費す。1400円。濃い目の焼酎甲類を相当飲んだから、帰宅は十二時近かった。



9/7・水
 台風と前線の影響で漸く朝から曇る。併し湿った空気が入り、曇った分しか気温は低下せず。降ったり止んだりを繰り返す。すると御昼には晴れて結局暑い。午後出社。退社後は920円の付け麵で御仕舞。
 併し夜になっても、「暑い」か「蒸し暑い」かのどちらかの言葉しか出て来ず。「あたりまえのことをいうな」と石原吉郎あたりに怒られそうである。「言葉がむなしいとはどういうことか。言葉がむなしいのではない。言葉の主体がすでにむなしいのである」(「沈黙と失語」)。体を外と中から冷やしたら、だいぶ涼しくなった。夜半から雨。


9/6・火
 昨日以上の真夏の暑さとなる。こうなると作業も出来ず。草も枝葉も伸び放題である。ところで、ふた月前にばっさり切った楓だけはあんまり生えて来ない。葉先も縮れて変色している。どうも暑さにやられたよう。秋には佳い枝垂れ紅葉となるので、枯れて仕舞わないか、はらはらと見ている。剪定など木にとってみれば、大怪我のような物なのであろう。併し名も知らぬ雑木だけはすくすく生えてくる。また台風が来るという。夕方になり、スーパーに焼いた秋刀魚を買いに行ったら、一匹300円もするのでやめにした。確かにまだまだ暑くて暑くて、秋刀魚と言う気分でもない。


9/5・月
 昼過ぎになってもぼんやりとす。吐き気等は無いが、何をしても直ぐに漫然となる。大変頭が悪くなった感じ。生憎、今日もかんかん照り。日中何と三十三度にもなる。窓外を見ているだけでくらくらす。
 午後ふらふらと出社。今頃になって読書感想文を書いてくれと言われたが、こういう時はキーボードも速く打てない。口述筆記と行きたいところだったが、這う這うの体で、「走れメロスの突っ込みどころ」というタイトルで二千四百字ほど書いた。
 併し相変わらず滅茶苦茶な物語である。そもそも此のメロスと言う主人公自身、突如として王の暗殺を思いつくなど出鱈目な性格であるし、王や石工など出て来る人物も悉く幼児性が抜けていない。こんな奇妙な御話がどうして中学校の教科書に出続けているのか、少し考えて見れば不思議である。退社後も不二蕎麦に行って御仕舞。410円しか使わず。昨夜の二十分の一といったところである。夜も暑い。一体いつまで暑いのか。帰宅後は缶ビールを一つ。ほぼ休肝
 深夜になり、頭が割としっかりとして来たので、「走れメロス」に関する論文を検索してみると、幾つか出て来る。教育界でも色色と議論になっているらしい。生徒や先生にああだこうだと討議させ、批判精神を養うのが授業の主眼であるとしたら、文部省も随分と革新的になったものである。


9/4・日
 朝は小雨模様。次第に晴れて暑くなる。先週延期した月波君に会うために夕方目黒に参る。まず蔵前と言う何時もの大衆酒場へ。其の後、新店を開発しようとぶらつく。丁度蒲田の中華屋の支店があったので、入って見た。なかなか安くて良かった。例によって紹興酒を大量に飲酒す。ところで月波君は十年掛かりで、経済学部の通信課程を卒業したとのこと。併し学士を二つも取って、一体どうするのだろう。カルチャースクールの一種だと思った。生涯学習即ち、生涯学部学生である。十時には帰宅するも、徐徐に酔いが回り、次第に前後不覚となる。


9/3・土
 首相Aは、ウラジオストックに露大統領を訪ねる。ファーストネームで呼び掛け、御満悦の様子であった。併し返してくれと言って、返すような相手でもなし。気長に経済協力していくしかないだろうな。ところで、中国に気を付けろという人はうんざりするほど沢山いるが、ロシアに注意しろとは誰も言わない。幕末以来のロシア脅威論はまるっきり鳴りを潜めているから不思議である。
 四時起床。五時から周辺のゴミ拾い。六時過ぎに牛丼Sへ。並盛と味噌汁と生野菜。昼はとんこつ醤油ラーメンと、食欲全開である。その合間合間に草蔦を引っこ抜く。日中三十度程度。真夏より幾らか涼しい筈だが、此の時期の暑さは却って身に堪える。日中夜間と冷房を多用す。
 誰も何の注目もしていないが、民進党の代表選挙が始まる。まあRH氏の国民的人気というものに期待する以外に手が無いのが現状である。怒ってばかりという印象が強い同氏だが、最近は器の大きさもアピールし始めているよう。野党のリーダーならば、概ね与党に噛みついていれば良いが、現実に権力を担うには度量の大きさのような物も必要であると気付いたのだろう。あと少し愛嬌があれば・・・と言って仕舞うと性差別だろうな。いやいや、人間一つぐらい弱い所があった方が愛されるものである。


9/2・金
 朝から晴れて暑そうだが、偶には出掛けることにした。実に六月以来、二十三区を一歩も出ていなかった。というか足を踏み入れたのも目黒、品川、足立区程度で、職場関係以外全くなし。こういう時は、特急列車に乗りたい。手っ取り早いのは小田急ロマンスカーだが、箱根というものは明るすぎて宜しくない。となると、矢張り西武のレッドアロー号と言うことになる。池袋を十時半の列車で出た。
 平日の午前中に秩父に行く人などほぼほぼ居ない。列車は空気輸送である。窓位置が悪いので、一つずれて座ることにした。缶麦酒の栓を開け、悦に入っていると、所沢で一人乗車。選りによって此の座席だという。思わず「ここ!?」と素っ頓狂な声を出して仕舞った。通路を挟んだ反対側など誰も居ないのにもかかわらずである。数少ない乗客をわざわざ固めて座らすことも無いであろう。どうにも西武の発券システムも賢くないと思った。こういう点でも私鉄は既にJRに追い越されていると感じる。
 秩父に着くと案外人が降りている。と言っても一車両七人として五十人程度。ロマンスカーとは一ケタ違う。此れでは西武も大赤字である。併し此の線が本当に軽井沢まで伸びていたら、どうなっていただろうか。当の西武鉄道はへんてこな投資集団に絡まれて困っていると聞いているが。
秩父仲見世街も工事中と云う事で、見るべき店も無い。其のまま秩父鉄道御花畑駅に行く。すると半分くらいが外国人観光客となる。成程、平日の昼にローカル線に乗るのは、高齢者か観光客、中でも免許の無い渡航客の割合が必然的に高まる。何れ日本中の過疎鉄道やローカルバスを、外国人観光客が乗って支えるような時代が来るかもしれない。
 三十分ほど待ち、やって来た東急の中古電車に乗る。長瀞駅下車。併し暑くて暑くて観光どころでなし。其れに川の水も濁っていて風情も台無しである。そうなると観光地食堂のような所に避難するより手が無い。大して旨くないかつ丼を食べて御仕舞。早速帰ることにした。来た道を戻るのでは面白くないので、其のまま秩父線に乗り、今度は寄居に向かう。併し秩父鉄道には毎駅毎駅、きちんと駅員がいるから感心す。大昔の鉄道を髣髴する。
 寄居の駅前の余りの寂れように驚く。最早撤退あるのみである。併し東上線には速い列車など何もない。只管急行に乗り、途中からメトロに乗り換え。結局三時間近くかけて世田谷まで辿り着く。何だか牛飲した結果、胃がざらざらである。帰宅後は絶食、断酒す。それでもまあ久久に列車に乗れて楽しかった。巷間では鉄分補給と言うらしいが。


9/1・木
 再び「年金ダイヤル」に電話す。六七月分の年金を返納する旨を伝えたところ、年金の返納を申請する書類というものは存在しないとのこと。放っておけば、何れの日にか、返せという通知が来る筈だから、其の時に対応して欲しいと言われる。成程そういうものか。ならば、「申立書」も頑張って書こうかな。
 今日もかんかん照り。防災の日である。官邸は「南海トラフ」の大地震を想定して訓練していた。以前は東海地震だった筈である。其の「東海地震(が来るぞ)説」も、静岡県地震学者にとっては予算獲得のための「打ち出の小槌」であったと、東京新聞が「予知信仰の崩壊」という記事で伝えている。何しろ熊本で大地震が、北海道で大洪水が起こるのだから、小槌には事欠かない。例の国土強靭化と言うやつである。巨大な利権だな。昔陸軍今防災である。まあ軍備に費やすよりまだマシだろうけど。
 なお根室線は鉄橋が崩落。「おおぞら」も「とかち」も長期運休とのこと。ひとつ前の台風で「オホーツク」も止まっている。此れでまたローカル線の廃止に拍車が掛かると思った。此方にも国庫の御金をもっと入れるべきである。
 午後千寿に出校。今日は『世界(九月号)』を通読す。経済記事が多くて読みごたえがあった。経世済民は国の基本である。やはり憲法よりかは・・・。憲法学者には申し訳ないが・・・。かくいう吾人も最初に入ったゼミナールは憲法であったのだが・・・。ところでE先生はお元気だろうか。ライバルの京王のK先生は、怒りに震えるほどお元気であるが。
途中散髪す。退社後は牛丼Yへ。新発売の生姜焼き定食を注文す。490円と安いから、おかずの量が極端に少ない。麦酒のあてに肉を幾切れか摘まんだら、すっかり御飯が余って仕舞い困った。いっそ汁かけ御飯にしようかと思ったが、吉野家の味噌汁はインスタントぽくて旨くないからやめにした。湿度が高く、相当蒸し暑い。

2016年8月

8/31・水
 台風一過のかんかん照り。逆コース迷惑台風は昨夕東北に上陸し日本海に抜ける。そんな元台風に向かって南風が吹き荒れ、日中三十三度。また岩手沿岸と道央は相当な洪水被害の模様。
 午後出社。金伍萬円受け取る。今年は月給五万ペースである。万事腹も立たず。いっそ早く潰れて欲しいと思った。退社後も誰にも顔を合わせず、其のまま帰宅。流石に夜は涼しい。既に秋である。こうして長い八月が終わった。


8/30・火
 迷惑台風の御蔭で、未明から本降りとなる。外猫が心配だが、家に入れと言っても入らないからどうにも仕様がない。シロだけはすんなりと入って来るが、五分もするとまた出たくなる。当初の予報よりかなり東に逸れ、大周りで接近したので、関東に風は吹かず。午前中には大体降り止んだ。
 新都知事は、築地市場豊洲移転を考え直すよう。併し此処まで工事が進んで仕舞ったものを今更見直すことなど容易な事ではない(群馬の何とかダムの例を見れば明らかである)。移転の経緯というものも、見聞きすればするほど出鱈目であると思うが、嘗ての出鱈目を止めるのに更なる出鱈目を持って来るというのも、何とも馬鹿馬鹿しい話しであると思った。併し都と言うのもなまじ予算が大きいから利権も特大級である。而も不透明なのは国以上である。結局此れは三代前のI知事が行政手続きの透明化に悉く後ろ向きだったことに起因するのだろう。他の自治体より十五年は遅れて仕舞っている。
夕方には風向きが代わり涼しくなる。湿度も下がり、床もつるつるす。草蔦刈り以外は無為。


8/29・月
 不定愁訴も収まり熟睡す。朝から出張所に参り、件の書類提出。三度目にして漸く受理された。随分と待っている内に、しかしこうして行政に何かを申請して御金を貰うことなど、定額給付金を除けば、恐らく生涯二度目であると思い起こした。一度目は、糸魚川の「フォッサマグナミュージアム」に行った時、駅からのタクシー代を片道分だけ支給しますと言われ、何某かの書類を書いた覚えがある。確か復路無料券を受け取った筈である。駅から遠く、路線バスもない博物館に幾らかの宣伝予算が付いていたのであろう。あの時も一人だったから、ガラガラのタクシーに乗って、何だか申し訳ないような気がした。
行政に何か働き掛けをして、何かを受け取るという気が起こらないのは、日本人が持つ一種の勤勉意識の現れであると言えよう。其れにそもそも週に四度のゴミの収集以外に行政サービスをひしひしと受けているという感覚がないから、税金は一方的に毟り取られるという被害妄想に陥り易いし、担税によって社会を支えているという意識に乏しい。従って公務員や福祉生活者ヘのバッシングと言うのも起こりやすいのだと思った。ではどうしてそうなるのかと言うと、税金の使われ方が、元来圧倒的にコンクリートが多く、人への給付が少なかったからであろう推測す。
 晴れたり曇ったり雨が降ったりと盛り沢山。結局蒸し暑い。午後厭厭出社。すると夏も終わりだというのに、今更宣伝用の「かもめーる」を出すという。授業の大半を自習にして、宛名書きに勤しんだ。正直言うと、こういうやっつけ仕事の類は好きである。久久に仕事をした気になった。退社後は立ち飲みBに。愈愈大雨が降って来たので早目に帰宅。其れでも太腿は相当に濡れて仕舞った。
 

8/28・日
 涼しくて寝やすい筈だか、却って胸苦しさを覚え、未明に起きる。脈に異状はない。自律神経が可笑しいよう。呼吸が自動運転ではなく、吸って吐いてと手動指令で行っているような感じ。年に一二度こういう晩がある。鼻も詰まっていたので、抗ヒスタミンを飲んで寝直す。どうもアルコールがないと寝られないような体になっている。
 朝起きて見ても、結滞感は取れず。月波君と会う予定があったが延期させて貰った。少し気を晴らそうと、午後は散歩に出た。近所の大公園には相変わらず凄い数の人が出ていた。半分ぐらいの人は例のゲームに熱中している。そんな中、地元の原水協が原爆展をやっていたが、足を止める人は疎ら。以前の吾人なら憤慨したかもしれない。でもポケモンなら自助努力で幾らでも掴まるが、核の廃絶となるとそうはいかない。スマホに興じる人の言い分も分かることは分かる。修身斉家治国平天下という訳には行かないのが現実政治の世界、就中に国と国との国際政治である。其れでもそうするより手が無いだろうな。せめて桜の木となって立っておけば佳かったと少し後悔した。
 また御向かいの貸家も取り壊しが決まる。三階建ての賃貸アパートに建て替えるそうである。税金対策だという。此の家など、拙宅より後に建って、先に壊されて仕舞う。全く勿体ない話しである。日本の建築物など、一昔前の家電程度の寿命である。建設会社は儲かるだろうが、其の内、建築家などいうのも馬鹿馬鹿しくてなって居なくなって仕舞うだろうと思った。


8/27・土
 東横線相鉄線の乗り入れ計画も工事が難航して、完成はかなり遅れるとの報道があった。費用も当初の見積もりを一千億以上も上回り、四千億に達するとのこと。既存線と既存線の間、精精十キロ程度を繋ぐだけでも、此れだけの御金と時間が掛かるのだから、あれが五兆円ちょっとで出来るなどとはどういう見積もりなのだろう。一旦着工して仕舞えば、名誉の撤退などあり得ないと高をくくっているのだろうが。
 寒気が入り涼しくはなったが、結局雨模様。家人が渋谷の百貨店で買って来た品物を携え、挨拶回りに出向く。まず六年半近くお世話になった施設に。続いて電車を一駅だけ乗って施設医の診療所に参る。前者にはゴォ何とかと言うチョコレート菓子を二十人前、後者には現金を幾らか包んだよう。やはり医師は特権階級である。まあ開業医というものは個人事業主だし、まして施設医などを受けると、旅行はおろか御酒も満足に飲めないだろう。伯母も大変気に入った御医者さんだったから、此れも供養の一つである。
 大役を果たし家人も満足そうであった。伯母、つまり義姉を看取ったという自負があるのだろう。其れに祖母、つまり義母の面倒を見たのは万代伯母だったし、我が強かった祖母との間に立つことで一種の緩衝帯になったのも伯母であったから、家人としては恩義のような物も感じていたようである。
さてさてすっかり蕩尽したので、偶偶見つけた一皿100円の自動化寿司で遅めの昼食。更に世田谷通りまで歩いてバスに乗って帰った。夜にかけて更に温度が下がる。久久の冷房無し日。


8/26・金
 二週前の惨劇を繰り返すまいと、朝から設備屋さんを呼び立て、排水管の洗浄を行う。今回はガソリンエンジンで動く高圧ポンプを使用す。洗浄の後、内視鏡のような物で中を覗く。取り立てて異状は無さそう。何らかの偶発的な要因が重なって詰まったとの見立てである。過去云十年も無かったことだから、次に起こるのは云十年後であろう。何とか此れで枕を高くして寝られそうである。請求書は16200円。
 日中三十五度近く。今年も結局暑い。疲労困憊したので、今日の出社はキャンセルした。昏昏と午睡す。また台風が接近しているという。而も関東近海で生まれたものが、あべこべ南方に行って、成長して帰って来るのだと言う。そんな出鱈目があるのだろうか。政治が滅茶苦茶だから、ロクな台風が育たないと思った。年金運用の損失は十兆に達す。通算でもマイナスとのこと。全く以て恐れていた通りの結果になっているから、何だか可笑しいと思った。


8/25・木
 「日本年金機構」から書類が送られてくる。伯母の未払い年金は、弟である老家人に受け取る権利があるのは間違いないらしい。ただ問題は伯母と老家人が別住所の別棟に暮らしていた点にある。その場合、住民票その他に始まり、殊に「生計同一関係に関する申立書」を提出せねばならないとのこと。大体、伯母と家計が同一であったかと言われれば、そうでないと答えるであろう。では、まるっきり別であったかと問われれば、そうでもないと答えるしかない。大体九十を過ぎたら自活は無理である。そんなグレーゾーンはどうにもならないのだろうな。眺めただけでくらくらするような書類である。
いやしかし、こんなに複雑な書類、とてもじゃないが書けそうにない。何処かの行政書士に頼むか。それとも権利を放棄すべきか。社会保障制度の維持のためにも。そうなると六七月の年金を返金せねばならなくなる。返金の方が記入書類は簡単だろう。
晴れ時時曇り。今日も非常に蒸し暑い。午前も午後も漫然とす。日が傾きかけた頃、千寿に向けて出立。道中「デイ・キャッチ」を聴く。丁度半年前の軽井沢バス事故を振り返っていた。外国人観光客の急増など需要は増大しているというのに、運転手の待遇改善には結びつかない現状に、出演者共共首を傾げていた。いやいや、此れが下方平準化の恐ろしさというものである。安いツアーから売れて行く、安いバスしか注文がない。大方安い物しか出ないから、万事こういうことになる。牛丼屋やハンバーガー店や立ち飲み屋が幾ら繁盛しても、賃金など幾らも上がらないのと同じである。消費に於ける中間層は、既にほぼほぼ消滅しているのだろう。
昼に大量摂取した蕎麦が胃にもたれる。退社後は寿司の大江戸に参り、軽く摘まんで帰った。数皿で810円。帰宅後、安白ワインを一口。ほぼ休肝。それにしても八月はまだ一週間もある。とっくに九月になっているような疲れ方である。其れだけ今月は密度が濃いと云う事か。


8/24・水
 朝から区の出張所に参り、「介護保険証」と「後期高齢者医療保険証」の返却。序に「後期高齢者医療葬祭費申請書」も提出す。死亡したら葬祭費として七万円が受け取れる仕組みである。有難い制度であると思った。そもそも社会保障制度は、飲み放題レストランではないので、元を取ろうなどとしてはいけない。其れに全員が元を取ろうとしたら、制度自体があっという間に崩壊して仕舞うだろう。それでもまあ、伯母は三割負担だったし、此れから多額納税する筈だから、少しは給付を願おうと思った次第である。
 申請書には葬祭費の領収書のコピーの添付が必要とのこと。銀行の振り替え証を張り付けて行ったが、此れでは効力不足であると言われ、書類は直ちに却下される。うーん、役所付き合いにも経験と忍耐が必要である。正式な領収書を今度は葬儀社に請求した。
 出張所に二往復もしたから、何だか疲れて仕舞い、昏昏と午睡す。今日も依然として蒸し暑い。午後は一雷あった。三時過ぎに出社。ぼんやりしていると、早速自由研究に関しての質問を受ける。何でもいいから数学的な課題を出してくれとの依頼に、世の中には、十日に一割と言う法外な利息を取る悪質金融業者があるというから、元本と利息の増え方をグラフに示して見なさいと教唆していた子である。描いてきたグラフを拝見すると、何だか寝ているようで、まるで勢いがない。どうも単利と複利を取り違えている。大体、複利のグラフは指数関数というものであるから、一次関数止まりの中学二年生には分からないのであろう。高校数学Ⅱの教科書を見せて、実に複利とはこんなに怖ろしいものであると講義した。
退社後は、久久にバーIに。店主の詰まらない話しに付き合う。麦酒二、チューハイ五(内二杯は店主Iへの納品)、自慢の麻婆豆腐に叉焼を付けて約五千円。まあ偶には大人と話さなくてはね。更に碑文谷でラーメン。久久に職場近くで飲んで帰ったと思った。


8/23・火
 朝方銀行に参り、葬祭費用を振り込む。其の後、葬儀屋さんから紹介された仏具屋さんが来たる。位牌を作る序に、仏壇も新造することになった。諸諸入れて八十万程度。古い家の方は何れ壊すことになるので、やむを得ない出費である。それに仏壇というものは概ね一生に一回以下、大体二生に一度の買い物であろう。目下最大の問題は、折角新造したとして、此れを吾人から引き継がせる者がいない点にある。
 参考のために、古い家の仏壇も見て貰った。すると浄土真宗の造りとのこと。併し戒名は曹洞宗式である。というのも、元元は前者だったのだが、祖父の忠太郎が渡米中、大森禅戒という高僧に厚意にして頂き、以後曹洞宗に改宗したということになっている。併し既に数十年以上も前のことで、禅戒和尚の御寺との付き合いもなくなっている。まあどんな家庭でも、遡ると色色な事があるものである。公共放送にそんな番組があったな。私が有名人になったら是非調べて貰いたいものである。
 御昼に一雨ある。変な台風だったから、過ぎ去った後も一向にすっきりとしない。それに大変に蒸し暑い。午後は草取りと側溝の掃除。直ぐに草臥れて昏昏と午睡す。夕飯時に、老家人に色色と尋ねてみたが、例によって要領を得ず。記憶も不確かだし、老家人は元元余り歴史というものに関心がなかった。「介護民俗学」による聞き取り調査は毎回成果なしである。


8/22・月
 台風九号接近の為、未明から大雨。特に午前中は激しく降る。台風は房総に上陸。御昼頃には雨は静かになったが、以後少し風も吹いた。夕方にはどちらも収まる。それにしても西日本は連日の猛暑に見舞われる一方、東日本や北海道は水浸し。今年は天候不順である。台風情報に見入っている内に、オリンピックも何時の間にか閉幕。漸く此れで静かになってくれると思った。信託銀行と何遍も電話して、遺言書の開示日を決定す。
 午後バス出社。生徒も大して来なくて助かった。何せ今日は一人勤務である。立ち飲みBに少しだけ寄り、環七から歩いて帰る。


8/21・日
 朝から晴れて相当暑い。午後一番で介護施設に参り、伯母の部屋を片付ける。また先日は非番だった職員にも、今までお世話になりましたと挨拶す。併し六年も居たから衣類だけでもかなりの量である。全部捨ててくれと言うのも無粋であろう。下着類は残して、大半をタクシーで持ち帰った。タオルケット等は猫小屋の敷物として再利用しようと思う。
 帰った足で自転車屋へ。前輪のパンク修理。ついつい序に、穴の開いた前籠、壊れかけのシフトレバー、擦り減ったブレーキパッドの交換修理を依頼す。すると何と七千円近くに。危うく有り金が足りなくなるところであった。古い車にはつくづく御金が掛かる。併し平素から御金を掛けておかなければ、いざ鎌倉という時に故障して、バスやタクシーにもっと御金が掛かることになる。何だか色色と草臥れた。夜は鳥と牛を重ねて焼いて食べた。十時就寝。


8/20・土
 葬儀屋さんから請求書が来る。例によって、何も考えないまま、至れり尽くせりのフルサービス契約をしたものだから物凄い金額である。一方の香典収入は二十数万円。大半は身内からの入金である。営業係数的に言うと、800ぐらいとなる(戒名代を除く)。
 年に百万人を軽く超える人人が亡くなる時代である。年寄りが貯め込んだ御金がこうして市中に供給されれば、少しはデフレ脱却に近づくだろうか。葬祭業というも、花屋さんから御寿司屋さん、ハイヤー会社まで裾野が広い産業である。いやしかしあんまり預金口座から流出すると、銀行が国債を買い続けるお金が無くなるかもしれない。
 朝から大雨。梅雨の末期のような感じ。何でも国産の小型台風が次から次へと来るそうである。午後も時折さあっと降った。合間に草蔦取り。植木屋さんが一掃してから、一か月半で概ね原状回復す。而も同時に生えて来るから丸で手の施しようがない。その他は漫然とす。多摩川花火も無事開催されたよう。


8/19・金
 何だか疲れが出て、午前中は漫然とす。其れでも信託銀行に敢然と電話を掛け、伯母の死亡と相続手続きの開始を高らかに宣言した。伯母の施設入居と同時に作られた遺言書に基づいて。
併し生憎、相続であるとか登記であると言った分野は丸で吾人の守備範囲外である。六年前に色色と文書を作成するにあたり、信託銀行というものは、(矢鱈複雑な金融商品を売り付けるだけでなく)そんな仕事も請け負うのかと驚いたほどであった。だから相続と言っても、言われた通りの書類に、言われるままに判子を突き続けることになるであろう。此れからどれだけの税金と手数料を支払うことになるのか、少し考えただけで頭がくらくらす。
 午後千寿に出校。八時退社。予てから気になっていた大橋駅近くの七ちゃんと言う立ち飲み屋に入場。予想通りと言うとか予想以上と言うか、所謂酒飲みパラダイスのような店であった。更に胃に詰め込もうと思ったが、隣のラーメン次郎は売れ切れていたので、町屋で同じようなラーメンを食べて帰える。其れでも丁度二千円くらい。


8/18・木
 朝方は大雨。まず「年金ダイヤル」に電話す。来月以降の年金はストップされたが、問題は既に振り込まれた六七月分の扱いである。今月15日の支給日には伯母は生存していなかったので、「未支給年金請求の届出」が無ければ、返還の必要が出て来るとのこと。成程、言われてみれば確かにそういうことになるのね。支給前の八月分は放棄しようと思ったが、あべこべ支給されたものを返せとなると、話は別である。こうして書類との格闘が始まったのである。
 更に不動産屋に参り、振込先の変更手続き。其の足で千寿に向かい、此方の夏期講習をこなした。巧い具合にお盆休みに収まってくれたので、休講や振り替え等も無しである。関東全域不安定な御天気。何度も雨雲が行き交った。吉野家で牛丼を軽く食べて御仕舞とした。


8/17・水
 朝からかんかんに晴れた。十一時に斎場に参る。本日の参列者は吾人と両家人の三名のみ。対して係員は倍は居た。読経の後、棺桶に花を入れる。何せ人手が足りないから、両手を何回も往復させた。その後、火葬場へ向かう。先導車に両家人が乗る。吾人は一人切りで後続のタクシーに。此れが立派な黒ワゴン車で、何だか勿体ない。こんなことなら月波君でも呼べばよかったと思った。五反田近くの桐谷まで向かう。お盆明けの友引明けと云う事で大混雑。入場まで暫らく待たされた。
 最後のお別れをして二階の控室に参る。物故者は圧倒的に高齢者が多いが、中には若い人も。母親を亡くしたのであろう、中学生くらいの女の子が泣き崩れていた。其の姿を見て、吾人と家人も思わず貰い泣きす。
肝心の伯母の方はと言うと、あっという間に焼き上がった。体重が三十キロも無かったからであろう。かといって安い訳でもない。高貴な方もそうでない人も、火葬料というものは平等である。骨壺を抱いて三時過ぎに拙宅に戻る。葬儀社の人が祭壇を作ってくれて万事終了。日曜の朝から、足掛け四日。概ね世田谷区内を往ったり来たりしただけだが、まるで大きな旅行に行って来たかのような草臥れ方である。金額的に言うと豪華な海外旅行といったところか。
 朝から絶食状態である。何だか味の濃い物が欲しくなり、急いでハンバーガーを買って来て、三人で食べた。こうやってしつこい物が口に入るのも、生きている間だけである。つくづく命のあることに感謝せねばならないのだろう。此れで非常対策本部は解散。明日からは相続対策本部である。此方は一日一仕事を目安に進めようと思う。


8/16・火
 再び銀行に参ると、見たことの無いような人人が溢れている。ついに取り付け騒ぎが起きたかと思ったが、其れはバス待ちの御客であった。どうも電車が止まっているよう。それにしても十両編成、二分間隔の列車でも乗り切れないぐらいの御客を、バスやタクシーで捌ける訳もない。私なら欠勤するな。どうしても出掛けるという場合には、自転車で行くか、思い切って反対方向のバスに乗る。そして何処かで他社線に乗り換える。
 午後は愈愈斎場に向かう。まず納棺の儀。足袋だの杖など、紙に書かれた六文銭などを棺桶の中に入れた。暫し休憩となり、親族控室に参る。何だか立派な部屋で恐縮す。というのも、家族葬用の小会場は既に予約済みと云う事で万事こういうことになっている。当然式場も広大な会場である。一応間仕切りをしてくれた筈なのだが、それでも広いと思った。それに何しろ親族側の参列者は、吾人と両家人、姪の優子さんの四人のみ。そして来客は施設長ただ一人である。
つまり会場係員の方が多い感じである。ということは、只管広い会食場もたった四人のみ。片隅に陣取った。寿司を六人前取ってあったが、それでも余った。どうにも静かすぎるので日本酒を大量摂取す。小型の台風接近のため、帰りは大雨。タクシーを呼んで貰い、優子さんを最寄り駅に送り届け、其のまま帰宅。九時就寝。


8/15・月
 谷間の一日。まず銀行に参り、お布施代を引き出す。ATMの限度枠があり当然一回では足らず。明日また一往復の予定。相続の手続きに移ると普通預金も封鎖となるらしい。下ろせるだけは下ろさなくては。それにしても此れから膨大な書類手続きが必要であると思うと気も滅入る。
 其の後は一階の和室を片付ける。万代伯母が帰って来た時、隣の空き家に置いて措く訳にも行かない。併し和室には老家人の我楽多が大量に堆積している。床の間を発掘するまで、大凡二時間掛かった。一応こうなることは十二分予想出来たのだが、結局何だか泥縄式の対応になる。凶事への対応はどうしても先延ばしの後手後手になるのは、そもそもの人情というものであるから、致し方なし。
 午後は家人と伯母のところへ参る。佳い処置をして貰ったそうなので、穏やかな佳い顔をして寝ていた。また戒名も決まったそうで、清寿院優穏英知大姉となる。英語好きだったことが反映されていた。
 そもそも伯母はアメリカ生まれであった。伯母の父、詰まり吾人の祖父忠太郎は貿易商のようなことをやっていたらしい。後から嫁に行った祖母のウタとアメリカに住み込んでいる内に生まれたのが、万代伯母と、義雄伯父さんである。確かロサンゼルス辺りの西海岸生まれだと聞いている。英文の出生届のような物を見せて貰ったことがある。そして伯母が五六歳の頃に、一家で帰国し、現在の地に居を構える。大体関東大震災後の事である。以来ずっと此の地に住み、最後の数年は施設で生活し、現在に至る。当然海外渡航経験も無いから、英会話の腕を試す事も無かっただろう。其れでも英語が好きだったのだから、幼少期の経験は良かったものなのだろう推測す。あちら側でも英語の勉強ができるようにと、参考書を二冊供えた。二時間ほど滞在して帰途に就く。寸前のところでバスに先立たれ、結局駅まで歩いた。日中ずっと曇りだったが少しでも動くと暑い。何だか寝つきは良いが、直ぐに目が覚めて仕舞う。抗ヒスタミンを睡眠導入薬代わりに使用す。


8/14・日
 朝方、午前六時半、施設から連絡がある。万代伯母がついに息を引き取ったという。大急ぎでタクシーを呼び立て、両家人と参る。早速、長い間本当にお疲れ様だったと、まだ温かい伯母のおでこを三人で代わる代わる撫でた。昨日は落ち着いた呼吸をしていたというから、安らかな最期であったのだろう。享年九十六歳と十か月弱。充実していた人生だったか、一度聞いて見たかったが、そんなことを問われても本人でも答えられないだろうな。死亡診断書も発行して貰う。脳梗塞と其れに付随した心不全と云う事になるらしい。
 しかし感傷に浸っている暇はない。施設には霊安設備がないので、直ちに葬儀社に連絡す。寝台車が到着するまで凡そ一時間半。其の後、職員総出で御見送りを頂いた。斎場到着後は、直ちに葬儀費用の見積もりを立てる。何の贅沢も知らない人生だったから、戒名だけは立派な物を付けると、予め家人らと決めていた。其の御布施代とは別に、まず手付けの基本葬儀料金百万円。此れは施設から紹介なので一割ほど引いて貰った。但し九十万円分は本当の本当に超基本的な祭祀料のみなので、次から次へと追加費用が必要となる。棺桶代に始まり、骨壺代、遺体の高度処理と化粧代、遺影作成費、種種の送迎費、花代等等、締めて二百万円でお釣りが来る程度の金額となる。併し葬儀というものも膨大な蕩尽であると思った。其の上、身内らしい身内も居ない。来客も無いから香典収入はほぼゼロである。また火葬場の都合で通夜は明後日と決まる。
 高齢の喪主に代わり、吾人が施主を拝命し、次から次へと書類にサインす。平素は五百円のラーメン屋に行くか、それとも二千円の立ち飲み屋にするかという金銭感覚だが、今日ばかりは其の百倍程度の大口契約をどんどんとこなしているような錯覚を覚えた。
 有難いことに本日の関東も大して暑くないが、早朝から出動の老家人なぞは既にふらふらである。一旦帰宅し、大急ぎで買って来たスーパーの弁当を食べさせる。家人と吾人は一休みしたのち、再び斎場に参る。伯母を一人にするのも可哀想なので、打ち合わせ兼兼、夕方近くまで滞在す。
 それにしても伯母も入院から二か月余り。最後は少し苦しい思いをさせたが、最後の最期は、割と楽であったと信じたいな。九十六年もの時の変化に抗い続けたのだから、立派な精神と身体である。だから供花にも明るい色を少し混ぜて貰った。其の後バスで帰宅。漸く長い一日が終わる所である。缶麦酒を二つ空け、十時就寝。


8/13・土
 早起きして朝市に行ったところ、既に野菜類は売り切れ。パンと浅利飯のみ購入す。随分繁盛していると思った。併しこういうところの売り上げや所得の把握などは困難であろう。消費税を上げ過ぎると、青空市や蚤の市あるいは個人間取引等等、つまり一種のブラックマーケットで買い物して仕舞うから、税務当局は困ると思った。晴れてはいるが、今日も過ごしやすい。夕方には東風も入り、冷房も切ることが出来た。取り立てて無為。


8/12・金
 悪夢のような出来事から一夜が明け、結局宿酔に。午前中は区間運休。午後気を取り直して伯母のところへ参る。無呼吸状態はどういう訳だか改善される。点滴も右腕に戻っていた。血圧、酸素濃度もまあまあとのこと。人の寿命は予測不能である。想像以上の長期戦になるかもしれない。また今上天皇もこういう事態に陥ることを、一番恐れられているのだと思った。
 日中は三十度そこそこ。往復バス利用。お盆期間の為か世田谷通りも空いていた。また伯母の口座から吾人の口座に幾らか送金す。形式的には生前贈与と云う事になるだろうが、実際は昨日の作業代及び交通通信費である。夕方に掛けて、再び蓋を開け、何回かバケツで水を流す。下流で見張っていた家人によると、まあまあ綺麗に流れて行ったとのこと。ストレステストも何とか合格。此れで漸く安心して寝られると思った。でも近近に本格的に洗浄する必要があるだろうな。夜は麦酒二缶のみ。


8/11・木
 再び中国船が南の無人島辺りをうろついているよう。映像を見ると、中国の公船もすっかり近代的になっていて、日本の巡視船と大した違いがない。こうした新造船を続続就役させられるのだから、大したものである。併し筆があれば書きたくなるし、剣があれば振りたくなる。妖刀村正のようにならないことを祈るのみである。
丁度其の時、貨物船と衝突して中国漁船が沈没す。併しあれだけ沢山いた中国公船には救助の能力がなく、日本の巡視船が掬い上げたとのこと。ハード面は兎も角、海難救助というソフトの面ではまだまだ日本の方が相当上であると頼もしく思った。ただ吾人は海には近寄らないことにしているから溺れる心配もないが。
 伯母の調子もまあまあだというので、少し暑いが、何もない一日の筈だった。併し夕刻になって、家作の排水が溢れているとの通報を受ける。見に行って驚いた。阿鼻叫喚、空前絶後、絶体絶命の一面の茶色の海である。直ちに詰まった所の排水枡を開け、板切れでかき混ぜたがどうにもならず。直ちに観念し、専門業者さんを呼び立てる。一時間ほどで来て頂いて、高圧洗浄を掛けた。放水の結果、何とか流れて行ってくれた。一時間ほどの作業で、三万五千円。いやいや此れは適正価格である。以後バケツの水に塩素を垂らして何遍も三和土に流した。
 併し、生活排水というものは、炊事や洗濯等等、色色な物が混じっている筈なのだが、結局茶色であることに尚一層驚く。此れを処理するのは大変な労力であると思う。大体、飲み水が、旨いだの、あるいはそうでないなどと文句を垂れる人は多いが、自分が流していった水を気に掛ける人は皆無である。矢張り、海の日、山の日に加え、水の日、中でも下水の日を作り、広く国民に感謝させるべきであると思った。尚、目に焼き付いた画像と、鼻についた臭いを記憶の彼方に洗い流すには、大量飲酒に頼る以外に手は無かった。


8/10・水
 中日ドラゴンズは最下位に転落。やはり専門家の言う事は傾聴すべきであると思った(くれぐれも反知性主義は宜しくない)。そんな結果を受けて、監督は休養という名の解任に。併し概ね事前の予測の通りになっているのだから、監督だけの責任を問うのは酷というものである。ところでマネージャーのO氏に関しては悪い噂しか聞こえてこない。やはり制服を着せないと駄目なのかなぁ。ひょっとしたら、わざわざ見殺しにして、自らの指揮官としての有能ぶりをアピールしているのだろうか。だとしたら性格が相当悪いな。まあもう何年も野球は見ていないから、其処ら辺の事情にすっかり疎くなって仕舞ったが。
 昨日ほどではないが、今日も暑い。午後出社。明日から七連休だが何も予定は無し。月波君が来たので、久久に晴雷亭に行き、更に紅屋の二階の白屋と言う店にも行った。時節柄、早目に帰宅。緊急事態に只管備えるのみである。


8/9・火
 昨日職場で呆れていた頃、今上天皇のビデオメッセージが公開される。其れによると、高齢に伴いお務めが果たせなくなることを相当心配されているよう。殊に万が一のことが起きたら、自粛自粛で内需が縮小することを強く懸念されていると思った。概して言えば、高齢者はなるべく迷惑を掛けないように、早目早目に準備をしろと云うことである。其れは高齢化が進む此の国にあって、正しく象徴的な問題である。また繰り返し「象徴」と述べられた辺りは、やはり改憲派への牽制のような物も見て取れた。
 朝から異様な暑さとなる。午後家人と伯母のところへ。顔色は良かったが、呼吸の乱れは続いている。時時無呼吸になる。例によって、とんとんと摩って見る。たんの吸引もしばしば行わているよう。其の後、施設医の回診。血管が細くなり、点滴の針がなかなか刺さらない。とうとう腕では見付からず、太腿に刺す事になった。見ていて痛痛しいが、射ち方やめと言う訳にも行かず。お盆には誰か御迎えに来るのかな。だとしたら、ゴールまであと少しである。
 二時間近く滞在して帰途に就く。帰りはバスにした。北西の風だがフェーン現象により強烈な熱風である。日中三十七度を超えた。僅かな待ち時間であっても、全身がくらくらす。暑さに溺れるよう。地元のスーパーで弁当を買って御仕舞。


8/8・月
 午前中は両家人が様子を見に行く。取り立てての変化はないとのこと。少し曇ってくれたが、今日も暑い。早目の午後、久久に本務校に出校。通常授業に先駆けて臨時の授業等等を行う。
合間合間は何だか暇である。片づけ序に、つい放置されていた書類に目を落とす。すると其れは税務署からの督促状であった。支払わなければ、今度という今度は差し押さえに行くとの脅し文句が踊る。大方、何時も事だろうと思ったが、額を見て流石の吾人も驚いた。滞納総額は三ケタでは収まらず。田舎の家が買えるぐらいの金額で、年間売り上げの二倍に迫る勢いである。
 内訳を見ると、二十年も前の源泉所得税に始まり、まだまだ儲かっていたとされる時代の法人税、最近では消費税等等、A4の再生紙に何枚も何枚もくどいほど連なっている。中には本税より滞納税の方が多い所も。例えば、本税一万円のものが二十年で滞納税が実に十五万円近くにもなっている。一体どういう利息になるのやら。生憎税制というものには丸で詳しくないが、此の歴史的超超低金利時代だというのに、国税当局のやっていることは、まるで高利貸しだと思った。払えない場合は税務署に相談に来るようにとも書いてあったが、税吏との交渉で少しは軽減できるものなのだろうか。数多の国債も日銀に引き取らせたのだから、少しは負けて欲しいものである。
 どちらにしても此れで大貧学院も愈愈沈没。そもそも最低限の納税すらできないような会社は、世の中から早く亡くなるべきである。閉店すれば強制退職。晴れて吾人も自由の身である。自由を憧れる身としては、来るべきものが来たな。いやしかし、此れだけの負債を無責任社長は一体どうするつもりなのだろう。確か細君の実家、つまり義母さんは太い方だと聞いたことがあるので、結局は遺産頼みだと思った。
 以後吾人もすっかり消沈し、授業はほぼほぼ自習とした。全く以て何も面白いことの無い一日。退社後は立ち飲みBへ。少しだけ中から冷やして帰った。


8/7・日
 午前中から伯母の様子を見に行く。愈愈弱って仕舞い、呼吸が苦しそう。目と口を開け、鼾のようにぜえぜえと言ったかと思えば、突然また静かになる。まるで息が止まって仕舞った様で、危なっかしくて見て居られない。慌ててとんとんと肩を揺する。概ね其の繰り返しである。合間合間に濡れた紙で顔を拭いた。それにしても、愈愈ターミナルだな。折り返し運転と言うのも無いだろう。見ていても辛いので、介護職に後を託して退出す。
 以後馬事公苑まで徒歩連絡。丁度区民祭りと言うのをやっていたので一通り見聞す。併し暑くて暑くて、もはや冷やかすどころでは無し。出店の地麦酒を一杯飲み、八丈島の焼酎と海苔を買い、バスに乗って逃げ帰った。日中三十五度は出た模様。午後はひたすら蟄居す。


8/6・土
 今日も暑そうである。朝方、西に向かって水を撒いた。伯母の様子を見に行きたかったが、暑さに加え、腹具合がよくなく断念。日中三十五度に達す。夕方二十分ほど草取りした以外は無為。
 リオ五輪が開幕。南米の人は明るいから開会式も楽しそう。併し前回からもう四年も経ってしまった。五輪と言っても、時の速さを感じるのだけなのだが。


8/5・金
 徐徐に暑くなり、愈愈猛暑日となる。様子を見に行った家人によると、万代伯母はまただいぶ弱って仕舞ったとのこと。午後千寿に出社。今日も理科である。丁度生物の分野だったので、様様な恐ろしい病気の話しを沢山して、若い人を散散怖がらせた。併し此方の学習塾も生徒は少ない。前年の半分以下である。
 退社後は大橋駅で月波君と待ち合わせ。予てから目を付けていた居酒屋「ときわや」に入る。併し冷房が故障中とのことで店内はサウナ状態。恐らく古くて佳い店なのだろうが、早早に再開発ビルの王将餃子に避難す。いやしかし、こうも暑いと飲酒も捗らず。割と早目に帰宅す。
 七月の電気使用料213キロワット。前年比二割減。涼しかったことに加え、拙宅も高齢化が進み、年年冷房の設定温度が高くなってきたからであろう。


8/4・木
 内閣改造があったらしいが、特に言うべきことも無し。ただ新しい防衛大臣は大人しそうな顔をしているが、頭の中身は凄まじいらしい。そもそも人は見掛けによらないし、大体女性が平和的と云う事も無い、か。いっそ女も兵隊に徴られた方がいいかもしれないと思った。
 御昼過ぎに千寿校に向かう。午後二時半から七十分授業を四コマ半。八時頃退社。大体此れが適正規模というものである。それに無責任社長とも顔を合わせ無いから機嫌良く授業す。
一日暑い。さっぱりしたものが食べたくなったので、駅構内の小諸蕎麦に参る。店内はおじさんたちで超満員。そんな中、幼い兄弟と若い父親が異彩を放つ。時節柄行楽帰りなのであろう。麦藁帽子が良く似合う。併し下の子は天丼のエビを落として仕舞った様で、しくしくと泣いている。何だか切ないな。そもそもカウンターに背が届かないから、上の子でも下の棚に置いてのろのろと食べている。そりゃあ、落とすこともあるだろう。此の狭い店内、無事故で食べ終えるなど、ベテラン男性でも結構気を使う。立ち蕎麦はもっと大人になってから入る店であると思った。
 夕飯代が浮いたので『BRUTUS』という雑誌を買って読んで帰った。副タイトルは「酒場のある商店街へ」。赤羽や立石や大井町が特集されている。吾人も暖簾をくぐったことのある店が幾つか紹介されていた。こういう企画は受けが良いのだろう。気楽に入れる大衆酒場での大量飲酒というものは楽しいものである。
 併し吾人もいい加減に四十である。年齢は上がっても、社会的地位も収入も一向に上昇しないから、未だに書生や学生のように、わあわあと立って飲んでいる。年齢的には馴染みの割烹や寿司屋や鰻屋や落ち着いたバーの一つや二つあっても良い筈なのだが。つまり吉田類さん(BS6の「酒場放浪記」)には成れても、太田和彦氏(BS11の「ふらり旅いい酒いい肴」)には全く上がれそうにない。大体日本全国そんな感じであるのかな。此れも「下方平準化」の一例なのであろう。そのまま無酒で帰宅。詰まらないので安い白ワインを牛飲す。


8/3・水
 未明は大雨。つくづく今年は天候不順である。実に朝から出社。無責任社長に代わって中三の個別授業を執り行う。此の子は確か小学五年くらいまでいたのだが、最近になって戻って来た。成績は可哀想な程の壊滅状態。三単現も分からない。其の上、聞きもしない事を一方的に喋り立てて来る。話しの内容も稚拙で繰り返しが多い。相手が退屈し切っているのに、滔滔と話し掛ける当たり、頭の構造が少しどうかしているのだろう。尤も当初から其の傾向はあった。少し見ない間に一段と加速した感じである。実にこういう類の子は一二年に一人ぐらいの割合で入って来るが、生憎吾人はそっち方面には明るくない。世の中には専門的に見る学習塾もあるようだが、吾人は只管笑って誤魔化した。
 無責任社長は午後二時頃になって来た。水曜日は何か副業をしているらしいが、吾人は詳しく知らないし、わざわざ知ろうとも思わない。其の後、八時半までずっと授業。実に久久の十二両編成であった。恐らく一年ぶりであろう。言語機能は勿論、身体的にも相当草臥れた。眠くて眠くて仕様がない。大体朝からずっと起きているし、暑さと雷、それに外猫の相次ぐ襲撃を受け、最近は睡眠障害気味である。其のまま帰路に就く。
 途中碑文谷の一番館でフライドチキンカレー。こういう時は物象化されたチェーン店の方が佳い。本務校の講習は此れで終了。明日からは千寿校である。何とか万代伯母も頑張ってくれているから助かる。日中、雨は降らなかったが、大変蒸し暑い一日。夜は結局雨。早目の帰宅で得をしたと思った。


8/2・火
 未明から朝方にかけて雷雨。大量に降った分、涼しくなった。大体朝方はTBSラジオを聴いているのだが、ヒロシ君もタケローさんも夏休み中。当然代打が出て来るのだが、前者の番組は担当が日替わりで、安定感がまるでない。時にラジオ慣れしていない喋れない人などが出て来ると、全く聞くに堪えないことも。専門の代打要員を育てて欲しいと思った。
 昼は徐徐に暑くなるも、耐えられないほどでは無し。関東各地で雷雨だが、世田谷は朝の一回しか降らなかった。


8/1・月
 蓋を開けてみると、K子氏の圧勝となる。参議院選挙の時とは打って変ってマスコミが煽り立てたので、投票率も比較的高い。併し増えた分の浮動票は皆行って仕舞ったよう。T氏は半分も取れず。何と三位。事実上の惨敗である。やや高齢な上に、御自身の極めて個人的な問題も出て来たのが痛かった。それにしても、つくづく護憲や原発は票にならず。
 さて、此のK氏、女性で勝負事に強いと言う点以外、さして特長のない人物である。まあ、世論の風を敏感に読み取るだろうから、前任者、前前任者、前前前任者のように大外しはしないかな。併し真面目に福祉政策に取り組むとも思えず。やはりU氏に出て貰うべきだったか。
 朝から曇り。午後は一雨あった。講習も後半だと生徒も先生もだれる。退社後は立ち飲みBへ。店内は空いていた。というのも、またまた新店がオープンしたので、従業員も御客も其方へ移動中とのこと。併し紫煙に当たり、くしゃみ止まらず。早早と帰宅した。