2022年3月

3/31・木

 ワクチンプラス発熱以来、左耳が不調。何か塞がった感じがする。此れも副反応かな。不快。ろくなものでなかった。概ね晴れ。お昼に出社。小五、小六、中二の順。明日から新年度。通常テキストも発注す。八時退社。須々木さん佑子さんとで何時ものBから久久に日高屋へ移動。十時半退店。すると冷たい大雨。復路自転車運休。既にバスもない。色色と三軒目を探そうと思ったが、バーIは満席の模様。中華立ち飲みも混んでいた。かくなる上はタクシーで帰った。落ち着いた初老のドライバーさんがもてなしてくれた。1780円。今月は三回もタクシー帰宅。百鬼園先生みたいだと思った。入浴後、蕎麦の残り。こうして手術に始まり副反応に終わった三月が終わった。

注・・内田百閒。日本郵船嘱託。無給の務めだったけど、実に度度タクシーで通勤している。

 

 

3/30・水

 今日で退院から四週間。血尿は消えたが、排尿痛と下半身の疼痛は完全には収まらず。当初の半分の半分くらい。そんな朝から保険金の請求書作り。割と簡素な造り。添付する中央病院の領収書をよくよく見ると個室は二日の利用となっていた。ちょっと得をした。一方食べてもない食事代が請求されているような・・・。まあ、いいか。

さてさて続いて渋谷に参る。久久に須美伯母が来るというので昼餐をしたいと。本来なら仕出しでも取るのだが、生憎仕出し屋がない。其れにそもそも三つでは注文出来ない。勢い込んで「のれん街」に参るも開店は十一時だと。そんな馬鹿な。「フードショー」にスイッチ。なだ万の折詰と蔭山楼の中華総菜を無事購入。併し此の二つのフードモール、何が違うのだろう。出ている店も大体同じである。帰りはバスにした。西口に移動。閉店した東横店は上から切り取られたように無くなっていた。まるで豆腐のようにすっぱりと。其の後ろには数十階建てのスクエア何とかがすっきりと見える。最近空中庭園から人が落ちたそう。高い建物は危ないよ。急いで世田谷に帰った。昼酒、小剪定の後、午睡。夕方前、近所の「サミット」に。鰤の鎌焼きと天婦羅盛り合わせ。どちらも数百円。さっぱりしたくて蕎麦を茹でた。概ね晴れ時時曇る。

 何とか停戦交渉が纏まりそうな気配が出て来る。ウクライナの中立化、詰まりNATOへの非加盟化と引き換えに、露軍は引くよう。こんなところだろうな。それにしても、こんなことを決める為に多くの犠牲が。つくづく戦争とはどうにも仕様がない=政治の失敗。そもそもNATOに行って欲しくないのならば、ロシアは色色とお土産(=インフラ投資とか)を出せば良かったのである。一方、オミクロンには再加速の兆候。もうどうでもいいです。春ですよ。

 

 

3/29・火

 朝から曇って花冷え。植木屋さんが来て、先日の残りの作業。庭木の消毒と、家人の希望で目隠し用の木=常盤万作を植える。序でに家作の方にも一本。さっぱりとした常緑樹。但し名前不詳。あとは外灯の補修。何度やってもカバーが外れる。三脚脚立で上り、アルミテープで巻き付けて貰った。二時間ほどで終了す。

さてさて食堂の弁当を食べてお昼に出社。大した生徒がいる訳でもないし、殆ど金にもならないが、少し働こうと思った。何しろ此の所は働かないおじさん状態であった。働けないおじさんになって仕舞ってはちょっと困る。小五の国語から中二の英語まで。空いた時間は職場の整理整頓、教材選定、分別廃棄。すると何だか夕方には眠たくなる。普段なら、午睡して、そろそろ飲み始める時間でもあるなあ。八時過ぎの退社。其のままBへ。須々木さんと村田さん。働くおじさんたちである。所謂ブレインワーカーであるが(建築士と編集者)、朝から動いて、夜まで飲めるのが凄いね。他には高瀬さん(此の人は既に退職者)。1950円。当初混んでいたBだが九時を過ぎるとあっという間に人が居なくなる。帰宅は十時半過ぎ。入浴後、カップ麺。腕の痛みは概ね収まる。此の点に関してはP社と大差なし。

注・・ネットで検索すると「シマトネリコ」というらしい。島の戸練り粉。乾燥させた樹皮を溶いて戸口の潤滑剤として使ったのだと。万物には意味があるのだと感心した。

 

 

3/28・月

 大体晴れ。今日から春の講習。一応昼前に出社。と言っても生徒少なく、しかも外出等で欠席多し。ぼんやりと六時前まで勤務。Bで二杯ほど一人で飲んで御仕舞。1390円。碑文谷の「味の郷」で中華総菜。主として家人に食べさせた。帰り掛けにマスクを外したら、途端にくしゃみ。花粉症もピーク。夜はひんやりす。此の処、狸は一匹しか見ない。また新たな野良猫が現れる。十時就寝。

 

 

3/27・日

 未明には解熱。ほぼ二十四時間の発熱。実にインフルエンザ並みの苦しさだった。風邪に似た感染症のワクチンの副反応でほぼ一日インフルになるなど、コメディだと思った。吾人の3/26を返して欲しい。あの会場で受けていた数百人の人人、大丈夫なのかしらん。

 朝から冷凍焼きそばと(期限の来た)防災食の豚汁。前者は旨いが、後者は不味い。味覚は正常。概ね晴れ。リハビリがてらゴミ拾いを三周。公園の桜も満開。上を向いて歩きたいところだが、こうなるとゴミも増えるのだよね。昼はワタミ系ののり弁当(430円)。御飯は大盛りで旨い。若い人向き。色色と買い物をしたら何か疲れた。午睡す。中日は東京ドームで三連敗、と書きかけたところで逆転勝ち。新監督の初勝利となった。早めの入浴の後、スーパーの真鯛の切り身を酒蒸しにした。

 露軍はキエフへの進軍を諦め、東部への攻撃を強化しているそう。ウクライナは此のタイミングで引くべきであろう。停戦のチャンスである。東部二州の割譲はやむを得ない。

 

 

3/26・土

 日付が変わる頃からあちこちが痛む。腕と体の節節。発熱の兆候。朝方37.2度。やっぱり出た。此れじゃあ、みんな受けたがらないよな。もっといいワクチンは無いのでしょうか。三度目だよ。以後、倦怠感酷し。起き上がれず。昼は家人のお粥など。完全な病人である。欠陥ワクチンだな。受けて損した。午後は37.8度を記録。一日全損。そんな馬鹿な。そもそもワクチンにはメリットとデメリットがあるが、オミクロンに関しては逆転している印象。晩は家人の野菜の煮つけなど。アルコール少少。早く三回目を受けましょうなどという政府広報=在庫一掃セールなどを信じて損した。

西日本は春の嵐。関東も曇って、南風強し。時折ざあっと降った。小樽余市間もバス転換だと。そんな馬鹿な。ニッカウヰスキーの見学も出来なくなる。飲んだ後にバスではね。

 

 

3/25・金

 まあまあ晴れる。さてさて三度目のワクチン接種へ参る。接種日は近かったが、場所はちょっと離れた区民センターへ。通常は自転車の距離だけど、電車に乗った。少し早めに着くも、流れ作業でどんどん打ってくれた。М社のワクチン。量は半分だそう。世田谷通りまで戻って、「燈灯亭」であっさりラーメン。ついうっかり叉焼そば(980円)にしたけど、ビールがないと肉類を持て余す。再び世田谷線で帰った。巷間、PPМ(ファイザーファイザー・モデルナ)の順に打つと副反応が酷いと言われているが、どうなるのでしょうか。

午後は安静にす。午睡の後、新しい魚屋で買い出し。聞けば、少し先の居酒屋が出した店なのだそう。成程ね。近所の大学では卒業式。少しは飲めるかな。それにしても一人で歩いている学生さんもいる。ちょっと可哀想。続いて保険外交員の訪問。保険金の請求には、診療報酬明細書のコピーの提出等で済むそう。なお簡易保険の方は入院期間が短すぎて給付対象ではなかった。あくまでも簡易だからね。刺身盛で明るい内から飲み始めた。他に簡単鋤焼きなど。プロ野球が開幕。マスク掛けだけど満員に入れている。リバウンドがあるなあ。オミクロンは後期型に入れ替わっているそう。早めに納盃して百円の缶コーヒーを飲んだ。

 

 

3/24・木

常磐線が復旧。再び「ひたち」で仙台まで行くことに。野良の襲撃多し。断眠酷し。朝から快晴。午後自転車出社。実に四週間ぶりの自転車通勤。年度末最後なので調整後ごと多し。講習のスケジュールを手直しす。九時過ぎの退社。其のままBへ。愈愈一昨日から通常営業である。須々木さん、佑子さんとは二か月ぶりに会った。三杯飲んで1700円。会話も弾むとそんなに飲まない。帰宅は十一時半。やっぱり真夜中みたいな雰囲気。以後入浴。熟睡。

 ウクライナは長期戦になるかもしれないと。早く停戦しないと大変なことに。徹底抗戦はまともな政治の成すことではない。激戦の末に日本軍を追い出した国民党政府がどうなったのか。思い出して欲しい。

 

 

3/23・水

 昨夜は何とか節電が間に合い、停電等は回避。揚水発電所の水が残ったそう。やれやれである。朝は晴れるも雲が多い。こうなると太陽光発電が捗らない。今日も逼迫警報。朝は鍋の残りうどん。一応、三回目のワクチン予約を取る。М社しかないみたい。明後日の予定。

 試運転がてら昼の弁当を探しに行く。結局ピーコックの中華弁当。続いてグレの予防注射。疥癬狸用の薬も処方して貰う。液状。でっかいビーカーから出してアンプルに移し替える。すると此れがイベルメクチンだと。一発1100円で二匹分購入。餌にかけて食べさせよと。大抵一回で効くそうである。流石ノーベル賞薬だね。でもコロナにはどうなったんだっけ。夕方前、早速来た。早速投与。でも此れは双子のどっち? 

さてさていいことをした後は腹が減る。三丁目の肉屋で串カツを購入。直ちに飲み始めた。六時になるとウクライナの大統領が出て来て国会演説。但し本会議場ではなかった。変な部屋での中継。何だかなあ。何と最後には昭子さんが出て来る。あんた、まだいたんだ。要約するとウクライナでゴルフをしたいそう。なんせ平たい国だから面白いコースはないと思うけどね。十時就寝。夜半から小雨。肥薩線の見積もりが出て来る。200億円余。半分は橋の復旧費。河川改修の予算から出せないものかね。只見線も直るというのに。

注・・昼には解除された。 注・・第四波の時、イベルメクチンが効くとされた。

 

 

3/22・火

 新幹線は郡山までは動く。全線開通はひと月掛かるらしい。災難続きだね。未明から冷たい雨。猫と排尿で何回か起こされたけど、朝までよく寝られた。買い物は一便。昼は食堂の弁当。こういう時こそ買いに行かないとね。鰆の西京焼き他。600円×2。公共放送では電力需給逼迫警報との画面表示がずっと出ている。併し逼迫が「ひっ迫」なので逼迫感は今一つ。午後は白いものも落ちて来る。すると愈愈電気が足りないらしい。最後の綱は揚水発電だと。

エアコンの設定は二十度。ガスファンヒーターを併用。下のテレビも消したかったが、家人にはそれだけは止めてくれと懇願された(録画した中韓の歴史ドラマを見たいそう)。もう此れ以上節電出来ません。夕方には止んだ。薄暗い室内で、カセットガスを燃やして鶏野菜みそ鍋。大体やね、拙宅の6から15ワット程度のLED電灯を幾らか消したところで、大した効果は無し(50ワット程度)。電気ストーブやオイルヒーターを茫茫と使っている人に対しての節電要請をして欲しいと思った。暖房は新型のエアコンを使って下さいと。入浴の後、十時就寝。

 ウクライナと言う国は元元ばらばらだったのだが、2014年にクリミアを取られて以来、ナショナリズムが高まった。西側からの援蒋ルートもあり、ウクライナ軍は著しく強化されていたのだと。また今回の侵攻を受けて、肝心の東部の二州もロシアから離反の動きがあるという。マリウポイの惨状を見たからね。

 

 

3/21・月

 曇り勝ち。今年の春分の日はちょっと早めで本日となる。という訳で小平霊園まで。行きは素直に西武線経由。早速周りを清掃し簡単にお参りす。腎臓の件も報告をしておいた。亡父さん、頼みますよと。併しまだ十時半である。店が開いていない。適当な西武バスで武蔵小金井に出た。色色と見回ったけど該当店もあるようでない。其のまま中央線に。混んだ吉祥寺をスルーすると、次は下北沢かな。但し今日は休日なので其処から先のバスがない。残念ながらちょっと疼痛が。自信がないので下高井戸にスイッチ。幸い此処には坂本という優れた大衆食堂がある筈。迷わず飛び込むと、「お酒の提供はしません」と。そんな馬鹿な。どうりで店内は閑古鳥。お年寄りが座椅子で寝ています。今更引き返すことも出来ず、もやしそばを食べて出た。700円。あれやこれやと考えた打つ手と打つ手が全損した感じ。足取り重く、世田谷線では座らせて貰いました。帰宅は一時半。1.2万歩。

午後は晴れた。それにしても何処の駅も電車も人で溢れていた。此れでどうして減便や値上げが必要なのでしょうか。東急ストアーの刺身と総菜プラス千代田寿司で明るい内から飲み始めた。するとまた双子の狸。憐れなので裏の公園に猫餌をばら撒いた。本当はイベルメクチンが効くそうなのだけど。追い出すばかりでは政策型思考とは言えない。今度獣医に相談するかなあ。先日の地震で幾つかの火力が停止。明日は冷えるというので東電は節電を緊急要請。今回に限らず、電熱系の暖房器具と白熱灯と蛍光管を規制しましょうよ。九時就寝。

注・・そんな蔓延等防止措置は本日で完全解除。

 

 

3/20・日

 朝には晴れる。まずゴミ拾い。すると三周目で全壊したゴミ袋を発見。烏により一袋が二百片に分裂す。四周して片付けたよ。酷いものである。昼前になったので、目黒の「朝日屋」に参る。開店と同時に入った。小瓶一、小天婦羅、燗酒といったところで急に混んでくる。店内は四卓しかない。カツ丼セットを掻き込んで出た。2150円。酒飲みが占有してはいけません。本当は落ち着いた昼下がりの方がいいのだけどね。何しろ家に居ると、早晩酌、早寝、すると早起きに。腹も減ります。出来れば朝の十時から開けて貰いたい。一丁目の和菓子屋で牡丹餅。家人にはコンビニ弁当。一万歩は行ったかと。尿道の疼痛収まらず。急いで食べたら胃もたれす。

するとまたまた狸が。何時の間にか猫小屋に入られていた。直ちに当該小屋は閉鎖。寝具類は廃棄。地上にあったから入られたよう。残りは高所の小屋だから大丈夫だろう。更に一匹いた。どうも兄弟で行動しているよう。子狸だな。全裸状態で可哀そうなのだけど追い払うより手がない。それにしても真昼に入られるとはね。油断も隙もない。枝垂れ桃が開花。桜もそろそろ。以後曇って肌寒い。其の後も再三再四寄ってくる。竹帚で突いて追い出すしかなかった。晩は残り物で軽く。萎びた白菜とベーコンのコンソメスープや冷凍パスタなど。
 さてさて九時から芥田先生を交えて、第二回のオンラインゼミナール。今回は若手研究者の木俣氏も加わって貰った。なお先生は最近再入院したそう。声がちょっと変だったが、喋っているうちに聴き易くなった。吾人も近況報告。腎臓は二つあるから大丈夫だと激励される。嘗ての学生も老いを迎えて仕舞いました。本ゼミは十一時前で終了。以後、月波君、坪上君、鷺乃間君と暫し雑談。十二時終了。ワイハイは新しくしたので前回より通信状態は良くなったが、時時カクカクした。直ぐに就寝。

注・・興味深かった点として、最近の大学生は高校生化しているという指摘が。詰まり一限が苦でなくなり、あべこべに五限を避けるようになったと。可笑しな世の中になりましたよ。吾人らの時代では二限でもちょっと苦しかったものです。大体早起きしたくないから大学生になったのでしょう。此れもコロナが明ければ変わるかな。

 

 

3/19・土

 朝には晴れた。前回から二年経ったので松の剪定。朝から二人体制。高所作業なので吾人の出番は無し。なお植木屋さんは糖尿らしい。牡丹餅でも買って出そうかと思ったけどやっぱり止めた。毒だからね。極めてぼうぼうなので、午後まで掛かる。簡単なものでお茶出しす。結局四時までの一日仕事となった。松の経費は別格だね。昼は料理おばさんの麻婆丼(600円)。夕方から小雨。すると雷まで鳴って大雨となる。晩は新魚屋の五点盛り。他に牛と豚を一枚ずつ焼いて食べた。締めはチャーハンを自作。少し動くとちょっと赤いような。

 マリウポイは大変なことになる。シリア内戦の再来となる。あの時、国際社会がもっとロシアを止めていれば・・・。今までに、幾つかのチャンスはあったのだろう。残念です。ロシアの兵隊は、其れが原発の施設かどうかも分からないまま砲撃を加えて来たと共同通信が伝えている。農奴階級のままの無知蒙昧ぶり。あの国は19世紀の帝政時代そのままである。

 

 

3/18・金

 ロシア軍は将官クラスも含めて既に数千人が死亡したと。此の命の軽さ。此れもロシアだよな。悲しいことです。朝方は資源ゴミの整理。カップ麺を食べると何だか具合が急に悪くなる。前夜の酒が抜けていなかったよう。昼過ぎまで寝たり起きたり。昨夜から時時小雨。以後本降り。二日続けて目黒経由で出社。講習の予定を立てた。今年の生徒も一段と少ない。どうなるのでしょう、大貧学院は。八時前に中座してBで二杯。1390円。職場に戻り、ホームページの更新作業。何か月もやっていなかった。九時退社。11系統と32系統の合わせ技で帰宅。今日はバスに三回乗ったから、実は一日券の方が安かった。入浴後、コンビニのミニ冷やし中華など。

 一昨日の地震は二度あったそう。新幹線は一度目の揺れで非常ブレーキが掛かり、止まりかけたところで二度目の地震で脱線したのだと。行き成り二度目の方が来なくて佳かった。新幹線も減速した方がいいね。遅くなった分は安くすればいい。あるいはビュッフェか何かでお酒を飲ませ、お客の時間感覚を麻痺させるというのも一つの方策である。南相馬等では断水。広い意味での3.11の余震なのだそう。災害列島です。

 

 

3/17・木

 猫による断眠酷し。彼らも起こされたよう。昨夜は最終のやまびこが脱線。新幹線の脱線は中越地震以来二度目となる。施設の損壊も多い。那須以北は当分運休。在来線は動いたというからまた新幹線リレー号である。震源は福島沖、深さ60キロ、マグニチュードは7.4だと。昨年十月の地震より酷い。

大体晴れる。午後出社。やっぱりバスにした。空いていたので其のまま目黒まで。久久に電車に乗る。九時過ぎまで勤務。何となく無社長と職場飲み。ロング缶三本。十一時過ぎまで。ついついバーIを覗く。偶偶ОGのОさんもいた。更に一時間と少し。すると何と店主は今度結婚するのだと。確か二度目。還暦前にして。お目出度いね。五千円置いて帰る。当然タクシー。1780円。一時前に帰着。

 

 

3/16・水

 九州では座席の一部を撤去した車両が走っているらしい(813系改)。すっかり座れなくなったと西日本新聞が伝えている。少ない車両に詰め込む方針。せめてロングシートを付けるだろうに。幾ら経営が良くないとは言え、本末転倒もいい所だよな。全国的に耳を疑うような事態が進行している。残念です。

 朝は曇り。久久に総菜パンが食べたくなり、三宿の世田パンまで。ちょっと買って1100円。収入が増えないと、みんな主食用パンしか買わなくなるな。政府は年金受給者に一律五千円配ると言うが。少し出ただけでくしゃみ酷し。小麦も蕎麦も値上がりだって。今年は国内の作付けを増やして欲しい。小中高男子の将来成りたいものは、会社員だと。そんな馬鹿な。

さてさて退院から丁度二週間。一応今日まで自宅療養期間とした。なお三日間入院したので、幾らかの保険金が出る筈なのだが、面倒臭くてやる気ゼロ。誰か代わってくれないかな。保険代理店は? 一月の電気使用量517キロ。1.5万円余。となると自給率は五割程度。寒かったよな。続いて空室だった西側の支払い。此方は16キロで1700円。大半が基本料金。他はゴミの分別。北東の物件の引っ越しゴミ。皿やワイハイや充電器が混在。うちの物じゃないのだけどなあ。早めの入浴の後、最近出来た魚屋の刺身盛りで飲み始めた。鮮魚店の開業は珍しい。五点盛り千円。薄造りの上品な感じ。若い人がやっていたが、出身は料理屋かもしれない。今夜も野良猫と疥癬狸が出る。すると首相も出て来た。ガソリン税を下げる下げないが問題となる。もうね、そもそもガソリンカーはやめましょうよ。此れを機に。一時的な補助金や減税より恒久的なエコカーに。せめてハイブリッド車に。どかっと買い替えを援助してもいいから。大型車も替えましょう。

ぼんやり寝ていると大地震が。東北で六強。都内は四。二度目の方が揺れた。P波とS波が離れていたのかね。変な地震。直ちに緊急点検。ガスの停止は202のみ。どうも此処だけ弱い。

 

 

3/15・火

 朝方は曇る。蔦の剪定を少し。さてさてちょっとした物を打ちたいのだが、生憎拙宅には真面な金槌が無かった(みんな頭が取れて壊れて仕舞った)。中里の店に買いに行く。一番軽装の物を勧められる。638円。ネイルハンマーと言うらしい。早速外れて残った画鋲の茎の部分を打って埋め込んだ。それにしても日日の生活を円滑かつ快適に保守管理運営するにはどれだけの品物が必要なのだろうかと思った。工具道具類で200、食器や調理器具200、家具家電100、衣類100、各種消耗品100、食品嗜好品を加えたら恐らく数千アイテムに上ると思った。避難するということは其の全てを(一時的にしろ)失うことになる。徐徐に晴れる。すると猫は日陰に避難。昼は食堂の弁当。今日はホッケと豚のからし焼き。夕方前、お隣の車庫証明に署名捺印。返礼品として虎屋の羊羹と明治屋の果物受け取る。晩は厚揚げ麻婆など。あの苦悶の大手術から二週間が経った。本日の血尿無し。併し排尿痛はまだある。

 今回の件で一番困っているのはドイツだと。何しろ沢山エネルギーを買っているからね。気前よく買っていたのは戦後賠償の意味もあったのだろうけど。それにしてもプは何処で間違えたのだろうか。ウクライナの民が歓迎するとでも思っていたらしい。そんな馬鹿な。此処に来て、都合のいい情報しか上げなかったとかで諜報機関の幹部を更迭したというニュースが流れて来た。「スターリンは、目前に迫ったドイツの侵攻から眼をそむけ」「不愉快な事実を突きつけられたにもかかわらず、起こってほしくないことは起こらないとする倒錯した信仰のとりことなった」(『独ソ戦』)。それにしても、攻められるのに対して攻めるのではより一層慎重な判断が求められる筈なのだが。

 

 

3/14・月

未明は南風。朝方に通り雨。以後晴れる。お向かいの物件に来ていた内装屋と収集車が駐車位置を巡って口論となる。何故か前者が後者に対して難癖を付けていた。ドウシテ。すると警察官が。後者が110番通報したみたい。初夏のような気持ちのいい朝なのに。全く不要なトラブルです。続いて北西方向のマンションを取り壊すそうで、境界確認の立ち合い。図面通りに建っていたので何の問題もなく終了。築五十年かな。幼少期からある建物がまた一つなくなります。

さてさて自転車も運転再開。まずシロの点滴と予防注射。獣医殿にも退院の報告。男の尿道カテーテルはそんなに痛いのかと同情される。まあ男女で一番構造が違う部分だよな。8580円。昼は蕎麦を茹でた。午後は夏日近くとなる。するとやっぱり微妙に色が。自転車は駄目かな。眼が痒いので早めのシャワー入浴。晩はスーパーの天然鯛を塩焼きにした。陽が暮れるとそれなりに寒い。まだ地面が冷たいのだろう。

 ウクライナ側は抵抗を諦めず。最早、大祖国戦争の様相。一方キエフは包囲された模様。また南部の都市マリウポイは住民ごと破壊されたとも。組織的な都市攻撃は独ソ戦の悲劇である。ナチの蛮行を何で繰り返すのか。またロシア上空が飛行出来ないことから、ノルウェーの生サーモンも欠品。近海物を食べましょう。そういえば特殊な造影剤もヨーロッパから取り寄せていると言っていた。此れは代替出来ないな。

注・・どうもゴミ袋が車に当たったとかで内装屋が一方的に怒っていた模様。可燃ゴミの日だよ。傷など付く訳ないのになあ。異常な人格である。

 

 

3/13・日

未明の猫の喧嘩多し。但し相手は現認出来ず。やや曇るも暖かい。ゴミ拾いは三周。朝は期限切れの袋入りラーメン。粉使用は三分の一。さてさて月波君と客乃間君を呼び出して、吾人の退院祝いとしての昼餐会。以前入った「華星」に陣取る。客乃間君とは二年ぶり。ずっと在宅勤務なのだそう。其れはそれでちょっと辛いね。二時間ほど集中飲食。最後にパイチューを少しだけ。三人分で1.7万円。何かちょっと高かった。其の後周囲を散策して本日終了。家人には千代田寿司、吾人はコンビニ弁当で続けて夕飯。歩いたからかな、朝夕に若干の色付き。なお、此の国のロシア通は伝統的にロシアに甘いと客乃間君。2014年のクリミア併合の段階からもっと経済制裁を掛けておくべきだった。宥和策は拙かった。臥薪消灯は続く。

 

 

3/12・土

 ロシア政府は、出て行った外国企業は国有化すると脅して来る。併し自ら運用する能力があるとも思えず。そもそもがないから、外国資本が入ったのでしょうが。また今回の件で一番驚いているのは中国かも知れない。第一に台湾は遠いし、国際社会が返り血を顧みずにメードインチャイナを拒否すれば、中国経済は数日で崩壊する。それにしても台湾も日本も島でよかった。大国に陸で接するという恐怖は、なかなか島国の住民には分からない。増して、島から大陸へ逆侵攻するなど、正気の沙汰ではなかった。本当に申し訳ない。

 やっぱり未明には戻る。朝から晴れて春本番。昼は地元の大型回転寿司へ。ビール一、日本酒二、寿司九皿。3960円。続いて東急ストアーへ。家人用の弁当を調達。何時も買う厚揚げは恐らく一割程度値上がりしていた。こんなこと(=スタグフレーション)で怯んではいけない。消費を爆発せねばならない。二枚購入する。夕方散髪。シャワー入浴。残り物等で晩酌。夜も暖房なし。本日の血尿無し。やや疼痛。梅はもう散り始める。飲酒後、細細とした整理片づけ。電池とか食べ物とか。期限切れの食品が次次と出て来る。なお空いた駐車場には隣りのおうちが入ることに。赤ちゃんがいるとクルマが必要なよう。近隣値引きせねばならないね。

 

 

3/11・金

 未明には元の色に戻る。あの日と同じ金曜日。同じような晴れ。政府主催の追悼式はもうやらないのだそう。少し暖かい。午後出社。今日までバスにした。すると動いたからかな、やっぱり色が着く。講習テキストを発注。そろそろ新年度の準備もせねばならない。職務に精励す。八時過ぎに中座してちょっとだけBへ。村田さんがいたので近況報告。一杯だけさっと飲んで戻る。九時過ぎの正式退社。タコ焼きを買って、タクシーで帰った(1540円)。当たり前だが、タクシーは自転車よりも速い。十二時前就寝。

都内の感染は一万人前後。少しは減って来た感じ。マンボウもあと少しで解除の見込みだと。吾人の所にも三回目の接種券が来ている。最近は六か月後で打てるそう。検索するとМ社のワクチンはふんだんに余りが出ている。でももう此れ以上、体に穴は開けたくないね。ところで今朝の新聞に十三歳の数学少年のことが出ていた。五歳で二次方程式が解けたと。凄い才能があるね。現在大学教員の指導を受けていると。但し小四から自宅学習、昨秋からインターナショナルスクールをオンライン履修なのだそう。当然大学は海外へ。孟母三遷。こういう子は日本の学校では決して伸ばせないのが悲しいです。

 

 

3/10・木

 昨夜までに血尿は止まった。排尿痛は半分くらいに。痛みを数値化するのは難しいけど、日薬が効いて来たな。朝は晴れ。以後少し曇る。午後出社。今日も06系統プラス徒歩。二週ぶりに授業す。立尿三回。ちょっと赤いような気がした。九時過ぎの退社。併し次の11系統は三十分後。開いている店も無し。漫然とバス停で過ごす。つくづく吾人は不幸だと思った。何故なら何処にも飲みにも行けないから。終バスの一本前は大体の席が埋まるなど案外乗っていた。みんな通勤客。みんな不幸だな。環七で32系統に乗り換え。乗って帰ると丁度三十分。其れでも自転車より三十分遅く着いた。直ぐに入浴。ウクライナでは何百万人も避難し、恐らく風呂にも入れない。吾人はまだ幸福だと思った。以後鰻丼など。やっぱり赤い。ロゼと言うより暁色。一時前就寝。

 キハ283は183や281より早く引退。車体剛性が不足していたらしい。つくづく歳の順とは限らないと思った。お隣の国の新大統領が決まる。元検事総長だと。此れはアメリカの副大統領にも言えることだけど、風紀委員長が生徒会長をやっても大丈夫なのかね。スイマセン、職業差別です。ましてスパイなぞ。

 

 

3/9・水

 朝から晴れた。ステントの違和感が取れたのか、左側もすっきりす。排尿痛も血尿も少しずつは収まっている。いい傾向である。二月の売電量、西側が199キロ、東は118キロ。7600円。昼はスーパーのとんかつ弁当(540円)。晩は同鮪の鎌焼きなど。

 民間地域への攻撃が続く。ワザとなのか、そもそもの兵士の練度と武器の精度が低い為なのかは今一つはっきりせず。外国資本も相次いでロシアから撤退。マクドナルドも閉めるのだそう。消費生活は三十年前に戻ることに。行列して固いパンでも食べればいいさ。一方、プは退くくらいなら世界を破滅させるかもしれないと。原発も抑えられている。そんな噂も最早否定出来ない状況になって来ている。なお世界の危機だというのに、此の国の首相は依然として言語明瞭意志不明。

注・・単なる爆弾を使っていると米側は見ているよう。もう精密誘導弾がなくなったのだそう。元元は冷蔵庫も・・・。

 

 

3/8・火

 朝から時雨模様。さてさて術後一週間経ったので、再び中央病院へ。採血採尿の後、主治医の診察。血尿疼痛等はどうにもならないらしい。座薬を処方しますかとも言われたが、お断り申し上げた。此処は我慢である。クレアチニンの値はやや低下。悪い傾向ではないが、誤差の範囲内かも知れないと。なお正式な腎機能検査は来月半ばに行うと。海外製の特殊な造影剤を使うらしい。其の結果次第で今後の治療方針を決めるので、尿管ステントは暫くそのまま。何とも宙ぶらりんである。ちなみに石の成分は尿酸とは関係ないのだとも。そもそも原因物質のシュウ酸ってなんですか。何にも思い当たる食品類はありません。水分が足りなかったのかな。なお結石で腎機能を失うのはかなりのレアケースだと言われた。吾人は本当に不幸である。取り敢えず、今月は此処まで。やるべきことはやった。あとは左腎の回復力に賭けるのみである。本日の自己負担分760円支払う。構内で即売していたパンを購入。行って帰って二時間であった。

 小雨も止んだ。昼は地元の回転寿司へ。日本酒二、皿は三。1605円。家人にはてんやの天丼。買い物は八百屋に一便。以後漫然とす。晩は貰い物の生ハムと一昨日の鰆を焼く。前者が余ったので吾人がパスタに仕立てた。ワイン半本。九時半就寝。

 ロシアでは衛星放送やインターネットも順次遮断。また避難民の退避ルート=人道回廊は、ロシア側にしか通じていないのだと。そんな馬鹿な。一方、ウクライナ政府の亡命計画も進んでいるとも。捲土重来も一つの手である。兎に角、此れ以上民間人が犠牲になり、都市が壊されるのを見たくない(そもそも軍人さんだって元は一市民である)。どの道、此処まで手を血に染めたプ政権は長くないのである。

 

 

3/7・月

 冬型の晴れ。午後臨時で出社。自転車は自信がないので、06系統プラスゆっくり徒歩。無社長に病状を報告し二時間ほど事務処理を行う。職場のトイレで初めての立尿。色は少し収まったが、排尿痛は其のまま。而も相当滴下す。座ってやらないと駄目だな。早速床磨き。四時には退社。帰りは11系統。碑文谷で降りて、北浜と味の郷で晩菜を購入。また歩いて帰る。往復で八千歩弱。九時就寝。以後ニ三時間おきに排尿、そして同量の水分を摂取。

 

 

3/6・日

 プ氏の頭の中には、ソ連は勿論ロシア帝国の復活があるのだそう。日本のどんな右派でも其処まで考えないよ。そんな狂人を大統領として持て囃し、増長させて仕舞った。ロシア国民は勿論、国際社会にも責任はあるなあ。

未明に寝汗。特段熱っぽさは感じなかったが、何処か炎症があるのだろうか。朝から晴れ。やや寒の戻り。抗生剤は昨日で終了。ゴミ拾いは二周。昼前に目黒寄りの「更科」へ。ノンアルの小瓶と鶏南蛮と蕎麦豆腐(1890円)。家人にはスーパーの弁当。排尿痛もロゼ尿も依然変化なし。退院後の栞によると一二週間続きますとも。あらま。午後は少し曇ったが、また晴れた。夕方前買い物へ。母方の久弥おじいさんの命日。遺影に酒を供える。丁度三十年前。大学入試であたふたしていた時期であった。晩は魚孝の刺身と適当鍋。吾人四十云回目の誕生日でもある。すると六時の番組には筑波大の先生が出て来た。大体此の人の言った通りに事態は進行していると思った。ただ語り口が軽すぎる。人の生死に関わることですよ。もう少し何とかして欲しい。夜は冷えた。

 

 

3/5・土

 昨晩から軟便止まらず。どうしても抗生剤をのむと硬くなるか柔らかくなる。今日も晴れ。どうにも頻繁に尿意を覚えるのは、尿道の付近の疼痛を尿意と錯覚しているよう。少し膀胱を満たそうと、環七のファミレスまで徒歩で行き、ノンアルビールを一缶。何とか行って帰れた。徐徐に航続距離を伸ばさなくては。そう言えば、其の昔、「ザ・ガマン」という酷い番組があったことを思い出した。

午後は南風強し。春一番のよう。花粉も飛ぶ。只管自宅療養す。晩は買い置きの豚肉を一枚いちまい焼いて食べた。中瓶一、日本酒と白ワイン少少で顔が真っ赤に。まだまだ本調子には程遠い。尿は依然としてロゼ色。へこむなあ。何だか寒む気がするので九時就寝。

注・・そもそもアルコール類が売ってなかった。

 

 

3/4・金

 やや曇る。色は変わらず。ピリッとした痛みも変わらず。なかなか元に戻らない。便通は回復した。午前中は隣地に無断侵入して猫糞の片づけ。マンションの裏手に丁度いい砂利場がある。猫の越境行為は止められない。昼晩の買い出しに信濃屋へ。自転車はやめて歩いて行ったが、却って内臓に響く感じ。まだまだ術後である。晩は初鰹の刺身と鶏を焼く。

 停戦合意は局地的なものに留まる。民間人退避の為だと。徹底的になるな。併し仮にウクライナを併合したとしても復興には巨額の費用が掛かるし、経済制裁でロシア経済は今後相当痛む。そもそも失われた人命は決して戻らない。戦争は何ももたらさらない。

 

 

3/3・木

 さてさて弥生三月、吾人の誕生月である。気分良くいきたいね。朝方は抗生剤を一錠。入院中の血圧は概ね130の85であった。プロが測ったのだから間違いない。肩や腰が痛い。動かせなかった逆筋肉痛だな。左の腰には張り。此れはステントのよう。通常二週間程度で取り出すらしい。また痛いのかな。

まずは方方の片づけから。続いて祐天寺の本屋で『JR時刻表』。何にも明るい内容がない。どんどんみどりの窓口がなくなる。駅員はいるのだろうけど寂しい限りである。また渋谷から二子に至るバスも駒沢大学で系統分断。あの246の何処で折り返すのだろう。近所の06系統も随分減った。昼は食堂の弁当。鮭と豚の生姜焼き(600×2)。入居さんだからと言う点もあるが、手作りだし、素直に旨い。食欲も回復中。するとやや濃い色が。午後は安静にす。本来ならば本日退院日だもの。晩は家人の用意したもので軽く飲んだ。夜首相が出て来て、省エネを推奨しろと。此れから春だけどね。だから普段から昼間の電気くらい太陽で作らないと。九時就寝。

 ロシア兵は、訳も分からないまま前線に投入されているらしい。あの国の軍隊は何時も同じである。併し意地でもキエフに迫るよう。おびただしい犠牲者が。狂っているな。東京他多くの都道府県でマンボウは再延長。心身ともに堪える。

 

 

3/2・水

 朝は常食が出たが、そもそも食べられる状況に無い。何しろ下半身丸出しで、血まみれカテーテルですよ。こんな状況でごはんですよと言われてもね。全量残し。続いて主治医の回診。出血も少ないので一日早く退院の運びとなる。来週に通院し、更に其の一二か月後に腎臓の検査だと。回復していればいいが、そうでない場合は・・・。考えたくないね。そして、各種管の取り外し。尿道は悉く痛かった。暫く血尿と痛みは続くとのこと。一旦個室に戻り休憩す。其の後、外来患者に交じって採血とレントゲン撮影。万事、此れで御仕舞である。退院後は、取り立てて禁忌事項もないのだと。アルコールも可だそう。あれだけ吾人を拘束しておいて、病院とは無責任だと思った。

 軽い挨拶の後、下の会計に参る。約15万円。半分は個室代だったが、まともに使ったのは前半だけ。勿体なかったな。こうして月曜に家を出て、帰ってくるまで凡そ48時間。主なイベントと痛みは後半に集中したのであった。ふわふわした感じで徒歩で帰宅。梅は満開。シャワー入浴。家人のお粥で絶食解除。流石に食欲は無し。腰に違和感があるのはステントのよう。内視鏡が這いずり回った跡がピリピリと痛む。尿道の先も沁みるね。声もガラガラ。こうして吾人初の入院と手術は大変な犠牲を出して終了した。

 午後は自宅で療養。飲めよ増やせよと言われたが、飲んだからには出さねばならぬ。ホースを少し持ち上げると痛みが和らいだ。以後頻尿。快気祝いとはならないが、少し気分を変えようと、明るい内から缶ビールを開けた。御猪口に入れて少しずつ。つまみは冷凍食品。続いて白ワインを少し。案外葡萄酒は石を作らないらしい。それにしても、好きな時に好きな物を食べられて、好きな時にトイレに行ける。此れ以上の幸せはないな。但しロゼ色の尿で現実に引き戻される。夜は野良と狸。一雨あり。

 ウクライナでは惨劇が続く。尿管結石どころの話で無し。痛ましい。一方オミクロンは、一進一退、いや二増三減くらい。全国でお亡くなりになった人は二万四千だと。春になって来たけど、此れだけマスクをしていても移るのだから、気候要因には期待出来ないな。

 

 

3/1・火

 朝から絶食だと。かといって午前中はすることも無し。麻酔科の医師や手術担当看護師の顔合わせ等。続いて点滴孔をあける。太い針が刺さる。痛いね。其のまま待機。予定していた外来が終わったそうなので主治医が迎えに来る。十二時半、下の手術室に徒歩移動。早速寝かされ、色色と管を繋がれる。其のまま失神。気が付いたら二時間経っていた。ベッドのまま、ナースセンター脇の観察室に。尿道にはカテーテル、腕には点滴、口には酸素マスク、胸には心電図等。身動き一つ出来ず。下半身の痛みは次第に小さくなったが、手足をばたつかせる以上のことが出来ないのが辛い。

時折、看護師による検温と血圧測定。寝ても覚めても一時間ちょっとしか経っていない。悶絶の苦しみ。インフルエンザでの高熱か、最悪クラスの宿酔に匹敵する苦悩は翌朝まで続いた。生きていくことは辛いことである。おじさん、おばさんになれば、青年期の煩悶等からは解放されて楽には成るが、此の手の物理的な苦しみが襲って来るのである。隣りのベッドにはちょっと若い人が居たようだが、朝には居なくなっていた。

注・・術中術後に便意を催さないために浣腸までされた。悲しいことです。