2019年5月

5/31・金

 まあまあの曇り。早起きして下りの電車に乗る。市が尾という駅でバスに乗り換え。というのも此の先のとある私立学校の入試説明会に出る為である。大貧学院から十数年振りに当該校への志願者が出たので吾人が様子を見に行くこととなった。いやしかし、遠いね。よくこんなところに三年間も、而も週六回も通えたねぇ。其れもなんとまあ午前八時半にまでには。何を隠そう吾人の出身校でもあるのである。

 バスを降り、校舎内へ。偶に散歩で立ち寄ることはあったが、正当な理由で中に入るのは二十数年振り。例によって矢鱈と建て増ししてあるから何処が何処だかよく分からない。渡り廊下を延延歩いて説明会は十時開始。参加者は学習塾関係者を中心に百名くらい。まあまあ来ているね。割と気さくな校長が出て来て説明す。何時の間にか男女共学となり、何時の間にか中高一貫中等教育学校と高等学校の二層建てとなっていた(中学部を廃止)。以後、アクティブ何とかだとか、グローバルサイエンス何とかだとか、キャリア何とか教育だとかに力を入れていますというピーアール。校長先生は誕生日を迎えた生徒たちとライスカレーを食べるのだとも。あの学園も変わったね。時代の流れだな。勉強監獄のようなところでは生徒は集まらないもの。こうしたカリキュラム改革と共学化と入試方式の変更で受験生は増加傾向とのことである。説明会は一時間ほどで終了。以後来た道を元に戻る。もう少し思い出を探したかったけど、何しろ丁度一年前に来ているから。第一に、見つからない(2018年五月参照)。

駅前の「たかせ」で手打ちラーメン休憩。往路復路とも鷺沼で緩急接続。少し残念だったことはどちらも8500系に当たらなかったこと。高校時代はあの車両しかなかったよな(偶に営団8000系が来たか)。色色と感慨にふけりながら一旦帰宅。午睡の後、本務校に出校。本日の最終コマは中学二年生の数学。久久にやる気もこん気も無い生徒が入って来る。いやしかしね、激昂する訳にもいかないから何とか指導す。進学校の説明会に行った晩には一段と疲れたよ。「クルや、お前は利口だね。猫と雖も利口な方がいいよ。人間には利口でないのがいるんだよ」(百鬼園先生)と嘆くのは簡単だが、何かしら彼らに届く言葉を模索する日日である。今度牛丼でも喰わせるか。と言う訳で吾人も職務に精励いたしております。私学も塾も客商売だからね。退社後は中華とBで中量飲酒。こうして五月も終了す。

 

5/30・木

 すっきりとした晴れ。更に梅仕事。物干し竿で叩くと大量に落下。家人はうんざりしていたが、今年は大豊作である。午後出社。Bで二三杯。

百鬼園先生の日記が届く。戦時下でのタクシー出社の多さに驚く。概ね18年の秋頃まで。あと血圧が高い。BD170、N1注射とか。後者は降圧剤のことかな(百鬼園血圧手帳!)。いやしかし、本物の空襲警報が鳴る(19年11月1日)より前の記述は実に簡素である。空襲開始以後、日記の量が激増することとなる(此れらを纏めたものが『東京焼盡』)。其処に異常が日常化して行く過程を書き取ろうという覚悟のようなものを感じるね。百鬼園先生は立派な記録文学者である。

 

5/29・水

 未明は時折大雨。以後まあまあ曇る。引き続き梅仕事。防草シートを置き、揺すって落とす。大量である。また拙宅から数番目のスーパーがリニューアルされたというので見に行く。大して変わったよう見えず。例によってセンター納品ばかりがある。折角なので鰆の切り身を買って帰った。寒気が入り夜は一雨。

 

5/28・火

 まあまあ雲が出て来る。異様な炎暑は終了の模様。登戸で通り魔事件。百鬼園先生の戦前戦中日記が出版されるというので早速注文す。『東京焼盡』の前の部分。今まで出ていなかったのが不思議である。午後は小雨。草取り少少。梅仕事は二瓶目。夜は涼しい。漸く人心も落ち着くだろう。

 

5/27・月

 さてさて本日は池袋の眼科に参ることに。祐天寺までバスで出て、メトロ直通の東横線に。此の駅から上りの列車に乗るのも久しくないことだと思った(うっかり下りのホームに行こうとした)。以後エレベーターを探して右往左往。ベビーカーの女性陣と同室しながら進む。池袋のような大きい駅でも長いホームに一つしかない。階段の時代に比べれば格段に便利にはなっているのだろうけど、やっぱり不便だなぁ(今まで気が付かなかった)。目標のかなり手前で地上に出る。すると家人はもう道が分からないという。吾人の記憶を頼りに進んだ。よろよろと歩いて漸く到着す。

此の眼科は家人の数十年来の掛かりつけで、吾人も小学生の時分は近眼治療とかでしばしば来たものである。確かこめかみに電気を当てていた(今から思うとあの治療に何の効果があったのだろう)。ちなみに先月から新建物になった。お祝いに家人は幾らか包んだよう。診察はまあまあ直ぐに終了。緑内障の検診だけだから。

来た道を早速戻る。メトロは往路復路とも空いていた。国電より30円高いからかな。元元渋谷と池袋を結ぶものは山の手線しかなかった。其の後貨物線に乗り入れる形で埼京線湘南新宿ラインが走り出し、そして13号=副都心線が新造される。輸送力は実に三倍に伸びた筈だが、山の手は結局何時も混んでいる。つくづく何処からこんなに沢山の人が湧いて出てくるのだろう。

祐天寺の「来々軒」で遅めの昼食。行って帰っただけで三時間半。遠回りの上、よたよた歩きだから通常の倍は掛かった。次回以降は家人一人で行けるよう、エレベーターの経路を叩き込ませる。帰宅後家人はぐったりと。随分と体力が落ちている。年末以降あんまり動いていないから。吾人も午睡す。何しろ今日は三十三度もあった。夜はスーパーの惣菜。ぼんやりしていると大量の消防車と救急車が。御向かいのマンションで何かあったよう。警察も来ていた。単なる救助要請ではないかもしれない。夜半前の事である。

 

5/26・日

 昨日同様の晴れ。異様に暑い。行き成り真夏と言ったところ。千葉方面に雷雲無し。神の不在証明。終日出たり入ったり。途中散髪す。昼はてんやの天丼。夜は家人の冷やし中華。中日は神宮で三連勝。怒鳴りに行く必要はなかった。でも相手チームが弱いだけだな。ヤクルトは十一連敗だって。

 

5/25・土

 異様に晴れて異様に暑い。朝から富士そば。今日はラーメンではなく天ぷらそばの気分。一方家人は熱心に体操している。若い先生に叱られて、少しはやる気になった模様。こういう効果はあったな。昼はスーパーの弁当。当然使い捨てのトレーに入っている。色とりどりで見た目はいいがまた大量にプラスチックを費消す。ちなみに世田谷区は砧か千歳船橋でみんな燃やして仕舞う。まあ元元プラスチックの原料は石油精製時の副産物だからね。でもまあ使わないことに越したことはないか。

少しずつ梅仕事。今年は豊作の見込み。まず一瓶漬けた。晩は別のスーパーの牛肉を焼いて食べる。北海道の交雑牛と岩手の黒毛牛。どちらもまあまあ及第点。大相撲は千秋楽を待たずして優勝が決まる。地上波では「インディペンデンスデイ」をやっていた。一応何処かの国の大統領は世界の為に尽力していた。全ては懐かしい。

 

5/24・金

 目より腰を早く何とかしたい。近所のクリニックは何もしてくれない。ならばと、結局近くの大病院に参る。亡父もお世話になったところだが、当然今回は救急車ではなく、紹介状すらも無い。朝からバスを二区間乗り、以後整形外科の前で只管待つ。凡そ一時間で漸く診察。吾人より年下の医師は、歳なんだから仕方がないと取り付く島もない感じ。其れでも一応レントゲンを撮る。更に待つこと一時間弱。見たところ脊椎は経年劣化で処置が無い。周りの筋肉を鍛える以外に治療法はありませんとのお応え(同じ診断結果)。なお当院ではリハビリ指導は致しませんとのこと(紹介もしてくれず)。色色と体操のやり方を教えてはくれたが、本日の此の診察に何の意味があったのだろう。いや、そもそもこうなることは分かり切っていた。大体、腰痛が整形外科で治ったという人を知らない。

加算初診料を入れて2600円程度。会計を済ませたら十二時半。而もかんかん照りの三十度越え。院前の蕎麦屋に寄り、堪らずタクシーで帰宅。すると宅配便の不在票。一段と徒労感が増したよね。併し、病院で待つというのは動かない列車にずっと乗っている感じ。概ね二週間分の忍耐力を使い切った。

短い午睡と休憩の後、自転車出社。自由はいいが、何だかふらふらしながら辿り着く。折角行ったけど、先週の子は再び家から出られない状態とのこと。一週間で挫折したか。自宅警備生活は一年半。社会復帰はつくづく難しい。こうなると文部省より厚生省の管轄かもしれない。引き篭もり外来ってあるのかね。退社後は中華とBとIへ。帰宅は十二時半。ちなみにIは開店から六年経ったという。経営は低調だけどね。店主は冷たい物の飲み過ぎで医者に掛かったという。職業病である。常温のウーロン杯を献納した。帰宅は十二時半。猫を追いかけ回したが一匹も寄って来ず。

 

5/23・木

 日本人も巻き込まれたダッカのテロ事件を引き起こしたとされる人物がイラクで拘束。日本の私大でも教えていた人である。同時に出国していた日本人の妻と子どもはシリアで死亡していたという。一体此の家族に何があったのだろう。

 当分晴れ。今度は池袋の掛かりつけの眼科に行きたいと宣う。混雑が激しい山の手線に乗るのは厳しいな。となると副都心線だが家人は知らないという。何しろ家人の路線図は昭和五十年代で停止している。副都心線は勿論、埼京線湘南新宿ラインとかはない。地下鉄は半蔵門線丸ノ内線と銀座線だけ。目黒線目蒲線のままだし、東海道線横須賀線が分離されたことすら知らなかった。未だに頭の中には「あさかぜ」や「はつかり」が駆け巡っているのだろう(若い頃にはよく乗ったらしい)。

 税理士法人から書類が送付される。相続税の申告書と遺産分割協議書等等。以後膨大な書面に只管署名捺印す。家人の分と二人分。混同しないよう付箋は色分けされているが、結構緊張す。押して押して書いて書かせて一時間掛かった。ちなみに納税額580万、税理士報酬130万。万代伯母の時より全然少ない。「やすらぎの刻」で涙腺を緩ませた後は、オリジン弁当。朝から何も食べてなかった。午後出社。金参万円受け取る。退社後はBと中華。途中彩さんと擦れ違う。少し立ち話した。

 

5/22・水

 公共放送も朝ドラの土曜日放送は止めるのだという。漸く完全週休二日制だな。此れを機に土曜日の夕刊も止めよう。土曜日は赤くして、金曜日を半ドンにして青くしよう。何とか改革で支持率アップ間違いなし。何なら解散して信を問うても良い。

 朝から晴れた。さてさて家人は小杉の大病院へ行くという。超軽量シルバーカーのデビュー戦である。吾人も途中まで随伴す。バスの入り口は持ち上げてクリアー。但し料金箱の横はすり抜けられず。06系統は中尺車だからね。抱えて降りて東横線の改札まで見送った。此れで混雑時と雨天時を除いて外出可能かな。問題は大病院である。何しろ天気までは予約出来ないからね。徒歩で帰宅。それにしても必要な物はベビーカーよりシルバーカー、出すと言えば(結婚式では無くて)葬式ばかり。こんな筈ではなかった・・・。ちなみに改札脇にあったレストランは既に閉店していた。僅か半年程度。市場調査が甘いな。駅にはイタリアンより立ち蕎麦屋が必要である。夜は立ち飲み併用にすれば二倍儲かる。

昼は外に出た。偶にはラーメン新店に。目の前で炙ったチャーシューを切り出してくれるラーメン(800円)。但し麺が小加水。なかなか三拍子そろったものには出合えない。奇をてらわずに何時もの「せい家」にすればよかった。帰宅後「やすらぎの刻」。今週は現代に戻っている。入居者の一人、大納言さんは愈愈危篤状態に。こういうシーンは辛くてまだ見られない。堪らず他局にエスケープ。

午後は映画「リベリオン」。感情を持つことが禁止された未来社会。反逆を誓った主人公は独裁者=ファーザーに闘いを挑む。典型的なディストピア映画だけど、実態は低予算のガンアクション+チャンバラ映画。こんな作品を見る筈ではなかった。ケーブルテレビも碌な物をやらないな。前にも書いたけど、現代版の管理社会に中心というものはないんだよね。

なお家人は四時前に帰宅。まあまあ歩けたが大病院は予約をしていても二時間待ちだったそう。待つのが一番草臥れたと。以後昏昏としていた。夕方吾人が買い物には行ったが大したものが売っておらず。結局保存食頼み。鮭の缶詰の他には、不味い冷凍餃子を残った塩ラーメンのスープで茹でて食べた。万事に精彩さを欠いた一日。一方、中日は最下位まであと僅か。此れでは中日新聞ではなく中日銀行である。こうなることは分かり切っていた。返す返すも何の補強もしなかった首脳陣は何を考えているのだろう。近近に神宮球場に怒鳴りに行くかな。

 

5/21・火

 屋久島を水浸しにした低気圧が関東にも来て、朝から大雨。風も吹く。所謂メイストームだな。夕方には漸く止んだ。早速遺棄された傘の回収と空き家の点検。新型シルバーカーも届く。二万円弱。当然メードインチャイナ。まずは習熟運転である。

 JR九州の大株主はアメリカの投資会社だという。沿線自治体からは不安の声が挙がっている。何しろ西武鉄道の件があるからね。東海はどうなんだろう。何処かが買い占めてリニアを止めさせて欲しいものだが。此れは健全経営と株価の維持のために必要な措置である。何しろ新幹線でも建設費が異様に増加していて、単線での建設も検討されている始末だからね。

 昼はレトルトカレー。方方の残り物を集めてゼロ円晩食。映画「続深夜食堂」を見た後は、プロ野球中継。此の時期は地方球場開催が多い。本日のドラゴンズは三次である。見たところ青い人はレフト側に僅かばかり。超圧倒的少数派。一度こういう立場になって見たいね。いやしかし、昨年の豪雨で橋桁を流された芸備線は復旧していない筈。其れでも観客席は満席状態。みんなマツダのクルマに乗って来たのだな。

 

5/20・月

 朝から出張所に参り、印鑑登録証明書の交付。直ぐに税理士法人に発送。愈愈相続の最終段階だそう。システム更新のため午後臨時出社。三時きっかりに担当者が来る。本店のサービス部から御足労願った。大貧学院を相手にしても大した手数料収入にならないから大変恐縮する。変更は一時間ほどで終了。冷静な頭とよいマニュアルがあって、もっとゆっくりやれば吾人にも出来たかな(負け惜しみです)。ちなみに何とかテンの新型パソコンにシステムを丸ごと移行しようと思ったけど、此方は専門家でも出来なかった。当分はセブンを使い続ける事になりそうである。

 さてさて明るい内に本日退社。久久に碑文谷を巡る。立ち飲みBの支店は閉店していた(繁盛してたのにね)。其の隣の古本屋は収穫無し。高架下の魚屋で鰹刺し、少し離れた鳥屋で唐揚げと焼き鳥を購入。ところで閉店したレンタルビデオ屋は学習塾になっていた。遥か以前、吾人も少し勤めたことがあるチェーン塾である。此処だけの話、営業が主体の酷い所で、詐欺同然とは言わないが、半分くらい詐欺みたいな個別指導塾である(半額程度ならいいけど)。悪徳塾は栄えるなぁ(此れで上場会社だそう)。立ち飲み屋や魚屋や焼き鳥屋のように色色巡って確かめる訳にも行かないからね。ついつい広告と営業に乗せられて仕舞うのだな(塾選びは慎重に)。

 録ってあった「呑み鉄本線日本旅=九頭竜線長良川鉄道編」を見ながら飲み始める。元元は国鉄越美北線と南線。どちらも未乗である。此処を繋いでいたバスは結構前に廃止された。出演の個性派俳優はさらっとタクシーで移動。幾らだろう。皆さまの受信料で行ける人はいいね。夜から段段雨。

更に民間放送で、マレーシア航空機失踪事件特集。元日航機機長の航空評論家による推測を元に構成された内容。マ機長による集団自決説(現在のところのまあまあの定説)を採りつつも、途中で政府と交渉していたという新説を披歴。マ政府は何かを隠していると。うーんどうなんだろう。ヒラ文で通信していたら誰か聴いているよね。一種の陰謀論だなぁ。どちらにしても何を以てしても、飛行機は危ないと言うことである(クルマもね)。

 

5/19・日

 駒沢公園で麺類が食べられるというので出掛ける。「乾麺グランプリ」というイベント。乾麺とは何だか派手さの無い大会だね。具沢山なものは500円、そうでないものは300円。まあまあ御客は来ていたけど、どのブースも待ち時間はゼロ。調子に乗って、うどん、そば、中華、素麺と食べ進めたら胃がパンパンに。合計1600円。乾麺は安いね。直ぐに帰宅。今度は自転車の後輪カバーが破損。金属疲労で折れたみたい。愈愈あと二三年かな。

 

5/18・土

 三日目のワイシャツに袖を通し、朝から住宅メーカーの本部に赴く。新宿の高層ビルに参る。例によって昴ビルが無くなっていて吃驚す。さてさて本日は建築士さんを交えての打ち合わせ。微細な設計変更の報告と承認の後、まずは周りから決めましょうと言うことになる。外壁や屋根の色を検討す。樋は此の色、バルコニーはあの色と決め進めて行く。いやしかしね、こうして色色と討議をしていても、今一つ現実感がないな。あの空き家を叩き壊し、整地して、本当に半年後にはこんな立派な建物が建つのだろうか。いや、そもそも本当に実父は死んだのだろうか。其れに拙宅に本当にそんな大金があるのだろうか(通帳と言う紙切れに打ち出された記号でしか見たことがない)。未だに半信半疑と言うか、一種の夢心地である。続いて膨大な委任状と確認書類への署名と捺印。建築家の仕事の半分は許認可絡みだね。打ち合わせはたっぷり二時間弱掛かった。次回は三週間後。今度は中を決める予定となる。

 少し現実を取り戻そうと「岐阜屋」へ。一皿400円の蒸し鶏を当てに、一本630円の大瓶を飲み、650円の炒飯で締めた。表に出るともうくらくらと暑い。大量の外国人観光客(此処は外国か?)。其の中をパンツ一丁の男性が段ボールを抱えて歩いている。駅前では「社会の不条理を糾す会」と言う右翼団体が割と地味めなアジ演説。其れをじっと見つめるスーツ姿の男性は公安警察だな。いやしかし、色色な現実が交錯するね。流石大都会である。早く世田谷に帰りたいと思った。相変わらず混んでいる国電で其のまま帰宅。以後ぼんやりしていると、須見伯母が来る。早速低木の剪定。

 

5/17・金

 例によってゴミの分別と草取りと排水管の点検。こういうものは永久に機械化出来ないな。エーアイ?  シンギュラリティー? ベーシックインカム? 大丈夫、人間の仕事が無くなる筈がないよ。問題は需給のバランス。詰まり賃金である。

午後出社。例によって、引き落としのデータを送信しようと思ったら、何度やってもエラーが出る。困ったな、こういう作業はほとほと苦手である。汗びっしょりになって解明す。あちこちに電話して聞いて回ったところ、新システムに移行したので旧来のものでは送信出来ないらしい。確かにそんな契約をしたよね。実に忘れてた。いや忘れたかった。大量の新マニュアルが送り付けられてきたけど漫然と放置していたよ。詰まり此方の不作為と言うことなのだが、そもそもこんな不要な契約をした無責任社長が頗る悪いと思った。修正は来週へ持ち越しとなる。

げんなりしたところで中学三年生の個別授業。一年半前に辞めた生徒が戻って来た。此の間学校にも通っていなかったらしい。此処の子の場合は親(特に父親)が過剰な期待と干渉した為に潰れて仕舞った模様(教育虐待)。少し見たけど、学力の再建は容易な事ではないと思った。勉強が出来ないとなると上級学校で再デビューすることがかなり難しくなる。中学校などに無理して通う必要はないとは思うけれど、其の分何か別の事をしていなくてはね。此処だけの話、大抵の不登校者はゲームかネット依存になり、寝た切り少年少女になるのですよ。学校が抜けた穴を埋めるのは頗る難しい。週休四日位の通信制中学校かトモエ学園中学部が欲しいところである。

 退社後は、おじさんたちを掻き集めて、久久に「安安」に参集。月波君も来る。持参してくれたカタログには多種多様なシルバーカーが色色と。専門家が使うカタログはやっぱり違うね。早速家人に見せた。

 

5/16・木

 朝から晴れ。早速新型シルバーカーの検討に入る。併し手元のカタログは介護用のもので、比較的重装備のものしかない。謂わば高級車である。介護保険適用外でもっと軽くて簡易なものが欲しい(軽自動車のような)。一応ネット上にはあるようだが、紙のカタログ、出来れば現物が見たいと家人は宣う。いやしかし、リアルシルバーカーショップってあるのかね。あったとしても行くこと自体が困難か。

午後出社。少し生徒が入って来て、まあまあ忙しかった。来月からは増便が必要かな。退社後はBと中華へ。どちらも店も新人さんが入る。みんな学生さんかな。

 

5/15・水

 未明にナニコレナニコレと叫んでいる人が居たので、どうにも断眠気味。ああいう人は通報されたのかな。最近は酔って騒ぐ人が少なくなる一方、頭により深刻なダメージを受けている人が増えているのかもしれない。正直吾人も怖くて見に行けなかった。

朝からまあまあのお天気。引き続き「私の東京物語」。其の六によると、小林何某の何とか宣言の影響は絶大で、Aさんが所属していた右翼団体にも入会希望者が殺到したと。国後島を戦争で取り返したいと言った議員も此の世代に属するのだろう。困った、困った、困ったよ。

 腰の悪い家人が、首下がり症候群で入院している鎌倉の伯母さんの見舞いに行くという。目的地は三田の大病院。此処へタクシーと地下鉄を使わずに行くとなるとルートは限られる。何度も図上演習した上で吾人も付いて出た。06系統を元競馬場の停留所で乗り捨て、98系統に乗り換え(此れだと僅かな平面移動で済む)。以後赤羽橋下車。あとは病院までは300メートルといった所なのだが、やはり家人は満足に歩けない。吾人のベルトに掴まらせてムカデのように歩いた。車載可能なシルバーカーを調達せねばならないと思った。

よろよろと九階の病室に行って見ると、丁度伯母の女学校時代のお友達が面会中。四者会談になる訳にもいかず、早目の帰宅となった。元来た道を元のようにして戻る。すると下校ラッシュに巻き込まれ、あらゆるバスは超満員に。乗れず座れず進まず降りられずの四重苦である。這う這うの体で帰ったら四時半。大したことをしていないのに三時間半も掛かった。いやね、此のルートは二度と使えないね。伯母にも早く良くなって貰わないと。代わりに家人を入院させるかぁ。帰宅後、低木刈り。吾人は平気だが、家人はぐったりと夕睡へ。晩はスーパーの惣菜を勢揃いさせた。

 

5/14・火

 Aは愈愈北と向き合うらしい。セーサイキョーカの一点張りだったものが華麗なる転進だな。それにしても自らが煽り立てて消し飛んだ対北交渉を、まさか自らの手で再開することになるとは思っても無かったことだろう。そして其の時、あの不都合な真実に再び向き合うことが出来るかどうか。とはいうものの、下交渉する人なんているのかいな。あの料理人さんは?

なお中国経済の減速で日本の景気も悪化の模様。愈愈増税が怪しくなる。しかしね、間接税と言うものは知らぬ間に取られているから、増税したからと言って消費が減るものでも、また減税したから増えるような類のものでも無し。一番恐ろしいのは、みんなが節約して経済が縮小して仕舞うことだけど、2パーセント程度では大して変わらないと思うけどね。

ところで事の発端の米中貿易戦争は益益激化の様相。此れがトゥキディデスの何とかと言うやつかな。併し全品25パーセントの関税とは恐れ入る(大増税だよね)。となると行き場をなくしたメードインチャイナが日本に押し寄せて来るな。物価も下がるぞ。時に日本と中国で世界貿易を支えるという妙な展開になるかもしれない。拙宅も何か買い替えようかな。自由貿易体制維持の為に。案外日本の立場は気楽だね(ビルの谷間のラーメン屋の心境)。それにしてもロシア疑惑も収束したから、トラちゃんは絶好調だね。

朝から雨模様。こうなると何もすることがない。二日つとめて二日遊び、三日つとめて三日あそぶというのが理想なのだけど、今年度は休みが多すぎる。午後は止んだので駅前に出た。パチンコ屋だったところが巨大なビルに建て替え完了。例によって一階はコンビニ(S)。隣もコンビニ(F)なのにね。あとは調剤薬局が入る模様。すると上はクリニックだな。併しよく家賃が払えるね。保険内治療だよねぇ。買い物は二便。

 

5/13・月

 東京新聞の「私の東京物語」には95年を過ぎた頃の思想風景が描かれている。作家のA女史はまず今で言うネトウヨ的な世界に惹かれていく。確かにあの頃だよな、歴史修正主義ヘイト本のようなものが本屋に溢れ始めたのは。A女史とは概ね同世代だが、吾人には既に戦後民主主義的な教養が入っていたから、ああいう本に感化されることはなかった。当時の吾人は、本屋に出掛けて行っては、表と裏をひっくり返したり、比較的真面な本を上に被せたりして、せめて目立たないように工作していたものである。ただ人生とは分からないものだから、何かの都合で時期やきっかけが少し違っていれば、吾人とて今とは違った思想遍歴を重ねたかもしれない。それにしても、左から右に行った例は多多あれど、右から左に還って来た人ってあんまりいないよな。そういう点でAさんは稀有な存在だと思った。いや併しね、今になって思うと、どうして左派はこんなにあっさり退潮して仕舞ったのだろう。老若男女、実にとんでもない人ばかりである。何しろ本の次にはネットが押し寄せてくる。其れにそもそも戦後は実に遠くなったからかな。

 午前中は集中してどくだみを引っこ抜く。此れは山羊でも食べないだろう。夕方は空き家の庭木をばっさりと。最後ぐらい伸び放題にさせてやろうと思ったが、解体が遅れて既にぼうぼうである。昼はオリジン弁当。夜はスーパーの鰹刺しと鯵の塩焼き。

 

5/12・日

 朝は富士そばのラーメン。昼はスーパーのかつ丼。何だか食べ過ぎたらしく午後は何度も上厠す。晩は家人のオムライス(中)と白ワイン二杯のみ。昨日よりかはすっきりとした晴れ。取り立てて無為。

 

5/11・土

 多賀工業会というところから会報が来る。亡父の出身校である。元元は工業専門学校だったものが戦後新制大学となった。入学したときは工専、出た時は大学。学歴的には結構得をした世代であろう。其れにそもそも技術系と言うことで亡父は徴兵を免れることとなる。こっちの功績の方が大きいな。早速葉書を書いて死亡を報告した。また京王大学からも広報誌が送られて来る。態態付箋が張ってあり、戦没学生の遺品を寄贈したと吾人の名前があった。亡父の兄、詰まり義雄伯父さんは文科系だったので召集され、陸軍船舶工兵となる。本土決戦に備えている内に敗戦の僅か数日前に亡き人となった。片や九十過ぎ、一方の伯父さんは二十二か三。ちょっとした偶然で人生は全く変わるものだな。

 昨日以上の熱波。朝から古着の供出。日向灘で連続地震気象庁南海トラフの方は大丈夫だなどと言っているが信用すべきかな。大地震などをわざわざ心配してもね。そもそも「心配事の9割は起こらない」。心配し過ぎても仕様がないと言うこと。更に言えば、人の知というものにはもともと限りがあるから、恐らく次も誰も予想もし得ない所で、予想もしない大災害が起きるのであろう(此れが残りの一割の正体)。夕方になった頃に須見伯母が来る。伊那の反省会がてら食卓を囲む。拙宅に三人集まったのも久久であると思った。

 

5/10・金

 朝から暑い。まず古い自転車屋に行き修理を依頼。序でに防犯登録もやり直す。新しい登録証は三次元バーコード付き。有効期限は十年だと言うが、幾ら何でも持たないな。合計1700円。北は飛翔体を次次に発射。もう駄目かもしれない。其の上イランとの折角の縁談は破談させ、中国に喧嘩を吹っ掛けている。もう無理だぁ。

 午後出社。目の前で消しゴム野球を繰り返す小学生にとうとう激昂す。まあ吾人の怒りとて大声を出してゴミ箱を蹴る程度なのだが、激昂中は一瞬我を忘れる。世間的には感情失禁などと言うらしいが、此の表現は的確ではない。感情とはそもそも湧き上がるものであり噴き出すものなのだから。何はともあれ少し疲れた。退社後は立ち中華を経由して立ち飲みBへ。色色と従業員に差し入れす(千円相当のコンビニ御菓子類)。こういう晩は何かを振る舞うことにしている。喜捨カタルシスである。

 帰宅後は鼠のおもちゃでシロをからかう。九歳のおっさん猫だが割と本気になって追いかけ回していた。いやしかし此れが鼠の立場だったら恐ろしいだろうな。恐るべき巨体が恐ろしい運動能力で迫って来るのだから。ところでそんな猫にも弱点がある。腹巻である。試しに手拭いを巻くとぐにゃぐにゃとなって歩くことすら出来ず。而も嫌がってるようなそぶりはない。益益不思議な存在である。

 

5/9・木

 まあまあの晴れ。午後出社。すると途中前輪ブレーキが破損。ワイヤーが千切れた模様。おかしいな、前回の修理から一年しか経っていない。久久の授業。久久の立ち飲みB。復路も速度を落として帰宅す。ところで、風がないと此の時期は街路樹や庭木まで匂い立っている。何の木だが分からないけど、あれはあの臭いだよね。よくみんな平気でいられると思う。鼻が悪いんだな(植物で動物が欲情はしないか)。

 東は新幹線の試験車両を公開。最高速度は360キロになるらしい。但し先頭車両は22メートルも鼻があるという。つまり一両丸ごと鼻である。仮に10両編成として先頭と最後尾が鼻専用ならば実質8両である。詰まり10分の2が無駄に走っていることになる。結局鼻になった分は御客の運賃に上乗せすることになる。色色と開発するなとは言わないが、開発の方向性が間違っていると思う次第である。400キロ近くですっ飛んでいくことがいいのか、それとも一万円と少しぐらいで相当遠くまで行けるようになることがいいのか。答えは一目瞭然だと思うがね。兎に角、いい加減に速度競争を止めなければ、列車の殆どが鼻になって仕舞うかもしれない。

 

5/8・水

 終日安定した晴れ。多少の草取りと猫用の300円の鮪を買いに行ったくらい。当面緊縮財政である。そもそも此の時期のスーパーは粗末な物しか売っていなかった。園児の列に乗用車が突っ込む。散歩途中の惨事だが、琵琶湖辺りの保育園にも園庭はないらしい。つくづく危ない。大体小中高校生ですら登校後は校外に出さないのが原理原則である。

 こうして十二連休は終了す。ところで四月はまあまあだった中日は、あっという間に定位置に移動中。監督を代えただけではねぇ。今年も野球無しの生活になる見込み。

 

5/7・火

 連休は終わったが吾人の休みは続く。午前中は日誌の整理。数日来の疲れが出て日中昏昏とす。矢張り最終日は人が出ない訳である。家人は整形外科へ。二時間も待ったらしいが、体操以外に治療方法はないらしい。ゼロ円支出の日。

 

5/6・月

 振替休日の日。午前中は竹の切り出しと買い物。以後伯母とは別れ、市内に降りる。此の旧型カローラも処分するとのこと。さよなら運転であるなぁ。其の車を返し、伊那北駅近くの「角八」で蕎麦と日本酒休憩。行きはノンアルコールバスだったので、帰りは電車にした。当然各駅停車である。十三時過ぎの飯田線に乗る。若い車掌さんから切符を現金で購入。ぺらぺらのレシートのような車内券で6700円。二人分の正規運賃である。ボックス席に腰を下ろす。直ぐに向かい合わせになるのは列車の特長であるね。クルーではないので、早速ワンカップ白ワインを傾ける。車窓のどっち側もアルプス山脈。矢張り景色もバスよりいい。

岡谷で五十分待ち。此の間に売店でアルコールを補充。満席予定の特急を何本か見送った後、塩山行きに乗車。此方は六両のクロスシート車が来た。矢張りロングとは気分が違う。混んだ特急より空いた各駅停車の方が頗る快適。高尾まで行ってくれるものなら乗っていたかったが、泣く泣く小淵沢で乗り捨て、当駅始発のホリデー快速に再びの乗り換え。再びのアルコール補充。隣の小海線のホームにまで買いに行った月波君が、ワンカップが何個必要かと大声で尋ねて来る。当然十個である。男子たるもの一日一升飲まなくてはならぬ。併し四個しか在庫がなかった。小淵沢駅の中心で酒が足りないと叫ぶ。

少し待っていると件の十両編成の二階建てが入線。平屋の部分に陣取った。まあまあ集客して進むが、満席と言うほどでもなし。もうみんな帰ったのかな。特に甲府以東のハイキング客がいなかった。其れに此の巨体列車には千人分の座席がある。特急列車二本分、バスならば二十五台分。実に圧倒的な輸送力である。併し215系も此の先どうなるのだろう。元元の東海道線では大した仕事がないらしい。そろそろ車齢三十年か。男性用の朝顔もあるので酒飲みには最適なのだけどね。

うとうとしていると高尾到着。六時過ぎ。ちなみに中央線はちゃんと走っていた。全車指定の効果が出たのかな。しばしば自由席に乗り切れなくて遅延していたので。さてさて蕎麦は食べたので、ラーメンの番である。ダイエーの二階の「天狗飯店」へ。何しろ昼から飲み続けているので流石にアルコールは打ち止めにした。推定七合程度、例によって胃がざらざらである。代わりに排骨麺を平らげる。揚げてないタイプだったが旨いことは旨い。以後京王線で延延と帰る。月波君とは調布でお別れ。着いたら八時であった。伊那から実に七時間以上。御酒と景色で時間が蕩けて行くから、そんなに長くは感じない。普通列車の大量飲酒旅を満喫す。

早速諸諸の点検と確認。猫用の水が何もなかった。猫の面倒一つ見られない。家人ももう駄目だな。入浴後、直ぐに就寝。こうして十連休も終了す。

 

5/5・日

 子どもの日。午前中は薪の移動と畑に防草シートを張る作業。いや併しね、日本だと日曜農業ですら草との闘いである。続いて伯母と一緒に諸諸の買い出し。一日数本の路線バスとタクシーだけでは、別荘とはいえなかなか生活が維持出来ないからね。序でに伯母のお友達の家も訪問。此方も空き家になって仕舞ったそう。高齢者の一人暮らしは次第に困難となり、施設に入ったり、都会に住む息子や娘のところに呼ばれて行く。残されたブルーベリーの木を見て回った。

 午後は木曽に出た。国道19号を少し下り、贄川の「食事のデパート・食堂SS」という店に入る。典型的な昔のドライブイン。メニューは町の食堂そのもの。ラーメンから定食、アルコール類まで何もかもある。最近テレビで取り上げられた。色色と危ない時期もあったそうだが、よく残ったね。奇跡のような店である。名物の鯖の味噌煮で昼酒し、御飯少な目の牛丼で締める。すっかり長居した後、木曽福島の神社に御参り。再び伊那に戻る。夕方まで木木の枝取り。管理の悪い上下の隣地も手入れする。ちなみに道の駅では燕が乱舞していた。どうやら本年中の日本沈没はなさそうである。

六時頃から大量飲酒。伊那の山際は4G回線は入ったり入らなかったり。デジタル断ちには丁度いい。月波君が持参した特捜最前線のDVDを鑑賞す。夜は一雨あった。

 

5/4・土

 みどりの日。宿酔を何とか抑えて新宿へ。今日から伊那である。同行者は月波君。新宿バスタを十一時半過ぎに出る高速バス駒ヶ根行に乗車。此のバスは京王の運行。新造車らしくシートベルトが三点式になっていた。チケットレスのクレカ決済で運賃3500円。今年の四月に開業以来の本格的な値上げしたらしいが、其れでもあずさの半額強。相変わらず安いね。バスも道路も空いている。丁度一列目だったので、おしゃべりも控えめにして前面眺望を堪能す。列車とは違う一体感がバスにはあるな。何故バスの座席が全て前を向いているのか? 其れは全員が一種のクルーであるからである。

定刻の三時きっかりに伊那バスターミナルに到着。お世話になりましたと年長の車長に挨拶して降車。其処から車を受け取りに徒歩連絡。須見伯母は既に伊那に居るのだが、実は自動車の運転をきっぱり止めたとのこと。先月の池袋の事故がショックだったよう。まあまあ潮時かな。ずるずるべったりと延長しない辺りは伯母らしいと思った。従って月波君の運転で山荘に上る。まず日帰り温泉に。続いて伯母の野草の天麩羅から飲み始めた。点鼻薬を忘れ、鼻はフガフガに。例によって花粉症である。飲み薬を多用する。

一般参賀には十数万人も集まったという。本来は十月だったのらしいが、政権の強い意向により此の時期になったそう。そういうことを何も考えない人が大勢いる。集団発狂は近いな。そうしたら皇居は宮城となり、遥拝させられるな。

 

5/3・金

 憲法記念日。明け方のラジオから「15の夜」が流れていた。そう言えばあの方が亡くなったのも此の時期だった。確か二十七年前。それにしても子どもの数が少ないからこういう反抗期ソングも需要がないな。最近の親子関係も緩いしね。そもそも人の親になっている大人も多くない。家出をした寒い晩に百円の熱いコーヒーに出合う。三十年経っても缶コーヒーは二十円しか値上がりしていない。ずっとデフレーションなんだよねぇ。ゼロ成長は此の国の大人から自信というものも奪い去った感がある。全世代的に低成長、大人になれないままずっと彷徨中である。まあ威張り散らかして分からない大人になるよりかは幾分増しかな。

 終日晴れ。結局草取り。此の十日で相当取った。二階から見ても成果が分かる。五月攻勢である。『雑草と楽しむ庭づくり』と言う本によると、根の栄養を使って出て来た芽が光合成して、さあ伸びるぞという此の時期に刈るのが一番効果的なのだと。出鼻を挫けたのならば幸いである。夕方になり、祐天寺に徒歩連絡。月波君、坪上君、鷺乃間君と会う。まずカレーハウス「ナイアガラ」へ。続いて座り飲みBへ。酎ハイの残りにワンカップを入れてがぶ飲みす。下手な甲類より安くて悪酔いしない。酒飲みの知恵である。更に「庄屋」と「かぶらや」と寄ってタクシーで帰った。

 

5/2・木

 再び国民の休日の日。未明に雨は止んだが結局不安定。何度も通り雨。午後は漸く晴れた。少し草取り。昼は中華食堂。夜は残り物とカップ麺。

 

5/1・水

 即位の日。朝には上がる。さてさて何処かに出掛けなくてはならない。残念ながら何処にも行くところがない。其れでも出掛けなくてはならない。と言う訳で目の前の電車に飛び乗り、終点の中央林間へ。出鱈目に歩き出す。ゴルフ場の脇を抜け、倉庫及び工場街へ。住宅も沢山あるがバス網は薄いね。ひばりが丘一丁目という所で一時間二本の相鉄バスを掴まえてさがみ野へ。其のまま電車に乗り移る。

併し相鉄線に乗るのも久久である。折角なので西谷というマイナーな駅で下車。此処から短絡線を造って、今年の秋にはJRの線路に繋げる予定である。暫し見聞す。分岐は既に出来ている。此の先に横浜羽沢という新駅も出来るらしい。相鉄としては都内直結と言う悲願が叶うのだが、接続先の横須賀線埼京線は既にいっぱい一杯。だから折角繋がっても一時間に二三本の運転だそうである(乗り遅れたらどうなるの?)。本命は東急との接続だろうな(此方は数年後)。併し東急沿線から見れば、羽沢や西谷や三ツ境と言われても丸でピンと来ない。うざわ、にしたに、みつざかいと誤読しそう(スイマセン)。

 再び適当に歩くも、バスも店もない。其れでも押し寄せて来る車と細い歩道の太い電柱の陰ですれすれに擦れ違い、野を越え、坂を上り下りし、畑の中を歩く。ゴミも散乱。此の辺の道路も本当に酷いね。横浜市も予算がないんだな。東泉寺というところで市営バスの新横浜行きにありつく。少し手前の小机下車。寂れた商店街を歩き、「櫻家」と言う店を見付けた。具合の悪そうなおばさんが一人でやっている定食屋といったところ。早速麦酒休憩。丁度御昼のニュースをやっていた。

何処か知らない町の古い店で酒を飲みながら改元騒ぎを観察す。距離は近いが当初の目的が叶ったよ。満願成就。開いててよかった古食堂(ここら辺は孤独の何とか風に)。茄子の炒め物と串カツを平らげ、横浜線で東神奈川へ。ホーム上の「日栄軒」で立ち蕎麦を啜り、大森経由でバス帰宅。大体三時頃。いや併し歩いたね。一万八千歩、十数キロ。交通費概算1600円。帰宅するとあっという間に再びの雨。疲れたので延延と夕寝。胃の調子が悪く、晩はサラダのみ。夜は大雨。

テレビは消してずっとラジオ。「ジャム座ワールド」から「セッション22」。ところで此のひと月ぼんやりと聞いていたのだが、文化放送の「サキドリ」は「デイキャッチ」と構成が頗る似ている。少しコメンテーターを入れ替えてくれれば、此れからの午後は全て文化放送で決まりだな。ちなみに新元号の英訳はビューティフルハーモニーだとさ。オーダードハーモニーの誤りだと思った。ディスオーダーハーモニー=美は乱調にあり。

2019年4月

4/30・火

 元元黒かったが、改元行事に伴い、国民の休日になった日。昨夜遅くからずっと雨。珍しい朝風呂の後は昨日の三冊をパラパラと。小止みになったので、昼はチェーン店のうどん。食べて帰ると丁度「やすらぎの刻〜道」。老人ホームとは一旦離れて、とある一家の物語に話は飛ぶ。小作=貧農⇒満蒙開拓=日中戦争、昭和の前半、詰まり戦前の日本の醜さがストレートに描かれているなぁ。午後は草取りと買い物。夕方から皇室行事のラジオ中継。

 まあ平成は丁度三十年。個人としても社会としても振り返り易い単位であることは間違いない。だからさようなら平成はあるとしても、幾らなんでもありがとう○○はないよな。日本人も何れまた集団発狂しかねないと思った。頭が可笑しくなりたくない人は、「終焉」のP214を読むべきである。十時就寝。

 

4/29・月

 昭和の日。天気は下り坂で明日明後日は大雨だという。改元前後の下らないことから何処かに避難する積りだったが無理そうである。残念だ。テレビもネットも遮断してみるか・・・。

 朝の内から渋谷に徒歩連絡。「博多天神」で早昼、まだ豚骨出汁が十分ではなく味が薄い。よって替え玉は無し。さてさて高架下の本屋で『平成の終焉』『平成経済衰退の本質』、序でに『感染症の世界史』。のれん街で晩の中華惣菜と御菓子を購入。丁度船橋屋のくず餅を売っていた(酒に合うんだよね)。渋谷は相変わらず人が多い。人が集まる所は危ないな。今のところ此の国がテロ攻撃に遭う可能性は高くないが、何しろ標的は日本人とは限らないからね。32系統で早目に退散。スーパーの金目鯛の刺身と合わせて五時過ぎから飲んで御仕舞。

 

4/28・日

 さてさて今日から本当にカレンダーが赤くなっているから正確には九連休だな。割と冬型の晴れ。バスに乗って適当散歩。等々力の「やぶ森」という蕎麦屋で麦酒休憩。九十年は続く老舗らしい。つまみ類も多く、なかなか繁盛している。蕎麦屋はこうでなくてはね。盛り蕎麦を小口で啜り、再びバスで戻る。午後は草取り。途中映画「パシフィック・ウォー(原題は勇気の男たち)」を見ようとしたが敢え無く挫折。人死にが多い作品はよう見られない。何かの花粉に当たり鼻水止まらず。晩は残り物。陽が落ちると結構寒い。夜は新作のアニメ「ガンダムオリジン」。何処まで放映するのかは知らないが、それにしても総人口の半分がお亡くなりになるような物語を公共放送の地上波がやっていいのかね。第一、民業圧迫である。NHKから民放を守る会も必要だな。

北の若大将はロシアを訪問。成果があるのかないのかは分からないが、まあ外交が続いている限りに於いてはミサイルとかは撃って来ないだろう。上越新幹線が止まり、185系が臨時で走ったという。正に新幹線リレー号。

 

4/27・土

 朝方はコンビニのおにぎり。家のレンジで少し温めると少し旨くなる。さてさて本日から史上最長の十連休だそうだが大して有り難みは無し。何しろ吾人は普段から五連休だからね。

 曇り時時小雨。断続的に草取り。岩波新書が見たくなり大橋のまあまあ大きい本屋に行くも、岩波自体が置いておらず。可笑しいな、前はあったような気がするけど。閉店が近いのかな(岩波は返本が出来ない)。近くの立ち蕎麦屋で食べて戻った(470円)。午後も草取り。ああ山羊か羊が欲しい。ぼんやりしていると税務署から大きい封筒が届く。ドキドキして開けると、其れはお悔やみの言葉から始まっていた。要は「相続税の準備は進んでいますか?」的な内容。国も年寄りが死ぬのを(首を長くして)待っていたな。続いて近所のスーパーに行くと、「明日があるさ」が流れていた。平成のヒットソング特集ということらしい。此の「新しい上司はフランス人」って、あの人のことだよね。全てが皮肉に聞こえるな。無闇矢鱈に明るい内容も。あれから二十年。ずっと停滞していますよ。吾人も此の国も。

重労働したので晩は其のスーパーの牛の肉を焼いて食べた。何だか食べ足りないので御供えのマドレーヌをかじったら下のアルミカップが唇に刺さり大怪我す。カップが厚すぎる。(恐らく)大手の店なら使わないような素材だな(製造は地方の御菓子屋)。場所柄何度も再出血す。例によって碌なことがない一日。

 

4/26・金

 元会長は再び保釈。今度はスーツ姿で出て行った。スリランカのテロ実行犯は大半が富裕層だったと言う。インテリは足元を掬われやすい。まず全てを疑って掛からねばならない。其れが知性と言うものである。なおセイコーマートの二十四時間営業店は全体の二割だそうである。

 寒気が入り小雨模様。解体に関しては矢張り裁判所に連絡が必要とのこと。何かあったら困るので住宅メーカーとしては怖くて手が出せないらしい。再び優子さんに連絡を取る。併し明日から十連休。解体は遅れるな。午後出社。金二万円受け取る。退社後は営業がてら近所のラーメン屋さんに。ラーメン600円の懐かしい味の店。子どもの親と言うものは意外な所にいるものだと思った。無責任社長と別れた後は、鶴木さんらを捜索。此方は390円のチェーン店にいた。最後にIで二杯だけ。夜も寒い。頭も目も冴えるから事故も減るだろう。

 

4/25・木

 未明には上がる。以後曇り。暖かいというより蒸し暑い。午前中に税理士から電話。第三の人とも何とか纏まるとのこと(まあまあの金額で)。なお相続税の他には、不動産取得税(は掛からないんだっけ?)、登録免許税と税理士報酬、信託銀行手数料、結局幾ら残るのかは今一つ分からず。それにしても前回の相続から間もないから勉強する暇がなかった。午後出社。既に世の中は連休前モードと言ったところ。ぼんやりしながら数学を教え、Bと中華に軽く寄って御仕舞(凡そ二千円)。

帰宅後もずっと相続税の計算。漸く分かったぞ(メールに添付されたA4一枚の解析に一日掛かった)。諸諸の控除をし尽くした課税遺産総額を一旦法定相続人で強制的に分ける。其れを元に各各の相続税を算出す。其の各各を再び合算した相続税総額を実際に引き継いだ財産に応じて再配分するのね。合点承知の助。でも折角分かったところで、此の知識、余り使いようがないな。相続税とは一生に何度も払わない税金である(家人の時は非課税になる見込み)。

 

4/24・水

 朝から曇り。時時雨。時時買い物。三日連続の草取り。ハコベの絨毯は通り越し、ハコベの洪水に草取り鍬を入れる。取り敢えず引っこ抜いて其のまま寝かす。目に見える成果が上がると士気も上昇す。ところで最近のシロは何遍も上がって来て、撫ぜてくれと強請る。まあ確かに野生に近い生態の猫が人の愛撫を受けるとなると、其れはもう異次元の気持ち良さなのだろう。一方の人間様は抜け毛にやられてくしゃみ止まらず。夜は家人の明太パスタ。大鍋で麺を茹で、中華鍋で絡めるとなると大仕事である。此の料理も廃番決定だな。

中部地方の豚コレラも収束できないのに、御隣りの国では更に強力なアフリカ豚コレラが蔓延中。何とか防いで貰わないと。失敗すればとんかつも家系ラーメンも食べられなくなる。また豪雨で壊れた日田彦山線南部は復旧困難とのこと。此のままバス転換だそう。残念だけどね。せめてBRTにして鉄道施設を再利用して欲しい。コンビニ問題はとうとう公正取引委員会が出ることに。優越的地位の濫用だそうである。何処かの勇気あるオーナーが声を上げたことによる今回の問題の沸騰。本社と株主以外は殆ど儲からないシステムを早く直すべきである。

 

4/23・火

 終日晴れ。昼は外に出た。下りの電車に乗り、溝の口へ。適当な市バスに乗り、適当な停留所で降りる。お目当ては「うまいラーメンショップ川崎水沢店」。此の系列は家系ラーメンの元になったと言われているが、生憎何処も駅前にはないんだよね。と言う訳で電車とバスを乗り継いで来たのである。働くおじさんたちと共に「ネギラーメン中」(800円)。昭和のこってり系といったところ。今となっては大人しい味。成程なるほど、此の麺を太くして、豚骨と醤油と油を濃くし、チャーシューを厚くして、ほうれん草を入れれば吉村家になるのだね。家系は平成になると全国区になる味である。但し明らかに脂質と塩分が増大している。健康面を考えると危険な傾向だな。さてさて食べたからには歩かなくてはならない。尻手黒川道路を只管南下。宮前平駅前のホームセンターで物干しと防草シートのピンを購入。其のまま電車で帰った。

夕方草取り。残り物と缶詰の晩酌の後ぼんやりとテレビを見ていると「サラメシ」(公共放送)。アメリカ大使館特集。まさか来月の訪日に合わせた企画ではないと思いたいな。ただ出演者の多彩な経歴には感心す。語学の先生が巡り巡って大使館勤務とか、此の国では少少あり得ないね。作業後は鼻水止まらず。また何度も上厠す。山形では離陸中の旅客機が芝生に乗り上げる。矢張り此の時期は危ないぞ。一回寒気が入って、みんなの頭をピリッとさせるといいのだが。

 

4/22・月

 どのエコノミストに聞いても日本の景気が拡大傾向にあったことは確かなことらしい。尤も其れは世界経済が元元回復基調だったこと、中でも中国の旺盛な内需と設備投資が輸出を押し上げていたことに因るとのこと。詰まりAの功績ではないな。其れらが収束に向かうと愈愈危ない。中国がくしゃみをすると・・・。一方大寺院の再建には莫大な寄付金があっという間に集まる。そう言うことではないんだよね。神様が怒って、もう一度発火するかもしれないな。

 須見伯母が来るというので昼の弁当を買いに出る。出た序でに若林の「八蔵」で付け麵(700円)。醤油仕立てのあっさり味。環七沿いの巨大ディスカウント店はもう閉じていた(一年と少し)。あの変形地に変形した建物では高齢者に受け入れられなかったな。吾人ですら迷ったもの。一方斜向かいのピーコックはすっかりイオン化されて品揃えは丸で凡庸に。碌なものを売っていない。以前は多少は高級感があった筈なのだけど。安い物ばかり売っていては経済成長できないぞ。結局国道の向こうの「福のから」という店で折詰めを買って帰った。

何だか異様に暑い一日。連休も近いし大半の人は眠たくなる。ぼんやりしていると、須見伯母は拙宅その他の雑草の多さに苦言を呈して帰って行った。無理だよなぁ。今年は三月から暖かいから取り分け酷い。既に戦意喪失。そもそも日本の国土の主役は草なのであって、稲作も畑作も家作も草との闘いである。可笑しいな、もっと草食動物に食べさせようという発想があっても佳い筈なのだが、牧畜の導入は近代以降。何処かでミスリードしたと思う次第である。其れでも軍手と刃物で少少立ち向かう。猫車一杯ぐらいは取った筈だが、大して変わったようには見えず。其の後はスーパーの鯛の刺身と惣菜。105号の人は在室を確認。一体何処で何をしていたのだろう。留守電に入れた途端に帰ってくることなど、何かおかしいな。

愈愈衆参同日選挙みたいだな。テーマは増税の可否。そりゃあ増税はするよりしない方がいいに決まっているけど、そういう訳にも行かないから取り敢えず10まで上げる決定をしたのだけどなぁ。明らかに解散権の濫用。そういう理屈が通らなくなって久しい。そもそも与野党ともに増税反対ならば争点にならないだろうに。

 

4/21・日

 宿酔は無し。矢張り御酒がいいからね。早速千円札の点呼を。13枚あった筈が残り三枚。詰まり一万円使った。春の蕩尽だね。続いて区長及び区議会議員選挙に。例によって地元の中学校に行くのだが、例によって悪い思い出が蘇る(吾人の人生の最悪の期間が此の中学校での三年間であった)。早く建て替えてくれないかな(是非とも陳情したい)。今後は期日前投票にしようと思った。続いて牛丼Yへ。久久である。ただYの牛丼は味が薄めだから頭が足りなくなる。濃い目のSの方がバランスよく食べられるな。

 隣家の片付けもほぼ終了。午後不動産屋のS君が来たので暫し立ち歩く。どんどんと不動産屋が立っても一向になくならないのは、賃貸仲介より売買が活発だからだそうで、どんどんマンションが建つので、中古の市場も活況を呈しているとのこと。五年落ちでも購入時より高く売れるらしい。自宅に住んで御金が増える。そんな馬鹿な。愈愈、アレの崩壊は近いな。また103号室は漸く引っ越してきた。長期不在と見られる105号室の人には念のため電話を入れる。

 夕方散歩をしていると若い母親が自転車の指導中。ハンドルの切り方が悪いと小さな息子さんに激昂していた(最近では教育虐待と言うらしい)。まだ未就学児だろう。態態自転車など乗せない方がいいと思うのだが(そもそも危ない)。ひょっとして、もう○○が出来るようになったのよ式の開発競争があるのかもしれない(実に下らない)。吾人が自転車に乗ったのなど確か小学四年か五年の頃だよね。来る時が来れば自然と乗れるようになるものである(そして死の寸前まで乗る所存である)。夜になり、昨日持ち帰ったぐい呑みを検証す。上まで入れると確かに一合入るが、昨日は精精六勺程度。錐体を逆さにしたような物は相当上まで入れないと容積は伸びない。どおりで酔わない訳である。八杯飲んでも五合程度。復興支援とは言えもう少しサービスして欲しかったな。出来ればぶっ倒れるくらい(冗談です)。スリランカでは爆弾テロ。神戸では市バスが歩行者を轢く。

 

4/20・土

 余りツイッターは見ないのだが、月曜のラジオに出ているコラムニストさんは入院中にもかかわらず、ネトウヨ連中と舌戦を繰り広げている。血圧とか大丈夫かね。私には出来ないな。御苦労な事である。いい先生に成れると思う。

 終日晴れて気持ちがいい。環七まで徒歩連絡してバスに乗る。田岡さんに誘われた飲み歩きのイベントがある。「大森弾丸ツアー」という。福島の復興支援とのこと。参加者は結局月波君。500円で専用ぐい呑みを購入しいざスタート。つまみも御酒も500円均一。酒は福島の日本酒のみ。相当な人が参加している。何処の店も座席を撤去しているが何処の店も満員電車のような大混雑。まあ一種のお祭りだからね。馬刺しと創作料理の店を二つ回って、「富士川」で瓶ビール休憩。大森は巨大飲み屋街なので、休憩場所にも事欠かない。田岡さんも合流し更に三店。最後に「山小屋」のビールと酎ハイとラーメンで締めた。最終バスに乗り帰宅は十時頃。いやしかし、結構飲んだね。

 

4/19・金

 生きていれば実父94歳の誕生日。当然鯛や赤飯などは無し。あったところで死人に口無しである。夕張の炭鉱で火災。といっても博物館の坑道が燃えたよう。併し石炭から石油へは国策として進められたの対し、原子力及び化石燃料から自然エネルギーへの転換はなかなか進まず。おかしいな、日本銀行券を刷り過ぎているのだから将来は超円安になる可能性がある。其の時電気ぐらい自分たちで賄えなければ大変なことになるぞ。

 池袋で酷い暴走事故。高齢者でなくとも此の時期はぼんやりして事故が多い(と確信している)。厳重に警戒しながら午後出社。今季は久久に小学生を担当す。矢鱈五月蝿いので授業後半は学習用クロスワードパズルをやらせて凌いだ(激昂予防の為)。退社後は中華とBを覗いたのみ。割と早目の帰宅。「タモリ倶楽部」では青海と青梅を間違えた人を特集していた。こういう人は地図はおろか路線図すら見ないのだろう。検索ソフトの御蔭で変な乗り換えをしている人をしばしば見かける。此方も取り上げて欲しいと思った(新潟から郡山に行くのに米坂線プラス山形新幹線を使っている人と向かい合わせたことがある)。

 

4/18・木

 家人また風邪を引く。鼻と微熱。シルバーカー押し押し耳鼻科に行ったところ何故か休診中。ネットで調べると院長が何度も代わって秋に休業して春に再開したらしい(但し夜だけ)。個人のクリニックではなかったのだね。どういうところが経営しているのだろう。あれだけ大勢患者が居たのに迷惑な話しである。但し行って帰ってきたら少しは元気になったよう。矢張り動くことが大切である。

午後出社。最近指数が見にくくなったことに気が付く。「字が小さすぎて・・・」。ひょっとしてひょっとしたらあれが始まったのかもしれない。退社後はBで二杯だけ。ほぼ休肝

 

4/17・水

 ММTというとまた何処かの新型交通システムかと思ったが、現代金融理論と言うらしい。アメリカ生まれで、インフレを起こさない限り自国の通貨をどんどん発行しても構わないと言う新しい考え方である。御手本は何と日本だという。日本を見てみろ、あんなに借金があってもダイジョーブだぁという式である。まあ確かに数百兆円の政府債務は、日銀が刷って配って使って仕舞いましたと考えるしかないな(とてもじゃないが返せない)。国民の為に使った国民政府の借金を国民の為に帳消しにしたのだから正しく徳政令である(平成の)。でも永続的には無理だよなあ。まだ大丈夫。何時まで大丈夫かは分かりません。ところでММTは大規模な財政出動を求めるリベラル派に受けの良い理論らしい。日本だとあべこべ左派が財政再建を主張しているから捻じれている。まあ財政が破綻すれば一番困るのは下下の人だからね。早目早目に何とかしようと言う気も分からないことも無い(Nという人が全てをなげうって決めた増税なのだから)。

 それにしてもみんな御金を使わない。ちなみに亡父の医療と介護費は四か月で約300万円(半分以上は社会保険の適用外)、葬儀と御布施と納骨等等で凡そ350万円、相続税と税理士報酬等等で多分数百万円。お亡くなりになる人が増えれば有効需要も納税額も増える筈なのだけど。どちらにしても年寄りが貯め込んだ御金頼みである。

 まあまあ曇り。月波君が御酒を飲みたいというので地元の店で出迎える。更に映像を御見せしたいというので自宅に招く。持参したのは「オレンジのその情熱と」という鳳生大学の広報映画。1980年製作。シラケ世代の学生たちが大学の歴史について学ぶというもの。宗左近氏が脚本をつくったらしいが、テーマが拡散し過ぎてよく分からず。もう一軒寄って解散した。

                                                   

4/16・火

 修繕中のパリの大寺院が焼失。失火ではないな。目の前に広がる光景があまりに酷くて自ら燃えて仕舞ったのだと思う。

須見伯母が来る。桃の剪定をしつつ、助けられる限りは助けたいということで植物の移植も開始。と言っても八つ手と千両を一つずつ移して終了。そんな深く掘れないし、第一に移す場所がない。家人らにはてんやの天丼。吾人は一丁目のインドカレーに初入店。北インドのとろみのある味らしいが何しろ食べたことがないので旨いかそうでないのかよく分からず。ついつい瓶麦酒にタンドリーチキンを付けたから一人昼餐会であった(2000円)。夜は残り物。昨日今日とくしゃみ止まらず。花粉がまだ飛んでいる。

 

4/15・月

 朝には晴れる。早速ガス工事代金を支払いに行く(16800円)。送られてきた振込用紙は郵便局以外の全ての金融機関で使えるが有人窓口専用とのこと。こんな用紙があるのだね。結局面倒臭い。引き続き隣家の片づけ。愈愈最終章。仏壇の奥から小包が。すわ聖徳太子かと思ったが、大昔の手紙の束。一応保存しておく。大事な物だろうしね。

昼は「やすらぎの郷」の続編の「やすらぎの刻」。原作者は企画を没にされかけた「湾岸テレビ」にまだ怒っている模様。御老体を怒らせると恐ろしいね。一方昨日は歩き過ぎたと言って家人は終日在宅。ひょっとしてひょっとしたら、亡父より老化のスピードは速いかもしれない。さてさて月曜だが出社の予定も無し。少し暇すぎる。今年度を考える必要があるな。よって三日連続で晩食を買いに行く。結局スーパーの弁当。

夜のニュースを見ていたら何処かの小学校でタブレット型教科書を使った授業が開始されたとのこと。新時代の幕開け?まさかね。教室はまるで昔のままで児童は三十人以上はいたかなぁ。ああいう所を早く直すべきである。御金がないから無理かぁ。先生をもう一人雇うと軽く一千万は掛かるからね。

 

4/14・日

 朝は晴れたが大体曇り。風邪が治った家人はシルバーカーを押して御買い物。吾人は片づけ少少、草刈り少少。今年はハコベが凄まじい。此れは取らずに放っておく。其のまま枯れると、次の草が生えにくくなるから丁度いい。朝は冷凍うどん、昼はインスタント麺、夜は環七の刺身と冷凍餃子。熊本地震から三年。あの年は伯母が亡くなった年でもある。夜半から雨。御隣の奥さんはまた猫を飼い始めたそう。而も十歳くらいの保護猫だという。十歳からのスタートではお別れも・・・。つくづく篤志家だね。

 

4/13・土

 今朝の新聞では一番嫌いな経済学者(兼元政治家兼政商)が長編インタビューを受けていた。経済の方向性について此の人とは全く考えが合わないし、実に腹立たしい。もしも目の前に居たら最低二時間は説教する。あんたの可笑しな理屈のせいで給料がだだ下がり、内需がぐっと萎んだのだと。ただ日本経済の長期停滞(零落)を心配しているという点では吾人とて同じである。と言う訳で、大正時代の家を壊して太陽光パネル付きの賃貸物件を建てることにした。古い物は作り替えなくてはならない。こういう更新投資さえあればもっと経済は回る筈である。しかも正常にね。

 穏やかに晴れた。昼は誠屋でラーメン。数年に渡り貯め続けたポイントでTシャツが貰えるとのこと。愈愈此の日が来た。実に45杯は食べたことになる。受け取りは来月。なお家人は小風邪。従って昼夜となくスーパーの惣菜類。

 

4/12・金

 朝から曇る。ところで、「スタンバイ」の後は日によって異なる。出演者によって、時時文化放送、時時ニッポン放送。金曜日は断然NHKだな。作家で明学の先生がいい感じで怒っている。最近の午後は文化放送が多いが、「デイキャッチ」の後釜は見つからず。

 午後出社。此の時期はぶかぶかの制服を着た少年少女と擦れ違う。新中学生だな。いや併し、日本の学校には六三三四他と色色あるが、就中取り分け本当に駄目なのは此の中学校だろう。度を越えた密度で人間を詰め込み、圧倒的長時間に渡り拘束している。謂わば子ども収容所である。結局体が丈夫で心が鈍感な子が生き残るようになっている(其れは日本企業そのものかもしれない)。どうぞ御無事でお戻り下さいと見送った。此れは我が子を戦地に送り出した親の心境だな(当学院でお待ちしております)。

退社後は中華とBとIへ。一時前頃ふらふらで帰宅。直ぐにカップヌードル(醤油味)。すると丁度「ボロ宿紀行」の最終回。と言ってもまだまだ旅は続く模様。シーズン2を期待。何しろ関東信越と伊豆しか行っていないからね。是非全国行脚して地域興しして欲しい。吾人も泊まりに行くぞ。冬場は首巻して。

 

4/11・木

 朝から晴れたが北風強し。人身事故と強風で今朝の通勤はグダグダだったという。ただでさえ不慣れな乗客が多い時期だからね。以後燦燦と太陽が。庭の木木も続続芽吹いている。其の何割かはあと僅かの時間なのだけど・・・。

午後出社。金参万円受け取る。少し歩いた。また続続と学習塾が出来ている。高層マンションの完成を当て込んでいるのだろうがつくづく芸がないな。過剰出店のコンビニと同じである。何か他にニュービジネスはないのかね。退社後はBと立ち中華。すると不審尋問に遭う。車体番号まで調べて行ったが当然該当車は無し。何しろ防犯登録も期限が切れている(ナンバーを再利用されていると少し怖い)。此の自転車も愈愈三十云歳。其れでも代えられないな。「亡父(おやじ)の形見だから」などと若い地域課員に説明した。いや併し、久久に授業を担当すれば、公式は間違えるは、生徒の名前は忘れるは、白チャリにまで追い掛けられた。散散な一日であった。入浴して直ぐに寝た。

 

4/10・水

 未明から冷たい雨。こうなると何もする気が起きない。でも何だか落ち着かない。4月10日という日付が引っかかる。そうか今日は春の青春18きっぷの最終日である。今季は購入しなかったが、大抵の春は使い切れなくて困ることになっている。そういう習慣が染みついた。買い物の序でに『きょうの健康』(NHK)の腰痛特集を購入。更に序でに『五・一五事件』(ちくま文庫版)。

午後は映画「メッセージ」。異星人との必死の遣り取りの結果わかったことと言えば、あんまり先のことを心配しても仕様がないということ。○○脅威論と言うものは其の最たるものだろうな。「ばかうけ」しない地味な映画であった。晩食は連子鯛の塩焼きに鋤焼き(但し簡易版・・・肉が安い)。余りに寒くてカセットコンロを登場させる。超新型戦闘機は行方不明。暴言大臣は漸く辞任。

 

4/9・火

 数年後に新札を作るそう。新円切り替えで旧札は使用停止になるか(箪笥預金を吐き出させる為)。まさかね。でも一定期間を過ぎれば一枚百円くらいの手数料を取っても良い。事実上のマイナス金利、若しくは箪笥税と言うことにして。そもそもATМの改修費だって今の銀行業界には厳しいだろう。

終日冬型の晴れ。断続的に隣家及び拙宅の片づけ。拙宅にも大量の不用品が堆積している。昼は冷凍中華丼。夜は家人の回鍋肉。少し節約せねばならない。但し腰の悪い家人に中華鍋は厳しいよう。数か月経っても一向に改善しない。腰痛は近代医学では治らないものの代名詞である。誰か治して貰えないかな(此の際は霊能者でもいい)。旧105号室の人は滞納分を完済。故郷で再起してくれるといいが。

 

4/8・月

 午前中は雨模様。御昼過ぎに出社。授業はないが、テキスト類の配布と新出席簿の作成。今日から新ダイヤである。ちなみに日給制の先生に目いっぱい授業をやって貰うと、吾人などには回ってこない。千寿校も休校状態なので、吾人の授業担当は木曜と金曜に限られる見込み。楽なのはいいんだけどね・・・。

問題がもう一つ。十連休への対応である。当学院の授業料の引き落としは毎月27日なのだが、延延と延期されて何と翌月の七日になって仕舞う。今月だけ26日にしたら怒られるかな。と言う訳で改元の影響は色色な所に出ているのである。本来は四月一日だったのだけどねぇ。最初に報道したA新聞への当てつけでこうなって仕舞ったと推測している。基本的にカレンダーが赤くなることはいいことなのだけど。

七時前退社。元生徒がアルバイトしているという居酒屋に向かう。酒四杯につまみ類で3900円。そう言えば此の子も二十八。まさかね・・・。更に碑文谷の青葉でラーメン(730円)。夜も小雨。

 北海道の知事には夕張支線を廃止させた市長が当選。こういう人物だとJRには辛く当たりそう。道路を造る一方、廃線が加速するな。いや併し、都市部にしろ過疎地域にしろ、日本の政治はどうしてこんなに在来線に冷たいのだろう(涙が出るの)。未だに開かずの踏切とか沢山ある。詰まり明治大正の線路を使い続けている。

 

4/7・日

 先週は寒の戻りがあってまだまだ桜が咲いている。と言う訳で花見を行うこととなった。金曜会では久久である。吾人が場所取りに参る。始発のバスに乗り、多摩川台公園へ。現場到着は二隊目(但し一隊目は無人)。以後ブルーシートを広げ、横になって延延と待つ。まあこうやって大地に寝転んで一人桜を見るというのも滅多にないことである。場所取り係りの特権だな。青空とパラパラと散り行く桜。時時野鳥。周りの歓声も丁度いい感じ。

花見会は十一時過ぎに開始。参加者は、須々木さん、田岡さん、鰻犬先生、月波君、久久に仲田大将。やや緊急的に開催されたので参加率は低め。ところで最近の大将は外回りで出合った二十八歳の令嬢に恋をしていると言う。送ったラインがなかなか既読にならないと悩んでいる。つくづく盛んな人である。以後五時近くまで続いた。其の後目黒のカラオケ店に移動。切ない恋歌を歌いたいという大将に対して、吾人は別れ歌で対抗す。「喝采」(但し死別)、「なごり寿司」(但し勘違い)、「天城越え」(危なく殺人未遂)、「М」(下手したらストーカー)、「翼の折れたエンジェル」(後先考えない幼い恋)。なんともな、「恋はいつでも初舞台」である。小うどんを食べて帰宅。十時就寝。途中寝ていたから宿酔も無し。まあ今回は吾人が幹事長だから潰れる訳には行かないという責任感もあった。

 

4/6・土

 風も無く、更に穏やかな一日。コンビニ最大手の社長が交代。当然である。ああいう頑なな態度はビジネスを滅ぼす。半分くらいの店舗は当初からのセブンイレブンで十分だな。かくいう吾人はコンビニは非常手段と心得ている。成るべく使わないと言うことを前提に生活を立てている。従って、朝は牛丼S、昼はスーパーのミニ天丼。夜は後者の肉を焼いて食べた。

 考えてみれば、平成は1989年に始まり、2019年に終わる。平成とは、経済は絶頂から転がり始め、社会は分裂し、酷い事件と災害ばかりが起こったと言うようにざっくり捉えられることになるだろう。一方、中の日付は、1995年、2001年、2011年と言った感じでみな西暦で覚えている。不思議な年間である。

 

4/5・金

 終日晴れ。但し風強し。今日明日は本務校も休講日。桜も満開だから生徒たちも休ませなくてはならない。愈愈春だと家でぼんやりしていると、漏電遮断器を交換させて下さいと作業員がやって来る。確かに201号室の外には古い装置がある。火災報知機用の回路のものらしい。以前から気になることは気になっていた。費用を聞けば、19万だという。おかしい、おかしい。幾らなんでも高すぎるぞ。既に作業に執り掛かっていたところを慌てて止めさせた。田川洋介似のソフトそうなおじさんは、一応名刺は置いて行った。いや併し、油断も隙も無いな。ぼんやりとしていてはいけないな。吾人は日日是、振り込め詐欺及び点検商法の防衛最前線勤務なのである。

 そんなこんなで昼のレトルトカレーを食べ終わると、続いてガスの点検。此方は当初から予定されていた正規品である。すると共用部でガス漏れの疑いがあると言う。確かに時時臭っていた。てっきり下水の臭いと思っていたが、まさかガスとはねぇ(鼻の良い吾人としては迂闊であった)。直ちに処置を依頼す。数十分後に緊急修理班が来る(但しパトライトは作動せず)。管を立ち上げた根元の部分が腐食している模様。雨ざらしのところだからなぁ。

ちなみに緊急班の班長は吾人より年下の、振り込め詐欺班の中リーダーのような感じ(出合ったことはないですが)。凄い迫力で以て、何しろ古い建物なのであちこち破れている可能性がありますと畳みかけて来る。此のまま大営業する積りなのだろう。一方、最初に発見したおじさんは、修繕なぞは直ぐに終わりますよと小声で教えてくれた。工事屋さんもセカンドオピニオンを聞かなくてはならないな。また老配管を全部やり直すには、外付けの方法もあると解説された(掘って作り替えるより格安とのこと)。

以後関連会社の人が三人で来て、狭い範囲で掘り返す。ガスを止め、配管を叩き切り、新しいものを貼り付ける。取り換え部分は数十センチ程度。また残りの古い部分にも腐食防止テープを巻き付けて埋め戻した。実に六時過ぎまで掛かった。其れでも請求金額は二万円を超えない見込み。ガスというものは公共サービスの一部だから三割程度の負担なのだろう。有り難いと言えば有り難い。何はともあれ、此方は修繕の最前線である。いやはや、御苦労様でした。缶コービーを四本持たせて見送った。何の予定も無い筈だったが、午前は電気(但し詐欺)、午後はガス(此方は本物)と、とんだ一日になったよ。こういう日もあるのだね。

 

4/4・木

 元会長は再逮捕。再び小菅へ入る。会見を行う間もなかった。何だか憐れである。午後出社。本日で春の講習は終了。通常授業の時間割を手配する。退社後はBで二千円弱。続いて新しく出来た碑文谷の富士そばに入る。見ると、練った蕎麦粉をにょろっと打ち出して直ぐに茹でるという最新型の機械が導入されている。原理的には、打ち立てで茹で立てなのだろうが、やや幅広の麺には何の風味も無い。何かが違う。こういうものを求めているのではないよなぁ。

 

4/3・水 

 相続財産の目録が出来上がりましたと言うので、家人と渋谷の信託銀行へ参る。税理士さん二人を交え、報告を受ける。以後遺産分割協議に移ることとなるが、例によって遺言書に書いてあった内容では遺留分には達しない。また遺留分にも色色あって、此れが最大限に上振れした場合、亡父の現金はほぼほぼなくなる可能性があることを指摘される。まあ諸費用を支払っても持ち出しがない分、吉とすべきかな。

なお二次相続を考えた場合、家人に余り財産を引き継がさない方が佳いとの提案も受けた。配偶者控除は莫大だが、其処に甘んじると、次の相続税が増大すると。そりゃまあ、そりゃそうだ。と言う訳で当初の遺言の内容は全面的に変更されることになる。可笑しいな。2010年に何十万円か掛けて作ったのだけど。将来は未定、未定は未来、結局は出たとこ勝負である。のれん街で中華弁当を買い、再びバスで戻る。帰宅は正午過ぎ。正味一時間半の報告会であったが、何だか草臥れた。

午睡ののち出勤。退社後はBで二杯だけ。帰宅後、目録を元に何遍も電卓を叩くも、相続税の試算は出来ず。確定申告とは難易度が違うな。低アルコールと計算の御蔭で寝つきも悪く、碌な夢を見なかった。

 

4/2・火

 引き続き隣家の片づけ。本の選別もほぼ終了。他に細細としたものを袋に詰めて回る。ぼんやりしていると件のはぐれこげ茶猫が餌を啄んでいる。飢えているな。少し食べさせてから追い払った。昼は環七の向こうの街中華。町中の一軒屋といったところ。大して客も居らず。よくこういうところで商売ができると思う。ラーメン炒飯で850円。少し高い。午後はミケの予防注射(6480円)。更にぼんやりしていたグレも連れて行く(同)。此れで三匹終了。

 一夜明け、元号制定の過程も徐徐に明らかとなる。考案者や没案も次次と特定される。昭和と平成の違いだね。即ち情報化社会ということになる。Aの無茶ぶりが明らかになるといいが。色色と盛り上がっているようだが、まあ誰が何と言おうと、元号とかは使わないし、そもそも使えない。

 

4/1・月

 新しい元号が発表になるとかで朝から大騒ぎ。ワイドショーに中国古典の先生も多数登場す。併しこういう時だけだろうな、漢文の先生がテレビに呼ばれるのも。十一時半に官房長官が出て来て、発表す。まさかラ行とはね。Aのゴリ押しで出典は万葉集だそう(と言っても漢文の部分)。改元の政治的利用だな。慌てて国文学者を呼び立てることになる。こういうところで脱中国化を図っても仕様がない。それにしても、此れからの数十年も碌なことがないだろう。零落ニッポンである。

 どの局のどの番組も、素晴らしい素晴らしいのオンパレード。少しは批判的な言説を聞きたいが、「デイキッチ」はやってないし・・・。寒気が入り午後は一雨。こう言うことで浮かれていると風邪を引くぞ。朝はコンビニのおにぎり、昼はスーパーの弁当。夜は残り物。

2019年3月

3/31・日

 一日遅れて「ヤマト2202」見了。高次元空間から二人が還って来て目出度し目出度しという設定。まあこんなもんだろうな。78年公開の「さらば」では特攻を美化しているとかで物言いがついたもの。此のまま「完結編」もリメイクするのだという。物語も戦争同様終わらせ方が実に難しい。

朝方から猫餌の買出し。続いて近所に出来た千円カット店で散髪。まず晴雷亭で昼食。ビール付き。続いてバーI主催の花見会へ。近所の公園へ移動す。参加者十人くらい。昨年とは随分入れ替わる。外国の方もいる。小さな子の面倒も見たぞ。大量飲酒の上、ふらふらになって帰宅。八時頃。以後胃痛。

 

3/30・土

 数日来の疲れが出たのか、日中漫然とす。夕方買い物。晩は豚のしゃぶしゃぶ。ノンアルコールビールを三缶。本日完全休肝。夜は冷たい雨。

まんぷく」終了。それにしても公共放送がインスタント食品を取り上げるというのも隔世の感がある。何しろ吾人が幼少の頃は、炭酸飲料禁止、ファストフード禁止、カップ麺など以ての外、テレビはNHKだけという級友が何人かいたものな。

 

3/29・金

 昼は家人のたけのこ御飯。本日も出社。途中「デイキャッチ」最終回を拝聴。都立大学の教授が吠えるようなことはなかったが、それにしても残念である。局の方針としてAMをFMのようにして仕舞いたいらしい。何かおかしいな。

退社後月波君が来たる。まず佐渡屋に行き、Bに行き、中華立ち飲みにも行った。行く先先でいろんな人と出合う(飲み仲間総出場と言った感じ)。吾人は最後にバーIに。妙齢女性が居た。割と大きな子どもいるらしい。其処で教育を巡って議論となる。結構な教育ママといった感じ。若いのに勿体ないな。大体なるようにしかならないのが子育てというものである(それに沈みゆく国で少少学歴を積んだところで大して役に立たないと思うのだけどね)。一時頃ふらふらになって帰宅。矢張り金曜の夜は人が出ている。

 

3/28・木

 午後早目の出社。授業しつつ、合間合間に時間割の検討と教材の発注。此の時期は意外と忙しい。夕方ラーメン休憩。花粉酷し。退社後はBで軽めの数杯。夜は寒の戻り。

 

3/27・水

 再び税理士から長電話。高額医療費と介護サービス費の還付について。これらも相続資産になる模様。銀行に記帳に参り、還付通知を調べ直す。全部で三十万円くらい。

昼過ぎから野球観戦。母校の橙隠学園が出ている。春夏通して実に久久の登場である。相手は福井の新設校。春の大会だとまだ体が解れていない感じ。それにしても此の学校の門をくぐったのは丁度三十年前の今時分である(但し校門らしいものはないけれど)。爾来信じられないくらい時が流れた。そういう感慨しか得られないな。序盤は荒れたが、試合は徐徐に落ち着き始める。結局三対五で力及ばず。夕方前に出社。退社後は焼き豚屋と立ち飲みBへ。久久におじさんたちと痛飲した。

 

3/26・火

 まずシロに予防注射(6480円)。火曜日であるが午後出社。今日から春の講習。新しい先生も来る。三年前から来ているS山先生の前の職場のお知り合いと言うことで、吾人より年上。何かしらの専門資格はあるようだが、最近は介護半分、塾や家庭教師半分と言う生活らしい。ベテランさんには何の研修の必要もないから頼もしいと言えば頼もしいが、最近はこういう人ばかりだね。

退社後はBで二杯だけ。体調優れず早目の帰宅。桜も咲いたが、花粉も酷い。二月からの間断のない攻撃により粘膜が損傷して益益過敏になっている模様。

 

3/25・月

 疲れが出たのか、午前午後と漫然とす。また日中何度も上厠す。大破した胃と腸と目と鼻の粘膜を休ませなくてはならない。晩も小食小飲に努める。昨日小淵沢駅で買った「極上生信玄餅」を食べてみた。信玄餅にも色色あるのだね。此方が元祖という説もあるそうです。

トラちゃんのロシア疑惑は、シロでもクロでもないという曖昧決着。まあね、自分の国の大統領が外国の陰謀で誕生したなどとは信じたくないよな。一種の統治行為論に特別検察官も逃げた模様。

 

3/24・日

 朝からすっきり晴れた。やや冬型に戻る。朝の内は畑に施肥。続いて落葉松の植え替え。気分は植樹祭である。伯母の運転で早目に降りる。駅伝大会実施の為、駅の手前で下車。本日は此処でお別れとなった。三日間ほど乗って見たところ、伯母の運転能力に大幅な乱れはないが、客の多い駐車場と細い道は避け、(バックミラーなど気にせずに)マイペースで運転するように忠言した。最新の安全装置の付いた新型車であるが、何しろ伯母も八十代なものでね、少し心配である。

 さてさて此処から一人で帰ることになる。御金が勿体ないので普通列車である。みどりの窓口で高尾までの乗車券を購入。運賃3350円。十一時過ぎの飯田線に。早速缶麦酒とワンカップワイン。上諏訪甲府行きに乗り換える。小淵沢で途中下車。駅前の蕎麦屋で日本酒休憩す。

狭い店内は既に満席。注文を受けてから茹でるので時間が掛かりますという但し書き。大抵普通の蕎麦屋というものはそりゃまあ、そりゃそうだが、まるで注文を受けてから打ち始めますというくらい、みんな首を長くして待っている。急ぐ旅ではないので此方は構わないが、例によって蕎麦屋の混雑も考え物である。漸く出てきた蕎麦はかなり幅広。田舎仕立てなので茹でるのに時間が掛かるらしい。快速御前細蕎麦亭なら三倍儲かるだろう。例によって立ち食い蕎麦屋と薬屋は儲かるというのは亡父の至言である。

さてさて今度は高尾行きに乗る。東海道線其の他で使われた中古の車両。115系の後継だが、最低限の改造しか施されていない。トイレも古いままで、和式の中を青い液体が渦を巻く方式(垂れ流しの次の世代。別名汚物循環式)。こういうトイレは列車が駅に着く寸前に入って、停車中に用を足すのが通というものである。いやしかし、何時まで使うのだろう(新潟方面には行き成り新車が入っている)。ほんの中継ぎの積りなのかな。ロングシート越しの山山を見ながら再び日本酒を。大月前後からどんどん混み始め、満員電車近くになって高尾到着。這う這うの体で改札から出て、「たまの里」で麦酒休憩。此の店も山の御客(主に中高年)で超満員。みんな花粉症じゃないんだね。以後京王線で340円。世田谷線を除くと帰りは3690円であった。

家に着いたら七時前。多少道酒したが、いやしかし随分掛かったな。低速アルコール列車である。本来ならば「御酒の所為で時間が後ろへのびている所を、汽車はしらふで構わずに走っていく」(百鬼園先生)のだけれど、今回は電車から降りて御酒を飲んでいたからね。目も鼻も辛い。入浴後、九時就寝。

 

3/23・土

 午前中はブルーベリー畑の剪定等等。伯母は御向かいに弔問。少し前に親しくしてくれた御婆さんが亡くなったそう(享年九十)。花粉に巻かれ、目も鼻も良くない。当然抗ヒスタミン。近所の食堂で軽い昼食。すると頭がぼんやりして昏昏と午睡す。

二人で鋤焼きをつついた後は、只管公共放送。前半は「今上天皇、象徴のお勤め」的な番組。後半は振り込め詐欺特集。「働いても碌に稼げないのなら、(金持ちの年寄りから)取って来いよ」と若者を焚き付ける詐欺集団は、国民分断の象徴でもあるなぁ。最近は強引に奪いにも来るらしい。夜は薪の番。何度も焼べ直す。噛んだ鼻紙も片端から叩き込んだ。

 

3/22・金

 朝になったので出掛けることにす。須見伯母の手伝いで再びの伊那行きである。新宿を十時発の「あずさ9号」に乗る。ホームで伯母と待ち合わせ。回数券がなくなったので、伊那まで運賃4000円、岡谷までの特急料金2500円と言う正規の券で乗ることになった(伯母は年寄り割引利用)。

ちなみに今回の改定で指定料金はやや下げたよう。ただ回数券プラス飯田線乗り越しだと凡そ4700円で行けたから、矢張り大幅な値上げである(逆に回数券の使えない一番の繁忙期は少し値下げ)。JRも日銀総裁とグルになっているな。例によって特急はのろのろと進む。全車指定となって座席の上にランプが付き、指定席の売れ具合が分かるようになっている。其れを見ながら右往左往しているお客が多数。見ると八王子から全席満席。席にあぶれた人が居る模様。値上げしたにもかかわらずよく乗っているな。座席未指定券と言う謎の特急券が登場している。

矢張り今回の改定から弁当、サンドイッチ、土産物、アイスクリームも止め、大して売るものが無くなった車販員からビールと酎ハイを購入。早速の朝酒となった。都内の混雑で数分遅れたまま岡谷着。直ぐに天竜峡行きに乗り換え。伊那も暖かい。伯母の自家用車で山荘に上る。まず水道の開栓をし、あちこちの清掃をしたら既に夕方。野菜中心の肴で白ワインを傾けた(五一ワインスーパーエコノミー)。

 

3/21・木

 春分の日。朝から南風が吹き荒れ異様な暖かさ。午前午後と漫然とす。ワイドショーなどでは桜が咲くか咲いたかと大騒ぎ。そりゃあね、毎日こんだけ暖かければ咲くべきものがあれば咲くだろう。そもそもどうしてこんなに暖かいのか、温暖化の影響があるのかないのか、そういう根本的なことを考えるべきである。テレビの放映時間も半分でいいな。夜は辞めるべき人が辞めるべくして辞めたと大騒ぎ。此れもまた分かり切ったことである(結局中日に来なかった)。頭の白さを思うと、いろいろ大変な努力の人だった。

 

3/20・水

 汲み取りで思い出したのだが、拙宅が建つ前は古い家作を自家使用していて、吾人も小学三年生までは汲み取り式のお世話になった(両親もよく生活していたな・・・既に現在の吾人より年上の状態)。そもそも世田谷の下水道は非常に遅れていて、漸く昭和五十年代になって整備が来たと記憶している。其れまでは浄化槽かバキュームカーに頼る日日。下水道の敷設と都市ガスのメタンへの切り替えは子ども心にも大事業であった。

 一転して朝から花粉症。昨日は武蔵野に行っても大丈夫だったのに不思議である。局所的な花粉だまりみたいなものがあるのだろう。花粉の量と当人の体調などを掛け算したものが其の日の症状となって現れてくる。だから一般的な花粉予報など大して意味がない。午後出社。珍しく八時ぐらいから無責任社長と飲み始める。話題は主に思い出話。営業がてらに近所の店を二軒回り、吾人はIに少し寄って帰宅。久久に飲んだな。あの人とは。

 

3/19・火

 まず銀行に行き、手付け金の振り込み。ネットでも振り込める金額だが、振込用紙を貰ったのでこういうことになっている。却って面倒臭い。捺印が電子化されていて少し驚いた。行内ではネット振り込みの方が便利ですとのキャンペーン中。銀行の窓口もみどりの窓口同様、何れ無くなるな。

 さてさて彼岸にも入ったので、小平霊園に参る。墓前に母屋取り壊しの報告をす。また松の木は残すので、帰宅の際は目印にするようお願いした。暖かくて風も無い。幸いにして花粉症も一段落。少し歩こうと思った。只管北上し、清瀬を目指す。途中滝山団地を通過。成程、此処が「滝山コミューン」の舞台ね。初めて通った。確かに巨大な団地である。コミューンと言うよりコロニーだな(今はひっそりしている)。続いて野火止用水を越える。同じ都下でありながら此の辺りのことは何も知らない。ファインドマイウエストトーキョーである。漸くごちゃごちゃした街並みが出て来たら、其処が清瀬の駅前商店街。早速「みゆき食堂」に入る。謂わずと知れた有名店である。店内は既に大量飲酒中。高齢者が多いが、妙齢女性やスーツ姿の会社員なども盃を傾けている。皆コミューンから逃げ出して来たのであろう。こういう店は貴重である。いや併しね、感心してばかりもいられないよ。余りの大混雑で、何も頼めないし、何も出て来そうにない。壁一面に張られたメニューも画餅である(みんな昼からそんなに沢山飲んで大丈夫か?)。

中瓶一本に厚揚げ焼きで早目の離脱。例によって観光地化した有名食堂も考え物である(スイマセン吾人も観光客です)。駅隣接の「ダウドン食堂」に緊急入港。山田うどんの新業態らしい。緑茶割りに肉汁饂飩。直ぐに注文出来る、直ぐに出て来る幸せを噛み締めた。可笑しいな、こんな筈ではなかった。結局「気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている」。いい店は少ないからね。草臥れたのでメトロ直通で帰宅。山の手線経由より少し高いが、地下鉄線内も急行運転だから結構速い。四時頃帰宅。丁度一時間で着いた。一万七千歩、歩行距離十二キロ。

夜は冷凍食品。隣家から出て来た昭和八年の家計簿を見直す。花王石鹸27、アルパカコート1000、痔薬40、白米15キロ260、便所汲み取り30・・・、単位は銭である。トイレが水洗になっていない以外まあまあの暮らしをしているな(戻りたいとは思えないけど)。昭和十年頃の生活水準は、三十年の其れと同程度だと何かの本で読んだ記憶がある。十年掛けて灰燼に帰し、十年掛けて復興したと言うことなのだろう。元祖失われた二十年である。

 

3/18・月

 本は数箱分は何とか収容す。残りは廃棄処分だな。戦前の参考書とか教科書とか。何せドロドロなので。午後一番で不動産屋に赴き、本契約に移る。建築士さんによる重要事項の説明の後、営業担当者による細細な説明。分厚い契約書はとても読み切れないので、かいつまんだ音読の後は只管署名、捺印、割り印である。解体と建築で総額数千万円。富士そば凡そ十万杯分。まあ御金を借りて来る訳ではないし、相手は大手住宅メーカーなので、手が震えるようなこともなかったが、感慨深いものがある。間違いなく自己最高契約額。今までは家作の外壁修繕等で其の十分一程度だから、吾人も成長したものである。解体は五月、本格着工八月、引き渡しは十二月だそう。インテリアなどの細部は追い追い詰めるとして本日は一時間と少しで無事終了す。

 一旦帰宅した後、急いで本務校に回航。新しい先生が来るというので此方は簡単な打ち合わせ。三十分程度。事務処理作業の後、踵を返して家に戻る。遺影に供えた契約書、とてもじゃないけど読めないよな。朝から饂飩しか食べていないので、焼き鳥と刺身と握りずしで明るい内から飲み始めた。

 

3/17・日

 朝から晴れた。早朝自転車散歩。珍しくパンが食べたくなり、街のパン屋を探すも見つからず。店主の高齢化に加え、コンビニが何でもかんでも売るから皆廃業して仕舞ったよう。するとどういう訳だか駒沢公園売店コッペパン屋になっていたので買って帰った。コロッケパン(260円)。具とパンのバランスが悪く、大して旨く感じない。パンをもう少し重くしなくちゃね。

 以後断続的に隣家の片づけ。愈愈最難関の本の分別に取り掛かる。戦前の岩波文庫とか児童文学書とか、どう仕様か。昼は外に出た。六本木ではなく五本木のラーメン店に。晴湯系のとりそば(900円)。上品にできている。旨いことは旨いが何だか食べた気がしなかった。作業の合間に食べるものではないな。夜はスーパーの惣菜に残り物。沢山埃を浴びたのでシャワー入浴。

 

3/16・土

 朝から曇り。午前中は一階の押入れの片づけ。不要な物を棄て、隣の空き家の古い物を収納する準備を進める。戦前の賞状やアルバム類など。衣装ケース二つに纏めたものを運び入れる。他は取り立てて無為。花粉が酷く外出も最小限。昨年は偕楽園に行き、酷い目に遭ったもの。晩は豚のしゃぶしゃぶ。大量の野菜も取れるので丁度いい。改定初日だというのに中央線は架線切断。夜のあずさやかいじも運休に。此れが東の実力である。

 

3/15・金

 EU離脱を巡ってイギリスはずっと漂流中。後先考えず国民投票を行った結果だな。また空き家の解体を巡っては第三の相続人の許可も得られたとのこと(税理士経由で手紙と現況写真を渡して貰った)。此方は着実に進行中。グレの足は治ったよう。一か月近く掛かった。

 ニュージーランドで乱射事件。銃規制と共にSNSの規制も必要だな。犯人は生中継していたというから。

 

3/14・木

 三年目の北海道新幹線は空気輸送だという。何しろ特急料金が高いからな。そうだぶらり函館に・・・と言う風に行かない。多少安い券は駅ネットで買えるらしいが、飛行機の事前購入割引と同じ様な事をやっていては駄目だぞ。安い回数券を沢山出し、チケット屋で売って貰うぐらいの鷹揚さを持って欲しい。鉄道の利点は駅に行ったらすぐ乗れるという自由さなのだから。動き始めた汽車にひとり飛び乗れるぐらいの価格にしないと。

午後出社。薬飲み飲み、花粉の中を少し歩いた。金十万円受け取る。まとまった額を貰うのは久久である。退社後はBとIで合計三千円。

 

3/13・水

 四月から東京新聞も値上げ。率にして一割以上。土曜の夕刊を廃止してでも価格を維持して欲しかった。此の所は春のようなお天気。芸能人が薬物使用で逮捕された件で街の話題は独占される。大物は狙われるな。売人にも当局にも。後者は一罰百戒効果を狙っているのだろうが、逆にあの人も使っているのだから、いざ私も・・・なんてことにならなければいいが。社会全体の幸福感は低下しているから、依存症が増える下地は十分にある。また取り立てて被害者がいる訳ではないので、撮りためた作品の公開を見合わせるのもどうかと思う。

 午後出社。講習の予定を詰める。新たな先生も来るらしいので、来年度も楽が出来そう。早目の退社後は立ちのみBに二時間も。吾人も何とか依存症である。いや、確かに中毒だけど依存はしていないな。今日は四杯で切り上げたもの(1600円)。夜から冬型に。

 

3/12・火

 ボーイングの新型機が相次いで墜落。プログラムエラーの模様。古い物は壊れるが、新しい物も恐ろしい。二月の携帯電話使用料は七千円に減少す。減少率三割。データプラン変更の成果が出た。何しろ500メガしか使っていないからね。此れで前の機種と同じ水準。最新型本体の分割購入費込みで七千円なら許せるかな。

 朝方は確定申告の見直し。租税公課のところに誤りがあった。万代伯母の個人事業税をずっと足し算していた。三分割してあるから一人二万円余り。来年からは引かなくてはならない。併し税金と言うものはやればやるほど分からなくなる。昨日の面談でも102と105の三洋エアコンを交換したのは資本的支出になりますので財産に計上しますとか言われたし(やればやるほど細かくなる。詰まり切り無し)。他は隣家の片づけ。花粉に巻かれ午後は抗ヒスタミン休憩。夜の買い物、鮪の切り落とし(500円)のみ。缶麦酒に白ワインを少少。ほぼほぼ休肝す。

 

3/11・月

 あの日から八年。山田線の海側区間第三セクターに移管の上、間もなく復旧する以外に、いい話題はなし。被災三県は三十万も人口が減ったという。

 朝方まで大荒れ。以後急速に晴れる。税理士さんが是非お会いしたいというので室町の事務所まで出掛ける。三時の予約だったので、其の辺をぶらぶらす。丁度二時四十六分を迎える。都心は何も無い。いや何もなかったかのような繁盛ぶりである。せめて一時間ぐらい黙祷すべきであると思った。

まずは細かい所の打ち合わせから。数百万円に上る出金の内、説明できないものは生前贈与、残りは手許現金で計上することとす。大きな所では、遺留分を全て現金で支払い、相続税と各種手数料を引き算すると、吾人や家人の取り分は激減。ただ多少上振れしたとしても(不動産価格を実勢価格に近付けて計算する場合)、持ち出しはない模様。元より当てにはしていないが、足りないとなると少少辛い。最悪の状況は回避できると知って少しほっとした。

一時間ほどで終了。何だかぐったりしながら帰路に就く。三越前とか日本橋とかを少し歩いて、神保町で途中下車。併し草臥れた頭では背表紙も活字も追う気がしない。以前入った「金星」という店でぼんやりす。すると白人男性が入って来て、ソーメンというものを食べたいと宣う。一応英語メニューはあるようだが、店員は説明に難渋している。吾人が、ジャパニーズサマーヌードとか、コールドヌードルとか、アイスドホームヌードルとか言って説明した。何処まで分かったかは分からないが、一応啜って食べていた。二日連続の英会話教室もそこそこにして離脱。大して飲んで無いのに三千円では足りず。矢張り都心は高いな。

 

3/10・日

 まあまあ曇り。月波君が御酒を飲みましょうと言うことで中目黒まで徒歩連絡。まず「おおたる」で一献。次に古そうな蕎麦屋に移る。何でもカレー南蛮発祥の店だそうだが、先客は無し。正直かなり寂れている。つまみも無しに日本酒を飲んでいると、若い女性二人組が入店。聞けばデンマークから来たのだという。注文に往生していたのでアドバイスす。上天丼の御飯抜きと天麩羅うどんヌードルが食べたかったよう。

併しこういう店によく来るね。学生時代キルケゴールは少し読んだと言いたかったのだが、まるで通じず。現地読みではキューケゴォールと発音するらしい。スマホで調べたら少し通じた。900円と600円を現金で支払い帰って行った。ジャパンは遅れているなあと思ったかな。何しろ此の店もただ古いだけでまるで活気も愛想もない。こういうのを墨守と言うのだな。英会話で疲れたので立ち飲みBで締めてバスで早目に帰った。大体五千円。夜は大雨。

 

3/9・土

 近所の遊歩道の改修工事も終わったよう。今まではカラー舗装だったが、今回は真っ黒アスファルト。おしゃれな土間コンクリートにしろとは言わないけど、何だか味気がない。以前直した上流部分はもっと凝った造りだった筈。区も御金がないんだな。何とか納税の影響かな。

南風強く一日晴れ。家人の腰の状態が悪く、買い物は三便。其の都度花粉に巻かれる。三丁目の肉屋の豚肉でしゃぶしゃぶをし、一丁目の和菓子屋の赤飯で締めて御仕舞。

 

3/8・金

 朝から晴れた。結構冬型。空き家の片付けの後、隣町の本屋に「JR時刻表三月号」を漸く買いに行く。あんまり興味がないな。何しろ改定すればするほど面白くなくなるからね。中を見ると不通区間の網掛けページばかりが多くなる。花粉を浴びて以後ズルズル。何しろ光が屈折する「花粉光環」も出たという。昼は弁当。トイレで力んだら急に片頭痛が。可笑しいな、頭など滅多に痛くならないのに。午後は安静にす。夕方に割と高い牛肉を買いに行き、晩に焼いて食べた。結局何時もの「新アルシン鼻炎カプセル」。矢張りよく効く。おまけに安い。

 JR東日本のサイトを見ると、二週間前までに座席指定すれば回数券同様の割引サービスが受けられるらしい(駅ネットお先に特ダネきっぷ)。二週間前か。海外旅行じゃあるまいし、そりゃあ無理だぁー。もう高速バスか月波君の借りて来たクルマか、京王線プラス各駅停車だな。大体、ぶらり気が向いたときに出掛けるのが旅と言うものである。さようなら、あずささん。庶民には手の届かない高嶺の花になりました。

 

3/7・木

 大手コンビニチェーンでは、オーナーさんたちが止めたいと言っているのに、本部は全国一律の二十四時間営業を止めさせない模様。そういう頑なな態度は宜しくないな。サービス業たるもの社会の変化に敏感に対応しなくてはならない。其れにそもそも、人手が不足しているのではない。根本的に客が不足している。だから大した給料が払えない。詰まり店が過剰なのである。

 午前午後と漫然とす。須見伯母以外の来客来電なし。結局今日もずっと雨。止み間も無いのでバス出社。乗ったバスは既に半満員。どんどん乗って来る。此のままでは超満員=団子運転の先頭になりそうなので、電車に緊急スイッチす。此方も下校の小中高生と登塾の小学生で満員状態。後者は自由が丘でごっそり降りて行った。此処には大手学習塾が集中している。しかし、こういう集団指導塾で色色と先生と遣り取りして、結構勉強したなあと思えるのは全体の二三割かな。残りの半分は可もなく不可もなく、更に半分は厭厭通った上に大枚を支払って御仕舞である。塾選びは慎重に。夜には漸く止んだ。退社後はBで二杯だけ。久久に11系統で帰った。

 

3/6・水

 早朝から102号室の人を叩き起こして、トイレの水をどんどん流して貰う。大山鳴動、数回目でごっそり流れて行った。詰まり解消だな。長い闘いであった。日中重い曇り。何だか天気同様気分が優れず。本日は吾人の誕生日なのだけどね。やっぱり何処かで何かがまだまだ詰まっている気がする。結局近近の高圧洗浄を依頼した。依然として排水ノイローゼでもある。

 午後不動産屋のS君が来て、解体と建築に向けての契約書を作るという契約書に署名。愈愈近づいてくる。続いてシロを獣医に搬送。昨日から後ろ足の爪が剥がれかかっていた。消毒と抗生剤の注射で4320円。古釘か何かに引っ掛けたな。まあね、猫に破傷風はないだろう(あれば「震える猫舌」という新作が書ける)。なお午後一番の診療で順番は三番目だったが、座敷犬に点滴を打ったり、老猫に流動食を食べさせたりしていたから四十分も待たされた。犬猫も歳を取ると医療費が掛かる。「もうおじさんなんだから、若い者と喧嘩したり危ない所に行っては駄目だぞ」とシロに言って聞かせた。外猫三匹も今年で九歳。後期高齢猫医療費を貯めていく時期である。

 漸く夕方前に出社。取り立てて授業はない。何だか草臥れて仕舞い漫然とす。片づけの意欲も湧かず。早目の退社後は、Bで二杯だけ。小雨に降られながら早目の帰宅。早目の入浴。早目の就寝。春の雨は花粉を洗ってくれるからよいが、最近は少少降り過ぎる。作業着姿に変装した元会長は軽自動車に乗って小菅を脱出。漸く保釈されたよう。もう此の人のことなど忘れ掛けていた。それにしても日産の経営をするようになって凡そ二十年。絶対的権限を与えるにしては長過ぎた。人を腐敗されるのには十分すぎる時間である。また此の件も本来は株主総会や取締役会や週刊誌への醜聞リークで片を付けるものなのだろうけど。

 

3/5・火

 都内は三日ぶりの晴れ。再び排水管を見たところ、また詰まり掛けている。一気に旅気分も吹き飛ぶ。当該箇所は過日直した共用部より上流の接続部分。バケツの水を掛けて流す。すると次次とにょろにょろと出て来る。どんどん棒で掻き出した。また汚物との闘いの日日である。誰かが悪いのだな。水が少ない人がいる。容疑者には再び手紙を入れることとした。猫餌以外の買い物は無し。午後も数次に分けて流した。

 古いアルバムが出て来たのでどう仕様かと思った。昭和13年に万代伯母が実践女子学園を卒業した時のもの。酔った勢いで、当学園にメールを出した。受け取ってくれるといいが。個人から色色な物を送り付けられても迷惑かな。ネット上の百科事典によると、空襲によりほとんどの校舎が消失とあるから、御入用かもしれない。

 

3/4・月

 さてさてもう帰ろうと思う。一日二本の松本電鉄バスに乗って松本へ向かう。凡そ十一時に迎えに来たバスは吾人一人を乗せ、どんどん山へ。上の方は雪化粧。峠をトンネルでアンダーパス。三才山トンネルと言う。未だに料金所があって、一回一回御金を取っている(しかも現金か紙の回数券)。以前通った和田峠トンネルもそうだったが、一方権兵衛峠トンネルは当初から無料通行。此の差は何処から来るのだろう。県内の主要都市は大体何処も盆地なのだから、往来には必ず峠を通る必要がある。早く無料通行にすべきである。

峠を降りるともう松本市内。幾らか集客して松本駅着。運賃1200円。駅前のチケット屋で新宿行きの回数券を購入(4900円)。雨も止まないし、することがない。駅前の「若大将」という古い中華屋で山賊焼き休憩。日本酒付き。13時47分発の「あずさ20号」に乗車。当然自由席。折角なのでモハに乗る。駅では繰り返し、間もなく回数券と自由席と弁当販売が無くなることをアナウンスしていた。併し吾人がよく利用するものから無くなるのは何故なのだろう。なお20号は257系での運転。別に廃車になる訳ではないが、あずさでの活躍はあと僅かとなっている(東海道線に転勤)。

 ガラガラのまま出発。此の列車は富士見や小淵沢や韮崎にも止まる。例によって甲府で大量乗車。半分ちょっとは埋まった。その都度車掌が行ったり来たりして車内改札。紙の座席表に特急券確認済みのチェックを入れて歩く。此の光景も見納めだな。でもハイシーズンは大量の不慣れな乗客が乗り込んで来る。全車指定となるとみどりの窓口は結局大混雑だろう。其れに座席自体が増える訳ではないから、席にあぶれたお客が大量発生することに変わりはない。雨の中、定刻に新宿着。車内販売員から間断なくアルコールを補充し続けた関係で既に胃がざらざら。其のまま帰って、晩は絶食とした。

 

3/3・日

 さてさて何処かに出掛けようと思った。行き先は信州の温泉にした。まず目黒までバスで出て、みどりの窓口へ。機械でも買えるが、有人窓口維持の為に、成るべく吾人も並ぶことにす。上田までの特急券と乗車券で6150円。専門家があっという間に発券してくれた。其のまま改札機に突っ込む。何時もの駅の何時もの改札機に大きな切符を入れる時のわくわく感、得難いものだけどね(電子チケットになったら詰まらない)。併しこうして何処かに行くのも久久である。何しろ去年は六月以降非常事態の連続だったからね。少し感慨深い。

 東京駅まで回航し、御昼の「あさま609号」の自由席に搭乗。車内は空気輸送に近い。北陸新幹線が長野から金沢に伸びて行き、今や長野止まりのあさまは各駅停車のこだまの扱い。其れでも12両もあるから、閑散期はこうなるな。大宮で少し集客。其れでもひと車両十人ちょっと。例によってあっという間に着く。新幹線の欠点は色色あるが、特急料金が高いこと、トンネルが多いこと、そして速過ぎることだな。駅前の蕎麦屋で暫し休憩。たぬき蕎麦が760円は少し高いが、地酒が一杯380円で飲めるのは安い。地方紙を隅から隅まで読んで、当ては馬の煮つけ(500円)。此処も空いている。他の客は親子丼とコーラを注文したおじさん一人。

 二時半過ぎの千曲バス鹿教湯温泉行きに乗る。乗客は数名。五十分乗って運賃は500円。安い分は、行政の補助金が入っている模様。もっとバスに乗って下さいと言うことなのだが、安くしても乗る人は少ないな。鹿教湯と書いて、かけゆと読む。鹿が教えてくれたからこう書くのだという。見て歩くと、少し寂れた感が。廃墟廃屋廃業多し。差し押さえ物件もあった。大手チェーン宿に看板を掛け替えたところは車が沢山停まっていたが、インバウンドの人もおらず。こうなったらもう一度鹿に助けて貰わなくてはならない。手慣れた鹿を露天風呂か何かに無理やり押し込んで何とかグラムにアップすれば良い宣伝なるだろう。四時前にはチェックインする。

 今回は珍しくフルサービス付きの旅館にした。食事は二階の個室で。当然ながらひとりぼっち。他客もいるのだが気配が漏れて来ない。突き出し、刺身、焼き物、酢の物、小鍋、等等。どちらにしても何を食べても一人だな。行きの新幹線もガラガラ、駅前食堂もガラガラ、バスもガラガラ、宿もガラガラ、少し人恋しくなる。もっと壁の薄いボロ宿にすればよかったかな。二食付きで一万二千円(税別)。温泉宿に一人で泊まるのは案外難しいし割高である。沢山食べて沢山飲んで三回入浴して沢山寝た。

 

3/2・土

 朝から晴れ。花粉酷し。やはりグレの前足が地に付かないので今度は主治医に搬送す。やはりどうにも治療法はないらしい。何しろ外猫に安静にしていろと言ってもねえ。鎮痛消炎剤を一本注射。飲み薬を数日分貰う。締めて三千円。他は取り立てて無為。昼はスーパーの激安弁当、夜は残り物。

 

3/1・金

 朝まで小雨が残る。グレの足はまだ痛むらしい。足首を曲げたら怒っていた。捻挫は長いな。何しろ外を動き回っているから。都立高校を受けた二人は無事合格したと報告が入る。最近の中学生は公立志向が強い。子どものくせに、親に迷惑を掛けたくないなどと宣う。いいんだよ、迷惑掛けても。老いた親は何れ子どもに面倒を見られるのだから。まさか今から介護と相続放棄を考えている訳ではあるまいし。

一夜明けてみると、どうもT氏が一身上の理由で火だるまになりつつあるのを誤魔化す為に、突然ハードルを引き上げ、北の提案を振って仕舞ったということらしい。委員長が癇癪を起さないといいが。北が折れた形で三度目の会談を持てば妥結出来るだろう。Tに貸しを作ることにもなる。兎に角、あと一回。穀物だけでも送らなくては。

2019年2月

2/28・木

 朝方にシロは大喧嘩。相手ははぐれオスのこげ茶だな。目尻にかすり傷。猫パンチを喰らったよう。早速抗生剤を塗り込む。昨日からずっと小雨。午後は本降り。103はエアコン工事。旧三洋機も交代さす。

 事前の楽観論が吹き飛ぶ感じで米朝会談は物別れに終わる。制裁の全面解除を求める北に対し、核の全面放棄で応えた模様。ハードルが一気に高くなると妥協は難しい。謂わば北の答案にT先生がゼロ点を付けた格好だな。となると足取り重い北帰行である。北にはもう穀物がないらしい。つまり時間がない。人民が飢え死にする前に早く再提出すべきである。

T先生の会見を全部見てから遅目の出社。併しなかなか生徒の尊厳を落としめないいい所見だった。三度目があることを切に願う。併しこうやって改めて見るとT先生も只の大馬鹿物ではないな。さてさて中一の数学。期末試験も終わり、一番やる気が抜ける頃である。其処で数学検定でもやらせようと思った。ホームページから出すとA4が何枚も。紙が勿体ないので此れをB5に縮小し、B4両面に吹き付けようとしたが、何だか巧く行かず。死屍累累。吾人のコピー術も落ちたものだと思った。「私、(コピーでは)失敗しないので」が吾人のモットーだったのだけど。認知症だな。夜まで小雨が残る。往復ぎりぎり自転車運転可能圏。立ち飲みBとドライブで休憩。帰宅は十一時半。こうして二月も終了す。

 

2/27・水

ところで最近街で目に付くのは何とかイーツの配達員。そもそも出前をやってくれる店が殆ど無いのだから、巧い所に目を付けた商売だと思う。配車サービスがタクシー運転手の食い扶持を荒らすのに対し、此方は新たな価値を創造したと言えよう(しょぼい物を自炊されることが一番GDPを下げる)。スマホが生んだ数少ない新事業かもしれない。此れも外資なんだよねえ。

午後出社。授業は控え目にして事務作業。例によって膨大な学校パンフ類の分別廃棄。退社後は取り敢えずBへ。天屋先生とも会う。先日の非礼を詫びようとIへ回航。併しひょんなことから政治の話になり、駄目だと分かっていても熱を帯びる。中朝韓と断交も辞さずという先生とはなかなか話が噛み合わない。ネトウヨ話法である。株高の恩恵も受けているようだし、Aへの支持は揺るぎがないよう。可笑しいな、他は極めて常識人なんだけどね。夜から小雨。濡れながら帰った。

 

2/26・火 

 やる気が起こらなくて三日間放置していたが、税理士からの質問状の答えを探る。色色と思い出したり、コピーを作ったり、領収書や請求書や契約書類を掻き集める。項目別に纏めたら家中のクリアファイルが無くなった。昼には発送。日中曇る。昨日よりひんやりするも花粉酷し。家人が渋谷で買って来たとんかつ、冷えて固まり食えたものでは無し。

 北の委員長は鉄路ベトナム入り。在来線の線路は何処までも続いているから其れも可能である。流石に機関車は付け替えたのだろうが。長征の思い出作りだな。彼我の沿線風景の余りの違いに気が付いてくれるといいが。

 

2/25・月

 グレの捻挫はだいぶ良くなる。朝は曇り。昼から晴れて暖かいというより暑くなる。ぼんやりしつつ午後千寿に出校。吾人の今年度の出勤は本日で終了の見込み。割と気さくな高校一年の女の子とも、何も余計なことを喋らない中三女子ともお別れである。なおS子先生は三月末での廃業を検討しているとのこと。中二の生徒はそれなりに居るようだが、どの道ジリ貧だろう。とうとうそうなるか。となると今生のお別れかもしれない。

でも家賃などの固定費は安いのだからやり方次第では十分生き残れると思う。そのやり方を間違い続けているからなぁ。まずあの教え方を反省すべきである。一旦ゴミを片付けてもう一度やる気になって下さいなどと言って退出した。吾人も月に二回くらいなら行ってもいい。大橋の自動化寿司で暫し黙考す。でも周りの行いが悪くて集中できず。大体帰り方が宜しくない。皿は色別に分け、飲み物の容器を纏め、山葵の袋などのゴミは集めてから会計係を呼ぶべきである。安い寿司だと碌なお客が居ないな。中の人も癇癪を起こして悪戯に走る訳である。

 

2/24・日

 朝から富士そば、昼はココイチに行き、昨日の飢餓状態を解消す。午後も漫然とし、夜は厚揚げ麻婆。朝晩は其れなりに冷えるがすっかり春の装い。庭梅も満開。県民投票は反対多数。投票率も五割超え。此の民意をどうするのだろう。第一、新基地の建設には膨大な費用が掛かるのである。

 

2/23・土

 一日晴れ。まず市ヶ谷まで地下鉄に乗る。鳳生大学の古い校舎が愈愈最後だというので見に出掛けた。月波君と合流し、復刻メニューで賑わう学生食堂にならぶ。以後思い出探し。校舎は55年館と58年館と言う。市ヶ谷永遠再開発により四月以降解体されることとなっている。吾人が入学した当初はクーラーがなく、矢鱈と遅いエレベーターに閉口したもの。いざなくなるとなると寂しいものだな。新歓のビラもよく貼った。授業中に自治会がアジ演説をしたことも。あの頃一緒にいた語学クラスやサークルの仲間たちは元気だろうか。

続いてシンポジウムに参集。和服の総長の後に芥田先生も登壇されたが、喋る時間が十分程度ではまるでエンジンが掛からなかった御様子。なお此れが旧校舎で行われる最後の講義と言う触れ込みである。833教室も満席という盛況ぶりであった。鳳生大学も立派に上智青学化した。まあ世の中全体がそんな感じだなぁ。もうサークル文化もスクールカラーもなくなったか。

 いやしかし、一時間半もじっとしていると疲れた(一斉授業など聞いていられない)。後半はキャンセルす。月波君と別れて本務校に回航。定期試験前の補習授業である。といっても講義方式ではなく、各各銘銘、森羅万象とまではいかないが有象無象の質問に答える。此方は江戸時代の寺子屋だな。併し一旦出勤すると次次に生徒が押し寄せ容易に退出できず。結局九時半までの勤務となる。

掃けた後に急いで中華立ち飲みに行く。常連客の一人が北海道に帰るというので送別会が催されている。大幅に遅れて行ったので二杯飲んだら即解散。其れでも3500円も請求される。おまけに会いたくない人には合うし、他言は出来ないが色色と散散な状況に。場を天屋先生に預ける。自転車もバスも無いのでタクシーで離脱。運賃(1770円)は大貧学院支給のスイカで支払わせて貰った。帰宅後中量飲酒。

 

2/22・金

 何とか平和賞に推薦したり、即位した新天皇に早速会せるように差配したりと、T氏への迎合ぶりが目に余る。こういうのを俗に○○のポチと言うのだろうが、せめてタマぐらいには成れないものかな。我儘を言って少しぐらい困らせてやりたい。でも既にアメリカ自体が大きなトラだからなぁ。ニャンニャンニャンで、今日は猫の日である。それにしてもAの在任日数は歴代二位だという。小選挙区制の定着(党内の統制)、対抗野党の壊滅、国民の批判精神の消滅、色色な複合要素がある種の真空状態を生じさせ、Aを異様に膨張させているなぁ。

 まあまあ晴れた。既に春の陽気。昼から「ポコポコ」の新ステージ。スマホをやるのも此の時ぐらいと暫し熱中す。またグレは矢張り見当たらず。空き家の二階の押入れに潜伏しているところを漸く見つけ出した。まだ治っていない感じ。抱いて下ろして餌を食べさせた。再び税理士から質問状が届く。多額の現金を何に使ったのかと。色色と調べ直したが、例によってよく分からない。お札に色は付いてないものな(「北の国から」に出て来る泥付きの壱万円札を除く)。先週のゴマダレが残っていたので今週も牛豚のしゃぶしゃぶ。

 

2/21・木

 今度の改定で一段と車内販売がなくなる。「北斗」「踊り子」「やまびこ」は廃止。「あずさ」も弁当は売らなくなる。地方の駅弁屋は益益困るだろう(特に長万部のかにめし)。NREなどに任せるのではなく、いっそ駅弁屋自ら乗り込んで売ってくれないかな。飯時限定、区間限定、個数限定でいいから。上りと下りで行ったり来たりすれば一人で何本も回れる。効率的なダイヤをマニアさんに作って貰えればいい。

朝方は芙蓉の植え替えと大楓の剪定。続いてグレを獣医へ搬送。掛かりつけの女医は休診日なので、四丁目の診療所に連れて行く。院長先生以下三人掛かりで触診してくれたが、取り立てて問題はなさそうとのこと。痛み止めを一本打って三千円。初診料込みだから案外安かった。午後出社。退社後はBと中華へ。久久に天屋先生と話し込む。

 

2/20・水

 朝から晴れて暖かい。捻挫したグレを獣医に見せようと思ったが容易に姿を見せず。昼飯を食おうと思ったら植木屋さんが来て立ち話し。午睡しようと思ったら税理士から長電話。其のまま出社。金参万円受け取る。中三の受験指導は本日が最終日。此の学年は真面目な子が多く、今一つ印象が薄い。Bから帰ろうと思ったら二度目の通り雨。帰ったら家人が入浴する所。何もかも少しずつずれた一日であった。

 

2/19・火

 朝から曇り。さてさて本年二度目の税務署に参る。予想に反して空いていた。待ち時間殆ど無し。ガラガラの部類に入るだろう。申告は二日目に限ると思った。また今年から口座振替にしたので身を引き千切られるような痛みも無し。炒飯を食べて其のまま帰宅。昼から小雨がパラつく。此の天候のせいもあるのだろう。正に天佑。午後は漫然とす。夜はスーパーの総菜など。

 こうして折角毎日日記を付けているのだから、過去の確定申告を顧みてみようと思う。自分で自分の日記を検索す。すると昨年は吾人が初日申告で中行列。一昨年は期日間際で大行列。三年前は亡父とタクシーを仕立てて赴き色色と誤りを指摘されている。四年前は両家人に任せていた。五年前には記述すらない。六年前はリニューアルに伴う費用を減価償却費に入れるかどうかで悩んでいる旨があるが申告そのものは亡父がやったのだろう。実に正しく隔世の感である。

 

2/18・月

 未明に覗くとグレは何時の間にか帰って来ていて餌を食べていた。此の猫は一晩に何度も起こしに来ることがあれば、今日のように丸一日姿を見せないこともある。つくづく自由猫である。

 朝から晴れた。まず住宅メーカーから送られて来た解体と建築に向けての合意書を優子さんに転送。叔母叔母従妹三名分の署名と捺印が必要。さてさて愈愈確定申告である。吾人の申告書を仕上げる。亡父が受け取る筈だった不動産所得二ヶ月分の二分の一が増加する一方、昨年の給料収入は44万円と言う恐るべき数字が出て来る(此方の所得はゼロ判定)。まあ何しろ昨年は週二回半(週当たり十時間程度)ぐらいしか出ていない。最低賃金程度は貰ったことになるのかなあ。もう腹も立たず。納税額は三万円余り。少ないのかなあ。まあ固定資産税とか都市計画税とか相続税とか修繕に纏わる消費税とか、個人としては酒税と社会保険料国民年金基金まで)も沢山支払っているから所得税はこんなものにして頂きたい。

一方グレは昼過ぎまで小屋でぐっすりと。余程疲れていたらしい。一体何処で何をしていたのだろう。迷っていたのだろうか。よくよく見ると動きが悪い。左前足捻挫の模様。猫は弱ったところを見せたくないというから何処かで隠れていたのだな。兎に角経過観察することとする。103は壁紙。

午後出社。神保町に途中下車。「みすず」読書アンケート号と『何が私をこうさせたか』。こう書くと金子みすずの自伝と勘違いされそうだが、金子は金子でも文子の方である(二人とも明治36年生まれ)。序でに岩波の『朱子学陽明学』。千寿校は相変わらずのゴミの山とパワハラ指導。みんな纏めて「トントン」に持って行って貰いたいと願った。退社後は徳俵に滑り込む。今回ばかりは三顧の礼が通じた。先生崩れが割烹くずしで飲む。いいではないか、よいではないか。でも結構高かった。日本酒を奮発したので四千円余り。帰り掛けは文子の書。いや併し壮絶な児童虐待の記だな。着く頃には酔いもすっかり醒めた。目も鼻も何だか少し変。また花粉の季節である。

 

2/17・日

 御昼前にはまあまあ晴れた。徒歩や自転車であちこち買い物したくらい。食欲がなく、昼は「日清チキンラーメン」のみ。開発話が公共放送で取り上げられて最近ブームである。久久に食べてみると昭和三十年代の素朴な味。此れが当時三十五円したという。今はスーパーで八十円程度。

駅前商店街の猫餌やアルコール類を買っていた店も月末で閉店するとのこと。寂しくなるなぁ。少し話ししたが、中中黒字にならなかったらしい。皆さんどうするのだろう。此れで一般小売店は全てチェーン店となる。家賃が高すぎるから街が詰まらない。夕方になりグレを朝から見ていないことに気が付く。呼んだり探したりしたが成果は無し。家人共共心配す。

 

2/16・土

 朝方は録って置いた「ヤマト2202」の第二十話。白い彗星が新たな解釈で以て攻めに来ている(但し深夜帯の放送なのでひっそりと)。愈愈ズォーダ大帝の真の狙いが明らかになるのだが、其の分理屈が複雑になっていて、朝の頭を以てしても一度見ただけでは理解できず。SFアニメも難しくなるな。評論家による解説が必要だと思った。此れも平成三十年間の厚みである。続いて「日本ボロ宿紀行」第四話。昔のファンが出て来て一行を激励す。少し自信が出て来たのか歌謡ショーにも漸く人が集まり始めた。ホロリとさせる佳い内容だった。あのホーロー看板の宿にも泊まってみたい。こうして気が付くとテレビ東京ばかり見ているな。

 よく晴れて暖気も入って久久に暖かい。昼は「誠屋」。大盛りでも余裕で食べ終えた。矢張りラーメンは格闘の心配のないものがいい。其のまま大関へ。腰の曲がったエライ婆さんたちが籠いっぱいに買い込んでいる。年金が出たからかな。午後は漫然とす。夜は「ブラタモリ・パリ編」。オスマンによる都市改造に吃驚していたが、あれは共和派がぶっ潰された結果なんだよね(革命家には細細としたアジトが必要)。手放しに称賛できない(此の国の再開発にも)。またTさんはせめてバリアかフェンスにしましょうよという議会の妥協案を拒絶。あくまでもウォールを作れと言う非常事態宣言を出す。比類なき暗王、いや暗帝? まあね、東アジアの一住民としては米朝交渉だけでも成功させて欲しい。此方には「滅びの方舟」を出さないことを期待してます。よっ、大統領!

 

2/15・金

 給料の統計には官邸から明確な横槍があったらしい。突っぱねるほどの官僚はいないだろうな。粉飾統計。矢張り故意犯だった模様。飯田のかぶちゃん村も副村長が亡くなる。恐らく先代がやって居た頃は正業だったのだろうが、息子さんがインチキ投資会社にして仕舞った。多少は責任を感じていたのだろう。儲からない、成長しないということを受け入れなくてはならない。大体此のデフレ経済の下、現状維持できれば十分である。また何とか家具もいよいよ危ない。此方は娘さんが潰したな。重く曇って非常に冷える。103は漸く電気工事。明らかに工事のペースが遅い。あらゆる工事屋さんの手がいっぱいの模様。晩は牛豚のしゃぶしゃぶ鍋。十時半就寝。

 

2/14・木

 まあまあ回復す。漸くセメントの塗り込み作業。エライ年配の人が一人でやって来る。何次下請けになるのだろう。人手が足りないのだな。半日で終了。乾くのには数日掛かるらしい。また仮板を渡す。薄曇りで結局寒い。午後出社。中一には図形の要点を纏めた渾身の手書きプリントを配布したが反応薄し。金五万円受け取る。退社後はBとIで一二杯ずつ。

 

2/13・水

 大量に睡眠を取ったが体調は今ふたつ。併し長時間寝ていると羽毛布団がどんどん寄って仕舞って本当に困る。180度回頭させるより手がない。結局今日も曇る。太陽が出ないと頗る寒い。生憎家人は熱海へ。午後は少し晴れたが体調も良くないと何もする気が起こらず。本日欠勤。何となく鬱状態。ラジオもテレビも病気の事ばかり。

そこでユーチューブでゴミ屋敷を片付けるなんて動画を視聴す。「片づけトントン」という会社の作品が面白い。みんなよく動いてよく分別している(特に作業中の軽口がいい)。こういうのを見ていると少しやる気が出て来るかもしれない。隣の家ももうふた片づけしなくてはならないなぁ(其れにしても何年掛かっているのだろう)。拙宅の敷地以外には一歩も出ず。夜は冷蔵庫の中身を消化器官で片付ける。

 

2/12・火

 久久に朝から良く晴れた。午前中に若頭が来て103号室の検分。此の部屋は次世代型リニューアルを施した第一号なのだが、竣工から六年も経つと壁紙がもう駄目である。壁スイッチの増設と共に張り替えを依頼す。直す傍からどんどんと老朽化す。不動産賃貸業とは例によって不動産修繕業である。

偶にはこってり味が食べたくなって、梅が丘まで遠征。初めての店である。直ぐに入れたのは良かった。学生さんは春休みだからね。働くおじさんたちと共に麺をすする。でもあの小加水のワシワシ麺はよう食べられない。二郎系とも愈愈卒業である。麺やモヤシと苦闘している内にすっかり曇る。結局寒い。買い物は一便。何だか心身ともに冷え切った感じがする。夜はスーパーの鰹刺し(300円)。千葉ではもう鰹が揚がっているらしい。初鰹である。こうなると海外産の白ワインより日本酒だな。紙パック入りの吟醸酒を合わせた。水泳選手は重大病を告白。東京湾の倉庫では火災が発生。死者複数。人生とは常に理不尽だな。

 

2/11・月

 幸いにして宿酔は無し。朝から富士そばのラーメン(420円)。ちなみに明日まで入れると五連休なのである。排水管の修理も終わったから何処かに行こうかと思った。併し寒いから何処にも行けず。特急か急行に乗って山の出で湯にでも行きたいのだけど何しろ一人ではねぇ。

昼は西太子堂の古い店で炒飯。こういう職住一体型の街中華の店も少なくなった。幸い店主は代替わりしたようであと数十年は大丈夫だろう。680円は少し高いけど応援金込みの価格だな。一日寒く、取り立てて無為。夜は冷凍食品他。

うちで家作を建てれば三十年間の家賃は保証しますという会社が問題となる。大体家賃が三十年も維持されるというのもあり得ない話しだが、建てた段階で既に手抜き工事だった。数千人を引っ越させての改修工事が必要。こりゃ大変だな。つくづく楽して儲かる仕事などはない。

 

2/10・日 

 御隣りで飼われていた三毛猫も亡くなったとのこと。其の猫は何回か見たことがある。大人になって捨てられたらしく拙宅の餌を食べに来ていた。愈愈体調が悪くなったところで御隣りの若奥さんに保護されていた。此の数年で色色と医療費が掛かっただろうが幸せな最期だったろう。そう言えば最近は他猫を見ることは殆ど無い。野良猫が減ったことは基本的には喜ばしいが、こうして猫を切っ掛けに親しくなった近所の人も結構いる。今風に言えばコミュニケーションツールだな。此れも完全家猫では駄目だな。表に出なくては。

鷺乃間君におうちにお呼ばれしたので出掛ける。まず東横線で日吉へ。降りて見ると制服姿の男子生徒で溢れている。そうか今日は私立高校の入試日であった。天下の京王ともなるとまだまだ一般入試が主流だろうね。大勢来ている。でも未だに二月の十日と言うのはしっくりこない。吾人の頃は十八日であった(確か高田馬場の方を受けた)。都立高校の試験が前に倒れて私立も早まったと記憶している。

 駅前の学生向けの食堂でチキンカツカレー休憩。800円もしたが大したものでは無し。京王価格だな。さてさて此処から地下鉄には乗らずに徒歩で移動す(一日平均八千歩は歩かなくてはならない)。日吉の郊外を歩くのは初めてである。ピカピカの港北区と言っても此の辺りは古い街だから、もの凄く狭い所を大型の東急バスが通っていて驚く。道は簡単には直せないよな。丘陵地帯だから自転車も余り役に立たない。少し歩くと畑なども出て来る。一時間ほどで高田付近に到着。近くのスーパーでつまみ類も調達。駅で坪上君と月波君と合流。四時頃から飲み始めた。以後延延と大量飲酒。妻子の居ぬ間に何とやらである。一応子どもさんにはぬいぐるみ等を差し入れた。

鷺乃間君にしろ坪上君にしろ社会の中堅クラスになりつつある。部下には鳳生大学の後輩もいるらしい。若い人とはつくづく話が合わないとのこと。特にビラとか立て看板とか批判精神とか、鳳生大学の上智青学化を防ぐことの重要性について、若い人は殆ど理解が及ばないと口口に言っていた。つくづく時代が変わったかな。帰り掛けに客の居ない焼肉屋のような所で総仕上げの中量飲酒。ふらふらで地下鉄と東横線へ。同じ世田谷の坪上君と碑文谷からタクシーに乗って帰る。二千円先払い。ちなみに坪上君の家より拙宅は大部手前(800円付近)。まあ本日は自らの足で既に数百円の価値を創造しているから実質負担増は800円くらい。酔っていても金勘定は出来るのである。

 

2/9・土

 何とかタウンという衣料品通販会社の社長はツイッターを止めて本業に専念するのだという。確かに一億円を配ったり、月へ行くだの行かないなどと業務以外のところで目立っていた。恐らく本業も傾いているのだろう(最近段ボールが出ていない)。それにしても、何とか衛門にしろ、此の人にしろ、凡そ経営者としての哲学も何もない感じ。日本からはこんな経済人しか出て来ないのだから何だか情けないなぁ。

 朝から小雪。北海道は大寒波だという。電気は足りるのかな。九州で余った電気を中国送り、中国の電気を関西に送り、関西の電気を中部に送っても、中部の電気を東電には大して送れない。つくづく明治期の失敗だな。取り立てて無為。

 

2/8・金

 再びの冬型。午前中は不動産屋さんへ出向き、空き家の解体に向けての協議。持ち主の一人である温子叔母さんは成年後見を付けているから、手続きが面倒かもしれない(裁判所の許可がいるらしい)。また分割協議もどうなるか分からないが、兎に角やれることはやれるうちに進めておこうと思う。午後は次第に曇りどんどん冷える。夜は水炊きにした。

 全国的に火災が多い。町内会の掲示板にも電気ストーブに注意と貼り付けてあった。未だに使っている人も多いのだろう。裸火と同じものは本当に危ない。早く法律で禁止した方がいい。エネルギー効率も良くないし。

 

2/7・木

 昨夜から晴れた。朝霧あり。引き続き汚水管の取り換え工事。掘り出された旧管を見ると其れほど劣化しているようには見えず。但し下部がざらざらとなっている。此処に引っかかるのかな。また斜度も今一つ足りていないのかもしれない。排水は電気や上水やガスとは違い圧力ゼロの自然落下の世界だから、敷設には細心の注意を要す。二時過ぎには新管を埋めて上に砕石を敷き詰めるまでの作業が完了。以後片づけと確認。少量の水でもさらさらとよく流れた。再び板を敷いてコンクリート打ちは後日と言うことになる。三時過ぎには終了。

午後は南風が吹いて暖かい。其のまま通常出社。中一数学は立体の表面積や体積へ。例によって球の公式に疑問は集中す。そりゃまあ、錐の体積が柱の三分の一になるというのは、実際にやって見たらそうなったという経験論的説明が、扇形の面積が弧の半分に半径を掛けるというのは、物凄く奇特な人が居て、壮絶な執念を以て扇形をスライスし互い違いに並べたら驚くべきことにほぼ長方形になっていたという絵的な説明が可能だが、球の場合はどうにも説明の仕様がない。どうにも説明できないものは高校の積分にお引き取り願いたいと思った。丸暗記は理不尽である。退社後は立ち飲みBへ。外国人材が揃って居ない。となると国内人材を総動員してもてんてこ舞いである。成程、みんな旧正月で国に帰ったのね。こういうところで春を感じるとは思わなかった。更に碑文谷でドライブ休憩。

 

2/6・水

 朝から午後まで雨。最後の朝のお勤めの後、愈愈工事開始。専門業者さんが来てコンクリートの三和土をエンジンカッターで切っていく。続いて削岩機で叩き壊す。土木工事である。二時間半程度で一段落。見てみると汚水管より浅い所に何か走っている。ガス管か水道管か。以後手掘りとなる。その下を通すので何だか大変そう。ハラハラするから素人は見に行かないことにした。

半分くらいまで作り替えて本日の作業は終了。仮の板を渡すところまで見届ける。暗くなる頃に出社。何だかガス管のようなものが気に掛かり授業に集中できず。何しろ家も人も古いから次次に亡くなるか壊れるかしている。此の所ノイローゼ気味である。もっとインフラの力を信じなくてはならないな。其のまま退社。再度工事現場を見回った。

 

2/5・火

 千葉の野田でまた児童虐待死事件。父親は態態会社を休んでまで暴行し続けたというから恐ろしい。暴力には依存性があるのだな。こういう暴力のプロに対して学校の先生や教育委員会児童相談所などの堅気の衆は敵わない。専門家に頼むしかない。都下ならば桜田門の生活安全課だな。捜査一課の出番になる前に何とかしなくては。一転して曇天。結局寒い。昼は三丁目のとんかつ弁当(770円)。久久に旨いかつを食べた。他は時時『方丈記私記』。

 

2/4・月

 未明は南の大風と小雨。引き続きあと僅かになった朝のお勤めとゴミ拾い。序でに近所の広場も見て回る。例によってゴミが落ちている。すると其のゴミに張り紙がしてあって、ゴミを捨てた人を激しく罵る言葉が書き連ねられていた。誰が書いて態態貼り付けるのだろう(新手のヘイトスピーチか?)。そんな面倒なことをするより拾って捨てればいいのである。ものの二分で終わる。他人を攻撃するより黙って善行を積んだ方がよっぽどいい(善行から極楽寺行きの記念切符を作れば沢山売れるぞ。小田急江ノ電。片道460円)。

続いて落ちていた子ども用パスモを交番へ搬送。此方は七分掛った。其の後庭猫の巡回。珍しくシロがくしゃみをしている。猫インフルエンザか? 元気はありそう。詰まり花粉症だな。大体単独性の動物は感冒には罹らないだろう。更に空き家の点検。すると二階にまでグレが入り込んでいて寛いでいた。床下の割れ目から入ったよう。もうすぐ此処は壊すからねと言い聞かせながら抱いて下ろす。

 朝はレトルト御粥、昼はスーパーのかつ丼カップ麺。処置が早かったから胃も既に全開である。午後千寿校に。S子先生は鬼の霍乱でお休み。鬼の居ぬ間に少し片付けしようと思った。幾つかの箱を畳み、賞味期限を大幅に超過したペットボトルの御茶三本と、野菜ジュースを二缶処分したところで時間切れ。大体捨てる場所がないのだから捗る筈もない。少しずつ持って帰るしか手がないな。

ところで此方の高校数学は、箱髭図とか標準偏差とかの統計の基礎に突入。中中難しい(高校で習った覚えがない)。統計は国家の要諦(とのこと)。大学の教養課程にはあったのかな。文系は統計学が分からない。退社後は「大江戸」で軽く摘まんで帰った。夜は既に寒い。

 

2/3・日

 偶には昼酒でもしませんかと言う訳で、横浜の中華街まで出向く。参加者は月波君と客乃間君。客引きに言われるまま食べ飲み放題の店へ。安いから大したものが出て来ない。結局の大量飲酒となる。二時間で店を出され、山下公園で暫時休憩。海を見てみると双胴型の珍しい船が居る。確か夏ちゃんとか言ったな。青函航路に鳴り物入りでデビューしたが、燃料費が高くてあっという間に廃止になった船である。今は防衛省絡みの会社が保有していると聞いている(軍備に採算性は問われない)。画期的な新型高速船であったが商業ラインには届かなかった。新技術が定着するとは限らない御手本のような話である。其のまま桜木町の地下街まで徒歩連絡。此処(ぴおシティ)もミニ新橋みたいになっている。更にもう一軒。七時過ぎにふらふらになって帰宅。一眠りしたら大変な胃痛に。今回は早めに戻した。

 

2/2・土

終日晴れ。家人は鎌倉へ。取り立てて無為。家人が買って来たスーパーの弁当の御飯が不味くて全量廃棄。炊き損なっているな。こういうものを売られてはフードロスゼロと言う訳には行かない。

 

2/1・金

 ネットで知り合った男性に会いに行った女子大学生が遺体で見つかる。余りこういうことは言いたくはないが、男と言うものは大変な危険な代物である。どんなに時代が変わっても、頭の片隅以上に置いておくべきことである。勿論出合いの可能性を否定はしないが、一個師団とは言わない、一個連隊を引き連れて行くぐらいの覚悟で臨まなくてはならない。また有名写真ジャーナリストもセクハラにパワハラで全身火だるまに。権力は腐敗する。其れが体制側であろうと非体制側であろうと。

 朝から晴れた。北風強く。先述の火災保険料を支払いに行く。送られて来た振込用紙はコンビニ専用。併し何枚も大枚を預ける所ではないんだけどね。つくづく現金は危ない。午後信託銀行の人が来る。来たのは切れ者風の課長代理と傍系の不動産会社の方。要は全部若しくは半分くらい売却しませんかという提案であった。色色と書類も作ってくれたようだが(出て来る数字はもの凄い、富士そば数十万杯分)、此の土地は売りませんぞ。此処だけの話だが、拙宅付近の地名は頼朝に関係がある。安堵された大正以来の土地を一所懸命に守り抜く所存。只管に草取りと朝のお勤めを果たすのみであります。晩食は適当鍋で適量飲酒。十時就寝。

 

2019年1月

1/31・木

 朝から曇天に小雨が混じる。久久の御湿りである。午前中は漫然とす。午後出社。夕方から久久の本降りとなる。中一数学は空間図形に突入。例によってホワイトボード上の二次元では巧く教えられず。ティッシュペーパーの箱の角や面を塗ったりして説明す。其れでも反応は薄いなあ。大手の塾などは最新のデジタル教材か何かを使うのだろうが、当方はアナログ方式である。まあさして重要な分野でもないのだけどね。其のままBへ。酔ったおじさん連中しかおらず。偶には脳みそ全開の切れ切れのトークもしてみたいもの。結局Iへ移動。此処も井満さんしかおらず。三杯飲んだところで雨が上がる。漸く帰れた。

 

1/30・水

 朝から通帳を大量コピーす。何でも臍繰りが亡父から贈与されたものでないこと証明するために必要な措置だそうで。ああ面倒臭い。直ちに税理士に送付す。続いて103号室の退去。丁度二年。此の部屋は回転ばかりがいい。御結婚するために一時実家に帰るそうだから寿退室だな。見たところの部屋は実に綺麗だが、エアコンと換気扇は交換が必要なよう。なお排水工事は漸く来週に決定す。以後引っ越しゴミの分別。粗大ゴミに近い大きいクッションは庭猫に供した。直ぐにミーちゃんが寝ていた。何だか少し前に流行った「ねこあつめ」みたいだな。

午後出社。チラシも配る。どんどん家が建っている。庭も無い三階建てばかりだが、タワーマンションよりいいだろう。お肉屋さんとも少し電話で話したが、まあまあ元気そう。ちなみに在庫は家主さんが処分したそう。鼻が曲がるほどの・・・。ご苦労様です。そういう時の為の家主ですけどね。退社後はBで歓談。

 

1/29・火

 此の所の週刊誌は「(親が)死んだら(手続きが)大変だ」「(事前に)此れだけはやっておけ」的な特集が目立つ。こういう記事を読んでもね、本当に親が死ぬとはなかなか考えないのが、子と言うものである。何となく此のままの状態が続くのではないか、何時か少しは良くなるのではないか、そういうバイアス(希望的観測)が掛かる。吾人ですら其の例外ではなかった。結局は行き当たりばったりの出たとこ勝負。其れでも何とかなるから大丈夫(金銭的損失は免れないけど)。なお亡くなってからの手続き等は、此の日記を参考にして貰えれば幸いです。あと、役所からの意味の分からない手紙は、大声で音読しながら解読することをお勧めします(現代文必勝法)。

 国会も始まったようだが、野党の支持率が上がらないのは、其の戦略が余りに稚拙であると言うこともあるのだろうが、最近の若い人には野党が色色と質問することで政府与党に迷惑を掛けているというように映るらしい。そりゃまあ、与党から見たら迷惑と言えば迷惑なのだろうが、野党が政権を責めるのは、犬が吠え、赤ん坊が泣き、子が親や教師に反発するのと同じ、当たり前のことなのだけどね。こういう当たり前が理解できないのはどういう訳なのだろう。どうにも迷惑を掛ける、あるいは掛けられることを極度に恐れる傾向があるように見える。予定調和の強制、同調圧力と言うか、一種のちぢみ志向、其れらをデフレマインドと言っても差し支えなかろう。となれば、インフレマインドよ来たれ。大きな心で夢や理想を語りたい。一方、野党第一党を崩壊へ導いた元環境大臣は与党に入るらしい。一党多弱を招いた論功行賞だな。こういう輩がいるからなぁ。ああ落選運動がしたい。

北風と冬型に戻り今日も晴れる。家人は今日も昼餐会。まあ少し遊んで貰わないとね。昼は冷凍うどん他。夜は弁当。

 

1/28・月

 朝方に税理士法人に書類を発送。概ね此れで十分な筈である。午前中は曇る。午後千寿に直行。途中散髪す。予定していた生徒は風邪でお休み。こうなると何もすることがない。他の生徒もいない。S子先生とは何の会話も成立しないから教室は静まり返る。此処に来て丁度五年か。つくづく生徒が減ったな(吾人のせいではないよ)。今後の運営をどうする積りなのだろう。

六時からは多少賑やかになった。本日の授業労働は一時間と少し。通勤時間の半分以下である。「お先に帰ります」と言うと、S子先生はにこにことして「お疲れさまでした」と宣う。あれだけの仏頂面が豹変す。つくづくよく分からない人である。さてさて偶には新店を開発しようと思い、徳俵を覗くも、やはり入れず。其れでは「大はし」はと言うと此方も満席。なれば東口の「かあちゃん」に参るも、此方はとっくに御臨終の模様。結局「福しん」の炒飯で腹を満たして帰った。本当はもう少し仕事がしたいんだけどね。施政方針演説内容薄し。既に惰性で漂流している。其れでも選挙に勝つのは、有権者の方も惰性で思考停止になっているからである。

 

1/27・日

 風邪も風も収まったので出鱈目散歩。成城行きのバスを仙川のところで下車し、以後多摩川方面へ。例によって二子は素通りし用賀へ。空腹に堪えかねて駅ビルのうどん屋へ入る。セルフ式の店など何処も同じようなものだが、此の店は違った。枡屋の新業態らしい。全ての注文を券売機で行う。すると食券データは其のまま厨房へ。後は番号による呼び出しを待つ。レジ係りを削減した積りなのだろうが、素気ないし、味気ない。うどん屋は湯気モウモウでああだこうだと注文したいよな。大体序で買いが出来ないだろう。ついつい手を伸ばしたおにぎりやお稲荷さんを売らないと儲からない筈である。其のまま電車に乗って帰った。約一万五千歩。夜は家人のお好み焼き。

 

1/26・土

 昨日来の中量飲酒と大量睡眠で何とか回復す。体の強張りのようなものが取れた。今日も強烈な冬型。一晩遅れてドラマ「日本ボロ宿紀行」。売れない歌手とマネージャーが安宿を泊まり歩くという物語。何もかもが新品になって行くから、最近はこういうものに関心が集まっている。いい傾向である。でも古い居酒屋や食堂は好きだけど、泊まるとなると数段ハードルが高いな。冬場は一発で風邪引きそう。吾人ですらピカピカのビジネスホテルに泊まりたいもの。

 大企業の給料が高く、中小零細がそうではないのは昔からだが、問題は大企業の範囲であると思った。試しに有名海運会社を例にとってみる。日本郵船百鬼園先生も嘱託を務めた由緒正しい大企業である。有価証券報告書等によると平均年収は1000を超えるらしい。でも同書に出ている社員は1700人ちょっと。可笑しいな、あれだけのお舟を動かしているのだから、船長さんだけでも1000人は必要である。凄い給料を貰っているのは軍令部付のエリート社員だけなのだろうか(グループの残り数万人はどうなっているの?)。結局こういう所をばかりを切り取って給料が上がった上がった、何とかミクスは大成功だと言われても、益益ピンとこない。統計のマジック(詐欺)だな。

 猛烈な寒気により午後は曇る。矢張り体調が今二つ。近間の買い物以外安静にす。吾人にも緑の不幸の封筒が送られて来る。今年は随分小型化されている。昨年からイータックスにしたから送付書類が少なくなったよう。晩食は須見伯母から貰った高級牛肉にスーパーの切り落とし肉を混ぜて久久の鋤焼きに。前者は柔らかすぎて味がせず、後者は何だか噛み切れず。つくづく中庸がいいと思った。

夜は公共放送の庭球中継を見る。例によって野球以外のスポーツのルールがよく分からない。実況も解説もテンション控え目だから有利なのか不利なのか今一つ掴めず。こういう場合は民放の絶叫中継の方がいいと思った。ちなみに見事優勝した選手は日本式の姓名だが生活は海外式で国籍は二つ。幼い内に海外に出て佳かった。日本に居ては才能があっても伸ばせなかっただろう。第一、日本の学校軟式テニス中心だもの。増してあのブカツでは伸びるものも伸びないな。

 

1/25・金

 朝から曇天。朝から税務署に参る。亡父の準確定申告である。また一月だというのに税務署は結構混んでいる(みんな何しに来ているんだ?)。多少待って提出。但し付表の控えを作り忘れたことに途中で気が付く。折角押した受領印には一旦消印を。下の図書館でコピーを取って再提出。此の間十五分程度。まあ多少のトラブルがないと色色と苦労して作った甲斐がないというものである。還付金は無し、納付金も無し。源泉徴収分(二万余り)でピッタリ。内容的にはシンプルな申告書である。無事終了す。

さてさて区役所下の硬券食券食堂でオムライス休憩(730円)。また自転車に乗って帰った。外は寒いが何だかあんまりスッキリしないな。何しろ此の後には相続税があるからね。吾人の申告もある。御昼過ぎに信用金庫の弔問。係長まで来る。夜はメガバンクから営業電話。みんなそんなに御金が欲しいのかね。大体集めたところで貸し出すところがないだろう。

 書いた傍から何だか具合が悪い。超人宣言返上である。午後は安静にす。「高額サービス費支給決定通知書」(10月分)と「後期高齢者医療制度の被保険者がお亡くなりになった場合の高額療養費の支給申請のお手続きについて(ご案内)」という書類が来たが、申告はもう既に終わりました。ということはこれらは相続資産になるのかなぁ。

 

1/24・木

 日ロ会談はゼロ回答の模様。当然だな。今後は「北方領土」という名称も使うなと釘を刺されたらしい。却って後退である。へいへい畏まりましたと教科書も早速書き直すのかな。統計資料を見直したら、昨年の賃金の伸びは幻であったという。態とやったのか、偶偶そうなったのか。詰まり故意なのか事故なのか。前者なら酷いが、後者でもやっぱり酷い。行政を担当する能力がないと言うことになるからね。公務員試験から受け直した方がいい。

 午前中は火災保険の更新契約。エライおばさんが杖を突きながらやって来る。御自分で持って来た書類も、「字が小さすぎて・・・」。吾人が代読す。実に五年ぶりだそうです。家人と暫し歓談して帰って行った。まあ何もかもネットで済ませてもねえ。生きがいなんだろうな。新棟四部屋五年分で8万7千円。五年後は・・・。

 午後出社。今日も寒い。立ち飲みBで軽く御仕舞。碑文谷のドライブという店でとんこつ醤油休憩。寒くて給料前だから何処の店も空いていた。帰宅後入浴。インフルエンザの話題多し。そう言えば今季はまだ風邪を引かない。二日に一度の割りできちんと風呂に入っているからかもしれない。例によって体は洗わず浸かるだけ。巷間ではタモリ式入浴法と言うらしい。それか永年にわたり各種ウイルスを取り込み、愈愈コンプリートしたのかもしれない。詰まり吾人も超人になったな。

 

1/23・水

 さてさて伯父さんの二度目の納骨式。平日の昼間は息子や孫は出られないというので吾人の出番となる。予備役の面目躍如である。大体拙宅が一番近い。其れでも家人とバスを二本乗り継いで参ったらすっかり遅くなった。エイサエイサと腰の悪い家人を坂の上の御寺に押し上げる。しかし此の御寺に来たのも久久だな(多分四半世紀ぶりくらい)。

参集者は伯母さん以下僅か。肝心の納骨も直ぐに終了。何でも石屋さんの御母堂が倒れられたとかでこういうになったとのこと。此れで伯父さんも漸く入れたな。でも基本的には入りたくないのかもしれない。伯父さんは婿で、実は伯母さん自体も養女である。本来は新兄ちゃんという方がおられたのだが、戦前に夭折(当然結核)。其れで伯母が戸籍を移した。養父母は大変な事業家で、息子が危篤と聞いた時は満洲から飛行機で帰って来たらしい。其れでも敗戦後の引き上げ其の他で、残ったのは鎌倉の家だけに。戦後は土地と骨董品の切り売り生活であったという(息子たちも普通の勤め人だから墓の維持が大変である)。吾人も僅かに覚えているが、養母様(平成元年没)は特に強烈なキャラクターで最晩年まで全力で君臨していた。伯父さんも伯母さんも相当苦労をしていたよう。彼岸でも喧嘩にならなければいいが・・・ね。また伯母さんも此れからは少し楽をして貰いたい。

近くの中華屋で軽く食べて御仕舞。まだ一時なので一旦帰宅。目黒までの地下鉄は矢鱈深いから家人も難渋していた(やっぱりバスがいい)。夕方出社。此方も作文練習。体験談を針小棒大に書くように指導す。金参万円受け取る。帰り掛け、都立高校(推薦入試)の応募倍率はどうすれば分かりますかと聞かれたので、つい反射的に新聞に出ますと応えて仕舞った。生徒はポカンとしていた。慌ててネットで検索して見なさいと言い直した。殆どの生徒は新聞など取ってもいない。いや、ひょっとしたら新聞にも出ないかもしれない。退社後はBで二杯だけ。

 

1/22・火

 今日も晴れ。関東はカラカラである。朝方税理士から電話あり。家人は今日も何とか兵衛で昼餐会。よく同じ所で何度も食べるね。吾人は三丁目の肉屋に弁当を買いに行くも、おばさん一人でてんてこ舞い中。おじさんはまた具合が悪いみたい。断念して近くのスーパーのとんかつ弁当。午前午後と税務関係の書類処理。夜はまたアスターの弁当。

 皇女の前婚約者が反論声明。400万円は贈与されたものだと。うーん、何処かの誰かが何とか費を使って処理しようとしない限り、此の問題はずっと平行線のままだな。こうして誰も何も仲介しようとしないのだから、詰まり破談に持ち込みたいのだな。大物フィクサーにとっては400など、ほんの昼食代だろうけど。早くケリをつけた方がお互いの為である。

 

1/21・月

 シロに続いてグレまで未明に入って来る。時期なのだろう。あるべきものは取ってはいるけど、何だか持て余すような気持ちになるのだな。二匹ごと抱いて下ろす。でも男の飼い主に愛情を求められてもねぇ。元元単独性のネコ科の生き物には集団という概念がなく、あるのは母子関係だけだと何かの本で読んだことがある。ということは、おっかさん・・といって懐いてくるのだな。胸でも差し出すか。

午前中は資料の収集。何でもかんでもあっという間に家人は捨てて仕舞うのであるべき紙も既に無い。どうして女というものはあんなに捨てて仕舞うのだろう。午後千寿に向かう。「東急東京メトロパス」で途中下車して宝町の税理士法人に。取り敢えず集めた書類を提出。予め訪問の意思を伝えてはいたが、税理士殿は会議中だとかで顔も出さず。五分でいいから出てきて欲しかった。色色と聞きたいこと(遺産分割協議前に空き家を壊せるかどうか)もあったのに。つくづく融通が利かないと思った。御役所と丸で同じだな。

小伝馬町に移動し日比谷線に乗る。併し此の辺もどんどんビルディングが建っている(こんなに沢山建てて大丈夫か)。以後千寿校入り。実に五週ぶりだがさして感動は無し。此方も既に死に体である。其れでも都立高校の推薦試験を受けるという女の子の作文を残業添削す。千代田線を町屋で下車。Bで二杯だけ。帰り掛けに中公新書の『承久の乱』。全く同名の新書が別の出版社から出ているが此方の方が中味が濃そう(こんなに沢山出して大丈夫か)。歴史の(未発の)可能性を巡るP108の記述が興味深い。

 

1/20・日

 概ね暖かい見込み。と言う訳で出鱈目散歩に出た。と言っても多少の算段はある。西部方面に比べ北部方面が手薄である。まず世田谷線で下高井戸。永福を通り、大宮八幡を軽くお参り。周囲は和田堀公園である。此処には武蔵野園という有名店がある。既に営業していたが、如何せん少し早いし、歩き足りない。今回は敬遠す。再び北上し青梅街道に出た。併し杉並辺りは全く縁がないな。新宿行きの都営バスを見かけたので、すかさず乗車。珍しく都心に向かう。

実に久久の新宿である。とは言うもの当てがあるのは思い出横丁の「岐阜屋」くらい。早速モーニング瓶ビール。店内は中高年男性がまばらにいる程度。酎ハイに紫煙に競馬中継。大人の世界だね。不惑を越えた吾人ですら、此の時間帯の此の店では最年少の部類に入る。何だか若返ったようで妙に落ち着いた。其のまま並びのBを覗く。なんとN君がいた。嘗て本店で勤務していた彼もいつの間にか新宿店の店長なのだという。暫し歓談す。でもそんなに沢山飲めない。地下街で購入したヒロタのシュークリームを差し入れて店を出た。昼も過ぎると一気に人が増えている。退散あるのみ。再び都営バスに乗り、終点は新代田。以後徒歩連絡。帰宅は三時前。こういう色色な気づきが得られる辺り、多摩川方面の郊外散歩では得られないな。今後は都心もコースに入れようと思う。夜は唐揚げと巻き寿司。ところで下高井戸辺りも高架線になるそうで、建設用地の確保が進んでいた。でもまだまだ掛かるな。駅前の市場は残して欲しいと思うけどね。

 

1/19・土

 家人は伯父さんの納骨式に。なお料理屋が定員に達したとかで吾人は留守番となる。夕方帰宅。家人によると創作フレンチは旨かったが、肝心の石屋さんが来ず、遺骨は御寺が預かることになったという。伯父さんも余程入りたくなかったんだね。一方吾人は昼の男ラーメン(780円)が胃に残り、夜は軽く済ませた。ほぼほぼ休肝。ところで拙宅の電気の契約が何時の間にかガス会社に変更となった。さようなら東電。フクイチの責任を取る意味でも料金を支払い続ける所存だったが、家人が勝手に変更したのだから仕方がない。まあ送電ではお世話になりますけど。暇なので映画「人間革命」。冒頭の戸田城聖丹波哲郎)の出所シーンだけでも現学会員は見るべきである。国家が過去にどういう誤りを犯したのか一目瞭然。シャベルや包丁や学習参考書がいかに大切な物であるかということも分かる。

 TBSラジオ「デイキャッチ」も三月終了とのこと。パーソナリティーの年齢を考えると「スタンバイ」も危ないな。また元会長の御蔭で拘置所の待遇は広く知られるようになったが、入管の収容所はもっと酷いらしい。此方も誰か有名人が入らないと注目されないな。なお長野県出身の関取も怪我で欠場。こうして吾人の人生から相撲が消えた。いやそもそも相撲に多少なりとて興味を持つあたり、吾人も歳を取った証拠である。

 

1/18・金

 一日晴れ。詳細な御見積もりが出来きましたというので出掛けてみる。行き先は駒沢の住宅展示場。先日其の近くの焼肉屋に行った時は、吾人には一生縁がない場所だと思っていただけに、人生とは分からないものである。腰が悪い家人も行くというので、のこのことバスに乗った。途中「一風堂」で昼食。家人にとってこういう専門店は初めてだろう。旨い旨いと言っていた。

さてさて見積もりは、地盤が弱いのと太陽光パネルを載せた関係で、当初プラス400万円。まあ許容範囲である。其れでも大体十年で償却できるというから、凄い物件ですなどと言われた(名目利回り10%)。松と楓と使っていない井戸も残る。其の分、駐車スペースが一台減る見込み。序でにモデルルームも見て回る。新しい物は良く出来ているな(見たのは最上位モデル)。此れに比べると築三十五年の拙宅など丸でボロ屋だと思った(まあピチピチのトップモデルとおばさんを比べてもね)。打ち合わせは二時間ほどで終了。もう歩けないと言うので帰りはタクシーを使った。家人も少し歩かせなくてはならないな。なお消費税が上がるので契約は早くした方がいいと言われた(三月末まで)。困ったな、こういう決断事は一番苦手である。第一に遺産分割協議が終わらない。マスタープランは早速遺影に供えた。

 

1/17・木

 それにしても人事院勧告や景気調査では賃金の高い大きい会社を、失業保険の給付にはそうでない会社の統計を使っているのだからますます呆れる。フランスの人も黄色いベストを着て怒っている。特にパリのビジネスエリートが富を独占していると。都市対其れ以外と言う構図があるな。やっぱりふるさと納税は必要かもしれないね。返礼品は少しでいい。

まあまあ晴れ。今頃になって取り過ぎた介護保険料を返すという書類が来る。凡そ二万円。もう申告書は作って仕舞ったよなぁ。午後出社。少し陽が長くなったのでチラシ入りクリアーファイルを入れて歩いた。退社後はBとI。家人の臍繰りにも相続税が掛かるケースがあるらしい。でも家計内は混然一体となっているから、何処から何処までが誰の収入で、此処から此れは私の支出などと分けられないよな。心配すれば切りがない。

 

1/16・水

 たかがレーダー照射程度の問題が解決できず。こんな問題は佐官クラスの協議でどうにかなる筈なのだが。三一が近いから益益炎上しているな。此の件は春が来るまで放っておいた方がいい。また金星配給人と化した横綱も引退。真面目で不器用だから人気はあった。なってくれただけで感謝すべきなのだろう。こうしてハラハラ劇場も閉幕。あの怪我さえなければね。大陸の谷間に咲いた悲劇の何とやらかな。後が居ないから相撲を見る人も少し減る見込み。

 次第に曇って結構寒い。午後出社。退社間際に進路相談。色色と聞かれたが吾人は大して応えられず。何しろ此の学年は真面に指導できなかったからね。色んな人が次次と来て立ち飲みBに閉店までいた。ちなみにお肉屋さんの携帯電話は繋がらない状態に。元気にしているだろうか。

 

1/15・火

 理事長が余りに理不尽だと教員が時限ストライキをした私立高校があった。何でも朝早く出勤させて下らない訓辞を垂れていたというから呆れる。其処で手持ちの『高校受験案内』を拡げて見る。歴史も古いし、場所もいいが、生徒は五百人余。募集人員から考えると定員充足率は恐らく六割そこそこ。こういう学校は早晩運営が成り立たなくなるし、こんな理事長の下では改革も進まないな。

ところで普通科高校に於ける普通教育が巧く機能していないと与党の議員は怒っていた。確かに、座学の一斉授業でサインコサインタンジェントを教えても、余り効果はないよな。そもそも半分くらいの高校生は中学校の内容が分かっていない。数学や英語の授業などは酷い目に遭ったという被害妄想くらいしか彼らの頭に残らないだろう。では普通教育に向かない子はどうすればいいのだろう。一応職業科の高校があるが、十五の冬で将来を選択させるというのも酷な話しである。せめて少人数で面白く教えられることが出来れば、生徒の評判も良くなる筈なのだが。そういうことは私立の方がやりやすい筈なのだけどね。

 早速朝のお勤め。今週は愈愈工事の筈だが、誰も来ないし何の連絡もない。元請け会社の若頭さんに電話をしたところ、設備屋さんが忙しくて工事の日程は白紙に返ったとのこと。吾人も軍手にスコップで穴掘りを手伝う覚悟で待ち構えていただけに、すっかり拍子抜け。糸の切れたアドバルーンのように先月入れなかったボロ市会場を散策。其のまま歩いて「陸」に参る。行って見ると開店前から既に大行列が出来ている。十分ほど並んだが寒さと空腹で敢え無く断念。向かいの要に避難。ラーメンはとんかつに緊急差し替えとなる。二郎系の店も増やして欲しいな。終戦前後やソ連の末期ではあるまいし、食べ物で行列などしたくない。

再び会場を歩き、千円の運動靴と白菜漬けと文庫本を二冊買って帰る。併し七百円のサービス定食では何だか食べ足りず。冷凍うどんと御菓子を追加投入。ああ本当はこってりラーメンが食べたかった。今年の店運悪し。ところで途中「オークラランド」にも避難した。何千回も前を通っているが、此処はボウリング場だったのだね。初めて入った。ゲームコーナーも覗いた。やれるゲームが一つもないことに気が付いた。パズルやクイズゲーム、みんな何処行ったんだ。電車で何とかも。学生の頃は結構やったんだけどね。

午後は一雨あった。以後少し晴れる。でも結局寒い。税理士法人と何回か遣り取りして準確定申告書を仕上げる。晩食は貰った鰻で何とかしようと思った。併し再加熱に失敗。レンジに軽く通しただけでは中まで熱が通っていない。熱熱の御飯を巻いて何とかしようと思ったが、巻いている傍から食べて仕舞ったので、結局冷たい。おまけに白菜漬けは本来不要な塩出しを家人が強行して味がスカスカに。万事休す。本日の食は総崩れとなる。こうなると沢山飲んで早く寝るしかない。

 

1/14・月 

 さてさて朝から快晴。何処かに出掛けようと思った。前回は山に行きかけたから、今回は海である。と言う訳で東横線京急線に乗って津久井浜で下車。何時もの廻る寿司屋へ。連休中で結構お客もいるのに、自動化コーナーしか開いておらず。味気ない上に、ネタも舎利も今二つ。改装して悪くなったな。

 気を取り直して海岸線を歩き、三浦海岸駅へ。適当なバスに乗って降りて西海岸へ。再びバスに乗って逗子に出た。本日は此処で終了。また京急線で帰る。横浜で崎陽軒の弁当。実は焼売は余り好きではない。何時もと同じ「季節の弁当」(730円)を二つ買って晩食とした。焼売は少なく(二個だけ)、其れ以外のおかずとのバランスが丁度いい。こういう弁当って世田谷の住宅地区では売ってないんだよね。

ところで成人式と見えて晴れ着姿の女性も多かった。二十歳の子と其の親御さん。二人で歩いていれば、年齢的には既に親世代に近い。何しろ結婚もしてないし、出世もしていないので、気分的には二十代後半か三十代前半の書生気質で停止している吾人なのである。

 

1/13・日

 大体晴れた。昼はオリジン弁当。取り立ててどうと言うことも無し。さてさて一夜明け、最近の芥田先生は『昭和維新私論』を読み直されているということを思い出す。特に渥美勝の心性が気になると。早速手元にあるので読んでみる。成程、なるほど。昭和維新とは今でいう一種のイスラム国かもしれないと思った。いや併し、(吾人も多少なりとて先生と呼ばれる身ですが)先生の先生は大変な先生であります。と言うことは、先生は先生の劣化コピーと言うことだな。夜は残った豚肉で肉豆腐。

 

1/12・土

 朝から曇天。時時小雪と小雨。さてさて芥田先生の千葉市の自宅に向かう。時間があったので、西船から京成線で参る。京成千葉線に乗るのなど数十年振り。いや併し、丸でローカル線の態である。標準軌で割と真っ直ぐな線路が勿体ないと思う次第。何も無い京成駅からJR駅に移動。元元は京成の方が古いんだけどね。駅前の王将で遅めの「五目あんかけラーメン」(630円)の昼食。

早速午後三時からミニ読書会。題材は月波君が提供した芹沢光治良の「幼い話」。恋愛小説と言うより農地改革への啓蒙小説といった体裁。農商官僚であった作者の経験が生かされていると言う結論(農地改革のアイデアは既に戦前からあった)。以後新年会に移る。参加者は、月波君、鷺乃間君、坪上君、藤松君と遅れて西嶋君。彼のカンボジアで車に撥ねられた話で盛り上がる。先生もお元気でネパールに行かれたそう。色色と示唆に富んだ話をされたのだが、生憎此方は数か月間思考停止状態。少しは読書も再開させなくてはならないと思った。十時過ぎまでいて、JRプラス東西線で帰宅。地元で富士そば

 

1/11・金

 朝一番で三名分の収支内訳書を優子さんに発送。どんどん作ってどんどん出さないとどんどん滞る。手元にあるとついつい考え直して仕舞って切りが無いからね。終日晴れてまあまあ暖かい。昼は自転車で外に出る。太い麺が食べたくなり隣町の付け麵屋に入る。茹で時間が長いから付け麵は儲からないだろうなどと考えながら暫し待つ(其の対極は博多ラーメン屋)。すると後から来たお客は食券を出すなり一分も待たずに供された。そんな筈はない。特急券でも出したのだろうか? 要は飛ばされたのである。また一から待つのかと軽く絶望すると、程なく吾人にも供された。但し先客はまだのよう。詰まり一番と三番を取り違えようで、二番の吾人の実害は無しか? 吾人が食べ終えても先客の着丼は確認できず。でも其の人はずっとスマホに興じていたから気が付かない模様。世の中知らない方が佳いこともある。

 買い物は二便。明日は芥田先生の書斎に伺うので桐の箱に入った高そうな焼酎も購入す(三千円)。夜は豚のしゃぶしゃぶ。韓国の大統領は、当該日本企業の資産差し押さえは司法が勝手に判断したので与り知らぬことであると宣う。またフランス当局は、オリンピック誘致を巡る贈収賄事件で、日本人の捜査を再開。一応三権分立と言うけど、国際問題化すると中中そうはいかない。例えば日本の裁判所がアメリカに賠償金を支払えなどという判決を出す筈も無いからね。ちなみに元会長は流感に罹り三十八度だという。体重が落ちれば免疫力もぐっと下がる。三権分立、殊に司法権独立の建前は、国の意向に逆らった時の抗弁として初めて生きる項目なのだろう。司法も立法も元元は国の権力の一つだもの。

 

1/10・木

 朝は一瞬晴れたが以後曇天。雪でも降ってきそうなほど寒い。午後出社。退社後はBで軽く御仕舞。

 

1/9・水

 終日晴れ。本日は休みにした。折角なので何処かに出掛けようと思った。取り敢えず世田谷線から京王線へ。終点の高尾山まで行く所存だったが、余りに寒くて府中で断念。天気はいいが風が本当に強い。駅前の神社にお参りし、仮設の茶店で燗酒休憩。併し年が明けて九日も経つと、多くの屋台も既に撤収作業中。活気が丸でないね。其のまま府中本町まで歩き、南武線溝の口に出た。「デリー」という古い店で遅めの昼カレー(600円)。ルーは辛口でシンプルな味。となるとカツとかコロッケなどの上物が欲しいと思った。

 そんなこんなで三時前には早くも帰宅す。以後ずっと税金の計算。「不動産所得の収入の内訳」を五名分作成したところで一日分の作業量を使い果たした。未だに残る数の子とかスモークサーモンとかソーセージとかで軽く飲んで御仕舞。なお亡父の準確定申告を真面に行おうとすると還付金が発生する模様。高が数千円。相続人が複雑だから却って迷惑である。医療費控除を少なく申告して何とか回避しようと思う。

 

1/8・火

 今度の改定で「あずさ」は停車駅を絞るそう。値上げして(回数券が廃止)、尚且つ停まらなくなるのでは堪らないと関連自治体は怒っている。在来線は小回りの良さが利点だからね。抗議が実るといいが。首長に加え市町村議員にも頑張って欲しい。一方あの元会長は裁判所に出て来て弁明したとのこと。何でも体重が十キロも落ちたという。小菅式ダイエットは、やはり人の道に反するな。またまた国際的非難が出る。

 さてさて講習も終わり通常体制に戻る。取り立ててすることも無い。午後重い足取りで眼科兼内科へ参る。愈愈視野検査である。検眼の後、手に汗を握り必死の形相で光芒を追う(正確に言うと視線は固定したままなので追ってはいけない)。直ちに結果が出る。盲点以外は見えているから問題はないとのこと。よって経過観察となる。内科の検診の結果も出ているので、隣の診察室に移動。LDLコレステロールと尿酸と血圧が高めだが、此れもまた取り立てて投薬治療する程でも無いとのこと。よって無罪放免となる(容疑は濃いが)。足取り軽く帰宅。但し眼科の検診に診療報酬約800点。眼科は高いね。尤も薬も飲まないから国民健康保険制度の維持には貢献出来そうである。兎に角、食べ物に気を付けて、運動しなくてはね。幸い小菅に入れられる用件もなさそうだし。草臥れたので九時就寝。

 

1/7・月

 携帯電話が生まれた後、元元ある電話は固定電話と呼ばれるようになった。とある大阪の学校が有名になって、元からある神奈川の其れは横浜何某と呼ばれるようになった。そもそも両者には何の関わりもない。ラグビーで対戦したらしいが、結果は良く知らない。別にそれほどの愛校精神がある訳ではないけどね。どちらもスポーツと学業の分業制のような学校である。

 引き続き朝のお勤め。住人も戻ったようで滞りも戻る。いよいよ来週の工事が決まったから、此のお勤めもあと僅か。御昼に出社。時間があったので隣町まで散策す。結局王将で炒飯。大して旨くない。さてさて講習も最終日。人繰りが付かず、最後の最後に中一の合同クラスである。夏の嫌な思い出が蘇る。全体で進めることは諦め、個別に課題を与えることとする。やることが違えばまあまあ大人しい。各個撃破戦術だな。退社後はBで中量飲酒。須々木さんと市ヶ谷さんが居て結構楽しかった。機嫌が良くなったので、Bの女子社員にはコンビニの御菓子を差し入れる(千円相当)。偶にはこういう喜捨をしないと福が寄ってこない。

 

1/6・日

 大体曇り。日曜だが本日も出社。冬の講習は一気にやるからね。授業の合間合間に『平成精神史』を拾い読む。何にも楽しいことのないまま直ぐに帰宅。留守中に塗装屋さんが来て早速屋根を直したそう。此れで一安心。夜は碑文谷で買った焼き鳥と唐揚げの鶏づくし。年末に買いためたワインも日本酒も概ね無くなる。飲み過ぎ防止の為に最近は在庫を減らしている。

 

1/5・土

 併し現金を持ち歩かない人と言うのは、古い中華屋やよさげな居酒屋を目にした時、どうするのだろう。一旦ATМに御金を下ろしに行くのかな。面倒な話しである。

 今日も晴れ。昼は結構暖かい。朝粥に色んなものを載せて食べたがまだまだ食べ切らない。当分買い物も停止。また隣の瓦がずれていることを発見す。スレート状のものなのでそんなに重くはないが、落ちたらかなり危ない。みたび応急処置を依頼す。年が明けてもこんなことばかりである。午後出社。退社後はBとIで中量飲酒。夜は北風。

 

1/4・金

 御昼に出社。例年の此の時期は年末年始の行動を報告させるのだが、先日の新幹線トラブルに巻き込まれて帰省を一日遅らせた生徒が居て少し可哀想であった。曰く、東京駅は人で溢れていたと。更に詳しく聞けば下車駅は佐久平だという。中央線プラス小海線なら帰れるけどね。単身なら兎も角、家族を連れては無理だよな。また無責任社長のところには何度もお肉屋さんから電話が掛かってきている。変な所に入れられたと悲憤慷慨しているらしい。地域社会から隔絶されると認知症も進むだろう。併し、残念ながら、此れ以外の道は、恐らくない。其のまま退社。正月料理の残りを残りのワインで流して御仕舞。

 

1/3・木

 恒例の駅伝見物。其の後川崎に移動。総勢十名で昨年と同じ中華屋に入る。出た後は、カラオケに行く行かないで意見が対立し、不愉快になった吾人は途中で帰ることに。新年早早碌なことがない。中でも激昂した吾人は小銭(二百円相当)を路上にぶちまける。川崎の人を驚かせたかもしれない。此の場を借りてお詫びしたい。

祐天寺の花月でラーメンを補給し、五時過ぎには家に着く。入浴後直ぐに就寝。午後六時過ぎに熊本で震度六弱。人的被害はないが結局夜中まで新幹線が止まり迷惑なことになる。東ならもう少し早く動かせたかな。

 

1/2・水

 家にしても仕様がないので、朝の内から散歩に出る。目黒川まで歩いて大鳥神社で初詣。屋台で御酒でも飲もうと思ったが何にも出ていない。此の神社も案外小さいね。バスで通るだけだから何も知らなかった。其のまま祐天寺に回航。併し牛丼屋ぐらいしか開いていない。止む無く一駅歩き碑文谷の日高屋に入る。こういう場合のチェーン店は有り難いと思った。働いている人は大半が外国人材だから日本の正月は関係ないのだろう。店内は忽ち中高年の一人客で埋まる。みんな孤独なのだな。メンマを当てに二級酒を二合。更に三十分歩いて帰宅。午後は漫然とす。何だか正月も何時もと違うからどうしていいのか分からない感じ。夜は千代田鮨。

 皇居広場には十五万人も押し寄せたという。再び「日本沈没」ネタで申し訳ないが、同映画には宮城に押し寄せた避難民を警察が武力制圧しそうになり、慌てて山本首相が止めさせるというシーンがある。まだまだ戦前戦中の記憶が生生しい頃の作品である。

 

1/1・火

 終日晴れ。分厚い朝刊が二紙、読むところまるで無し。朝は和食を中心に福島の「栄川」純米大吟醸で流し込む。例によってすることも無い。そこで年も改まったので、相続税の申告に必要だというゴミみたいな書類を集め始めようと思った。併しそういうゴミみたいな書類を集めてくれと言う税理士から貰ったゴミみたいなリストすら何処かに行って仕舞っている。一瞬で挫折。此れは前途は厳しいと思った。

 午後は地上波でやっていたテレビドラマの集中放送。「アンナチュラル」という作品だが展開が速く見ていて飽きない。外国ドラマのようでよく出来ている。職業上平日夜の番組と言うものは見られないので丁度良かった。夕方から飲み始めて、九時就寝。今日も寒かった。飲酒より入浴で体を温める。暖冬な筈なのだけどなあ。原宿の竹下通りで暴走事件。人の集まる所は常に危ない。

2018年12月

12/31・月

 一日晴れ。今日明日の食べるものが欲しいと言うことになり、吾人が買いに出掛ける。渋谷まで徒歩連絡。ザギンアスターと薔薇の家で中華と洋風のオードブルを購入。合わせて六千円。おせちを取り寄せるより安いな。併し地下食品街は大混雑(例によって大勢の中高年が現金を使っているから支払いが遅い)。今半精肉部など大行列が出来ていた。正月に鋤焼きを食べる習慣はないなぁ。地上に戻り、天神が休みなので風龍で博多ラーメン替え玉付き(650円)。

帰りはバスにした。新人運転手らしくクラッチ操作が覚束ない。一応指導役のおじさんも乗っていたが、みんな無言で見守る。誰にでもルーキーイヤーがあるからね。ところで吾人はどうしていたのだろう。遠い目をしながら思い出すが、あんまり苦労をしたという記憶がない。先生は生徒の成れの果てだから、割とスムースに移行できるというものである。其れに対象人数も少ないしね。

例によって夕方から飲み始める。やっていることは毎年同じだが、拙宅の人口は三分の二になって仕舞った(鋤焼きなど益益考えられない)。寂しい限りである。安スパークリングワインの酔いが回り、心臓がバクバクになる。十時就寝。こうして2018年は終わって行った。何しろ六月からバタバタの酷い一年であった。

 

12/30・日

 宿酔は無し。金宮の御蔭であろう。「いい酒は朝が知っている」とは中中良く出来たキャッチコピーである(確か東北の酒造会社)。従って朝から富士蕎麦が入る。さてさて今日から五連休。まあ吾人の人生に休みは沢山あるから、さほど有り難い物でもない。其れでも仕事をした後の休みとなると矢張り開放感が違うな。辛く厳しい労働があっての休暇である。家人眩暈につき、吾人が買い物に出る。今年はおせちも取らなかったので色色と買わなくてはならない。田作り、黒豆、なます、数の子、何れも極小サイズのものを購入す。

 東京駅で新幹線が動かせなくなり、東日本の新幹線が終日混乱。もともと手狭な上に、臨時列車も目いっぱい組んであるからどう仕様もない。ピーク時は上野や大宮始発も作ったらいいと思った。東京の西に住んでいると大宮から乗っても実は大して変わらない。此れは湘南新宿ライン埼京線の御蔭だな。新幹線リレー号が走っていた頃にはどちらもなかった。併し指定席が増えると異常時の対応が難しいなあ。再開次第全車自由席で運んでしまうのが一番能率がいい筈である。

 

12/29・土

 今日まで講習。午後出社。教える側も教わる側も既に年末モード。詰まり気もそぞろである。退社後、月波君が来る。まず古い天ぷら屋へ。二年振りぐらいかな。親父さんは具合が悪いらしい。奥さんと娘さんが厨房に立っていた。真面目な店だから客の扱いも真面目過ぎるんだよね。娘さんが店を引き継ぐのならば一度スナックか何処かでアルバイトした方がいい。天丼と熱燗二合を平らげてもまだ寒い。暫しバーIに避難。最後は佐渡屋に駆け込んだ。金宮焼酎をお湯で割って牛飲す。帰宅は十二時ぐらい。

 

12/28・金

 結構な寒さ。午後出社。愈愈向かいのお肉屋さんも施設に移ったとのこと。息子と娘さんからは絶縁され、住む家(賃貸)も失い、店舗に寝泊まりするという異常な状態が一年半も続いていた。此の間、認知症も進行し健康状態も悪化。傍から見ていても可哀想であった(吾人は亡父のコートを寄付したけど)。行く先は川の向こうの無料低額宿泊施設。色色と評判が良くないことは知っている。お肉屋さんは十五の頃からずっと働いてきたというから、もう少しいい所に入れてやれればとも思う。でも何しろ早く室温が管理されたところに移った方がいい。寒波襲来の前に入れて良かったというべきである。そして廃墟と化した店が残った(超超熟成した在庫も)。此処の処理は誰がするの?

 退社後は立ちのみBへ。鰻犬先生と須々木さんが居てくれた。大変残念なことだがお話し内容が今二つ。バーIへ避難す。先客は無し。店主と暫し歓談す。出来れば美女と出合いたかったが、やって来たのは井満さん一人。早速五年前から何度も聞いているお話をされていた。一日の終わりが壊れたテープレコーダーではねえ。早早に帰宅する。全部で四千円。

 

12/27・木

国際捕鯨委員会から脱退するとのこと。てっきり松岡気取りかとも思ったが、案外そうでもないらしい。此れで評判の悪かった南極洋の調査捕鯨からは撤退して、沿岸の小規模商業捕鯨にシフトする。まあ身の丈に合った形への転進かな。江戸時代くらいの捕獲高なら許して貰えるだろう。近海物の非冷凍品は頗る旨いと聞くが本当かなぁ。今日も御昼に出社。退社後は立ち中華とBと連戦して帰る。夜は冷えた。

 

12/26・水

 朝のお勤めの後は、昼のお勤めに。今日から冬の講習である。千寿校に他の先生を送り出した手前、銃後の守りを固めなくてはならない。本務校にて八時過ぎまで勤務。午後に付け麵。退社後は立ち飲みBで少し飲んで帰宅。

 今朝の「文芸時評」(磯﨑憲一郎)は中中良かった。詳述は避けるが、延命治療=やるも後悔、やらぬも後悔。そういう逡巡の中に人人は常に立たされているのである。スーパードライの息子さんや炎上商法で有名な社会学者さんはそう言うことが分からないのだな。此れが若手論客の実力である。想像力と言うものを持たなくてはね。

 

12/25・火

 まあまあの晴れ。アメリカから株安が伝染し、東京も二万円割れ。といっても我が人生に何の関係も無し。家人は鎌倉へ。午後税理士さんがやって来る。前回と同じ税理士法人だが、今回来た人は違う人である。一応税理士資格はあるようだがまだ若い感じ。新人だろうな。色色と協議した結果、御金が勿体ないので準確定申告は吾人がやることにした。早速目の前の専門家に助言を仰ぐ。例によって修繕なのか設備投資なのかで迷う支出があるが、そもそも築四十年だよな。全部修繕費として付けようと思う。

なお例によって相続税の申告にはまたまた細細な書類が膨大に必要とのこと。未収金の扱いだとか、葬儀費用の明細だとか、臍繰りの有無など、不動産価格から見たら微微たるものだが考え出せば誠に切りがない。其の内に自動販売機でも領収書を出す世の中になるだろうと思った。税制は簡素に、いっそ法人税所得税と固定資産税と消費税だけにして貰いたいものである。でも消費税は今後うんと複雑になるのだっけ。諸諸に色色と聞いているだけでうんざりする。そんな打ち合わせだけで二時間も掛かった。

 

12/24・月 

 天皇誕生日の振り替え休日。来年からは休みでなくなる日である。朝のラジオから聞こえて来たトニー谷のクリスマスソングが面白くて良い目覚め。昭和歌謡は奥が深いね。ネット上の百科事典で見ると破滅型芸人と言った感じの人だけど。冬型の晴れが戻る。風が強く桐も楓も漸く散った。落ち葉掃きを数度、買い物は三便。猫餌に雑煮用の小松菜、昼の弁当、晩食のおかず。世帯年収も減ったので豪州産の牛肉をチリワインで流し込むことにした。他には三百円のぶり刺しを外猫と分け合う。

年賀状を止める年寄りも多いと聞く。年賀状じまいというらしい。いやいや、這ってでもミミズがのたくった様な文字でもいいから、年賀状くらい出さなくては駄目だぞ。亡父も年賀状を止めた頃から急激に衰弱した。何事も気からである。

 

12/23・日

 朝の内から出鱈目散歩に出る。まず82系統で等々力、以後多摩川に出て、丸子橋を渡る。再び適当なバスで高津に出て、二子橋を歩いて戻る。ところで目黒通りを延長して其のまま多摩川を渡す計画があるそう。ならば散歩のパターンも広がると思った。橋が出来れば江戸時代の多摩川の改修により離れ離れになった世田谷の等々力と川崎の等々力が繋がる筈だが、いや併し完成は何年先になるのだろう。問題は川崎側の道路整備だろうな。二子から都立大まで再びバス移動。以後飲食店を探しながら歩いたが、まだ何処も開いていない。結局歩き通して地元の古い蕎麦屋に入った。店内は余りに暗く、出て来たものは大したことがなかった。古いだけではねえ。午後は再びの小雨。肉屋で鶏を買って夕方から飲み始める。時節柄ワインは赤色にした。

 

12/22・土

 朝のお勤めとして砂肝のようなものを流した後は取り立ててすることも無し。散歩に出たら雨が降り出す。堪らず「天下一品」に入る。「こってり」を頼む力がなく、「あっさり」にする。不味くはないが、あっさり味は家でも作れるな。矢張り中間のものが欲しいと思った。

さてさて夜になったところで、大したこともない。世の中はクリスマスだの正月などと言って騒いでいるが、実父も亡くなり老母と二人きりになって仕舞った家庭にはおおよそ無関係である。六時前から吾人だけ飲み始めた。併し一年前はどうしていたのだろう。恐らく亡父はよろよろと起きて来て、何だか詰まらないことを言って、多少なりとて何か食べて、もう眠いと言ってまた寝に入ったところかなあ。いや併し全く以てよく思い出せない。其の思い出せないことが、一定の幸福であったと何処かの歌手が歌っていたなあ。

 

12/21・金

 怒り出した韓国の人人も次次と訴訟を起こしている。日本企業に続いて自国の政府も訴えることに。与り知らぬところで勝手に請求権を消滅させられたのだから怒る気持ちも分からないことはない。大体此の国の空襲被害者も救済されていないのだからなぁ。なお自動車会社の会長も愈愈保釈されると思ったところで再び逮捕される。今度は特別背任らしい。無間小菅生活である。特捜部が意地になってやっているから所謂国策捜査だな。またまた国際的非難を浴びそう(考えてみればこういう外圧って今までなかった)。併しどのみち大した罪には問えないだろう。此のまま御引き取り願えれば、其れで十分である。

さてさて健康診断の日。亡父の件もあり、一丁目の診療所に向かう。初めて掛かる所である。夫婦でやられていて眼科も併設なので何かと便利だと思った。例によって立ったり寝たり採ったりす。眼圧は矢張り高め(=22)。序でに画像診断もして貰う(追加の診療報酬200点)。左目の一部に問題があるそうで、年明けの視野検査を予約す。愈愈来たかな。結果が悪ければ目薬生活が始まる筈である。やれやれ、結論はどうあれ、一段落。昼は新しい中華屋で油淋鶏定食(900円)。何だか食べ足りず更にクリームパンと巻き寿司。爆食である。何しろ二十時間殆ど何も食べていなかったからね。須見伯母が来たので、隣の空き家を案内す。堆積していた古い賞状なども少し見せたが、伯母は旧漢字でもすらすらと読める。戦前に教育を受けた人は矢張り違うね。夜の大量飲酒も再開。

米国の国防長官も辞任。海兵隊出身でありながら常識人であった。いやいや、こういう言い方自体少し正しくない。大体軍人上がりが常に狂暴人とは限らないからね。併しこういうバイアスが掛かって仕舞うのは日本人特有かもしれないと思った。何しろ此の国の陸軍出身者には碌な人物がいなかったから。

 

12/20・木

 今日もまあまあの晴れ。午後出社。昨日と同じように取り立てて特徴のない一日。Bに行くも、誰とも行き合えず。二杯飲んで其のまま帰宅。こうなると入浴だけが楽しみなのだが、急いで戻ると家人が丁度入る所であった。抑止されること二十分。二人しか居なくなったのにどうしてこういうことになるのだろうと思った。其の間シロを抱き寄せ、散散捏ね繰り回す。

ところで新スマホになって二週間。流石に新しい物は良く出来ていると感じる。音声入力も質が上がり、とんでもない誤変換も無くなる。また久久に古い方を動かそうと思ったが、既に動かし方を忘れかけていて驚いた。去るものはね・・・。

 

12/19・水

 まあまあの晴れ。午後出社。取り立てて特徴のない一日。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。ますます特徴のない一日。

 

12/18・火

 T氏はまた次次と側近を解任している。ところでT氏を政界に導いたのはO氏だったのだという。大統領晩餐会で小馬鹿されたことを根に持ち、出馬を決意させたそうである。O氏もとんでもない事をしてくれた。真面目な同氏の事だから今頃慙愧に耐えないと言っていることだろう。

 終日晴れて暖かい。さてさて相続手続きも一巡すると取り立ててすることもない。朝のお勤めはしているが、此の時期は草も生えないし、落ち葉掃きもほぼ終了。年賀状も出さないとなると師走と言うより師閑である。健康診断の予約をし、昼は防空壕のような中華屋で上海焼きそば。此の三日間は減塩節酒である。買い物は三便。牛肉が食べたかったが、世帯年収も減っているので挽肉を使った厚揚げ麻婆豆腐にして節約す。ただ外猫様たちには高そうな猫の写真が付いた餌を食べさせた。「モンプチ史上、最高の美味しさ」を謳うだけに流石に食い付きが違うね。

 

12/17・月

 朝方は冷たい雨。以後晴れる。午後千寿に出校。年末年始の講習は別の先生に出て貰うことになったので千寿校とは当分のお別れ。S子先生とも顔を合わせないので清清す。生徒を罵る以外に言葉の使い方を知らないような人と同じ場所にいること自体、精神の大いなる摩耗を強いられる。るんるん気分で「大江戸」で熱燗と寿司を数皿摘まんで帰る。

海狸も白熊君も海外原発計画は諦めたよう。正しく大清快、じゃなくて大正解である。札幌の不動産屋が爆発。巻き添えで隣の居酒屋も倒壊。幸い死者は出なかったが、使い切れなかった大量の消臭スプレーを放出中に湯沸かし器の火が引火したよう。こういう災害もあるのだね。矢張り安全管理学部を作るべきである。

 

12/16・日

 曇ったままで朝からずっと寒い。買い物は一便。居間もエアコンだけでは十分暖まらない。時時ガスファンヒーターで増援する。夕方月波君が来たる。曰く授業で疲れたと。いまだに放送大学に通っていて今日は朝からスクーリングだったとのこと。熱心と言えば熱心だがよくやるねぇ。週に数度授業する身としてとしては、授業をするのは面倒だが、授業を聞くのはもっと面倒である。歳を取ると段段我儘になり大体一時間半以上じっとしていられない。だから映画館にも行かないし高速バスにも乗らない。一日中講義を受けるなど正しく悪夢である。「とらや」「ほていや」と連戦して帰って貰った。夜まで寒い。蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを飲んでも震えて戻る。行火を効かせて十時就寝。

 

12/15・土

 今日も冬晴れ。早速ボロ市会場まで徒歩連絡。既に人が多すぎて会場に入れず。やむなく其のまま豪徳寺まで歩き、「りらくしん」という店で二郎系ラーメン。割と年配の御夫婦でやられているよう。此の手の店としては珍しい。独学したのかなあ。チャーシューやスープも旨いしサービスも良かった。満員の世田谷線で帰宅。午後は漫然とす。晩食は残り物を総動員。辺野古の埋め立ても開始。馬鹿どもに権力を与えているのは、より一層の馬鹿どもだからなぁ。

 

12/14・金

 漸く晴れた。家人と共に吾人もいざ鎌倉へと向かう。まずバスに乗り祐天寺駅に。すると埼玉の方で踏切確認をしたとかで東横線がもたもたしていた。予定していた横須賀線に乗り遅れる。中距離電車を一本逃すとあっという間にぎりぎりになって仕舞う。やむを得ず駅からタクシー移動(730円)。自宅で看取られた伯父さんは葬儀会場も自宅である。親戚縁者が凡そ三十人。和尚さんも二人。高輪の由緒ある御寺から来たというから御布施も180万円!だそう。其のまま最後のお別れとなる。伯父さんは元元痩せていたから既に骨と皮といったところ。色色と大変だったな。鎌倉の伯母さんも首の調子が悪そう。介護生活も長かったからね。

 此処で鎌倉の伯父さんについて少し述べる。昭和二年生まれだそうで中学校の教員を定年まで務める。以後カイロプラティクスの治療院を営むなど多芸な人であった。植木の手入れも一流の腕でしばしば拙宅にも遠征を願った。勲章も貰ったそう。ただ賞状を発行した総理大臣がAではね・・・。そう言うことはさておき、今一度合掌す。吾人にとっては温厚な好い伯父さんであった。

マイクロバスを仕立てて山の中腹の火葬場に向かう。此処も民間施設のようだが焼き台は二つしかない。桐ヶ谷巨大ターミナルに比べると田舎の駅と言ったところだと思った。一時間ほど待って収骨。炉が古いのかな。時間も掛かったし、残った骨も多かった。みたび合掌。再びバスに乗って、駅横のザギンアスターで精進落とし。五時前には解散す。もう少し飲みたかったが、本日は此れで御仕舞。其のまま帰宅。帰りも東横線。特急に乗ったが混んでいる上に一つも速くない。其の上、踏切とカーブも多く、危なくて見ていられない。東京と横浜を結ぶ主要幹線が此の程度である。例の国土強靭化で予算を持って来られないのだろうか。大事な交通インフラである。いやしかし、今回は喪主でも施主でもないが葬式と言うものはやっぱり草臥れる。夜は再びの胃痛。大して飲んでないのに可笑しいな。まだ胃腸が治ってないのかな。本日は中華一食のみ。

煽り運転の被告に重い判決。国民皆免許制度は民主国家の証だから、こういう人でも運転出来て仕舞う。「馬鹿どもに車を与えるなっ!」(海原雄山)という訳にも行かないからなぁ。

 

12/13・木

 結局曇って寒い。此の頃寒くても晴れない。まるで日本海側のよう。家人は通夜へ。吾人は本務校へ。講習の予定を詰めた。金五万円受け取る。留守宅と外猫が心配なので急いで帰宅。

 米中貿易戦争は新たな段階へ。中国製IT機器の排除に向かうことに。いやしかし、スマホの中に秘密の機械が仕込まれていて勝手に情報が抜き取られるだなんて、ややスパイ映画染みている。言いがかりだろうな。

 

12/12・水

 朝方に電話があり、昨夜遅く鎌倉の伯父さんも亡くなったとのこと。享年九十一。家人は急行す。また葬式である。午後家人帰宅。家族に見守られた穏やかな最期だったという。何しろ鎌倉は息子が四人、嫁さんが三人、孫多数と言う構成だからね。拙家とは偉い違いである。入り替わりで出社。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。朝方は小雨が残り午後も曇る。夜は北風強し。

 

12/11・火

 散散だった臨時国会も閉幕。十連休法案も可決される。天皇制云云以前の問題として国民は大喜びである。何しろ休めない国民だからね。さてさて吾人とてどう仕様。提灯行列なぞは見たくないから、数日くらいで何処かへ避難しようと思う。小田急と各駅停車を乗り継いで西の方へ。逃亡者のようにビジネスホテルを泊まり歩いて。土佐中村で幸徳秋水の墓参りとか面白そう。ところでこんなに沢山休みになって一番困るのは医療機関だろうな。特に大病院は連休前後は壮絶な超混雑となりそう。ああ恐ろしや。また山手線の新駅の名称に批判が集まる。名前云云以前の問題としてわざわざ公募させておきながら、序列百三十位のものを採用したのだから、そりゃあみんな怒るよな。要はプロセスの問題である。ちなみにゲートウェイで思い出すのはパソコンだな。大貧学院第一号の其れがゲートウェイ社製であった。あっという間に壊れて其の内に会社ごと日本から無くなった。

 午前中に銀行員が来て相続手続き。管轄がリテール部に移ったので担当は吾人より年上の女性職員となる。切り者風の課長代理とはもうお別れ。財産目録作成に向けて通帳を提出す。打ち合わせは一時間程度で終了。午後も寒い。雪でも降ってきそうな気候となる。遺族年金支給開始通知が送られてくる。矢張りひと月十一万円余。何も面白いことがないので豚キムチ鍋で飲酒も解禁。缶麦酒と白ワインを少少。夜は大雨。

 

12/10・月

 曇り勝ちで朝は三度程度。急に寒くなった。午後千寿に出校。「福しん」の炒飯で御仕舞。帰宅後は隣の自販機で強炭酸水。断酒も五日続いた。就寝時には亡父の残した電気行火を使ってみる。案外暖かくて重宝しそう。そろそろこういう器材を使い始めてもいい年齢である。

 

12/9・日

 朝から出鱈目散歩。田園調布までバスで出て、以後多摩川に。左岸を北上。二子玉川を素通りして用賀の「柳屋」という店でラーメン休憩。もう一駅歩いて電車で帰った。交通費350円。二万歩以上。多少陽が出たが非常に寒い一日。そう言えば環八で「名古屋」というボードを出してヒッチハイクをしていた若者二人組が居たがどうなったかな。青春18きっぷは明日からだから、車に賭けたのだろう。ハイリスクハイリターンだな。夜は豆乳豚肉鍋に中無しホッピー。禁酒四日目。異様に寒いので猫小屋にも懐炉を入れた。ちなみに亡父が使い切れなかったものが大量にある。

 

12/8・土

 早速朝のお勤め。排水桝には馬並みのものが鎮座している。二杯掛けて漸く流れて行った。大食いタレントでも居るのだろうか。そういう人は入居禁止である。続いて蔦の刈り取り。其の後は西友に行き、直管を購入。取り敢えずもう二本交換した。しかし折角当該クレカを使えば5パーセントオフになる日なのにカードを使っている人は皆無。此の店の御客は圧倒的に高齢者だからかな。本当は高齢者こそカードを使って貰いたいものである(御金の受け渡しで圧倒的に列を止めている)。残念ながら人の行動は容易には変えられない。増してスマホによる三次元バーコード決済など四十代以降は無理だな。詰まりある程度キャッシュレス化するにも世代交代を待つしかない。吾人の計算だとあと二十年は掛かる。

 午後は家人達ての希望でガス台の交換工事。下の台ごと替えて約二十万円。大変な出費である。当然現金払い。家人にとっては(恐らく)最後のガスコンロだろうけどね。どういう訳だかコンロは三口となった。もうそんなに料理もしないだろう。大体高齢者にマルチタスクは不可能である。晩食も電子レンジしか使わなかった。本日も無酒。

 

12/7・金

 さてさて朝から冷凍饂飩。勤労意欲が漲って来たが取り立ててすることがない。まあまあ晴れた。家人は再び鎌倉へ。昼は「かしわや」のカレー。何だか食べ足りず更にカップ麺。夜はスーパーのとんかつ弁当にノンアルコールビール。基本的にはスマホゲームの日。併しアプリと言われるものは無限に存在す。皆スマホばかりやっている訳である。

 外国人材法案を巡り国会は大荒れ。議長を含めて与党議員の横暴酷し。何をやっても支持率が下がらないからな。兎に角あの評判の悪い技能実習生制度だけは早く直すべきである。

 

12/6・木

 結局年に一度あるかないかという最大規模の宿酔に。朝から七転八倒す。午後になっても回復せず。苦しんでいると設備屋さんが見積り書を持ってくる。排水管と排水枡を全部取り替えて七十万円。予想の倍である。まあこうやって朝のお勤めを何年何十年(最大で二十年)も続ける訳にも行かないから、辛くともやらざるを得ない。

過大な見積りのせいかまでかは分からないが以後宿酔はますます悪化。とうとう赤いものまで出た。回復は午後五時頃となる。遅れて出社。退社後は立ち飲みBでノンアルコールビールとホッピー外と煮込みの豆腐とシラスおろしのみ(850円)。暫らく禁酒である。午前中は雨。通信設備が故障したとかで全国的に携帯電話が使えなくなるトラブルがあったが寝込んでいたので実害はなし。

 

12/5・水

 月曜から自宅に戻った鎌倉の伯父さんも愈愈危ないらしい。今年は本当に・・・。また依然としてラインは移行できず。暫らくは二台体制である。旧端末もワイハイ環境下なら使えるので。

 朝から曇り。ずっと暖かいまま。一転して本日は無予定。猫小屋を冬仕様にし、義雄伯父さんの遺品を福沢研究センターに発送す。送料1380円。三田ならば担いで行った方が安いだろうが、何となく慶応は敷居が高い。愈愈此れで寄付者芳名録に吾人も出るな。

御昼過ぎになってラインが漸く復旧す。吾人が出鱈目な操作をした為に二十四時間封鎖状態になっていた模様。ポコポコも再開。此のパズルゲームが辛いことの多い時期の安定剤のようになっていたから、1001から始められるのは素直に嬉しい。一日遅れてスマホ新時代である。

午後出社。面談の資料作りとかAO入試の志望書の代筆などで結構忙しい。退社後は立ち飲みBへ。天屋先生と話しが盛り上がりバーIに行くことに。途中卒業生のKさんと出合う。折角なので同席させる。翌日の乗務に問題のないように一杯飲ませて帰したが、以後吾人はすっかり上機嫌になる。調子に乗って大量飲酒。帰宅は何時?

 

12/4・火

 曇っているが暖かい。朝方にガス警報器の交換。続いて吾人の携帯電話の更新に参る。半分くらいのデータ移行は割と簡単に行ったが、肝心の無料通信アプリ=ラインの継承は御自身でやって下さいと言うことに。拙宅に戻り挑戦す。結局汗びっしょりになっても巧く行かず。此のままだと1000ステージまで進んだラインポコポコもアウトだな。こういうことになるのが嫌だから家電の類は壊れるまで使う主義なのだが、携帯電話というものはほんの二三年も使うと二進も三進も行かなくなるのである。引き続き格闘している内に午後になる。

 本日は隣りの測量と地盤調査の日でもある。S君や住宅メーカーの人のほか、三人ほどがやって来て二時間くらいで終了。尤も売却する訳ではないからそんなに厳密ではない。以後本格的な設計と見積もりに入る予定。既に建て替えに向けて勝手にどんどん進んで行く感じである。此方は万事お任せで楽でいい。ただ太陽光パネルだけは費用が掛かっても付けて欲しいとの要望を出した。また信託銀行の人からも電話があり、先方から遺言書の内容で概ね良いという御返事を頂いたとのこと。取り敢えずは一つ前進。

ちなみに携帯電話料金は通話プランを見直したが、データプランは五十ギガまで増強され、月月の支払いが一万円を超える計算に。幾ら新型になったとは言え、標準的な月の電気代や水道代や新聞二紙代よりも高い。何かしら世の中、間違っていると思う次第である。官房長官でなくとも怒るよな。午後から南風が吹き荒れ、冬が来る前に春一番のようなお天気となる。恐らく今年で最後となる楓の木も盛んに葉を散らす。なお松と梅と大きい方の楓は残す算段が付いた。諸諸に格闘している内にあっという間に晩になる。夜は大雨。

 

12/3・月

 概ね曇り勝ち。午後千寿に。こうして週に一回は隅田川を潜っているのだが、例によって地下鉄だから地上の事は何も分からず。途中駅ビルで『小泉信三』と『原発とジャングル』を購入。少し本を読もうという意欲が出てきた。クレカで決済するとレシートが何枚も出て来て署名が必要とのこと。お互いに面倒臭い。近所のスーパーではガチャンと通すだけで済むのだが。結局キャッシュがいいと言うことになるな。また千寿駅のみどりの窓口は大行列。Uターン切符の発売日である。あれだけの大駅で口が二つでは足りないよな。此方は態と混ませてネット購入に誘導しようという腹積もりなのだろう。退社後は「小諸蕎麦」を立って食べて御仕舞。其のまま帰宅。ビール一缶。ほぼ休肝日。

 

12/2・日

 勉強用の座卓も売れたよう。概ね曇る。其の分寒い。月波君が都心の紅葉でも見ましようと言うので、のこのこと出掛ける。まず32系統で渋谷へ。着く度にバス停が動いている感じがする。少し見聞す。新プラザは完成間近、此処にバスターミナルが丸ごと入るのだという。一方国道の向こう側の桜が丘地区は既に退去が済んでいる。数十の雑居ビルを叩き壊して巨大なタワービルを作るそう。此の辺の地下の立ち飲み屋には何回か行った。知っている渋谷がまた無くなる。

続いて都バスで新橋へ。客乃間も合流して適当な串揚げ屋でまず一献。浜離宮を見ようと海方面に徒歩移動。此の地区には名だたる大企業の本社ビルやタワーマンションが林立。こうやって見ると日本経済絶好調なんだけどなぁ。東京の本社が何もかも吸い上げて仕舞うのだろう。だから地方や非正社員や出入り下請け孫請け業者様に御金が回らない。正しく首都=キャピタルである。

 園内を暫し散策す。丁度船が出るというので乗って見る。外国人観光客に交じって隅田川を北上す。併し都内、と言っても世田谷に住んでいると此の辺の事はよく分からない。多摩川鶴見川相模川は直ぐに分かるのだが、江戸川と荒川の区別が付かないのである。折角なので客乃間に解説して貰った。彼は江戸時代以降の河川工事の歴史にも詳しい。

終点の浅草上陸。ひょんなことから浅草に来て仕舞った。となると「神谷バー」で電気ブランを二杯。序でに浅草寺にお参りす。暗い時間でも境内は大混雑、半分は外国人と言ったところ。続いて「ニュー浅草」。相変わらず安くて旨いが、もうふらふらで胃がざらざらである。特に此の二ヶ月近く飲み続けていたから悪酔いも早い。七時半過ぎに帰宅。其のまま就寝。

 

12/1・土

 朝から西友へ行き、蛍光管を購入。正確には二十形直管式LED。最近一本千円を切り始めた。早速家作の廊下に取り付ける。電気代半分、寿命四倍。暗くなるのが楽しみである。

昼は「だいまる」という店で濃厚煮干し付け麵。旨いことは旨い。大盛りにサービスしてくれたが、麺が多いとつけ汁が冷えて仕舞うのが欠点なんだよな。今度はラーメンにしよう。家人は再入院した鎌倉の伯父さんの見舞いに。となると崎陽軒の幕の内弁当。晩になって見てみるとまあまあ明るい。あと三本買って来ようと思った。夜は冷えた。

 

2018年11月

11/30・金

 朝から穏やかに晴れた。ガレージセールも再開。拙宅の食器類も出品す。テレビの簡単リモコンを買いに数キロ先の家電量販店へ。ラーメンが食べたかったがどの店も開いていない。モーニングラーメンをやったら儲かるだろうと思った。簡易保険の手続きも無事完了。一方電話の会社からは書類が返って来る。今頃になって契約者名に不備があると。そう言えば加入権は変更していなかった。従って亡父の名前は当分不滅である。

 午後になると家人は香典返しの買い付けで渋谷の百貨店に赴く。ぼんやりしていると何時の間にか宅配便の不在票が入っている。夕方少しうつらうつらしていた。いや併し、此の不在にしていなかった時の不在票ほど嫌なものはない。ある種の敗北感が漂う。そして再配達依頼ほど面倒なものもない。夜は銀座アスタ―の弁当。

会長はずっと小菅暮らし。流石に可哀想と言う声が出ている。日本の司法も酷いからね。何しろ十九世紀の水準だから。こういう所で後進国丸出しである。吾人なら三日でありもしない供述を始めるな。

 

11/29・木

 朝方は小雨。以後晴れる。何だか何もする気が起きず漫然とす。午後出社。鰻犬先生が訪ねて来て大貧学院のホームページを手直しす。パソコンに詳しい人が近くにいて助かった。退社後はBで二杯だけ。まいばすけっとの焼きそばで締めた。

早目の帰宅の後は映画「日本沈没」を見直す。丁度東京が火の海になる所。丹波哲郎扮する山本首相は、戦闘機や偵察機は何の役にも立たないと憤慨していた。航空母艦を造るより国土強靭化の方が数段増しだな。一機百億のF35はものの二十年でスクラップになるが、道路や堤防は末代まで残る。そう言えば先日通った野方の辺りも酷い。古い街が無くなるのは辛いが、防災上に限って言えば西武新宿線も早く敷き直した方がいい。よって隣の家も作り替える。

 

11/28・水

 引き続き亡父と生計を同一にしていた家人の医療費の積算。十月までで約十一万円。随分使っているな。また口座振替手続きが間に合わなかった為、吾人の国民健康保険料を納めに行く。約二万円。何処も彼処も口座振替の開始が遅い。要はクレカにしろと言うことなのかなぁ。でもクレジットカードは手数料が高くて大抵のドライバーが嫌がると昨日往路の運転手氏は述べていた。結局キャッシュオンデリバリー、やっていることは江戸時代と同じである。

午後は簡易保険の請求に移る。また戸籍謄本が必要なよう。出張所に行って帰って四十分。勤勉さの在庫を使い果たして仕舞ったので本日欠勤。基本的には穏やかに晴れた。間違いなく暖冬である。

 

11/27・火

 まあまあの晴れ。早速車を仕立てて小平霊園に向かおうと思う。家人はどうせ同じ運賃なのだから背の高い車の方がいいと宣う。最近導入が進んでいる新型車の事だろう。近所の中通りまで拾いに行く。併し新車の空車などそう簡単に来るものではないと思った。難しい顔をして数台見送ると運よくやって来た。

初老の運転手と共に走り出す。環七や青梅街道も混んでいて一時間半近くも掛かる。運賃一万円弱。其のまま納骨及び四十九日法要の儀に。和尚さんも二年前と同じ人。参加者は優子さんのみ。例によって石材店から墓まで徒歩移動す。つい二年前、此の道を一緒に歩いた人があっという間に骨になって中に入る。

 天気もますます良く、順調に終了。其のまま「橙や」という和食屋に移動。日本酒を少し飲んで御開き。さてさて帰りもタクシーと行きたいところだが、一時間以上もじっと乗っているというのも案外草臥れる。其処で西武線で行ける所まで移動することにした。ノロノロの各駅停車に乗り、中野区の野方で下車。以後環七を南下する。若い運転手が旧型をぶっ飛ばして四千円。半額だな。四時過ぎに帰宅す。此れで納骨終了、つまりノー骨となった。家人も少し休めるだろう。本日の費用、石材店に十二万円、御布施が六万円、納骨係りの人にも五千円。大盤振る舞いである。どの道、一周忌も三回忌もやらないしね。

さてさて次のステップに進まなくてはならない。準確定申告に向けて医療費の積算。凡そ四十五万円。夜はラーメンとノンアルコールビールのみ。パソコンの光回線が遅くてどうしようもない。またスマホのパズルゲーム(ラインポコポコ)も動かない。此方は無料で遊んでいるから文句は言えまい。ただ他の操作も遅いし、電池の減りも速いから愈愈壊れるな。

 政財界は意地でも外国人を入れたいらしい。併しグローバル化も行きつくところまで行けば、いい人材が安安と入って来るとは限らない。精精あと数年だろう(最近はベトナムの方までいらっしゃっているのでアジアの残りはミャンマーラオスくらい)。物価と言う点では中国の沿海部の方が既に高い。詰まり日本に来たって稼げないよな。其れは日本人が一番分かっている筈である。

 

11/26・月

 朝は晴れたが概ね薄曇り。午後千寿に出校。途中散髪す。退社後は「かつや」でロースカツ定食と缶麦酒をかき込んで直ぐに帰った。明日は納骨である。

 

11/25・日

 大阪には万国博覧会が来るよう。「つくば博」で盛り上がった世代(当時小学高学年)としてはもう一度行って見たい気もするが、多分行かないな。そういう物に興味関心を失って久しい。子どもでもいれば幼少期の感動を追体験するという目論見も成り立つのだろうけど(多分「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ!モーレツ大人帝国の逆襲」みたいになる)。2025年には維新の連中も一掃されていることを願うけどね。客乃間君からラインがあり、天皇制反対のデモが結構盛り上がっていたと。吾人も十代の頃ならば参加したかもしれない。そう考えると吾人も随分保守化したと思った。古い物が復活するのは困るけど、古い物は作れないから成るべく取って置きたいというのは自然な発想である。まあ其の程度の消極的支持ですけどね。

 一日穏やかな晴れ。朝から若林の大型量販店に参る。イヤホン、高齢者用簡単テレビリモコン、デジタル式温度湿度計、延長コードが欲しかったが、其の内の半分しか調達できず。店内が雑然とし過ぎてさっぱりわからん。あれではホームセンターの代わりにはならない。そもそも必要があって買いに出掛けているのである。不要な物を娯楽として買いに行って訳ではない。つくづく使えない店である。昼にラーメン食べに池尻まで行ったら日曜が定休日になっていた。其のまま上馬の中華食堂まで転進。今日も区内を往ったり来たり。勉強用の座卓とちゃぶ台は引き取り手無し。

 

11/24・土

 朝のお勤めの後は、出鱈目散歩に出る。小田急バスの一日券でまず成城へ。続いて千歳烏山。引き続き吉祥寺行きのバスを適当なところで降り深大寺まで徒歩連絡。早速門前の蕎麦屋で熱燗と鴨せいろ。丁度紅葉シーズンで大勢の人が出ている。大晦日の次に混んでいるといったところだな。大行列が出来ている店もある。あれでは一時間は待つ。そもそも蕎麦と言うものは、以下略。

 再びバスで調布へ。南側に移動。当然食べ足りないので「銚子丸」に入る。廻る寿司チェーン店だが変わったネタもある。長崎産の赤鯖というのが旨かった(一皿250円)。聞いたことが無い魚である(そもそも名前から言って形容矛盾)。スマホで調べると関西ではハチビキと言って下手な鮪より旨いとのこと。確かに、たしかに(二皿食す)。再び狛江までバス移動。一時間に一本の渋谷行きを掴まえて四時過ぎに帰宅す。バスは六本、飲食費約四千円。一万五千歩。本日は調理関係の小物しか動かなかった。夜は家人のチンジャオロース。

 

11/23・金

 自宅に還った鎌倉の伯父さんも具合が悪いという。幸い軽症らしい。いくら息子や御嫁さんが沢山いたとしても在宅介護は大変だよな。朝からすっきりと晴れた。冬型である。須見伯母が来るというので昼の弁当を買いに行く。飲食店は沢山あるが、ちょっといい弁当って地元では売ってないんだよね。唐揚げ屋で七百円の折詰めを漸く見つけた。吾人はひとりで「とらや」のとんかつ。

 夜は豚バラ白菜鍋にしようと思った。台所で火を使っていると何だか赤い。すわ、不完全燃焼か。東京ガスに緊急電話しようかと思った。まずは検索してみる。原因は水道水のカルキ成分らしい。どういう化学式になるのかまでは分からないが、気化したアルカリ性物質と反応して赤くなるのだという。今日買った加湿器(超音波式)を今日から使い始めていた。食後にもう少し調べてみると炎色反応と言う。数年に一度の割りでセンター試験にも出るそうである。成程、なるほど。此のペースで学習して行けば、数十年後には満点が取れると思った。本日の売り上げ、籐製の引き出し棚とミッキーマウスの貯金箱(「三菱銀行」進呈の品)。

 

11/22・木

 大体曇り。今朝は四袋、劣化した古い段ボールも可燃ゴミとして出した。此れで一段落かな。後はどろどろの古本の山がある。此れが最難関だな。取り立てて無為。何もする気が起きず、寝たり起きたりを繰り返す。今日は納め過ぎた後期高齢者医療保険料の還付手続きと火災保険の名義変更。いやしかし、何十通出したかな。朱肉もカラカラである。

 夕方出社。テストの結果が厳しかったらしく中一女子は何時になく真面目に聞いていた。少しずつ勉強する姿勢が出来ればいいんだけどね。そろそろスマホ中毒からも卒業する頃である。退社後は月波君が来たる。久久にA壇という居酒屋に。バーIにも寄って帰った。

 

11/21・水

 朝は冷えた。以後晴れ。朝一番で課長代理から電話があり、昨日の開示の報告。比較的好印象だったとのこと。此れを機に会って見るかな。其の人と。続いてS君と住宅メーカーの営業員がやって来る。既に大まかな見積もりも出ている。まあまあの物件が出来上がるよう。それにしても不動産業界というものは、果断即決、対応が早いね。なお松の木を残すとして、其の根がどれだけ張っているかで外構工事の費用がかなり変わるとのこと。来月に詳細な測量を行うこととした。

 午睡の後、早目に出社して諸諸の事務作業。退社後はBで。ベトナム人従業員に同国製のインスタントラーメンを差し入れた。軽く飲んで御仕舞。すると通り雨。堪らず適当な公園に緊急避難。周囲の住宅には大勢住んでいるのだろうが不思議と誰とも出合わない。森閑とした公園で漫然としていると、忽然とレインコート姿のおばさんが現れる。忽ち数匹の猫が出迎える。深夜のまれびとは餌やりおばさんなのね。野良猫に餌をやるなとか看板には大きく書いてあるけど、まともな神経の持ち主なら餌をやるよな。惻隠の情、今風に言えば人道援助である。 

本日の売り上げ、花瓶二、大きな火鉢一、年代物の量り(忠太郎爺さんが焼き芋を売っていた頃のものかなぁ)。亡父の自転車も無くなった。五年前に買って幾らも乗らなかった小径車。自作の譲渡証明書を付けた。街で擦れ違ったら面白い。また区による粗大ゴミの回収も行う。ゴルフバッグ、万代伯母のガスストーブ、伊那のホカホカカーペット。三品で1200円。

 

11/20・火

 朝から晴れた。信託銀行の人がやって来て、遺言書の開示。まあ我我に開示する分には何の問題も無いのだけどね。本日午後、渋谷の支店で第三の人にも開示するとのこと。どうなるかな、どきどきものである。相続で揉めるなど正しく悪夢である。

 昼はイオン系の中華食堂で炒飯とラーメンのセット(720円)。割と大盛りだが少し油っぽい。矢張り「福しん」の炒飯の方が旨い。午後も引き続き隣家の整理。義雄伯父さんの日の丸も出て来た。当時の塾長(小泉信三)の激励署名入り。慶応大学に問い合わせたところ是非送って欲しいとのこと。軍服と共に箱入れする。

夕方になるとパソコンのメールが送受信できず。また何かが詰まったか故障したのだと思った。色色やって見たが復旧できず。聞けばサーバー自体が壊れたとのこと。其れは吾人の全く関知し得ないことである。此の所、どうも少し参っているな。本日の売り上げ、小型の炊飯器。最晩年の万代伯母が少し使った。

一晩明けてみると、ビジネスの神様は、集りの疫病神のような扱いになっている。周到に内部通報と解職準備が成されたよう。陶片追放だな。そもそも権限執行者には大変な苦労が伴う。何も目刺しを食べろとまでは言わないから、それなりの報酬は必要である。それにしても何十億である。もう少し自制心というものを持たなくてはね。ところで自動車業界には詳しくないが、こうなることを予想した専門家は居たのだろうか。鉄道にはあのKがいる。早く居なくなって欲しい。Aと釣るんでいるから難しいだろうな。

 

11/19・月

 割と重い曇り。本日の可燃ゴミ、45リットルで八台体制。全てが隣家から出た物ではないが、日日膨大な物品が砧(清掃工場)の煙と化している。午後千寿に出校。駅前の丸井を上がって行くと食堂街まで行って仕舞った。可笑しいな、何時の間にか紀伊国屋がなくなったよう。隣の駅ビルのブックファーストに上り直し、『堀田善衞を読む』。新書一冊買うのも面倒な世の中になった。退社後は町屋のBと並びの「檜家」を流して帰る。夕方から小雨。少し降られた。

 自動車会社の会長も逮捕される。報酬を誤魔化していたよう。報告書の二倍も貰っていたというから呆れる。大体役員報酬ほどお手盛りで法外なものはない。明日の今頃は千寿の先の小菅だな。畳の小部屋で猛省して貰いたい。そもそもの原資は従業員の働きであり、関連会社諸氏の協力である。

 

11/18・日

 概ね薄曇り。朝から自転車散歩。大橋の「吉そば」で蕎麦朝食。するとどんどんと現場仕事のおじさんが入って来る。出勤途中なのだろう。日曜だというのにご苦労様です。拙宅も近近巨額の発注をいたします。

引き続き隣家の整理。出て来た蚊帳は防草シートとして再利用。更に奥から出て来た長火鉢を展示する。すると夕方になり古い物を分けて欲しいというカップルが現れる。何でも開業したての事務所が殺風景なのでインテリアにしたいとのこと。長火鉢とアメリカ製の宝箱のようなトランクケースをレクサスのSUVに積んで行った。此れでだいぶ再就職できたな。昼はコンビニの肉まん。夜は大関の鯛の刺身他。

 

11/17・土

 隣の隣の町会で古着の回収。朝から自転車の前後に積んで三往復す。亡父のものに加え、隣家の押入れの奥の院から出てきたものも搬送。伊勢丹三越の紙に包まれていたから上等着なのだろう。此れで衣類は概ね終了。途中三宿松屋でミニ牛丼。

 試験前なので午後臨時出社。三時から七時まで諸諸の質問に答えた。晴雷亭に寄って帰る。本日の売り上げは、ガスファンヒーター、木製の踏み台、帯も粗方無くなる。

 

11/16・金

 ロ大統領の口ぶりだと、二島返還すら容易ではなさそう。そもそもロシアには領土問題は存在しないそうである。終日晴れ。取り立てて予定の無い日。引き続き片づけとガレージ無料セール。なお状態が良い比較的新しい本は図書館へ搬送し、大量に発見された古タオルは近所の施設に提供す。お年寄りのお尻拭きに使うそう。此方はデイサービスで亡父もお世話になったところである。彼方此方と走り回る内に昼は「ホーチャン」でカレーセット。夜はスーパーのフライドチキンに鯖の缶詰。

 本日の売り上げ、火鉢一(金魚を飼うそう)、七月に買った折り畳みテーブル、寅さんが使っていたような革製のトランク、極めて古い置時計(多分アメリカ製)、他小物多数。貯め込んだものも多いし、棄てざるえないものもまた多い。其れでもこうして文章化し、また電子データに残す分には容量は無限大である。

 

11/15・木

 介護保険の高額サービス費が返還される模様。八月と九月で凡そ九万円。早速書類を作成す。三割負担だったから還って来る金額も大きい。となると介護費用は八月は53万円、九月は50万円に下方修正されることとなる。続いて納めた介護保険料も還付されるらしい。相続人総代者選任届も出す。どんどん出さないとどんどん滞る。書類迅速、落書無用。大工さんが再びやって来て、南側の補強工事。卒塔婆のような材木を打ち付けた。一時間ほどで終了。ぐらぐらのサッシもがっしり固定。此れで一安心である。また家人は施設に挨拶に行く。

午睡の後、夕方出社。退社後は立ち飲みBで凡そ二千円。帰宅後確認すると、本日の売り上げは座布団二、コーヒーカップのセット他。どんどん商品を補充せねばならない。但し着物の帯と亡父の画材(カンバス)は動きが悪い。

 

11/14・水

 天候も安定したのでガレージセールも再開。古美術屋さんに来てもらって見て貰う。土埃にまみれて見回ること一時間。目ぼしいものは何も出ず。古本の類は状態が悪く、骨董品のようなものも無し。特に軍刀や浮世絵が欲しかったようである。義雄伯父さんは学徒出陣だし、古い家と言っても昭和の初めの頃からだから、江戸時代ものとかないよなあ。其れでも蓄音機、手回し式洗濯機、大皿一枚、大小の掛け軸多数、軍用の水筒等、締めて五千円で引き取って行った。ピン札一枚、早速亡父に前に供えた。大セールの後は廃棄するしかないか。

 午睡の後、夕方前に出社。退社後は立ち飲みBへ。帰宅後本日の売り上げを確認。座布団一枚、花瓶二、行李、衝立も無くなっていた。

 

11/13・火

 例によって大量の不燃ゴミの搬出と朝のお勤め。続いて出張所に参り、必要書類を調達。其の足で小平霊園へ向かう。早目に名義変更をすることとした。今日は素直に高田馬場西武線に乗り換える。途中原宿駅の神宮側のホームが無くなっていて吃驚す。結構いい造りだったのだけど。そう言えば山の手線に乗るのも久久である。

曇天の元、管理事務所へ。手続きは直ぐに終了。後後の世代まできちんと管理しますなどという誓約書まで書かされた(実印押し)。いやしかしね、そもそも荒れ墓地にしようと思ってそうしている人は稀であろう。みな意図せざる結果なのである(拙家も極めて危険)。再来週は納骨なので、墓参りは簡単に済ます。小平南の「山田うどん」で天ぷらうどん休憩。適当な西武バスで武蔵小金井に出た。一日に二度も山の手には乗りたくないので、中央線で吉祥寺、井の頭線で下北沢。以後徒歩で帰宅。一万歩以上。

続いて不動産屋のS君を呼び立て、隣の空き家の解体と其の後を考える。吾人なりの大まかな青写真を伝えた(ある程度の植栽を残した形で賃貸物件を建てようと思う)。肝心の御金の方に関しては万代伯母の遺したものと老父の死亡保険金が頼りである。吾人とて、金融と言う近世最大の発明品の効能を認めない訳ではないが、銀行からは借りたくない。此方も大まかな金額を伝え、予算内で諸諸の計画が成り立つかどうかの検討を依頼した。今日は良く動いた。九時就寝。

 

11/12・月

 昨日談合坂のサービスエリアで購入したまたたび原木(300円)、三匹全員が無反応。反応には「個体差があります」などと書いてあったが、もう八歳のおじさんおばさん猫は何事にも感動しないのである。

 朝方は小雨。以後曇る。中目黒まで歩いて千寿に出校。少し歩きたい。自動車旅行だと運動不足になるからね。途中『編集者冥利の生活』。厳しく叱責したとかで小学生二人組が辞めて仕舞い、S子先生は消沈気味。吾人としては担当の生徒が少なくなる分は楽でいいんだけど。退社後は久久に「宇名とと」に。安いビールと五百円の鰻丼は健在。併し後者は随分小型化した。其れでも鰻は鰻。少しでも十分旨い。絶滅する訳である。

 

11/11・日

 宿酔は無し。早速薪ストーブを焚き付ける。まだそんなに寒くないので、小枝を中心に放り込んだ。自動車旅行だと総量としてのアルコール量が少なくて済む。何しろ「あずさ」だと新宿を出た辺りから浴びるほど飲んで仕舞う。回数券の廃止で今後は乗車機会が激減するだろう。健康にはプラスである。さてさて軽い朝食の後、早目の出発。と言うのも月波君が仕事がらみの市会議員の報告会兼飲み会に出なければならないとのこと。あちこちの店やサービスエリアに寄り、ワインや野菜やまたたび原木を積みながら戻る。

終日晴れた。中央道も快調其の物。都下の石川パーキングで蕎麦休憩。当然冷凍物である。そう言えば今回は蕎麦を食べなかった。長野県で食べたものと言えば、ラーメンとカレーだけ。本当の長野通は蕎麦屋などには行かないものである。午後一時前には到着。実に四時間を切る水準。千葉方面に回航する月波君とは直ぐにさようなら。

 直ちに排水管の点検。此の所は排水ノイローゼである。矢張り滞っている。バケツ二杯目で漸く流れた。此の苦しみから早く解放されたい。続いて伊那ゴミの再分別。瓶缶段ボールは言うに及ばず、壊れた鍋や電池電球やゴム草履等等の諸諸まで。全て世田谷の基準に合わせて分別し直す。何しろ月波君が借りて来たマークXと言う高級セダン車のトランクに入り切らなかったくらいだから、リヤカー一台分はあった。それにしてもゴミもワインも持って帰れるから自動車と言うものは便利である。期間は短かったが、少し気分転換が出来た。月命日なので、諏訪の御酒と、伊那の干し芋を供える。

 

11/10・土

 朝から晴れた。先ず木曽の神社にお参り。木曽福島の道の駅の後は、「宮古」という小料理屋でラーメン休憩。昼は中華そば屋、夕方以降は居酒屋という設定らしい。老夫婦でやっている。夜も楽しいのだろう。伊那谷へ戻り、駒ヶ根の光前寺に。紅葉シーズンと言うことで大変な人の出。まあ偶にはこういう観光地然とした所も良いと思った。

ところで此の街には有名なカレー屋があるというので表敬訪問す。落ち着いた店で旨いことは旨い。併しライスに対してルーが少な過ぎる。結局カレーまぶし飯となる。ライスを半分にするか、ルーが二倍は欲しい(値上げしてでも)。従ってカレーを堪能するという水準まで至らず。本格的な海外式のカレーは何処もそうなのだろうか。日本式のカレー屋しか行かないし、而も御飯少な目で注文するからよく分からない。隣の家族連れは、ライスとナンをどんどんお替りしていたけれど。

 少少落胆して山荘に戻ることに。ところでハイセンスのリモコンは酷いセンス。国内型とは明らかに違って極めて使い辛い。量販店に寄って汎用型を追加購入した。こういうところで差が付くのだな。海外メーカーとは。以後方方の片づけ。今回は山荘に堆積している大量のゴミも持ち帰る予定である。

六時ぐらいから須見伯母の料理で飲み始めた。「五一ワイン・スーパーエコノミー白」という1.5リットルの大瓶を空けた所で御開きとなる。

 

11/9・金

 朝から小雨模様。ところで隣の自販機は釣り銭切れで一週間以上何も売って貰えず。丁度ならいいだろうと硬貨を入れても直ぐに戻って来る。全く出る当てのない飲み物を温め、また冷やし続けている(ドウシテ?)。

 午後は本降り。夕方月波君が自動車でやって来る。テレビその他を積み込み、伊那に向けて出発す。都内は大渋滞だったが、高速道路に乗るとスイスイ動く。但し雨は止んだが霧が酷く、時折制限速度以下で走る。其れでも拙宅から二百キロ少少。あちらこちらのサービスエリアを冷かしながらも凡そ四時間で着くのだから自動車と言うものは速い。

 須見伯母が待っていてくれて、早速飲み始める。途中テレビの設営。15型の日立は32型のハイセンスに置き換えとなる。また拙宅で不要になった大型ホカホカカーペットも伊那に転勤。堂堂と広げた。此方の台風被害は軽微。リンゴの収穫も大丈夫そう。

 

11/8・木

 概ね曇る。大量に発掘された古着の類を可燃ゴミに。概ね数十年以上も前のものだからリサイクルにも出せず。リヤカー一台分ある。ゴミが無料な二十三区でよかった。何でも取っておくと後世の人が苦労する。あちら側で万代伯母と亡父はくしゃみしているだろうな。

 続いて保険金の請求書の作成。増えた分は八年間で38万円。利率0.4パーセントくらい。銀行の定期預金よりかは幾らかいいか。また信託銀行の人に聞いたところ、遺産分割協議中でも家屋の解体は可能とのこと。ただ第三の人がどう出るか分からないので、遺言書の開示以降にした方がいいと言われる。どちらにしても解体は年明けだな。まずは応急措置を依頼することとする。

 夕方出社。走っている傍から暗くなる。夕暮れの住宅街は物憂い雰囲気。高緯度中緯度地域は季節の変化が大きい。放っておいても気分が明るくなる春とは違い、秋は精神的には危ない季節である(春はもっと危ない人がいるけど)。だからハロウィーンだのクリスマスなどと色色なお祭りをやるのだと思った。では此の時期の日本だと、酉の市? インパクトがないな。冬の節分をもっと盛り上げて貰いたい。退社後は立ち飲みBと中華を回航。天屋先生のパイチューを口に含む。強烈だね。現代人は毎夜毎夜こうして憂さを晴らして帰るのである。

 

11/7・水

 引き続き隣家の片づけ。ウタ婆さんの葬式(昭和六十二年)の香典袋などまで取ってあるから敵わない。全て捨て去るより他になし。婆さんは自宅で看取られ、葬儀も自宅だった。御近所さんからも色色と貰っている。立冬だけど穏やかに晴れた。暖冬だといいな。寒いと年寄りが大勢死ぬ。米中間選挙、下院は民主党が取った。少し大人しくなってくれるといいが。

 夕方までに出社。金二万円受け取る。退社後はBとI。後者では二杯しか飲まなかったので、おまけとして自主制作CDを購入す。合わせて三千円。残念ながら聞くことはないな。本日の売り上げ、花瓶一、お盆一、漆器三、招き猫一、画材一、半紙一束。

 

11/6・火

 朝のお勤め。今朝は少し引っ掛かっていた。数日に一度の割合だな。引き続き納骨の準備。なお都立霊園の名義変更には戸籍謄本から印鑑証明、返信用の切手まで必要だと言う。流石に御役所である。続いて民間生命保険の請求。コールセンターの女の人には謹んでお悔やみ申し上げますなどと丁寧に言われたが、いや併し一千万支払って、受け取るのが一千万円+利息分って、どういう契約なんだろう。詰まり定期預金? 相続税も掛からないから一種の節税策? こうして世の中を見回すと、分からないことが実に多い。他は電気炬燵の解体。此方を伊那に持って行こうかと思ったが状態が悪いので断念す。2004年製の割りにコントローラーも稚拙。とんだ安物を使わせて仕舞って、万代伯母も気の毒だった。今からでも謝りたい。

午後から大雨。ガレージセールも中断。役所にも郵便局にも行けないから昏昏と午睡す。夜は残り物か冷凍食品。併し隣家の片づけを進めていると、色色な物が出て来る。殊に何かの教本とか。万代伯母が勉強したのだろう。ずっと独り身で、また此れと言った外の仕事もしていなかったのだが、其れでも何かをしようとしていた痕跡のようなものがある。

 

11/5・月

 朝方に一雨。以後晴れたり曇ったり。早速花瓶の類から玄関付近に並べ、「さしあげます」と紙に大きく書いた。再就職出来ると良いが。本位牌も届く。三万数千円。

午後千寿。S子先生からも香典を貰う。退社後は「加賀屋」で三杯のみ。帰宅後確認すると売り上げ(といってもゼロ円だが)は花瓶一、行李一、置時計一。まだまだ続続と品出しする予定。ところで記帳に行った家人によると、みずほ銀行だけ西暦に移行しているという。役所と金融機関だけは頑固に和暦を貫いていたのだけど。愈愈一角が崩れたな。

 

11/4・日

 特異日が終わると曇り勝ち。再び祐天寺に参り「Sガスト」でカレーの朝食。鶏の竜田揚げを付ける(450円)。もう一度空き家を点検すると二階のサッシ部分も外れ掛かっている。道路側に落ちたら大変危険である。解体するしかないな。手っ取り早く駐車場にでもするか。併し古いものが沢山あって捨てられない。大昔の家作帳とか五十年前の雑誌とか戦前の教科書とか。歴史的価値と言うのはないけどね。兎に角片づけを加速させようと思う。午後から小雨。夜はチキンとサーモンのソテー。市販のホワイトシチューのルーを溶かして掛けたら、コテンコテンになって巧く行かなかった。

 

11/3・土

 朝のお勤めの後、空き家の上窓が外れているのに気が付いた。一部のガラスが割れ散っている。脚立を出して片づけた。愈愈崩壊し始めている。早く何とかしなくては。続いて西友に行きテレビを購入。「ハイセンス」製。勿論メードインチャイナ。所謂ジェネリック家電なので32型で二万数千円の品物である。此れを「あずさ」ではなく、月波君のクルマで伊那に搬送する予定。持ち帰った後は、引き続き空き家の修繕。他のガラスも落ちて割れて飛び散ると危ないので、ガムテープを張り付けた。まるで戦時中である。開いたところには取り敢えずビールの段ボールを宛てがう。すると肝心なところで布テープが無くなる。慌てて買いに行ったが、百円店のものは薄すぎて駄目なんだよな。

 さてさて土曜であるが文化の日である。晴れの特異日日本国憲法公布の日でもある。明治節に戻せなどと言う声も聞こえなく無くなったので良かった。午後鶴木さん主催の「川崎市民祭り」へ。方方の屋台村にて大量飲酒。例によって座って飲むところが少ないが、探し回って何とか得られた。鮎の塩焼きからワンカップまで一般小売価格に近い値段で売っているから酒飲み天国である。閉園時間になったので「天龍」に転進。ふらふらになって帰宅。途中多摩川駅構内の「梅もと」で蕎麦休憩。ひとりで食べる天麩羅そばには気楽と言う薬味がついているから頗る旨い。祐天寺の駅ビルが新しくなっていたが特筆すべきことは無し。コーヒーショップより駅蕎麦屋が欲しい(ずうっと前にはあった筈)。鯉は鷹に一つしか勝てずシリーズ終了(ドウシテ?)。

 

11/2・金

 今年のカレンダーもあと二枚である。欠礼葉書(約二十枚)も投函。家人は鎌倉へ。昼は地元の店でとんかつ。老夫婦プラス娘さん(?)でやられているらしい。ロースかつ定食が八百円。とんかつ屋と言うのも古い店が多い。御つまみ類もあるから昼より夜の利用の方が合うかもしれない。

午前午後と漫然と周囲の掃除と整理。亡父の手帳を広げていたら、裸体を写した一片が出て来る。相当古いものである。爺さん、後生大事に隠し持っていたな。家人には黙っていよう。心なしか振り返って見た遺影が一層笑っているように見えた。夜は崎陽軒の弁当。

 

11/1・木

 渋谷の騒乱も昨日で終わり。映像を見ると物凄い人の数であった。将棋倒しが起こらなくて佳かった。そもそも憂き世である。みんな集まって騒ぎたいよな。あんまり目くじらを立てるようなことでは無し。年に一度の事だから許してあげなよ。どうにも最近の日本社会では、「他人に迷惑を掛けること」を極度に嫌う傾向がある。雑踏警備は警察本来の仕事だし、ゴミ拾いや後の始末は渋谷で利益を得ている人や近隣の年寄りがやればいい。お互い様である。こういうことに矢鱈不寛容な人は恐らく自らの幸福感が足りていないのだろう。

 さてさて月も代わったが、やっていることはまるで同じ。まず朝のお勤めと称して排水管に水を流す。取り立てて異状は無し。続いて石材店に電話をして納骨と四十九日法要の手配。水道の明細書が来る。前年同月比25パーセント減。三分の二にはならないよな。

 御昼前に設備屋さんが来て配管の視察。見た所どうも中央部が何かしら欠損している模様。劣化だな。矢張りコンクリートの三和土を叩き壊して管を作り替えるよりなさそうである。全長数メートル。工期は二日程度、予算三十万だな。

終日冬型の晴れ。ゆうちょ銀行の人が来るというので早目の出社。またシステム変更だという。慣れた頃にはさようならである。以後暇なので半年ぶりのチラシ入れ。街並みも少しずつ変わっている。新築住宅を中心に投げ込んだ。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。復路久久の不審尋問に遭う。二度目の防犯登録も抹消されていたことも気に掛かったが、若い巡査に「おとうさん」と呼び止められた方の衝撃が大きかった。日韓関係は再び混迷の模様。まあ、消えた筈の請求権が復活すること自体は歓迎すべきことなのだけどね。