2020年・2月

2/29・土

 再び朝から団地に出動。電気ガス水道の解約に際し、どういう訳だかガスだけ立ち合いが必要とのこと。併し結局作業班は現れず。忙し過ぎるので後で締めておきますと電話がある。あらま。結局またまた片づけ。収穫は押入れから古い通帳と印鑑が出て来たくらい。あとはやっぱり只管廃棄。またまた十数袋。階上の女性と会ったので未使用のシーツやタオルの類をごっそり差し上げた。そろそろ本当に此れで御仕舞にしたい。ちなみにどのドラッグストアーも開店の一時間も前から行列中。まるでソ連末期だね。道知事は緊急事態宣言。暫らくは外出するなと。法的拘束力はないんだけれどね。ちょっとオーバーかな。道からの非情のお願いくらいにすべきであろう。返礼品の缶コーヒーを飲みながら市バスに乗る。吾人も窓を少し開けた。門戸開放、一億総換気宣(扇)言の方が効果的だと思う。

シロが目を怪我したらしいので急いで帰宅。例によって見つからず。すると御向かいの庭に居た。双眼鏡で覗くもよく分からず。暫らくして帰って来る。よくよく見るとパッチリ開いている。家人の勘違いのよう。万事騒ぎ過ぎである。テレビを点けると、誰もいない球場でオープン戦。抽選で千人くらいは入れてもいいよな。嘗ての川崎球場くらい。

遅い昼に冷凍パスタ。夜は冷凍鰻。丁度晩酌時にAが出て来て、国民の協力が大切だと訴える。国家総力戦のようだと思ったけど、国民には竹槍はおろか、マスクすら無いんだもんな。其れに今回の休校宣言はAの思い付きのよう。精精春休み前倒しのお願いくらいにすべきであった。如何せん、唐突過ぎる。支持率低下で国のトップがパニックになった模様。大体元元の公衆衛生のレベルが違うから、かの国より燃え広がらないという楽観を敢えてしたい。投資信託は再びマイナス。凡そ2.5マン。

 

2/28・金

 世界の各地で日本人が入国拒否に。まあねそんなことをしても無駄です。もうパンデミックだから。仮に北半球で収まっても南半球が燃え盛るだろうし、西と東は同じく流行る。終息には一年掛かるな。となると五輪も延期かもしれない。それにしても内需に深刻な影響が出ている。観光業は勿論、給食食材の納入業者まで。まるでコロナ不況である。

 終日晴れ。昼飯を買いに近所のスーパーへ。するとトイレ紙やティッシュ紙が売り切れている。そんな馬鹿な。どうにも何かあると紙が欲しくなるのは日本人の困ったDNAだと思った。困ったときの紙頼み、いや紙隠し。午後出社。大荷物の小中学生と擦れ違う。いや併しね、春休みが突如として夏休み並みに拡大されたとしても、部活動は停止だし、テーマパークや博物館は軒並み休業。急な帰省や家族旅行も難しい。学校から解放されたとしても行くところがないね。受け持ちの中学生には、精精散歩に出るように指導す。自宅学習の後に、割と遠くの神社か仏閣、大公園を徒歩で目指せと。散歩というものは何も年寄りの専売特許ではない。体を動かしつつ理性と感性を豊かにすれば、此れは一流のスポーツ及び精神の研鑽である。金参万円受け取る。

退社後は新店に参る。金曜だけに割と混んでいる。久久に会う鶴木さんは鼻風邪明けの模様。鼻の下が爛れている。マスクもしないでヘラヘラ笑っている。何だか気味が悪いので直ぐに本店に避難。目当ての女店員も居たので、千円ほどのコンビニ菓子を差し入れす。全部で3500円。兎に角、内需を維持しなくてはならない。例によって帰宅後は家人の検疫を受ける。吾人の手洗いを眼光鋭く監視していた。幾ら何でもみんな頭が可笑しいと思った。

 

2/27・木

 冬型の晴れ。国民には一片のマスクも無く、また希望したウイルス検査も満足に受けられず。一方のAは毎晩会食三昧。支持率が落ちるな。午後出社。すると夕方Aは突如として来月は全ての学校を休みにすると宣言す。生徒たちは喜び過ぎて以後授業にならず。学校閉鎖令=児童生徒解放令だね。後手後手の印象を一気に覆す積りなのであろう。まあね、三月と言うのは、高校は大体休みだし、小中学校も大した授業はしていない。式典などぶっつけ本番で十分(卒業式や運動会の練習ほど世の中に下らないものは無し)。問題は素直に四月に再開出来るかだな。ちなみに学習塾は隠れ教会のように営業いたします。元元夜の稼業ですから。

退社後は新店に。ほぼ誰もいない。コロナに打ち勝て、コロナビールウオッカ割り(通称コロナ杯)を出すように提案す。何しろ(体の)中から消毒とは酒飲みが大好きな概念である。売り上げも悪かろうと従業員二人に一杯ずつ飲んで帰るようした。全部で2500円掛かった。

 

2/26・水

 Jリーグも中止、プロ野球もオープン戦は無観客試合に。北海道は全面休校。午後になり漸く政府は全面的な自粛要請をする。忽ち幾つかのコンサートが中止となる。大損害だろうな。

 寒が戻る。御昼まで小雨。以後曇り。家人は新しい歯科医へ参る。スーパーは怖いけど歯医者は平気らしい。つくづく可笑しな基準である。午後出社。本日は中三の最終授業。三月の楽しい学校行事は軒並み中止だと。可哀想なのでコンビニの御菓子で持て成しした。退社後はBへ。閑散としている。刺身も悪い。売れていないのだな。当分来られなくなるかもしれないと言って退出した(1210円)。何しろ新型肺炎である。呼吸が困難になるというのは本当に恐ろしい。陸で溺死するかと思ったほど。つい九月に体験済みである。帰宅後残薬を棚卸す。タミフル数錠、カボシステインカロナールとモンテルカストが二三日分。古い抗生剤もあった。いや併しこんな薬剤で新型コロナに勝てるかね。

 

2/25・火

 海外では韓国とイタリアとイランが酷いよう。何とか一路でアフリカも相当やられている筈だが、幸い被害は聞こえてこない。熱い所は大丈夫なのかな。ならば早く夏になって貰いたい。続いて世界同時株安。コロナ恐慌? 家人など既にノイローゼである。一方武漢以外の各都市での感染は抑え込みつつあるという。俄かには信じがたいが、本当だとすれば、恐らく気温が上昇して来た為であろう。ならば光明はある。春よ来い、出来れば快速特急のスピードで。

満員電車回避のため、多くの大企業ではテレワーク=在宅勤務が推奨される。併し此のテレ何とかと言う言葉は少少古めかしい。テレビジョン、テレホン、テレックス、テレポート・・・。態態全員で集まって何かをすると言う働き方に何十年も固執し過ぎていたから、各自が裁量で離れて働くと言う本来は新しい筈の言葉も既に古臭い。其れだけ普段の働き方が古すぎると言うことなのだろう。所謂周回遅れである。テレワーク=1970年代の造語だとネットの百科事典にはあった。重く曇る。結構寒い。終日在宅。昼は残り物。スーパーは危ないとかで夜はコンビニ弁当。そんな馬鹿な。

 

2/24・月

 振り替え休日。晴れ。一般的には三連休で吾人も何処かに出掛けたかった。何しろ家に居ても、コロナコロナコロナ、家人など家に居ても高性能マスクを着け、日に何度も検温している。どうしても少し出ようと思った。東横線まで徒歩連絡。よく空いた各駅停車で横浜。八割の乗客がマスク掛け。続いて快速特急津久井浜。例によって何時もの回転寿司である。昼時とあって家族連れで結構満席。みんなそんなに出歩いて大丈夫かい。大して旨くもない寿司を摘まんで三合ほど飲んだ。さてさて一駅分歩いて戻ろうと思った。海沿いの国道は上りも下りも大渋滞。みんなクルマで移動しているのね。長沢という駅から再び快特。結構混む。電車も窓を開けっぱなしで走らせるべきであろう。横浜西口を少しぶらつく。人通りはだいぶ少ない感じ。大勝軒で再度糖質補充。崎陽軒の弁当を買って帰った。此れで不要不急の外出は当分自粛する積り。

 本日も何人も感染者が出る。重症者も多数いるよう。検査体制の整備が遅れているから実際は遥かに多い筈。薬がない分、2009年の新型インフルエンザより手強い感じ。日本国政府はイベント等の自粛要請をしたいようだが、判断は主催者に任せるという曖昧な裁定。GDPが一層下がることを恐れているのだが、国民の大多数が病気になればもっと下がる。大体何をしたいのか分からないような決断は、最悪の決断である。

夜になり専門家会議が会見。拡大か収束か、此の一二週間がヤマ場であると。拡大かより拡大かの間違いであろう。其れに二週間で済む訳がないな。どちらにしても愈愈来たな。幸い学習塾は閑散期だが、退社後はBにも行けなくなる。マスクにストローで麦酒を飲むかな。食べ過ぎたのか夜半にかけて何度も上厠。

 

2/23・日

 下船者からも陽性者が出る。予想通りの展開。船内隔離は凡そ無意味だったことが証明された訳だが、市井感染が広がりつつある現状では、最早些細な失敗の一つに数えられるであろう。またマスクは依然足りない模様。昨日も店の前に行列が出来ていた。中国からの輸入が途絶えたことが大きい。ガースーは一週間に一億枚供給すると言っていたが、必要な量は一人一日一枚で七億枚である。弟さんの病院から電話が来て、施設自体を閉鎖するので面会謝絶になったそう。此れが所謂閉鎖病棟だね。午前午後と漫然とす。昼はオリジン弁当。夜はスーパーの鰆を家人に焼かせた。

 轍田さんから長長としたメールが来る。子どもを一流校に入れるのにはどうしたらいいかと。塾代が高すぎるとも。そもそも学校の授業が良く分からない子を進学塾に通わせてはいけないし、そういう子が将来一流の学校を出て専門職とか管理者に就ける見通しというものは立たないものである。こういうことを幾ら説明しても分からない。親の方がまず塾に通って其の悪い頭を叩き直した方がいいと思った。

 

2/22・土

 さてさて再び片づけに出動す。今回は川崎の叔父さんと叔母さんも帯同。久久の三個師団体制である。特に順子叔母さんは片付けの達人らしく、容赦なく物凄い勢いで捨て始める。途中介護ベッドの回収。レンタル品をうっかり捨てなくてよかった。十一時から激闘すること三時間弱、集積所の限界まで、普通ゴミを数十袋積み上げた。此れは一種のスポーツだね。チームプレーも大事。ちなみに弟さんはまあまあ退院の目途も立ちつつあるが、肝心の四国に受け入れ先があるかどうか。増して昨今のコロナウイルスの影響で転院出来るか微妙な情勢である。

 若干の引き上げ品を持ってバスで溝の口に出る。「路じ」という高級うどん店で遅い昼餐会。正しくお疲れ様である。肴も沢山あるので中量飲酒。考えて見ればこうして親戚同士で共同作業に当たるというのも余りない経験であった。帰宅は五時前。直ちに入浴。夕寝。

 

2/21・金

 朝一番で漸くグレを獣医に搬送。矢張り化膿仕掛っているとのこと。患部の毛を取り消毒する。続いて抗生剤を一本。4400円。やれやれである。但し休診明けは大混雑で行って帰ったら何と一時間半。大動物病院である。雑損控除したいね。隣りのドングリの木も切り倒し。潰れた保育所は撤収作業。

午後出社。何だか草臥れて漫然とす。退社後は漫然と新店に行くと、彩さんはいるは、元生徒のKさんは来るわで、結構賑やかだった。本店に一人で寄って少し落ち着けてから帰る。3500円。新型コロナは徐徐に浸透する。人の集まる行事は軒並み自粛と中止。

 

2/20・木

 まあまあ晴れる。建物の登記が終わったとかで書類が送られてくる。此の登記簿みたいな書面、何処に置いておけばいいのだっけ。滅失と表題登記その他で21万余り(印紙代は五万円程度)。結構掛かったな。学生時代にもっと民法をやっておけば自分でも出来た筈。凡そ実学とは無縁の学生生活であった。さてさてやっぱり(地面師が)心配なので直ちに貸金庫に搬送。此処に来たのは三年ぶり。入り方も忘れたよ。亡父の移転登記の物と一緒に奉納す。此れで万事終了かな。午後出社。Bの新店で1500円。

 クルーズ船からはとうとうお亡くなりになる人も。八十代の方など発熱後一週間も船内にほったらかしだったという。酷い話しである。併し船旅ブームも御仕舞だね。ちなみに此の何とかプリンセス号は長崎で建造中に火事を起こして、一番艦と二番艦が入れ替わっているらしい。何となく・・・。

 

2/19・水

 朝から直ちにグレの捜索。例によって幾ら探しても叫んでも見つからず。物憂いまま出社。家人に問い合わせると、丁度四時に戻って来たとのこと。小屋にいたグレを連れ出そうとして脱兎の如く逃げて行ったのが昨日の午後五時。大体二十三時間ぶりの帰還である。猫の居るしあわせ、居なくなるふしあわせ、帰って来たしあわせ。出来れば後ろ二つは味わいたくない。ほっとしたのか何だかぼんやり勤務する。中三の受験指導も本日限り。清清したところで新店で2070円。ガツガツ食べてゴクゴク飲んで漸く寝たというので静かに帰宅。クルーズ船からは漸く本格下船。凡そ500人。軟禁生活、御苦労様でした。其のまま公共交通機関で御自宅へ。でもやっぱり・・・。船内、感染・・・。

 

2/18・火

 少し冬型に戻る。グレを獣医に連れて行きたいが例によって掴まらず。昼は「かしわや」の立ち食いコロッケカレー(540円)。結局晩になっても捕縛出来ず。まあ逃げ回れるくらい元気ならばね。夜は豚のしゃぶしゃぶ。結局グレは戻らず。

 何とか新選組は次の衆議院選で大量擁立を狙っているという。いわんこっちゃない。此れだから素人に政治をやらせてはいけない。小選挙区制で幾ら出しても全く以て百害あって一人も通らない。こういう基本的なことが分からないんだもの。旗印は消費税半額だって。財務官僚の肩を持つ訳ではないけど、そもそもあり得ない話しだし、仮に半分にしたところで消費が盛り上がるという類の問題ではない。知らない間に取られる間接税ってそもそもそういうものでしょう(酒税や煙草税を見てみなさい)。其れならば低所得の方方にひとり十万円ずつ配る方がよっぽどいい。

 

2/17・月

 結局クルーズ船の米国人は米国政府が引き取って行った。彼らは彼らで新たに二週間隔離されるそう。大変だね。無駄だと思うけど。来週の一般参賀も中止、来月の東京マラソンも一般参加はキャンセル。入学試験はもうじき大体終わるから辛うじてセーフかな。こうなると三月の行事が打撃を受けるな。謝恩会とか。送別会とか。ひと込みに出ないで下さいという政府広報が今日から流れ始める。都市生活の否定だと思った。其の内、山村工作を呼び掛けるな。

辛うじて宿酔は無し。朝は曇る。さてさて家人が立て替えることになった従妹の弟さんの入院費等を振り込む。三か所に全部で三万五千円。障碍者手帳があるらしく、例によって医療費はゼロ割負担だが、おむつ代は結構掛かる。振り込み手数料も660円。続いて税務署に参る。例によって確定申告である。予想に反してガラガラ。待ち時間は全く無し。もう少し混んでいた方が良かった。何だか拍子抜けしたまま提出す。ひょっとしたら所得税を払う人が少なくなったのかもしれない。ちなみに此の確定申告と言う制度は戦後アメリカから来たもので、自分の所得を自分で申告して自分から支払うから民主主義の根幹をなす制度であると聞いたことがある。投票と同じく、面倒臭いなどと言っては罰が当たるな。一方同じ所得税でも源泉徴収ナチスドイツが考えたとのこと。成程なるほど。

昼は立ち売り弁当。夜は冷凍餃子と乾麺の盛り蕎麦。他猫を追い払ったグレは足に怪我。爪を引っ掛けたみたい。直ちに抗生剤を塗り込む。何度も外に出たらくしゃみ止まらず。

 

2/16・日

 Uターン禁止令、会合禁止令、会食禁止令を出していた北京幕府だが、延長していた春節休暇もいい加減に終わり、人とモノを動かす時期に至る。一方日本政府にはそもそもそういう権限がない。さてどちらが市井感染が広がるか。世界が見ている。まあねどちらにしても大半の人にとっては単なる風邪ですから、あんまり慌てて病院に押しかけない方がいい。第一、行ったところで治療薬がある訳ではない。其れに治せないからといって、治らない訳ではない。(妖精かどうか)知りたがらない。治したがらない。

 午前中は小雨。家に居ても仕様がないので、御昼は晴雷亭。以後本店、新店、本店とマラソン飲酒。行く先先でいろんな人と合えて面白かった。久久の七時間越え。本店従業員への差し入れ代を含めて五千円ちょっと。安い娯楽である。

 

2/15・土

 曇ってはいるが春のようなお天気。今週の片づけは無し。昼は鳥栖中央軒のかしわめし。近所のスーパーで売っていた。三月には何処か遠くに出掛けたい。須見伯母が来たのでパスタで持て成そうと思ったが肝心のパスタがなかった。寝る前にちょっと出たら(歯磨きしながら周囲の点検を行うのが吾人の習慣)、花粉の直撃を受ける。今季初の抗ヒスタミン

 銀英伝の新作はEテレでもやるらしい。公共放送の使命としてネトウヨ世代を再教育する積りのよう。是非前後に政治学者や評論家による解説を付けて欲しい。ソフトバンクグループは訳の分からないような投資案件に片っ端から出資して大赤字に至る。シェアーオフィス事業は兎も角、犬の散歩代行業とか、無理だよね。一方の楽天は携帯電話に参入するらしい。寡占の三社に闘いを挑むというのは有り難いが、日本全国津津浦浦に莫大な数のアンテナが必要。大体通信とか交通とかは巨大な装置産業だよ。仮想商店街とは訳と桁が違う。大丈夫なのかね。どちらの会社も成長神話に憑りつかれているよう。

 

2/14・金

 朝寝、朝風呂、朝粥。取り立てて具合が悪いところはないが、何だかすっきりしない。まさか新型が胃に来たのかな。午後出社。マスクを掛け、成るべく遠目で授業す。運悪く低学年の代講あり。小さい子たちは絶えずくんずほぐれつ。濃厚接触しているな。病気は学校で移る訳である。退社後はおじさんたちの待つ新店と日高屋へ。食欲も全回復。野菜たっぷりタンメンを食す。帰宅後花粉症。マスクを外して帰ったから。

 病院船というより、却って病人を製造する謂わばウイルス増殖船と化したクルーズ船から、漸く下船活動が始まる。高齢者を中心に今日は十人程度。遅きに失したね。それにしても残りの乗客三千人を一体何処に収容するの。みんな感染予備群である。詰まり矢鱈と船を大きくするのにも限度があると思った。つくづく此の日記で何度も書いていることであるが、人を一つの場所に集めてはいけないのです。

 

2/13・木

 午前中はほんのぱらり。以後晴れる。依然として関東はカラカラ。川崎の叔父さんと叔母さんが来たので、持ち帰り鮨で昼食会。昼麦酒を少少。午後出社。退社前になると急に胃の下の辺りが痛くなる。其のまま帰宅。直ちに懐炉を張り付け、胃薬投与。冷えて固まった寿司などを食うとこういうことになる。夜は絶食。十時半就寝。

同時多発的に国内感染が明らかになる。とうとうお亡くなりになる人も出た。予想通りと言うか愈愈だな。感染時期は一月中旬の模様。

 

2/12・水

 まあまあ晴れる。結構暖かい。午後出社。すると三人のうち一人は当選していたことが判明。もったいぶらずに、もっと早く言って欲しかったな。というのも殊に受験に関してはノーニューズはバッドニューズだからね。まあね、遭難者が還って来た訳で緊張も緩む。他の生徒も同じで都立高校第一志望組も何だかだらけていた。みんな最低一つは行き場が見つかったからね。ちなみに此の学年は一二年はノータッチで、中三の夏から片方のクラスを担当したのみ。まるで吾人の成果と言う訳ではないが、終わり佳ければ全てが佳いのです。あと少し頑張って欲しい。退社後は新店で千円だけ。

 クルーズ船に調べに行った検疫官も感染する。何だか三八豪雪の時、ラッセル車を車庫から出すことも出来なかったという故事に似ているな。(武漢ウイルス改め)「新型コロナ2019」ウイルス(と世界保健機関が名付けた)は強烈だね。まあね、大丈夫ですよ。そもそも大した病気じゃない(俺たちも後から罹るぞ)。ウイルス検査で妖精と判定された・・・。いいじゃない。

 

2/11・火

 結局クルーズ船からは段階的に下ろすことに。外圧があったのかな。全くの無駄と言うより、医学的にも有害な一週間であった。終日冬晴れ。何処かに行こうと思ったが、結局「麺通」でラーメン。愈愈830円に値上がり。合否発表の為、何だか落ち着かない。ぼんやりと果報を待っていたが、T高校を受けた四人は一人しか受からず。アジャパー。結局一般入試と言っても相当な割合で既に枠が埋まっていたのだろう。何だか酒も進まず。悪妻を愛した知将も亡くなる。

 

2/10・月

 JRがシステムダウン。全ての窓口でクレカが使用不可に。やっぱりキャッシュがないとな。一方クルーズ船では次次と患者が見つかる。あんなところに閉じ込めたから船内感染して仕舞う。大体空調が一緒だろう。換気が大事。なお留め置きは官邸の強い指示らしい。完全に判断ミスである。海の向こうでは大統領の予備選が始まる。78歳の革新派と38歳の穏健派の闘いのよう。前者を支持したくなるが、何分にも高齢だし、民主社会主義で以てあんまり国民を分断して仕舞うのもどうかと思った。ただ38歳の人も生き方は新しいんだよね。反対党の支持を奪えるかどうか。

 朝は曇る。以後まあまあ晴れ。午前午後と漫然とす。晩は豚肉を焼いて食べた。ところで喫煙や飲酒が急速に廃れたように、肉食と言う習慣も数世代先には相当無くなるという指摘があるが、本当かね。

 

2/9・日

 再び冬型強まる。新型は一週間くらい風邪の症状が続いた後、治る人は治るが、治らない人は其のまま肺炎コースになだれ込むらしい。吾人が身をもってリポートして見てもいいが、家人に移すと忽ち後者になって、其のまま小平霊園直行になったらやっぱり困る。武漢で最初に感染拡大を警告したお医者さんも亡くなる。まだ三十代だという。合掌。

 午後臨時出社。入試直前である。各自過去問をやっているのを見守る程度だが、出来そうで出来ない問題だけを指導し、出来そうもない問題は忘れるようにと指示する。まあ指導と言うより激励だな。退社後は新店と本店へ。再び役者志望の従業員に奢らされる。幾ら若いとはいえ、男に振る舞う予算はないんだけどねぇ。二店で3500円。九時過ぎに帰宅。コンビニのこってり麺。家人の野菜炒め増し増し。十時就寝。

 

2/8・土

 お日様の力で発電して、屋根の下の人が使って、余った電気を売った量が分かるようになった。約八日間で南西面が33キロ、南東面が29キロ。晴天続きだったから割と売れた方かな。買い取り価格は一キロ24円なので大体1500円。うーん。Bに一回は行けるな。曇りの日や夜は完全買電だから、拙宅と合わせると電力自給率は精精二三割程度か。まあねゼロより増しですよ。

 さてさて第四次片づけに出動。今日も三十袋くらい出した。ベランダの散乱物も捨てられるものは捨てたぞ。食器や食品はコンプリート。ブレーカーも落とした。少し気が滅入ったので早目の退散。少し歩いて「大桜」と言う店でラーメン休憩。中壜付き。和食ファミレスのような造りで豚骨醤油。味は至って普通で一杯760円。少し高い。続いてバスを二本乗り継いで中原区に移動。川崎の叔父さんにコメを届ける。何でも順子叔母さんが炊き出しボランティアのようなことをやっているのだと。四国の良いコメである。手短な挨拶の後、其のまま帰宅。三時前。夜は冷凍の国産鰻。免疫力を付けないと。

 

2/7・金

 中国の多くの都市で外出制限令。経済活動が滞った御蔭で石油の値段も下がる。午後出社。退社後はBの新店とIで合計3500円。

 

2/6・木

 今更ながら寒波が来る。晴れてはいるが日中も一ケタ。国会では酷い審議が続いているようだが、コロナに掻き消された感がある。もうそろそろ本当に辞めて貰いたいね。Aには。五輪花道論と言うのもあるらしいが。続いて吹っ飛んだ布団の回収。二階の部屋である。外出中のようなので通路の所に掛けておく。よく見ると結構あのあとが。いや併しこんなに血が出て大丈夫なのかね。男には永遠に分からない女体の不思議である。

 午後出社。中三のほぼ全員が押し掛け来て賑やか。来週は私立高校の入試。此れで半分の片が付く。退社後は新店へ。学生従業員に景気よく飲ませたら2770円も掛かった。

 

2/5・水

 客船はずっと留め置かれることに。幾ら豪華とはいえ動かない船に二週間も。而も部屋から出られない。悪夢だね。夫婦喧嘩は勿論、暴動が起きるな。一方病院が足りない武漢では体育館のようなところにもベッドが敷き詰められる。『史上最悪のインフルエンザ』と言う本の表紙の写真と同じだと思った。

午後出社。途中富士そば。其のまま新店。1560円。夜は冷えた。マスクは全部品切れらしい。そもそも一般的なマスクではウイルスは防げない。花粉症の人が困る。吾人も此処数日何か変。大体やね、新型の感染症とはいっても、冬の風邪をこじらせた程度だよ。大騒ぎする人は、「バイオ・ハザード」の見過ぎです。そう言えば「復活の日」なんて作品もあったね。

 

2/4・火

 横浜沖では豪華クルーズ船の三千人が再検疫だと。潜伏期間もあるから何度調べても切りがないね。万事馬鹿馬鹿しい。何だか曇って結構寒い。今日は家人が様子を見に行った。流動食が食べられるようになったとのこと。よかったよかった。一方四国のお姉さんからはワタリガニが送られて来る。須見伯母を加え、早速三人で囲んだ。吾人はあんまり甲殻類は好まないのだが(第一に食べるのが面倒ということ、第二に大きな物は何だか襲って来そうという恐怖がある)、味噌の部分は相当な味わい。(あんまり食べたことはないが)カラスミに匹敵するうま味成分だと思った。結構大量飲酒。

 

2/3・月

 都市部は兎も角、中国の田舎にはまともな病院一つないらしい。昔の徳之島みたいだな。公衆衛生、医療インフラの遅れが際立つ。北京幕府は猛省して欲しい。立派な航空母艦を造るより、其の一万倍の病院や養老院を建てなくちゃ。人民の生活向上が第一、一人当たりのGDPはまだまだだもの。なお現時点で御亡くなりになった方は三百人超え。仮に積年の大気汚染で呼吸器系が弱くなっていたのだとしたら此れは一種の公害病であると思った。それにしてもね、総じて言えることは、中国式国家モデルはやっぱり駄目だったと言うことかな。

 朝から都税事務所に電話を掛ける。新たに建てた物件は二戸あるので小規模住宅の範囲が拡大されるそう。あべこべ安くなるかもしれない。まあまあの晴れ。昼は弁当。東電パワーグリッドからメールがあり、漸く先月末から買い取りを開始したとのこと。本当に遅い。じゃあひと月半はボランティア発電だったことになるぞ。そんな馬鹿な。相変わらずの殿様商売だと思った。晩は肉豆腐以上鋤焼き未満。却って味がぼやける。うどんを入れたら落ち着いた。詰まり肉うどん鍋。刺身がないので猫には鮭缶。

 練馬のとしまえんも閉園するという。もう何十年も行ってないな。確か小学生の時に行って面白かったものが、高校生の時に行ったらすっかり詰まらなくなっていた。としまえんは変わらないのに此の差は何だろうと考えた記憶がある。つまり自分が変わった。其れが成長と言うものであった。閉園前にもう一度行って見たい。また違った印象を持つ筈。一方西武遊園地は昭和テイストに衣替えする計画。此方の方が楽しみかもしれない。

 

2/2・日

 都税事務所から手紙が来ていた。解析すると、土地の利用状況が変わった場合は固定資産税の評価が変わるので申告して欲しいと。小規模宅地か一般住宅地か非住宅用地。うーん、分からん。此処に来て関東は連日の晴れ。漸く冬型が安定したよう。梅も咲く。昼は「おか本」でラーメン(650円)。午後は確定申告書を仕上げる。ちなみに昨年の給与収入は54で、所得はゼロ。なお亡父の不動産を相続した結果、所得は倍増す。すると納税額は四倍にもなるよう。此れで吾人も上級納税者である。今までは明らかに消費税や酒税の方が多かった。併し所得税の中央値って幾らかね。

まだ明るい内から入浴と飲酒。例によって家にいるのは婆さん一人。色色な時評を読むと、年末のAIひばりは評判が悪いそう。惜しかったな。もう少し起きていれば見られたのだが。

 

2/1・土

晴れ。所謂中学入試の日だが、今年は一人しか受けないし、生憎其の子を担当したこともない。さてさて第三次片づけに出動。再び普通ゴミの日。早速先日詰めた袋を集積所に運び出す。凡そ二十。此れで食器と食品類はほぼ完了。続いて押入れと納戸の解剖に着手。大量のカセットテープが出て来る。カラオケが趣味だったのね。大事な物は全て四国に送ったというから後は廃棄あるのみ。あっという間に十数袋。次弾装填完了である。ちなみに堆積してあるものは所謂ゴミでもないから、ゴミ屋敷という言い方は訂正せねばならないかもしれない。となると詰まり、もの屋敷だな。高齢者はくれぐれも注意されたし。断捨離の大将、ダン・シャリバーにならなくてはならない。此れは百鬼園先生ネタである。

大体二時間。引き上げた三升のコメを背負って二子玉川途中下車。少し記憶を上書きしようと思った。ブックフェアーをやっていたが大して見る所も無し。それにしても此の殷賑ぶり。さっきまでいた限界団地が嘘のよう。でも将来の日本は後者になる割合が高いと思うのだが。何処の飲食店も満席なので結局構内の「しぶそば」で冷やしわかめそば(390円)。帰宅は一時半。ところで大量の衣類もみな燃して仕舞うより手がないね。集団回収はやっているようだけと部外者には分からないし、車もないから勝手知ったる世田谷に持って来ることも出来ない。勿体ないし、申し訳ない。スイマセン。

午睡の後、渋谷マークシティー五階のバスターミナルへ。お姉さんは一旦帰郷するとのこと。吾人が案内する。本来ならば階下のレストラン街で送る会をするのだろうが諸般の事情で中止。2020、パイレーツ=村上水軍号、今治行き定刻発車。本日は瀬戸内バスによる一台運行体制。まあまあの乗車率かな。受験を終えたような高校生の姿もあった。御苦労さん。全てのカーテンは閉まっていたが一応最後まで御見送りす。次の上京までには弟さんも元気になるといいが。

直ぐに帰って地元の回転寿司で酒三合。2620円。此れで取り敢えずの任務終了。婆さん一人体制に復帰する。土日回数券もギリギリ使い切ったよ。

2020年・1月

1/31・金

 帰国者はホテルに缶詰めにされる。あらま。折角帰って来たのにね。そんなことしても無駄だよなぁ。封じ込めはもうとっくに無理です。そもそも北京幕府の隠蔽体質がこういうことになった。手を打つなら昨年の十二月の前半までだったと思う。ところで、そう言えば武漢ね。ボーシヨーチョーとか言ってあんなところまで攻めて行ったのだよな。考えられないね。『日中戦争全史』を読み直す。毒ガスまで使ったと書いてあった。ペン部隊も。

冬型に戻る。北風強し。午後出社。例によって金曜日の中二は余りに出来ない。真面目にやっているのにね。何だか可哀想。何だか呆然とし漫然とす。其のまま新店と日高屋へ。凡そ2000円。帰宅は十一時半。するとやっぱり家人は疲労困憊している。もう立てないと。何処か悪いのかな。ところで日付が変わるとワイハイが急に速くなる。此処数日大渋滞している感があった。どうして。就寝直後に中地震。こうして何だか慌ただしく一月が終了した。

今月の備忘論。鰻犬先生の旧宅も解体。跡地利用は不明。結構広いが所謂変形旗竿地。あの辺は一歩入ると途端に木密なんだよね。更に奥は建て替えすら出来ない筈。一方で死に掛けた商店街には耳鼻咽喉科と皮膚科が出来るよう。調剤薬局は既に二軒。さながら医療モールだな。

 

1/30・木

 武漢からの帰国者200人のうち三人に陽性反応。もうね単なる風邪でいいですよ。大抵のコロナウイルスはよくある冬の風邪の原因だそうで。こうして目出度く風邪の種類が一つ増えただけのこと。暖かくなれば自然と収まる。春よ来い。出来れば直ぐに。大体誰が何処に行って何に乗ったとか盛んに検証しているけど、大体誰に風邪を移されたかなんて、幾ら思い出しても永遠の謎だもんな。

 今日も四月の陽気。接待疲れで家人が不定愁訴。本当に容量がない。御昼は駐車場の商談。何だか最近は足りなくなったみたい。民間学童クラブのような所が借りたいらしいが、車が大きすぎて入れるかどうか。午後出社。退社後はおじさんたちと幾寅と立ち中華。合計2600円。夜更けに上って来たシロを散散撫ぜる。依然耳の後ろは痒い様だが原因は掴めず。人間用のステロイド軟膏を磨り込む。

 

1/29・水

 朝には止んで以後快晴。台風みたいだね。午前中は文庫本本棚の組み立て。併しそもそも置くところがない。本も少し処分しないと将来大変なことになるな。御昼に撤去費用の見積もりが来る。何と税込み37万円。アジャパー。六畳六畳と台所、小さな納戸と風呂の設備は入ってないけど風呂場は風呂場。それらに物がかなり堆積し押入れには物がギッシリだとしても少し高いな。捨てたら捨てた分だけ安くしてくれるというからもっと本格的に捨てなくてはならないと思った。18万円は将来への投資、(拙宅が支払う訳ではないが)37万円は過去の清算。どうしても後者を安くしたくなる。となるとゴミ処理対策本部を作らなくてはならないな。春のような暖かさの中、午後出社。退社後はBの新店。久久に彩さんと話す。後はおじさんたち。1530円。

 

1/28・火

 終日冷たい雨。お見舞いも片付けも無し。午前午後と漫然とす。休養日だね。「ヤヌスの鏡」読了。本編終了後に外伝として、あのおばあさんの生い立ちが描かれている。あんな人格になって仕舞ったのも時代と親のせいかな。それにしても此の作品が掲載されたのは八十年代初頭。文庫版の解説やあとがきに述べられている通り、虐待も多重人格も殆ど知られていなかった筈。実に先進的な作品であった。だから今見ても面白い。植木屋さんから請求書。18万円余。大体三分の二が原材料費。晩は豚肉を焼いて食べる。夜は大雨。一月とは思えない。

 武漢ウイルスは益益蔓延。株価は続落。此れを機に中国バブルが崩壊するという悲観論も。十億人の消費が落ち込むと其れぐらいの事が起こるかもしれない。まあね、なんとかなるでしょう。マクロ的には。観光業の皆さんは大変だろうけど。ちなみに今回の原因は蝙蝠辺りの哺乳類のウイルスの突然変異らしい。武漢海鮮市場=野生動物を食べるのは人類生存の伝統なのだろうが、何でこんな変異が起こるのかね。而も頻繁に。となるとある種の風土病だったものが、インフルエンサーとして世界的にブレイクしたのかもしれない。

 

1/27・月

 まだ暗い内から団地の一室に参る。今日は月二回の小物金属ゴミの日。回収時間が分からないから、こういうことになった。鍋薬缶、小型家電を中心に運び出す。引き続き片づけ。例によって大量の衣類、大半が未使用品。弟思いのお姉さんが送った品物なのだろう。結局ゴミである。つくづく年寄りの物を増やしてはいけない。それにしても川崎市は陶器の皿なども燃やして仕舞うよう。無機物だから可燃ではなく「普通」ゴミなのね。極めて緩い分別。灰はセメントの原料にでもするのかな。ゴミを出すなら川崎市だと思った。そんなこんなで何度も集積所を往復した。併し朝だというのに殆ど人が歩いていない。そもそも此の団地の半分は空室。残りの中にも通勤通学年齢の人が全く居ないのね。所謂限界団地。静かな朝です。只管ダンボール箱を潰し、中味を45リットル十数袋に縛り上げたところで本日終了。此れでどうにか動線は確保出来そう。 

 曇天の元、駅に向かってぶらぶら歩き。団地を出ると普通の住宅地。行ってきます、行ってらっしゃい式の普通の光景に出合えた。さてさて近くのスーパー銭湯で湯垢離でもしようと思った。片付けや分別は大得意だが、正直こうした部屋の片づけは余り楽しい物ではない。増して一人だとトントンさんのように軽口を叩く相手もいない。気分転換が必要である。平日料金1320円。タオルと館内着付き。早速黒い温泉につかる。続いて付属の食堂でモーニングビール、鰤のカルパッチョと天丼付き。仕事の後はこうでなくてはね。其の後ファーストクラスのようなキャビンで休憩。個別のテレビもある。アテンダントこそ出て来ないが快適其の物。帰りたくなくなるね。と言う訳で平日だというのに結構な人の出。みんなこういうところで遊んでいるのだね(土日は芋洗い温泉かもしれない)。是非自区内にも欲しいが、土地が高くて無理だよな。結局4500円も使った。内風呂より内需拡大である。帰宅は二時前。結局二時間働いて(といっても給料は出ないが)、三時間遊んでいた。晩は宅配ピザを三人で囲む。亡父の好物だった。居なくなって仕舞ってから初めて取ったね。仏壇に一切れ供える。夜から冷たい雨。

(付記)後から聞いたところによると、此処は超最新型のスーパー銭湯だという。正しくトップの数%。実に快適でした。ただね単身利用には最適だけど中人数以上の宴会用には向かないかもしれない。

 

1/26・日

 朝方は雨。武漢封鎖令に続き、今度は海外団体旅行禁止令。北京幕府はやることが違う。尤も変な病気の噂は昨年の十一月からあったという。初期消火に失敗したから取り返すのは難しいな。感染者は千人を越えたというが一千万人の間違いだとも思う。もうパンデミックである。あー、クワバラクワバラ。もう神頼み。

 午後は止んだけどまあまあ寒い一日。何となく漫然とす。従妹さんは病院を行ったり来たり。晩食は吾人が用意した刺身と唐揚げ。婆さん三人と囲んでも大して面白くも無し。

 

1/25・土

 さてさて本日は吾人が出動す。従妹さんを連れてまず宮前平。須見伯母と合流して弟さんの居宅へ。古い団地の一室。覚悟はしていたがかなりの荒れよう。取り立てての臭気はないので、生活ゴミと言うより、長年の生活用品が堆積した割合が大きいかな。例えば同じような服が何十着もあり、同じような食品が何十個も干からびている。貴重品を探そうにも足の踏み場がない。取り敢えず、片づけ開始。いや併しね、ちょっとやそっと量じゃないよね。弟さんは脳梗塞を患った後に介護ヘルパーさんも入っていた筈なのだが、介護保険に片づけという項目はないのかな。

昼食を挟み午後も漫然と片していると、近所の人が出て来てくれた。何でももうすぐ普通ゴミの回収がある。大抵の物は持って行ってくれるとアドバイスされる。俄然ピッチが上がる。三人とも猛烈な勢いで袋詰めと運び出し。冷蔵庫を空にして、大量の衣類を運び出す。川崎市も世田谷区同様、分別が緩くて助かるね。トントン拍子にリヤカー二杯分ほど出したところで集積所の容量が限界になった。興奮が多少収まったところで、頼んでおいた何時もの内装屋さんの若頭と新顔の回収屋さんが来る。早速撤去の見積もりを取った。ざっくり二杯分は減った筈だが、依然として膨大な量が堆積している。そもそも大きなものもあるし、元元素人に負える量ではないな。さてさて本日の片づけは此処まで。お礼がてら期限内な缶詰等を階上の女性に差し入れた。

続いて弟さんの入院先へタクシー移動。転院先は所謂療養型の病院である。吾人とは初対面かな。一応話せる状態にはなって来たが、経口摂取は依然不能。お姉さんに会えて喜んでいた。頻りに早く帰りたいとも述べていたが、帰りたい場所は川崎のあの部屋ではなく、故郷=今治のことだろう。ここで吾人は先帰り。たまプラーザまでバスで出た。買い物は吾人が済ませ、晩食は四人で鍋を囲んだ。ちなみに弟さんの最初の入院費はロハであったという。日本の社会保障制度は素晴らしい。そして無駄が多い。部屋には残薬の山。あの市営住宅もボロボロ。

 

1/24・金

 曇ってはいるがまあまあ暖かい。午後はまあまあ晴れる。家人たちはお見舞いに。次なる問題は部屋の撤収である。何時もの内装屋さんに連絡を取る。幸い意識も回復して来たというので貴重品等のありかは把握出来そう。それらをサルベージしたのちの一斉撤去は割と安いらしい(トントンさんのようにきちんと探索分別するとなると相当な金額になる)。と言う訳で色色な算段を付けた。夕方前出社。金二万円受け取る。退社後はBの新店と中華立ち飲み。後者は閑散。春節前だけど何となく物憂い感じが漂っていた。中国が咳をすると日本経済は肺炎になるな。観光産業から影響がじわじわと。

 

1/23・木

 さてさてまだ暗い内から渋谷に参る。家人の従妹の出迎えである。バスごとお迎えしようと思い、暫し表で待つ。併し時間になってもバスがさっぱり来ない。誘導員さんに聞くと、もうとっくに着いていると。何と三十分も前に。アジャパー。(降車のみの)高速バスって早いのね。と言うことは、待合室にいたあのお年寄りが当該人物だったよう。何しろ顔を知らないからね。遅れた御挨拶の後、まず拙宅にむかうことになった。(十二時間も座っていた筈だから)少し歩いた方がいいと思い、電車で案内する。すると最寄り駅に着いた途端に雨が降り出す。出迎え事業は散散である。楽しい上京ではないのに、つくづく申し訳ない。

須見伯母を加え、早速八十代女性三人で様子を見に行った。すると弟さんは話せる程度には回復したとのこと。良い兆しである。但し住まいの市営住宅はゴミ屋敷状態であったと。うーん、今度はリアル片づけトントンである。午後出社。退社後はBの新店。役者志望の従業員に一杯奢らされた。全部で1950円。帰宅後も静かにする。何しろ拙宅に三人住まうと言うことなど一年半ぶりの事だね。

武漢の空港や駅は悉く閉鎖されたというが、まあ無理だよな。ウイルスは物凄く小さいもの。つくづく弱毒性で済むことを祈ります。鼻風邪程度がいいな。

 

1/22・水

 朝から曇って大変寒い。午後出社。都立高校推薦入試の出願日。ある生徒は三時間も待たされたと憤慨していた。お役所(が運営する学校)と大病院は大概そんなものだよと応えておく。此れも人生経験だな。でも幾ら何でも三時間は酷いね。どういう事務処理効率なのだろう。なお私立高校の推薦入試の日でもある。但し専願の生徒は二人だけ。どういう訳だか今年は異様に一般入試が多い。二月の末まで働かなくてはならないな(新型コロナウイルスに罹りそう)。退社後はBの新店で軽く(1040円)。更に碑文谷のココイチでフライドチキンカレー二辛の御飯少な目。缶麦酒を付けて1100円。本年の初カレーであった。

 

1/21・火

 朝には全身打撲のような症状に。中年の冷や水だな。割と冬型の晴れ。続きの工事。松には栄養剤、低木も植えた。砂利も運んだ。大体二時間で終了。続いて散髪。続いてシロを獣医へ搬送。先週から耳の後ろを頻りに掻いていた。例の疥癬が心配される。皮膚はまあまあ綺麗とのこと(大抵耳たぶからやられるそう)。取り敢えず様子を見ることに(元気な猫は進行が遅いとも)。ステロイド系の痒み止めを打って御仕舞。3300円。

四国の従妹が泊まりに来るかもしれないので家人は布団の準備。従って今日の昼も弁当。絶賛買い食い生活である。一つは「福のから」、もう一つは立ち売り。一つは紙製の容器、一つはプラスチック。使い捨てプラスチックがなくなったら飢え死にするね。ちなみに四国からの夜行バスは渋谷のマークシティーというビルに着く。家人に幾ら説明してもそんな建物は知らないと宣う。東横のれん街の上だと言っても全く以て理解不能。例によって口論になる。そんなビルも知らないとはなんて詰まらない人生だったと恨み節まで飛び出した。再開発も大概にして欲しいものである。そんなこんなで午後は漫然とす。晩は適当鍋。

武漢ウイルスはじわじわと浸透す。既に人から人への大量感染だと。中国式最新型監視網でも拡大を防ぐことは難しいだろう。何しろもう直ぐ春節。十億人の大移動である。弱毒性だといいなぁ。2009年、メキシコからの新型インフルエンザはあっという間に蔓延したけど、幸いにして毒性が強くなかった。あの年は吾人も夏風邪を引いている。早速感染した筈である。

 

1/20・月

 やっぱり砂利を引いた方が佳いと言うことになり、朝から植木屋さんが来る。新棟の北側を中心に防草シートを敷き、砕石を被せる。吾人も20キロの石の袋を沢山下ろして運んだ。他は梅の幹の修繕。終日快晴の作業日和。午後もあちこちの手直しなど。残り物の人工芝も張る。やってもやっても切りがないな。砂利が足りなくなったので本日は早めの終了となる。直接取引だから住宅メーカーに頼むより安いだろう。

 午後家人帰宅。従妹の弟さんの転院先に行っていた。元元の糖尿病も悪化して全身の衰弱が著しいと(意識不明の重体)。今月の第一週までは元気だったそうである(其れに元は鉄道員で割とちゃんとしていた人だったらしい)。なお地理的に家人が第一保証人になる。早速山ほど同意書を書かされたと。ということは、あの(緊急)電話が掛かってくる可能性もあるな。それにしても、みなさん次次と現世からロールアウトされて行く。リアルやすらぎの郷である。午睡の後、吾人は出張所で住民票の受け取り。滅失登記と新築登記に必要。年が明けても忙しないね。昼はスーパーの弁当。晩は別のスーパーの牛肉を焼いた。少し精を付けないといけないと思った。使った筋肉を解す為、二日続けて入浴。すると芥田先生から寒中見舞いが来る。年賀状が来ないから少し心配していたのだが、実は昨年の始めに大きな不幸があって年賀状を出されなかったと知ってなお驚いた。

 

1/19・日

 朝から快晴。昨日今日と最後のセンター試験。私大も広く利用できるようになったのが共通一次試験との違いだったが、来年からはどうなるのだっけ。毎年数十万人が受験すると枕詞のように説明されるが、国公立大学は兎も角、私大などは既に半分は推薦やAO入試で決まっている。

 家に居ても仕様がないので昼は晴雷亭に。須々木さん以下、行き場のない中高年が大勢来ている。二時間ほど昼酒。其の後は職場に回航し自習の監督。七時半退社。Bの本店を覗くも彩さんには合えず。まあ二匹目のどじょうは滅多に居ないよな。一杯だけ飲んで帰宅。730円。昼の炒飯と焼酎が胃もたれして結構辛い。

 

1/18・土

 午前中は小雪が舞う。朝はレトルト御粥。守道監督急逝。つくづく地道な人だった。采配も去り方も。結局夜までずっと小雨。買い物は一便。他には漫画版の『ヤヌスの鏡・1』(集英社文庫)を取り寄せて読んだ。元元は少女漫画なのね。昭和版のことは余り思い出せないが、桜井版は結構原作に忠実な作りであることが分かった。

 さてさて特に何にもない日は酒を呑むに限る。六時ぐらいから始めた。ところで此の時間は大抵「報道特集」(TBS系)を眺めるのだが、本日の特集はイランとカシミール。見ている内に漸く上げたテンションはみるみる下がった。

 

1/17・金

 武漢から帰国した人が新型肺炎を患う。幸い回復したそうだが新手のコロナウイルスだという。具合が悪い人は飛行機に乗って欲しくないが、みんな変更が出来ないチケットだから這ってでも乗って仕舞うのだろう。併し太陽みたいな名前のウイルスがあるのだね。名に反して凶暴。

午後出社。退社後はBと日高屋とIで大量飲酒。嫌なことはみんな忘れて帰る。全部で4500円。帰宅は一時半。久久に嫌がるまでシロをあやした。

 

1/16・木

 家人の従妹の弟さんは川崎に住んでいて、余りお付き合いはないのだけど、インフルエンザから肺炎を起こし大学病院の集中治療室に入ったという。お姉さんは四国に住んでいるので、代わりに須見伯母が様子を見に行ったところ、面会謝絶の重症の模様。弟さんは独居老人。セルフネグレクトみたいな状態だったらしい。うーん。

 大体曇る。午後出社。ところで職場には先週からコーヒーサーバーがある。面白がって中三女子に作ってやった。旨いうまいと飲んでいた。まあ此れも受験勉強の思い出だね。ちなみに此のサーバーは無料レンタル。中味のカプセルは近所のスーパーでも売っていて一杯60円程度。但しあまり安売りはしていないよう。例によって中で儲ける戦略なのね。ジェネリック品を勝手に作って売ったら怒られるだろうな。さてさて退社後は今日も新店。一杯410円のビールと、250円の酎ハイを呑む。250円のワンカップも。酒に比べたらあのコーヒーなど只みたいなものだな。

 

1/15・水

 未明からかなりの雨。気が付くと一月も半ば。今年は最初の一週間を失ったから何だか調子が出ないね。昼過ぎまで結構降った。午後出社。中三には図形の入試の短問を解かせようと思ったが、肝心の吾人がよく分からない。事前に解いたが、汗びっしょりである。大体ABEがDQNと合同であるとかはね、大体見れば分かることだけど、此れを理を詰めて説明するとなると難しいものである。要は感覚である。結構草臥れて退社。Bの新店で1400円。帰宅後菓子パン。

 

1/14・火

 晴れ。未明に中地震。今年は暖冬だと言うがやっぱり冬は秋よりかは寒い。夜は鋤焼きにした。ところで昨日は成人の日。ちなみに新成人は122万人だそう。一方昨年生まれた赤ちゃんは87万人。何だかんだ言って、今までが第三次ベビーブーム(もどき)だったんだね。団塊ジュニアは二十年ぐらい掛けて実はまあまあの数の子どもを産んでいたのだろう。其れが終わると一気に八十万人台である。ブームやバブルと言うものは終わって見なければ本当のことは分からないものである。

ケーブルテレビで銀英伝の新作シリーズ第二期。銀河帝国の描写が気になる。王宮は綺麗に整っているけど、いや併しねこういう国家体制だと立派な宇宙戦艦は造れても、民生用には満足な冷蔵庫一つないんだろうなぁ。

 

1/13・月

 晴れ。午前中は宿酔気味。昼は地元のあっさりラーメン(800円)。鶏のスープなのだろうが妙に甘味が出て苦手な味。さてさて何とか回復してきたので、午後思い付き出社。祝日なので授業はないが、片付けをしつつ、受験生の質問に答えた。夕方S木先生が来たので後を託して退社。

さてさて此処からが思案橋である。取り敢えずBの新店で待機。エリアマネージャーのミキさんとおしゃべりするうちに、彩さん登場。お互いに宿酔明けの模様。いや併し(久久に)読みが的中したね。早速昨日反省会をした。すっかり気の良くなった吾人は、若い男子従業員にうどんを振る舞う(450円の二人前)。利他の精神を心掛けなくてはならない。薄くした酒を呑みのみ二時間半もいた(2540年・・・久久の遥か未来)。新店は昔の雰囲気が少しあって割と居心地がいいんだよね。禁煙だし。九時前帰宅。

 

1/12・日

 午後外出す。目的地は蒲田の外れの温泉施設。おじさんたち主催の新年会である。人に見せる裸体も聞かせる歌も無いので、此処数年は欠席していたのだが、彩さんが来るというので出動す。途中立ち飲みBの蒲田店と「ラーメン大」でひとりゼロ次会。宴席は五時開始。延延と続く。彩さんとは多少親しくはなった。すっかり送って帰る筈がどういう訳だか吾人だけ逸れて仕舞う。

ところで雑色から帰るのって難しいんだよね。京急蒲田から東急蒲田まで這う這うの体で徒歩連絡。こんな筈ではなかったが、気持ちは伝えられたと思いたいな。こうしてマーキュリー計画がスタートしたのである。バーIまで帰ったが結局誰にも行き合えず。追い越したのか、置いて行かれたのか。其のままタクシーで帰宅。1780円。一万三千歩。何やっているんだろう。

 

1/11・土

 家人は鎌倉へ。午後はまあまあ晴れる。朝は干しそば。昼は三丁目のとんかつ弁当。あちこちの片付けと清掃。夕方家人帰宅。横浜駅白杖の人と衝突して仕舞ったとしょげている。何しろ腰も背中も曲がって視野が狭くなっているからね。

 

1/10・金

 朝方は物干し台の組み立て。何十年も使ったものは腐食して折れそうになっていたので交換することになった。例によって組み立て式。伸縮自在なのはいいがチャチな造りだね(ネット通販で僅か数千円)。そう言えば竿だけ屋って、全く見なくなったな。午後出社。取り立ててどうと言うことも無い日。退社後はBの本店と中華に。どちらも大混雑。割と早目の帰宅となった。正直まだ麦酒の味が戻らないというのもある。其れに三日しか働いていないが何だか疲労が著しい。

 アメリカとイランを巡る対立は何とかなりそうな感じだ。でもある種の巻き添えで撃ち落とされたウクライナ機の乗員乗客は可哀想だな。つくづく民兵みたいな連中にミサイルを扱わせてはいけない。よく訓練された筈の正規軍でもしばしば誤射事件が起きている。

 

1/9・木

 朝から晴れて暖かい。須見伯母が来たので、700円の弁当で歓待する。午後出社。退社後は無責任社長と一献。隣りの食堂と生徒のラーメン店。此方も新年会。

 沖縄にも豚コレラ。ああアグー豚が。イランでは民間機が遭難。ミサイルの誤射だという。何ということが。此れだから軍事的緊張を高めてはいけない。元会長はレバノンで恨み節。少なくとも数百億もふんだくったと言うのにね。

 

1/8・水

 春一番みたいな南風が吹くと言われたが、結局何も吹かず。昼前は大雨。ずっと寒い。どうしてこんな予報ミスが出るの。止んだ頃早めに出社。今日から通常授業。今年の初仕事でもある。講習の片付け、清掃、溜まった事務仕事。夕方富士そば休憩。退社後はBの本店。皆さま勢揃い。其のまま日高屋へ流れ込む。実質的な新年会だね。

 

1/7・火

 曇り勝ち。七草粥よりステーキの香草和えぐらい食べたいところだが、其処まで食欲が回復せず。昼はせい家の付け麵。此れが今年の初外食。午後から小雨。他は漫然とす。夜は何度も上厠す。今週から付属駐車場も埋まった。

暇に飽かせてパソコンのウイルスソフトの更新。随分前から懇願されていた。適当にクリックしていると変なサイトに誘導される。すわ詐欺かと思ったが、どうもそうではないらしい。要はNTTは自社提供をやめたらしい。それならそうとそう書くべきである。此の手のマニュアルが分かったためしがないな。吾人ならこう書く。「面倒くさいので自社でのソフト供給をやめました。優秀な他社に移って頂きます。料金は其のままです」。何事も本質を捉えた説明をしないといけない。

 

1/6・月

 快晴。心身ともに回復す。まず大量の正月ゴミと引っ越し(して来た)ゴミの整理。国税庁のホームページも明けたので早速不動産所得内訳書を作成。清書だけだからどんどん進む。あっという間に四人分作成終了。晩食は吾人が買い物に行き、鍋を沸かした。日中十度以上。陽が落ちても八度。大変暖かい一日であったと天気予報の人は言っていたが、吾人にとってはまるで真冬の一日。ズボン三枚、常時ダウンを着ていてもやっぱり寒かった。すっかり体力筋力が落ちたね。しばしば皮膚感覚を大事にしろなどと言われるが、インフルの前と後では全く違う。こういうものはつくづく当てにならないと思った。

寝ていた間にイラン情勢が大変なことに。困った軍閥の親玉とは言え、幾ら何でも爆殺は拙いよな。却って国を纏めて仕舞うだろう。

 

1/5・日

 快晴。咳も止まる。直ちに復旧作業に取り掛かる。身の回りの片付け、寝具の交換、布団干し、入浴、洗濯(の手伝い)、狸パトロール、ゴミ拾い、排水管の点検。修身、斉家・・・、此の先は続かず。午後はリハビリがてらに確定申告の準備。何時の間にか年が明けているのである。遅い午後に半田の煮麺。ちなみにタミフルなどは予防投与が認められているそう。十割負担で飲みまくっている人が居るのだろうな。夜は暇に飽かせて「西村京太郎トラベルミステリー71」。松本が舞台なので見ていたが、どう見てもコントにしか見えず(何しろゲストがサンドウィッチマン)。其れにあずさで行ったり来たりするだけで、ダイヤトリックも無し。最近はこんな感じなのかね。

 元会長を載せた飛行機の操縦士らは逮捕されたそう。それにしても此れが国際的なプロ経営者の末路だと思うとかなり寂しいものがある。

 

1/4・土 

 どうにか熱も下がった。今日明日の講習は運休。一部クラスの併結運転や後日振替輸送等の措置をとった。いや併し参ったね。悪い夢を見ていたようだけど、体のあちこちが痛い。咳も残る。咳で腰も痛めた。悪夢は続いている。それにしても手洗いだけは励行していたし、職場に加湿器も持ち込んでいる。毎晩のアルコールうがいも効果がないとなると、予防注射も考えなくてはならないと思った。なおタミフルは四錠で御仕舞(返品したい)。大体効いた感じがしないね。そもそも抗インフルエンザ薬と言うものは、ウイルスの増殖を押さえることで発熱を抑制して重症化を防ぐことに主眼があるらしい。ぱあっと治る訳ではないのね(当たり前か)。体の弱い子どもや高齢者には有効なのだろうが、盛年男子には効果は今一つと言うことである(もっと燃え上がって一日早く治したかった)。何にしても、今回の罹患は少しショックである。矢張り年末に授業を積み過ぎた。其処で免疫力が低下したのだと思う。

 少し起き出して身の回りの軽作業。其れ以外は無為。幸い狸は出ていない模様。残り少ない咳止めを半分にして服用す(一昨日貰い損ねた)。晩は残り物とスーパーの惣菜を合わせる。味の濃い物はよう食えない。大病すると味覚が変わる。酒も一合程度。飲み過ぎて食べ過ぎてたな。夜は一瞬三十七度。残照。通り雨あり。

 

1/3・金

 八角から作った薬が効いたのか朝には収まった感じ。但し時時重い咳が残る。全身のダメージ酷し。徐徐に湿った咳が出始める。拙いな、前前回は此れで呼吸困難になったのである。残薬メジコン投入。午後になってもジュクジュクと発熱する。三十七度前後。もっとパッと出た方が治るかな。どちらにしても矢張りインフルエンザは手強いと言うことである。

弱ったところに、また疥癬狸が。猫小屋を占拠していると。追い出した所で大して逃げず。かと言って捕獲しても役所はずっと休み。どうしたらいいの。後ろ足の状態から見ると、昨年の六月に来たのと同じだな。毛は頭に僅かに残る程度。矢張り二匹いたのである。取り敢えず猫小屋を予備のものに交換。また入られると困るので囮代わりの段ボール箱を設置。暫らくして逃げて行ったらしいが、そんなこんなですっかり冷え切る。寒い寒い。エアコンに電気行火を点けて布団を被っても凍えるね。狸も辛いが、吾人も辛い。其れに警戒警備に当たると言っても腰の悪いばあさんひとりではね。書生でも置きたいところである。夜も三十七度台。朝は餅、昼はリンゴ、夜はアスターの残りに小ライス。本日無酒。

 

1/2・木

 未明に熱は下がった感じだが、時折乾いた咳が残る。今季三回目、本当によく風邪を引く。朝は極小量飲酒。色色と買って置いてよかった。以後安静にする。三十七度程度の微熱が続く。案外酷い。沢山寝ても寝足りない。どうしてだろう。

少し治りが遅いので、休日診療している近所の医院を探して参る。すると劇的な混雑な上に、列はなかなか進まず。一時間半近く待った診察結果はインフルエンザのA型(但し反応はかなり弱い)。アジャパー。明後日明明後日の授業、どうしよう。医薬合わせて3500円。帰宅後、軽い夕飯。直ちに「タミフル」投与。夜は三十八度近く出た。A型の診断が出たのは数年ぶりだな。免疫はかすれて仕舞ったよう。つくづく残念である。うーん、一昨日の記述が我ながら恨めしい。此の時期は、トモローネバーノウズ、本当に予測不能である。

 

1/1・水

 明け方は少し曇っていたが、照って来ると直ぐに晴れた。朝から日本酒を少少。二年続けての二人だけの正月である。するとまさかとは思ったが小咳が。午後から寒む気。直ちに緊急就寝。三時間ほど横になると軽い発熱。三十七度五分を記録。やはり風邪を引いた。渋谷で移されたか。いや数日前から体が少し強張った感じがしていたこともあるなぁ。昨日のオードブルを軽く食べて軽く飲んで御仕舞。

 元会長は楽器に隠れて関所を突破したという。プロの犯行だね。何かの故事にあったかな。まあね、日本の司法が酷いことは確かなんだけどね。

2019年12月

12/31・火

 さてさて大晦日。晴れ。渋谷に徒歩連絡。途中ラーメン休憩。例によって地下食品街は大混雑。這う這うの体で、去年と同じものを購入(ザギンアスターローゼンハイムのオードブル)。でも少し足りなかったよね。ベトナムの春巻きを追加購入した。全部で七千円。昨日の和食類と合わせれば二日まで食いつなげるだろう。ところで渋谷は宴の後のように隅の隅までゴミだらけ。此れ誰が片づけるの。コンビニの女の子がしょぼい箒で掃いていたけどあれでは蟷螂の斧だよな。大型の熊手と箕とおじさんが一個小隊必要だと思った。

復路は電車利用。土日回数券、やっぱり使い切れないな。というか今月公共交通機関を使うのは此れが初めて。どうりで風邪を引かない訳である(大半の風邪は電車とバスと医療機関で移されると思う)。他は盆栽状態だった椿と蔓の植え替え。大きく育つ筈。夜から大風。まあまあ冷える。五時半から飲み始めると十時に就寝。今年はもう少し起きている積りだった。

 元会長は勝手にレバノンに出国。年末のドサクサだね。ところで旅券はIC化されていなかったっけ。簡単に出国審査が通るのだから駅の自動改札機より遅れていると思った。なお保釈金十五億は国庫に入る模様。まあ此れで裁判は永遠の中断だね。そもそも刑事で扱うような案件ではない。其れ以外に大きな事件事故災害は無し。静かな年の瀬である。一方北の国では食べる物も燃やす物も無いらしい。穀物だけでも送ってやるべきだと思う。こうして2019年が終了する。

 

12/30・月

 朝から曇る。朝からМで牛めし。昼前に小雨。以後少し晴れた。さてさて今日からお休みである。まず近所のスーパーへ。蒲鉾、黒豆、田作り、なます、栗きんとん、数の子松前漬け、御供えの和菓子等等の極小サイズを一斉購入。凡そ三千円。午後は何かしようと思ったが結局漫然とす。夜は鶏の水炊き。

世相を振り返るには重要な時期なのだろうが、こういう仕事をしている以上、年末年始は繁忙期になる。余り詳しく見られないのが残念である。

 

12/29・日

 朝から須見伯母が持って来た植木を植える。何しろ植えるスペースは沢山出来た。殊に道路から拙宅西側は結構丸見えである。どんどん植えなくてはならない。今日も御昼に出社。金参万円受け取る。すると大家の奥さんが飛び込んで来て、旦那さんの呼吸がつい今しがた停止したという。秋からずっと危篤状態であった。少し長かったな。享年九十ぐらい。幾つになってもお別れというものは辛いものである。合掌。

続いて中三理科、以後片づけ等等。大して捗らず。大体此の仕事は年度末でないと片付けられない。夕方になると無言の御帰宅。自宅に引き取ったのだね。改めて合掌。さてさて六時過ぎに退社。静岡から回航して来た月波君と古い天麩羅屋へ。続いて立ち中華、本店、新店と大量飲酒して帰る。十一時頃。此れで年内の勤務は御仕舞。結構草臥れた。ところで片付けようとしていた古「日本教育新聞」を少し読み直すと、あの石巻の小学校の避難が遅れた件には様様な見解があるそう。職員室内の人間関係も一因であったらしい。成程ね。こういうものは専門紙の記事が有り難いと思った。

 

12/28・土

 終日晴れ。三人家族さんも入居。早速子ども用自転車が玄関を飾っていた。古家も生まれ変わったぞ雛の家。家人の煮麺を食べてまたまた御昼に出社。其れでも何だか宿酔気味。頭がくらくらする。引き続き、中三社会、一般小学生、中二数学の順。いや併し、何だか草臥れたね。もう一週間もずっと働いているような気がする。退社後はBの本店。珍しく彩さんもいた。目当ての女店員も。二日続けてコンビニの御菓子を差し入れた。気分良くIを覗くと壊れたテープレコーダーさんがいるだけ。緊急スルーして帰る。無駄に御金と肝臓容量を使用しては往けない。

 ところで何も喋らない子は全日制高校への進学を検討している。面接試験で何も発言しなくても大丈夫との了解を得たそう。でもリスクが高いな。そういう一般的な高校でまた沈黙した三年間。彼はどう思うのだろう。もう少しいい学校ないのかね。

 

12/27・金

 未明は小雨。朝から良く晴れた。家人のおにぎりを三個食べて今日も御昼に出社。中三理科と一般小学生。少し早目に退社しておじさんたちと焼肉「安安」で忘年会。毎日忘年会みたいなものだけどね。Bの本店で締めた。帰宅は十一時過ぎ。シャワー入浴。直ちに就寝。ところでY君はアルバイトを辞めなかったそう。空いた時間に見に行った。まだまだ手つきが頼りないが少しは役に立っているよう。結構けっこう。少しずつでも成長して欲しい。

 

12/26・木

 まあまあの曇り。御昼前に出社。今日から冬の講習である。中三社会、中三数学、中二数学の順。八時過ぎまでたっぷり勤務。実に当たり前の話しだが夏期講習より冬期講習の方が忙しい。各学年とも学習内容が詰まって来ている上に、何しろ受験生がいるからね(今年は特に一般入試が多い)。其れでも余り予習はしないな。大体同じ学年の同じ授業と言っても、生徒の人数と能力、気質は年によってそれぞれ違うからね。状況に応じて自在に組み立て直すのである(要は行き当たりばったり)。さてさて退社後はBの新店。少し早目に帰った。二日酔いだけは避けなくてはならない。

 留守中、外構屋さんが来て植栽の植え付け。一応最後の最後の工事の筈だが、立ち会えなくて残念である。なお家人によるとまた疥癬狸が出たそう。逃げ出して来たのかな。

 

12/25・水

 朝から火災警報機が鳴っている。例によって電池切れのサイン。例によって押しても回しても電池交換が極めて困難なタイプ。結局叩き壊すしか手がなかった。此れで形式消滅。独居老人ならばどうするのだろう。早速予備のと交換。新型の電池は十年持つという。またまた曇る。南東面を確認すると累積発電量は55キロ。二週間でたった此れだけ。南西面と合わせて推定すると120キロぐらいかな。季節も天気も悪いからね。四月五月七月八月は四倍発電して欲しい。なお此方も間もなく入居。するとモニター出来なくなる。後は振り込み記録だけが頼りということに。

カジノ業者から賂を貰ったとかで代議士が逮捕。本当にどう仕様もない。辺野古の工事費は最低でも三倍の一兆円近く、工期は十年以上になると政府も認めた。ちなみに県はもっと掛かると試算している。どうするの。異様に寒い。寒いけど晴れない。天候不順である。昼過ぎは少し晴れた。午後出社。授業はないが講習準備など。夕方から無責任社長と一献。続いて晴雷亭とBの新店で二三杯。十時頃帰宅する。

 

12/24・火

 朝から快晴。続いて井戸の修復工事。専門のおじさんが二人で現れる。早速内部をスマホで撮影。枠も綺麗でまあまあの状態だと。水位を考えると二トンは貯まっているらしい。手押しポンプと土台とストロー状の鉄管を交換。呼び水を注いで漕ぐ。するとまあまあの水が出るようになった。なおポンプのピストンはプラスチックで出来ているので乾燥に強いそう。見た目は昔のままの「ガチャポン」(先代と同じ東邦製)だが、ここら辺は改善されているね(使わない井戸は大抵革製のピストンがカラカラになって駄目になるの)。概ね一時間半で終了。龍神様の絵が描かれたトラックで次の現場に走って行った。ベテランさんの作業には無駄と迷いがない。大体此れで二十万円。まあね二トンの貯水だとすると、日産最大数百リットルかな。新棟と旧棟に近所の人、三十人分くらいのあれを下水本管まで流すことができるだろう。此れは一種の地震保険である。くれぐれも使うようなことがないといいけど。なお廃材の処理には二万も掛かるというので、結局庭に置いておくことに。早速雑物が溜まり始めた。

 さてさて家人はザギンの何とか兵衛で鮨会食。吾人はイオン系の食堂でラーメンセット(605円)。午後は漫然とす。夜はスーパーの惣菜で適当飲酒。何も無いけど酒さえ飲めれば・・・。

 

12/23・月

 結局朝まで沢山降った。今年から平日に戻った日。年末の休みは貴重だったのだけど、二重権威になるとかで元に戻したのだと。何だか勿体ない。昼前にはまあまあ晴れる。年賀状も出す。精精十数通。去年は出してないから一枚くらいはあて先不明で戻ってくるかもしれない。また不動産書類、持参と郵送で一通ずつ。

午後はスーパーに。年寄りだらけの店内にクリスマスソングが延延と鳴り響く。総菜コーナーには鶏を焼いたか揚げたものばかり。段段腹が立ってくる。流通業界はこういう肝心な所が分かっていない。いいですか、此の国にはもう中高年しかいないのですよ。而もかなり孤独で貧困な。晩はハムとチーズと千切りキャベツで大量飲酒。其のスーパーのピザを添えて。

 

12/22・日

 土管新新幹線の着工から五年。工事は大して進まず。一方工事費は鰻上りであろう。此のままでは東海は超有名重電会社の二の舞に成りかねない。一世代前の夢の技術に固執して大半を潰した会社ね。其処で『テヘランからきた男』を読み返した。相変わらず目も眩むような迷走ぶり。ところで葛西の評伝は誰が書くのだろう。異常な人格が明らかになる筈なのだが。でもね出る頃には遅いですよ。取り返しが付かない。途中まで中途半端に作り終えたトンネルも壊した自然も。

 朝から職場に回送運転。復路は廃棄予定のテキストを満載。今日も曇って寒い。続いて不動産屋に書類を搬送。此の業界も書面に判子の世界だからね。未だに紙紙紙である。昼は中華食堂の油淋鶏定食。以後何度も買い物と落ち葉掃き。午後から大雨。此れでは電気が作れない。夜は家人のミートソースパスタ他。

 

12/21・土

 総務次官は情報漏洩で更迭。郵政の先輩に監査の内容を話したのだと。併し日本郵政という会社も頭は官のままで、身体は(ブラック)民間企業という不思議な組織になっている。なお職場に来る配達員さんによると年賀状売れ売れノルマは無くなったそう。葉書の値上げが奏功したのだろう。何事にも適正価格と言うものがある。それにそもそも、年賀状など・・・。また来年度の予算は102兆円だとさ。幾ら反緊縮が世界の潮流だと言っても使い過ぎだな。払った消費税を返して欲しいと思った。

 曇って異様に寒い。家人は朝から鎌倉へ。吾人は家でスーパーのかつ丼。外構工事の完了前だが、本日から新婚さんが入居。元元竣工は来年の予定。年内の十日分の賃料はどう申告しようか。晩は崎陽軒。先月の投資信託は少し戻した。其れでも含み損は富士そば八十杯分。丁度一年食べられた。

 

12/20・金

 よく晴れた。午後出社。通常授業は手抜きにして引き続き講習準備と片づけ。特に後者は此処数年サボっていたから大量の不要テキスト類が堆積している。新品同様の見本と旧版の余りが数十冊。また図書館に持って行くか。退社後はB巡り。目当ての女店員に電話番号を書いた紙片を渡すも低反応。やや落ち込んだ状態でIで少しだけ。吾人の結婚、人類が火星に行くより難しい。まだマーキュリー計画にも達していない状況である。

 

12/19・木

 権兵衛街道は仮の橋を架けて仮復旧。でももう寒くて伊那には行けないな(今年は二回しか行かなかった)。日本郵政は簡易保険の売り方が出鱈目であったと平謝り。過激な目標を達成するには不正な手段に手を染めるしかない。此れが郵政民営化の結末である。大体郵便局というものはまあまあのところに立っているのだから不動産賃貸業に注力すればまあまあの収益が見込めるであろう(JRほどではないけど)。恒産あればノルマ無し。併しね、恫喝していたような上司は元元は公務員だった筈。何処でそんなに間違えてそんな狂暴者になって仕舞ったのだろう。

 朝から小雨模様。午後からケーブルテレビの接続工事。入った序でに確かめると累積発電量は南西面が38キロワット、南東面が34キロワット。大体一週間でこんな物らしい。何しろ半分は曇っていたからね。ちなみに此の直交コンバーターは旧三洋電機が作っている。太陽光はサンヨーという時代があったね。尚肝心の工事は宅内作業に結構掛かった。何でも戸建て住宅が二つある状態なのだそう。御苦労様です。

暗くなった頃に出社。小腹がすいたので新しいうどん店に入る。小どんぶりの煮麺に茹で豚のようなものが乗っていて何と800円。不味くはないが正しくそんな馬鹿なという価格設定である(此処だけ消費税が80パーセントぐらいになっているの)。先月の備忘録の一つ程度にも該当しない。長くないな(半年持たない)。いや併しね、どうしてこういう頓珍漢な飲食店が出来るのだろう。開く前に吾人に一言でも相談して欲しいと思った。さてさて本務校の業務だが今年は一般受験が多そう。直前対策用の教材を追加発注せねばならない。退社後はBの新店。皆さん勢揃い。勢揃い過ぎて話しが拡散し過ぎた。何事も適正規模と言うものがあるね。

 

12/18・水

 朝から絨毯の解体。誰が出したのかは分からないが此れは粗大ゴミなんだよね。重ねて丸めて特殊な鋸で三分割。此れで玄関マット三枚になった。まあまあ晴れた。日本で数十番目に有名なお医者さんがパワハラ疑惑で週刊誌を飾る。温厚な人柄で知られていた。全てがペルソナ、詰まり擬装だったのだな。併しこういう人をそういうキャラでテレビに出すからテレビの信頼度が益益低くなる。まさか、多重人格?

 午後出社。年賀状の作成など。するとどういう訳だかくしゃみ止まらず。鼻水を止めようと抗ヒスタミンを呑むと今度は頭が動かず。丁度中三は三平方の定理。二乗足す二乗とか二乗引く二乗とか割と簡単な計算が多いが、脳回路は非常停止。コンピューターが必要だと思った。退社後は新店へ。アルコールを入れて暫らくすると覚醒復旧す。矢張りマイナス×マイナスはプラスである。まあまあ早目に帰った。大量入浴とカップ麺。

 

12/17・火

 何にも知らなかったけど近所の保育施設が先月末で経営破綻。転園先を見つける為に此の二週間は自主営業だったとのこと。保育状況も良くなかったと残った保育士さんらが会見していた。給料も未払いらしい。酷い業者も多いからな。此れが民間活力の実態である。そもそも医療、介護、教育、育児などは純民間サービスには任せられない。

 未明から小雨。早速見に行くと、0.1キロワットという残念な状況。日が当たらないと本当に駄目なのね。また旧棟のインターネットの点検に来ると言われたので朝から待っていたけど全然来ない。問い合わせると別の建物に行って仕舞ったよう。同姓同名の物件は結構沢山ある。かといって超個性的な名前を付けるのもね。新物件もやや無難な名称にした。第一無難な建物だしね。

 最後に残った宇高航路も廃止される。船から橋へ。でも少しは残しておくべきである。公共という点でも災害対策という点でも。旅の資源という点でも。午後は止んだので漫然と買い物と散歩等。夜になった頃、植木屋さんが請求書を持って来る。77000円。松の木一本で二人工=六万円プラス処理費である。併し前回の剪定は何時なのだろう。自分で自分の日記を検索するも見つからず。何年償却になるのだ? 詰まり松一本で年間幾ら掛かるのだろう? 木はというものは兎に角切らなくてはならないが、切れば切る程また生えて来る。此れがほんとのマッツポンプ。

 

12/16・月

 今日も晴天。早速出たり入ったりしながら太陽光発電の観察。寄棟の南東面は九時までに七割に達する。南西はやや遅れて矢張り七割。御苦労さん、どんどん発電して欲しい。何しろ太陽だけは只だもの。一方、昼の「やすらぎの刻・道編」では炭鉱の閉山を嘆いていた。此ればかりは仕様がない。イノベーション云云以前に炭鉱はそもそも危ない。皆さん、素早く転業、転職して欲しい(まだ景気がいい時分でしょう)。特に札幌ラーメン屋さんとかに。仮に生き残ったとしても三十年後の世界では石炭自体が袋叩きである。

 水道局から電話があったり、銘板や車止めを取り付けたり、ゴミ置き場を決めたり、不動産屋さんが来たりして結局忙しない。合間合間に電子申請。買い取りは明日からの十年間とのことらしい。極め付きは再びの疥癬狸。何時の間にかまた来ている。必死に猫餌を啄んでいたが棒で突いても動かない。素直に食って逃げてくれればね。木箱に収容し先日の役所に連絡す。野生動物に無闇なことは出来ないが、回復の見込みがない場合は・・・とのこと。二時間ほど待つと委託業者が取りに来る。無抵抗のままワゴン車に。狸よすまぬ。最後は腹いっぱい食べたか。

 

12/15・日

 さてさて大安、晴天。引き渡しの日である。朝から掃き掃除をしようと思ったら一番近くの四つ角で衝突事故。其の物は目撃しなかったが、一時不停止の自転車が乗用車の脇腹に突っ込んだ。女子大生のようだがイヤホン付きは危ない。偶偶来ていた外構屋さんの奥さんが介抱す。幸い軽傷のよう。直ちに救急搬送。

 午後から引き渡し式。赤絨毯にテープまで用意される。何だか恥ずかしいけど家人とカット。続いて膨大な書類に只管サインと捺印。鍵と共に施工模様を記録した思い出のアルバムなどと言うのも受け取った。一時間ほどで終了。まだ工事は残っているけど取り敢えずはゴールである。地元の回転寿司チェーンで遅い一人昼餐。何だか混んでいてあんまり出て来ない。ぼんやりするには丁度いいが、続いて「せい家」の味噌ラーメン。

 

12/14・土

 朝から植木屋さん。ぼうぼうになった松の剪定他。序でに外灯をLEDに代えて貰う。なおもう一人職人さんを連れて来たので吾人は自宅待機中心。引き続き雑工事。ちょっと中に入らせて貰った。昨日くらいから太陽光も発電している。モニターを見たところ両方で2.6キロワット発電中だって。大体六割の出力である。冬至間近な時期としては上上だろう。此れでグレタさんに怒られずに済みそうである。夜になって太陽光買い取り制度からメールが三通も来る。電子申請しなくてはならないらしい。例によって訳が分からず。

 米中貿易戦争は一旦休憩の模様。あんまり本気になって殴り合っても困る。ジャブの応酬の積りが本当の大戦争とかに発展したら世界が滅ぶ。まあまあ何とか少しずつでもいい方向に行って欲しい物ですよ。人権も経済も。

 

12/13・金

 総選挙では保守党が労働党に勝利。何でそんなことが起こるのかと言うと、保守党は労働党に抱き付く戦術を採っているとのこと。詰まり反緊縮という点で両者に大した違いが無くなっているらしい。昨日の新聞でブレイディさんが解説してくれた。成程なるほど。財政再建を優先すると社会の底が抜けたようになるから、緊縮政策は最近評判が悪い。何事もバランスである。此の国の財務官僚さんも日夜懸命に算盤を弾いて(青ざめて)いるのだろうが、其れだけでは政策と言うものは定まらない。正しく政治判断が必要なのである。

 さてさて眼鏡が出来上がったので受け取りに行く。度は少しだけ強くした。レンズの状態も新品だからよく見える。スーパービューと言うよりワイドビューぐらいだな(あまり見え過ぎないようにするのが眼鏡選びのコツである)。それにしてもこういうレンズ越しでしか物事を認識することが出来ない。目が悪いとつくづく損である。続いて不動産屋へ入居者さんの情報を聞きに行く。一方は新婚さん、もう一方は三人家族。詳しいことは書けないが、若いのに結構な収入がある(大貧学院とは偉い違いである)。いい人だといいな。曇り勝ちで大変寒い。午後出社。やる気のない中二男子とはアニメの話題で盛り上がる。続いて須々木さんらとBを巡る。久久にお目当ての女店員がいた。上機嫌でIでもう一杯。

 

12/12・木

 愈愈最後の土間混凝土打ち。八時からミキサー車。計三台来た。以後仕上げの左官作業。晴れて暖かいからよく乾くだろう。一方狸が心配な家人は役所に連絡す。すると昼に出る狸は既に相当弱っている。助けたところで(多分)どうにも仕様がない。ちなみに此方が掴まえてくれれば引き取りに行くとのこと。ダンボールの箱を上から被せるのが有効だとも。結局民間人に丸投げである。狸よすまぬ。

午後出社。講習の教材を発注す。余ってはいけない。足りないともっといけない(年末年始は追加発注が困難)。実に気を使う。票読みに似ているね。退社後はBの新店に。珍しく女占い師さんがいた。久久だけどまあまあ元気そう。幸い今晩はそんなに酔っていない感じだった。でも少し話すと可笑しな点が次次と。大体此の人は陰謀論者なんだよね。詰まり物事には表には出ていない超極秘インサイダー事項がある(私だけが知っている)。大抵それらは宗教か、秘密結社か、特殊な性愛か・・・。以後云云かんぬん。悉く付いて行けない。其のまま立ち中華に回航。常識人である天屋先生に託して帰った。夜から冷える。十二時頃帰着。直ちにパトロールと入浴。高級家具販売店は事実上倒産。お父さんを追い出して僅か数年。無借金の優良企業を二代目が見事にぶっ潰した。お父さんは会社の経営には成功したが子育てという人生最大の博打に負けたのであろう。

 

12/11・水

 何とかステーキは、行き成りピンチに陥ったそう。兎に角矢鱈と店を出し過ぎて自社競合に陥ったのだという。そりゃまあそりゃそうだ。弁当や蕎麦と違って週に何度も食べられるものでもないからね(毎日でも食べたいと言っていた大臣がいたけど)。それにしても外食産業ってどうしてこんなに馬鹿なのだろう。同様の例は多多ある。期待しているのですよ、こういう客商売は国からの補助金が出る訳ではないし、純民間企業で、平和産業なのですから。だからもっとちゃんとした経営をして貰いたいのです。何時の日か経団連の会長を出せるくらい。直接民の口を潤しているのだから民の事がよく分かる筈。

 昼頃再び野良狸。こういう時はミーちゃんが怒って威嚇している。肝心の長男は小屋で就寝中。所謂狸寝入りだな。午後出社。講習の予定を詰める。結構忙しそう。退社後はBの新店で御仕舞。夜も狸。

 

12/10・火

 色色考えたのだが、世代交代が遅すぎるのであろう。家にしても企業にしても。若い人にもっと早く相続、継承させるべきである。詰まり平均寿命が長すぎるのかな。引き続き、手摺りの設置と室外機の取り付け。

 さてさてまあまあの曇り。結構暖かい。再び疥癬の狸を追い払う。併しもの欲しそうにしてあんまり逃げない。ちなみに猫と狸では科が違うので移りづらいそうだけど、安心はできない。其の後ケーブルテレビの契約。最低プランは月500円の地デジのみだが、流石にBSとまあまあ速いインターネットもプラスしておいた。となると1500円。此れは家主の負担。午後は漫然とするも電話連絡多し。両物件とも入居日も決まったそう。どちらも年内である。朝は鍋の残り。昼はコンビニのおにぎり。夜も鍋の残り他。うんざり鍋。当分鍋物はいらないな。調子に乗って何でも投げ込むと結局余る。

 

12/9・月

 朝から銀行に参り、最後の振り込み。例によって眼鏡がへなへなで焦点が合わず。今まで以上に現実感がなかった。解体と合わせて丁度富士そば十万杯分。払い込み終了である。本日の外構工事はないみたい。以後散髪す。少しずつ周りを片付ける。蔦や草を抜いたり、落ち葉を掃いたり。曇り勝ちで寒い一日。シロは小屋で久久に寝ている。相次ぐ工事で一番消耗していたのは此の長男だな(案外気が小さい)。あと少しで静かになるよ。晩はまた鍋物

 此のところ米朝交渉はずっと滞っている。北は愈愈しびれを切らしてきた感じ。実験場でエンジンを燃やしたそう。正直アメリカは、大統領の弾劾と米中貿易戦争で頭が一杯で対応不能。別に黙殺している訳ではないのだと思う。それにしても大国の脳味噌が此の程度ではねえ。時時月波君から貰った『平成時代』(岩波新書)。よく纏まっているとは思うが、内容は悉く絶望的。私たちは一体何処で間違えたのでしょう。

 愈愈「ヤヌスの鏡」最終話。おばあさまはショックが元で心筋梗塞を引き起こす。年寄り(と言っても五十代)は早く引退した方がいい。一方悩んだ主人公はビルから飛び降りる。死と再生を果たしたのち人格的統合は図れたのかな。此処で物語は御仕舞。併し昭和版はどんな終わり方だったっけ。遠い目をしても思い出せず。何はともあれ、ひと月半は楽しめました。虐待とか多重人格とか、みんな此処から学んだものです。なお地上波版は結構カットされていた模様(ただでさえ短いのに)。完全版もやって欲しい。夜は雨。

 

12/8・日

 朝から晴れた。昨日直したフレームは一晩でへなへなに。もう駄目だね。日曜だがタイル屋さんも来ている。午前中から豪徳寺で紅葉見物。朝の新幹線で京都に来たと思うことにする。さてさて近くの「丸長」で炒飯セット。茶色い小瓶付き。餅のような炒飯には驚いたが自家製麵のラーメンはまあまあの味。午後は漫然とす。夕方月波君が来る。まず人気もつ焼き店へ。混んで来たのでパスタチェーン店に移動。大量飲酒して帰る。八時前。

 

12/7・土

 寝ている内に眼鏡を踏んづけたらしく朝から何だか焦点が合わず。此の眼鏡も六年目。レンズは既に傷だらけ。そろそろ交換時期なのだが。冷たい雨。其れでも外構工事。車庫の型枠作りとタイル張り。さてさて中が出来上がりましたというので確認する。入るのは二度目だね。天井も高い。当初は少し狭いと思ったけど、キッチンも風呂も(賃貸としては)十分だね。年内には入居する見込み。そして最後の請求書を受け取る。富士そば三万杯分。ちなみに外構工事はかなり下がった。火災保険とケーブルテレビにも入る。午後は止んで来たので眼鏡屋へ。結局新造発注。例によって薄いレンズにするとフレームと合計で七万円も掛かった。目が悪いと損だな。ちなみにクレカ利用で5%引き。天下の愚策だが結構活用している。晩は鍋料理。

 ロマンスカーに男性が飛び込みホームにいた女子中学生が巻き込まれて軽い怪我。精神的にも大きな衝撃だろうな。おっさんでもトラウマになる。いや併し、小田急のホームドア設置の遅れは際立っている。早く何とかすべきである。取り敢えずは電鉄本体採用の正規駅務員を立たせて警戒警固に当たらせるべきだが、どうしても人件費が足りないというのならばシルバー人材を活用したらいい。目利きのじいさんか、世話好きばあさんを多数配置すれば色色なことが防げる。それに高齢者がべちゃべちゃしゃべっている駅で飛び込む輩はいないだろう。

 

12/6・金

 曇天。従って寒い。続いて土間混凝土打ち。午前中から始まったから陽のある内に乾くだろう。まあね猫の足形が付いてもいいんだけどね。記念になるし。昼は家人が買いに行ったアスター弁当。864円だがやっぱり旨い。ちなみに渋谷のお歳暮売り場は大混雑であったと言う。万事年寄りが(現金払いと手書きの伝票で)のろのろとやっているのだろう。

午後出社。小学校の頃から見ている息吹さんは公立大学に合格。リケジョの中でもドボジョに成りたいというから大学では伸びる方だな。早速都内周辺の古い建築物を見に行くようにと忠言す。上位校のAO入試と言うものは意欲のある学生が入って来る。一方下位校は・・・。退社後は新店と本店。二週続けて目当ての女店員はおらず(あの子は金曜しか来ない)。例によって何時もの須々木さんと祐子さんと別れた後に、バーIを覗くも臨時休業中。並びのワインバーに寄ってみる。すると元生徒のP君が来て金五千円失う。出来れば美女に奢りたい。帰宅は一時頃。

それにしても実父が起きられなくなったのが去年の六月。以後医療と介護。実父が亡父になると相続。並行して解体と建設。実に一年半も掛かったが、愈愈あと僅かでゴールである。

 

12/5・木

 大体晴れ。外構工事続く。サイクルポートに屋根が付く(少し小さいな)。午後出社。サンタさんは何処から来るのかと執拗に小学生から質問される。随分前にトナカイはトラック輸送に転換されたこと、特に最近はセキュリティーが強化されたので勝手に民家に入れなくなったこと、おまけに核家族化して非常に不在が多い。従って靴下の代わりに宅配ボックスを置いておくようにと指導しておいた。正しくサンタ苦労す。夕方富士そば

退社後はBの新店で御仕舞。1160円。ちなみにお隣には焼き鳥店が戻って来たのだが客の入りは今一つ。完全排煙脱臭装置が付いていて臭いがしないから誘われないのだと思う。

 

12/4・水

 今日も快晴。地震多し。室内はクリーニング。引き続き外構工事。細かい所はみな手作業。一家総出で作業されている。午後出社。ぼんやりと再開発ビルを歩くと、何だかいい招き猫が売っていた。1600円プラス税。何でこんなに安いのかと思ったら、着物屋さんの客寄せ商品なのね。買った序でに色色と勧誘された。でも男は紋付き袴とか着ないよな。何時の間にかもう師走。そろそろ講習の準備をしなくてはならない。以後思い出したように非常に忙しかった。さてさて退社後はBを回遊。日本で最も有名なお医者さんがアフガニスタンで遭難す。本当に見境がない。

 

12/3・火

 腰痛が治らない家人は、今度はロングブレス体操と言うものをやり始める。何でも呼吸次第で120歳まで生きられるのだと。そんなに長生きされたら吾人の方が先に行くな(序に社会保障制度も崩壊する)。健康法に、健康本に、健康食品は限りなく。

 朝から快晴。外構工事も再開。ぼんやりしていると建設会社の営業員が二人もやって来る。今漸くこうして建て終わるというのに、また何か建てませんかと(出来れば全部壊して巨大な一棟ものを)。ふざけた飛び込み営業であると思った。大体そういうものを建てたくないから、こうした物を建てているのです。

さてさて夕方前にミキサー車が来る。外階段にセメントを打った。外構屋さんが帰った直後に早速触ってみる。滅茶苦茶柔らかい。此れは危険である。十五分後に見回るともう足あとが。ミケだな(此の猫は臆病な割に矢鱈と歩き回る)。解析すると、入ってみて此れは拙いと直ぐに引き返した感じ。まあね上にタイルを張るから実害はない。ばしゃんと転んで猫拓にならないといいが。他は時時『全体主義の起原』の読み直し。晩食は家人に買いに行かせた。

今週の公共放送はずっと地震特集(らしい)。被害想定のドラマでは放送局の人たちが色色と悩んでいた。大丈夫、停電すればテレビもネットも電話も繋がらない。悩むまでもない。ラジオと壁新聞の世界である。大体吾人の予測だと、一番大変なのは1000万人の屎尿処理だな。食ってなくても出るものは・・・。断水すれば何も流せない。少し滞っただけで大変な損害が発生することは吾人の家作経験で分かっている。だから井戸を残した。

 

12/2・月

 朝から大雨。富士そばからカップ麺が発売されたというので、富士そば嫌いの成光君に送ってやった。ずっと昔にお店で何か嫌なことがあったらしいが、此れを食べて心を改めて欲しい。午後には止む。薄着で出たり入ったり書き物をしたりしていたら身体がすっかり冷え切る。晩は豚のしゃぶしゃぶ。夏に貰った松竹梅上撰と茹でうどんを添えて。

 夜更けに「ヤヌスの鏡」第七話。邪魔者はすっかり整理されて、愈愈おばあさまと対峙することに。そもそも娘のゆきこを死に追いやり、孫であるひろみさんの可能性を潰し、ユミという極端な人格を作り出したのも、全て此の人の過剰な折檻と干渉(今風に言えば教育虐待若しくは毒親ぶり)に原因がある。次回最終回。おばあさんを倒して、ひろみとユミは弁証法的統合を果たして欲しい。アクティブ清楚なナイスガールになる筈。

 

12/1・日

 まあまあ晴れる。朝から牛丼Y。此のチェーンなど増税の結果、一円単位での会計となっている。電子マネーで支払ったが、こういう所を何とかして欲しいものである。さてさて昨日の煮え切らない思いを払拭したい。月波君を呼び出すも、静岡に帰省中。つくづく役に立たない官房長官である。結局地元の回転寿司で昼酒二合(2620円)。更にてんやの天丼。 

夜の公共放送はもしも東京直下で大地震が起きたらという特集。最近は難燃化が進んでいるから、あんな大火事は起きないと信じたいな。大体電気やガスは瞬間的に止まるし、今どき家で天麩羅やとんかつを揚げている人も少ないだろう。通電火災は一気には起きないしね。そうなると炭火の焼肉屋が一番危ない。七輪の隣にバケツを待機させるべきであると思った。ただ将棋倒しみたいなことは十分起こりそう。人の多さが既に一種の災害のようなもの。だからあんなに建て増ししてはいけないのです。八戸線が復旧。

2019年11月

11/30・土

 バスを二本乗り継いで伯父さんの一周忌へ参る。乗り換えした渋谷には見慣れない電車が通る。成程相鉄の車両ね。長年の宿願が今日から叶った筈なのだが、都民から見ると丸で何の関係も無い。磯の相模の片思いであると思った(スイマセン)。

さてさて法要の後はフレンチレストランへ。従妹のところの若い人と同席となる。二十代である。あんまり御酒も飲まないから話も盛り上がらず。色色面白いことを言おうとするも悉く空回り。結局吾人だけが飲み過ぎる。親戚付き合いと言うのもつくづく難しい。よろよろの家人を連れて目黒からバスで帰る。寝て起きたら九時であった。以後胃痛。

今月の備忘録

一、元生徒のK子さんが亡くなったと聞いたけど確認は取れず。三十代半ばの筈。ガセネタであると信じたいけどな。流石に無責任社長も少し落ち込んでいた。二、ドラマはこけたけど、「アシンメトリー」はヒットしたみたい。詰まり歌そのものが良かった。此の人はもっと売れていい筈。早くアルバムが欲しい。三、何十年も続いたパン屋の後に出来たラーメン屋は凡そ一年で閉店。一度も入ることはなかった。こだわりのラーメンは一杯800円を越えていた。大体高いんだよな。パン屋を返して欲しい。そもそも新規開業などしないでパン屋の後継者になってくれれば、こうして元手を磨ることもなかった。亡父に言わせると、此の辺は家賃が高くて昔から元磨り横丁なのだと。客商売は、美味い、安い、サービスが良い、そもそもの固定費が低い、このうち最低二つをクリアーしないと続かない。

 

11/29・金

 漸く朝から晴れた。一週間ぶり。季節の変わり目を通り抜け冬型になった。引き続き外構工事。元大統領的総理大臣が死去。此の人の最大の「功績」は、ある巨大国有企業を清算したことだろう。殊に丸ごと別会社に異動して貰います。移れなかった方は御縁がありませんでしたという凄い手法を編み出した。以後何処の会社も真似をし始め、子会社、孫会社が量産され、其の都度賃金は下がることになる。まあ今日のデフレ経済の遠因だな。富社貧民。あの世で反省して欲しい。

午後出社。新店から本店に移動。併し目当ての女店員はおらず。再び野良狸の掠奪。ごっそり餌を食べられる。狸も烏も養えない。

 

11/28・木

 サクラを見る会にはヤクザ屋さんまで入場していたという疑念が。責められたガースーは、調べたいのは山山だが、名簿がないのだから調べられないのですと答えていた。そんな馬鹿な。一つ嘘をつくと更にもう一つつかなくてはならなくなり、其の内容もより酷いものとなる。香港の区議会選では民主派が圧勝。今度はウイグル族への弾圧が国際問題となる。労働改造所があるそう。北京幕府はもう手に負えない。

 今日も雨。外構屋さんは遅れて登場。車庫の型枠作り。物凄いおじいさんとおばあさんもいるけど、みんな家族なんだろう。結局仕事にならないので早目に引き上げた。以後どうにか傘出社。退社後はBの新店と旧店を巡回。十二時頃帰宅。猫も元気。家の中も何の変りもない。ただ襖を開けても誰もいない。実父だけが居なくなって仕舞った。

 

11/27・水

 今日も雨。非常に寒い。此の所ずっと雨。本日は電線張り。直ぐに終了。外構工事は無し。内装の仕上げは続く。組織的ドーピングが一向に改まらないので、ロシアは五輪に出られないとのこと。何度も言うけど、此の国の本質は何も変わっていない。八高線が復旧。残りは阿武隈急行八戸線三陸鉄道吾妻線水郡線上田電鉄、箱根登山電車だな。

 家に居ても何もすることがないので午後早目の出社。金参万円受け取る。出社しても大してすることがない予定だったが、丁度鰻犬氏が現れたので、ホームページを手直しす。直し始めると切りがない。やってもやっても終わらない。仕事と云うものは無限にあるものである。退社後は新店Bへ。みなさん勢揃い。1240円。

 

11/26・火

 十月の投資信託、なんとマイナス2.5万。ダメだこりゃ。一転して時雨る。外構工事に重ねて、ガス管接続工事。再び公道に穴を開けた。内装屋さんを合わせると十人以上が働いている。御苦労様です。建物は長く使わないとね。併し此の国だと立派なビルでも五十年で壊して仕舞う。そんな馬鹿な。大体建て替え錬金術が通用するのも今の内である。其の内に、住む人も入る店も会社もなくなる筈。家賃が下がれば建設費用が回収できなくなる。ガス工事は昼過ぎには終了。

晩は白菜豚小間鍋。時時『大審問官スターリン』。夏用の猫小屋を強制撤去。より重装備な冬小屋へ案内する。懐炉も入れる。此方は暖房完備。ローマ教皇が来日。色色と苦言を垂れて帰って行かれた。Aや天皇にも会ったようだが、ところで日本のキリスト教票は何処に行っているのだろう。あんまり聞いたことがない。そもそもが少ないのかな。

 

11/25・月

 朝方は濃霧。外構工事も再開。小型のユンボも来る。今日も大変暖かい。田園都市線の先の方にショッピング街が出来たというので行って見ることにした。鉄道会社が作ったものなので駅直結。ぐるっと回って駅に戻れるというのもいい造りだと思った。オープン直後と言うこともあってか、月曜だというのに大勢来ている。いや併し、例によってこういう所に来ても、買うべき物も入りたい店も無い。其れは他の人も同じのようで、ただただ歩いている人の方が多い感じ。歩き回れば腹が減る。すると何処の飲食店も行列中。困った困った。取り敢えずモールを脱出。246を上って歩く。残念ながら郊外型の店も出て来ない。こんな高速道路みたいな道ではねぇ。ずうっと行けば何時かは世田谷に着くけど、結局ひと駅ほど歩き、「朝日屋」という古い店でそば定食。

 改めて見回すと、此処はすずかけ台ね。初めて来たよ。駅前は閑静と言うより閑散。駅舎も開業当時そのまま(多分)。お隣りとは偉い違いである。近くに超難関国立理系大学のキャンパスがあるが、通って来る学生さんは僅か。そもそも国立大学は学生が少ない。中堅私立大学文系学部を誘致していたらもっと賑やかになっていただろう。大体居酒屋一つないなんてね。そんなこんなで直ぐに戻る。約一万歩。帰ったらまだ二時。駅から近いと家から近い。また機会があればね。でも相当人生が変わらなければ行くことはないなぁ。

午後は晴れて異様な暑さに。冷やした缶コーヒー等を出した。晩は厚揚げ麻婆。夜はまた小雨。さてさて「ヤヌスの鏡」第六話。お父さんは昭和版以上に悪い人だった模様。正当防衛とはいえ文字通りの父殺し。中中衝撃的な展開。益益目が離せない。静かに来週を待つ。ネットでは見ませんぞ。

 

11/24・日

 空気が変わり暖かくなったがまだ降っている。朝方に月波君が何か送ってくれたらしいが吾人も家人もまるで気が付かず。居ながらにして不在票を貰うことほど空しいものはない。漸く昼前には止んでくる。「おか本」でラーメン。此処は650円のまま。学生街だから努力していますな。引き続き近所の散策。通称川の公園の全ての構造物(スカイウェイ、立体迷路、砦)が撤去されていた。よく遊んだところなのだけど。もう古いものな。203入居。

以後暇に飽かせてゴルフ中継を見る(正確には多元再編成時差放送で中継ではない)。愛さんと日向子さんのデッドヒート。ゴルフはコンタクトスポーツではないが、同じ組で回っているから火花が散るような緊張感が伝わって来るね。途中突風が吹いてショットが乱れることも。屋外スポーツは大変だね。其れにシーズンも終盤。三十そこそこの選手がごっそり引退していた。晩は家人のお好み焼き。ぼんやりしていると庭に大きな猫がいる。よくよく見ると狸であった。半年前のと同じかな。脚を引き摺り逃げて行った。一応毛は生えていた。

一週間前大阪で行方不明になった女の子が栃木で保護される。交番に駆け込んだよう。其の交番が有人でよかった。無人だったらどうなったか分からない。何事も合理化し過ぎてはいけない。駅も交番もね。ちなみに容疑者宅には別の女の子も。SNSで家出志望者を言葉巧みに連れ出した模様。まあね、命を失わなくてよかったですよ。色んな意味でね。生きていれば大丈夫。やる気、元気、いわ・・・。

 

11/23・土

 昨日からずっと雨。東風なので大変寒い。みぞれになっても不思議ではないようなお天気。旗日だけど内装屋さんは来ていた。こんな日は仕事している方がいいかもしれない。ポットで湯煎した缶コーヒーを出した。ちなみに雨樋は付いたが排水管との接続がまだなので周囲は田んぼのようになっている。

御昼頃、西友に電気スタンドを買いに行く。序でにラーメンでも食べようと思ったが、目ぼしい店は既に一杯750円レベル。諸物価急騰中である。諦めて適当な弁当を買って帰る。二つで八百円強。一丁二席である。其れ以外は取り立てて無為。晩は鶏の水炊き。いや併し、香港のデモ隊に加勢するネトウヨとかは一人もいないよな。敵の敵は味方だろう。日本から来ましたと言えば取り合えずは歓迎される筈である。少し考えれば、同志とはなり得ないのだけど。

 

11/22・金

 朝から冷たい雨。外構工事は早速中断。午後は本降り。目黒経由でバス出社。途中祐天寺を通ったらBの支店が閉店していた。全然知らなかった。不採算店だったんだね。退社後はBの旧店で。11系統で帰る。此のバスも来月から一層減便されるとのこと。終バス繰り上げに加え、系統短縮で一時間おきになる時間帯もある。そんな馬鹿な。沿線人口が減っている訳でもないのに過疎バス化している。環七を走る貴重な路線なのにね。混んだ電車で遠回りするより便利なんだけど。なおジーソムニアでインソムニアの状態だったが、親会社から指令が入り、破棄は撤回。万事下らない。

 

11/21・木

 Aのサクラを見る会が益益炎上す。例によって国会で質問があった直後に参加者名簿は廃棄。前夜祭のホテルの領収書も出て来ない。こういうことをされるとより一層炎上す。愈愈Aも御仕舞。年内に辞任だな。次はガースーの選挙管理内閣でいいじゃない。また香港人権法案が上下両院で可決。序でに日本も何か行動を起こすべきである。当然北京幕府は激昂するだろう。貿易問題に発展し日本経済も少なからずのダメージを受けるに違いないが、損得を越えて大事なことがある(吾人も投資信託を棒に振る覚悟である)。古き隣人として言うべきことは言うべきである。「あんた、嘗ての日本のようになっていますよ」と。

 今日も晴天。外構工事が始まる。吾人もよろよろと梯子を上がって街灯を直す。虫の死骸が溜まって重くなったよう。僅か二メートル。足が竦むね。家人に根元を押さえさせる。物の役には立たないが矢張り安心感が違う。枯れ木も必要である。数分後無事地球に生還。続いて買い物は二便。外猫用の懐炉を大量購入。

 午後出社。取り立てるようなニュースはないが、Y君がアルバイトを辞めて仕舞うと聞いたのは残念だった。彼は小学校の頃から通っている。成績は底辺レベル。其の上、生活能力とかコミュニケーション能力なども決して高くない。こういう言い方が適切かどうかは分からないが、所謂スレスレの子、グレーゾーンである。一応工業高校に通ってはいるが、身になるようなことは多分ないだろう。だから学業より、職業、詰まりスーパーでの品出しの仕事に期待をしていた。仕事を通して学ぶことも多いからね。併し三ヶ月と持たなかったよう。週に二三の勤務だったからフルタイムに換算すれば十日程度だな。彼の卒業まであと一年。こういう子を十八で社会に出すのは無謀と言うものである。幸い親御さんは進学させることを考えているようだけど、一般的な大学や専門学校に上ったところでどれほどの成果が出るかは分からない。何か身に付くようなことを授けてくれる職業訓練校が欲しい(出来ればあと十年は学校に行かせるべきである)。退社後はBの旧店で二三杯(1180円)。一人なので早目の帰宅。

 

11/20・水

 再び冬型の晴れ。様様な物品の回収作業。周りを片したから、愈愈明日から外構工事である。午後出社。中学校の定期試験も終わる。余りに暇なのでパンフレットを手直しす。退社後はBの新店。段段周囲の店も入り始める。ちなみに此処は低層棟エリア。大体七八階の再開発である。此れぐらいがいいな。何も四十階も建てることはないのです。

 

11/19・火

香港のデモ隊も大学キャンパス内に押し込められる。此方も最終段階かな。いや併し、世界中が一部始終を目撃した。やっぱり北京幕府は怖ろしい。中国脅威論が収まる筈もないな。

ところで、「やすらぎの刻」の道パートは平成版へワープ。徴兵を拒否してサンカに入った鉄平兄さんが五十年振りに山から出て来る。そして公平の孫に山の知恵を授けるというアグレッシブな展開に(少し作りが「北の国から」っぽい)。体が悪そうだと思ったら、あっという間に御亡くなりになった。併し戸籍は復活させたのだろうか。あのままでは埋葬許可も出ないと思う。まあそういうツッコミは野暮と言うものだな。一種の寓話だもの。

 段段晴れて夏のよう。私設街灯のカバーが外れ掛けている。長梯子を架ければ何とか届くが高所作業は危険で苦手。どうしよう。家人は池袋の眼科に行く。居ない間に米映画「ドリーム」。コンピューターが「計算手」を指していた頃の物語。マーキュリー計画ね。様様な差別に打ち勝つ姿は頼もしいけど、やがて仕事はIBМに丸ごと奪われることに。幸い主人公たちは技術職になったり管理職になったりして失業の危機を乗り越える。いや併し、機械化によって仕事がなくなるのは今も昔も同じだよね(大抵一般職から)。吾人もプログラミングでも習うかな(多分無理)。尤も本題はあらゆる差別との闘い。映画としては大変良かった。是非地上波ゴールデンでやるべきである。ちなみに原題はヒドゥンフィギュアズ。邦題の「ドリーム」はないよなぁ。

昼は菓子パン。晩は二日続けてスーパー惣菜。但し昨日は信濃屋で今日は東急。外猫にもイナダの刺身をたっぷり食べさせる。夜から冷えた。

 

11/18・月

 大体快晴。大学入試は今も昔も英語、英語、英語である。外書講読に必要と言うこともあるが、語学はやったらやった分だけ点になるから受験生の勤勉度を測るには適切なのだろう。読み書きだけではなく聞く力も試そうと言うことになり、かの民間試験導入問題となった。此処まで英語に振り回されると、いっそ英語を外したらどうだろうかなどという暴論も聞こえて来る。何かに秀でた面白い学生が集まるかな。

 さてさて大工工事が終わった左側の部屋からクロス張りに移行。愈愈内装も最終段階。漸く手が届くようになった隣地の木を少し切った。午後は南風が吹き荒れる。大体今年の収入と支出も確定されそうなので早速計算を開始。一時間半ほどパソコンと電卓に全力運転。今からやると肝心な時には忘れて仕舞うかもしれないかも。夜はスーパーの惣菜類。序でに菓子パンを一個買う。大したものではないが食卓の隅に此れがあるのとないのではかなり違う。どんな時も直ぐに食べられるという安心感。所謂乾き物の菓子や煎餅とも違うちょっとした温かみ。菓子パン礼賛。夜は通り雨。

 

11/17・日

 薬物所持で有名女優さんが逮捕される。来年の大河ドラマ出演も決まっていたというからまた撮り直しに。此の人にはこういう噂が絶えなかった。正しくしっちゃかめっちゃか。社会部に頼んで身辺調査をしておくべきだった。まあね、芸能人や作家の類には破滅型や逃亡型の人格を持った人も多いのだろう。日常を踏み越えなくてはならない職業だからね。だからこそ百鬼園先生の真面目さが際立つ。くそ真面目で滅茶苦茶可笑しい。だから惹かれるのである。また来年の米軍駐留費は今年の四倍も出せと言われているそう。脅し取り予算である。

 大体未明には回復す。今回は悪寒と関節痛もあったから軽目のインフルエンザかもしれない。今季早くも二度目の罹患。ハイペースである。さてさて腹が減ったので近所のスーパーでとんかつ弁当。食欲も復活したが、頭の方はまだまだ。視覚等から入って来る情報が激減している。デジタルからアナログに戻ったよう(普段なら安売り商品と拙宅の在庫状況がリンクされるように入力される)。詰まり軽く酔って馬鹿になった感じだな。また試験前の日曜日には生徒が勉強しているようなので、様子を見に行くつもりだったが、此方もキャンセルとなる。

午後も漫然とす。暇に飽かせてスマートフォンにQRコード決済アプリと言うものを入れようと思った。三十分ほど格闘したが、どうにも上手く行かず。こんなものは普及しないな。導入率を上げようと各社割引セールをしているけど結局消耗戦だよね。晩食は千代田鮨で軽くぬる燗。夜になると二日続けて日韓野球をやっていた。昨日は消化試合で今日は決勝戦なのだと。詰まり予選リーグの次の日に行き成り優勝決定戦がある。そんな馬鹿な日程があるのかね。

 

11/16・土

 宿酔を何とか収め、朝から外構工事の打ち合わせ。スロープが階段になったり、手摺りを付けたり、土間混凝土の面積を広げたり、宅配ボックスを置いたり、サイクルポートに屋根を張ったり、低木を二本植えたりしたら当初の予算では全く収まらなくなる。何とプラス二百万。アジャパーである。こういう所で一気にアクセルを掛けて来るなぁ。なお工期は予定内に収まる模様。入居者も大体決まっている。早く稼ぎ出さなくては。

 新駅設置の為、山手線は朝から区間運休。田町の車庫を潰してビルを山ほど建てるそう。例によって旧国鉄会社も最早不動産業である。やっぱり何かが可笑しい。元元は国鉄の土地である。北海道に一棟くらい分けて上げるべきであると思った。午後は何となく寒む気がする。布団を敷いて緊急就寝。三十七度程度の軽い発熱。夜はうどん。本日無酒。

 

11/15・金

 何とか祭は終了。一晩に二十億も使ったそう。一代に一回限りだと言うが高い高い。そう言えば天皇相続税って掛かるのかね。いや今回は生前退位だから贈与税だった。跨線橋が崩れ掛けて運休していたしなの鉄道も直る。磐越東線も明日から。御苦労様です。落ち着いたらまた乗りに行きたい。

終日快晴。愈愈足場も撤去。午後出社。退社後はB、日高屋、立ち中華と連戦。すると元生徒のKさん兄弟に掴まり、更にワインバー。帰宅は二時。金六千円失う。

 

11/14・木

 朝は結構暖かい。家人は鎌倉で墓参り他。今度は大学入試センター試験の後継試験が問題となる。国語や数学の記述式答案の採点を誰がするのかと。此れも民間委託なのだそう。正しく金のなる木である。まあねそういうものは二次試験に回して大学教員がやるべきなのだろう。官から民へ。公務員だらけの世の中も困るが、政商だらけの世の中も困る。而も潤うのは胴元だけで、後は非正規労働者に丸投げだなんてね。

 さりげなく幕が外れた。詰まり除幕式である。漸く全貌が明らかになる。寄棟は拙宅より高い。夏は涼しいだろう。ツートンに分けたタイルは二階部分が思ったより薄い色。色見本では分からないな。また西が開けている分、陽当たり時間も長い感じ。斜度があるから発電効率も良さそう。完成まであと愈愈一か月。午後出社。退社後はおじさんたちに誘われて幾寅へ。四本食べて立ち飲みBの新店へ移動。更に旧店を歴訪す。ちなみに新店はホワイトホースの炭酸割り=馬ハイが100円セール中。ダブルにしても幾らも使わなかった。併し鹿ハイはないのかな。合わせれば馬鹿ハイが出来る。

 

11/13・水

 未明にはシログレのダブル攻撃。猫は元気で留守がいい。一転して曇る。午後出社。退社後は新店のB。どうということはなく割と早目に帰宅。

 Aと桜を見る会は、Aのサクラを見る会であったことが判明。来年はやらないという。いい加減、マスコミの論調も変わってきた。誰かが箱根で指南したのだな。

 

11/12・火

 誠に快晴。さてさて何の用もないけど何処かに出掛けようと思った。まず32系統で渋谷へ。また停留場が動いている。プラザ跡地のビルも完成間近。将来的に此の中に入るらしい。一方西口歩道橋は掛け替え中。今月出来た何とかスクエアは何十階建てだという。桜が丘地区は跡形も無い。まだまだ建てるらしい。渋谷の容積率は概ね五倍になるな。例によって建て増し錬金術である。

其のままメトロで上野へ。此処は大して変わらない。色色いい店はあるが、結局「福しん」で炒飯。久久だがやっぱり旨い。鍋肌に回した醤油と叉焼の煮汁が合わさって正に日本の炒飯。しっとりとパラリのバランスも良好。毎度毎度唸らせる。しかも460円。さてさて科学博物館で「ミイラ展」(1700円)。館内は平日だというのに大混雑。サンドイッチにされそうだったので直ちに退却。ぶらぶらと公園を歩く。大変暖かい。温暖で台風も来ない。正に運動日和の理想的な気候。五輪は十一月にやるべきであった。但し日が短いか。帰りは湯島から。のれん街で夕飯を買って帰る。

 

11/11・月

 朝方は小雨。今日の朝刊は休刊という間抜けな展開に。此方の方の予定が古かったからね。まあ新聞報道などに期待していないけどね。千葉県知事は今頃になって火だるまに。15号の時に遊んでいたことが非難されている。いい加減なことをしているとこういう時にバレるな。両毛線は復旧す。

ところで手元にある内田百閒の文庫本は、ちくま版が多くを占めるが、福武文庫版もかなりある。文芸中心だった福武書店は通信添削事業に進出す。進研ゼミである。文芸から撤退した頃に社名も変わる。此れがベネッセである。教育関係はそもそも斜陽なので、最近は介護事業に力を入れているようだけど(万代伯母も亡父もお世話になりました)、民間試験という金のなる木を見つけたらしい。同じ教育産業にしても、添削指導や学習塾などとは官への食い込み方が違う。少しでも果実を得ようとみんな政権に群がって行く。西湘じゃなくて政商バイパスだな。時に貧乏になりながらも筆一本の文士生活にこだわった百鬼園先生は潔いなあ。

 曇っている内にもう一雨。暗くなった頃に代講出社。此の時間帯は丁度鳥目になる上に交通量が多いから注意が必要。案の定、一時不停止の高速無灯火車が直前をすり抜ける。予め減速進行していたから衝突はしなかったが、久久のヒヤリハットである。高校生か大学生かな。怒鳴ってやろうかと思ったが、そもそも停止線の意味を知らないから困る。さてさて退社後はBへ。なお更なる新店が再開発ビルに出来たのでそちらにも回航す。此方は全面禁煙。規模も広くない程度。旧飲み屋街旧店舗の雰囲気が再現できるといいな。

開業日なので、元いた宮川店長も御客として来ていて、吾人は散散絡まれる。センセーセンセーと慕ってくれるのは嬉しいが、悪酔いはくれぐれも良くない。「酒は好きだが、酔つ払ふのはいやで、特に他人の酔つ払ひは大嫌ひと云う勝手な我が儘は世間には通用しない」(百鬼園先生)晩であった。

 

11/10・日

 国会は殆ど見なくなったのだが、最近のAは不規則発言を連発しているそう。愈愈壊れて来たな。其の日は近い。後任はガースーでいいや。Aより増しだろう。すると鳳生大学初の・・・。但し短命に終わるな。

 快晴。何とか御列に関しては一行も書かないとずっと前から決めている。あ、書いちゃった。買い物は三便。晩になって外猫が刺身を欲している。殊にミケグレが正座をして待っている。結局四便目。近所のスーパーで160円の鰹土佐造りの切り落とし。後からシロも食べた。夜になり漸くシロが登って来る。凡そ十日ぶり。矢張り歩き方がぎこちない。夜討ち朝駆けも困るが、元気がないともっと困る。

 

11/9・土

 香港ではついにお亡くなりになる方も。残念ながら事態は最悪の方向に進みつつある。ベルリンの壁の崩壊から丁度三十年。中国を巡って新たな壁が出来るな。ただ冷戦時代とは違いグローバル化は遥かに進んでいる。世界経済も道連れである。

 まあまあ晴れ。近所のスーパーでは漸く秋刀魚が安売りに。今頃になって獲れたらしい。温暖化が進むと秋刀魚も冬の季語になるな。夜は家人の明太パスタ。吾人も鍋の上げ下げを手伝った。

 

11/8・金

 大体晴れ。午後市ヶ谷に向かう。というのも芥田先生が講義を行うというので出掛けた。鳳生大学の歴史における百鬼園先生という題で特別講師を務められるとのこと。実は先生は酔って駅で転んだ以外にも大変大きな病気をされ、今回復帰となられた。授業前に乗り込んで挨拶す。概ね元気そうで安心する。ただお声の方はまだまだであった。同行された奥様によると卒煙禁酒で頑張られているとのこと。大病息災。御大、頼みます。

 さてさて同じく駆け付けた坪上君と六時半まで久久の講義を聴いた。其のまま本務校に回航。中二の数学を片付ける。いや併し、真面目に勉強している子でも連立方程式が安定しない。連立方程式が安定しないと一次関数は出来るようにならない。此の程度の数学が出来ないと、まあねある程度名が通った大学には入れないな。すると芥田先生のような大教養人に出合うこともない。早晩歴史や思想や文学などは其れなり以上の大学でないと本格的には学べなくなる。何しろ教養など丸で無用という世の中だからどうでもいいか。

 退社後は立ち飲みB。此処も教養とは無縁の世界である。仮に無教養な人お断りという教養酒場と言うものをつくったらどうなるかと想像した。でも自称教養人と言うものは、兎角知識の高を競いたがるものだから、あんたこんなことも知らないのかと教養への強要が起こるな。矢張り酒場と言うものは少し馬鹿になるぐらいが丁度いいのだと思い直した。でもね、馬鹿な人はもっと馬鹿になるから、酔う前にある程度の教養はやっぱりあった方がいい。だから子どもたちにはもっと勉強して欲しい(大人もね)。本日は平安時代にして早目に退席。更にIで二杯。其のまま最終の11系統に乗る。降りた先で世田谷ラーメン(750円)。

 

11/7・木

 水没した北陸新幹線は結局廃車になるそう。数年しか使わなかったから一両一億半の特別損失。19号は新幹線台風として記憶されることだろう。また被災地では被災とは関係のないゴミが災害ゴミとして出されているという。結局どの家も不用品で溢れているのだよね。特に地方は分別が厳しい傾向がある。だからますます堆積する。矢張り時時ゴミ出し無料の日を作ってごっそり処分すべきだな。

 ところで「ヤヌスの鏡」、地上波放送は第三話まで来たのだが、見れば見るほど面白い。主演女優さんの熱演が光る。脱美少女。夜のユミには妖艶さも。間違いなく此の人の出世作になるだろう。其れによくよく聴くと主題歌もいい。反抗期ソングというより虐待された子どもの叫びと捉えると胸に迫るものがある。「唇に赤を心に鋼の鎧を」まとう前に絶たれた命の多さを思うとね。従いまして10/21の最後の下りはお詫びして撤回させて頂きます。と言う訳で吾人は余りテレビドラマは見ないのですが、見るとなれば徹底する。本放送は万難を排して見るし、録画して更に五回は見る。ああ月曜深夜が待ち遠しい。こういう感覚は久久だね。但し元元はネットドラマ(テレビが詰まらない訳である)。

 今日も晴れ。此の所は大工さんの一人勤務だったが、今日は外装屋さんが大勢で来て一気にタイルの貼り付け。外国人材の方も来ているよう。ぼんやりしていると拙宅の斜め前で高齢者が倒れている。転んだ模様。既に先の通行人(訪問介護の方)が介抱していた。意識はあるが立ち上がれない。顔面打撲と裂傷で直ちに救急搬送。八十六歳だそう。午後出社。今日もBへ。昨日は江戸時代末期で、今日は20世紀初頭。

 

11/6・水

大学入試への民間試験の導入は見送られることに。試験を受ける際の地域格差、経済格差が大きいと言うのが其の理由(ああいう試験は実に高い)。以前は一発試験オンリーだった入試も多様化して、もう何が何だか分からなくなりつつある。残念ながら此の傾向は止められないだろう。多元化した試験を受けるには結局カネが物を言う。ちなみに見送りのきっかけになったのは、文科大臣の身の丈発言。此の人は戦前のような社会が理想らしい。いや併し、とんでもない大臣である。御金が無い人は自衛隊の学校に行ってくださいとでも言いかねないな。

 今日も快晴。午後出社。中学生は定期試験前である。従って此の時期は全体的な講義はやらずに、それぞれの試験範囲に沿った個別演習となる。バラバラに作成した教材にバラバラの質問をされると流石に草臥れた。退社後はBで1830円。ちなみに此の店で飲むと大抵1000円から2000円。円を年に変えると概ね常識的な西暦に収まる。偶に2850円とかが出るが、其の頃の人類はどうなっているかな。2060円は個人的にも微妙だな。

 

11/5・火

 今日も快晴。朝は結構冷えた。段段冬型になりつつあるなあ。家人らが伊那から帰って来るので新宿駅まで迎えに行く。何しろ復路に叔父さんはおらず三姉妹のみ、そうなると中央値と平均値は八十五歳だからね。まず下北沢まで歩いて小田急線に乗る。駅前の闇市街もなくなっていた。更地には路上ライブ等迷惑行為禁止などと言う看板も。ああ成る程、ジャイアンが歌ったのだな(んなことはない)。あれも駄目、此れも禁止。どんどんと綺麗に安全に。段段シンガポールのようになるな。

さてさてあずさ20号、1623定刻到着。但し号車を聞いていなかったので目を凝らす。12両編成だからなかなか・・・。駅員さんが使う確認用のモニターで漸く見付けた。鎌倉の伯母さんはだいぶ歩行能力が落ちている。四人でノロノロと一番線に回航。丁度逗子行きが来たので渋谷まで乗って帰った。三女の家人もフラフラのヨタヨタである。既に夕方のラッシュが始まっている。人波を縫ってエレベーターを探したり、結局見付からなくて階段を下りたりと、必死の後退戦。急いでバスに乗り換えた。フードショーやのれん街に寄れる筈もない。帰宅後オリジン弁当に出直しした。いや併し、何処も彼処も虫川大杉じゃなくて、人が多すぎる。よれよれの高齢者には厳しいなぁ。渋谷も新宿も色色と直していて、直った後は所謂バリアフリーになるのだろうけど、人が多いこと自体が既に一つのバリアであると思った。

 

11/4・月

 快晴。朝から風呂に入り、乾麺を茹でて蕎麦を食う。203の請求書が来る。ルームクリーニング以外に大したことはしていないが、ドアクローザーを交換したり、分電盤を漏電遮断器付きに取り換えたので99000円。何事も安全第一である。首里城の火災も漏電みたいだね。でも此の9000円って消費税だよね。凄い増税感。

文化の日の振り替え休日だが、本日も作業は進行中。先週で屋根は終了(太陽光パネルも載った)。外壁タイル張りに移行。シロはどうも後ろ右足を捻挫したみたい。尻尾を下げて歩き回るだけで寄ってこない。グレの件からして恢復には時間が掛かるな。終日在宅して猫の観察と日誌の整理。夜は再び白菜ベーコン豆腐鍋で小量飲酒。対外的には一円も使わなかった。

 

11/3・日

 宿酔を何とか収め、御昼前に再び出発。川崎へ向かう。鶴木さん主催の市民祭りで飲む会。少し遅れて会場入りす。更に遅れて月波君。須々木さん、祐子さんなど総勢七名。飲食ブースに陣取り、延延と飲み始める。例によって屋台天国なのでつまみには事欠かない。焼きそば、お好み焼きは言うに及ばず、牛すじ煮、唐揚げ、揚げ餃子、ナンカレーまで。全て小銭で買えるから酒池肉林である。天気は下り坂だが何とか持ってくれて風もない。外飲みには最適。四時半閉園退場。

ぞろぞろと駅前に行くも、「天龍」別館は貸し切り営業の為に入れず。本館が屋台を出していたので外で飲食す。今日はつくづく屋外である。アーケード内が即席ビアガーデンのようになっていたから通行人も驚いていた。酔い醒ましにラゾーナ方面も歩いたが、鶴木さん曰く、入るような店がないと。確かにたしかに。そんなこんなでバス帰宅組を見送る。さてさて残った三人で「丸大ホール」を覗くも行列中。近くの回転寿司で本当に締めた。よく飲んだよ。大体八時頃。例によって留守宅と外猫が心配である。祐天寺からバスに乗って帰った。夜は一雨。

途中小杉を通ったけど、結構な浸水被害があったよう。南武線からはそう見えた。なお節約しようと此の二日は紙の回数券を使ってみたのだが実に不便で仕様がない。精算機がICチャージ専用で切符を受け付けないものすらあった(改札で現金精算)。両日で四万歩も歩く。飲食費は一万四千円に達す。

 

11/2・土

 家人が伊那に行くというので朝から送りに行く。十時のあずさに乗るというのに何故か九時過ぎには9番ホームに着く。此処で鎌倉の伯母さんと川崎の叔父さんと待ち合わせ。一応出発まで見送った。午前中の特急は満席の模様。立席者多数。特に不慣れな外国人観光客。日本まで来て立ちんぼではね。併し回数券がなくなったのによく乗っているな。

さてさて渋谷で入場したので渋谷では降りられない。立ち飲みBの新宿店を覗く。幸い店長の中尾君がいたので暫らく世間話。再び山手線に乗った。相変わらず休みの朝から満員電車である。日の丸に必勝などという鉢巻きをした外国人もいた。大方ラグビーの応援なのだろう。イングランドと言えば嘗ての敵国。彼らが散散馬鹿にしたカミカゼバンザイ式の鉢巻きを、彼らの孫世代がしているとはね。つくづく時代は変わったな。いやむしろ漂白されたのだろう。何も知らない者同士の方が、国際親善、国際友好を図れるなどと言う指摘もある。でもね、漂白された人と言うのは、着色されやすいということも確かな事である。矢張り歴史的な経緯は学ぶべきだし尊重されるべきだと思った。渋谷の「博多天神」で昼ラーメン。500円。値上がりは無し。其のまま東急線で帰宅。正午過ぎ。

 さてさて休憩の後、再び出掛ける。今度は鷺乃間君にお呼ばれ。日吉で地下鉄に乗り換え。色色と出して貰ったもので散散牛飲する。帰り掛けにお婆さんが一人でやっているような飲み屋にも入った。鷺乃間君も休職して大学院に行きたいと述べていた。一流財団法人勤務も色色と草臥れるのだろう。サバティカルでも貰えればよいが。いざ帰らんとす。東横線の駅から歩きたくないので、グリーンラインブルーラインと乗り継ぎ、あざみ野へ回航。吾人は難なく帰れたけど月波君は青山一丁目からタクシー連絡になった模様。終電間際に遠回りさせて悪かった。

 

11/1・金

 金曜だけど月初め。快晴。暖かい。シロは朝から行方不明。午後になり漸く捕縛す。矢張り様子が変。特に歩き方。性格も卑屈になっている。何処かに痛みがあるよう。後ろ足かな。其のまま獣医に緊急搬送。触診に続き、エコー検査。尿が溜まっている様子はなし。外科的処置が必要な感じも無い。どうにもよく分からず。鎮痛剤と抗生剤を点滴して六千円。特別損失だ。

其の後出社。金曜日も中二の数学だが、此方のクラスの学力はすれすれの状態。スマホ中毒者に一次関数とか無理だよな。金曜の夜に腹を立てると回復に時間が掛かる。ほうっておくより手がない。退社後はBと日高屋。シロはまあまあ元気そう。

2019年10月

10/31・木

 首里城が全焼。二度目である。風も強く、消火設備がなかったらしい。法務大臣も辞任。此れも選挙違反。今回も週刊誌が頑張ってくれたよう。支持率はどうなのだろう。郵便局幹部が何億もの切手を横流し。昔は郵政監察官という司法警察員がいたのだけどね。また都知事は札幌移転に抵抗しているようだけど、決定は動かない模様。都民としては知事に加勢すべきなのだろうが、そもそも真夏に五輪をやることからして馬鹿げている。どうでもいいよ。八月の東京は「晴れて温暖でアスリートに最適な気候」なんだって。嘘をついて誘致しては往けない。

午後出社。退社後はBだけで結構飲んだ。帰宅後、シロの様子が少し変。喧嘩でもしたのかな。こうして推薦した閣僚が相次ぎ辞任し、ガースーの威光に陰りが。此の官房長官自体は鳳生大学卒の苦労人。非世襲議員を推したのだろうが、例によって・・・。併し彼の政治信条というか目指す国家像が皆目分からない。忠実な番頭タイプなので、上に立つタイプではないと思うのだが。

 十月の備忘録。安田レイの新曲はいい感じ。タイアップしたドラマともどもヒットして欲しい(前回はドラマの方が大コケ)。小海線も明日から走る。「ヤヌスの鏡」は想像以上の出来栄え。北隣りのマンションは大規模修繕工事。築三十数年。そう言えば元元其処に住んでいた愛甲さんは元気かな。昔は多人数世帯が沢山住んでいたのだが、みんな居なくなって仕舞った。今回の新物件はファミリー向け。多少なりとも近所付き合いが復活することを願っている。コンタクトスポーツの対極はゴルフであろう。亡父も好きだった。一度やってみようと一瞬思った。

 

10/30・水

 関西のJRは終電の早じまいを検討。時代の流れだな。私鉄はどうなのだろう。関東でもJRと並行している私鉄(京王や京急や京成)は元元早い印象がある。JRが早くなると困る人が続出するだろう。漸くよく晴れた。午後出社。退社後はBで軽く飲む。帰宅後全身浴。

 

10/29・火

 東北線も直ったよう。日中冷たい雨。地元の本屋で『一億三千万人のための「論語」教室』。論語の最初の一節の解説から言って面白い。「学んで時に之を習う」、中学の教科書にも載っているところだが、学んだことを弟子と一緒に温習する、此れが楽しいのだと。成程なるほど。また服喪三年の記述も秀逸。実父が亡父になってまだ一年。何か調子も出ないし、胸の痞え(のようなもの)も取れない。確かにこういうことだよな。納得なっとく。昼は冷凍チャーハン。家人不定愁訴の為、夜は白菜とベーコンでコンソメベースのひとり鍋、締めのインスタントラーメン添え。本代以外の支出は無し。

 そもそも半分以上の自治体で災害ゴミの処理計画がないのだという。そんな馬鹿な。どおりで進まない訳である。阪神以来、四半世紀も経ち、其の間何度も災害を経験したのにね。世田谷はどうしているのだろう。成るべく遠くの自治体と成るべく沢山の処理協定を結んでいて欲しいものである。

 

10/28・月

あずさと飯山線は復旧。前の前の台風で倒れたゴルフ練習場の撤去は漸く開始。練習場は補償もしないとのこと。結局作業は業者さんのボランティアだって。こうなると持ち家は危険かもしれない。一方久留里線は先週の雨でまた不通に。N局の人は、比例区からわざわざ選挙区に出て見事落選。一体何がしたかったのだろう。汚名は無名に勝るとでも考えているのだろうか。大人の悪ふざけは大変見苦しい。

朝から晴れた。家人はお友達と外出。但し予定確認に相当手間取っていた。お互いの携帯電話に掛け合っても、電話を仕舞い忘れていたり、音に気付かなかったり。年寄りと言うのは万事ノロノロ運転である。居ない間に色色と片づける。投資信託の運用報告。国内株式外国債ともに下落してプラスマイナスゼロだって(厳密にはマイナス200円)。なんだそりゃあ。一方203室は決まる。また新物件にも問い合わせが多数あるそう。結局確実なのは不動産である。夜はスーパーの牛肉とピザ。

 

10/27・日

 まあまあの曇り晴れ。偶には自転車で出掛けた。のたのたと駒沢から深沢へ。「とむちゃんラーメン」はやっぱりお休み。ぐるりと世田谷中央へ移動する。丁度松陰神社で維新祭りをやっていた。午前中から結構な人が出ている。でも最近吉田松陰は評判が悪い。何しろ大東亜共栄圏の初代考案者としての側面もあるようである(「幽囚録」)。さてさて結局若林の「麺通」に入った。大盛りサービスは継続中。此処も780円に値上がり。

晩は「魚孝」の刺身と揚げ物。夜は大河ドラマ「いだてん」。古今亭志ん生満洲引き揚げも終わり愈愈最終章。番組自体は低視聴率にあえいでいる。如何せん台詞が高速過ぎるな。其の上、圧倒的な登場人物の数と出来事の量。此れでは大河と言うより大滝だね。多少同時代を知っていたとしても高齢者は付いて行けない。まあね、公共放送の看板ドラマとしては、こういう早口の手法を取らなければ、此の国の悲惨な近現代を描けないのだろう。重要なことがさらりちらりと織り込まれている。

 

10/26・土

 あずさは明後日から動くという。完全復旧に二週間掛かった。度度の災害と運休。あの辺には線路付け替え計画があった筈だけど今はどうなっているのだろう。昨日の大雨では再び千葉方面が被害甚大。冠水した道に車が嵌り、犠牲者も出る。もっと身近な人、詰まり消防団が出て行って、方方の道を封鎖すべきなのだろう。合羽とゴム長と三角コーンとビームサーベルさえあれば、丸で私人の吾人でも出動する所存である。成田空港ではまたまた夜明かし者も出る。そもそも京成には輸送力がない。今時18メートル車8両編成ではねぇ。いや、矢張り、やる気の問題だな。成田と東京を最後の最後まで結ぶのだという気概を持たなくてはね。

朝から晴れた。いい加減、降り疲れた。暫らく晴れて貰わないと。ところで203号室のドアノブが固くて動かない。修繕を依頼。何時もの若頭が駆け付けてくれて直ぐに直った。朝は富士そばのラーメン、昼はレトルトカレー、夜は信濃屋の惣菜その他。ラクビーはやっていたけど、日本シリーズが終わると一気に秋が深くなるなぁ。夜長のテレビを見ていると、「アド街ック天国」の横浜黄金町特集。2000年代初頭、「パスネット」を求めてあの辺は良く歩いた(京急、市営地下鉄、そしてみなとみらい線の三社が効率よく揃う)。東横線から乗り換えた僅か数駅先が、丸で違う街並みになることに驚いたものである。月並みな表現だが、所謂悪所はなくなったけど、人人の悪は増幅されたような・・・。

 

10/25・金

 未明からまたまた大雨。21号の影響だという。新経済産業大臣はもう辞任。有権者カニやメロンや香典を配って回っていたという。今時こんな選挙違反だなんてね。ベテラン秘書さんが諫言しなかったのかな(あべこべにパワハラで次次と辞めたのだという)。非世襲だと碌な人が出て来ないということもまた確かな事である。

 只管寝ながら待つと四時過ぎに漸く止んでくる。三週連続のバス出社とはならなかった。中三生徒からは歴史の質問。大恐慌以後の暗黒時代を色色と説明す。併し此の辺には「ぎょうざの満洲」がないから、話のきっかけが一つない。以後教室の掃除機掛けに勤しむ。カーペットにしたからアレルギーが酷い(気がする)。退社後はBと中華とIへ。Iの店主が誕生日だというので二千円置いて帰った。

 

10/24・木

 もう曇る。今回の台風では、水門を閉め忘れたり、サイレンが鳴らなかったりと行政の対応が悪いな。東日本では余り洪水がなかったから、水害対応を知っている職員は既に多くが退職しているのだろう。経験者がいないからどうしたらいいのか分からない現場が多かった感じである。災害は退職した後にやって来る。東武線は復旧。北陸新幹線は減便ダイヤで明日から。一方今頃になって国道361号の足元が崩壊。伊那から木曽に抜けられないとのこと。此れは長引くな。

本日は可燃ゴミの日。見回ると大量の取りこぼしがある。例によって無分別シールが張られている。まさかとは思うが、当方の家作から出た物だと悪いので早速検分する。すると隣りの隣りの物件の物だと判明。出て来た証拠書類(請求書と年賀状)を袋に張り付けて玄関付近に置いておいた。ゴミの分別が出来ない人には此れぐらいの処置をしなくてはならない。みんなが迷惑する。

 午後出社。中二の数学は図形に突入。木曜日のクラスは、みんな出来るから、吾人も多少は授業準備しなくてはならない。同位角の証明って案外難しいのだね(ユークリッドの五番目の公準が必要)。壁に棚を二つ付ける例で経験論的に説明しようと思った。さてさて退社後はおじさんたちを追いかけて幾寅へ。夜中に焼きトン、焼き鳥を大量消費。続いて立ち飲みBを閉店まで。久久に大量飲酒。色色と振る舞った関係で金五千円失う。帰宅後また悪酔い症状。此のところ飲み過ぎである。

 

10/23・水

芸備線は漸く直って今日から走り始める。三次広島間は幹線並みの需要があるから、当然と言えば当然である。逆に三次から先の区間だったらどうなったか分からない。災害があれば直す。此の当たり前が三島会社は勿論、本島会社でも出来なくなりつつあるのが悲しい。

 家人は昨日からずっと衣替え。片付けても片付けても片付かず。可笑しいな、亡父のものは大抵処分した筈なのだが。家人の片付け能力が低下しているとともに、矢張り物が多すぎるのだろう。被災地も片付かないな。大体人口以上に家があり、部屋があり、そもそも使っていない家具家電家財道具があるのだろうから。五LDKプラス納屋にひとり暮らし、とかね。それらが全部ゴミになる。其の片付け者も高齢者だし。

久久に快晴。昼過ぎまで漫然とす。午後出社。退社後は立ち飲みBで野球中継。軽減税率の会社は、法人税を殆ど払わないという通信会社に只の一つも勝たずして日本シリーズは終了。吾人はもう一つの軽減税率の会社のファンですが、セ界の盟主たるものが少し情けない。そもそもセリーグが弱すぎる。此れで指名打者制度を導入するかもしれない。

 

10/22・火

 昨夜からずっと大雨。異様に寒い。皇室行事の為に旗日となる。評判の悪い恩赦も実行される。どういう訳だか大貧学院は通常授業をやるようなことを言っていた。幸い吾人の担当はないが、無責任社長、何時から共和主義者になったのだろう。ちなみにキリスト教系の学校はやるのかな。内装作業は今日も続く。

何となく止んで来たので出掛けることにした。まず世田谷文学館で「小松左京D計画展」。世田谷線の松原から歩いたら一時間も掛かった。世田谷は広い。続いて月波君が暇だというので市ヶ谷に回航する。久久の「ニュー浅草」で大量飲酒。昔はよく飲んだよ。此の店で。注文はタッチパネル方式に変わったが、「日本盛」が贈った巨大なマニュファクチュア像の壁画は健在。学生の頃の店は大半が無くなったから嬉しくなる。更にラーメン「市ヶ家」。付け麵にしたら汁が異様に甘い。そんなこんなで八時頃にはふらふらで帰宅。以後耳まで真っ赤になって、心臓バクバクの悪酔い状態。収めるのに二時間掛った。以後胃痛で更に二時間。

 

10/21・月

 また曇る。高尾相模湖間は一時間おきに増便。コモアしおつとか、大変だよな。なお八高線小海線吾妻線飯山線磐越東線阿武隈急行線も止まっている。一応復旧工事には取り掛かっているようだけど、多くの不通区間では代行バスの手配も行政任せらしい。酷い話しだなぁ。吾人だってね、乗りたくもない山手線に乗って、正規の運賃を支払っているのですよ。こういう時こそ莫大な上がりを少しは地方に回すだろうに。なお床上浸水は四万軒に達す。また斜め向かいのポンプは漸く交換工事。此れで静かになる。此方の屋根工事も再開。

さてさて不動産屋に赴き、新物件の募集要項について話し合う。兎に角、猫好き、土好き、緑好きのひとに入って貰えるように要望した。どうせ住むなら、高層マンションより地べただよな。特に子育てファミリーには地面が必要(蚊も来るけどね)。夜からまた大雨。夜更けに「ヤヌスの鏡」。結局地上波でやるんだね。おばあさまは国生さゆり。若いよな。また前作の破茶滅茶ぶりは色色と補正されている模様。内容も三十分八回に凝縮。初回を見る限り中中の出来。但し歌は前の方がいいな。

 

10/20・日

 さてさて漸く天気が落ち着いたので、家人と墓参りに出掛ける。まず32系統で渋谷に。続いて山手線に。例によって日曜朝だというのに大混雑。シルバーカーの家人をエレベーターに誘導す。高田馬場下車。西武線に乗り換え。併しエレベーターと言うものは大抵の駅でホームの中ほど、主要な階段と階段の間にある。其処は一番混むところでもある。人波を縫って歩かなくてはならないから難渋する。ベテランになれば全ての駅を記憶するのだろうな。

小平下車。家人にとっては納骨以来、吾人にとっては盆以来となる。見たところ、誰かが来た形跡はなし。相続終了時、異母姉の方にお墓の場所を教えて欲しいと言われたので教えたのだけどね。墓場でばったり・・・、あり得ないな。墓参兼一周忌法要(何もしていないけど)は直ぐに終了。さてさて線路の向こうの蕎麦屋に行こうとしたら、あっという間に警報機が鳴り、遮断機も下りて、閉じ込められそうになる。幸い吾人が棒を引き上げたが、年寄りの一人歩きは命懸けだと思った。そもそもの歩行速度が低下する上に腰と背中が丸まって目線が下がる。状況判断が鈍る訳である。本当に危ない。「清川」で暫時麦酒休憩。帰りは野方からタクシーにした。命には代えられない。凡そ四千円。

 夜のラクビーはスクラム戦で大敗。力が違うね。まあね、全国的には盛り上がった方だな。ただどうにもこういうコンタクトスポーツは痛そうで見ていられない。吾人の視聴時間は僅か。そう言えば亡父はラグビーが好きだった。もう少し生きていれば楽しめたかな。何だか詰まらないので「花月」でげんこつラーメン(720円)。此処も40円の値上げ。少し茹で過ぎで締まりのない感じ。

 

10/19・土

 明け方まで大雨。川崎市民ミュージアムは地下の収蔵庫が浸水。被害甚大だという。等々力辺りも土地が低い。そもそも多摩川の河床だった所。つくづく低い所に地下室を作ってはいけない。例によって被災地はゴミの山。都知事が早く片づけに行くべきである。処理力があるのは都市部の大規模清掃工場だろう。世田谷など90万人分を僅か二か所で燃している。また千曲川の決壊現場では消防団が鳴らした半鐘の音で避難した人が多くいたという。依るべきはアナログ方式だな。中央道は昼には直る。例によって道路の方が早い。

 井戸の再生には二十数万円掛かると連絡がある。まあ此れも災害対策費だな。さてさて昼過ぎには曇る。本日の墓参りも延期。缶入りのお茶を遠くのスーパーに買いに行く。此れからの時期は缶ごと湯煎して温かい物を出さなくてはならない。アレルギー酷く、連日抗ヒスタミン。新物件の家賃も決める。

 

10/18・金

 マラソンは札幌で決定だと。正しく鶴の一声。会長には凄い権限があるのだね。而も既に裏で話しは付いていたのだという(都知事だけが蚊帳の外)。こうして前の前の知事以来の東京マラソンの苦労は雲散霧消する。併し札幌で優勝したらサッポロ一番だな。しなの鉄道の北側は復旧。長野上越妙高間は在来線で繋がることに。中央線も仮復旧。但し高尾相模湖間は単線で一日数往復のみの運転。専用列車が行って帰るだけなのに凄い本数だな。

 大体曇り。さてさて今更ながら簡単な上棟式を行う。四隅に米と塩を撒く。大工さんと電気屋さんと外壁屋さんにはビール券。屋根裏には熊手(のようなもの)を奉納。こういうものは拙宅にもあるのかな。また初めて中にも入った。やっぱり少し狭いな。更に隣りの廃屋が丸見え。大体十分ほどで終了。万事形式である。午睡の後、出社。雨が降るというので環七から11系統。金参万円受け取る。Bで三杯のんだ後、再び11系統。更に32系統。例によって一日券の方が安かった。確かによく雨が降る。

 

10/17・木

 IOCはマラソン競歩の東京開催に物言いを付ける。曰く、札幌がいいと。何を今更言うのかね。(棄権者が相次いだ世界陸上ドーハの悲劇に危機感を強めたらしい。まあね此れは一種の脅しだな。詰まり東京のマラソンは午前三時くらいのスタートとなるであろう。真夜中にスタートして朝日を浴びてゴール。此の辺が落としどころだな。ところで汚水スイミングの方はどうするのだろう。

また水没車両の復旧は容易な事ではないらしい。何しろ十編成、120両。取り敢えず上越新幹線から車両を融通するのだろうが、足りない分は既存車両の定年を延長することになる。此れで二階建て(E4系)の延命が決まったな。なお全半壊は二千軒、床上浸水二万軒。数万人が家に帰れない状態である。現地では女子中学生まで泥掻きに当たっているという。其れでもパレードは強行するらしい。そんな馬鹿な。と、此処まで書いたところで、漸く延期との報道が入る。そう、其れがいい。火曜日は雨の予報だしね。

今日も冷たい曇り。扇風機は撤収。ガスファンヒーターが稼働す。屋根屋さんも並行して入る。本当は南房総に行って欲しいのだけどなぁ。現地では工事屋さんが足りていない。屋根屋というものも個人事業主が多いから、大手工務店であっても幾らも動員出来ないのだろう。午後傘差し出社。退社後はBで少しだけ。ドラフト会議とかで世間は盛り上がっていたけど、あんまり興味がない。大体ドラ一で入団しても丸で活躍出来なかった選手の何と多いことか。育て方が悪かったのか、そもそもの才能がなかったのか。そして其の才能を見通す能力がなかったのか。まあね、気になることを一つ挙げろと言われれば、選手生徒の親御さんが既に結構吾人より年下であると言うことかなぁ。

 

10/16・水

 小杉の一部高層マンションでは浸水と停電により大変なことに。つくづく機械室を地下に作ってはいけない。フクイチ然りである。トイレも使えないということで盛んにマスコミに取り上げられる。悲惨な被害が多い中で、多少は大衆の溜飲を下げるような事態でもある。でも余り取り上げ過ぎるのも不憫である。タワマン暮らしの全員が小金持ちと言う訳でもないし(十年前は結構安かった)、売って逃げるにしても資産価値が下がる。小田急線は復旧。一方しなの鉄道八戸線も被害甚大だという。都道、県道、市道の寸断は数え切れず。

 何だか冷たい曇天。もうすっかり秋である。一年前の今頃は、そう、地獄の相続手続きが開始した頃である。朝から散髪。1100円。午後出社。未だ8%のチラシを持って配って歩く。周辺には例によって次次と物件が建っている。大型のものは一階が保育園、いや保育室と言うものが幾つかあった。但し例によって園庭は一平米も無い。こういう所も今月からは無料になるのだろう。でもね完全室内飼いの高級猫ではあるまいし、子どもにはもう少し外気に触れさせた方が好ましいと常常思う。行政としてはどんどん認可して待機児童を減らしたいのだろう。所謂員数主義だな。こういう保育室は潰しが効く。詰まり子どもが減れば、あっという間に他業種に転用されるに違いない。よく出来た話であると思った。引き続き中三相似の指導。どうも見ている図形が一人ひとり異なるようで巧く教えられず。ぐったり疲れる。退社後はBとIへ。何だか煙いので直ぐに帰った。

 

10/15・火

 水の引いた家屋等から御遺体が次次と見つかり死者数は増加する。大体独居老人だろう。助けも求められず、行方不明者にも数えられず・・・。東北線白河以北の一部区間が長期運休。貨物輸送にも影響が出る。幸い上越線は直ったよう。となると日本海側経由だな。北海道も収穫期である。三陸鉄道も路盤流出。折角直したところがもう駄目である。甲府へは高速バスが迂回運転し始める。鉄道、国道、中央道、全てが止まり、例によって山梨は孤立状態。一方国会も開いてはいるが、何だか見る気もしないし、増して書く気力もない。

 曇り勝ちだが午後は薄日も当たる。久久の雑巾掛け。台風接近時にシロが付けた足跡を消して回る。昼は駒沢でラーメン。前からある家系ラーメンの所だが、「おか本」に御客を取られ閑古鳥の模様。店内も荒れて清潔感も無い。此処もそろそろ閉店だな。ラーメン専門店というものは潰しが効かない。街中華なら、ビールに生姜焼き、オムライスに鶏の唐揚げまで色色と出すのだけど。夜は豚の冷しゃぶ。

 

10/14・月

 昨日の救助活動ではヘリからの落下事故も起きる。釣り上げは危ない。小舟で行けるところは丘からの救援にした方がいい。手漕のゴムボートやいっそ高瀬舟でもいいし、何なら快速艇を配備してもよい。そもそも嘗ての洪水地帯には一家に一艘あったと言う。釜石の試合も中止。二試合しかないのにね。スタジアムもわざわざ新造したのにね。

 朝は曇天。夜明けと同時に職場に向かう。予備車に乗って。留置してある本務機と二台引きで戻る。久久の重連運転。此れも違反なのかな。数年前は巡査に見つかり注意を受けた。久久なので少し肩が凝った。以後冷たい雨が降ったり止んだり。墓参りも順延。それにしても、こうした台風に加え梅雨の末期の豪雨、時に度を越えた雷と夕立、大雪、そして地震津波、火山、例年の猛暑、どれだけの気象災害が襲って来るのだろう。地理と地学を勉強した方がいい。高校で必修にしなくてはならないな。夜は焼き鳥他。

 

10/13・日

 朝には快晴。早速落ち葉掃き。取り立てて異状は無さそう。建設現場も大丈夫。若い現場監督も休日出勤して来て確かめた。御苦労さんです。ちなみに近所の暗渠も溢れなかった。都も色色と御金を使っているからね。一方多摩川周辺は冠水被害。他にも決壊多数。長野市や栃木県。特に千曲川が酷い模様。北陸新幹線の車庫も水没。浸水は東北各地でも。静岡及び東日本大水害だな。現代のインフラを以てしても被害甚大である。此れで十日後のパレードも中止かな。いや併し、新元号になっても碌なことがない。もう一度改元した方がいいかもしれない。次は官邸の意向等を排して客観的に決めて欲しい。

水郡線上田電鉄は橋梁流出。中央線も土砂流入であずさもかいじも当分運休。中央道も不通だから高速バスも動かず。北陸新幹線は長野以北が運転不能両毛線小田急東武は築堤損傷。箱根は二日で1000ミリ降ったという。登山電車はズタズタ。世田谷でも一日で250ミリ。荒川も多摩川も決壊まで紙一重、首の皮一枚のところであった。台風が異様に発達するのも温暖化の影響かな。

近所のスーパーに行くも色色と品薄。猫餌を買って帰るのみ。夜は冷蔵庫の中身で適当な炒め物。そもそも拙宅には大量の買い置き食品があるので(カロリーベースで三週間分はある)。一方農業被害についてはまだ算出できていない。ラグビースコットランドに辛勝。本選出場を決める。まあね、一日に何かいいことが一つぐらいないとね。

 

10/12・土

 明け方前くらいから大雨。レーダーを見ると関東から関西まで雨が降っている。巨大な台風だな。鶴木さんらと行くことになっていた川崎みなと祭りも、ラクビーの国際試合も中止。改めて、なんてジャパンは天災が多いのだと呆れられているだろう。また月波君は地元の静岡から高山方面にバスツアーだそう。飛騨川バス転落事故になると頻りに心配していたが、あの頃とは道路事情が違うだろう。こういうインフラが整ったから途上国に後退することはないのです。勿論それらは大変な借金の一部を成しているのだろうが、同じくらいの借金(GDPの二倍から三倍)をしたにしても、軍艦や連隊を山ほど拵えて灰燼に帰した戦前戦中とは質が違うのですよ。

 暗くなった頃から風が出始める。六時過ぎに伊豆に上陸。八時半くらいから大風。伊豆や箱根の山山が頑張ってくれた御蔭で大体一時間半くらい。15号より風は軽い。問題は雨の方だな。相当降った。各地のダムで緊急放水。雨も風も静まりかけた頃に大雨特別警報発令。態態防災無線で伝えて来る。どうも二子の辺りが越水したらしい。夜半には至って静か。外猫も落ち着いた。昼は煮麺、夜は冷凍餃子。体調優れず、ほぼ無酒。

 

10/11・金

 一旦止んで以後曇る。朝から打ち合わせ。営業担当者と設計担当者と外構屋さんが来る。土間混凝土の位置を定め、手摺の種類を決める。タイルやブロックの色等はもう少し建ってから検討するということに。一時間ほどで終了。続いて足場の修正。二階部分の幕を閉じた。大風対策である。吾人も家作の物干し竿を取り込み、雨戸を閉めるようにと張り紙をした。

なお在来線は明日の午後には全面運休の模様。狩野川台風に匹敵すると気象庁は言っているが、昔過ぎてよく分からず。あの頃は今から見れば掘っ立て小屋に住んでいたようなものだよな。例によって出て来るのは気象庁の技官ばかり。官邸からは誰も出て来ない。また東海道新幹線は翌朝から止まるというので、東京駅は大混雑したとのこと。不思議なものだな。計画運休と言うものが現れて以降、役所よりも鉄道会社の方が世の中の方向性を決めている。東海にしろ東日本にしろ、民間会社には少し荷が重いと思う。国の鉄道でも此処までの影響力はなかっただろう。

午後は降ったり止んだり。環七まで歩き11系統で出社。計画運休を受けて大貧学院も明日の休校を決定。色色と生徒に連絡した。退社後は立ち飲みBへ。此処も明日は休むという。安売りの刺身を貰う。もう少し飲みたかったが最終バスで帰宅。11系統に32系統を合わせた。バスも飲み屋も空いていた。みんな早く帰ったね。狩野川台風に近いというから大風より大雨の方が心配である。此の際、台風が持って来る水蒸気の量も数値化して欲しい。何万トンとか、何千万トンとか。大きさや強さとかいう抽象的な表現ではよく分からないから。夜は至って静か。

 

10/10・木

 続いて秋晴れ。昨日に引き続き大工工事と本日は水道工事。古屋の配水管を撤去し、新しい物を敷設する。公道にも穴をあけた。敷地内のものも結構引っこ抜いたが、数メートル分は捨て置かれる模様。こういうのをゴースト水道管と言うのだろう。漏水しないのかな。後者は昼過ぎには終了。今日は久久に飲み物が掃けた。介護施設から花が届く。明日は実父の命日。でも何にもしない。其れに台風の御蔭で墓参りも出来ず。

関電幹部は大量辞職。此れで人件費が結構浮いたよね。ところで日本は此のままでは発展途上国に転落すると心配する声もあるが、幾らなんでもそれはないだろう。GDPは落ちるところまで落ちて、所謂途上国並みになるだろうが、途上国ではない。先進終焉国とか、黄昏平板国とか、何か新しい名称が必要だと思った。まあね、過去のやや莫大な遺産があるから、暫らくはどうにか成りますよ。但し親の遺産で食べている人はまず支出を減らさなくてはならない。化石燃料の購入費が減れば、家計は随分楽になるよ。LEDもリチウムイオン電池も日本人がノーベル賞取ったじゃない。

 午後にはすっかり曇る。未明に外猫に叩き起こされた関係で終日眠い。最近はシロとグレのダブルアタックで来る。夕方前出社。退社後はBでもたもたしている内に雨が降り出す。自転車復路運休。11系統で帰る。

 

10/9・水

 愛知の展覧会も再開。すると今度は名古屋の市長が抗議をしていた。どうも地方の首長ほど益益頭がおかしくなる傾向がある。まあね中央政界で出世の芽が絶たれると首長選に立候補する訳で、其処は勝つか負けるかのもっとポピュリズムの世界だから、こういう右派ポピュリストが出て来るのだろう。あの市長は同じドラゴンズファンだけどなぁ。困った困った。一方衝突した水産庁の船は借り上げなのだそう。乗っていた公務員は何と一人だけ。こういうところまで民間委託が進んでいるのだね。こりゃあカレープラス事情聴取どころじゃない、直ぐに帰して正解である。いやしかし、民間人にあんな危険な任務をやらせる国って・・・。

 文句のない秋晴れ。久久に近所のスーパーに。屋外にあった休憩コーナーが撤去されていた。ピクニック気分で小さな子ども連れが利用していたのにね。2%ごときでガタガタ言ってはいけないし、そもそも誰の給仕も受けないのだからイートインコーナーは8%にすべきである。午後出社。中三数学は相似の証明。何と何が似ているかだなんて、いちいち図形を回転させなければならず、一番頭がくらくらする分野である。ああ草臥れた。退社後はBへ。誰もいなかったが、少し待つと市ヶ谷さんと鶴木さんが現れ、何とかなった晩であった。「おじさんも 枯れ木の賑わい 立ち飲みや」。お粗末。

 

10/8・火

 朝には止む。以後曇り。予想に反して結構蒸す。また大型台風が来るのだそう。15号からひと月しか経っていない。一方市原のゴルフ練習場倒壊現場は丸で手付かずだという。国も県も市も当事者任せで何の仕事もしていない。此れでは税金を払う意味がないな。民事裁判所の設置費用以外は返して貰おう。

北の大型漁船と水産庁の監視船が衝突し前者が沈没。幸い死者はなく、みんな直ぐに帰って行ったという。なんだあ、昼飯ぐらい食べさせてやればよかったのにね。熱熱のライスカレーでも。豚肉がたっぷり入ったやつを。ウマイウマイと言って帰った筈である。勿論請求書は平壌に送付して。排他的経済水域内の外食だから多分10%だな。

 引き続き「ワンダーウーマン」。女は世界を救う。でもね社会的地位が上がると女も狂暴化するよ。政権与党の御歴歴を見れば、とても平和を愛する諸国民とは思えませんな。みんなアマゾネスに成敗して貰いたいものである。二日で三本見たら結構草臥れた。成るべく映画は細大漏らさず見ようとしている。家人無事戻る。夜は崎陽軒の弁当。隣りの無管理マンションのドングリの木の枝も少し切った。

 

10/7・月

 今朝は建具の搬入など。何かしら作業はしているようなのだが、何処がどうなっているのかは皆目分からない。そう言えば拙宅が建つ時はしばしば亡父と見に行った。早朝梯子で二階に上ったりして、此処があの部屋、あちらは其の部屋と見聞したものである。建築現場も出入り自由といったところだった。いい加減な時代であった。いい意味でね。

 朝方は低木切り。植木屋さんが切り残したものが若干ある。一方家人は自分の姉さんたちと熱海の旅館へ。ちなみに伯母さんの首下がり症もよくないよう。何しろ八十八ではね。腰も首も近代医学では治らない。さてさて家人が出掛けたので一階のテレビで撮りためたものを見ようと思った。

まず映画「ブレードランナー2049」。面白いことは面白いが、いやしかし長いね。猥雑だけど無機的なディストピアから「モリのいる場所」に一旦スイッチ。此方は晩年は敷地から全く出なかったという画家の物語。生きた木木の世界である。こんな変わった人が居たのだね。感性さえ研ぎ澄ませば都内の庭も大宇宙となる。まあ確かにね、草の生え方ひとつを取って見ても、おんなじ年ってないよな。案外吾人もいい線を行っている。庭を残してよかったよ。

夕方から冷たい雨。夜も一人で残り物。シロは入って来たが直ぐに出て行った。少し静か過ぎるかもしれない。こうなると広めの三LDKも持て余す。2049に出て来た、美人AIホログラム、あったら買っちゃうね。発売まであと三十年かぁ。

 

10/6・日

 朝方は雨。以後曇る。漸く涼しくなる。併しこんな科白何度目だ。と言うくらい今年は暑かった。昼は池尻の「天下一品」でチャーハン定食(1050円)。チャーハンはまあまあだったがラーメンはこってりとあっさりの二択しかない。中間派の「屋台の味」と言うのがあると聞いたのだが、此処にはないよう。正直こってりは重いんだよね。一方あっさりだと詰まらない。ちなみにラーメンは790円に値上がり。高い。以後霧雨が降ったり止んだり。夕方には一瞬晴れた。

セリーグプレーオフ。横浜対阪神は劇的な展開に。ファンならゾクゾクしただろう。併し野球で鳥肌が立つことなど、此処数年全く無いね。吾人の中からセ界は既に喪失している。夜は肉豆腐他。

 

10/5・土

 香港警察は再び発砲。今度は中学生が被弾。折角収まりかけていた抗議運動が再び激化する。一体何をやっているのだ。神戸の小学校では先生が先生にいじめを繰り返す。激辛カレーやラーメンを目をこすりつけたという。こうやって文書に書き起こしても馬鹿馬鹿しい。暇なんだね神戸の小学校も。どちらにしてもどう仕様もないよ。みんな辞めて貰おう。

 朝は「かしわや」のラーメン。450円。記録にないので分からないが此れも大幅に値上がりしたよう。続いてスーパーに特売のジュースを買いに行く。30本で千円余り。こういうものは安いままだな。但し今週は殆ど何の工事もしていない。在庫は積み上がるばかりである。昼はオリジン弁当。総じて言えば外食の値上がりが激しい模様。みんな家で食べて表に出なくなると思った。夜は「信濃屋」の刺身他。中小スーパーなのでクレカで支払うと5%引きになる。併しレシートを見ても何も引かれておらず。カード会社のポイントで戻るらしい。どちらにしても面倒である。此れは来年六月までの移行措置。予算は1800億円だとさ。人気取りで延長されるかもしれない。終日晴れて暑かった。

 

10/4・金

 関電の問題は大規模な事件になりそう。早速政治家の名前も挙がって来る。最早底なしである。まあね此れぐらいの大騒ぎが必要ですよ。原発を見送るにはね。なお関電幹部も贈与されたスーツ仕立て券は使用したとのこと(一着五十万!)。仕立て券の他には商品券が贈られたよう。食券はないのかな。御食事券で汚職事件、あるいは食券濫用(ツマラナイ)。

 朝方は大雨。日本海を台風崩れが北上中。今年は本当に台風が多い。以後南風で真夏の陽気。午後出社。金参万円受け取る。久久の給料。併し今年も夏頃から支払い率が急低下している。こうなったら投資信託太陽光パネルの運用益を飲み代に充てるしかないと思った。さてさて退社後はまず立ち中華へ。内税8%だったものが外税10%に。併しメニュー表は変わらず。詰まり全品10%の値上げである。強気だね。ちなみにQRコード決済にすると5%値引きするというキャンペーン(原資は税金)もやっているが、見たところ誰も利用していない。続いてバーIへ。此処も全品10%の値上げ。全部修正ペンで直してあった。そんな馬鹿な。そもそも年商一千万に達していないだろう。酷い便乗値上げであると思った。おまけに店主に奢らされて一杯しか飲んでないのに1600円。値上げしたのならばせめて駄菓子ぐらい出すだろう。つくづく商売が下手である。こういう出鱈目をしていると一層内需が落ち込むな。

 

10/3・木

 曇ってはいるが大変な蒸し暑さ。203号室の布団を粗大ゴミに出す。流石に寝具類は誰も持って行かなかった。午後出社。退社後は立ち飲みBへ。若干の紫煙に当たるも何とか大丈夫。復路自転車急行運転でも大丈夫。詰まりどうにか完治す。

帰宅後FNSドキュメント「トラオの夢」。激しい選挙違反のイメージしかなかったけど、街場の病院王=徳田虎雄という人は凄い人なんだね。青雲の志し=いのちだけは平等だ。いいね。身近にはないのだけど入院するなら大学病院よりも徳洲会病院、頼るべきは白い巨塔より二十四時間営業である。という訳で割と素直に感銘を受けた。政治より医療の方により切実さを感じる年齢になって来たからかもしれない。白い猫でも黒い虎でも国民の健康が第一である。

 

10/2・水

 今日も晴れ。朝から信託銀行の人が来る。また投資信託にして欲しい様だが、定期預金を継続する。金利はゼロみたいなものだけどね(0.02%)。前者の運用を評価するにはまだ早い。

 午後出社。退社後は久久にBに。煙に気を付けながら外飲みも再開す。此処は全品値段据え置き。詰まり2%引きと言うこと。今回の増税では税金分を価格に転嫁しろとは余り言われないよう。

 

10/1・火

 終日晴れて異様な暑さ。都民の日。都の施設は入場無料になる筈だが、生憎近所には何もない。さてさて本日から変わることと言えば、低年金の人には月五千円がプラスされること。此れは上がった消費税が財源となる。幼稚園と保育園も同様に無料になるそう。ちなみにどちらも吾人には関係がない。まあね関係のないことに御金を支払うのが社会と言うものです。基本的には結構なことである。また破綻状態のJR北海道は大幅値上げ。一方下がるものもある。京王相模原線京急空港線減価償却が進んだから加算運賃を減らした。

 国慶節でもある。例によって店屋物広場では特大軍事パレード。国家主席はオープンカーで延延と閲兵していた。あれでは皇帝と言うより将軍だな。愈愈幕府を開闢したのだと思った。2019、北京幕府成立。語呂合わせは誰か考えて。一方、香港では発砲事件。デモ参加者に重傷者が出る。至近距離からの拳銃使用など考えられないな。

若干の咳が出るが、嗅覚以外はほぼ復旧す。一週間掛かった。午前午後と漫然とす。何だか異様に睡眠す。身体の緊張が解れたみたい。

 

2019年9月

9/30・月

 曇ってはいるが異様に蒸し暑い。九月も終わりだというのに。まず羽毛布団を洗濯屋に持って行く。三千円余。昼は和菓子屋のおにぎり。手にぎり一個130円は安いと思うが、御萩は185円に値上がりす。スーパーの特売では四個200円程度。ちょっと手が出ないな。引き続きカセットボンベと乾電池の買い増し。併しこんなことをしても百円程度しか違わない。万事馬鹿馬鹿しい。節約の第一は廃棄ロスを出さないこと。結局其の都度買いに行くのが一番いい。但し防災用品を除く。

 山梨の道志村で女の子が行方不明になって一週間余。御母堂が涙の訴えをしていた。所謂神隠しかな。見た感じ、あのキャンプ場も木が生え過ぎている。兎に角、もっともっと切らないといけない。中日は五位で終了。そんな馬鹿な、ではなくて、やっぱり其の通りになったな。こうして九月と消費税8%時代が終了す。

 

9/29・日

 結構蒸し暑い。咳は概ね止まったが午前中は呼吸の状態がやや悪い。少し精を付けようと、昼は駒沢の「おか本」。低速自転車で移動する。家系ラーメン650円だが、此処も来月から値上がりかな。但し嗅覚の方が十分復旧しておらず、味も今一つ薄く感じた。午後は猫餌の買い出し。飲食物は8%のままだが、外食やペットフードやアルコール類は10%になる。いやしかしね、吾人も社会保障制度維持=増税容認派であるが、国民にあまねく負担させる消費税というものは、大体10%辺りが限度だな。其処から先は所得税法人税相続税にして、持っている所から支払って頂くべきである。そもそも消費税が租税収入の第一だなんて、何かおかしいよな。

 ところで気管支が良くないと、遠くの路上喫煙まで気に掛かる。臭いは大して通じてないのに鼻腔や呼吸器がエヘンエヘンと反応するから不思議である。元元紫煙は大の苦手。よくあれだけのものが直接吸えると感心す。吾人なら三週間で肺気腫か肺癌になるな。尤も下戸から見ると芋焼酎のお湯割りやバーボンストレートとかも、同様な印象を持つのだという。まあね、蓼食う虫も好き好きですよ。あんまり気にし過ぎても宜しくない。人間は結構頑丈に出来ているから少少の事では大丈夫。但し大量○○や依存症には気を付けましょう。

 晩のニュースではオリンピックの暑さ対策についての会議が紹介されていた。日傘を配る、砕いた氷を降らせる。どうにも効果はないな。そういえば『日本沈没』には、東京湾で冷気を作って中央区を丸ごと冷やす超巨大地域冷房という装置が登場している。昭和四十年代にはこういうアイデアがあったのかな。所謂夢の新技術として。実際には莫大な電力が必要だし、稼働させたらさせたらであっという間に海が煮立って仕舞うだろう。なお作中でも塩水で故障して物の役には立っていなかった。結局何が言いたいかと言うと、そもそもあんな時期に(以下略)。「ポツンと一軒家」の後は、教育テレビで歌舞伎鑑賞。二時間がっつり見た。「め組の喧嘩」だから比較的分かりやすい。そろそろこういう古典芸能にも詳しく成りたいと思った。変な見栄かな。

 

9/28・土

 此の所ずっと晴れ。咳止めは半分にして服用す。終日漫然とす。昼はスーパーのチキン南蛮弁当。晩は同じところの焼きそば他で久久の中量飲酒。すると何だか咳も収まった。良薬は口に旨し。ラグビー日本代表は快進撃。まあ何しろラグビー属地主義だからね。此れを機に少し考えた方がいい。何しろ「日本人」は此の先急激に少なくなるのだから。十五人も揃えられない。

 

9/27・金

 先月の投資信託プラス三万余り。一体何処にどう投資しているのか皆目わからないが案外儲かった。素直に嬉しくなるから不思議である。金に金を稼がせる。近代以前なら背徳行為だな。本日は古屋のガス管の撤去工事。通行止めにして結構大かがり。資源回収車も入れないので纏めた瓶と缶を反対側の角に寄せておいた。併し此の辺に都市ガスが来たのって何年前だったのかな。下水道よりかは早い筈。工事は午後まで掛かった。

 気が付くと何だか昨日より調子が悪い。慌てて咳止めを服用したら頭がくらくらす。夕方前出社。念の為、気管支拡張剤も帯同させた。其のまま退社。さてさて碑文谷の「王将」を覗くと満席御礼。KFCは既にお看板。と言う訳で久久にマクドナルドに入った。最近は出来立て提供をしているらしく店内は列をなしている。偶に来ると注文の仕方が分からないから緊張す。遠くのボードを見てもよく分からない。気分は視力検査を待つ小学生である。結局ビックマックとフライドポテトのSを単品で所望した。前者は390円。ビックマックは物価の指標になることでも有名である。ずっとデフレーションだから世界標準より安いのだろう。持って帰って麦酒一缶と合わせた。いや併し、偶に食うと結構旨い。山岡士郎やグレタさん(最近デビューした環境活動家)には叱られるかもしれない

 関西電力幹部は何億もの御金を原発町の元助役から贈与されていたという。原子炉を作ってくれてありがとうと言うことらしい。而もごく最近まで。詰まりフクイチの後まで。そんな馬鹿な。ちなみに此の件は地元建設会社への税務調査から発覚したそう。詰まり皆様の電気料金⇒建設会社⇒有力者⇒関電本社と言う御金の道筋である。まあね幹部連中も私的に使い込んでいた訳ではないだろうが、原発マネーの出鱈目ぶりが税務ルートで明るみになった意義は結構大きい。いい仕事したね。税務署さんも。

 

9/26・木

 朝起きて見ると、家の前の道路に大穴が開き、マンホールが飛び出している。慌てて区に電話すると、担当者が二人で来て、道路を直すのは道路に面した人の責任になりますとのお応え。数回から数百回に分けて納入するプランがあり、標準的な額は月二万円だと。そんな馬鹿な、固定資産税と二重取りだと憤慨する所で目が覚めた。朝の四時であった。いや併し、此れでは区道ではなく私道だよな。私設料金所を作るしかない。こうして公共の概念が崩壊する。正しく悪夢である。さてさて酷い内容だったが呼吸器系統は概ね良好。なんとか治った。二度寝は十時まで。

 203号室退去。此の方は六年いらしたが、顔を合わせるのは今回が最初で最後。故郷に帰るとのこと。部屋は綺麗なので其のまま貸せそう。粗大ゴミ多数。掃除機と電子レンジと折り畳みベッドはまだ使えますと張って置いたら、あっという間に誰かが持って行ってくれた。先ずは再利用である。なお工事は三日連続で進んでいるが内装中心なのでよく分からず。二日続けてお茶を出す。午後出社。其のまま帰宅。「さぼてん」のとんかつ弁当(810円)に麦酒一缶。どちらも大して旨く無い。十二時就寝。角部屋の修繕費119万円を支払う。

 韓国の検察は大臣の息子の大学入試の面接票まで調べているらしい。大体ね、叩けば埃の出ない人などいないよね(吾人だって確定申告書をとことん精査すれば色色出て来る)。これじゃあ、エドガーフーバーと同じだね。恐ろしいよ。

 

9/25・水

 薬のせいかまあまあ安眠す。午前午後と漫然とす。というか一種の虚脱状態。朝の痰を午後まで掛けて出す。今回は悪寒や関節痛は無かったからインフルエンザではなさそう。そう言えば数日前から喉が変だったかな。暴飲暴食気味だったのかもしれない。風邪の規模としては中程度だったが打ち所が悪かった。気管支を中心に被害甚大である。

夕方前、マスク掛けの低速自転車で出社。試験前の繁忙期だが、痰は時折絡むが、息が切れることはなかった。ただ体感は変わっているようで、教室中のクーラーを切って回ったら、暑い暑いという苦情が出る。大して食べてないから体温が低いのだろう。其のまま退社。帰宅後巻き寿司と温かい蕎麦。麦酒一缶。十二時就寝。

 

9/24・火

 未明から例の過呼吸症状が出る。息が入らない感じ。朝になっても治らず。堪らず一丁目の内科に歩いて行く。咽頭炎だと。過呼吸に関しては診断付かず。ありきたりの咳止め、去痰薬、消炎剤、鼻水止め、抗生剤が処方される。心理的なものなのかなぁ。結局昔の気管支拡張剤を使用する。少し良くなったような気がする。

 午後になった。熱と咳と痰はまあまあ収まったが、呼吸が落ち着かない。それどころか肩で息をしても尚息苦しい。起きてられず、寝てられず。陸に上がった魚のよう。這う這うの体で本日二度目の受診。再び聴診器を当ててみたところ気管支が細くなっているとのこと。直ちに点滴と薬剤吸引となった。クリニックの片隅の安楽椅子で凡そ二十分。点滴など小学生以来だと思った。みたび聴診器。空気の流れが良くなったと。確かに治ったような気がする。でかいカタツムリのような気管支拡張剤を処方される。就寝前に此れで薬を吸うことになった。二度の受診と処方で合計五千円。どうも数年前の大風邪以来、気管支が弱くなっているなあ。となると時折訪れるあの不定愁訴も発作の一種と考えるべきかもしれない。今日も小食。二日続けての無酒。今回ばかりは市販薬と残薬ではどうにもならなかった。近代医療に感謝である。

 件の大臣は気候変動会議の出張先でステーキを食べたいと述べたそう。相次ぐポエム発言に続き此の発言。完全に顰蹙大臣である。ステーキや焼き肉や鋤焼きは晴れの日の食べ物で、普段は素食をしています、と言う訳ではないよな。

 

9/23・月

 秋分の日。日本海を台風崩れが進み、南風が吹き荒れる。引き続き風邪気味。安静にす。市販の抗ヒスタミンで鼻水を抑えつつ、夕方から、メジコン、カボシステイン、トラネキサム酸投入。例によって残薬総力戦である。昼は御飯一膳、夜はコンビニの冷やし中華。以後かなり発熱、発汗す。三十八度弱。

 

9/22・日

 まあまあの晴れ。さてさて折角の連休なので昼酒でもしましょうと言うことになり、駒沢の「焼肉キング」という所に集まる。野球観戦していた月波君、坪上君、藤松君と客乃間と合流。散散暴食する。大量のマッコリ。締めは辛ラーメン。なお佐倉に住んでいる藤松君は停電が三日に及び、ホテルに避難したそう。何しろ暑かったからね。

其の後駒沢公園で暫時休憩。バスで帰宅。六時半。雨が降って来たので早めのお開き。帰宅後家人の野菜ラーメン。喋り過ぎたのか喉を傷めた。小咳。

 

9/21・土

 今日から内部工事。配管とかかな。結構大勢来ていた。尚連休は雨模様だと。月波君と伊那に行く予定だったが、早早にキャンセルとした。また表の木戸は裏で再利用。何時もの大工さんに漸く取り付けて貰った。細細とした仕事があって大変多忙とのこと。結構なことである。何度も言うけど、人間の仕事がなくなることはありませんので安心して下さい。

 まあまあ曇る。朝は「かしわや」。夏前に配備してあった御茶など凡そ百本分が配布終了。其処で缶コーヒーを買い足しに行く。働くおじさんには矢張りコーヒーだよな。自販機で買えば130円。量販店で買って冷やせば一本60円くらい。家人は近くのフレンチで昼餐会。吾人の昼はオリジン弁当

 結局豚コレラにはワクチンを使用することになる。逐次投入逐次消耗は戦略ミスの典型。今回は大規模に打たなくてはならない。久留里線は一部復旧。停電世帯はあと一万弱。全国の電力会社から働くおじさんが集まっている。御苦労様です。問題は例によって大量の災害ゴミ。対岸の横須賀に運べばいいのにね。あの大臣に片づけて貰おう。

夜は軽く済ませた。東京の大男はリーグ優勝を決める。五年ぶり。但し地上波の中継は無し。お抱えの放送局はラクビーをやっていた。併し前任の慶喜監督は可哀想だったな。現役を続けたかったのに無理矢理引退させられ、やりたくもない監督をやらされ、三年で詰め腹を切らされたのだから。

 

9/20・金

 大安、晴天、微風。朝からクレーン車が来る。八時作業開始。つくばの工場から大型トラックがどんどん到着。次次に運び込まれた部材が一旦宙に舞い、下ろされ、直ちにボルトで締められる。鉄骨、壁面、床面。こうして何もなくなったところに、(世界中から)様様な物が集められ、再び結節させられていく。僅か二時間で一階が出来上がった。機械力の勝利だね。勿論人間も大勢来ている。特に若い人も。色色と飲み物も出した。「アーザス」なんて久久に言われたよ。午後は二階部分。寄棟造の屋根材、十数枚を組み合わせて本日終了。いや併し、正に一日城、あっという間だね。早速、窓の位置を確かめる。全体的に拙宅よりやや高い。漸くイメージが付いた。

 夕方前出社。退社後はまず立ち中華へ。丁度ラクビーの試合をやっていた。ルールも変わったらしく、見ていても何も分からない。何しろ「スクールウォーズ」の頃から頭は何も更新されていないからね。でももう新たなスポーツとか頭に入らないな。B、Iの順に回って帰った。

 

9/19・木

 まあまあ晴れて来る。湿度が低いから秋晴れだね。九州の観光地は韓国人観光客が来なくなって閑古鳥だという。何か極端だな。もう少し何とかならないものか。

 御昼前から足場の架設。たった二人でやって仕舞うのだね。パイプや金具をあうんの呼吸で投げ渡して行く。職人芸だね。僅か四時間で作業終了。愈愈明日は棟上げである。一方東電の経営陣には無罪判決。事故は予見できなかったと。2009年の会議で津波の危険性については指摘されていた筈なのだけどねえ。トップが駄目でも日本社会が崩壊しないのは現場の人が真面目で優秀だからなどとはよく言われていることである。午後出社。チラシを配る。何せ8%の物を早く処理しなくてはならない。退社後はBと中華。帰宅は十二時。

 

9/18・水

 五歳児を虐待死させた母親に実刑判決。本当に悪いのは男の方なんだけどね。夫の支配下にあったとはいえ虐待を黙認した責任を問われたよう。妊娠した人は育児や健康についてもう一度勉強した方がいいかもしれない(詰まり「保健」の再履修)。講習を受けない人には母子手帳を交付出来ません、なんてね。生涯学習、まずは大人も再教育である。では男はどうしましよう・・・。平安時代のように通い婚にすればいい。危険な上にそもそもが役立たずだから、基本的には近づけさせないことが肝心である。

 昼前から冷たい雨。止み間を縫って午後出社。オーバーブッキング状態だった中三数学は、水曜日に移して吾人が見ることになった。此れで週三便の運航。三日つとめて四日遊べる。芭蕉の理想に近づいたね。退社後はBとIで二杯ずつ。帰宅後冷凍チャーハン。いや併し、めっきり涼しくなった。九月も後半である。そういえば一年前の今頃は大変だった。日記を読み返すのも少し苦しい。なお職場の大家さんは脳出血を起こして重篤。最近はめっきり外歩きが少なくなっていたから心配していた。確か九十歳。大学病院に搬送されたという。なかなか楽にあちら側には往けないものだと思った。

 

9/17・火

 まあまあ晴れて最後の残暑と言ったところ。また災害が起きたら困るのでカセットボンベを買い足しに行く。すると売り切れ状態。やっぱりね。やはり隣りの新物件、蓄電池付きにすればよかったかな(プラス百万円)。続いて生協の宅配。千葉の八千代の牛乳は欠品。農産品の被害も相当なよう。倒木も酷いらしい。山も荒れているのだな。木というものは兎に角、切って切って切らなくてはならない。庭木も立ち木も全く同じ。

 サウジアラビアの石油施設が攻撃される。誰がやったのか、またまたやったやってないの大合唱。イランの革命防衛隊の仕業かなぁ。あそこも嘗ての関東軍みたいになっているからやりたい放題、軍閥というか国家の中の国家である。となるとイラン政府と革命軍を一旦分けて判断する必要がある。ただねどちらにしても早く化石燃料の要らない暮らしがしたいですよ。石油に価値がなくなれば、嘗ての砂漠の民に戻ることであろう。静かになるよ。月の砂漠を駱駝で行ってキャンプで一献なんて観光プランがあれば吾人も行くかもしれない。あ、酒は飲めないか。

 さてさてまあまあ暑い午後。日帰り温泉にでも行きたくなったが、生憎近所にはない。久久に風呂を沸かして明るい内から湯船に入った。肌の調子もいいので久久に石鹸付きタオルで擦った。肌がつるつるに。ということは今まで・・・。こうして四連休も無為に終了す。

 

9/16・月

 敬老の日。未明からまあまあの雨。房総地区は大変だな。停電だけでなく住宅そのものの損壊も多い。そして多くの家屋でブルーシート張りが間に合わなかった模様。近所で助け合うにしても高所作業は素人には出来ないものな。一方組閣でうつつを抜かしていた政府は、未だに対策本部を作らず。明らかに対応が遅いのだけど。何故か支持率は落ちず。まあね悪いことばかりじゃないですよ。此れを機に、スマホ中毒が治ったり、結ばれそうで結ばれなかった人人が結ばれたり、バラバラになりそうだった家族が絆を再確認したり、ひょっとしたら九か月後にベビーブームが到来するかも。其れも若い人が居ればの話しだけど(無礼な内容を予めお詫びしておきます)。

 大体降り止んだ。昼は池尻の「牧野」で中華そば(690円)。外食中食に頼ることにしたから、新店をどんどん開発しなくてはならない。ラーメン専門店より街中華が欲しいんだけどなあ。午後はずっと文化放送。時時読書。夜はスーパーの焼き秋刀魚他。昨日今日と二日掛かりで映画「太陽の塔」。一応記録映画と言う範疇だが、単なる思い出話や苦労話に留まらない内容。現代の問題に発展す。密度が濃いから鑑賞に時間が掛かる。こういうものを地上波でやらないから益益国民がアホになるのだと思った。併し一般の人のレビューを見てみると、フクイチを取り扱った政治映画に映るよう。そんな馬鹿な。ちゃんとしたものを見せても馬鹿な人には届かないのだな。

 

9/15・日

 外猫による断眠酷し。満月だったからかな。狼人間ではあるまいしネコ科の動物は影響があるのだろうか。久留里線以外は大体復旧す。昼は八雲の回転寿司。晩は家人に肉を焼いて貰おうと思ったが、暑い暑い(夕飯が)早い早いと文句たらたら。そんなに炊事が嫌ならもう頼まないと吾人も激昂す。毎回此のパターンである。家で何か調理をするのは諦めようと思った。

 

9/14・土

 概ね曇り。東風が入り格別涼しいので何度も寝直す。睡眠の自由も取り戻した。本日も基礎工事。再びミキサー車とスクアート車が来て混凝土打ち。今回は床下だね。朝昼晩と全て残り物。なおフェイスブックによると芥田先生も恢復する。

 豚コレラ秩父に侵入。元元中部地方で発生したものが確実に関東に近づいている。猪が走り回ってうつしているのだという。あの辺は困民党の道。長野も山梨も群馬も混然一体。防ぎようがない。困った困った。

 

9/13・金

 曇って更に涼しくなる。配管工事も再開。朝から営業担当者が来て打ち合わせ。どちらも直ぐに終了。なお太陽光で発電して使って余ったものは東電に売って吾人の収入となるよう。楽しみだね。そして愈愈銀行に赴く。古屋の解体費用と棟上げまでの建築費の支払いである。凡そ富士そば六万杯分。例によって銀行から銀行へ記号化された御金が動くだけだが、振込用紙に記入する時は少し緊張した(何桁あるの?)。窓口の人には見透かされたかもしれない。無事に送金完了。記号の御金は本当に存在していたみたい。手数料864円は先方負担。此方の方が吾人にはしっくりする。午後出社。退社後はおじさんたちとBと日高屋へ。何だか悪酔い気味なのでIで一杯だけ。夜は寒いくらい。

内房線外房線は漸く復旧。中の方(久留里線小湊鉄道いすみ鉄道)はまだまだだという。なお停電解消には最長二週間は掛かるとのこと。やっぱりな。こういう時に頼れるのは新聞とラジオだけど最近はどちらも無い人が多い。なお自衛隊も出ているが、最近は後方装備に御金が回ってこないという情報がある。何とかアショアや戦車や装甲車を買う金があったら、給水車や炊飯車や給湯車や電源車や工作車を整備すべきである。国民の生活が第一。大昔の天皇も歌にうたっただろう。国民の竈が第一だと。

 

9/12・木

 まあまあの晴れ。但し昨日の雷雨で空気が変わり漸く涼しくなる。此れで平年並みだとも。午後出社。何も無い木曜日の筈だったが、ベテラン先生が授業時刻になっても現れず。何かしらの連絡ミスがあったよう。あじゃぱあである。結局吾人が二クラス担当す。一次関数と二次関数を往ったり来たりしながら教えた。こういう場合は脳内指令員を増員して対応するが、いや併し疲れたね。Bで三杯飲んで帰宅す。夜も涼しい。何しろ店を出ても暑くない。漸く呼吸の自由と移動の自由と思考の自由を取り戻せた感じ。今年は結局暑かった。また家人によると昨日の女の子が御母堂と御菓子を伴って現れたという。つくづく礼には及びません(間違った通報をされないだけで十分である)。

今頃になって千葉の停電が酷い酷いと大騒ぎに。確かに初動が遅かった。千葉の南の方はなんか遠いからね。所謂半島問題と言うやつである。県庁も鴨川辺りに移動した方がいい。尤も都から船で行くと安房上総下総の順なんだけどね。西からの応援部隊は南側に上陸させるべきである。

 

9/11・水

 ネオコンのアホ補佐官は更迭される。此れで米朝交渉も進むかな。くれぐれもハルノートのようなものを突き付けてはいけない。現実的な落としどころと言うものを考えなくてはね。何度でも言います、頼みます大統領。

千葉南部の停電続く。電柱の破損多し。此れは時間が掛かる。電気がないと暑さには対処の仕様がないな。若い人は行水でもすればどうにかなるけど、高齢者は大変である。特に要介護の方(介助者も)。ああ断水の地域もあるのだそう。成田の残酷は一晩で終わったが、此方は丸三日である。さてさて誰も何の関心もないが内閣改造。怒りっぽい外務大臣防衛大臣に横滑り。そんな馬鹿な。いやいや、そもそもこんな内閣自体、そんな馬鹿なの連続である。オトモダチばかりだって。而もネトウヨ。其の隠れ蓑に件の貴族院議員。そんな馬鹿な、の三十乗ぐらい。来年の確定申告はいっそ止めようかな。

漸く普通の気温に戻る。本日は電線の養生工事。短目の三本に緩衝材を巻き付けて御仕舞。一時間ほど。来週は愈愈棟上げである。併し工期はだいぶゆったりだね。三日に一日ぐらいしか工事をやらないもの。続いてシルバーパスの更新。家人は暑くて痛くて歩いて行けないという。吾人が代理で出向く。会場には遥かな御婆さんも続続来ている。而も単独独力で。数百メートルくらい這ってでも行かないといけないな。老いは気からである。

午後は結構晴れて極めて蒸し暑い。やっぱり雷雨となる。而も結構突然の直上攻撃。大人でも少少怯むレベルである。外猫が心配なので外を見ていると、小さい女の子二人組が助けて下さいと宣う。雷鳴響く中、ひとりは家まで送り届ける。以後土砂降りに。泣きじゃくっているもう一人は拙宅で暫し雨宿りさせる。併し、拙いパターンだと思った。犯罪者と間違われたら大変である。幸い直ぐに降り止んだので直ぐに搬送す。一方角部屋の洗濯物はびしょびしょに。中に入って取り込む訳にもいかない。一人暮らしの洗礼と言うやつだね。こんな日に干してはいけない。そんなこんなで晩食は冷凍食。

 

9/10・火

 千葉方面の停電は大変なよう。朝のニッポン放送が突然聞こえなくなった。木更津送信所の非常用電源が果てたとのこと。AMは電気を沢山使うからね。また昨夜の内に京成プラススカイアクセス線が動き始めたが、少なくとも一万人が空港で夜明かししたらしい。夜中になってもいいから臨時列車を走らせて欲しかった。上野まで辿り着けばタクシー等で帰れた人も多かっただろう。球場輸送で鍛えている西武や阪神は出来るだろうが、京成じゃ無理かなあ。アクセス線も一部単線だしね。でももう少し頑張らないと。東日本にはそもそも期待していないので。

 未明に不定愁訴で目が覚める。例の空気が入らない感じ。睡眠のペースも乱れているからね。今日も猛烈な暑さ。買い物一便。他は無為。昼は家人の握り飯。夜は冷凍品。夜半前に一雨。角部屋も入居。挨拶は無し。

 

9/9・月

 15号は三浦半島をかすめ東京湾を北上。千葉市付近に上陸。以後茨城そして福島沖に抜ける。未明はかなりの風雨。最初北風、続いて西風の順。気圧は過去最低クラス。時折家も揺れた。やっぱり去年の24号より酷い。海面水温が高く日本近海でも勢力が落ちなかったのだという。結局不寝番。六時頃には何とか収まる。早速点検。取り立てて問題はなさそう。続いて枝葉の収集。外猫も元気そう。心配には及ばないな。

 八時過ぎから各社各線動き始めるが、復旧が遅れるところも。例によって入場規制多数。素直に半休にすればいいのにね。不要不急の出社は止めましょう。会社はあなたが思っているほどあなたを必要としていません。そもそも会社というものはみんなの力で何となく自転していくものです。一部線区は昼過ぎまで掛かった。詰まり会社に着いたら二時か三時。草臥れただろうから五時に退社。実働二時間。通勤七時間。そんな馬鹿な。田舎の人には東京の会社の人は大変だなぁと思われているかな。

矢張り進路右側の千葉方面の方が酷いよう。成田空港も孤立中。IOCは顔面蒼白だろう。トーキョーの交通インフラは脆弱過ぎると。そもそもジャパンは天災が多すぎるとも。併しこういう時にAもガースーも、ラーメン女史も一切出て来ないな。国民都民外国人が此れだけ困っているのに。前の晩に出て来て在宅勤務を推奨すれば支持率も上がるだろうに。そもそも満員電車ゼロとか言っていたのは誰だっけ。

 段段晴れて異様に暑い。三十五度。本当に迷惑な台風である。昼は御飯一膳。此方も二十時間ぶりに復旧す。午睡の後、晩食は「信濃屋」中心。外猫にも金目鯛の刺身を配給す。本日麦酒一缶のみ。

 

9/8・日

 台風15号が来るとかで異様に蒸し暑い。月波君がお会いしたいというので、今回は吾人が出向く。飯田橋下車。併し「えぞ松本店」は定休日。駅ビルの適当な蕎麦屋に入るも、大して旨くない。座り飲みが出来る立ち飲みBに寄って帰った。帰宅は四時前。以後台風対策。諸諸の物を片付け、側溝の蓋に溜まった泥を排除。午睡すると激しい胃痛に。久久に戻した。空っ腹に麦酒に冷酒に冷たい蕎麦ではね。其れに此の所は暴飲し過ぎていた。

 鉄道は東急を含めて早めの運休。コンパクトだが非常に強い台風だという。幸い古屋はなくなったが、外猫が心配。十時頃から本降りに。併し台風がたくさん来るなぁ。これも温暖化の影響かな。シロは暫らく中にいたが、結局出してくれと懇願す。御引き留めしたのですが嵐の中に出て行きました。つくづくイエネコには成れないね。

 

9/7・土

 まあまあ曇ったり晴れたりして相当暑い。今日は配管工事。配管屋さんが来て、塩ビ管を切っては繋いで埋めていく作業。相当太いから詰まることはないだろう。例によって午前午後と御茶等を差し入れす。何しろ今工事に備え、二百本は仕入れてあるのである。朝はすき家の牛丼。昼は「誠屋」で付け麵。実に数か月ぶりの訪問。漸くTシャツを受け取る。大変遅れて申し訳ないと店員さんには伝えた。何しろ暑かったからと言い訳した。何でも暑さのせいに出来るから、夏とは案外便利なものかもしれないと思った。

午後は漫然とす。晩は家人が買って来た牛肉を焼いて食べた。成るべく、買い物は任せることにしようと思う。其れが家人の為である。京急線は昼頃復旧。丸二日掛かった。トラックドライバーの方は亡くなり、金銭的損害は十億に及ぶだろう(鶴見に住んでいる鶴木さんも三回歩いた)。つくづく事故も戦争も未然に防ぐ不断の努力が必要だと思った。結局道路も悪いんだな。

 

9/6・金

 当該区間京急線は終日運休。トラックは道を間違え、細い道に迷い込み、踏切内で立ち往生していたという。非常信号も焚かれたようだけど、止まり切れない信号では意味がないな。矢張り電車が速すぎる。大体田園都市線などは踏切は一つもないが、精精100キロぐらいしか出さないもの(其れが東急クオリティー)。何事も安全第一。東京再開発会議に踏切の撤去も入れるべきである。

 さてさて再び夏空に戻る。運の無いことに本日植木デイ。御主人と奥さんが来る。吾人も朝の八時から出動する。まずは駐車場の草刈り。続いて北側から剪定。松と梅と楓を敬遠したので、拙宅南側の玄関付近までギリギリ到達す。併し暑いね。吾人も汗だくで切った枝葉を搬出す。なお基礎工事は型枠外しと埋め戻し作業。

行水と休憩の後、夕方出社。すると胴回りに汗疹が出来て、猛烈に痒くなる。試しに生徒に見せたら、腹の赤さより其の大きさに驚いていた(スイマセン)。取り敢えず抗ヒスタミンを呑む。其の後立ち飲みBで中から冷やしたら直ぐに治った(流石百薬の長)。更に中華立ち飲みに参る。折角なので香港問題について話したら、ママとパパで意見が真っ二つ。ママは中共には批判的でパパは経済重視の親中派といった感じ。成程なるほど。いや併し、疲れたね。ふらふらで帰宅。直ぐに就寝。今週は良く働いた。

 

9/5・木

 みんな黙ったら「サントリーウーロン茶」でどうだろう。斜め向かいのマンションの給水ポンプが四六時中異音を立てている。管理人や管理会社の人に指摘したが一向に直らず。壊れるまで使う積りなのだろう。

 まあまあ曇る。やや蒸し暑い。横浜市長は一転しカジノを誘致すると言明。其処の上がりで中学校用の給食センターを作り、あの酷い道路を直す積りなのかな。幾ら破産者が出ることやら。すると横浜市内の京急線が大型トラックと衝突。けが人多数。あの酷い線路をあの高速では無理だよな。地下か高架にしなくては。いっそカジノの御金で。どちらにしても、此れで京急韋駄天電車も終了だな。減速ダイヤに変更されなくてはならない。

 午後出社。どうと言うことのない一日だったが、元鰻屋さん(先月廃業)が風呂場で倒れたというのでやや緊迫す。此処も頼れる身内がおらず、無責任社長が緊急出動することに。救急搬送されたが幸い大事に至らず。興奮冷めやらぬ無責任社長のお相手を少ししてから帰った。

 

9/4・水

 涼しく曇る。大体、保険の見直しなどと言うものも形容矛盾だよな。安心を買った筈の保険商品で、実は損していますとか不十分かもしれませんなどと騒ぎ立てられてもね。そういうことで頭を悩ませたくないから態態保険に入っているのでしょう。保険の保険、詰まり再保険が必要だと思った。さてさて混凝土が張られた基礎を見ると案外でかい。杭と混凝土では随分印象が変わるものだね。

 時時草取り。家人は通院其の他のため長時間外出。朝は冷凍うどん。昼はイオン系の中華屋で炒飯セット。大して旨くない。「福しん」さん、城南地区に出て来ないのかな。テレビ大好きの家人が居ないのでラジオを点ける。テレビを消せば腹も立たない。電気代も安い。いいことづくめである。何度も言うけど、テレビ局もワイドショーを減らしてドラマの再放送を増やせばいいのです。下らないコメンテーターを呼び立てることもないし、第一経費も掛からない。

香港政府は件の逃亡犯条例を正式撤回。本土の政府も多少軟化した模様。一応国家理性と言うものが存在していたよう。此れで第二の店屋物事件も防げるのならば何よりである。

 

9/3・火

 朝から曇る。さてさて数日ぶりに作業再開。朝からスクアート車が来る。フクイチの時には此れで水を入れたよな。と言っても二階家なのでずっと小型。続いてミキサー車が来る。混凝土は二十世紀最大の発明の一つである。ミキサー車はどんどん交代す。混凝土の消費期限は僅か数十分。あっという間に固まり寿命は数十年以上。謂わば一瞬が(半)永遠を作る不思議な物体である。昼前には投入終了。以後の作業も三時前には終わった。

 午後臨時出社。夏の代講運転も本日までの予定。八時前には退社。大雨を縫いながら立ち飲みBへ。田岡さんが妹さんと現れたたりして火曜から盛り上がる。更に日高屋。雷雨の後、空気が変わり漸く涼しくなる。夏も終了だね。

 

9/2・月

 朝から晴れる。残暑が厳しい。三十二、三度もある。午前中は漫然とす。午後出社。「消費税率に引き上げに伴う授業料改定のお知らせ」を配布。増税までひと月だが、駆け込み需要などもなさそう。帰り掛けに件のK君と父親が現れる。全日制高校への進学を検討していると。ちょっと厳しいな。面接の試験があるし、仮に入れたとしても入学式後の自己紹介で一言も話せない状態ではね・・・。退社後はBで二、三杯。

 

9/1・日

 さてさてもう夏も御仕舞である。其処で何処かに出掛けようと思った。出来れば観光地然としたところがいい。と言う訳で朝の六時台から出発す。まず中央林間へ。其のまま小田急線に乗り換え、江の島へ。朝日が燦燦と降り注ぐ中、大橋を渡る。観光客が少ないのはいいが、どの店も開いておらず。再び橋を渡り、江ノ電で鎌倉へ。其れでも九時過ぎ。やはりファーストフード以外は何も開いてない。日本人は朝飯を外で食べる習慣がないからね。

 結局コンビニでモーニングビール。其のまま缶片手にバスに乗り込もうとしたら、運転手に止められる。飲み干してからにしてくれと。此の場で一気飲みするか、次のバスを待つか。そんな馬鹿な。次のバスは三十分後である。詰まり此れは空き缶なのですと言い張って載せて貰った。カラだと言った手前、車内で飲む訳にもいかず。十数分の乗車の後、どういう訳だかカラの筈の底から浸み出して来た残りを飲んだ。さてさて朝比奈峠下車。鎌倉霊園の上の方である。母方の墓所が此処にある。簡単に墓参を済ませ、素直に次のバスに乗った。

金沢八景下車。件の無人電車の駅がせり出してきた関係で駅前は様変わり。何の店もない。そんな馬鹿な。堪らずスマホで検索してみると、隣の駅に回転寿司がある。一駅移動。ショッピングビルの地下にあるという店を探す。行って見て驚いた。まるで三十年前の店である。而も三十歳の店。カウンターは擦り減って凸凹状態。寿司皿は剥げちょろけ。茶色くなった魚拓などが飾ってある。地魚なども何も無く、凹んだカップみそ汁が何時までも回っている。働いている人は数名のお婆さんと若い人が二人ばかり。大丈夫かいな。ちなみに先客は三人。何れもお年寄りで午前中から中量飲酒中。まあ吾人も同じ口であるけどね。早速冷酒を傾ける。出て来る寿司は可もなく不可もなく。すると昼時になり何と満席御礼に。そんな馬鹿な。ああいう店でも需要はあるのだね。普段使いというやつだね。

 各駅停車でうつらうつらしながら横浜駅に戻る。確か駅前の量販店では元生徒の江田島君が働いている筈である。御酒コーナーに居るそうなので激励がてら表敬訪問。幸い出勤中であった。黒糖焼酎一瓶を丁寧にプチプチで巻いてくれた。気を取り直したところでもう一軒、蕎麦屋のような所に寄って東横線で戻る。帰宅は三時過ぎ。でも何だかやっぱりバス運転手に怒られた件と凄い回転寿司の印象しか残らない一日であった。交通費概算2200円、飲食費は3000円。花代1500円。一万五千歩。夜は冷凍食品。

 

2019年8月

8/31・土

 朝はコンビニの炒飯。旨くないこと夥しい。そう言えば最近旨い炒飯を食べていない。また「福しん」に行きたいと思った。昼は半田の素麺。午後は駐車場の整備。草を山ほど取り、めり込んだ縁石の代わりにロープを張って目印とす。

 近鉄の新しい名阪特急は「ひのとり」だと。少し語感が悪いな(やはり平仮名三文字が佳い)。英訳はフェニックス。くれぐれもベイクドバードではありません。

今月の備忘録。獣医学校に通っていたENさんが退任。引っ越しして通いきれない模様。推定時給1100円くらいではねぇ。ちなみに唯一の学生さんだった。教員志望でも無い人はなかなかやれないよな(大して稼げない)。と言う訳でおじさんおばさん講師ばかりとなる。なお芥田先生にはコーヒーゼリーを送った。

 

8/30・金

 横浜でやっているアフリカ開発会議と言うのは日本政府主催なのだそう。でも今時アフリカに行く日本人や日本企業っているのかしらん(そんな所で苦労するより便利で快適な日本にぶら下がって生きていたいという人が多い)。確かに最後のフロンティアなんだけどね。かの地では中国の進出が目覚ましい。今回の会議に出るななどと言う横槍もあったらしい。チャイナアフリカのブロック経済圏だな。万が一にも第二店屋物事件を引き起こして世界中から怒られても、アフリカがあるから大丈夫と言うことなのだろうか。

 朝は真っ暗、そして大雨。朝の御通じはみな東京湾に・・・。矢鱈大きなビルを造るより、下水道の再整備と電柱の撤去の方が先だと思うのだけど。東京再開発会議をやるべきである。昼には降り止んだ。「オリジン弁当」の昼食。角部屋はルームクリーニング。ちなみに此の部屋の台所湯沸かし器はなくなり、風呂の給湯器から配水することになる。此れで室内焚きは本物件からは形式消滅となった。危ないものな。どんどん設備を更新す。

 午後出社。此の期に及んで理科の自由研究をやってくれと。パソコン内にあった「ダイアモンドはなぜ硬いか」と「雲の作り方」を只管書き写させた。退社後は中華とIで中量飲酒。機嫌がいいので久久に差し入れもす(千円相当)。

 

8/29・木

 ワイドショーは連日日韓問題を煽り立ている。大体他国の政府を非難するより、自国の政府の不正を検証すべきであろう。でもまあ総じて世論としては割と冷静な印象を受ける。テレビの影響力などは高が知れていると言うことかな。大体真面な大人は平日昼にテレビがある所に居ないよな。

 朝から草取り。晴れて来たので作業終了。大体二時間だね。以後暑くなる。現場監督が来て作業の確認。生コン打ちは来週になる。行水、昼飯、午睡の後、出社。夏休みもあと僅か。結局残るのは読書感想文。パソコン内のデーターベースから幾つか打ち出した。退社後はBに行くも誰にも行き合えず。Iに寄って帰った。

 

8/28・水

 年金に関する財政検証が公表される。給付は三十年で二割減るという。但し経済成長率がいい加減に設定されているから実際はもっと減るんだろうな。まあね、年金に関しては税投入を増やすしかないですよ。足りない足らない、只管二千万貯めろなどと言うと、みんな節約して個人消費が更に落ち込む。江戸時代ではあるまいし、倹約令ばかり出されてもね。経済が縮小するばかりである。また京都のテロ事件で被害者の名前が発表される。職業柄若い人が多い(特に女性)。言葉もない。もしもおじさんがもう少し居れば、もう少し助かったかな。「此処から早く飛び降りろ」とでも大声で叫ぶ人が居て欲しかった。

 南風吹き荒れ、大体雨。再び蒸し暑い。九州北部は大雨だそう。こうなると草取りも出来ず。暇に飽かせて最近リメイクされた「ヤヌスの鏡」を見ようと思ったら、ネット配信オンリーで見もしない番組も含めて月額888円も掛かるのだという。そんな馬鹿な。何でこういうものを地上波かせめてBSでやらないのだろう。大体テレビ局だろうに。大袈裟な科白回しとナレーション、人格が変われば服やメイクまで変わって仕舞うという不思議、ツッコミどころ満載のテレビ黄金期の名作なのにねぇ。基礎工事班にはお茶出し。家人が日日碌な物を食べていないというので、三丁目の豚肉で冷しゃぶ。200円の猫ドームはシロが気に入ったよう。よかったよかった。

 

8/27・火

 朝は曇り。以後一雨あった。まず草取り。漸く家作の前庭にも進出す。偶には変わったところで変わった昼飯を食べたいと思った。出鱈目な東横線に乗る。併し白楽、東神奈川、仲木戸と移動するも食指は動かず。結局鶴見の「ゆで太郎」に入った。そんな馬鹿な。でも富士そばより旨い。細打ちの自家製麵、茹で立て提供。ライバル続続登場である。以後市バスに乗るも、一の瀬という所で下ろされる。這う這うの体で綱島まで徒歩連絡。再び東横線に乗って帰った。何も収穫がなかったが、鶴見の樽町というところで猫用ベッドが200円で売っていたので二つ買って帰った。郊外は物価が安いと思った。

 さてさて夜も更けた頃に外出す。他県で先生になった平政君が上京して来たので無責任社長主催の歓迎会。職場近辺の居酒屋に向かう。苦労は色色あるだろうけど元気そうで何より。大貧学院での経験が役に立っていますと感謝の意を述べていた。まあ確かにこういう感じの学習塾は今となっては少ないだろう(但し彼は給料払って貰ったのだろうか?)。職場に泊まるというので鍵を貸して帰った。

 

8/26・月

 アメリカから余剰玉蜀黍を沢山買わされるとのこと。今時家畜も食べないよな。アフリカか北朝鮮に差し上げて仕舞えばいいか。其れともバーボンでも拵えるか。あんまり飲まないな。ああいう強い酒は食道に悪いし、薄めて飲むと大して旨くない。香港の警察官は拳銃を威嚇発砲。そもそもあんなデモ現場に銃を持って行くことからして何か可笑しい。真面な警備警察のやることではないな。本土の武装警察はどう思っているのだろう。まさか、全く手ぬるいとでも。恐ろしや。

 朝の内は曇り。其の間に草取り。晴れて来たので散髪に行く。引き続き基礎工事。コンクリートの型枠作り。角部屋はガス工事など。幸い次の入居者も決まる。各方面に飲み物を提供した後、遅めの出社。途中旧ダイエー碑文谷店に寄り、扇風機を購入。実は四番教室のエアコンが壊れたのだが、残りの夏は此れで凌ごうと言うことになった。一部の学校は今日から新学期。引き続き中三社会。日本国憲法には先人たちの失敗の経験が詰まっているのですなどと講義するも反応薄し。退社後は立ち飲みBに行くも、誰にも行き合えず。こんな晩は他客のお話を受信するのみである。ところでBは割と最近時給を結構上げたらしく(1300円らしい)、結構若い人が入って来ている。学生さんや副業さんなど。其の分、外国人材や中高年は何処かに押し出された模様。みんな元気かね。碑文谷のドライブでラーメン休憩。早目の帰宅となった。

 

8/25・日

 朝と夕に草取り。昼は「ほっともっと」。夜は「信濃屋」のかつお中落ちと肉豆腐。三回出動して45リットルで数袋取った以外は、取り立てて無為。夜半過ぎに大雨。外には涼しいが二階は暑いまま。

 

8/24・土

 未明に前線が通過したらしく異様な湿度は下がる。昨日今日と工事は無し。例によってやや宿酔気味。朝は富士そば。以後漫然とす。まあまあ晴れて、まあまあ暑い。其れでも秋の粧い。夜は家人の明太パスタ。

昨日の新聞によると都内の下水道を全て分流式に変えるには十兆円も掛かるのだという(私有地の配管も変えなくてはならない)。また雨が一時間に十ミリも降ると自動放出されるらしい。こうなったら山ほど牡蠣を養殖したらどうだろうと思った。牡蠣には大変な浄化能力があると聞いたことがある。泳いでいる内に引っ掛かって怪我しちゃうかな。水着が破けて大変なことになるかもしれない(スイマセン)。信託銀行から七月の運用報告書が送られてくる。何とプラス千円だという。そんな馬鹿な。此れでは郵便代の方が高い。

 

8/23・金

 朝からまあまあの雨。朝はコンビニのおにぎり。例によって家のレンジで人肌に温めると結構食べられる。北海道では「おにぎり温めますか?」と聞かれるらしいが、本州以南でもそうすべきである。午前中は漫然とす。試しに血圧を測って見ると、上が115で下が75と極めて良好な値。夏は血管も伸びるよな。熱帯地方に高血圧の人って、いるのかしら。

 以後降ったり止んだり。異様に蒸し暑い。川崎の叔父さんが来たが大してお構いも出来ず。そもそも平日の昼ではね。夕方前出社。ところで中三のK君はとうとう塾に来なくなる。此の子など小学生の頃から来ていたのだが、何しろ一言も発したことがない。学校でも同様だという。だから誰も彼の声を知らない。何かがあったのだろうな。こういう子にこそスマホを与え、いっそラインで会話した方がいいと吾人は進言したのだが採用されなかった。何かしら言いたいことはある筈なのだけど。見たところ母権が強過ぎる感じかな。もう少し介入すれば何かしらの変化があったのかもしれないが、何しろ学習塾には権限がないからねぇ。月波君が来たので、立ち飲みB、立ち中華と連戦し、先日マスターと知り合ったワインバーのような所にも寄って帰る。多分一時過ぎ。もうふらふら。バタンキュー。

 

8/22・木

 朝方は重い曇り。引き続き基礎工事。敷いた砕石の踏み固めから。以後型枠作りに移行。段段暑くなる中、今日も千寿に出校。途中駅ビルにて『日本大空襲』を購入。本書は十九年十一月から始まる航空整備兵さんによる日記記録。最近ちくまから再版された。『東京焼盡』と合わせて読みたいと思った。

此方の講習を終わらせると町屋に回航。立ち飲みBを覗くもDH君はおらず。どうやら社員さんに任せっきりの模様。駄目だね、オーナーたるもの常に現場に出なくては・・・。やむを得ず駅地下のちゃんぽんチェーンへ移動。併し大して客もいないのにオペレーションは崩壊気味。外国人材二人だけではね・・・。十分に冷めた餃子等が提供される。値上げしてでも人員を確保して欲しいと思った。大体ちゃんぽん界のプライスリーダーだろう。

 さてさて本務校での勤務の後はバーIへ。先日のバーベキュー会の後日談を聴収す。すると元生徒のOBさんが来て、序でに一献傾けた。此の子など中高生時代は色色と反抗して大変だったが、今では立派にOLを務めているらしい。適当に話しして最終バスで帰宅。四千円も失う。若い女性と言うのは得だね(吾人も男には奢らないぞ)。直ちに録っておいた「やすらぎの刻・道編」の九十九話。気の優しい三男さんは徴兵が嫌で自死するという結末に。所謂死亡フラグは立っていたのだが予想外の展開である。こういうこともあったのだろうな。戦没でもなく復員でもなく。つくづく公共放送の連続テレビ小説では描けない内容だと思った。

 

8/21・水

 信託銀行からは投資信託について次から次へと葉書が送られて来るが、見方が分からないから、よく分からない。昨日の報告にはマイナス五千円とか書いてあったぞ。そんな馬鹿な。

 まあまあ曇る。家人は鎌倉へ。さてさて今日から基礎工事。小型のユンボが来て掘り始める。不発弾や土器でも出てきたら困るけど幸い其れはないだろう。二階家だから大して掘らないしね。松の木の根っ子も少し切った。三時過ぎには御仕舞。時時読書、何処にも行かない夏は『日本史用語集』で時間旅行をする。時時草取り、梅雨明けから放置状態だったからもう膝下まで来ている。朝昼と残り物。夜はスーパーの惣菜。

 

8/20・火

 朝方は大雨。更に気温が下がる。久久に妨害行為はなかった。猫は濡れるのが嫌いだからね。前の前の天皇の「拝謁記」というものが公開される。一応反省の念を示しているらしいが、所謂一撃講和論と言うのは良くないな。あれで終戦が遅れ、一体どれだけの方方がお亡くなりになったことか(義雄伯父さんを含む)。大きな溜め息をつかずにはいられない。満州事変以後の陸軍の暴走にも怒っていらしたらしいが、三十代の君主では抑えられなかったかな。政治とは四十を過ぎなくてはよく分からないものである。

 以後少し晴れる。肌の状態が良くないので草取りも出来ず。夕方前に再び大雨。昼はスーパーの弁当。夜は生協の豚肉。成るべく買い物をしないで、ある物を食べて片付けようと思う。久久にエアコンなしで就寝。凡そ三週間ぶり。

 

8/19・月

 外猫による断眠酷し。少なくとも十回以上。さてさて雲が広がり酷夏は終了。出来ればあと一日早く終わって欲しかった。基礎工事が始まる。特に地盤改良工事。見たことがないような重機も来る。鉄管をかんかんと打ち込んでいた。

 さてさて吾人も今日からは働くおじさんである。サービス価値を生み出さなくてはならない。御昼に千寿に出校。今週は向こうの講習である。実に半年ぶりに千寿に参る。多少ゴミは片付いていた。併し当該生徒は一人だけ。他の生徒も数えるほど。明らかに採算ラインを下回っているが、なかなか廃業の決断がつかなかった模様。辞め時というものは難しい。それにしても五年前は溢れるほど生徒が居たのだけれどね。逃散した前任者はどうしているのだろうか。三時間ほど教えて本務校に回航。退社後は雨雲を気にしながら立ち飲みBと中華に寄る。Bに居て以後独立したOJ君が来ていたので色色と昔話と情報交換をした。若い人はどんどん独立した方がいい。ただ何処も彼処も再開発だらけで手頃な物件が無くなっているのは宜しくないな。昨日留置しておいた旧型車で帰宅。十二時前。併し久久に乗ったけど酷い乗り心地。よく乗っていたね、こんなポンコツに。

 

8/18・日

 朝の内から活動す。まず一旦職場方面に赴き、其の後激安スーパーに参集。暑い最中であるが、バーI主催のバーベキュー会である。続いて多摩川右岸に移動。一応設営は業者さんに頼んだ模様。最近は何でもやってくれるのね。参加者は二十人以上。男性多し。喫煙率高し。而も前回の花見の時と殆ど一致していない。飲み屋の御客も新陳代謝が著しいと思った。大した役割分担などしていないが、何となく準備が進み、乾杯の運びとなる。焼き場は若い人に任せ、吾人は後方勤務。

テントはあるがなお暑い。三十五度はあるね。色色と焼いてくれたが、みんな手が伸びず。中から冷やすしかないな。結構飲んだ筈だが殆ど酔わず。幸い三時過ぎには撤収となる。金五千円失う(内二千円は設営料)。皆さんは目黒線に、吾人は東横線に。二次会はキャンセルして早目に帰宅した。夕飯として家人の冷やし中華。こうしてお盆休みは終了す。十時就寝。

 

8/17・土

 香港の自治一つ認めないのだから、現在の中国共産党は余程自信が無いのだと思う。ドミノ倒しを警戒しているのだろうが、そもそも香港のドミノは違う方向を向いている。本土に波及する訳がない。為政者には好き勝手にやらせて措くぐらいの度量と言うものがないと往けない。万が一にも武力介入と言うことにでもなれば、世界的規模で中国製品排除と言うことになり、米中貿易摩擦どころの話しではなくなる。輸出依存の中国経済は忽ち壊滅す(人民の不満も爆発する)。序でに日本経済も大ダメージを受ける(吾人も投資信託で大損する)。此れが現在予測し得る最悪のチャイナリスク

 台風が残した熱い空気に強い日差しが加わり、異様な暑さとなる。終日在宅。昨日今日と角部屋は大工工事。昼はレトルトカレー、夜は冷凍干物に適当な炒め物。昨日に続きゼロ円支出。お台場の水泳大会は菌の活動が活発過ぎて中止となる。詰まり大雨が降ったから。詰まりあれが流れ込んだのである。雨に降るなとは言えないから、愈愈全都民にあのお願いをするしかないか。大量降水時の大便は御遠慮くださいと。

 

8/16・金

 まあまあ曇る。其の分、気温は下がる。其れでも三十度はあるね。冷夏を予想したのだけど、結局猛暑になった。つくづく未来の予測は難しい。引き続き「やすらぎの刻」。とうとうテレビ局で乱闘騒ぎと言う展開に。大先生はバラエティー番組がお好きではないよう。まあね、確かに吾人も見ないですよ。そもそも見ないから、下らないなどと腹を立てることもない。ちなみに劇中の豊臣家康のモデルは最盛期の武軍団。今はあんな無礼な人もいないと思う。過去に何かあったのだろう。但し人は変わり、何れ礼儀正しくなりますよ。其れが成長と言うものです、先生。買い物は無し。残り物と買い置き食品でゼロ円夕飯。炊飯器には二度目の出動を願った。グレが何度も上って来て安眠を妨害す。また時期が来たみたい。

 

8/15・木

 悪い流れを断ち切るべく何処かに出掛けようと思った。こういう場合は高尾山か深大寺なのだが、天候の不安もあり、後者に向かう。時折雨に降られながら、早速「青木屋」で冷酒を傾ける。つまみは鮪の山かけ。二八のもり蕎麦は太麺で水水しい感じ。こういう蕎麦もあるのだね。少し新鮮だった。

土偶君が暇だというので町田に回航することにした。確か、調布から柿生行きとかがあるのだが、よくよく見ると休日朝に一本だけ。そんな馬鹿なと思うことなかれ。此れは路線免許の維持の為である。多摩地区にはこういう路線が多多ある。バスマニアしか乗らないな。結局素直に狛江に出て、小田急線に乗り換える。小田急も京王も東急に比べて全然ホームドアが付いていない。依然として脆弱鉄道。急行通過駅から早く設置すべきである。

さてさて彼とは一年振り。まず「なかなか」と言う店に入った。近況報告などをしていると、狭い店なので隣りのおじさんと話しが盛り上がる。まあまあの会社員なのだろう。キャッシュレス決済の重要性を力説される。でも御本人は一万円札を出して払っていた。そんな馬鹿な。サービス価格の酎ハイ類が薄かった御蔭でまだまだ飲めそう。「とりいちず」と言う店に転進。たっぷり飲んで出た。二軒、凡そ五時間近く飲んでも一人四千円程度。町田は安いという印象。若い人が多いからかな。「ぎょうてんラーメン」も食べたかった今夜はもう入らない。田園都市線経由で帰宅。十時就寝。ちなみに土偶君の実家は依然としてゴミ屋敷状態だという。公務員である御両親は共に退職した筈だが、今以て布団を敷く場所もないらしい。そんな馬鹿な。「片づけトントン」の動画を一家全員で見るように推奨しておいた。

 韓国大統領のボルテージは多少は下がったよう。まあね、徴用工問題に関しては、官民協力で基金のようなものをつくって見舞金を渡すようにするしかないとは思うけど、A政権ではねぇ。其れに先行して作られていた財団を強制解散に追い込んだのは韓国側のやり過ぎだよなぁ。

 

8/14・水

 昨日と同じような感じだが、台風が接近してきた分、通り雨の間隔が狭まり、また降り方も強力となる。山陽新幹線は明日の全面運休を決定。計画運休と言うやつである。指定券の大変更でみどりの窓口はどうなるか。

 引き続き「やすらぎの刻」。引き続き大御所先生は視聴率競争に御怒りのよう。まあね、ちゃんと見たい番組ほど録画して見るよな(こうした視聴は数字に反映されない)。でもね本当に見たい番組は、急いで帰って、リアルタイムで見て、更にもう何回か録画を見るぞ。ま、そういう番組ってもう何年も無いな。少し草取り。

 晩は唐揚げを買いに行く。七個パックを所望したところ、一つないので数分待つとのこと。何でもいいから代替してくれと言うと、其れは出来ないという。サービス業も御役所化していて融通が利かないと思った。思わず店員相手に悪態をつく。いけない、いけない。どうも昨日から流れが良くない。一方何日経ってもなくならない白菜が邪魔だと家人が何遍も宣う。本当に地鎮祭などやるものではないと思った。第一に家内不安全を招く。お供え物だから捨てる訳にも行かないし。愈愈吾人激昂し厨房に突入す。怒り任せに引き千切り、胡麻油で炒め、油揚げと冷凍餃子と餅を加えて、「サッポロ一番塩らーめん」のスープで煮込んだら、まあまあの出来栄えであった。併し家人は一切手を付けず。結局夜半に全量廃棄となる。

 

8/13・火

 どんどん雲が出て来る。10号は西日本を直撃の見込み。関東も時折ざあっと降る。朝方は隣のマンションの不燃ゴミの整理。引っ越しゴミが箱から溢れ返っていて、此の二週間、誰も何の整理もしなかった。どう仕様もないね。無管理会社である。結局拙宅が迷惑す。昼は「さとう」のラーメン。家人には「ほっともっと」。

 午後も一雨。其れでも暑い。適当に映画「ライフ(SF版)」。例によってクリオネみたいなかわいい生き物があっという間にイカのお化けになって襲ってくる。言わんこっちゃない。だから何処も彼処も防疫が緩い・・・。でもあの飛び出したエイリアンどうなったかな。案外地球上の微生物にやられて御仕舞かもね(逆ケースも当然ある筈)。夕方はおじさんたちに誘われて人気もつ焼き店に行く積りだったが、リコンファームが遅れ、何故か吾人だけが蚊帳の外に。おじさんたちの段取りの悪さに失望するとともに、観光地化した大衆酒場と言うのも考え物であるな。いっそ二倍値上げして、御客を半分にして欲しい。食い物の恨みは怖ろしいぞ。結局冷蔵庫の残り物で中量飲酒。まだまだ白菜がある。

 香港のデモ隊は空港を占拠。全便キャンセルという事態に。成程、此の手があったか。広場に行くより発信力があるな。日中で世界貿易を維持するという所存に変わりはないし、現に拙宅も大量購入しているが、何れ中国とは深刻な対立が起こるような気がしてくる。矢張りああいう体制は拙い。此れが本当のチャイナリスクだな。

 

8/12・月

 山の日の振り替え休日。多少曇っているが、暑いことに変わりはなし。其れでも少しは温度が低下するというので、小平霊園へ向かう。亡父の新盆であるし、また万代伯母の命日も近い。義雄伯父さんもね。まず世田谷線に乗り、京王づたいに国分寺へ。此処から銀河鉄道に乗り換え。運賃170円。少し安い。路線バスのLCCかな。ちなみにバス停は遠く、駅前を態態一周して方向転換す(凡そ四分のロス)。パラパラとは乗っているが採算は取れているのだろうか。

肝心の霊園であるが、お盆なのでまあまあ来ている。手短に清掃と近況報告をし、駅前の中華屋で麦酒休憩。冷やし中華には小炒飯が付いて来たがどちらも及第せず。一方周りの常連さんは定食をモリモリと食べている。ミスショットだったな。其のまま西武線に乗り、新井薬師下車。南に向かう。庶民的な商店街が飲み屋街に変わればもう中野駅。少し物色したかったが、気温が其れを許さない。直ぐに京王バスで渋谷へ。啓文堂で『社会学史』と『日本社会のしくみ』を購入。どちらも新書としては最厚クラス。凄いボリュームだね。地下街で崎陽軒の弁当を買って素直に電車で戻った。九時半に出て三時着。往復に四時間掛けた新ルートであった。

早速後者を拾い読み。日本社会は元来格差社会で、経済成長が停止すると忽ち元に戻る傾向となる。特に地縁血縁家業不動産等の基盤(「地元型」)を失うと貧困に陥りやすい。また給料だけで生計を立て、退職金と年金でまあまあの老後生活が送れるのは、大きな会社を定年まで勤めあげた人だけで、男の人でも精精三割程度だという(「大企業型」)。まあそんなもんだろうな(件の二千万円問題で大騒ぎするほどの事でもなし)。ちなみに吾人の生活は家業を中心とした「地元型」と、不安定で僅かな給料収入を得るという「残余型」のハイブリッドになる。深刻なのは此のまま何もしないとあっという間に「残余型」が増え、まるで戦前みたいな社会に戻って行くことである。毎日毎日会社で働いてはいるが、貧農小作と変わらないということに。困った困った。

夜は公共放送で「かくて自由は死せり」。戦前最大の右派メディア「日本新聞」を追ったもの。こんな新聞があったとは知らなかった。蓑田胸喜の息子さんなんかも出演して御父上の日記を紹介していた。ああいう資料もしっかり保存しなくてはならないね。実家の取り壊しなどでごっそり捨てられる時期である。

 

8/11・日

 引き続き三十五度。午前午後と漫然とす。外猫もぐったり気味。途中映画「ビッグ・ハウス」。巨大アメフト競技場を追ったドキュメント作品。大学対抗の試合に十万人も集まるのだという。但し観客は結構白い。アメリカの大学も学費が高いからね。一方働いている人などは違う色。アメリカの現実だね。アメフト、チアリーディング、ハンバーガーセット。此の国は未だに若い。こういう所で熱狂するより、少し廃れた蕎麦屋でゆっくり冷や酒でも飲みたいと願う吾人なのであった。年寄り染みてる? いえいえ、元からこういう性格なのです。

夜は焼いたスルメに白菜の炒め物など。定量飲酒。先日の御供え物が大量に滞留している。また台風が来るのだという。従って海の事故多し。五輪まで一年。プレ大会では暑い暑いと苦情続出。なおお台場で泳いだ選手によると水質が悪いと。トイレの水のようだとも。そもそもあんなところで泳ぐ人はいないよな(そもそもあそこには未処理の下水が・・・)。何かの宣伝の為に無理矢理選ばれたのだろう。兎に角、五輪を止めろとはもう言わないから、せめて今からでも移した方がいい。東京湾の入り口辺りでいいじゃない。三浦海岸でも千葉方面でも。いっそ島でもいい。あそこも東京都である。

 

8/10・土

 さてさて本日から九連休である。朝は牛丼S。午後新橋に向かう。仲田大将主催の暑気払い。時間があるのでバスで行く。例によって渋谷はどんどん建て替わっている。東急プラザ後のビルも完成間近。西口バスターミナルが丸ごと入るのだという。其の後、東横店の取り壊しに入る予定。例によって渋谷永久再開発である。

 そんな渋谷であるが近年鼠被害が多発とのこと。先日はコンビニが閉店に追い込まれた。今こそ、猫の出番だと思った。兎角犬と比較され、何とか犬など働く御犬様は多多あれど、勝手気儘の怠け放題、働く猫なぞはついぞ見たことがないなどと陰口を叩かれているが、其れは全くの誤解である。そもそも猫がいなかったら、人類は農業を営むことすらままならなかっただろう。何しろ収穫した穀物を次から次へと喰われて仕舞うのだから。雲霞のごとく押し寄せる鼠に対抗するには、下男下女のような人人を二十四時間穀物庫に張り付けておく必要がある筈で、其の分の労働力が恒常的に失われることとなる。其れは農業の生産性を相当後退させた筈である。こうした本来極めて困難な鼠対策を猫が正に一手に担ったのである。猫に感謝すべき理由は此処にある。現代の猫が暇そうに見えるのは鼠が偶偶見当たらなくなっただけのことで、一旦緩急あれば、彼らは忽ち本能を取り戻し、誠心誠意不眠不休で鼠を追い掛け回すに違いない。全国の猫達よ、今こそ渋谷へ集え。そして一所懸命に闘う姿を見せて欲しい。

さてさて都営に乗り換え、西新橋の停留所で下車。海風が入っているらしく世田谷より少し涼しいね。二時半から何時ものちゃんぽん屋さんで大量飲酒開始。参加者は鰻犬先生と須々木さん。延延と五時間も飲んだ。高級日本酒を片っ端から空けたから一人九千円。半分以上は大将が支払ってくれた。本日は此の一店だけ。メトロで帰宅。十一時就寝。

 

8/9・金

 フクイチの汚水タンクは三年以内に満杯に。取り切れなかったのはトリチウムである。一応自然界にも存在するものだけど。愈愈決断が迫られるな。漸く角部屋の水道関係工事。元栓取り換えの為、拙宅を含め一瞬断水す。此れと言った影響は無し。引き続き三十五度。昼は半田の素麺を豚肉入りの付け汁で。午後出社。金参万円受け取る。退社後は無責任社長と一席。其の後Bに寄って帰った。

 帰宅後「エイリアン・コヴェナント」。二千人も載せた移民船のクルーたちは極めて無防備に未知の惑星を探索す。そんな馬鹿な。吾人ですら未知のゴミは軍手とトングを使って慎重に分別するぞ。北欧のような景色は綺麗だけど、残酷シーンの手前で挫折。こういうSF物はコメディーにした方がよっぽど楽しい。二十年くらい前に公共放送でやっていた「宇宙船レッド・ドワーフ号」は本当に面白かった。

 

8/8・木

 さてさて八月八日、末広がりの大安の日。地鎮祭である。まず果物を受け取りに行く。愈愈十時過ぎに宮司さんが現れ、祭壇の準備。地元の神社から来たのだが、当然初対面である。十一時に式典開始。参加者は施主である吾人と家人、住宅メーカーからは営業担当者と設計者、現場監督と其の上役さん。何時もの不動産屋からS君と同僚のO君。それにしても暑いね。祝詞に続いて砂山に鍬入れ。エイエイエイと三回唱えた。(何とか道路とか、かんとか新幹線を作り始める政治家みたいだと思った)

相変わらずの炎天下である。事前に指導されたにもかかわらず、御榊奉納では手順で間違える。此方は施主がトップバッターだから、誰かの真似をするという訳にも行かず。少し恥ずかしかった。それにしてもこういう神事に出るという経験自体がないからなぁ。大体四十分で終了。時折日が陰り、風が吹いたのが幸いである。パッと散った紙吹雪が印象的だったよ。色色と頼みますよ、氏神様。吾人にも福を下さい。宮司さんを御見送りして、簡単な工事の打ち合わせをして終了する。十二時過ぎ。いや疲れたね。もう一度やるかと問われたら少し考えるな。

さてさて御勘定である。玉串料は伍万円。参加者に金券配布して約四万円。供物等の準備に一万円弱。社会的儀礼の範囲内と言うやつも安くはないね。ちなみに御酒は住宅メーカーが用意してくれた。「良家」という縁起のいい名前の日本酒だが、よくよく見ると糖類添加。あらま。ぐったりしながらレトルトカレー昼食。沐浴、午睡の後、出社。四時から補充授業。いや併し疲れたね。プリント作成時、コピーの縮尺を何度も間違えた。少し気を取り直し、立ち飲みBで少しだけ飲んで家に帰った。

 

8/7・水

 引き続き三十五度。西友に熨斗袋を買いに行ったところ、祝儀不祝儀色色あれど、「初穂料」などというレアアイテムは置いておらず。炎天下、野沢の古い文房具屋まで回航す。ちなみに今日も測量をやっていた。異様に若い人が多かったから、研修半分なのかな。午後はテント張り。

余りにテレビが下らない(特に国際弁護士の何某と何とかいう落語家が酷い)のでラジオを点けて午睡す。すると元首相の後継ぎがタレントアナウンサーと結婚するそう。併し態態官邸まで行って公表するかね。公私混同甚だしい。何かがどんどん間違って行くと思う次第である。而も加速度的に。愈愈国が亡びる兆候だな。そもそもあの世襲政治家のあの無意味に大袈裟な喋り方から言って(芸能人をされているお兄さんとは余りに対照的)、置かれた場所と時代を何か勘違いしていると思う次第である(貴族院議員とでも?)。夜はスーパーの惣菜。

 

8/6・火 

米中貿易摩擦で株価は続落。大丈夫か、吾人の投資信託。併し株価如きで一喜一憂したくないね。こういうことになるからね、あんな債券買わされてつくづく迷惑である。引き続き三十五度以上。今日明日と不出社。朝方に再び西友に行き、炊飯器を購入。虎が早逝したので今度は象にした。政権交代である。約一万円の標準品。当然メードインチャイナ。日中で世界貿易を支える所存である。なお拙宅の人口減少に伴い、三合炊きに変更となる。まあね、三合でも週休四日だよね。

 続いて昼の弁当を買いに行く。序でにスルメを購入。明後日は愈愈地鎮祭である。午後は休憩す。西の方に向かって水を撒いた後、一キロ先の果物屋に参る。行って見ると先月末で閉店していた。そんな馬鹿な。やむを得ず並びの八百屋で特別注文す。受け取りは当日朝。一方家人は馴染みの古酒屋にビール券を買いに行く。と言う訳で一家総出で色色と準備をす。海の幸と山の幸、酒に塩に米と金券に、あと何が必要なんだっけ? 夜は家人の回鍋肉。週に一度ぐらいは台所も何かしら生産しなくてはね。

 

8/5・月

 本日も三十五度。また飯を炊こうと思った。ちなみに新型のガス台にはオートモードというものがあって自動で炊けるよう。試しに二合だけ炊いたところ、お焦げが多数。どうも鍋との相性が良くないらしい。矢張り電気釜が必要だと思った。午後作業車が来る。仮の電柱に仮の電線を接続させて直ぐに帰って行った。夕方頃出社。暫らくは中三社会の授業がある。本日も近現代史を重ねて指導す。退社後はBで少しだけ。

 日韓で憂鬱な応酬が続く中、二十歳の日本人選手が全英女子オープンゴルフで優勝す。グリーン上で駄菓子を食べながら屈託ない笑顔を見せていた。まだあどけない。一服の清涼剤だと思った。勿論色色と苦労もあるのだろうが、何も恐れないというのは強みになるな。併し最近は地方から良い人が出て来る。大都市周辺は駄目だね。練習するにしても御金がかかり過ぎるからかな。

 愛知の展覧会は中止に追い込まれる。詳しくは知らないが、まあねある程度想定されていたことかな。・・・М・ホジャートは「検閲官に理解されるような諷刺は、禁止されるのが当然である」というカール・クラウスの言葉を引いている。そして、「アイロニーアレゴリーや寓話という手段を用いて、検閲官を出し抜くというのが諷刺家の仕事である」とつづける(『諷刺の芸術』)。この時期の如是閑の言論戦は、まさしくそれであった。ジャンケレヴィッチ風に言うならば、彼のアイロニーは軽やかに遁走す。追跡者にたいして目くらましを投げつけ、神出鬼没、思いがけぬところに姿をあらわし、命懸けの隠れん坊遊びをしてみせる。そして、トリッキーな身ごなしによって相手をはぐらかし、時に韜晦して自分の本性を隠し、姿をくらましさえするのである・・・「アイロニーの銃眼」御大の文章から。時代は最早、そういう段階にまで来て仕舞っているのだろう。困った困った。

 

8/4・日

 朝方はコンビニ弁当。昼は冷凍うどん。今日も暑い。こうも暑いと取り寄せた『独ソ戦』も『自由思考』も手付かず。夕方月波君が来て暑気払い。まず「とり石」へ。三十針も縫ったという芥田先生へのお見舞いを考える。続いてチェーン店のパスタ屋へ行き大量飲酒。ふらふらでバスで帰宅。

 ところで家人宛にプレミア付き商品券の案内が来ていた。二万円で二万五千円使えるのだという。消費税率引き上げに伴う救済措置だが、何とも面倒くさい。大体、購入の申し込みをして、受け取って、使って、また使われた側はいちいち換金しなくてはならない。そんなことなら全国民に直接日本銀行券を配って仕舞えばいいのにね。流行りのММ何とかである。

 

8/3・土

 当然宿酔も無し。打たれた杭を見ると案外小さい。二LDKだからね。もうすこしがっつり建てるべきだったかな。尤もそうすると庭が無くなる。今回のコンセプトは車庫付き庭付き猫付き賃貸物件だからね。本日は仮設トイレに仮設の配管を取り付ける作業。

 さてさて今日も暑い。朝方は富士そばかつ丼盛り蕎麦セット(720円)。続いて西友でLEDシーリングを二個買って持ち帰る(16000円余り)。此れは角部屋用。尚水道工事も目途が立った。御昼に出社。漸く講習最終日。中三社会、中三数学、中一数学のフル編成。ちなみに社会は歴史である。近現代史を真面に考えると余りに恐ろしいことが多く、夏の怪談などほんのおとぎ話に聞こえますなどと講義した。人間、取り分けナショナリズムと言うものは極めて取り扱い注意の重大危険物であるともね(こういうことが分かっていない大人が多すぎる)。さてさて八時半まで勤務して、B、中華、Iと三軒廻って帰宅す。

 

8/2・金

 未明にゴミの分別をしていると若者から声を掛けられる。駅への道が分からないと。色色と説明してやった。後から考えると、吾人があれこれ説明している時、彼は視界から消えていた。吾人の後ろに回っていたことになる(一緒に方角を見ていたのだろう)。昨今の事情を考えると、少し迂闊だったかな(警察学校では絶対にやってはいけない教え方だと習う筈)。ちなみにそんなに悪そうな人には見えなかった。半裸に近いおっさんに熱心に道を説明して貰ったという経験が何かいい方向に行きますように。まあね、年を重ねることに楽しみがあると言えば、こういうフランクなコミュニケーションが出来ることかな。おじさんおばさんじいさんばあさんに恐れるものは何も無い。全国の中高年よ、もっと声を掛けよう。先ずは親切に。そして他人をもっと褒めよう。

引き続き三十六度。本日は現場監督以下住宅メーカー本体から若い人が大勢来て、目印用の杭打ちなど。御昼にバス出社。講習も最終コーナー。中三社会も、中三国語もグダグダとなる。夕方退社。其のまま神宮球場へ。麦酒半額ナイターである。客乃間君、月波君、遅れて坪上君。何だか草臥れて仕舞い、試合内容も頭に入らず。おまけに数杯目の麦酒を膝小僧にぶちまける。仕事してスポーツ観戦とかは、ちょっと厳しいよな。増して此の気候では。試合としては九回の表にスクイズを決めて中日の勝利。ま、どちらにしても最下位争いである。

 酔った客乃間君は何時の間にか行方不明に。残った三人で表参道方面に移動。「麺飯坊」という中華屋に入る。チンジャオロースの焼きそばなど。麺の焼き具合が絶妙でなかなか旨い店だと思った。やっぱり都心は違うね。十二時頃帰宅。大量にビールを飲んだけど(三リットル近く)、余りに暑いせいか殆ど酔わない。不思議な晩であった。

 

8/1・木

 引き続き三十五度。本日は現場に鉄板を敷く作業。何度かトラックが往来する。途中植木屋さんが来て、庭木の消毒。定例の草刈りと剪定は九月になるとのこと。梅雨が長かったからスケジュールは押せ押せである。また角部屋は浴室ドアの交換。働くおじさん続続登場である。引き続き「やすらぎの刻・道編」。軍事教練、徴兵検査、小作貧農、結核隔離、金属供出、海軍病院。軍国少女のしのちゃんも、少し考えが変わった模様。作者はこうして、戦前戦中の惨さを可視化する意気込みなのだろう。若い人ほど見るべきであるな。Aのいう所の美しい国が、如何に惨めで悲惨であるか、即座に分かる筈である。

 午後は安閑とする。さてさて生命保険の見直しであるが、結局再見直しとなる。吾人の眼圧が高いので専門医による診断が必要とのこと。そんな馬鹿な。暑中女の外交員が来て、取り消しの署名。夕方須見伯母が来る。牛肉と舌平目を焼いてもてなした。