2020年・1月

1/31・金

 帰国者はホテルに缶詰めにされる。あらま。折角帰って来たのにね。そんなことしても無駄だよなぁ。封じ込めはもうとっくに無理です。そもそも北京幕府の隠蔽体質がこういうことになった。手を打つなら昨年の十二月の前半までだったと思う。ところで、そう言えば武漢ね。ボーシヨーチョーとか言ってあんなところまで攻めて行ったのだよな。考えられないね。『日中戦争全史』を読み直す。毒ガスまで使ったと書いてあった。ペン部隊も。

冬型に戻る。北風強し。午後出社。例によって金曜日の中二は余りに出来ない。真面目にやっているのにね。何だか可哀想。何だか呆然とし漫然とす。其のまま新店と日高屋へ。凡そ2000円。帰宅は十一時半。するとやっぱり家人は疲労困憊している。もう立てないと。何処か悪いのかな。ところで日付が変わるとワイハイが急に速くなる。此処数日大渋滞している感があった。どうして。就寝直後に中地震。こうして何だか慌ただしく一月が終了した。

今月の備忘論。鰻犬先生の旧宅も解体。跡地利用は不明。結構広いが所謂変形旗竿地。あの辺は一歩入ると途端に木密なんだよね。更に奥は建て替えすら出来ない筈。一方で死に掛けた商店街には耳鼻咽喉科と皮膚科が出来るよう。調剤薬局は既に二軒。さながら医療モールだな。

 

1/30・木

 武漢からの帰国者200人のうち三人に陽性反応。もうね単なる風邪でいいですよ。大抵のコロナウイルスはよくある冬の風邪の原因だそうで。こうして目出度く風邪の種類が一つ増えただけのこと。暖かくなれば自然と収まる。春よ来い。出来れば直ぐに。大体誰が何処に行って何に乗ったとか盛んに検証しているけど、大体誰に風邪を移されたかなんて、幾ら思い出しても永遠の謎だもんな。

 今日も四月の陽気。接待疲れで家人が不定愁訴。本当に容量がない。御昼は駐車場の商談。何だか最近は足りなくなったみたい。民間学童クラブのような所が借りたいらしいが、車が大きすぎて入れるかどうか。午後出社。退社後はおじさんたちと幾寅と立ち中華。合計2600円。夜更けに上って来たシロを散散撫ぜる。依然耳の後ろは痒い様だが原因は掴めず。人間用のステロイド軟膏を磨り込む。

 

1/29・水

 朝には止んで以後快晴。台風みたいだね。午前中は文庫本本棚の組み立て。併しそもそも置くところがない。本も少し処分しないと将来大変なことになるな。御昼に撤去費用の見積もりが来る。何と税込み37万円。アジャパー。六畳六畳と台所、小さな納戸と風呂の設備は入ってないけど風呂場は風呂場。それらに物がかなり堆積し押入れには物がギッシリだとしても少し高いな。捨てたら捨てた分だけ安くしてくれるというからもっと本格的に捨てなくてはならないと思った。18万円は将来への投資、(拙宅が支払う訳ではないが)37万円は過去の清算。どうしても後者を安くしたくなる。となるとゴミ処理対策本部を作らなくてはならないな。春のような暖かさの中、午後出社。退社後はBの新店。久久に彩さんと話す。後はおじさんたち。1530円。

 

1/28・火

 終日冷たい雨。お見舞いも片付けも無し。午前午後と漫然とす。休養日だね。「ヤヌスの鏡」読了。本編終了後に外伝として、あのおばあさんの生い立ちが描かれている。あんな人格になって仕舞ったのも時代と親のせいかな。それにしても此の作品が掲載されたのは八十年代初頭。文庫版の解説やあとがきに述べられている通り、虐待も多重人格も殆ど知られていなかった筈。実に先進的な作品であった。だから今見ても面白い。植木屋さんから請求書。18万円余。大体三分の二が原材料費。晩は豚肉を焼いて食べる。夜は大雨。一月とは思えない。

 武漢ウイルスは益益蔓延。株価は続落。此れを機に中国バブルが崩壊するという悲観論も。十億人の消費が落ち込むと其れぐらいの事が起こるかもしれない。まあね、なんとかなるでしょう。マクロ的には。観光業の皆さんは大変だろうけど。ちなみに今回の原因は蝙蝠辺りの哺乳類のウイルスの突然変異らしい。武漢海鮮市場=野生動物を食べるのは人類生存の伝統なのだろうが、何でこんな変異が起こるのかね。而も頻繁に。となるとある種の風土病だったものが、インフルエンサーとして世界的にブレイクしたのかもしれない。

 

1/27・月

 まだ暗い内から団地の一室に参る。今日は月二回の小物金属ゴミの日。回収時間が分からないから、こういうことになった。鍋薬缶、小型家電を中心に運び出す。引き続き片づけ。例によって大量の衣類、大半が未使用品。弟思いのお姉さんが送った品物なのだろう。結局ゴミである。つくづく年寄りの物を増やしてはいけない。それにしても川崎市は陶器の皿なども燃やして仕舞うよう。無機物だから可燃ではなく「普通」ゴミなのね。極めて緩い分別。灰はセメントの原料にでもするのかな。ゴミを出すなら川崎市だと思った。そんなこんなで何度も集積所を往復した。併し朝だというのに殆ど人が歩いていない。そもそも此の団地の半分は空室。残りの中にも通勤通学年齢の人が全く居ないのね。所謂限界団地。静かな朝です。只管ダンボール箱を潰し、中味を45リットル十数袋に縛り上げたところで本日終了。此れでどうにか動線は確保出来そう。 

 曇天の元、駅に向かってぶらぶら歩き。団地を出ると普通の住宅地。行ってきます、行ってらっしゃい式の普通の光景に出合えた。さてさて近くのスーパー銭湯で湯垢離でもしようと思った。片付けや分別は大得意だが、正直こうした部屋の片づけは余り楽しい物ではない。増して一人だとトントンさんのように軽口を叩く相手もいない。気分転換が必要である。平日料金1320円。タオルと館内着付き。早速黒い温泉につかる。続いて付属の食堂でモーニングビール、鰤のカルパッチョと天丼付き。仕事の後はこうでなくてはね。其の後ファーストクラスのようなキャビンで休憩。個別のテレビもある。アテンダントこそ出て来ないが快適其の物。帰りたくなくなるね。と言う訳で平日だというのに結構な人の出。みんなこういうところで遊んでいるのだね(土日は芋洗い温泉かもしれない)。是非自区内にも欲しいが、土地が高くて無理だよな。結局4500円も使った。内風呂より内需拡大である。帰宅は二時前。結局二時間働いて(といっても給料は出ないが)、三時間遊んでいた。晩は宅配ピザを三人で囲む。亡父の好物だった。居なくなって仕舞ってから初めて取ったね。仏壇に一切れ供える。夜から冷たい雨。

(付記)後から聞いたところによると、此処は超最新型のスーパー銭湯だという。正しくトップの数%。実に快適でした。ただね単身利用には最適だけど中人数以上の宴会用には向かないかもしれない。

 

1/26・日

 朝方は雨。武漢封鎖令に続き、今度は海外団体旅行禁止令。北京幕府はやることが違う。尤も変な病気の噂は昨年の十一月からあったという。初期消火に失敗したから取り返すのは難しいな。感染者は千人を越えたというが一千万人の間違いだとも思う。もうパンデミックである。あー、クワバラクワバラ。もう神頼み。

 午後は止んだけどまあまあ寒い一日。何となく漫然とす。従妹さんは病院を行ったり来たり。晩食は吾人が用意した刺身と唐揚げ。婆さん三人と囲んでも大して面白くも無し。

 

1/25・土

 さてさて本日は吾人が出動す。従妹さんを連れてまず宮前平。須見伯母と合流して弟さんの居宅へ。古い団地の一室。覚悟はしていたがかなりの荒れよう。取り立てての臭気はないので、生活ゴミと言うより、長年の生活用品が堆積した割合が大きいかな。例えば同じような服が何十着もあり、同じような食品が何十個も干からびている。貴重品を探そうにも足の踏み場がない。取り敢えず、片づけ開始。いや併しね、ちょっとやそっと量じゃないよね。弟さんは脳梗塞を患った後に介護ヘルパーさんも入っていた筈なのだが、介護保険に片づけという項目はないのかな。

昼食を挟み午後も漫然と片していると、近所の人が出て来てくれた。何でももうすぐ普通ゴミの回収がある。大抵の物は持って行ってくれるとアドバイスされる。俄然ピッチが上がる。三人とも猛烈な勢いで袋詰めと運び出し。冷蔵庫を空にして、大量の衣類を運び出す。川崎市も世田谷区同様、分別が緩くて助かるね。トントン拍子にリヤカー二杯分ほど出したところで集積所の容量が限界になった。興奮が多少収まったところで、頼んでおいた何時もの内装屋さんの若頭と新顔の回収屋さんが来る。早速撤去の見積もりを取った。ざっくり二杯分は減った筈だが、依然として膨大な量が堆積している。そもそも大きなものもあるし、元元素人に負える量ではないな。さてさて本日の片づけは此処まで。お礼がてら期限内な缶詰等を階上の女性に差し入れた。

続いて弟さんの入院先へタクシー移動。転院先は所謂療養型の病院である。吾人とは初対面かな。一応話せる状態にはなって来たが、経口摂取は依然不能。お姉さんに会えて喜んでいた。頻りに早く帰りたいとも述べていたが、帰りたい場所は川崎のあの部屋ではなく、故郷=今治のことだろう。ここで吾人は先帰り。たまプラーザまでバスで出た。買い物は吾人が済ませ、晩食は四人で鍋を囲んだ。ちなみに弟さんの最初の入院費はロハであったという。日本の社会保障制度は素晴らしい。そして無駄が多い。部屋には残薬の山。あの市営住宅もボロボロ。

 

1/24・金

 曇ってはいるがまあまあ暖かい。午後はまあまあ晴れる。家人たちはお見舞いに。次なる問題は部屋の撤収である。何時もの内装屋さんに連絡を取る。幸い意識も回復して来たというので貴重品等のありかは把握出来そう。それらをサルベージしたのちの一斉撤去は割と安いらしい(トントンさんのようにきちんと探索分別するとなると相当な金額になる)。と言う訳で色色な算段を付けた。夕方前出社。金二万円受け取る。退社後はBの新店と中華立ち飲み。後者は閑散。春節前だけど何となく物憂い感じが漂っていた。中国が咳をすると日本経済は肺炎になるな。観光産業から影響がじわじわと。

 

1/23・木

 さてさてまだ暗い内から渋谷に参る。家人の従妹の出迎えである。バスごとお迎えしようと思い、暫し表で待つ。併し時間になってもバスがさっぱり来ない。誘導員さんに聞くと、もうとっくに着いていると。何と三十分も前に。アジャパー。(降車のみの)高速バスって早いのね。と言うことは、待合室にいたあのお年寄りが当該人物だったよう。何しろ顔を知らないからね。遅れた御挨拶の後、まず拙宅にむかうことになった。(十二時間も座っていた筈だから)少し歩いた方がいいと思い、電車で案内する。すると最寄り駅に着いた途端に雨が降り出す。出迎え事業は散散である。楽しい上京ではないのに、つくづく申し訳ない。

須見伯母を加え、早速八十代女性三人で様子を見に行った。すると弟さんは話せる程度には回復したとのこと。良い兆しである。但し住まいの市営住宅はゴミ屋敷状態であったと。うーん、今度はリアル片づけトントンである。午後出社。退社後はBの新店。役者志望の従業員に一杯奢らされた。全部で1950円。帰宅後も静かにする。何しろ拙宅に三人住まうと言うことなど一年半ぶりの事だね。

武漢の空港や駅は悉く閉鎖されたというが、まあ無理だよな。ウイルスは物凄く小さいもの。つくづく弱毒性で済むことを祈ります。鼻風邪程度がいいな。

 

1/22・水

 朝から曇って大変寒い。午後出社。都立高校推薦入試の出願日。ある生徒は三時間も待たされたと憤慨していた。お役所(が運営する学校)と大病院は大概そんなものだよと応えておく。此れも人生経験だな。でも幾ら何でも三時間は酷いね。どういう事務処理効率なのだろう。なお私立高校の推薦入試の日でもある。但し専願の生徒は二人だけ。どういう訳だか今年は異様に一般入試が多い。二月の末まで働かなくてはならないな(新型コロナウイルスに罹りそう)。退社後はBの新店で軽く(1040円)。更に碑文谷のココイチでフライドチキンカレー二辛の御飯少な目。缶麦酒を付けて1100円。本年の初カレーであった。

 

1/21・火

 朝には全身打撲のような症状に。中年の冷や水だな。割と冬型の晴れ。続きの工事。松には栄養剤、低木も植えた。砂利も運んだ。大体二時間で終了。続いて散髪。続いてシロを獣医へ搬送。先週から耳の後ろを頻りに掻いていた。例の疥癬が心配される。皮膚はまあまあ綺麗とのこと(大抵耳たぶからやられるそう)。取り敢えず様子を見ることに(元気な猫は進行が遅いとも)。ステロイド系の痒み止めを打って御仕舞。3300円。

四国の従妹が泊まりに来るかもしれないので家人は布団の準備。従って今日の昼も弁当。絶賛買い食い生活である。一つは「福のから」、もう一つは立ち売り。一つは紙製の容器、一つはプラスチック。使い捨てプラスチックがなくなったら飢え死にするね。ちなみに四国からの夜行バスは渋谷のマークシティーというビルに着く。家人に幾ら説明してもそんな建物は知らないと宣う。東横のれん街の上だと言っても全く以て理解不能。例によって口論になる。そんなビルも知らないとはなんて詰まらない人生だったと恨み節まで飛び出した。再開発も大概にして欲しいものである。そんなこんなで午後は漫然とす。晩は適当鍋。

武漢ウイルスはじわじわと浸透す。既に人から人への大量感染だと。中国式最新型監視網でも拡大を防ぐことは難しいだろう。何しろもう直ぐ春節。十億人の大移動である。弱毒性だといいなぁ。2009年、メキシコからの新型インフルエンザはあっという間に蔓延したけど、幸いにして毒性が強くなかった。あの年は吾人も夏風邪を引いている。早速感染した筈である。

 

1/20・月

 やっぱり砂利を引いた方が佳いと言うことになり、朝から植木屋さんが来る。新棟の北側を中心に防草シートを敷き、砕石を被せる。吾人も20キロの石の袋を沢山下ろして運んだ。他は梅の幹の修繕。終日快晴の作業日和。午後もあちこちの手直しなど。残り物の人工芝も張る。やってもやっても切りがないな。砂利が足りなくなったので本日は早めの終了となる。直接取引だから住宅メーカーに頼むより安いだろう。

 午後家人帰宅。従妹の弟さんの転院先に行っていた。元元の糖尿病も悪化して全身の衰弱が著しいと(意識不明の重体)。今月の第一週までは元気だったそうである(其れに元は鉄道員で割とちゃんとしていた人だったらしい)。なお地理的に家人が第一保証人になる。早速山ほど同意書を書かされたと。ということは、あの(緊急)電話が掛かってくる可能性もあるな。それにしても、みなさん次次と現世からロールアウトされて行く。リアルやすらぎの郷である。午睡の後、吾人は出張所で住民票の受け取り。滅失登記と新築登記に必要。年が明けても忙しないね。昼はスーパーの弁当。晩は別のスーパーの牛肉を焼いた。少し精を付けないといけないと思った。使った筋肉を解す為、二日続けて入浴。すると芥田先生から寒中見舞いが来る。年賀状が来ないから少し心配していたのだが、実は昨年の始めに大きな不幸があって年賀状を出されなかったと知ってなお驚いた。

 

1/19・日

 朝から快晴。昨日今日と最後のセンター試験。私大も広く利用できるようになったのが共通一次試験との違いだったが、来年からはどうなるのだっけ。毎年数十万人が受験すると枕詞のように説明されるが、国公立大学は兎も角、私大などは既に半分は推薦やAO入試で決まっている。

 家に居ても仕様がないので昼は晴雷亭に。須々木さん以下、行き場のない中高年が大勢来ている。二時間ほど昼酒。其の後は職場に回航し自習の監督。七時半退社。Bの本店を覗くも彩さんには合えず。まあ二匹目のどじょうは滅多に居ないよな。一杯だけ飲んで帰宅。730円。昼の炒飯と焼酎が胃もたれして結構辛い。

 

1/18・土

 午前中は小雪が舞う。朝はレトルト御粥。守道監督急逝。つくづく地道な人だった。采配も去り方も。結局夜までずっと小雨。買い物は一便。他には漫画版の『ヤヌスの鏡・1』(集英社文庫)を取り寄せて読んだ。元元は少女漫画なのね。昭和版のことは余り思い出せないが、桜井版は結構原作に忠実な作りであることが分かった。

 さてさて特に何にもない日は酒を呑むに限る。六時ぐらいから始めた。ところで此の時間は大抵「報道特集」(TBS系)を眺めるのだが、本日の特集はイランとカシミール。見ている内に漸く上げたテンションはみるみる下がった。

 

1/17・金

 武漢から帰国した人が新型肺炎を患う。幸い回復したそうだが新手のコロナウイルスだという。具合が悪い人は飛行機に乗って欲しくないが、みんな変更が出来ないチケットだから這ってでも乗って仕舞うのだろう。併し太陽みたいな名前のウイルスがあるのだね。名に反して凶暴。

午後出社。退社後はBと日高屋とIで大量飲酒。嫌なことはみんな忘れて帰る。全部で4500円。帰宅は一時半。久久に嫌がるまでシロをあやした。

 

1/16・木

 家人の従妹の弟さんは川崎に住んでいて、余りお付き合いはないのだけど、インフルエンザから肺炎を起こし大学病院の集中治療室に入ったという。お姉さんは四国に住んでいるので、代わりに須見伯母が様子を見に行ったところ、面会謝絶の重症の模様。弟さんは独居老人。セルフネグレクトみたいな状態だったらしい。うーん。

 大体曇る。午後出社。ところで職場には先週からコーヒーサーバーがある。面白がって中三女子に作ってやった。旨いうまいと飲んでいた。まあ此れも受験勉強の思い出だね。ちなみに此のサーバーは無料レンタル。中味のカプセルは近所のスーパーでも売っていて一杯60円程度。但しあまり安売りはしていないよう。例によって中で儲ける戦略なのね。ジェネリック品を勝手に作って売ったら怒られるだろうな。さてさて退社後は今日も新店。一杯410円のビールと、250円の酎ハイを呑む。250円のワンカップも。酒に比べたらあのコーヒーなど只みたいなものだな。

 

1/15・水

 未明からかなりの雨。気が付くと一月も半ば。今年は最初の一週間を失ったから何だか調子が出ないね。昼過ぎまで結構降った。午後出社。中三には図形の入試の短問を解かせようと思ったが、肝心の吾人がよく分からない。事前に解いたが、汗びっしょりである。大体ABEがDQNと合同であるとかはね、大体見れば分かることだけど、此れを理を詰めて説明するとなると難しいものである。要は感覚である。結構草臥れて退社。Bの新店で1400円。帰宅後菓子パン。

 

1/14・火

 晴れ。未明に中地震。今年は暖冬だと言うがやっぱり冬は秋よりかは寒い。夜は鋤焼きにした。ところで昨日は成人の日。ちなみに新成人は122万人だそう。一方昨年生まれた赤ちゃんは87万人。何だかんだ言って、今までが第三次ベビーブーム(もどき)だったんだね。団塊ジュニアは二十年ぐらい掛けて実はまあまあの数の子どもを産んでいたのだろう。其れが終わると一気に八十万人台である。ブームやバブルと言うものは終わって見なければ本当のことは分からないものである。

ケーブルテレビで銀英伝の新作シリーズ第二期。銀河帝国の描写が気になる。王宮は綺麗に整っているけど、いや併しねこういう国家体制だと立派な宇宙戦艦は造れても、民生用には満足な冷蔵庫一つないんだろうなぁ。

 

1/13・月

 晴れ。午前中は宿酔気味。昼は地元のあっさりラーメン(800円)。鶏のスープなのだろうが妙に甘味が出て苦手な味。さてさて何とか回復してきたので、午後思い付き出社。祝日なので授業はないが、片付けをしつつ、受験生の質問に答えた。夕方S木先生が来たので後を託して退社。

さてさて此処からが思案橋である。取り敢えずBの新店で待機。エリアマネージャーのミキさんとおしゃべりするうちに、彩さん登場。お互いに宿酔明けの模様。いや併し(久久に)読みが的中したね。早速昨日反省会をした。すっかり気の良くなった吾人は、若い男子従業員にうどんを振る舞う(450円の二人前)。利他の精神を心掛けなくてはならない。薄くした酒を呑みのみ二時間半もいた(2540年・・・久久の遥か未来)。新店は昔の雰囲気が少しあって割と居心地がいいんだよね。禁煙だし。九時前帰宅。

 

1/12・日

 午後外出す。目的地は蒲田の外れの温泉施設。おじさんたち主催の新年会である。人に見せる裸体も聞かせる歌も無いので、此処数年は欠席していたのだが、彩さんが来るというので出動す。途中立ち飲みBの蒲田店と「ラーメン大」でひとりゼロ次会。宴席は五時開始。延延と続く。彩さんとは多少親しくはなった。すっかり送って帰る筈がどういう訳だか吾人だけ逸れて仕舞う。

ところで雑色から帰るのって難しいんだよね。京急蒲田から東急蒲田まで這う這うの体で徒歩連絡。こんな筈ではなかったが、気持ちは伝えられたと思いたいな。こうしてマーキュリー計画がスタートしたのである。バーIまで帰ったが結局誰にも行き合えず。追い越したのか、置いて行かれたのか。其のままタクシーで帰宅。1780円。一万三千歩。何やっているんだろう。

 

1/11・土

 家人は鎌倉へ。午後はまあまあ晴れる。朝は干しそば。昼は三丁目のとんかつ弁当。あちこちの片付けと清掃。夕方家人帰宅。横浜駅白杖の人と衝突して仕舞ったとしょげている。何しろ腰も背中も曲がって視野が狭くなっているからね。

 

1/10・金

 朝方は物干し台の組み立て。何十年も使ったものは腐食して折れそうになっていたので交換することになった。例によって組み立て式。伸縮自在なのはいいがチャチな造りだね(ネット通販で僅か数千円)。そう言えば竿だけ屋って、全く見なくなったな。午後出社。取り立ててどうと言うことも無い日。退社後はBの本店と中華に。どちらも大混雑。割と早目の帰宅となった。正直まだ麦酒の味が戻らないというのもある。其れに三日しか働いていないが何だか疲労が著しい。

 アメリカとイランを巡る対立は何とかなりそうな感じだ。でもある種の巻き添えで撃ち落とされたウクライナ機の乗員乗客は可哀想だな。つくづく民兵みたいな連中にミサイルを扱わせてはいけない。よく訓練された筈の正規軍でもしばしば誤射事件が起きている。

 

1/9・木

 朝から晴れて暖かい。須見伯母が来たので、700円の弁当で歓待する。午後出社。退社後は無責任社長と一献。隣りの食堂と生徒のラーメン店。此方も新年会。

 沖縄にも豚コレラ。ああアグー豚が。イランでは民間機が遭難。ミサイルの誤射だという。何ということが。此れだから軍事的緊張を高めてはいけない。元会長はレバノンで恨み節。少なくとも数百億もふんだくったと言うのにね。

 

1/8・水

 春一番みたいな南風が吹くと言われたが、結局何も吹かず。昼前は大雨。ずっと寒い。どうしてこんな予報ミスが出るの。止んだ頃早めに出社。今日から通常授業。今年の初仕事でもある。講習の片付け、清掃、溜まった事務仕事。夕方富士そば休憩。退社後はBの本店。皆さま勢揃い。其のまま日高屋へ流れ込む。実質的な新年会だね。

 

1/7・火

 曇り勝ち。七草粥よりステーキの香草和えぐらい食べたいところだが、其処まで食欲が回復せず。昼はせい家の付け麵。此れが今年の初外食。午後から小雨。他は漫然とす。夜は何度も上厠す。今週から付属駐車場も埋まった。

暇に飽かせてパソコンのウイルスソフトの更新。随分前から懇願されていた。適当にクリックしていると変なサイトに誘導される。すわ詐欺かと思ったが、どうもそうではないらしい。要はNTTは自社提供をやめたらしい。それならそうとそう書くべきである。此の手のマニュアルが分かったためしがないな。吾人ならこう書く。「面倒くさいので自社でのソフト供給をやめました。優秀な他社に移って頂きます。料金は其のままです」。何事も本質を捉えた説明をしないといけない。

 

1/6・月

 快晴。心身ともに回復す。まず大量の正月ゴミと引っ越し(して来た)ゴミの整理。国税庁のホームページも明けたので早速不動産所得内訳書を作成。清書だけだからどんどん進む。あっという間に四人分作成終了。晩食は吾人が買い物に行き、鍋を沸かした。日中十度以上。陽が落ちても八度。大変暖かい一日であったと天気予報の人は言っていたが、吾人にとってはまるで真冬の一日。ズボン三枚、常時ダウンを着ていてもやっぱり寒かった。すっかり体力筋力が落ちたね。しばしば皮膚感覚を大事にしろなどと言われるが、インフルの前と後では全く違う。こういうものはつくづく当てにならないと思った。

寝ていた間にイラン情勢が大変なことに。困った軍閥の親玉とは言え、幾ら何でも爆殺は拙いよな。却って国を纏めて仕舞うだろう。

 

1/5・日

 快晴。咳も止まる。直ちに復旧作業に取り掛かる。身の回りの片付け、寝具の交換、布団干し、入浴、洗濯(の手伝い)、狸パトロール、ゴミ拾い、排水管の点検。修身、斉家・・・、此の先は続かず。午後はリハビリがてらに確定申告の準備。何時の間にか年が明けているのである。遅い午後に半田の煮麺。ちなみにタミフルなどは予防投与が認められているそう。十割負担で飲みまくっている人が居るのだろうな。夜は暇に飽かせて「西村京太郎トラベルミステリー71」。松本が舞台なので見ていたが、どう見てもコントにしか見えず(何しろゲストがサンドウィッチマン)。其れにあずさで行ったり来たりするだけで、ダイヤトリックも無し。最近はこんな感じなのかね。

 元会長を載せた飛行機の操縦士らは逮捕されたそう。それにしても此れが国際的なプロ経営者の末路だと思うとかなり寂しいものがある。

 

1/4・土 

 どうにか熱も下がった。今日明日の講習は運休。一部クラスの併結運転や後日振替輸送等の措置をとった。いや併し参ったね。悪い夢を見ていたようだけど、体のあちこちが痛い。咳も残る。咳で腰も痛めた。悪夢は続いている。それにしても手洗いだけは励行していたし、職場に加湿器も持ち込んでいる。毎晩のアルコールうがいも効果がないとなると、予防注射も考えなくてはならないと思った。なおタミフルは四錠で御仕舞(返品したい)。大体効いた感じがしないね。そもそも抗インフルエンザ薬と言うものは、ウイルスの増殖を押さえることで発熱を抑制して重症化を防ぐことに主眼があるらしい。ぱあっと治る訳ではないのね(当たり前か)。体の弱い子どもや高齢者には有効なのだろうが、盛年男子には効果は今一つと言うことである(もっと燃え上がって一日早く治したかった)。何にしても、今回の罹患は少しショックである。矢張り年末に授業を積み過ぎた。其処で免疫力が低下したのだと思う。

 少し起き出して身の回りの軽作業。其れ以外は無為。幸い狸は出ていない模様。残り少ない咳止めを半分にして服用す(一昨日貰い損ねた)。晩は残り物とスーパーの惣菜を合わせる。味の濃い物はよう食えない。大病すると味覚が変わる。酒も一合程度。飲み過ぎて食べ過ぎてたな。夜は一瞬三十七度。残照。通り雨あり。

 

1/3・金

 八角から作った薬が効いたのか朝には収まった感じ。但し時時重い咳が残る。全身のダメージ酷し。徐徐に湿った咳が出始める。拙いな、前前回は此れで呼吸困難になったのである。残薬メジコン投入。午後になってもジュクジュクと発熱する。三十七度前後。もっとパッと出た方が治るかな。どちらにしても矢張りインフルエンザは手強いと言うことである。

弱ったところに、また疥癬狸が。猫小屋を占拠していると。追い出した所で大して逃げず。かと言って捕獲しても役所はずっと休み。どうしたらいいの。後ろ足の状態から見ると、昨年の六月に来たのと同じだな。毛は頭に僅かに残る程度。矢張り二匹いたのである。取り敢えず猫小屋を予備のものに交換。また入られると困るので囮代わりの段ボール箱を設置。暫らくして逃げて行ったらしいが、そんなこんなですっかり冷え切る。寒い寒い。エアコンに電気行火を点けて布団を被っても凍えるね。狸も辛いが、吾人も辛い。其れに警戒警備に当たると言っても腰の悪いばあさんひとりではね。書生でも置きたいところである。夜も三十七度台。朝は餅、昼はリンゴ、夜はアスターの残りに小ライス。本日無酒。

 

1/2・木

 未明に熱は下がった感じだが、時折乾いた咳が残る。今季三回目、本当によく風邪を引く。朝は極小量飲酒。色色と買って置いてよかった。以後安静にする。三十七度程度の微熱が続く。案外酷い。沢山寝ても寝足りない。どうしてだろう。

少し治りが遅いので、休日診療している近所の医院を探して参る。すると劇的な混雑な上に、列はなかなか進まず。一時間半近く待った診察結果はインフルエンザのA型(但し反応はかなり弱い)。アジャパー。明後日明明後日の授業、どうしよう。医薬合わせて3500円。帰宅後、軽い夕飯。直ちに「タミフル」投与。夜は三十八度近く出た。A型の診断が出たのは数年ぶりだな。免疫はかすれて仕舞ったよう。つくづく残念である。うーん、一昨日の記述が我ながら恨めしい。此の時期は、トモローネバーノウズ、本当に予測不能である。

 

1/1・水

 明け方は少し曇っていたが、照って来ると直ぐに晴れた。朝から日本酒を少少。二年続けての二人だけの正月である。するとまさかとは思ったが小咳が。午後から寒む気。直ちに緊急就寝。三時間ほど横になると軽い発熱。三十七度五分を記録。やはり風邪を引いた。渋谷で移されたか。いや数日前から体が少し強張った感じがしていたこともあるなぁ。昨日のオードブルを軽く食べて軽く飲んで御仕舞。

 元会長は楽器に隠れて関所を突破したという。プロの犯行だね。何かの故事にあったかな。まあね、日本の司法が酷いことは確かなんだけどね。