水俣にて

先日水俣を訪れました。
九州新幹線開業のため第三セクター化された肥薩おれんじ鉄道水俣駅は、ひっそりとしていました。駅から貸し自転車で、水俣病資料館を目指しました。資料館は駅から数キロ離れた埋立地の上にあります。
行きがけに、まずはチッソ水俣工場を見ていこうと思ったのですが、うかつにも通り過ぎてしまいました。チッソの工場は、さぞ威容を誇っているのかと思いきや、今日の日本経済の規模からみれば、どこにでもある田舎の化学工場といった感じだったのです。
水俣病を思うとき、なお悲惨なのは水俣をめぐる差別の存在です。患者は市民から差別され、また市民も市外・県外に出ればその出身地を隠さざるを得なかった。いわば差別の重層構造です。
熊本県水俣市。あの公害被害がなければ、不知火海に面した風光明媚などこにでもある街として存在し続けたことだと思います。水俣は、世界的な「ミナマタ」ではなく、全国的には「みずまた」などと誤読されていたことでしょう。
帰りに改めてチッソの工場を見ました。写真でよく見たことのある正門のところです。ありふれた田舎の工場の感じと、その汚染された湾の一部を締め切り、汚泥を浚渫してできた大きな埋立地。そのアンバランスに、失われたものの大きさを感じ、慄然とせざるを得ませんでした。