2017年9月

9/30・土
 午前中は宿酔気味。漸く夕方脚立に上り、侵入して来た西洋朝顔を引っ剥がす。既に万代伯母の家を覆い始めているが、完全撤去には程遠く。兎に角凄まじい繁殖力である。而も株が古いのか花も咲かず。鬱陶しいだけである。夜は今季初鋤焼きに。安い肉にした為、及第せず。矢張り贅沢をしたという気分がしないとね。麦酒二缶のみ。
九月も今日で御仕舞。何も無い月にもかかわらず一万五千字。後半は政局に関する記述が増えた。ひと月後にはAが辞任したと書きたいものである。


9/29・金
 朝からすっきりと晴れた。野党共闘を反故にされた共産党は怒っているらしい。まあ二大保守政党というのも救いがないから、左派政党と言うのも必要なことは必要である。何れ野党再再編があるかもしれない。其の時、共産党が解党し、幅広い左派リベラルの礎となってくれるだろうか。くれないだろうな。共産党には、自身の存在が左派の可能性を却って狭めているのだという認識もなさそうだし。
 「やすらぎの郷」終了。四月と五月は大分見逃したが、月を追うごとに引き込まれた。老いと孤独と言うシリアステーマにコミカルエピソードが巧く散りばめてあり、主人公その他の為人がよくわかるストーリーとなっていた。大体人生というものはそういうものの繰り返しであるからね。老脚本家の面目躍如といったところであろう。併し最近のドラマは、人物の様様な側面まで描くには時間が足りないからなあ(三ヶ月クールの十回程度ではね)。そんな中、民間放送としては結構頑張った方であろう。ところで吾人も此のままのペースなら、こういう所に入るしかなさそうである。何しろ親戚も少ないし、大した友人もいないから益益困ったことになると思った。
 午後出社。退社後は鶴木さんらと佐渡屋へ。帰宅後のテレビニュースを見ていると、民進のリベラル派は揃って入店拒否にあったとのこと。ラーメンの人も愈愈本性を露わにしたな。リベラル派は、面従腹背で一旦入店し、所謂トロイの木馬戦術でホープ亭を乗っ取る計画も難しくなった。Aの退治はラーメンの人に任せるとしても、ホープ亭にはつくづく失望す。詰まりホープレスである。吾人としては、ついぞ投票先がなくなった。そういえば社民党って、まだあったんだよな。


9/28・木
 朝方は大雨。割と直ぐに止んだ。ところで、北が矢鱈とアメリカを恐れるのは朝鮮戦争時の絨毯爆撃のトラウマ、ロシアが意地でもウクライナを手放さないのはナチスの陸軍に国土を蹂躙されたトラウマがあるそうである(直接外国と接したくないらしい)。こういうことは日本人には分かり辛い。何しろ日本人だけは何もかもすっかり忘れているからな。
 臨時国会が開催され、二分後に解散される。奇襲を狙ったAの思惑はすっかり外れ、自爆解散となりそうである。まあしかし新党というものは破壊力だけはある。此れでラーメンの人も自ら出馬してくれば万全である。民進党も座して消滅を待つよりは幾らか増しだろう。こういう野党合同を画策しているのは、やはり例のO元代表らしい。壊し屋、最後の仕事である。とは言うものの多くの世人や吾人も含め、ラーメン総理などを望んでいる訳ではない。次は宏池会のK氏で十分である。兎に角、Aだけは一秒でも早く居なくなって欲しい。ただ、其れだけである。
 猫小屋を秋仕様に改装した以外は、駐車場に放置してあったキャリーバッグの解体。粗大ゴミ処分費を渋った誰かが捨てて行った模様。金属部分をドライバーで外し、本体は七十リットルの袋の中に。周囲を草木と一般ごみで覆って擬装すれば一丁上がり。正しくゴミとの闘いの日日である。
夕方から更に一雨。以後ぐっと寒くなる。併し肝心の小屋に外猫は入らず。発泡スチロールの板の上で包まっている。つくづく勝手だな、猫という存在は。併しもしも猿の代わりに猫が進化して、猫人類のようなものがいたら、どういうことになっただろう。何しろ自分勝手で孤独が好きだから、政治権力などというものの成立は遅く、かつ脆弱だろうな。非集権、地域分散。縄張りを巡ってやくざ屋さんの抗争のようなものは偶にあるだろうが、国家総力戦とかジェノサイドなどは相当少ない猫社会が出来ていた筈である。


9/27・水
 朝からどんどん曇る。ホープ亭の開店会。柵みのない政治とか、リセットとか、何処かで聞いたようなメニューを並べていた。兎に角、Aを退陣に追い込めれば十分である。其れ以上は何も期待しないし、期待すべきではない。併し新党と言うのはインパクトがあるな。ひと月前とは一気に違う。政治状況は少なくとも表層的には動くときは動くものだと半ば感心し、其れ以上に呆れもする。
 午後出社。試験前と云う事で生徒が押し掛けているが、何だか少しも気持ちが乗ってこない。此の所ずっと鬱状態である。雨が降って来るので早く帰りたかったが、それ以上に何だか普通の大人に会って、話しをしたいと思った。其処で一年近く行っていないバーIを覗くも、先客多数。佐渡屋も混雑している。止むを得ず祐天寺の立ち飲みBへ回航。なんと此処も大混雑。何しろ月末だからかな。俸給生活者が出て来たのだろう。土地と建物が稼いだお金を只管呑み潰している吾人とはカレンダーの造りが違うのだと思った。結局Bで少し飲み、ラーメンの花月苑に寄って帰った。
 夜のニュースによると、民進党は自ら進んで解凍して、ホープ亭の出汁になるとのこと。政治家と言うのは当落が絡むと凄いことを思い付く。つくづく常人とは思考回路が違うと思った。吾人とて、日本政治というものは小学生の頃から見て来たし、鳳生大学でも色色な先生に学んだが、こういう形で動くとは少少予測の範囲を超えている。政治のダイナミズムと言うべきか、いや、なりゆきといきおいだな。爆発的化学反応である。ちなみにМ原代表に肩入れしていた京王の先生は怒っているのだろうか。Aを引き摺り下ろす為には、此処は我慢である。リベラル派の再建は選挙後にも出来るだろうし、今回は一種の偽装解党という見方もあり得る。政治にはある程度の数が必要である。帰宅後暫らくして大雨。
深夜になりテレビ東京系の「魔法陣グルグル」を見る。何時の間にか再再アニメ化されていた。要約すると無国籍無時代風RPG的物語で、勇者と魔法使いが魔王を倒すというもの。定番と言えば定番なのだが、主役から端役までの役割分担が秀逸で、どんな登場人物にも魅力と欠点と佳い出番がある。緩やかな世界観に加え、ボケとツッコミを繰り返すあたりは関西風の味付けもあって見ていて飽きない。昼間の教育テレビでやっても差し支えの無い内容である。こういう面白い話で心を癒さなくてはね。漫画やアニメには大して詳しくないが、吾人も推奨する数少ない作品である。


9/26・火
 昨夜のAは色色と解散理由を述べたらしい。今まで聞いたことすらない、取って付けたような論点を挙げる辺り、全く以て滅茶苦茶である。併し国難突破解散と言うのは噴飯物だな。Aの存在自身が既に国難である。本当に早く居なくなって欲しい。案外願いは叶うかもしれない。政治は決断だから野党共闘も急速に進む期待がある。
 何だか更に暑くなる。今夏はお盆前からが異様に涼しく、彼岸前後から却って暑くなった。出たり入ったりしながら、蔦を払ったり、枝を落としたりす。西側の無管理マンションにも立ち入り、伸び過ぎたヤツデなどを切ってやった。此の物件など完全放置状態で粗大ゴミなども散乱している。入居者はいるようだが、所有者と管理者は何処にいるのだろう。其れ以外は無為。


9/25・月
 昨日より暑い。午後二週ぶりに千寿に出校。大橋の王将に寄って帰る。帰宅は十一時を過ぎたので、Aの会見とかテレビ出演とかは大して見ずに済んだ。今夕に解散を正式に表明したそうである。
其れに先立つこと数時間、ラーメンの人も新党立ち上げを公表す。序に代表に就任するとのこと。ラーメンの人の新党だから、差し詰めホープ亭だな。併しそもそも首長と店主の兼務は巧く行かないだろうし、店は実は相当右に傾いているだとか、何れ永田町の本店に戻る腹積もりだろうとか、掻き集めた従業員は他店に居られなくなったような烏合の衆であるとか、メニューは保守なのに革新と言う寄せ集めであるとか、出汁は御得意の風見鶏に違いない等等、店主には誠に色色と疑念があるが、もしも開店の時だけでも繁盛して、Aを権力の座から引き摺り下ろしてくれれば、新店の存在価値は正しく其の一瞬にのみ存在し得るであろう。第一に、二、三年後には無くなっているだろうし。ちなみに新規開業した飲食店の七割は三年以内に廃業するそうである。


9/24・日
 まあまあ晴れた。再びの出鱈目散歩に。82系統のバスに乗り等々力へ。渓谷沿いに歩き、多摩川に至る。以後河川敷をとぼとぼと歩く。併し日本人は海洋民族だとか、山岳信仰に厚いなどとしばしば言われるが、関東平野の中の方に住んでいると、海は遠いし(行ったところで泳げないし)、とっくの昔に信仰心も失った。そんな訳で手っ取り早く自然を感じるのは、矢張り河川、就中此の多摩川であるなどと思いながら歩いた。大体海なし県と言うのは沢山あるが、川なし県と言うのは無いだろう。
バーべ―キュー集団を横目に丸子橋を渡り、新丸子まで。せめて海を感じようと適当な回転寿司に入る。何だかぱっとしないので食べ足りず。多摩川駅構内の「梅もと」にも寄った。帰宅後は「御福餅」も食べる(近所のスーパーでは赤福は売らないが此方は偶に売っている)。一万五千は歩いたが、結局相当なカロリーも摂取したことになる。


9/23・土
 北の国の小皇帝と合衆国の暴君は、国連の場を借りて言葉の応酬合戦。とてもじゃないが話しが通じるような雰囲気では無し。北もそろそろ黙った方がいい。所謂戦略的忍耐と言うやつである。三年も待てば合衆国の方は交代する筈だから。雨は未明には上がる。以後曇り。取り立てて無為。


9/22・金
 老家人用に運動靴を取り寄せたが、色色と難癖を付けて履こうすらしない。其れに履いたところで行くところも無いし、第一に歩こうともしない。つくづく精神力が足りないと思った。吾人も何十年かすれば、ああなるか、せめてああなる気持ちが分かるようになるのだろうか。
 午後から雨。バス出社。すると年寄りが集団で乗り込んで来る。堪らず途中下車。東横線に乗り換える。更に東急線の入り組んだ部分に入り、往ったり来たりしながら勤務先を目指した。バスで立つより、動いていた方がよっぽどいい。
まず小論文の指導。酷い内容で、正直修正の仕様がない。提出期限が近いので、吾人が全面的に代書した方が余程簡単だが、何とか添加と削除を繰り返す。授業の合間にぼんやりとしていると、今年就職した江田島君が訪ねてくる。曰く、折角大学まで出たけれど、クソみたいな会社でクソみたいな仕事をしていると。吾人は、クソみたいな会社でクソみたいな人間にならない為にも、大学で学んだことは無駄ではないと応した。そういう教養の類は、クソみたいな社会でクソみたいに出世している人から見れば、当然クソみたいなものだろうが、そういうクソのように見えるものこそが、クソ社会で絶望して、クソみたいな死を迎えないために益益必要なのだとも続けた。大体クソ学院でクソみたいなことを教えている吾人が言うのだから間違いのないことである。併しクソばかり出て来るから、さながらクソ問答だと思った。退社後は立ち飲みBへ。鶴木さんとクソみたいな会話をし、11系統のバスに乗り、環七でラーメンを補給して帰った。


9/21・木
 再び秋晴れに。朝は草取り。昼は「やすらぎの郷」。同所創立者にして芸能界のドン、加納栄吉氏逝去。最後の最期までテレビが詰まらなくなったと憤激されていた。確かに最近のテレビは、点けておくだけ、つまりラジオのようになっているなあ。テレビジョンを見ない人が大勢いるもの。うーん、番組が多すぎるからかな。午前午後は再放送に充て、民力休養、経費節減、其の上で乾坤一擲の特選報道番組や超長編ドラマ、衝撃バラエティー番組で勝負をして欲しいと思った。
ところで同所は、寄る辺のない元芸能人や芸能関係者の為に開所されたとのこと。別に華やかな世界に身を投じていなくとも、今後はこういう低年金、無資産、没交渉な人人が続出する予定である。結局、国が面倒を見るしかない。税金を幾ら集めても足りないと思った。また家人は鎌倉に墓参。老家人にカップうどんを食べさせ、吾人は外のラーメン。老家人には風呂に入れ入れと朝から怒鳴ったから、少しは入った模様。ちなみに加納氏は享年九十九、ならば老家人とてあと数年は頑張れる筈である。
 午後は『全体主義の起原』の読み直し。何しろ最近教育テレビで解説してくれている。此の分厚い三冊組は十年くらい前に買い、以後本棚の飾りとなっているが、よくよく読むと結構傍線が引かれている。なかなかいい所に着目していると、我ながら感心す。いやいや、こうしてテレビは結構見ていますよと、加納氏に伝えたいな。夜は安白ワインで泥酔す。


9/20・水
 朝から曇る。朝から解散と北朝鮮関連のニュースばかり。万事馬鹿馬鹿しい。腹が立って腹が立って仕様がない。もうテレビは見ないことにする。
午後出社。すると手違いで開錠できず。いっそ此のまま帰ってやろうと思った。一時間後に辛うじて復職す。退社後は中華立ち飲みへ。併し気分は優れず、早目の退散。こういう晩はせめて旨いラーメンでも食べて帰りたかったが、幾ら看板を掛け替えても一向に旨くならない博多ラーメン屋に寄る気にもなれず、また北海道ラーメンは既に撤収していた。一年とちょっと位だったな。結局家で冷凍うどん。こんな晩は猫でも弄るのが一番良い。ぼんやりしているシロを抱き寄せた。此の処の夜露に洗われ毛も綺麗である。


9/19・火
 昨日より涼しく晴れる。折角なので何処かに出掛けようと思ったが、結局屋外作業。草の海の上に敷いて踏み板にしていたような廃材も捨てることにした。「せい家」の付け麵を挟んで午後も続ける。
 十一月に来日するらしい、あのぼんくら大統領を新内閣でお迎えするために、解散を急ぐのだという。そんな出鱈目な理屈はないし、そもそも何処まであの国に追従するのだろう。此れ以上の国恥は無いと思った。其れに八月の内閣改造は何だったのか。全てを破壊するテロ解散である。本当にAには一日でも一時間でも一分でも早く居なくなって欲しい。併し投票率も低そうだな。つまり、そういうことになるのだろう。するとつまり一党独裁だな。もはや中国やロシアや北朝鮮と大差なし。而も自ら進んで独裁を選ぶのだから、尚一層質が悪い。
 暇そうにしている現場監督に御向かいの部屋を見せて貰う。建物が大きいから全ての部屋が南か西か東に面するという訳にはいかず。設備は最新式だが、こういう所はどうにもならない。北向きは安いのだろう。


9/18・月
 南九州、四国、近畿と来た台風は北陸に抜ける。日付が変わった頃から急に南風。そして大雨となる。外猫が心配だが、もう七歳だから何とかするだろう。雨は割と直ぐに止んだが、強風は明け方まで続く。結局不眠。朝になり葦簀を片付けると、刎頚之友が発見される。隅に隠れていたよう。兎に角佳かった。台風が去り、かんかん照り。夏が蒸し返す。
 今更ながら敬老の日である。二百メートル離れた介護施設に行く老家人を少し見送り、少し迎えに待った。何時もの月曜日と同じである。九十歳以上は二百万人いるそうである。昼は弁当、夜はスーパーのとんかつ。九時就寝。


9/17・日
 辛うじて宿酔はなし。台風接近のため一日雨。近くの神社のお祭りも中止。つくづく生憎の台風である。報道各社一斉に衆議院は年内解散と伝える。まあそう云う事だろうな。ただ臨時国会の冒頭解散だけはやめて欲しい。多少なりとて議論をしたという形式が大事なのである。こんなことをAに言っても無駄だろうが。ところで民進の離党派も、北の国と同様、Aの応援団であるということに早く気付くべきである。新党乱立なら丸で勝ち目がない。いや、ひょっとしたら別動隊なのかもしれない。野党第一党をより完璧に壊すべく活動しているのだから。其の上でAと合流する積りなのだろう。何から何まで惨い話しである。
 終日在宅。暇に飽かせて「ガイアの夜明け・キリンとアサヒ宿命の対決」を見る。先輩社員による後輩社員への説教シーンが、パワーハラスメントではないかと話題になった回である。当該シーンも見てみたが、大したことはなかった。それにしてもビールの営業も大変だな。大半の消費者は味では選んでいないもの。となると価格とイメージの違いと云う事になる。いっそ広告宣伝営業費をゼロにしたらどうだろう。一缶五円くらいは安くなるだろうか。併し広告代理店もタレントもコピーライターも民間放送局も、当の営業員も失職して仕舞うから無理だろうな。でも吾人は年間数千円は得する勘定である。昼食晩食共に野菜中心。数日間はカロリーカットしなくては。夜も三缶のみ。ちなみに吾人は専らサッポロ「麦とホップ」である。
他は数日前の書評欄に在った『永井荷風ひとり暮らしの贅沢』を取り寄せて眺めた。文士たるものよく食べる。荷風文化勲章も貰った。名誉より年金が目当てで、其れを元手に踊り子たちに甘い物でも食べさせてやる積りだったらしい。併し受賞後は踊り子を始め近所の人たちまでもが、勲章のど偉い先生だからと急に余所余所しくなったとのこと。此れは本人も想定外だった。矢張り「いやだからいやだ」と断らなくてはね。ネットで調べると晩年の荷風が愛した市川のカツ丼屋も閉店したとのこと。残念だぁ。
夜になりNスぺ「黒潮・巨大海流の謎」。黒潮もフィリピン辺りの源流付近では栄養も疎らなのだという。其れが日本列島に近づくに連れて豊かになり、大きな鰹が育つとのこと。海の恵みに感謝したいところだが、近所には魚屋がない(みんな廃業して仕舞った)。あるのはセンター納品の駄目スーパーばかりである(刺身など角が取れて干からびている)。生憎世田谷までは流れて来ないな。


9/16・土
 まず側溝の掃除。溜まった土砂を掃き出す。其の後、不動産屋に書類を搬送。常時草が生え放題の駐車場も、此の所、立て続けに埋まった。みな工事屋さんである。建設特需のお零れに少しは与らなくてはね。
其の足で神宮球場へ参る。藤松君主催の大学野球を見る会。と言っても、やって来たのは月波君のみ。肝心の鳳生大学は不甲斐ない負け方。ただ吾人は目測を誤り、大分早めに到着。第一試合にて日本で一番難しい大学が勝つところを目撃する。二季ぶりだそうである。何でも凄い投手がいるとの事。
 試合終了を見届けてから、少し歩いて都営地下鉄に乗る。都営交通の中でも12号線には滅多に乗らない。恐らく生涯二度目か三度目である。吊り掛けモーターのような音がして驚いた。併し同じ都内でありながら、世田谷には都営と名の付く物で使えるものなど何もない(多分水道ぐらい)。其れに都立高校にも行って無い。固定資産税を沢山支払っている東京都西部の住民は損をしていると思った。ただ拙宅は墓地だけは辛うじて都営である。
大分遠回りをして、牛込神楽坂の「三宝」という焼肉店に移動。店内は直ぐに満席。運動選手に人気があるらしく、牛とは言わないが羊の一匹ぐらい食い尽くしそうな一団も居て頼もしい。吾人たちは藤松君お勧めの牛頬肉を中心に散散飲食。更に「龍朋」という中華屋にも参る。焼肉というものは食べつけていないのでよく分からないが、此処の炒飯は誠に秀逸であった。どちらもしっかりとした個人店である。其れに最初に入った外苑前の名無しの立ち食い蕎麦屋も旨かった(「信越そば」と言うらしい)。外食文化と言う点でも、山手線の内側のオールドトーキョーには敵わないと思った。人口密度の問題かな。ふらふらになって何とか帰宅す。
 そう言えば神宮には「目を覚ませ」という掲示が沢山あった。ヤクルトの応援幕である。併し起きろと言うことには寝ているという前提がある。起きて真面目にやっていてもあの結果なのだから、非常にアイロニカルだと思った。叱咤激励と言うやつかな。中日も酷いことは酷いが、ヤクルトは圧倒的な最下位である。


9/15・金
 昨夜は缶ビール一つだけだったので、非常にすっきりとす。朝方から何気なく「鳳生大学寄付者芳名録」を眺めていると、月波君の名前があった。一万円を寄付していた。通信制の経済学部も卒業したらしいから、其の御礼と云う事なのだろう。ちなみに個人の寄付額の最高は500万円、最低は50円。数百円程度の寄付者まで律儀に載せているから感心す。義雄伯父さんの遺品を寄贈した関係で、京王大学の同様の物も見たことがあるが、鳳生大学とは一桁、いや二桁違っていた(確か三億円を寄付した人が居た)。最高と最低を比べても仕様がないが、併し50円の寄付って・・・。
 台風18号は急回転し、列島縦断コースだという。いっそ北の方に行ってくれないものか。巨大事故や自然災害で、政治体制が転換するということも多い筈だし。でも犠牲になるのは庶民だからなあ。買い物は二便。青果を中心に買い揃えた。ニュースはまたまたミサイル一色だが、台風被害で生鮮品が値上がりする方が、よっぽど生活にとっては危機である。午後出社。退社後は佐渡屋に直行コース。乳飲み子連れの咲子さんとも会う。あの店は禁煙だから安心して入れるな。


9/14・木
 今日も同じようなお天気。何だか宿酔気味で、午前中は区間運休。其れでもゴミは出さなくてはならない。四十五が二つに、七十が一。此れで滞貨一掃。溜まっていた剪定ゴミが全てなくなった。あとは伸びて来た分だけを取ればいい。今年は実に早かった。三連休が近いが台風が接近とのこと。元元何の予定も無いけどね。日中何度も上厠す。終日漫然とす。


9/13・水
 朝から晴れて、久久の三十度超え。午後出社。退社後は久久の中華立ち飲みに。久久の二千円超えであった。


9/12・火
 昨日は色色と節目の日でもあった。3・11から六年半、ナインイレブンから十六年である。十六年前のあの日は確か台風が去って、気持ちのいい晩であった。大貧学院での勤務を終え、少し飲み、自転車がないので徒歩で帰宅したと記憶している。家に着いたら大騒ぎになっていて驚いた(当初は小型機の衝突だと思った)。やはりあれから世界は変わって仕舞ったのだな。
 一方ビルマの田舎では大量の難民が発生しているらしい。此処で注目されるのはア氏の対応である。丸で切れがないと、あちこちから非難の集中砲火である。野党や言論人とは違うから、政権内部に居るというのは大変である。此処が踏ん張りどころだな。少しは本格派の政治家に成れるだろうか。
 南の風と雲が来て、降ったり止んだりを繰り返す。夕方前には空は青くなった。草取りも低木刈りも一段落。高木の方は秋の終わりに専門家にやって貰う予定である。従って大体漫然とす。ボーシヨーチョーとセーサイキョーカは似ていると思ったりした。


9/11・月
 以前書いたように、御隣りのマンションは所有者が売却の上、引っ越された。新所有者は秘書を名乗る人が一度挨拶に来て以来、全く消息不明。結局無管理マンションである。木は枯れ果て、草は伸び放題。散乱したゴミの片づけと分別は吾人が行う始末(何しろ分別しないと収集してくれない)。本当にどうにも仕様がない。
 まあまあ晴れて、そこそこ暑い。午後千寿に。試験前と云う事で相変わらずS子先生は狂ったように怒鳴り散らしている。あの国会議員ほどではないが、録音したら面白いだろうと思った。スマホがあるので出来ないことも無いが、直ぐ隣りで授業している吾人の間抜けな声も録音されて仕舞うから、思い留まった。結構忙しくて、食べたい物を思い浮かべる余裕がなかった。其のまま帰宅。
帰り掛けは『闘う文豪とナチス・ドイツ』。やはり他人の日記は気に掛かる。併し相手は大文豪だし、まして全十巻、十数万円の大著である。近くの図書館で揃えてくれないかな。それにしても最近は一般人でも大量の日記が書くことが出来る。キーボードとインターネットの御蔭である。手では大量に書けないし、公開するという動機がなければそんなに長く続けられない。吾人の日記も3・11以前は、手書きの非公開である。従って一日三行程度の短いものである。
 また此の処の老家人は益益不機嫌に。今日など癇癪を起こしていた。体が思うように動かないことにイライラしたらしい。怒るくらいなら、もう少し運動すればいいのだが、何しろ半寝た切りのような物だからな。肉体の衰えに精神の方が付いて行けないのだろう。


9/10・日
 早く起きたので、久久の出鱈目散歩に出る。世田谷線小田急線を乗り継ぎ、生田に降り立つ。其処から市バスに乗り宮前平に。一駅歩いて宮崎台まで移動したが、散歩番組に登場するような面白そうな店は何も出て来ず。結局田園都市線に乗り、溝の口下車。少し歩き回ったが、流石に朝からやっている飲み屋はないな。再び構内に戻り、「梅もと」に入る。天麩羅そば390円。此処は茹で置き麺使用だが予想以上に旨い。家に着くとまだ十時にもなってなかった。
帰宅後は遠くの八百屋に青果専用便。序に巻き寿司屋に寄る。何時の間にか建て替わっていて驚いた。此の商店街も廃業が相次ぎ、歯抜け地帯のような状況だが、建て替えてまで商売を続けるとは頼もしい。夜は枝豆と厚揚げ麻婆。結構暑かったが冷房を点ける程では無し。本日は作業も停止す。
夕方前、新宿駅の少し手前で火災が発生。偶偶通り掛かった小田急線の各駅停車に燃え移る。併し電車の屋根もあんな風に燃えるのだね。世が世なら桜木町事件になる所であった。新宿経堂間は長時間に渡り運休す。せめて上原から千代田線に流せないものかなあ。もうじき複複線になるというのに。
夜はNスペ「沖縄と核」を見る。ナイキとかメースBとか、ある意味懐かしい(?)名前が沢山出ていた。それにしても数十年も前から此の戦力である。北のミサイルなど骨董品のおもちゃのような物だがね。それに兵器が幾ら世代交代しようとも肝心の沖縄の基地については何も変わっていないが。


9/9・土
 件の議員は民進党を離党す。迷惑を掛けた責任を取って・・・と云う事らしい。何しろ保育園の不足と言う問題を追及していたからな。百年前ならば家庭で処理される問題が政治に直結するのが今日の世界である。例えば、育児は元元は家内、時代が下っても精精地方公共団体の仕事である。だがそれらは今や立派な政治課題となる。仮にAと言う自治体が艱難辛苦の上に保育園を増設した。併し其れが知られるや否や、隣接するBやCの自治体から住民がどんどん流入して仕舞う。結局保育園がAもBもCも足りないことに変わりはない。詰まりは国の問題である。
ということで家庭をないがしろにしたらしいという議員自身の極めて個人的な問題であっても、急速に政治的問題となり、ブーメランのように議員当人の資質の問題に還って来る。密会する時間を得る為に保育園が必要なのかと言う風に。
個人的な課題が政治に直結するあたり、やっぱり儒教的世界観の方が適しているのかな。此の議員の専門が外交とか財政ならば、また違ったのだろう。それらは票にならないか・・・。アレントか誰かが、政治というものは、やれ個人のアクションだの、アゴーンだの、自己表出だのと称賛したギリシャの頃とはえらい違いであるとつくづく思った。
朝から晴れて、朝から草取り。其の後牛丼Sへ。久久に行ったが、すっかり一人勤務に戻った模様。大量の仕事を押し付けられた若いアルバイト店員は、言葉は丁寧だが、何だか仕事が荒い。下げた食器をぶん投げている。何かの拍子に怒り始めるのではないかと冷や冷やす。婆さんでも一人、補助員として雇えないものかなあ。年寄りは朝に強い筈だし。
以後も延延と草取りす。ところで数日来、吾人愛用のトングが見当たらず。ゴミの回収、分別、取った草を袋に押し込むことなど、八面六臂の活躍をして来ただけに気に掛かる。良く手に馴染んだ、謂わば刎頚之友である。文字通り草の根を掻き分けて探したが、結局見付からず。一体何処へ行って仕舞ったのだろう。
買い物は三便。野菜が高くて閉口す。二便目は遠目のスーパーへ。ちなみに経路途上には有名な発明家が住んでおられる。家作も持っているのだが、ゴミ置き場は誠に極めて惨憺たる残念なことに。流石の発明王も自動分別器までは開発できなかった模様。だからこそ、いいトングが必要なのである。
名古屋から東京に向かっていたJRバスが炎上。幸いけが人等はなかったが、バスはまる焼け(多分荷物も)。側面の燕も無残にも焼き鳥である。まだ就航三年の新車だそうだが、エンジンから茫茫出火したとのこと。併しバスの事故は後を絶たない(JR直営であっても)。
東京名古屋はバスで行くと大体六時間である(運賃は五千円位)。併しそもそもバスと言う乗り物は、乗ったところで精精三、四時間が限度の乗り物であろう。何時間も走らせるから、引っ繰り返ったり、火が出たりする。それ以上は断じて列車で行くべきであると思った。「こだま」をもう少し値下げ出来ないものか(三時間で六千円とか)。あるいは在来線で昼行の直通快速を走らせるとか(四時間で五千円とか)。併しJR東海の事だから、リニアが通ったら、(厭厭)検討しますとでも言うのだろうな。


9/8・金
 数日ぶりに晴れる。従って作業も再開。昼に盛り蕎麦を沢山食べると、酷い眠気に襲われる。午後出社。併し眠くて眠くて、思考も停止。矢張り過食は佳くないと思った。八時ぐらいに漸くすっきりとしてきた。
退社後は晴雷亭と佐渡屋に鶴木さんと須々木さんを尋ねる。妙齢女性とも話しが盛り上がり、上機嫌で帰宅。やはり本務校で教え、周辺で飲んで帰るのが宜しいと思った。なお鷺乃間君には第二子が誕生。身の回りで人が増えるのは喜ばしい。またコンビニで自転車保険の更新。3990円。無事故だがちっとも安くならず落胆す。


9/7・木
 更なる制裁強化ということで、今度は石油の禁輸措置を検討中とのこと。流石にロシア等の反対もあり、実現するかは不透明。併し石油となると嫌な思い出があるな。余り追い詰めると、本当に新高山を登って来るかもしれないから、矢張り止めておいた方が佳い。一方の元地方創生大臣は、非核三原則の見直しまで言い始める始末。本音が出るな。明らかに危機に便乗した火事場泥棒である。
また民進党の前政調会長には個人的問題が出て来て、新幹事長に成れず。別に公的な仕事をさぼった訳ではないし、刑事事件になるような件でもないんだけどね。政府を追及する立場だったから、中中厳しいのだろうな。修身斉家・・・、つくづく儒教の国であると思う瞬間である。それに攻めは強いが守りに弱いのは、検察官上がりだからかなあ。他山の石も沢山あったというのに。恋は盲目とはよく言ったものである。でも此れだけ話題になるのは一種のやっかみだな。大半の日本人はイタリア人やフランス人みたいに愛せないし。併し此の所、週刊誌にネタがどんどん持ち込まれる。偉い人は余程気を付けなくては。
電気使用量237キロワット。前年比14%減。冷夏だったから、どの程度省エネ効果が出たのかは判明せず。朝から小雨模様。買い物は一便のみ。草取りも出来ず、終日漫然とす。


9/6・水
 午前中は宿酔気味。そんなに大量には飲まなかったが、ちびちびとでも五時間近く飲むとね。また朝から小雨。早くも秋雨といった感じ。午後出社。金参万円受け取る。退社後も其のまま直帰。レトルトカレーに缶ビールを一つ。対外的には一円も使わず。


9/5・火
 午前中は切った草木の整理。例によって収集車に乗せるまでが一苦労である。買い物は二便。高齢者は一回一回の食事は大した量ではないが、一日三回家で食べるから要求される物資は結構多い。
 午睡の後、都心に向かう。例によって月波君に誘われた。余り早くから行って飲み過ぎるといけないので、バスを使っていくことにす。まず東急バスで渋谷へ。更に都バスに乗り換える。併し東急の降り場も、都営の乗り場もどんどん移動している。渋谷駅の永遠再開発である。01系統新橋行きに乗車。此の系統は都内有数の繁華街を通る。併し五本木の方は年中通るが、一本足した方は降りたことすらない。吾人は都会生活に向いていないのかもしれない。
 まず立ち飲みBを表敬訪問。月波君と合流。宮川店長は居たが、相変わらず人が足りていない模様。オペレーションは崩壊状態。気の毒なので直ぐに新橋ビルに移動。坪上君を加え、界隈で延延と飲む。彼も管理職に就任したそうである。最後は二号館の地下の「こひなた」に参る。何処も彼処も立ち飲み屋ばかりだが、此処の立ち飲みは本物だと思った。いやあ新橋の地下にこんな空間があるとはね。正しく異界である。


9/4・月
 朝から小雨模様。診療所に参る。血圧は137の87。許容範囲である。待合室は古い人でいっぱい。二十分は待った。四十五日分の高脂血症薬の処方箋を出して貰って御仕舞。診療報酬1450円。薬代1070円。
セーサイキョーカと何とかの一つ覚えのように連呼する一方、アメリカの政権内部でも北朝鮮容認論が出始めた模様。ある程度の戦力保持と体制の維持を黙認しようという立場である。もはや先制攻撃も限定空爆も不可能なのだから、其の辺が現実的な落としどころだな。なお北の重武装化を追認するのだから、日韓両政府は却って反発しそう。併し幾ら何でも北の方から攻めて来たりはしないだろうし、実際に何処かの国を侵略したり他民族を虐殺したりしている訳ではない。国體を護持しさえすればいいのだから、案外易い案件でもある。それにしても何時かアメリカに爆殺されるというのも史上最大の被害妄想であるし、個人的な保身の為に核ミサイルまで持ち出すのも史上最大のごね得である。ギネスブックに載るな。三代目は。
午後千寿に出校。授業を詰め込まれるだけ詰め込まれて閉口する。五時から九時半まで息つく間もない。退社後は「福しん」へ。相変わらず、此処の炒飯は安定して旨い。駅からは雨に降られた。家に戻るとアレルギー酷し。堪らず抗ヒスタミン。ちなみに此れは「新アルシン鼻炎カプセル」という市販品。一錠二十円でよく効く。冒頭の高脂血症薬も市販品を出して欲しいところである。面倒臭くないし、大体医療費を削減せよという国の趣旨にも合う。そもそも吾人は納めた社会保険料の元を取ろうなどいう考えは微塵も持ち合わせていないし、実際にそうすべきではない。


9/3・日
 朝から秋晴れ。当然草刈りだが、夏も終わりに近づき、死期を悟った藪蚊の攻撃が凄まじい。此れではブラッドガーデンである。昼は隣町の「ラーメン希家」へ。チェーン店らしく自前で出汁など取っていない感じだが、案外旨い。セントラルキッチンの方が衛生的でいいな。しかし店員は全て外国の方。横浜ラーメンもグローバル化が著しい。
午後から延期になっていた皇族の会見。其れに先駆けて北の核実験。まさかぶつけて来た訳ではあるまい。併し男の人は大変だな。幾ら望んだこととはいえ、立ち小便は勿論、立ち飲み屋にも行けないもの。夕方は前庭。さっぱりさせたので街灯の光もよく透過する。秋という感じである。


9/2・土 
 結局かなりの宿酔に。原因は鶴木さんにある。飲み放題の終了間近に濃いお酒を大量に頼むのが宜しくない。勿体ないから全部飲んで、結局翌日こうなるのである。飲み放題サービスも止めた方がいいな。WHOが何か勧告していなかったっけ?
 朝方まで雨だったが、昼には綺麗に晴れた。向学しようと『日中戦争全史』を上下巻共に取り寄せる。結構売れているらしく、上巻は既に第二刷であった。併し中国大陸も東欧やロシアウクライナと同じかそれ以上のブラッドランドだと改めて思った(更に国共内戦文化大革命と続く)。大半の日本人は知らないし、知ろうともしないことであるが。
寝冷えをしたのか、鼻水止まらず。直ちに抗ヒスタミン。読書の疲れと相まって昏昏と午睡す。夜は缶ビールを一つ。


9/1・金
 寝ている間に月が代わり、今日から九月。遠くの台風が北風を呼び込み、依然として涼しい。防災の日。流石に政府も予知を前提とした下らない避難訓練は止めたよう。直下型が行き成り来たことを想定していた。
また今日は虐殺の日でもある。ラーメンの人が追悼文を出さなかったことで批判が広がる。此の人の本質は、こういう細部から明らかになる。明らかになるにつれ、あっという間に萎むだろうな。なんとかファーストの会も。なお都議連中がボロを出さないのは、厳しい箝口令が敷かれているとのこと。半分くらいはどう仕様もない人たちだから、鉄の規律がないとね。暴言暴挙が出て来ないのは残念だが、戦術的には正しい判断である。
誰も何も期待していないが、民進党の代表選挙。元外務大臣が選出される。最近は京王の若い先生と組んでやや左に寄っていたから、まあ其れもいいだろう。併し野党共闘はどうするのだろう。何しろ小選挙区なのだから、やらないことには勝てない。参議院も半分近くは一人区だし。また社会保障を充実させるといっても、御金がないな。少少の増税では医療費と年金の自然増に食われて御仕舞である。日銀に引き取らせた国債を内緒で消滅させるぐらいの禁じ手を使えば、何とかなるかもしれないが。
午後出社。今頃になって高校三年生が入って来る。而も横文字の入試で大学に受かりたいらしい。過去問を調べると、常識問題に面接に小論文等等。新聞社の就職試験のよう。つくづくこういう面倒臭い入試は止めて欲しいと思った。併し真冬の一般入試というものも早晩消滅し、入試もシューカツのようになるな。入試と名の付くものは既に夏から始まっているもの。退社後は焼肉チェーンでミニ金曜会。夜は大雨。アルコールを頭から太腿に移動させて帰る。

2017年8月

8/31・木
 空気が入れ替わり一気に涼しくなる。おまけに雨模様。家作の前庭の草を刈ろうとしたが、平日でも在宅率が高くて断念。みなサービス業勤務なんだろう。ゆっくり休ませなくてはならないと思った。代わりに空き家の周辺を刈ることにした。
なお家人は鎌倉の伯母の所へ。老家人にコンビニ弁当を食べさせ、吾人は食べに出る。客の居ないカレー屋に入店。折角なので「とり天カレー」を注文す。すると油を加熱する所から始めるらしく、最大火力で鍋が灯る。暫らくすると煙まで出始めて、いよいよ発火するのではないかと冷や冷やした。併し客は益益居ない模様。厨房は乱雑そのもので、何だか荒れた感じ。カレー自体は悪くないだけに、勿体ない店だと思った。
 野党議員の質問によると、首相Aなどの政権幹部は、ミサイル発射を事前に知っていたとのこと。何でも発射の前の晩に限り、滅多に泊まらない公邸にわざわざ泊まり込んでいた事実が、其れを物語っているのだという。ならばあのヘンテコなサイレンに、頑張っていますという姿勢丸出しの首相会見など、まるで茶番も茶番。茶番の極み。下らない騒ぎを起こされて貴重な睡眠時間を削られたと、国民は怒るべきである。夜はサッカー観戦。苦手な豪州に何とか勝利す。併しこういう時にミサイルは飛んで来ないものだな。こうして八月も終了す。


8/30・水
 朝から異様に蒸し暑い。午後出社。本務校の授業も久久である。夕方降雨あり。ただ中央線より下は大して降らず。中途半端に下水が流れたらしく、何だか町全体が生臭い。
退社後は祐天寺の立ち飲みBへ。久久にマネージャーのМさんと会う。上の子は結婚し、下の子も就職したので、此れで子育ても終了したと報告される。いやいや、油断大敵。若年層の離婚率の高さを考えると、第二第三の子育てがあるかもしれない。猫しか育てたことが無い吾人が心配するようなことでもないけど。それにМさんは早く孫を育てたいなどと以前、言っていたような気がする。願いは早晩叶うかもしれないな。
ところで民進党を出て行った元の環境大臣は、いよいよ新党を結成すると言い張っていた。ラーメンの人と連携したいとも。併し保守的な政党をもう一つ作ってもね。どうにも此の人は走り出した方向がまるで頓珍漢だと云う事に気が付いていない御様子。多分方向音痴なのだろうな。其れは、つまり政治音痴ということである。


8/29・火
 すっかり寝ていたので何も知らなかったが、朝方何かが遥か上空を通って行った模様。変なサイレン等を色色と鳴らして警戒したらしいが、大体が宇宙である。そういうことしても仕様がない。ただ飛行機は怖いだろうな。其れは先方も同じで、矢鱈と深夜早朝に打ち上げるのは、ひょっとして国内線の運航時間外になるように配慮しているのかもしれない。併し破片が旅客機の横を掠めて行くのは、どれくらいの確率になるのだろう。こういうことを頻りに心配するのは、やはり吾人が飛行機恐怖症だからかな。
従って朝から晩まで半島問題特集。専門家も大量登場。所謂朝鮮特需である。前にも書いたが、此の件に関して日本が出来ることは何もない。出来ないことを議論するのは時間の無駄である。
 午前中に振り込みに行く。というのも鎌倉の伯母さんの家が色色と大変なので家人が少額援助することになっている。ATMで三万円振り込んだら手数料が432円も取られた。確か先月までは無料だった筈なのに、勝手に値上げをしている。銀行というものが信用されないのはこういう所だな。箪笥銀行が繁盛する訳である。遠くの台風が南風を吹き入れ、異様に蒸し暑い。昼はカレーうどん。午後は稼働不能。夜は冷やし中華


8/28・月
 家人も納戸を占領する不要物を捨てて仕舞いたいと宣う。所謂、断捨離である。此の三文字熟語、元元はヨガか何かの言葉を並べたとのことである。平時では二度と使わないようなものだが、何かが起きたらね。やはりなかなか捨てられない。例えば大昔の大型ジャンパーでも真冬の避難着になる、とかね。フローが途絶えたら、ストック中心の生活になるから、不要物もきっと何かの役に立つ筈である。こういう発想は災害が多い国だからかな。まあそれも家が残ればの話しである。万が一に備えて、体の脂肪も少しは残しておかないとね。ヨガの体操などもっての外である。
 朝方は結構冷えた。段段晴れて結局暑い。午後千寿に出校。此方も通常授業に戻る。途中駅前の大型書店に参るも、狙いの本は置いておらず。早終了したので、大橋の自動化寿司へ。併し大半のネタが既に食い尽くされており、麦酒一本で終了。何だか食べ足りないので町屋でラーメン屋を物色。駅直結の店に初入店。旭川ラーメン醤油味、但し酸味の利いた奇天烈な味。店はラーメン居酒屋と言った体裁だが、他客は皆無。ある意味、納得できる味であった。今日はどうにも店運がない。こういう晩は傷口を広げずに素直に撤収すべきであったと後悔す。いやいや、忍耐力と味覚はこうして鍛えられるのである。


8/27・日
 昨日と同じような曇りだが、空気が代わり結構涼しい。午後は晴れたが、日中も久久に冷房無し。昼は鶏付け麵。買い物は一便。取った草を袋に入れる以外は概ね無為。昨日の草は一晩でもうバリバリ。乾燥し切ると却って嵩張る。外は涼しいが、家の中は暑い。幾ら窓を開けても大して涼まず。中華料理屋で使うような強力な換気扇が欲しいと思った。また老家人、益益弱り、入浴にも介助が必要となる。
 海の事故、陸の事故、部活の事故、自衛隊の事故多し。夏の終わりで疲れが出るのだろう。もう直ぐ二学期。そして子どもの自殺も増えるな。


8/26・土
 朝からF蕎麦に。まあまあ曇っているが、中中暑い。若干の草取りのみ。夜は焼いてある秋刀魚を買って来て、本年の初物とした。二百円余と安いが異様に小さい。数口で食べ終える。今年も不漁らしい。他は羊肉を焼いて食べた。ニュージーランド産だが豚より安い。羊の自給率は1%だと聞いたことがある。日本では羊が人を食う心配はないな。
 夜はテレビでやっていた「時代をつくった男・阿久悠物語」を見る。同氏がウォークマンを音の点滴と評していたのが面白かった。銘銘各各が好きな音楽を耳に直接注ぎ込むから点滴という訳である。ならば、シャワーのように音楽を流したら面白いだろうと思った。暇そうにしている地下鉄がいい。レコード会社が何編成の何両かを借り切ってヒット曲を流す。皆で同じ音楽を聴くというのも、今となっては貴重な体験である。嫌ならば別の車両に行くか、ヘッドフォンで耳を塞げばいいし。でももう確かに歌謡曲の時代じゃないな。第一に流すような曲がない。支持率が八割くらいあるような国民的スターとか、もう出て来ないだろうし。


8/25・金
 八月も終わりに近づき、各メディアであった戦争特集も終了の模様。併し日中戦争を取り上げたものは少ないな。正直な話し、日米戦争まで進んで仕舞ったら、戦争など止めようがない。となると満州事変からの十年間の何処かにチャンスがあった筈なのだが。併しそうなると必然的に大陸での残虐行為に話が及ぶ。みんな及び腰になるのだろう。
 猛暑の中、御向かいは外装工事。片づけた筈の石灯篭も復活している。何処かに保管しておいたのだろう。坪庭などもあり、なかなか贅沢な造りである。賃貸併用だからかな。やはり本気で造った感がある。隣の賃貸専用物件の凡庸な造りとは大分違う。
 午後久久に本務校に。只管事務作業と雑用。業者テストの答案を集めたり、ごみを分別したりして過ごす。早目の退社の後は、月波君を新しい佐渡屋に案内す。序に鶴木さん、須々木さんも同席。更に中華立ち飲みに。日本語がよくわかる人が辞めてしまったので、何だか注文と微妙に違うものが出て来て困惑した(五目そばと五目焼きそばが混同す)。ところで久久の自転車通勤である。四国に行ったならば2000系特急気動車、東北に行ったならば701系軽快電車のような走りをしたくなるのだが、夜まで暑くて真面に走れず。小田急の各駅停車のようにだらだらと走る。いやしかし、音鉄というのも気持ちは分かるな。ついつい口で真似をしたくなるもの。


8/24・木
 家人宛に詐欺電話が掛かってくる。何でも「一番上の甥」と名乗ったそうである。併し地球の事を太陽系三番目の惑星とか、岩手県の事を日本で二番目に面積の広い県とは、通常は言わないだろう。家人は騙されたふりをしてどうなるのか見てみたいと言っていたが、面倒なことは止めなさいと注意した。生半可な気持ちで犯罪者と対峙してはいけない。
 市民グループが公開した資料によると、加計学園の校舎等は相当な安普請にもかかわらず、建設費がかなり上積みされているのだという。結局は補助金目当てなのではないかと言う指摘が相次いだ。大学建てて、御金が儲かる。余りに時代が違うので、私財で以て学校を造った福沢や大隈や新島襄の例を出す積りもないが、何とも酷い学校法人であると思った。
 昨日以上の完璧な晴れ。三十五度近く。朝方は宿酔気味。コンビニの冷やし中華と胃薬。すっかり回復して、昼にはとんかつ弁当が食べられた。コンビニと弁当チェーン以外の外出は無し。


8/23・水
 実に久久に朝からかんかん照り。午後千寿校に。途中散髪す。例によっての数学だが、本日は本務校の平政君に作らせた模範解答と解説を元に楽楽講義す。いや実に答弁書は大事である。やはり質問は二日前までにして欲しいものである。
 退社後は月波君を上野のBに呼び出し、嫌なことは全て忘れて帰った。千寿からは再び常磐線を使ったのだが、上野には古い立ち食い蕎麦屋があり感心す。「爽亭」と言うらしい。つくづく上野は時代を感じさせると思った。また帰りの半蔵門線は東急8500系に当たる。プレートによると車齢四十年と言う大ベテラン。こういう所だけ見ると昭和後期と大差ない。上野発の夜行列車は何も無くなって仕舞ったけど。
 ところで銀座線にもホームドアが付き始めている。ただ不思議なことにホームドアが出来ることで却って危険が増す。つまりドアの無い駅をより危ないと感じるようになるからである。ドアなどが全くない時代に比して明らかに安全性は増しているにも拘わらず。安全というもののパラドクスである。つくづく安全と安心は別物であると感じた。


8/22・火
 件のレーニン主義者も解任されたらしい。彼は国家の解体だとか、文明の存亡を掛けた大戦争だとか、物騒な事ばかり言っていたらしいから、当然と言えば当然である。映画の見過ぎみたいな人が、政府にいては困るよな。そう言えばグレートリセットとか叫んでいた人も、最近は結構大人しくなった。市長として現実的な困難さを経験したのだろう。経験は人を成熟させる。
ところで保守と言うと、コンサバティブの他に、メインテナンスという単語もある。語源は違うのだろうが、従来の社会制度を維持管理するという点では、コンサバティブはメインテナンスでもある。そういう点では、吾人も保守主義者かもしれない。いや併し保守と言うのも、実に大変である。何しろ不断の努力を必要とする(白鳥だって足はバタ足だ)。大体、国を一気に建て替えるなんて出来ないだろうし。
また昨日の水漏れは給水管の劣化とのこと。壁を開けて修繕したと電話報告があった。何しろ古いからな。まあまあ晴れて、そこそこ暑い。家人は胃の定期検査。此れといって無為。


8/21・月
 結構長かった盆休みも終了。早速五号室から水漏れの通報。直ちに内装屋さんに電話して修理依頼す。古い物件は手が掛かる。併し此の手間を惜しんでは、建物はあっという間に廃墟廃屋となる。
徐徐に夏空に戻る。二週間ぶりにワイシャツに袖を通し千寿校に。此方の講習である。最後は再びの過去問演習。ホームページから出してきたものを持参されたのだが、何と答えは公開されておらず。こういうことはつくづく止めて欲しいと思った。質問は事前に出して欲しいなどと宣う駄目な大臣のようになって仕舞うから。
すっかり疲れた。嫌な数学は早く忘れたいので上野の座り飲みBへ。折角なので常磐線で行く。北関東の雰囲気を少しだけ連れて行きたかったが、乗ったのは取手発の快速電車。今一つだな。U店長は得意の三点盛りを作って歓迎してくれた。


8/20・日
 概ね曇り。今日は低木刈り。どんどん切って風通しと日差しを良くする。何しろもう夏も終了である。昼は隣町でとんこつ醤油ラーメン。あっさりしていて好かったが、店は居ぬきしたような変な造りであった。こういう所もチェーン店なんだろうな。激戦区とあって家系ラーメンだけで三店もある。学生が多いからどの店もライス無料を謳っている。併し今更、御飯要りますか?とか言われてもね。
作業を再開しよう思ったら、物置きで鳴き声がする。どうにもシロを閉じ込めていた。刃物は危ないから、その都度仕舞い込むことにしている。僅かな開け閉めの間に入り込んでいた模様。二時間程で出られて佳かった。併しシロという猫は、何しろちょろちょろしていて、長男だというのに始終落ち着きがない。でも此の猫が、こういうそそっかしい性格だからこそ、直ぐに懐き、弟妹揃って拙宅の外猫になったのだと思う。グレやミケはシロに感謝しなくてはならない。勿論我我人間もね。結構暑くて、三時過ぎには本日の業務は終了。夜は肉を焼いて食べた。


8/19・土
 段段と猛暑に戻る。草取りと日誌書きの繰り返し。蚊と暑さに阻まれて前者は捗らず。旅は四日、旅日誌も四日掛けて概ね纏め終える。すると漸く旅も終わった感じがした。夕方前から激しい雷雨となる。コンコンと音がするから、誰かが訪ねて来たのかと思ったら、雹まで降っている。当然家作の樋からは雨水がだだ漏れ。激しい雷雨は一時間ほどで止む。
多摩川の花火大会は中止。落雷被害もあった。凡そ数万人がびしょびしょになったよう。それに屋台業者も可哀想だな。家でゴロゴロしていた人が得をするという形では内需拡大にならない。夜まで鳴ったり降ったりを繰り返す。


8/18・金
 バルセロナでテロ。ヨーロッパの観光都市はつくづく狙われる。となると観光客は益益日本やって来るな。ミサイル騒動の方もそろそろ落ち着くだろうし。一方、新しい外務大臣防衛大臣アメリカ詣で。色色と武器を買わされている。貴重な税金を惜しげもなく使う積りのよう。何しろちょっとしたものでも数百億円である。それだけあれば、北海道や四国のバスや鉄道を二度ぐらい立て直せる計算である。住民は安心して生活を送れるし、定住の促進は山河の保全に役立つ。正しく国土防衛である。其れに比して、つくづく軍備と言うのは無駄である。張り子の虎でいいから、ずらっと並べて置けば抑止力と言うやつになるだろうに。
大体北の国のあの御方は、日本のことなど全く考えていない。一顧だにしていないし、昔の表現を使えばアウトオブ眼中と言うやつである。日本に出来ること? 米国に電話して大統領の正気を小まめに確かめることくらいかな。平壌の方は番号すら知らないだろうし。そう言えば、あの料理人はどうしているのだろう。
 再び蒸し暑くなる。乗り鉄と草取りの疲れが出て、日中漫然とす。夕方になり品川に出掛ける。というのも月波君が静岡に帰省するというので、件の東日本パスを譲渡しようする。此れがあれば熱海以西の運賃だけで辿り着くことが出来る。まず港南口のもつ焼き屋に。併し月波君は下車後、自動車を運転するというので、本日はノンアルコール。となると解散も早い。19時59分発の通勤快速小田原行きのグリーンに乗せて見送った。小田原と熱海で乗り換えて凡そ二時間半の旅程である。


8/17・木
 旅費の精算をする。三泊して総額六万円余り。内訳は交通費が二万強(大半がJR)、宿泊費も二万円強(此れも半分はJR)、後は飲食費等(三割程度が車内販売及び駅構内での消費)。何しろ駅から離れない旅だったから。まあ家で飲んで食べても一万円は掛かるだろうから、五万円分の内需拡大である。一極集中が進んでも休みが沢山あれば、みんなが続続と出掛けて、地方に御金が回るのだろうけどね。
 雨は止んだ。今日も比較的涼しい。何でも先週の台風五号が、夏の気圧配置を壊して回ったらしい。元に戻るのは来週以降とのこと。まあ七月は十分暑かったから、平均すれば普通の夏になるのだろう。草取りと休憩、日誌書きを繰り返す。


8/16・水
 朝から晩まで一日雨。異様に涼しい。終日在宅し日誌を纏める。他は掃除等。新聞も纏めて読むが、此の時期は中身が薄くて助かる。


8/15・火
 下越地方から帰京するルートは三つある。一つは素直に上越線上越新幹線で帰る方法、二つ目は磐越西線、三つめは米坂線で一旦山形県に出る方法である。此の中で一番乗っていないのは三番目である。というので米沢経由で帰ることとす。
昨日の内に大分進んだから、ゆっくり起きる。乗る距離も時間も総量としては同じだから、昨日苦労した分、今日が楽になるというものである。折角なので宿の朝食を食べる。朝から盛り盛りと食べているのは工事屋さん。お盆でもやるのだね。おかずは大したものがなかったが、御飯だけは流石に旨い。おかわりしたいところだが、食べ過ぎると昼飯が入らなくなる。
駅に参り列車を待つ。米坂線直通の快速「べにばな」は二両編成で、先頭がキハ110で後ろが120と言う新型のコンビ。こういう編成があるのだね。列車組成も複雑である。ちなみに此の二両、車番でいうと10しか違わないが、齢で言うと十五は違う。歳の離れた兄弟と言ったところであろう。坂町から米沢までは大分登るから、弟がお兄さんを押し上げていくような格好となる。そう言えば弟の方が大分肉付きがいい。
車内は既に満席に近い。吾人は弟の方に腰かける。御向かいの若い男は郡山までの切符を持っていた。土産の菓子のような物をぶら下げているから帰省するのであろう。なかなかのものである。坂町から米坂線に入る。米坂線は山深い所を走るから、土石流や雪崩が頻発している。小国の手前、荒川のほとりには殉難碑が立っていた。戦前に汽車が転落したそうである。綺麗な花が手向けてあった。相当な歳月が経っているが丁寧な対応であると思った。乗車思源。井戸で水を飲むときは掘った人を思い、汽車に乗るときは建設や保守管理に当たる人を思わなければね。煙管乗車などもっての外である。
 小国駅でも中量乗車。他の小駅でもどんどん乗ってくる。大半が帰京客であろう。流石に此の時期は御客がいると感心して安心す。一年中、盆と正月とゴールデンウイークならば、地方線区の収支も相当改善するだろうと思った。併しさっきの若者、よくよく考えると、新潟から郡山に行くのは磐越西線である。態態遠回りをするような、所謂其の筋の人には見えなかった。ならば、経路検索サイトに騙されているのだと思った。大体、新潟から郡山に行くには大宮まで上越新幹線で行き、更に東北新幹線に乗り継げなどと計算してくるのが機械の世界である。時間だけを計算するから、とんでもないルートを平気で教えて来る。正しくコンピューターのくせに頭が可笑しいと思う次第である。
試しに時刻表を開くと、新潟を8時43分に出た、現「べにばな」+「つばさ」で、郡山到着は12時29分。一方、磐越西線の快速「あがの」+名無しの快速を使うと、新潟を8時25分に出て郡山到着は12時12分。うーん、時間的には甲乙つけ難いが、そもそもの運賃と料金が違うだろう。
いや、ひょっとすると吾人が切符を見間違えたのかもしれない。もう一度切符が見たい。車掌が検札に来て欲しい所だが、ワンマンカーなので其れも無し。謎が謎を呼ぶ、正しくトラベルミステリーである。色色と考えている内に米沢に到着。件の彼は新幹線に乗ろうとしていたから、やはり郡山に行くのだろう。敢えて「つばさ」に乗ってみたかったのだろうとの結論に至る。
 米沢の駅前食堂で牛丼とビールの休憩。福島行きの普通に乗車。此の区間の昼の列車は此れ一本だから、格安切符の難所中の難所である。峠駅では立ち売りの力餅を入手。家人への土産も出来、此れで旅も終了といったところ。
さて福島から黒磯までは延延と701系。四両だが都会並みの混雑となる。何となく席には有り付けたが、足も延ばせないし、立ったり座ったりしながら速度計を見に行くことも出来ない。忍の一字である。そもそも吾人はじっとしていられない質なのである。年寄りでも乗って来ないかと思ったが、生憎乗客はみな若目の人である。99%の人が終点まで行くから車内は丸で動きがない。ちょっとした軟禁状態である。堪らず、目の前の女性に座って下さいと譲ったが、即座に固辞される。其れでも吾人は立ち上がった。暫らくして近所の中年女性が座ったようだが、なかなかこういう車中で会話というものも生まれないな。
 黒磯で上野行きに乗り換え。グリーンも付いているが多分混んでいるだろう。混んだグリーン車は空いた普通車に及ばない。十両編成なので密度は薄まった。栃木県内を淡淡と走ると、また直ぐに混雑する。温泉や山帰りの御客である。よく此れだけの人が首都圏には居ると毎度のことながら感嘆す。
赤羽駅途中下車。今回は夜の支出が少なかったから、案外とお金が残った。改札外の「とんかつの和幸」に寄り、埼京線で帰った。併し関東も涼しい。家人によるとずっと梅雨のような天気だという。世が世なら冷害だな。併し数日も管理しないと、更に草が伸びた感じ。陽はなくとも水があれば草木は育つ。明日からも休みは続くが、兎に角ずっと草刈りの予定である。駐車思源。いえいえ、其れには及びません。


8/14・月
 朝から「リゾートしらかみ2号」に乗車。東日本自慢の観光列車である。乗るなり、目の前で津軽三味線の演奏会。併し猫を飼うようになって以来、どうにも三味線は気に掛かり演奏には集中できず。終了後車内検分に出る。2号はキハ48という古い気動車を改造したもの。何だかのっぺりした顔をしていて、頭にちょんまげのような物を乗っけている。さながら商家の若旦那のような感じ。中にはコンパートメント席などもある。併し多くの乗客が退屈した表情で乗っているのが宜しくない。海が見えるまでは前奏の積りなのであろうが、何も本を読んだりゲームをすることはないだろう。大体そういうことは、いつでも出来る。旦那も警笛を鳴らして少し怒った方がいい。
 車内販売も来たので、早速「故郷巡り・あおもり弁当」(1050円)を購入す。県内各地の惣菜が一口ずつ纏めてあり、つまみに最適である。途中の千畳敷で観光停車。多くの乗客が這い出すと、海岸は人でいっぱいとなる。四両の輸送力というものも侮れないと思った。観光名所なだけに、民宿が屋台を出して焼き烏賊などを売っている。一瞬で売り切れた模様。青森の人は商売っ気がない。
 まあこういう観光列車による列車観光も悪くないと思った。車内販売もあるしね。奇岩名勝を潜り抜け、十二湖までには車内は閑散とす。吾人もあっちの席、こっちの席と移動しながら車窓を愉しんだ。東能代で進行方向が変わる。ガチャンガチャンとシートも回転。昔の急行はボックスシートだったから、こういう面倒は無かった。何しろ当時は多層建てという列車が沢山走っていたから、方向転換も多かったことだろう。能代辺りから普通の御客も乗って来て、観光列車と言う感じでなくなる。何しろ奥羽線は本数が少ないから。となると、どの御座席も二回転はした計算である。指定料金は一席520円だから、結構稼いだな。
秋田定刻到着。五所川原から四時間近くかかったが、普段以上に少しも退屈しなかった。やはり車両がいいと、気分がいい。併し特急を含めて羽越線に接続列車は無し。実に一時間半も待つことになる。という訳で、駅前地下街で稲庭饂飩休憩。併し何しろ朝から飲んでいたから、酒類の注文は出来ず。呑み鉄と言うのも楽ではない。
 そしてやはり酒田や鶴岡にホテルは無し。併し鶴岡を過ぎると大きな街は暫らくない。民宿や温泉宿などはあるのだろうが、何しろ一人だからね。となると次は村上か新発田である。秋田から延延五時間。海を見ながら行くこととす。という訳で漸くスマートフォンで宿に予約を入れた。便利と言えば便利である。
日本海側は晴れていて気持ちがいい。幸い、701も空いている。大きな山は鳥海山。島は飛島かな。其の内に佐渡も見えてくる。此の区間は本当に絶景続きである。秋田からは家族連れとずっと一緒。旦那さんも頻りに喜んでいる。
酒田でキハに乗り換え。庄内平野を過ぎると西日は夕日となる。鼠ヶ関駅辺りで本日の太陽も勤務終了。海辺ではキャンプなどもやっている。海水浴同様、吾人には縁がないイベントだが、焚火をしているのは好いことである。是非吾人も揺れる炎を見ながらウイスキーを飲みたい。尤も此の時期は麦酒だな。
辛うじて笹川流れまでは残照があったが、桑川で「いなほ14号」に抜かれていると真っ暗となる。こうなると車窓からは何も見えず。あと一時間。乗り鉄も楽ではない。当初は元気だった家族連れも流石に静かになる。旦那さんは安い発泡酒を飲んで気を紛らわせている。其れに何だか目が落ち窪んだように見えた。元元外国の人だから、そんな感じだったのかもしれない。
 新発田到着。20時24分。吾人の旅程は此処で終了。朝の9時半に五所川原を出たから、十一時間はレールの上か、駅ビルかホームに居たことになる。いやあ良く乗った。一方の四人組は大急ぎで新潟行きに乗り換えて行った。御苦労な旅である。
駅近くの安ホテルに投宿。部屋は無駄に広いが、設備は古い。壁紙は張り替え、ベッドは新品を入れるとして、ユニットバスの取り換えなど出来るのかね。西洋式の鉄筋コンクリートだと改修も容易ではないだろう。結局ホテルというものは最新型が一番良くて、以後急速に価値が下がることになる。どんどん建て増ししている新興のビジネスホテルチェーンなどは、其の辺の事をどう考えているのだろう。同時期に建てたものが一気に古くなる筈である。
駅前はチェーン酒場以外は開いていない。少し覗いて見たところ、矢張り同窓会客で超満員。みんな里帰りして飲むのだね。従って、ひとり酒の雰囲気ではない。胃の調子も良くないので、コンビニの冷やし中華に缶ビールを一つ飲んで御仕舞。詰まらない晩である。


8/13・日
 早速駅に参る。と言っても駅の真上に泊まっていたのだから、其のまま階下に行くようなものである。昨日購入した「北海道・東日本パス」は、青春18きっぷの東日本版のような物で、JRの他は一部の第三セクター線にも乗れる。東北本線の経営分離に伴う救済策のような切符でもある。連続七日間有効で10850円だから、東北を巡るには都合がいい。
 9時35分発の花輪線直通大館行きに乗車。好摩までは旧東北線、現岩手鉄道線を走る。花輪線は、中中縁遠くて、今回初乗である。一度五能線を秋田側から乗り進め、深浦の寒い旅館に泊まり、弘前から大館まで「かもしか」という特急を仕立てて乗ろうとしたことがあった。併し肝心の特急が雪で遅れて寸でのところで乗り継げず。鹿ならば雪の中でもぴょんぴょんと走って行って欲しいと大いに落胆したものである。そんな「かもしか」であったが、後後にヘッドマークに描かれた鹿の絵が、かもしかではなく蝦夷鹿ではないかという重大な嫌疑が掛けられたことがあった。何でも角の形が違うそうである。鉄道と動物の両方に詳しい人というのも稀に存在していて、間違いを見つけたのだろう。正しく看板に偽りあり。
 そもそも「かもしか」は羽越、奥羽線の特急再編によって生まれた列車で、今は新型の「つがる」となっている。当初から短命を予定しており、だからヘッドマークも適当なやっつけ仕事だったのかもしれない。まあ、絵付きのマークと言うものも今はないから懐かしい思い出である。其の晩は宮古に予約を入れていたので、延延と次の列車を待つ訳にもいかず。盛岡までは高速バスで移動した記憶がある。
あれから実に十余年、漸く乗る機会を得た。二両のキハは席が概ね埋まる程度。帰省客等を小駅に配りつつ進む。八幡平までは高い山がなく、開けた感じ。何となく本州離れした感じの景色が続く。途中から山が迫って来て、普通の風景となる。
 兎角、御荷物扱いされているローカル線であるが、放っておいたら家で脱線転覆しているような吾人をレールの上に戻し、態態新幹線にも乗らせ、直営のホテルにも泊まらせている。使用しているのは格安の乗車券だが、全体としては元が取れていると解釈すべきである。採算性を精査するなら、そういう所まで計算して欲しい。
十和田南で方向転換。併し十和田湖に向かうバスは既に廃止。売店も駅蕎麦屋もなくなったそう。構内も無駄に広く感じた。ラストレールには当面ならないだろうが、ラストキオスク、ラストバスルートは既に多数存在している。益益将来が不安である。観光列車でも走らせるしかないな。盛岡管理局、現盛岡支社はどう考えているのだろう。
 大館定刻到着。此処で一時間待ち。駅前の有名駅弁食堂は長蛇の列。バスターミナルに食堂が併設されていたのを思い出したので行って見る。店は健在。而もバス会社直営のよう。白い割烹着を着た御婦人方がきびきびと動いている。丸で昭和の学生食堂だと思った。朝昼営業なので御酒類はなし。健全食堂である。御客はひっきりなし。ひょっとしたら路線バスの売り上げより多いかもしれない。田舎のバス屋さんは色色副業をやらないとね。
 さてさて駅に戻る。二両が来るか、四両で来るか。運命はダイヤ管理者に委ねられている。愈愈やって来た。列車は正面から近づいて来たのでよくわからない。あー、二両である。と言っても奥羽線では乗客も高が知れているようで、楽楽乗車す。
クモハに乗ったのでモーター音が凄い。ヒューヒューと言いながら加速した後は、キーンという音をずっと立てている。常時百キロ近くは出しているな。田園都市線小田急線の急行よりよっぽど速い(何しろ駅が少ない)。山と田んぼと、所によっては海。大きな窓と開けっ広げな車内と轟音(ガタンゴトンと言うジョイント音を含む)。701系も登場から二十年以上は経ったか。東北地方を代表する車両である。オールロングシートという割り切った構造の為か、当初から評判は芳しくないが、景色が良く見えるから、吾人の評価はそれほど低くない。まあそれも空いていればの話しである。
 弘前で少しだけお城を見て、五能線に。まだ一時間近く待つが、ホームのベンチで缶麦酒休憩。適度に列車の出入りがあり、全く退屈しない。入れ替え信号に従って、行ったり来たりしながら三両編成のディーゼルカーが入場。17時06分発の深浦行きである。漸く此処で古いキハと出会えた。三両編成は真ん中だけ例のたらこ色。エンジンの上に腰かける。すると何だかアイドル音が変だ。ゴロゴロガタンと変調する。何処か具合が悪いらしい。何しろ古いからな。此の車両もいよいよ引退が決まったという。ただ力行すると変な音は収まった。林檎畑の中を一時間弱進み、五所川原到着。本日は此処で終了。
 今日の宿はサンルートチェーン。昨日より三千円は安い計算である。盛岡と五所川原では地代が違うだろうから、部屋は此方の方が広い。そもそもビジネスホテルとシティーホテルは何が違うのだろう。一説には収入における割合の違いだと聞いたことがある。詰まり前者はほぼ寝るだけ、後者はレストランや宴会などの宿泊以外の収入が一定以上あるのだと。当然宿泊自体費も後者の方が高いのだが、何よりもの違いを見付けた。其れはサニタリー関係である。前者は大人用の御丸サイズなのに対して、後者は一般家庭並みの大きさであった。ベッド回りなどは大差がないが、此れだけは歴然としていた。
 お盆なので大半の店が開いていない。フロントの人に聞いて、営業中の居酒屋を紹介して貰う。さて青森まで来たら行き成り日本酒である。「田酒」と書いて「でんしゅ」と読ませる銘酒がある。早速注文しようと思った。併しどうにも吾人には訓読みを重ねる習慣がある。一度徳島に行った際、眉山を「まゆやま」と言って仕舞い、呆れられた覚えがある(此の時は本当に知らなかった)。日本酒はよく飲むから、田酒の読みは十分知っていた筈なのに、ついうっかり口から出たのは「たざけ」という音、いや訓である。途端に店の人に聞き直された。
 店内は同窓会等等で大混雑。元元胃もざらざらなので、放っておかれるのは却って都合がいい。其処でカウンターにあった『太宰治と旅する津軽』と言う本を読む。此の辺りは太宰ファンには聖地に準じる扱いなのだろう。百閒と太宰。丁度対極だな。太宰は作為として破滅型小説家を目指したのに対し、百閒先生は官僚的、教員的、鉄道的正確さを以て、捧腹絶倒、唯一無二な人生を歩まれた。中中お亡くなりにならなかった点も。


8/12・土
 未明に何やら騒がしい。どうも駐車場にあるオートバイを出そうとしているらしい。夜中に動かすのだけはやめて欲しいと思っていたところ、暫らくして見ると巡査が来ている。誰かが通報したのだろう。何も110番までしなくてもと思う次第だが、こうなると家主としては出て行かざるを得ない。巡査と一緒になって、夜は御酒をよく飲んで寝るようにと指導す。併し酒が切れた吾人はもう眠れない。
 起きたままで駅へと向かう。まず始発の東急線に乗る。途中で丸ノ内線に乗り換え。車内は大荷物を抱えた人でいっぱいとなる。物凄い数の人が東京駅を目指していることが分かる。そもそも此の時間に東京駅に来られる人と言うのは相当限られる。にも拘わらず此の大人数である。ニュースによると下りの指定席は軒並み連日売り切れだという。扉が開くなり血相を変えて走り出す人人は自由席なのだろう。
 旅人の心理には被害妄想的なことがあるのは重重承知している。詰まりみんながみんな同じところを目指しており、激的な混雑になるのではと考えたがる。併し今回ばかりは杞憂とは言えまい。吾人も何だか段段急ぎ足で新幹線ホームに向かう。丁度一本前の盛岡行きが出る所だった。ほれ見たことかと、デッキはおろか通路まで人でいっぱいである。今年の帰省ラッシュはやはり凄い。
尤も吾人が乗る予定の「やまびこ201号」仙台行きは全駅停車の「こだま」、詰まり昔の「あおば」タイプ。各戸口には二十人は並んでいたが全員着席して、6時20分に無事出発す。当然立ち客も無し。やはり杞憂であった。併し東北新幹線も本線は十両が基本。こういう時は二階建てか十六両フル編成の輸送力列車がないと捌けないな。一等車なども不要である。
 関東も東北もお天気は宜しくない。乗っているのは、昔の「はやて」型の車両である。此の車両は窓が大きくて助かるが、景色は霧が掛かる。どうにも太平洋岸は天候不順である。小山から小学生くらいの男の子が乗り込んで来て吾人の隣席も埋まった。併し此の子、席に着くなり背もたれを倒し、スマホのゲームに熱中している。乗り慣れた感じである。子どもの割りにどうにも感動が足りないと思った。大体吾人など、新幹線に乗ると言うだけで、前の晩から寝付けないのである。
 福島を過ぎた辺りで、漸く車販員がやって来る。「大変遅くなりました」と恐縮していたが、一体何処から現れたのだろう。見たところ仙台の人らしいから、まず上りの列車に乗り、途中で下りの列車に乗り換えて来たのだろうと思った。という訳で漸く此処で缶麦酒を一つ。
 二時間余りを掛けて仙台に到着。此方も小雨。杜の都と言うより霧の都といった感じ。駅蕎麦を食べた後は、仙台石巻ラインの特別快速石巻行きに乗り換える。此の列車は行けるところまで東北本線を走り、途中で仙石線に渡って行く。なお電化方式が違うからディーゼル運転である。而もハイブリッド方式と言う最新型なので、停車中はエンジンが止まっている。見たところ電車と大差がない。ただ床下に吊るしきれない蓄電池が客室に飛び出ており、数席分の座席が無くなっている。丁度それくらいの人が座れない。御客は立たせても、電池を下ろす訳にはいかないから仕方がない。
 それにあれだけ大きな電池を抱えても、走り出すと直ぐに電気が足りなくなるらしい。軽油を燃やして電気を熾こすべくエンジンが灯る。但し発電の為の一定のリズムだから、力行と惰行の区別がない。何となく調子が出ない。盛り上がらない映画か詰まらない先生の講義のような走りである。
 石巻石巻線に乗り換え。終点女川下車。吾人としては二度目の被災地訪問である。併し女川という街は原形を留めないほど破壊され、全く新しい街に作り替えられている。駅前には殷賑な商店街があるが、郊外のサービスエリアやショッピングモールと言った感じ。詰まり何が言いたいかというと、古い食堂の類はみんな無くなって仕舞ったということ。個人店では再建も容易ではないのだろう。つくづく津波というものが恨めしい。
観光食堂のような所で海鮮丼を食べたが、時間を無駄にするような所が何もない。併し次の列車まで一時間半もある。御酒でも飲めばあっという間だが、何しろ店が無い。そして何より雨が酷いので何処にも行けない。丁度石巻までバスが行くというので、少し戻ることにした。石巻も浸水被害はあったが、街並みは大抵残っている。駅近くの中華食堂で一服。もやしそばを肴に日本酒を飲む。先客の海鮮丼と混ざり合い、胃がパンパンである。後からやって来た石巻線で小牛田に移動。此処からは東北本線の旅である。やはり本線とはいえ、ぶつ切り状態は各社共通。一ノ関で強制下車。其の度に大荷物の乗客は右往左往す。気仙沼方面も乗り換え。見た感じでは大船渡線も結構乗っている。併し今となっては、気仙沼線気仙沼には行かず、大船渡線は大船渡までは行かない。JRも地元も鉄路の復活は諦めたらしいから、名が体を成すよう改称しなくてはならないかな。転換バスというものは本数は多いが、道路を走るから結構遅い。
 此処から先は二両編成となる。今まで四両で来たものが急に半分になるのだから、混雑は当然二倍となる。本当にぎゅうぎゅう詰め。困ったことになったと思った。時刻表を捲り、善後策を緊急協議す。すると北上始発の盛岡行きというのがある。盛岡に着くのは二十分遅いが、例によってどうということはない。這う這うの体で下車する。このように後続列車に乗り換えることを「段落とし」と言うらしい。こういう技は紙の時刻表でなければ生み出せないだろうな。何しろ全路線の全列車が手を取るように分かる。北上始発の列車も結構集客して、盛岡の少し手前で満席以上となる。既に超満員の先行列車はどうなっただろう。盛岡到着17時40分。
 今夜は「メトロポリタン」というホテルを奮発す。JR直営だから、謂わばステーションホテルである。高いホテルで元を取るには、部屋の滞在時間と睡眠時間を長くする以外に方法はない。晩は絶食。部屋に閉じこもり、昏昏と二夜分寝て過ごした。


8/11・金
 二年目の山の日である。一年目は丁度下水が溢れた日でもある。早速バケツで二杯ほど流した。低圧洗浄である。今日も異様に涼しい。一昨日は三十七度で、今日は二十五度。東北も寒そうだね。鶴岡だけホテルがない。調べてみると夏祭りか何かがあるよう。困ったな、では酒田にするか。其れに応じてダイヤも立て直し。泊まる街が少し変わるだけで、何通りも選択肢が出て来る。時刻表を捲り直す。何度も言うが、時刻表は紙に限る。


8/10・木
 続いて盛岡のホテルも予約す。朝から曇る。漸く体調も天気も平常に戻った。其処で墓参りに行くこととする。例によって一族を代表して吾人一人で参る。お盆にはまだ早いが、そもそも今日は義雄伯父さんの命日であり、また万代伯母の一周忌も近い。
 西武線に乗り、小平霊園に。何しろ昨年の納骨以来、ほったらかしである。草や葉っぱと格闘すること三十分。汗びっしょりとなる。線香を焚き、其方側に行った万代伯母の様子はどうかと尋ね、また衰え著しい老家人をもう少し頑張らせて欲しいとお願いした。しかし大きい都営墓地も人影はまばら。概ね墓の十軒に一軒は放置状態である。物故者は増える一方、墓守要員が明らかに足らないな。 
駅南口の中華屋で焼きそばビール休憩。其の後本務校に回航し、昨日行えなかった事務仕事等を行う。五時には退社。さてさて此れと言って行くところも無いし、会ってくれるような人もいない。自転車がないので、祐天寺の立ち飲みBまで徒歩連絡。何だか気の毒なほどに空いていたので、若い従業員と話す。何でもお腹の具合が悪いのだという。飲食業でそういうことを言われても少し困ったが、無下に退ける訳にも行かない。ヨーロッパの安い白ワインを大量に飲むと便が固くなるようだと吾人の経験に照らしたアドバイスをした。駅からはバスに乗って帰宅。八時過ぎ。東風が入り、夜は朝より涼しい。
併し電車に乗って気が付いたのだが、もう大きな荷物を持った人が右往左往している。山の日が三連休に当たる為であろう。案外此の祝日も役に立っていると思った。兎に角、一日でも一時間でも休みを多くする。其れが働き方改革である。


8/9・水 
 台風が残していった熱気と風で朝から大変な暑さに。八時の段階で三十度、昼には三十七度にもなる。昼前に西向かって水を撒く。
 昨夜は麦酒しか飲んでいないから、宿酔はないと安心していた。併し起きて数時間経つと、徐徐に具合が悪くなる。時差を付けてやって来たのである。午後は相当悪い。堪らず、本日欠勤す。まあ千寿で普段の倍は働いているから、正当な権利の行使である。以後蟄居謹慎。ラジオを聞いていると故障車渋滞多し。人も車も壊れる暑さである。夕方に一雨あった。夜はコンビニの冷やし中華に麦酒を一缶。
 ちなみに本日のヤクルト戦の観衆は二万二千。昨日は二万五千だったから、麦酒目当ては三千人といったところ。案外少ないな。半額でも持ち込みの缶麦酒よりかは高いからね。


8/8・火
 のろのろ台風は北陸へ。関東は幾らも降らず。次第に晴れて、例によって蒸し暑い。五所川原のホテルは確保。後はどうにかなるだろう。本数の少ない列車、人口の少ない街のホテルから確保していくのが、旅の基本である。
 雨後の筍がもう出て来た。選りに選って日本ファーストなのだという。国粋団体だよ。こりゃあ。また聞いた話によると、都民何とかの代表もとんでもない人らしい。萎むな、急速に。都議さんたちのボロはまだ出て来ないけど。
 今日も神宮球場麦酒半額デーである。先月は未遂に終わったが、本日は決行に至る。但しヤクルト対横浜と言う、吾人にとってはあまり関係のないカード。其の分、集中して飲酒が出来るというものである。参加者は月波君、客間君、かなり遅れて坪上君。チームオレンジ大学である。金曜会のおじさんたちには声を掛けなかった。五時半到着。屋台で買ったつまみ類以外の持ち込みは無し。後ろめたくないから堂堂と入場す。
客間君がヤクルトファンなので一塁側の外野席に陣取る。考えて見れば神宮には三十年以上は通っているが、此方側のスタンドには初めて来た。西を向いており、雲の間の夕焼けが綺麗。三塁側では見られないから得をしたと思った。其の内に、其の雲がもくもくと広がって小雨が降ったが、まあ大したことはなかった。
一杯350円の麦酒をどんどん注文す。周りも麦酒目当ての会社員多数。ボールパークと言うよりビアガーデンだな。野球の内容は何も覚えていないが、㈠国歌が流れた時はきちんと座って気持ちが良かったこと、㈡花火のあと煙と燃えかすが広がって来て、一種硝煙ショーのようになったこと、㈢グランドに落ちた燃えかすを拾い集める球場スタッフにヤクルトの外野手がそっと帽子を取って敬意を払った(ように見えた)こと、㈣大半の人が酔って騒いでいるだけなのだが、後ろの若いカップルが案外野球に精通していて、解説代わりになったこと等等、まあこういうことは実際に球場に行かなくては分からないことである。
 それにしても神宮球場と言うのは気持ちがいい。夕日も雨も虹も夜景も花火も楽しめた。持ち込み規制が緩いというのもいい。此れで普段の麦酒がもう少し安いといいのだが。大体500円ぐらいが適正価格というものである。ところで此処も建て替えるんだっけ。試合は九時きっかりに終了。その後坪上君お勧めの薩摩居酒屋へ。帰宅は十二時近くだったらしい。


8/7・月
 昨日以上に暑くなる。遅い台風は南紀に上陸。其れに向かって南風が吹き付け、異様に蒸す。今月の電気使用量258キロワット、前年比13パーセント増。七月が暑い割りに少なかったのは省エネ効果が出ているのだろう。
御昼過ぎに千寿に向かう。そろそろ何処かに出掛けようと思った。其処でみどりの窓口に参る。千寿のような大駅でも有人口は二つしかない。例によって長蛇の列。そんな行列を他所に、件の賢い機械で座席指定券を探す。「リゾートしらかみ2号」の四号車十番Dという最後の最後の席が残っていた。以後、此れに合わせるように、ホテルとダイヤを探していくこととなる。ただ何しろ最近は地方もホテルがないからな。過日の松江のようなことにならないといいが。
 煙草屋を改造した変な蕎麦屋で遅い昼食。九時前まで授業。高校数学も得意の関数に引き込んだので楽楽指導す。退社後は大橋のラーメン二郎へ急いだ。最後の最後に滑り込む。初入店である。併し麺揚げも最後になり、何だか茹で過ぎの模様。おまけにニンニクと野菜の申告のタイミングが合わず、店主に嫌味を言われる始末。まあ二郎も半年に一度程度だね。


8/6・日
 朝から異様に暑い。一切の外の仕事は不能。五号は九州南部に接近す。本日は土用の二の丑だそうだが、そもそも八月六日に鰻を食う気もしないな。夕方西の方に向かって水を撒いた。


8/5・土
 朝からF蕎麦に参る。夏の主食は麺類である。今朝はミニかつ丼も付けた。但しF蕎麦は御飯が極端に不味い。例によってパラパラのぼそぼそである。
取った蔦の片付けの他はゴミ拾い。最近激増しているのがプラカップゴミである。コーヒーか何かが入っていたのだろう。大抵中身が残ったまま置いてある。此れをトングで横にして、慎重に踏んづけ、中身を出してから回収す。つくづく面倒臭い。大体片づける人のことの少しでも思えば、きちんと飲み切ってから放置する筈である。公共心がない人が余りに沢山いて本当に困る。またあの手の飲物の氷がそもそも多すぎるのも原因の一つである。溶けた氷がどろどろ水となって見た目も極めて宜しくない。
 愈愈蒸し暑い。台風五号は奄美を直撃。併し関東は一切無風である。何だか呼吸困難になりそうなほど。二十九度の設定にし自室に引き篭もる。昏昏と午睡す。夜はちらし寿司を解凍して御仕舞。


8/4・金
 朝方は空き家の絡まった蔦を払う。ついうっかり電線を切ろうとして仕舞い、ひやりとす。関係各位は御注意あれ。午後千寿校に出校。今日からこっちの講習である。例によって複数の学年と科目が交差していて、時間割もモザイク画のように複雑である。三時から九時までずっと授業。特に最後は高校数学。というのもSさんが戻って来た。Sさんは中三の時に少し教えただけだが、高校に上がった直後に病気になったと聞いていた。漸く回復し、再び習いに来たのである。
 此処で思い出すのは、本務校にいた春菜のことである。粗暴な子で、よく悪さをして怒られていた。体格も立派だったので、将来はプロレスラーにでもしようと思っていたところ、中三の夏に難しい病気に罹り、丁度其の一年後に亡くなった。見舞いに行く度に、元元は大きな体が小さくなって行く様は、如何にも可哀想であった。暑い中、葬式にも行った。こうなることが予め分かっていたのなら、嫌な勉強などさせずに、美味しい物でも食べさせてやればよかったと後悔したものである。
彼女は、其の春菜に生き写しまでとは言わないが、結構似ているので(頭と性格は全く違うが)、尚更心配していたのである。入院生活は一年に及んだそうだが、まあこうして元気になったのだから万事佳かった。
併しいざ教えるとなると話は別である。行き成り大学の過去問を持って来られて閉口す。数学の奇襲攻撃だけはやめて欲しいのである。平政君に丸投げしようかな。まあ勉強が出来るのも命があればこその話しである。げんなりして退社。月波君と客間君が飯田橋で待っているというので回航す。二人で「おけ以」に行ったとのこと。立ち飲みBで軽く飲み、小諸蕎麦で締めて帰った。ちなみに今晩話題になったのは歌手上がりの女性参議院議員グリーン車での密会が週刊誌に出た人物である。100系新幹線があれば、グリーン個室があるので、何をやってもばれなかっただろうということに。それこそ車中で一線を超えることさえね。でも東海は意地でも作らないだろうな。


8/3・木
 今日も曇って涼しい。所謂やませである。朝方草取り。昼は家人が拵えた冷やし中華。以後昏昏と午睡。例によって内閣改造。バランス重視の地味な変更である。そもそも組閣に驚きを求めること自体、何時から始まったのか定かではないが、変な話しである。其れに何しろ大臣を代えても、内閣総理大臣が代わらないからね。よって取り立てて言うことも無し。ただAも愈愈顔色が優れないように見えた。此れは希望的観測と言うやつかなあ。
夕方築地で火災。所謂、場外の古い住宅兼店舗が燃えたよう。密集している上に看板が邪魔で放水できず。毎回毎回、古い街はこうなるから再開発が必要なのだということになる。併し築地と言うのは一度も行ったことが無い。吾人としても意外に思う。何しろ朝の街だからかな。其れに銀座で朝まで飲み、築地で朝飯だなんて一生縁がなさそうだし。戸越銀座があるのだから、○○築地と言うのも作って欲しい。


8/2・水
 未明と早朝に地震。関東もかたかたと横に揺れた。空気が入れ替わり、割とさわやか。外に出て見ると、もう秋の雰囲気である。つくづく今年は天候不順である。
 御昼に出社。中学三年生には、スマホばかりやっていないで、(スマホアプリのラジコで)ラジオを聴きながら勉強しろと説教す。其の際、件のラジオCMも聞かせてやった。大体音の世界から想像力が高まるのである。吾人が幼少の頃など、ポルノビデオなどはなく、ポルノカセットテープで想像力を養ったものだとは言わなかったが。音声だけのそういうものが存在していたと記憶している。金参万円受け取る。
佐渡屋が移転オープンしたというので、鶴木さんらと出掛けて見る。前店より巨大化して、収容人数も大幅増。よく二ヶ月で再開できたと感心す。以前はカウンターしかなくて、中中入れないことも多かった。今後は常連の座を回復するかもしれない。ただ店が出来たのは住宅街との境目。大人しく寝ている近隣住民からの苦情が来なければよいが。繁華街にあった個人店が四散して行くのは再開発の宿命である。尤も其れは、地権者や行政による暴挙の結果であり、店主らの責任ではない。
 帰宅後ぼんやりテレビを見ていると、次次とニュース速報が流れる。またテロか地震かと思ったが、組閣の顔ぶれが分かったとのこと。どうでもいいことで、態態人人の耳目を集めないで欲しいと憤慨す。夜は寒いほど。もう蟋蟀が鳴いている。窓を閉め切り、薄い布団も出す。


8/1・火
 森の夫妻は逮捕される。愈愈かつ丼の出番である。ただ本丸の国有財産大幅値引きまで捜査が及ぶかは不明。
朝から曇る。陽は出ないのだが、遠くの台風が水蒸気を吹き寄せ、異様に蒸し暑い。午前中は草との相互交渉。昼はスーパーの天麩羅と絵島蕎麦。午後から雨。室内で漫然とす。神奈川は大雨だったらしいが、都区内は大して降らず。それでも随分涼しくなる。晩食後は換気扇の掃除。

2017年7月

7/31・月
 朝からかんかん照り。昨夜は確か十時には寝たのだが、三時間寝ただけで目が冴えて仕舞う。以後マンジリもせずという訳ではないが、多少うつらうつらしただけ。よって一日眠い。素麺を食べた後、御昼にバス出社。二時間ほど教えて、千寿に回航す。少し早目に終わったので上野に移動。立ち飲みBが支店を出したというので表敬訪問す。本店から異動して行ったU店長も居た。新店の立ち上げは激務らしく何だかやつれたよう。
 立ち飲みB、と言っても此処は全席座り飲みで、注文はタッチパネル式の端末を使う。また新築飲食ビルの五階と云う事もあり、店内は禁煙。而も建物全体が故郷をイメージしているらしく、Bも北関東というものを売りにしている。どうして群馬栃木茨城なのかは知らないが、まあ今時上野発の在来線は其の辺りまでしか行かないからな。桐生名物の「ひもかわうどん」なんてのもあって、案外旨かった(桐生に行くには東武線だけど)。ところでBは創業八年。此の度、大手飲食チェーンの仲間入りを果たしたのだという。数坪の店から始めて良くぞ此処まで成長したと感心す。併し大きくなって買い取って貰ったのか、あべこべ刈り取られたのかは、よく分からない。U君も頻りに首を傾げていた。
 今日は大した授業も無かったのだが、建物や電車やバスを出たり入ったりしていて、「おお暑い」と「ああ涼しい」を繰り返す。すると温度差にやられて、何だかあちこち体調がよくない。外周りも楽じゃないね。大人しく三杯だけ飲んで御仕舞とす(1980円)。帰りはU君にエレベーターまで見送り頂いた。殊勝な姿勢である。言葉ももう少し丁寧にしてくれればいいのだが。ちなみに南北、千代田、日比谷、銀座、半蔵門と頗るメトロに乗った。低温シャワーと冷房で外から冷やして直ぐに就寝。
 長い七月も漸く終了。併し一日と晦日では、まるで政治状況が違う。Aも愈愈御仕舞だと思えば、気持ちも華やぐが、つくづく政治というものは水物だな。吾人ですらちょっと驚いている。


7/30・日
 民進党の代表選挙にはE元官房長官が出て来るという。本命候補には違いないが、でも此の人、此の間一体何処で何をしていたのだろう。自身の潮が満ちるのを待っていたとすれば、少し性格が悪いな。いい日旅立ちを待っている間に、民進党は既に沈没寸前である。
 朝方にもう一雨。以後曇り。昼は池尻で付け麵。買い物は三便。少し動くと直ぐに蒸し暑い。よって草取りは進まず。午後は1984年に作られた映画「1984」を見る。『1984』は、ポストトゥルース時代に当たり、再び脚光を集めているよう。しかしまあ、現代における新しい全体主義とはこういう形ではないな。人人が、安全、安心、安定、正確、便利、快適、清潔、健康、注文通り、予測通り、方程式通り・・・、こういうものを追求すればするほど、世の中のあらゆるものが品質管理されて、新たな全体主義に近づくというものである。
 藤田省三大先生の言葉を借りれば、「不快を感じさせる全ての物事の元のものを根こそぎ何が何でも一掃しようという動機」こそが「全体主義的な思考」であり、「不愉快な社会や事柄と対面することを怖れ、それと相互的交渉を行うことを恐れ、その恐れを自ら認めることを忌避して、高慢な風貌の奥へ恐怖を隠し込もうとする心性」が「安楽への全体主義」を導くということになる。だから党とか独裁者とかプロパガンダなどは必要ではない。皆が皆、既に皆に対してのリトルブラザーなのであるから。
ところで主人公たちは、テレスクリーンを避けながら逢瀬を重ね、失われた人間性を取り戻すかのように情事に没頭している。全体主義に抗するのは、極めて個別具体的な肉体関係であるというのは、どうやら真実のようである。優れたポルノ映画は、恐らく優れたアンチ全体主義作品となりうるのであろう。夜は魚屋の刺身で中量飲酒。鰹、鯵、鮪と大量購入したので猫にもたらふく食べさせた。


7/29・土
 内閣改造を待たずして防衛大臣を辞任に追い込んだ例の日報問題で思うことを一つだけ。現場の指揮レベルでは、報告書に「戦闘が行われている」と正直に書ける自由さが、自衛隊に残っているという事。此れは組織としてのある種の健全性を示しているのではなかろうか。
 朝から草取り、いや草むしり。色色と刃物や道具を使って来たものだが、結局人間の手に勝るものは無し。軍手をはめて一心不乱に引き千切る。昨夜草叢に通行人が立ち小便をしたかもしれないなどと下らない想像をしてはいけない。大事なのは決意と実行力である。数次にわたる攻勢で45リットル数袋分の収穫を得た。試しに北朝鮮発表風に言うと、度重なる暴挙に対し怒りに震えた将軍様は自らの御手を以て、徹底的な攻撃を無慈悲に加え、反動的植物主義者どもは、恐怖に慄きながら成す術なく一瞬で一本残らず毟り取られた、とかね。阿保草。いやいや、別に草を目の敵にしているという訳ではない。そもそも植物あっての動物であるし、植物こそ命の母である。出来れば別のところに沢山生えて欲しいと思う次第である。
 という訳で朝から冷凍うどん、昼はレトルトカレーライスに一昨日のソーセージの残りを付けた。午後は暑くなりすぎたのか、夕方から結構な雷雨。買い物便が欠航したので夜は冷凍食品中心で中量飲酒。


7/28・金
 森の理事長夫妻は、補助金の不正受給で検察の取り調べ。ニュースでは、「主人は国の為に尽くしてきたのです」などと宣う夫人の過去の発言が流されていた。国家に奉仕して金が儲かるのだから大したものだと思った。でも此れ、漱石の『それから』に出て来る遣り取りにそっくりだと思った。つくづく此の国は百年前と変わっていない。また防衛大臣も漸く辞める準備が整った模様。あとはAだけである。
 まあまあ晴れて少し暑い。御昼に出社。月波君が来るというので、序にラインでおじさんたちを誘ってみた。すると丁度退屈していたらしく、柳夫妻、鶴木さん、須々木さんも二つ返事で来るという。偶には新天地を開発しようと、行ったことが無い東京М酒場という店を推奨す。退社して急いで駆けつけると、丁度みんなが憤慨して出て来たところであった。何と此れがとんでもなく酷い店で、パスタはぶよぶよ、マリネは酸っぱ過ぎ、チキンは焦げ焦げの焼死体で何一つ満足に食べられなかったという。今時そんなに不味いなんて、大した店だと逆に感心した。合流後は一般的な串カツ屋、何時もの中華立ち飲みを連戦するも、話題の中心はさっきの店の料理状況。推奨しておきながら吾人は入っていないから、何とも言えず。何とも申し訳がない。是非今度は其の味を確かめたいと思った。
 帰宅後、夜行ロケット運行実験。大して騒ぎ立てる程の事でもなし。でももし此れが昼間だったらどういうことになったのだろう。担当大臣が辞任会見していた筈である。となると多少は遠慮してくれたのかな。北の国はつくづくAの応援団である。


7/27・木
 今日も涼しい。何しろ呼吸をしているだけで幸福を味わえる。関東全域、軽井沢強制御招待と言ったところ。第一に電気も使わずに済むしね。朝から桐の枝切り。
夏から初秋に掛けてはオープンキャンパスの季節でもある。オレンジ大学から送られて来た広報誌には、「大学に遊びに来よう!」と大書きされていた。其れは如何にも微妙なキャッチコピーであった。
午睡から起きると、RH氏が党代表を辞任すると表明。併し後任なんているのだろうか。愈愈解体段階に入ったな。併し党内の右を切って、左に行こうにも、其処には元元共産党がある。左中間に挟まれた社民党のように埋没して仕舞うだろう。詰まり左にも伸び伸びとは広がれない。となると日本の左派勢力の可能性を狭めているのは、案外、此の特殊な政党かもしれないとも思った。共産党野党共闘はしても、解党的出直しなんてしてくれないだろうなあ。結局、自民、共産、そして件の宗教政党しか残らないのである。昼は素麺、夕方は草取り、夜は夏野菜と冷凍餃子に御茶漬け半膳。


7/26・水
 朝方までに大気が入れ替わる。漸く都内南部まで雨が降ってくれて、異様な暑さは強制終了。エアコンも勤続三十時間で停止す。降雨に連れ、気温はどんどん下がる。
漸く正気に戻って思い出したのだが、金長のラジオCMが面白い。舞台は田舎の中学校。男女のぎこちない遣り取りが、微妙な年頃をよく示している。此のまま連作してくれないかな。登場人物たちは来年は高校生になる筈である。「金長の国から」とかね。辛い夏の楽しみを一つでも増やしたい。
御昼にのろのろ傘差し自転車で出社。以後八時半まで連続授業。退社後は祐天寺の立ち飲みB。夜も異様に涼しい。換気扇すら不要。東日本強制冷房である。ああ、関東に住んで居て佳かったと思う瞬間である。東海道線で言うと、何処から切り替わるのだろう。名古屋は暑いだろう。やはり熱海辺りかな。やはり東海とは空気が違うな。昼前に家人が作った焼きそば。夕方にF蕎麦。涼しくても米飯が遠のく。


7/25・火
 昨日今日と閉会中審査。Aも交えての加計問題集中審議である。知らぬ存ぜぬ、記録にないし記憶の片隅にもないの連続。いやまあAは言葉だけは丁寧になったらしいから、知りません、存じませんと言うべきか。併し公人として要職に就く人は、日記くらい書くべきである。死後に公開すれば、歴史の審判も仰げるというものである。
肝心の審議の方だが、例によって真相を究明すればするほど即ち総辞職ものであるから、解明に至る筈も無し。そんな中でも、疑惑を招いた以上、特区制度は全面的に廃止しますとでもすれば、ツーベースぐらいにはなっただろうが。支持率のじり貧は続く模様。其の分、A財務大臣の薄笑いが気になる。併し当の加計という人物は一切出て来ないから不思議である。
 南風が吹き付け、依然として異様に蒸し暑い。カレンダーを見て、七月がまだ一週間もあると知って愕然とす。暑さの到来が早かったから、もう八月半ばの消耗度である。ところで本日は神宮球場が麦酒を半額にするという日。最下位争いを見に行こうと思ったけど、何だか胸が痞えた感じがするので断念す。こうも暑いと外出もできず。
 因って終日自室に引き篭もり朦朧とす。エアコンは昨夜から連続運転。ちなみに設定温度は二十九。其れでも十分涼しいから、如何に外が暑いかということ。昼は家人が買って来た「まい泉」のとんかつ弁当。夜は伊那のトウモロコシ。最近の物は甘味が強すぎると家人は頻りに憤慨していた。トウモロコシはトマトと並び、品種交代の激しい作物である。試しに「昔の玉蜀黍」で検索してみると、「クロスバンダム」と言う品種が売っていた。甘さ控えめでもちもち食感なのだという。でも今本当に食べたら、家畜の餌のような感じなのだろうな。昔は旨かった式のノスタルジーはつくづく要警戒である。


7/24・月
 とっくに廃止された急行能登が夢に出て来て、今から乗りに行くということに。目的地は金沢の先の福井。防衛大臣の地元に抗議にでも行く積りだったのだろうか。一方のAは、未だに今年中に改憲案を出すと言っているらしい。愈愈御自分の立場というものが認識できなくなっているようである。仙台市長選でも与党候補は敗退す。また梅雨の末期の豪雨で、奥羽線は路盤流出。秋田新幹線と言う名の在来線は大曲から先が不通に。一方「ゆふいんの森」は小倉経由で運転されているという。成程、其の手があった。鉄道はネットワーク産業である。其れに気動車とは、正しく機動車である。
 朝から異様に蒸し暑い。御昼にバス出社。小学生に生物を教えた後、千寿に回航。途中構内喫茶でコーヒーブレーク。生憎地下店なので列車は見えない。電光表示板を見ながら休憩す。併し東武特急の行き先、大田とか赤城とかを見ても暑そうなだけで旅情は感じず。鬼怒川温泉も熱そうだね。霧降高原とかを出して欲しかった。九時まで授業。東口で付け麵中盛。今日は二日分働いた。缶麦酒と黒糖焼酎を一つずつで直ぐに就寝。


7/23・日
 漸く朝から曇ってくれた。久久の三十度以下。御昼は小雨。買い物と草刈り。晩食は厚揚げ麻婆。


7/22・土
 朝から牛丼Sへ。割と久久である。暑くなると米食が遠のく。また昨夜はうっかりエアコンの設定を二十六度のまま寝て仕舞った。早速鼻水止まらず。朝から抗ヒスタミン。日中は大変な暑さ。外出草取り等一切不能。夜は宅配のピザ。
 防衛大臣には自衛隊内部からも反発が強まっているという。而も其処ら辺から情報が流出しているのだという。駄目な大臣に謀反を起こしたという悪しき前例にまで発展しそう。何しろ実力組織である以上、格段の注意が必要なのだが。


7/21・金
 朝から異様な暑さ。御昼に出社。今日から講習である。退社後は晴雷亭、立ち飲みBと連戦。割と飲んで帰った。ところで嘗ての生徒K君が訪ねてくる。社内昇任試験の相談に来たのだが、こういう時は何気ない時候の挨拶として「お母さん元気?」と聞くことが多い。すると「実は亡くなりました」と予想外の答えが。もうそろそろそういう年齢である。いやでもまだ早いな。六十前後だもの。


7/20・木
 今日も蒸し暑い。朝方から出張所に参り、電話機を回収箱に放り込んだ。世田谷でも一部小型家電はわざわざ別口で回収している。何かの役に立つのだとしたら、苦労して持って帰った甲斐があるというものである。
 昼は「絵島八割そば」を盛りで。午後はケアマネージャーがやって来る。老家人に入浴補助器を導入することになった。何だか奇妙な椅子が運び込まれた。それにしても此の処の老家人は、気力体力の衰微が著しい。万代伯母と今生の別れをしてから一年。何だか老家人もカウントダウンが始まった感じである。以後、昏昏と午睡す。
 防衛大臣には次から次へと問題が発覚。最早対応不能と言ったところ。Aのお気に入りらしいが、もう成長することはないな。Aは何れは鰤になるとでも思っていたらしい。併し不思議なものである。あれだけの高支持率が一気に萎むのだから。K元首相の言うところの「まさか」というやつかな。いやいや、人人の怒りもいよいよ沸点に近づいたのだろう。ラーメンの次は、魚の刺身が来たよう。田舎の何でも食堂のような感じである。


7/19・水
 昨日伊那に居た頃、民進党のRH氏が会見し、とうとう戸籍の一部を開示したのだという。例の二重国籍問題が何時の間にか蒸し返されていたらしい。何だか色色と言い訳していたようだが、駄目なものは一度たりとて駄目である。特に人権とか平等とかに関わる問題に関しては、妥協とか例外とかは許されない。致命的な判断ミスである。そもそもどうしてこんなことになったのか。何でも党内からRH下ろしが出ていることに対抗したらしい。併し今のところRH氏以外に党首候補も無し。こういう実に下らない内輪揉めを見せられると、民進党はつくづくオワコンだと思う。其れにRH氏は実に詰まらない正論を吐くことが唯一の美点だったが、其れも今回までの話しと云う事になるだろうな。
 六号室退去。早速掃除屋さんが入る。朝方は涼しかったので、吾人も前庭の草取り。午後出社。退社後は中華立ち飲みで中から冷やしたが、直ぐに暑くなる。気象庁によると関東まで梅雨明け。どうにもすっきりしない。何しろ此の所ずっと晴れていたから。梅雨に明確な入り口と出口があるというのも、御役所的発想であると思った。
 帰宅後、BS12でやっていた『発掘!鉄道記録映像』を見る。今回は「第三の鉄道」ということでモノレールを取り上げていた。何にも知らなかったが、大船から江ノ島に至る湘南モノレールは、三菱グループの謂わば実験線で、此処で成功すれば全国に大売り出しを掛ける予定であったとのこと。併しモノレールというものは、フランス式、ドイツ式、ロッキード式、三菱系、東芝系、日立系、色色と咲き乱れたが、殆どが遊園地の乗り物留まりである。多くが短期間で廃止されたし、また実用的に作った路線も高い運賃と赤字体質に悩むこととなる。新技術が必ずしも普及するとは限らない好例である。既存技術を積み重ねた方が過去の蓄積もあるし、コストも安いのである。
 となるとリニアモーターカーはつくづくますます大丈夫だろうか。夢の交通機関と持て囃された辺りは、モノレールと似ている。そしてどの国も実験線止まりである。つまり明らかにオワコンのような感じだが。他にも色色とあるぞ。コンコルド、ホーバークラフト、TSL、水中翼船…。何はともあれモノレールの歴史など考えてもみなかったので、大変勉強になった。


7/18・火
 早速午前中から活動す。今回の任務は低木の枝切り。一メートルほどの枝切り鋏で以て、邪魔な小枝をどんどんと切っていく。例によって、植物の無限成長性と人間による作為との対決である。まあやっていることは丸っきり世田谷の生活と同じなのだか、幾つか違う所もある。何せ山の中なので切った物は其のままにしておけばよい。切り刻んでゴミ袋に入れる手間がないので作業効率は実に数倍となる。
面白がって数百回は引き金を引いた。気分は大門か座頭市である。ついでに手入れの悪い隣りの別荘の木も切ってやった。併し敷地には少なくとも数百本の低木がある(と思う)。二時間頑張っても、文字通り切りがない。何せ人間の時間は有限である。俯瞰して仕舞うと、特に何か変わった様には見えず。いやいや、それでも多少は見通しと風通しがよくなったことだろう。
 昼食と午睡、更に仕上げの作業の後、伯母に駅まで送って貰う。帰りは列車にした。十六時過ぎの飯田線で岡谷に向かう。飯田線は例によってのろのろと進む。そもそもの線路が良くない上に、駅に着く度に車掌が乗車券の類を一つ一つ走り回って確認している為である。東海と言う会社は妙な所が真面目であると思った。辰野からは中央線に入る。すると結構速くなる。会社も変わった上、線路も旧本線にふさわしい規格で残っているのだろう。やはり列車というものも、遅いより速い方がいいと思う瞬間である。
 岡谷で更に速い「あずさ28号」に乗り換え。十二両編成の振り子車両だが、行楽帰りの客と出張客が混載され結局満席に。列車は空いている方がいいに決まっているが、なかなか願いは届かず。列車は西日を避けるように右に左にくねりながら進む。その都度吾人もブラインドを上げたり下げたりを繰り返す。
汽車弁当を食べていると関東平野が近づく。だんだん天気が悪くなる。大月から先は、雲が低く垂れこめ深山幽谷の雰囲気。関東は大荒れとのこと。それでもまあ何とか降られずに都内に入る。何しろ雨風雷に弱い中央線のことだから少しは心配していた。
新宿駅定刻到着。列車を降りる。普段と違う十番線に着いたので、何処が何処だか分からない。右往左往していると、汚いおじさんに罵られた。確かあの人は八王子から酒類を持って入った人である。指定席にうかうかと入って行ったから、車掌にたんまり料金を請求されたに違いない。それでむしゃくしゃしているのだろう。大抵の人は特急に乗って御酒を飲めば、贅沢な気分になって、百鬼園先生のように上機嫌になる筈である。
雷雨の影響で少しは涼しいのだろうが、右手には高遠の蕎麦と信州味噌と頂きものの胡瓜の束。左手には壊れた電話機を二台(子機も二台)と使用済み電池の小袋。背中には鞄。新宿、渋谷と乗り換える度に、這う這うの体で輸送す。


7/17・月
 木曽には昨日行ったから、偶には伊那谷を下って行こうということになった。併しスマホのナビゲーションは、あっちだこっちだと下らない事は言って来るが、肝心なところが悉く駄目である。最悪動かなくなる。生憎紙の地図など持って来てないから、最後は人間の目と勘が頼りであった。
併しこんな為体では自動運転車など、当分無理だろうと思った。第一にナビすら満足にできない。其れとも外資の会社が適当に作ったものだからからかな。コマーシャルなどでは「オッケー何とか」と言っているけど。当方は「どうなってるんだ」と、何度も叩き壊したくなった。但し箱を壊しても仕様がない。それに何せタダだからな。文句を言うのは筋違いというものである。
 結局何回か彷徨し、飯田にある「かぶちゃん村」という施設に辿り着く。此処は昔の伊那谷の生活が再現されている。テーマパークと言えなくもない。案内の人によると、運営は純民間会社だというから驚く。今時大丈夫なのだろうか。園内は綺麗だったが、人の出はかなり少ないと見えた。
まあ、更に南信には色色と面白い所があるのだが、伊那からでもハードルが高い。日本のチロルと言うところにも行って見たいが、今日は此処でおしまい。踵を返して伊那に戻る。往路は広域農道を使ったので、復路は国道153号で帰る。ところで飯田は焼肉屋が多い街と聞いていた。つい街道脇の店に誘われるように入る。名前は「孫悟空」。まるで中華屋の名前である。地元の店らしいが、他の御客は一組のみ。他県ナンバーのチェーン店に取られたな。可哀想なので適当に注文して食べて帰った。午睡と休憩の後、早夕飯ということで一献傾ける。伯母の運転で駅まで参る。延泊する吾人を残して月波君は早めの帰京。吾人と伯母で静かに少し飲んで御仕舞。


7/16・日
 朝方は結構な宿酔に。何とか収めて周囲の散策。徐徐に体調も回復したので、まず電話機を買いに量販店に参る。自動車さえ使えれば、世田谷よりよっぽど沢山の店がある。助かると言えば助かる。但し車がないと何にも出来ない。途端に無能力者である。極端と言えば極端である。
4000円程度の見切り品を購入。其の後、木曽まで出る。「停車場」という蕎麦屋に入店。割子そばセット(1680円)。蕎麦も旨かったが、おまけで付いてきた初霜と言うお菓子が更に旨かった。柿をペースト状にして砂糖と柚子を合わせたらしい。自家製とのこと。是非和菓子屋も併設すべきであると思った。其の後、一瞬の通り雨。
 神社にお参り。すると何だか食べ足りないので、「ラーメン大学」の木曽福島キャンパスに入学。漸く二回生と言うことである。併しシンボルキャラクターの「大ちゃん」はおらず。きりりとした角帽が印象的だったのだが。早速味噌ラーメンを食す。何も信州まで来てチェーン店に入らなくてもと言う意見もあるだろうが、こういう地場の店を巡ると言うのも結構面白い。でも此の大学チェーンも退潮気味の模様。吾人が学生の頃はあちらこちらに在って、「此のままじゃ大学に入れないよ」「ならばラーメン大学に入れ」なんて遣り取りが沢山されたものだが。何しろ大学が増えたから、ラー大も其の役割を終えたのだろう。以上、散散胃に詰め物をして山荘に戻る。
まず電話機の取り付け。更にあらゆるリモコンの調子が良くないという。あらゆるリモコンの電池交換を試みる。高齢女性に家電のメンテナンスは難しい。更に問題は廃棄物である。取り換えたからには捨てなくてはならない。非定住者にとって、難しいゴミの類を出すのは大儀である。其処で吾人が担いで帰ることにした。夜は野菜の天麩羅に刺身蒟蒻。精進料理で中量飲酒。


7/15・土 
余りに暑いので伊那に避難しようと思った。幸い家人の体調もまあまあである。二三日くらいの外出は許されよう(其れにそもそも息子が行くところは自分の姉さんのところである)。JRの座席指定を取りに行く気もしなかったので、今回は高速バスにした。昨年落成した新型バスターミナルも見てみたかったというのもある。午前中は排水溝の点検と各種買い物。一日二日は飢え死にしなくて済む程度を買って冷蔵庫に詰めた。兎にも角にも、各種用件を済ませ、午後新宿に向かう。同行は例によって月波君。
新宿のターミナルは正式にはバスタと言うらしい。旧ターミナルの貧相さと比べれば雲泥の差である。いつの間にこんな立派な建物が出来ていた。併し何処から土地が湧いて出たのだろう。見たところ跨線橋が大型化した上に堂堂と建っている。つくづく建築技術は現代の錬金術、いや錬床術というべきである。
 連休初日ということで、富士山五合目行きなどは全便満席。次次とバスが出て行く。次次と御客も来る。巨大ターミナルである。客の国籍の多さから言えば、国際空港に来たみたい。また乗り場もぐるりと沢山あるので、バスの入場も少し早い。以前は二つしかなく、正しく秒単位で駆け込むように乗る必要があった。
 十四時三十五分発の駒ケ根行、伊那バス二号車に搭乗。幸い半分程度の乗車具合。車は最新型らしいが、例によってバスというものの大きさには限りがあるから、余り有り難いという訳でもない。早速出発す。旧ターミナルのように、通行人を掻き分けて恐る恐る出ていくようなことはしない。建物をぐるぐる回って降りてから、堂堂と国道に出た。
 序盤は道路混雑の為に多少はもたついたが、中盤以降盛り返し、定刻通り伊那市に到着。ところが此方のターミナルも建て替え中とのことで、随分遠くに降される。這う這うの体で市街に戻り、「うしお」に入店。更に新しい中華屋にも行き、散散飲んでタクシーで上がる。今晩の運賃は2700円。伯母を交えて歓談す。電話機の調子が良くないという。早速買いに行くことにした。
併し伊那の夜は寒いほど。布団を掛ける。長いズボンを履く。汗疹も一瞬で治る。此れは水がいいからだろう。


7/14・金
 一方のA政権の方は、「働き方改革」の看板はもう下ろして、次は「人づくり革命」だそうである。連立与党に配慮して、人間革命でも始める気なのだろう。よくもまあ次から次へと、下らない標語を思い付くと呆れ果てる。まあ其れもあと少しの辛抱である。
 今日は老家人の診察の日である。まず家人がタクシーを拾いに行く。併し三十分経っても掴まえられず、手ぶらで戻って来る。やむを得ず、バス停まで歩いて行くことにするという。すると早速、老家人が歩けなくなったと連絡が入る。慌てて簡易車椅子を引っ張り出して、追い掛けて行った。バス通りまで乗っけて行くと、案外素直に空車が来た。併しタクシーが無いだけで、出発まで都合一時間の大騒ぎである。タクシーというものに不満があるとすれば、本当に肝心な時にまるで役に立たないという事であろう。そこで九時の診察予約も変えて貰うことにした。何も朝一番で参る必要などないのである。
 昨日以上の猛暑となる。午前中の騒動の後は、「やすらぎの郷」で落ち着く。併し此のドラマ、画面の内外を問わずして、次次と物故者が出る。何せ高齢者が登場人物の大半を占める以上、仕方のないことだが、何だか見ていて辛い。老家人、家人の様子を見ていると、此れは吾人にも早晩訪れることであろう。あとどれだけの時間が残されているのか。
 午後出社。金参万円受け取る。漢字検定監督等の為、大変忙しい。ひとりで祐天寺の立ち飲みBに参る。最近の祐天寺店は何だか御客が若返り、二三十代が大半を占めている。何だか急に歳を取ったよう。こういう晩は、例の老脚本家の心境である。頭の中には件の主題歌「慕情」が絡みつくように流れる。併しああいう情念を歌える人は、あの人以外に居ないね。帰宅後直ぐに入浴。夏の猛攻を受け、あちこち痒い。満身創痒である。ステロイド系クリームを次次に塗り込んだ。


7/13・木
 ラーメンの人が言い出した「時差ビズ」だとかで、田園都市線も一本、早朝列車が増発されたよう。駅頭などで盛んに宣伝されていた。電車は年中無休で混雑しているのに、何故此の時期なのかと言うと、三年後のオリンピックを想定しているらしい。ラッシュが酷くては観客も動けないからね。
併し満員電車だけはなくならない。ソーホーだとか、在宅勤務だとか、色色言われているが何一つ普及している気配がない(産休、育休、有休ですら)。「週休二日、しかもフレックス」なんて歌に歌われた時代から四半世紀も経っているのに。此の間、ずっと不況だったからな。貧すれば鈍すで、結局身体の丈夫な人が幅を利かせる世の中である。新たなアイデアも生まれないし、当然イノベーションも起らない。最新の情報通信産業などは少しは違うのだろうが、此れも米国の受け売りだからね。さてさて此の時差ビズ、早く来た分、早く帰らせて貰えるのだろうか。
 一日南風が吹き荒れる。買い物は一便。浄水器のカートリッジがないというのでドラッグストアーに買いに行くも、何処にも売っておらず。似たような店が何軒できても、此れと言って何の役にも立たない。土地がないからホームセンターは作れないからな。日中蟄居。夕方草取り。雨が少ないから、案外伸びていない。


7/12・水
 結局相当な宿酔となる。午前午後と七転八倒。当然絶食。其のままふらふらと出社。夕方になり、コンビニの御結びを二個、よく噛んで食べた。併し、どうしてこうなって仕舞うのだろう。月波君が次から次へと注文するからだと思った。酒飲みは万事いやしくなるから、出されたお酒は結局みんな飲んでしまう。それで翌日にこうなるのである。毎度毎度同じ失敗をしていると、ラインを使って強く抗議した。
退社後も其のまま帰宅。碑文谷で付け麵。当然無酒。今日もかんかん照り。梅雨とは思えず。夜まで暑い。此処まで暑いと一本道作戦も使えず。拙室も初冷房。冷やした部屋で日記も二日分書く。


7/11・火
 一部識者によると、A政権とはヤンキー政権であるらしい。つまり戦後の憲法体制という巨大な秩序に挑み、其の破壊を目指しているのだと。だから何か言われると直ぐにかっとなるし、自分たちのオトモダチを大事にするのだと。こうなると保守ですらない。秩序の破壊を願うのだから、反動と言うのだろう。此の点においては、アメリカのバノンとかいう人と似ていると思った(彼はレーニン主義者だという)。それともイスラム国に近いかな。破壊の後は、現人神による支配、詰まり戦前回帰である。参ったな、国の最高責任者が此れなのだから。でもそれもあと少しである。だから毎日楽しい。
昨日の閉会中審査は成果無し。当たり前である。何かしらの成果があったら、即総辞職ものであるから。大体、動物のお医者さんが足りない足らないなどと言われているが、そもそも人間のお医者さんだって、足らないところは足りない。偏在は獣医に限ったことではあるまい。
 今日も物凄い暑さ。午後エアコン交換工事。寝室なのでパナソニック製の安い機種にした。当然メードインチャイナ。リモコンが露骨に簡素で何だか笑えるほど。エアコンで大事なのは室外機である。此れで拙宅のエアコン三台全てが2010年以降の製造となる。省エネ基準達成である。なおエアコン屋さんは八月まで予定で一杯だという。忙しいのはいいことだが、余りに暑いから気の毒である。もう少し気候のいい時期に替えたかったが、家電の類は結局壊れるまで使って仕舞うからね。ちなみに同期の三洋は家作に三台付いている。大丈夫かな。今年は猛暑らしい。
 月波君から暑気払いをしましょうと言うので、神保町まで出かけた。まず古書店を覗く。すると清沢冽の『暗黒日記(戦争日記)』がある。岩波文庫の抄録版は読んだことがあるが、本録は初めて見た。なかなか分厚く、大変な迫力である。会敵必討。ついつい購入す。3700円。
鷺乃間君も合流し、まず「ランチョン」という老舗ビアホールに。麦酒650円と高額なので三杯で打ち止めにす。続いて古い蕎麦屋に移動。ところで鷺乃間君は近近管理職に昇進するそうである。目出たい話しの筈だが、彼は組合活動なんかも熱心にやっていたから、手放しに喜べない模様。あちら側の人になることに警戒しているのだろう。万事真面目な性格だからね。木暮課長のような管理者を目指せばよいとアドバイスした。月波君ともう一軒行き、ふらふらになって帰宅す。十時ぐらいまで飲んだかな。


7/10・月
 イスラム国に占領されたモスルは漸く奪還される。併し見たところ市内は瓦礫の山。まるでスターリングラードである。また新聞報道によると、Aの支持率は軒並み下落。一か月に十ポイントずつ下がったよう。今までの支持率が奇跡のような物だったから、崩壊し始めると実にあっけないものである。また本日は加計学園問題を巡って、衆参共に閉会中審査。併し肝心のAは外遊中。実質的な卒業旅行だな。
 更に暑くなる。日中蟄居す。午後千寿に出校。途中床屋に行く。エプロンをつける際に「苦しくないですか」と必ず聞かれる。つい「生活が苦しいです」と応えた。自虐ネタが口から飛び出るあたり、潜在的な機嫌がいいのだろう。何しろ、盛り、掛けと来て、ラーメン(大好き小池さん)が現れたのである。蕎麦屋のメニューで考えると、次はかつ丼(刑事事件)辺りかな。それで総辞職である。めでたし、めでたし。でも取調べにかつ丼って、誰が考えたんだ。其れに何れも要職にあった人たちである。せめて、「かつ重」くらいにはしなくてはね。
 少し早目の退社。「大江戸」に入る。此の店はある時間になると半額になる。つまり回っているものが一旦回収され、一皿四貫の倍盛りとなって出て来る。以後全てがオーダー式に移行する。早速隣の若者は二皿取っていた。廃棄を出さないようにするのは飲食、小売業の基本である。


7/9・日
 昨日以上の暑さとなる。草取りも出来ず。簾を買いに行った程度の外出のみ。


7/8・土
 一日暑い。依然として梅雨前線は西日本で圧し曲がっている状態。纏めて降った九州北部は大変な被害の模様。皇室行事も延期となる。朝市で泥葱を入手。そうなると葱たっぷりの麻婆豆腐が食べたい。東急ストアーに「庄内の厚揚げ」を買いに行く。一つ二百円。此の厚揚げ、生地はしっとりとしているが、適度なスキがあり、いい鮨職人が握った舎利のよう。やはり味を決めるのは豆腐である。豆腐くらい、いや豆腐こそ、多少いい物を食べるべきである。
 丁度先週の今日、A首相は秋葉原で演説し、野次攻撃に遭う。すると、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」(+美しい日本から追い出してやる)と激昂す。器の小ささを印象付ける結果となったそうである(こうなると分かっていれば、吾人も行きたかった)。今後秋葉原は反権力の象徴のような場所になるかもしれないけど、そもそもの演説には来なくなるな。つくづく日本には異議申し立てをするような広場がない。何はともあれ、Aには終わりが見えた。想定より二年は遅かったが。政権がのたうち回るのは見ていて楽しいが、やはり一日も早く居なくなって欲しい。ちなみにAの後は、再びのAだという。財政再建は進むだろうが、大風呂敷を広げたままの金融緩和策の撤収は相当難しい。まあ此れも誰かが何時かはやらなくてはならないことである。


7/7・金
 今日も暑い。午後出社。面談に補習に講習準備等が重なり異様に忙しい。何だか最近生徒がパラパラと入って来た。退社後は中華立ち飲みに行く。久久の晴れた七夕だったが、会いたいような人とは行き合えず。碑文谷の柏屋で四百円の天麩羅そばを食べて御仕舞。麦酒で内から冷やし、シャワーで外から冷やす。そして一本道作戦である。台所の換気扇を点け、拙室の窓を開ける。其の間の室内の扉を全て開け放てば、涼しい風がどんどん入り、家の中を一巡りし、暖められて出ていくこととなる。前熱帯夜までならば十分対応できる。


7/6・木
 久大線の鉄橋も流された。「ゆふいんの森」も長期運休確定である。また多くの家も水に浸かったり、壊されたりもした。流木被害が多いのは、山が荒れているからなのかな。バイオマス発電で燃やして仕舞えばいいのだが。また鶴木さんの身内の人も日田に住んでいて被災されたとのこと。一方の関東はまあまあ晴れて日中三十度前後。取り立てて無為。夕方一雨あっただけ。


7/5・水
 朝から何時もの内装屋さんに電話をしてエアコンの手配をす。今回は量販店でも通信販売でもない選択にした。北の方はアメリカまで届くミサイルの実験に成功の模様。何時の間にか造っていたのだろう。此の半年で、纏めて実験して、纏めて進めた。双六で言えば五とか六を連発して一気に上がりといったところか。となると核放棄等を迫るのも、もう無理だろう。掌を返したように国際社会に温かく迎い入れるより手が無いな。いっそアフリカ辺りのPKOでもやって貰おう。そうやって少しずつ慣らして行く。其の内、気分も変わるだろう。何しろ、世界に輝く一等国なのだから。其れに、小さい中国がもう一つできたと思えば、そんなに腹も立たない。
 段段晴れて結局暑い。午後出社。事務仕事多く、正直授業どころではなし。金弐万円受け取る。退社後は中華立ち飲みへ。何だか雨が降り出しそうなので、職場に傘を取りに帰る。ぱっと電灯を点けると、奴らがいた。併し近寄ってくる訳でも、逃げる訳でも、当然襲って来る訳でもなし。見ようによっては出迎えていると思えないことも無い。いやしかし、奴らというか彼らに、こういう感情を抱いたことは今まで余りなかった。吾人としても意外である。何しろ酔っていたからな。九州北部は大雨。


7/4・火
 グレの数次に渡る攻撃と、朝の五時半から酔っぱらった若者たちが鬼ごっこか何かをやっていたので、三時間程度しか眠れず。おまけに八時からは御向かいの水道管接続大工事。止むを得ず、起きて草取り。併し異様に蒸し暑く、十五分やって一時間半休憩を数ターン繰り返して、午睡に移る。
 流石に各エアコンも使用開始。すると家人の部屋の物が調子が悪いという。音を確認すると、停止する寸前といった感じである。三洋電機製の十年物だが、元元が安かったから、あまり造作も良くなかった(特に室外機)。ストップゴーをすると機器に負荷が掛かるから、なるべく点けっぱなしにしておくよう指示す。何しろ寝室兼病室だから、一息に壊れたら目も当てられず。暑い上に、台風までやって来る。夕方から次第に大雨となる。夜半には止む。


7/3・月
 未明から南風が吹き込み、行き成りの熱帯夜となる。一瞬で汗疹が。昨日の投票率は51パーセント。まあ此方も吹いたことは吹いたのだろう。よくよく見ると世田谷では自民は三議席と全員当選。自民惨敗に手を貸せず、つくづく残念である。何せ議席が八もある大選挙区だから、風の影響も受けにくい。
 日中三十三度に達す。午前午後と漫然す。というのも普段は人間のことを飯の種ぐらいにして思っていないグレが、何度も上って来ては甘えてくる。当然睡眠妨害。一年に一二度はそういう時期があるからつくづく不思議である。此の所、グレはずっと無断外泊をしていた。恐らく何かの事情で先方から追い出されたのだろう。そして急に里心が付いたという訳である。
夕方千寿に出校。退社後はとんかつを食うと先週から決めていた。早速揚げ立てを食す。併しよくよく噛み締めて見ると、肉に何の味もしないことに気が付く。安い輸入豚なのかなあ。結局はソースの味で食っているのである。揚げ方はいいのだから、いっそ肉を持ち込みたいと思った。つまり揚げるだけの店、正真正銘の揚げ物屋なんていうのがあってもいい。


7/2・日
 香港返還から二十年。此の間、二制度目の民主主義も相当侵食されて仕舞ったよう。強面の国家主席は式典に出て来て、何だか得得と喋っていた。それにしても此れだけ相互交流が盛んになり、インターネットもある(本国では肝心な所は削除されるらしいが)というのに、中国の民主化だけは全く進まない。経済発展ノットイコール民主化である。ロシアを見ても分かるように、そもそもの経済も開放経済という訳でもないのだろう。大事な所は党に悉く抑えられているというから、一種のマフィア資本主義である。となると経済危機というショック療法を待つより手が無いのかもしれない。
 朝から都議会議員選挙に行く。徐徐に晴れて次第に暑くなる。昼は中華食堂に。何時の間にか国道の此方側に移転している。店舗は拡大しているから業務拡張である。確かに並の中華チェーンより安くて旨い。一方、歩行能力の落ちた両家人は手に手を取って投票に行ったが、老家人は投票所まで辿り着けなかったという。もっと涼しい内に行くべきであった。
 夜は「KUNOICHI 2017」を見ながら、各局の開票速報を斜め見る。まず前者の説明。要するに女性だけで風雲たけし城を攻略するというもの。挑戦者たちは、跳んだり、撥ねられたり、水に落ちたりする。タレント、アスリート、一般の方方が割と公平に扱われていて、見ていて飽きない。
 さて後者だが、どうやら自民は壊滅。都民何とかが大勝す。風が吹いたのだろう。まあ都民何とかが何をするとも思えないが、Aに大ダメージを与えられたことだけは評価に値する。大体都議会選挙と言うのは政権への(不)信任投票だからね。Aとしては、元の防衛大臣を冷遇したことが都知事選への出馬を促し、巡り巡って自身の倒閣に繋がったというべきか。また世田谷では民進議席を回復(前回は二人出して共倒れだった)したものの、都議会では第五党となる。
 今後は何何ファーストが雨後の筍のように出て来るだろう。ニューコンテンツの登場である。自民への対抗勢力は、結局風頼みだから、次から次へと出て来ては、直ぐに飽きられて捨てられるの繰り返しである。筍の旬はますます短い。二年ぐらいだろうな賞味期限は。一方、例の蝗は次の票田を目指してどう動くか。今度は新新進党でも作るのかな。


7/1・土
 朝方烏がけたたましく鳴くので外を見てみると、狸(のようなもの)が走っていた。そういえば、ハクビシン(らしきもの)も見たことがある。歩いているのは酔っ払いだけではないな。併し昼は何処にいるのだろう。家で寝ているという訳でもなかろう。都会の不思議である。いや、でも、猫の見間違いかな。正しく百猫夜行。
 人手不足でも賃金が上がらないのは世界的傾向らしい。今後の自動化、コンピューター化が怖くておちおち人を雇い入れられないというのが其の説明らしいが、どうにも本質を捉えていないような気がする。大体産業が自動化され徐徐に無人化されるというのは今に始まったことではない。
やはり資本主義が限界に達したというのが本当の答えでないだろうか。資本主義は成長を前提としている。貯め込んだ利益は投資に回し、それでも足りない御金は借りて来なくてはならない。臥薪嘗胆。今日より明日、明日より明後日(は生産力が向上しもっと豊かになる)。明後日のために今の支出を抑えよ、の精神である。必然的に労働分配率は下がる。併も折角苦労して投資しても、何しろ経済成長が止まっているから、大して儲からない。元手を磨らない事を第一に考えると、投資はしない方が佳い。という訳で利益はそのまま内部留保として貯まることになる。
 ならばいっそのこと、投資も留保も止めて、余った御金は社員に配って仕舞えばいいのだと思う。西日本の何処かにそういう眼鏡販売店があったと聞いたことがある。利益は社員と御客で山分け。つまり社員には臨時ボーナスを配り、御客には利益還元セールをして御仕舞。市場経済である以上、利益の追求はする。でもそれ以上の拡大は目指さない。正しく、脱成長、脱資本主義、脱近代化である。
朝から降ったり止んだりの繰り返し。梅雨も本番である。夕方には晴れた。昼は冷凍食品。買い物は二便。夜は京樽の茶巾寿司。老家人は食欲が足りないと、黄色の着物だけを剥がして食べていた。真っ裸にされた其れは何だか恥ずかしそうであった。夜は取り寄せた『数学する身体』という本で少し向学しようとした。

2017年6月

6/30・金
 今日は資源回収の日である。例によって瓶と缶を一緒の袋に出している人が大勢居る。例によってゴミ拾いトングを使って分別す。併しこういう人たちは、みんな纏めて持って行ってくれるとでも思っているのだろうか。そんなに沢山行政サービスをしたら、財政破綻まっしぐらである。併しコンピューターとロボットが幾ら進化しても、こういう仕事はなくならないだろうな。
 東電幹部が強制起訴された件で漸く裁判が始まった。津波を予測できたかが焦点。同業他社はそれなりに対策をしてきただけに、やはり責任は大きいと言えよう。何も平安時代の大地震を思い起こす必要はない。つい先日のスマトラ島沖の大地震を見れば震え上がった筈である。でも正直な話し、此の国の裁判所への期待値は・・・。それにしても非常電源の防水対策は二十億で出来たという。被害は少なくとも二十兆円に達する。
 午前中は雨模様。午後は曇り。夕方出社。退社後は鶴木さんを追いかけて、晴雷亭から中華立ち飲みへ。こうして六月も終了す。今月は一万八千字も書いた。何にもない月だったから、よく書けたと自画自賛す。


6/29・木
 朝方ミケが異様に飛び跳ねていると思って見に行ったら、案の定、小鳥を取っていた。庭で猫を飼うようになって七年。三匹で十羽は取ったかな。本能に基づく行動とはいえ、鳥類にはつくづく申し訳ないと思う次第である。雀は庭に埋めてやった。一方の蝶や飛蝗はすっかり食べて仕舞うから統計にもならず。
 失言続きの防衛大臣に、激昂代議士。Aには女難の相が出ているな。愈愈日曜は都議会選挙である。後者の音声は繰り返しテレビ等で流された。併し他人の激昂というものは聞くに堪えないものである。午睡の吾人も何度か起こされた。目覚まし時計で使えると思った。また吾人も時折声を荒げることがあるから、気を付けなければならないとも少し思った。そういえば、テレビに出て来る「夜回り先生」は決して怒らないというから大したものである。一方の現文科副大臣殿は、先生時代に体罰を振るったとかで少し問題になったことがあると記憶している。
 色色と考えたのだが、天麩羅に塩を付けるようになったのは、旨い塩が出回るようになってからではないかという結論に至る。つまり専売公社の民営化(1985年)が佳かったのかなあ。だとしたら数少ない規制緩和の成果である。
 昼はレトルト食品と冷凍食品を掛け合わせてカレーうどん。午後、割と近所の大型スーパーに買いに行くも、野菜類以外は目ぼしい物がない。大体此の店はイオン系ではないものの、売っているものが何時も同じ(特に魚)。何でも沢山並んでいるが、食べたいものが何もない。みんな何を食べているのだろう。献立が考え付かないのは、此方の頭が悪いからではなく、売っているものがパターン化されているからだと思った。牛ゴボウ、鮭の西京焼きに、冷凍食品を摘まんで食べた。時時草取り。


6/28・水
 午前中は小雨。午後出社。駅前をぼんやりと歩いていると、何処かで聞いた声がする。其れはN前首相の声であった。都議会議員候補の応援演説にやって来たのだろう。近づいて見ると聴衆は僅か十数人。客間君の言い草ではないが、既にオワコンと言うやつである。
併しN氏には吾人とて色色と言いたいこともある。まず、そもそも何であの時期に解散をしたのだとか、首相在任中一度でも民主らしいことをしたのでしょうかとか、せめてO元代表との分裂選挙だけはやめて欲しかったとか、A政権の生みの親とまでとは言わないが、結果として産婆さんぐらいにはなって仕舞ったのではないですか等等。いっそマイクロホンを此方に投げて欲しいと思った。そうすれば即興の討論会、タウンミーティングが出来た筈である。
 退社後は久久に立ち飲みBへ。どうにも質の悪い中年客が、猥談を強要して来て閉口す。いやあ、こういう人は自分の話しが一番面白いと思っているから、本当に度し難い。勿論吾人も此の手の話題は嫌いではないが、幾ら酔っていても話し慣れた人以外には決してしない。またU店長は他店に異動とのこと。彼は言葉が悪いから少し心配である。立ち飲み屋であっても、矢張り言葉だけは丁寧な方がいい。何しろ言葉はロハだから。


6/27・火
 家人の発症から二週間が経過。発疹は収まりつつあるが、身体の中からの鈍痛が酷いという。後遺症的な神経痛の模様。所定量の鎮痛剤では効かないようで、ほぼ寝た切り状態。
一方の吾人も診療所に。家人に飲まされた血圧が下がる御茶が効いてきたのか、何も文句は言われなかった。また今回から高脂血症薬は四十五日分纏めて処方して貰うこととす。診察の機会が三分の二になると思えば機嫌も良い。それに医療費削減にも貢献出来る。
 午前中は「リミットレス」という映画を見た。人間は脳味噌のごく一部分しか使っていないと言われているが、此の映画では百パーセント動かせるドラッグが登場する(勿論違法)。早速主人公は、論文指導をしたり、小説を書いたり、株価操作を行うなど文理に渡る天才ぶりを発揮するのだが、結局は依存症プラス麻薬抗争のような事態に。つくづくドーピングは宜しくないと思った。ところで昨夜、中学生の棋士が新記録を樹立。ああいう人は常人の数倍は脳を使っている筈である。物の見方も違うのだろうか。但し、盤上の世界だけなのかな。池尻でとんこつ醤油ラーメン。以後、買い物、草取り、午睡と続いた。
 夜はアニメ「美味しんぼ」。今回はチンピラに占拠されたうどん店を救うというもの。三十年前の東京ではうどん専門店は珍しく、一方のヤクザ屋さんも珍しくなかったのだろう(「うどんの腰」参照)。其の次の「鮎のふるさと」という話では、天下の食通さんたちが天麩羅をどっぷりとつゆに潜らせて食べていた。其処は塩だろうと突っ込みを入れたくなった。折角の小鮎の天麩羅が、実に勿体ない話しである。でも天麩羅に塩を付けて食べるようになったのは、一体何時からなのだろう。今時、立ち飲み屋でも普通に塩が出て来るが。併し再放送というものは勉強になる。最近の地上波は生放送ばかりで再放送が極めて少ない。だから若い人は歴史の勉強が出来なくなる恐れがあると思った。
 更に深夜になってNスぺの「人工知能2017」の再放送。将棋の名人が出て来て、強い怖い大変だとおっしゃっていた。コンピューターの進化に最も脅威を感じているのは、まずは棋士さんたちなのかもしれない。一方の学習塾は・・・。最近はネットで色色と教えてくれるみたい。確かに変な先生の下手くそな講義を聞くよりよっぽどいいだろう。知識を伝えるのは機械に任せるとして、浮いた時間で先生たちはもっと生徒と向き合わなくてはならない、などと高をくくっているけどね。


6/26・月
 一日曇り。午後千寿に出校。中学理科は物の燃焼。炭素プラス酸素で二酸化炭素などと言う愚にも付かないことが教科書には書いてある。世の中、そうそう教科書通りに問屋は下ろしてくれない。一酸化炭素も大量に発生す。二酸化炭素地球温暖化物質ではあるが、通常生活に於いて恐ろしいものは、此の一酸化炭素である。別に火事など起こさなくとも、やられるときはあっという間にやられる。物を燃やす時に大切なのは、兎にも角にも空気の入れ替えである。其処でくれぐれも換気扇を大事にするようにと力説した。大体扇風機が動かなくても命に関わることはないが、換気扇のそれは大事故につながる。ところで換気扇の日というものはあるのだろうか。換気扇の日日の地味な働きに感謝して、点検と清掃を行う日とすべきである(調べて見たらあることにはあった。いい空気で11月9日と云う事である。)
 退社後は生麦酒250円に釣られて構内の回転寿司店へ。奥の座席に案内される。場所的に板場が一望出来る。ついつい中の方を観察す。すると回り過ぎたものが次次とポリバケツに放り込まれている。あらゆる産業に在庫廃棄は付き物とは言え(学習サービス業や運輸業は空席を廃棄している)、見ていて余り気持ちのいいものではない。特に480円の鮪が容赦なく二皿纏めて捨てられた時は、「あっ」と素っ頓狂な声が出そうになって仕舞った。高い皿はオーダー制にするか、時間の経ったものは格下の皿に乗せ換えるべきだと思った。という訳で食欲にも非常ブレーキが掛かり、麦酒も二杯で終了。其のまま帰った。今夜はとんかつにすべきだったと後悔す。注文式の揚げ物産業には廃棄は少ないだろう。


6/25・日
 未明から雨。昼前には上がる。草取りをしていると、月波君から近くに来たので飲みませんかと誘われる。夕方前、祐天寺の立ち飲みBへ。客間君と蒲田の「山田うどん」に行って来たのだという。幾ら都内では珍しいとはいえ、態態電車に乗って食べに行ったのだから、物好きな二人だと思った。
早速都議選を巡って情勢分析。民進党は愈愈消えてなくなりそう。野党第一党が首都から無くなる異常事態である。民進党は既に終わったコンテンツなのだろう。民進党が再生するには、もっと左に舵を切るべきだとは思う。併し其の上で支持を集めるには、経済危機とか緊縮財政で中間層が更に崩壊しなくてはならず、つくづく其れも明るくない未来であるという話しになった。一億総中流の遺産がある限り、結局は風頼みなのである。其の上、過去一度や二度の突風程度では自民党は大して壊れなかった。つくづく権力というものは、狡知で頑強である。またA政権への支持率は若い人ほど高い傾向があるという。若い人は物を知らないから、権力というものが、如何に恐ろしいものであるかについての認識がつくづく足りのだと思った。(別に戦前の例を出す必要はない。例えば、水俣、三井三池、最近では国鉄解体で何が行われたのか、少し調べるだけで十分である。)
 二時間ほどで御開きにした。ところで最近のBは酎ハイ類が極端に薄い。途中からワンカップに切り替えた。高架下の「東急ストアー」で鰹の刺身を購入して戻り、猫と老家人に食べさせる。結構高評価。何しミケもシロも食い付き方が違う(洋猫風情のグレは魚はまず食べない)。イオン系と違い東急は自店で包丁を振り回しているからだろう。でも電車も東急、バスも東急、ケーブルテレビも東急、買い物も東急となるのは少少悔しい。何だか酔いが回り、少し横になって、起きたら十二時近く。日本酒の破壊力は誠に凄まじい。


6/24・土
 朝からF蕎麦に。今日は何だか矢鱈と汁が濃い。何時も以上に真っ黒である。粉粉になった天麩羅を丹念に箸で救い上げ、汁は成るべく残す。塩を取る習慣のないアフリカの何とかと言う部族には、高血圧の人は全くいないと聞いたことがある。塩辛いものを此れだけ浪費出来るようになったのも近代化の御蔭には違いないが、余り噛み締めてはいけない。一日晴れて終日暑い。取り立てて無為。


6/23・金
 一昨日の事故は、大雨で遅れた列車が集中し、過電流が流れて切れて仕舞ったらしい。田舎の新幹線と違って、うかうかとウヤにすると、乗り切れないほどの凄い数の御客がいるからな。だからリニアが必要なのですと言い出さないといいが。ただ誰が言い始めたのかは知らないが、仮眠用の車両を「列車ホテル」と言うのはどうかと思う。寝台車と違って横になれる訳ではない。
都議選が告示。何とかファーストの会も維新以上に十二分に胡散臭いが、政権与党を大敗に追い込めれば面白いことになる。併しAも許せないことは許せないが、それ以上に許せないのは、Aに唯唯諾諾となったかと思えば、今度は都知事にすり寄っていくあの政党である。併し票田だけは確実に捉えて来る。正しく蝗である。自称福祉等に明るい蝗。逆にして読めば・・・。
 朝から診療所に。どういう訳だか、年寄りで大混雑。待っているだけで血圧が上がるので今日は止めにして帰った。併し此の診療所に来ると何だか無性に腹が立つ。何故腹が立つのかというと、此処の御医者さんからは健康診断の結果について只管文句を言われるだけで、苦しい時に這うようにして掛かった経験が一度も無いからだと気が付いた。窮地を救って頂いたということが一度はないと医師との信頼は築けない。血圧やコレステロールがああだこうだと言われても、説得力がゼロなのである。
 午後になると歌舞伎役者が記者会見。細君の死を告げる。ネット上に闘病記のような物を出していたらしいから、秘密にしておくことも出来ない。併しブログを励みにして来たような同病の人は衝撃が大きいだろう。本人としてはまさかこういうことになるとは思っていなかっただろうし、そんな事まで責任は取りようがないのだけれど、矢張り書いたものを公開すると云う事には大きな責任が伴う。其の最低限の自覚は必要であると思った。
 夕方になり、バスと徒歩で一旦本務校に出社。事務仕事を片付ける。以後千寿校に回航。ところで最近私鉄のダイヤを見ていなかった。行きしなに『東京時刻表』を購入。読みながら参る。最近の私鉄各線には有料列車が走っているから結構華やか。併し小田急線は急行と快速急行だけで一時間に十二本も走らせている(ちなみに十五年前は急行と準急で八本)。こんなに沢山走るのだから、ちょっとやそっとの複複線でも足りないと思った。新百合ヶ丘ぐらいまでは欲しいかな。しかし将来は過剰投資になるのかも。何しろ中央線も三鷹から先は諦めたというから。未来とは減少社会である。千寿の金曜代講は本日で終了。飯田橋に回り、月波君と飲んで帰った。立ち飲みBと屋台ラーメン。結構暑くて草臥れた。


6/22・木
 昨夜新大阪の手前で架線が寸断。大体電線が切れると数時間コースである。何万人も家に帰り着けず。東海としては珍しい部類の事故になるのだろう。また日本郵政の社長は株主総会で平謝り。何でもかんでも民営化して株式会社にすると、結局こういうことになるから考え物である。
 朝から晴れ。御向かいの足場が愈愈外れる。よくよく見てみると、田舎の小学校ぐらいある巨大な建物である(但し校庭は廃止)。実に何世帯入るのだろう。敷地人口は恐らく十倍近く増える筈である。
晩食は焼き鳥中心。今まで書いて来なかったが、割と近所に古い鶏肉専門店があり、生肉を売る序に店先でも茫茫と焼いている。一本九十円。小振りな胸肉と皮がサンドになっており、同時に噛み込むと口の中で丁度いい塩梅となる。こういう合わせ技は昔からの知恵なのだろう。辛口のタレと良く合い、何しろ噛みごたえがあるのが佳い。以前は行列も出来ていたが、最近は御客が随分と減っていると感じる。コンビニのふにゃふにゃもも肉に奪われたな。それに鶏を焼いている人は此の道何十年というベテランの人だけど、後継者はいないと思う(多分)。あと何年噛み締められることか。月波君から明日の予定について尋ねられたので、「あしたの事はあさってにならないと分からない」と返信しておく。後から気づいたが、案外此れは至言である。


6/21・水
 一週間経ったので、再び大病院に参る。まず何よりも先立つものはタクシーである。立って探したが、二十分は来なかった。雨なので実車が多いのは分かるが、何台も回送車が通った。併し空のままで一体何処へ行くのだろう。みんな都内の車だった筈だが。
 結局多少遅刻して受付す。此処で小一時間。肝心の診察はと言うと、経過も良好とのことで、処方箋すら出なかった。そもそも薬さえ飲んでいれば、そろそろ治った頃なのだろう。診療報酬220円。大病院は案外安いと思った。再びタクシーで帰る。往復で2500円。併し満足な車寄せも無い古病院だから、行って帰るだけで疲れて仕舞う。建て替え工事完了が待ち遠しい。
 御昼過ぎからは結構な強雨。昼食休憩の後、バス出社。久久の本務校である。行けば事務仕事が目白押し。まずは何よりも大切な授業料引き落としデータの作成と送信。併しパソコンが巧く作動しないという。どうも生徒が悪戯をした模様。調べてみると、大事な所がごっそりとゴミ箱に入っていた。削除された日時から推測すると容疑者は小四の男の子である。恐らく悪意はなくデスクトップを勝手に掃除した気になっているのだろう。万事子どもは気楽でいい。何とか復旧させ、郵便局に送信す。つくづくこういう仕事は不得手である。汗びっしょりになる。其の後は講習案内の作成。更に平政君の代講で高校数学。まあまあの高校だから、数Ⅰでも案外難しい。こちらも汗びっしょり。
 雨は夕方にはすっかり止む。退社後は中華立ち飲みに行き、常連のおじさんたち相手に多少毒気をつかせて頂いた。珍しいく十一系統のバスに乗って、降りて、環七から歩く。すると大通り中通りとも空車が洪水のように走っている。其の何割かを今朝に回せないものかとつくづく思った。雨の日だけ車庫から出て来る車とかはないのかな。


6/20・火
 一日晴れ。取り立てて無為。都知事が会見し、豊洲移転を正式に表明。但し築地も観光市場的に残す積りのよう。所謂両論併記。少しはいいアイデアを思い付いたのだろう。当然現実的ではないという批判も直ぐに出て来る。併し拗れに拗れたな。K知事に歴代知事の失策を一身に背負わせる訳にも行かないし。
 また盛りの方の理事長は検察の捜索を受ける。口封じを狙った国策捜査だと憤慨していたが、補助金を不正に受給した事実だけは動かしようがない。税金など取られるだけの立場から見れば、色色と書類を作って騙し取れる立場が実に羨ましい。来世は公務員か、補助金で暮らせる人になりたいと思った。


6/19・月
 放っておくと炎上するからという理由で、国会も閉幕。盛り、掛けと来たなら、次はどーんと鍋焼きうどんあたりが出て来て、内閣ごと吹き飛んで欲しいと思った。尚、支持率も少しは下がったよう。
 日本郵政は不動産会社の買収を断念。新聞の見出しには、「日本郵政の成長戦略不発」とあった。併し何も郵便局が成長しなくたって、みんなが困ることは無い筈である。余り郵便料金を値上げされても困るが、日本全国津津浦浦に手紙と小包が配れれば十分である。社員さんたちにまあまあの給料が支払えれば尚結構。無理に成長しようとすると何処かに無理が掛かる。実際海外企業の買収ではかなりの損をしたらしい。どうしても不動産業がやりたければ、JRを見習えばよかろう。
 朝からかんかん照り。昨夜のアルコールと気疲れが充満して日中漫然とす。記念会で即売されていた『語る藤田省三』を読みながら千寿に出校。尾崎翠が出ていたので、千寿の大型書店で『第七官界彷徨』も購入。併しこういう文学作品は中中読めないな。字が大きくて助かった。退社後は「宗庵」で付け麵。魚系ととんこつ系が分けられていて佳かった。どうもあの合わせ味と言うのは少し苦手である。帰りの車中も只管ページを捲った。ほぼ休肝


6/18・日
 朝から曇り。御昼にメトロに乗って久久に鳳生大学に参る。芥田先生の新著出版記念会である。学生食堂を丸ごと貸し切ってパーティーを行うことになっている。参加者凡そ数十人。大学関係、出版関係、研究会関係多数。学部学生出身は吾人らのグループのみ(月波君、坪上君、客間君)。年上の大学院生は既に五十に近くなり、社会人入学の方方は元元の年齢が既に高い。詰まり何が言いたいかと言うと、吾人らが最年少ということである。
 立食形式なので給仕の必要はないが、御酒は注がなくてはならない。焼酎を割ったり、ワインの栓を抜いたりと、酒当番を仰せ付かる。若い衆は働かなくてはね。学者マニアの月波君は喜んでいたようだが、やっていることは高齢者の面倒を見ることであって、普段の生活と大して変わりがないと思った。
 ところで数年と空けずに来た筈のキャンパスも次から次へと校舎を建て増しして、最早何処が何処だかさっぱりわからない。トイレに出た序でに一回りしたら、迷って仕舞う次第である。渋谷駅と同じだな、市ヶ谷永遠再開発である。併し何処にそんなに沢山学生がいるのだろうか。出席率が向上したのかな。吾人が学生の時分は、登録者百名、出席者数名なんて講義がざらにあったものだが。また旧校舎はあるにはあるが、此方も建て替えが決定しているとのこと。511という大教室は既に無くなっていた。人というものも猫と同じで、縄張りとしていた古い建物が無くなると、段段寄り付けなくなると思った。
 一次会は夕方前には終了す。雨の中を移動して居酒屋での二次会へ。参加者は凡そ半分になって三十名。其れでも誰が誰だか殆ど分からない。其の上、大声で怒鳴るように会話してもなかなか話は通じない。八時頃終了。幸い一次会の御金が余ったとかでロハで済んだ。色色多めに出してくれた人が居たのだろう。さてさて若手グループはラーメン「かわかみ」に寄って帰った。若い人は疲れるな。
 

6/17・土
 一日晴れ。伊豆大島の近くで、日本郵船が雇った大型コンテナ船とアメリカのミサイル駆逐艦が衝突。後者に人的被害が出た模様。やはりテロより事故の方が怖い。戦争>事故>テロである。またロンドンの火事も相当な死者が出る見込みだという。やはり安全管理学部を作るべきである。
 朝からМ家で「焼鮭定食」(450円)。塩分抑制のために多めの味噌汁は半分残した。以後適当に過ごす。晩食の買い物に出かけた以外は概ね無為。


6/16・金
 森にしろ加計にしろ、賄賂が飛び駆った訳ではないから、大した問題でないと言う人が居る。まあ確かに、刑事事件で立件するのは中中難しいだろう。いやだからこそ、より質が悪いのである。言う事を聞かない相手でも、賂の力で説き伏せるというのが贈賄であり、捻じ伏せられるのが収賄である。詰まり金さえあれば誰にでもチャンスがある。併し今回の件ではオトモダチに阿吽の呼吸で便宜を図っている。政府と其の周辺が、御内人のような連中で固められて仕舞う方が、権力としての腐敗度はよっぽど高いと言えよう。
 また文部科学省の再調査により、所謂加計文書の存在は正式に認められるようになった。当初其れを怪文書と名指しした官房長官も旗色が悪いな。ところでこういう記者会見を見ていると、何だかパチパチと音がする。会見場でとんかつでも揚げているのかと思ったが、それは記者がキーボードを打つ音らしい。うーん、言葉の遣り取りを文字にするのは最近流行りの音声入力に任せるとして、記者は質問に集中して欲しいと思った。そもそも記者と速記者は表記は似ているが役割が違う筈である。
 一日晴れ。日中は何だか漫然とす。夕方遅くになり千寿に代講出社。東武線直通南栗橋行きに乗った筈だが、どういう訳だか突如として押上止まりに変更となる。ダイヤの上には何にも起きていない筈なのに理不尽な話しである。錦糸町で後続列車に乗り換え。直通は十分に一本しかないから、都合二十分分の御客が溜まり、車内は総立ちとなった。どうにも此の区間はつくづく弱い。もっとも吾人は北千住で降りるから、東武鉄道には一円も入らない計算である(北千住の改札はメトロと東武の共用なのでメトロの運賃だけで着いて仕舞う)。メトロが幾らか東武に支払う約束になっていると聞いたことがあるが、どちらにしても儲かる話しではないから、そもそものやる気がないのだろうと思った。
 何の面白いことも無く退社。東口で付け麵を食べ、再び半蔵門線直通に乗って帰る。すると車内には、小田急線複複線化のコマーシャルが流れていた。何しろ線路が倍になるのだから、出演している双子さんもすらりと分身す(鉄道会社らしく落ち着いていて、なかなか好い出来)。五十年来の悲願が愈愈来年春に叶うそうである。完成の暁には田園都市線の御客も取りに行く積もりなのだろう。ごっそりと奪って行って欲しいものである。併し十数キロを造るのに計画段階から五十年、実工事に三十年(住民に色色と訴えられたりもした)。費用は軽く三千億円。一方のあの会社は名古屋まで十年以内、五兆五千億で作ると言っているらしい。正しく痴人の会社、いや痴人の夢の会社である。勿論痴人とはあの人物のことである。


6/15・木
 ロンドンの高層アパートで火災。大分古い建物のようだが、やはり高い建物は危ないと思った。日本は大丈夫だとは思いたいが、例えば階下の住民がど派手に焼身自殺でもしたらどうするのだろう。特に横に逃げられないような、塔のように尖った建物は怖い(殊にワンフロア―に一二部屋しかないような物件)。併しああいう所に住んでいられる人は、何かしらの想像力が欠落しているのだと思う。吾人なら毎日火伏神社にお参りするだろう。
 共謀罪が朝方成立。併しこういう法律の成立をなぜ急ぐのだろう。此の件に関しては官僚主導のようにも見える。恐らく警察官の失業対策だな。何しろ国民がどんどんと少なくなるのだから、犯罪も少なくなる。ならば警察官も不要になるというのが筋である。そこで国際テロ対策を行うと云う事にして予算と人員を確保したいのだろう。危機を煽り立てるのは、昔の軍部も今の警察も同じである。軍縮と言うのも難しいが、警縮と言うのもつくづく難しい。少少暇になった方方を、行方不明になったお年寄りを探しに行く係とか、酷い目に遭わされている女子供を救う係とかに転属させたらどうだろう。此れらは所轄署の生活安全課の仕事かな。公安警察出身者は嫌がるだろうけど。また法律そのものより、法による委縮効果の方が大きいとも考える。例えば「個人情報保護法」でどうなったか。みんな勝手に忖度して、社員や学級名簿の類も綺麗さっぱり無くなったのである。
 家人の様子はまあまあ落ち着く。朝から銀行に行き、税金を支払う。此の時期は都市計画税と固定資産税である。一年に十二ヶ月あるとして、大体二ヶ月分の賃貸料収入が此れに消える。あと日日の修繕費や不動産屋手数料等等にまた二三ヶ月、相続税の支払いに恐らく二三ヶ月(其れが三十年)。他に所得税や住民税もある。償却済の建物であっても大して儲かる訳ではない。ちなみに吾人の特別区民税は五千円であった。所謂均等割の部分である。来年はもう少し払えるかな。
 昼は弁当。晩は冷凍うどんにスーパーの天麩羅を添えた。またチェーン古本屋で『漂白される社会』『絶望の国の幸福な若者たち』『呑めば、都』。夜は映画「パークランド」を見る。陰謀論という立場は取らずに、ダラスでの出来事をリアルに描いた作品。特に大統領の棺を機内に入れようと、警護官らが必死になって座席を取り外したり、壁を壊したりするシーンが胸に迫った。併し此の事件、結局どうなったんだっけ。未だに万人が納得できるような説明は無し。事件関係の報告書は確か2039年に機密指定が全面解除になる筈だが、実にまだ二十年もある。それにしても、あれから数十年。大統領の立場も頭の中身も随分と軽くなったものである。
 ちなみに、オ狙撃犯も彼の母親も相当ぶっとんだ人だったらしい。そんな人の弾に偶偶当たって仕舞ったものだから、あれだけ陰謀説が出て来るというのが吾人の見立てである。人はどうしても無意義な死というものを信じたくないから。


6/14・水
 起きてぼんやりしていると、出掛けた家人が戻って来ていて、今から大病院に行くと宣う。疱疹が愈愈収まらないので、朝から診療所に行き、既に紹介状も書いて貰ったのだという。慌てて車を呼び立て、近所の大学病院まで参る。例によって大病院は大混雑である。其れに紹介状はあるが予約票は無い。おまけに予約の患者も相当遅延している模様。以後延延と待つこととなる。一時間を過ぎた辺りで時間意識が蕩けて来る。此の感覚は何かに似ていると思った。そう、田舎の駅で滅多に来ない列車を待っている時の感覚に近い。ただ田舎とは雰囲気が違う。結局暗い待合室で二時間近くは待ったよう。
 肝心の診察はと言うと、まだ薬を飲み始めて時間が経っていないので、暫らく経過を見ましようとのこと。家人は入院する覚悟で来たらしいが(実際にお泊り道具を持参)、大体帯状疱疹如きで一一入院されたら、病院が破裂するであろう。結局其のまま引き返すこととなる。家に帰ったら午後の一時前。
 食事と休憩の後、本務校に出校。併し何だか頭がぼんやりす。本務校に来たのは今月二回目。併し六月も半分も過ぎている。夏期講習の準備も進めなくてはならない。此の所、吾人の時間が大泥棒に遭って、ごっそりと盗まれたような感じがして仕様がない。退社後も碑文谷まで戻って、「王将」に入る。少し麦酒でも飲んでぼんやりして、時間意識を正常に戻そうと努力した。併し麦酒の味がまだ戻らない。何だかピリピリする。スードラはどうも苦手である。


6/13・火
 家人は抗ウイルス剤と市販の鎮痛剤を服用す。痛い痛いとほぼ寝た切り状態。一方の吾人も咳が出続け、先日の「プレコール」を追加購入。五日分で1300円。
 東風が入り終日涼しい。午前中は草取り。すると雨が降り始める。少し食べ物から力を貰おうと思い、昼は「野郎ラーメン」(780円)。やはりこってりは旨い。糖質脂質たっぷりだが、野菜もたっぷりだからバランスは取れているだろう。序にスーパーで両家人用の弁当を購入。結局買い物は吾人がするしかなくなった。


6/12・月
 家人は今度は帯状疱疹を発症。股擦れかと思ったら、水疱があるとのこと。吾人の風邪ウイルスはうつらなかったが、自分のウイルスで自家中毒を起こしている。しかし腰痛に続き、つくづく災難である。
 一日晴れ。午後千寿に出校。喋っている内に痰が絡んで来て咳が出る。慌ててマスクを掛ける。喋るから風邪が治らない。一種の職業病である。また千寿校に習いに来ていた真面目な女の子が今月で辞めて仕舞うことになった。週に一回とはいえ、中三の頃から二年以上見てきた子である。もっとも真面目と言っても、ただ只管真面目なだけと言う感じの子で、勉学意欲もそんなに高い訳でもないし、余計なことは何も喋らない。吾人の無駄話にも反応は薄かった。
 此の仕事をしている以上は避けられないこととは言え、まあどんな子であっても、途中退会というのは残念なことである。第一に、もう二度と教えることが出来ないし、それに途中で辞めて仕舞うと、何となく気が引けて教室に遊びに来るようなことも出来なくなる(但し千寿校はそういう雰囲気にはないが)。恐らく今生の別れに近い結果となるだろう。退社後は大橋の自動化寿司で一人残念会。京成線で上野まで出て見て、銀座線経由で帰宅す。
 寝る前に「マッドマックス・怒りのデス・ロード」を見る。二十数年ぶりの新作と云う事であるが、またオーストラリアで撮ったのかな。文明崩壊後の世界は相変わらずの砂漠地帯である(本来なら「アバター」のような濃密な緑の世界になると思う)。ただ砂と車と汚い男連中ばかり見せられる中で、美女集団が出て来たのが少少目新しい。世紀末の後は女性活躍の時代である。


6/11・日
 朝から自販機周辺の片づけ。溢れた物を下げるだけでは根本的解決にはならない。思い切って箱を開け、中身を袋ごと取り出す。すると箱の底には予備の袋があった。中中準備がいい。袋を張り替える。片づけるのは構わないが、一枚数円とはいえゴミ袋を持ち出すのは何だか気に食わないものである。併し東京ゴミ戦争だな。さながら市街戦である。
 晴れてはいるが比較的涼しい。昼は上馬でへぎ蕎麦。蕎麦は旨いが、そば汁が一味足らない。まだ鼻の底が詰まっている感じ。其の後、昏昏と午睡す。


6/10・土
 朝からかんかんに晴れる。池尻にラーメンを食べに行くも、やはり一味足らない。鼻の奥がまだ詰まった感じが取れない。咳も少少。
 警察官が妻および子を殺害した事件が起こる。妻による一家心中を偽装したらしいが、直ぐに見破られた。部下の不祥事に県警幹部はショックを受けているらしい。まあしかし警察官としての立場を悪用して、第三者を殺めたわけではあるまい。恐らく、現職警察官としては偽装工作が低レベル(多分に素人以下)で、司法警察員としての能力の低さに衝撃を受けているのだろう。それにしても、殺された子はつくづくつくづく可哀想である。妻は夫を選べるが(見込み違いは多多あるが)、子どもは親を全く選べない。今後数十年に渡る筈の未来を奪われた子の方をもっともっと悼むべきである。
 夕方は「訊きたい放題」というMXの番組を見る。古谷という文筆家が、改憲派をドリーマーと称していたのは痛快だった。従来改憲派というものは、憲法改正というビッグな夢を語ってさえいればよかったそうで、具体的な改憲案などは特に何にも考えて来なかった。併しA政権が出来、いざ実際に改正発議をやろうと思えば出来る環境となって、慌てて改憲案を作っているものだから、丸で中身がないのであると。中中言い得て妙であると思った。此の人は吾人とは大いに立場を異にする人であるが、猫が好きという本を出したと聞いた頃から少し関心があった。矢張り猫好きには・・・。
夜はスーパーで一枚千円の牛の肉を買って焼いて食べたが、ちっとも旨くなかった。此れは味覚のせいではあるまい。旨そうに見えたのだけれど。痛恨の極みである。


6/9・金
 朝から概ね晴れ。昼はかつ丼にしたが、やはり一味足らない。嗅覚が戻ってないから、味覚も鈍感となる。併し発症から一週間以上経ってもまだ治らない。幸い両家人に風邪の症状は無し。同じ家屋に生活している人にはうつらないで、通りすがりの赤の他人からはうつされる。ウイルスというものはつくづく不思議である。
 午後千寿に出校。平政君が教育実習に行っている間は、吾人が代講する手はずになっている。ついでに月曜の振り替え授業も行う。平政君に丸投げした高校数学がブーメランのように還って来たわけだが、まあ何とかなった。退社後は大橋の自動化寿司に行っては見たものの、満席で入れず。かといって取り立てて鮨が食べたいという訳でもない。入れないなら入れないで結構である。他にも店を物色したが、何だか食べたいものが丸で浮かばない。結局其のまま帰り、コンビニに寄って御仕舞。今週はコンビニをよく食べた。何だか疲れて仕舞い直ぐに就寝。麦酒一缶のみ。そういえば麦酒の味も戻らないまま。


6/8・木
 午前中は薄曇り。御向かいは内装工事に移行。日日トラックに乗せられ、膨大な建材や建具の類が運び込まれている。作業も終わらないらしく、内装屋さんは連日の残業。膨大な内需なのだろうが、此れが無くなった暁には・・・。
朝方は草取り。御昼は「せい家」でラーメン。此処も今月から値上げした。併し何だか味も薄い感じ。まだ味覚が戻っていない。また三月に閉店した本屋はドラッグストアーになっていた。一体何軒目だろう。実にドラッグストアーだらけである。ドラッグと言うからには、余程儲かるのか。
 午後は更に晴れた。桐の枝を落とした後は、昏昏と午睡す。目が覚めたら夕方であった。三丁目の肉屋でとんかつを揚げて貰う。晩食中、同い年の鮨職人が頑張っているという話しをすると、老家人は「そんな年寄りの握った寿司など食べたくない」などと宣う。実に身も蓋も無い結論であった。
巨人はとうとう十三連敗。併し暴動はおろか、酷い野次や、ゴミの投げ入れとか、グランド乱入とかがないから不思議である。野球のファンは概して大人しくなった(阪神ですら)。暴れるような人はサッカー場に行っているのだろうか。


6/7・水
 関東まで入梅。と言っても比較的涼しい。嗅覚味覚共に回復途上。むしろ何だか昨日より却って調子が悪い感じ。午後出社。金参万円受け取る。雨雲が近いので退社後も其のまま帰ることにした。何処かで何かを食べようと思っていたが、決断できないまま最後の駅前商店街を通り過ぎる。するともうイオン系の「まいばすけっと」しかない。二日続けてコンビニ食となった。
 しかしより正確に記述をするとなれば、此の「まいばすけっと」と言う店は、コンビニとは全く違う。似て非なるものである。夜中は営業しないとか、傘や雑誌を売らない等等外見的な違いもあるにはあるが、もっと根本的な差異がある。そもそも売っているものが違う。自社のプライベートブランドか、ナショナルブランドの超定番商品のみ。其処にフェアーとかキャンペーンとか広告とか目新しさとか、そういう余計なものはない。何時でも同じ売り場、何時でも同じ商品(しかもどの店も全く同じ造り)。
 こういう店を前にすると、吾人は考え込んで仕舞う。資本主義市場経済というものは、僅かな差異を作り出し、そして売り込んで来た筈だと。例えばそれが食べ物ならば、「こんがり」とか、「さっくり」とか、「ぎっしり」とか、「おいしい」とか、そういう形容詞を商品に貼り付けることで、他社を出し抜き、多少なりとて売り込むことに懸命となって来たのである。併し「まいばすけっと」には、そういう差異がまるでない。店とか商品とかブランドとかにまとわりついていた魔術的な部分は全てを削ぎ落とされ、「必要」というものが、剥き出しのまま売り出されている(その分、安いことは安い)。
強いて言えば、ソ連の配給商店に近いかな。実際に見たことは無いけど。それにかの国では最後の方はスッカラカンだったけれど。恐らく、計画経済が最も巧く行った姿、つまり人人の需要に応じ最も適切に生産と輸送が行き届いた状態に近いのかもしれない。でもそれは、何だかとても寂しい姿である。必要だけが、必要な訳ではないからね。ひょっとしたら資本主義の行き着く先はソ連の配給所? いや、安さばかり追求していったら、何時か本当にそうなるかも。そして、商品の僅かな下らない差異を、何だか実に下らないなどと言っていられた頃が花だったのだと回顧するときが来るかもしれない。
帰宅後Nスぺの再放送を見る。「和食ふたりの神様・最後の約束」。二郎さんは九十一歳でも板場に立っておられる。吾人も授業くらいは立ってやらなくてはね、などと寝ながら見て思った。老家人ももう少し頑張らなくては。


6/6・火
 風邪の原因は身体の強張りにあるという。確かに此の所、不眠傾向であったし、お酒の方も味は兎も角、何だか胃が詰まって仕舞い、思ったように沢山飲めなかった。こういうのが前兆現象なのかなあ。
 ロンドンで再びのテロ。今回は自動車プラス刃物。どちらもありふれたものだから、テロを防ぐことはつくづく難しい。またイギリスの首相は、テロ対策の不備を突かれて支持率も低下傾向とのこと。何でも内務大臣時代に警察官を二万人も削減したらしい。其れで警察力が弱体化して、監視捜査等が追いつかないのだという。緊縮財政と言うのは誠に凄まじい物があると思った。日本の政治家にはとてもじゃないができないな。まあ財政支出を余りに急に削減すると、社会の底が抜けたようになると言うから、最近は緊縮策と言うのは評判が悪いことは悪いが。
 何とか回復す。力が漲るという程ではないが、脳内オペレーターも復帰して来た模様。取り敢えず頭はすっきりと動く。朝から活動再開。まず方方の掃除と片づけ。続いて梅仕事。今年は裏年らしく、梅の実も小さい。三瓶で終了。夕方数日ぶりの入浴。もともと肌が弱いので普段は幾らも体を洗わない。たまにタオルで擦ると物凄い量の灰汁が出た。さっぱりした後は旨い物が食べたかったが、色色と疲れて仕舞い、本格的な買い物には行けなかった。結局コンビニのメンチカツと焼き鳥。
最近のコンビニはスーパーのお株を奪う勢いで惣菜類を揃えて来ている。詳しいことはわからないが、揚げる、焼く等の最終工程は店舗でやっているのだろう。となると、スーパーの方は鮨ぐらい自前で握らなくてはならないな。勿論魚ぐらい捌いて貰わなくてはね。また巨人が十一連敗もしてくれた御蔭で中日は四位に浮上。併し団体競技でもこういうことがあるのだね。指揮が悪いのか、士気が低いのか。


6/5・月
何とか熱も下がった感じ。鼻も止まった。痰を出す為の咳が少少。例によって虚脱状態といったところ。そろそろ梅の実も取らないといけないのだが、少し活動しただけで草臥れて仕舞う。とてもじゃないが一時間も電車に乗っては行けない。月曜臨時休講とす。以後昏昏と午睡す。夕方雷雨あり。飲酒も再開。麦酒を二缶から。
 衆参ともに決算委員会。政府は出鱈目な理屈を並べ立てでも文書の存在を認めない方針。また例によってA首相は、印象操作という四字熟語を多用して答弁しておられる。何とかの一つ覚えだな。暇に飽かせてテレビドラマも見た。まず「やすらぎの郷」。高齢者ばかりが出て来るというドラマである。時折、どぎついテレビ批判が出て来て面白い。老脚本家の回顧録のような作品である。日本で初めての年寄りを対象にしたドラマとのことで、評判も上上だそうである。でもお年寄りは買い物しないから、スポンサーが喜ぶかは不明。
ひよっこ」では、オリンピック不況を受け、ラジオ組み立て工場は倒産。再就職が決まっていた石鹸工場からも入社を断られ、主人公は失業の危機に。此れは僅か数年後に再び起きることなのだろうか。公共放送は、人人から忘れ去られている此の不況を敢えて取り上げることで其れなりの警告を発しているのかもしれないと思った。
夜は「警視庁機動捜査隊216Ⅶ」。舞台が拙宅と同じ第三方面(目黒世田谷)なのでついつい見て仕舞った。併し沢口という女優もいい意味で変わったな。初期のか細いイメージから、今では闘う冷静な女である。芸能界で生き残るにはこれくらいでなくちゃね。


6/4・日
 未明に「プレコール持続性せき止めカプセル」という市販薬の残りを探り出して漸く投与す。余り効くとも思えないが、要は心の持ちようである。一日二回。一回一錠150円。乾坤一擲である。また家人は吾人が度度風邪を引くことに例によって立腹しているらしい。こういう時でも薬を探してもくれない。つくづくどうしようもない冷酷な親である。
 薬が多少利いたのかは知らないが、咳はやや収まる。続続と痰が出ることと喉の痛みと鼻は相変わらず。午後は三十七度五分。午前午後と呆然とす。自室でうんうん唸っていると、急ブレーキの音が。慌てて出て見ると、近くの四つ角でお爺さんの運転するタクシーが、更にお爺さんの運転する自転車を引きそうになったとのこと。どちらかが一時不停止なのだろうが、方向から見て悪いのは後者だろう。まあ何とかぎりぎり当たらなくて佳かった。昼は御粥。夜はコンビニの冷やし中華。治ると思ったが、案外治らない。ウイルスが強力なのか、此方が弱っているのか。


6/3・土
 朝方は大量の鼻水と寝汗。例によって夏風邪は発熱しているのか、部屋が暑いのか判別付かず。一日蟄居す。午後になればなるほど、寝れば寝るほど悪くなる。質の悪い咳も出始める。夕方三十七度三分。節節も相当痛い。
愈愈吾人もダウンして仕舞えば、稼動人口はゼロとなる。中華屋も蕎麦屋も寿司屋もとっくの昔に廃業しているから、出前を頼めるものなどピザ以外にはない。病人に食える訳もない。止むを得ず、家人は痛みを堪えて買い物に行く。昼は肉まん、夜はコンビニ食。どちらも二三百メートル先の店である。すっかり油断をしていたが今回の風邪もかなりの規模である。本当によく風邪を引く。


6/2・金
 何だか小咳が出る。寝ても起きてもまだ眠い。午前午後と漫然とす。午後遅目に出社。抗ヒスタミンで頭がぼんやりするも、最後まで担当して退社す。こういう体調の日は頗る難しい。職場の近くで飲んでいると、うっかり人に誘われたり出会ったりして、我儘が通せなくなる恐れがある。かといって其のまま大人しく帰るほど具合が悪いわけではない。ということで、中間地点の祐天寺の立ち飲みBに寄る。従業員は顔見知り程度だから、多少は構って貰えた。
すると若者集団が居て大声で騒いでいる。最近としては珍しい光景である。其の内に、煙草を振り回して灰を撒いたとかで、たまたま隣に座っていた女性陣が激昂するに至る。若い女はメニュー表を投げつけ声を張り上げ、抑える筈の年増の方も同調して声を荒げている。いやしかし此の二人組、よく怒るね。何だかにわかに店内は緊迫し、常連風を吹かしている吾人も帰るに帰れない雰囲気となる。
しかし不思議なもので激昂したらしたで、若者側が素直に折れ、何時の間にか何だか楽しそうに飲んでいる。酒は狂い水と同様、和解水でもある。まあ吾人もどちらかというと普段はあちら側の要員なのだが、今日は一人で飲んでいるから、こちら側でゆっくり観察させて貰えた。予定より三十分は余計に掛って帰宅す。帰宅後直ぐに就寝。


6/1・木
 未明に通り雨。水滴と共に冷気も降りて来て、少し涼しくなる。午後も一雨あった。夜はいい厚揚げを遠くのスーパまで買いに行き、麻婆豆腐。併し朝から晩まで異様に眠い。夜になり喉の痛みを覚える。どうも喉風邪の模様。鼻をやられ、次に喉をやられるという何時ものパターン。抗ヒスタミンを服用し、厚着をして早目に就寝。そういえば数日前、嫌な咳をしている人と出合ったが、咳の音は覚えているが、何処で出合ったのか思い出せず。
 それにしても、そもそもの政治主導というものは、決して悪くはない筈である。しかし同じ政治主導といっても、H首相が進めようとした基地移転に際してはあらゆる省庁のあらゆる官僚が寄って集って頑強に抵抗したのに対し、Aに対しては唯唯諾諾、それどころか言わずもがなの忖度理解で勝手に事を進めている。これぞ究極の政治主導、官邸優位である。つくづく、何かが何処かで引っ繰り返って仕舞った。悪夢のような政治主導である。

2017年5月

5/31・水
 朝から大変に蒸し暑い。午後出社。退社後はNさんとS君と新しく出来た居酒屋に入店。立ち退き地域から移転して来た店である。店主はいい人そうだが、少し紫煙が濃いな。何しろ店主もその娘さんも、娘さんの旦那さんもぷかぷかぷかぷかやっているから。更に佐渡屋に行くと、本日が最終日と云う事で、もの凄い人の出。振る舞いの麦酒を一杯だけ頂いて帰った。此方の店も移転の目途は何とか立ちそうとのこと。こうして長い五月も終了す。


5/30・火
 昨日、此れまたAのオトモダチのYという人物に酷い目に遭わされたという女性が記者会見す。被害を訴え、捜査が進み、所轄警察署の捜査員が執行しようとした逮捕状が、警視庁幹部の指示で握り潰されたらしい。結局書類送検になったのだという(而も不起訴に)。いやしかし、こんな典型的なテレビドラマのような展開が今時あるのだね。ますます呆れる。それに何某スシローの他にも提灯持ちがこんなに沢山いるのだから、ますますますます呆れる。
 終日暑い。概ね蟄居。夕方になり、家人が病を押して買い物に行くというので介添えす。併し平均分速五十メートル程度では、イオン系の駄目スーパー以上には辿り着けず。併し駄目な店の中を何遍回っても、養殖ぶりの切り身や一丁百円の機械化豆腐程度の物しか置いておらず。此の時間があるのなら、吾人は急行自転車に乗り、もう少し遠くの、もう少し真面なスーパーまで買いに行けるのにと憤懣たる思いで付き添った。つくづく老人介護に必要なのは忍耐である。あと鈍感な味覚も。


5/29・月
 斜め向かいのマンションから住民が次次と引っ越している。何しろ借景としていた庭が無くなり、まるで巨大な鏡が置かれたかのように同じような建物が建つからね。あれじゃあ資産価値も下がるな。当然賃料も。またTVKのニュースによると、昨日の京急祭りの参加者は二万四千人で、過去最高だったそうである。どうりで混んでいる訳である。
 午前中は漫然とす。胃の調子は良くなったが、今度は腹具合がよくない。昼間に伯母と叔父が来たが対応できず。今日も非常に暑い。部屋に閉じ籠り、扇風機を点けていると、空気が攪拌されて埃の束が降って来る。するとくしゃみ止まらず。抗ヒスタミンを飲み、掃除機を掛けた。
極めて残念なことに五月は月曜日が五回もある。夕方千寿に向かう。直ぐに帰る。朝は冷凍うどん。昼は大手弁当チェーンが適当に作った食堂で「タルタルさくさくチキン南蛮定食」(値段の割に量が少ない)。夕方に小諸蕎麦。帰宅後にコンビニのパスタ。ほぼ無酒。


5/28・日
 久久に金曜会の鉄道企画と云う事で、京浜急行鉄道祭りに行くことになった。朝の九時に横浜駅に集合。参加者は鶴木さん、柳さん、須々木さん。まず久里浜に向かうのだが、一般の行楽客と鉄道客が合流し、二扉の快速特急は怖ろしいほどの混雑となる。子どもたちは座席で燥いでいる一方、法事か何かに向かう九十近い婆さんがずっと立ちんぼ状態だったのは如何にも気の毒であった。それにしても18メートル車が八両で一時間に六本が横浜以南の基本輸送力である(他にも各駅停車等があるが短編成の上、短距離しか行かない)。東武小田急に比べると大分少ないな。快特は速いことは早いのだが、常時混んでいるという印象がある。久里浜に着くと此れまた凄い数の人が滞留している。無料の送迎バスに待って乗り、京急の整備工場に向かう。
 朝は曇って涼しかったが、気温上昇と共に雲が消え、かんかん照りに。以後目も眩むほどの紫外線が降り注ぐ。一応会場を一回りしたが、こりゃあたまらんと再びバスに乗り、適当な寿司屋に暫し避難。気を取り直し、ペリー上陸公園なんかも見学したが、暑くて暑くてそれどころでは無し。
 川崎まで戻り、焼き鳥チェーン店に入る。併し暑さと昼酒と人波に当たり、胃が停止状態。敢え無く途中退席となる。先週と同じパターンだが、違う点は今日は吾人が一番若いところ。併しおじさんたちは元気だな(その後、大井町の立ち飲みBにも行ったそうである)。両家人用に崎陽軒で弁当を購入。歩く元気がないので祐天寺まで回り、バスで運んで貰った。結局這う這うの体で帰宅。六時半。直ぐに水分と胃薬を集中投入。もう秋になるまで外出は控えようと思った。


5/27・土
 朝から晴れた。腰痛についてネットで調べて欲しいと家人に懇願される。併し一一読み上げたり、プリントアウトしたりするのはつくづく面倒である。高齢者には本が一番である。併し地元の本屋は既に全滅。二キロほど離れた別の駅前商店街まで買いに出掛けた。二冊ほど買い与える。以後熱心に体操などをしていたが、概ね洗濯以外の家事は不能。結局稼働不能の高齢者が二名。買い物等の家事支援に回る。


5/26・金
 昨夕、件の前次官が記者会見して、文書は全て本物だと述べていた。行政が歪められたとも。此の次官は天下り問題の責任を取る形で、辞めさせられた人である。確か今年の通常国会、当初は天下り問題で明け暮れていたと記憶している。官邸から槍玉に挙げられたことに対しても、相当怒っているのだろう。併し長年の慣行が突如問題になること自体、今から思うと少し不自然であった。実は文科省と官邸は相当対立していたのだろうと勘ぐる。そうなると、関連文書は綺麗さっぱり破棄しましたと宣い、官邸に唯唯諾諾になっている財務省の方が却って不思議に見える。増税計画を反故にされ、怒り心頭に発している筈と言うのが、大方の見方であるが。
 朝から雨。一時は結構降った。御昼には止む。以後曇り。家に居るとくしゃみが止まらないので、午後早目に出社。少し違う空気に触れようと、チラシを配って歩いた。早目の退社後は、「安安」で鶴木さんらと会う。久久に柳さん夫妻も来た。


5/25・木
 北千住の次の駅にある施設でD氏が死去。此の人の起こした事件を爆弾テロだと断じる人は正確性を欠いている。そういう間違った事を言う人は、まず松下竜一の『狼煙を見よ』を読むべきである。
前の事務次官がA新聞や週刊誌に出て来て、獣医学部新設に関する官邸のゴリ押しを証言。何せ大学だから、森より金額が一ケタ多い。Aも愈愈追い詰められるな。ところで此の次官さんは、新宿のへんな店に出入りしていたと、先日Y新聞に書かれたそうである。と言っても法に触れるようなことではなし。証言を無力化させようという、官邸からの差し金だな。つくづく酷い政権である。Aの広報紙と化したY新聞も。
 朝方は小雨。以後は曇り。さてさて飲んでばかりではいけない。偶には文教費も増やさなくてはならないと思い、渋谷へ参る。もうなくなって仕舞った東急プラザの裏の「博多天神」でラーメンを食べた後に、東急本店の大型書店に。流石に渋谷最大級。芥田先生の新著も三冊並べてあった。
併し本と言うのは結局買って仕舞うな。吾人にとっての本とは、様様な事物を教えてくれる教科書であり、分からなくなった時に直ぐに調べる辞書でもあり、傍線を付けたならばノートにもなりうる。だからついつい手元に置いておきたくなる。『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』『大航海時代の日本人奴隷』『村に火をつけ、白痴になれ』『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』を購入。どれも二千円以下の本だが。まあそれ以上の金額の本は気長に古本屋で探すことにしている。もう少し色色と見たかったが、本屋に着いた頃から腹具合が悪くなる。結局急いで引き返し、拙宅の便座に緊急着陸。晩のおかずも買って帰れなかった。


5/24・水
 例によって家人の腰痛は改善せず。痛みで死んだ人は居ないと吾人が言うと、もっと難しい病気を勝手に疑っているらしい。明言は避けるが、少なくとも漢字や横文字で十字程度のものである。併しよくもそんなことが心配できると呆れる。想像力の無駄いである。此れだから付き合い切れない。本当に神霊手術を受けさすか。
 多少曇ったが、今日も暑い。具合が悪いのは概ね此の陽気のせいである。午後出社。今年大学に入ったK君が来ていて、もう大学を辞めたいと宣う。まあ入りたくて入った学校と言う訳ではないから、そもそもの動機が足りないな。ならばまず形から入れと激励す。退社後は中華立ち飲みに。すると先日会ったNさんから佐渡屋に居ると連絡がある。急遽転進す。何となくいい雰囲気。今年は何かあるかもしれない。


5/23・火
 朝からずっと晴れ。家人は整形外科に行く。レントゲンを撮り、骨の曲がり方を解析し、対策としてストレッチ体操の方法を指南されたそうである。併し此の腰痛というものも近代医学では治らないものの代表選手である。
 いっそ東南アジア辺りで神霊手術でも受けさすかと思った。超能力者の指先一つで、どす黒い患部を摘出。以後ピンピンとする筈である。併し此の超民間療法も、吾人が小学生の時分までは、盛んに取り上げられていたものだが、最近は全く聞かない。それにしても、あの頃のテレビは実に楽しかった。大きくなったら川口浩氏の探検隊に馳せ参じたいと本気で思ったものである。(いや、本当の話しである。)
 北の皇帝はミサイル実験に成功し、破顔一笑、いやもっとだな、満面の笑みである。以後続続と実戦配備するのだという。いやしかし、あの顔は子どもの笑いである。真面な大人はどんなに酔っていてもあんなには笑えない。詰まり幼児性が抜けていないのだろう。世界中の困った顔と対比させたいと思った。困り顔のコンテストがあるのならば、吾人は直ちに立候補する積りである。朝夕の草取り以外無為。夕方は風が出て来て結構涼しい。今度はイギリスで爆弾テロ。


5/22・月
 М日新聞が天皇の御意向をスクープしたそうだが、どうにも感心しない。何処から漏れたのかは分からないが、こういう形で報道合戦が進むと、結局何時の間にか天皇陛下の御威光に反した反しないという糾弾合戦に発展する。つまり戦前の二の舞である。せめて小さい囲み記事程度にしておくべきであると思った。併し今上天皇は、概ね右派とされる人人から見ると、必ずしも評判は芳しくないようである。謂わば支持層が逆転している格好である。其れ自体は結構なことではあるけれども、将来其の反対の事態が起こらないとも限らない。つくづく天皇制と言うものは取り扱い注意である。
 引き続いて暑い。外猫もぐったり気味。裏の三和土で伸びていたので、少し毛を梳いてやる。一方の家人は眩暈と腰痛で稼働不能。結局今日も買い物当番である。夕方千寿に出校。途中散髪す。暑さのせいか生徒も大して来ないので少し早目に退社。「大江戸」で軽く摘まんで帰った。


5/21・日
 朝から周辺のゴミ片づけ。コンビニで買ったような物がそのまま散乱している。酔っ払いが投げて行った模様。所謂サタデーナイトフィーバーである。おにぎりが三つと缶コーヒーとペットボトルの紅茶。脱いだと思われるシャツとスポーツクラブのスケジュール表。クリームサンドのような物だけは烏に荒らされていた。
 さてさて偶には変わったことをしようと思い、神宮球場へ参る。学生野球を観戦することにした。併しこうして六大学野球を見るのも初めてである。十時半開始の第一試合だから、モーニングゲームという感じ。当然モーニングビールである。而も今日は陽がかんかん照り。屋根付きの二階席に入って良かった。謂わばグリーン席である。
 月波君に加え、客野間君も遅れて参集。彼は現代政治に詳しいから、暫し政局談義となった。以下総括。民進党は誰が党首をやっても支持が集まらない。となると、自民党内の派閥の交代、詰まり疑似政権交代に期待するしかないが、余程の経済危機でも来ない限り、A政権の支持率は高いまま。おまけに小選挙区制だから、党内で楯突く者もおらず。結局Aの春はまだまだ続くという、身も蓋もない結論しか得られず。それにしても一度の本番で懲りて疑似すら出来なくなるとは、日本国民は本当に意気地がないという話しになった(以上は下ネタ風総括)。
 ところで肝心の試合の方はと言うと、四対零でオレンジ大学の勝利。と言っても相手は日本で一番難しい大学だからね。其の後は、安い店を求めて彷徨す。名だたる大企業の本社ビル群を越え、青山の「直久」へ。炒飯をつまみに、麦酒と日本酒を牛飲。更に「ライオン」にも行ったが、流石に幾らも飲めず。暑さとアルコールにやられて意識混濁す。四時には退席す。
 其のまま地下鉄に移るも、最早寝台車が必要な様相である。併し両家人用に晩のおかずを買わねばならないので、途中下車。相変わらず常に工事中の渋谷駅である。依然として何処か何処だか分からないまま、這う這うの体で弁当を二つ買って帰った。シャワー入浴後、六時から十時まで長大夕寝。やはり自室に勝るものは無し。此方は特等個室寝台である。


5/20・土
 勤めている会社がブラック企業ならば、辞めればいいじゃないなどと身も蓋も無いことを述べる人が居るが、そういう人は物事の本質を捉えていない。生活だとか収入だとか、経済的な心配もあるだろうが、それよりも、自分の勤め先がブラック企業であること、そして何よりも自分は就職活動に失敗して、ブラック企業にしか勤められなかったことを認めるのは、相当勇気のあることなのだと思う。そして余りに過酷な勤務は、人人からそういう自信や踏ん切りのような物を余計に奪って仕舞う。だから辛くてもますます辞められないのである。
 朝から牛丼Sへ。一日暑く、一日無為。夜になり、何となく『JR時刻表(三月号)』を捲っていたら、巻頭のさくいん地図から高速道路が消えていることに気が付く。張り巡らされた赤の二重線が無くなり、何だか随分とすっきりとしている。確か昨年まではあった筈だが。どんどんと延長されるので、書き足すのが面倒になったと見える。でも却って交通体系が分からなくなる。高速バスも貴重な足には違いない。それに今となってはバスでしか行けないような所もあるし。


5/19・金
 併し此のまま次次に嫁がれて仕舞っては皇族の方方も足りなくなるな。将来的には人手不足となり、宮中祭祀憲法に定められた国事行為を行うだけで手一杯となるかもしれない。まあ其れはそれで結構なことだろう。象徴としての務めと言うのは曖昧模糊としているから、やれなければやらないで済むことである。今上天皇は大変な人格者だが、将来右寄りな天皇が出て来られて、慰霊の旅と称して靖国神社護国神社でも回られたら、始末に負えないという一部識者の危惧も杞憂となる。従って、女性宮家の設立など面倒なことも考えるべきではない。
 一日晴れ。午後出社。金参万円受け取る。金曜は低学年の授業ばかりで閉口す。高学年の授業がないので早目の退社。月波君が来たる。佐渡屋、中華立ち飲み、立ち飲みBと連戦。鶴木さんや鰻犬先生などと合流するうち、結構な大所帯となる。Bでは新メニューだという鍋焼きうどんをついうっかり三つも頼んで辟易とす。併しもうじき夏だというので、なぜ熱い物が出て来るのだろう。


5/18・木
 ト大統領には次次と問題が発覚して、最早機能停止状態。もう持たないかもしれない。早いところ、平壌に乗り込んで欲しいものである。でも北は意地でも核開発は止めないとの見方も多い。すると逆転ホームランも打てないか。となると、北朝鮮を世界に冠たる一等国と見なし、国際社会に強制参加させるくらいしか、もう方法は無いのかもしれない。
 家人は痛みを堪えて鎌倉の伯母の家兼治療院へ。老家人に昼のうどんを食べさせた後、吾人は近所の店で麻婆飯。四川風とのことで想定以上に辛い。汗と涙が噴き出す。すると午後はかなりの雷雨となる。早速、樋の様子を見に行く。少少の大雨なら大丈夫だが、辺りが白く煙るほどの豪雨となると、やはり溢れて仕舞う。越水した時間は数分程度。一本の縦樋に集中するのであろう。また対策を考えなくては。


5/17・水
 A新聞によると愈愈二穴目、いや二杯目か、つまり森に続いて加計の方が露わになって来た。首相Aの関与を示す文書が文部省から出て来たのだという。世の中は皇室報道で浮かれているようだけど。ひょっとしたら、前者を薄めるために、後者を出したのかもしれない。
 ただ吾人としては、あんまりそういう陰謀めいた考え方は採用しないことにしている。なぜならどんな権力者であっても、世の中の細部まで把握することは困難であるからだ。予期せぬ事故や故障や自然災害や、思いもよらない誤解や勘違いに基づく意思の行き違い等等が発生して、当事者たちの意図せざる方向に事態が進むということは多多ある。陰謀も予定の一部だから、計画経済同様、大した成功を収めないものである。でも此の件に関しては、余りにタイミングが絶妙であると言わざるを得ない。退位の時もそうだったが、皇室報道に関してはNHKが独走している。此の辺も少少怪しいと思った。
 一日晴れ。午後出社。昼は昨日魚屋で買った蒲焼で巨大うな丼を食べた。当然上物ではなく、下の御飯を大増量したので、夜半まで腹は減らず。退社後は中華立ち飲みへ。S君とも会い、情報交換と情報共有を図る。作戦遂行の上ではくれぐれも勘違いや齟齬の無いように努めねばならない。帰り掛けに立ち飲みBとF蕎麦。


5/16・火
 昨夜の事故は痴漢と疑われた人が逃げて線路に入り、電車に撥ねられたのだという。何というか、どういうか、要するに電車が混み過ぎていることに問題があるのである。詰まり、東京に人が集まり過ぎているのである。それにしても千寿も遠いが、青葉台も遠い。青葉台から千寿に毎日通うとなると気が遠くなるな。つくづく通勤など無駄な時間である。其れにそもそも満員電車ほど此の世に不快なものがあるだろうか。
 一日まあまあ晴れた。朝方は昨夜BSでやっていた映画『まあだだよ』を再見。初めて見たのは二十歳前後の頃だった筈である。あれから大変な歳月が過ぎ、また百輭先生の作品に触れることもあったから、随分と印象が違って見えるものである。例えば、学生諸君のやや大袈裟な演技。当時は何だかわざとらしいと思ったものだが、吾人も芥田先生の前に立つとあんな感じになるな。師弟との間には、どうしても社会的な儀礼が入り込むものである。そういうことが分かる年齢になった手前、決して退屈な映画ではないと思った。(なお芥田先生には「方法としての忘却」という珠玉の百輭論がある。『戦後精神の光芒』参照)
其の後は、信託銀行から還って来た相続関係書類を普通銀行の貸金庫に入れに行く。次に此の金庫を開けるのは何時だろう。それは、詰まり、・・・・ということである。クーポン券を使い五百円に割り引かれたラーメンを食べた後はずっと草木刈り。また家人の腰痛益益ひどく、買い物一切不能。冷蔵庫内はまるでソ連末期の食料品店のよう。弁当屋、スーパー、魚屋、唐揚げ屋を回り、中身をかき集めた。


5/15・月
 概ね曇り。夕方千寿に出校。何もいいことの無い一日だが、二週連続でとんかつを食べる気もしない。久久に「福しん」へ参る。炒飯と麦酒。此処の炒飯は安定して旨い。併し最近の此の日記も食べ物の記述ばかりだと思った。
 駅へ戻ると東急の青葉台駅で人身事故の模様。既に運転は再開されているというので半蔵門線直通に乗る。トンネルに入ると例によってグダグダ運転。一進一退、いや後退することは無いから、一進一停の繰り返しといったところ。結局三十分は余計に掛った。併し動きの良くない電車に乗っているというのも辛いものである。帰宅後は大至急風呂に入りたかったが、生憎家人が絶賛入浴中。而も今しがた入ったばかりだという。結局抑止三十分。風呂にも輸送指令が必要だと思った。吾人は大抵急行入浴、詰まり烏の行水である。


5/14・日
 朝から曇天。区のフードドライブに米を搬送す。一月に家電量販店から貰ったものだが、貰った時点で既に古米であった。何とか無駄にならずに佳かった。更に猫餌と両家人の弁当購入と、午前中から走り回る。昼はうどんチェーン店に参る。掛けうどんに竹輪天を付けたが、稲荷ずし等のサイドメニューが一つもない。何だか食べ足りないので総菜パンを買う。午後はずっと草取り。するともう蚊がいる。増やさない為にも風通しを良くしなければならないとますます思った。
 夕方になり月波君が来るというので、地元の駅で出迎える。以後適当な焼き鳥屋に入るも、月波君は何だか体調が不良そう。一時間半ほど飲んで敢え無くお開きとする。それにしてもまだ明るい時分である。すっかり上がる筈の梯子が無くなった。
 そこで持ち帰りのK鮨を買って帰ったが、ネタも舎利も元元は悪くはないのだろうが、両者とも既にカチンコチンで満足に食べられず。C鮨に比べて冷蔵温度が低すぎるのであろう。結局何貫かはコンポスト行きとなった。外食も中食も頗る難しい。例によって頓珍漢な一日であった。


5/13・土
 未明から雨降り。夕方まで降り続いた。雨樋は何とか良さそう。一切の外出は無し。冷凍食品と加工食品と買い置き食品で昼夕の二食。極めて無為。


5/12・金
 今日も暑いが、少し草木刈り。今年は一回三十分、週四回はやらなくてはならないと目標を立てる。昼は初冷や素麺。午睡の後、出社。金曜はチラシ配りの日である。兎に角、体を使わなくてはね。少し早目の退社の後は、鶴木さんと佐渡屋へ。此処も立ち退き間近かだが、移転先は未定とのこと。再開発とは多くの人の生業を奪う事である。更に立ち中華へ。久久に天屋先生とも会う。暫し健康相談に乗って貰った。


5/11・木
 朝からかんかん照り。М家で朝定食。朝から盛り盛りと食べたが、暑くて草取りは不能。また家人は眩暈に腰痛で苦しんでいたが、とうとう風邪を引く。従って吾人が買い物当番。隣町に出来た何とか石井と言う高級スーパーへ参る。確かに色色と美味そうなものが並んでいて、御金が足りなくなりそうであった。買いたいものが何もない近所のスーパーとは随分違うと思った。暗くなって、いざ食べてみると、旨いことは旨いが、二倍も旨いわけではない。何処かの餃子ではないが、精精三割程度。二倍の御金を出しても二倍も旨くならないのが、食べ物の世界である。


5/10・水
 韓国の大統領選挙も終わる。前任者の罷免から選挙戦へ。よく盛り上がると感心するような、呆れるような。少しは見習いたいな。A首相のY新聞拡張発言にも反発少なし。韓国もフランスも民衆運動が政権を動かし、時に退陣に追い込んできたという歴史と伝統があるという。翻って・・・。
 未明からの雨は昼までしつこく残る。午後久久に本務校に出社。此の処の過眠と過食で頭もぼんやりす。金弐万円受け取る。退社後は立ち飲みBと中華立ち飲みを連戦。同年輩の飲み仲間であるS君とも久久に会う。二人で話していると知り合いという女性もやって来る。やはり、人には添うて見なくてはね。十二時頃帰宅。


5/9・火
 朝から診療所に。先月の血液検査の結果も何ら異常無し。益益頗る健康である。血圧の高さを重ねて指摘されるが、例によって逃げて帰る。
午後は発掘された防災食品の分別廃棄。昔ながらの乾パンや今時のアルファ化米など。少なくとも有効期限を数年は過ぎている。勿体ないけど仕方がない。渋渋口に運ぶような事態が来なかったことに取り敢えず感謝すべきである。それにしても家人は次から次へと買って来る。都市型社会は便利な反面、何かあったら始末に負えない。何しろ戦中派だから、そういう事態への恐れのような物があるのだろう。まあ、吾人とて同感であるがね。猫の毛が抜けるのか、雑草から花粉が出るのか、此の処アレルギー酷し。


5/8・月
 昨日以上の晴れ。フランス大統領選挙決選投票。極右政治家対グローバルエリートの闘いとなり、後者の勝利。併し関心は薄そう。まあ、政治や政治家に過剰に期待してもね。フランス人も随分大人しくなったな。
 何も面白いことの無いまま大型連休は終了す。午後中目黒経由で千寿に出校。何も面白いことにない日は「かつや」でロースカツ定食。前にも書いたが、揚げたてのとんかつというものは取り敢えずは旨い。自動で付いてくる豚汁も具沢山でよい。其の上安い。缶ビールを付けても千円と少し。そういえば、『気が付けばチェーン店でばかりでメシを食っている』なんて本もあったっけ。ところで店内には「恋するフォーチュンクッキー」のメロディーが流れる。併し仕事終わりの男の御客ばかりで恋占いも無いよな、などと思った。まあF蕎麦のように演歌を流されるよりいいか。


5/7・日
 一日晴れ。草取り程度の用の他は大体無為。先月芥田先生に出した礼状は、「早早」で締めくくったのだが、早早は正しくは草々なのだと今頃になって気が付く。此れだから慣れないことをするものではない。てっきり早早に失礼しますと云う事だと思っていた。併し、草々ってどういう意味だ?


5/6・土
 昨日は子どもの日と云う事もあり、子どもと教育を巡る記事が多かった。中でも気になったのは、「国際的に見て、日本の教育制度は優れている」と宣う人が居たこと。「公立校できちんと学習すれば学力はつきます」とも。そりゃあまあ学力は付くだろうが、満足度は低いだろうな(特に中学校)。其の証拠に、子どもの自己肯定感は先進国でも低い方である。国際テストではまあまあの成績が出ているらしいが(其れも何割かは学習塾の御蔭)、人格的には上手く育てられていない。そういう数値化されない部分こそ、教育に於いてはより重要なのである。まあ結局は先生が少ない、つまり予算の問題なのであろう。
 朝から草取り。昼は「王将」で餃子と炒飯(無酒)。ピーク時の焼き餃子は見込み生産制らしく、直ぐに出て来て助かった。こういう色色頼める中華屋さんで最も恐れなければならないこと、其れは即ち、真っ先に食べたい餃子が一番最後に出て来ることである(デザート餃子状態)。過去には餃子の順番を巡って事件も起きたというから、此の問題は切実である(通称、明石ラーメン餃子前後事件)。
 午後は初夏以上の気候となる。野球中継でも見ようと思ったが、中日は余りに不甲斐なく、とうとう六連敗。御蔭で午睡と草取りの時間が作れた。もう間もなく吾人の人生から野球というものが消えてなくなる予定である。家人の要請により、夜はスーパーの総菜を並べた。胃の調子が悪いせいか、何一つ及第せず。概ね三分の一が廃棄となる。そう言えば、昼の餃子も炒飯も今二つの味であった。


5/5・金
 宿酔は無く、朝からS家で牛丼ミニと豚汁。結構飲んでも大丈夫なのは、アルコールが良かった為だろうと思った。昨夜は赤霧島の一升瓶を空けた。
 終日晴れ。近所の店にお茶の葉を買いに行く。序に和菓子屋にも。柏餅一個200円。随分値上がりしたと思った。スーパーなどに並んだ自動化された商品ならば半額以下であろう。でもこういう季節物のお菓子はね・・・。商人道というものがあるなら、御客の道というものもある筈である。道を外れるのはくれぐれも宜しくない。夜はノンアルコールビール二缶。完全休肝


5/4・木
 昨日以上の晴れ。宿酔は無し。午前中は草取りを少し。F蕎麦で早昼。其の後、同じ世田谷の坪上君の家へ。妻子がいないというので所謂、宅飲み会。鷺乃間君と月波君も同席。三時ぐらいから延延と飲み始めた。件の『法学志林』も議論の対象となった。松圭先生は数百年あるいは千年と言う時間軸で都市型社会への移行を考えていた。其処に若干の退行や反動や行き違い等等があったとしても、此の流れは変えようがなく、だから少少細かいところを突っ込んでも、余り意味のある議論とは言えないとの結論に至る。
 途中例によって「吉田屋」へ。おじいさんたちとも暫し語った。三兄弟でやられているとのだという。男三人、仲がいいとは褒められるが、何十年もやっていると、色色と大変なこともあるというお話になった。更にもう一軒、古いラーメン屋に入る。名を「どさんこ大将」。味噌ラーメン500円。昭和後期の札幌味噌ラーメンブームを思い出させる店内は、当時で時が止まったかのよう。熊の彫り物も油と埃まみれ。同じ世田谷でも吾人の方とは大分違う。一世代前の世田谷が残っていて感心した。十二時頃、ふらふらになって帰宅。


5/3・水
 一日晴れ。折角なので何処かに出掛けなくてはならないと思った。最近行って無かった立川のストラスブールに行くことにした。大学が同窓の町山さんの店である。前回の訪問が2014年末だから、随分と不義理をして申し訳ない。
 まだ早いので、あちこちの本屋に寄り、高幡不動尊にお参りもす。併し目測を誤り、開店時刻(19時半)の大分手前に着いて仕舞う。止むを得ず駅前の「玉河」でひとり酒。開いた頃を見計らって漸く入店。併し贔屓のサッカーチームが勝利したとかで、ファンが押し寄せ店内は直ぐに満杯に。二年半で積もった話もしたかったが、そういう状況にはならなかった。店が繁盛しているのは結構なことだが、どうにも間が悪い。まあ細君も看板犬も元気そうで何よりである。近くの再訪を約束して店を出た。
 駅に戻ると特急が来るというので、贅沢して乗ることとす。「36号」と言うから、吾人も利用する最終あずさである。此れに乗るには伊那を19時に出て、岡谷に20時過ぎに居なくてはならないが、都心の繁華街だとまだまだ宵の口といった感じ。地方と東京では時間軸が違うからね。予め510円の特急券は買って入った。こういう時は検札が待ち遠しい。三鷹を過ぎた頃に漸くやって来たので、ほっとした。「安心して下さい。買ってますから」と言うと、若い車掌は少し笑ってくれた。


5/2・火
 昨日の雷で猫も寝不足と見え、誰も起こしに来ず。御蔭様で朝まで直通睡眠。終日快晴。さてさて本日から六連休である。普段から大して予定もない生活だが、今年は伊那にも行かないので尚一層予定がない。
 近所に本屋が無くなり悩んでいたところ、隣町には立派な大学があることを思い出した。大学ならば本屋があるだろう。究極の一手を思い付いたと我ながら感心しつつ自転車を走らせる。堂堂キャンパス内に入ると、案の定、絶賛休業中。奇策は実らず。
帰りは買い物序でにポテトチップスを探す。併しジャガイモ不足を受けてコンソメ味は売り切れ。K社もC社も傍流商品は後回しなのだろう。そんなに頻繁に食べるものではないが、ポテチを食うなら味はコンソメと決めている。実は売れ筋ではなかったのだと初めて知った。結局、本も食べ物も手に入らず。昨日からの悪い流れは変えられず。


5/1・月
 今年は二日ある谷間の平日。朝方は草取りと下水溝の点検。何とかの蓋を開けて見たら、何だか滞っていてぞっとする。多少の滞留ならば何れ決壊して自然と流れていくのだろうが、何だか心配なのでバケツの水で流し出した。午後は雷雨。今度は雨樋の目視。大丈夫そうな印象だが、大して降らなかったから、太鼓判を押すには至らず。此の処、排水恐怖症である。
 隣国では大統領選挙が近い。韓国社会も日本以上の格差に直面している。大企業と中小零細、正社員と非正規雇用と言うのは御馴染みだが、無年金の高齢者が大勢いるのが最近になって分かって来たのだという。年金制度の整備が遅く、成長期にもかかわらず大量の年金ロストジェネレーションが生まれたとのこと。結局、後発輸出国と言うのは安くするしかないから、何処かにしわ寄せが来る。謂わば内的植民地である。其処からの膨大な収奪が輸出産業を支えて来たのである。
 雨は止んだが、パッとしないまま千寿に出校。退社後は新装相成った寿司の「大江戸」に入る。差額皿制度は廃止され、全品150円に統一された模様。併し既に大半のネタが売り切れ。僅か五皿で終了す。どうにも鎮具破具な一日である。まあ御金を使わずに済んだと思えばいいか。帰宅後冷凍食品のパスタ。

2017年4月

4/30・日
 昨日以上の好天となる。昼は二キロ離れた軽めの二郎系へ。わざわざ群馬から来た人が居て「こういうラーメンは地元では食べられない」と称賛していた。まあ確かに、豚骨ラーメンは「なんでんかんでん」が出来る前は都内では食べられなかったし(多分)、少し前まで豚骨醤油ラーメンは横浜に食べに行ったものである。併し今では何処でも食べられる。北関東まで辿り着くのも時間の問題であろう。
 中日は多少盛り返して借金は五。最下位には違いないが圧倒的という訳でもなし。四位くらいにはなるかな。例のラジオ広報誌によると評論家の半分は中日を五位と予想している(残りは最下位)。


4/29・土
 土曜だが祝日である。御向かいの工事も無く頗る静か。世間的には今日から大型連休である。朝はコンビニのおにぎりを二個。お天気も佳く、「さあ何もしないぞ」という気になるな。併し本当に何もしない訳には行かず、エアコンの掃除と草取り。午後は野菜ジュースの大量廃棄。家人は健康に良さそうというものを色色と買い込んでは結局駄目にしてしまう。一部が凝固して仕舞い、缶を洗うのも一苦労であった。
 北の方では花火の実験。途中で失敗したそうだが、どういう訳だかメトロが臨時停止したという。地上区間が多い東西線なら兎も角、明らかに過剰反応だな。大体八月十五日だって汽車は走っていたのだし。


4/28・金
 終日晴れ。何だか宿酔気味。何とか収めて午後出社。チラシを配って歩いたが、宿酔明けの身には紫外線が堪えて何だかふらふらす。早目の退社後は鶴木さんらと「安安」で結局飲んだ。


4/27・木
 朝から曇り。ぼんやりしていると警察官がやって来る。てっきりまた振り込め詐欺の啓発だろうと思ったら、駐車場の車に別の車がぶつかったのだという。慌てて見に行くとナンバープレートが僅かに凹んだ程度。其れでも持ち主に連絡を取り、調書を作り、保険屋さんにうんぬんかんぬん。事故そのものより事故処理の方が事故のような物である。
 西も東も件の超豪華列車が走り出すよう。前にも書いたが、此の手の列車は贅沢の度が過ぎて、超高級旅館に偶偶車輪が付いたようなものである。併しJRはどういう積りなのだろう。旅行需要を喚起したいのだろうが、到底一般客が利用できる様な代物ではない(何しろ一編成の定員が数十人未満)。かといって他に乗れるような第二第三の列車も無い(特に西と東には)。超富裕層から二重三重に運賃料金を支払って頂いて、赤字ローカル線の足しにするという訳でもないだろう。
 吾人が唯一望む物は日常の中の贅沢である。例えば新幹線や特急列車の座席をほんの少しだけ削ってビュッフェのよう物を作って貰えれば、多くの乗客に恩恵がある。謂わば贅沢設備の分割設置である。流れる車窓を眺めて麦酒を傾ける。立ち飲みブームだから儲かるだろう。昼はカレーライスかサンドウイッチでも出しておけばよい。兎に角、殺風景な時刻表にあのマーク(流石にワードにはないみたい)が灯るだけで、列車に乗って何処かに行って見ようという気になる。
 午後は晴れた。月波君が都心で飲みましようというので、のこのこと出掛ける。先ず新橋の立ち飲みBへ。宮川店長も居たが、シフト表を前に浮かない表情。人手不足は相変わらずのようである。魔法のランプじゃないから、幾ら眺めても人は出て来ないな。混んで来たので、先日のちゃんぽんやへ。更にザギンのBに回航。ベトナムのDさんもいた。鯛焼きを買って来ては差し入れす。こうして飲み始めて数時間経った頃に、坪上君も漸く合流。更に新橋ビルの中華屋に腰を据える。すると見知らぬ二人組が入って来て、歌を歌わせて欲しいと宣う。何しろノーと言えない関東人なので「なごり雪」を歌って貰った。今時流しの歌唄いがいるとは思わなかった。一曲千円。都心に行くと色色とお金を巻き上げられる。十二時過ぎに帰宅。
 ところで月波君からは『法学志林』を受け取る。一昨年亡くなられた松圭先生の追悼号と云う事である。杉田先生の鋭い批評に暫し目を奪われる。併しまあ「アリストテレスは偉かったけれども量子力学を知らなかった点に限界があった」式の後知恵的議論と言う印象を拭えない。民主党政権にしろ、政治主導にしろ、兎にも角にも、一回やって見なければ分からなかったことばかりである(そしてより〝民主党的〞な存在としてのA政権!!という逆説が生まれたことも)。敢えて挑戦的な物言いをして問題提起をしたのだろう。
 一方細井保氏は、松圭先生と藤田省三先生を比較対照して、割と常識的な議論を展開させていた。学生時代にどちらのゼミにも参加したというから、松圭オプティミズムと藤田流ペシミズム、酸いも甘いも噛み分けた印象がある。


4/26・水
 復興担当大臣が辞任。数数の暴言だったが、昨夜のは一段と酷かった。併し碌な大臣が回って来ないな。復興庁には。
 早速芥田先生に礼状を書こうと思った。メールでは何なので葉書を購入。折角なので全部手で書こうと思った。五枚用意したので何枚でも書き直す所存だったが、一枚書き損じたところで敢え無く断念す。結局ワードで作成して葉書に印刷した。時候の挨拶の他には、吾人なりに纏めた節を一応付け加えておいた。以下参照。
・・・「大正知識人の「自我」の陥っていたこういう〝ロマン主義化〟・「非合理化」の諸相が」、「「社会」を実証的に対象化してゆく視点」との結合を妨げ、「また国家の権力的機構的側面についても考察を深められ」なかったので、「「昭和ファシズム的な」な思想状況への推移」を止めることが出来なかったのですね。煩悶と彷徨を繰り返した結果、結局天皇や民族といったものに帰依するというパターンは、現代にも見られます。大正知識人の思想を追うことは極めてアクチュアルな問題だと思いました。・・・
 先生は此の博士論文を四十年以上前に書かれたそうである。提出まで間がなく、清書の際には奥様や妹さん、御母堂まで手伝われたと「あとがき」にあった。ワープロの登場により文書作成の手間は二十分の一、更にパソコンとインターネットの普及により発信コストは百分の一になったことであろう。手書きだと僅か三百字程度でも難渋して仕舞う。結局葉書は三枚余った。
 終日概ね曇り。午後出社。大貧学院で久久に折込みチラシを出すということになり、大急ぎで文面の構成と校正を行う。A4片面モノクロ刷りなので造作もないことである。併し文字を書き過ぎた結果、よく入らない。ワードの行間調整機能を使って、よくよく一枚に押し込んだ。いやしかしつくづく便利な話しである。それに原稿を新聞販売店に直接持ち込むことで結構安く済むそうである。此れは「リソグラフ」の御蔭かな。退社後は祐天寺のBへ。随分と空いていたので、新店長の辺田君とよく話して機嫌佳く帰宅す。


4/25・火
 朝から何時もの親方と新しい屋根屋さんが参る。早速見て貰った所、横樋に這わせてあった防塵ネットのような物に堆積物があり、水路を狭くしているという。吾人もよろよろと梯子を半分だけ上って現認す。前回の屋根屋さんが狭い開口部を保護しようと思って取り付けたのだろう。数年以上も経つとゴミが乗って目詰まりする一方、劣化して其れ自身がゴミと化している。取り除いた上で、樋の清掃。作業は一時間半ほどで終了。何とかこれで大丈夫そうとのこと。次の雨が楽しみである。
 午後は『アフター・アース』というSF映画を見る。未知の惑星で少年が成長するという物語。ドラえもんひみつ道具張りの便利グッズも役に立たず、例によって肉弾戦に。併し惑星間救難信号が発せられないと言って困り果てる姿は、ケータイが繋がらないと何も出来ない現代人そのものであるな。とは言うものの最後まで見て仕舞った。吾人がラストまで見たということは及第点である。ちなみに其の惑星は文明崩壊後の地球と云う設定らしい。ならば人類の成れの果ての姿も見てみたかった。
 併しあの少年ぐらい身のこなしが軽かったら、屋根くらいには簡単に上がれるだろうと思った。ちなみに同作品では、恐怖というものがテーマになっている(怪物は人の恐怖フェロモンを探知して襲って来るという仕掛け)。未来を思うから恐怖心が芽生える、今此の瞬間に心を集中しろと少年に親父さんは語り掛ける(何しろ本当の親子だそうですが)。なるほど、落ちるという将来を過剰に想像するから高所恐怖症が生まれるのだろう。でも今更・・・ね。
 其れにしても恐ろしいものは歳月を経るに従って随分と増えた気がする。飛行機に加え、健康診断、テロと地震、無灯火逆走自転車、デフレスパイラルハイパーインフレ、年金制度、財政破綻、確定申告及び相続税、上からも下からも水が溢れること、結局此のまま一人かもしれないという恐怖。さながら恐怖心恐怖症の様相である。もっと年を取れば変わるのかなあ。
飲酒も再開。飲んでいる時だけは恐怖を忘れる。酔うと時間軸が可笑しくなって現在進行形しかなくなるからであろう。従って二日酔い恐怖症というものは存在しない。


4/24・月
 世田谷区から高額療養費十二万円を払い戻すという通知が来る。申請から二か月は経ったが、有難い話しである。此れで万代伯母がらみの手続きは全て終了だな。次は何時だろうか。願い下げるという訳にも行かず。此れこそ人知を超えたものである。
 中目黒まで徒歩連絡の上、千寿に出校。退社後も小諸蕎麦の「二枚もり」のみ。昼は納豆ライスだったから、今日は休肝節食日である。半蔵門線直通で帰宅。ところで先週の東武のダイヤ改定では新型特急が走る一方、浅草直通の快速が廃止となる。オールクロスシートで日光や会津田島まで行ける、料金不要の乗り得な列車だったのだが。此れからは特急に乗りなさいと云う事なのだろう。早く行くか、座っていくか、どちらかでも所望するなら追加料金を払いなさいと言う風潮である。併し新たな設備や速度で走る列車は堂堂と新料金を請求すべきだし、乗客も支払うべきである。でも今まであった列車が無くなるのは隠れた値上げであるな。


4/23・日
 朝から綺麗に晴れた。家人と鎌倉に向かう。母方の親戚と昼食会。叔父叔母に伯母が二、いとこといとこの子どもが四。総勢十四人だった。官吏をしている健二君や、姉の亜紀さんとも会う。併しこうして会うのも久久である。恐らく十年ぶり。特に健二君などとはもっと教育談義をしたかったが、細君らと鎌倉見物をするというので、二時間ほど会食をして御仕舞。まあ今年は本省勤務だと云うから、また機会があるかもしれない。
 併しいとこと言うのも不思議である。親戚には違いないが、母方にしろ父方にしろ、共有する親族は半分ずつ違う。そういうずれは齢を追って大きくなるものである。従って幾ら年が近いいとこと言っても、付き合いがあるのは概ね中学に上がるまでぐらいであろう。以後次第に疎遠になるのが常だが、かといって他の多くの幼馴染のように音信不通になるという訳でもない。幼い頃の共有体験(旅行や法事など)も多いことだしね。ところでザギンアスターの五千円のコースだったと言うが、大して旨さを感じず。舌が肥えた? いや、人生に於いて感動が無くなったのだと思う。帰りの東横線では目が覚めたら代官山であった。渋谷経由で夕方前には帰宅。


4/22・土
 朝から曇り。八時にF蕎麦で朝食。以後ぼんやりとしていると『大正知識人の思想風景』が送られてくる。今月刊行される芥田先生の御本である。てっきり月波君が注文したのかと思ったが、よくよく見ると著者代送と書いてある。御大自ら送って下さったよう。くれぐれも大切に読まなくてはならないと思った。其れに礼状も書かなくてはね。早速少し読んだが内容は頗る濃い。ところで吾人はちゃんとした本を読むときは蛍光イエローのボールペンで傍線を付けながら読むことにしている。となると殆どイエローで埋まりそうである。
 少し遅れて老家人の誕生日を祝おうということになる。読書の合間合間に、碑文谷の「北浜」に小鯛と鰹刺しを、三丁目の肉屋に牛肉を買いに自転車を走らせた。まあ老家人は、九十云歳何が目出たいというような顔をしていた。ただ鯛は焼きが甘く、敢え無く焼き直しとなる。家庭用のグリルではよく焼けない。其れにそもそも焼き魚と言うのは、実は相当難しいのだろう。
夜は再びの雨。原因箇所を特定しようと直ちに出動す。あちこちの立樋に手を当てて聴いて見た。どうも一本が流れていない感じ。併し此れは19世紀的な触診だと思った。


4/21・金
 隣の建物は所有者が代わった。其の際に突如として現れたのが自動販売機である。新所有者が利殖の為に設置したのであろう。夜道を無駄に明るく照らすのは結構なことだが、例によって空き缶、空き瓶、空きペットボトルが散乱することとなる。一応回収箱はあるにはあるが、あっという間に満杯状態である。それでいてサービスマンは滅多にやって来ない。売り上げより、捨てられる量の方が余程多いのだろう(駅への動線上そうなるのかもしれない)。結局縁もゆかりも無い吾人が片づける結果となる。そう言えば斜向かいのマンションも同様である。此方には通いの管理人がいるようだが、販売機とは丸で無関係を装い、片づけようともしない。つくづくこういうものは何とかすべきである。昨日奪われたのは金塊の買取りがらみの御金だった模様。併し金の延べ棒に札束の山。脱税の臭いが充満している。事件捜査と並行して税務調査も必要である。
 午後出社。今日もチラシを持って少し歩いた。例によってバブル期並みにあちこち建て替え中なのだが、集合住宅の他には介護施設も続続と建っていることに気が付く。こうなると此の国の主要産業は老人介護である。最早。併しハコだけ作って、人(勿論従業員の方)は集まるのかね。
退社後は鶴木さんを探して中華立ち飲みと立ち飲みBを連戦。週末と云う事もあってどちらの店も若い人が多かった。大方新入社員かな。就職状況は良かったのだろうが、社会全体に下降気流が吹いていることに変わりはない。離陸直後に墜落することに無いようにね。尤も吾人は離陸前に破壊されて仕舞ったようなものだけど。以後ずっと徒歩連絡である。


4/20・木
 今朝は猫と地震に起こされる。ところで米国大統領は生き生きとして、朝鮮危機を回避できると述べていた。出来ればそうありたいな。世論やマスコミ、議会や予算や法や裁判所などなどに細細な対策と配慮が必要な内政なんかより、首脳同士の直談判で一気に事態が進展する外交交渉の方が、彼の性分には向いているのだろう。
 正直なところ、吾人とて荻生徂徠の言うところの「聖人の作為」に期待して仕舞う。勿論聖人とはト大統領である。但し誤解することのないように。大統領自身は道徳的には明らかな破綻者であることに間違い無い。此の場合の聖人とは、「道」を創り出すような大政治家のことである。政治家の個人的なモラルと政治的成果を切断することに徂徠の画期性があった。つまり「修身斉家治国平天下」を綺麗に分離したわけである。中でも、「修身」と最も千切れたところにあるのが「平天下」、即ち国際政治の舞台である。
 福岡の銀行で三億もの現金を下ろした人が襲われる。いやしかし、そんな大金どうする積りだったのだろう(恐らく税金対策)。現金はつくづく危ない。如何に安全とされている日本でも本当に危ない。最近のゼロ金利政策を受け、一億円くらいは軽く入るという大型の金庫も売れていると聞くが、よくよく考えてみるべきである。併し先進国でこれだけ現金が流通しているのは日本くらいのことらしい。将来的には国際標準に合わせ、現金取引も規制の対象になるだろうな。
 一日晴れ。大きな外出も無し。刺身がないので、余った半片をミケに出したところ、妙な歯応えに随分と驚いたようであった(噛みながら吐き出していたが結局食べた)。関東人でありながら、半片だけは吾人も苦手である。


4/19・水
 猫も嵐も来ず、久久に朝まで直通睡眠。今日は新聞回収日。新聞屋さんは自分で配った新聞紙の他、直接関係の無い古着の類も持って行く。そこで件の古着物も全て回収に出した。序に家作から出たファーストファッションなんかも出した。古着類は数袋で、トイレ紙ひと巻きと交換。どちらにしても茫茫燃やして仕舞うには忍びないことである。
 以後取り立ててすることも無いので、BS12でやっていた「美味しんぼ」(デジタルリマスター版)を見る。実に三十年近く前のアニメ作品である。例によって究極対至高の戦いを延延とやっている。併し今から見ると、会社の社長が壱億円をさっと寄付したり、幻の鯖を釣るために何日も会社を休んだりと、バブル景気満載だなと思った。
 ただ、『美味しんぼ』には、「食について語る権利があるのは、池波正太郎開高健といった知識も経験も豊富な名のある作家ぐらい」であった時代の、「男が生活の一部でしかない食事にこだわるのは、卑しくみっともないこととされていた」「タブーを破った」功績があるそうである。其の上、「マンガを読んだ若者たちが、登場人物の大仰な口調をおもしろがって真似し、蘊蓄を語る」だけでなく、「食品の危険性や偽装問題にも目を向けさせ」、食に関する「関心を底上げ」(以上阿古真理『昭和の洋食 平成のカフェ飯』)したのだとすると、十二分にエポックメーキングな作品だったのだろう。当時はまるで気が付かなかったけれど。
斯くして今や一億総グルメ評論家気取りである。但し所得と内需は下がり続けているから、評論対象はB級C級に限られるな。ところで海原雄山氏は今頃何才になっておられるのだろう。そろそろ老人施設に入られているのかな。さぞかし、「こんなもの(介護用流動食)が食えるか」と怒鳴り散らして、介護職員を困らせていることだろう。でも、此の『美味しんぼ』って、結局どうなったんだっけ?
終日安定した晴れ。午後出社。退社後は立ち飲みBに行くも誰とも行き合えず。帰り掛けにイオンのミニスーパーに寄り、一玉百円のラーメンを買って茹でて食べて御仕舞にした。


4/18・火
 コンビニも無人レジを導入するらしい。何でも人手不足なのだという。いやしかし、此れは原因と結果を取り違えているな。人手が足りないのではない。そもそも店が多すぎるのである。それにしてもレジまで自動化されて仕舞っては、とうとう何にも喋らなくなるな。
 明け方まで大雨と大風。以後回復す。朝から方方の点検と清掃。例によって壊れた雨傘が転がっている。大抵は広げたままだからつくづく危ない。折れた部分を成るべく真っ直ぐにし、ビニールを柄に巻き付けて回収す。放り出して行く方も方だが、そもそもどうしてこんなに傘が沢山壊れるのかと言うと、其れは結局、矢鱈高い建物を作り過ぎたからである。壊れた傘は、突風を吹かせた当該建物にこそ叩きつけて来るべきだと思った。
 家人は再びの眩暈。結局買い物当番である。高齢者二人に、猫が三匹。一日三食家で食べるから、要求する物資も結構な量である。ネット通販は使わないし使えない。生協の宅配は週に一度は来るが、到底賄い切れず。それでいてあの商品は此処、其の食品はあそこと指定が厳しい。其れに少しは旨い物が食べたいし、不幸なことにどんどんと真面な小売店が無くなっているから、結局方方を自転車で走り回ることとなる。吾人がいなければ立派な買い物難民だな。


4/17・月
 朝は晴れたがだんだん曇る。午前の四時にシロに叩き起こされ、以後二度寝、三度寝と繰り返したが一向にすっきりせず。今夜から大雨だというので、雨樋の点検をしなくてはならない。やって来たのは以前施工して貰った塗装屋さん。高い所は平気なので早速屋根に登って見て貰ったが、よく分からないという。何でも開口部が非常に狭いので樋の中が見えないらしい。ならばゴミが詰まる可能性も低いか。
 万事すっきりしないまま千寿に出校。其のまま半蔵門線直通で帰宅。新型の電車だが、雨のせいで激しく空転す。何だか恐ろしいほど。こういう場合、モハとサハ、どちらが揺れるんだっけ。夜はコンビニ食。帰り掛けに軒を見上げたら、やっぱり漏れている。上に問題がないとしたら下かな。また設備屋さんに見て貰うしかなさそう。雨樋の打音検査をすれば原因箇所が分かるだろう。


4/16・日
 更に暖かく、初夏のような気候となる。買い物の他は、数キロ先に「とんこくラーメン」を食べに行ったのみ。
 夜はドラマ「小さな巨人」を見る。警察内部、特に本部と所轄警察署の相克を描く作品。本店(警視庁)と支店(所轄署)の不協和は「踊る大捜査線」以来、よく見られるテーマである(いやしかし、こういう対立が本当にあるかどうかは分からない)。全編を巡る異様な緊迫感が何だかわざとらしい。大袈裟な科白回しを見ていると丸で時代劇のよう。其れを少少コミカルに描いた「捜査線」はやはり革新的だったというべきである。併しTBSは昭和物が好きなのだろうな。銀行員の話しにしろ、自動車屋の話しにしろ。


4/15・土
 南風吹き荒れ更に暖かい。取り立てて無為。平壌で軍事パレード。音だけ聞いていると、運動会の入場行進を延延とやっているようなものである。そろそろ退場して欲しいと切に願う。併し皇帝は満面の笑み。目の前にいたら、いい加減にしろとど突いてやるな。


4/14・金
 朝方は宿酔気味。今日は一層暖かい。午後出社。少しまた歩く。併しまた続続と学習塾が出来ていて呆れる。此の一年で、少なくとも大手系が二つ、個人塾が一つ。どう考えて見ても儲かる筈がない。学習塾も生産性が極めて低い業種だろうな。そもそもサービス業全般が過当競争である。なおフランチャイズ方式の物は一つが閉店していた。金参万円受け取る。退社後は中華立ち飲みに。節制して麦酒三杯で御仕舞。
 熊本地震から一年。未だ罹災証明の発行が終わらないのだという。下らない学校の認可と国有地の払い下げは超特急で進む一方、証明書一枚発券できない。此の国の御役所はつくづくどうかしている。


4/13・木
 一昨年過労自殺した女性社員の母親が当の会社で講演し、軍隊のような社風を改めて欲しいと述べたという。いやしかし、この電通と言う会社は、恐らく陸軍そのものだったのだろう。ルーツは戦前にあるし、「戦後きわめて多数の旧軍将校と旧満州国官僚を雇ったため、その本社が「第二満鉄ビル」として知られるようになった」(ジョン・ダワー『昭和』)そうである。
 そうなると戦後発祥の会社にはもう少しいい企業風土があるのかもしれない。併し官僚機構にしろ民間企業にしろ、戦前と戦後に否定しがたい連続性があることは、既に多くの識者が指摘する通りである。「戦後、あらゆる製造部門は、戦時中の発展に基礎を置くことによって離陸することが出来た」(同書)。奇跡のような高度成長然りである。未だ多くの企業が成長モデル(即ち戦時増産モデル)に縋りついているのだから、私たちの社会の一部分は未だ戦後にすら到達していないという事なのだろう。
 朝は晴れたが。結局曇る。結構寒い。大量のニンニクのせいか、幸いして風邪は引かず。但し臭気が酷く、家人には何を食べて来たのかと詰問された。日中無為。晩はスーパーで買って来た小鯛を焼いて食べた。焼き魚と言うのも子どもの時分には概して苦手だったが、こうして酒を飲むようになると頗る旨い。特に二本の箸で小骨を一本一本荒うようにして身を粉下げ、日本酒で流す。重ねて言うが、相当旨い。併し味覚と言うのも随分と変わるものである。


4/12・水
 昨日出掛けた際に見たのだが、家作の雨樋から水が溢れているよう。何処か詰まっているのだろう。早速何時もの親方に電話して、早早の点検を依頼した。勿論吾人が梯子くらい上ってもいいのだろうが、何しろ高い所も苦手である。そもそも吾人は世間一般で役に立ちそうなことは何一つも出来ない。釘一本打てないし、トタン板の一枚も動かせない。精精下らない理屈を捏ねるぐらいである。併し偶には雨の日にも見に行かなくてはね。
 朝からすっきり晴れた。午後出社。少しチラシを配って歩いたら、くしゃみが止まらない。つい油断してマスクをしてなかった。今季最大の被災となる。こうなると抗ヒスタミンも大して効かず。鼻を拭き拭き授業す。
 退社後は立ち飲みBに少し。夕方から寒気が入り異様に寒い。ついつい薄着をして来たので震えて帰る。北風が全身を通り抜け、何だか透明人間になったよう。堪らず碑文谷でこってりラーメン。J系という謎のラーメンだったが、どうやら二郎を真似た物らしい。ニンニク入りの小ラーメンを完食したが、それでも温まらず。また風邪を引いたのかもしれない。

 
4/11・火
 米国大統領は支持率も回復し意気揚揚。いっそ其のまま平壌を電撃訪問して貰えないものか。ニクソンの再来だと喜ばれるぞ(彼も国内では不人気だったけど)。何しろ三日もあればできる。冷麺食って高粱焼酎で乾杯(彼は飲まないんだっけ)。核放棄を前提とした相互不可侵条約の紙切れ一枚で、朝鮮危機は全て解消である。巧く行けばノーベル賞ものである。
 朝からずっと冷たい雨。『血盟団事件』を読み返しながら、ケーブルテレビでやっていた映画「日本暗殺秘録」を見る。すると隣りの新住人から挨拶される。と言ってもやって来たのは若い秘書さん。何でも地方の会社が買い取り、社長の仮住まいにするのだと言う。投資目的も兼ねているのだろうが、今時景気のいい会社もあったものだと感心す(結構高そうな御菓子も貰った)。しかし、御向かいは大規模な建て替えで、御隣りは売却。それはつまり、例のカタカナ三文字しか思いつかぬ。
朝は茹で饂飩、昼は冷凍焼きそば。夜も冷蔵庫の在庫一掃セールの予定だったが、麻婆豆腐に使う葱がないのでコンビニまでは出掛けた。


4/10・月
 野党共闘に反対して某議員が民進党を離脱。曰く「保守政治家として認められない」と。でもそもそも何で保守政治家が民進党にいたのだろう。自民党に入れなかったからと言うのが主な理由だろうな。こういう輩はあと何人いるのか。この際、みんな出て行って貰った方がいい。
 朝から概ねうす曇り。今年度は月曜が千寿校に出校となった。まず中目黒まで歩き、桜を見物。併し出勤前では酒も飲めず。酒の無い花見など、花の無い花見のような物である。其のまま黙って日比谷線に。途中散髪す。平政君に丸投げしたので高校数学の担当は無し。ポンコツ先生は万事楽な方を目指す。併し此方も生徒は少ない。本務校に続いて千寿校も左前だな。
 退社後は久久に大橋方面へ。南口の自動化寿司に入る。此の時間帯は全て注文制なので、必死にタッチパネルを捲る。併し食べたかった鯵も鯛も鰯も鯖も悉く売り切れ。すっかり落胆す。すると売り切れた筈のネタがレーン上を行進している。注文品とのタグがついている。よくよく見ていると何遍も回ってくる。注文者はどうしたのだろう。注文したことを忘れたのか、注文したまま帰ったのか(後者ならば一種のテロ注文である)。御客に置き去りにされた数皿は、干からびながら同じところをぐるぐると回っていた。


4/9・日
 今日も午前中は小雨。午後も昨日以上にしつこく残る。結局夕方に買い物に出た程度。夜は魚屋の鰹のたたき。自家製なので旨かった。
 秋田に一編成だけ残してあった583系も引退。とうとう寝台には乗れなかった。吾人が学生の頃には夜行急行が残っており、確か「津軽」に充当されていた。座席でうとうとしながら、北を目指した覚えがある。北陸や東北辺りでも普通電車に改造された車両にもよく乗ったが、ついに寝台に体を横たえることはなかった。つくづく心残りである。昭和も国鉄もますます遠くなった。もう何処かに行って仕舞いたい気分である。


4/8・土
 どうにも隣りの御主人はとっくに転居していたことが判明。一階が自宅で二階三階は貸部屋と言う賃貸併用住宅だったが、恐らく丸ごと売って仕舞ったのだろう。併し丸で気が付かなかったし、何の挨拶もなかった。先代から顔が合えば挨拶程度はするくらいの仲だったが。まさかとは思うが、ローンが払えなかったとか。
 朝から小雨模様。一日遅れて「孤独のグルメ・シーズン6」を見る。相変わらず歩いて食べるだけの番組だが、見ていて飽きない。そう言えば一週間前、日本人の65%は日本社会に満足しているという内閣府の調査が公開されていた。てっきりエープリルフールの冗談ニュースの類だと思ったが、案外そうでもないのは、結局みんながみんな飲んで食べて嫌なことは其の日の内にすっかり忘れて仕舞うからだと思った。つくづく日本は食品産業の発展した国である。外食中食、和洋中華にエスニック、値段の高い安い、チェーン店から家族経営まで。懐と腹具合で如何様にも楽しめる。其れに飲食という行為は相手がなくても出来るからね。
 昼は伊那から持って帰った「高遠絵島八割蕎麦」で盛り蕎麦。乾麺ながら下手な手打ちよりよっぽど旨い。雨は午後までしつこく残った。暴食が祟り日中何度も上厠す。今年初めての草刈り。此方もシーズン開幕である。


4/7・金
 共謀罪が審議入りするらしい。法学部出身なのだが何しろ方角違いに歩いてきたので、余りコメントするほどの知識がない。ただ権力が一旦本気を出せば、立小便から自転車の無灯火運転、宿帳に書く年令を適当に誤魔化したことや、マイカーの相乗り移動等等まで、あらゆる法令違反で検挙することが出来るという事だけを指摘しておく。
 米国大統領はシリアの空軍基地をミサイル攻撃す。戦術的にはやむを得ない判断であろう。併し前任者がとうとう踏み切れなかったことをあっさりやり遂げた。此の思いっ切りの良さが新大統領の真骨頂である。ただ同じことを朝鮮半島でやられると相当困る。
 朝から例の診療所に行く。例によってさして意味の無い問診をされて直ぐに帰る積りだったが、今日は血液まで取られた。何と2760円。元元健康な人を寄って集って不健康だということにして、御金を毟り取る。医療マフィアの成せる技である。
 午後徒歩出社。早早に退社し新橋へ。仲田大将の同郷人がちゃんぽん居酒屋を開店したというので表敬訪問。鶴木さん、須々木さん、月波君、鰻犬先生も参加。色色と酒とつまみを出して貰った。特にババロアみたいな豆腐が旨かった。あの辺の郷土食なのだという。二時間ほど飲んで立ち飲みBの銀座店へ移動。宮川店長とも久久に会ったが元気そうで何より。吾人は少しだけ中座して銀座界隈を一回りす。地元では丸で見ないような綺麗なホステスが闊歩しているあたり、夜のザギンというのは別世界だね(値段も一ケタ違うだろうが)。
おじさんたちと別れ、月波君と「博多風龍」というラーメン屋に。そんなこんなの銀ブラも大量飲酒で御仕舞。タクシーは空車の海が出来るほど余っていたが、地下鉄は余りに大勢の御客が押し寄せたのでかなり遅延していた。
 

4/6・木
 木曜不出社。南風強く非常に暖かい。偶には食べたことの無いような昼食を食べようと思った。併し地元には大小百もの店がある。散散逡巡した結果、評判の餃子専門店に初めて入る。小振りの焼き餃子が六個で290円。御飯にスープが付いても500円しないから安いと言えば安い。味は可もなく不可もなく。例によって餃子と言うものは最高値と最低値が余り離れていない食べ物である。そう言えば原日記には飯田橋の名店が度度出ていたが、未だに行ったことが無い。かの地では真っ先に居酒屋に行き、ついつい酒を飲んでしまう。酒さえあれば、肴は腐ったイカでいいというのが、大方の酒飲みの心情である。
 シリアでは再び化学兵器が使用されたよう。併しあのアサドと云う男だけは、目の前にいたらぶん殴ってやるな。


4/5・水
 御向かいの鉄骨の組み上げは終わったよう。三階だと思ったのは実は二階で、更に一階分継ぎ足された。すると結構高い。ところで御隣りのマンションの御主人は暫らく姿が見えない。郵便受けにはチラシ等が入り切らないので、少し片付けてやった。一か月ぐらい前の物からある。海外旅行にでも行ったのだろうか。何しろ男の一人暮らしだから少し心配である。
 朝から暖かい。午後出社。明日からの通常授業の時間割を決める。今年度は週三回の出勤となりそう。何しろ生徒も居ないし給料も払えないから。JRのダイヤ改定風に言うと、御客様の減少と講師の老朽化状況を鑑み、より適切な出勤回数に改めます、と言ったところ。退社後は鶴木さんらを探し出し、二時間ほど飲んで御仕舞。


4/4・火
 朝から牛丼のМ家で朝定食。牛丼屋で牛丼以外の物を食べるのも久久である。450円ながら小鉢も色色と付いてくる。鮭、納豆、漬物、海苔。お得と言えばとお得である(但し塩分が濃い)。併し此れを家庭でやれと言われても無理だな。パン食と朝食抜きが進む筈である。片づけ易いように、皿は重ね、容器殻等は纏めておいた。
 漸く暖かくなり桜も急激に咲く。火曜不出社なので周辺をウロウロとしたのみ。ところでプロ野球も始まっているが、中日ドラコンズは敢え無く開幕四連敗。今年の監督は大学出の人格者らしいが、何しろ戦力がね。併しこんなに弱くして仕舞って、球団首脳陣は一体どうするつもりなのだろう。まあ新聞も斜陽産業だからな。もう本当に御金がないのかもしれない。併し同じ新聞でも読売の方はまだまだ元気そう。あちらは副業が沢山あるんだろうな。


4/3・月
 結局かなりの宿酔となる。七転八倒ほどではないが二転三転程度とはなる。何とか収めて御昼に出社。夕方にはラーメンが入った。金参万円受け取る。通り雨あり。退社後も其のまま帰宅。早速二日分の日記を認ためる。入浴後もノンアルコールビールのみ。昨夜も最後は此れにすべきであった。結局白ワインに止めを刺された格好である。


4/2・日
 朝から鎌倉に参る。というのも年の離れた従兄が整体治療院を開業している。今までは何となく足を向けることはなかった。何しろ自らの経年劣化を認めるようなものだからね。併し肩は勿論、膝も痛いし、腰も痛い(後者は数年前の雪掻き以来のことである)。須見伯母の強い指示の下、行って見ることにした。序に月波君も同行す。併し鎌倉の伯父さんの家に行くのも久久である。結構周りの家が建て替わっており結構驚く。ただ伯父さんも益益頭が弱って仕舞っている。現在要介護四だそうである。
 施術は一時間ほどで終了。其の後従兄に行きつけの日本料理屋に案内される。結局三人で昼酒。支払った施術代は粗方飲食代に消えて仕舞った。何だか申し訳ないけど、まあ年が離れた従兄だからね。従兄とは此処で別れ、月波君と帰京。確かに肩は軽くなっている。膝も腰もまあまあ良い。生まれ変わってピカピカの新造船のようにはならないけれど、効果はあることはあるな。
 横浜で東横線に乗り換え。まず祐天寺の立ち飲みBで座って飲む。更にバスで移動。吾人は途中下車し、スーパーで買った刺身と弁当を両家人と猫に届ける。再び月波君と合流して、パスタ屋で締めの飲酒。八時就寝。


4/1・土 
 午前中まで小雨が残る。朝からF蕎麦に。朝の内から蕎麦が食べたくなるぐらいの酒量が適量である。体重がまた増えそうなので昼過ぎから歩く。何しろ飲んで食べることぐらいしか楽しみがないからな。日本全国のエンゲル係数も増加傾向だという。
近所の大公園では雨にも負けずに花見をやっていた。併し今年はまだまだ咲いていない。それに桜の木自体が大分減って仕舞った感じである。桜も高齢化が進んでいるとは聞いた話である。午後は漫然としていたので買い物に行かなかった。従って晩の食卓に刺身は無し。何時も強請りに来るシロとミケに「今日は無いよ」と伝えると、「なあんだ」と云う顔をしていた。
 JRの発足から今日で三十年。本州三社と三島会社の格差は益益開く。そう言えば、数日前にBS-TBSで「世界に誇る夢の超特急〜新幹線開発物語」というのをやっていた。上條恒彦扮する十河国鉄総裁は、東海道新幹線の黒字を以て、北海道と九州の赤字路線を支えますと豪語していたな。リニア新新幹線の建設と右翼国家の設立に心血を注いでいる東海の名誉会長に是非とも聞かせたい言葉である。ああいう自称愛国者どもは、故国の国土と鉄路が荒れ果てても一向に構わないのだろう。
 いやしかし、東海と言う会社自体が実に不思議な存在である。本州が西と東に分割されるのは致し方無しとしても(電電公社はそうなった)、そんな中に割って入って、超ドル箱の新幹線を分捕って大儲かりしている(おまけに英語名がセントラル。其れに何しろローカル線は飯田線高山線紀勢線ぐらい)。こういう会社は再度分割して、四国と九州と北海道と、序に沖縄のモノレールの面倒も見させるべきである。

2017年3月

3/31・金
 ずっと曇り。結構寒い。朝から眼科に行き眼圧の測定。すると前回よりは下がっているという。結局経過観察で御仕舞。女の先生には、睡眠をよく取り、ストレスに注意して下さいと言われたが、眼科に来ること自体が異常なストレスである。620円。
 御昼過ぎから冷たい小雨。午後出社。月波君来たる。鶴木さんと須々木さんのおじさんコンビを探し出し、密会に混ぜて貰う。更に中華立ち飲みと立ち飲みBと三連戦。帰りは相当に降られたが、一軒目で腹に入れた焼いた牛肉の御蔭で寒さは感じなかった。久久に結構飲んだ感じ。
 なお「特捜最前線」は僅か二週で終了。もっと再放送して欲しいと思った。大体今時テレビビジョンなんぞの前に大人しく座っているのは高齢者である。ならば古いドラマで十分である。そして相続手続きも全て終了。残った御金が吾人の口座に振り込まれていた。まあ此の御金であと一人ぐらい、まあまあの老人施設には入れるだろう。其の際、信託銀行の人には四月からは他店に異動しますと挨拶された。金融機関の宿命だな。こうして長い三月も終了す。


3/30・木
 スマホを使い始めて二年近くたったが、一向に入力が速くならない。勢い、音声入力を使うことになる。しかし性能が悪いのか、滑舌が悪いのか、出鱈目に変換されて仕舞う。少し拾ってみると、「今朝の朝日」が「計算の旭」(理系企業になりました)、「よろしく頼む」は「よろしく太郎」(ピコ太郎の親戚?)、「同一形態の店舗を増やす」は「ドイツ携帯の電波を増やす」(メルケル氏に褒められるな)に、はたまた「八時半」が「は痔半」(痛そうだ)だとか、枚挙の暇がない。
 それに「アル中患者」が「はる美ガラス」なんて意味不明だし、「その件を巡り目下思案中」が「その拳を握りカフカ思案中」になるなど、却って謎が深まるような物もある。キーボード入力の方はソフトウェアーの性能が向上してとんでもない物は少なくなったが、音声入力の方はまだまだ珍変換の宝庫である。何しろ音自体が変わるからね。音声入力誤変換大賞を募集したらもっと面白い物が集まるかもしれないと思った。
 一日晴れて暖かい。木曜不出社。商店街にカレー屋が出来ているので入って見る。一杯五百円。何でも専門店より家庭的な味を目指しているのだという。何も考えずに標準的な物を頼んだら、随分と甘口であった。此れでは幼稚園児か小学生のいる家庭の味である。今度は激辛にしなくてはならないな。


3/29・水
 件の旅行社には数十人の新卒内定者が居たのだという。元元は社員百人足らずの会社である。新入社員の多さ自体が此の会社の異常さを物語っている。旅行者の救済とともに入社予定者の救済も必要だな。併し求人数は嘗てないほど増えているというが、増やしたのはこういう会社ばかりなのかなあ。矢張り氷河期の間の一瞬の春。つまり間氷期と云う事である。
 ところで吾人も格安航空券で何回かは出掛けたことがある。一番最近でも十年以上も前のことであるが(二十年位前はトラベラーズチェックを腹巻に入れて行ったぞ)。最近は航空会社やホテル等等、何でもオンラインで直接購入できるらしい(当時は電話とファクシミリしかなかった)。こういう旅行代理店もビジネスモデルとしては、既に縮小期に入っているのだろう。
 御昼に出社。今日は八両編成。部活動による欠席多し。クラス授業だから進むに進めず。本当に迷惑である。退社後は立ち飲みB。ベトナム出身のDさんは他店に異動とのこと。将来の幹部候補生らしい。まあぼんやりした日本人より確かによく働いているからな。


3/28・火
 格安旅行会社が倒産し、数千人が海外に取り残されることに。海外旅行のリスクは国内旅行よりはだいぶ高いだろう。尤も今回の件は自費で帰り着けばいいのだから、人命に関わるような問題では無し。御金、と言っても精精十万円程度の特別損失で済む話である(でも片道航空券ってあるんだっけ)。
 教育を無償化するために憲法を改正せよなどと言う愚論が出て来ている。緊急事態条項の次は教育だそうで、改憲派はよくもこんな下らない理屈を次から次へと思い付くものだと呆れる。
ところで吾人とて教育予算を増やすことに異存はない。併しどうも予算増加の要望は高等教育に偏っているように思える。一方の義務教育は元元無償だが(まあ色色と保護者負担もあるにはあるが)、只はタダなだけに、非常に水準が低い。つまり先生の数も少なく、授業内容も極めて不十分であると言える。大方満員電車のような教室に児童生徒を監禁し、一方通行の詰まらない授業を壊れたテープレコーダーのように繰り返しているようなものである。そして其の裏ではいじめや暴力が蔓延ることとなる。こんな学校でよい大人に育つ筈がないな。御金のある家庭のみが私立学校に緊急避難させたり、学習塾や習い事等に通わせたりして、辛うじて補完しているのが現状である。詰まり、タダより高い物はないということである。
 高等教育を受ける受けないは自己の選択と決定によるものも大きいし、向き不向きもあるだろうが、公立の小学校や中学校は選ぶに選べない。選択の自由がない分野だからこそ、一定水準以上を全国一律に維持するのは国の責務である。併し文部省と言う役所も一体何処で何をしているのだろう。予算獲得の大好機が数十年ぶりに来ていると言えるのにである。相変わらず教科書に下らない検定意見を付けることに現を抜かしているようだが、もっと国家国民の為になすべきことがあると思う。ああそうか、小学校や中学校には天下り出来ないものな。
 何だか疲れが出て昼食後は昏昏と午睡す。世人の多くは十二両編成を週に五本は運行しているのだろう。給料は出るのだろうが、想像を絶する世界でもある。増して十五両編成とかは。色色な事を見聞きするだろうが、第一に日記に書き残す暇がないな。


3/27・月
 栃木のスキー場の外れで雪崩が発生。冬山訓練中の高校生らが犠牲に。部活動にしろ旅行にしろ買い物等にしろ、家を一歩でも出ると何かしらのリスクは必ずある。家でごろごろしていた方が佳かったとは言わないが、もう少し何とかならなかったものだろうか。
 雨は中中止まない。朝から出社。今日から春の講習である。おまけに無責任社長が寄生虫、いや帰省中と云う事で、低学年の授業も担当す。以後八時までずっと授業。久久の十二両編成、通常期の二本建てである(と言っても客室はガラガラだが)。ただ講習初日なので事務連絡等も多く、落ち着かない。
退社後は天祐寺の立ち飲みBへ。軽く飲んで御仕舞とした。どうも最近行動がパターン化している。此方はもっとリスクを取って事故を起こさなければ、出会えるものとも出合えないなと反省す。


3/26・日
 北の皇帝はまた何か企んでいるらしい。またかと言うこと勿れ。今度は本当に危ない。周辺諸国、特にアメリカを挑発している積りなのだろうが、あべこべに腕を食いちぎられる事態になりかねない。内政的に進退窮まった米国大統領が八つ当たり的に先制攻撃する可能性が高まって来ているのである。そろそろ本当に静かにしないと、本当に国を亡ぼすぞ。併し諫めるような忠臣はもういないのだろうな。其の上、やられ間際に弾道ミサイルの乱れ射ちでもされたら、益益始末に負えない。朝から冷たい雨。終日在宅し、日誌と本の整理。


3/25・土
 偶には歩こうと思い、バスで成城に。其のまま出鱈目に歩く。まず御屋敷街を通り抜ける。すると崖線に面したところに計算機メーカーの創業者の家があった。丸で知らなかったが、カシオとは樫尾さんなのだという。博物館もあるようだが完全予約制とのこと。
崖を下るともう狛江市。途端に街並みが庶民的になる。どんどんと家が建っている。併し狛江と言うのも、都心部とも川崎や横浜のニュータウンとも違う。緑がありながら古い商店なども残っているから、両者のいいとこ取りといった感じ。最近人気があるのも納得できる。其れに坂が少ないのが良いのだろう。
 さてさて適当な回転寿司屋に入る。此の店はちゃんと職人が握っている。而も今日はあれがお奨めだとか、今から此の魚を下ろすなどと威勢がいい。所謂体験型の消費が売りなのだろう。どうせ寿司を食うなら、自動化寿司のタッチパネルで黙黙としているより、こういう活気のある方がいい。ついつい暴食す。麦酒一、酒二、皿も十。食べた分は減らさなくてはと思い、更に狛江の駅まで歩く。併し駅に蕎麦屋は付き物である。そして小田急と言えば何といっても「箱根そば」である。つい「かき揚げそば」まで胃に収めた。ハコそばも茹でたて方式で旨いことは旨いが、少し汁が砂糖甘いな。
 ところで東急には「しぶそば」があるが、生憎店舗は少ない。駅構内には「梅もと」もあるが、確か二駅だけ。田園都市線の地下駅は兎も角、改装された東横線の中目黒、祐天寺、学芸大学の高架下にも駅蕎麦屋を作る予定はなさそう。東急は蕎麦に関心がないと見える(もしや其れが東急クオリティー?)。駅周辺は目下F蕎麦に侵食されている状況である。其れに「吉そば」や「かしわや」もある。そろそろ帰ろうと思ったが、調布駅南口発狛江経由渋谷行きの小田急バスは、滔滔一日十本まで減って仕舞っている。次は一時間も来ないので、世田谷通りを何処までも歩いてやろうと思った。併し昼酒と暴食が祟り、幾らも歩けず。結局追い掛けて来たバスに乗って帰った。色んなものが胃に溜まり、晩は絶食。
 

3/24・金
 引退された天皇の名称は、上皇にするらしい。有識者会議が決めたのだからそうなるのだろう。併し上皇と言うのは少少生生しいな。大体、謀反を起こされた上皇様は、何人いらっしゃったっけ。もう少し穏やかな名称は無い物だろうか。
 設備屋さんが来て、洗濯機の室内移設工事。三時間ほどで完了。此れで全ての工程が終了す。足掛け四日。見積もり等を入れるともっと掛かったな。それに入居中だから結構草臥れた。併し家賃は其のまま。設備投資というより単純更新だな。まあ二十年はいらっしゃる方だから。
 金曜不出社。本日は全面休講日であるから決してサボったわけではない。ところで最近のBS朝日では「特捜最前線」をやっている。本日は「初指令・北北東へ急行せよ」。一家心中しそうな親子を特命課で探し出すというもの。事件を未然に防ぐのも警察官の立派な仕事である。「西部警察」とは好対照的だが、「特捜最前線」も好きである。そうだな、差し詰め「特捜」では仕事と世間の厳しさを、「西部」では木暮課長のカッコよさを学んだな。詰まり車の両輪のようなものである。夜は厚揚げの麻婆豆腐。


3/23・木
 大工さんらを部屋に招き入れた直後に、臍の回りが急に痛くなる。腹痛なのか神経痛なのかは分からないが、割と表面がビリビリと痛むので直ぐに鎮痛剤を飲む。一時間ほどで治まった。年年歳歳、薬に頼ることが多くなった。痛みに耐えながら、証人喚問を見る。
 ところで何時も一人勤務だった大工さんも、今回は若い見習いさんを連れて来ていて、色色と指導しながら作業をしている。住宅リフォーム業というものも、バブルのような大当たりはしないだろうが、常に需要はある。其れに新築現場のように規格化されていないから、設計から施工までやり通す腕も必要である。正しく小商いの世界だな。激励の積りで、温かいお茶と肉まんを差し入れた。
 さてさて件の幼稚園理事長の証人喚問だが、A夫人から百万円を寄付された件りは本当らしい。まあ、かと言って、額も小さいし、直ちに法に触れる訳でもない(それでも官邸サイドは寄付を認めない模様)。此の理事長も誠に嘘だらけの人生であるが、Aと其のオトモダチに裏切られたと言って怒っているのは恐らく本心であろう。
 併しAを侮辱したから態態証人喚問を行うと言うのも、多くの識者が指摘する通り、かなり異常なケースであると言える。与党としては理事長のいかがわしさを暴き、Aを応援するための喚問であったのだろう。それに忖度と言うのは、曖昧模糊としているから、此れ以上の追及は中中難しい。それでもAに連なる右派人脈が、知的にもモラル的にも如何に劣化した人人であるか印象付ける結果にはなりそうである。まあ此れで幾らかでもAの支持率が下がるのは結構なことである。


3/22・水
 朝から晴れた。今日は電気工事と大工工事。剥き出しのユニットバスに壁を作り、部屋に同化させる工程。工事終了を見届けてから遅目の出社。金伍万円受け取る。来週からは春の講習なので、時間割を一気に作成す。
 中学数学は因数分解に突入。同類項をただ纏めるという式の整理に対して、異類項の中に共通因子を見付けるという因数分解は、兎角分断と対立を煽り立てる世の中にあって、却って貴重な経験であると講義した。併しまだ中学二年生の頭ぢゃ分からないだろうな。退社後は中華立ち飲みとBを連戦。


3/21・火
 未明から雨。漸く一号室の本格的工事に着手す。何時もの設備屋さんに加え、ユニットバス工事屋さんから二人。三人掛かりの大工事である。何しろ物が堆積している部屋だから、難工事でもある。ちなみに見積もりは75万円。
 韓国大統領は失職の後、検察の取り調べを受けている。最高権力者から下手したら容疑者か被告人に。こういう弾劾の仕方もどうかと思う。一方のI原元都知事は、都議会の百条委員会でも怪気炎を上げていたという。まあ、此方もどうにも仕様がない人物だが、かと言って、例えば逮捕しろまでとは思わない。大体政治家の責任とは結果責任なのであって、明らかな法令違反がない限り、検察等が追及する類のものでは無い。基本的には選挙である。詰まり何度何度も当選させ続けた選挙民が悪いと云う事である。工事立ち合いの他は外出も無し。夜は木曽と伊那の健康食。すんき漬けなど。一円も使わず。ほぼ休肝


3/20・月
 朝から伊那市駅に座席の指定を取りに行く。すると夕方の特急は軒並み満席。夜は空いているようだが、行きも帰りも暗夜特急では詰まらない。という訳で昼過ぎの列車を予約す。その後再びブルーベリー畑へ。防草シートを敷き詰め、剪定を手伝う。軽い昼食の後、一時過ぎの飯田線に乗車。みな何処かに行くか帰るらしく、二両の列車は満員に近い。此れも三連休の成果であろう。飯田線も此の区間はまあまあ大丈夫そうである。併し何しろドケチな東海だからな。安心はできない。
 岡谷で臨時の「あずさ52号」に乗り換え。十二両の編成だが、指定席もグリーンもぎっしり満席。矢張り月に一回は三連休を作るべきであるとつくづく思った。天気もまあまあ良く、八ヶ岳がよく見えた。景色は大変結構なのだが、もう飲めないし、食べられない。朝から白ワインをがぶがぶ飲んでいたので、例によって胃がざらざらである。車販員から「信州あずみの物語」という弁当を二つ買い、両家人への土産とす。家人は兎も角、何しろ老家人は何処にも出かけられないからな。せめて旅気分を味合わせたいと思った。五時前にはもう新宿に着く。今日は此処で御開きとす。ちなみに件の弁当は、如何にも田舎の駅弁屋が一生懸命に作ったという体裁で、家人にも好評であった。


3/19・日
 午前中は伯母とともに、ブルーベリー畑の整備。劣化した防草シートの撤去。花粉に巻かれるも、何とか昼頃には終了。丁度テレビでは伊那駅伝をやっている。折角だから見に行こうということになり、市街まで降りる。併し着いた頃にはみんな何処かへ走り去って仕舞ったよう。あれだけ大勢の選手が居た筈なのだが。一人ぐらい遅れて走っていて欲しいものである。
 其の後伯母を連れて木曽方面に。開田高原のかなり手前の蕎麦屋に入る。適当に見つけた店だったが、店内は空いており、蕎麦も直ぐに出て来て安心す。味もサービスも中中であった。再び伊那に戻り、薪の移動。夜は馬刺しと鍋料理にした。一升瓶に入った白ワインを飲むうちに眠くなる。早目に就寝。すると夜中には目が覚めた。ストーブに薪を焼ベ直す。


3/18・土
 朝から設備屋さんと何時もの親方が来て、一号室工事の最終打ち合わせ。其の後新宿駅へ。一応伊那に行くことになっていたが、月波君の仕事の都合がなかなかつかず、夕方の出発となる。新宿五時半の「あずさ27号」に乗車。座った瞬間から中量飲酒。途中車販員を呼び止める。NRE製の詰まらない弁当しか積んでいないが、此れも車内販売維持の為には仕方がない。
八王子までのろのろと走り、甲府で大量降車。満席だった車内もごっそりと減った。其れも其の筈、30分発の「あずさ」は元元の「かいじ」が化けたもので、松本へ行くのはおまけの余走のような物である。
 また此の列車は富士見にも停車する。其れなりに下車して行く。地元の御客はあずさに乗るなら27号と決めているのだろう。小さい駅にも手分けして停まるのは、在来線にしかできない芸当である。下手な新幹線よりよっぽど便利だと思うのだけれど。
益益車内は空っぽになったところで岡谷到着。飯田線に乗り換え。といっても直接の接続列車は無い。後から来た29号を待ってから出発す。三両編成の天竜峡行きだが、席はまあまあ埋まっている。伊那北到着。暫し夜風に吹かれながら徒歩で移動。何処かにいい店は無いかと物色す。
 併し年度末の三連休である。送別会等等に加え、明日は高校駅伝があるというので、繁華街も見たことが無いほどの人が出ていた。勿論高校生が飲みに来ることは無いが、引率の先生や役員や応援団を含めれば千人単位の人が宿泊しているとのこと。毎晩此れぐらいの人が居て欲しいものである。結局古そうな食堂を見つけて一献傾けた。コップ酒が五百円と少し高めだが、夜中までやっている店なのだという。二次会上がりの三次会の御客が大勢居て繁盛していた。ローメンも食べたかったが、具だけのローサイにする。其の後タクシーに乗ったのだが、運転手は道が分からず、どうにも遠回りす。3700円。深夜割増を入れても高かった。


3/17・金
 午後出社。金参万円受け取る。早目の退社後は、鶴木さんを探し当てて飲んで御仕舞。


3/16・木
 朝からキリッと晴れた。取り立てて無為。老家人も最近は入浴を渋るようになった。夕方早くに吾人がまず入り、浴室を温めた後、入浴を促した。通院通所、散歩か入浴、一日にどれか一つでも達成しなくてはね。


3/15・水
 昨日以上に寒い一日。今度はグレを掴まえて予防注射。今年は三匹とも順調に済んだ。天気が悪いと却って楽である。報道等によると、件の小学校に国有地を叩き売った当時の財務省の局長は、今は国税庁の長官なのだという。此れだから納税意識も高まらない。大した対策もせず、多額納税する万代伯母と其の相続人には、愛国勲章の一つでも欲しいものである。また今回の件では官僚側が官邸辺りの意向を忖度して、トントン拍子にことを進めた可能性が指摘されている。忖度はインフルエンザ並みに空気感染するのであろう。併し此の忖度と言うのも、英訳が難しい単語である。中には頑として融通を利かせないお役人の鑒のような人もいる筈なのだが。出世できないな、そういう人は。
 午後出社。退社後は実に久久に佐渡屋に参る。すると咲子さんが居た。今や一児の母である。うーん、政治というものは可能性の技術だなどと丸山先生の本には書いてあるが、政治を結婚に置き換えて見れば、吾人にも其の可能性はあったのかな。いやしかし、久久に佐渡屋に来てよかった。立ち飲みBと中華立ち飲みでは、そういう出合いも無かったから。ただ此の佐渡屋も立ち退きが近い。店主によるとまだ移転先が見つからないという。


3/14・火
 朝方まで小雨模様。さて確定申告の後は、猫の予防注射である。小屋で寝ていたミケとシロを急襲して獣医まで二往復。午後も雑多な書類の作成と送付。此れで待機中の書類は一旦ゼロとなった。
 サウジの王族が大挙して訪日。経済協力や投資を求めたという。石油が出なくなるか売れなくなれば、ラクダとテントの生活に戻って仕舞うという危機感があるのだろう。其れは日本も同じだな。輸出するものがなくなったら、えー、何時代に戻るかな。差し詰め、戦前あたりかな。また桑の木でも植え直すか。それにしてもサウジアラビアか。こういう中世みたいな国に石油関係以外の投資をして大丈夫なのかね。持ち物検査が厳しいから、おちおち出張も出来ないと思うけど。


3/13・月
 朝から税務署に参る。今年から新装と相成った新庁舎である。週明けと云う事もあり列は異様に長い。五十分待って二分で終了。予め専門家に見て貰ったので、何の誤りも指摘されなかった。26万と5900円を即時納付す。今年はしっかりと経費や控除で落とさなくてはならないと思った。領収書の一枚は血の一滴、助数詞が違う。ならば領収書の一枚は、血判状の一枚。語呂が悪いな。
 帰る頃には列は更に長くなっていた。一人で何十通も出す迷惑な人が居たからね。あれでは一時間半は待つな。郵送やネットで済ませる人はどれくらいいるのだろう。みんな年に一度の事だから、却って列に並びたがるのだろうと思った。謂わば確定申告祭りである。「税務署に行ったら酷い混雑で酷い目に遭ったわよ(税金ばっかり高くて此の国はどうしようもないわね)」と語りたいのだろう。
午睡の後に出社。何の面白みも無い一日。退社後は中華立ち飲みと立ち飲みBに軽く寄って御仕舞。帰り掛けは雨に降られる。帰宅後は吾人の申告書の作成。今年は住民税だけにした。


3/12・日
 愈愈此の日記も七年目に突入である。詰まり震災から丸六年。日本社会等等を含め、何が変わったか、それとも変わっていないのか。批評をする上で考慮しなければならないのは、社会も変わるのと同様、自分も変わるという点である。だいぶ前になるが、呉にある海自の博物館に行った。其処には掃海艇が展示してあり、ペルシャ湾で機雷の除去に当たったという元自衛官が解説してくれた。印象的だったのは、ぷかぷか浮いているだけの機雷を撃つのも結構難しいとのこと。潮と波で機雷も動く、其れに船も揺れる。動いているものから動いているものを狙うのは、想像以上に難しいのだと。
 なるほど、社会時評や評論の類もそれと同じである。定点観測をしていて、変わる社会を眺めている積りであっても、実は自分も変わっている。世の中が変わり自分も変わっているから、変化に非常に鈍感であったり、其の逆で余りに意固地になり過ぎて、世の中の変化を過剰に嘆いたりする。どちらのケースも批評としては失敗である。よい批評をするには、そういうずれを認識していて、其れなりに自己修正していかなくてはならないとのだと思った。ところで、件の元自衛官は、射撃のコツとして、潮の流れを読み、自分の波と対象物の波の呼吸を合わせるのだと言っていた気がする。
 偶には歩かなくてはならないと思い、朝から出鱈目散歩に出る。まず東横線の駅まで歩き、終点の中華街まで行く。そういえば最近旨い炒飯を食べていないと思った。併し一人で入れるような店がない。確か中華街の外れに回転飲茶の店があって一人客には重宝したのだが、何時の間にか無くなって仕舞ったよう。其れにそもそも大半の店がまだ開いていない。結局桜木町まで歩き、「川村屋」で370円の天ぷらそば。店は少し動いたようだが、味は変わらず。昔ながらの駅そばである。
 序に野毛界隈も歩く。ドギツイ駄洒落で日中友好を訴える中華の「三陽」も健在。佇まいは変わらないようだが、此処も少し移転したよう。何だか間違い探しみたいである。此方も営業前。駅まで戻り、横浜線に乗る。炒飯に再挑戦しようと思い、菊名で適当な店に入る。パラっとはしていたが、何となく旨味と盛り上がりに欠けた味であった。炒飯は中華料理の基礎にして最高峰である。旨い其れを作るのは極めて難しい。
 併し行列のできるラーメン屋と言うのは沢山あるが、炒飯のそれは無い。というか、そもそも炒飯専門店と言うのは見たことが無い。どうしてなのだろう。炒飯ばかり注文されては、料理人の腕と肩が壊れて仕舞うからだろうと推測した。再び駅から歩いて帰る。スマホの万歩計によると一万五千歩。結構歩いたが、家に着いても午後の一時にもなっていなかった。夜に掛けて申告書の完成を急ぐ。


3/11・土
 昨夜税金関係が漸く収まり、やれやれとぼんやりとしていた頃に、南スーダン警固番役から撤収するというニュースが来たる。どうも支持率低下への先手を打った格好である。あれだけ戦闘ではなく、暴力組織同士の武力抗争だと散散言い張っていたのにである。権力というものは常に狡知だとつくづく思った。併しみんな撤退して仕舞って南スーダンは大丈夫なのだろうか。国際社会が見放す訳にも行かず。其れと此れとは次元が異なる問題ではあるが。旧宗主国は何処だっけ。もう少しアフターケアすべきである。
 朝から工事が煩い。起こされた序でに牛丼Sへ。御昼過ぎから少し外へ出た。旧ダイエー碑文谷店を訪問。上から下まで練り歩きたかったが、改装工事未了のため四階までしか開いていない。一通り見回りして御仕舞。
 続いて駅前の本屋で『地学のススメ』。講談社ブルーバックスなど実に二十年ぶりである。併し此の本屋も色色と工夫している。ついつい目にした『海防艦激闘記』も購入す。海防艦と言うのは駆逐艦より更に小型の軍艦で、戦前は国境警備と海難救助、戦時中は対潜哨戒と船団護衛、戦後は引き上げ輸送と活躍する(一部は海上保安庁に再就職もした)。元元は島の名前を付けていたが、大戦後期に余りに沢山造ったので、「海防艦○○号」と名無しのナンバーシップも多い(乗組員も多くが民間船上がりだったという)。戦艦や航空母艦巡洋艦のように海戦記には出て来ないが、縁の下の力持ち、派手さは無いが、正しく防衛戦力。海上自衛隊は何でもかんでも護衛艦と云う事にしているが、此方こそ元祖護衛専門艦である。専守防衛を国是とするならばもっと注目されるべき存在である。
 更に「肉の丸徳」で特選牛肉を三百グラム。序に寄った古本屋でジョン・ダワーの『昭和』。あっという間に一万円が無くなる。何しろ昨日の今日だから、財政規律も緩む。すると都税事務所から封書が来ている。どきどきして開けると、不動産取得税は非課税になったとのこと。何だか分からないが合格通知のような物である。併しなったらなったで「不動産取得税非課税申告書」を出せと言う。結局また書類書きである。


3/10・金
 ネット通販の荷物が激増したおかげで、宅配便大手が値上げを検討している。現場は人手が足りず、従業員の自己搾取に頼った結果、数百億円単位で残業代未払いがあるという。元元は飛脚の会社よりホワイトな印象があった会社だが、最近はシンボルマーク同様真っ黒化していたのだろう。値上げは凡そ四半世紀ぶり。此の間ずっとデフレだったから、供給サイドはずっと弱かった。まあこういう形で物価が上昇するのは、悪い話しではない。値上げした分はきちんと待遇改善に役立てて欲しい所である。巧く行けば、賃金が下がり更にデフレに陥ると言う負のスパイラルを断ち切ることが出来るかもしれない。
 信託銀行の人と税理士さんが愈愈来るというので、朝から居間の掃除と不要物の疎開留置。優子さんも交えて午後から面談開始。相続税の計算は全て終了したとのこと。控除枠の活用や段段駐車場の資産価値を低く見積もった結果、当初の粗い想定よりかなり下がった。銀行や税理士さんに払う手数料や免許登録税等等を考慮しても、万代伯母の遺した御金の結構な程度は残る予定。何とか此の土地を守って行けそうである。何しろ伯母は疎開もせず、懸命に守り抜いたというからな(但し戦後になって食料不足がますます酷くなり、大阪の岸和田に暫し避難する。其の際に母屋を又貸しされて、帰京後は立ち退き裁判まで起こしたそうである)。
 序に老家人の確定申告書もざっと見て貰う。生涯に一度か二度の相続税というものは余りに巨大かつ複雑すぎて何の質問も出ないが、年年歳歳所得税に関しては色色と聞きたいところが山ほど出て来る。優子さん共共、暫し質問攻めにした。二時間弱で諸諸の面談は終了。余勢を駆って申告書も清書する。するともう夕方であった。金曜不出社。
 それにしても極めて多額の納税であるとつくづく思う。もう少し何らかの対策をしていれば、税金も減ったのだろうか。正しく、タラレバの話しだが。前回の相続以来、伯母が三十年に渡り貯めて来た御金は半減することになる。とは云え、元元は家作に住んでいらっしゃる概ね地方出身者の御家賃である。其の一部でもいいから地方交付税交付金として地方振興に有効活用して頂きたいと切に思う次第である。でも無理だろうな。大方下らない補助金に消えて仕舞うだろうし。だから此の国の納税意識が益益希薄になるのだと強く思う。いや併し、相続手続きも漸く此処まで来た。安白ワインを延延と大量飲酒す。


3/9・木
 盛り(森友学園)の次は、掛け(加計学園)だそうで、別の学校法人との癒着問題も出て来る。大学新設で極めて不自然な手続きがあるのだという。此処の経営者もAの長年のオトモダチだそうで。愈愈二穴目だな。併し学校と言うのは儲かるね。
 御向かいにはクレーン車が来て、鉄骨の立ち上げ。見たところ三階と言っても案外低い。まあまあ陽当たりは確保されそうだな。千寿出校が無くなったので木曜不出社。溜まっている本を少しずつ崩して読む。


3/8・水
 朝は結構冷えた。再び冬型に戻る。午後出社。退社後は天祐寺の立ち飲みBへ。焼き鳥が無くなったので、メニューは其の他の店舗と全く同じ。もう少し独自色を出さなくちゃねぇなどと、暇そうにしている店長と話し合う。でもK社長は鉄の規律を強いるらしく、現場には丸で裁量がないという。聞いた話だがK氏の元職は何とか予備隊。実力組織上りは融通が利かないから駄目だと思った。
 数杯ほど飲んだのち、ロータリーの花月苑に。久久に「にんにくげんこつラーメン」。更に隣の本屋に寄る。古くからある個人経営の店である。狭いながらも品揃えが工夫している。つい『昭和の洋食・平成のカフェ飯』という文庫本を購入。此の店のように色色と工夫できることはある筈である。まあ其れも権限がなくてはね。帰宅後は数日遅れて「呑み鉄本線・日本旅」。今回は真冬の津軽鉄道弘南鉄道五能線には乗ったことがあるが、あの辺の私鉄は未踏である。行くなら冬だな。となると来年だな。


3/7・火
 老家人に蕁麻疹が出て来て困っている。例の診療所に行かせたところ、血液だけ取られて、後は皮膚科に行って欲しいとのこと。よろよろしながらバスに乗り転院す。案の定、ありきたりの抗ヒスタミンステロイド系塗り薬が処方されて御仕舞。大体そんなものだろうと思った。どうもあの医者は見立てがよくない。何の病気を疑っているのかは知らないが、誇大妄想の事大主義である。何でもある程度は見て貰わないと家庭医の役を果たせない。
 再び寒気が入り、北風強し。花粉も飛んで来る。取り立てて無為。夜は魚屋の刺身と唐揚げを買って来る。


3/6・月
 日記の続きを書こうと思ったら一昨日書き足した部分が上書きされていない。計数百字分が無くなって仕舞った模様。結局書き直しである。極稀にこういうことがある。どうしてなのだろう。
さて国会だが、北が再びミサイルを射ち上げたとかで中断す。件の小学校の問題も追及に水を差した格好となる。結果的にAを応援しているようだな。併し北の皇帝も愈愈追い詰められているのだろう。此の処、行動が常軌を逸している。でも一体何に追い詰められているのだろうか。少なくとも米も中も無視し続けているのだけれども。
 再開後の国会を見ると、Aも相当動揺している模様。八億もの値引きなど、余程の大物議員の働きかけが必要であろう。窓口以外の公務員と遣り取りしたことは無いが、彼らは融通が利かないことで成り立っている世界であるから。ひょっとすると政権も引っ繰り返るかもしれない。Aとしては、質の悪い取り巻き連中の長年の御贔屓に感謝して、少しだけサービスしたつもりが、蟻の一穴になったと云う事になるのだろう。
 午後は通り雨。年度末の適当授業期間である。中学二年生の国語では、斎藤孝漱石に関する随筆を解かせた後、実際に草枕を読ませてみた(こちらは大学入試の問題)。何処まで分かったかは分からないが、三月はこういうことが出来る。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。今日は四十云回目の誕生日だか、実に詰まらないものである。


3/5・日
 朝から電車に乗って月波君が参る。明日まで車を借りているので、何処かに出掛けようということになっている。吾人としては珍しい自動車旅行である。早速出発す。折角だから贅沢して高速道路を使おうと思った。普段はバスか自転車で行き来している渋谷の入り口から堂堂と首都高速に入る。首都高の料金は一律だから、折角なので遠回りすることにす。
 併しずっと都内に住んではいるが、道路増して高速道路とは丸で縁がない生活である。中央高速バスには偶に乗るが、都心環状線など全く知らない。だからモノレールが出て来たら「あ、モノレールだよ」、東京タワーが見えたら「え、東京タワーだ」と、つい見た儘の反応をす。御上りさん全開である。どちらも珍しい物ではないが、地上やJR線からとは見え方が違う。大体鉄道民は地下に潜らせて、自動車組がこんなにいい景色を独占している。何だか不公平だと思った。
 天気も良いし渋滞も一切ない。其れにマーク何とかという高級車なので走りもいい。普段とは全く違う都内を見聞しながら東北道に入る。本日の目的地は埼玉の行田にある古いドライブイン。折角だからと持ち込んだ安田レイのアルバムを丁度一枚聞き終えた頃に一般道に降りる。自動車旅行にはやはりJ―POPである。其れにこうやって自動車で出掛けるのも学生以来の頃であると思った。
 予定通りに「オートレストラン・鉄剣タロー」に到着。古い自動販売機が残っていることで有名である。以前参った「自販機食堂」とは違い、此処は現役のドライブインのまま残っている。早速箱入りハンバーガーと、天麩羅うどんを食す。どちらも昭和テイスト満開。最近はお客も増えたようで、次から次へと同じような人が入って来る。経営的には苦しい時期があったと聞いているが、頑張って商売を続けてきた甲斐があったね。新しいものは幾らでも作れるが、古いものは作れない。使い続けて古くするだけである。
 其の後近くの古墳群を表敬訪問。更に近所の日帰り温泉に入る。さて復路は一般道を走ることにした。只管17号線を南下する。沿道には郊外型の店舗がびっしりと並び建つ。どのチェーン店も丸で縁がない。牛丼屋と日高屋を除き、環七の内側には一つもないような店ばかりである。折角埼玉に来たのだから、埼玉らしい店に入りたいと思った。しかし「山田うどん」は一級国道沿いには出店しない方針らしい。探している内に都内に入る。其のまま江戸川橋に。月波君の居住地である。車を置いて、ぶらぶらと飯田橋まで歩く。文京区と新宿区の境らしいが、此の辺のことも全く知らない。案外古い商店が残っていて感心する。出版印刷関係の会社も多い印象。世田谷とは此処が違うな。立ち飲みBで一時間半、更に安いラーメンで締めて御仕舞。帰宅は八時前。


3/4・土
 朝方、不動産収支内訳書が送られてくる。早速老家人の所得税の計算を開始する。昨年は大きな工事が無かった上に、草むしりなどの経費も計上出来なかった、更に本物の領収書も何通か失くしたので、不動産所得が結構増えて仕舞った(加入していた厚生年金基金の解散により年金収入は8パーセント減)。納税金額も10万円程度は増える見込み。相続税に比べたら僅かだが、何だか悔しいな。一方の吾人は不動産所得四か月分を加えても課税所得に達しない模様(何せ大貧学院の給与収入が50万円と過去最低最悪を更新)。こういう場合でも申告が必要なのだろうか。
 夕方月波君が現れる。何でも借りて来た車を一晩置かせて欲しいと。置いた序でに、地元で飲むことにした。立ち飲み屋を連戦す。二店目はたこ焼き屋があったところである。半年ほど前、何だか大改装してワンランク上の立ち飲み屋になっている。まだ若い店主によると元元の地権者であったのだと言う。訳あって、此の場所に店を出すことになったとのこと。地元に知った店などなかったから、今後は贔屓にするかもしれない。割と早目にお開きにす。


3/3・金
 昨秋以降すっかり大人しくなったI原元都知事が出て来て会見をしていた。腹が立つから一切見なかったが、最近は多少体調がよくなったのだろう。老人元気で素直がいいと言うが、此の人は死ぬ寸前まで悪態をつき続けるのだろうな。まあ正直な話し、移転の犯人探しというのも余り生産的ではない。造って仕舞った施設の方はどうするのだろう。そちらの方を早く考えるべきである。
 余りに不愉快なので金曜不出社。取り立てて無為。夜は「下剋上受験」。受験のストレスで父は胃潰瘍に罹り入院している。何も其処までのめり込まなくてもと思う次第である。併し、いい中学か高校に入れて貰って、いい大学を出て、いい会社か役所に入り、其の間友人先生上司部下先輩後輩等等に恵まれ、心身ともにまあまあ健康で比較的長く勤められる人と言うのは、どれくらい居るのだろう。其れこそ、針の穴を通すような困難さである。其れでも親としては居ても立ってもいられないのだろうな。こういうのはカルヴァン派の予定説に似ている。将来が分からないからこそ、ますます不安に駆られ、ますます一生懸命になるのである。併しながら、盛り上がっているのは中学入試ぐらいだな。中学高校と上がるに連れ、親も本人も諦めて仕舞うもの。


3/2・木
 払い下げ事件は益益炎上し、国会に続いてワイドショー等も取り上げる。此れで少しは支持率も下がるな。併しこういう政治家の口利き事件は後を絶たず。そういえばA利大臣の方は有耶無耶になって仕舞ったが。併しあの幼稚園児にさせていたという運動会での宣誓内容も極めて稚拙である。例によって中韓が怖い怖いに、「A首相頑張って」である。「五族協和」「興亜奉公」「東亜新秩序」など戦前の「理想」の欠片すらないもの(日本人は日本人だけで日本列島で静かに暮らしたいと望んでいるようだけど)。ところで吾人が園長なら、差し詰め「We shall overcome」を合唱させるな。左翼幼稚園だと怒られるかな。
 午後から再びの雨。『文藝春秋三月号』を読みながら出校。「経産省東芝を見放した」によると、原子力ビジネスは「マフィアとも呼ばれる人々や企業が繰り広げる生き馬の目を抜くような」世界で、東芝には「世界レベルでの経験も知見も、完全に不足していた」そうである。要は、いいように騙されて仕舞ったとのこと。何せ御公家さんと言われる社風であるからな。世界進出は完全に間違っていたのだろう。それにしても原子力産業というものは、兵器産業とともに駄目な産業である。こういうものからはさっさと撤退するに限る。エアコンやエレベータやLEDやLSIやL特急のような民生品をつくるべきである。でももうエアコンはやってないんだっけ。其れに日立と殆ど被るんだろうな。となると・・・。
 今日で千寿校の勤務も御仕舞。幸い都立高校組はみんな合格したという。御礼の御菓子を分けて貰って退社。帰り掛けにS子先生に本務校の運営状況について尋ねられる。つい本当のことを言いそうになって仕舞って、危うく自制した。S子先生は無責任社長の会社員時代の部下だそうだが、一体どれだけのことを把握しているのだろう。
 そして構内の回転寿司屋に寄る。ネタも御客もじっくり観察す。例えば、隣の不倫カップル風の中年男女は、男は酒しか飲まず、女はネタに醤油を振りかけているぞとか、後から入って来た東大の御厨似の男性は酒も飲まずに安い皿を立て続けに食べた後、少し躊躇ったが450円の中トロで締めてあっという間に出て行った、という感じである。併し吾人も暇だな。雨は夜には止んだ。


3/1・水
 朝から曇り勝ち。今日から三月だが何も面白いことは無し。夕方から雨。其のまま帰宅。冷凍食品と缶詰食。ちょっと見ない内に期限切れの缶詰が大量に見つかる。当分つまみには事欠かないな。対外的には一円も使わなかった。