2019年2月

2/28・木

 朝方にシロは大喧嘩。相手ははぐれオスのこげ茶だな。目尻にかすり傷。猫パンチを喰らったよう。早速抗生剤を塗り込む。昨日からずっと小雨。午後は本降り。103はエアコン工事。旧三洋機も交代さす。

 事前の楽観論が吹き飛ぶ感じで米朝会談は物別れに終わる。制裁の全面解除を求める北に対し、核の全面放棄で応えた模様。ハードルが一気に高くなると妥協は難しい。謂わば北の答案にT先生がゼロ点を付けた格好だな。となると足取り重い北帰行である。北にはもう穀物がないらしい。つまり時間がない。人民が飢え死にする前に早く再提出すべきである。

T先生の会見を全部見てから遅目の出社。併しなかなか生徒の尊厳を落としめないいい所見だった。三度目があることを切に願う。併しこうやって改めて見るとT先生も只の大馬鹿物ではないな。さてさて中一の数学。期末試験も終わり、一番やる気が抜ける頃である。其処で数学検定でもやらせようと思った。ホームページから出すとA4が何枚も。紙が勿体ないので此れをB5に縮小し、B4両面に吹き付けようとしたが、何だか巧く行かず。死屍累累。吾人のコピー術も落ちたものだと思った。「私、(コピーでは)失敗しないので」が吾人のモットーだったのだけど。認知症だな。夜まで小雨が残る。往復ぎりぎり自転車運転可能圏。立ち飲みBとドライブで休憩。帰宅は十一時半。こうして二月も終了す。

 

2/27・水

ところで最近街で目に付くのは何とかイーツの配達員。そもそも出前をやってくれる店が殆ど無いのだから、巧い所に目を付けた商売だと思う。配車サービスがタクシー運転手の食い扶持を荒らすのに対し、此方は新たな価値を創造したと言えよう(しょぼい物を自炊されることが一番GDPを下げる)。スマホが生んだ数少ない新事業かもしれない。此れも外資なんだよねえ。

午後出社。授業は控え目にして事務作業。例によって膨大な学校パンフ類の分別廃棄。退社後は取り敢えずBへ。天屋先生とも会う。先日の非礼を詫びようとIへ回航。併しひょんなことから政治の話になり、駄目だと分かっていても熱を帯びる。中朝韓と断交も辞さずという先生とはなかなか話が噛み合わない。ネトウヨ話法である。株高の恩恵も受けているようだし、Aへの支持は揺るぎがないよう。可笑しいな、他は極めて常識人なんだけどね。夜から小雨。濡れながら帰った。

 

2/26・火 

 やる気が起こらなくて三日間放置していたが、税理士からの質問状の答えを探る。色色と思い出したり、コピーを作ったり、領収書や請求書や契約書類を掻き集める。項目別に纏めたら家中のクリアファイルが無くなった。昼には発送。日中曇る。昨日よりひんやりするも花粉酷し。家人が渋谷で買って来たとんかつ、冷えて固まり食えたものでは無し。

 北の委員長は鉄路ベトナム入り。在来線の線路は何処までも続いているから其れも可能である。流石に機関車は付け替えたのだろうが。長征の思い出作りだな。彼我の沿線風景の余りの違いに気が付いてくれるといいが。

 

2/25・月

 グレの捻挫はだいぶ良くなる。朝は曇り。昼から晴れて暖かいというより暑くなる。ぼんやりしつつ午後千寿に出校。吾人の今年度の出勤は本日で終了の見込み。割と気さくな高校一年の女の子とも、何も余計なことを喋らない中三女子ともお別れである。なおS子先生は三月末での廃業を検討しているとのこと。中二の生徒はそれなりに居るようだが、どの道ジリ貧だろう。とうとうそうなるか。となると今生のお別れかもしれない。

でも家賃などの固定費は安いのだからやり方次第では十分生き残れると思う。そのやり方を間違い続けているからなぁ。まずあの教え方を反省すべきである。一旦ゴミを片付けてもう一度やる気になって下さいなどと言って退出した。吾人も月に二回くらいなら行ってもいい。大橋の自動化寿司で暫し黙考す。でも周りの行いが悪くて集中できず。大体帰り方が宜しくない。皿は色別に分け、飲み物の容器を纏め、山葵の袋などのゴミは集めてから会計係を呼ぶべきである。安い寿司だと碌なお客が居ないな。中の人も癇癪を起こして悪戯に走る訳である。

 

2/24・日

 朝から富士そば、昼はココイチに行き、昨日の飢餓状態を解消す。午後も漫然とし、夜は厚揚げ麻婆。朝晩は其れなりに冷えるがすっかり春の装い。庭梅も満開。県民投票は反対多数。投票率も五割超え。此の民意をどうするのだろう。第一、新基地の建設には膨大な費用が掛かるのである。

 

2/23・土

 一日晴れ。まず市ヶ谷まで地下鉄に乗る。鳳生大学の古い校舎が愈愈最後だというので見に出掛けた。月波君と合流し、復刻メニューで賑わう学生食堂にならぶ。以後思い出探し。校舎は55年館と58年館と言う。市ヶ谷永遠再開発により四月以降解体されることとなっている。吾人が入学した当初はクーラーがなく、矢鱈と遅いエレベーターに閉口したもの。いざなくなるとなると寂しいものだな。新歓のビラもよく貼った。授業中に自治会がアジ演説をしたことも。あの頃一緒にいた語学クラスやサークルの仲間たちは元気だろうか。

続いてシンポジウムに参集。和服の総長の後に芥田先生も登壇されたが、喋る時間が十分程度ではまるでエンジンが掛からなかった御様子。なお此れが旧校舎で行われる最後の講義と言う触れ込みである。833教室も満席という盛況ぶりであった。鳳生大学も立派に上智青学化した。まあ世の中全体がそんな感じだなぁ。もうサークル文化もスクールカラーもなくなったか。

 いやしかし、一時間半もじっとしていると疲れた(一斉授業など聞いていられない)。後半はキャンセルす。月波君と別れて本務校に回航。定期試験前の補習授業である。といっても講義方式ではなく、各各銘銘、森羅万象とまではいかないが有象無象の質問に答える。此方は江戸時代の寺子屋だな。併し一旦出勤すると次次に生徒が押し寄せ容易に退出できず。結局九時半までの勤務となる。

掃けた後に急いで中華立ち飲みに行く。常連客の一人が北海道に帰るというので送別会が催されている。大幅に遅れて行ったので二杯飲んだら即解散。其れでも3500円も請求される。おまけに会いたくない人には合うし、他言は出来ないが色色と散散な状況に。場を天屋先生に預ける。自転車もバスも無いのでタクシーで離脱。運賃(1770円)は大貧学院支給のスイカで支払わせて貰った。帰宅後中量飲酒。

 

2/22・金

 何とか平和賞に推薦したり、即位した新天皇に早速会せるように差配したりと、T氏への迎合ぶりが目に余る。こういうのを俗に○○のポチと言うのだろうが、せめてタマぐらいには成れないものかな。我儘を言って少しぐらい困らせてやりたい。でも既にアメリカ自体が大きなトラだからなぁ。ニャンニャンニャンで、今日は猫の日である。それにしてもAの在任日数は歴代二位だという。小選挙区制の定着(党内の統制)、対抗野党の壊滅、国民の批判精神の消滅、色色な複合要素がある種の真空状態を生じさせ、Aを異様に膨張させているなぁ。

 まあまあ晴れた。既に春の陽気。昼から「ポコポコ」の新ステージ。スマホをやるのも此の時ぐらいと暫し熱中す。またグレは矢張り見当たらず。空き家の二階の押入れに潜伏しているところを漸く見つけ出した。まだ治っていない感じ。抱いて下ろして餌を食べさせた。再び税理士から質問状が届く。多額の現金を何に使ったのかと。色色と調べ直したが、例によってよく分からない。お札に色は付いてないものな(「北の国から」に出て来る泥付きの壱万円札を除く)。先週のゴマダレが残っていたので今週も牛豚のしゃぶしゃぶ。

 

2/21・木

 今度の改定で一段と車内販売がなくなる。「北斗」「踊り子」「やまびこ」は廃止。「あずさ」も弁当は売らなくなる。地方の駅弁屋は益益困るだろう(特に長万部のかにめし)。NREなどに任せるのではなく、いっそ駅弁屋自ら乗り込んで売ってくれないかな。飯時限定、区間限定、個数限定でいいから。上りと下りで行ったり来たりすれば一人で何本も回れる。効率的なダイヤをマニアさんに作って貰えればいい。

朝方は芙蓉の植え替えと大楓の剪定。続いてグレを獣医へ搬送。掛かりつけの女医は休診日なので、四丁目の診療所に連れて行く。院長先生以下三人掛かりで触診してくれたが、取り立てて問題はなさそうとのこと。痛み止めを一本打って三千円。初診料込みだから案外安かった。午後出社。退社後はBと中華へ。久久に天屋先生と話し込む。

 

2/20・水

 朝から晴れて暖かい。捻挫したグレを獣医に見せようと思ったが容易に姿を見せず。昼飯を食おうと思ったら植木屋さんが来て立ち話し。午睡しようと思ったら税理士から長電話。其のまま出社。金参万円受け取る。中三の受験指導は本日が最終日。此の学年は真面目な子が多く、今一つ印象が薄い。Bから帰ろうと思ったら二度目の通り雨。帰ったら家人が入浴する所。何もかも少しずつずれた一日であった。

 

2/19・火

 朝から曇り。さてさて本年二度目の税務署に参る。予想に反して空いていた。待ち時間殆ど無し。ガラガラの部類に入るだろう。申告は二日目に限ると思った。また今年から口座振替にしたので身を引き千切られるような痛みも無し。炒飯を食べて其のまま帰宅。昼から小雨がパラつく。此の天候のせいもあるのだろう。正に天佑。午後は漫然とす。夜はスーパーの総菜など。

 こうして折角毎日日記を付けているのだから、過去の確定申告を顧みてみようと思う。自分で自分の日記を検索す。すると昨年は吾人が初日申告で中行列。一昨年は期日間際で大行列。三年前は亡父とタクシーを仕立てて赴き色色と誤りを指摘されている。四年前は両家人に任せていた。五年前には記述すらない。六年前はリニューアルに伴う費用を減価償却費に入れるかどうかで悩んでいる旨があるが申告そのものは亡父がやったのだろう。実に正しく隔世の感である。

 

2/18・月

 未明に覗くとグレは何時の間にか帰って来ていて餌を食べていた。此の猫は一晩に何度も起こしに来ることがあれば、今日のように丸一日姿を見せないこともある。つくづく自由猫である。

 朝から晴れた。まず住宅メーカーから送られて来た解体と建築に向けての合意書を優子さんに転送。叔母叔母従妹三名分の署名と捺印が必要。さてさて愈愈確定申告である。吾人の申告書を仕上げる。亡父が受け取る筈だった不動産所得二ヶ月分の二分の一が増加する一方、昨年の給料収入は44万円と言う恐るべき数字が出て来る(此方の所得はゼロ判定)。まあ何しろ昨年は週二回半(週当たり十時間程度)ぐらいしか出ていない。最低賃金程度は貰ったことになるのかなあ。もう腹も立たず。納税額は三万円余り。少ないのかなあ。まあ固定資産税とか都市計画税とか相続税とか修繕に纏わる消費税とか、個人としては酒税と社会保険料国民年金基金まで)も沢山支払っているから所得税はこんなものにして頂きたい。

一方グレは昼過ぎまで小屋でぐっすりと。余程疲れていたらしい。一体何処で何をしていたのだろう。迷っていたのだろうか。よくよく見ると動きが悪い。左前足捻挫の模様。猫は弱ったところを見せたくないというから何処かで隠れていたのだな。兎に角経過観察することとする。103は壁紙。

午後出社。神保町に途中下車。「みすず」読書アンケート号と『何が私をこうさせたか』。こう書くと金子みすずの自伝と勘違いされそうだが、金子は金子でも文子の方である(二人とも明治36年生まれ)。序でに岩波の『朱子学陽明学』。千寿校は相変わらずのゴミの山とパワハラ指導。みんな纏めて「トントン」に持って行って貰いたいと願った。退社後は徳俵に滑り込む。今回ばかりは三顧の礼が通じた。先生崩れが割烹くずしで飲む。いいではないか、よいではないか。でも結構高かった。日本酒を奮発したので四千円余り。帰り掛けは文子の書。いや併し壮絶な児童虐待の記だな。着く頃には酔いもすっかり醒めた。目も鼻も何だか少し変。また花粉の季節である。

 

2/17・日

 御昼前にはまあまあ晴れた。徒歩や自転車であちこち買い物したくらい。食欲がなく、昼は「日清チキンラーメン」のみ。開発話が公共放送で取り上げられて最近ブームである。久久に食べてみると昭和三十年代の素朴な味。此れが当時三十五円したという。今はスーパーで八十円程度。

駅前商店街の猫餌やアルコール類を買っていた店も月末で閉店するとのこと。寂しくなるなぁ。少し話ししたが、中中黒字にならなかったらしい。皆さんどうするのだろう。此れで一般小売店は全てチェーン店となる。家賃が高すぎるから街が詰まらない。夕方になりグレを朝から見ていないことに気が付く。呼んだり探したりしたが成果は無し。家人共共心配す。

 

2/16・土

 朝方は録って置いた「ヤマト2202」の第二十話。白い彗星が新たな解釈で以て攻めに来ている(但し深夜帯の放送なのでひっそりと)。愈愈ズォーダ大帝の真の狙いが明らかになるのだが、其の分理屈が複雑になっていて、朝の頭を以てしても一度見ただけでは理解できず。SFアニメも難しくなるな。評論家による解説が必要だと思った。此れも平成三十年間の厚みである。続いて「日本ボロ宿紀行」第四話。昔のファンが出て来て一行を激励す。少し自信が出て来たのか歌謡ショーにも漸く人が集まり始めた。ホロリとさせる佳い内容だった。あのホーロー看板の宿にも泊まってみたい。こうして気が付くとテレビ東京ばかり見ているな。

 よく晴れて暖気も入って久久に暖かい。昼は「誠屋」。大盛りでも余裕で食べ終えた。矢張りラーメンは格闘の心配のないものがいい。其のまま大関へ。腰の曲がったエライ婆さんたちが籠いっぱいに買い込んでいる。年金が出たからかな。午後は漫然とす。夜は「ブラタモリ・パリ編」。オスマンによる都市改造に吃驚していたが、あれは共和派がぶっ潰された結果なんだよね(革命家には細細としたアジトが必要)。手放しに称賛できない(此の国の再開発にも)。またTさんはせめてバリアかフェンスにしましょうよという議会の妥協案を拒絶。あくまでもウォールを作れと言う非常事態宣言を出す。比類なき暗王、いや暗帝? まあね、東アジアの一住民としては米朝交渉だけでも成功させて欲しい。此方には「滅びの方舟」を出さないことを期待してます。よっ、大統領!

 

2/15・金

 給料の統計には官邸から明確な横槍があったらしい。突っぱねるほどの官僚はいないだろうな。粉飾統計。矢張り故意犯だった模様。飯田のかぶちゃん村も副村長が亡くなる。恐らく先代がやって居た頃は正業だったのだろうが、息子さんがインチキ投資会社にして仕舞った。多少は責任を感じていたのだろう。儲からない、成長しないということを受け入れなくてはならない。大体此のデフレ経済の下、現状維持できれば十分である。また何とか家具もいよいよ危ない。此方は娘さんが潰したな。重く曇って非常に冷える。103は漸く電気工事。明らかに工事のペースが遅い。あらゆる工事屋さんの手がいっぱいの模様。晩は牛豚のしゃぶしゃぶ鍋。十時半就寝。

 

2/14・木

 まあまあ回復す。漸くセメントの塗り込み作業。エライ年配の人が一人でやって来る。何次下請けになるのだろう。人手が足りないのだな。半日で終了。乾くのには数日掛かるらしい。また仮板を渡す。薄曇りで結局寒い。午後出社。中一には図形の要点を纏めた渾身の手書きプリントを配布したが反応薄し。金五万円受け取る。退社後はBとIで一二杯ずつ。

 

2/13・水

 大量に睡眠を取ったが体調は今ふたつ。併し長時間寝ていると羽毛布団がどんどん寄って仕舞って本当に困る。180度回頭させるより手がない。結局今日も曇る。太陽が出ないと頗る寒い。生憎家人は熱海へ。午後は少し晴れたが体調も良くないと何もする気が起こらず。本日欠勤。何となく鬱状態。ラジオもテレビも病気の事ばかり。

そこでユーチューブでゴミ屋敷を片付けるなんて動画を視聴す。「片づけトントン」という会社の作品が面白い。みんなよく動いてよく分別している(特に作業中の軽口がいい)。こういうのを見ていると少しやる気が出て来るかもしれない。隣の家ももうふた片づけしなくてはならないなぁ(其れにしても何年掛かっているのだろう)。拙宅の敷地以外には一歩も出ず。夜は冷蔵庫の中身を消化器官で片付ける。

 

2/12・火

 久久に朝から良く晴れた。午前中に若頭が来て103号室の検分。此の部屋は次世代型リニューアルを施した第一号なのだが、竣工から六年も経つと壁紙がもう駄目である。壁スイッチの増設と共に張り替えを依頼す。直す傍からどんどんと老朽化す。不動産賃貸業とは例によって不動産修繕業である。

偶にはこってり味が食べたくなって、梅が丘まで遠征。初めての店である。直ぐに入れたのは良かった。学生さんは春休みだからね。働くおじさんたちと共に麺をすする。でもあの小加水のワシワシ麺はよう食べられない。二郎系とも愈愈卒業である。麺やモヤシと苦闘している内にすっかり曇る。結局寒い。買い物は一便。何だか心身ともに冷え切った感じがする。夜はスーパーの鰹刺し(300円)。千葉ではもう鰹が揚がっているらしい。初鰹である。こうなると海外産の白ワインより日本酒だな。紙パック入りの吟醸酒を合わせた。水泳選手は重大病を告白。東京湾の倉庫では火災が発生。死者複数。人生とは常に理不尽だな。

 

2/11・月

 幸いにして宿酔は無し。朝から富士そばのラーメン(420円)。ちなみに明日まで入れると五連休なのである。排水管の修理も終わったから何処かに行こうかと思った。併し寒いから何処にも行けず。特急か急行に乗って山の出で湯にでも行きたいのだけど何しろ一人ではねぇ。

昼は西太子堂の古い店で炒飯。こういう職住一体型の街中華の店も少なくなった。幸い店主は代替わりしたようであと数十年は大丈夫だろう。680円は少し高いけど応援金込みの価格だな。一日寒く、取り立てて無為。夜は冷凍食品他。

うちで家作を建てれば三十年間の家賃は保証しますという会社が問題となる。大体家賃が三十年も維持されるというのもあり得ない話しだが、建てた段階で既に手抜き工事だった。数千人を引っ越させての改修工事が必要。こりゃ大変だな。つくづく楽して儲かる仕事などはない。

 

2/10・日 

 御隣りで飼われていた三毛猫も亡くなったとのこと。其の猫は何回か見たことがある。大人になって捨てられたらしく拙宅の餌を食べに来ていた。愈愈体調が悪くなったところで御隣りの若奥さんに保護されていた。此の数年で色色と医療費が掛かっただろうが幸せな最期だったろう。そう言えば最近は他猫を見ることは殆ど無い。野良猫が減ったことは基本的には喜ばしいが、こうして猫を切っ掛けに親しくなった近所の人も結構いる。今風に言えばコミュニケーションツールだな。此れも完全家猫では駄目だな。表に出なくては。

鷺乃間君におうちにお呼ばれしたので出掛ける。まず東横線で日吉へ。降りて見ると制服姿の男子生徒で溢れている。そうか今日は私立高校の入試日であった。天下の京王ともなるとまだまだ一般入試が主流だろうね。大勢来ている。でも未だに二月の十日と言うのはしっくりこない。吾人の頃は十八日であった(確か高田馬場の方を受けた)。都立高校の試験が前に倒れて私立も早まったと記憶している。

 駅前の学生向けの食堂でチキンカツカレー休憩。800円もしたが大したものでは無し。京王価格だな。さてさて此処から地下鉄には乗らずに徒歩で移動す(一日平均八千歩は歩かなくてはならない)。日吉の郊外を歩くのは初めてである。ピカピカの港北区と言っても此の辺りは古い街だから、もの凄く狭い所を大型の東急バスが通っていて驚く。道は簡単には直せないよな。丘陵地帯だから自転車も余り役に立たない。少し歩くと畑なども出て来る。一時間ほどで高田付近に到着。近くのスーパーでつまみ類も調達。駅で坪上君と月波君と合流。四時頃から飲み始めた。以後延延と大量飲酒。妻子の居ぬ間に何とやらである。一応子どもさんにはぬいぐるみ等を差し入れた。

鷺乃間君にしろ坪上君にしろ社会の中堅クラスになりつつある。部下には鳳生大学の後輩もいるらしい。若い人とはつくづく話が合わないとのこと。特にビラとか立て看板とか批判精神とか、鳳生大学の上智青学化を防ぐことの重要性について、若い人は殆ど理解が及ばないと口口に言っていた。つくづく時代が変わったかな。帰り掛けに客の居ない焼肉屋のような所で総仕上げの中量飲酒。ふらふらで地下鉄と東横線へ。同じ世田谷の坪上君と碑文谷からタクシーに乗って帰る。二千円先払い。ちなみに坪上君の家より拙宅は大部手前(800円付近)。まあ本日は自らの足で既に数百円の価値を創造しているから実質負担増は800円くらい。酔っていても金勘定は出来るのである。

 

2/9・土

 何とかタウンという衣料品通販会社の社長はツイッターを止めて本業に専念するのだという。確かに一億円を配ったり、月へ行くだの行かないなどと業務以外のところで目立っていた。恐らく本業も傾いているのだろう(最近段ボールが出ていない)。それにしても、何とか衛門にしろ、此の人にしろ、凡そ経営者としての哲学も何もない感じ。日本からはこんな経済人しか出て来ないのだから何だか情けないなぁ。

 朝から小雪。北海道は大寒波だという。電気は足りるのかな。九州で余った電気を中国送り、中国の電気を関西に送り、関西の電気を中部に送っても、中部の電気を東電には大して送れない。つくづく明治期の失敗だな。取り立てて無為。

 

2/8・金

 再びの冬型。午前中は不動産屋さんへ出向き、空き家の解体に向けての協議。持ち主の一人である温子叔母さんは成年後見を付けているから、手続きが面倒かもしれない(裁判所の許可がいるらしい)。また分割協議もどうなるか分からないが、兎に角やれることはやれるうちに進めておこうと思う。午後は次第に曇りどんどん冷える。夜は水炊きにした。

 全国的に火災が多い。町内会の掲示板にも電気ストーブに注意と貼り付けてあった。未だに使っている人も多いのだろう。裸火と同じものは本当に危ない。早く法律で禁止した方がいい。エネルギー効率も良くないし。

 

2/7・木

 昨夜から晴れた。朝霧あり。引き続き汚水管の取り換え工事。掘り出された旧管を見ると其れほど劣化しているようには見えず。但し下部がざらざらとなっている。此処に引っかかるのかな。また斜度も今一つ足りていないのかもしれない。排水は電気や上水やガスとは違い圧力ゼロの自然落下の世界だから、敷設には細心の注意を要す。二時過ぎには新管を埋めて上に砕石を敷き詰めるまでの作業が完了。以後片づけと確認。少量の水でもさらさらとよく流れた。再び板を敷いてコンクリート打ちは後日と言うことになる。三時過ぎには終了。

午後は南風が吹いて暖かい。其のまま通常出社。中一数学は立体の表面積や体積へ。例によって球の公式に疑問は集中す。そりゃまあ、錐の体積が柱の三分の一になるというのは、実際にやって見たらそうなったという経験論的説明が、扇形の面積が弧の半分に半径を掛けるというのは、物凄く奇特な人が居て、壮絶な執念を以て扇形をスライスし互い違いに並べたら驚くべきことにほぼ長方形になっていたという絵的な説明が可能だが、球の場合はどうにも説明の仕様がない。どうにも説明できないものは高校の積分にお引き取り願いたいと思った。丸暗記は理不尽である。退社後は立ち飲みBへ。外国人材が揃って居ない。となると国内人材を総動員してもてんてこ舞いである。成程、みんな旧正月で国に帰ったのね。こういうところで春を感じるとは思わなかった。更に碑文谷でドライブ休憩。

 

2/6・水

 朝から午後まで雨。最後の朝のお勤めの後、愈愈工事開始。専門業者さんが来てコンクリートの三和土をエンジンカッターで切っていく。続いて削岩機で叩き壊す。土木工事である。二時間半程度で一段落。見てみると汚水管より浅い所に何か走っている。ガス管か水道管か。以後手掘りとなる。その下を通すので何だか大変そう。ハラハラするから素人は見に行かないことにした。

半分くらいまで作り替えて本日の作業は終了。仮の板を渡すところまで見届ける。暗くなる頃に出社。何だかガス管のようなものが気に掛かり授業に集中できず。何しろ家も人も古いから次次に亡くなるか壊れるかしている。此の所ノイローゼ気味である。もっとインフラの力を信じなくてはならないな。其のまま退社。再度工事現場を見回った。

 

2/5・火

 千葉の野田でまた児童虐待死事件。父親は態態会社を休んでまで暴行し続けたというから恐ろしい。暴力には依存性があるのだな。こういう暴力のプロに対して学校の先生や教育委員会児童相談所などの堅気の衆は敵わない。専門家に頼むしかない。都下ならば桜田門の生活安全課だな。捜査一課の出番になる前に何とかしなくては。一転して曇天。結局寒い。昼は三丁目のとんかつ弁当(770円)。久久に旨いかつを食べた。他は時時『方丈記私記』。

 

2/4・月

 未明は南の大風と小雨。引き続きあと僅かになった朝のお勤めとゴミ拾い。序でに近所の広場も見て回る。例によってゴミが落ちている。すると其のゴミに張り紙がしてあって、ゴミを捨てた人を激しく罵る言葉が書き連ねられていた。誰が書いて態態貼り付けるのだろう(新手のヘイトスピーチか?)。そんな面倒なことをするより拾って捨てればいいのである。ものの二分で終わる。他人を攻撃するより黙って善行を積んだ方がよっぽどいい(善行から極楽寺行きの記念切符を作れば沢山売れるぞ。小田急江ノ電。片道460円)。

続いて落ちていた子ども用パスモを交番へ搬送。此方は七分掛った。其の後庭猫の巡回。珍しくシロがくしゃみをしている。猫インフルエンザか? 元気はありそう。詰まり花粉症だな。大体単独性の動物は感冒には罹らないだろう。更に空き家の点検。すると二階にまでグレが入り込んでいて寛いでいた。床下の割れ目から入ったよう。もうすぐ此処は壊すからねと言い聞かせながら抱いて下ろす。

 朝はレトルト御粥、昼はスーパーのかつ丼カップ麺。処置が早かったから胃も既に全開である。午後千寿校に。S子先生は鬼の霍乱でお休み。鬼の居ぬ間に少し片付けしようと思った。幾つかの箱を畳み、賞味期限を大幅に超過したペットボトルの御茶三本と、野菜ジュースを二缶処分したところで時間切れ。大体捨てる場所がないのだから捗る筈もない。少しずつ持って帰るしか手がないな。

ところで此方の高校数学は、箱髭図とか標準偏差とかの統計の基礎に突入。中中難しい(高校で習った覚えがない)。統計は国家の要諦(とのこと)。大学の教養課程にはあったのかな。文系は統計学が分からない。退社後は「大江戸」で軽く摘まんで帰った。夜は既に寒い。

 

2/3・日

 偶には昼酒でもしませんかと言う訳で、横浜の中華街まで出向く。参加者は月波君と客乃間君。客引きに言われるまま食べ飲み放題の店へ。安いから大したものが出て来ない。結局の大量飲酒となる。二時間で店を出され、山下公園で暫時休憩。海を見てみると双胴型の珍しい船が居る。確か夏ちゃんとか言ったな。青函航路に鳴り物入りでデビューしたが、燃料費が高くてあっという間に廃止になった船である。今は防衛省絡みの会社が保有していると聞いている(軍備に採算性は問われない)。画期的な新型高速船であったが商業ラインには届かなかった。新技術が定着するとは限らない御手本のような話である。其のまま桜木町の地下街まで徒歩連絡。此処(ぴおシティ)もミニ新橋みたいになっている。更にもう一軒。七時過ぎにふらふらになって帰宅。一眠りしたら大変な胃痛に。今回は早めに戻した。

 

2/2・土

終日晴れ。家人は鎌倉へ。取り立てて無為。家人が買って来たスーパーの弁当の御飯が不味くて全量廃棄。炊き損なっているな。こういうものを売られてはフードロスゼロと言う訳には行かない。

 

2/1・金

 ネットで知り合った男性に会いに行った女子大学生が遺体で見つかる。余りこういうことは言いたくはないが、男と言うものは大変な危険な代物である。どんなに時代が変わっても、頭の片隅以上に置いておくべきことである。勿論出合いの可能性を否定はしないが、一個師団とは言わない、一個連隊を引き連れて行くぐらいの覚悟で臨まなくてはならない。また有名写真ジャーナリストもセクハラにパワハラで全身火だるまに。権力は腐敗する。其れが体制側であろうと非体制側であろうと。

 朝から晴れた。北風強く。先述の火災保険料を支払いに行く。送られて来た振込用紙はコンビニ専用。併し何枚も大枚を預ける所ではないんだけどね。つくづく現金は危ない。午後信託銀行の人が来る。来たのは切れ者風の課長代理と傍系の不動産会社の方。要は全部若しくは半分くらい売却しませんかという提案であった。色色と書類も作ってくれたようだが(出て来る数字はもの凄い、富士そば数十万杯分)、此の土地は売りませんぞ。此処だけの話だが、拙宅付近の地名は頼朝に関係がある。安堵された大正以来の土地を一所懸命に守り抜く所存。只管に草取りと朝のお勤めを果たすのみであります。晩食は適当鍋で適量飲酒。十時就寝。

 

2019年1月

1/31・木

 朝から曇天に小雨が混じる。久久の御湿りである。午前中は漫然とす。午後出社。夕方から久久の本降りとなる。中一数学は空間図形に突入。例によってホワイトボード上の二次元では巧く教えられず。ティッシュペーパーの箱の角や面を塗ったりして説明す。其れでも反応は薄いなあ。大手の塾などは最新のデジタル教材か何かを使うのだろうが、当方はアナログ方式である。まあさして重要な分野でもないのだけどね。其のままBへ。酔ったおじさん連中しかおらず。偶には脳みそ全開の切れ切れのトークもしてみたいもの。結局Iへ移動。此処も井満さんしかおらず。三杯飲んだところで雨が上がる。漸く帰れた。

 

1/30・水

 朝から通帳を大量コピーす。何でも臍繰りが亡父から贈与されたものでないこと証明するために必要な措置だそうで。ああ面倒臭い。直ちに税理士に送付す。続いて103号室の退去。丁度二年。此の部屋は回転ばかりがいい。御結婚するために一時実家に帰るそうだから寿退室だな。見たところの部屋は実に綺麗だが、エアコンと換気扇は交換が必要なよう。なお排水工事は漸く来週に決定す。以後引っ越しゴミの分別。粗大ゴミに近い大きいクッションは庭猫に供した。直ぐにミーちゃんが寝ていた。何だか少し前に流行った「ねこあつめ」みたいだな。

午後出社。チラシも配る。どんどん家が建っている。庭も無い三階建てばかりだが、タワーマンションよりいいだろう。お肉屋さんとも少し電話で話したが、まあまあ元気そう。ちなみに在庫は家主さんが処分したそう。鼻が曲がるほどの・・・。ご苦労様です。そういう時の為の家主ですけどね。退社後はBで歓談。

 

1/29・火

 此の所の週刊誌は「(親が)死んだら(手続きが)大変だ」「(事前に)此れだけはやっておけ」的な特集が目立つ。こういう記事を読んでもね、本当に親が死ぬとはなかなか考えないのが、子と言うものである。何となく此のままの状態が続くのではないか、何時か少しは良くなるのではないか、そういうバイアス(希望的観測)が掛かる。吾人ですら其の例外ではなかった。結局は行き当たりばったりの出たとこ勝負。其れでも何とかなるから大丈夫(金銭的損失は免れないけど)。なお亡くなってからの手続き等は、此の日記を参考にして貰えれば幸いです。あと、役所からの意味の分からない手紙は、大声で音読しながら解読することをお勧めします(現代文必勝法)。

 国会も始まったようだが、野党の支持率が上がらないのは、其の戦略が余りに稚拙であると言うこともあるのだろうが、最近の若い人には野党が色色と質問することで政府与党に迷惑を掛けているというように映るらしい。そりゃまあ、与党から見たら迷惑と言えば迷惑なのだろうが、野党が政権を責めるのは、犬が吠え、赤ん坊が泣き、子が親や教師に反発するのと同じ、当たり前のことなのだけどね。こういう当たり前が理解できないのはどういう訳なのだろう。どうにも迷惑を掛ける、あるいは掛けられることを極度に恐れる傾向があるように見える。予定調和の強制、同調圧力と言うか、一種のちぢみ志向、其れらをデフレマインドと言っても差し支えなかろう。となれば、インフレマインドよ来たれ。大きな心で夢や理想を語りたい。一方、野党第一党を崩壊へ導いた元環境大臣は与党に入るらしい。一党多弱を招いた論功行賞だな。こういう輩がいるからなぁ。ああ落選運動がしたい。

北風と冬型に戻り今日も晴れる。家人は今日も昼餐会。まあ少し遊んで貰わないとね。昼は冷凍うどん他。夜は弁当。

 

1/28・月

 朝方に税理士法人に書類を発送。概ね此れで十分な筈である。午前中は曇る。午後千寿に直行。途中散髪す。予定していた生徒は風邪でお休み。こうなると何もすることがない。他の生徒もいない。S子先生とは何の会話も成立しないから教室は静まり返る。此処に来て丁度五年か。つくづく生徒が減ったな(吾人のせいではないよ)。今後の運営をどうする積りなのだろう。

六時からは多少賑やかになった。本日の授業労働は一時間と少し。通勤時間の半分以下である。「お先に帰ります」と言うと、S子先生はにこにことして「お疲れさまでした」と宣う。あれだけの仏頂面が豹変す。つくづくよく分からない人である。さてさて偶には新店を開発しようと思い、徳俵を覗くも、やはり入れず。其れでは「大はし」はと言うと此方も満席。なれば東口の「かあちゃん」に参るも、此方はとっくに御臨終の模様。結局「福しん」の炒飯で腹を満たして帰った。本当はもう少し仕事がしたいんだけどね。施政方針演説内容薄し。既に惰性で漂流している。其れでも選挙に勝つのは、有権者の方も惰性で思考停止になっているからである。

 

1/27・日

 風邪も風も収まったので出鱈目散歩。成城行きのバスを仙川のところで下車し、以後多摩川方面へ。例によって二子は素通りし用賀へ。空腹に堪えかねて駅ビルのうどん屋へ入る。セルフ式の店など何処も同じようなものだが、此の店は違った。枡屋の新業態らしい。全ての注文を券売機で行う。すると食券データは其のまま厨房へ。後は番号による呼び出しを待つ。レジ係りを削減した積りなのだろうが、素気ないし、味気ない。うどん屋は湯気モウモウでああだこうだと注文したいよな。大体序で買いが出来ないだろう。ついつい手を伸ばしたおにぎりやお稲荷さんを売らないと儲からない筈である。其のまま電車に乗って帰った。約一万五千歩。夜は家人のお好み焼き。

 

1/26・土

 昨日来の中量飲酒と大量睡眠で何とか回復す。体の強張りのようなものが取れた。今日も強烈な冬型。一晩遅れてドラマ「日本ボロ宿紀行」。売れない歌手とマネージャーが安宿を泊まり歩くという物語。何もかもが新品になって行くから、最近はこういうものに関心が集まっている。いい傾向である。でも古い居酒屋や食堂は好きだけど、泊まるとなると数段ハードルが高いな。冬場は一発で風邪引きそう。吾人ですらピカピカのビジネスホテルに泊まりたいもの。

 大企業の給料が高く、中小零細がそうではないのは昔からだが、問題は大企業の範囲であると思った。試しに有名海運会社を例にとってみる。日本郵船百鬼園先生も嘱託を務めた由緒正しい大企業である。有価証券報告書等によると平均年収は1000を超えるらしい。でも同書に出ている社員は1700人ちょっと。可笑しいな、あれだけのお舟を動かしているのだから、船長さんだけでも1000人は必要である。凄い給料を貰っているのは軍令部付のエリート社員だけなのだろうか(グループの残り数万人はどうなっているの?)。結局こういう所をばかりを切り取って給料が上がった上がった、何とかミクスは大成功だと言われても、益益ピンとこない。統計のマジック(詐欺)だな。

 猛烈な寒気により午後は曇る。矢張り体調が今二つ。近間の買い物以外安静にす。吾人にも緑の不幸の封筒が送られて来る。今年は随分小型化されている。昨年からイータックスにしたから送付書類が少なくなったよう。晩食は須見伯母から貰った高級牛肉にスーパーの切り落とし肉を混ぜて久久の鋤焼きに。前者は柔らかすぎて味がせず、後者は何だか噛み切れず。つくづく中庸がいいと思った。

夜は公共放送の庭球中継を見る。例によって野球以外のスポーツのルールがよく分からない。実況も解説もテンション控え目だから有利なのか不利なのか今一つ掴めず。こういう場合は民放の絶叫中継の方がいいと思った。ちなみに見事優勝した選手は日本式の姓名だが生活は海外式で国籍は二つ。幼い内に海外に出て佳かった。日本に居ては才能があっても伸ばせなかっただろう。第一、日本の学校軟式テニス中心だもの。増してあのブカツでは伸びるものも伸びないな。

 

1/25・金

 朝から曇天。朝から税務署に参る。亡父の準確定申告である。また一月だというのに税務署は結構混んでいる(みんな何しに来ているんだ?)。多少待って提出。但し付表の控えを作り忘れたことに途中で気が付く。折角押した受領印には一旦消印を。下の図書館でコピーを取って再提出。此の間十五分程度。まあ多少のトラブルがないと色色と苦労して作った甲斐がないというものである。還付金は無し、納付金も無し。源泉徴収分(二万余り)でピッタリ。内容的にはシンプルな申告書である。無事終了す。

さてさて区役所下の硬券食券食堂でオムライス休憩(730円)。また自転車に乗って帰った。外は寒いが何だかあんまりスッキリしないな。何しろ此の後には相続税があるからね。吾人の申告もある。御昼過ぎに信用金庫の弔問。係長まで来る。夜はメガバンクから営業電話。みんなそんなに御金が欲しいのかね。大体集めたところで貸し出すところがないだろう。

 書いた傍から何だか具合が悪い。超人宣言返上である。午後は安静にす。「高額サービス費支給決定通知書」(10月分)と「後期高齢者医療制度の被保険者がお亡くなりになった場合の高額療養費の支給申請のお手続きについて(ご案内)」という書類が来たが、申告はもう既に終わりました。ということはこれらは相続資産になるのかなぁ。

 

1/24・木

 日ロ会談はゼロ回答の模様。当然だな。今後は「北方領土」という名称も使うなと釘を刺されたらしい。却って後退である。へいへい畏まりましたと教科書も早速書き直すのかな。統計資料を見直したら、昨年の賃金の伸びは幻であったという。態とやったのか、偶偶そうなったのか。詰まり故意なのか事故なのか。前者なら酷いが、後者でもやっぱり酷い。行政を担当する能力がないと言うことになるからね。公務員試験から受け直した方がいい。

 午前中は火災保険の更新契約。エライおばさんが杖を突きながらやって来る。御自分で持って来た書類も、「字が小さすぎて・・・」。吾人が代読す。実に五年ぶりだそうです。家人と暫し歓談して帰って行った。まあ何もかもネットで済ませてもねえ。生きがいなんだろうな。新棟四部屋五年分で8万7千円。五年後は・・・。

 午後出社。今日も寒い。立ち飲みBで軽く御仕舞。碑文谷のドライブという店でとんこつ醤油休憩。寒くて給料前だから何処の店も空いていた。帰宅後入浴。インフルエンザの話題多し。そう言えば今季はまだ風邪を引かない。二日に一度の割りできちんと風呂に入っているからかもしれない。例によって体は洗わず浸かるだけ。巷間ではタモリ式入浴法と言うらしい。それか永年にわたり各種ウイルスを取り込み、愈愈コンプリートしたのかもしれない。詰まり吾人も超人になったな。

 

1/23・水

 さてさて伯父さんの二度目の納骨式。平日の昼間は息子や孫は出られないというので吾人の出番となる。予備役の面目躍如である。大体拙宅が一番近い。其れでも家人とバスを二本乗り継いで参ったらすっかり遅くなった。エイサエイサと腰の悪い家人を坂の上の御寺に押し上げる。しかし此の御寺に来たのも久久だな(多分四半世紀ぶりくらい)。

参集者は伯母さん以下僅か。肝心の納骨も直ぐに終了。何でも石屋さんの御母堂が倒れられたとかでこういうになったとのこと。此れで伯父さんも漸く入れたな。でも基本的には入りたくないのかもしれない。伯父さんは婿で、実は伯母さん自体も養女である。本来は新兄ちゃんという方がおられたのだが、戦前に夭折(当然結核)。其れで伯母が戸籍を移した。養父母は大変な事業家で、息子が危篤と聞いた時は満洲から飛行機で帰って来たらしい。其れでも敗戦後の引き上げ其の他で、残ったのは鎌倉の家だけに。戦後は土地と骨董品の切り売り生活であったという(息子たちも普通の勤め人だから墓の維持が大変である)。吾人も僅かに覚えているが、養母様(平成元年没)は特に強烈なキャラクターで最晩年まで全力で君臨していた。伯父さんも伯母さんも相当苦労をしていたよう。彼岸でも喧嘩にならなければいいが・・・ね。また伯母さんも此れからは少し楽をして貰いたい。

近くの中華屋で軽く食べて御仕舞。まだ一時なので一旦帰宅。目黒までの地下鉄は矢鱈深いから家人も難渋していた(やっぱりバスがいい)。夕方出社。此方も作文練習。体験談を針小棒大に書くように指導す。金参万円受け取る。帰り掛け、都立高校(推薦入試)の応募倍率はどうすれば分かりますかと聞かれたので、つい反射的に新聞に出ますと応えて仕舞った。生徒はポカンとしていた。慌ててネットで検索して見なさいと言い直した。殆どの生徒は新聞など取ってもいない。いや、ひょっとしたら新聞にも出ないかもしれない。退社後はBで二杯だけ。

 

1/22・火

 今日も晴れ。関東はカラカラである。朝方税理士から電話あり。家人は今日も何とか兵衛で昼餐会。よく同じ所で何度も食べるね。吾人は三丁目の肉屋に弁当を買いに行くも、おばさん一人でてんてこ舞い中。おじさんはまた具合が悪いみたい。断念して近くのスーパーのとんかつ弁当。午前午後と税務関係の書類処理。夜はまたアスターの弁当。

 皇女の前婚約者が反論声明。400万円は贈与されたものだと。うーん、何処かの誰かが何とか費を使って処理しようとしない限り、此の問題はずっと平行線のままだな。こうして誰も何も仲介しようとしないのだから、詰まり破談に持ち込みたいのだな。大物フィクサーにとっては400など、ほんの昼食代だろうけど。早くケリをつけた方がお互いの為である。

 

1/21・月

 シロに続いてグレまで未明に入って来る。時期なのだろう。あるべきものは取ってはいるけど、何だか持て余すような気持ちになるのだな。二匹ごと抱いて下ろす。でも男の飼い主に愛情を求められてもねぇ。元元単独性のネコ科の生き物には集団という概念がなく、あるのは母子関係だけだと何かの本で読んだことがある。ということは、おっかさん・・といって懐いてくるのだな。胸でも差し出すか。

午前中は資料の収集。何でもかんでもあっという間に家人は捨てて仕舞うのであるべき紙も既に無い。どうして女というものはあんなに捨てて仕舞うのだろう。午後千寿に向かう。「東急東京メトロパス」で途中下車して宝町の税理士法人に。取り敢えず集めた書類を提出。予め訪問の意思を伝えてはいたが、税理士殿は会議中だとかで顔も出さず。五分でいいから出てきて欲しかった。色色と聞きたいこと(遺産分割協議前に空き家を壊せるかどうか)もあったのに。つくづく融通が利かないと思った。御役所と丸で同じだな。

小伝馬町に移動し日比谷線に乗る。併し此の辺もどんどんビルディングが建っている(こんなに沢山建てて大丈夫か)。以後千寿校入り。実に五週ぶりだがさして感動は無し。此方も既に死に体である。其れでも都立高校の推薦試験を受けるという女の子の作文を残業添削す。千代田線を町屋で下車。Bで二杯だけ。帰り掛けに中公新書の『承久の乱』。全く同名の新書が別の出版社から出ているが此方の方が中味が濃そう(こんなに沢山出して大丈夫か)。歴史の(未発の)可能性を巡るP108の記述が興味深い。

 

1/20・日

 概ね暖かい見込み。と言う訳で出鱈目散歩に出た。と言っても多少の算段はある。西部方面に比べ北部方面が手薄である。まず世田谷線で下高井戸。永福を通り、大宮八幡を軽くお参り。周囲は和田堀公園である。此処には武蔵野園という有名店がある。既に営業していたが、如何せん少し早いし、歩き足りない。今回は敬遠す。再び北上し青梅街道に出た。併し杉並辺りは全く縁がないな。新宿行きの都営バスを見かけたので、すかさず乗車。珍しく都心に向かう。

実に久久の新宿である。とは言うもの当てがあるのは思い出横丁の「岐阜屋」くらい。早速モーニング瓶ビール。店内は中高年男性がまばらにいる程度。酎ハイに紫煙に競馬中継。大人の世界だね。不惑を越えた吾人ですら、此の時間帯の此の店では最年少の部類に入る。何だか若返ったようで妙に落ち着いた。其のまま並びのBを覗く。なんとN君がいた。嘗て本店で勤務していた彼もいつの間にか新宿店の店長なのだという。暫し歓談す。でもそんなに沢山飲めない。地下街で購入したヒロタのシュークリームを差し入れて店を出た。昼も過ぎると一気に人が増えている。退散あるのみ。再び都営バスに乗り、終点は新代田。以後徒歩連絡。帰宅は三時前。こういう色色な気づきが得られる辺り、多摩川方面の郊外散歩では得られないな。今後は都心もコースに入れようと思う。夜は唐揚げと巻き寿司。ところで下高井戸辺りも高架線になるそうで、建設用地の確保が進んでいた。でもまだまだ掛かるな。駅前の市場は残して欲しいと思うけどね。

 

1/19・土

 家人は伯父さんの納骨式に。なお料理屋が定員に達したとかで吾人は留守番となる。夕方帰宅。家人によると創作フレンチは旨かったが、肝心の石屋さんが来ず、遺骨は御寺が預かることになったという。伯父さんも余程入りたくなかったんだね。一方吾人は昼の男ラーメン(780円)が胃に残り、夜は軽く済ませた。ほぼほぼ休肝。ところで拙宅の電気の契約が何時の間にかガス会社に変更となった。さようなら東電。フクイチの責任を取る意味でも料金を支払い続ける所存だったが、家人が勝手に変更したのだから仕方がない。まあ送電ではお世話になりますけど。暇なので映画「人間革命」。冒頭の戸田城聖丹波哲郎)の出所シーンだけでも現学会員は見るべきである。国家が過去にどういう誤りを犯したのか一目瞭然。シャベルや包丁や学習参考書がいかに大切な物であるかということも分かる。

 TBSラジオ「デイキャッチ」も三月終了とのこと。パーソナリティーの年齢を考えると「スタンバイ」も危ないな。また元会長の御蔭で拘置所の待遇は広く知られるようになったが、入管の収容所はもっと酷いらしい。此方も誰か有名人が入らないと注目されないな。なお長野県出身の関取も怪我で欠場。こうして吾人の人生から相撲が消えた。いやそもそも相撲に多少なりとて興味を持つあたり、吾人も歳を取った証拠である。

 

1/18・金

 一日晴れ。詳細な御見積もりが出来きましたというので出掛けてみる。行き先は駒沢の住宅展示場。先日其の近くの焼肉屋に行った時は、吾人には一生縁がない場所だと思っていただけに、人生とは分からないものである。腰が悪い家人も行くというので、のこのことバスに乗った。途中「一風堂」で昼食。家人にとってこういう専門店は初めてだろう。旨い旨いと言っていた。

さてさて見積もりは、地盤が弱いのと太陽光パネルを載せた関係で、当初プラス400万円。まあ許容範囲である。其れでも大体十年で償却できるというから、凄い物件ですなどと言われた(名目利回り10%)。松と楓と使っていない井戸も残る。其の分、駐車スペースが一台減る見込み。序でにモデルルームも見て回る。新しい物は良く出来ているな(見たのは最上位モデル)。此れに比べると築三十五年の拙宅など丸でボロ屋だと思った(まあピチピチのトップモデルとおばさんを比べてもね)。打ち合わせは二時間ほどで終了。もう歩けないと言うので帰りはタクシーを使った。家人も少し歩かせなくてはならないな。なお消費税が上がるので契約は早くした方がいいと言われた(三月末まで)。困ったな、こういう決断事は一番苦手である。第一に遺産分割協議が終わらない。マスタープランは早速遺影に供えた。

 

1/17・木

 それにしても人事院勧告や景気調査では賃金の高い大きい会社を、失業保険の給付にはそうでない会社の統計を使っているのだからますます呆れる。フランスの人も黄色いベストを着て怒っている。特にパリのビジネスエリートが富を独占していると。都市対其れ以外と言う構図があるな。やっぱりふるさと納税は必要かもしれないね。返礼品は少しでいい。

まあまあ晴れ。今頃になって取り過ぎた介護保険料を返すという書類が来る。凡そ二万円。もう申告書は作って仕舞ったよなぁ。午後出社。少し陽が長くなったのでチラシ入りクリアーファイルを入れて歩いた。退社後はBとI。家人の臍繰りにも相続税が掛かるケースがあるらしい。でも家計内は混然一体となっているから、何処から何処までが誰の収入で、此処から此れは私の支出などと分けられないよな。心配すれば切りがない。

 

1/16・水

 たかがレーダー照射程度の問題が解決できず。こんな問題は佐官クラスの協議でどうにかなる筈なのだが。三一が近いから益益炎上しているな。此の件は春が来るまで放っておいた方がいい。また金星配給人と化した横綱も引退。真面目で不器用だから人気はあった。なってくれただけで感謝すべきなのだろう。こうしてハラハラ劇場も閉幕。あの怪我さえなければね。大陸の谷間に咲いた悲劇の何とやらかな。後が居ないから相撲を見る人も少し減る見込み。

 次第に曇って結構寒い。午後出社。退社間際に進路相談。色色と聞かれたが吾人は大して応えられず。何しろ此の学年は真面に指導できなかったからね。色んな人が次次と来て立ち飲みBに閉店までいた。ちなみにお肉屋さんの携帯電話は繋がらない状態に。元気にしているだろうか。

 

1/15・火

 理事長が余りに理不尽だと教員が時限ストライキをした私立高校があった。何でも朝早く出勤させて下らない訓辞を垂れていたというから呆れる。其処で手持ちの『高校受験案内』を拡げて見る。歴史も古いし、場所もいいが、生徒は五百人余。募集人員から考えると定員充足率は恐らく六割そこそこ。こういう学校は早晩運営が成り立たなくなるし、こんな理事長の下では改革も進まないな。

ところで普通科高校に於ける普通教育が巧く機能していないと与党の議員は怒っていた。確かに、座学の一斉授業でサインコサインタンジェントを教えても、余り効果はないよな。そもそも半分くらいの高校生は中学校の内容が分かっていない。数学や英語の授業などは酷い目に遭ったという被害妄想くらいしか彼らの頭に残らないだろう。では普通教育に向かない子はどうすればいいのだろう。一応職業科の高校があるが、十五の冬で将来を選択させるというのも酷な話しである。せめて少人数で面白く教えられることが出来れば、生徒の評判も良くなる筈なのだが。そういうことは私立の方がやりやすい筈なのだけどね。

 早速朝のお勤め。今週は愈愈工事の筈だが、誰も来ないし何の連絡もない。元請け会社の若頭さんに電話をしたところ、設備屋さんが忙しくて工事の日程は白紙に返ったとのこと。吾人も軍手にスコップで穴掘りを手伝う覚悟で待ち構えていただけに、すっかり拍子抜け。糸の切れたアドバルーンのように先月入れなかったボロ市会場を散策。其のまま歩いて「陸」に参る。行って見ると開店前から既に大行列が出来ている。十分ほど並んだが寒さと空腹で敢え無く断念。向かいの要に避難。ラーメンはとんかつに緊急差し替えとなる。二郎系の店も増やして欲しいな。終戦前後やソ連の末期ではあるまいし、食べ物で行列などしたくない。

再び会場を歩き、千円の運動靴と白菜漬けと文庫本を二冊買って帰る。併し七百円のサービス定食では何だか食べ足りず。冷凍うどんと御菓子を追加投入。ああ本当はこってりラーメンが食べたかった。今年の店運悪し。ところで途中「オークラランド」にも避難した。何千回も前を通っているが、此処はボウリング場だったのだね。初めて入った。ゲームコーナーも覗いた。やれるゲームが一つもないことに気が付いた。パズルやクイズゲーム、みんな何処行ったんだ。電車で何とかも。学生の頃は結構やったんだけどね。

午後は一雨あった。以後少し晴れる。でも結局寒い。税理士法人と何回か遣り取りして準確定申告書を仕上げる。晩食は貰った鰻で何とかしようと思った。併し再加熱に失敗。レンジに軽く通しただけでは中まで熱が通っていない。熱熱の御飯を巻いて何とかしようと思ったが、巻いている傍から食べて仕舞ったので、結局冷たい。おまけに白菜漬けは本来不要な塩出しを家人が強行して味がスカスカに。万事休す。本日の食は総崩れとなる。こうなると沢山飲んで早く寝るしかない。

 

1/14・月 

 さてさて朝から快晴。何処かに出掛けようと思った。前回は山に行きかけたから、今回は海である。と言う訳で東横線京急線に乗って津久井浜で下車。何時もの廻る寿司屋へ。連休中で結構お客もいるのに、自動化コーナーしか開いておらず。味気ない上に、ネタも舎利も今二つ。改装して悪くなったな。

 気を取り直して海岸線を歩き、三浦海岸駅へ。適当なバスに乗って降りて西海岸へ。再びバスに乗って逗子に出た。本日は此処で終了。また京急線で帰る。横浜で崎陽軒の弁当。実は焼売は余り好きではない。何時もと同じ「季節の弁当」(730円)を二つ買って晩食とした。焼売は少なく(二個だけ)、其れ以外のおかずとのバランスが丁度いい。こういう弁当って世田谷の住宅地区では売ってないんだよね。

ところで成人式と見えて晴れ着姿の女性も多かった。二十歳の子と其の親御さん。二人で歩いていれば、年齢的には既に親世代に近い。何しろ結婚もしてないし、出世もしていないので、気分的には二十代後半か三十代前半の書生気質で停止している吾人なのである。

 

1/13・日

 大体晴れた。昼はオリジン弁当。取り立ててどうと言うことも無し。さてさて一夜明け、最近の芥田先生は『昭和維新私論』を読み直されているということを思い出す。特に渥美勝の心性が気になると。早速手元にあるので読んでみる。成程、なるほど。昭和維新とは今でいう一種のイスラム国かもしれないと思った。いや併し、(吾人も多少なりとて先生と呼ばれる身ですが)先生の先生は大変な先生であります。と言うことは、先生は先生の劣化コピーと言うことだな。夜は残った豚肉で肉豆腐。

 

1/12・土

 朝から曇天。時時小雪と小雨。さてさて芥田先生の千葉市の自宅に向かう。時間があったので、西船から京成線で参る。京成千葉線に乗るのなど数十年振り。いや併し、丸でローカル線の態である。標準軌で割と真っ直ぐな線路が勿体ないと思う次第。何も無い京成駅からJR駅に移動。元元は京成の方が古いんだけどね。駅前の王将で遅めの「五目あんかけラーメン」(630円)の昼食。

早速午後三時からミニ読書会。題材は月波君が提供した芹沢光治良の「幼い話」。恋愛小説と言うより農地改革への啓蒙小説といった体裁。農商官僚であった作者の経験が生かされていると言う結論(農地改革のアイデアは既に戦前からあった)。以後新年会に移る。参加者は、月波君、鷺乃間君、坪上君、藤松君と遅れて西嶋君。彼のカンボジアで車に撥ねられた話で盛り上がる。先生もお元気でネパールに行かれたそう。色色と示唆に富んだ話をされたのだが、生憎此方は数か月間思考停止状態。少しは読書も再開させなくてはならないと思った。十時過ぎまでいて、JRプラス東西線で帰宅。地元で富士そば

 

1/11・金

 朝一番で三名分の収支内訳書を優子さんに発送。どんどん作ってどんどん出さないとどんどん滞る。手元にあるとついつい考え直して仕舞って切りが無いからね。終日晴れてまあまあ暖かい。昼は自転車で外に出る。太い麺が食べたくなり隣町の付け麵屋に入る。茹で時間が長いから付け麵は儲からないだろうなどと考えながら暫し待つ(其の対極は博多ラーメン屋)。すると後から来たお客は食券を出すなり一分も待たずに供された。そんな筈はない。特急券でも出したのだろうか? 要は飛ばされたのである。また一から待つのかと軽く絶望すると、程なく吾人にも供された。但し先客はまだのよう。詰まり一番と三番を取り違えようで、二番の吾人の実害は無しか? 吾人が食べ終えても先客の着丼は確認できず。でも其の人はずっとスマホに興じていたから気が付かない模様。世の中知らない方が佳いこともある。

 買い物は二便。明日は芥田先生の書斎に伺うので桐の箱に入った高そうな焼酎も購入す(三千円)。夜は豚のしゃぶしゃぶ。韓国の大統領は、当該日本企業の資産差し押さえは司法が勝手に判断したので与り知らぬことであると宣う。またフランス当局は、オリンピック誘致を巡る贈収賄事件で、日本人の捜査を再開。一応三権分立と言うけど、国際問題化すると中中そうはいかない。例えば日本の裁判所がアメリカに賠償金を支払えなどという判決を出す筈も無いからね。ちなみに元会長は流感に罹り三十八度だという。体重が落ちれば免疫力もぐっと下がる。三権分立、殊に司法権独立の建前は、国の意向に逆らった時の抗弁として初めて生きる項目なのだろう。司法も立法も元元は国の権力の一つだもの。

 

1/10・木

 朝は一瞬晴れたが以後曇天。雪でも降ってきそうなほど寒い。午後出社。退社後はBで軽く御仕舞。

 

1/9・水

 終日晴れ。本日は休みにした。折角なので何処かに出掛けようと思った。取り敢えず世田谷線から京王線へ。終点の高尾山まで行く所存だったが、余りに寒くて府中で断念。天気はいいが風が本当に強い。駅前の神社にお参りし、仮設の茶店で燗酒休憩。併し年が明けて九日も経つと、多くの屋台も既に撤収作業中。活気が丸でないね。其のまま府中本町まで歩き、南武線溝の口に出た。「デリー」という古い店で遅めの昼カレー(600円)。ルーは辛口でシンプルな味。となるとカツとかコロッケなどの上物が欲しいと思った。

 そんなこんなで三時前には早くも帰宅す。以後ずっと税金の計算。「不動産所得の収入の内訳」を五名分作成したところで一日分の作業量を使い果たした。未だに残る数の子とかスモークサーモンとかソーセージとかで軽く飲んで御仕舞。なお亡父の準確定申告を真面に行おうとすると還付金が発生する模様。高が数千円。相続人が複雑だから却って迷惑である。医療費控除を少なく申告して何とか回避しようと思う。

 

1/8・火

 今度の改定で「あずさ」は停車駅を絞るそう。値上げして(回数券が廃止)、尚且つ停まらなくなるのでは堪らないと関連自治体は怒っている。在来線は小回りの良さが利点だからね。抗議が実るといいが。首長に加え市町村議員にも頑張って欲しい。一方あの元会長は裁判所に出て来て弁明したとのこと。何でも体重が十キロも落ちたという。小菅式ダイエットは、やはり人の道に反するな。またまた国際的非難が出る。

 さてさて講習も終わり通常体制に戻る。取り立ててすることも無い。午後重い足取りで眼科兼内科へ参る。愈愈視野検査である。検眼の後、手に汗を握り必死の形相で光芒を追う(正確に言うと視線は固定したままなので追ってはいけない)。直ちに結果が出る。盲点以外は見えているから問題はないとのこと。よって経過観察となる。内科の検診の結果も出ているので、隣の診察室に移動。LDLコレステロールと尿酸と血圧が高めだが、此れもまた取り立てて投薬治療する程でも無いとのこと。よって無罪放免となる(容疑は濃いが)。足取り軽く帰宅。但し眼科の検診に診療報酬約800点。眼科は高いね。尤も薬も飲まないから国民健康保険制度の維持には貢献出来そうである。兎に角、食べ物に気を付けて、運動しなくてはね。幸い小菅に入れられる用件もなさそうだし。草臥れたので九時就寝。

 

1/7・月

 携帯電話が生まれた後、元元ある電話は固定電話と呼ばれるようになった。とある大阪の学校が有名になって、元からある神奈川の其れは横浜何某と呼ばれるようになった。そもそも両者には何の関わりもない。ラグビーで対戦したらしいが、結果は良く知らない。別にそれほどの愛校精神がある訳ではないけどね。どちらもスポーツと学業の分業制のような学校である。

 引き続き朝のお勤め。住人も戻ったようで滞りも戻る。いよいよ来週の工事が決まったから、此のお勤めもあと僅か。御昼に出社。時間があったので隣町まで散策す。結局王将で炒飯。大して旨くない。さてさて講習も最終日。人繰りが付かず、最後の最後に中一の合同クラスである。夏の嫌な思い出が蘇る。全体で進めることは諦め、個別に課題を与えることとする。やることが違えばまあまあ大人しい。各個撃破戦術だな。退社後はBで中量飲酒。須々木さんと市ヶ谷さんが居て結構楽しかった。機嫌が良くなったので、Bの女子社員にはコンビニの御菓子を差し入れる(千円相当)。偶にはこういう喜捨をしないと福が寄ってこない。

 

1/6・日

 大体曇り。日曜だが本日も出社。冬の講習は一気にやるからね。授業の合間合間に『平成精神史』を拾い読む。何にも楽しいことのないまま直ぐに帰宅。留守中に塗装屋さんが来て早速屋根を直したそう。此れで一安心。夜は碑文谷で買った焼き鳥と唐揚げの鶏づくし。年末に買いためたワインも日本酒も概ね無くなる。飲み過ぎ防止の為に最近は在庫を減らしている。

 

1/5・土

 併し現金を持ち歩かない人と言うのは、古い中華屋やよさげな居酒屋を目にした時、どうするのだろう。一旦ATМに御金を下ろしに行くのかな。面倒な話しである。

 今日も晴れ。昼は結構暖かい。朝粥に色んなものを載せて食べたがまだまだ食べ切らない。当分買い物も停止。また隣の瓦がずれていることを発見す。スレート状のものなのでそんなに重くはないが、落ちたらかなり危ない。みたび応急処置を依頼す。年が明けてもこんなことばかりである。午後出社。退社後はBとIで中量飲酒。夜は北風。

 

1/4・金

 御昼に出社。例年の此の時期は年末年始の行動を報告させるのだが、先日の新幹線トラブルに巻き込まれて帰省を一日遅らせた生徒が居て少し可哀想であった。曰く、東京駅は人で溢れていたと。更に詳しく聞けば下車駅は佐久平だという。中央線プラス小海線なら帰れるけどね。単身なら兎も角、家族を連れては無理だよな。また無責任社長のところには何度もお肉屋さんから電話が掛かってきている。変な所に入れられたと悲憤慷慨しているらしい。地域社会から隔絶されると認知症も進むだろう。併し、残念ながら、此れ以外の道は、恐らくない。其のまま退社。正月料理の残りを残りのワインで流して御仕舞。

 

1/3・木

 恒例の駅伝見物。其の後川崎に移動。総勢十名で昨年と同じ中華屋に入る。出た後は、カラオケに行く行かないで意見が対立し、不愉快になった吾人は途中で帰ることに。新年早早碌なことがない。中でも激昂した吾人は小銭(二百円相当)を路上にぶちまける。川崎の人を驚かせたかもしれない。此の場を借りてお詫びしたい。

祐天寺の花月でラーメンを補給し、五時過ぎには家に着く。入浴後直ぐに就寝。午後六時過ぎに熊本で震度六弱。人的被害はないが結局夜中まで新幹線が止まり迷惑なことになる。東ならもう少し早く動かせたかな。

 

1/2・水

 家にしても仕様がないので、朝の内から散歩に出る。目黒川まで歩いて大鳥神社で初詣。屋台で御酒でも飲もうと思ったが何にも出ていない。此の神社も案外小さいね。バスで通るだけだから何も知らなかった。其のまま祐天寺に回航。併し牛丼屋ぐらいしか開いていない。止む無く一駅歩き碑文谷の日高屋に入る。こういう場合のチェーン店は有り難いと思った。働いている人は大半が外国人材だから日本の正月は関係ないのだろう。店内は忽ち中高年の一人客で埋まる。みんな孤独なのだな。メンマを当てに二級酒を二合。更に三十分歩いて帰宅。午後は漫然とす。何だか正月も何時もと違うからどうしていいのか分からない感じ。夜は千代田鮨。

 皇居広場には十五万人も押し寄せたという。再び「日本沈没」ネタで申し訳ないが、同映画には宮城に押し寄せた避難民を警察が武力制圧しそうになり、慌てて山本首相が止めさせるというシーンがある。まだまだ戦前戦中の記憶が生生しい頃の作品である。

 

1/1・火

 終日晴れ。分厚い朝刊が二紙、読むところまるで無し。朝は和食を中心に福島の「栄川」純米大吟醸で流し込む。例によってすることも無い。そこで年も改まったので、相続税の申告に必要だというゴミみたいな書類を集め始めようと思った。併しそういうゴミみたいな書類を集めてくれと言う税理士から貰ったゴミみたいなリストすら何処かに行って仕舞っている。一瞬で挫折。此れは前途は厳しいと思った。

 午後は地上波でやっていたテレビドラマの集中放送。「アンナチュラル」という作品だが展開が速く見ていて飽きない。外国ドラマのようでよく出来ている。職業上平日夜の番組と言うものは見られないので丁度良かった。夕方から飲み始めて、九時就寝。今日も寒かった。飲酒より入浴で体を温める。暖冬な筈なのだけどなあ。原宿の竹下通りで暴走事件。人の集まる所は常に危ない。

2018年12月

12/31・月

 一日晴れ。今日明日の食べるものが欲しいと言うことになり、吾人が買いに出掛ける。渋谷まで徒歩連絡。ザギンアスターと薔薇の家で中華と洋風のオードブルを購入。合わせて六千円。おせちを取り寄せるより安いな。併し地下食品街は大混雑(例によって大勢の中高年が現金を使っているから支払いが遅い)。今半精肉部など大行列が出来ていた。正月に鋤焼きを食べる習慣はないなぁ。地上に戻り、天神が休みなので風龍で博多ラーメン替え玉付き(650円)。

帰りはバスにした。新人運転手らしくクラッチ操作が覚束ない。一応指導役のおじさんも乗っていたが、みんな無言で見守る。誰にでもルーキーイヤーがあるからね。ところで吾人はどうしていたのだろう。遠い目をしながら思い出すが、あんまり苦労をしたという記憶がない。先生は生徒の成れの果てだから、割とスムースに移行できるというものである。其れに対象人数も少ないしね。

例によって夕方から飲み始める。やっていることは毎年同じだが、拙宅の人口は三分の二になって仕舞った(鋤焼きなど益益考えられない)。寂しい限りである。安スパークリングワインの酔いが回り、心臓がバクバクになる。十時就寝。こうして2018年は終わって行った。何しろ六月からバタバタの酷い一年であった。

 

12/30・日

 宿酔は無し。金宮の御蔭であろう。「いい酒は朝が知っている」とは中中良く出来たキャッチコピーである(確か東北の酒造会社)。従って朝から富士蕎麦が入る。さてさて今日から五連休。まあ吾人の人生に休みは沢山あるから、さほど有り難い物でもない。其れでも仕事をした後の休みとなると矢張り開放感が違うな。辛く厳しい労働があっての休暇である。家人眩暈につき、吾人が買い物に出る。今年はおせちも取らなかったので色色と買わなくてはならない。田作り、黒豆、なます、数の子、何れも極小サイズのものを購入す。

 東京駅で新幹線が動かせなくなり、東日本の新幹線が終日混乱。もともと手狭な上に、臨時列車も目いっぱい組んであるからどう仕様もない。ピーク時は上野や大宮始発も作ったらいいと思った。東京の西に住んでいると大宮から乗っても実は大して変わらない。此れは湘南新宿ライン埼京線の御蔭だな。新幹線リレー号が走っていた頃にはどちらもなかった。併し指定席が増えると異常時の対応が難しいなあ。再開次第全車自由席で運んでしまうのが一番能率がいい筈である。

 

12/29・土

 今日まで講習。午後出社。教える側も教わる側も既に年末モード。詰まり気もそぞろである。退社後、月波君が来る。まず古い天ぷら屋へ。二年振りぐらいかな。親父さんは具合が悪いらしい。奥さんと娘さんが厨房に立っていた。真面目な店だから客の扱いも真面目過ぎるんだよね。娘さんが店を引き継ぐのならば一度スナックか何処かでアルバイトした方がいい。天丼と熱燗二合を平らげてもまだ寒い。暫しバーIに避難。最後は佐渡屋に駆け込んだ。金宮焼酎をお湯で割って牛飲す。帰宅は十二時ぐらい。

 

12/28・金

 結構な寒さ。午後出社。愈愈向かいのお肉屋さんも施設に移ったとのこと。息子と娘さんからは絶縁され、住む家(賃貸)も失い、店舗に寝泊まりするという異常な状態が一年半も続いていた。此の間、認知症も進行し健康状態も悪化。傍から見ていても可哀想であった(吾人は亡父のコートを寄付したけど)。行く先は川の向こうの無料低額宿泊施設。色色と評判が良くないことは知っている。お肉屋さんは十五の頃からずっと働いてきたというから、もう少しいい所に入れてやれればとも思う。でも何しろ早く室温が管理されたところに移った方がいい。寒波襲来の前に入れて良かったというべきである。そして廃墟と化した店が残った(超超熟成した在庫も)。此処の処理は誰がするの?

 退社後は立ちのみBへ。鰻犬先生と須々木さんが居てくれた。大変残念なことだがお話し内容が今二つ。バーIへ避難す。先客は無し。店主と暫し歓談す。出来れば美女と出合いたかったが、やって来たのは井満さん一人。早速五年前から何度も聞いているお話をされていた。一日の終わりが壊れたテープレコーダーではねえ。早早に帰宅する。全部で四千円。

 

12/27・木

国際捕鯨委員会から脱退するとのこと。てっきり松岡気取りかとも思ったが、案外そうでもないらしい。此れで評判の悪かった南極洋の調査捕鯨からは撤退して、沿岸の小規模商業捕鯨にシフトする。まあ身の丈に合った形への転進かな。江戸時代くらいの捕獲高なら許して貰えるだろう。近海物の非冷凍品は頗る旨いと聞くが本当かなぁ。今日も御昼に出社。退社後は立ち中華とBと連戦して帰る。夜は冷えた。

 

12/26・水

 朝のお勤めの後は、昼のお勤めに。今日から冬の講習である。千寿校に他の先生を送り出した手前、銃後の守りを固めなくてはならない。本務校にて八時過ぎまで勤務。午後に付け麵。退社後は立ち飲みBで少し飲んで帰宅。

 今朝の「文芸時評」(磯﨑憲一郎)は中中良かった。詳述は避けるが、延命治療=やるも後悔、やらぬも後悔。そういう逡巡の中に人人は常に立たされているのである。スーパードライの息子さんや炎上商法で有名な社会学者さんはそう言うことが分からないのだな。此れが若手論客の実力である。想像力と言うものを持たなくてはね。

 

12/25・火

 まあまあの晴れ。アメリカから株安が伝染し、東京も二万円割れ。といっても我が人生に何の関係も無し。家人は鎌倉へ。午後税理士さんがやって来る。前回と同じ税理士法人だが、今回来た人は違う人である。一応税理士資格はあるようだがまだ若い感じ。新人だろうな。色色と協議した結果、御金が勿体ないので準確定申告は吾人がやることにした。早速目の前の専門家に助言を仰ぐ。例によって修繕なのか設備投資なのかで迷う支出があるが、そもそも築四十年だよな。全部修繕費として付けようと思う。

なお例によって相続税の申告にはまたまた細細な書類が膨大に必要とのこと。未収金の扱いだとか、葬儀費用の明細だとか、臍繰りの有無など、不動産価格から見たら微微たるものだが考え出せば誠に切りがない。其の内に自動販売機でも領収書を出す世の中になるだろうと思った。税制は簡素に、いっそ法人税所得税と固定資産税と消費税だけにして貰いたいものである。でも消費税は今後うんと複雑になるのだっけ。諸諸に色色と聞いているだけでうんざりする。そんな打ち合わせだけで二時間も掛かった。

 

12/24・月 

 天皇誕生日の振り替え休日。来年からは休みでなくなる日である。朝のラジオから聞こえて来たトニー谷のクリスマスソングが面白くて良い目覚め。昭和歌謡は奥が深いね。ネット上の百科事典で見ると破滅型芸人と言った感じの人だけど。冬型の晴れが戻る。風が強く桐も楓も漸く散った。落ち葉掃きを数度、買い物は三便。猫餌に雑煮用の小松菜、昼の弁当、晩食のおかず。世帯年収も減ったので豪州産の牛肉をチリワインで流し込むことにした。他には三百円のぶり刺しを外猫と分け合う。

年賀状を止める年寄りも多いと聞く。年賀状じまいというらしい。いやいや、這ってでもミミズがのたくった様な文字でもいいから、年賀状くらい出さなくては駄目だぞ。亡父も年賀状を止めた頃から急激に衰弱した。何事も気からである。

 

12/23・日

 朝の内から出鱈目散歩に出る。まず82系統で等々力、以後多摩川に出て、丸子橋を渡る。再び適当なバスで高津に出て、二子橋を歩いて戻る。ところで目黒通りを延長して其のまま多摩川を渡す計画があるそう。ならば散歩のパターンも広がると思った。橋が出来れば江戸時代の多摩川の改修により離れ離れになった世田谷の等々力と川崎の等々力が繋がる筈だが、いや併し完成は何年先になるのだろう。問題は川崎側の道路整備だろうな。二子から都立大まで再びバス移動。以後飲食店を探しながら歩いたが、まだ何処も開いていない。結局歩き通して地元の古い蕎麦屋に入った。店内は余りに暗く、出て来たものは大したことがなかった。古いだけではねえ。午後は再びの小雨。肉屋で鶏を買って夕方から飲み始める。時節柄ワインは赤色にした。

 

12/22・土

 朝のお勤めとして砂肝のようなものを流した後は取り立ててすることも無し。散歩に出たら雨が降り出す。堪らず「天下一品」に入る。「こってり」を頼む力がなく、「あっさり」にする。不味くはないが、あっさり味は家でも作れるな。矢張り中間のものが欲しいと思った。

さてさて夜になったところで、大したこともない。世の中はクリスマスだの正月などと言って騒いでいるが、実父も亡くなり老母と二人きりになって仕舞った家庭にはおおよそ無関係である。六時前から吾人だけ飲み始めた。併し一年前はどうしていたのだろう。恐らく亡父はよろよろと起きて来て、何だか詰まらないことを言って、多少なりとて何か食べて、もう眠いと言ってまた寝に入ったところかなあ。いや併し全く以てよく思い出せない。其の思い出せないことが、一定の幸福であったと何処かの歌手が歌っていたなあ。

 

12/21・金

 怒り出した韓国の人人も次次と訴訟を起こしている。日本企業に続いて自国の政府も訴えることに。与り知らぬところで勝手に請求権を消滅させられたのだから怒る気持ちも分からないことはない。大体此の国の空襲被害者も救済されていないのだからなぁ。なお自動車会社の会長も愈愈保釈されると思ったところで再び逮捕される。今度は特別背任らしい。無間小菅生活である。特捜部が意地になってやっているから所謂国策捜査だな。またまた国際的非難を浴びそう(考えてみればこういう外圧って今までなかった)。併しどのみち大した罪には問えないだろう。此のまま御引き取り願えれば、其れで十分である。

さてさて健康診断の日。亡父の件もあり、一丁目の診療所に向かう。初めて掛かる所である。夫婦でやられていて眼科も併設なので何かと便利だと思った。例によって立ったり寝たり採ったりす。眼圧は矢張り高め(=22)。序でに画像診断もして貰う(追加の診療報酬200点)。左目の一部に問題があるそうで、年明けの視野検査を予約す。愈愈来たかな。結果が悪ければ目薬生活が始まる筈である。やれやれ、結論はどうあれ、一段落。昼は新しい中華屋で油淋鶏定食(900円)。何だか食べ足りず更にクリームパンと巻き寿司。爆食である。何しろ二十時間殆ど何も食べていなかったからね。須見伯母が来たので、隣の空き家を案内す。堆積していた古い賞状なども少し見せたが、伯母は旧漢字でもすらすらと読める。戦前に教育を受けた人は矢張り違うね。夜の大量飲酒も再開。

米国の国防長官も辞任。海兵隊出身でありながら常識人であった。いやいや、こういう言い方自体少し正しくない。大体軍人上がりが常に狂暴人とは限らないからね。併しこういうバイアスが掛かって仕舞うのは日本人特有かもしれないと思った。何しろ此の国の陸軍出身者には碌な人物がいなかったから。

 

12/20・木

 今日もまあまあの晴れ。午後出社。昨日と同じように取り立てて特徴のない一日。Bに行くも、誰とも行き合えず。二杯飲んで其のまま帰宅。こうなると入浴だけが楽しみなのだが、急いで戻ると家人が丁度入る所であった。抑止されること二十分。二人しか居なくなったのにどうしてこういうことになるのだろうと思った。其の間シロを抱き寄せ、散散捏ね繰り回す。

ところで新スマホになって二週間。流石に新しい物は良く出来ていると感じる。音声入力も質が上がり、とんでもない誤変換も無くなる。また久久に古い方を動かそうと思ったが、既に動かし方を忘れかけていて驚いた。去るものはね・・・。

 

12/19・水

 まあまあの晴れ。午後出社。取り立てて特徴のない一日。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。ますます特徴のない一日。

 

12/18・火

 T氏はまた次次と側近を解任している。ところでT氏を政界に導いたのはO氏だったのだという。大統領晩餐会で小馬鹿されたことを根に持ち、出馬を決意させたそうである。O氏もとんでもない事をしてくれた。真面目な同氏の事だから今頃慙愧に耐えないと言っていることだろう。

 終日晴れて暖かい。さてさて相続手続きも一巡すると取り立ててすることもない。朝のお勤めはしているが、此の時期は草も生えないし、落ち葉掃きもほぼ終了。年賀状も出さないとなると師走と言うより師閑である。健康診断の予約をし、昼は防空壕のような中華屋で上海焼きそば。此の三日間は減塩節酒である。買い物は三便。牛肉が食べたかったが、世帯年収も減っているので挽肉を使った厚揚げ麻婆豆腐にして節約す。ただ外猫様たちには高そうな猫の写真が付いた餌を食べさせた。「モンプチ史上、最高の美味しさ」を謳うだけに流石に食い付きが違うね。

 

12/17・月

 朝方は冷たい雨。以後晴れる。午後千寿に出校。年末年始の講習は別の先生に出て貰うことになったので千寿校とは当分のお別れ。S子先生とも顔を合わせないので清清す。生徒を罵る以外に言葉の使い方を知らないような人と同じ場所にいること自体、精神の大いなる摩耗を強いられる。るんるん気分で「大江戸」で熱燗と寿司を数皿摘まんで帰る。

海狸も白熊君も海外原発計画は諦めたよう。正しく大清快、じゃなくて大正解である。札幌の不動産屋が爆発。巻き添えで隣の居酒屋も倒壊。幸い死者は出なかったが、使い切れなかった大量の消臭スプレーを放出中に湯沸かし器の火が引火したよう。こういう災害もあるのだね。矢張り安全管理学部を作るべきである。

 

12/16・日

 曇ったままで朝からずっと寒い。買い物は一便。居間もエアコンだけでは十分暖まらない。時時ガスファンヒーターで増援する。夕方月波君が来たる。曰く授業で疲れたと。いまだに放送大学に通っていて今日は朝からスクーリングだったとのこと。熱心と言えば熱心だがよくやるねぇ。週に数度授業する身としてとしては、授業をするのは面倒だが、授業を聞くのはもっと面倒である。歳を取ると段段我儘になり大体一時間半以上じっとしていられない。だから映画館にも行かないし高速バスにも乗らない。一日中講義を受けるなど正しく悪夢である。「とらや」「ほていや」と連戦して帰って貰った。夜まで寒い。蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを飲んでも震えて戻る。行火を効かせて十時就寝。

 

12/15・土

 今日も冬晴れ。早速ボロ市会場まで徒歩連絡。既に人が多すぎて会場に入れず。やむなく其のまま豪徳寺まで歩き、「りらくしん」という店で二郎系ラーメン。割と年配の御夫婦でやられているよう。此の手の店としては珍しい。独学したのかなあ。チャーシューやスープも旨いしサービスも良かった。満員の世田谷線で帰宅。午後は漫然とす。晩食は残り物を総動員。辺野古の埋め立ても開始。馬鹿どもに権力を与えているのは、より一層の馬鹿どもだからなぁ。

 

12/14・金

 漸く晴れた。家人と共に吾人もいざ鎌倉へと向かう。まずバスに乗り祐天寺駅に。すると埼玉の方で踏切確認をしたとかで東横線がもたもたしていた。予定していた横須賀線に乗り遅れる。中距離電車を一本逃すとあっという間にぎりぎりになって仕舞う。やむを得ず駅からタクシー移動(730円)。自宅で看取られた伯父さんは葬儀会場も自宅である。親戚縁者が凡そ三十人。和尚さんも二人。高輪の由緒ある御寺から来たというから御布施も180万円!だそう。其のまま最後のお別れとなる。伯父さんは元元痩せていたから既に骨と皮といったところ。色色と大変だったな。鎌倉の伯母さんも首の調子が悪そう。介護生活も長かったからね。

 此処で鎌倉の伯父さんについて少し述べる。昭和二年生まれだそうで中学校の教員を定年まで務める。以後カイロプラティクスの治療院を営むなど多芸な人であった。植木の手入れも一流の腕でしばしば拙宅にも遠征を願った。勲章も貰ったそう。ただ賞状を発行した総理大臣がAではね・・・。そう言うことはさておき、今一度合掌す。吾人にとっては温厚な好い伯父さんであった。

マイクロバスを仕立てて山の中腹の火葬場に向かう。此処も民間施設のようだが焼き台は二つしかない。桐ヶ谷巨大ターミナルに比べると田舎の駅と言ったところだと思った。一時間ほど待って収骨。炉が古いのかな。時間も掛かったし、残った骨も多かった。みたび合掌。再びバスに乗って、駅横のザギンアスターで精進落とし。五時前には解散す。もう少し飲みたかったが、本日は此れで御仕舞。其のまま帰宅。帰りも東横線。特急に乗ったが混んでいる上に一つも速くない。其の上、踏切とカーブも多く、危なくて見ていられない。東京と横浜を結ぶ主要幹線が此の程度である。例の国土強靭化で予算を持って来られないのだろうか。大事な交通インフラである。いやしかし、今回は喪主でも施主でもないが葬式と言うものはやっぱり草臥れる。夜は再びの胃痛。大して飲んでないのに可笑しいな。まだ胃腸が治ってないのかな。本日は中華一食のみ。

煽り運転の被告に重い判決。国民皆免許制度は民主国家の証だから、こういう人でも運転出来て仕舞う。「馬鹿どもに車を与えるなっ!」(海原雄山)という訳にも行かないからなぁ。

 

12/13・木

 結局曇って寒い。此の頃寒くても晴れない。まるで日本海側のよう。家人は通夜へ。吾人は本務校へ。講習の予定を詰めた。金五万円受け取る。留守宅と外猫が心配なので急いで帰宅。

 米中貿易戦争は新たな段階へ。中国製IT機器の排除に向かうことに。いやしかし、スマホの中に秘密の機械が仕込まれていて勝手に情報が抜き取られるだなんて、ややスパイ映画染みている。言いがかりだろうな。

 

12/12・水

 朝方に電話があり、昨夜遅く鎌倉の伯父さんも亡くなったとのこと。享年九十一。家人は急行す。また葬式である。午後家人帰宅。家族に見守られた穏やかな最期だったという。何しろ鎌倉は息子が四人、嫁さんが三人、孫多数と言う構成だからね。拙家とは偉い違いである。入り替わりで出社。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。朝方は小雨が残り午後も曇る。夜は北風強し。

 

12/11・火

 散散だった臨時国会も閉幕。十連休法案も可決される。天皇制云云以前の問題として国民は大喜びである。何しろ休めない国民だからね。さてさて吾人とてどう仕様。提灯行列なぞは見たくないから、数日くらいで何処かへ避難しようと思う。小田急と各駅停車を乗り継いで西の方へ。逃亡者のようにビジネスホテルを泊まり歩いて。土佐中村で幸徳秋水の墓参りとか面白そう。ところでこんなに沢山休みになって一番困るのは医療機関だろうな。特に大病院は連休前後は壮絶な超混雑となりそう。ああ恐ろしや。また山手線の新駅の名称に批判が集まる。名前云云以前の問題としてわざわざ公募させておきながら、序列百三十位のものを採用したのだから、そりゃあみんな怒るよな。要はプロセスの問題である。ちなみにゲートウェイで思い出すのはパソコンだな。大貧学院第一号の其れがゲートウェイ社製であった。あっという間に壊れて其の内に会社ごと日本から無くなった。

 午前中に銀行員が来て相続手続き。管轄がリテール部に移ったので担当は吾人より年上の女性職員となる。切り者風の課長代理とはもうお別れ。財産目録作成に向けて通帳を提出す。打ち合わせは一時間程度で終了。午後も寒い。雪でも降ってきそうな気候となる。遺族年金支給開始通知が送られてくる。矢張りひと月十一万円余。何も面白いことがないので豚キムチ鍋で飲酒も解禁。缶麦酒と白ワインを少少。夜は大雨。

 

12/10・月

 曇り勝ちで朝は三度程度。急に寒くなった。午後千寿に出校。「福しん」の炒飯で御仕舞。帰宅後は隣の自販機で強炭酸水。断酒も五日続いた。就寝時には亡父の残した電気行火を使ってみる。案外暖かくて重宝しそう。そろそろこういう器材を使い始めてもいい年齢である。

 

12/9・日

 朝から出鱈目散歩。田園調布までバスで出て、以後多摩川に。左岸を北上。二子玉川を素通りして用賀の「柳屋」という店でラーメン休憩。もう一駅歩いて電車で帰った。交通費350円。二万歩以上。多少陽が出たが非常に寒い一日。そう言えば環八で「名古屋」というボードを出してヒッチハイクをしていた若者二人組が居たがどうなったかな。青春18きっぷは明日からだから、車に賭けたのだろう。ハイリスクハイリターンだな。夜は豆乳豚肉鍋に中無しホッピー。禁酒四日目。異様に寒いので猫小屋にも懐炉を入れた。ちなみに亡父が使い切れなかったものが大量にある。

 

12/8・土

 早速朝のお勤め。排水桝には馬並みのものが鎮座している。二杯掛けて漸く流れて行った。大食いタレントでも居るのだろうか。そういう人は入居禁止である。続いて蔦の刈り取り。其の後は西友に行き、直管を購入。取り敢えずもう二本交換した。しかし折角当該クレカを使えば5パーセントオフになる日なのにカードを使っている人は皆無。此の店の御客は圧倒的に高齢者だからかな。本当は高齢者こそカードを使って貰いたいものである(御金の受け渡しで圧倒的に列を止めている)。残念ながら人の行動は容易には変えられない。増してスマホによる三次元バーコード決済など四十代以降は無理だな。詰まりある程度キャッシュレス化するにも世代交代を待つしかない。吾人の計算だとあと二十年は掛かる。

 午後は家人達ての希望でガス台の交換工事。下の台ごと替えて約二十万円。大変な出費である。当然現金払い。家人にとっては(恐らく)最後のガスコンロだろうけどね。どういう訳だかコンロは三口となった。もうそんなに料理もしないだろう。大体高齢者にマルチタスクは不可能である。晩食も電子レンジしか使わなかった。本日も無酒。

 

12/7・金

 さてさて朝から冷凍饂飩。勤労意欲が漲って来たが取り立ててすることがない。まあまあ晴れた。家人は再び鎌倉へ。昼は「かしわや」のカレー。何だか食べ足りず更にカップ麺。夜はスーパーのとんかつ弁当にノンアルコールビール。基本的にはスマホゲームの日。併しアプリと言われるものは無限に存在す。皆スマホばかりやっている訳である。

 外国人材法案を巡り国会は大荒れ。議長を含めて与党議員の横暴酷し。何をやっても支持率が下がらないからな。兎に角あの評判の悪い技能実習生制度だけは早く直すべきである。

 

12/6・木

 結局年に一度あるかないかという最大規模の宿酔に。朝から七転八倒す。午後になっても回復せず。苦しんでいると設備屋さんが見積り書を持ってくる。排水管と排水枡を全部取り替えて七十万円。予想の倍である。まあこうやって朝のお勤めを何年何十年(最大で二十年)も続ける訳にも行かないから、辛くともやらざるを得ない。

過大な見積りのせいかまでかは分からないが以後宿酔はますます悪化。とうとう赤いものまで出た。回復は午後五時頃となる。遅れて出社。退社後は立ち飲みBでノンアルコールビールとホッピー外と煮込みの豆腐とシラスおろしのみ(850円)。暫らく禁酒である。午前中は雨。通信設備が故障したとかで全国的に携帯電話が使えなくなるトラブルがあったが寝込んでいたので実害はなし。

 

12/5・水

 月曜から自宅に戻った鎌倉の伯父さんも愈愈危ないらしい。今年は本当に・・・。また依然としてラインは移行できず。暫らくは二台体制である。旧端末もワイハイ環境下なら使えるので。

 朝から曇り。ずっと暖かいまま。一転して本日は無予定。猫小屋を冬仕様にし、義雄伯父さんの遺品を福沢研究センターに発送す。送料1380円。三田ならば担いで行った方が安いだろうが、何となく慶応は敷居が高い。愈愈此れで寄付者芳名録に吾人も出るな。

御昼過ぎになってラインが漸く復旧す。吾人が出鱈目な操作をした為に二十四時間封鎖状態になっていた模様。ポコポコも再開。此のパズルゲームが辛いことの多い時期の安定剤のようになっていたから、1001から始められるのは素直に嬉しい。一日遅れてスマホ新時代である。

午後出社。面談の資料作りとかAO入試の志望書の代筆などで結構忙しい。退社後は立ち飲みBへ。天屋先生と話しが盛り上がりバーIに行くことに。途中卒業生のKさんと出合う。折角なので同席させる。翌日の乗務に問題のないように一杯飲ませて帰したが、以後吾人はすっかり上機嫌になる。調子に乗って大量飲酒。帰宅は何時?

 

12/4・火

 曇っているが暖かい。朝方にガス警報器の交換。続いて吾人の携帯電話の更新に参る。半分くらいのデータ移行は割と簡単に行ったが、肝心の無料通信アプリ=ラインの継承は御自身でやって下さいと言うことに。拙宅に戻り挑戦す。結局汗びっしょりになっても巧く行かず。此のままだと1000ステージまで進んだラインポコポコもアウトだな。こういうことになるのが嫌だから家電の類は壊れるまで使う主義なのだが、携帯電話というものはほんの二三年も使うと二進も三進も行かなくなるのである。引き続き格闘している内に午後になる。

 本日は隣りの測量と地盤調査の日でもある。S君や住宅メーカーの人のほか、三人ほどがやって来て二時間くらいで終了。尤も売却する訳ではないからそんなに厳密ではない。以後本格的な設計と見積もりに入る予定。既に建て替えに向けて勝手にどんどん進んで行く感じである。此方は万事お任せで楽でいい。ただ太陽光パネルだけは費用が掛かっても付けて欲しいとの要望を出した。また信託銀行の人からも電話があり、先方から遺言書の内容で概ね良いという御返事を頂いたとのこと。取り敢えずは一つ前進。

ちなみに携帯電話料金は通話プランを見直したが、データプランは五十ギガまで増強され、月月の支払いが一万円を超える計算に。幾ら新型になったとは言え、標準的な月の電気代や水道代や新聞二紙代よりも高い。何かしら世の中、間違っていると思う次第である。官房長官でなくとも怒るよな。午後から南風が吹き荒れ、冬が来る前に春一番のようなお天気となる。恐らく今年で最後となる楓の木も盛んに葉を散らす。なお松と梅と大きい方の楓は残す算段が付いた。諸諸に格闘している内にあっという間に晩になる。夜は大雨。

 

12/3・月

 概ね曇り勝ち。午後千寿に。こうして週に一回は隅田川を潜っているのだが、例によって地下鉄だから地上の事は何も分からず。途中駅ビルで『小泉信三』と『原発とジャングル』を購入。少し本を読もうという意欲が出てきた。クレカで決済するとレシートが何枚も出て来て署名が必要とのこと。お互いに面倒臭い。近所のスーパーではガチャンと通すだけで済むのだが。結局キャッシュがいいと言うことになるな。また千寿駅のみどりの窓口は大行列。Uターン切符の発売日である。あれだけの大駅で口が二つでは足りないよな。此方は態と混ませてネット購入に誘導しようという腹積もりなのだろう。退社後は「小諸蕎麦」を立って食べて御仕舞。其のまま帰宅。ビール一缶。ほぼ休肝日。

 

12/2・日

 勉強用の座卓も売れたよう。概ね曇る。其の分寒い。月波君が都心の紅葉でも見ましようと言うので、のこのこと出掛ける。まず32系統で渋谷へ。着く度にバス停が動いている感じがする。少し見聞す。新プラザは完成間近、此処にバスターミナルが丸ごと入るのだという。一方国道の向こう側の桜が丘地区は既に退去が済んでいる。数十の雑居ビルを叩き壊して巨大なタワービルを作るそう。此の辺の地下の立ち飲み屋には何回か行った。知っている渋谷がまた無くなる。

続いて都バスで新橋へ。客乃間も合流して適当な串揚げ屋でまず一献。浜離宮を見ようと海方面に徒歩移動。此の地区には名だたる大企業の本社ビルやタワーマンションが林立。こうやって見ると日本経済絶好調なんだけどなぁ。東京の本社が何もかも吸い上げて仕舞うのだろう。だから地方や非正社員や出入り下請け孫請け業者様に御金が回らない。正しく首都=キャピタルである。

 園内を暫し散策す。丁度船が出るというので乗って見る。外国人観光客に交じって隅田川を北上す。併し都内、と言っても世田谷に住んでいると此の辺の事はよく分からない。多摩川鶴見川相模川は直ぐに分かるのだが、江戸川と荒川の区別が付かないのである。折角なので客乃間に解説して貰った。彼は江戸時代以降の河川工事の歴史にも詳しい。

終点の浅草上陸。ひょんなことから浅草に来て仕舞った。となると「神谷バー」で電気ブランを二杯。序でに浅草寺にお参りす。暗い時間でも境内は大混雑、半分は外国人と言ったところ。続いて「ニュー浅草」。相変わらず安くて旨いが、もうふらふらで胃がざらざらである。特に此の二ヶ月近く飲み続けていたから悪酔いも早い。七時半過ぎに帰宅。其のまま就寝。

 

12/1・土

 朝から西友へ行き、蛍光管を購入。正確には二十形直管式LED。最近一本千円を切り始めた。早速家作の廊下に取り付ける。電気代半分、寿命四倍。暗くなるのが楽しみである。

昼は「だいまる」という店で濃厚煮干し付け麵。旨いことは旨い。大盛りにサービスしてくれたが、麺が多いとつけ汁が冷えて仕舞うのが欠点なんだよな。今度はラーメンにしよう。家人は再入院した鎌倉の伯父さんの見舞いに。となると崎陽軒の幕の内弁当。晩になって見てみるとまあまあ明るい。あと三本買って来ようと思った。夜は冷えた。

 

2018年11月

11/30・金

 朝から穏やかに晴れた。ガレージセールも再開。拙宅の食器類も出品す。テレビの簡単リモコンを買いに数キロ先の家電量販店へ。ラーメンが食べたかったがどの店も開いていない。モーニングラーメンをやったら儲かるだろうと思った。簡易保険の手続きも無事完了。一方電話の会社からは書類が返って来る。今頃になって契約者名に不備があると。そう言えば加入権は変更していなかった。従って亡父の名前は当分不滅である。

 午後になると家人は香典返しの買い付けで渋谷の百貨店に赴く。ぼんやりしていると何時の間にか宅配便の不在票が入っている。夕方少しうつらうつらしていた。いや併し、此の不在にしていなかった時の不在票ほど嫌なものはない。ある種の敗北感が漂う。そして再配達依頼ほど面倒なものもない。夜は銀座アスタ―の弁当。

会長はずっと小菅暮らし。流石に可哀想と言う声が出ている。日本の司法も酷いからね。何しろ十九世紀の水準だから。こういう所で後進国丸出しである。吾人なら三日でありもしない供述を始めるな。

 

11/29・木

 朝方は小雨。以後晴れる。何だか何もする気が起きず漫然とす。午後出社。鰻犬先生が訪ねて来て大貧学院のホームページを手直しす。パソコンに詳しい人が近くにいて助かった。退社後はBで二杯だけ。まいばすけっとの焼きそばで締めた。

早目の帰宅の後は映画「日本沈没」を見直す。丁度東京が火の海になる所。丹波哲郎扮する山本首相は、戦闘機や偵察機は何の役にも立たないと憤慨していた。航空母艦を造るより国土強靭化の方が数段増しだな。一機百億のF35はものの二十年でスクラップになるが、道路や堤防は末代まで残る。そう言えば先日通った野方の辺りも酷い。古い街が無くなるのは辛いが、防災上に限って言えば西武新宿線も早く敷き直した方がいい。よって隣の家も作り替える。

 

11/28・水

 引き続き亡父と生計を同一にしていた家人の医療費の積算。十月までで約十一万円。随分使っているな。また口座振替手続きが間に合わなかった為、吾人の国民健康保険料を納めに行く。約二万円。何処も彼処も口座振替の開始が遅い。要はクレカにしろと言うことなのかなぁ。でもクレジットカードは手数料が高くて大抵のドライバーが嫌がると昨日往路の運転手氏は述べていた。結局キャッシュオンデリバリー、やっていることは江戸時代と同じである。

午後は簡易保険の請求に移る。また戸籍謄本が必要なよう。出張所に行って帰って四十分。勤勉さの在庫を使い果たして仕舞ったので本日欠勤。基本的には穏やかに晴れた。間違いなく暖冬である。

 

11/27・火

 まあまあの晴れ。早速車を仕立てて小平霊園に向かおうと思う。家人はどうせ同じ運賃なのだから背の高い車の方がいいと宣う。最近導入が進んでいる新型車の事だろう。近所の中通りまで拾いに行く。併し新車の空車などそう簡単に来るものではないと思った。難しい顔をして数台見送ると運よくやって来た。

初老の運転手と共に走り出す。環七や青梅街道も混んでいて一時間半近くも掛かる。運賃一万円弱。其のまま納骨及び四十九日法要の儀に。和尚さんも二年前と同じ人。参加者は優子さんのみ。例によって石材店から墓まで徒歩移動す。つい二年前、此の道を一緒に歩いた人があっという間に骨になって中に入る。

 天気もますます良く、順調に終了。其のまま「橙や」という和食屋に移動。日本酒を少し飲んで御開き。さてさて帰りもタクシーと行きたいところだが、一時間以上もじっと乗っているというのも案外草臥れる。其処で西武線で行ける所まで移動することにした。ノロノロの各駅停車に乗り、中野区の野方で下車。以後環七を南下する。若い運転手が旧型をぶっ飛ばして四千円。半額だな。四時過ぎに帰宅す。此れで納骨終了、つまりノー骨となった。家人も少し休めるだろう。本日の費用、石材店に十二万円、御布施が六万円、納骨係りの人にも五千円。大盤振る舞いである。どの道、一周忌も三回忌もやらないしね。

さてさて次のステップに進まなくてはならない。準確定申告に向けて医療費の積算。凡そ四十五万円。夜はラーメンとノンアルコールビールのみ。パソコンの光回線が遅くてどうしようもない。またスマホのパズルゲーム(ラインポコポコ)も動かない。此方は無料で遊んでいるから文句は言えまい。ただ他の操作も遅いし、電池の減りも速いから愈愈壊れるな。

 政財界は意地でも外国人を入れたいらしい。併しグローバル化も行きつくところまで行けば、いい人材が安安と入って来るとは限らない。精精あと数年だろう(最近はベトナムの方までいらっしゃっているのでアジアの残りはミャンマーラオスくらい)。物価と言う点では中国の沿海部の方が既に高い。詰まり日本に来たって稼げないよな。其れは日本人が一番分かっている筈である。

 

11/26・月

 朝は晴れたが概ね薄曇り。午後千寿に出校。途中散髪す。退社後は「かつや」でロースカツ定食と缶麦酒をかき込んで直ぐに帰った。明日は納骨である。

 

11/25・日

 大阪には万国博覧会が来るよう。「つくば博」で盛り上がった世代(当時小学高学年)としてはもう一度行って見たい気もするが、多分行かないな。そういう物に興味関心を失って久しい。子どもでもいれば幼少期の感動を追体験するという目論見も成り立つのだろうけど(多分「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ!モーレツ大人帝国の逆襲」みたいになる)。2025年には維新の連中も一掃されていることを願うけどね。客乃間君からラインがあり、天皇制反対のデモが結構盛り上がっていたと。吾人も十代の頃ならば参加したかもしれない。そう考えると吾人も随分保守化したと思った。古い物が復活するのは困るけど、古い物は作れないから成るべく取って置きたいというのは自然な発想である。まあ其の程度の消極的支持ですけどね。

 一日穏やかな晴れ。朝から若林の大型量販店に参る。イヤホン、高齢者用簡単テレビリモコン、デジタル式温度湿度計、延長コードが欲しかったが、其の内の半分しか調達できず。店内が雑然とし過ぎてさっぱりわからん。あれではホームセンターの代わりにはならない。そもそも必要があって買いに出掛けているのである。不要な物を娯楽として買いに行って訳ではない。つくづく使えない店である。昼にラーメン食べに池尻まで行ったら日曜が定休日になっていた。其のまま上馬の中華食堂まで転進。今日も区内を往ったり来たり。勉強用の座卓とちゃぶ台は引き取り手無し。

 

11/24・土

 朝のお勤めの後は、出鱈目散歩に出る。小田急バスの一日券でまず成城へ。続いて千歳烏山。引き続き吉祥寺行きのバスを適当なところで降り深大寺まで徒歩連絡。早速門前の蕎麦屋で熱燗と鴨せいろ。丁度紅葉シーズンで大勢の人が出ている。大晦日の次に混んでいるといったところだな。大行列が出来ている店もある。あれでは一時間は待つ。そもそも蕎麦と言うものは、以下略。

 再びバスで調布へ。南側に移動。当然食べ足りないので「銚子丸」に入る。廻る寿司チェーン店だが変わったネタもある。長崎産の赤鯖というのが旨かった(一皿250円)。聞いたことが無い魚である(そもそも名前から言って形容矛盾)。スマホで調べると関西ではハチビキと言って下手な鮪より旨いとのこと。確かに、たしかに(二皿食す)。再び狛江までバス移動。一時間に一本の渋谷行きを掴まえて四時過ぎに帰宅す。バスは六本、飲食費約四千円。一万五千歩。本日は調理関係の小物しか動かなかった。夜は家人のチンジャオロース。

 

11/23・金

 自宅に還った鎌倉の伯父さんも具合が悪いという。幸い軽症らしい。いくら息子や御嫁さんが沢山いたとしても在宅介護は大変だよな。朝からすっきりと晴れた。冬型である。須見伯母が来るというので昼の弁当を買いに行く。飲食店は沢山あるが、ちょっといい弁当って地元では売ってないんだよね。唐揚げ屋で七百円の折詰めを漸く見つけた。吾人はひとりで「とらや」のとんかつ。

 夜は豚バラ白菜鍋にしようと思った。台所で火を使っていると何だか赤い。すわ、不完全燃焼か。東京ガスに緊急電話しようかと思った。まずは検索してみる。原因は水道水のカルキ成分らしい。どういう化学式になるのかまでは分からないが、気化したアルカリ性物質と反応して赤くなるのだという。今日買った加湿器(超音波式)を今日から使い始めていた。食後にもう少し調べてみると炎色反応と言う。数年に一度の割りでセンター試験にも出るそうである。成程、なるほど。此のペースで学習して行けば、数十年後には満点が取れると思った。本日の売り上げ、籐製の引き出し棚とミッキーマウスの貯金箱(「三菱銀行」進呈の品)。

 

11/22・木

 大体曇り。今朝は四袋、劣化した古い段ボールも可燃ゴミとして出した。此れで一段落かな。後はどろどろの古本の山がある。此れが最難関だな。取り立てて無為。何もする気が起きず、寝たり起きたりを繰り返す。今日は納め過ぎた後期高齢者医療保険料の還付手続きと火災保険の名義変更。いやしかし、何十通出したかな。朱肉もカラカラである。

 夕方出社。テストの結果が厳しかったらしく中一女子は何時になく真面目に聞いていた。少しずつ勉強する姿勢が出来ればいいんだけどね。そろそろスマホ中毒からも卒業する頃である。退社後は月波君が来たる。久久にA壇という居酒屋に。バーIにも寄って帰った。

 

11/21・水

 朝は冷えた。以後晴れ。朝一番で課長代理から電話があり、昨日の開示の報告。比較的好印象だったとのこと。此れを機に会って見るかな。其の人と。続いてS君と住宅メーカーの営業員がやって来る。既に大まかな見積もりも出ている。まあまあの物件が出来上がるよう。それにしても不動産業界というものは、果断即決、対応が早いね。なお松の木を残すとして、其の根がどれだけ張っているかで外構工事の費用がかなり変わるとのこと。来月に詳細な測量を行うこととした。

 午睡の後、早目に出社して諸諸の事務作業。退社後はBで。ベトナム人従業員に同国製のインスタントラーメンを差し入れた。軽く飲んで御仕舞。すると通り雨。堪らず適当な公園に緊急避難。周囲の住宅には大勢住んでいるのだろうが不思議と誰とも出合わない。森閑とした公園で漫然としていると、忽然とレインコート姿のおばさんが現れる。忽ち数匹の猫が出迎える。深夜のまれびとは餌やりおばさんなのね。野良猫に餌をやるなとか看板には大きく書いてあるけど、まともな神経の持ち主なら餌をやるよな。惻隠の情、今風に言えば人道援助である。 

本日の売り上げ、花瓶二、大きな火鉢一、年代物の量り(忠太郎爺さんが焼き芋を売っていた頃のものかなぁ)。亡父の自転車も無くなった。五年前に買って幾らも乗らなかった小径車。自作の譲渡証明書を付けた。街で擦れ違ったら面白い。また区による粗大ゴミの回収も行う。ゴルフバッグ、万代伯母のガスストーブ、伊那のホカホカカーペット。三品で1200円。

 

11/20・火

 朝から晴れた。信託銀行の人がやって来て、遺言書の開示。まあ我我に開示する分には何の問題も無いのだけどね。本日午後、渋谷の支店で第三の人にも開示するとのこと。どうなるかな、どきどきものである。相続で揉めるなど正しく悪夢である。

 昼はイオン系の中華食堂で炒飯とラーメンのセット(720円)。割と大盛りだが少し油っぽい。矢張り「福しん」の炒飯の方が旨い。午後も引き続き隣家の整理。義雄伯父さんの日の丸も出て来た。当時の塾長(小泉信三)の激励署名入り。慶応大学に問い合わせたところ是非送って欲しいとのこと。軍服と共に箱入れする。

夕方になるとパソコンのメールが送受信できず。また何かが詰まったか故障したのだと思った。色色やって見たが復旧できず。聞けばサーバー自体が壊れたとのこと。其れは吾人の全く関知し得ないことである。此の所、どうも少し参っているな。本日の売り上げ、小型の炊飯器。最晩年の万代伯母が少し使った。

一晩明けてみると、ビジネスの神様は、集りの疫病神のような扱いになっている。周到に内部通報と解職準備が成されたよう。陶片追放だな。そもそも権限執行者には大変な苦労が伴う。何も目刺しを食べろとまでは言わないから、それなりの報酬は必要である。それにしても何十億である。もう少し自制心というものを持たなくてはね。ところで自動車業界には詳しくないが、こうなることを予想した専門家は居たのだろうか。鉄道にはあのKがいる。早く居なくなって欲しい。Aと釣るんでいるから難しいだろうな。

 

11/19・月

 割と重い曇り。本日の可燃ゴミ、45リットルで八台体制。全てが隣家から出た物ではないが、日日膨大な物品が砧(清掃工場)の煙と化している。午後千寿に出校。駅前の丸井を上がって行くと食堂街まで行って仕舞った。可笑しいな、何時の間にか紀伊国屋がなくなったよう。隣の駅ビルのブックファーストに上り直し、『堀田善衞を読む』。新書一冊買うのも面倒な世の中になった。退社後は町屋のBと並びの「檜家」を流して帰る。夕方から小雨。少し降られた。

 自動車会社の会長も逮捕される。報酬を誤魔化していたよう。報告書の二倍も貰っていたというから呆れる。大体役員報酬ほどお手盛りで法外なものはない。明日の今頃は千寿の先の小菅だな。畳の小部屋で猛省して貰いたい。そもそもの原資は従業員の働きであり、関連会社諸氏の協力である。

 

11/18・日

 概ね薄曇り。朝から自転車散歩。大橋の「吉そば」で蕎麦朝食。するとどんどんと現場仕事のおじさんが入って来る。出勤途中なのだろう。日曜だというのにご苦労様です。拙宅も近近巨額の発注をいたします。

引き続き隣家の整理。出て来た蚊帳は防草シートとして再利用。更に奥から出て来た長火鉢を展示する。すると夕方になり古い物を分けて欲しいというカップルが現れる。何でも開業したての事務所が殺風景なのでインテリアにしたいとのこと。長火鉢とアメリカ製の宝箱のようなトランクケースをレクサスのSUVに積んで行った。此れでだいぶ再就職できたな。昼はコンビニの肉まん。夜は大関の鯛の刺身他。

 

11/17・土

 隣の隣の町会で古着の回収。朝から自転車の前後に積んで三往復す。亡父のものに加え、隣家の押入れの奥の院から出てきたものも搬送。伊勢丹三越の紙に包まれていたから上等着なのだろう。此れで衣類は概ね終了。途中三宿松屋でミニ牛丼。

 試験前なので午後臨時出社。三時から七時まで諸諸の質問に答えた。晴雷亭に寄って帰る。本日の売り上げは、ガスファンヒーター、木製の踏み台、帯も粗方無くなる。

 

11/16・金

 ロ大統領の口ぶりだと、二島返還すら容易ではなさそう。そもそもロシアには領土問題は存在しないそうである。終日晴れ。取り立てて予定の無い日。引き続き片づけとガレージ無料セール。なお状態が良い比較的新しい本は図書館へ搬送し、大量に発見された古タオルは近所の施設に提供す。お年寄りのお尻拭きに使うそう。此方はデイサービスで亡父もお世話になったところである。彼方此方と走り回る内に昼は「ホーチャン」でカレーセット。夜はスーパーのフライドチキンに鯖の缶詰。

 本日の売り上げ、火鉢一(金魚を飼うそう)、七月に買った折り畳みテーブル、寅さんが使っていたような革製のトランク、極めて古い置時計(多分アメリカ製)、他小物多数。貯め込んだものも多いし、棄てざるえないものもまた多い。其れでもこうして文章化し、また電子データに残す分には容量は無限大である。

 

11/15・木

 介護保険の高額サービス費が返還される模様。八月と九月で凡そ九万円。早速書類を作成す。三割負担だったから還って来る金額も大きい。となると介護費用は八月は53万円、九月は50万円に下方修正されることとなる。続いて納めた介護保険料も還付されるらしい。相続人総代者選任届も出す。どんどん出さないとどんどん滞る。書類迅速、落書無用。大工さんが再びやって来て、南側の補強工事。卒塔婆のような材木を打ち付けた。一時間ほどで終了。ぐらぐらのサッシもがっしり固定。此れで一安心である。また家人は施設に挨拶に行く。

午睡の後、夕方出社。退社後は立ち飲みBで凡そ二千円。帰宅後確認すると、本日の売り上げは座布団二、コーヒーカップのセット他。どんどん商品を補充せねばならない。但し着物の帯と亡父の画材(カンバス)は動きが悪い。

 

11/14・水

 天候も安定したのでガレージセールも再開。古美術屋さんに来てもらって見て貰う。土埃にまみれて見回ること一時間。目ぼしいものは何も出ず。古本の類は状態が悪く、骨董品のようなものも無し。特に軍刀や浮世絵が欲しかったようである。義雄伯父さんは学徒出陣だし、古い家と言っても昭和の初めの頃からだから、江戸時代ものとかないよなあ。其れでも蓄音機、手回し式洗濯機、大皿一枚、大小の掛け軸多数、軍用の水筒等、締めて五千円で引き取って行った。ピン札一枚、早速亡父に前に供えた。大セールの後は廃棄するしかないか。

 午睡の後、夕方前に出社。退社後は立ち飲みBへ。帰宅後本日の売り上げを確認。座布団一枚、花瓶二、行李、衝立も無くなっていた。

 

11/13・火

 例によって大量の不燃ゴミの搬出と朝のお勤め。続いて出張所に参り、必要書類を調達。其の足で小平霊園へ向かう。早目に名義変更をすることとした。今日は素直に高田馬場西武線に乗り換える。途中原宿駅の神宮側のホームが無くなっていて吃驚す。結構いい造りだったのだけど。そう言えば山の手線に乗るのも久久である。

曇天の元、管理事務所へ。手続きは直ぐに終了。後後の世代まできちんと管理しますなどという誓約書まで書かされた(実印押し)。いやしかしね、そもそも荒れ墓地にしようと思ってそうしている人は稀であろう。みな意図せざる結果なのである(拙家も極めて危険)。再来週は納骨なので、墓参りは簡単に済ます。小平南の「山田うどん」で天ぷらうどん休憩。適当な西武バスで武蔵小金井に出た。一日に二度も山の手には乗りたくないので、中央線で吉祥寺、井の頭線で下北沢。以後徒歩で帰宅。一万歩以上。

続いて不動産屋のS君を呼び立て、隣の空き家の解体と其の後を考える。吾人なりの大まかな青写真を伝えた(ある程度の植栽を残した形で賃貸物件を建てようと思う)。肝心の御金の方に関しては万代伯母の遺したものと老父の死亡保険金が頼りである。吾人とて、金融と言う近世最大の発明品の効能を認めない訳ではないが、銀行からは借りたくない。此方も大まかな金額を伝え、予算内で諸諸の計画が成り立つかどうかの検討を依頼した。今日は良く動いた。九時就寝。

 

11/12・月

 昨日談合坂のサービスエリアで購入したまたたび原木(300円)、三匹全員が無反応。反応には「個体差があります」などと書いてあったが、もう八歳のおじさんおばさん猫は何事にも感動しないのである。

 朝方は小雨。以後曇る。中目黒まで歩いて千寿に出校。少し歩きたい。自動車旅行だと運動不足になるからね。途中『編集者冥利の生活』。厳しく叱責したとかで小学生二人組が辞めて仕舞い、S子先生は消沈気味。吾人としては担当の生徒が少なくなる分は楽でいいんだけど。退社後は久久に「宇名とと」に。安いビールと五百円の鰻丼は健在。併し後者は随分小型化した。其れでも鰻は鰻。少しでも十分旨い。絶滅する訳である。

 

11/11・日

 宿酔は無し。早速薪ストーブを焚き付ける。まだそんなに寒くないので、小枝を中心に放り込んだ。自動車旅行だと総量としてのアルコール量が少なくて済む。何しろ「あずさ」だと新宿を出た辺りから浴びるほど飲んで仕舞う。回数券の廃止で今後は乗車機会が激減するだろう。健康にはプラスである。さてさて軽い朝食の後、早目の出発。と言うのも月波君が仕事がらみの市会議員の報告会兼飲み会に出なければならないとのこと。あちこちの店やサービスエリアに寄り、ワインや野菜やまたたび原木を積みながら戻る。

終日晴れた。中央道も快調其の物。都下の石川パーキングで蕎麦休憩。当然冷凍物である。そう言えば今回は蕎麦を食べなかった。長野県で食べたものと言えば、ラーメンとカレーだけ。本当の長野通は蕎麦屋などには行かないものである。午後一時前には到着。実に四時間を切る水準。千葉方面に回航する月波君とは直ぐにさようなら。

 直ちに排水管の点検。此の所は排水ノイローゼである。矢張り滞っている。バケツ二杯目で漸く流れた。此の苦しみから早く解放されたい。続いて伊那ゴミの再分別。瓶缶段ボールは言うに及ばず、壊れた鍋や電池電球やゴム草履等等の諸諸まで。全て世田谷の基準に合わせて分別し直す。何しろ月波君が借りて来たマークXと言う高級セダン車のトランクに入り切らなかったくらいだから、リヤカー一台分はあった。それにしてもゴミもワインも持って帰れるから自動車と言うものは便利である。期間は短かったが、少し気分転換が出来た。月命日なので、諏訪の御酒と、伊那の干し芋を供える。

 

11/10・土

 朝から晴れた。先ず木曽の神社にお参り。木曽福島の道の駅の後は、「宮古」という小料理屋でラーメン休憩。昼は中華そば屋、夕方以降は居酒屋という設定らしい。老夫婦でやっている。夜も楽しいのだろう。伊那谷へ戻り、駒ヶ根の光前寺に。紅葉シーズンと言うことで大変な人の出。まあ偶にはこういう観光地然とした所も良いと思った。

ところで此の街には有名なカレー屋があるというので表敬訪問す。落ち着いた店で旨いことは旨い。併しライスに対してルーが少な過ぎる。結局カレーまぶし飯となる。ライスを半分にするか、ルーが二倍は欲しい(値上げしてでも)。従ってカレーを堪能するという水準まで至らず。本格的な海外式のカレーは何処もそうなのだろうか。日本式のカレー屋しか行かないし、而も御飯少な目で注文するからよく分からない。隣の家族連れは、ライスとナンをどんどんお替りしていたけれど。

 少少落胆して山荘に戻ることに。ところでハイセンスのリモコンは酷いセンス。国内型とは明らかに違って極めて使い辛い。量販店に寄って汎用型を追加購入した。こういうところで差が付くのだな。海外メーカーとは。以後方方の片づけ。今回は山荘に堆積している大量のゴミも持ち帰る予定である。

六時ぐらいから須見伯母の料理で飲み始めた。「五一ワイン・スーパーエコノミー白」という1.5リットルの大瓶を空けた所で御開きとなる。

 

11/9・金

 朝から小雨模様。ところで隣の自販機は釣り銭切れで一週間以上何も売って貰えず。丁度ならいいだろうと硬貨を入れても直ぐに戻って来る。全く出る当てのない飲み物を温め、また冷やし続けている(ドウシテ?)。

 午後は本降り。夕方月波君が自動車でやって来る。テレビその他を積み込み、伊那に向けて出発す。都内は大渋滞だったが、高速道路に乗るとスイスイ動く。但し雨は止んだが霧が酷く、時折制限速度以下で走る。其れでも拙宅から二百キロ少少。あちらこちらのサービスエリアを冷かしながらも凡そ四時間で着くのだから自動車と言うものは速い。

 須見伯母が待っていてくれて、早速飲み始める。途中テレビの設営。15型の日立は32型のハイセンスに置き換えとなる。また拙宅で不要になった大型ホカホカカーペットも伊那に転勤。堂堂と広げた。此方の台風被害は軽微。リンゴの収穫も大丈夫そう。

 

11/8・木

 概ね曇る。大量に発掘された古着の類を可燃ゴミに。概ね数十年以上も前のものだからリサイクルにも出せず。リヤカー一台分ある。ゴミが無料な二十三区でよかった。何でも取っておくと後世の人が苦労する。あちら側で万代伯母と亡父はくしゃみしているだろうな。

 続いて保険金の請求書の作成。増えた分は八年間で38万円。利率0.4パーセントくらい。銀行の定期預金よりかは幾らかいいか。また信託銀行の人に聞いたところ、遺産分割協議中でも家屋の解体は可能とのこと。ただ第三の人がどう出るか分からないので、遺言書の開示以降にした方がいいと言われる。どちらにしても解体は年明けだな。まずは応急措置を依頼することとする。

 夕方出社。走っている傍から暗くなる。夕暮れの住宅街は物憂い雰囲気。高緯度中緯度地域は季節の変化が大きい。放っておいても気分が明るくなる春とは違い、秋は精神的には危ない季節である(春はもっと危ない人がいるけど)。だからハロウィーンだのクリスマスなどと色色なお祭りをやるのだと思った。では此の時期の日本だと、酉の市? インパクトがないな。冬の節分をもっと盛り上げて貰いたい。退社後は立ち飲みBと中華を回航。天屋先生のパイチューを口に含む。強烈だね。現代人は毎夜毎夜こうして憂さを晴らして帰るのである。

 

11/7・水

 引き続き隣家の片づけ。ウタ婆さんの葬式(昭和六十二年)の香典袋などまで取ってあるから敵わない。全て捨て去るより他になし。婆さんは自宅で看取られ、葬儀も自宅だった。御近所さんからも色色と貰っている。立冬だけど穏やかに晴れた。暖冬だといいな。寒いと年寄りが大勢死ぬ。米中間選挙、下院は民主党が取った。少し大人しくなってくれるといいが。

 夕方までに出社。金二万円受け取る。退社後はBとI。後者では二杯しか飲まなかったので、おまけとして自主制作CDを購入す。合わせて三千円。残念ながら聞くことはないな。本日の売り上げ、花瓶一、お盆一、漆器三、招き猫一、画材一、半紙一束。

 

11/6・火

 朝のお勤め。今朝は少し引っ掛かっていた。数日に一度の割合だな。引き続き納骨の準備。なお都立霊園の名義変更には戸籍謄本から印鑑証明、返信用の切手まで必要だと言う。流石に御役所である。続いて民間生命保険の請求。コールセンターの女の人には謹んでお悔やみ申し上げますなどと丁寧に言われたが、いや併し一千万支払って、受け取るのが一千万円+利息分って、どういう契約なんだろう。詰まり定期預金? 相続税も掛からないから一種の節税策? こうして世の中を見回すと、分からないことが実に多い。他は電気炬燵の解体。此方を伊那に持って行こうかと思ったが状態が悪いので断念す。2004年製の割りにコントローラーも稚拙。とんだ安物を使わせて仕舞って、万代伯母も気の毒だった。今からでも謝りたい。

午後から大雨。ガレージセールも中断。役所にも郵便局にも行けないから昏昏と午睡す。夜は残り物か冷凍食品。併し隣家の片づけを進めていると、色色な物が出て来る。殊に何かの教本とか。万代伯母が勉強したのだろう。ずっと独り身で、また此れと言った外の仕事もしていなかったのだが、其れでも何かをしようとしていた痕跡のようなものがある。

 

11/5・月

 朝方に一雨。以後晴れたり曇ったり。早速花瓶の類から玄関付近に並べ、「さしあげます」と紙に大きく書いた。再就職出来ると良いが。本位牌も届く。三万数千円。

午後千寿。S子先生からも香典を貰う。退社後は「加賀屋」で三杯のみ。帰宅後確認すると売り上げ(といってもゼロ円だが)は花瓶一、行李一、置時計一。まだまだ続続と品出しする予定。ところで記帳に行った家人によると、みずほ銀行だけ西暦に移行しているという。役所と金融機関だけは頑固に和暦を貫いていたのだけど。愈愈一角が崩れたな。

 

11/4・日

 特異日が終わると曇り勝ち。再び祐天寺に参り「Sガスト」でカレーの朝食。鶏の竜田揚げを付ける(450円)。もう一度空き家を点検すると二階のサッシ部分も外れ掛かっている。道路側に落ちたら大変危険である。解体するしかないな。手っ取り早く駐車場にでもするか。併し古いものが沢山あって捨てられない。大昔の家作帳とか五十年前の雑誌とか戦前の教科書とか。歴史的価値と言うのはないけどね。兎に角片づけを加速させようと思う。午後から小雨。夜はチキンとサーモンのソテー。市販のホワイトシチューのルーを溶かして掛けたら、コテンコテンになって巧く行かなかった。

 

11/3・土

 朝のお勤めの後、空き家の上窓が外れているのに気が付いた。一部のガラスが割れ散っている。脚立を出して片づけた。愈愈崩壊し始めている。早く何とかしなくては。続いて西友に行きテレビを購入。「ハイセンス」製。勿論メードインチャイナ。所謂ジェネリック家電なので32型で二万数千円の品物である。此れを「あずさ」ではなく、月波君のクルマで伊那に搬送する予定。持ち帰った後は、引き続き空き家の修繕。他のガラスも落ちて割れて飛び散ると危ないので、ガムテープを張り付けた。まるで戦時中である。開いたところには取り敢えずビールの段ボールを宛てがう。すると肝心なところで布テープが無くなる。慌てて買いに行ったが、百円店のものは薄すぎて駄目なんだよな。

 さてさて土曜であるが文化の日である。晴れの特異日日本国憲法公布の日でもある。明治節に戻せなどと言う声も聞こえなく無くなったので良かった。午後鶴木さん主催の「川崎市民祭り」へ。方方の屋台村にて大量飲酒。例によって座って飲むところが少ないが、探し回って何とか得られた。鮎の塩焼きからワンカップまで一般小売価格に近い値段で売っているから酒飲み天国である。閉園時間になったので「天龍」に転進。ふらふらになって帰宅。途中多摩川駅構内の「梅もと」で蕎麦休憩。ひとりで食べる天麩羅そばには気楽と言う薬味がついているから頗る旨い。祐天寺の駅ビルが新しくなっていたが特筆すべきことは無し。コーヒーショップより駅蕎麦屋が欲しい(ずうっと前にはあった筈)。鯉は鷹に一つしか勝てずシリーズ終了(ドウシテ?)。

 

11/2・金

 今年のカレンダーもあと二枚である。欠礼葉書(約二十枚)も投函。家人は鎌倉へ。昼は地元の店でとんかつ。老夫婦プラス娘さん(?)でやられているらしい。ロースかつ定食が八百円。とんかつ屋と言うのも古い店が多い。御つまみ類もあるから昼より夜の利用の方が合うかもしれない。

午前午後と漫然と周囲の掃除と整理。亡父の手帳を広げていたら、裸体を写した一片が出て来る。相当古いものである。爺さん、後生大事に隠し持っていたな。家人には黙っていよう。心なしか振り返って見た遺影が一層笑っているように見えた。夜は崎陽軒の弁当。

 

11/1・木

 渋谷の騒乱も昨日で終わり。映像を見ると物凄い人の数であった。将棋倒しが起こらなくて佳かった。そもそも憂き世である。みんな集まって騒ぎたいよな。あんまり目くじらを立てるようなことでは無し。年に一度の事だから許してあげなよ。どうにも最近の日本社会では、「他人に迷惑を掛けること」を極度に嫌う傾向がある。雑踏警備は警察本来の仕事だし、ゴミ拾いや後の始末は渋谷で利益を得ている人や近隣の年寄りがやればいい。お互い様である。こういうことに矢鱈不寛容な人は恐らく自らの幸福感が足りていないのだろう。

 さてさて月も代わったが、やっていることはまるで同じ。まず朝のお勤めと称して排水管に水を流す。取り立てて異状は無し。続いて石材店に電話をして納骨と四十九日法要の手配。水道の明細書が来る。前年同月比25パーセント減。三分の二にはならないよな。

 御昼前に設備屋さんが来て配管の視察。見た所どうも中央部が何かしら欠損している模様。劣化だな。矢張りコンクリートの三和土を叩き壊して管を作り替えるよりなさそうである。全長数メートル。工期は二日程度、予算三十万だな。

終日冬型の晴れ。ゆうちょ銀行の人が来るというので早目の出社。またシステム変更だという。慣れた頃にはさようならである。以後暇なので半年ぶりのチラシ入れ。街並みも少しずつ変わっている。新築住宅を中心に投げ込んだ。退社後は立ち飲みBで二杯だけ。復路久久の不審尋問に遭う。二度目の防犯登録も抹消されていたことも気に掛かったが、若い巡査に「おとうさん」と呼び止められた方の衝撃が大きかった。日韓関係は再び混迷の模様。まあ、消えた筈の請求権が復活すること自体は歓迎すべきことなのだけどね。

 

2018年10月

10/31・水

 午前中は土壁の修繕作業。何時もの大工さんが来る。ベニヤを切って塗って、梯子に乗って打ち付けるだけなので大して難しい仕事ではない。若い見習いさん(女性)も同行していたので研修がてらには丁度いいと思った。今度の人は続くかな。何でも親御さんは大工さんだそうだから有望新人である。一時間半ほどで終了。此れで月初の破損が月末に直ったことになる。後は排水管だな。

 午後出社。金参万円受け取る。退社後はBで二杯だけ。「あずさ回数券」も来春で廃止になるのだという。実質大幅値上げ。困ったな。世帯年収も減ることだし、今後は高尾まで京王で出て各駅停車で行くか、高速バスを使うしかない。金券屋さんや甲府や中信地域の人は反対するだろうが、此の所の中央線特急の混雑は目に余るものがあったから、多少の乗客減は織り込み済みなのだろう。またシロの瞼の傷は治ったよう。こうして何にもいいことのない十月が漸く終了した。

 

10/30・火

 年金博士でも修士でも学士でもないからよく分からないが、昨夜から何遍計算しても受け取る年金が少なすぎると思った。取り敢えずは正式な支払い決定通知書を待つしかないな。朝から良く晴れた。引き続いて出張所に参り、今度は葬祭費の申請と後期高齢者健康保険証の返却。七万円が受け取れる。事実上の火葬代だな。都内の火葬場はどういう訳だか大半が民営で少し高い。貴賤貧富に関わらず生まれて来た以上は必ず掛かる経費なんだけどね。

川崎の叔父さんがやって来て、従妹の健二君らの御霊前を供えた。家人と共に近くの和食屋で昼餐会。故人の供養という名目で昼酒も呑んだ。鰻丼を食べたので、夜は冷蔵庫の残り物で節約す。

 

10/29・月

 再び秋晴れ。準備万端整え、世田谷年金事務所に家人と向かう。遺族年金の請求である。以前上町にあったものが、今は二子玉川の新ビルディングにある。多摩川も一望。景色もいいと気持ちも和む。予約したこともあるが概して空いていた。スムースに相談ブースに移動。初老の女性職員が担当す。言葉は丁寧だが、端端に御役所の名残がする。まあ此の人が採用された頃は社会保険庁だったのだろうな。いや併し、超最新式のオフィスビルに年寄りがノコノコ入って行くとなると違和感満載である。

多少の記入漏れを埋めたら、すんなりと受理される。併し問題は金額である。試算によると基礎年金部分は敢え無く消滅。老齢厚生年金部分は四分の三された筈だが、其の分家人の厚生年金受給分が相殺されることに。寡婦加算などもあったが、総じて半額以下、いや三分の一強となる。驚くべき縮尺であると思った。こうなると一般家計も恒常的に赤字だな。家賃収入から補填するか、吾人の働き方を拡大するしかない。何だかぐったりしながら電車で戻る。家人とは駅で別れ、吾人は千寿に転進。上の空のままに授業す。

 帰りは町屋のBへ。D店長はいなかったが、少しいたアルバイトの人が辞める日なのだという。お別れの席に混ぜて貰う。同い年ぐらいの人だったが、聞けば本業は芸能プロデューサーであると。人は見掛けによらないと思った。もう少し飲みたかったが、連日連夜の暴飲で心臓がバクバクに(心拍異状は悪酔いのサイン)。三杯で止めにして、這う這うの体で帰宅す。

 それにしても、である。此れでも世間的にはまあまあの年金であろう。其れでもいざ年金収入だけとなると、実際生活が成り立たない。高齢化に伴い内需が落ち込む筈である(デフレの正体)。さて何から削ろう。まず新聞だな。其れとも立ち飲み屋で働くか。

 

10/28・日

 朝に見るともう紙が詰まり掛けている。慌ててバケツで流した。抜本的対策を急がなくては。日中曇り勝ち。昼は長駆して駒場の「千里眼」へ。「ラーメン」(750円)。謂わずと知れた二郎系である。併し此の手の店は何時も混んでいるし、独特の緊張感が漂う。呪文のようなトッピングの申告にも気を使う。もう少し落ち着いて食べたいものである。肝心の味はと言うと本家(といっても知らないのだが)に近いワシワシ麺。もう少し多加水の方がいいな。

夜は環七の鰹刺し他。此の古い魚屋も豊洲移転を乗り越えて営業中。一方松陰神社の「魚竹」は閉じて仕舞ったと東京新聞には書いてあった。家人は二日続けて千代田鮨。吾人は糖質を抜く。

 

10/27・土

 未明は大雨。以後急速に晴れる。朝から「富士そば」。昼は自転車で都立大の「ぎょしん」へ。此処は回るのだけど回さない寿司屋である。一応真ん中で人が握っている。途中から満員満卓となり取り付け騒ぎのように。米粒が弾け飛ぶ勢いで握っていたが追いつかなかった。人間観察には丁度良かったが、何だか食べ足りないので「ふくもり」で追加のラーメン。以後無為。

夕方近所の八木さんの弔問を受ける。思えば町内で付き合いがあると言うのも此の人以外殆ど居ない。亡父には絵のサークルや早起きラジオ体操仲間も居た筈なのだが、連絡が途絶えてだいぶ経っている。家人不定愁訴のため、夜は千代田鮨を購入。吾人は唐揚げのみ。

 

10/26・金

 昨日のラジオによると作られた服の実に半分近くは廃棄されているのだという。明らかな過剰生産。供給過剰。合理的に市場を調査し、生産性の向上に励んだ結果が此れではね。また神戸の新聞によると芦屋市のゴミパイプラインも廃止。収集車による輸送に戻るとのこと。子どもの頃の図鑑にはよく登場していたな。宇宙旅行無人運転車、リニアモーターカーなどと共に。未来は不定である。物を物理的に動かすのは想像以上に難しい。

 珍しく朝からパン。すると予想通りの胸焼け。堪らず昼に「ホーチャン」のカレーライスを掻き込んだ(600円)。二度目だけどやっぱり旨い。午後は漫然とす。晩は適当なおかずで中量飲酒。夜は映画「もののけ姫」。文明は野蛮で、野蛮は文明。詰まり啓蒙の弁証法だな。併し二十年前の映画である。最近の人間様はこんなことを考える余裕すらなくなった。

 

10/25・木

 朝起きて見ると再び下水が溢れている。而も今回は管の途中で詰まっている。もうどうにもならない。結局テレビコマーシャルでやっているところに緊急依頼す。一時間ほどで到着。早速高圧洗浄を行う。ものの十分で流れて行った。ベテランの人が周りの清掃までやってくれて48600円(!)。前回の業者より一万円高いけどやむを得ない。それにしても此の二年余で三回目である。おちおち外出も出来ず。節水タイプのトイレだと水が足りなくて流れないのかもしれない。此れを機にバイパス工事を検討しようと思う。

 嫌な記憶は上書きするのに限る。シャワー入浴で禊ぎを済ませ、区の出張所へ。遺族年金請求に必要な書類を揃えた。戸籍謄本、住民票二通(除票を含む)、家人の非課税証明書。遅い昼食と仮眠の後、本務校へ。立ち飲みBで少し飲む。それにしても今月はろくなことがない。

 

10/24・水

再び未明に目が冴え、また過呼吸になりそうだったので、起きて喪中挨拶を完成させる。「本年十月、父が九十三歳にて永眠いたしました。六月に体調を崩し、あっという間の出来事でした。私と父は年が離れていることもあり、親子の関係は比較的薄かったのですが、其の分、命を永らえることで、絆を深めることが出来ました。有り難いことであったと感謝する次第でございます。また、故人生前中にひとかたならぬご厚情を頂きましたこと厚く御礼申し上げます。平成三十年十一月」。吾人としては珍しく元号表記とした。

適当な葉書に印刷して宛名も書く。誰に知らしめるべきか。最晩年の亡父には手紙の類は殆ど来てなかった。それにしても大量御逝去時代だから年賀状など益益売れないだろう。欠礼葉書と言うのは大抵一方通行だから郵便事業会社としては売り上げが半減することになるな。朝刊を読み、再び就寝。

昨夜官房長官が突如会見して行方不明になっていたジャーナリストが保護されたと述べていた。まるで自らの手柄のような言い方だったが、官房機密費が使われたようには思えず。取り敢えずは佳かった。またサウジアラビアの筆頭皇太子には批難轟轟。何しろああいう国だからな。早く石油の要らない生活をしたいものである。

何だか結構暖かい一日。漫然とした後、夕方出社。コピー機が新型になっていた。リースの期限はまだ来ていない筈なのだが。早目の切り替えのおまけとしてパソコンを二台貰ったそう。併し中味がカラッポのデスクトップ型を貰ったところで大した使い道がないな。つくづく頓珍漢学院である。退社後は立ち飲みBを覗くも、皆さんお留守の模様。其れでは客のいないバーIでしんみりと行きたかったが、店主誕生日につき飲み放題サービスデーとのこと。三千円で三杯だけ飲んで帰った。例によって鎮具破具な一日。家人風邪を引く。

 

10/23・火

 一転して小雨模様。家人は遅れていた胃の検査。取り立てて問題はなさそう。午前午後と書類書きをしたり、税金の計算をしたり。いや併し、亡父の職歴(年金加入歴)まで書けと言われても分からないよな。何回か転職している筈である(恐らく昭和二十年代のこと)。

喪中葉書を買いに行くも無地のものは売っておらず。文面くらい自分で打ちたい。家人宛にも新しい保険証が届く。三割負担が一割になったと喜んでいたが、此の先どうなるのだろう。相続が終わればまた三割だな。出た序でに西友で刺身を買った。夕方になり好き勝手に飲み始めようとした時、小皿を三枚取り出したことに気が付いた。

 

10/22・月

 今朝は良く寝られた。晴れて暖かい。御昼過ぎまで漫然とす。午後千寿に出校。退社後は「福しん」で生姜焼きに炒飯。矢張り旨いな此処の炒飯は。日本年金機構から書類が来る。書くところも提出する証明書の類も桁違い。遺族年金の請求など容易な事ではないな。

 

10/21・日

 一時間ほどで目が覚め、以後過呼吸に似た症状に。体内の圧力が高まって空気が入って行かない感じ。夜明けまで七転八倒す。息を吸って止めてゆっくり吐くを繰り返したら何となく収まった。アルコールが足りなかった。

 朝から秋晴れ。隣の町会で古着回収をしているというので自転車で搬送。肌着の類だけで三往復。こうして何段階、いや何十段階という過程を経てお別れをするのだと思った。昼は祐天寺の「ホームベース」という店に。大瓶に焼き秋刀魚他。磯丸水産の新業態らしい。昭和の大衆酒場がまあまあ再現されている。但し従業員が若い。もっとおばさんとおばあさんを雇わなくてはね。でもまあ座れるのはいい。中年齢化に伴い、最近実は立ち飲みが辛い。午後は昏昏と睡眠。夜は残り物と白ワイン。

 

10/20・土

 まあまあの秋晴れ。偶には散歩をしようと思った。何しろ此の数か月は何処にも出掛けていない。いろいろ考えたが結局亡父が修行をしているという横浜の御寺を目指すこととす。仏教では四十九日までは精進の身なのだそうで、激励視察である。東横線の大倉山下車。初めて降りる駅である。新幹線が近い。

御寺は丘陵地の上の方にあった。ちょっとしたハイキングである。丁度法事の最中であった。しっかりやって貰っているのだろう。何しろ家人が間違えて御布施を一枚多く包んだのだ(81万円)。其の後臨港バス綱島へ。「キング」という店で餃子と麦酒の休憩。江田行きの東急バスを見つけたので乗って見る。ごちゃごちゃの綱島駅前を抜けると一気に田園地帯に。片田舎を走る感じ。旅気分も味わえた。終点まで乗り通し、田園都市線で戻る。何時の間にか秋も結構深い。此の数か月は一種の記憶喪失でもある。

 電話局から書類が来る。加入権は未だに財産の一つと考えられているらしく、戸籍謄本まで必要なよう。最難関だな。寒気が入り、夕方から大雨。

 

10/19・金

 概ね曇り。久久に取り立てた予定の無い一日。引き続き、水道、電話、公共放送に連絡。今のところ電話の変更が一番面倒臭そう。発信する以上、悪用される心配があるからかな。ちなみに対応が速いのはケーブルテレビ。早速送られて来た書類を返送した。矢張り純民間企業は早いと思った。

 夕方姫路の人身事故で新幹線は全線不通に。ニュースの映像を見ると何だか黒い。みんなスーツ姿の会社員だな。ならば危機回避の勉強をすればいいと思った。其れに特急料金の払い戻しで一杯やれる。

 

10/18・木

 続いてガスと国民健康保険料の口座変更手続き。電話のし過ぎでコードレスフォンの電池も摩耗す。急いでネットで注文した。午後渋谷の支店から銀行員がやって来て、早速相続協議の打ち合わせ。前回までは定年間近のおじさんだったが、今回の担当は若い分テキパキしている。而も既に課長代理というから、京王辺りを出ている感じだな。

遺言書では土地と家屋は家人と等分、預貯金その他は其の方も入れて三等分としてあるが、預貯金に比して土地の価格が高いので、先方が遺留分の侵害を訴えて来る可能性があると警告される。うーん、第三の相続人はどういう人だが全く分からないのでドキドキものである。「付くものが付く」と危ないと家人は頻りに心配していたが、何しろ何の情報も無いからどうにもならない。また例によって土地がどんどん分割されるのも良くないとも指摘されたが、此方も如何ともし難くてね・・・(スイマセン)。

其の後、別系列の銀行に葬儀費用(203万)を支払いに行く。故人の口座からは送金出来ませんと即座に断られた。憤慨したがどうにもならず。大体ひとが素直に払う(いつもニコニコ銀行振り込み)というものを払わせないのだから、こんなにおかしなことはない。ふざけてるな。いっそおもちゃの拳銃か何かで脅せばよかったと思った(逆銀行強盗)。以後吾人のネット口座から数度に分けて振り込むことになった。考えてみれば此方の方が手数料が安い。

夕方出社。先週とんだ中一の数学。冒頭、「ペンギンのお父さんが亡くなり、南極に里帰りしていました。皆さんから見たらお爺さんお婆さんに当たる人を大事にして上げて下さい」と挨拶す。何処まで分かったかは分からない。いや併し、幾つになったとしてもいざ親と別れることになると悲しいものである。まあこういうことは自立と反抗の途上にある十代の頃には分からないだろうな。退社後は立ち飲みBへ。鶴木さんを見つけて飲んで帰る。何だか実に草臥れた。

 

10/17・水

 ぼんやり見ていた宝くじのコマーシャルが少し面白かった。五億円当たれば、一年で一千万ずつ使って五十年、二千万なら二十五年・・・という台詞回し。昔なら金利で遊んで暮らせたのだけどね(5パーセントで2500万)。JR北海道が危なくなる訳である。もう元金を取り崩すしかないな。六千億で何年持つか。

 早速今日から手続き開始。まず「年金ダイヤル」。続いて信託銀行。相続の規模としては万代伯母の時ほどではないが、実を言うと亡父には先妻との間に一児ある。遺言書は作成してあるが、ひょっとしたら面倒なことになるかもしれない。また公共料金としては電気とケーブルテレビから。併しペーパーレス決済にしていると電話を掛ける相手から探さねばならない。

スーパーの弁当を食べた後は、出張所に出向き、世帯主の変更届け。吾人の健康保険証も切り替え。亡父の名前が消えた保険証が即時交付される。こういう手続きは結構早い。続いて銀行に行き、二号室リフォーム代の振り込み。通常は吾人の口座からクリック操作で振り込むが、今回はATMで手打ちする。亡父の口座から送金した(100万円)。成るべく手持ちの現金を減らさなくてはならないからね。

暗くなった頃出社。久久の中三国語。退社後は立ち飲みBに行く。須々木さんらには、実は暫らく献杯なのですと言って、少し労って貰った。更に碑文谷の「福徳」。一方、鎌倉の伯父さんは鼻からチューブなのだそう。家人らは憤慨していたが、例によってやるも後悔やらぬも後悔。

 

10/16・火

 此の所ずっと曇り。朝から牛丼が食べたかったが冷凍うどんで御仕舞にする。年金も減るし消費税も上がる。少し歳出削減しなくてはならない。相続等の手続きは明日から始めよう。再びあの役所通いかと思うと気が重い。また鎌倉の伯父さんも肺炎で入院したとのこと。昼はスーパーのとんかつ弁当(此れは軽減税率である)。

 午後バス+徒歩で本務校に。余った香典返しを持参す(モックヨック三千円相当)。一応無責任社長にも報告す。「花でも贈りたかった」と驚いていた。こういう手合いは花を送って逆に借金を申し込むから厳重に警戒しなくてはならない。其の後千寿に回航。昨日の振り替え授業。町屋に少し寄って帰る。

 

10/15・月

 起きて暫らくは宿酔気味。車を仕立てて八時過ぎに会館に入る。控室で少し寝ると何とか収まる。さてさて葬儀及び告別式+初七日法要。参加者は月波君以外は昨日と同じ。出棺時の花入れには涙ぐむ。愈愈お別れだな。例によって桐ヶ谷まで移動。駒沢通りから環七そして目黒通りへ。駒沢公園とかダイエー碑文谷店とか、よく行っていた。思い出の地である。遺影を立てて少し見せた。

三十分ほどで到着。友引明けの平日にしては結構空いていると思った。そして本当の最後のお別れである。火葬場職員の「お別れです」という無機的な挨拶と御辞儀と同時に炉の方に吸い込まれていった。本当にさようなら。

 休憩の後、収骨。まだ温かい骨壺を膝の上に置きタクシーで会館に戻る。すると休憩室で飲んだ麦酒があっという間に膀胱に落ちて来る。お腹が何となく温かくて助かった。父の最後の愛だな。這う這うの体でトイレに駆け込む。以後精進落とし。「亡父とは年が離れていたので父と子の関係は薄いのですが、其の分長命で色色と絆を深めることが出来ました」と挨拶する。三時頃までには終了。再びタクシーで戻る。父にとっては救急車で家を出て以来の帰宅である。当然無言。葬儀社の人に仮の祭壇を作って貰って本当に終了。丁度一週間である。

 

10/14・日

 概ね曇る。午後から納棺の儀。早速家人と参る。今日から二日間の担当者も万代伯母の時と同じ人にして貰った。宗教者も同じお寺の人。御布施も全く同じ80万円。万代伯母の死から僅か二年なのだからどちらの人も驚いていた。あちらの世界でも絵が楽しめるよう、水彩画の教本と愛用のゴルフキャップを入れて貰う。涙が止まらなくなりそうになった所で、川崎の叔父さんから今タクシーで迷っているという電話がある。有名な葬儀社だが多摩川の向こうからではまるで分からないらしい。

夕方から通夜開始。参加者は優子さん、須見伯母、川崎の叔父さんと叔母さん、そして月波君。どうしても出たいというので特別枠として出て貰った。一時間ほどで終了。以後通夜振る舞いに至る。亡父には生前に食べたいと言っていた天麩羅うどんを、現生の人には寿司を取ったのでどんどん御酒も出して貰う。ついつい暴飲す。

それにしてもつい六月の初めまでは箸を使って食べていた。医療と介護の世話になったのは丁度四か月。掛かった費用は推定三百万円なのだから、大往生の部類に入るのではないかと言う話しになった。少しは褒めてやらなくてはならないかな。褒めたならもう少し伸びて欲しかった。以後タクシーで帰宅。地元の若者向きのヘンテコな店で月波君と二杯飲んで終了。十時就寝。

 

10/13・土 

 朝方御寺からファクシミリが来て戒名も決まる。「福寿院彩月孝道居士」。退職後は水彩画に凝っていたことが反映された。いい名だな。

日中重い曇り。御昼になり家人と会館へ。線香をあげ、最終の打ち合わせ。往復12系統。帰りは機動隊のバスと擦れ違う。通夜が明日でよかった。読経の際に花火をどんどん打ち上げられては堪らない。まあ其れもいいか。何しろ長寿に分類されるのだから。其れでも遺族と言うのは面白い訳ではない。

夕方須見伯母が来る。家人がかた焼きそばが食べたいというので、「燕来香」に案内。街中華の少し上の店だが、(安くて)美味い旨いと言っていた。こうして間の二日は何となく過ぎて行った。

 

10/12・金

 未明にシロとグレが上がって来る。猫は猫なりに心配していたのだろう。何しろ丸二日殆ど留守だったから。朝から曇る。23系統に乗り込み、再び施設に参る。入居の際に提出した写真が一番遺影に向いていると家人が言うので、返して貰いに行った。半年前にデイサービスで撮ったもの。珍しく笑っている。序でに早目の部屋の片づけ。入居期間が短かったから私物も少ない。諸諸の物品を積んでタクシーで帰宅。亡くなった時のタオルケットなんかもあった。此れはミケの敷物にしよう。ミケは亡父を気に入っていたから形見分けである。途中「ひむか屋」でラーメン(650円)。大半の店がリピートすることなく千歳船橋グルメは此れで本当に終了。短すぎた。

間髪入れずに今度は12系統で葬儀会館に移動。写真提出と共に線香をあげる。帰りは用賀の駅まで歩いた。少し涙を乾かす時間が欲しい。年齢が離れていたから父と言うより御祖父さんと言った方が近い。従って父子の関係はそれほど深くはないが、いざ本当に居なくなると寂しいものである。

午睡の後、シロが上がって来る。吾人の股座に入って動かない。御前たちを見付けたお爺さんはとうとう居なくなったよと話し掛ける。何処まで分かったかは分からないが、実に神妙にしていた。其処で再び日記を読み返す。3.11以前は大学ノートの殴り書きで短い物ばかり。其れでも2010年5月31日に「駐車場の近くの子ネコにエサやり」との記載がある。記録にはないが見初めたのは間違いなく亡父である。

 

10/11・木

 すると一時間ほどで施設から電話があり、愈愈本当に危ないという。家人は寝たままにして、吾人だけ再びタクシーに乗る。運賃をパスモで決済して大急ぎで降りて行ったが、結局少し間に合わなかった。心停止から十分程度かな。既に赤みを失った老家人が居た。血の気と言うものは直ぐに失せるのだと思った。皺も少し深まった。少し苦しませて仕舞ったのかな。それにしても、あれだけ待っていたのにとうとうこういうことになるのだから、人の寿命と言うのは予測不能である。最期を見せたくなかったのかもしれないとも思った。

二三回大きく息を吸い、息を引き取ったと夜勤担当の看護職の報告を受ける。続いて死亡診断。施設医が来る。平成30年10月11日午前7時45分死亡確認、死因老衰。大正14年から平成まで来たが新元号までは到達できなかった。

 看護職員と介護職員による遺体の清浄。吾人も頭を撫ぜ拭きした。老衰死だと本当にガリガリである。其れでいて褥瘡あり。見ていても気の毒である。「よく頑張った」な。また大量の便が出ている。此のひと月は殆ど何も食べていないのにね。ずっと便秘症だったから、溜まっていたものをすっかり出して彼方へは身軽な形で行くのだと思った。続いて家人も到着。

綺麗にして貰ったところで職員その他によるお別れの挨拶。短い間だったが、老家人は人気があったそうである。まあ年の割りに話は面白い方だった。享年九十三歳と六か月弱。それにしても施設に移って三ヶ月足らずである。もう少し元気なるかとは思っていたが、何だか最期はラストスパートに似た観がある。何しろ御金を使いたくない性分だったからだろう。介護費用も想定より少し余る計算。

 職員一同の見送りを受け、予め連絡してあった葬儀社に搬送。以後葬儀の予定を詰める。二年前も利用したところである。万代伯母の前例を踏襲するので話は早い。友引で火葬場が動かないので、日曜通夜、月曜が告別式と言うこととなる。間に二日あるから少し休息時間を設けることが出来た。御昼には打ち合わせも終了。見積もり凡そ200万円。万代伯母の時より参列者が若干増える予定なので、棺桶は十万円安いものにした。此れも故人の為である。

バスで地元に戻り、少し贅沢しようと「銀座アスタ―」に家人と入る。吾人など丸一日何も食べていなかった。2500円のランチコースにしたが大して旨いものでは無し。概ね場所代とサービス料だな。少し高めの中華なら「燕来香」にすれば佳かった。まるで頭が働かず思い浮かばなかった。一時半頃帰宅。猫を撫ぜた後は、只管午睡。起きた後は遺影候補探し。序でに此の日記を見直す。確かに急激な老衰である。直前まで頑張ってくれたと言うことなのだろう。

 

10/10・水

 三時間くらいの睡眠の後、再びに参る。針が入らないので点滴も中止。姪の優子さんも来たる。色色な親戚の近況話を枕元で聞かせた。夫の清二さんに薬を飲ませなくてはならないというので御昼には退席。其の際、駅前の「一仁」という蕎麦店で休憩。千歳船橋及び農大前グルメも此れが最後だな。

家人も一旦帰宅したので午後は吾人一人で見守る。見ていると段段呼吸が弱くなっている。此れは危ないと思った。急いで家人を呼び寄せる。午後六時着。以後ああでもないこうでもないと枕元で呼び掛けた。家人共共涙声になる。併し再び小康状態に。九時頃にも弱くなったが、結局其のまま二晩目に突入。例によって医療機関ではないので心電図なども無い。体温と血圧と脈と酸素濃度を測る以外は全て目視と触診である。昭和前半の医療水準だな。「もう少し頑張って」が「よく頑張った」になっても、状況は変わらず。睡眠不足と体調不良で家人などふらふらである。何だかもう少し掛かるような気がした。万代伯母の時はこんな状態が数日続いたから。

ただおむつ交換多し。色色な物が出るのだろう。脈拍、体温も高い。他は乱高下していてよく分からないという。氷枕をし、吾人が団扇であおぐ。胴体は熱いが手足は異様に冷たい。ハアハアと概ね苦しそう。何かのテレビで見たが老衰死は苦しくないのだというけどね。頭の中までは分からない。再び翌五時まで待って家人と一旦帰宅。看取るというのも頗る難しい。

 

10/9・火

 まあまあ晴れ。ぼんやりしている。すると昼過ぎに様子を見に行った家人から、もう危ない感じだと電話がある。吾人も急いで施設に参る。行って見ると、呼吸が荒く、意識は全く無し。手足も浮腫んでいる。此れは愈愈だと思った。緊急に家人と泊り込んで不寝番をすることとす。以後呼吸はまあまあ安定。但し脈拍は100前後、発熱もある。施設医によると、全身を守ろうと心臓だけが果敢に動いている状態だという。そして心臓が疲れた時が最期になると。

家人には簡易ベッドを出して貰い、吾人は椅子でまんじりともせず。手足を摩り、ふくらはぎを揉み、唇を濡らしても反応は無し。痰の吸引にも無抵抗。目の周りも一段とこけた感じである。昨日の今日だけど全く違う状態である。こういうものなのだな。人の最期と言うものは。

併しこうして三人が一間で過ごすというのも絶えてなかったことである。銘銘別別に旅行に行くことはあっても、全員で纏まって行くことなど数十年来無かったから。そんな感傷にも浸る。特に明け方が危ないと思った。厳重に警戒す。翌朝の五時まで待って、吾人は一旦帰宅す。

 

10/8・月

セレベスと言うと里芋の一種を思い浮かべる人が多いかもしれないが、現在はスラウェシ島と言う。バリ島の上のバナナ型の島である。なかなか情報が入ってこないが相当な地震津波被害が出ているらしい。他島国家は統治が難しい。陸軍より海軍を強化しないと救援活動もままならない。

 日中曇り勝ちで二十五度程度。まず施設に参る。概ね昏睡状態に近く、此方の問い掛けにも無反応。何だか呼吸が苦しそうで大口を開けている。酸素濃度は二から三に容量アップ。唇をびしょびしょにしたら少し閉じた。手と足は動かしていたけどまた弱ったな。一時間ほどで退出。

浮かない顔で世田谷通りを戻る。「陸」は大行列。やむを得ず「ねこぜ」という店に入る。後にも先にも吾人一人。油そばが看板メニューらしい。初めて食べた。不味くはないが、汁がない分、全く腹が膨れない。其の上フーフーとやらない分、物凄く速く食べるから、満腹中枢も一杯にならない。麺は最低二倍は欲しいと思った。ほんの御口汚しで750円。此れでは陸に勝てる筈もない。そもそも農大生あっての飲食街だろう。ニーズを取り込めていない頓珍漢な店である。アルコールが絡む夜は兎も角、昼は腹いっぱい食べさせて上げなくちゃあ(みんな朝抜きだろうから)。結局牛丼を持ち帰って家人と食べた。

体育の日と言うこともあって往路復路とも駒留通りを全力運転す。運動はこうした日日の活動で十分である。植木屋さんに代金を支払う(7万円プラス消費税)。夜はスーパーの焼き秋刀魚。頗る小さいが一匹170円。今年は十匹は食べたな。阪神が勝手に落ちて来てくれて中日は最下位を脱出。併し今年も多くの選手が引退した。

 

10/7・日

 晴れて異様な暑さとなる。先ず施設に参る。概ね寝ている。一時間半滞在して発した言葉は「うるさい」の一言だけ。続いて小田急+メトロで神宮球場へ。大学野球の観戦。参加者は月波君と坪上君と鷺乃間君。例によって二階席で牛飲す。酎ハイ数缶、ワイン二本。相手投手のボークでサヨナラ勝ちと言う結果に。気分良く外に出て見ると人の海。今日はプロ併用日であった。阪神戦と言うことで消化試合ではあるが人が集まる。

 炎暑の中を店を探して延延と歩く。途中の国道ではスーパーカーが爆音を立てている。最近はああいう暴走行為が流行っているらしい。交通警察は何をやっているのだろう。這う這うの体で渋谷の外れの「澤乃井」と言ううどん店に入った。安くてつまみ類も豊富。奥多摩の酒造会社とは関係ないらしいが、表参道辺りにはない店である。苦労して歩いた甲斐があった。うどんは細目で大人しい感じ。藤松君も合流。吾人は適当に切り上げて帰る。店から出た途端大きな鼠と遭遇。あれはシロでも捕れないな。七時過ぎ着。

 

10/6・土

 25号は日本海を北上。暖気が入り夏のような気候。台風が来るぞ来るぞと大騒ぎしていたが、暑い以外の何の影響も無し。昼は池尻の「ホーチャン」でカレーセット(680円)。此処のカレーは千寿の「りんりん」を少し濃くしたよう。頗る旨い。今度は単品で頼もう。午後須見伯母から伊那の松茸を貰う。早速炊き込み御飯にして食べたが、急いで作ったので出汁が足りず、味は今一つ。まあ松茸は香りを楽しむ物だよな。

築地は本日限り。とうとう一度も行かなかった。遺棄された多数の鼠が心配なのだという。しかし魚食文化が衰退すれば、いちばも仲卸業者も要らなくなる。何しろ近所のスーパーには養殖魚と冷凍魚しか売っていない。

 

10/5・金

 京成線は塩害で全線運休。架線が次次ショートする。霧雨が降ったのが却って悪かったよう。今頃になって被害甚大である。京成は風には強かったのだけれど塩には勝てないな。見たところ、保線区員が竹梯子を掛け、一本一本碍子を拭いていた。御苦労な事である。夕方は総武快速(線路陥没)、更に東海道京浜東北も止まる(沿線火災)。関空に続いて成田空港は陸の孤島と化す。所謂厄日だね。

 午後はかなりの雨。バスで施設に参る。呼吸の状態も良くスヤスヤ寝ている。こうなると大してすることがない。持ち込んだラジオを聞きながら、時折唇を湿らしたり、眼を拭いたり、鼻のチューブを直したり。交代に来た夜勤専門の看護職にも挨拶して五時近くに退出。「帰っていいか」と聞いたら首を縦に振っていたから、一応此方の声は聞こえているのだろう。再びバスで戻る。平和賞も決まる。委員長と大統領だなどという馬鹿な予測が外れてよかった。

 

10/4・木

 消費増税まであと一年。食料品は8%のままとなるらしいが、振興を図るというのなら沖縄県も少し安くすべきであろう。日中やや重い曇り。午後通常出社。此の所週一勤務である。退社後は立ち飲みBとバーIで合計2500円。結構飲んで帰った。着いてからも風呂に入ったり、シロを弄ったりして三時頃就寝。

 

10/3・水

 最近はプラスチックのストローが目の敵にされている。まあ確かにこうしてゴミ拾いをしていて、結構落ちていることは落ちているが、此れが下水道から川へ出て、流れ流れて粉粉になって海を汚染しているとまでは考えられないな。要は形代にされたよう(ペットボトルやレジ袋の身代わりである)。其れより海辺の一斉清掃の方が遥かに効果的だと思う。運動と気分転換にもなるしね。

 概ね明るい曇り。今日は吾人が参る。途中公苑横の「くら」で寿司休憩。行って見ると九割方寝ていた。枕元に腰かけ、「寒い」と言われれば布団を掛け、「暑い」と言えば其の逆の事をする。また嚥下状態が悪いので食事提供は停止。時折味付き高カロリー輸液のようなものを飲ませることとなった。二時間弱滞在す。松陰神社横で焼き鳥を買って帰宅。水曜は当分の間不出社として貰った。

 仏頂面の巨人の監督も辞任。若いのだからもっと溌剌としていなくてはね。やりたくもない監督を押し付けられた感が溢れていた。此の人とは出身高校が同じなんだけどなぁー。一方中日の監督は誰がやるのだろう。兎に角、明るい人を頼みます。カラ元気でもないより増しなので。夜はアレルギー酷し。

 

10/2・火

 下らない組閣が、ノーベル賞受賞で霞んで良かった。抗生物質の発見が結核治療を根本的に変えたように、今後は癌治療も薬剤投与が基本となるのだろう。外科の仕事は少なくなるかもしれない(怪我と心臓疾患を除く)。後は早く認知症の薬が出来ますように。身近な範囲でも数名が罹患している。本人は兎も角、周りの人が大変である。

 日中秋晴れ。今日は家人が出動。映画「皇帝のいない八月」(1978年)。鉄道の日に合わせてケーブルテレビでやっていた。恐らく数十年振りに見た。今見るとあんまり質のいい作品とは思えないが、併し此処で出て来る政治家像は昭和の怪物其の物。若い人が見たら時代劇だろうな。戦後三十年と七十年の違いである。寝台特急も無くなったのだから、ああいう連中も少なくなる筈である。尤も改憲を唱えるネトウヨ首相がこんなに長く続くというのも想定外だが。静岡西部はまだ停電中。被害甚大である。

 

10/1・月

 未明も大変な風。此れでは計画運休もやむを得ないな。シロが怯えていたので一時収容す。四時頃には収まる。明るくなったので早速復旧作業。空き家の二階部分、外壁の一部が雨戸の戸袋ごと剥落し、使っていない電話線を切断。土壁が露出す。被害甚大である。

 朝から晴れたが、倒木等によりJRと京王はズタズタ。結局駅には人が溢れた。今朝も計画運休にすべきであった。人が多いこと自体が既に災害の一つである。家人体調不良の為、吾人が参る。例によって23系統なのだが、千歳通りが倒木の為、農大前から徒歩連絡。一キロ強は歩いた。今日は吾人で佳かった。

併し農大の木が続続倒れたよう。農業より林業をもっと勉強して欲しいと思った。また老家人は此方の問い掛けには応えるが、何だか声が弱弱しい。此の二日は絶食だという。痰吸引を見守り、一時間半ほどで退出。都民の日だが、小田急+千代田線で千寿校に回航。途中散髪す。退社後は町屋のBに行くもD店長は不在。軽く流して並びの「檜家」のラーメンで締める。断眠と不眠で何だか疲れた。十一時就寝。

大広孝日記 2018年9月

9/30・日

 富田林署からの逃亡者も山口で捕まる。盗んだ自転車で旅行中に万引きしたとのこと。脱走の手際は見事だったが、其処から先のことは考えていなかったのだろう。ちょっとした放浪である。色色と西日本を旅して、案外日本は広いと思ったかもしれない。野山や海や人の情けにも触れただろう。今後はやり直して欲しい。まだまだ若いのだから

 前線が遠くなり、まあまあの曇り。先ず施設に参る。持参していたワイヤレススピーカーで演歌を聞かせた。確か「奥飛騨慕情」が好きだった筈。他には「愛燦燦」「喝采」など。割と目を開けて聴いていた。熱はないが痰が出ているよう。朝昼は絶食。不思議ともう涙も出ない。覚悟が決まったのか、慣れたのか。

其の後、呼び出した月波君と「長寿庵」という蕎麦屋で飲む。麦酒、板わさから日本酒、盛り蕎麦で一旦締めて23系統のバスで地元に回航。併し「てけてけ」「ばん」「エビス参」も営業前。台風が来るならもっと早く開けるべきであろう。民間企業の割りに対応が遅いと思った。仕方なく「ジョリーパスタ」で二軒目。五時帰宅。

 寝て起きると九時近く。段段風が強まる。十一時から本降り。夜半過ぎに掛けて激しく降って吹く。24号は伊勢湾台風のルートだという。JRは八時から運転取りやめ。ニュース等では計画運休という新語が飛び交っていた。私鉄各線も其れに習う。一方の山陽線は復旧。山陰迂回貨物も運転終了。沖縄知事選では野党系が勝利。内外ともに災害続きの九月も終了す。

 

9/29・土

 前線が戻り再び小雨模様。明日は台風24号だという。取り立てて無為。

 

9/28・金

 朝から久久に晴れた。家人は洗濯と衣替えで多忙と言うことで、三日連続で施設に参る。今日は自転車。途中「要」でロースカツ定食(1000円)。昼時と言うこともあり全席満席。家族総出でカツを揚げ、飯を炊き、味噌汁を注いでいる。此の辺はチェーン店も無いものな。

老家人は寝ていたが、「苦しくない」「食べたくない」「もういい」と目を閉じながら反応す。点滴の針を抜いて仕舞ったらしく、左手に付け替え。「痛い」「痛い」「何するのだ」と怒っていた。昼はまあまあ食べたというので、三時前に退出。ホームセンターで金属製の熊手を買って戻った。植木屋さんが使っていたのと同じもの。800円。夜は軽く済ませる。

 

9/27・木

 午前中まで小雨が残る。施設医との面談があるというので、家人と車を仕立てて参る。老家人は矢張り寝ていた。一通りの回診の後、一階の会議室に呼ばれる。予てから取り決めていたことだが、現行以上の延命治療は行わないという旨の書類に署名す。万代伯母の時には口頭で済んだものが、此の二年で文書主義が徹底されたよう。それにしても愈愈此処まで来たか。事実上の降伏文書である。超重要署名だが、ボールペンを持参するのをついつい忘れた。借りたペンで書かざるを得ず。駄目な息子である。モンブランとは言わないが、ゼブラぐらい胸に差しておくべきであった。

併し半年前には全く想像もつかない事態だと思った。其れでも吾人が十代の時分には、老家人=父の九十代の姿を見ることになるとは矢張り想像出来なかったな。人間の想像力など高が知れていると思う瞬間である。部屋に戻るとおやつの時間。流体羊羹のようなものを完食す。すっかり甘党になった。介護士によると味覚の中で最後まで残るのは甘さだという。

三時を過ぎたので吾人はバスと電車で本務校に回航。環八線で田園調布に出る。渋滞がないと結構速い。例によって定期試験前。色色な科目の面倒を見る。中学地理の教科書が分厚くなっていて少し驚いた。あれでは教え切れないだろう。立ち飲みBに寄った後も11系統で帰宅。此の頃バスに乗っている。夜は晴れて月が良く見えた。

 

9/26・水

 午前中から施設に参る。一転して今日は低反応。昏昏と寝ている。時折驚声を発す。何か辛いのかな。痰が絡み苦しそうだが、取るのはもっと苦しい。「何か食べるか」という問い掛けには必死に首を振る。余程食べたくないらしい。点滴は足首から。鼻からは酸素。

中座して昼は祖師谷の「カレーの南海」でカツカレー(850円)。神保町の本店そっくりの黒いルー。此れを胃に転送出来たらと思わざるを得ない。でも消化できないな。三時近くまで見守った。バスで帰宅。夕方から本降り。最早出勤する体力はなし。本日休講。夜は大雨。また台風だという。寒い上にアルコールが入らないと巧く寝られない。

 件の月刊誌の実売数は一万五千ぐらいだったとのこと。日本には凡そ三千の公共図書館と千五百の大学短大図書館があるから、一般の購読者は一万人ぐらいしかいなかったことになる。十年前は五万弱は売れていたというから恐るべき減少率だなあ。こういう論壇誌はどうすればいいのかな。いっそ、半分くらい素人に書かせたらどうだろう。毎回テーマを決めて。面白いものが集まるかもしれない。逆原稿料を支払わせれば一挙両得である。大企業の悪口とか、何かしらの体験記とか、いっそ日記を載せてもいいだろう。吾人も一万円位になら支払う(百冊は買い取るぞ)。

 

9/25・火

 御昼前後から冷たい大雨。本日は家人が訪問。昼はまあまあ食べていたという。終日在宅す。と言う訳で日本映画二本立て。まず「海すずめ」。主演女優と宇和島の景色は美しいが、自転車で本を届けるというのも無理な話しだと思った。そもそも自転車とは平野部の乗り物である。宇和島では海岸線以外移動できない。続いて「ケンとカズ」。生生しい暴力が延延と続く。単なるヤクザ映画と違うのは、母親による虐待経験と当の母親の認知症発症だろうか。しかしあんなに年中殴る蹴るでは歯が持たないな。歯は口ほどに(其の人の階層の)ものを言う。途中退席。

新潮の件の月刊誌は事実上の廃刊へ。また大相撲のT親方も廃業す。いやしかし、両者とも一体何がしたかったのだろう。一種の殴り込みだな。

 

9/24・月

 朝の内から自転車を飛ばして施設に参る。手足をばたつかせ、痰吸引にも激しく抵抗す。案外元気そう。何しろ饒舌であった。「佐藤と津山どっちが優秀か知っているか」とか「イボコロリを飲まされた」とか「亡霊が来る」「誰の亡霊かは絶対に言えない」とか「ああいう連中に集られるから気を付けろ」とか「日本がこんな出鱈目で遅れた国とは思ってもみなかった」とか。断続的だが三時間近くああでもないこうでもないとやっていた。御蔭で吾人も沢山喋れた。午前中の方が覚醒状態がいいのかもしれない。呼吸も安定しているので鼻の酸素も取れる。但し経口摂取は無理そう。

 話し草臥れたようなので一時前に退出。世田谷通りを走る。連休中と言うこともあり、「百麺」も「陸」も行列中、「とんかつ要」は休みなので、「水仙園」という中華屋でラーメン炒飯(650円)と小缶の休憩。帰宅は二時過ぎ。午後は異様に蒸し暑い。椿とツツジの剪定。以後午睡。晩はスーパーの焼き秋刀魚。すると九時過ぎに施設から電話がある。結構ドキッとしたが、何でもベッドからずり落ちていたという。何だか元気らしい。暫時こういうことの繰り返しかな。

 総裁選でA陣営はカツカレーを食い逃げされたと怒っているよう。併し一人前3800円というのも驚きだが、300人前以上も提供されたというから尚驚く。幾らホテルの給仕が優秀だとしても、カツもカレーも熱熱食べなくてはね。

 

9/23・日

 概ね晴れ。様子を見に行った家人によると、若干の発熱あり、大体昏睡状態だという。愈愈近づいたと思った。夜は家人のゴーヤチャンプルー。玉子が入っていないことに暫らく気づかなかった。

 

9/22・土

 多少気温は高くなったが、重い曇り空は変わらず。時折さあっと降って来る。まずバスに乗って施設に参る。昼食時になったので大柄なサービスリーダーによって車椅子に移乗さす。併し痰が絡んで呼吸が苦しそう。早速看護職による痰吸引。其れでも酸素濃度が回復しないと言うので担当医の判断を仰ぎ、酸素吸入となった。直ちに鼻からチューブ。絶食状態なので腕には点滴。続いて臨時回診。酸素濃度は100近くに戻る。

ボンベの酸素が無くなる頃に酸素屋さんが機器を搬入。此れは電気さえあれば空気中の酸素を無限に取り込む機械だそう。こういう対応は早いな。併し愈愈弱って来たと思った。何だか少し悲しくてね。じっと部屋にいると目頭が熱くなる。以後酸素は順調に肺に入っているようで昏昏と寝ている。「けんちゃん」でのラーメン休憩を挟んで四時まで滞在した。

午後は晴れる。異様に混雑したバスで帰宅。降りて見ると23、24、22、21系統の順に列をなしている(所謂連結バス状態)。特に一番運転区間が短い21番が最後衛の空気輸送では何の役にも立っていないな。上町発着の21系統を減らして23や24系統を増やして欲しい。そもそも21系統は玉電廃止後の代替バスらしい(渋谷直通を保障)。そんな裏協定のようなものが出来たのはもう五十年も前の話である。晩食は東急ストアーの総菜。猫にはヒラマサの刺身。八時就寝。

 

9/21・金

 昨日からずっと雨。而も寒い。早速鼻水止まらず。直ちに抗ヒスタミン。昼は温かい饂飩。夜までずっと降る。ついつい午睡。雨中買い物に出、晩食は鍋にした。昨シーズンの余り味噌を使ったら味も色も何だか変だった。猫には鯵の叩き。

 新潮何とかと言う月刊誌があまりに酷い内容だったと社長が反省声明を出す。ネトウヨ連中に大売り出したかったのだろうが、丸で開き直るような企画は矢張り拙い。出版社のこういう傾向は90年代半ばから見られる。其れが一体どういう結果を招いて仕舞ったのか。少しでも考えて見たことがあるのだろうか。大体何処の業界も低賃金低待遇過重労働を我慢しているのである。本屋も例外ではない。誇りある出版人たる者は清貧を覚悟すべきである。

 

9/20・木

 南の大統領は北を訪問し熱烈な歓迎を受ける。チェンバレンになるぞと言う皮肉な見方が多いようだが、何とか巧く行って欲しい。同じ民族だからね。北が欲しがる朝鮮戦争終結宣言も早く出すべきである。

昨夏に訪問した飯田の「かぶちゃん村」も閉園。件の詐欺会社が運営していたとは知らなかった。思い起こせば何だか変な観光施設だったが、従業員さんたちはみな親切であった。資料館が勿体ないなぁ。誰か引き継がないものか。七月に閉めたというからもう園内は荒れ放題の伸び放題だろう。

植木屋さんが来る前に取った草木、70リットル一、45リットル三を搬出。此れで滞貨一掃。剪定も終了。さてさて秋を楽しむ段階に来たが、老家人の容態では大した所には出掛けられず。午後まで静養す。御昼から雨。時折激しく降る。バス出社。立ち飲みBで軽く御仕舞。秋刀魚刺身を食べた。

AとIの総裁選。Iは党員票で善戦す。支持者であってもいい加減に飽きるだろう、Aにはね。発電所が復旧して来たので北海道の節電要請は解除。でも節電は大事である。第一に御金が節約できる。大貧学院でも蛍光管はごっそり取ったまま。此の七年半で数十万円は得した筈である。

 

9/19・水

 怒ったT氏は対中関税を次次と引き上げる。今回は家具家電や衣料品など広く一般消費財にも拡大す。其れでも今更国産品には切り替え出来ない。何しろ工場自体が既にないからね。輸入業者さんは粛粛と納税し、其の分を価格転嫁せざるを得ない。となると此れは一種の増税策、事実上の消費増税である。成程、其の手があったかと財務官僚などは注目していることだろう。

 朝の八時に植木屋さんが参る。何でも今日一日しか予定が空かないという。但しやって来たのは御主人一人。明らかに人手不足である。早速吾人も取り掛かる。御昼前に奥さんも到着し、以後三人体制。只管刈った草を集め、機械が届かない所の草蔦を引っこ抜き、切り落とした枝葉を荷台に積み込む。併しこうして作業していると、人間の本質はつくづく労働であり、労働とはとどのつまりは自然と対峙し、結局汗だくになって草木を取り払うことであると観念す。働かなくても生活が保障されるというベーシックインカムと言う発想は其処が可笑しいな。動ける人は動かなくては。

 例によって北側の駐車場の草刈り、家作の前庭の桐や梅や雑木の剪定の順に執り行ったら、拙宅の玄関付近までは辿り着かず。続きは来季。ぼんやりしたのちに本務校に遅めの出勤。早目に退社したが、今日は実に十二時間は働いた。立ち飲みBで軽く御仕舞。汗疹が出来て早速痒い。就寝前に抗ヒスタミンステロイド系塗り薬。被害甚大である。

 

9/18・火 

 空港島への鉄道は復旧す。やるとなると案外早く出来るものである。本日は自転車を使って施設に参る。併し老家人は昏昏と寝ていた。起きろと言っても寝ているばかり。そろそろ昼食だと言っても、「眠い」「いらない」「うるさい」「もういい」と。だんだんと感情のコントロールが出来なくなっている。結局寝ながら十数口食べて御仕舞。食べ終えるや否や直ぐに寝て仕舞った。此の所、意味のある会話をしていない。≪魔阿陀だよ≫と言うより≪もういいよ≫なのかな・・・。

世田谷通りの「山之内」でロースカツ定食(1200円)。老夫婦が切り盛りしている店は誠の昭和の造り。多くの御客が「農大かつ丼」を食べていた。テレビに出たそうで、連休は酷い忙しさであったと店主がこぼしていた(というのを聞いた)。併し大学の門前には学生向けの店が多い。こういう雰囲気は都心の大学や、郊外の新設大学には見られない。世田谷辺りの特色である。少し遠回りしながら帰宅す。午睡から起きると施設から請求書が来ていた。八月分、58万円余り。想定より二割ほど多い。夕方から一雨。冷凍食品と盛り蕎麦で御仕舞。明日植木屋さんが来ると今日知らされる。何だか頑張って損したな。

 

9/17・月

 敬老の日。朝から暑く、草取りも大きな外出も出来ず。自転車で近間を回り、中目黒の「おにやんま」で冷やうどんを食う。何だか食べ足りないので和菓子屋でおにぎりを追加購入。

 午後もぼんやりしていたら、公共放送の「ワンダーウォール」という短編ドラマが目に入った。大学の自治寮を舞台にした作品。こういう場が次次と無くなるな。鳳生大学にも学生会館があったが、吾人が出入りをしなくなって僅か数年で無くなって仕舞った。自治の習慣を引き継いで行くことは難しい。頑張って留年しても大体数年で学生は入れ替わるからね。其れは社会に関しても同じこと。概ね四半世紀で中心層からは押し出され、後の世代に引き継がれないものは滅びて行く。夕方から大雨。夜は冷凍食品。大して旨くないから食べ過ぎなくて佳い。

 T氏も愈愈危ない感じ。次次と側近が愛想を尽かし始めている。あと少し米朝交渉を進めて欲しい。核の全面放棄までは行かなくとも、搭載兵器の廃棄位まで(それで核爆弾は無力化できる)。あと一年位は掛かるか。其れまでは何とか頑張ってくれ。あの人の唯一の成果だろうから。

 

9/16・日

 大停電を引き起こした北海道の石炭火力発電所は震度五程度の耐震性しかなかったとのこと。そんな馬鹿なことが・・・、あるのであるな。部活動の事故で十五年間寝た切りだった女の子が息を引き取ったと今朝の新聞が伝えている。こういう報道に接する度に、部活とは何の為にあるのだろうかと強く疑問に思う。いじめ、暴力、体罰パワハラセクハラ等等、過剰な運動が明らかに人人を不幸にしている。

体力をつけるには歩けばいい。学校を卒業した後、一日八時間程度立って仕事が出来る体があれば十分である。差し詰め吾人なら「帰宅部」を作る。活動は週一回。様様なルートを徒歩で帰宅しながらまずゴミを拾い、続いて安くて美味いラーメン屋と定食屋と居酒屋の発見に尽くす。学園祭ではグルメマップを作って全校生徒の役に立たせる。

午後は次第に晴れた。家人が施設に行っている間、結局草取りと低木刈り。四時間は動いたな。夜は鶏屋のもも焼き。昨日今日と地元のお祭り。ゴロゴロと引いて歩く子ども神輿しか通らなかった。而も付き添いの年寄り方が多い感じ。愈愈限界神輿だな。

 

9/15・土

 特急と貨物は石勝線まで全て復旧。漸く此れで秋刀魚を運んで来られる。日高線は駄目みたい。自衛隊に直して貰えないかな。今時鉄道連隊なんてないものな。ずっと秋雨。午後には漸く止んだ。買い物は二便。取り立てて無為。

 

9/14・金

 朝から秋雨。結構直ぐに止んだ。家人不定愁訴の為、吾人が施設に参る。老家人はまあまあ起きていた。早速昼食の介助。十口程度で終了す。お尻が痛い痛いと宣うので直ぐに寝かす。何処がどうして痛いのかまでは判然とせず。本人でも分からないのだろう。併し日に日にとまでは行かないが、少しずつ確実に弱っているな。こういう姿を見ると未だに何かの悪夢のような気がしてならない。どういう訳だか急激な眠気に襲われるのである。

 世田谷通りまで歩き「勢得」という付け麵屋に入る。此処は昼時のみの営業。今まで知らなかったが結構な有名店らしい。自家製麵の上、店主一人でやっているから大変そう。「つけめん」(850円)。味も量も若い人向け。がたいのよい学生さんに交じって吾人もずるずるとやった。バス帰宅の後、草刈りへ。摂った糖質を支出しなくてはね。

 午睡の後、西新橋のちゃんぽん屋に。例によって大将にお呼ばれす。渋谷からバスで参る。今回は06系統にしたが併し都営バスは混んでいる。外国人旅行者から出勤中のホステスさんまで乗ったり降りたりして絶えず満員に近い。郊外路線の東急などとは乗車効率が違うと思った。

他に鶴木さんと鰻犬先生。途中どういう訳だか憲法論争になる。法律に詳しい大将は自衛隊違憲だから改憲した方がいいと宣う。吾人は今の所は合憲状態だから態態改憲する必要はないと反論す。大体此の時期の改憲自衛隊をより一般的な軍隊に近づけるものだから危険極まりない。何事も法律を厳格に考えてはいけない。多少の曖昧さ、遊びのような部分を残しておくことは必要である。此れは政治的思惟だな。自衛隊諸君には申し訳ないが今まで通りの宙ぶらりん状態を許容して頂きたいと思う(此れは彼らをより危険な任務に就かせない為でもある)。そんなこんなで十時過ぎまで。帰りはメトロ直通。小雨に降られる。

 

9/13・木

 例によって可燃ゴミの日。ぎっしり詰めた70リットルを一つ、45リットルを四つ、例によって向かいのマンションの集積所に積み出す。大半が切った植物である。ちなみに此の単身者用の物件には数十人が住んでいる筈だが、出されていたものは拙宅と同程度でしかない。重量ベースでは数倍の一であろう。沢山出してスイマセン。ところで最近は『ゴミ収集という仕事』に続いて『このゴミは回収できません』が出版されるなど、ちょっとしたゴミ収集本ブームである(どちらも未読)。ゴミを出す側だが、時に分別をし直す立場なので収集側の苦労もよく分かっているつもりである。そして実に本当に極めて酷く残念な人が矢鱈多いとつくづく痛感す。

数日来の疲れが出たのか午前午後と漫然とす。ロ大統領は領土問題を棚上げした形での平和条約締結を提案。他の政権ならいざ知らず、Aには到底飲めない案だな。ウラジミールウラジミールとしつこく呼ぶから少し怒ったのであろう。夕方出社。立ち飲みBとバーIを軽く訪問して終了。

 

9/12・水

 昨日と同じようなお天気。午前中は結局草取り。午睡の後、本務校に出社。江田島君のお爺さんが亡くなったそう。確か老家人より少し上だと聞いていた。元気な頃はしばしば面談に来ていたのだが。合掌。中華立ち飲みで軽く御仕舞。帰宅後凡そ三か月ぶりに湯船につかる。自転車保険の更新(3990円)。

 

9/11・火

 大気が入れ替わり漸く秋の気配となる。連日の熱帯夜すれすれの状態も終わり、久久に良く寝られた。日中は重く曇る。結局草取りと低木刈り。結局汗びっしょり。気温低下に伴い実働時間は長くなる。リヤカー半分くらい取った。されど目に見えるような成果は出ず。

 関東の冷房は停止したが北海道では暖房が必要だそう。灯油ヒーターか薪ストーブだな。九州辺りでは太陽光パネルで作った電気が使い切れないほど取れるらしいが、気前よく送ろうにも送電線がない上に周波数が違う。一種のアンシャンレジーム、後進国丸出しである。

 

9/10・月

 今日まで蒸すのだという。呉線は呉以西が復旧。ところで、AとIの総裁選。どちらも危険人物だから何の興味も無い。兎に角危険とかなり危険の争いである。第一に投票権が無い(欲しくも無い)。今回の地震では地場のコンビニが気を吐いている。全道停電でもガスを使って煮炊きをし、おにぎりや弁当を供給し続けたという。チェーン店にも多様性が大事である。それにしても自店調理方式のコンビニと言うのは羨ましい。第一にセンター納品のおにぎりなど不味くて食べられない。大手三社は其の点をどう考えているのだろうか。出来ないのなら素直に廃業して欲しい。一つの工場で数十万食も何かを作ること自体が異常である。

午後千寿に出校。退社後は大橋の自動化寿司へ久久に参る。さてさて人間観察である。左の若い女性は甘いものを中心にコンパクトに纏めヨーグルトドリンクで締めて行ったとか、右のおばさんは入って来るなり麺類を頼み、以後スーパーのチラシを熱心に書き写していたとか(ドウシテ?)。よくよく見ると鮨を摘まんでいる人が少ない。確かに此処の鮨は他のチェーンに比べ格段に落ちる(何しろ薄いネタがシャリからずり落ちて回っている)。色色な物を出して生き残ろうという計画なのだろう。何だか食べ足りず「町屋商店」で更にラーメン。夜は大雨。

 

9/9・日

依然として蒸し暑いまま。秋雨前線の上は涼しいのだろうが、ひん曲がっていてなかなか関東には降りて来ず。丸丸三日止まったが、貨物も特急も動き始める。幸い線路の大きな損壊はなかったよう。併しスマホの充電の為に大行列を作るというのも無駄だよな。情報収集は電池で動くラジオがあれば十分である。併し最近の若い人は公衆電話もラジオの動かし方も知らないよう。序でにラジオに聞き方を伝授しよう。まず気に入った局を点けっぱなしにする。パソスマのようにアクティブに情報を取りに行くことは出来ないが、ずっとパッシブに傾聴している必要もない。聞き流しておきながらも自分にとって大事な情報には耳が勝手に反応するので心配いらない。以上。

 午前中から施設に参る。併し老家人は眠たいまま。昼食を呼びに来た介護士にも激しく抵抗す。あんな姿は初めて見たな。結局寝たまま数口食べて御仕舞。再び就寝。「二日も寝てない」と言っていたから余程眠たいのだろう。併し愈愈外面を気にする余裕も無くなって来たようで少し驚いた。

げんなりしたので世田谷通りまで歩き、「尾花」という蕎麦屋に入る。案外恭しい店内で、「山形のだし蕎麦」(950円)に中壜の休憩。蕎麦の上に色色と乗っていて丁度いい当てになった。公苑横の蔦屋で『今夜はひとりぼっちかい』を購入して小田急バスで帰る。晩食は数日来の残り物。

京葉線はケーブル火災の為、夕方以降ずっと運休。御伽の国の外は(バス待ちの)大行列という悪夢である(中もだっけ?)。まあ、浦安まで歩けばいいか。関東の人はしばしば電車が止まるから、結構防災訓練をやっている。

 

9/8・土

 南風が吹き荒れ異様に蒸し暑い。未明までに停電はほぼ解消。但し供給はギリギリだという。あの日と同じだな。多くの観光客も路頭に迷った。快適なホテルから雑魚寝の避難所へ。相当な悪夢である。

早朝に起きた、というより目が冴えて寝られないので近くの御寺の朝市へ。物が無い訳ではないのに長蛇の列で、大抵の品物があっという間に売り切れる。みんなこういうのが好きなんだろうな。毎日毎日スーパーにコンビニでは詰まらないから。吾人も列に並んで長葱と茄子とオクラを購入。以後数度に渡り剪定作業。夜は其の葱で厚揚げ麻婆豆腐。

 

9/7・金

 関空は官邸のゴリ押しで無理矢理再開させられる。併し電車も通わないのにどうする積りなのだろう。其れに多くの乗客が格安券を買っているだろうから、変更やキャンセルが出来ない。這ってでも空港に行かなくてはならない。悪夢である。移動先にも因るが、新幹線自由席の当日購入に勝る自由は無し。北海道の停電の解消は半分程度。あとは節電次第である。函館新幹線と新千歳空港は昼頃に運用再開。それにしても駅も空港もスーパーも大行列。正しく悪夢である。

 曇り勝ちだが何だか蒸し暑い。午前中からスーパーに行き加工食品の積み増し。いざとなったらこれらの食品で二週間ぐらいは食いつながなくてはならない。胃腸の調子が悪く、夏バテ気味。作業は最小限にして静養す。昼はチェーン店で掛けうどん。夜は買って来た惣菜。

 

9/6・木

 宿酔から起きて見ると北海道で大地震。全道で停電。此れでJR北海道は愈愈経営危機だな。再度の国有化が必要である。それにしても次から次へと災害が起こるのは国の政治が悪いからである。

震源地近くでは山が崩落。札幌市内では液状化。夜になっても大半の地域、特に地震とは関係ない道東も道北も函館も停電。リアル「サバイバルファミリー」である。夕方出社。立ち飲みBで軽く御仕舞。

 

9/5・水

 21号はあっという間に北海道沖へ。関西は被害甚大。特に高潮と強風。海上空港は冠水の上、船が衝突して橋が損傷。数千人が孤立す。コースと被害を鑑みると、第三室戸台風だな。

 未明は雷雨。以後晴れる。早速自転車屋へ。スタンドの他にも色色と整備して貰って2500円。矢張り古い自転車屋の方がいい。午後になっても空港島からの移動は終わらず。片側交互通行のリムジンバスと小型連絡船だけではね。凡そ三千人。田園都市線なら二本で運べる人数である。

 さてさて神宮球場の麦酒半額ナイターと言うことなので一年振りにプロ野球観戦。丁度中日戦である。月波君と客乃間君、少し遅れて坪上君が参集。試合の方はと言うと、一旦逆転しておきながら再度逆転負け。投手の起用法が極めて悪い。昨日は六点差をひっくり返された。暴動が起きないのが不思議である。温厚な吾人ですら野次を飛ばす(結構受けてた)。五対六で九時には終了。其の後青山の「直久」に移動。麦酒は飽きるほど飲んだので冷酒にラーメンその他で締めて帰る。

新聞によると空港に取り残された人は八千人もいたのだという。人数の把握も出来ないということは何の危機管理も取れていなかったと言うことである。危機管理学部で勉強し直した方がいい。

 

9/4・火

 朝方は大雨。例によって家作の横樋からはだだ漏れる。でも案外直ぐに止んだ。午後は降ったり止んだりしながら次第に風が強まる。21号は徳島から近畿を直撃す。またまた外国人観光客には災難だな。殊に欧州には台風は来ないのだという。和辻が牧場型と名付けただけの事はある。日本に来れば台風も地震も体験できる。

 夕方出社。強風と車両故障(スタンド破損)により自転車急行は運休。バス利用となる。風だけはどんどん強まる。職場のパソコンで台風情報を見ようとする。併しポータルサイトのニュース欄に出ている所を幾らクリックしても全体像は掴めない。こういう場合はテレビのニュースに限ると思った。確か公共放送は動画も無料で公開している筈である。早速クリックして見るも要望殺到で一向に見られず。やっぱり非常時にはラジオだな(当然「ラジコ」ではない)。結局雨は降らず。帰りも目黒からバス。鯖味噌の缶詰に白ワインで御仕舞。ずっと大風。遠く離れた関東で此れなのだから相当な被害が出ているな。二階の二号室も決まる。

 

9/3・月

 柿の木のオーナーになれば、其れを干し柿にして売り出すので、年利10%以上を出すと言う会社が破綻する。被害額は一千億円以上。明らかな詐欺会社。どうしてこんなあり得ない話しに騙されるのだろう。男(女も)は黙ってゼロ金利(に耐えよ)。其れが資本主義の最晩期の姿と言うものである。

午前中は雨中心。御昼には止んだ。二号室のガス栓の位置が変なので修正工事を依頼す。家人体調不良の為、吾人が施設に参る。まあまあ血色も良いが、神経痛が痛い痛いと宣う。こういう場合は直ちにロキソニンなのだが、生憎手持ちがない。看護師に相談し、主治医の指示を仰ぎ、其の結果「カロナール」が投与される。三十分ほどで退出したので効能までは確かめられず。経験上、カ・・は効いた覚えがないなぁー。ちなみに午前中は便が出なくて座薬を投与したという。

 続いて小田急線の準急我孫子行きに乗り、千寿に向かう。準急は緩行線を走る。幾つかの駅を景気よく跳ばしたが、代々木上原では五分前の各駅停車には追い付かず、後から来た急行の接続待ち。速いんだか遅いんだかよく分からない列車である。退社後は町屋のBで二杯だけ。帰りの半蔵門線では初老男性が隣の席に着くなり「正論」を熱心に読んでいた。結構インテリそうなんだけどね。人は見掛けでは判断できないな。ただページを捲るスピードは極めて遅かった。

 

9/2・日

 早朝から低木切りと自転車散歩。併し此の「ねずみもち」と言う木は良く栄える。バッサリ切っても一年半で概ね元の通りになる。以後結構な降雨。兎に角涼しいのが有り難い。また台風が来るという。21号だそうで、L特急並みの頻発ぶりだと思った。また何処かのローカル線が切れるのではないかと気が気でない。雨が止んだので午後も剪定と散歩。大橋の大学病院も建て替わる。老家人が泌尿器科脳神経外科、眼科とお世話になったところである。でももう行くことはないな。昼はオリジン弁当。夜は環七の魚屋の鰹刺しと明太パスタ。一通り酔った後もエアコンや扇風機や風呂場の掃除。

 

9/1・土

 来年度の概算要求には小中学校のエアコン設置費用も盛り込まれた。こう言うことだけは早いな。いやしかし、国家の面子に掛けて子どもを学校に囲い込む意志のようなものを感じる。器より中身の方が大事なんだけどね。暑い日は自由登校か音楽室で自習。其れでいいんじゃない。子どもの自殺が増える時季でもある。

 高枝切りの後、西友に参り、ガスコンロを購入。リニューアルの度に買って来たからもう何個目かな。汗びしょびしょになりながらバスで搬送。何度も言うがアンチネット通販派は辛い。併し外資が撤退したら此の店はどうなるのだろう。「緑屋」以来の歴史ある店舗である(吾人の記憶にあるのは「アムス西武」から)。昼は新しく出来た店でさっぱり煮干しラーメン(750円)。偶にはこういう薄い味のものも食べなくては。周囲はこってり派が多数。最近は煮干しがブームらしいが、全部磨り込んだ濃厚味だとプリン体が心配。午後も低木の剪定。多少の雷雨あり。漸く本当に涼しくなる。一雨ごとに秋が来る感じ。

夕方に映画「愚行録」。かなりの悪意と格差社会における怨詛が交錯すると殺人事件が起こるという設定。後半三十分の結構早い展開に少少驚いた。結論から言うと、どうにも主人公の妹は文応大学(多分京王)に入ったことが間違いの発端のよう。折角苦労して入っても目指す方向性を間違えていてはね・・・。いっそ鳳生大学くらいにしとけば佳かった。其れか国公立。そして真面目に勉強して公務員にでも成ればいいのである。

 

大広孝日誌 2018年8月

8/31・金

 宿題の解答をネットに出品するなと役所が指導したとのこと。まあ宿題と言うものはそういうものだな。親や友達や塾の先生、詰まり色色な人の手を借りてやるものである。吾人も容赦なく手伝う。読書感想文、自由研究、これからの時期はAO入試の志望書等等。インタビューしながら、本人の水準に合ったものを仕上げる。まあそうやってああだこうだと助けてくれたという経験も人生には必要である。何時かは自分も助ける側に回るのだから。但しネットで注文して解決するというのは些か宜しくない。そういう経験が得られないもの。

 八月も今日で御仕舞と言うことで高枝切りに着手。但し猛暑に阻まれ捗らず。昼は「せい家」の付け麵(650円)。午後になりシロが漸く出て来る。どうも未明に喧嘩をしたよう。幸い怪我は無さそう。抱き上げて見たものの雷鳴に怯えて逃げて行って仕舞った。少しナーバスになっている。都内南部は一滴も降らなかったが、徐徐に涼風が入る。こうして長い夏も終わってくれそう。併し酷い夏であった。今度は体操協会が炎上す。選手と強化本部長が言った言わないの泥仕合に。暑苦しいこと限り無し。それにしても御爺さん=老父が家から居なくなって二か月半。御婆さん=老母との二人暮らしは結構辛い。

 

8/30・木

 携帯電話の料金は高い高いと文句を言われている。確か官房長官も文句を垂れていた。其れでも格安スマホに顧客が流れないのは不思議である。身の回りでは鶴木さんしかいない。高い高いと文句を言いつつも、結局は納得しているのだな。まあ此の二十年で、携帯電話ほど進化したものはない。公衆電話と伝言板、精精ポケットベルの時代を思えば、月数千円は許容範囲と言うことか。今更あの時代には戻れないもの。例えば新幹線特急料金は高い高いと常常思うが、其れでは座席の夜行急行に再び乗りたいか問われれば、躊躇って仕舞うのと同じである(一度は乗るが)。まあ結局高い料金の一部は技術革新と設備投資に回っていると言えよう。其れに比して一向に変わらないものも多い。コンビニのおにぎりの不味さとか、通勤電車の混雑とか、大病院の待ち時間とか・・・。此方は二十年前と価格が変わらないからな。

 再びの猛暑となる。午前午後と漫然とす。須見伯母が来た以外は無為。「はてなダイアリー」が終わって仕舞うというので対応を考える。思えばブログを書き始めたのはリーマンショックが契機だったから、丁度十年になる。3.11以降は毎日書き、此の所は月一回纏めてアップすることを習慣としていた。色色と調べると過去の記事も移行出来るみたい。少し安心した。

 午後遅めの出社。夏の間に澱のように溜まった書類やプリントの整理と廃棄。中一の女の子たちは、あれが来たのとか実はまだ来たことがないのとかワアワア言っている。そう言うことは女の先生の前で話しなさいと忠言す。何しろ幾ら博学な吾人であっても男である以上、実に全く分からない世界であるから(スイマセン)。また本日から新人講師が登板す。無責任社長の知り合いの御令嬢らしい。獣医学部の一回生と言うから最大で五年半はやれるかな。まあ其の頃までには色色な意味で「持たない」とは思うけど。退社後は中華立ち飲みに。久久に天屋先生が居たので話しして帰った。

 

8/29・水

 蒸してはいるが陽が出ない分、多少は涼しい。梅雨の末期のよう。まず低木刈り。続いて施設に参り、老家人の昼食を介助。梅干しが食べたいと言っていたので、チューブ入りの梅肉を持参。大して食べず。其の後トイレの介助。此方は専門職にやって貰う。もう三日も出ていないそうである。お湯を掛けたり、脱脂綿で刺激したりしたが、反応は無し。其のまま就寝。食事の手伝いぐらいなら誰にでも出来るだろうが、排泄の方はなかなか出来ない。

 さてさて千歳船橋ランチだが、何だか食欲が出ないので高架下を経堂まで歩く。「一番館」という中華チェーンがあったので入って見た。「コクだし中華そば」に半炒飯(670円)。日高屋に似た店だが、炒飯を前面に押し出しているのが珍しい。そもそも炒飯を作るには職人の腕が要るし、鍋を振り過ぎると腕を痛めて仕舞う。量を売る飲食店には不向きである。但し厨房は二階にあるので中は覗けず。此の炒飯、どうやって作っているのだろう(自動化炒飯?)。其のまま宮の坂まで歩いて世田谷線で帰宅。区から知らせが来て、老家人は要介護五に昇進したとのこと(五階級特進)。夕方に草取り。夜はスーパーの秋刀魚の塩焼き(230円)。焼かれたアニーの他は完食す。今年は豊漁だそう。

 岐阜の老人病院で大量死。一週前からエアコンが故障していたらしい。幾ら安いとはいえ酷い病院もあったものとだと思う。暑さでぼんやりしていたが、米中貿易交渉も、米朝非核化交渉も暗礁に乗り上げたらしい。T氏も少し秋休みを取った方がいい。出来れば二年位。

 

8/28・火

 午前午後と漫然とす。猛暑の為か疲労が著しい。夕方出社。金五万円受け取る。随分前の卒業生に頼まれて、名代としてウェブテストを受ける。一般常識系だが問題数が多くて閉口す。後半はかなり適当になった。昇任試験だそうで、早く正社員に成れるといいが。他は取り立ててどうと言うことの無い一日。立ち飲みBに寄って御仕舞。少し新店を開拓しなくてはならないと強く思った。

 

8/27・月

 まず施設に参り、老家人の昼食を介助。まあまあ食べた。多少元気が戻ったようで、持って行った古新聞も捏ね繰り回していた。何処まで内容が入って行ったかは分からない。そう言えば子ども新聞と言うものはあるが、高齢者向けの新聞ってないよな。文字を矢鱈大きくして、最新のニュースは最小限、大昔の出来事をふんだんに取り上げれば結構受けると思うのだけど。兎に角もう少し真面になって貰わないと、ゆったりと外出も出来ない。

続いて駅前の「アンローザ」という定食屋に入る。日替わり定食750円。場所柄か農大生が多い。おかずの割りに御飯が多く、最後は沢庵ライスとなる。メニューも多いし面白い店だと思ったが、学生がプカプカやっているのは宜しくない。食味の為にも健康の為にもランチタイムは禁煙にすべきである。

小田急経由で千寿に移動。此方の講習も最終日。七時に終了。都心でぼんやりしている月波君を呼び出す。但し雷雨が来るというので、飯田橋ではなく彼の地元の江戸川橋まで移動。着いた瞬間、有楽町線は運転不能に。落雷故障とのこと。なかなかに運がいいと思った。大雨の中、行きつけの「善しの家」という中華屋に移動。典型的な町中華の店である。餃子、炒め物、炒飯、ラーメンに加え、常連の魚屋さんに刺身を差し入れて頂く。豪華な晩餐となった。併し彼も色色と年増の知り合いはいるようだが、孫や娘や姪くらい紹介して貰わないとね。二時間くらいで雨は止む。異様な暑さも終了。半蔵門線も空いていた。

 

8/26・日

 昨日以上の異様な暑さとなる。猛残暑なる新語も登場す。老家人は家人に任せ自宅待機。草取り等も不能。夕方買い物に出る。地元の商店街が縁日を開いていた。併し魚屋は勿論、豆腐屋も八百屋も全て既にない。大半が飲食店になっている。そんな中、猫餌と御酒を買う店が即席で鳥を焼いていたので少し寄ってみた。身の回りで馴染みの店と言うのも此の店ぐらいだな。

 Aは鹿児島で総裁選に出馬表明。今更分かり切ったことを態態桜島をバックに執り行う必要などそもそもない。公共放送のドラマに乗っかっているな。今年は明治150年と言うことらしいが、再び薩摩と長州で国を滅ぼそうとしている。

 

8/25・土

 20号では川湯温泉に浸水被害。以前泊まった旅館もやられた模様(確か「大村屋」)。つくづく今年の気象は荒い。暖気が残っている上にかんかん照り。再びの猛暑日に。

朝から十五分の草取りと二時間半の休憩を繰り返したまま夕方近くになる。此のまま一日が終了かと思い掛けた頃に施設の看護職から電話がある。老家人が発熱し具合が悪いという。そう言えば昨日も喉が変だった。何だか心配なので車を仕立てて家人と参る。行って見ると血色も良く、まあまあ元気そうであった(医師の指示に因りナトリウムとブドウ糖の点滴中)。行った序でに夕飯を食べさせる。高カロリーのドロドロ食を中心に多少は食べた。軽い風邪なのだろう。「もういいよ」と言うので寝かし付けて帰ることとす。其のままバス帰宅。交通費概算2500円。帰り掛けに千代田鮨と唐揚げを買い晩食とした。以後御酒を飲んでいると何だか少し悲しくてね。夜更けにシロを呼び付け、御前たちを最初に見付けた御爺さんは愈愈もうこんな状態なのだよと云って聞かせた。

 

8/24・金

 20号は近畿地方を通り抜け日本海へ。関東も強風と時折ざっと降った。朝から家人と施設に乗り込む。入居してひと月経ったので担当者との面談。運動機能の回復は望むべくもないが、せめて食事を楽しめるようにして欲しいとの要望を出す。誤嚥が心配だがミキサー食の一段階上の刻み食に変更出来るよう検討しますとの回答を得た。其の後昼食介助。吾人と家人のダブル介助だったから少し食べた。またアイスクリームが欲しいというので駅前スーパーで買って来る。兎に角、本人が食べたいというものを成るべく食べさせたい。例によって寝かし付けて退出。確か今日は「袋田の滝に行って草臥れた」と言っていたな。十年以上前の絵描き旅行の事だろう。楽しい思い出があれば、寝台の上でも楽しい夢を見られる。

さてさて老家人とは違って大変空腹である。家人とバス停横の「キュア」というカフェのようなレストランのような所に入る。超粗挽き和牛ハンバーグ何とかソース和え。肉は挽いたのではなく叩いたのであろう。肉肉しさが残っていて結構旨かった。御飯とサラダとドリンクバーがついて1200円。こういうものが食べられるのも歯と胃腸は勿論、体と頭の隅隅が概ね健康であればこそである。其のままバス帰宅。此れで今週の予定は全て終了。良く動いた。雨は止んだが午後は大変蒸し暑い。エアコンを点けて大量に午睡す。夜は鯖味噌の缶詰に家人の盛り蕎麦。

首都大学何とかも元の都立大学に戻るという。I時代の暗愚を修正するのならば、大江戸線も12号線かゆめもぐらに戻して欲しい。有名な大家さんも死去。今夏は暑かったからな。もう少し続いて欲しかった。JR貨物は山陰線での迂回輸送を開始へ。但し一日一便。

映画「メイズ・ランナー」見了。巨大な迷路に閉じ込められた若者たちの物語。迷路と言って中心部には村も森もあるから、進撃の巨人+キューブだな。話は分かりやすいしそれなりに面白い。併し二時間見続けても謎は解けず。聞けば三部作だという。行けども行けども終わらないバイオ何とかのような展開である。映画の一本道に直ちに挫折する。

 

8/23・木

 今日も強い南風でサウナ状態。午後千寿に。退社後は千寿駅のホーム上で盛り蕎麦と酎ハイの休憩。本日は半蔵門プラス南北線で回航す。やっぱり後者の混雑の方が酷い。而もちっとも電車が来ない。昼間より(一時間当たり)二本多いだけ。酷いダイヤだと思った。上尾事件が起こるな。

本務校で中一数学。何だか草臥れて仕舞い、立ち飲みBで二杯だけ。11系統プラス徒歩で帰宅した。暑さと混雑ほど人からやる気と体力を奪うものはない(増して慣れない路線だとね)。つくづく通勤時間より無駄な物はないとも。其れでも暴動が起きないのはスマートフォンの御蔭だな。みな自分の世界に没頭できる。ところで車内では最近すっかり影が薄い横浜の方の橙隠学園の広告を見た。一日十四時間いられる学校とあった。塾の代わりもしますということなのだろうが、幾ら何でも長過ぎると思った。もしも吾人が理事長なら四時間で終わる学校を建てる。学校から生徒を解放しますと宣言す。

 

8/22・水

 台風20号が接近。南風吹き付け三十三度程度。午前午後と何も出来ず。夕方出社。ぼんやりしていると漢字検定の答案を出し忘れていたことに気が付いた。本日中に発送しないと行けない決まりになっている。急いで本局に向かう。行って見ると長蛇の列。夜間窓口は一つだけで、定年間近のおじさんが一人で対応していた。丸で昭和の窓口だと思った。併しこういう時に使用する「昭和」という比喩は何を意味するのだろうと暫し考えた。売り場の混雑=売り手優位と解釈すべきかな。では平成は・・・。バブル期は売り手も買い手もいい思いをした(多分)。でも其れ以後の平成の大部分はずっと買い手優位だな。

退社後は立ち飲みBへ。併し三日連続で行っても、出て来るおつまみも出合うおじさんたちもまるで同じ。会ってくれる人が居ないよりかはいいが、もう少し何とかしなければならないと思った。新店の開発を。

 

8/21・火

 夏が戻り日中三十度以上。冷房も再稼働。高校野球は決勝戦。秋田代表と全日本代表がぶつかる。一人で投げて来た前者のエースは既に力尽きていた。夕方出社。漢字検定。中学生は宿題で頭が一杯の模様。大体自習となる。吾人も上級学校訪問リポート成る宿題を手伝う。こういうやっつけ仕事ならお手の物である。退社後は立ち飲みBへ。更にバーIに寄って帰った。

 

8/20・月

 また台風が来るそうで昨日よりかは蒸し暑い。それでも曇っているから涼しいというべきだろう。午後千寿に出校。中三国語に加え中三理科も同時併行せねばならぬ閉口す。掃けた後は国道沿いの「大勝軒」で、もりそば(750円)。少し麺が柔らかいな。付け汁はまあまあ。熱熱なのがいい。大勝軒と言うと兎角期待のハードルが上がり、ネット上では好悪交交に荒れるものである。併し何しろ本家の味を知らないから吾人としては判断の仕様がない。

 続いて日比谷線プラス三田線で目黒に。其のまま本務校に回航。中三の数学。都営に乗ってもやっぱり混んでいる。田園都市線より酷い感じ。メトロ経由より百円ぐらい高いが、結局百円損したと思った。退社後は立ち飲みBへ。最終バスで帰宅。11系統を降りたら丁度32系統がやって来たので合わせ技で帰宅。ちなみに11系統には数キロ乗るが、32系統は二停留所しか乗らない。都営はバス同士の乗り継ぎ割引をやってくれるが東急はやらない。ICカード時代なのだから是非やって欲しいと思った。一日券を使うほどでも無い時が結構あるのですよ。一階の二号室の方が先に決まる。まだ工事中だが入居は来月。

 

8/19・日

 ネットで軽く読んだだけだが、「日経ビジネス・8/20号」の「国鉄は二度死ぬ」という記事はリニア計画の危うさを正確に捉えていると感じた。海外の投資家は少しずつ手を引いているのだという。然もありなんである。KとAを早く何とかしないと取り返しのつかない事態になるな。

 午前中は施設に行く。23系統には乗らずに自前のクルマを用意す。何しろ晴れてはいるが涼しいからね。およそ三十分で到着。徒歩+バス最速乗り換えパターンより早いことは早い。例によって叩き起こして施設内を巡回。昼食介助。老家人は「七時には東京に着く筈がよもやこんなことになるとは」と申していた。どうも何処かで行き倒れた感覚なのだろう。人生を旅に準えるのならば、大半の人人は行旅死亡するものだがね。

続いて「蔵吉」という蕎麦屋に入る。鮪丼と盛り蕎麦のセット(1000円)。バス代が節約できた分、中壜を付けた。ゴマダレのづけ鮪が結構旨かった。隣のおじさんの親子丼も旨そう。蕎麦屋よりどんぶり屋にした方がいいかもしれない。往路復路ともベテランタクシードライバーが通るような小径を通って、世田谷通りをエスケープ。此処も数年ぶりに通るな。環七の大型量販店で猫餌を大量購入して帰る。矢張り区内の移動は自転車が便利である。晩食はスーパーの総菜を並べた。夜は「ポツンと一軒家」。こうして十連休も終了す。

 

8/18・土

 晴れてはいるが爽快な気分。炒飯を作るという家人の提案を拒否して表に出た。二ヶ月ぶりくらいに自転車で出歩く。一日二回本格的な食事をするとして年間700回。其の内半分は外食するとして350。馴染みの店やチェーン店を別にすると新店に入れるのは100回ぐらいだな。そういう機会を無駄にしたくない。併し駒沢方面まで行くも、よさげな所は見つからず。するとあちこちのかき氷屋に行列が出来ていて驚く。水みたいなものにあれだけの時間と御金を割けるものだね。結局地元でちゃんぽんを食べた。十年振りくらいに入った店だが、旨味も塩気も薄め。紅生姜とウスターソースで補正する。すっかり濃い味に慣れたのかなあ。他は草取り。夜は家人の冷やし中華

 甲子園では秋田の農業高校が大健闘。併しみんなどうやって応援に来ているのだろう。「日本海」は既に無いし、団体専用列車と言うのも最近は見られない。結局「こまち」+「のぞみ」かな。それかずっとバス・・・。かくいう吾人も甲子園には参ったことがある。高三の時に通っていた学校が出場した。狭い車内に閉じ込められるのが嫌で、青春18きっぷ大垣夜行に乗って行ったものである。確か横浜から名古屋の手前の始発列車に乗り換えるまで立ちっぱなし。今なら小田原で断念するな。

連投連投だとピッチャーの肘が心配だが、高校野球は結局此れでいいのだろう。何しろ大半の球児たちは大学や社会人、増してプロでプレーする訳ではない。正正堂堂闘って野球は卒業。其の為の一種の儀式である。爽やかな夏の思い出の一片でもあれば、其の後の(多分に苦しい)人生を歩いて行けるというもの。尤も指導者や部の体質が健全であればの話だけどね(嘗ての超強豪校は度重なる暴力事件を受け無くなって仕舞った)。

 

8/17・金

 空気が入れ替わり、晴れてはいるが秋の晴れといった感じ。早速低木刈りを朝の五時から行う。以後数度にわたり出動す。日中もクーラー不要。こういう気候ならば欧州からの旅行者も喜ぶだろう。但しくしゃみ止まらず。抗ヒスタミン。ガスの使用明細書が来たが僅か8立米。住人が三分の二になったとしても大変な減少率である。何しろ此の猛暑で殆どの煮炊きは停止。シャワーも32度の設定だったから。ガス会社は泣いているな。

昼は昨夜の残り物。夕方池尻の新スーパーに行くも惣菜類は悉く売り切れ。昼の弁当は作っても夜のおかずは作らないらしい。こういう考え方の店もあるのだね。今まで午前中にしか行かなかったから分からなかった。結局三宿で海鮮丼を買って帰った。家人の要望があり『くすりの事典2019』(成美堂)を購入。此れは詳しい。対象は処方箋薬だが、薬の成分からも引けるので市販薬の内容も大体推測できる。市販薬評論家としては座右の書とせねばならない。

 

8/16・木

 東の会社は自動運転を検討中とのこと。将来の人手不足に対応するというのが御題目らしいが、矢張り如何わしい。そもそも電車の運転士になりたい人など沢山いるだろう(子どもの夢の上位を占める)。其の上御客が減ったなら運転間隔を詰める必要もない。あれだけ儲かっていてあれだけ社員を減らしても、要はまだまだ給料を払いたくないのだな。東海とは違った意味で酷い。

例によって可燃ゴミの日。毟り取った草をパンパンに詰めた45リットルの袋を二つ出す。尤も出荷先は世田谷区清掃事業だから何かを生産した訳ではない。もし此処に草食動物を介在させれば無価値な草が肉や乳や毛になるのだから、牧畜とは一種の錬金術であると思った。併し夏はいいだろうけど冬場が餌の確保が大変だな。牛は無理だとして山羊一匹にどれくらいの面積が必要なのだろう。土地が狭い日本では無理なシステムであるとも思った。

夏は今日で御仕舞らしいので少し出掛けようと決意す。溝の口まで電車で行き、市バスに乗り換え。生田緑地入り口で下車するも、飲食店は全く見つからず。結局ズカズカと歩き、登戸の駅前の「更科」という店に入る。盛りとミニ天丼のセット(1100円)。ミニの割りに海老天はフル規格で得をしたと思った。併し最早後退などあり得ない。其のまま多摩川を渡る。ちょうど日も陰っているので何処までも歩く所存だったが、早速の和泉多摩川で断念。小田急線に乗って素直に帰った。生田緑地でグダグダする予定だったものが、家に着いたらまだ一時過ぎ。どうにも段取りが悪い。

午睡の後、買い物に出掛ける。偶には天祐寺に。駅ビルが完成間近になっていて驚く。「稲毛屋」で焼き鳥を買う。中里の「信濃屋」が鳥を焼かなくなって以来、家で食べる焼き鳥がなくなって困っている。肉質は一般的でタレの味はまあまあ(やや甘い)。併し信濃屋の固めの胸肉と皮のサンド焼きと言うのはもう出合えないだろうな。あの昔の焼き鳥をもう一度食べたい。他は家人のゴーヤチャンプルー

 

8/15・水

 家人は鎌倉の伯母さんの所へ。ところで鎌倉の伯父さんも認知症が進んで在宅介護は限界に近づきつつあるという。何でも入れる施設が見つからないとのこと(現行お泊りサービス止まり)。一説には伯母さんが伯父さんを実は手放したくないから、本気で探していないのだとも。夫婦仲が良すぎるのも考え物である。此の点に関して、家人(母)にとって老家人(父)を施設に入れることは既定の方針であり、其処に些かの迷いもなかったと言えよう。元元の仲が大して良くないからな。

 日中南風が吹き荒れ、三十四度。外出外食は避け自前で飯を炊く。納豆ライスの副菜はハムエッグ。吾人はターンオーバー派なのだが、残念ながらひっくり返すだけの技術がない。サニーサイドアップのまま蒸し焼きにして全熟に追い込んだ。少しは料理もしないとね。他は草取り。対外的には一円も使わず。

 公共放送は連日の戦争特集。百歳とかで証言できる人が出て来て驚く。九十三の老家人も勤労動員中、確か日立市で米艦による艦砲射撃に遭った筈である。併し此の所のあっという間のロレロレ状態で最早証言不能。もう少し頑張らなくては・・・。

 

8/14・火

 さてさて本日は万代伯母の命日、殊に三周忌と言うことである。但し此れといった法要も無し(第一に其れどころではない)。其処で吾人が全親類縁者を代表して墓参りに行く。行き先は例によって都営小平霊園。少しは旅気分を味わおうと都心を通らずに小平を目指すことにした。先ず世田谷線に乗り、京王伝いに吉祥寺に。中央線で少し移動して国分寺から西武線で参る。大気の状態が予報より良く、南関東はピリカン状態。直射日光が殺人光線のように迫って来る。午前中から這う這うの体である。花を買った石材屋さんで自転車を貸して貰う。以後高速で掃除をし、手短に近況報告と最低限のお願いをした。

 駅に戻るも「丸徳」も「清川」もお休み。饂飩と蕎麦は諦め、「一品菜」という中華屋で野菜ラーメン+半炒飯+中壜休憩。帰りも旅を継続す。まず「ぎんてつバス」に乗る。正式名称を銀河鉄道株式会社と言う。独立系のバス会社である。パスモやシルバーパスは使えず現金払いのみ。従って年寄りはおらず、何人かの学生さんを乗せて走り出した。幾つかの学校を経由して国分寺まで20分、170円。少し安い。併し西武バスの島を荒らして大丈夫なのかなあ。路線バスが増えることは望ましいことだが、岡山市辺りでは大騒動になっていると聞いている。少し心配した。

続いて京王バスで府中へ。流石に此処から先のバスはなく、素直に調布まで電車移動。再開発された買い物ビルを冷かす。食品以外に興味はないが、折角見ても此の暑さでは持って帰れない。と言う訳で直ちに離脱。併し渋谷行きの小田急バスは二時間先までないので成城を経由して帰ることとす。調布周辺には梨園が点在。即売所もある。一日券ならば降りて買うんだけれどね。サワーピアーである。小平から凡そ二時間半。夏のバス旅を満喫した。一休みの後は草取り。夜は家人の明太パスタ。

 

8/13・月

 午前中から施設に参る。例によって老家人を叩き起こし、昼食介助。其の後トイレに行きたいというので男性介護士二人掛かりで三メートル離れた便座に着席させる。結局小水しか出なかった。御爺さんの介護は大変である。寝かし付けた後、吾人は商店街を物色。「寿司清」という店に入る。ランチ握り(凡そ八貫)に中壜を付けた。寿司はまあまあ、何しろ千円だから。でももう少し繁盛して欲しいな。御客は吾人一人のぼっち飯である。

其のままバスで渋谷に直通。百貨店の古本市へ。『荷風随筆』全五巻を二千円で購入。そうこうしている内に雷雨に巻き込まれる。バスを二本使って帰宅。そんなに降って来た訳ではないが、こういう場合一日券は有り難い。夜は堅い牛肉を焼いて食べた。

富田林の警察署から逃げ出した容疑者はどうにも故超有名俳優に似ていると思った。試しに検索をしてみると、同様の意見が既に多数SNS上に見い出された。こういうどうでもいい発見を披歴することは、嘗ては家庭や部室や居酒屋でごく近親者のみに対して行われていたのだろうが、最近はネット上でおおっぴらにやるのだと思った。

 

8/12・日

 結局かなりの宿酔に。昼頃には漸く収まる。続いてコンビニの冷やし中華。概ね曇る。少しの草取りの他は無為。夜は残り物にカップ焼きそば。

 

8/11・土

 陸羽西線は今日からバス代行。流石にお盆期間だからやらざるを得ないのだろう。群馬の防災ヘリが墜落。どうも防災ヘリの事故が続いている。何か理由がある筈である。

 異様に蒸し暑い。朝から量販スーパーに行き、二号室に取り付けるLED電灯を購入。アイリス何とかの方が三千円安いけど、やっぱりナショナルにした。明るいナショナル、みんなのナショナル。一応国産品。ところで此のスーパーも出資していた外資の方は撤退を決めたという。資本提携以降、店内は倉庫のようになり、店員も少なくなっていた。安いことは安いのだろうけど、元元満足な駐輪場も無いから、滅多に買いに行けないし、沢山買って来られない。アメリカ式は日本、特に都心部の古い店舗では通用しないな。暑くて暑くてびしょびしょになって持ち帰る。アンチネット通販派は辛い。色色不満はあるが此の店には生き残って貰わなくてはね。

 午後は軽い降雨。夕方外出す。素直にメトロに乗り市ヶ谷へ。やって来た有楽町線は7001というトップナンバー。プレートを見ると吾人と同い年であった。今や国鉄より営団の方が古い。兎に角頑張って欲しいと思った。本日は大学飲み。珍しく轍田さんが参加す。色色と子育てで悩んでいるよう。成るようにしか成らないと忠言す。まあ他人の子だから好き勝手なことが言えるというのもあるな。他は月波君と藤松君。3800円で食べ飲み放題の「京華茶楼」という中華屋に入る。都心はガラガラ。どういう訳だか入った瞬間からずっと蛍の光が流れていた。肝心の料理の方はと言うとオーダー式の提供で結構旨かった。余りそうなものは藤松君がみんな浚ってくれたので食べ残しはゼロ。やはり中華は頭数を揃えて行かなくてはね。もう一軒寄って帰る。

 

8/10・金

 日大の別の部活でも問題が発覚。監督やコーチによる行き過ぎた指導は枚挙の暇がない。アメフトもチアリーディングも元元は舶来品だが、教えているのは当の昭和生まれだからな。そもそも先生と言うものは生徒の成れの果てだから、一番変わりにくいし、また変われないのだろう。こういう場合、手っ取り早く御雇外国人を入れるしかないか。

 さてさて本日から十連休。特に予定もない。涼しい内から低木刈り。無人銀行に参り、施設に敷金分を振り込む(75万円)。続いて経師屋さんにお茶を出す。以後漫然とす。また先日優子さんと話したところ、夏子叔母さんもどんどん認知症が進んでいるとのこと。なお取り立てて御金の心配はないが、確定申告した際の所得が多いと税金や社会保険料が上がるので、不動産収入をもっと少なくして欲しいと言われた。持ち分割合は変えられないから、修繕費や雑費を少し付け替える必要があるな。来年の二月も大変そう。

 夕方になり外出す。久久に仲田大将にお呼ばれして西新橋のちゃんぽん屋に。例によって渋谷からバスに乗ったのだが都内は大渋滞。何ラッシュになるのだろう。少し遅れた。参加者は鰻犬先生に須々木さんと月波君。大将と会うのは四月以来。三時間ほど痛飲し解散。月波君ともう一杯。「博多風龍」へ。月波君が愈愈しつこくなってきたので早目に退散。帰りはメトロに。銀座線は混んでいたが半蔵門線は空いていた。みんな何処かに行って仕舞ったのだろう。帰宅は十時半。

 

8/9・木

 13号は房総沖を北上。結局都内は何の影響も無し。朝方は低木刈り。段段晴れて暑くなる。午後千寿に行く。途中散髪。退社後は「天七」で軽く引っ掛けて本務校へ回航。中一に一次方程式を教え、此れで前期日程は全て終了。立ち飲みBで軽く飲む。11系統に行かれたので目黒経由で帰宅す。

 先日の山形豪雨で陸羽西線は長期運休とのこと。ホームページには代行輸送は行いませんと堂堂と書いてある。お盆を前に職務放棄だな。併し本当にやっていないのかな。バス代行を。知らないで行った人はどうするのだろう。

五輪のドサクサに紛れてサマータイムを導入するような話が出てきている。吾人としてはまんざらでもないと思うが、併しあくまでも此れは東京中心の話だな。もっと西、九州や沖縄、例えば与那国島など朝の七時でも真っ暗になる。東西に長い国だとちょっと難しいと思う。要はマラソンだけでも朝の五時に始めればよいだけである。国中の時計を動かすほどの事ではなし。

 

8/8・水

 13号が接近。風の台風らしく、未明から風が吹く。朝には降り出す。関東は冷え冷えだが、静岡以西は猛暑のまま。冷風は箱根の山を越えられない模様。気象に於いても東西の差は大きい。それにそもそも東海地方は西日本である。詰まりJR東海など要らなかったな。シリアで行方不明になっているジャーナリストの奥さんが会見し救出を訴えた。拉致されてもう三年である。先月新たな動画が出た際、官房長官は全力を尽くしていると表明していたが、全力で傍観しているの間違いであろう。オトモダチ以外の国民は守らない恥ずかしい国である。木次線は運転再開。信号ケーブルが切れただけだったらしい。バイパス措置で直ったとのこと。また備後落合に行って見たい。出来れば正規の乗車券で。夜になりO知事の訃報が。Aを道連れにして欲しかった。

 水曜不出社。屋外作業は出来ず自宅待機。「アンドロメダ」後半。一応見せ場はあったが幕切れは中途半端。こういうのをカルト作と言うのであろう。医学や生物学の知識があればもっと楽しめる筈。昼はオリジン弁当。夜は冷凍食品その他。

 

8/7・火

 都内も未明に大量降雨。暑さから解放される。移動の自由と呼吸の自由を取り戻した感じ。医大裏口入学の問題は、入試の公平性の問題に発展。女子受験者を減点していたり、浪人男子を敬遠していたことが発覚す。まあそういう篩の掛け方をするとしたら二次試験からだな。面接や小論文を通して職業適性を見極めたと言えば大した問題にはならないだろう。マークシート方式の一次試験でやって仕舞うのは少し理不尽と言うものである。

 電気カミソリが欲しいというので朝から量販店に参る。併し吾人には丸で縁のない道具類である。そもそも吾人には髭が殆ど生えない。週に一度軽く剃るか毎日十本ずつ引っこ抜く程度でどうにかなって仕舞う。見てみるとカミソリにもピンからキリまである。何がどう違うのか分からないが3500円程度の物を購入。其の足で施設にバス移動。朦朧としている老家人を叩き起こしまず書類に署名させる。満期返戻金受け取りの為。続いて車椅子に搭乗させ館内を循環。例によってどろどろの昼食も口に放り込んだ。一時間半引き連り回した。寝かし付けて退出。

さてさて吾人も昼食の時間である。余り食欲がないので高架下の「八兆」に。個人経営の立ち蕎麦屋かき揚げ蕎麦におにぎり一つ(530円)。天麩羅は焦げ気味だが生蕎麦から茹でているから味はまあまあ。おにぎりが旨い。千歳船橋にはまだまだ入って見たい飲食店が沢山ある。但し小雨が止んだので蕎麦屋に傘を忘れた。午睡の後、代講出社。例によって武藤女史が海外滞在中の為。夏だというのに戦力低下が著しい。立ち飲みBで結構飲んだ。帰宅後映画「アンドロメダ」。宇宙から入った謎の病原体と闘うという設定らしいが、謎の研究施設でずっと検査と実験ばかりやっている不思議な映画である。真面目に作っているのだろうが退屈過ぎて途中就寝。

 

8/6・月

 朝から異様な温度と湿度。午後早目に千寿に出校。今日から此方の講習である。相変わらず効かない冷房に、持ち帰っても持ち帰っても全く減らないゴミの山、S子先生の怒号に辟易とす。但し生徒が少ないので五時半には退社。以後本務校に回航である。丁度二時間あるので一杯引っ掛けて行きたかったが、お腹の調子が悪いので本日は断念。其のまま夜の南北線に乗り移る。

例によって途中駅で都営の列車に吸収合併される。ラッシュ時の二本が一本に纏まる筈もなく、吾人の他不慣れな乗客は取り残される。酷いダイヤだと思った。三田線は漸く八両にするらしいがメトロの方はどうするのだろう。今時六両編成など考えられないな。明日からでも12両にして欲しいと思った。本務校に着いてもぐったりす。移動疲れである。中三数学を教え、立ち飲みBに寄り、バスを二本乗って帰った。神奈川方面は大雨。夜は久久に涼しい。

 

8/5・日

 朝からコンビニのおにぎり。塩気は薄くコメはぼそぼそで食えた物では無し。併し不思議だな。世の中どんどん変わっているのにコンビニのおにぎりの不味さだけは変わらない。人類が火星に立つ頃も恐らく不味いままであろう。そもそもが安すぎるのかな。一個200円出すから真面な物を作って欲しいと思った。万が一にも吾人が国会議員になったら「おにぎり適正化法」を作る。細かな基準を設けおにぎりの食味向上と国産奨励に政治家生命を使う。元始、おにぎりは太陽であったと、法律の前文に書く。

日中三十五度。西日本はもっと高温。最早言葉も無い。安白チリワインと猫餌を買いに出た序でに「さとう」でラーメン。午後も取り立てて引き篭もるのみ。夜は家人が買って来た牛肉と舌平目。大して旨くも無し。北から寒気が南から台風が接近し明日の夜から崩れるという。それはそれで待ち遠しい。

 

8/4・土

 朝から近所のスーパーに。すると冷蔵ケースが故障しており半分以上の商品が販売不能。豆腐も納豆も買えなかった。暑さのせいだな。大手家具販売会社も愈愈大変なことに。かの店には家人の付き添いで一度だけ行ったことがある。品の良さそうな店員に案内されながら高そうな家具の間を半日歩いた。最後には御茶まで出して貰い、今時こんな売り方があるものかと感心した覚えがある(確か居間のテーブルを買った。凡そ15万円)。娘さんは流行りの量販店のようにしたかったらしい。お父さんを追い出してまで経営権を奪った。併し昔の売り方でまあまあ巧く行っていたのだからわざわざ変える必要などなかったのである。遅い反抗期で会社を潰して仕舞ったことになるなぁ。何でも変えれば佳いというものではない、絶好の教材が生まれた。

日中三十五度。御昼に出社。丁度商店街の縁日の日である。当該地区でも出店を出していた。出動していたのはお爺さんばかり。併も半分以上は既に廃業した元店主さんたちである。矢張り商売が忘れられないらしい。一同に会していたから一種の同窓会だな。講習最終日。さてさて件の中一に当たる。ペンギンに育てられた先生は連日の暑さでついうっかり激昂した。あの後は冷凍庫に頭を突っ込んで冷やしたと挨拶す。そして再び怒り出さないよう、慎重に穏やかにそして適当に指導す。退社後は偶偶歩いていた鰻犬先生を誘って立ち飲みBへ。父上の納骨を済ませたばかりとのこと。また愈愈売却→引っ越しの目途も立ったとも。テーマがテーマだけに湿っぽくなりがちだが丁度須々木さんもいて、平日並みに何とかなった。更にバーIに寄って帰宅。家人が読みたいというので『九十歳何がめでたい』と『大家さんと僕』を新造購入。年寄り文学だな。出版界も高齢者シフトを敷かなくてはね。また西のホームページに因ると芸備線木次線福塩線姫新線も直す意思はあるよう。やれやれである。特に福塩線は未乗だから大変心配していた。

 

8/3・金

 日中三十六度。暑中介護施設に。点滴中だがまあまあ元気そう。持って行った古新聞や絵の本を頻りに眺めていたから。併し十分後にはうとうとと居眠り。軽い昼食の後もごおごおと鼾をかいている。疲れが溜まっているのだな。凡そ九十年分の疲れが。また看護師の薦めで高性能な車椅子をレンタルすることに。実にひと月九千円。

 結局ずっと寝ているので早早に退出。駅近くの「とんとん亭」と言う店で上ロースB定食(1400円)。少しとんかつを食べ歩いてみようと思っている。従来かつは家で食べることにしていたが、既に家人の製造リストからは削除されたようなので。これぞいう店に出合いたいものである。高架下の本屋で「JR時刻表」。お盆は十連休。何処かに行きたいが何処かに行けるかな。其のままバスで帰宅。夕方外交員がやって来て火災保険の見直し。障害特約とか満期払い戻し金等のオプション契約を外し、シンプルな掛け捨てにする。此れで年数万円が浮く計算である。夜に掛けて一雨あったが直撃と言う程では無し。其れでも少し冷ました。そもそも今夏は夕立すらない。晩食は鯖の缶詰に御茶漬け程度。

夜は地上波でやっていた映画「オデッセイ」。典型的な明るいアメリカ映画。クルーの音楽の趣味までは分からないが、ここぞという時は米中協力して難局を乗り越えて欲しいと思った。併し火星は遠い。位置にも寄るが、ひかりの速さでも十数分。ではのぞみでは?

 

8/2・木

 昨日以上の猛暑となる。まだ暗い早朝でも舗道から熱を感じた。二十九度はあるな。何かしたいが屋外作業はほぼ不可能。其処で隣家を片付けることにした。万代伯母の靴や古い確定申告書などを捨て去る。老家人の趣味の本も図書館に供出。可哀想なので二冊は取っておいた。序でに近所の集積所を見回ると弁当が捨ててある。参ったな、次の回収は月曜である。見たところ結構高そうな折詰めが四人前(手付かず)。こういう勿体ないことを誰がするのだろう。中のバランごとコンポストに放り込んだ。

昼は冷凍うどん。夜はスーパーの惣菜。ちなみに昨日が東急で今日は西友。惣菜評論家には直ぐにでも成れそう。吾人の買い物は猫餌と軍手のみ。こうも暑いと何処にも行けず。エアコンからカビが出て来るのかくしゃみが止まらない。夜も暑く周囲には異様な臭いが立ち込める。あちこちで下水が滞っている。なお簡易保険は直ぐに下りた。医療費分は賄える金額。郵便局も最近は仕事が早い。芸備線福塩線も止まっているから三次には一本の列車も来ない。せめて三江線があれば日に数度はディーゼルの音がするのだがね。

 

8/1・水

 今月から東急バスは東京都シルバーパスでは差額を支払っても深夜バスには乗れなくなる。地味な負担増である。まあ深夜徘徊老人も居ないだろうが。再びの三十五度。不要不急の出社は避け自宅待機。昼は冷凍牛丼。夜は家人が買って来たスーパーの総菜を並べただけ。それにしても月曜の出来事は我が事ながら少しショックだし結構反省している。伯備線は復旧。