ひらがな打ちが亡びるとき

実を言うと、私キーボードはひらがな打ちなのです。これには、列記とした理由がありまして、日本語をローマ字に変換するというのは文化的な屈辱であり、日本語→ローマ字→日本語という過程を経ることで、思考のかなりの部分が変質を余儀なくされるのであり、日本語を使う者は、ただちにこの悪弊を改めるべきである・・・。
ウソです。先々代のワープロ時代に、なんとなく、ひらがな打ちで覚えてしまい、今日に至っています。文字を打つスピードは、いまひとつですが、自分の頭で考えたことを文章化する過程では、特に不便はありません。それに、ひょっとしてを、hyottositeと打つより違和感ないですよ。
でも周囲に、ひらがな打ちの人は、全く見ません。未曾有、前代未聞、そして空前絶後とか、よくいわれます。いえいえ、絶対的少数派というのも、かなり気分のいいことですよ。ですが、こういう状態が続くと、キーボードからひらがなの表示が消えてしまう日が、早晩来るかもしれません。
日本語は1億人以上が使っているわけですから、「日本語が亡びるとき」(水村美苗)が、来るとは到底思えません。ですが、もしキーボードから、合理化の名の下、ひらがなが消えてしまったら、それはIT=アメリカによる、文化の破壊といえるのではないでしょうか。
ひょっとしたら、それは、日本語が滅びる序章になるかもしれません。