文句を言う相手すらなし…

 この不況の深刻化で日本国内でも、外国人排斥などの動きが出るのではないかという不安の声があるが、杞憂に終わるであろう。とは言っても、別に日本人に寛容とか、人権意識が芽生えたというわけではない。
 職を奪い合おうにも、そもそも当の日本に当の工場自体がなくなってしまうからだ。グローバル企業にとっては、別に生産現場は、グンマやシズオカであっても、重慶であっても、ジャカルタであっても一向に構わないわけで、特に前者の工場などは縮小の一途をたどるであろう。稼ぎのいい仕事がなければ、出稼ぎ外国人もやってくることない。ニッポンよ、さようならというわけである。この場合、より悲惨なのは、ニッポンという土地に縛りつけられた当の日本人の方かもしれない。
日本人労働者と競合するのは、目の前の外国人ではなく、遠く離れた中国やインドネシアの工場に働く外国人(というより現地の人)ということになる。まさか海外にまで文句を言いに行くというわけにもいくまい。
保護主義や反グローバル化の動きは出てくるかもしれない。だが、これも痛しかゆしである。グローバル化によって仕事を奪われた階層というものは、外国産の安い食料や衣料品・日用品の恩恵を最も受けている階層でもある。
文句を言おうにも、言うべき相手すら見当たらない…。グローバル化の深化とは、そういう時代の到来を意味するのである。