政権交代が実現しました。これから官僚主導の政策決定から、国会議員中心の政策決定に方向転換しなくてはなりません。なかなか容易ではないと思います。新・与党には、政治経験ゼロという新人議員も多く、一体何ができるのかと不安と不信の声も聞かれます。
政府としての方針の大転換は「国家戦略局」(なんだか戦前・戦中を連想させるこの名称は歓迎しませんが)のベテラン議員の仕事とするとして、一年生議員の初仕事は、今までの国の仕事を精査し、無駄を指摘するところにありそうです。でも相手は知識も経験もある公務員たちです。戦えるのでしょうか??
「その頃、ひそかな困惑がつのっていた。火電公害を激しくいいつのりつつ、実は豊前火力がいったいどれだけの亜硫酸ガスを放出するのか、私には指摘出来ないのだった。九電の積極的な無公害PRを論破するには、具体的な数字をあげねばならない。反対運動のなかで、奇妙なことに誰一人その計算をしようとする者がいなかった。化学、数学、技術に身震いするほど弱い私は、誰彼に答えを聞いて回ったが、皆首をかしげるだけなのだ。どうにも仕方なくて、私は自分の頭で考え始めた。」
「考え悩むうちに、ふっと気づくことがあった。私は「機械」にたぶらかされているのではないか。機械とか技術に弱い私は、事を難しく考え過ぎているのではないか。これを単純な算術問題とみたらどうなるのだろうか。・・・なんのことはない、単純な計算式で豊前火力100万キロワット工場が放出する亜硫酸ガス量がつかめたのである。」
「この日から、私には奇妙なほどの自信が居座ることになった。大切なのは、自分はしろうとだからとても分かるはずはないとして「思考放棄」をしてはならぬということだと気づく。」(以上『暗闇の思想を』松下竜一)
以後、著者たちは九州電力の担当者たちと説明会でどうどうと渡り合います。九電の公害対策に多くの矛盾点があることを指摘し、有名大学を出たであろう技術者たちをつぎつぎと絶句させるシーンは、同書のハイライトとでも言えましょうか。
この火力発電所の建設に反対した市民たちの戦いは、「環境権」という言葉を定着させたことで有名ですが、一市民であっても、問題意識とやる気と誠意があれば、名だたる専門家集団を相手に十二分に戦うことができることを証明しています。
国会議員に、それができないはずはありません。まずは、国政の場においての「市民オンブズマン」として、行政の無駄・杜撰な計画・過剰な予算請求等々を暴いていただきたいと思います。